三郷町生き生きクラブ連合会(三生連・さんせいれん)

論語に親しむ会

次回例会

次回の例会(第64回)は、10/2(水)の開催だ。
三郷町福祉保健センター 10時開始 於・大会議室

新規の受講希望者は、高橋(世話人・32-5146)までご連絡を。要 テキスト(仮名論語)購入 1400円

一緒に学びませんか

 「論語」と聞くと、何となく難しく思われるのではないか。私も例外ではなかった。
  講義を通して知ったが、「論語」は、今から2500年前の中国に生きた孔子と弟子たち、国の要人などとの問答を、孔子が亡くなった後、弟子たちがまとめたものだ。孔子が著したのではない。内容を端的に言えば、人としての生き方を説いた書物である。時代背景の大きく異なる、現代を生きる私たちの指針にもなるだろう。

 ところで、「論語」は宗教では無い。谷口先生は、「時代背景が大きく違うし、民主主義という考え方がなかったときの話だ。私には合わないと思うところがきっとあるだろう。取捨選択するとよい」と。堅い話ばかりではなく、庭いじりや大相撲についてなど世間話も交えるので、90分が短く感じる。テキストは「仮名論語」を使っているが、文字通り平仮名交じりの「読み下し文」である。漢文そのものを読む訳ではなく、誰でも読める。みなさんと大きい声で素読すると、とても気持ちがよい。
 「先生から質問責めに遭うのでは」などの心配はまったくご無用だ。和気藹藹(わきあいあい)の雰囲気である。また「論語」のよいところは、途中から入ってもついていけることだ。毎月2回開かれているので、ぜひご参加を。              (高橋)

毎月第一、第三水曜日 10時から (90分)
 会場・福祉保健センター 大会議室
 講師・谷口 利広氏(三生連会長・論語指導士・中之島図書館論語塾塾長)
 参加無料、但し「仮名論語」をお持ちでない方は購入していただ  
 きます。当日会場でも購入可。1,400円(市販価格1,728円)

 申込・問い合せ   世話人・高橋(32・5146)

謹 呈

   
 「論語に親しむ会」にご入会の方には、拙著を謹呈させていただきます。なお、大阪の「中之島図書館」で開講中の「中之島図書館論語塾」の塾長も務めています。毎月第一・第三土曜日の13時30分からです。興味のある方は、こちらにもぜひご出席ください。(谷口)
論語 珠玉の章句 50

論語とは

 「論語」とは、今からおよそ二千五百年前の中国の思想家 孔子(紀元前552~479年) と、弟子たちや同時代の君主や為政者などとの間に交わした問答などの記録である。孔子没後、およそ百五十年後に纏められた。聖書と並び、これまでに世界で最も読まれてきた書物だと言われる。
 興味深いことに、釈迦、孔子、ソクラテスが、ほぼ同時代に生まれている。インドで釈迦が孔子の生まれる十二、三年前に、ギリシャでソクラテスが、孔子の晩年、紀元前470年に誕生している。釈迦、孔子、ソクラテスを、世界の三大聖人と称し、この三大聖人にキリストを加えて「四聖」と呼ぶ。彼たちが生きていた紀元前5、6世紀、中国では千八百位あった封建国家が、春秋時代の末期には十二~十五の国に統一され、これらの諸国が争い戦乱、陰謀に明け暮れた。民は、打ち続く戦乱に疲弊した。秩序は崩壊し、人々の心はすさみ、道徳は荒廃した。そういう時代に孔子は生まれたのである。
 孔子は早くして父親を亡くした。白川 静(明治43~平成22年)は「孔子は孤児であった。父母の名も知られず、母はおそらく巫女であろう。……貧賤こそ、偉大な精神を生む土壌であった。孔子はおそらく※巫祝者の中に身をおいて、お供えごとの※『徂豆』の遊びなどをして育ったのであろう。そして長じては、諸般の喪礼などに傭われて、葬祝のことなどを覚えていったことと思われる。葬儀に関する孔子の知識の該博さは、驚嘆すべきものがある」と「孔子伝」に記している。
 15歳で本格的に学問を志し、賢人がいると聞けば訪ねて行くなど至る所で人々に教えを乞い、自己研鑽を続けた。巫女であったと言われる母親は孔子が24~25歳の頃に亡くなったが(礼記)、その頃すでに数名の弟子が居たという。学びを続ける中、孔子は「政治は道徳によって治められなければならない」を理想とするようになった。
 魯(ろ)の国に用いられた孔子は、50歳の時、斉(せい)の国との外交会議に起用され斉の陰謀侵略をくい止め、魯の権力を保った。だが、56歳の時、魯国での政治的改革がうまくいかず魯を去ることになった。その後14年間、弟子数名を連れて諸国を訪れ自らの政治思想を説いて回ったが、なかなか受け入れて貰えなかった。失望の中、孔子を受け入れる体制の整った魯国に戻った。すでに69歳になっていた。
 帰国後は政治には関わらず、弟子たちの教育、人材育成に努めた。そして、73歳で生涯を終えた。生前、孔子の教育思想、政治思想は受け入れて貰えなかったが、死後、中国はもとより日本、東南アジア、ヨーロッパなど世界に広まり、思想文明に大きな影響を与えた。 
 孔子は、当時の「礼楽」すなわち礼式作法と音楽の第一人者であった。多くの弟子が孔子の下に集まり、弟子たちに「礼楽」を教えた。孔子が生きた春秋時代は戦乱の世の中だったが、孔子はそれを憂い、仁という思想を唱えた。仁とは、端的に言えば思いやりである。二千五百年も前に人としての生き方を説いたが、環境の大きく異なる現代でも生きた言葉として語りかけ、私たちを導く。孔子自身は、自分の思想を本にしようとはしなかった。当時の社会には、自分の考えを本人が書くという習慣が無かったのだ。言葉は人から人へ、口頭で伝承された。有名な政治家などの言葉は、すぐに世の中に伝わった。自らの言葉が遺り思想が不朽となることは、最高の名誉だと人々は考えていた。しかし、同時代の人々の言葉は、ほとんど忘れ去られた。
 孔子が亡くなってからしばらくして師の語られたことを纏めようということになり、各自か記録したものを持ち寄った。弟子たちは、孔子から聴いたこと、教わったことを、それぞれが断片的に記録していたのだ。当時は紙も筆も、そして墨もなかったから木簡や竹簡、あるいは絹や麻の布に、細く削った棒に漆をつけて書いたようだ。この時、編纂の中心になったのは孔子の孫の子思で、子思の門人たち、孔子の孫弟子によって論語の最初の編集が成された。それが「論語」の原形となった。
 孔子の言葉が「論語」として、中国のみならず、東アジアのあらゆる知識人に伝わって愛読され続けて来た。なぜこのように愛読されたのか。釈迦やソクラテスなどと比べて、孔子の言葉はきわめて平凡である、この平凡な孔子の言葉が、どうしてこのように世に伝わり不朽となったのであろうか。「論語」の中に、次のような挿話がある。弟子の子禽が、弟子の中でも秀才の誉れ高い子貢に尋ねた。「先生はどこの国に行かれても、信頼を得て政治について質問される。先生から会見を申し込まれるのか、頼まれてそうなるのか」と。子貢が答えた。「先生は温、良、恭、倹、譲をもってこれを得られた。先生の方で申し込まれたとしても、そのやり方は一般の人とは違っているのだ」(学而第一「仮名論語」5頁)と。孔子は、おだやかで、すなおで、うやうやしく、つつましやかで、控えめな人柄で、少しも押しつけがましい点がなかった。世の思想家には、一般的に大言壮語したり、極端な議論をする者が多い。だが、孔子は違った。
 また、次のような挿話もある。ある日、気に入りの弟子である顔淵と子路とが孔子の側らに居た。孔子が「君たちの理想は何か」と尋ねた。積極的な子路が先に発言した。「自家用の馬車に乗り、立派な衣服が着られる身分に出世できたとします。馬車や衣服を友人たちと共用にして、そのためこれが傷んでも少しも気にしないようになりたい」と。次に顔淵が言った。「善行を自慢せず、面倒を他人にかけないようにしたい」と。次に子路が言った。「先生の理想をお聞かせください」と。すると孔子が言われた。「老人には安心され、友人には信頼され、子どもにはなつかれたい」と(公冶長第五「仮名論語」62~63頁)。弟子たちとの親しい雰囲気の中での発言ではあるが、孔子の理想は日常的で、平凡極まりない。
 孔子は、巧言、令色、足恭(すうきょう)、つまり弁舌さわやか、表情たっぷりで、やたら腰が低いことを嫌った。心に怨恨を抱きながら、これを隠して友人づきあいを続けることを恥としたと言われる。また孔子は、子貢の「君子とは」の質問に、「先ずその言を行う。その後にこれに従う」と答えている(為政第二 「仮名論語」17頁)。主張したいことは、先ずそれを実行してから後に主張することだと。実行してから主張するのであるから、その発言は慎重にならざるを得ない。この控えめな言動、それは一見平凡極まるように見えるが、「この平凡極まることこそ実は非凡であり、最高の非凡さなのであろう」と「論語」の中で貝塚茂樹(明治37~昭和62年)は指摘する。これが、「なぜ孔子の言葉が愛読され続けたか」の答えなのだろうとも。
 「論語」の文体や文章について白川 静は、「孔子伝」の中で次のように記している。「『論語』の文には『論語』の世界があり、孔子をめぐる群像の息吹きが感じられる。その声は暗く深い谷間から、きびしく孤独にひびいてくる。……『論語』の文は、対話の集約であり、弟子たちは、その対話でえた集約を、そのときすぐ書きとめておいたようである。『論語』には、語録風のものが多い。語録体のものにも、背景が感じられる。何かの事実の上に立って述べられているのである。おそらく対話から生まれている語であるにちがいない。その対話の中から生まれた孔子のことばが、そのままで格言となるのはなぜであろう。孔子の言葉には※イデアがある。伝統の集約化と内面化とがある。それは克己復礼というような、孔子自身のきびしい実践と思索に裏づけられたものである。それでそのイデアは、日常の問答の間にも、美しい韻律をなして流れるのであろう」と。私たちが惹きつけられる所以であろう。
 我が国に於いては、易経、書経、詩経、礼記(らいき)、春秋の「五経」を学ぶことが永く第一とされ、「論語」は副読本であった。しかし、江戸時代、幕府の教学政策として※朱子学が奨励された。そのため、幕府の教学機関である※「昌平坂学問所」(昌平黌<しょうへいこう>)を初めとし、水戸の「弘道館」、熊本の「時習館」、長州や宇和島の「明倫館」、会津藩の「日新館」、薩摩藩の「造士館」など、諸藩の学問所(※藩校)は何れも朱子学を学問の中心とした。ゆえに、武士や知識人のほとんどは、「論語」の主要な章句を暗誦できていたようだ。私塾でも、論語は教科として取り上げられた。※寺子屋の主たる教材の一つ※「実語教」も、「論語」の影響を強く受けている。当時の人々の多くは、「論語」の全ては知らなくとも幾つかの章句を諳んじていた。「論語」ほど、日本人の思想形成に大きな影響を与えた書物は他に無いだろう。
 論語は、二十篇五百余の章句から構成されている。各篇は関連性が無い。短い章句が並べられているが、篇全体を通しての統一テーマも無い。孔子が最も重きを置いたのは、「仁」と「礼」であり、この「仁」と「礼」の上に立って、全ての話が展開されている。孔子は、人はみな「徳」を身に付けなければいけない、特に上に立つ者は、徳を持って政治を行わなければ国は治まらないと説いている。徳とは道理にかなう立派な行いのことをいう。徳は、いくつかの要素から成り立っている。その要素とは、仁、義、礼、智、信の五常が中心だ。
仁・・・慈悲、思いやり
義・・・正義、人間としての正しい筋道
礼・・・礼儀、他人に対して敬意を示す
智・・・知性、洞察力、物事を考え判断する働き
信・・・信用、嘘をつかない、約束を守る
そのほかに
忠・・・自分の心に忠実であれ 
孝・・・親や目上の人に尽くす
謙・・・謙虚で慎ましく、控えめがよい
がある。

 通常、一冊の本には「流れ」があって、初めから最後まで順に読むことになる。しかし「論語」にはその「流れ」がないので好きな部分だけ楽しむことも可能だ。前の問答を読まなければ意味が分からなくなるということはないので、気軽に読むことが出来る。「論語」の特徴と言えるだろう。(「論語 珠玉の章句 50」から)

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