三郷町生き生きクラブ連合会
(三生連・さんせいれん)

会長から

隆の勝

 私の予想が当たった。
 隆の勝が照ノ富士を破った。
 まだ発表されていないが、明日の対戦相手は大の里だろう。照ノ富士は、琴桜で間違いない。
 予断は許さない状況である。

(令和6年7月27日 18:05)

貴景勝と隆の勝

 昨日、貴景勝が8敗目を喫し、関脇に陥落が決まった。
 来場所での10勝以上に期待する。兄弟弟子の隆の勝は、まだ優勝の可能性を残している。本日は、照ノ富士に挑む。勝機はある。今日勝てば、照ノ富士の明日の対戦相手は琴桜であり、優勝決定戦となる可能性は大。

(令和6年7月27日 14:56)

町文化祭への出展数

町文化祭への出展 

 昨日、町文化祭「展示の部」の三生連からの出展数が明らかになった。 

 8支部、2団体から148点の作品の出展申し込みがあった。昨年の6倍以上である。

 年々、寂しくなる「町の文化祭」を三生連が復興の核となって盛り上げようと呼びかけた。
 このような結果となり、喜んでいる。会員のみなさんのご協力に心から感謝を申し上げる。

 展示した光景をいろいろと想像してみるが。きっと見事なものとなるだろう。
 今から楽しみである
 

 支部別の出展数は、次のとおりだ。今後、若干増える可能性がある。

 

東信貴ケ丘 50  

夕陽ケ丘      38

信貴ケ丘      19

三 室         14

明 治         13

城山台           8

緑ケ丘           3

みさと           1

 

 平均年齢の最も高い「東信貴ケ丘支部」が、最も出展数が多かった。私がいつも申し上げる「年齢は関係ない」を如実に示した。

 「銭太鼓」と「論語に親しむ会」からの出展もあり、花を添える。

(令和6年7月27日 5:43)

未提出の支部は大至急

 町文化祭の出展申し込み期限は昨日だったが、二つの支部から本日提出するとの連絡があった。
 未提出で連絡の無い支部からの提出にも期待している。本日12時までに提出していただきたい。

(令和6年7月26日 5:25)

隆の勝

 貴景勝は、後がなくなった。今日は照ノ富士戦だ。絶体絶命である。やはり、10日目、阿炎に敗れたのが痛かった。
 兄弟弟子の隆の勝の勢いが凄い。大関候補と言われたときの出足が戻っている。今日は霧島戦だが、勝てば優勝決定戦まで進む可能性も出て来た。ぜひそのようになって欲しいと願っている。
 貴景勝も照ノ富士に勝てば、勝ち越しに一縷の望みが……。

(令和6年7月26日 5:18)

天晴れ

 天晴(れ)/ 遖 読み方:あっぱれ

 

 日常的には使わないが、私を含め時折使われる。辞書を引くと、

 

 ほめたたえる気持ちを表すときに発する語。すばらしい。みごとである。

 すっかり感心したり、強く驚いたりしたときに発する語。ああ。

「天晴れ」は当て字。「遖」は国字

 

 「天晴」の読み方は「てんせい」や「あまばれ」ではなく「あっぱれ」だ。当て字で「天晴れ」と表記することもある。「天晴れ」と書いた場合にも「あっぱれ」と読む。使われているのは天と晴というなじみ深い漢字だが、読み方を間違いやすい。

 

「天晴」の語源は「あはれ」

 「天晴」の語源は「あはれ(哀れ)」だと。「あはれ」を促音化して、意味を強調したものが「天晴」となった。

 言葉の意味から考えると、意外な語源だが、もともと「天晴」はほめる場合だけで使われる言葉ではないと。「ああ」という感嘆や悲哀の感情を表す時にも使われており、この場合には語源のニュアンスと近いものになる。 
 驚きの賞賛という意味の場合も、感嘆や悲哀という意味の場合も、つい自然に出てくる感情という点では共通している。

 

 努力を積み重ねて事を成し、人から「天晴れだ」と言われてみたいものだ。

(令和6年7月25日 5:10)

信頼を裏切る人

 信頼を裏切る人 

 信用・信頼していた人に裏切られたという経験は、私には無い。だが、世の中において、「人に裏切られた」という人は少なくないのではないか。私も裏切られたのではないが、なぜか急に去っていかれたということはある。いまだに、原因は分からない。

 ある人が、「いつか裏切る人の特徴」について記していた。とても興味深いし、多くは的を得ていると思った。ご紹介する。参考になれば幸いだ

 

 1 いつも自己中心の人

  このような人は、平気で約束を破  
 ることが多いだろう。ドタキャンも 
 平気。

 

 2 自分の利益のためなら手段を選  
  ばない人

    自身の目的達成のためなら、「何  
 でもあり」といった調子で嘘もつ 
 く。今は味方かもしれないが、いつ  
 手のひらを反すかも知れない。

 

 3 相手の気持ちを尊重しない人 

  共感能力が著しく欠如しており、 
 相手の悩みを軽く扱う。他者の立場
 に立って考えることができない。

 

 4 相手によって態度を変える人

  風見鶏のように態度を変える。目 
 上には「はい、はい」と服従する 
 が、目下には横柄な態度をとる。

 

 5 隠し事が多い人

  いつも曖昧な物言いで、相手に対
 して胸襟を開かない。

 

 6 小さな嘘を平気でつく人

  小さな嘘をつくことが常態化して
 いる人は、いつか大きな裏切りをす 
 るだろう。

 

 7 被害者意識が強い人

  「損ばかりしている」「理解して 
 くれない」といつも零す人は、自ら 
 の行動に責任をとらず、すぐ人のせ 
 いにする。信頼関係を築けない。

 

 8 妬み心や嫉妬心が強い人

  人の成功を素直に喜べない人は、 
 あなたが成功した時に裏切る可能性 
 が高い。

 

 9 言い訳ばかりする人

  非を認めることができないので、 
 課題の本質に向き合えない。いざと 
 いうとき、あなたに責任を押し付け 
 る。

 

10 金銭にだらしない人

  金銭感覚がルーズな人は、お金に
 係わってトラブルを起こす可能性が 
 高い。

 

 信頼できる人を見つけるのは難しい。「裏切る人」をちょっとした兆候から見つけることができれば、それに越したことはない。相手をよく観察して、怪しいと思ったならば距離を置くのが賢明だ。

 自身の言動を振り返り、抵触するものがあるならば改善しよう。でなければ、人からの信用・信頼を得ることはできない。

(令和6年7月25日 4:39)

貴景勝

 大相撲名古屋場所、貴景勝は10日目対阿炎戦に敗れ、4勝6敗となった。勝ち越して「大関」に踏み止まるためには、阿炎戦がヤマだと思っていた。
 ひじょうに厳しい状況となった。究極的非常態である。14日目までに勝ち越せば、久しぶりに名古屋での常盤山千秋楽パーティーに出ようと思っていたが……。

(令和6年7月24日 13:26)

覚 悟

 覚 悟

 「覚悟が大事だ」「覚悟して置け」「覚悟ができていない」などと、「覚悟」という言葉はよく使われる。

「覚悟」は辞書によると

 

 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。

 仏語迷い脱し真理を悟ること。

 きたるべきつらい事態避けられないものとして、あきらめること。観念すること。

 覚えること。記憶すること。

 知ること。

 とある。 

 本来、覚悟は眠りからさめること、目がさめていることを意味する言葉だ。もともと、「覚」も「悟」も「さとり」という意味だから、迷いを去り、真理を体得し、さとりの智恵を得ることを意味する仏教語なのだと。 

 

 「覚悟する」の言い換え・類義語としては、

  • 心に固く誓う
  • 血盟する
  • 覚悟を決める
  • 腹を決める
  • 決心する
  • 腹をくくる
  • 腹を据える
  • 決意する

 

 などだ。

 

 何を為すにしても、志を高くして「覚悟」を決め、不撓不屈の精神で臨まねばならない。
 今の政治家には、「覚悟」と「責任」の希薄な方がほとんどのような気がする。

(令和6年7月24日 13:10)

濃い赤のサルスベリ

 比較的濃い赤のサルスベリの写真だ。何れもネットから。
 上の写真ほど濃い赤は、なかなかお目にかかれない。

(令和6年7月23日 19:05)

草木にも魂が

 草木にも魂が

 拙宅から70㍍くらい離れたご近所のお宅に、2~3日前に植木屋が入った。

 このお宅の前の持ち主は私より二回り以上も歳上の方で、庭づくりにとても熱心で美しい庭を維持されていた。

 40年近く前の話だが、前庭の白のヒラドツツジがあまりにも奇麗なので、お願いして挿し穂をいただき挿し木して育てた。

 その方は息子さん夫婦と同居されていたが、お亡くなりになられた後、間もなく息子さん夫婦も隣町に移転され、10年以上空き家となっていた。

 

 次に入居された方は私より少し若い独り身の方だった。庭には興味が無いようで、剪定や雑草の処理もせず庭は荒れ放題となった。そのお宅のお隣りは私が懇意にしている方で、庭いじりに熱心な女性であった。口には出されなかったが、隣が「幽霊屋敷」のようになっている状況は、内心忸怩たる思いであっただろう。

 そういう荒れた中でも、前述の白いヒラドツツジは春になると引き続き美しく咲き続けていた。けなげなヒラドツツジに、私は妻と二人、毎年心の中で拍手を送っていた。一方、挿し木した拙宅の白いヒラドツツジは大きくなり、シンボルツリーの一つとして毎年見事な花をつけている。

 さて、本題に戻る。「思いっ切り伐ってくれ」と依頼されたのであろう、玄関前のマキを除いてすべてを根元から2~3センチを残して伐採された。前庭のヒラドツツジも例外なく。なんでそこまでと唖然としてしまった。
 元の持ち主、丹精こめて庭を造られたお爺さんは、あの世で嘆かれていることだろう。ただ拙庭に受け継がれたヒラドツツジには、微笑んでおられることと思う。

 草木にも命がある。魂がある。他人の庭とは言え、残念至極である。

(令和6年7月23日 8:25)
ヒラドツツジ
ヒラドツツジ

有明の月

 今朝は、有明の月がとても美しい。『早起きは三文の得』だ。
 思わず次の和歌が浮かんだ。

 

ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる

(後徳大寺左大臣)

 

 ホトトギスが鳴いた方を眺めやれば、ホトトギスの姿は見えず、ただ明け方の月が淡く空に残っているばかりだった。

 

後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん。<139~1191>

 本名は藤原実定(ふじわらのさねただ)。大炊御門右大臣藤原公能(きんよし)の子供で、百人一首の撰者、藤原定家のいとこ。祖父も徳大寺左大臣と称されたので、区別するため後徳大寺左大臣と呼ばれる。詩歌管弦に優れ、平安時代末期の平氏が栄えた時代に大臣の職にあった。

 

 ホトトギスば3月から5月にかけて日本に渡ってくるので、「夏を告げる鳥」と呼ばれる。そのため「時鳥」などと呼ばれて愛され、文学的にも格調の高い景物として扱われる。

 

 平安時代の雅を愛する貴族たちにとって、夏のはじまりに飛来するホトトギスは、季節の訪れを象徴する鳥として、ウグイスのようにとても詩的な魅力的なものに思えただろう。
 特にホトトギスの第一声(初音)を聴くのは非常に典雅なこととされた。そこで山の鳥の中で朝一番に鳴くといわれるホトトギスの声をなんとか聴くために、夜を明かして待つこともよく行われていたと。

 ホトトギスは動きが敏捷で、こちらと思えばまたあちら、というように移動するそうだ。作者が「ホトトギスの初音だ」と振り返った瞬間、もうホトトギスはそこにはいない、という印象もこの歌には込められているのだろう。
 この歌は、「百人一首」の中の一首でもある。

(令和6年7月23日 5:17)

高い「人間性」

 高い「人間性」

 

 高い「人間性」を備えている人とは、どのような人を言うのか。11を挙げてみた。まだまだ、あるだろう。

 すべてを備えることは易しくはないが、日々の積み重ねが自らを成長させ「人間力」を高めるだろう。心したい。

 

1 徳が高い

 徳(仁・義・礼・智・信)を念頭に、「ありがとう」「すみません」が素直に言える。自分がされて嫌な事は、人に対してしない。

 

2 怒りの感情を制御できる

 腹が立っても、それをすぐには表に出さない。冷静さを保ち、対処する。

 

3 人に流されない

 他者の意見も聞けるが、強い信念を持ち人に流されない。バランス感覚も高い。

 

4 誰とでも会話ができる

 相手の興味や関心などを素早く掴み、誰とでも自然に会話ができる。

 

5 皆にとっても心地よい環境を作ろうとする

 周りの人が心地よいと思える環境を作れる。

 

6 自己肯定感が強い

 自分を認め、ほめることの出来る人は、他者にもやさしくできる。

 

7 常に学び続ける姿勢をもつ

 謙虚であって、常に学ぶ姿勢をもつ。志高く、飽く事無く可能性を求める。

 

8 不撓不屈の精神をもつ

 失敗したり、苦境や逆境に陥っても、へこたれない。

 

9 調子に乗り過ぎない

 幸運が続いている時こそ気を引き締め、抑制する。常に、「好事魔多し」と考える。

 

10 足るを知る人

 何事にも、「満足する」という意識を持つ。不満を言っても、状況は変わらない。

 

11 他者を立てる

 自分の事は後回しにして、先ずは他者を立てる。


(令和6年7月22日 4:41)

鍋料理

 今日も快晴だ。気温はかなり上がりそうである。
 7時前から庭いじりを2時間半、たっぷりと汗をかいた。ズボンまでぼとぼとになった。
 開花の遅れていた拙庭のサルスベリは、ようやく開花して来た。これから長く楽しませてくれる。
 若い時から「鍋」が好きだ。鍋の収集を趣味にしている訳では無い。「鍋料理」だ。夏に「鍋料理」は暑い(熱い)だろうと、多くの人が言われる。汗をかきながら食べる「鍋料理」に、醍醐味がある。
 昨夜、我が家は「鳥の水炊き」だった。貴景勝が連敗して沈んでいたところ、思わぬ「鍋」に頬が緩んだ。いつもは豚肉も一緒なのだが、昨夜は鶏肉だけだった。野菜は白菜その他、たっぷり、豆腐は私のこだわりで木綿、ガンガン食した。
 いつもは途中から「うどん」が加わるのだが、昨夜は無し。増え続ける体脂肪を考慮して、ストップをかけてくれたのだろう。それでも久しぶりの「鍋」に、大いに満足した夕食であった。
 妻が栄養を考えて創意工夫した夕食を提供してくれる。有難く思っている。拙宅は昔からエンゲル係数がひじょうに高いが、その事が「生きる力」に繋がって来たと思う。

 「エンゲル係数」については説明するまでも無いが、家計全出費に占める食費の割合である。

(令和6年7月21日 10:21)

鶏肉の水炊き
拙庭 今朝8時

断薺画粥

 断薺画粥(だんせいかくしゅく)

 

「四字熟語」を学んでいたら、断薺画粥(だんせいかくしゅく)という熟語に出会った。
 意味は、「貧乏に耐えて勉学に励むこと」であると。

「薺」は、なずな(ぺんぺん草)のことで、「断薺」は、なずなをきざむ意味だ。

 「画」は、たてよこに線を引いて四つに区切る意で、「画粥」は固くなった粥(かゆ)を四つに切ることとあった。

 

 出典は、「中国北宋(ほくそう)の范仲淹(はんちゅうえん)という男は若い頃貧乏で、なずなをきざんでおかずとし、冷えて固くなった粥を四つに切って、朝晩二つずつ食べるという生活をしながら、勉学に励んだ」という故事から。

 

 私も范仲淹の爪の垢でも煎じて飲めば、学びに熱心になれるだろうか。恵まれた環境にあるのだからもっともっと学ばなければならないし、世のため人のために汗をかかなければと改めて思った。

 

 類義語としては、蛍雪之功(けいせつのこう) 蛍窓雪案(けいそうせつあん)  車胤聚蛍(しゃいんしゅうけい) 苦学力行(くがくりっこう)がある。

(令和6年7月20日 4:40)

町文化祭出展申し込み

 町の文化祭(10/26~27)の出展申し込みの締め切りは、7/25である。
 まだどの支部からも届いていないが、風の便りで「必ずこれまでより多く出展する」との支部は、夕陽ケ丘・三 室・信貴ケ丘・城山台・明 治・みさと・東信貴ケ丘の7つである。まだ締め切りまで日数がある。必ずやもっともっと増えると思っている。
 昨年の3倍の出展数をめざしているが、目標を大きく上回りそうだ。最も平均年齢の高いある支部では、もう7倍(2名→15名)を超えていると……。「平均年齢の高い低いは関係ない」ことを証明している。「高齢者が多いから……」は関係ないのだ。
 締切日の25日、嬉しい悲鳴をあげることになりそうだ。

下問を恥じず

下問を恥じず

 

 「下問を恥じず」は、『論語』(公冶長第五)由来の言葉である。

 「年下の者に道を問うことを恥としない」「若かってもあることに精通している者に対して、問うことは恥ずかしい事では無い」という意味だ。
 「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」に通じる。

 70歳を超えると、何か新しいことを学ぼうと思ったら、ほとんどの場合、先生は年下である。下問を恥じていたら、何も学べない。年下の人から学ぶ姿勢を忘れてはいけない。
 最初に年下の人を「先生」と呼んだ時には、なんだか違和感を覚えたが、最近は慣れてしまった。

 余談だが、教師仲間では、「〇〇先生、▽▽先生」と呼び合うのが普通だった。私は現役のとき、先輩であっても「●●先生」とは呼ばなかった。上にも下にも、「□□さん」で通した。互いに「先生」と呼び合うのには抵抗があった。

 教え子の何人かと親しく付き合っている。たまには、呑みにも。教え子と言っても63~64歳だ。孫持ちも。彼らに教えて貰う事も少なくない。彼らも厳しい社会を生き抜いて来たので、一家言を持っている。

 幾つになっても、「下問を恥じす」の言葉を忘れないようにしたい。

(令和6年7月19日 8:34)

 

怨みを匿して

 怨みを匿して(うらみをかくして)

 

 論語に「怨みを匿して其の人を友とするを恥ず」(うらみをかくしてそのひとをともとするをはず 公冶長第五)とある。
 怨みをかくして、友として親しく交わるのを恥じる、という意味である。

 「ひどく憤慨するような事をされ内心苦々しく思っているのに、それを抑えてその人と親しくつきあうようなことは恥じるべきだ」ということだろう。

 一般には、「いやなことがあっても、いやな人でも、それを抑えてにこにこと対応する」というのが望ましいとされ、大人の生き方だとされる。

 だが、私にはそれはできない。孔子も同様であったようだ。

 「いやなことがあっても、それを抑えて笑顔で」は、慇懃無礼(いんぎんぶれい)に繋がらないか。人生はそう長くはない。いやなことを我慢して生きることもないのではと思うのである。

 

 慇懃無礼(いんぎんぶれい)とは、表面はきわめて礼儀正しく丁寧であるが、実はひどく尊大であること。また、言葉遣いや態度などが丁寧過ぎるのは、かえって無礼であること。

(令和6年6月19日 4:48)

薬剤散布

 本日午前、庭に今年7回目の薬剤散布を行った。まめに消毒しているのだが、サツキとヒラドツツジの一部に、グンバイムシが発生した。
 気温の上がった10時半ごろから散布することになり、13㍑を約90分で。汗を大量にかいた。
 白と薄いピンクのヒラドツツジ20~30本を、鉢に挿し木して育てているが、拙庭は日当たりが良すぎるので置き場所に苦慮している。日差しの強い日には、1日に4~5回水やりをするなど可愛がっているので、順調に育っている。
 地面に直挿ししたアジサイ(隅田の花火)も根付いた。これらは、秋に鉢に移して育てる。ほとんどは来年、友人たちに差し上げる。

(令和6年7月18日 21:08)

濃い赤のサルスベリ

 サルスベリの花を、あちらこちらで見かけるようになった。
 拙庭は例年より遅く少し心配したが、花芽はぎっしりついており、近々開花しそうだ。
 花木において白い花が格上であり人気が高いが、サルスベリは赤だ。ピンクが多いが、「濃い赤」が最上だ。
 町内では見かけない。残念ながら、拙庭のもピンクである。車で町外を走っていても、「濃い赤」は千本に1本も見かけない。それくらい稀有で貴重だ。
 40年以上も前に、夕陽ケ丘のスーパー『トミー』のすぐそばのお家で、それなりに濃い樹を見かけたが、枯らしたのかいつの間にか無くなってしまった。
 お近くで(町外でも)「濃い赤」のサルスベリを見かけるならば、ぜひ教えていただきたい。車で1時間くらいの距離ならば、見に行きたい。

(令和6年7月18日 9時05分)

郡生連の役員会

 本日は、午後から安堵町で「郡生連」の役員会が開かれる。「宿泊研修」や「カラオケ大会」などが協議題となる。
 「県老連」や「郡生連」の分担金の納入もある。「県老連」への分担金納入については、ある「町連合会」の複数役員から県老連の会報『大椿寿』に係わって「我々の連合会からの県老連への分担金納入を拒否しよう」という意見が出たようだ。だが、それは「県老連」からの脱退を意味するので、賢い選択ではないと思う。会員として、建設的な意見を主張するべきだ。
 この「建設的な意見を述べる」という事が大事である。果たして、本日の会議は「建設的な意見主張の場」になるであろうか。

(令和6年7月18日 5:20)

大きな柱

 本連合会の大きな柱として、役員を務められておられる方が昨日、大きな手術をお受けになられた。情報は得ていないが、きっと成功裏に終えられたことだろう。
 昨夜は、麻酔が取れた後、強い痛みが出たのではないだろうか。この5月にも他の臓器の手術をされ、今回は約2ヵ月近くの間を置いての手術だった。術後の経過も順調に進み、日常生活に早く復帰されることをお祈りしている。
 趣味で日本ミツバチの養蜂をされておられる。これから朝食だが、彼からの蜂蜜を今日はトーストに塗ろうか、直に嘗めようかと雑文を綴りながら思案している。

(令和6年7月18日 4:25)

梅雨が明けた

 梅雨が明けた。
 8時前から、蝉が強く鳴き始めた。
 信貴ケ丘では、日曜日(14日)ごろから鳴き始めた情報もあったが、東信貴ケ丘では本日初めて。
 本格的夏の到来だ。クロマツの二番芽もぐんぐん育っている。若者は、海へ山へ繰り出すだろう。
 水分を十分に摂り、熱中症を予防する。


(令和6年7月17日 8:20)

論語に親しむ会

 本日は「論語に親しむ会」の132回目である。前回は私の余談が長くなり、4分の1を積み残してしまった。今日はその分も講じるので、導入部分はごく短く進めたい。
 受講者の皆さんとお会いできるのが楽しみだ。

(令和6年7月17日 5:55)

遺憾千万

 遺憾千万 

 何か協力の要請をした時に、意気に感じていただけたのか「よっしゃ分かった。一肌脱ごう」と自らの事を差し置いて協力して貰える方が居られる。私の周りには大勢。一方、少しの努力で協力も可能なのに、深く考えること無く進んで汗をかこうとしない方も世間には居られる。

 「協力するしないは個人の自由」だが、「何とかしよう」というのが情のある生き方だろう。「仁」だと言える。そのような中、遺憾千万(いかんせんばん)という言葉が脳裏をかすめた。

 遺憾千万は、非常に残念(=遺憾)でたまらない事。 思いどおりに事が運ばず、非常に心残りなことを表す。 「千万」は程度がはなはだしい意味。

 

 自分にとって有利な事(益になる事)については、いの一番に手を挙げる。だが、しんどい事にはダンマリを決め込む。そのような情けない方も少なくない。

 

 常日ごろ、「他者のために汗をかく」という事を念頭に置く。まだまだ不十分ではあるが、実践に努めている。「自分さえよかったら」「自分たち仲間冴えよかったら」という気持ちを抑えて皆が生きるならば、紛争は起こらないだろう。

 困っている人を見かけたら、「何とか力に……」と思いたいものだ。


(令和6年7月17日 4:20)

人間到る処青山有り

「人間到る処青山有り」  
(じんかんいたるところにせいざんあり)

 「人間到る処青山有り」について、言葉を分解して見る。
 まず「人間」については人々の間のことを言う。これはいわゆるヒューマンではなく世の中を指している。そこは通常の「人間」とは違う。「到る」は、ある場所や時間、状態に行き着くことを表す。また「青山」は骨を埋める墓地などのことを示す。これらをまとめると、世の中にはどこにでも骨を埋める墓地があることを意味する。

 大望を実現するためには故郷にこだわらず、広い世間に出て活動すべきであるということを言っている。心置きなく挑戦することの大切さを説いた言葉と言える。望みを叶えるには、リスクを恐れずに動くべきだという教え・戒めとしても使用される。

 出典は「月性」という僧侶の詠んだ詩の一節から

 「人間到る処青山有り」は幕末の僧侶、月性の詩「将に東遊せんとして壁に題す」に由来する。月性は教育者としても活躍した人物だ。また、思想家や剣術家としても知られた。そんな彼が詠んだ詩の一部が「人間到る処青山有り」なのである。

 故郷を出る決意が込められた詩となっている

 月性は、周防(現在の山口県)に生まれた。27歳の時、著名な漢学者である篠崎小竹に弟子入りする。故郷を出る際に詠んだとされるのが、「人間到る処青山有り」を含む詩だ

 彼は一度決心して故郷を出るからには、学問が身につくまでは帰ってくるわけにはいかないと心に誓ったのだろう。その決意の後に詠んだのが「骨を埋めるに何ぞ期せん墳墓の地、人間到る処青山有り」という一節だった。これは先祖代々の墓に葬ってもらおうとは考えていないことを詠っている。それに続いて、世の中どこに行っても墓地になる森はあるとも。つまり、彼は故郷に固執するのではなく、挑戦のためにはどこへだって行くという気持ちを詠っている。決意の気持ちが、この言葉に集約されている。

月性の漢詩

 

男兒立志出郷關

學若無成不復還

埋骨何期墳墓地

人間到処有青山

 

(読み下し文)

男児志を立て郷関を出ず

学若し成る無くんば復た還らず

骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん

人間到る処青山あり

 

(通釈)

男子がひとたび志を立てて故郷を出たからには

学業の成就をみなければ故郷に帰るものではない。

骨を埋めるのは必ずしも先祖代々の地を望むものではない。

この世はどこにあっても墓地となる青山はあるのだから。

 

 ということで、「青山」とはお墓のことだ。そして、ここでいう「青山」とは必ずしも石のお墓に限るわけではない。

 現代では「野望のためには故郷にこだわらず夢に向かって突き進め」というような意味でも使用されることが多い。自分への励ましの言葉でもある。

 「青山」だが、もともとは中国の北宋時代(10世紀前後)に詩人の蘇軾が弟に送った詩の一節に、「是処青山可埋骨」とあり、骨を埋める場所を「青山」と言っている。

 

  「人間」を、現代では(にんげん)と読まれることもあるが、微妙にに意味合いが違ってくる。

(令和6年7月16日 5:08)

父の忠告

銘肌鏤骨(めいきるこつ) 

 銘肌鏤骨とは、深く心にきざみこんで忘れないこと。肌にきざみつけ、骨に彫り込む意から。

 「銘肌」は、肌にきざみ込むこと。

 「鏤骨」は、骨にきざみ込むこと。

 

 出典 『顔氏家訓(がんしかくん)』

 『顔氏家訓』は、中国北斉の顔之推(ガンシスイ)が著した家訓であり、子々孫々に対する訓戒の書だ。

 

 「銘肌鏤骨」を心がけてきたことがあるかと思い起こすとき浮かぶのは、「賭け事」に手を出さなかったことだ。
 「賭け事をするな」は、父からの忠告だった。学齢に達する前から10歳くらいまで繰り返し言われ、脳裏に刻みこまれた。「勉強しなさい」などとは、一度も言われたことがなかった。言われなくともやったと言うのではない。

 父の忠告を、現在まで頑なに守って来た。競輪・競馬・競艇はもちろんのこと、パチンコも麻雀もしたことが無い。「宝くじ」がギャンブルに入るか否かは意見の分かれるところだが、「宝くじ」も買ったことが無い。

 いい加減な性格で何の取り柄も無い私が、何とか人並みに生活できているのは、父の忠告を「銘肌鏤骨」し守って来たからだと思っている。
 私は長男でありながら、父の創業した家業を継がず好きな道に進んだ。親不孝者である。ただ忠告を守って来たことについては、あの世で喜んでいるのかも……。

(令和6年7月16日 4:47)

「論語」は中国社会には

「論語」は中国社会に存在しない   

 多くの日本人は、中国文化と中国人文化の違いを区別できない。日本が中国の本質をどうしても見抜けない根本的な原因は、この部分だろう。


 日本人は中国と同舟とは考えていないものの、少なくとも同文化、同じ漢字文化を共有していると考えている。日本文化のかなりの部分が中国から伝わったもので(実際は違うのだが)、少なくない日本人が中国の古典といわれる詩や芸術、音楽、哲学などの文化に、若干の憧れに近いものを持っているとも思われる。
 確かに中国文化には優れたものがたくさんあり、中国の古典には立派なことが書かれている。しかし、それらは中国人の実社会には存在しない。日本人は、それが分かっていない。
 中国文化、特に古典と言われる『史記』や『漢書』、『論語』、『孟子』、『春秋』などは、基本的には3つの理由で重要視されてきたと考えられる。
 一つは勉強するためのものだ。中国には科挙制度があった。それらを勉強して試験に合格しなければ、官僚にはなれなかった。官僚にならなければ権力者にはなれなかったということである。
 もう一つは、権力者が見て楽しむための娯楽だ。
 最後の三つ目は、権力者がそれを使って民を統治するための手段になっていたということである。

 日本人が中国文化を理解できないわけ
 日本人がなぜ中国文化を理解できないのかを簡単に説明すると、日本文化がほぼイコール日本人文化と言えるからだ。例えば日本の文化の中で俳句や短歌を例に挙げると、これらは別に特に教養のある人間だけが楽しむ文学では無い。また権力者がそれらを用いて、民を統治するための道具でも無い。田舎であろうが、都会であろうが、職業も貧富も関係なく、誰もが俳句や短歌を詠んで楽しんできた。しかし、中国ではそのようなことは無い。

 中国の親は子供の嘘を賞賛する
 外国人から見れば、日本文化の中心、最も本質的な部分は、真(しん)だとよく言われる。真実の真(しん)、真(まこと)だ。日本人社会、日本人文化は、誠実さを中心に形成されてきた。日本人の誠実さ、真面目さというのは別に努力して身に付けたものではなく、日本文化のなかに自然と存在しているものだ。
 一方で、中国人的な発想からすれば、日本人は何の目的で誠実に生きるのかと考えるようだ。日本の文化と西洋の文化で非常に一致していることは、「美徳そのものが美徳の報酬である」とも言える。
 なぜよい行ないをするのか、なぜよい人間になるのか、なぜ美徳が身に付いているのか。それは、日本人の多くが、美徳そのものが報酬だと考えているからだろう。しかし中国文化は、イコール中国人文化ではない。もっと分かりやすい説明をすると、中国では親が自分の子どもに教えるのは中国人文化である。中国の教科書にも人間は誠実であるべきということは書かれてはいる。が、これは中国文化の部分で、要するに偽りの文化と言える。実際の中国人社会の中には存在しない。

 中国人文化の本質は「偽り」だ。日本の「真」とは真逆なのである。だから中国人の親は子どもに、「他人には本当のことを言ってはならない」と教える。また、「他人を信用してはならない」とも。これはずっと昔から今まで中国人の親が子どもに教え続けてきたことであり、他人にはウソをついてもよいということなのだ。

 日本を訪れた中国人観光客が、繁華街であろうが何処であろうが、大きな旅行カバンをゴロゴロと引いて歩くのは、信用して預けることが出来ないのが理由だろう。「他人を信用してはならない」との、小さい頃からの教えに従っているのだ。
 「中国政府が発表する統計資料は嘘ばかり」と言われるが、「嘘をついてもよい」という考え方だろう。
 極論すれば、中国人文化は基本的には偽りの文化、詐欺師の文化ということになる。

 私は「論語」を学び、講じているが、けっして中国文化や中国人文化を礼賛している訳では無い。「論語」に書かれている内容(章句)に、今を生きる私たちに大きな示唆を与えてくれるものが数多く鏤められているからだ。

 中国共産党の現幹部たちが率先して「論語」を学び、そして中国の中で少しでも「論語」の内容が浸透すれば、世界の国々と仲良くやっていけるだろうと思うのである。

 子どもたちに、「他人には本当のことを言ってはならない」とか「他人を信用してはならない」などの戯言を教えないようにしてほしいと願うのである。

(令和6年7月15日 11:45)

大東亜会議

 81年前の人種平等サミット 大東亜会議 

 

 日本の敗色がやや感じられるようになった昭和18年11月、アジア7カ国の代表が東京に集まって、史上はじめてのアジアサミットを開催した。

 当時の東南アジアの人々の人種差別や欧米植民地支配への憤りを共通の課題として、その解放を目標に日本を核として大東亜戦争に勝利し、独立を果たし、共に支え合う経済圏を確立する大東亜共栄圏の確立を共にめざそうというのがこの会議の主旨だった。

 欧米の植民地支配からのアジア各国の独立と共存共栄、白人による人種差別を許さないことを東京に介したアジア各国を代表する7人が集い、宣言したのである。会議の舞台は、帝国議会の議事堂、現在の国会議事堂だった。

 

 出席した首脳たちは、

・中華民国の汪兆銘行政院長

 <辛亥革命の志士で、日本は彼の政権(南京政権)に対して治外法権を撤廃し、租界を返還した>

 

・タイのワンワイタヤコーン殿下

 <戦後、外相、副首相、国連総会議長になった>

 

・満洲国の張景恵国務総理

 <清朝の軍人から中華民国の閣僚を経て満洲国のナンバー2になった人物である>

 

・フィリピンのホセ・ラウレル大統領

 <戦後、上院議員として活躍した>

 

・ビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ国家元首

 <ケンブリッジ大などに留学した弁護士、哲学博士で、イギリスに抵抗する独立運動に身を投じ獄につながれた>

 

・日本の東条英機首相

 

・オブザーバー出席の自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボース

 <独立運動の指導者としてガンジー、ネールとともにインドの国会議事堂に肖像画が掲げられる英雄である>

 

アジアを代表する錚々(そうそう)たる7名だった。

 

 前述のとおり、昭和18年11月といえば、日本の敗色が感じられるようになった時期である。それでも命の危険を顧みずアジア7カ国の代表が東京に集まった。ちなみに、「大東亜共同宣言」を発したこの7カ国の中で、大東亜戦争開戦前の時点で独立国であったのは、日本国、中華民国(支那)、タイ王国、満州国の4カ国だけだった。 
 この時期の世界で、有色人種の独立国というのは、実はこの4カ国だけだったのだ。

 

 後に、大東亜戦争の開戦により日本陸軍の南部フランス・インドの進行作戦の成功によりビルマとフィリピンが独立を果たしていることが、まさに大東亜会議によって発せられた【大東亜宣言】の実効性を裏付けるものではないだろうか。
 ではこの時期アジア以外の、アフリカ、中近東、南米などの地域ではどうだったのかといえば、すべて白人たちの植民地だった。国でさえなかったのである。

 

 胸を張って「大東亜戦争」と

 植民地だったこれらのアジア各国の首脳を集めたアジアで初めての国際会議。それが大東亜会議であり、この会議をもとに各国が互いに支え合って独立を誓い合ったのである。

 この大東亜における「共に支えあい共に栄えてアジアに立とう」を目指した7人の侍たちの思いを歴史に残すことは、戦勝国が戦後、再びアジアを自分たちの都合の良い経済戦略下に組み入れるためには抹消しておかないとまずいと考え、大東亜戦争の呼び名が「太平洋戦争」へと一方的に呼称、変更されたのだ。GHQ「連合国指令本部」、米国の方針であった。

 現在、「大東亜戦争」と口にすると、「偏向した考えの持ち主・軍国主義者」などと思う人がいるが、とんでもない話なのである。欧米諸国からアジアの人々を解放しよう、そして「共に支えあい共に栄えよう」とした貴い考えからの呼称である。
 私たちは、胸を張って「大東亜戦争」と呼ぶべきなのである。

 

 改めて言って置くが、けっして戦争を賛美する立場ではない。歴史の真実を学んでほしい、知ってほしいのである。

 

 日本は大東亜戦争でアメリカに負けた。しかし、東南アジアの人たちは、日本兵の戦いぶりを見ていた。欧米人が日本軍に蹴散らされた様子を。欧米人は、4~5百年の長きに渡り東南アジアの人々を抑圧支配してきた。東南アジアの人々は過去において幾度も反乱を試みたのだが、そのたびに失敗に終わっていた。とても欧米人にはかなわないと、独立をあきらめてきた。

 しかし、その欧米の白人たちが日本軍に敗れ、逃げたり捕虜になったりしたのを目の当たりにしたのである。しかも、アジアの同じ人種日本人にたった半年で。
 これは、東南アジアの人にとっては「奇跡」だったのだ。

 東南アジアの人たちは日本軍の奇跡から学んだ。軍とはこのように動かすものなのか、国のために戦う精神とはこういうものなのかなど、実際に見て、目覚めたのである。

 

 昭和20年8月15日以後、現地において敗残兵となった日本兵の中には、祖国日本への帰国を断念して東南アジアの国々の独立運動家たちの願いを受けた。再度植民地化を目論む欧米諸国との戦いに挑むために、残留義勇兵として身を捧じた。東南アジアの国々の独立のために、現地の人々と共に戦った日本人たちが少なからずいたのである。

 

 敗戦後のインドネシアでは、再度の植民地化のために侵攻してきたオランダ軍に対して2千人以上、ベトナムではフランス軍の侵攻に対して600人以上の残留日本軍兵士が独立戦争に関わった。まさに、若き日本兵たちの戦いの胸の内は「アジアの白人支配からの同胞たちの解放への思いだったのである。東南アジアの国々は、日本の敗戦後の動揺を乗り越え、その後独立を勝ち取っていった。

 

 東南アジアの国々が独立を果たすと、これがきっかけになって世界中の植民地が立ち上がった。自分たちもできるはずだと。そして第二次世界大戦後、次々と独立を勝ち取ったのである。

(令和6年7月15日 8:00)

日本人の成立

 日本人の成立は  斎藤成也 

 日本人の成立について、斎藤成也(国立遺伝学研究所 特任・名誉教授)氏が次のように述べておられる。ご紹介する。

 

 日本人の成立には3種類の仮説があります。
 1つは置換説で、縄文人と弥生人が置き換わったというもの。第1の移住者の
子孫は先住民、そして系統の異なる第2の移住者の子孫が現在の日本人である。すなわち先住民は完全に死に絶えて先住民のDNAは我々には伝わっていない。置き換わった=置換説です。
 かつて世界の人類学では人間が交代する、人種が交代するという置換説が当たり前の考え方でしたから、その流れの中で出てきた説ですが現在は否定されています。

 次に変形説です。これは、第1の移住者の子孫が時間的に変化して現在の日本人になっていったという説です。 
 この変形説は時代的には一番新しく登場して、かつて私が大学生だった1970年代、あるいはその前の1960年代は一世を風靡していた説です。
 東京大学人類学教室を創られた長谷部先生、その跡を継いで主任教授を務められた鈴木尚先生が支持したことで研究界に広がりました。
 実際に江戸時代〜明治時代、それから現在までさらに大きく、身長がどんどん伸びており...『短頭化現象』というのですが、顔の形もそれなりに変わっています。そういう発見から、縄文時代〜弥生時代以降の人々はやはり同じ人々でいつの間にか顔が変わっていったのではないか? ということを指摘されていました。
 しかし残念ながら現在では否定され....科学の点から見ても滑稽としか言えない説となっています。日本の人類学、自然人類学をずっとリードしてきた東京大学のお二人が支持していたということで、弟子たちも「なんかおかしいな」と思いながらも、それに従ったことで1960,70年代はこの説が学会全体を支配しておりました。

 そして最後に混血説です。これは第の1移住者の子孫に、それ以降の移住者が混血して現在の日本人となったという説です。もっとも古く提唱されたのは、いわゆるお雇い外国人教師として帝国大学の医学部の内科を担当していたドイツ人のベルツによるものですが...現在では私の研究グループをはじめ次々に縄文人のDNAが解析され、現代の日本人と比較可能になったため科学的に証明されるようになりました。
 日本人・中国や朝鮮などのアジア人そして縄文人のDNAを比較すると...はっきりと私たちとのつながり、そして他地域との関係が見えてくるのです。

 彼らはいつやってきたのか? 我々にはどのくらいそのDNAが残されているのか? 骨のかたちなどではなかなか証明することは難しかったより詳細で複雑な日本人の起源史が、DNAが明らかになったことで紐解かれつつあります。


 国立遺伝学研究所 特任・名誉教授 斎藤成也

(令和6年7月15日 7:15)



不惜身命

 不惜身命
 (ふしゃくしんみょう)

 

 「不惜身命」とは仏教語であり、あることのために身も命も惜しまないこと、身を顧みないことをいう。

 「不惜」は惜しまないこと。
 出典は、『法華経ほけきょう』だ。

 

 何かを達成するためには、身も顧みず没頭することが求められるだろう。しかしそのことを分かってはいても、私のような凡人にはなかなか出来ないことだ。

 

 学びに、「もうこれでよし」は無い。生涯学び続けようとする気持ちを継続することが求められる。「丘の學を好むに如かざるなり」(私ほど学を好む者は居ない)と自負した孔子でさえ、「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」<あしたにみちをきけば、ゆうべにしすともかなり>と、なかなか人として歩むべき真理を見いだせず思い悩んだようだ。

 そして、弟子たちにも「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」<まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし>(学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味はわからない。考えるのみで学ばなければ、独断に陥って危うい)と、先人に学ぶことと自分で思索する必要性を説いた。

 加えて、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり」<ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとをしらざるをうれうるなり>(人が自分のことを知ってくれないことは憂えず、自分が人を知らないことを憂えなさい)とも。
 世の中には立派な人が数多く居られる。「少しばかり学んだからといって天狗になってはならぬ」ということだろう。心したい。

 「不惜身命」の気持ちで以て、死ぬまで学び続けたいものである。

(令和6年7月15日 5:03)

黒松盆栽の二番芽

 庭植の黒松の二番目が吹き始めたことは先日記したが、黒松盆栽の二番芽も目立ち始めた。
 9月末の芽かきなど、これからの手入れも怠り無く行い、10月末の町の文化祭には出展しようと思っている。恥ずかしくないものに仕上げる。

(令和6年7月14日 11:13)

意気に感じる 

 意気に感じる 

 若いときから、「意気に感じる」という言葉が好きだ。現在まで、そのような生き方を心がけてきたつもりだ。実践してきた。

 

 「意気に感じる」は、中国の故事「人生意気に感ず 功名誰か復た論ぜん」に由来している。唐の太宗に仕えて苦労を重ねた結果、志をとげ、功労のあった魏徴が感想を歌ったものとして有名である。人生は情熱で動くもので、「功名・手柄など誰が求めるか」という意味だ。
 相手の何かをしようとする心持ちに、自分も何かをしようという気になることであり、人のやる気や熱意に触発されてこちらもその気持ちや気配に同調することである。

 

 人は、「この心意気が無くなったら終わりだ」と思っている。努力している人の姿を見て、「よし、あの人のためにも頑張ろう」という気持ちが無くなったならば、この世は終わりだくらいに思っている。それがあるから社会が上手く回っているのだと思う。
 お互いの努力を認め合い、助け合うことが「意気に感じる」の言葉には含まれているような気がする。この言葉が念頭にあるとき、自分勝手な行動はとれないはずだ。その意味からもこの言葉が好きだ。

 

 さて、出展数が減り寂しくなった町の文化祭を、「先ずは本連合会から盛り上げよう」と現在、呼びかけている。意気に感じていただけたのか、多くの方からの出展申し込みをいただいている。この勢いが続くと、三生連の出展数は昨年度の5~6倍以上になりそうだ。

 

 意気に感じていただける方の多い『三生連』の会長を務めていることを、誇りに思う。もっともっと、『三生連』のために汗をかかなければと思うのである。会員諸氏に感謝申し上げるばかりだ。

(令和6年7月13日 21:03)

青雲の志

 青雲の志 

 誰しもが若い頃、青雲の志(せいうんのこころざし)を抱く。そうでなければならないと、私は思う。4~5歳くらいから、両親を始め周りの大人が仕向ける(アドバイスする)ことが大事だろう。「意欲に火をつけてやる」ということだ。

 辞書には、「青雲の志とは、徳を磨いて、立派な人物になろうとする心。 また、功名を立て立身出世をしようとする心」とある。「青雲」は雲の上の青い空を意味し、高位・高官、立身出世のことをいうとも。

 今から2500年前の中国の思想家 孔子は、73歳まで生きた。現在の年齢で言えば、90歳超だろう。晩年、自らの人生を振り返り、誰もが一度は耳にしたことのあるあの有名な言葉を遺した。『吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い(したがい)、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず(こえず)』。

 数年前に「古希」を超え、今、自らの「青雲の志」はどうなったであろうと思い起こすとき、けっして胸を張れるほどのものでは無い。ただ完璧に『青雲の志』が達成できた(した)と言える人は稀れだろう。

 会員や読者諸氏は、如何だろうか。今からやり直しは難しいが、孫や玄孫の意欲に火をつけてやることは可能だろう。

 

 「今からやり直しは難しい」と申し上げたが、「生涯学び続けることが大事」を念頭に「今日から努める」ことは今からでも出来る。「学び」にもう遅いは無いのである。

(令和6年7月13日 7:44)

高校の先輩

 昨夜、高校陸上部の1年上の先輩とLINEで繋がった。
 その先輩は、中学校の校長を最後に退職された。宇和島市在住で、現在は裏山にモミジや花木を植えられて楽しまれている。悠々自適の生活である。5~6年前に見せていただいた事がある。木々は、大きく育っていると思われる。
 日本体育大学の陸上部であられたが、当時は日体大長距離の黄金時代で、「箱根駅伝」などは連覇していた。そういった時代であったので、私よりもずっと強かったが駅伝などには出場出来なかった。
 だが人柄が抜群でレギュラー選手たちからも慕われ、現在も親しくされているようだ。私は大学3年の時に、千葉検見川での合宿の帰り、先輩を訪ねたことがある。その際、大学長距離界を代表する方々にご紹介いただき、酒席を共にすることが出来た。いろいろとアドバイスしていただいた。
 私はその後、そうしたアドバイスを生かし、少しばかり関西で活躍できた。先輩たちのお陰が大きかったと感謝している。

 先輩が中学校の校長時代の教え子が、あの『鈴木健吾』(マラソン日本記録保持者)である。先輩の示唆で「宇和島東高校」に進み、そしてその後の活躍となる。
 高校時代、宇和島東のグラウンドで切磋琢磨し、大学以後も何度か共に汗をかかせていただいた。愛媛と大阪に分かれたが二人とも教職に就き、最後は校長を務めた。私が退職した時、故郷で一席設けていただいた。想い出は尽きな
い。

(令和6年7月12日 7:49 )

終日雨か

 強い雨が降り続いている。通勤・通学のみなさんは大変だ。「ラジオ体操会」の往復でも、ズボンの裾がびしょ濡れになった。
 本日は、終日降り続くようだ。

(令和6年7月12日 7:07)

幸せは

 幸せは 

 古代中国の思想家『荘子』は、「幸せとは幸せを求めないことである」と言われた。

 

 欲しいものがあっても、すべては手に入らない。「幸せ、幸せ」と求めず意識の面でそこから抜け出し、この世界のほとんどは「苦」だと思うようにする。 

 恒久的な幸せは存在しないと思えば、気持ちが楽になるだろう。そして、「仁」「徳」をいつも念頭に誠実に生きる。

 

 仁……思いやりの心

 徳……仁・義・礼・智・信

 

 

 幸福に係わる名言を紹介する。

 

 「幸福は受け入れる人にのみ存在しうる」

 ジョージ・オーウェル(英国の作家)

 

 

 「人の行動は思いどおりにならないが、それに対してどう反応するかはあなた次第である」

 ロバート・K・ベネット(米国の作家)

 

 「幸福とは問題がない状態を言うのではない。問題に対処する能力をいう」

 スティーブ・マラボリ()米国の作家

(令和6年7牙11日 15:58)

アクセス数

 本ホームページの昨日までのアクセス数(10日間)は、1,670回となった。過去最高である。

(令和6年7月11日 5:52)

梅雨明けには

 梅雨明け間近かと記したが、夜中には強い雨、現在も少し降っている。10時頃まで続くようだ。明日も雨のようだ。
 梅雨明けには日数を要するのか。

(令和6年7月11日 5:47)

セミの羽化

 先ほど拙庭で、羽化したセミを見つけた。
 梅雨明けと同時にセミが鳴き始めるが、明けるのが間近であることを示唆している。
 いよいよ梅雨明けだ。

(令和6年7月10日 8:12)

郡生連会長会

 本日は午後、「生駒郡生き生きクラブ連合会」の会長会議がある。18日に同連合会の役員会があるが、事前調整の意味合いがある。今回は、県老連の会報『大椿寿』の件や宿泊研修などが協議題になるようだ。

(令和6年7月10日 6:01)

二番芽

 先日芽切りした黒松、二番芽が出て来た。これから徐々に大きくなってくる。
 楽しみだ。

(令和6年7月9日 12:58)

会報

 本連合会の会報の編集作業が酣(たけなわ)だが、支部の会報『燦燦』(さんさん)も毎月発行(10日)しており、創刊以来私が編集し今月で112号。ブリントも終わり、明日配布される。
 毎月の発行は、「もう次号の時期か」と追われることになる。本連合会の『矍鑠』も同じだが、届くのを楽しみにしてくれる会員のためにも、まだまだ汗をかかなければと思っている。

(令和6年7月9日 7:42)

「矍鑠」原稿締め切り

 会報『矍鑠』28号は、8月8日の発行だ。
 原稿の締め切りは、7月22日とする。

(令和6年7月8日 5:55)

今月のアクセス数

 本連合会のホームページへの、今月のアクセス数が、本日19時55分に1,000回に達した。
 まだ1週間である。多くの方に訪問いただき、有難いことだ。感謝に堪えない。

(令和6年7月7日 19:00)

展示の部に出展を

 庭に水遣りをした。主庭はわりと頻繁にやるが、すごく乾いているので前庭にも。久しぶりだ。水を遣ると、樹木が生き生きとする。喜んでいるのだろう。

 10月の町の文化祭の「展示の部」を盛り上げたいという話は、何度もしている。東信貴ケ丘支部(東信貴ケ丘福寿会)では「そういう趣旨ならば協力しよう」という方が多く、すでに11点の申し込みがあった。書・絵画・写真・パッチワーク・盆栽と多彩だ。まだ増えそうな勢いだ。
 東信貴ケ丘支部の平均年齢は、86歳になろうとしている。平均年齢の若い他の支部は、もっと奮起していただきたいと願う。
 各支部長には、「くれぐれもよろしく」と文書でもお願いしてあるので、今回の本連合会全体としての出展数は昨年度の3倍に達するのではと、大いに期待している。締切日の今月25日が楽しみである。

(令和6年7月7日 9:05)

熱中症

 本日も暑い一日となりそうだ。
 気温自体は33度と驚くほど高くないが、日差しがきつい。昨日は湿度も高く、陰に入っても蒸し蒸しした。熱中症で緊急搬送される方が多いようだ。お互い気を付けたい。

(令和6年7月7日 5:58)

ヒヤリ

 財布を持ち歩く習慣が無く、現金を直にポケットにというスタイルだ。昨日は失敗をした。
 中之島図書館の論語塾のため朝から出かけたが、現金を一銭も持たずに出かけてしまった。それも帰る段まで気づかなかった。講義前に喫茶店で一息も入れたのだが。イコカとキャッシュカードで決済、結果的に問題は無かったが、何かで急に現金が必要になったとき慌てることになっただろう。
 3日には新札も出たが(まだお目にかかっていない)、現金を使う機会が少なくなったことを実感すると共に、うっかりミスに気を付けなければならないと改めて反省した。

(令和6年6月7日 5:30)

蚊の感知力

 蚊の感知力

 

 同じ場所に居ても、蚊に刺されやすい人と刺されにくい人がいる。その違いは何か。
 蚊はニオイや色で人がいるのを感知し、狙っているようだ。

 人の体温(熱)や二酸化炭素、汗などが蚊をおびき寄せると。体温が高く、たくさん汗をかく子供や吐く息が多い人は、蚊に刺されやすい傾向があるらしい。血液型がO型の人やお酒を飲んだ人が刺されやすいという調査結果もある。  

 私は刺されやすいが、あてはまる事が多い。血液型はO型ではない。庭いじりをするときは蚊の餌食になるので、「献血はごめん」といつも蚊取り線香をぶら下げている。忘れると、途端に……。メーカーから表彰されるのではと思うくらい、売り上げに貢献している。本来の献血では、日赤から何度も受章しているが。

 蚊の存在に気付かず、かゆみを感じてからようやく刺されたことに気付く場合が多い。なぜ瞬間には気付けないのか。大きな要因として挙げられるのが、針の太さのようだ。採血の際に使用される注射針の太さは、0.7~0.9mmくらいである。チクっと痛い。  
 鍼灸のときによく使われるのは0.14mmからのものだ。注射針の約5分の1である。蚊の口針はさらに細く約0.08mmなので、気付けないのも無理はないのだ。

 また、蚊の口針の先端はギザギザしていて摩擦が少なく、1秒間に30回ほど細かく振動させながら刺すようだ。そのため、気付かないうちに刺されているのだと。

 蚊は、なんと数十メートル先から吸血のターゲットを感知するそうだ。飛ぶときのスピードは時速約8キロでそれほど速くはないが、前述のとおり、嗅覚・視覚の他、熱や二酸化炭素も感知する。いくつもの感覚機能を駆使して人間のもとへやってくるのだ。

 とは言え、すべての蚊が吸血する訳ではない。オスが栄養源としているのは花の蜜や果汁で、吸血するのはメスだけである。パチンと潰して確認したときに「まだ吸われていなかった」とほっとすることもあるが、そもそもオスであった可能性も考えられる。通常はメスも花の蜜などを吸っているが、産卵に必要なタンパク質を摂取するためにメスのみが吸血する。意外と大食漢で、1回あたり自分の体重と同量くらいの血を摂取するという。

 他の病気が感染するかも知れない。刺されないようにお互い注意しよう。

(令和6年6月6日 5:41)

薬剤撒布

 9時半から2時間10分、敷地裏の法面に除草剤(液)の撒布と庭木・盆栽への薬剤撒布(今年6回目)を行った。快晴のカンカン照りなので、薬剤は1500倍の薄目の液を、いい汗がかけた。これで2~3日、庭いじりの際、蚊取り線香は要らない。芽切りをした黒松の、二番芽はまだ見つけることが出来ない。あと4~5日後か。
 
 シャワーを浴びてスッキリ、これから昼食だ。

(令和6年7月5日 12:09)
 

盆栽の樹格

 黒松や眞柏、雑木など10鉢ほどの盆栽を育てている。毎日眺めていると変わり映えしないのだが、10年前、15年前の写真と比較すると、確実に樹格が向上している。「持ち崩す」というような事も耳にするが、的確な培養管理が為されている証拠だ。これは自慢できることだ。

 何千万円の値のつく盆栽もある。そこまでいかなくとも、名盆栽と呼ばれるものは、全国に数多くある。それらのほとんどが、育成管理料をとって業者が日々の水やりや施肥、芽摘みなどの管理をしている。そして、祝い事や正月など持ち主が必要とするとき、家に運んで貰って鑑賞する。育成管理料は、盆栽にもよるが月10万円は下らないだろう。
 そういった名盆栽は、持ち主の指示により東京の『国風展』や京都の『大観展』などの国内有数の大きな盆栽展に出展される。出展料や業者に支払う手数料は、数十万円になるだろう。例えば、奈良から東京に出展するとなると数百万円になるだろう。
 名品は『賞』を獲得するが、それはもちろん持ち主の名前でとなる。日々の水やりもせず、大賞を獲得したとしてもそれはお金で受賞しただけのものだ。
 自らが水やりをし、施肥をし、薬剤散布をする。そして、時期に応じた的確な芽摘み等の手入れをしてこその……。そうでなければ、孔子の仰られる「浮雲の如し」である。

 本日もコツコツと手入れをして、駄盆栽たちの樹格を上げていきたい。

(令和6年7月5日 8:05)
蓮路苑
蓮路苑
黒松

灼熱の

 日差しが一段ときつくなり、灼熱の太陽といった感じだ。各地で、熱中症で緊急搬送される方が増えていると聞く。要注意だ。
 プリンターの不具合で、「ラジオ体操」皆勤賞の表彰状授与が遅れていたが、本日お渡しする。出席集計表も、最多の方は、3200回に達しようとしている。

(令和6年7月5日 5:17)

論語に親しむ会

 昨日、本連合会の「論語に親しむ会」の第131回目を開いた。
 『論語』というと、漢文でとてもついていけないと思ってしまう。だが、テキストはフリガナで書かれてあり、分かり易く説明をする。また、世間話を交えて肩苦しくならないように心掛けている。
 興味がおありの方は、町福祉保健センターの本連合会の事務所をのぞいていただきたい。次回例会は、7/17 10時からだ(福祉保健センター大広間)。なお、電話でも受け付ける(世話人代表・恒川<つねかわ>080-7797-7624)。

(令和6年7月4日 17:24)

町の敬老会

 今年度の町の「敬老会」は、例年どおり9月に町スポーツセンターで開催される。
 町の広報「さんごう」8/1号で予告し、案内のハガキは8月末に届けられるそうだ。
 9/1の広報で、バスの時刻など詳細を知らせていただける。昨日、町役場担当部署の課長から連絡をいただいた。

(令和6年7月4日 17:09)

桔梗2

 蓮路苑の桔梗は、30年くらい前に植えたものだ。毎年よく咲いて楽しませてくれる。ただ、後から植えたギボウシ(擬宝珠)が広がり、陰に追いやられてしまった。
 薄紫という色は、上品で心休まる色である。

(令和6年7月4日 16:59)

桔 梗

 桔 梗

  一週間ほど前から、拙庭で「桔梗」が咲き始めた。秋の七草に数えられているが、秋の七草は万葉集に収められている山上憶良の2首の歌が始まりであり、この和歌には桔梗とは無い。

「秋の野に 咲きたる花を 指折り(およびをり) かき数ふれば 七種(ななくさ)の花」

「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」

 

 一つ目の歌で「秋の野に咲いている草花を指折り数えると7種類ある」とし、二つ目の歌で「それは萩の花、尾花、葛(くず)の花、撫子(なでしこ)の花、女郎花(おみなえし)、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがお)の花である」と。


 「朝貌」については諸説あるが、現在では桔梗を指しているというのが定説だ。

 

 桔梗は多年草であり、その形の良さから多くの武将の家紋に用いられた。中でも明智光秀の水色桔梗の家紋は有名である。

 桔梗の根を乾燥させ粉末にしたものは、痰や咳の薬として用いられているようだ。


〈花言葉〉は、清楚、気品、誠実、従順、変わらぬ愛、優しい温かさ 

 

 秋どころか梅雨も明けていないが、アジサイもギボウシの花も終わり、しばらくは蓮路苑の主役となってくれる。

(令和6年7月4日 8:51)

信用・信頼

 信用・信頼

 

 「信用・信頼される人」とは具体的にどのような人かを考えてみた人が居る。受け売りになるが、「そのとおりだ」と思うので、挙げてみる。

 

1 挨拶がきちんとできる

2 約束を守る

3 古いものを大事に使う

4 人の話が聴ける

5 言動に筋が通っている

6 先を読んで行動する

7 他者の身に立って考えることがで 
 きる

8 気持ちや考えを表現できる

9 潔さがある

10  感謝と恐れの感覚がある 

 

 目新しいものは無く、当たり前のことばかりだ。しかし、この当たり前のことがすべて当たり前に出来ているかと言えば、出来ている人はそんなに多くはないのではないか。

 「他者の身に立って考えることができる」についても、あるときは出来ても、あるときは出来ていないという人も多いだろう。

 孔子は、「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」(おのれのほっせざるところ ひとにほどこすことなかれ)と言われた。「自分がされて嫌な事は、相手にもしてはならない」は多くの人が実行しているだろう。が、ときに忘れて、嫌な事をしてしまっていることもあるのではないか。私も、「完璧に出来ている」などと胸は張れない。

 9と10とは、前の8つよりも難しいかもしれない。この2つをきちんと押さえることが出来れば、「器が大きい」と称賛されるだろう。
 上記の10を、きちんと実行できれば信用・信頼を間違いなく得られるだろう。

(令和6年7月3日 20:05)

 存在感・貢献度

 

 「存在感が薄い」「貢献度が低い」と思われる人は、どんな組織・団体にも居るものだ。全員が完璧に近ければ人間関係がとげとげしくなるかもしれないので、そういった人の存在価値もあながち否定は出来ないという意見もあるが、どのように思われるか。

 「存在感が薄い」「貢献度が低い」といった人の特徴を4つ挙げる。

 自らを振り返りあてはまるものがあれば、改善に努めることは、周りからの高い評価につながるのかも……。

 

1 仕事以外で努力せず、不満は言うが努力はしない

 仕事のときは、それなりに働いているが、それ以外では学ぼうとしない人が居る。どのような地位にあろうと、自己研鑽は欠かせない。スキルアップを怠る人は取り残される。

 愚痴ばかり零して行動しようとしない人、改善しようとしない人、努力もせずに文句ばかりの人は、そのうちに相手にされなくなるかも知れない。

 

2 頑張りの基準が低く、「忙しい、時間が無い」が口癖

 「頑張っている」と言う人ほど、往々にしてその基準が低い。自分では頑張ったつもりでも、周りからは「それくらいは当たり前」と思われている。生きている限り、常に高みをめざす姿勢が大事だ。

 本当に忙しい人は、忙しいと言わない。「忙しい」と零す人で、仕事の出来る人に出会う事は無い。「忙しい」が口癖の人は、時間の有効活用ができていない事がほとんどだ。時間管理のスキルを身につけることが求められる。

 

3 返信が遅い、指示された仕事しかしない

 メールの返信が遅い人は、他の事でも反応が悪いことがほとんどだ。業務のスピード感に欠けていると取り残される。メールに限らず、返信の早さは業務に対する姿勢の表れとも言える。

 与えられた業務しかしない人は、モチベーションに課題がある。「指示待ち」ではダメだ。自らの業務にやりがいを持ち、業務を前向きに捉えることが大事である。受け身の姿勢では、周りからの高い評価は期待できない。

 

4 ミスを認めない

 ミスをしないように努めることは大事だが、「完璧」という事は難しい。ミスを生起させたとき、ミスを認めない人は信用・信頼を失う。素直に認め、詫びる。

 ミスを繰り返さず、ミスを次に生かすことが求められる。失敗は成功の源である。隠さずミスを報告することが、評価される組織でなければならない。

 冒頭で緩衝材の役割を果たすと言ったが、「評価育成システム」が組織内で有効に機能する場合は良い(バリバリ成果をあげる人が評価される)。そうでない場合は、業務の負担の偏りが組織内の不満を呼び、それが鬱積するようになることも往々にしてある。
 そうなると、「引き抜き」(ヘッドハンティング)により他の組織(企業)に優秀な者が去ってしまうというような由々しき事態に陥るかも。

 

(令和6年7月3日 4:56)

町文化祭への出展を

 10/26~27にかけて町の文化祭が開かれる。三生連が中心となって、出展者が年々少なくなっている「展示部門」を盛り上げようと各支部にお願いをしているところだ。
 私の支部は率先垂範を示したいと思うが、そのような中、すでに6名から申し込みがあった。あと2~3名の申し込みがありそうだ。そうなれば、会員の3分の1の出展者となる。
 150名を超える会員数を誇る支部もある。そういった支部では、せめて10人に一人でも出展していただければと思うが、結果はいかに。支部長の熱意にかかっていると私は思っている。4月の支部長会でもお願いしたが、つい先日も改めて全支部長に文書でお願い申し上げた。
 三生連としての締め切りは、7/25である。多数の方の申し込みに期待する。

(令和6年7月2日 7:50)

6月のアクセス数

 6月の本ホームページへのアクセス数は、3904回だった。

(令和6年7月2日 5:49)

不満の声

 県老連の会報『大椿寿(だいちんじゅ)』については、つい先日触れた。
 生駒郡のある町では、役員会で不満が噴出したと聞く。「紙質が落ちた」「内容がお粗末」「会長挨拶が欠落している」など、そして「年会費(分担金)の納入も考え直しては」の声もあがってたと。会長がそれを収めるのに難儀したらしい。その会長も役員の感想はもっともだとも。
 会員数の大幅減が続く中、県老連全体としてもただでさえ沈滞ムードが続く。そのような中、発行回数は年3回から2回となった。その上に内容まで後退気味では、火に油を注ぐようなものである。
 郡生連では7/18に役員会を開くが、それに先立ち10日か12日に4町の会長会議を招集することになった。
 今のところ、三郷町では役員はともかく、支部長や会員などからの不満の声は聞こえて来ない。

(令和6年7月2日 5:47)

朝、昼、夜 2

 朝、昼、夜 2

 「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」の出典だが、マルクス・アウレリウス・アントニヌスの哲学書『自省録』の中で、第五巻一つの箇所で「何をすべきか」という問いに対して、「朝、起きた時には自分が目的を持っていると確信し、一日を勤勉に過ごし、夜は、自分が努力をし、誰かのために尽力したことに感謝しつつ、安らかに眠るべきである」というような内容で述べられていると。

 また、一説には、アメリカの実業家であるエルバート・ハバードが1904年に出版した『A Message to Garcia』という小冊子が、この言葉の元になった可能性がある、とも。
 日本では、明治時代の官僚・教育者である大森房吉の『三愿堂日記』に似た言葉が見られ、この言葉が日本で広く知られるようになったとも言われている。
 他にもさまざまな説がある。しかし、どれも確定的な根拠は無い。

 

 平成29年3月15日 参議院予算委員会で、次のような質疑があった。

「人が生きる上で一番必要なものは空気だと思う。2番目は何だと思うか」

という問いに対して、当時の国務大臣(副総理) 麻生太郎が「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」と切り返した。
 首相時代、漢字の読みの間違いで揶揄された麻生だが、このときは見事な「返し」だった。

 ただ質問者からは、「ありがとうございます。一応通告してある質問なんでね、これもね。でも、まあ非常に詩的な表現といいますか、すてきな言葉を聞けたことに感謝いたします。」と返答している。
 麻生が、咄嗟に述べた言葉ではないようだ。

 

 「朝、希望をもって目覚め、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る」という言葉は、さまざまな受取り方がある。

 朝、希望をもって目覚めることは、新しい一日を前向きに迎えることを意味している。新しい日には、新しい可能性や新しいチャンスがあることを期待することが大切だ。

 昼は、懸命に働くことが重要だ。仕事や学業、家庭のことなどに全力で取り組むことが、充実した人生を送るために必要である。

 そして夜は、感謝と共にに眠ることが大切だ。一日の終わりには、自分が達成したことや、周囲の人々が自分に提供してくれたことに感謝することが、幸福感を高めることにつながる。

 つまり、この言葉は、前向きな態度を持ち、一日を有意義に過ごし、感謝の気持ちを忘れずに生きることが大切であるということを示している。

(令和6年7月1日 8:25)

朝、昼、夜

 30代後半のある方が(お会いした事は無いがよく知っている)、不徳から絶好調の状態から奈落の底へ……。まさに「好事魔多し」だ。一時は命を断とうとまで思ったそうだが、思い直し今再起をはかろうと必死にもがいている。明るい兆しも見え始めているようだ。
 その方が、いつも〚朝、希望をもって目覚めて、昼は懸命に働き、夜は感謝と共に眠る〛と念じていると。いい言葉だなと思った。ご紹介する。
 その方も、こういう姿勢で努めて居れば、必ずいい方向に向かうだろう。陰ながら応援している。

(令和7月1日 6:00)

6月のラジオ体操会

 開始から8年と9カ月となった「ラジオ体操会」、弛まなく続いているが、6月の皆勤者は6名、精勤(欠席3日以内)は4名だった。
 月の後半は梅雨で、自治会館内で実施する事も多かった。

(令和6年6月30日 10:10) 

五輪代表

 現在は曇っているが、これから晴れて来るだろう。
 今年は、2月中旬から雨量が多い。庭の瓶(直径40㌢・高さ70㌢)が、雨水で満杯となっている。東信貴ケ丘に引っ越して40年、初めての事だ。
 ラジオ体操から帰宅後、墓参りをした(徒歩3分)。小さい草を30本程、抜いた。王寺駅まで歩くことの多かった以前は、2週間に一度くらいお参りしていたのだが……。どの墓も、花差しの器が雨で満杯だった。草も目立った。お墓に草の目立つほど、恥ずかしい事は無い。うちの墓は、細かい草だったが、それでも大いに反省している。
 
 新潟市で開催中の、昨日の陸上競技日本選手権2日目、5000㍍決勝は壮絶なレースとなった。優勝すればパリ五輪代表の可能性のあった二人は、残念ながら失速し惨敗となった。伊藤達彦(ホンダ)が見事なラストスパートで優勝したが、彼は稀に見る根性の持ち主だ。メキシコ五輪マラソン銀メダルの、君原健二選手に匹敵するのではないかと思う。その伊藤にしても、パリ五輪には出場できない。

 現在は国内で一番となった選手でも、標準記録を突破したり、世界のランキングで上位に入らなければ出場できない仕組みになっている。どの競技にも言える事だが、特にアフリカ勢が強い陸上競技の中長距離種目で五輪代表になるのは至難である。

(令和6年6月29日 8:40)

強い雨

 ラジオ体操会からの帰路、台風並みの強い雨だった。風は無いが。
 今朝は燃えるゴミの収集日だが、集積場まで出すのを、雨が弱まるのを待っている。収集される町の職員は大変だ。
 通勤の人も、ぼとぼとである。

(令和6年6月28日 6:59)

自治会館広場のサツキ

 遅くなってしまったのだが、昨日(6/27)、いつも「ラジオ体操会」で使っている東信貴ケ丘自治会館広場に植わっている20本のサツキの剪定を行った。東信貴ケ丘支部の先輩方が、植えられた玉のサツキだ。先輩方の多くが故人になられているが、これからも大事にして行きたい。
 黒松などの手入れもしたので2時間半を要した。早く剪定をと思いながら延び延びになっていたので、終えてほっとしている。

(令和6年6月28日 5:20)
剪定前
剪定後

「大椿寿」

 県老連広報誌「大椿寿」に想う

 

 奈良県老人クラブ連合会(以下、「県老連」)では、会員数が減り会費の減少、補助金の減額などもあり、事務局や執行部役員は連合会の運営に苦労されていることだろう。

会報「大椿寿」第186号がつい先日届き、配布中だ。5月の正副会長会議の折に聞いてはいたが、今号から編集・制作等の一切が業者に委託された。会員等からの原稿の収集は事務局がやられていると思われる。制作費用は、これまでは共同募金からの補助と広告料で賄っていたと思う。今回からは、業者が企業等から広告をたくさん集め、制作費用はそれで賄うことになる。という事は、共同募金からのお金(昨年度実績50万円)は、今年度からは他に使えるだろう。

 「大椿寿」第186号は紙質が大幅に下がり、日刊紙と同等、それ以下となった。広告が多く読む会員によって印象は異なるだろうが、「品格」という点ではお世辞にも……。特に、1面は酷い。会長挨拶が無い。昨年度から発行回数が、3回から2回に減った。今年度、1回目の会報に「会長挨拶」が無いというのは理解に苦しむ。「スペースが無かった」とは思えない。何故なら、必要以上に大きくとっている記事が少なからずある。長々とした「挨拶文」は必要ないが、掲載しないというのは見識を疑ってしまう。

 もう5年になると思うが、県老連は業者に委託して「ホームページ」を全く新しいものにされた。これについては、大いに拍手したものだ。それまでのホームページが、時代遅れも甚だしいものであったから。しかしながらその際も、顔とも言える「会長挨拶」が欠落しており、すぐに「改善を」と進言した。だが、「なしのつぶて」だった。いまだに、「会長挨拶」は掲載されていない。ホームページ中の「問い合わせ・意見」欄から申し上げたので、「履歴」に残っているはずだ。作り話ではない。

 冒頭にも記したとおり、事務局のご苦労を理解していない訳では無い。市町村連合会の役員もどんどん高齢化し、運営を社会福祉協議会担当者に任せっきりに近かったり、反応の早くない市町村連合会も少なくないだろうから事務局も大変だ。

厳しい意見も述べたが、私も常々、もっときちんとしっかりせねばと反省している。お互い緻密な業務を心がけたいと思うのである。

 

(令和6年6月27日 10:08)

町文化祭に向けて

 町文化祭に向けて

 昨日(6/26)、町文化祭の実行委員会が開かれ、今年度の実施要項が決まった。10月26日(土)~27日(日)(25日<金>午後搬入)の開催だ。

 昨年の終了時点から、あらゆる機会に申し上げているとおり本連合会がより多くの出展をして、寂しい状態になっているスポーツセンター内での『展示』部門を盛り上げたいと思う。
 4月の支部長会でもお願いしたとおりだ。復興の「核」となれればうれしい限りだ。

 近々支部への協力依頼と申込書をお届けする。ご理解を賜り、「出展者無し」といった支部が無いことを切望する。本部役員もどのような物でもよい、ぜひとも何か1点を……。

 申し込み締め切りは、7月25日とする。なお、今年度は、町文化祭への出展をはじめ、総会・ハイキング・社会見学等への参加、会報への寄稿など、『本連合会への貢献』を総合的に評価し、貢献度の高い支部への「特別助成金」(仮称)の支給をしたい(2月予定)。

 

(令和6年6月27日 7:42)

大椿寿の配布

 県老連の会報「大椿寿」の7月号が届いている。
 お手数だが、支部長は事務所まで引き取りに来ていただき、会員宅へ配布願いたい。

(令和6年6月26日 5:04)


 松の話

 

 松の手入れの話になると、10人中9人までもが「松は難しいでしょう」となる。これは、植木職人の影響が大きいと私は思う。結論から言うと、「それは嘘だ。けっして難しくない」のである。

 三郷や平群には、植木業者(造園業)が多い。大阪の八尾市は造園業者が犇めく(ひしめく)。まともな業者はそんなことは無いが、そうでない植木職人は「松は難しい。素人には無理だ」と言われる。推論だが、『中途半端にさわってほしくない』『職域が侵される』といった考えからのものだろう。「素人には無理だ」の話が巷間伝り、「松は難しい」となっているのだ。

 松の手入れは、理論的には単純だ。少し慣れれば易いとも言える。盆栽で言えば、松類の手入れよりも雑木の手入れの方が数段難しい。ただ理論的には単純なのだが、手入れには相当の時間がかかるのである。根気と持久力が求められるのだ。

 平凡なレベルの高くない職人ほど、若い弟子に松の手入れを任せない。そのことも、「松は難しい」という嘘の流布に拍車をかけている。ひととおりハサミが使えるようになれば、弟子に教えて任せたらよいのだ。弟子も親方の話だけではなく、自ら研究する気持ちを持たなければならない。何の世界でも、研究と修養が大事だ。親方になっても同様である。

 拙庭の黒松は、購入してから46年になるが、手入れで職人はもちろん他の人にさわらせたことが無い。ずっと一人で手入れして来た。5月初めの「ローソク芽(長く伸びた芽)のもぎ取り」、今の時期の「芽切り」、9月末から10月初めにかけての「芽摘み(不要の芽をかきとる)」と「古葉落とし」。それと薬剤散布と的確な水やりも。
 そういった年間を通しての日々の手入れにより、樹格はどんどん上がっていく。46年前、現在地に引っ越した40年前の写真を見れば、それは歴然としている。ご近所では、職人に任せているにも拘らず、樹格が下がり続けている黒松を多く見かける中で……。

 話は変わるが、そこそこの日本庭園も、子どもの代になると維持できず樹木は整理され、駐車場の拡大などへとつながってしまう。そういった例は、近所でも枚挙に暇が無い。新築の家では、駐車場ばかりが広いという事が普通になってきた。
 そういった事が、今後ますます顕著になっていくだろう。拙庭でも、他人事では無い。

 植木業者にとっても多難の時代である。

 

(令和6年6月25日 8:08)

芽切り終了

 昨日午後、黒松の「芽切り作業」が終了。とりあえず、やれやれだ。
 状態がよいので、10日もすると出て来る二番芽も、順調に育つだろう。秋が今から楽しみだ。

(令和6年6月25日 6:00)

蓮路苑の黒松
蓮路苑の黒松

人を知らない事を

 人を知らない事を

 『論語』には、512の章句が20篇にまとめられている。

 その冒頭「学而第一」の最後に、「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり 」(ひとのおのれをしらざるをうれえず、ひとをしらざるをうれうるなり)とある。

 「人が自分の事を分かってくれなくても憂えるな。世の中には優れた人がたくさん居られる。人を知らない事を患えなさい。もっともっと努力を積み上げよ」

 含蓄のある言葉だ。若いときは誰しもが「なぜこんなに努めているのに、人は分かってくれないのだ」と思いがちだが、「まだまだ努力が足りないことを思い知る」こと事が大事であると。

 80歳になっても、90歳になっても、こういった言葉を思い起こし、さらに努力しなければと思うのである。

 

(令和6年6月24日 5:20)

芽切り順調

 午後からも3時間、黒松の芽切り作業をした。カンカン照りになったり雨が降ったり、ややこしい天気だったが作業は進み、7割程度終了した。明日午後、仕上げたいが、天気次第だ。
 その後は、黒松盆栽3鉢の芽切りだ。それが終われば、天気を見て薬剤散布をする予定だ。雨の日が多いで、7月に入るかも。

(令和6年6月23日 21:25)
他の場所にもこの3分の1

雨中の芽切り

 黒松の芽切りを始めたが途中から雨、蚊取り線香が消えるので90分で中止。まだ全体の8分の1だ。

(令和6年6月23日 11:10)

芽切り前
芽切り後
切り落とした春から伸びた一番芽

全日本大学駅伝予選会

 ラジオ体操は屋外で出来た。ひじょうに蒸し暑い。このまま止んだ状態が2時間続くならば、黒松の「芽切り」をやりたいが、降ったり止んだりだろう。
 今夕は、「全日本大学駅伝」<熱田神宮~伊勢神宮 11月>の関東地区の予選会が、静岡で開かれる。20校各8人が2人ずつ4回に分けられて、1万㍍を走り、合計タイム上位7校が本大会に出場できる。なお、前回大会の上位校はシードされていて、予選会は免除だ。
 予選会の様子は、17時20分からユーチューブで生中継される。楽しみだ。高校後輩の梅崎が、東洋大のエースの一人として出場する。彼は、東洋大長距離ブロックの主将だ。


(令和6年6月23日 7:30)

合間に

 今、雨は止んでいる。この合間にうまく、屋外でラジオ体操ができるとよいのだが。
 
(令和6年6月23日 5:15)

奔放不羈

 奔放不羈(ほんぽうふき)

 

 奔放不羈という四字熟語がある。出典は定かではないが、「なにものにもとらわれることなく、自分の思うままに振る舞う」という意味だ。「自由奔放」は、類義語である。
 法律を犯すなどは論外だが、余計な気を使わず思うがままに生きて行けるならば、それに越した事は無い。

 自らの人生を振り返るとき、幼少の時から現在まで、ある時期を除いてそのように生きて来たと言える。ある時期についても、家人に言わせれば「そうだったかなぁ」と。

 要するに、「野に咲く花」のように生きて来られたと言える。そうできたのも、周りの支えがあったからだ。「感謝」を忘れてはならない。
 残された人生は、「摩頂放踵(まちょうほうしょう)」の心で過ごさなければならない。

摩頂放踵  自分の身を犠牲にして、他人のために尽くすこと。出典 「孟子」

 

(令和6年6月22日 17:00)

孔子

 孔 子

 昨日(6/21)、孔子は晩年、「不正・不義によって得た名声や地位、財産などは、自分にとって浮雲の如し」と達観できるようになったと記した。

 しかし、そのような孔子であっても、若い頃は世の中の矛盾に、不正・不義が横行する世の中に思い悩んだようだ。人としての道を真っ当に生き、誰よりも学門に励み、徳治政治(徳を基盤にした政治)を志す自分が、なぜ採用されないのか。自身の思想が、なぜ世の中に浸透しないのかと……。若い時期は誰もが、世の中の矛盾に対して「何でだ」と憤るのである。

 そして、そのような「矛盾」「不合理」に対してへこたれることなく、弛まず努力を積み重ねることが大事だ。不撓不屈の精神で。

 

 誰もが一度は耳にしたことのある『十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず』の章句は、孔子の歩んだ道筋を示している。

 「四十にして惑わず」とは、あれやこれやと迷わず、「自らの信じるがままに生きよう」と40歳で決めたことを表す。

 「五十にして天命を知る」とは、人がどのように生きるかは天が決めることだと50歳にして思い知ったことを。

 「六十にして耳順う」は、60歳にして人の意見を素直に聴けるようになったと。

 「七十にして心の欲するところに従えども矩をこえず」とは、70歳にして赴くままに行動しても、世の中の規範を破るようなことは無くなったと。

 

 孔子の時代、「80歳を超えて生きる」などというのはあり得なかっただろう。

 現在、本連合会会員の平均年齢は82歳、私の所属する支部では86歳である。本連合会会員で90歳超の方は、80名くらいだろう。

 会員諸氏が過去を振り返ったり、現在の状況を思うとき、「八十にして……」「九十にして……」「百にして……」、どのように記されるであろうか。興味深い話である。

 

 本連合会の「論語に親しむ会」では、『論語』に鏤められた珠玉の章句を会員と共に学んでいる。第一、第三水曜日の10時から、福祉保健センターの大広間で、楽しく学んでいる。ぜひ、ご一緒に学ぼうではないか。

 

連絡先
 
恒川 敏(つねかわ さとし)0745-32-0191   080-7797-7624

西村 恒子(にしむら つねこ)080-3817-3595

 

(令和6年6月22日 8:43)

浮雲の如し

 浮雲の如し 

 〚論語〛述而第七(じゅつじだいしち)に、孔子晩年の人生観が示された章句がある。

 ご紹介する。

 

 子日わく、疏食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみも而其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。(しのたまわく、そしをくらいみずをのみ、ひじをまげてこれをまくらとす。たのしみもまたそのうちにあり。ふぎにしてとみかつたっときは、われにおいてふうんのごとし)

 

通 釈

 孔子が仰られた。「粗末な飯に水一杯、肱枕で寝るような貧しい状況であっても、心の楽しみは尽きることがない。道に外れた方法で得た富や身分など、私にとっては空に漂う浮雲のようなものであって、実にはかないものだ」と。

     

解 説

 孔子晩年の人生観であり、不正な手段で富裕になる出世主義者は相容れないと述べている。孔子にとって粗末な衣食住の生活をすることは苦痛でも不幸でもなく、学問と道徳の実践の中にこそ、人としての『真の楽しみ』があると考えていた。

 金銭や官位を得るために他人を不正な手段で蹴落としたり、賄賂を贈って取り入ったりするような生き方を、孔子が直接的に批判していない点に注目したい。全否定はしていないが、彼らは私にとって何の意味も価値も持たない『浮雲』のようなものだと語っている。『他人は他人、自分は自分』という明瞭な区分をしており、不正や強欲などの『徳の欠如』があっても、それを非難したり否定する必要性を感じていないのだ。

 

 どのような職場でも、客観的に見て実力・実績に乏しいのになぜか昇任していく者が居る。私も約40年務める中で、そういう方を身近に少なからず見てきた。明らかに不正・不義を働き、上に昇っていく人を見てきた。

 しかし、そのような者が昇任しても、万雷の拍手を得るような業績を遺されたかは、甚だ疑問である。それどころか、力及ばず腑抜けになったり、定年を前に退職した管理職の例は、枚挙に暇がない。相撲界などでよく使われる「家賃が高かった」ということになるのである。

 孔子の凄いところは、不正や強欲などの『徳の欠如』があっても、それを直接的に非難したり否定しなかったところだ。
 孔子にとっては、金銭や官位を得るために他人を不正な手段で蹴落としたり、賄賂を贈って取り入ったりするような生き方は何の価値も持たない、まさに「浮雲の如し」であったのだ。

 孔子は73~74歳で亡くなった。私は現役当時、不正や不義を前にとても「浮雲の如し」の心境にはなれなかった。孔子が亡くなった年齢に達したわけだが、「浮雲の如し」の心境に少しは近づけたのかなと思う。

 孔子の生きた時代(約2500年前)、平均年齢は40代以下であっただろうと推測できる。当時の73~74歳は、現在の年齢で言えば90歳超だろう。ということは、孔子より若くして世の中を達観視できるようになったのかなと、阿呆なことを思っているのである。

(令和6年6月21日 17:30)

過ち

 「会長から」を多くの方にお読みいただいている。そのような中で、私の勘違いやケアレスミスをご指摘いただける。有り難いことだ。今後も、お気づきの点はどしどしご指摘いただきたい。
 先ほどもご指摘賜り、5分以内に修正をした。
 今朝の寄稿『木屑の処理』の中で、「燃えないゴミ」としたのは「燃えるゴミ」だった。
 孔子は、『過ちて改めざるを過ちと謂う』と。
 ミスをできるだけ少なくしなければならない。

(令和6年6月21日 7:20)

強い雨

 ラジオ体操の帰路、強い雨になった。ラジオを濡らさないように特大の傘を使っているが、ズボンの裾はびしょ濡れになった。ゴミ出しも、小降りになるのを待つことにした。
 10時頃には止むようだが。

(令和6年6月21日 7:05分)

木屑の処理

 昼前まで雨が続くようだ。
 住んでいる地区の燃えるゴミの収集日は、火曜と金曜である。剪定の木屑などが45㍑の袋に8つも貯まっていた。今朝は雨が予想されたので、昨夜20時頃、妻と二人集積場所に運んだ。100㍍以上を往復しなければならず、ひと仕事だった。
 ただ、置き場所だったカーポートは、久しぶりにすっきりして喜んでいる。

(令和6年6月21日 5:20)


苦労はしたほうがよいのか

 苦労はしたほうがよいのか

 質の高い苦労を

 「苦労」には種類がある。するべき苦労と、しなくてもいい苦労である。 
 仕事においてするべき苦労とは、自分の仕事や会社をより良くするためにどのようなことができるかを懸命に考え、実行し、見直すことだろう。苦労というよりは仕事の基本とも言える。このような苦労は「努力」とも言い換えられる。これは、経験すべき種類の苦労である。

 反対に、しなくても良い苦労とは「気苦労」だろう。人間関係に悩んだり、人と比較して悩んだり、これらの苦労は大体「取り越し苦労」である。より質の高い苦労=「努力」をしよう。

 人間関係や人との比較など、どうにもならないことに悩んで時間を使うくらいならば、自分の仕事をもっと良いものにするにはということに考えを巡らせる方が良い。仕事は地道な作業の積み重ねだが、それを面倒くさがらずにいかにやれるかが大事だ。「若い時の苦労は買ってでもせよ」は、若いうちに『面倒なことでも、嫌がらずにやり切る習慣』をつけておきたいという意味も含んでいる。

 人間関係や人と比較して悩んでいるのであれば、まずはじめに自分のことを徹底的に見直してみる必要がある。内省することで、あなたの新しい面を周囲の人たちが見直す。その結果、関係が良くなったり、そもそも人と比較するといったことに意識が向かなくなるだろう。

 真剣に取り組めば壁に当たる

 真剣に仕事に打ち込んでいれば、買わなくても自然とそこにも苦労は伴うものだ。苦労は一生懸命打ち込めば打ち込むほどに尽きないものだ。「若いうちの苦労は買ってでもせよ」とは、一生懸命になることをためらうな、という意味も含んでいるだろう。
 若いうちに一生懸命になることから逃げてしまうと、損をすることが多い。歳を重ねてからその姿勢を身に付けようとしても難しいし、何よりその時必死にならなかった結果、手にすることができたはずのチャンスを逃している可能性が高い。ちなみに、何事も打ち込んでいる場合は、それが苦労ではなく『当たり前』に思えているものである。

 振り返ってみて、「あの時あれだけ頑張ったなぁ」という気持ちになるならば、仕事に打ち込んでいた証拠だ。歳を重ねてから「努力できたなぁ」と自分の仕事を振り返れるように、若者には今を一生懸命にやり抜くことが求められる。

 若いからできることがたくさん

 若いときは体力もあるし、失敗に対しても周囲が比較的寛容な場合も多い。そういう時に全力でやり切らないと、後々、本当に苦労をすることになるだろう。年齢を重ねると「失敗できない……」と自分の選択肢を狭めてしまったり、視野が狭くなってしまったり、挑戦することがますます億劫になってしまったりする。

 無駄に時間がかかることや、ローリスク・ハイリターンなことを敢えてしなさいということではない。効率化やより安全な方法はむしろ取るべきだ。ただ単純に、やるべきことを当たり前にやれるだろうか。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉は、そんな意味も含む。

 仕事は、時に面倒なことや困難を伴う。それが仕事というものである。その困難や煩雑さに躊躇せずに立ち向かえれば、自分の自信や経験にも繋がるのである。また、「今だ」と思う逃せないチャンスがあれば、思い切って挑戦してみることを勧める。前述のとおり、若ければそれがたとえ失敗に終わっても、体力的にも時間的にも取り返しがつくのである。「買ってでも……」というのは少し大げさな表現ではあるが、そのくらい、若いうちに経験を積むのが大切というメッセージだ。

 10代、20代、30代……80代、90代、人間にはそれぞれの年齢にそれぞれの良さがあるが、若さは何物にも代え難い大きな価値と言える。多少の失敗も大目に見て貰ったり、体も思うがままに動かせるというのは、人生の中でもある意味得であり有利な期間だ。若い方はもちろん、齢を重ねても、人生における貴重な期間を無駄にしないよう、苦難が伴うことでも積極的に挑戦していきたいものだ。

 人生にはさまざまな苦労がついて回るが、中にはしなくてもよい苦労がある。

 仕事で体を壊す

 仕事はもちろん大事だが、健康あってこその人生だ。「休んでいる暇はない」と思っていると、気づかないうちに体を壊してしまうことが往々にしてある。適度な休養・休息をとることで、仕事の効率もアップするだろう。

 自分を粗末にする人と付き合う

 自分を大切にしてくれない相手と付き合い続けるのは、苦労の種だ。距離を置きたい。また、前向きでない発言ばかりして、周りのエネルギーを奪う人も避けたい。自分までもが暗くなる。

 言葉や行動で理不尽に攻撃してくる人が居る。分かり合えない相手と同じ土俵で戦っても得るものはない。疲れるだけだ。うまくかわすことを心がけたい。無理に合わせる必要は無い。

 合わない環境に居続ける

「今の環境は合っていないかも」と感じたら、我慢せず変えることも考えてみたい。環境を変えるのは勇気が必要だが、新しい環境で自分らしく輝ける可能性はある。

 人生は短い。しなくてもよい苦労は避けよう。立ち止まって考えることが求められる。

(令和6年6月20日 16:40)

気持ちが楽になる考え方

 気持ちが楽になる考え方

  『論語』には、512の章句がある。それらの中には、生きていくうえで指針となる章句が数多く鏤められている。それらの中から一つを取り挙げると、為政第二に「子曰わく、学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ば座れば則ち殆し」(しのたまわく、まなびておもわざればすなわちくらく、おもうてまなばざればすなわちあやうし)<孔子が仰られた。学ぶだけで深く考えなければ、本当の意味は分からない。考えるのみで学ばなければ、独断に陥って危ない>とある。

 「先人の教えに学び、その教えを自らで咀嚼(そしゃく)し、深く考えなさい」ということであろう。含蓄(がんちく)のある言葉である。

 

 辛いとき、苦しいとき、どのように考えて対処していくかを、さまざまな資料や情報を元に私なりに整理してみた。 

 

 友人は数よりも質が 自分の頑張りを褒める

 友だちの数は多ければ多いほどよいが、無理して増やす必要はない。悩みを聴いてくれる、そのような友が一人でも居れば十分とも言える。

 仕事でも趣味でも成果を上げることは大事だが、自分の小さな努力を認めることも大事である。自己肯定感を高めたい。

 

 ときには他力本願も 過剰な心配は無用 居場所は必ずある

 何でも抱え込むことは、極力避ける。他者に頼ることは恥ずかしいことではない。人は支え合って成長する。助けを求める勇気は大切である。

 起きていない事に、余計な心配をしない。起きるかどうか分からないことに思い悩まない。

 思っている以上に世の中は広い。現在の場所が合わないと感じたら、勇気をもって一歩踏み出せはよい。受け入れてくれる居場所は、必ずあるはずだ。

 

 人は他人に興味がない 個性を前面に

 思うほど、人は他人に興味が無い。誰もが自分の事で精一杯だ。細かい事を気にせず、自分らしく生きることだ。人はそれぞれに違う、それが個性だ。自分を好きになり、自分らしさをもっと出せばよい。

 

 思い込みを捨て、こまめに不満を吐き出す

 ある人に嫌われていると思い、辛くなることもある。でも、自分の思い込みかも知れない。思い込みに振り回されず、事実に基づいて考えることが大事だ。

 不満を抱え込むと、いつか爆発するかも知れない。信頼できる人に相談することで、不安も和らぐ。抱え込まないようにして、こまめに吐き出すことが大事だ。

 

 別れは次へのステップ

 友人などとの別れは辛いが、別れは新しい出会いのためにあるのかも知れない。簡単ではないが、別れを前向きに捉えて進んでいく。

(令和6年6月20日 10:00)

心地よい風

 天気は快晴で、心地よい風が吹く。実に清々しい。
 本日は本連合会の、「論語に親しむ会」の130回目の例会だ。
 惰性に流れず、全力投球で臨む。

(令和6年6月19日 7:35)

ゴミ出し

 拙宅は、ゴミの集積場所まで100㍍以上の距離がある。ふだんは苦にならないが、剪定した木屑が大量となった場合は何度も往復しなければならないので、負担は大きい。

 現在、昨日抜いた草や土日に剪定した木屑で、45㍑袋が8つと貯まった。雨がわりと強く降っていたので、無理する事は無い後日にしようと思った。

 ラジオ体操から帰宅後、雨降る中、燃えないゴミを出した。まだ燃えるゴミは誰も出していなかったが、木屑の入ったゴミ袋が6つも置かれていた。 
 帰ってから妻に、「もう木屑のゴミが置かれていたよ。恐らく、昨夜出したのだろう」と。「私も昨夜、2つを出した。先客が4つを」と妻が。「えっ」と、私が寝てから10時過ぎに出したのだろう。かなり重いのによくやったものだ。

 裏の法面の雑草については、共通の悩みの種だ。私が予告なしに一人で奇麗にしたので、妻も刺激を受けたのだろう。

 家事を手伝わず我が家では評価の低い私だが、昨夕は、妻からも娘からも「風呂を洗って」などの声はかからなかった。

 

(令和6年6月18日 8:01)

黒松の調子

 23日頃から天気を見ながら、黒松の芽切り作業をする。この欄で何度も申し上げているが、黒松の調子がよい。今朝もラジオ体操から帰宅後、あまりにも美しいので、雨降る中しばし佇んだ。
 知らない人からすると、こんなに美しいのに何故芽切りを……と思われるだろうが、葉の長さを短くするために欠かせない作業だ。2番芽を使うのである。9月末に伸びた2番芽の中で不要なものをかきとる。「芽かき作業」だ。
 町内で、このように手間暇をかける黒松は無いだろう。『蓮路苑』の黒松は、幸せに思っているだろうか。

(令和6年6月18日 7:23)

蓮路苑

草抜き

 わりと強い雨が降り続いている。

 日中の強い雨は、久しぶりのような気がする。

 昨日は、拙宅の裏側(東側)は隣地から3.5㍍以上高く、法面になっている。ここに草が生える。作業がしにくく草が生い茂ることになり、悩みの種だ。

 昨日、思い立ち3時間かけて草を抜いた。45㍑のビニール袋に4杯。前述のとおり、高低差があるので脚立を降りたり登ったりきつい作業となった。予定では本日行うはずだったが、雨とのことで繰り上げた。

 膝へのダメージは小さくないが、美しくなりやれやれの気分だ。

 

(令和6年6月18日 5:25)

椿の剪定

 昨日は、春にたくさん花をつけ楽しませてくれた椿(四海波)の剪定をした。
 45年前に1㍍弱の幼木を植えたが、随分背が高くなり、3㍍50くらいになった。幹の太さは大したことない。
 この20年、4~5年に一度、強剪定を行って来た。今回、4年ぶりに強く切った。切った枝は、40㍑のゴミ袋に3杯となった。
 来年の花が、今から楽しみだ。

(令和6年6月17日 8:20)
蓮路苑 椿「四海波」
蓮路苑 椿「四海波」
剪定後の姿
黒松越しに

添削

 友人から、あるところに提出する原稿(2,000文字)を添削して欲しいと言われた。これまでも何度か依頼され添削してきたが、指摘した事が改善できない。何度も同じ過ちを繰り返している。依頼される側としては、「また同じような……」と辛いものだ。

 『過ちて改めざる。是を過と謂う』(「論語」衛霊公第十五)

 

 本人のためにならないと、「書いた文章を少なくともさらに10回は読み直して欲しい。そのうえで、次の5点を実行するならば引き受けてもよい」と返事した。

 次の5点とは下記のとおりだ。

1 誤字・脱字は無いか、きちんと点検する。

2 語尾を統一する。「です・ます」調と「である」調が混用されていないか。

3 一文が長くなっていないか。簡潔に区切る。主語がはっきりすると、読む人が分かり易い。

4 くどくどとなっていないか。

5 適宜、段落を設け、一字下げる。

 

 厳しいようだが、やさしくしていては彼のためにならない。

 

 彼からは「分かった。言われた5点を必ず実行する」と。よって、添削を引き受けた。
 原稿の締め切り日は7月15日だと聞く。私の所へは、「余裕をもって今月25日までに」と告げた。もちろん、Eメール添付でと念を押した。

 原稿が届くのが楽しみだ。もし、1~5が不十分であれば、即、送り返したいと思っている。1~5が出来ていれば、添削の必要性は無いのだが。

 

(令和6年6月16日 8:35)

好きこそものの上手なれ

 すきこそもののじょうずなれ

 

 「日中、庭いじりをしていても、そんなに暑いとは思わない。暑くは感じない」と言ったら、友から「好きこそものの上手なれ」だねと言われた。 
 「好きこそものの上手なれ」は、日常的によく使う言葉だが、本来の意味は「好きなことは熱心に行うから、自然に工夫し勉強するようになる。だから、上達も早くなる」ことのたとえである。

 人は好きな事に対してならば、興味を持って熱心に取り組める。上達するための工夫も自発的にでき、努力し続けることが苦にならないため、自然に物事の上達が早くなりやすい。拡大解釈すれば、友の表現は誤りではない。

 同じような意味の語としては、「道は好む所によって易(やす)し」というものもある。対義語としては、「下手の横好き」か。

 

 他に心を動かされずひたすら一つのことに心を集中する。いちずに、一つのことに心を注ぐ意味の語として、「一意専心」がある。
 肝に銘じたい語である。

(令和6年6月15日 18:25)

用事があることは

 暑い中、剪定をしていると、友から「大丈夫か、ほどほどに……」などと心配の声が続々と。
 サツキの剪定はカンカン照りの中だったが、前庭(槙やキンモクセイなど)は西側であり、午前中の日差しはましである。剪定は、椿の上の方を残すのみとなった。
 それが終われば、25日くらいから「黒松の芽切り作業」だ。門かぶりの1本と盆栽3鉢、春から伸びた新芽をすべて摘む単純作業だが、時間がかかる。全部で16時間くらいは……。
 用事が(やるべきことが)あるという事は、有難い事だ。それが健康増進、経費節約につながるし、感謝、感謝だ。

(令和6年6月15日 8:45)

水遣り

 3~4日前までの予報では、「土日はよくない、雨も。特に日曜は……」だった。昨夕も、乾いている前にへの
水やりも控えた。
 今日も明日も、いい天気のようだ。現在、8:25だが、快晴である。
 主庭はラジオ体操に出掛ける前に、
前庭は帰宅後、水やりをした。一昨日は槙の、昨日は槙の後ろのキンモクセイを剪定をした。たっぷりと水を与えたが、活き活きとしている。「ありがとう」の声も聞こえたような気がした。
 6時55分頃の事だ。

(令和6年6月15日 8:25)

県老連から回答

 県老連からの「回答」が、昨日届いた。詳細の掲載は控えるが、一言で言えば、「官僚答弁」である。孔子の弟子 顔淵(顔回)は、一を聞いて十を知ったと……。
 武士の情け、これ以上の追及はしない。ただ「今後は『質疑応答』の時間確保」を再度強く要望した。
 本日は、県老連の理事会が開催される。実り多い会議になるだろう。

(令和6年6月14日 8:35)

じゃがいも

 三生連役員のNさんは、三郷北小学校の近くの貸農園で野菜の栽培をされいる。腰が悪く、歩くのに杖を要するのにも拘わらずだ。今朝、じゃがいもを届けていただいた。7時前のことだ。ありがたい事である。
 13年前に私が膝の手術を受け、退院に当たって妻から「家に戻ったら何が食べたい」と聞かれ、間髪入れず「肉じゃがとポテトサラダ」と答えた。望みどおり、退院の夜は……。私にとって、この二つは好きな料理の東西の横綱である。
 少し前に「肉じゃが」は食したので、「ポテトサラダ」あたりを期待する。きっとおいしい料理になるだろう。

(令和6年6月13日 13:00)

あの世行き

 昨日はマキの剪定をしたが、私の不注意からひじょうに危険な目に遭った。もしかしたら、命にかかわるような事になっていたかも知れない。と言っても、三脚から落ちたとか落ちそうになったという話ではない。

 三脚を据え付け、上に乗って剪定をしていた。その場所での作業が終わったので、いったん下へ降りた。長短2本の刈り込みばさみや竹ぼうきなどを持っていたのだが、一度で用具のすべてを持てず、長い柄の刈り込みばさみを三脚の上に置いて降りた。
 置いているのを忘れ、三脚を移動しようとしたときに刈り込みはさみが首筋に落ちて来た。柄の方が下の状態だったので大事に至らなかった。刃の部分を下にはさみが落ちていたら、かつ当り所が悪かったならば、出血多量であの世行きになっていたかも……。  
 家の者も居なかったし、道路からも陰になる所だったので、もしかしたら……。

 三脚の上にはさみを置いて降りるなど、プロ(?)として失格である。大いに反省すべきである。
 笑い話では済まない。

(令和6年6月13日 8:25)

蓮路苑 槙

どんより

 雲の多い、どんよりとした天気だ。最高気温は、32度の予報だ。
 こういう日に熱中症になる人が多いとも聞く。気をつけたい。

(令和6年6月13日 5:45)

禍福は糾える縄の如し

 禍福は糾える縄の如し

 不幸や辛いことが続くと「私にばかり何故だ」とつい思ってしまうが、「そのうちによいことがある」と堪えたい。

 禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)という言葉がある。

 人間の幸福と不幸は、より合わせた1本の縄の表裏のように交互に来る。災いが転じて福となり、福が転じて災いとなることがある。人の知恵で計り知ることはできないというたとえである。

 由来・語源

 中国の『史記・南越伝』の一節、「因禍為福、成敗之転、譬若糾纏」(=禍によりて福となす。成敗の転ずるは、たとえばあざなえる縄のごとし)を由来とした故事成語が発展した言葉である。

 『禍福糾縄』(かふくきゅうぼく)の四字熟語は、『禍福は糾える縄の如し』と同様の意味だ。

 『禍福は糾える縄の如し』の言い換え表現としては次のようなものがある。

 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)

 「人間万事塞翁が馬」は、「不幸や幸福は予測ができない」という意味を持つ言葉で、『禍福は糾える縄の如し』の言い換えとも言える。禍福が交互にやってくる逸話を描いた中国の故事に由来しており、出自も『禍福は糾える縄の如し』と共通している。

 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり)

 「川の瀬に浮き沈みがあるのよ同じように、人生にも、良いこと・悪いことどちらもある」という意味である。くよくよしている時・浮かれている時、どちらの戒めにも使える『禍福は糾える縄の如し』に比べて、こちらは「くよくよしないように」といったニュアンスが強い。

 苦あれば楽あり(くあればらくあり)

 『苦あれば楽あり』とは、文字どおり「苦労のあとにはきっと楽しいことがある」という意味だ。『沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり』によく似た言葉だが、「苦労は必ず報われる」といったニュアンスがより濃い。

 

 『禍福は糾える縄の如し』は、英語では次のようにどのように言い表すことができる。

Sadness and gladness succeed each other.

 「悲しみと喜びは交互にやってくる」という意味の英語表現だ。

Good luck and bad luck alternate like the strands of a rope.

 「幸運と不運は、よりあわせた縄のように変わっていく」という意味。

 人生、努力の先には必ず光明が……。それを信じて、不撓不屈の精神で徳を積み重ねたいものだ。

(令和6年6月12日 9:20)

県老連からメール

 質問への「回答」が遅れている件、県老連事務局から先ほど10:34付でメールが届きました。
 「

 「言い訳になりますが、他の市町村からも質問したい旨の話がありましたため、まとめた上で回答したいと考えて、質問到着を少し待っていたことと、事務局だけで回答できない質問(「その他」など)もあり、時間をいただいている次第です。できるだけ早く回答します。」(原文のまま)と。

(令和6年6月11日 10:47)


やれやれ

 残っていたサツキの剪定をすべて終えた。すぐに薬剤散布を行った。液肥もいっしょに混ぜ、合わせて2時間半。
 剪定は、合わせて16時間くらいだろう。好天が続くようだし、いいタイミングで作業できた。取敢えず、やれやれだ。

(令和6年6月1日 10:15)
蓮路苑 5/11
蓮路苑 5/11

未だ届かず

 本日 (5/10)19:45現在、私の質問・意見(5/31 20:15発信)に対する県老連からの「回答」は無い。送付してから10日が経過した。
 質疑応答の時間をとらず、「文書で質問を」と言われたにも拘わらず、この対応の遅さは如何なものか。推測だが、そんなに多くの質問が寄せられているとは思えない。大量の質問が殺到し対応に追われているのであれば、その旨をご連絡いただきたい。大量に届いているとしても、私の質問は順番的には最も早かったのではないか。その日のうちに届いているはずだから。

 お約束どおり、質問・意見を掲載する。一字一句、修正していない。


〇奈良県高齢者福祉施策の概要について

 小林課長のご説明の中で、「平均余命」を「へいきんよみょう」と言われたように思いましたが、私の聞き違いでしょうか。「平均寿命」は「へいきんじゅみょう」ですが、「平均余命」は「へいきんよめい」です。

 同じように勘違いしやすいのは、「出生率」の読み方です。「しゅっせいりつ」ではなく、正しくは「しゅっしょうりつ」です。

 

〇令和6年度県老連事業計画等について

 丁寧に分かり易く説明されたと思います。

 評議員会で、昨年度開いていただいた「会員増強に係る話し合い」について何ら触れることが無かったのは、強く疑問に思っています。もう終了なのでしょうか。

 

〇その他

・中村会長の挨拶の中で、県の職員に対して(県に対して)、ひじょうに厳しい、聞きようによっては辛辣な物言いがあったと私は感じました。事前折衝などで(これまでの県の対応などで)不快な事があったのでしょうか。或いは、「執行部は、県に対してなぁなぁな態度では臨んでいない」というパフォーマンスが多少なり含まれていたのでしょうか。後半のハーモニカ演奏とのギャップが大きかったです。教えていただきたいと思います。聞きようによっては、喧嘩腰に思った方も多かったのではないでしょうか。必要なときは、〚喧嘩〛もありだと思いますが。

 

・遠方から来られている方への配慮からだと思いますが、13時開始の14時終了でした。年に一度の正副会長会議、一堂に会して協議できるのは、この時だけです。あまりにもあっけなく思いました。小林課長も残って居られたのですから、質疑応答や日ごろの思いなどを述べ合う時間をせめて15~20分くらいでも、おとりいただきたかったです。局長は中村会長の挨拶も聞かずに帰られましたが、失礼千万だと思いました。いくらご多用とは言え、無礼の謗りを免れないでしょう。さっさと帰られるのであれば、課長のみの出席でよいと思います。そうすれば、そして14時30分の終了とすれば、協議の時間が30~40分は取れると思います。

(令和6年6月10日 20:00)

残りの剪定

 サツキの剪定は、まだ3本残っている。3本のうち2本は、まだ花が残っている。1本は、前庭の主木のひとつ槙の木の下に植わっているものだ。日当たりが悪く、花は少ない。移植したいが、移す場所が無い。本日、午後にはそのサツキの剪定をする予定だ。
 何度も記しているが、早く剪定を終えていいタイミングで薬剤散布をしたい。

(令和6年6月10日 7:40)

浮雲の如し

浮雲の如し

 約2500年前の中国に生きた孔子と主に弟子たちとの問答を、孔子没後弟子たちが纏めたのが『論語』である。その中には、うーんと思わず唸らせられる章句が幾つも鏤められている。

 「子曰わく疎食を飯い水を飲み、肱を曲げて之を枕とす。楽しみも亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し」(述而第七)(しのたまわく、そしをくらいみずをのみ、ひじをまげてこれをまくらとす。たのしみもまたそのうちにあり。ふぎにしてとみかつたっときは、われにおいてふうんのごとし)<孔子が仰られた。粗末な食物を食べ、冷や水を飲み、肱を曲げて枕として寝るような貧乏生活の中にも楽しみはあるものだ。正しくない行いで財産や地位を得ても、自分にとっては、浮雲のようなものだ>

 人を騙したり、出し抜いたり、贈賄などで地位を得たり、そういった人としての道を外れた行いで経済的に豊かになっても、それはとてもつまらないものである。取るに足らないものである。経済的に豊かでなくても、また地位に恵まれなくとも、人としての道を外さず、徳(仁・義・礼・智・信)のある生活を送っていれば心豊かであると。

 まさに至言である。心したい。

(令和6年6月10日 5:35)

要修正

 昨夕、前庭の黒松下のサツキを剪定した。枝が邪魔になりやり辛く、1時間以上を要した。
 今朝よく見ると、あまり出来映えはよくなかった。眼が悪くなっていることに加え、少し薄暗くなりかけていたせいだろう。
 「剪定ではプロ以上」と自慢している手前、仕上がりの悪い剪定を人に見られるのは恥ずかしい。修正にかかりたいがこれから出掛けねばならず、本日は無理かも知れない。

(令和6年6月9日 9:00)

蓮路苑
蓮路苑
蓮路苑 専任剪定士

ポツリポツリ

 夜中から明け方まで、そこそこ降ったようだ。
 「ラジオ体操」のときは、ほとんど止んでいた。時折、ポツリポツリ程度。大事をとって、自治会館内で実施した。レギュラー組は、全員出席だった。

(令和6年6月9日 8:50)

お気に入りの1枚

 『写真』は学んだことも無く、全くの門外漢だ。若い頃、一眼レフも2台持ったが使い切れなかった。
 私が最近撮った中の1枚を、『写真』を趣味として長く学ばれている何人かの方から、「なかなかだ」とお褒めいただいた。横浜に住む甥もその一人だ。その1枚とは、「蓮路苑」でスマホを使って撮ったものだが、自分でも気に入っている。

(令和6年6月8日 21:10)
雪見灯篭越しの蓮路苑

特異なものでは無い

 県老連からの回答が未だ届いていないという件だが、正副会長会議があり帰宅後、Eメール添付で「質問・意見書」を送ったのは、5/31(金)だった。
 翌週の6/4(火)、生駒郡生き生きクラブ連合会のゲートボール大会があり、開会式に出た。その際、他町の代表者から私が意見を求める前に、私が送った内容とほぼ同じ考えを述べられた。所用で会議に出席できなかった本連合会の筆頭副会長も同意見であった。
 私の意見(考え)が特異なもので無いことは明らかである。そんなに難しい質問をした訳ではないと思っている。
 月曜日(6/10)には回答が届くと思う。届かなければ、この欄で「質問・意見」の内容を詳らかにしたい。そんな大袈裟な内容ではないのだが。

(令和6年6月8日 7:40)

虫歯治療

 昨夕は、歯科医院で虫歯の治療をして貰った。
 拙宅から歩いて3分の所にあり、日時等こちらのほぼ都合に合わせて診察治療していただけ、とても有難い。
 急な電話で「今から向かいますが、構いませんか」でも、ほとんどの場合、OKである。
 今回も、1回の治療で終了となった。もちろん、抜歯はしていない。徒歩3分以内という至近にあるというのは恵まれている。

(令和6年6月8日 7:20)

人推協総会

 11時から町の図書館で、町人推協(人権教育推進協議会)の総会が開かれる。三生連の代表として出席する。

(令和6年6月8日 7:10)

回答届かず

 残念ながら、17:30現在、県老連からの『回答』は届かなかった。お忙しいのだろう。月曜日には、Eメール添付で届くと思う。そう願う。

(令和6年6月7日 17:37)

台上での示範

 今日は快晴だ。
 「ラジオ体操会」、米国人の青年イーサン・ストレブローさんが6/1から今日まで7日間、台上で示範した。見事な体操だった。台上での体操は、簡単ではない。凄いの一言である。
 明日からは、再び私が務める。イーサンに負けないよう努める。

(令和6年6月7日 7:47)

県老連からの回答

 先週金曜日午後、午前の県老連評議員会に続いて、市町村連合会の正副会長会議が開かれた。
 質疑や協議の時間が全くなく、短時間で終わった。質問等は書面で申し入れしなさいと、予め用紙が配布されていた。集めておいて短時間で終わるのは如何なものかと思ったのは、私だけでは無かった。
 帰宅後、質問や意見を記して、Eメール添付でその日のうちに送った。土・日は県老連事務局は休みなので、月曜日以降に回答をいただけるだろうと待っているが、今現在、届いていない。今日は送っていただけるものと、首を長くして待ちたい。

(令和6年6月7日 5:55)


)

細部修正

 剪定したサツキの細部の修正をした。
 前庭のサツキの剪定をする予定だったが、予定外にサツキ盆栽の剪定を行ったので明日以降になった。
 早く剪定を終えて、薬剤散布をしたい。

(令和6年6月6日 16:45)
:今朝の蓮路苑

サツキ盆栽の剪定

 予定外に、午後から2時間半かけてサツキ盆栽の剪定をした。なぜそんなに時間がと思われるだろうが、丁寧に行うとかかってしまうのである。写真は、7分咲きの時と剪定後のものだ。
 今年は植え替えは見送ることにした。理由は、何となく気乗りしないからだ。いい加減なものである。来年の花つきは、果たしてどういう結果になるだろうか。

(令和6年6月6日 16:38)

サツキ盆栽も最終盤

 サツキ盆栽も終わりに近づいた。
 終われば剪定をする。そして、植え替えの時期に来ている。植え替えするかしないか悩んでいる。結構、手間だ。鉢から抜くのも、ひと苦労だ。
 鹿沼土を切らしている。在庫が無い。クロマツや雑木用の土は、たくさんあるのだが。
 植え替えするかしないか、1~2日考えたい。
 今日は、前庭のサツキの剪定をしようと思っているが。

(令和6年6月6日 8:40)
3年前

「三生連 論語に親しむ会」第129回例会から

 本日の「三生連 論語に親しむ会」第129回例会から

 「子曰わく、徳の修まらざる、學の講せざる、義を聞きて徙る能わざる、不善の改むる能わざる、是れ吾が憂いなり」(『論語』述而第七 しのたまわく、とくのおさまらざる、がくのこうせざる、ぎをききてうつるあたわざる、ふぜんのあらたむるあたわざる、これわがうれいなり)

 通釈『孔子が仰られた。徳(仁・義・礼・知・信)が身につかないこと、学びが究められない事こと、人として正しい生き方を教えてもらっても実践できないこと、悪い行いを改めることができないこと、この四つが常に私が憂うことである』

 不勉強や道徳上の間違いを非難しているのだが、これが誰に向けられているのかについては、二つの説がある。一つは、弟子たちの不品行や学習への熱意の弱さを失跡しているというもの、もう一つは老年に至ってもなお、人格や学問が完成できない自身を自己批判したというものである。
 
 どちらにしても、私たちも心したい章句である。

 2500年前の古代中国に生きた『孔子』は、今を生きる私たちが生きる指針となる言葉を多く遺している。一緒に『孔子』の遺した含蓄のある言葉を一緒に学ぼうではないか。他町の方も歓迎する。現在、大阪・藤井寺からも通われている。
 毎月、第一、第三水曜日 10時~11時30分
 三郷町福祉保健センター大広間
 問い合わせ 恒川 敏(0745・32・0191、080・7797・7624)


(令和6年6月5日 19:25)

玉ツゲの剪定

 14時半頃から2時間半、サツキや玉ツゲの剪定をした。主庭は、花の終わっていないもの以外は終了。

(令和6年6月5日 17:40)

蓮路苑
バルコニーから

剪定進む

 サツキの剪定は日々進んでいるが、まだ見ごろのものもある。
 今日は本連合会の「論語に親しむ会」の例会がある。第129回だ。


(令和6年6月5日 5:55)

蓮路苑 6/6
蓮路苑 6/6
5/15頃
5/20頃

ゲートボール大会

 本日9時から、郡生連のゲートボール大会が三郷町のゲートボール場で開かれる。私も開会式に参列する。
 雲は少なくないが、いい天気だ。白熱した競技が展開されるだろう。

(令和6年6月4日 5:45)

小さな習慣や……

 小さな習慣や行動がいつか…… 

 ある方が著書の中で、「日常の小さな習慣や行動がいつか将来の自分をつくる。先ずは小さな事から始めることが大事である」と。私も同感である。

 その小さな習慣や行動は、具体に何を示すのか。私なりに考えてみた。

 

 「真似」は、いつか「上手」に

 「真似をするな」とよく言われるが、優れた人や「達人」と言われる人の真似をする事は、悪いことではない。むしろ大事なことだ。対象が身近な人であればよりよいが、そうでなくても構わない。最初はうまくいかなくても、真似し続けることによって、徐々に近づいて行けるだろう。もちろん、1ヵ月や3ヵ月の努力ではダメだ。短い期間で到達できるような技術・技能ならば、それらは大したものではないだろう。

 優れた人に直接教えを請うことが出来ればこの上ないが、直接でなくとも探る機会はあるはずだ。座して、機会を得ることは出来ない。とにかく、対象となる人を見つけ、コツコツと真似し続けていくことが大事である。

 

 「忍耐」は、いつか「得意」に

 何でもそうだが、苦労せずに一流にはなれない。『達人』の域に達するには、多くのと労力が必要である。当たり前だ。一朝一夕に会得できればそれに越したことはないが、そんなに世の中、甘くはない。一流や超一流になるには、「血の滲むような努力」が求められる。そうした努力の継続の(積み重ねの)先に、明るい光が見えてくるのだろう。一流の人は、そうした努力を永年積み重ねて来たのだ。
 努力を継続し、習慣づけることによって一流と呼ばれ、「達人の域」に近づけるのである。

 

 「好き」から「楽しみ」に、それが大きな「武器」に

 人から言われてやるよりも、自らがそのことを「好き」になって実践する方が、当然ながら成果は大きいだろう。誰もが分かることだ。
 仕事でも趣味でも、「好き」になってやるよりもさらに上の境地がある。それは、「楽しみ」としてそれらの事に取り組めるようになるということだ。「楽しみ」として実践できれば、成果がより上がるばかりでなく、より大きな「達成感」や「成就感」、「満足感」が得られる。そのようにして得たものは、値千金の、自らの大きな「武器」となるだろう。

 

「努力に勝る天才無し」「オリンピックの覇者に天才無し」などの言葉が好きだ。言わずもがな、努力の大切さを示している。

(令和6年6月3日 17:00)

胆力

 ラジオ体操第一が始まる直前に『緊急地震速報』が入った。しばらく聴いていたが意を決し、私の号令で第一も、第二も実施した。
 咄嗟に対処することは簡単ではないが、昔取った杵柄、難なくこなした。
 緊急の時に慌てず対処するには、胆力が求められる。それは、一朝一夕に養うことは出来ない。さまざまな事を経験し、それを次に生かそうとする気持ちがなければ養えないものだ。
 普段、偉そうなことを言っている人に限って、ここ一番というときに逃げてしまうことが多い。常に、「山よりでかい獅子は居ない」の気持ちでいたい。



(令和6年6月3日 8:10)

意欲的

 会報『矍鑠』第28号は8月上旬の発行だが、ハイキングの寄稿文2件を始め、すでに5件が届いている。みなさん意欲的でありがたい。
 12頁にはなりそうだ。16頁をめざしたい。

(令和6年6月 8:55)

楽しみながら

 サツキ盆栽は、まだまだ鑑賞に堪え得る。写真は本日(6/2)13時ごろに撮ったものだ。
 午後から3時間、花の終わったサツキの剪定をした。広い庭でゆったり植えてあれば四方八方から剪定できるが、うまく近寄れず苦労する場面も多い。そんなとき、短い柄の刈り込みばさみが重宝する。
 まだ花が盛りのものもあり、剪定を終えるにはまだ3~4日はかかりそうだ。玉ツゲの剪定もある。剪定が終われば薬剤散布をする。今回は、液肥も混ぜて同時散布する予定だ。
 梅雨だし、雨の合間を縫っての作業となる。6月後半には、黒松の芽切り作業も待っている。やるべきことが次々と、しんどいけれど楽しいのである。

(令和6年6月2日 20:05)
 
 
蓮路苑
蓮路苑

台上での示範

 「ラジオ体操会」、昨日から1週間交代で米国人に……。ラジオ体操を始めて、まだ2ヵ月である。素直な性格で上達が頗る早い、大した青年だ。「教え方が上手だ」などと不遜なことは言わない。彼の努力の賜物である。
 もちろん職業人であり、体操20分後には出勤している。勤勉な姿勢を見習いたい。

(令和6年6月2日 8:25)
米国人青年

楽しむ者に如かず

 楽しむ者に如かず

 『論語』に「之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」<雍也第六>(これをしるものは、これをこのむものにしかず。これをこのむものは、これをたのしむものにしかず)とある。

「人から言われて知識としてのみ知る人は、好んでやる者には及ばない。好んでやる者は、楽しんでやる者には及ばない」という意味だ。

 自らを振り返るとき、庭いじりなどは楽しんでやるので体はそれなりに疲れるが精神的な疲労などは無い。逆に満足感・達成感を味わえる。他の事もこうありたいと思うが、ときに追われてやっている自分がいる。そのようにならないように、早め早めに準備しなければならないと思うのである。
 今日は、中之島図書館論語塾の第138回だ。10時半開始なので、間もなく出発する。
 「朋遠方より来る有り。亦楽しからずや」(〚論語〛学而第一 ともえんぽうよりきたるあり。またたのしからずや)である。

(令和6年6月1日 7:20)

 

県老連会議

 本日の県老連の正副会長会議、遠くから来られている方に明るいうちに帰宅して貰わねばならないからとは言え、13時に始まって14時に終了。質問は、用意された用紙に記入して提出しなさいと。
 年に一回の全市町村支部の協議の場、創意工夫をしてもう少し実り多いものにして欲しいと思ったのは、私だけではないだろう。
 事務局長(専務理事)の事業計画の説明は、丁寧で分かり易かった。

(令和6年5月31日 18:45)

鉄 人

 今朝のラジオ体操会は、何とか屋外の広場で出来た。終わってから、パラパラし始めた。
 今月の皆勤は、7名だった。常連3名が、よんどころない用事で1日の休みとなった。
 今日で8年と8ヵ月となった。1日も休み無しである。出席3千回超の方が4名となったが、まさに『鉄人』である。
 来月は雨の日がが多いと思われるが、『鉄人』はもろともしないだろう。

(令和6年5月31日 7:25)

県老連の会議

 本日は10時から奈良県老人クラブ連合会の評議員会が県社会福祉総合センター(畝傍御陵)で開かれる。午後からは、正副会長会議も同時に。もちろん電車なので、早い出発となる。

(令和6年5月31日 5:25)

サツキの剪定

 一部のサツキの剪定をした。昨年購入した柄の短い刈り込みばさみが重宝している。
 もう少し強く剪定すべきかも知れない。
 アジサイ(墨田の花火)が見ごろになって来た。

(令和6年5月30日 19:50)
蓮路苑
墨田の花火

余 談

 庭いじりを続けていて得をするというか、よいことは、短歌や俳句を嗜んでいる方と同様に、季節の移り変わりに敏感になることだろう。特に庭いじりは草木に直接に係わるので、そのことが顕著である。
 所用で他の町や場所に出掛けたとき、私は樹木にすぐ眼が行く。居住している町や拙庭と、緑や花の進度などを比較することになる。そして、初めての人との会話でも話題に困らない。『論語塾』などでの講義の際も、導入部分で庭いじりに係わる話題を取り入れている。会場が和み、多くの方の笑顔を眼にすることになる。緑や花が嫌いだと言われる人は居ないからだ。
 ただ気をつけなければならないのは、「余談」が長くならないようにすることである。

(令和6年5月30日 7:30)
蓮路苑の生垣(紅カナメ)
慈光院の庭(大和郡山市)

町社会福祉協議会 理事会

 本日、8:58から町福祉保健センターにて「町社会福祉協議会」の理事会が開かれた。
 令和5年度の事業報告や決算報告等が、原案どおり承認された。

(令和6年5月29日 18:40)

剪定は来週から

 最盛期をとうに過ぎたサツキだが、昨日の雨にも負けず、けなげに咲いている。特に、サツキ盆栽はまだまだ美しい姿を見せてくれている。
 サツキの全面的な剪定は、月曜日からになりそうだ。部分的には始めているが。
 今日は、9時から「町社会福祉協議会」の理事会が開かれる。

(令和6年5月29日 7:55)
29日朝

散髪

 幼い頃からの習慣は、齢を重ねても変らないものだ。散髪の話である。

 髪を刈り、洗髪して貰うと実に気持ちがよい。散髪代2,350円は、あまりにも安過ぎる。そう思うのは、私だけではないだろう。私はずっと「大衆理容」の世話になっている。

 子どもの頃、母から「むさ苦しい頭はみっともない。早く床屋へ」とせかされ、自分では「まだ早いのに……」と思いながらも散髪屋に向った。父親のむさ苦しい頭も見たことがなかった。散髪して貰うと、実に「すっきりさわやか」である。

 このように、今も早め早めに散髪屋に向かう。むさ苦しい頭の若者を見ると、つい「だらしないなぁ」と思ってしまうのだ。きちんと頭髪を整えて損をすることはない。

 

 大学でも学生服と坊主頭

 4年生ごろから丸坊主だった。大学2年になるまでそれが続いた。

 4年間寮生活だったが、1年生は丸坊主を強制された。「丸坊主」に違和感はなかったが、大阪や京都などの自宅から大学のあった茨木市まで通っていた同級生からは、「何だお前たち、大学でも学生服に坊主頭か」と揶揄された。授業も1年生は学生服の着用を余儀なくされた。同級生からの皮肉は悔しかったが、「4年後を見ておれ」と思った。自宅から通っていた者の多くは、学業にも部活動にも熱心でなかった。何をしに大学に入ったのかと思うような学生も少なからず居た。それは、寮生においても同様だった。

 

 初志貫徹

 大学1年の終わりに母を亡くした。 
 他にも不幸な出来事が続き、一時、目標を失いかけた時期もあった。だが、選手になり大学のランシャツ・ランパンを身に着けて走りたいと思った(学生選手権と言われる大会しか着用できない)。何より「体育の教員になる」という初志を貫かねばならないと思い、私なりに努力した。

 努力の甲斐あり、選手になって日本学生選手権や全日本大学駅伝(熱田神宮~伊勢神宮)でも活躍出来た。ご存知のとおり、全日本大学駅伝は現在でも営々と続いているが、生まれ育った「愛媛」でも第二の故郷となった「奈良」でも、この駅伝を初めて走ったのは私だと思う。区間最高記録賞(区間賞)を獲得しておれば自慢できるが、そこまでの力はなかった。
 同窓同級の者で高校の教諭になって勤め上げたのは全国で6名であり、校長に昇任したのは私だけだ。後輩では、高校でも中学においても、大勢の校長が誕生した。現在、大阪府下の中学校校長を専門教科別で見ると、「保健体育」が最も多いそうだ。その中でも、同窓の後輩が最も多いのである。後輩たちが、頑張っているのだ。うれしい限りだ。
 私が卒業して教諭になった頃、大阪府立高校では「保健体育」を専門とする校長は、5~6名だったのではないか。今では、「数学」と並んで最も多い。隔世の感である。

 

 トライアスロン・ウルトラマラソン

 後年、トライアスロンレースに出場した。水泳3.9㌔・自転車180㌔・ラン42.195㌔のレースを「フルトライアスロン」と呼ぶが、「愛媛」でも「奈良」でも完走したのは私が最初である。その勢いで、「神奈川」「千葉」「東京」に続いて、国内で4番目に〚奈良県トライアスロン協会〛を設立し、11年間理事長を務めた。そのときの年齢は、34歳だった。その後、国内で初めて〚奈良県ウルトラマラソン協会〛を立ち上げ、こちらの理事長も務めた。

 

 山登りを

 40歳から山に登り始めた。

 最初は、家族で「富士山」に登った。それを機に、近郊の山はもちろんのこと、北アルプス・南アルプスをはじめ、北海道から屋久島まで、国内の主な山を踏破した。そして、海外にも眼を向けるようになり、「キリマンジャロ(タンザニア)」「マッターホルン(スイス)」「モンブラン(仏)」と立て続けに登頂した。
 退職後は、「アコンカグア」(アルゼンチン)、「マッキンリー」(アラスカ)、そして「エレベスト」(ネパール)へと夢を描いたが、膝痛が酷くなり断念せざるを得なかった。現在は、両膝とも人工関節である。

 

 恩返しになれば

 このようにこれまで、さまざまな事に挑戦出来た。幸せな人生を歩んで来られた。
 若くしてトライアスロンやウルトラマラソンの理事長を務め、全国規模の大会66の実行委員長・会長を務めた。一つの大会を運営するには、数十人のスタッフの協力を要する。こうした中、異業種の人たちとの交流から得たものは、私の血や肉となっている。
 現在、縁あって本連合会の会長を担っているが、多くの仲間(先輩たち)に支えていただいている。感謝に堪えない。

 本連合会も、そして支部の運営も、これまでお世話になった方々へのささやかな「恩返し」になればと思っている。 

 「散髪」の話から思わぬ方向に進み、人生も終わりのような話になったが、まだまだやらねばならぬ事や、やり遺している事が山のようにある。
 開始から8年8カ月になろうとしている「ラジオ体操会」(一日も休み無し)は、これからも続けて行かねばならない。630回を超えた〚論語〛講義は、千回をめざす。〚中之島図書館論語塾〛の受講者数は日本一になったが、内容でもさらに磨きをかけねばならない。20冊を超えた著書も、30冊は……と思っている。
 途中で止まっている〚超難関資格試験〛への挑戦も近々再開しようと思う。75歳くらいで達成したいが、そうなればもしかしたら日本記録かも。とにかく、達成せずにあの世には行けない。

 最近著名な方から「谷口さんは目標があっていいですね」と言われた。目標のないところに、努力の継続は困難だ。〚飽くこと無く 可能性を求めて〛がモットーだが、死ぬまでそうありたい。そうあらねばならないと思っている。
 みなさんも、ぜひ目標を持っていただきたい。意志あるところに道は開ける。

(令和6年5月28日 14:00)

昭和62年4月 宮古島トライアスロン 水泳から自転車へ 36歳
昭和49年7月 藤井寺工高水泳訓練(東浜) 23歳
昭和63年7月 皆生トライアスロン ゴール 37歳

備えあれば

 「ラジオ体操会」の帰り頃から雨脚が強くなり、ラジオを濡らさないようにと特大の傘を使っているがそれでも足元が濡れた。今日はゴミ出しの曜日だったが、理由があって集積場まで拙宅からは約120㍍もあり、このときも濡れてしまった。本日は、日中ずっと雨のようだ。終わりかけているサツキも、雨でさらに傷むだろう。
 高校生のときは自転車通学、約2㌔の距離で今考えれば遠くは無かったのだが(拙宅から王寺駅までが約2㌔)、傘を差しても濡れるし雨はとにかく鬱陶しかった。長靴を履いて20分をかけて歩けばよかったのにと、懐かしく振り返っている。
 先日のハイキング、参加された90歳の会員は準備怠り無く長靴だった。靴に雨が沁みて冷たく辛そうにしている会員が多かった中、矍鑠と歩かれていたことは言うまでもない。「備えあれば憂いなし」である。

(令和6年5月28日 8:05) 

稽古あるのみ

 一夜明けて、大の里は喜びをさらに噛みしめていることだろう。
 師匠の稀勢の里は、「こんなに早く優勝するとは」と言いつつも、「四股をもっと踏め、それが楽しいと思える境地になったら横綱だ」と。
 「好事魔多し」、調子に乗らず気を引き締め、大きなケガをしないように留意しとにかく猛稽古に励むことだ。そうすれば、自ずと道は開けるだろう。
 稽古、稽古、稽古である。

(令和6年5月27日 8:55)
日刊スポーツ提供
日刊スポーツ提供
日刊スポーツ提供

ぐずついた天気が

 3~4日、雨の日が多いようだ。まとまった雨の降る日も、早い梅雨入りなのだろうか。

(令和6年5月27日 6:00)

大の里初優勝

 大相撲5月場所は、小結 大の里が12勝3敗で優勝を飾った。
 17日に大の里の優勝を確信した。紆余曲折はあったが、予想どおりとなった。
 7月場所も連覇して、9月場所は大関として迎えるだろう。ケガがなければ、来年の3月場所(大阪)では、大の里の土俵入りが見られるだろう。
 朝青龍・白鵬・照ノ富士と永くモンゴル勢に圧倒されて来たが、新たな時代の幕開けである。
 うれしい限りだ。
 師匠の稀勢の里は部屋を持ってまだ2年くらいだが、早くも幕内最高優勝力士を……。あと1年もしないうちに横綱を。前代未聞である。

(令和6年5月26日 18:05)
天皇賜杯を抱く大の里 スポーツナビ 提供

平群町から

 昨朝の「ラジオ体操会」には、平群町からお一人参加された。お近くのようだ。本部の役員もされ、24日の「郡生連社会見学」にも参加されたと。
 『矍鑠』を読まれて興味をお持ちになり、どんな様子か見に来られたと仰られた。
 今日も来られるだろうか。スタンプ帳はお持ちする。

(令和6年5月26日 5:20)

午前様

 昨夜は飲み会で、帰宅は午前様。それでも、4:20には起床した。本日もいい天気になりそうだ。最高気温は、26度の予報だ。
 「ラジオ体操会」では台上で示範するが、転ばないようにしなければ……。

(令和6年5月26日 4:40)

薫風が

 ラジオ体操会から帰宅後、30分ほど庭いじりを……。
 その後、庭先にしばし佇みながら友に庭写真を送ったりしていたが、清々しい風が吹きわたり実に心地よかった。

(令和6年5月25日 8:30)

蓮路苑
蓮路苑

アクセス数(訪問回数)

 アクセス数が、6791回となった。

(令和6年5月25日 5:30)

安寿会連合会

 先日掲載した安堵町安寿会連合会の会員減少数に誤りがあった。正しくは20名(会員数783名)である。松井連合会長からご指摘があった。お詫びし訂正する。

(令和6年5月25日 5:30)

社会見学

 郡生連の「社会見学」として、バス1台総勢41名で神戸を訪ねた。

 先ず、港町・神戸の風情を最も感じることができるクルージングを楽しんだ。海上からは、六甲山を背景に東西 に広がる神戸の街並みを一望できた。 
 晴れた日は遠く明石海峡大橋まで眺めることができると聞くが、今日は曇り空、おまけに黄砂の影響もあり見晴らしは今一つだった。
 前にも体験したが、そのときは船中でランチを楽しんだ。

 その後、車で20分くらいの所にある城崎の名旅館「西村屋」が経営する割烹で、昼食をとった。ここでは、上品な日本料理に舌鼓を打った。郡生連の会計からアルコール類も提供され、左党からは思わず笑みがこぼれ、ぐいぐいと呑まれる方も多かった。酒好きの私だが、原則として昼間はアルコールを控える方なので、注いで貰ったグラスのビールにも手をつけなかった。

 昼食後は、伊丹市の荒牧バラ公園を訪ねた。ピーク時には、世界のバラ約250種1万本が南欧風のおしゃれな園内一帯に咲き乱れるそうだが、少しピークを過ぎていたように思った。それでも、我々の眼を十分に楽しませてくれた。入園料が無料なのは、有難かった。

 その後帰路に着き、私は16時50分に帰宅、開催中の大相撲夏場所幕内後半戦にも間に合った。

 他町の方々とも親しく歓談でき、有意義な一日となった。

(令和6年5月24日 19:10)

荒牧バラ公園のバラ
荒牧バラ公園のバラ
荒牧バラ公園のバラ

春のハイキング支部別参加者数

 遅くなりましたが、春のハイキング(5/13 20名参加)の支部別参加者数は下記のとおりだ。

いわせが丘 1名
南 畑   1名
緑ケ丘   2名
坂 根   3名
城山台   2名
勢野第四  2名
明 治   2名
東信貴ケ丘 4名
三 室   3名

(令和6年5月24日 5:20)

郡生連社会見学

 本日は、生駒郡生き生きクラブ連合会の「社会見学」である。
 4町41名(三生連から10名)で神戸方面へ出かける。天気もよさそうだ(夜は明けていないが)。
 三生連の集合時間は8時5分、ゆっくりなので有難い。

(令和6年5月24日 4:25)

庭いじり3時間

 思わぬいい天気になったので、午前中、庭いじりが3時間もできた。
 サツキも最終盤に入った。来週水曜日くらいから剪定を行う予定だ。

(令和6年5牙23日 22:15)
蓮路苑
蓮路苑

アクセス数(訪問回数)

 本連合会ホームページへのアクセス数は、本日18:30現在、6,298回である。
 1日平均280回を超える数字だ。

 赤い花のサツキが満開となった。全体としてのピークは、5/19(土)だっただろう。最も遅咲きの赤い八重咲も、少しずつ開いて来た。


(令和6年5月22日 18:45)
赤のサツキ
5/19の「蓮路苑」

米寿

 本連合会の役員を永く務められ、現在、監事の南部貞雄氏が『米寿』をお迎えになられた。心からお慶び申し上げる。
 有志6名でお祝いの花をお贈りする(辻・西村・髙橋・萬治・恒川・谷口)。早ければ今夕、遅くとも明日の夕刻には……。ご笑納を。
 ご健勝とご多幸を祈念申し上げる。

(令和6年5月22日 5:25)
お贈りする花

高安は強い

 高安は強い。大した力士だ。
 今日の結びの一番、琴櫻を上手投げで仕留めた。休場から復帰して、昨日今日と大関を投げ捨てた。
 2敗は、大の里と宝富士、湘南乃海の三人となった。明日は、宝富士と湘南乃海が対戦する。
 大の里は豊昇龍との対戦だ。姑息な相撲しかとれない大関を、突き出してほしい。明日勝てば、大の里の初優勝で決まりだろう。角界入りして7場所目の幕内最高優勝は、前代未聞の大記録だろう。
 強い日本人横綱が実現することは、まことに喜ばしいことだ。大相撲人気が、さらに沸騰するだろう。
 願わくば、高安の大関復帰(再昇進)を……。

(令和6年5月21日 19:10)

信貴の湯

 私の所属する支部の男性会で、「信貴の湯」を訪ねた。地元の自治会館から、「信貴の湯」の職員に送迎して貰った。送迎は無料である。実に有難い。
 風呂は混雑していなかったので、快適だった。ひと風呂浴びた後は、附設のレストランで小宴会を……。入浴で汗をかいた後なので、ビールの味は格別だった。
 出席者は8名だったが、大いに懇親を深めることができた。

(令和6年5月21日 18:55)

薬剤散布

 ラジオ体操から帰宅後、庭木や盆栽への薬剤散布を行った。花の咲いているサツキを避けての作業だが、それでも1時間20分を要した。薬剤散布は楽しい作業ではないがしばらく好天が続くようだし、いいタイミングでできたと喜んでいる。
 次の散布時期は、サツキの剪定が終わった後なので、6月の10日頃になるだろう。青々とした葉を保ち、よりよく咲かせるためには、水やりとともに欠かせない作業である。

 今日は地元の支部の男性会で「信貴の湯」を訪ねる。入浴後は、小宴会だ。送迎して貰えるので有難い。楽しんで来たい。

(令和6年5月21日 9:20)

引く、はたく

 大相撲に限らず、子どもの相撲でもやってはならないのは、ご存知のとおり、「引く」「はたく」である。
 今日の大の里は平戸海の鋭い立ち合いに遅れ、堪えきれずはたいてしまった。そこをつけこまれ、あえなく土俵の外へ。2敗目を喫してしまった。
 琴櫻は2敗を守り、並んだ。復帰した高安は、何なく豊昇龍を転がした。拙宅では、食べ物に始まって何から何まで好みが一致しないのだが、「豊昇龍の態度を苦々しく思う」という点では一致する。思わず「やったー」と三人で叫び、万歳をした(豊昇龍ファンには悪いが)。
 優勝はどちらになるか、混沌としてきた。
 「引く」「はたく」は、人生行路においても避けた方がよい。正攻法で回り道になったとしても、最後にはその方が良い結果に結びつくと思う。そのように信じる。
 『論語』に、「道に小径に由らず」(みちにこみちによらず)という章句がある。「近道をせず、王道を進め」という意味だ。何かで迷ったとき、困難な方を選択したい。いつもそのように思っている。ズルをする者は、一時的には得をすることがあっても最後には負けとなるのである。
 私は、そのように思う。
 大の里も思い直して(反省をして)、正攻法でひたすら前に出る相撲をとってほしい。そうすれば、道は開けるだろう。

(令和6年5月20日 19:25)

大の里 押し出される 毎日新聞提供

サツキは色々

 蓮路苑(れんじえん)のサツキは早咲きから遅咲きまで多品種で、色とりどりである。
 早咲きのものはピークを過ぎ、今花がら摘みの最中だ。遅咲きはまだ蕾がちらほら色づいて来た程度、中間のものがピークを迎えようとしている。毎日のように、友人たちが花を鑑賞に来られる。
 今日は14時ごろから椿などへの薬剤散布を予定していたが、来客のため延期した。明日もよい天気のようなので、ラジオ体操から帰宅後、すぐにやろうと思う。風が無いことを祈る。しばらく好天が続くようなので、好都合だ。

(令和6年5月20日 15:15)

蓮路苑のサツキ
蓮路苑のサツキ
蓮路苑のサツキ
蓮路苑のサツキ

高安

 大相撲夏場所、休場していた高安が本日から復帰する。今日の対戦相手は、豊昇龍だ。豊昇龍ファンには悪いが、今日はぜひとも勝ってほしい。これまでの対戦成績は8対2と、高安が圧倒している。
 大の里の初優勝が濃厚と予想するが、三役入りしてすぐの優勝は昭和34年の安念山以来となる。65年ぶりの快挙である。ぜひ達成してほしい。

(令和6年5月20日 8:35)

5人が休場

 大相撲夏場所、三役以上9名のうち5人が休場という前代未聞の事態となった。
 大の里は今日の大栄翔戦を乗り越えれば、初優勝に向けてこのままいきそうな情勢だ。ケガをしない限り、来場所も12勝は堅いだろう。
 そうすれば、秋場所は大関ということになる。霧島も来場所は10勝を挙げ秋場所は大関に復帰、6大関となる。そうなると、史上初だろう。

(令和6年5月19日 7:20)
蓮路苑

心 得

心 得

 とある人曰く、「人生で得をする人の特徴には、三つがある」と。なるほどと思いながらも、自らの行動を損得で考えるべきではないとも思った。

 その方が挙げた三つとは、「声が大きい」「返信・返答が早い」「先ず動く」である。

 私なりに咀嚼し、まとめてみた。

 

 声が大きい

 声は大きい方がよい。小さい声では、相手に真意が伝わらないことも多いだろう。しかし、適正音量というものがあり、ただ大きければよいというものではない。
 時と場所、目的によって適正音量は変わる。喫茶店やレストランなとでの大きい声は、他の人の迷惑になる。相手からも、「あの人に深い話は……」となってしまう。
 使い分けることが必要だ。リーダーとして指示・連絡をする場合、「ボソボソ……」では失格だ。

 カラオケ歌唱でも、上手な方はサビの部分では強く、他では語りかけるように唄っている。

 

 返信・返答が早い

 連絡を貰ったら、できるだけ早く返答することが求められる。もちろん、電話やメールを貰っても気が付かない場合がある。そのような時、気付いた段階で、すぐに返信する。それがマナーであり、人としての誠意というものだ。返信が極端に遅かったり、返信が無かったりすると、段々と「あの人に連絡しても……」となり疎遠になるだろう。関心が無いと判断されるのだ。「相手になりたくない」と思っている場合は別だ。

 拙速はダメだが、遅いのは話にならない。

 

 先ず動く

 何か事が生起したとき、「どう対処すればよいか、ああしようか、こうしようか」と思い悩む人が少なくない。 
 あれこれと迷ううちに、事態がますます深刻になることも多い。先ずは行動を起こし、動きながら考え修正すればよい。拙速は戒めなければならないが、行動が遅いのは最低だ。

 危機管理の重要性が常に叫ばれるが、危機管理は日ごろからの備えが出来ているかどうかにかかっていると言っても過言ではない。「備え」の元になるのが、自らが心身ともに健康であることだろう。

 事態が収束すれば、きちんと反省・総括をして、それを次に生かすことが求められる。

 

 まとめ

 煎じ詰めれば、やはり『論語』の次の章句に辿り着く。

 

〇己の欲せざる所、人に施すことなかれ

 

〇己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す

 

〇生を求めて以て仁を害する事無く、身を殺して以て仁を成すこと有り

 

 (令和6年5月18日 8:35)

「千代の光」 八分咲き
幹回り49㌢

皐月盆栽

 サツキの盆栽が七分咲きになった。19日(日)には満開になるだろう。

(令和6年5月17日 21:45)

大の里が

 注目の琴櫻と大の里の一戦は、右を差した大の里が一気に出て寄り切った。立ち合いの当たりは五分だったが、差してからの踏み込みが鋭かった。琴櫻は左上手をとったが、何も出来なかった。
 大の里が優勝すれば、名古屋場所は大関獲りの場所となる。名古屋において、12勝を挙げ準優勝以上であれば大関昇進濃厚だ。

(令和6年5月17日 18:15)

周章狼狽

 周章狼狽(しゅうしょうろうばい)は、「泰然自若」の対義語だ。予期しないことに出合って、ひどくあわてふためくことを言う。うろたえ騒ぐことだ。「周章」と「狼狽」は、どちらもあわてうろたえるという意味である。

「狽」は伝説上の獣で、前足が極端に短くて後足が長い。狽が狼の後ろに乗るようにして二頭は常に一緒に行動するとされる。離れると動けず倒れてしまうことから、うまくいかない意、あわてふためく意に用いる。「周章」に「狼狽」を添えて意味を強調している。

 右往左往」も、同義語である。

 

 現役の頃の話だが、学校には保護者や地域住民、議員なとが抗議や、ときには難癖と思われるような事をもって乗り込んで来られることがある。
 とある校長は、ふだんは教職員に対して偉そうにしているのに、そんなとき自らは対応せず、「不在と告げなさい」と言って校内を逃げ回ることがほとんどだったと……。
 周章狼狽、右往左往せず、そのような時こそきちんと対応をして収めるというのが長としての務めである。逃げては、教職員との信頼関係は醸成されない。保護者や地域住民からの協力を得ることも出来ない。

 日ごろから、何が起ころうと周章狼狽しないように心身を鍛え胆力を養い、準備を怠らず、天災・人災に備えることが求められる。そうすれば、「泰然自若」の境地に近づくことになるであろう。

 私は、保護者や地域住民、また議員などからの訴え・申し出については、三つに分類して即決即応に努めた。
 一つは、負担が大きくなっても学校独自でやれることについては「今日からやります」と、二つ目は「学校だけの力では無理です。保護者・地域の支援・協力を得て時間をかけて努めます。協力をお願いします。時間をください」である。三つ目は、「国や都道府県、市町村など行政で対応していただく案件です。学校としては、教育委員会に働きかけます。みなさんからも行政に訴えてください」と。とにかく、抗議、訴えには傾聴し、回答をすぐに返すことが求められる。聞くだけに終わっては、不信感が増幅する。

 抗議・訴えに訪れる人は、基本的に学校に関心のある人だ。チャンスと捉え即決即応に努めることによって、逆に「応援団」になっていただける。これは、民間企業においても同様だ。

 「意志あるところに道は開ける」、とにかく逃げないことが大事だ。


(令和6年5月17日 9:20)

今後を占う一戦

 大相撲夏場所、本日6日目、小結大の里が大関琴櫻に挑む。
 今場所の優勝は、今日の勝者になる可能性がひじょうに高い。そればかりでなく、私は今日勝った方が先に『横綱』に昇進するだろうと占う。
 大一番の熱戦に期待する。

(令和6年5月17日 5:30)


台風のような

 朝8時ごろから終日、台風のような強い風が吹き荒れた。
 低い位置に置いていた盆栽が、横倒しになった。幸い、被害は免れたが……。

(令和6年5月16日 18:45)

皐月盆栽

 サツキの盆栽は一鉢だけである。
 今日現在、四分咲きくらいだ。「千代の光」という品種で、根張りがとてもよい。幹回りは、49㌢である。
 3日後には、満開になるだろう。

(令和6年5月15日 20:40)
皐月「千代の光」
幹回り 49㌢

訂正

 会報『矍鑠』第27号(5/10発行)の巻頭言で、安堵町安寿会連合会の会員減少数を44名減としたが、正しくは22名の減である。昨日、安堵町安寿会連合会の松井会長から指摘された。お詫びして訂正する。

(令和6年5月15日 19:40)

論語に親しむ会

 本日の『三生連論語に親しむ会』第128回例会は、私自身少し疲れ気味だったが、みなさんと一緒に『素読』すると調子が戻った。
 受講者も大きい声で読むことが出来ている。

(令和6年5月15日 19:30)


更新確実

 ホームページへのアクセス数が、本日4300回を超えた。半月でのこの回数は、凄いとしか言いようが無い。
 月間記録を大幅に更新することは間違いない。

(令和6年5月15日 19:15)

郡生連会長会議

 夕刻から郡生連の会長会が開かれ、社会見学やカラオケ大会などの件を協議した。会長が関係を密にし懸案事項について協議することは、とても有意義である。
 とにかく、「生駒郡はひとつ」というスローガンを大切にし、絆を深めることが大事である。他の郡市には無いことである。

 話が全然変わり大相撲だが、高安の休場は残念至極である。調子がよかっただけに、本人が一番辛いだろう。

(令和6年5月14日 19:20)

 朝は気温が低かったが、今13時前だが日差しがとてもきつい。雑木盆栽(カエデ・モミジ・ケヤキなど)の葉焼けが心配される。午後は日陰になる場所など置き場所に工夫が必要だ。出来れば、10時以降は……。
 葉焼けさせると紅葉に支障が出るし、酷い場合は、枝枯れしてしまう。
 雑木が黒松などより手がかかると言われる所以だ。
 サツキの盆栽(千代の光)も1割程度開花してきた。この樹は、幹回りは49㌢ある。鉢に立てかけているハサミで、樹の大きさを感じてほしい。

 今夕は、生駒郡生き生きクラブ連合会の会長会がある。

(令和6年5月14日 13:00)

サツキ 「千代の光」
昨年5月20日
令和3年
令和3年

高安

 大分以前に「白鵬」が、「まともに相撲をとれば『高安』が一番強い」と言ったそうだ。
 昨日、今最も勢いに乗る「大の里」戦、相撲をとらせず圧倒した。
 期待されながら、まだ一度も優勝したことがない。今場所、ぜひ賜杯を抱いてほしい。

 阿炎も調子がよい。昨日は、豊昇龍を圧倒した。初日は負けたが、体はよく動いていた。期待したい。

(令和6年5月14日 5:10)

「敬意を」

 昨日のハイキング、14:30頃までずっと雨が降り続いた。そういう中であっても、参加者から不平不満、文句のひとつ出なかった。参加者全員に対して、敬意を表する。
 みなさんのご協力により何とか終えることができたが、、運営面で課題の多い行事となった。
 次に生かさなければならない。

 (令和6年5月14日 4:30)
一瞬傘を閉じて

 三生連のレベルの高さを改めて実感した「ハイキング」だった。
 解散直前まで降り続いた雨の中、愚痴をこぼさず、参加者は紳士・淑女の態度だった。敬意を表さずにはおれない。恨めしい雨であったのに、誰一人として不平不満を。大した方ばかりである。

 (令和6年5月13日 21:00)

大の里

 昨日の、大の里の相撲を何度も繰り返し観た。
 あの相撲を見る限り、九州場所には「大関」へ、来年春場所には「横綱」への昇進も夢では無い。琴櫻もうかうかしていると抜かれるかも知れない。そんな勢いを感じさせる相撲だった。

(令和6年5月13日 7:25)

雨中のハイク

 前線の移動が早くなり雨の上がるのを期待したが、叶わなかった。本日のハイキングは、少なくとも午前中、雨中となる。これだけは仕方が無い。
 もうすてに6名の欠席連絡があった(理由の多くは雨以外のことだが)。もしかしたら、もう少し欠席者が出るかも……。
 本日休まずに参加される方には、敬意を表したい。
 雨で緑は、一層生き生きとした様相を呈してくれるだろう。「雨もまた楽し」の心境で臨みたい。

(令和6年5月13日 7:15)

横綱・大関総崩れ

 大相撲夏場所(東京・両国国技館)が始まった。
 横綱・大関の全員(5人)が敗れた。初日としては、史上初ではないだろうか。

(令和6年5月12日 18:30)

3100回超

 昨日、今月の本ホームページへのアクセス数が、3100回を超えた。

 明日のハイキングは、雨天決行だ。電話等での問い合わせはしないでいただきたい。午後には、止むようだ。雨が降ると足元が辛いが、緑の鮮やかさは際立つ。
 昼食の予約は、キャンセルができない。「雨もまた楽し」の気持ちで参加しよう。

(令和6年5月12日 9:00)

ハイキングは雨か

 13日(月)は本連合会のハイキング(山の辺の道)だが、天気予報ではあいにく正午くらいまで雨のようだ。雨でも決行する。
 なんとか降らないでほしいと願うが、こればかりは……。

 本日の中之島図書館「論語塾」の受講者は、53名だった(75名登録)。

(令和6年5月11日 21:40)

『足立美術館庭園』と『蓮路苑』

 『足立美術館庭園』と『蓮路苑』

 自分の庭を持って約47年になる。26歳で建売の家(三郷町三室)を購入し約7年住んだ。そこも64坪あり一から庭づくりを楽しんだが、もちろん和風庭園だった。

 サツキに興味を持ち、盆栽のまねごとを始めた。「蓮路苑」(れんじえん)と呼ぶ現在の庭は、サツキの刈り込み物を主体としているが、それらはこの時代に月刊誌を読み気に入ったポット苗を購入し育てたものばかりである。「筒井」駅近くの国道沿いに、サツキの専門店があった。ゆえに、赤一色では無い。現在大木となったハクモクレンやモミジ、椿なども、苗木から育てたものだ。購入した成木は、黒松と槙だけである。盆栽のまねごとと言ったが、東京での盆栽展にも夜行バスで通うなど、知識や技術の習得には貪欲であった。

 

 東信貴ケ丘へ

 現在の家は40年になるが、東信貴ケ丘で更地を購入して思いどおりの家を建てた。私の設計だ。妻もフルタイムで働いていたから出来た事である。三室の家から樹木も石も運んだ。これには事情があるが、話をすると長くなるのでここでは触れないで置く。

 家を建てたとき移した樹木や石に加え、石を新しくかなりの数入れた。すべて生駒石だ。経費が嵩んだ事は言うまでも無い。多額のローンを組んだが、我ながら大胆な事をしたと思う。ある程度の信用があれば、銀行はそれなりの額を貸してくれる時代だった。妻の両親を始め、身内の者は、さぞかし心配しただろう。

 庭の細部までとことん自らが設計した。景石の配置なども、一切妥協しなかった。それなりに勉強していたから出来たのだ。参考にしたのは、大和郡山の慈光院の庭園だ。何度も訪ねた。「大刈り物」に憧れをもった。

 ご存知のとおり、いい加減なところも多い性格だが賭け事は一切しない。当たり前だが、仕事も真面目にやってきた。運も味方したのだろう、50歳までにローンの支払いは終えた。妻の尽力に負うところが大きかったことは言うまでもない。

 

 足立美術館庭園

 さて、足立美術館庭園の事を知ったのは遅く、20年くらい前である。ただ実際に見学・鑑賞したのは10年くらい前だ。赤松とサツキの刈り込み物が印象的だった。私は手入れで植木業者の手を煩わせたことは現在まで一度も無く、コツコツと日本庭園としての格を上げてきた。黒松の手入れも盆栽で磨いたので本物である。
 足立美術館庭園の事を知ってすぐ頃に、主庭の大改造をした。苗木から育てて来たサツキを生かした庭にしていこうと考えたのだ。主庭からは、背の高い樹は取り除いた。尤も、大木に成長したモミジが道路側から大きく伸びて来ていい風情を醸し出しているが。

 7~8年でサツキの刈り込み物がいい感じになってくれることを想い描いたが、思ったより早く5~6年で想定に近いものになった。
 足立美術館庭園のサツキの刈り込み物を常に意識して来た。人には「足立美術館庭園に負けない庭を」と嘯いて来た。「何を阿呆なことを……」と笑われる方も少なく無い。もちろん、規模に天と地ほどの差があり、赤松も伊予の青石のひとつも無い。だが、手入れだけは負けたくないの思いで手入れをして来た。

 

 自慢の手入れ

 自慢できるのは、花が終わった後に刈り込はさみを使って刈り込むが、その後は大久保はさみなどの手はさみで徒長した芽を摘む。7月から10月末まで、そして春になって開花寸前までそれを繰り返す。7月末から8月中旬にかけてできる花芽を摘まないようにして、樹形を維持する。花芽ができてから後に、刈り込みはさみは使わないことを徹底するのだ。そして、2月中旬から10月末にかけて、8~9回の害虫予防のための薬剤散布を行う。そして、夏場はもちろん、冬場でも5日も晴天が続くならば、水やりを欠かさない。47年の経験から言うと、「花木は冬場の水やりが大事である」と思っている。

 聞くところによると、足立美術館庭園では、秋にも3月にも全体を軽く刈り込むと。年中、大勢の人が鑑賞に訪れる。「少しでも崩れた樹姿をお見せすることは出来ない」という方針からだ。樹形を重視するのだ。刈り込み物の名庭園と呼ばれる所は、同様である。ゆえに、花どきに2~3割しか花をつけない。
 蓮路苑では、姿や形も美しく、びっしりと花をつける。これは、他のツツジ(ヒラド、キリシマ、クルメ)も同様である。「足立美術館庭園に負けない庭を」が実践出来ているのだ。

 20代で庭いじりを始めたときから、それなりにずっと学び続けて来た。樹木について、庭づくについて。何の資格も持たないが、手入れに関しては並みの庭師よりは数ランク上の自負がある。

 サツキは見ごろに

 いよいよ今年もサツキの見ごろが近づいて来た。15日頃からが見ごろだが、赤一色では無いので見ごろは25日頃まで続く。お近くにお越しの節はお寄りいただければと思う。千客万来だ。なお、「蓮路苑」の由来だが、蓮路は私の号である。私のペンネームは、伊豫於 蓮路(いよお れんじ)だ。

 

(令和6年5月11日 4:30)

蓮路苑
足立美術館庭園
蓮路苑
蓮路苑 手前はクルメツツジ 奥はキリシマツツジ

精進に努める

 明日は中之島図書館での「論語塾」だ。9年目に入っており、137回目となる。三生連での講義など、他の講義を含めると630回となる。
 千回をめざしているが、道半ばである。今のペースでいけば、85歳くらいで達成できる見込みだ。私も学んでいる大阪狭山市で開かれている『南河内照隅会』の山本塾長は現在88歳、『論語教育普及機構』の加地氏も88歳である。
 私にとっても、可能性は無限だろう。精進に努め、飽くこと無く可能性を追求する。そのためにも、摂生に努め学び続けなければならない。

(令和6年5月10日 19:00)
蓮路苑のサツキ 見ごろ近し
蓮路苑
蓮路苑

『矍鑠』第27号 後記

照 隅 今号は最多の20頁となった。頁数が多ければよいというものではなく、内容が肝心だ。向上に努める。折や綴じ、製本作業は、全役員の共同作業で行う。制作には、結構、手間暇がかかっている。お読みいただきたい▼年度末、年度初めは、「やらなければならないこと」が山積する。手をこまねいていると溜まり大変な事になる。てきぱきと片づけ、会のために少しでも役立っていると思うとき、喜びを感じる。苦労が大きければ大きいほど、その喜びは大きい。論語・雍也篇に『之を知る者は、之を好む者に如かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず』【頭だけで知る者は、好んでやる者には及ばない。好んでやる者は、楽しんでやる者には及ばない】と。何でも楽しんでやれるようになれば、言うこと無しだ▼本連合会の業務も、省力化(スリム化)していくことが求められる。そうしないと、次期会長の担い手が見つからない。とにかく、後継者探しは末端の支部のみならず、三生連本部においても喫緊の課題である▼ツツジが終わり、そろそろサツキが見ごろを迎えようとしている(サツキもツツジだが)。私にとっては、「庭いじり」が大きな生きがいでもある。たまに嫌なことがあっても、庭に出れば気分はたちまち爽快となる。3月に『庭門』を新調したが、檜皮に苔が生じ庭に馴染むようになるには10年はかかりそうだ。それまでは元気でいたいものだ。いや、90歳までは脚立の上に立つつもりだ。もちろん電動のトリマー(バリカン)などを使うつもりはない。前庭のクロマツの調子が頗(すこぶ)るよい。拙庭に植えて47年になるが、手入れで誰にも触らせたことがない。年々、樹格が上がっていると悦に入る。永年、あまり上手でない職人の手を煩わせていると、年々、樹格を下げてしまうことも多々ある。そういったクロマツがあちらこちらに……。尤も「お宅のクロマツの事ですよ」などとは、口が裂けても▼仕事であれ、趣味であれ、現状に甘んじては進歩が無い。常に上をめざして、学び続けることが求められる。「キープ・チャレンジング・マイセルフ」だ。大阪・中之島図書館での論語塾で講師を務めているが、9年目に入り受講者数だけは日本一と言われるようになった。「内容でも一番だ」と言われたいが、そのためにも、反省をもとに、学びに磨きをかける必要が。論語塾を運営する会社が、出席者に毎回アンケートをとる。それによれば、常に満足度80%強を維持している。4月は、87%を記録した。受講者のニーズに沿っていると言えなくもない▼春爛漫、百花繚乱である。何処を歩いても新緑が美しい。月末からは、サツキなどの剪定も始まる。刈り込みハサミの研ぎは終え、準備万端。盆栽の生育も順調だ。今年も秋の文化祭には、数鉢を出展する。

(5/10発行 「矍鑠」第27号から)

「矍鑠」第27号巻頭言

 5年ぶりに総会を開催

 

 令和6年度がスタートした。

4月23日に主賓として木谷 慎一郎 新町長をお迎えし、5年ぶりに「総会」を開催した。「生駒郡生き生きクラブ連合会」松井会長のご出席も賜った。多数の会員にご出席いただいた中、初めての試みとして、酒井 久夫 (毅朴会会長)氏による『講演』の時間もとった。『楽しく生きるヒント』をテーマに、示唆に富んだお話であった。

 さて、早いもので会長として6年目に入った。「光陰箭の如し」である。惰性に流れることなく誠心誠意努める覚悟に、揺るぎは無い。「三生連」の結束をさらに図り、飛躍の年にする。

会員の皆様には、これまでにも増してご協力を賜りたい。よろしくお願い申し上げる。

  

 第1回支部長会

 4月5日に、本連合会の最高議決機関である『支部長会』の今年度第一回を開き、別掲のとおり、決算・予算等が承認された。

 コロナ禍は完全に一掃されたわけではないが、マスク着用の義務がごく一部を除いて無くなったことはうれしい限りだ。何かと活動しやすくなった。

 支部長の皆様には、いつも何かとお世話をお掛けしているが、なお一層のご支援とご協力を仰ぎたい。

 

 会員数は725名

 3月末日をもって、「サンクラブ」(会員8名)と勢野第一(19名)の両支部が解散となった。大きな痛手だ。「支部長の後継者が居ない」ということが主な理由である。他支部との合併も模索したが叶わなかった。一部の会員は、直属会員となられた。他の方もぜひそのようにと願う。 

 4月1日現在の本連合会の会員数は、725名(男316名 女409名)となった。昨年比68名の減である。減少数は、生駒郡4町で最も大きかった(安堵町44名・平群町53名・斑鳩町44名)。会員減は、甚だ残念なことだ。なお、支部別の会員数は別掲のとおりだ。

 

 会  旗

 総会では、壇上背景に国旗・町旗と並べて2年前に制作した会旗を掲げた。これまで支部長会や「友愛のつどい」の折には披露してきたが、総会では初めてだった。どの市町村連合会も「会旗くらいは……」と思うが、県老連も持たないようだ。見たことがない。

 覚えておいでだろうか9年前までは、総会時に国旗を掲揚していなかった。国歌斉唱もなかった。私は支部長として出席したが、大勢が出席しているのに「締まりのない総会」というのが印象だった。

 

 顧問の片岡 雅基 氏退任

 片岡 顧問が3月末をもって退任された。副会長1年・会長4年・顧問11年の計16年の永きに亘って、本連合会の発展に尽力された。まだまだご健勝なので慰留に努めたが、90歳を節目としたいということだった

 総会において、感謝状と功労金を授与した。なお、カラオケ同好会「さけび」の代表は今後も続けられる。よって、郡生連のカラオケ大会等ではあの美声を引き続きお聞かせいただける。氏のますますのご活躍を祈りたい。

 

 支部長交代 

 三室支部で、支部長の交代があった。

三室支部

 中尾 謹三

   ↓

 山口  明

          (敬称略)

 退任された中尾氏には、これまでのご尽力に対し心からの慰労と御礼を申し上げる。「もっともっと引き続き支部長を」と思ったが、三室寿クラブの会則が許さなかったのだろう。

 そのような中、5日の支部長会で山口新支部長から会則の改定が為されたことをお聞きした。中尾前支部長のご英断に拍手する。これで意欲のある人は継続できるようになった。中尾氏の見事な置き土産である。総会時にお会いできたが、私がバタバタしていたので挨拶を交わすのみだった。

 

 「本部直属会員制度」

 先にも触れたが、住んでいる地域に支部が無い方などの受け皿として、令和4年度から「本部直属会員制度」を設けた。希望者は年会費千円を納めて、三生連本部に直属会員として登録していただく。会員としての権利をすべて有するが、「支部長会」には出席できない。なお、在住地区の支部を退会して直属会員になろうとする場合は、本部「役員会」の承認を必要とする。

 新規に三人の方が直属会員となられた(4/1現在)。今後増えるだろう。

 

 『矍鑠』の名称は定着

 本会報の名称は、第2号から『矍鑠』とした。当時副会長で2代目編集長となった私が提案した。パッと見て聞いて、三生連(当時は三老連)の会報とすぐに分かるインパクトのあるものがよいと考えた。

 『矍鑠』の語源・由来は、意味・歳をとっても丈夫で元気のよいさま。 

 出典・後漢書(ごかんじょ)の馬援伝

 

 古代中国において、62歳という当時としては高齢(現在で言えば、80歳代か)の馬援が敵陣に立とうと光武帝に申し出たが、帝は老齢を気遣い許さなかった。元気だった馬援は甲冑をつけて馬に乗り、威勢を誇示したところ、光武帝は「矍鑠たるかなこの翁は」と感嘆したという故事から来ている。

 矍は、眼をきょろきょろさせ、素早く反応するさま。鑠は、輝くさま、あるいは、生き生きして元気がよいさまである。

 改称に当たって、一部の方が反対された。「難し過ぎる」「馴染まない」「ひらがな、あるいはカタカナがよい」などと言われたが、納得できる合理的な理由では無かった。私は「…だより」とか「…ニュース」とか、「安易で芸の無いもの」は好まなかった。『矍鑠』は最初は馴染まなくとも、一年、二年と経つうちに必ず馴染んでくるとの確信があった。であるから、反対意見をある種強引に押し切った。今号で27号となったが、結果は言わずもがなである。

 現在、郡内、県内はもとより、県外の方からも、「『矍鑠』とは大したネーミングだ」との声を多く耳にする。月日を経るごとに馴染み、確実に定着したと思われる。当時反対された方は、今どのようにお思いだろうか。

 さて、私はしばらく編集から離れていたが、お気づきのとおり、今号から再登板した。これまでご尽力をいただいた大浦 幹文編集長(副会長)には、心からご慰労申し上げる。

 今後も「よりよき」をめざして努める。会員諸氏の積極的な寄稿に期待する、

 

 会報のカラー刷りは

 より鮮やかに、会員の皆様がより読みやすいようにと、今号からカラー刷りにしようと模索した。結論から申し上げると、残念であるが断念せざるを得なかった。経費の問題である。

 会報『矍鑠』は、第2号から町文化センター印刷室の輪転機を使わせて貰っている。とても有り難いことだ。昨年度までは、使用料はセンターのご好意で無料だ。町内の高齢者のためにボランティアとして努めていることを評価していただいているのだろう。カラー刷りに当たっては、インク代をお支払いしようと町社会福祉協議会の事務局長補佐に試算して貰ったが、枚数が多いだけに、予想以上の金額となった。とてもお支払いできるような額では無かった。おうちでプリンターを使用されている方はご存知のとおり、インクはとても高価である。業務用輪転機の場合は、想像以上となる。

 会員の皆様に今号からカラー刷りの「矍鑠」をお読みいただければと考えたが、叶わなかった。残念だが仕方がない。

 今までどおり白黒だが、編集子をはじめ役員は「よりよき会報」をめざしてこれまで以上に汗をかくつもりである。会員のご協力を得て、他に誇れる、羨ましがられる会報にしていく。なお、今年度、『矍鑠』は年4回の発行とする。どしどし、寄稿願いたい。今号は、お陰様で20頁となった。 

 

 春のハイキング

 12月5日に「社会見学」と合併して実施した昨年度の「秋のハイキング」は、とても好評だった。今年度も秋は、あのような形で実施できればと考えている。

 春のハイキングは開催日が迫っているが(5月13日・参加申込者29名)、『山の辺の道』を歩く、参加者全員の協力で以て楽しい行事にしたい。好天になることを祈る。

 

 三生連のホームページ

 三生連のホームページを立ち上げて5年になる。多くの方がスマホをお持ちであるのに、まだ一度も、「三生連のホームページ」をのぞいたことがないという会員が多いのは残念だ。『会長から』などを、できるだけ更新するように努めている。ぜひお訪ねいただきたい。初めてだという方向けに訪ね方を説明する。

➀ 音声入力で「三郷町生き生きクラブ連合会」と検索する。もちろん、文字入力でもよい。

➁ 「三郷町生き生きクラブ連合会」と出てきたら、それをクリ

ックする。

➂ 三生連の説明をずっと下げていくと、「News」や「会長挨拶」「事業方針」などが出て来る。

➃ 今度は、一番上まで戻る。

➄ 左の上の方に「Menu」が出ているので、これをクリックする。 

➅ すると、縦にメニューが出て来る。ここで興味のあるものを見ていただく。ほぼ毎日更新しているのは「会長から」である。

➆ この要領で、「Menu」からお好きなものを選んでいただく。

 わりと簡単である。時間のあるときに、ご覧いただきたい。今回の説明を見ても分からないという方は、分かる方にお聞きするのが早い。尋ねられた方は、面倒臭がらずにご教授を……。

 

 町文化祭に多数の出展を

 前号でもお願いしたが、毎年、秋に開催される「町の文化祭」に一人でも多くの方の出展を強く希望する。衰退しつつあるとも言える「町の文化祭」を、『三生連』が核となって昔のような賑わいを取り戻す。

 協力の度合いが特に顕著な支部には、何らかの形で厚遇したいと考えている。総会出席者の会員比割合の高かった支部にに対しても同様だ。

 文化祭への出展については、今現在すでに前向きで建設的な意見・要望をいただいている。有難いことだ。

 

 新町長を表敬訪問

 4月2日午後、木谷 慎一郎 新町長の就任お祝いのご挨拶のため、恒川副会長とともに町長室にお訪ねした。

 先ずは、当選お祝いを申し上げた後、本連合会の現況をご説明した。その後、幾つか要望をお伝えした。

 新町長には、前町長以上に、「高齢者福祉の充実」に努めていただけるだろうと期待している。とても有意義な訪問になったと思う。

(5/10発行 会報「矍鑠」第27号 巻頭言から)

令和6年度総会

2200回超

 本日、今月のアクセス数が2200回に達した。

(令和6年5月8日 17:35)

会報第27号完成

 本日、会報「矍鑠」第27号の製本作業を、役員・顧問で行った。
 支部長には、お手数だが会員への配布をお願いする。発行日は、5月10日としている。なお、次号は8月初旬の発行予定だ。会員の皆さんからの積極的な寄稿に期待する。

(令和6年5月8日 17:25)

会報印刷

 午後から恒川・西村両副会長と会報『矍鑠』の印刷を行った。
 私のミスもあり、3時間も要した。尤も A3 5枚裏表、3,500枚なので、簡単な作業ではないのだが。
 明日は、折り・綴じなどの作業が待っている。印刷に至る前の原稿集め、編集作業も簡単ではない。会報の作成は、結構大変な労力を要する。
 しかし、そういった苦労も、しっかりお読みいただければ報われるというものだ。
 今回は20ページである。お楽しみに。

(令和6年5月7日 19:30)
足立美術館 庭園
蓮路苑
足立美術館 庭園
蓮路苑

会報第27号

 役員並びに顧問の方に連絡

 予定どおり、明日(8日)13時30分から会報「矍鑠」第27号の製本及び支部への仕分け作業を実施する。
 お手数をお掛けするが、ご協力をお願いする。

(令和6年5月7日 7:10)

再び雨

 6時前から雨が止み、ラジオ体操は外で出来た。だが、終わった直後から再度降り出し、傘を持参していなかったので濡れてしまった。
 体操が外で出来たのでよしとしたい。

(令和6年5月7日 6:55)
足立美術館 庭園
蓮路苑

会報印刷

 現在、小雨が。予想していなかった。早い時間に止むのだろうか。
 今日は午後から、会報「矍鑠」第27号の印刷をする。
 スムーズに進むことを願う。

(令和6年5月7日 5:20)

 

明日ご退院

 先月24日から入院加療中だった本連合会の理事が、明日退院できることになった。全会員で、順調な回復を喜びたい。
 帰宅後も無理をされず、静養(療養)に努めていただきたい。

(令和6年5月6日 18:05)
 

今日は雨か

 いい天気が続いたが、今日は雨のようだ。今のところ降っていない。ラジオ体操が終わるまでもってほしい。

(令和6年5月6日 5:55)

空海展

 空海の生誕1250年を記念して、奈良国立博物館で『空海展』が開催中だ(4/13~6/9)。本日、鑑賞して来た。

 近鉄奈良駅から東大寺方面にかけての人込みは尋常では無かった。8割は外国人のような気がした。白人が多い。昨今の来日客の特徴は、白人が多いことだ。「戎橋筋」や「心斎橋筋」でも同様だ。

 秋の『正倉院展』では1時間くらい並ぶのは普通であり、「今日も40分くらいは……」と覚悟したが、意外にも10分程度で入場できた。館内は、かなりの人だったが。

 他の事と同様、空海(774~835年)についても私は勉強不足で、これまで人並みにしか知らなかった。『遣唐使の一員として中国で仏教を学び、それを持ち帰って真言宗の祖として仏教を広めた。高野山も開いた。能筆家としての名声も高く、「三筆」として現代でも称えられている。最澄に宛てた手紙として遺る国宝『風信帖』(ふうしんじょう)は、中学校の教科書にも出てきた。後世の人が弘法大師と呼んだ』といった程度だった。

 

 本展のホームページには、

 「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん。」(『性霊集』巻第八)(この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける)

 「衆生救済を願った空海が人々を救うためにたどり着いたのは密教だった。空海は中国・唐にわたり、師匠の恵果(けいか)から密教のすべてを受け継いだと言われる。密教がシルクロードを経由し東アジア諸地域、そして日本に至った伝来の軌跡をたどることにより、空海が日本にもたらした密教の全貌を解き明かす。また、多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現するとともに、各地で守り伝えられてきたゆかりの至宝を一堂に展示し、空海と真言密教の魅力を紹介する」と。

 ウィキペディアには、『天台宗の開祖最澄と共に、日本仏教の大勢が今日称される奈良仏教から平安仏教へと転換していく流れの先頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家でもあり、嵯峨天皇橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に「三筆」のひとりに数えられている。仏教において、北伝仏教の大潮流である大乗仏教の中で、ヒンドゥー教の影響も取り込む形で誕生・発展した密教シルクロードを経て中国に伝わった後、中国で伝授を受けた奥義や経典・曼荼羅などを、体系立てた形で日本に伝来させた人物でもある』と。

 

 空海は、香川県で生まれたという説が有力で、14歳のときに平城京に上り、論語・孝経などを学んだ。その後の修行についてはさまざまな説があるが。31歳のときに遣唐使の一員として入唐した。その直前に得度したという説が有力である。このときの遣唐使の一行には、この時期すでに当時の仏教界に確固たる地位を築いていた最澄もいたが、空海はまったく無名であった。
 

 本日は、約90分をかけて鑑賞見学した。最近何かと忘れっぽくなり、家人から「お父さん、大丈夫」と『認知症』を疑われている。そのような私の大脳では、なかなか「眼からうろこ」のようには深くは理解できない。だが、最近何かで知ったが、2~3ヵ月に一度は美術館や博物館、コンサートなどに出掛けることがボケの進行に多少なりブレーキをかけることになると……。「庭いじり」や「菜園づくり」も有効だろうが、これに加えて文化的な刺激も大事であることに疑いの余地はないだろう。電車に乗って出かけるのは億劫だが、たまには出かけて行かねばと思うのである。

 記している最中、妻から声がかかった、「くうかい」と。夕食の位置に着けと言う合図だろうが、自らが出展した美術展に行かず「空海展」に赴いた皮肉だろう。 

 

(令和6年5月5日 18:45)

ここだけが撮影可
奈良国立博物館の庭
風信帖 「ウィキペディア」から

紫陽花

 アジサイの色づくのはまだ先だが、花が目立ってきた。
 紫蘭が、今美しい。

(令和6年5月5日 8:50)

アジサイ(墨田の花火)
白の紫蘭

のべおか

 昨日は奈良市内で最高気温が30度を記録したと、三郷町でも28度くらいを記録したのだろう。
 「ダイヤモンドゲーム」と銘打った長距離レースに特化した競技会が、昨日、延岡(宮崎)開かれた。35回目の開催であった。
 ユーチューブで実況中継されたが、17時半から22時まで延々と観た。5000㍍のレース男子8組、女子2組の、計10レースである。
 テレビを独占したので、家人から顰蹙を買った。もっとも、妻も少しは興味を持っているので、時々は見ていたが。

(令和6年5月5日 5:45)

3日で1100回超

 今月の本ホームページへのアクセス数は、3日で1100回を超えた。1日が364回、2日350回、昨日は396回だった。
 驚くべき数である。

(令和6年5月4日  8:15)

みどりの日

 4連休の2日目「みどりの日」、今日明日、快晴だ。国旗も青空に映える。
 サツキの花の蕾も目立ってきた。一部は咲き始めた。

(令和6年5月4日 8:00)
下の白い花は白の紫ラン

昨夜の1万

 昨夜の日本選手権1万㍍は、好調が伝わっていた葛西(旭化成)が歴代4位の好記録で勝った。社会人2年目だが、学生時代から堅実でクレバーな走りが際立っていた。いずれマラソン五輪代表として活躍するだろう。
 3位には東京農大の前田が入った。学生新記録だった。こちらも将来性豊かである。
 今日明日と延岡(宮崎)で、恒例のゴールデンゲームズという大会が開かれる。昨日は出場しなかった(出来なかった)選手が目白押し、こちらでも好記録が続出しそうだ。ユーチューブで生中継される。

(令和6年5月4日 5:48)

挿し木

 つい先日、先輩役員が拙庭の平戸ツツジ(白)の挿し木をしたいと言われるのでお手伝いした。
 80歳を超えても、これから挿し木をして自宅の庭をより豊かにしようという心意気に強く打たれた。こういった方は、「認知症」などといったものとは無縁だろう。
 私も「認知症」を追いやることを兼ねて、本日、私も白とピンクの平戸ツツジ30本を挿した。うまく根を張り、順調に生長してくれることを願う。午前中には、平戸ツツジの剪定もした。

(令和6年5月3日 16:20)
挿し木の一部
選定した平戸つつじ
平戸ツツジ

1万 日本選手権

 今夜、男女1万㍍の日本選手権が行われる。19時25分からNHKテレビで実況中継がある。パリ五輪の代表が、絞られる。お見逃しなく。

(令和6年5月3日 5:45)

その後の

 4/25に病で手術をお受けになられた本連合会役員のその後の経過だが、順調との事、うれしい限りだ。
 病室でも、本ホームページをご覧いただいているようだ。近いうちにお元気な顔を見せていただけそうである。本当によかった。

(令和6年5月2日 20:35)

焼肉

 大阪市内に住む妻側の姪の旦那が訪ねてくれた。それも「焼き肉をしましょう」と上等の肉とコンロまで持参して。
 天気もよかったので、焼き肉は庭でやりたかったが、妻の希望で家の中でやることになった。「食材等を運ぶのに便利だから」との理由だ。
 牛タンやハラミなどを腹一杯食した。キャベツ・ニンジン・玉ねぎ・もやしなど、野菜もふんだんに。その後、デザートを楽しみ、コーヒーなどを飲みながら、政治・経済など多岐に亘って語り合った。10時半前から17時前まで、6時間半の長時間に及んだ。年齢は二回り以上違うが、ウマが合うというか、合わしてくれているというか……。とても愉快な時間を過ごせた。

(令和6年5月2日 19:00)

ひととおり

 年度当初、総会も開かぬばならないし、いろいろの報告書等を各方面に提出する必要がある。
 昨日、ひととおりを終えることができた。やれやれといったところだ。

(令和6年5月2日 9:30)

霧ケ峰の冷気

 快晴だ。冷気が気持ちよかった。
 学生時代、夏の合宿練習で信州「霧ケ峰」を訪れた。早朝、薄っすらと霧がかかり心地よい冷気の中、朝練習で走った。今朝、その時のことを思い出した。53~54年前の事だ。
 今改めて振り返れば、贅沢な事をさせてもらったと……。思慮が浅く、そのようにできることに当時は感謝の念が薄かった。親から費用を出して貰ったからこそ合宿に参加できたのに、当り前のように思っていた自分が恥ずかしい。もっと感謝の気持ちを持ってトレーニングに打ち込んでいたならば、さらに上をめざせただろう。
 この年齢になって、改めて両親に感謝している。

(令和6年5月2日 9:30)

雨多し

 今年は、雨の日が多い。
 例年、3月は雨量が多いが、今年は2月も4月も多かった。雨の降る朝、ラジオ体操は自治会館の中で行うことになるが、今年は圧倒的に多かった。
 庭に直径約60㌢、高さ約90㌢くらいの瓶を置いてあるが、雨で約8割の高さまで溜まっている。この季節、例年は20㌢程度だ。
 雨は植物にも人間にも欠かせないが、こう雨が多いとうんざりだ。昨日も雨量は大したこと無かったが、間断なく降り続いた。であるから、庭いじりが滞った。まだ夜が明け切っていないが、今日は晴れのようだ。

(令和6年5月日 5:00)

過去最高

 4月の本ホームページへのアクセス数は5224回で、過去最高となった。
 1日平均174回、喜ぶべき数字だ。

(令和6年5月1日 8:20)

午前様

 昨夜は先輩友人と「布施」で待ち合わせ会食を。久しぶりに、帰宅は午前様になった。ゆえに、早起きしての「ラジオ体操会」はきつかった。
 クルメツツジも終わり、明日くらいには剪定を予定している。

 (令和6年5月1日 8:05)
久留米ツツジ

皆勤賞

 「ラジオ体操会」の今月の皆勤者は、10名だった。その中には、米国人のイーサン・ストレブローさんが含まれている。先月末から参加するようになり、早速の「皆勤賞」だ。
 意思の強さに感服、そして、礼儀正しさに敬服する。大した人だ。見習いたい。なお、今月山崎さんが「参加3000回」を達成された。記念品が、「東信貴ケ丘福寿会」から贈られた。3000回達成は、二人目だ。

(令和6年4月30日 7:40)

五輪出場権

 サッカーのパリ五輪出場権をかけた大会の準決勝で、イラクを2-0で破り出場権を獲得した。
 本大会での活躍に期待する。

(令和6年4月30日 5:10)

昭和の日

 本日は「昭和の日」だ。
 昭和の前半は「天長節」(昭和2年〜22年)、その後は「天皇誕生日」(昭和23年〜63年)、昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(平成元年〜平成17年)になり、さらに「昭和の日」(平成19年〜)と変わった。

 「天長節」と呼ばれた天皇誕生日

昭和前半まで天皇誕生日は「天長節」と呼ばれていた。「天は長く地は久し」(老子)からとった言葉で、天地が永久であるように天皇の治世も続くようにという意味が込められている。天皇誕生日を天長節として祝う慣習は8世紀から続く伝統だった。そのため天長節は、明治天皇の誕生日(11月3日)、大正天皇の誕生日(8月31日)、そして昭和天皇の誕生日(4月29日)という具合に天皇が代替わりすると日付が変わった。

 自然の恩恵に感謝する日

 昭和23年に国民の祝日に関する法律が制定されると、それまで「天長節」と呼ばれた日が「天皇誕生日」に改められた。
 昭和天皇が崩御されると、天皇誕生日は明仁上皇の誕生日(12月23日)に移動した。それまでの天皇誕生日だった4月29日は「みどりの日」という祝日になった。祝日法に「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」と定められた。

 

 昭和の時代を顧み、将来に思いをいたす

 

 「みどりの日」は、平成17年の祝日法改正で「昭和の日」に改められ、平成19年から施行された。
 「昭和の日」は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と祝日法に定められている。戦前の「天長節」から数えると3回目の名称変更である。

 玉突きで押し出された「みどりの日」

 18年間続いた「みどりの日」は、玉突きで押し出されたかっこうで54日に移動した。
 後ろに5日移動しても新緑の季節であることに変わりない。新緑がまぶしい季節を迎えるこの時季は、例年「みどりの月間」として、身近な緑や森林に親しんでもらえるようさまざまな緑化行事が行われていた。
 日中はまずまずの天気だ。外に出て、新緑のまぶしさを満喫しよう。

(令和6年4月29日 10:05)

製本作業

 5/8  13時30分から「町福祉保健センター」大広間で、会報『矍鑠』第28号の製本作業を行う。いつも役員・顧問で行っているが、今回は所用で欠席する方が多い。
 今号は20頁と、いつもより多い。支部長などで都合のつく方は、お手伝いいただければ有難い。
 ご協力いただける方は、当日、直接お越しいただけばと思う。

(令和6年4月29日 9:30)

事務所は

 本連合会の事務所は昨日から5/6まで閉所中、御用の方は5/7以後にお越しを。
 春のハイキング(5/13)への申し込みは、29名だった。
 会報28号は5/10の発行、5/8 16時から引き取り可能だ。支部長は、引き取りをよろしく。

(令和6年4月28日 4:40)
平戸ツツジ
右側 モミジ
平戸つつじ

キリシマツツジの剪定

 本日午前、キリシマツツジの剪定をした。クルメツツジも花の盛りを過ぎた。明後日くらいには剪定を……。

(令和6年4月27日 20:40)

カラオケ大会の開会式

 昨日の「郡生連役員会」で、カラオケ大会の開会式の際、極端に観衆が少ないことについて対応策を考えようと、いろいろと意見が出た。昨日はまとまらなかったが、「会長会」でたたき台を作り7月の役員会に諮ることが決まった。

(令和6年4月27日 20:30)

4町連合会の会員数

 昨日の郡生連役員会で、各町連合会の4/1現在の会員数が判明した。下記のとおりである。
 残念ながら、本連合会の減少が最も大きかった。次は汚名を返上したい。

 三郷町 725名 ( 68名減)
 安堵町   783名 ( 20名減)
 平群町 1827名 ( 53名減)
 斑鳩町   641名 ( 44名減)

  計    3976名 (185名減)

(令和6年4月27日 12:25)


郡生連役員会

 昨日、郡生連の役員会が開かれ、事業報告・決算、事業計画・予算を審議した。決算で一部計算ミスがあったが、修正し、すべて承認された。

(令和6年4月27日 5:15)

困知勉行

 中国の古典『中庸』では、人はうまれついた能力によって修養に「生知安行」「学知利行」「困知勉行」の三段階があるとされる。
 この三つは道が違うのみで結果は同じであるから、才能の劣った者でも大いに努力すべきであるとも言われる。

 素質に恵まれているのは幸いなことだが、生まれてから後に如何に「努力」を積み上げていくかが人生において、より大事であると考える。
 素質に恵まれていてもそれに安住して努力を怠ったり、それを他者のために生かさない人が多いのではないか。

 「生知安行」「学知利行」「困知勉行」、三つそれぞれについて記す。


 生知安行(せいちあんこう)
 

 生まれながらにして、人の履み行うべき道を熟知し、心安んじてそれを行うこと。

 「生知」は、生まれつき仁道を理解していること。「安行」は、心安んじて行うこと。また何の努力もせずに道を行う意。

 

 学知利行(がくちりこう) 

 人が履み行うべき道を、生まれてから後に学んで理解し、そのよさを認め、意識的に仁道を実践すること。

 「学知」は道を学び習って知ること。「利行」は役に立つと認めて実行する意。 

 

 困知勉行(こんちべんこう) 

 苦しんで学び、努力して物事を実行すること。

 「困知」は、「苦しみて知る」意で、才能が聡明でないために心を苦しめて悩み抜いたあげくにやっと知ることができること。

 「勉行」は、ひたすらに努力を重ねて実践すること。  

  何れも『中庸』から

 物事がうまく行かなくとも、挫けず諦めることなく、不撓不屈の精神で努力し続けることが大事だ。

 「困知勉行」の姿勢を忘れず、保ち続ける。そうありたい。

(令和6年4月26日 18:45)

黄砂

 本日もいい天気だが、黄砂が酷い。
 中国には毎年、「軍事費の三分の一程度を黄砂対策に回せ」と言いたい。

(令和6年4月26日 8:20)

早い回復を

 昨日手術を受けた先輩役員だが、手術は首尾よく進んだことと思う。夜中、麻酔が切れた後、痛んだことだろう。
 術後回復が順調にいくことをお祈りいる。

(令和6年4月26日 5:30)

校了

 10日発行予定の会報「矍鑠」27号は、昨日校了(校正終了)。印刷は、5/7午後に。5/8午前に折りを、午後から全員で製本発送作業を実施予定。

 本日午後から安堵町で、「郡生連役員会議」が。県老連への報告書も山積、『総会』は終えたが……。

(令和6年4月26日 4:50)

炎の責任感

 本連合会の役員のお一人(小生よりも6歳上)が、大病で昨日から入院された。もしかしたら、本日手術を受けられるのかも……。
 そのような状況であるのに、気丈にも一昨日の総会には出席され、壇上に立たれた。炎のような責任感をお持ちだ。驚くことに、5/13の「ハイキング」にも申し込まれている。まさに、『己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す』である。
 このように気力が充実しているので、間違いなく病魔は消し飛んでいくことだろう。
 早い回復を心から祈念する。役員・顧問一同、同様の思いだ。

(令和6年4月25日 5:10)

青空

 今日は久しぶりに、一面の青空を見ることができそうだ。
 早咲きのサツキが、ぼちぼち咲いて来始めた。モミジの新葉が美しい。

(令和6年4月25日 4:40)
4/25 6時頃

盆栽と鉢植えの違い

 盆栽と鉢植えの違い

 庭いじりなどをしない人は、「盆栽と鉢植えの違いについて説明を」と言われても難しいだろう。
 盆栽も鉢植えも、「植物を鉢に入れて鑑賞する」という点では同じだ。では、その違いとは何か。

 鉢植えは、草花、樹木、全てに適用し、あくまでも「植物」が主役となる。 それに対して「盆栽」は、鉢を含めた全ての景色を大自然として投影し、景色そのものを楽しむものである。自然というものは、必ずしも美しく綺麗なものとは限らない。時に枯れた枝があり、造形的に美しくない場合も少なからずある。そこに存在するのは、確実に木々が経てきた「時間」そのものでもある。 

盆栽は、「植物と鉢を含めた景色をデザインすること」とも言える。盆栽の要件は、樹木を鉢に植えて自然の景色を表現するために美しく仕立てることだろう。  
 樹木をただ鉢に植えただけだと「鉢植え」だが、そこから手を加え、形を整えて、大きな自然を小さな鉢の中に再現していく作品が「盆栽」である。

 初めから「盆栽」としてスタートする樹は、ごく稀だ。最初は鉢植えとして出発し、人が丁寧に手を入れていくことにより、徐々に盆栽としての要件を満たしていく。盆栽においては、まったく同じ親から生まれた植物でも、手入れをする人によって、その姿は大きく変貌していく。大きく奔放に育てる人もいれば、小さく切り戻して作っていく人もいる。そこが一つの面白さであり、盆栽はその人を表すと言われる所以だ。

 そして、大切に育てて貰うことができれば、200年300年先まで生き続けるのだ。盆栽ならではの表現として「席(せき)」と呼ばれる空間の単位がある。盆栽自体だけでなく、その空間のどこにどうやって配置するかを考えることで、そこにないものまで想像させるという点が重要なポイントとなる。

 鉢植えでは、植物の生長に合わせて鉢の大きさを一回り大きくしていくが、盆栽では明確に目指す樹形があるため、鉢は植木よりも小さい傾向にある。また大きさのみならず、形や色合いについてもその樹に合ったものを選ぶことも醍醐味のひとつである。

 とにかく、盆栽は奥が深いと言える。

(令和6年4月24日 18:55)

真柏
黒松
皐月

協力御礼訪問

 本日9時、谷口会長と恒川筆頭副会長の二人で、町社会福祉協議会事務所と町文化センター事務所を訪ね、昨日の総会への支援・協力への御礼と撤収の際の不手際などについてお詫びした。

(令和6年4月24日 13:30)

総会挨拶

 会長挨拶
 
 みなさん こんにちは

 ご出席ありがとうございます。

 木谷三郷町長と生駒郡連合会の松井会長を来賓にお迎えし、五年ぶりに総会が開催出来ました事は大きな慶びです。

 お二人には、ご多用のところご臨席を賜りまして、まことにありがとうございます。心から感謝を申し上げます。

 さて、コロナ禍は完全に一掃されたわけではありませんが、ほぼ元の生活に戻られたでしょう。体調の事とかさまざまな阻害要因もおありでしょうが、百花繚乱の清々しい季節、おうちに閉じこもらず可能な限り外へ出ていただきたいと思います。

 地元の支部におかれましても、今年度はいろいろな行事を企画しているでしょう。本連合会でもさまざまな取り組みをしていきます。会員のみなさんの積極的なご参加を望みます。

 みなさんにとりまして、また三生連にとって、令和六年度も輝かしい一年にしていきましょう。

 甚だ簡単ではありますが、開会の挨拶といたします。

(令和6年4月24日 12:35)

谷口 会長
恒川 副会長
会長前列 松井 郡生連会長・辻顧問・酒井 毅朴会会長・後 谷口 会長

反省

 何事も最後の詰め、締めが大事だ。その点、昨日の総会は詰めが甘かった。すべて私の責任である。大いに反省している。
  概ねうまくいったのだが、印象として詰めの甘さばかりが心に残る。他の行事で、今回の反省を生かさなければならない。

(令和6年4月24日 5:59)

総会終了、大いに反省

 
 今年度の総会は約150名の出席で、盛会裏に終えることができた。「講演」も「余興」も、好評だった。参加記念品の「駄菓子セット」も。
 とにかく、何とか終える事ができたのも、役員・顧問の尽力と、町社会福祉協議会、文化ホール関係者等の協力・支援のお陰である。感謝に堪えない。

 大きな反省点がある。撤収の詰めがひじょうに甘かった点だ。設備・機器等の片付けが最後の最後のところで町社会福祉協議会の職員任せになってしまった。
 予定よりも早く終えた事が、逆に仇となった。撤収の役割分担に抜け落ちがあった。詰めを誤ったと言えよう。何事も最後の詰めが大事だ。
 長たる私の責任である。大いに反省する。

(令和6年4月23日 17:00)

軒下で

 今朝のラジオ体操は、そぼ降る雨に何処で実施しようか迷った。結局、自治会館の軒下で行った。意地の悪い雨である。何とか、午前中は止んでほしい。

(令和6年4月23日 7:10)

あいにくの雨

 あいにくの雨である。
 8:30~13時の間、止んでほしいが、そんなにうまくいくか。
 お天道様に願うばかりだ。役員・顧問は、8:30の集合である。

(令和6年4月23日 5:30)

最終準備

 本日の準備、スムーズに進まないところもあったが、何とか明日を迎えることができそうだ。天気は、あまりよくないみたいである。午前中は、降らないでほしい。しかしこれだけは……。

(令和6年4月22日 18:05)

前日準備

 総会が明日に迫った。これまで長い時間をかけて準備して来た。ただ内容によっては前日でなければ準備できないこともあり、今日は朝から17時まで何かと慌ただしい。
 役員・顧問のみなさんには、よくやっていただくと感謝に堪えない。町社会福祉協議会の駒田 局長補佐然りである。
 とにかくしっかりと準備をし、抜かりないようにしなければならない。

(令和6年4月22日 4:20)


会報「矍鑠」第27号

 本連合会の会報「矍鑠」第27号は、5月10日の発行だ。今号から編集長に復帰しているが、昨日で99%を仕上げた。今回は20頁となる(A4)。これまでで最多だ。出来れば、連休に入る前に印刷を終えたいと思う。

(令和6年4月21日 5:35)

認知症

 総会(23日)を前に扁桃腺を腫らし体調を崩していたが、昨夜は3日ぶりに風呂にも入り、7割程度まで回復した。
 「ラジオ体操会」を休み休養すれば(睡眠を十分に)早く回復しただろうが、そうはしなかった。私が一日休んだからといってほとんど影響は無いのだが、気持ちの上でそうはできない。
そういった気持ちがあれば、まだまだ「認知症」は遠くにあるのかなと思う。

(令和6年4月21日 5:30)


岡本

 小学校では、ソフトボールに熱中した。中学校でも、最初は野球部に入った。肘を痛め、断念し陸上競技に移った。
 プロ野球の話だが、子どものときは西鉄ライオンズのファンだった。稲尾和久投手に憧れた。小学校のとき、年賀状を出すと返事が返って来てうれしかった。
 基本的にアンチ巨人だったが、なぜ王選手だは好きで、監督になってからも応援した。今は球団として特に応援しているところは無い。気になる選手は、巨人の岡本選手だ。奈良県出身ということが大きい。へそ曲がりなので、皆が応援するような人気選手は好きになれない。昔は長嶋、今なら大谷など。
 岡本は開幕から好調だったが、この5試合ほど冴えない。ホームランでも打点でも、ヤクルトの村上を常に上回ってほしいと願っているのだが。

(令和6年4月20日 20:50)

扁桃腺炎

 扁桃腺を腫らし、3~4日前から微熱がある。咳はそれほどでもないが、鼻水が酷い。若い頃から扁桃腺が弱い。大事な時に高熱で失敗した例も少なくない。
 不調だとよいアイデアが浮かばないし、行動も遅くなる。当然だ。
 総会前の大事な時期である。早く元気を取り戻さなければならない。

(令和6年4月19日 4:55)
庭門から主庭
キリシマツツジ満開

参加記念品

 総会時に、出席者に配布する菓子が届いた。前日の22日午後に袋詰めをする。
 大阪柏原市の菓子製造会社に注文しているのだが、営業も配送も60歳前後の女性がお一人で担当すーされる。てきぱきとこなされる姿に大したものだと感心させられる。

(令和6年4月18日 14:35)

地震

 昨夜遅くに、愛媛県宇和島市沖(宇和海)を震源とする大きな地震が発生した。私の生まれ育った土地だ。
 早く寝る私は、朝4時に知った。「ラジオ体操会」から帰宅後、宇和島の従姉妹に電話をした。かなり大きな揺れで怖かったと。箪笥の上の物が落ちたりしたが、大きな被害は無かったと。私の家も大丈夫だと思う。ただ少し離れた所で、何軒も水道管が破裂したようだと……。
  ラジオ体操会でも何人もの方から「大丈夫でしたか」と声をかけていただいた。その後も何人もの人から、メールが入った。有り難い事である。
 被害の詳細は、これから明らかになってくるだろう。

(令和6年4月18日 14:25)

準備は早く

 片岡顧問が3月末をもって退任された。永年のご功績を労い総会時に感謝状と金一封を贈呈する。
 感謝状はオリジナルの文面で手作りする。立派な額も用意し、文面はかなり前に出来上がっていたのだが、肝心の用紙を求めようと本日近辺の店を回ったのだが販売していなかった。
 少し慌てたが、先ほどアマゾンで発注、明日届くことになった。滑り込みセーフといったところだ。もっと早くに購入しておくべきだった。
 いい加減な性格を、またも露呈させてしまった。

(令和6年4月18日 14:10)

総会出席申込者数

総会(4/23)出席申込者数

計 146名

比会員数 ベスト6
 緑ケ丘   65.0 %
 今 井   50.0
   東信貴ケ丘 50.0
 山 上         43.8
   城山台         28.6
   信貴ケ丘  27.4

        ワースト6
   勢野第5         2.9 %
   明 治           5.0
   いわせが丘   5.1
   立野北           6.3
   みさと           9.1
   三 室       10.6 

     
 

弔問

 一昨日、私のところの支部で、男性会員がお亡くなりになった。平均年齢が85歳を超えており、避けては通れないとは言え悲しい。享年93歳だった。
 体調がすぐれずここ3~4年行事には不参加だったが、お会いすると「毎月の会報を楽しみにしている」と笑顔で話された。
 家族葬だが、昨日、両副会長を伴って弔問した。

(令和6年4月17日 7:10)
 

雨上がり

 雨が上がり(一時的かも)、緑が一層映える。クルメツツジも八分咲きになった。モミジの新葉もそろって来た。
 今日は本連合会の「論語に親しむ会」だ。

(令和6年4月7日 6:05)

献身的な

 昨日の「総会」に向けての作業は、役員・顧問の献身的な尽力によりスムーズに短時間で終えることができた。会員のためにという尊い気持ちは、有り難いことだ。感謝申し上げる。

(令和6年4月16日 7:50)

総会資料

 キリシマツツジが七分咲きとなった。夕刻には、ほぼ満開となるだろう。
 今日午前中、本連合会「総会」の折に出席者に配布する資料の印刷をする。
 午後からは、役員全員で折と綴じの作業を行う。終了後、総会に向けての打ち合わせを。

(令和6年4月15日 8:15)

ホームページ

 「ラジオ体操会」に参加の米国人イーサンも、本連合会のホームページを見て貰っていると。何とうれしいではないか。会員諸氏も、もっと見てくれるといいのだが。
 写真は、昨年5月20日ごろ拙庭で撮影したものだ。今年も、昨年並みに期待できる。
 キリシマツツジは、明日くらいから見ごろに。

(令和6年4月14日 7:12)


昨春の拙庭(5月)
昨春のキリシマツツジ(5/15)

松山

 ゴルフ・マスターズ、松山はぎりぎり予選を突破したが、3日目は1アンダーと大きくは伸ばせなかった。上位はまだプレー中だが、現在30位台前半である。最終日は、伸ばして20位以内を確保してほしい。

(令和6年4月14日 5:20)

アイドル

 今朝の「ラジオ体操会」には、特別ゲストが訪れた。今月皆勤の米国人イーサンが長女ホーリーちゃん(3ヵ月)を伴って参加した。
 笑顔の可愛い子で、参加者(推定平均年齢84歳)の臨時アイドルとなり、「体操会」は和やかな雰囲気に包まれた。

(令和6年4月13日 8:30)

霧島と久留米

 霧島ツツジと久留米ツツジが、日曜日には見ごろを迎えそうだ。霧島の見ごろは3~4日、久留米はもう少し長く5~7日くらいだ。
 平戸ツツジも火曜日には、見ごろになるだろう。

(令和6年4月12日 17:05)
霧島ツツジのつぼみ
久留米ツツジのつぼみ

総会

 ゴルフのマスターズ(米国)が開幕した。日本からは松山と久常の2選手が出場しているが、最悪のスタートとなった。
 2日目以降の巻き返しに期待する。

 総会時の講演(酒井久夫氏)の演題が『老後を楽しく生きるヒント』と決まった。楽しみにしていただきたい。なお、参加申し込みは149名である。
1人という支部が3支部、会員比2割に満たない支部が2つもある。残念だ。私のところは、57パーセントである。平均年齢85歳(17支部中最高齢)の支部としては、まずまずだろうか。

(令和6年4月12日 10:40)

おとなりの

 夕陽ケ丘支部でも、西村氏(三生連副会長)を中心に朝の「ラジオ体操会」を開いておられる。一度、お伺いしたいと思うが同時間なので、公欠をとっていかねばならない。

(令和6年4月11日 4:50)

支部長の交代

 三室支部の支部長が、4月1日付で中尾 謹三氏から山口 明氏に代わった。

(令和6年4月10日 7:45)

花冷え

 今朝は「花冷え」と言うのか、息も曇るほど低温となった。「ラジオ体操会」にも、仕舞い忘れていた手袋が役立った。手袋をしていない人は、冷たそうだった。天気は快晴である。
 夜明けが早くなったので、「ラジオ体操会」に出掛ける前に、掃いたり徒長枝を摘んだりの庭いじりができるようになった。
 拙庭のモミジは、新葉がようやく開き始めた。ヒラドツツジも、3~4日で開花しそうだ。
 今日は支部の会報「燦燦」の発行日だ。

(令和6年4月10日 7:40)

花くだしの雨

 昨夕からの雨が、明け方近くにはかなり強く降った。昼前まで、断続的に降るようだ。「花くだしの雨」になるのか、持ちこたえもう少し楽しませてほしいが。

(令和6年4月9日 6:00)

会員数

 4月1日現在の会員数は、725名である。昨年4月から68名の減少だ(廃会2支部27名)。
 減少は残念だが、廃会の27名を除くと41名の減である。自然減もあるので、持ちこたえているとも言える。

(令和6年4月8日 21:45)

花見

 昨日は、12名による大阪狭山池での「花見の宴」だった。花は満開、天気は暑からず寒からずの上々。
 花見弁当は、狭山市在住の会員夫婦に準備して貰った極上の弁当だった。弁当の献立を何日も前から構想し、前夜は夜遅くまで尽力して貰ったのだろう。有り難い話だ。
 「学習会」の後の『花見』は10年くらい前から続いているが、「満開にピタリ」は初めてのことだ。会長が病の床であり、参加できなかったことをさぞかし残念がっていることだろう。
 ご快癒を祈念申し上げる。

(令和6年4月8日 7:40)

三連チャン

 ラジオ体操から帰宅後、家には入らずそのまま庭いじりをした。ケヤキ盆栽の芽摘みをした後、盆栽や庭木に水をやった。その後、南天の整姿を行った。その他いろいろと、2時間超。
 クルメツツジとキリシマツツジが、2~3輪開いて来た。昨日、大阪市庁横を通ったが、キリシマツツジがほぼ満開となっており美しかった。中之島公園の紅カナメ(カナメモチ)も新葉が開き、陽光に輝いていた。大阪市内は、三郷町と比べ5~10日は早い。
 今日は大阪狭山市での論語の「学習会」が終了後、「狭山池」で花見の宴だ。絶好の天気だし、大いに盛り上がるだろう。間もなく出発。昨日も大阪市内での論語塾の後、「飲み会」だった。三連チャンとなる。月曜火曜は、「休肝日」にしようと思う。

(令和6年4月7日 9:05)

向学心

 昨日の「中之島図書館 論語塾」今年度前期(受講申込者75名)の第1回、桜が満開の行楽日と重なり何名の出席があるか注目した。60名は超えるだろうと思ったが、結果は54名だった。
 予想を下回ったものの、私を含み55名の「素読」は圧巻だった。初めての方も15名以上居られたが、よく声が出ていたように思う。
 学びを「行楽」に優先した方、その向学心には頭が下がる。受講後、「花見」にいかれた方も多かっただろうが。

(令和6年4月7日 5:25)

サクラは満開

 随分と夜明けが早くなった。5時20分には、かなり明るい。今日は雲が多いようだが、最高気温は21度を上回りそうだし、明日は快晴で23度にも達するとの予報だ。サクラも満開に近づき、今日明日と「花見」に繰り出す方も多いだろう。私も明日は、大阪狭山市での勉強会の後、『狭山池』で花見の宴だ。勉強仲間のお一人が、ご夫婦で宴の準備を……。有り難いことだ。
 昨日は、現在闘病中で近々手術を受けられる仲間(本連合会の役員)の、「励ます会」を王寺駅界隈で開催、明るい笑顔で励ました。必ずや元気に戻って来られる。
 今日は「中之島図書館 論語塾」である。今年度1回目で、通算136回目だ。新しい仲間も20名が加わり(計75名)、受講者数は日本一だ。「内容も日本一」言われるように……。心して臨む。

(令和6年4月日 5:40)

バタバタと

 本日の支部長会は、運営に係わって開会前にバタバタとしたものとなり、スムーズさにほど遠いものとなった。情けない。すべて私の責任だ。大いに反省する。
 4/23の『総会』に向けては、今回の反省をもとにしっかりと準備しないとだめだ。褌を締め直す。

(令和6年4月5日 13:15)

前列左 辻顧問・右 南部監事

 遅れていた桜(ソメイヨシノ)の開花が、ここへ来て駆け足で進み七分咲きとなった。
 福祉保健センター横(役場前)のサクラも七分咲きとなり、目を楽しませてくれる。40年以上前を思い起こすと、信貴山上のサクラは3~4日開花が遅いのが普通だったが、今は下と変わらない。さらに驚くのは、長谷寺のサクラがすでに満開だと聞く。興味深い。
 この土日は、花見客が各地で溢れることだろう。

(令和6年4月5日 6:05)

支部長会

 本日10時開会で「支部長会」を開く。報告事項が8件、審議案件として「決算」など4件がある。
 開会に先立ち、「支部報告」「総会出席者数報告」の提出、「年会費」の納入をしていただく。好天のようなのでよかった。

(令和6年4月5日 4:50)

支部長会

 明日は、本連合会の最高議決機関である「支部長会」だ。「支部長会」の構成は、支部長と役員である。
 今日は、レジメなどの最後の準備だ。他にも、町や郡生連などへの報告文書の作成や「総会」の準備などがいろいろとある。現役のときよりも追われている気もする。しかし、飽くまでもボランティアであり、楽しくこなさなければと思っている。手抜きをしてもよいという意味ではない。
 やるべきことが多い事は、『ボケ封じ』にはもってこいだろう。

(令和6年4月4日 6:05)

素読(朗誦)

 大勢で『論語』を素読(朗唱)すると、実に気持ちがよい。晴れ晴れとした雰囲気を味わえる。幸せな気分に浸れる。
 本日の例会参加者の満足度は、90㌫を超えたのではないか。自画自賛と言われそうだが。
 6日は『中之島図書館 論語塾』、7日は大阪狭山市での『南河内照隅会』である。

(令和6年4月3日 20:25)

論語に親しむ会

 本日は、本連合会の「論語に親しむ会」(第126回)の例会が開かれる。3月の20日は、「春分の日」で休みとなった。約、一か月ぶりとなる。あいにくの雨だが、皆で『論語』を素読(朗誦)できるのが楽しみだ。

(令和6年4月3日 5:58)

町長を訪問

 15時に恒川副会長と共に町長室を訪ね、駒田 町福祉協議会局長補佐を交え、木谷 慎一郎 町長と話し合いを行った。
 私から本連合会の現況について説明し、幾つか要望をした。
 終始和やかな雰囲気で進んだ。有意義な訪問となった。

(令和6年4月2日 16:10)

役員会

 昨日は、午前に「役員会」を開き、5日の「支部長会」に向けての議案を精査した。
 「役員会」のメンバーだが、顧問のお一人が勇退された以外は、全員留任である。業務分担は、一部変更となった。

(令和6年4月2日 5:55)

四海波

 昨日は午後から曇ったが、今日は快晴が続きそうだ。最高気温は、20度を上回るかも知れない。
 拙庭のツバキ『四海波』が、今を盛りと咲いている。親木は45年くらい前に職場帰りに購入した苗だが、4㍍ほどに大きくなった。その子どもが、何本も立派に育った。写真は、子どもの木のものだ。絞りの美しい花である。

(令和6年4月1日 7:55 )

庭いじり

 午前中2時間、午後から1時間、草抜きや南天の剪定、水やりなど、庭いじりを3時間ほど行った。ハクモクレンの花がらは、98㌫が落ち切った。
 午後から曇ってきたが、明日も晴れるようだ。いよいよ4月だ。10時から新年度第1回の「役員会」を開催する。

 3月の「ラジオ体操会」の皆勤者は、6名だった。

(令和6年3月31日 17:00)
今朝の拙庭『蓮路苑』

青春の思い出

 昨日は役員三人で、「三生連春のハイキング」(5/13)の下見として『桜井』駅から三輪神社経由『巻向』駅までの「山の辺の道」を歩いた。
 約8㌔の行程だったが、春の陽光が降りそそぐ中、とても清々しい気分に浸った。あちらこちらで、早咲きの桜が迎えてくれた。少し残念だったのは、黄砂の影響で遠望は霞んでいた。

 「山の辺の道」は、約45年ぶりだった。F工業高校に勤務していた時、3年生のときの遠足で、クラスの生徒を「山の辺の道」に引率した。
 国鉄「王寺駅」前に集合し、当時「三室」だった拙宅に寄った後、天理まで歩き、「石上神宮」から山の辺の道を通って、明日香「石舞台」へ、そして「橿原神宮駅」で解散という行程。45㌔であり、四分の一はジョギングだった。生徒たちはヘトヘトで、「橿原神宮駅」では這っていた者も。
 当時から遠足はクラスごとだった。「遠足」とは名ばかりで、「長い距離を歩く」などはほとんどなかった。この遠足は、文字どおりの「遠い足」となった。
 「卒業式文集」では、一人以外は全員がこの「遠足」の思い出を記した。強烈な印象として遺っているのだろう。
 「気力・体力・根性」で負けるなと徹底して教えたので、学年10クラス中、勉強も体力テストも1番、鉄の団結力だったので体育祭も文化祭でも、他の追随を許さなかった。20歳代での、懐かしい想い出だ。

(令和6年3月31日 9:40)
久延彦神社のサクラ

ツツジ

 4月10日過ぎには咲き始めるクルメツツジ、20日頃となるヒラドツツジなどは、蕾が大きくなりクルメなどは色づいて来た。
 サツキも例年並みには咲くだろうと思う。これから蕾がグングンと……。サツキの最盛期は、5月20~25日頃である。一年間の手入れの成果が、楽しみだ。
 写真は一昨年と、8年前のものだ。クリックすると、写真は拡大される。


(令和6年3月30日 5:30)
2年前 5/20頃
8年前 5/20頃
今朝の庭

黄砂

 ラジオ体操の帰りの際に雨脚が強かった。ラジオを濡らさないようにと特大の傘を使っているのだが、それでも体は濡れた。
 9時ごろには止むようだが、今日は「黄砂」が強く流れて来ると聞く。昼間は強く降って、「黄砂」を落として欲しいと願うのだが。
 このところの雨で、ハクモクレンの花はほとんど散った。今年、拙宅のハクモクレンは異常に花が少なかったので、今年の清掃は楽だった。

(令和6年3月29日 7:25)

強い雨が

 現在、かなり強い雨が。もうすぐラジオ体操に出掛けるが、小降りになってほしい。でないと、ズボンがボトボトだ。
  今日は午後から、「生駒郡生き生きクラブ連合会」の役員会が安堵町で開かれる。午前中は、三生連事務所で執務。

(令和6年3月29日 5:55)

顧問退任

 本連合会顧問の片岡雅基氏が3月をもって退任される。片岡氏は、会長を4年・顧問を11年・副会長を1年の16年にわたって「三老連」「三生連」のために尽力された。
 昨年「卒寿」を迎えられたが、いつも矍鑠とされたお姿は、私たちの憧れの的であった。「引き続きお願いします」と慰留に努めたが、叶わず残念である。しかし、カラオケ同好会「さけび」の代表は引き続き担っていただける。
 これまでのご功績に対して、本連合会を代表して心から御礼を申し上げる。なお、4/23の総会において、感謝状を贈呈する事になっている。ますますのご健勝を祈念する。

(令和6年3月28日 20:45)
卒寿の祝宴 前列中央片岡氏

日本瓦

 昨日は、ある有志の会の例会があり、橿原市八木にある『重要伝統的建造物群保存地区』である今井町を訪ねた。
 よくご存知だと思うので(三生連の社会見学でも訪れた)詳しい説明は省くが、春の陽射しに輝くいぶし銀の瓦を見るだけでも、田舎育ちの私は心落ち着く。やはり、「日本の家屋は日本瓦でなくては……」と思ってしまうのだ。
  4/1に役員会を開く。そのレジュメづくりに勤しんでいたが、ようやくほぼ出来上がった。10種類ほどある。明日は、人数分プリントアウトしなければならない。「少しは会員のために役立っているだろう」と思いながら精を出している。

(令和6年3月28日 20:10)

ハイキングの準備

 一つの行事を企画・運営するのには、大きな労力を要する。

 現在、萬治 仙明理事が中心となって、「春のハイキング」の企画をしている。町図書館に通ってガイドブック等を何冊も読まれたり、2回にわたる下見など、奮闘されている。念には念を入れるため、30・31の土日には、3回目の下見も予定されている。
 ぜひ一人でも多くの方のご参加を賜りたい。

(令和6年3月28日 7:45)

 

役員会

 4/1に役員会がある。役員会で4/5の支部長会に提案するものを協議し整理しておく必要がある。
 30日・31日が土日であり、福祉保健センターが休みのため事務所が使用できない。29日までに準備を終えなければならないので慌ただしい。
 昨日、会計監査を終えた。

(令和6年3月28日 5:45)

快晴

 昨日は、午後から猛烈な雷雨だったらしい。らしいというのは、昼前から大阪市内に出て、それも外へ出ることがなかったので、まったく知らなかった。
 本日は一転、快晴だ。ラジオ体操も、気持ちがよかった。仲間4人での会合があり、橿原の方にこれから向かう。

(令和6年3月27日 8:05)

孫の成長

 今月初めに卒業式を終えた埼玉県在住の孫が、昨日一人で帰省した。小雨の中だったが、すぐに一緒に墓参りをした。
 国立難関大に絞っていた大学受験がうまく行かず、再チャレンジすることになった。不合格の一報が入った際、「『高校三年間をきちんと総括し、何が足りなかったのか』『反省を踏まえ、これからの一年をどのように過ごすのか』などをしっかりまとめなさい」と話して置いたが、彼なりに「振り返り」ができていた。そのうえで、「不撓不屈」の気持ちで努めるとの力強い宣言があった。
 新幹線の車中、時間を無駄にしてほしくないと、スマホメールで『論語』に係る課題を与えたが、短時間であったにも拘わらず私が思った以上に学びを広げていた。高い向学心は私の妻に似たのだろう。私をはるかに凌駕している。
 部活動にも注力していたし、コロナ禍であったこともあり、奈良には5年ぶりだった。身長も180に近くに伸び、心身ともに青年に成長した。頼もしい限りだ。
 建築を専攻すると言っている。どのような方向に進むにしろ、努力する者の前途は洋々である。今回の挫折を糧にして、『不撓不屈の精神』で大きく羽ばたいてほしい。

(令和6年3月26日 5:15)

春のハイキング

 三生連の「春のハイキング」(5/13)は、「山の辺の道」を歩く。
 4/5の支部長会以降、参加募集する。いつものように支部長を通しての申し込みとなるが、多数の方のご参加を願う(申し込み締め切り4/25)。

(令和6年3月25日 8:15)

朝乃山

 大相撲春場所は、新入幕力士が優勝するという110年ぶりの偉業で幕を閉じた。
 ところで私の周りには、朝乃山ファンが結構多い。やさしい顔立ちが人気を呼ぶのだろうか。近畿大の卒業ということもあるのか。出身は富山だ。
 ご存知のとおり、わりとすんなりと大関に昇進したが、不祥事で6場所の出場停止となり幕下まで陥落した。出停も解け、実力もありまだ若いので数場所前から幕内に復帰している。今場所は前頭西の筆頭で9勝を挙げた。来場所は小結だろう。
 四つ相撲で均整のとれた体、上手をとるとかなり強い。しかし、何となく気迫に欠け覇気に乏しい。そういったところが取り口にでるのだろう、照ノ富士や豊昇龍などに舐められているふしがある。連敗中だ。昨日の対若元春戦なども、明らかに気迫で負けていた。6日目の熱海富士との取り組みでも、甘さがもろに出た。
 来場所は久しぶりの三役だが、気迫を前面に出した相撲で、優勝争いに加わってほしい。そう願うファンは多いだろう。

(令和6年3月25日 8:00)

差し違い

 思わぬ展開で幕を閉じた。尊富士が、まさかあそこまでの相撲がとれる状態だったとは。「救急車で運ばれた」の情報に惑わされた。
 それらは別にして、とにかく尊富士の優勝を称えたい。天晴れだ。
 残念だったのは、結びの一番、木村庄之助の「差し違い」だ。「差し違い」を生起させるほどに際どい土俵際ではなかった。当然、協会理事長に「進退伺」が提出されるであろう(形だけのものだが)。千秋楽結びの一番の「差し違い」は、前代未聞である。大いに反省をしていただきたい。

(令和6年3月24日 17:45)
隆の勝と恒川 本連合副会長

大相撲新時代

 報道では、貴景勝の14日目からの休場理由について、13日目の対琴ノ若戦で大胸筋を傷めたことと以前からの頸椎痛の悪化としている。
 12日目の対若元春戦でまったく力なく敗れたことを考えると、11日目の対大の里戦で頸椎痛が悪化したとしか考えられない。
 どちらにしても休場力士は千秋楽パーティーには出ないので、2年続きでの欠席となる。楽しみにしていたのだが、そういうことで私も欠席することとする。
 しっかり療養に努め、5月場所で元気な相撲を見せてほしいが、頸椎痛ということ、そして頭で当たってからの押し相撲ということで、ひじょうに厳しい状況に追い込まれている。考えた
くはないが、「引退」が近いかも……。
 大の里は、今日勝てば12勝で優勝、来場所は三役に。先場所は、新入幕で11勝。来場所、13勝以上で優勝もしくは準優勝となれば、一気に7月場所(名古屋)は大関ということも十分考えられる。
 さらに稽古量を増やし、下半身・上半身とも鍛え、尊富士のような体に近づけば、来年初場所には『横綱』ということも可能性としてはあり得る話だ。照ノ富士は引退するであろうし、琴ノ若の横綱昇進も近い。尊富士の大関昇進も。
 大相撲も新しい時代に突入していると言える。
 

不運の尊富士

 尊富士(たけるふじ)は足(脚)を傷めた。千秋楽、土俵に上がれるのか。もし上がれたとしても、まともに相撲はとれないだろう。相手が豪の山というのも不運だ。
 勝てば優勝が決まるが、出足があるので残せないだろう。
 負けて大の里が勝てば、優勝決定戦になるが、一日2番は無理だろう。
 貴景勝の休場は予想できた。12日目の相撲を見れば、ケガの状態が重篤なことは明らかであり、13日目に琴ノ若に勝てたのは奇跡だと思う。
 優勝の予想はひじょうに難しいが、大の里の新入幕2場所目の初優勝の可能性が高くなったと見ている。

(令和6年3月23日 21:10)

満足感と充実感

 快晴だ。気温は低いが、風が無いので気持ちがよい。
 ラジオ体操から帰って盆栽に水をやった。ついでに地植えの植木たちにも。朝陽を浴びて輝く樹木たちから喜びの声が返って来た。サツキを含むツツジ類は、みな元気だ。今年の花も期待できる。手は冷たかったが、満足感と充実感にしばし浸った。
 「庭いじり」という趣味が持てて、幸せだ。

(令和6年3月22日 7:45)

国際化

 天気はよさそうだが、今日も寒い一日になりそうだ。
 昨朝の「ラジオ体操会」には、近所に移り住んで来た若い米国人(男性)が参加した。つい最近道路で出会い、「よかったら参加しないか」と誘った。ナイスガイだ。
 ラジオ体操は初めてというのに、なかなか上手だった。終わってから聞くと、米国の小学校や中学校で「体育」を教えていたと……。
 ラジオ体操会も「国際化」してきたと喜んでいる。


(令和6年3月22日 5:10)

開花最速日本一

 私の生まれ育った故郷 愛媛・宇和島市は、これまで何度もソメイヨシノの開花最速日本一を記録しているが、最近は東京や高知などの後塵を拝していた。
 ところが、3月16日に開花宣言をしたと。つい先ほど知った。例年より3日早いそうだ。
 久しぶりの最速開花、トップ奪還で気をよくしている。

(令和6年3月21日 20:20)

氷が

 早朝、真冬並みの寒さだった。明朝も同様との予報だ。昨夕は霰や雹が降った。ラジオ体操をしている自治会館広場の、窪みに溜まった水が凍っていた。3/20を過ぎて氷が張るというのは、例年に無いことだ。  
 私は「地球温暖化」説に異議を唱える学者に賛同する立場だ。我が意を得たりの思いでもある。欧米でも、「寒冷化」の実態は少なからず見られると聞く。
 盛夏の最高気温は子どものときに比べ確かに高くなっているが、年間平均気温は地球温暖化と騒ぎ立てるほど高くはなっていない。

(令和6年3月21日 8:20)

辛抱する

 貴景勝の昨日の相撲は、引いてしまった。大の里の圧力が強かったのだろうが、まともに引いてしまった。
 「突き落とす」と「はたく」も同様だろうと思われるだろうが、「引く」というのは自分の陣地に相手を呼び込んでしまうからダメなのだ。姿勢も立ってしまう。
 とにかく、相撲は「引いたら負けだ」。引かずに辛抱して対処する。相撲において対処とは、「押す」「突っ張る」「押っつける」「前まわしを狙う」など、『辛抱する』『堪える』ことに尽きる。
 そういった視点で、『相撲』を見てほしい(ぼーっと眺めるのではなく)。『辛抱する』『堪える』、人生にも通ずることである。

(令和6年3月21日 5:15)

優勝予想

 尊富士(たけるふじ)には、毎日驚かされる。相撲をご覧になっている読者諸氏は、同様の思いだろう。
 予測しにくい状況だが、敢えて予想すれば、13勝2敗で尊富士の優勝だろう。

 本日は、50回目の〇〇記念日だった。
 ヤオヒコ内の魚屋の上にぎり(1400円税込)とワインでささやかなお祝いをした。時折、この「上にぎり」を購入するが(夕刻には売り切れるらしい)、いつも無茶苦茶おいしい。寿司屋で食すると、4千円は下らないのでは……。ぜひご賞味あれ。

(令和6年3月20日 21:30)

墓参

 早朝から雨だ。ラジオ体操も自治会館内で実施した。予報では、15時頃まで断続的に降るという。国旗も、雨のかからない所に掲揚している。
 墓参りにまだ行けていなくて、本日、予定している。一昨日でも、昨日でも行けたのに、遅くなってしまい今日の雨である。
 子どもの頃、両親やおじやおばから、「何を置いても先ずは墓参りだ」と言われた。そのとおりである。今回、後回しにしてしまったことを悔いている。

(令和6年3月20日 8:15)

大相撲観戦

 年6回の大相撲本場所が開催されている期間は、テレビ観戦で午後からは何も手につかない。大分前から、テレビ放送は13時からの開始だ。それも鮮明な4K放送で。
 毎日13時からテレビ桟敷に着いている訳ではないが、好きなようにテレビ観戦ができるこういう生活が送れることに感謝している。有り難いことだ。
 そして、よんどころない用事で見逃した一番も、後からインターネットの動画放送で好きなときに見ることができる。十両の取り組みまでも。便利な世の中になった。

(令和6年3月19日 19:00)

尊富士10連勝

 大の里と尊富士の一戦、まさかの結果となった。新入幕が初日から10連勝、大鵬以来だ(大鵬は11連勝)。
 明日は琴ノ若に挑むが、琴ノ若もここ数日、ひじょうに厳しい相撲をとっている。よもやとは思うが、「とってみなければ分からない」のが相撲である。明日勝てば、新入幕力士が優勝という史上初の偉業となる。
 恥ずかしく情けない相撲をとったのは、豊昇龍である。腹立たしいので詳細は記さないが、この力士は時折こういう相撲をとるのだ。
 貴景勝の明日の相手は、大の里だ。正々堂々と退けてほしい。そうしてくれるだろう。

(令和6年3月19日 18:10)

「和た与」

 「和た与」のういろ餅

 近江八幡を生まれ故郷とされる友人から、老舗菓子輔『和た与』の「ういろ餅」を土産に貰った。これまで何度もいただいている。とても味わいのある餅菓子だ。
 友人の話では、名古屋の「ういろう」が有名だが、近江八幡が本家本元であると……。

 「ういろ餅」は、米どころ近江の美味しいお米だけを使い、柔らかな食感が身上である。職人の技術で米粉に空気を含ませ、セイロで1時間蒸し上げることで、噛むほどに味わえるもっちりとした味わいを作り出すという。

 香り高い宇治抹茶と白、そして、黒糖の中でも最上級と言われる沖縄波照間島産の黒糖をふんだんに使用した「黒ういろ餅」がある。今回いただいたものは、宇治茶と白だった。

 蒸しあげたものを冷ましてからは、三味線の糸を使い手作業で切り分けていると。季節やその日の天気に応じて、材料のさじ加減を微妙に調整して作られる。ざらめを熱して溶かした蜜を冷ましながら、米粉を入れるタイミングが難しく、その日の気温や湿度によって時間や火加減も微妙に変えながら、一つひとつ手作業で作り上げると聞く。

 今朝、ほうじ茶を飲みながら食したが、もっちりとした味わいで至福のときを過ごした。

 『和た与』の商品としては、「でっち羊羹」が「ういろ餅」と並んで二枚看板である。「わた与」では、文久三年の創業以来、「でっち羊羹」発祥の店として、変わらぬ工程を守り続けていると聞く。

 海のない近江では手に入りにくかった寒天のかわりに、小麦粉をつなぎに使用した羊羹である。十勝産小豆のこし餡と、砂糖、小麦粉を練り合わせ、上質の竹皮で手包みしたのちにじっくりと蒸し上げている。以前、一度食したが、その竹皮の香りをまとった上品な餡は、小豆の味を引き出すあっさりとした味わいであり、懐かしさを感じる素朴な甘さだった。

 日々一定ではない気温や湿度、竹皮の厚みなどにより、練り加減や蒸し加減、包み加減を、職人の手によって微調整しているらしい。天然の竹皮を使っているため、一つひとつの包装も同じものが無い。これらが一体となって、銘菓を形造っているのだろう。
 読者諸氏も、ぜひ一度『和た与』の「ういろ餅」と「でっち羊羹」をご賞味あれ。

(令和6年3月19日 8:15)

名前

 今朝の購読紙の『人生相談』欄に、「名前に不満 心閉ざす息子」という記事が。
 20代半ばの息子が、「なぜこの名前にしたのか。将来、馬鹿にされるとは思わなかったのか」と。相談した母親は「何となくいいと思った。かっこいい名前と思った」と答えたが、言い争いになったようだ。
 回答者は、「彼の親離れととらえてみたら。親離れには親の子離れが必要だ」と。
 我が家の二人の娘の場合は如何だろうと振り返る時、私主導で妻も納得して名付けた。父や母に相談することは無かった。私たち夫婦の責任で、その時点で考えられる最高のものを名付けたとの自負がある。娘たちも、大いに気に入ってくれている。
 私自身については、「気に入らない」とか「満足している」などの思いはなく、父や母に対してただ「ありがとう」の気持ちである。

(令和6年3月19日 5:45)

取り組み編成

 大の里と尊富士の勢いは止まるところを知らない。
 しかし、日々の取り組みを司る「審判部」は、無粋なことをしてしまった。明日10日目の取り組みに、大の里(1敗)・尊富士(全勝)戦を組んだのだ。 
 早過ぎる。12日目くらいでよかったと思う。前頭の力士が独走するのを阻止しようとする試みとしか思われない。だが、それよりも先に上位力士と戦わせることを考えるべきだと思う。
 明日、大の里が尊富士に勝てば、大の里が優勝する確率も高くなる。大関・関脇は、これから星のつぶしあいになるからだ。実力的には琴ノ若の優勝が順当と思われるが、「一寸先は闇」の状態だ。
 私としては貴景勝の優勝を望むが、そうは問屋が卸さないだろう。ただ明日勝てば、10勝をあげる確率は随分と高くなる。
 とにかく、一日一日、目の離せない状況が続くことは間違いない。
 一つ気になることがある。アナウンサーが、「カド番大関の〇〇」「カド番脱出まであと何勝」という表現を何度も何度も繰り返すことだ。つい「黙れ!」と言いたくなる。視聴者は、言われなくとも分かっている。何となく言っているのだろうが、何度も何度も繰り返すのは、力士に対して、失礼極まりない。
 大いに反省すべきだ。

(令和6年3月18日 21:50)

添削

 20代後半から30代はじめにかけて少し『文章修行』をした。であるから、「書く」ことは苦にならない。これまで、著書は山の紀行文・小説・随筆集・教育関連・論語に係わるものなど20冊を超えた。
 そういったこともあり、知り合いから「添削してほしい」と頼まれることが少なくない。頼まれれば断れない主義であり、精一杯添削に務めることになる。
 添削したものを依頼者にお返しすると、相手の態度は「ありがとうごさいました」と言われる方と、何かしら不満げな態度を示される方の、大きく二分される。
 後者の方は、概して添削に大きな労力を要する方が多い。頼まれた側からすると、それなりに時間を費やして添削したのに感謝の念が薄いと、人間ができていない私は「二度と引き受けない」とつい思ってしまう。未熟なのである。読者諸氏は、そういうことはないだろう。
 そうした「不満を示す」方に言えることは、自らが書かれた文章と添削したものとを見比べるという作業(向上のためには、これが必須)を怠っている場合がほとんどだ。
 そういった方は、しばらくすると例外なく「添削してほしい」とまた頼みに来られる。「二度と……」と思っていても、依頼されれば断り切れずに引き受けてしまうのである。

(令和6年3月18日 16:15)
 

ハクモクレン

 どこでもハクモクレンの花が見ごろだ。我が家のハクモクレンも5㍍以上に大きくなり、シンボリツリーと言ってもよい。毎年、花を楽しみに遠くから人が訪れるほどである。
 そのハクモクレンの花数が、極端に少ない。例年の1割ほどだ。原因は不明である。樹勢は悪くない。
 ここ40年、このような事は無かった。悲しいかぎりである。
 来年は今年の分までしっかり咲かせたいと思うのだが、原因が不明というのは心許ない。

(令和6年3月18日 15:45)

休刊日

 今日は朝刊の休刊日だ。
 国際金融機関、米国民主党や中国共産党による内政干渉により、真実を曲げた報道も少なくないのだが、休刊日というのは少し残念だ。
 ハクモクレンの花などには嫌な雨となったが、ツツジ類などには恵みの雨となった。
 天気予報を参考に、今年2回目の薬剤散布(害虫予防)のタイミングを探りたい。
 墓参りも。

(令和6年3月18日 5:30)

常盤山部屋

 大の里と尊富士、いよいよ明日から番付上位者との対戦が始まる。大いに期待する。
 隆の勝は常盤山(ときわやま)部屋の所属であり、以前から応援している。何とか勝ち越してほしいのだが。
 貴景勝が10勝をあげ、隆の勝が勝ち越せば、常盤山部屋の千秋楽のパーティーに参加するつもりだ。二人が達成する可能性は五分五分か。

(令和6年3月17日 20:45)


不撓不屈

 不撓不屈(ふとうふくつ)

 

 どんな困難やしょうがいをも乗り越える強い意志をもっているさま。

 

 「撓」は、木の枝などがたわむ。転じて、くじける。「屈」は、主義主張などをむりに押さえ込む。「不屈不撓」ともいう。

 

 出典は、『漢書かんじょ』 
 漢書の「叙伝第七十下」の中に登場する、楽昌侯となった王商という人物の、しっかりとしたどんなことがあっても揺るがない人柄をあらわすのに、不撓不屈は使われている。

 

 類語  「独立不撓」「百折不撓」

 

 「不撓不屈」という言葉が広く知られるようになったのは、平成の大横綱と言われた貴乃花が大関昇進の際に「不撓不屈の精神で相撲道に精進いたします」と口上を述べた時からとも言える。このころ相撲界では大関や横綱への昇進の時に、少し難解な四字熟語を使った 口上を述べることが流行っていた。

 貴乃花は、口上の言葉に恥じない相撲ぶりで、ファンを魅了したものだ。

 横綱昇進時には、「今後も不撓(ふとう)不屈の精神で、力士として不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫く所存でございます」と。

 

 不惜身命  仏道のために身も命も惜しまないこと。身や命をささげて惜しまないこと。身を顧みないこと。

 

 私の贔屓力士 貴景勝の大関昇進時の口上は、「謹んでお受けいたします。大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず、相撲道に精進してまいります」であった。

 貴景勝の「景勝」は、戦国の武将『上杉景勝』からとった。

 

 参考  グー辞書  マイナビニュース

 

(令和6年3月17日 13:30)

臥薪嘗胆

 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)

 
 将来の成功を期して苦労に堪えること。
薪の上に寝て苦いきもをなめる意から。

 「臥」はふし寝る意。「薪」はたきぎ。「嘗」はなめること。「胆」は苦いきも。もとは敗戦の恥をすすぎ仇を討とうと、労苦を自身に課して苦労を 重ねること。

 

 誰もがよく知る故事成語である。

 紀元前5世紀の呉と越の国家間の戦争に由来する。この成語の現在確認できる初出は、「嘗胆」のみならば『史記』巻41越王勾践世家であるが、「臥薪嘗胆」と揃った形では蘇軾(1037年 - 1101年)の詩『擬孫権答曹操書』中の句「僕受遺以来、臥薪嘗胆』(11世紀後半に成立)に求められる。

 

 明治時代の日本において、三国干渉が発生した時に、ロシア帝国に復讐するために耐えようという機運を表すスローガンとして広く使われた。

 日清戦争の講和条約である下関条約では、一旦清国から日本への遼東半島の割譲が決まったが、ロシア・ドイツ・フランスの三国は、日本は清国に遼東半島を返還するようにと要求した。これを三国干渉(さんごくかんしょう)という。 

 この三国干渉に日本政府はやむなく従い、日本は清国に遼東半島を返還した。多くの日本国民は三国干渉に反発し、国民たちの間に「臥薪嘗胆」の言葉が流行して、特にロシアへの反発心が強まった。

 

 中国『十八史略』によると、紀元前6世紀末、呉王は先年攻撃を受けた復讐として越に侵攻したが敗れて自らも負傷し、まもなくその傷がもとで病死した。呉王は後継者の夫差に「必ず仇を取るように」と言い残し、夫差は「三年以内に必ず」と答えた。 
 夫差はその言葉通り国の軍備を充実させ、自らは薪(たきぎ)の上に臥(ふ)すことの痛みでその屈辱を思い出した(臥薪、この記述は『史記』には存在しない)。 

 間もなく夫差は越に攻め込み、越王勾践の軍を破った。勾践は部下の進言に従って降伏した。勾践は夫差の馬小屋の番人にされるなど苦労を重ねた。許されて越に帰国した後も民衆と共に富国強兵に励み、その一方で苦い胆(きも)を嘗(な)めることで屈辱を忘れないようにした(嘗胆)。

 その間、強大化したことに奢った呉王 夫差は覇者を目指して各国に盛んに兵を送り込むなどして国力を疲弊させた。また、先代以来尽くしてきた重臣を処刑するなどした。ついに呉に敗れて20年後、越王勾践は満を持して呉に攻め込み、夫差の軍は大破した。夫差は降伏しようとしたが、条件とした王への復帰を勾践が認めなかったために自殺した。

 

 私の母校愛媛県立宇和島東高校のボート部は、これまでインターハイや国体などで何度も優勝している。そのボート部の応援歌「思えば過ぎし」にも、『臥薪嘗胆』の故事成語が使われている。ボート部のみならず、全校の応援歌となっている。当然、甲子園でも歌われる。

 

「臥薪嘗胆」の類語

 辛酸をなめる

 「辛酸をなめる」の「辛酸(しんさん)」には、つらく苦しい思いという意味がある。その「辛酸」をなめることから、つらく苦しい思いを味わう、経験するという意味になる。

 捲土重来を期す(けんどちょうらい)

 「捲土重来」とは、一度失敗してもすごい勢いで盛り返すことを示す言葉である。「けんどじゅうらい」と読まれることもある。「捲土重来を期す」は、再起を期待するときに使うのが一般的だ。

 漆身呑炭(しっしんどんたん)

 「漆身呑炭」とは、仇を討つことや、復讐するためには苦しみや苦労をいとわないという意味を持つ。「臥薪嘗胆」と意味が重なるため、単純に置き換えて使うことも可能である。

 堅忍不抜(けんにんふばつ)

 「堅忍不抜」とは、何があっても動じずじっと我慢し、堪え忍ぶこと。

 

「臥薪嘗胆」の対義語

 再起不能(さいきふのう)

 「再起不能」は、病気が治る見込みがないという意味。転じて、失敗や挫折から立ち直れない状態の表現として使われることもある。

 一蹶不振(いっけつふしん)

 「一蹶不振」は、失敗や挫折をして再起できないという意味。「蹶」はつまずく、「不振」は勢いがなくなる様子を表す。


参考  ウィキペディア、コトバンク他

(令和6年3月17日 4:40)

尊富士

 

 新入幕の尊富士(たけるふじ)が、ただ一人7連勝の勝ちっ放しだ。立ち合いにスピードがあり、相撲に勢いがある。上背はそれほどでもないが筋骨隆々、発達した肩の僧帽筋は隆の里(元横綱・故人)を彷彿とさせる。千代の富士が苦手とした、あの隆の里だ。
 明後日9日目あたりから前頭上位との対戦となるだろう。楽しみだ。早い時期に、大の里との対戦が組まれるかも……。

 霧島の今日の相手は苦手とする隆の勝だったが(今日の一番を含め、1勝10敗)、為す術も無く5敗目を喫した。明日から休場の可能性も高い。気力の充実しないあまりにもみっともない相撲は、ファンに対して失礼である。

 

(令和6年3月16日 18:50)

総会講演

 4/23の総会では、酒井久夫氏(毅朴会会長・南河内照隅会会長・大手製薬会社元財務部長)にご講演を賜る。演題は、「第二の人生を如何に生きるか」(仮題)だ。
 総会への出席は、各支部でとりまとめ中である。ぜひご出席いただきたい。なお、総会には新町長にもご来臨賜る。「生駒郡生き生きクラブ連合会」松井会長にも……。

(令和6年3月16日 4:35)

大の里

 照ノ富士4敗目、明日から休場だろう。霧島は、自分の相撲を忘れてしまっている。眼がうつろの状態だ。
 6日目にして、大の里の優勝が濃厚となってきた。入幕2場所目の優勝となると、史上初ではないか。8日目から上位との対戦になるかも知れない。恐らく、そうなるだろう。
 誰と対戦しても、先場所のように簡単に敗れることはないと思われる。

(令和6年3月15日 19:10)


三生連役員会

 本日の三生連役員会は、齟齬があり町福祉保健センター内の会場が確保できていなかったが、町社会福祉協議会のご厚意により研修室を使わせて貰った。町社協には感謝申し上げる。
 役員会は、スムーズに終えることができた。

(令和6年3月15日 15:55)

庭門新調

 庭門を新調した。新しいものに取り換える工事終了。二日を要した。
 三か月くらいは、インスタントラーメン生活だ。

(令和6年3月15日 15:50)

檜皮に苔が生え趣が
新調した庭門
苔むすには10年以上

役員会

 本日9時から町福祉保健センターで、三生連の役員会を開く。いろいろと協議するが、主なものとしては総会4/23の実施要領についてである。

(令和6年3月15日 8:00)

王鵬

 「王鵬」が照ノ富士を破り、初の金星を勝ち獲った。
 大鵬の孫、期待の星、この相撲が大化けのきっかけとなるとよいのだが。何度も動画を見直し、「いい相撲だった」と悦に入っている。

(令和6年3月14日 19:10)

庭門

 庭門が拙庭のポイントのひとつとなっている。木と竹と檜皮の醸し出す雰囲気に約20年と年期も重ね、私のお気に入りだ。檜皮は、見事に苔むしている。
 最初の施工に問題があり脚もとから朽ちて来て、台風などで倒れるかも知れないという状態だ。
 すごくいい感じなのに残念だが、本日新しいものに取り換える。大枚を要するし、何より「侘び寂び」の点で一からのやり直しとなるのが残念だ。
 明日の本欄で、現在の門と新しい門の写真を掲載したいと思っている。

(令和6年3月14日 8:15)

遠藤

 「遠藤」の衰えが目立ち、初日・二日目と覇気に欠ける相撲でがっかりしていた。だが、昨日今日と見違えるような気力漲る相撲をとった。
 能登地方の人のためにも、全力相撲をとってほしい。同じ石川県出身の「大の里」は、4連勝を飾った。

 4連敗の霧島は、明日から休場するのだろうか。照ノ富士も2敗目を喫し、優勝争いは混沌としてしてきた。

(令和6年3月13日 19:15)

クロマツ

 ラジオ体操の際、時折り微かに雨が降ったが、今は陽も差してきた。今日はいい天気になりそうだ。本日は本連合会事務所の日直当番だ。専用のパソコンはあるが、インターネットの接続が出来ていないので不便だ。ITに堪能であれば、直接スマホから情報を取り込めるのだろうが……。
 何度も述べているが、拙庭のクロマツの調子がよく前庭で出入りする度に眼に入るので、否が応にも気分が晴れる。47年間誰の手も煩わせず、自らが手入れしてきたからなおさらなのだろう。

(令和6年3月13日 7:45)

総会案内

 15日付で総会(4/23)の案内を、支部長あて届ける。
 各支部で出席者をまとめ、4/5の支部長会で報告していただく。

(令和6年3月13日 5:10)

高安・阿武咲・大の里

 大相撲春場所、高安・阿武咲・大の里の好調さが光る。
 貴景勝は連敗はしなかった。今日も引かなかった。
 霧島は三連敗、歯車が狂っている。
 朝乃山は、今場所も照ノ富士に勝てなかった。これで七連敗だ。不甲斐ない。

(令和6年3月12日 19:35)

クラクション

 6時前から降り始めた。

 雨天時は自治会館内で体操を行うが、会館入り口のカギの入っている鍵ボックスはナンバー鍵だ。雨だとまだ薄暗く見えにくいのと、外国製だろう精度が高くないので開きにくい。視力が衰えているせいもある。
 とにかく、雨天時は何かと不便だ。本日は支部で毎月発行している会報「燦燦」(さんさん)第108号の発行日であり、副会長と二人で配布した。本来は10日の発行だが、土日をはさんだので2日遅れとなった。
 配布の途中、住宅地の狭い道路で後ろから来た車に強くクラクションを鳴らされた。6時55分前後の事だ。何をそんなにあわてているのか。車の免許を取得して55年近くになるが、この間、5回も鳴らしていない。それも軽く「プッ」といった程度だ。
 早朝から気分を損なった。

(令和6年3月12日 7:35)

阿炎に

 大相撲春場所二日目、貴景勝は阿炎に敗れた。
 引くなどの消極的な相撲では無かったので、まだよかった。立ち合い、頭から強く当たらなかったが、阿炎の立ち合いの変化を警戒してのことだと思う。首の状態は(頸椎)、思ったほど悪くはないように見える。ただ予断は許せない。
 大の里の出足の鋭さが光る。今場所も優勝争いに絡むかも知れない。

(令和6年3月11日 21:15)

阿炎戦

 昨日、苦手の朝乃山に勝った貴景勝、今日の阿炎(あび)戦に勝てば波に乗るだろう。が、あまり期待すると、以前のタイガースのように……。そっと応援しようと思う。

(令和6年3月11日 7:40)

 埼玉に住む孫が大学受験で、昨日は前期試験の発表日だった。
 結果は✖だった。
 どこを受けるのかも聞かなかったし、本人も娘も言わなかった。昨日、本人から、国内一、二の難関大(関西では最難関大と言われている)だったことを聞いた。塾へも通わずコツコツと……。部活動も1学期までは熱心にやっていた。昨日の落胆ぶりからして、かなりの自信はあったようだ。明日は、後期の入試。難関大を不合格になった者が集まるので、相当に厳しいだろう。私学などは、一切受けていない。退路を断って臨んでいるのだ。私の孫にしては、大した奴だ。
 第二志望に「合格」を貰っても、そこに決めるとは言っていない。悔いの残らぬように挑戦すればよいと思っている。
 「不合格を公にすることはないだろう」と思われる方も多いだろうが、そんなケチな料簡は無い。シェークスピアが「失意、逆境ほど身のためになるものはない」と何かで言われている。
 孫もそうあってほしい。

(令和6年3月11日 5:35)



すき焼き

 昨日は祝い事があり、夕食で「すき焼き」をした。
 「すき焼き」の調理法は地方によって違うし、各家庭でも異なる。数カ月前に何かで知った新たな「やり方」を、今回試してみた。これが大正解だった。これまで三重松坂や大阪の老舗店で食した事があるが、大袈裟だがこれらを凌駕した。おいしかった。妻も娘も同感だった。
 肉は近所のスーパーで購入したグラム700~800円の国産黒毛和牛(産地不明)を800㌘。三人でちょうどよい量だった。高級店で食すると、一人前150㌘くらいだ。追加を注文してしまう。となると、飲物代を合わせると2万円を超える。
 妻の話では、「すき焼き」代としては8,000円くらいだったと。もちろん、準備の手間や後片付けをしなくてもよいという利点がある。
 三人とも満腹で、用意してくれていたケーキは、今日食べることに。実は今、拙文を書きながら食べている。平群「道の駅」前の「スリール ダンンジュ」のケーキだ。これが無茶苦茶美味しい。けっして安価ではないが、価格以上の値打ちがある。
 このように記すと、贅沢三昧をしているように思われてしまうが、日ごろは慎ましくしている。ただケチケチ生活をして、子や孫に遺そうなどとはまったく思っていない。西郷南洲の『児孫のために美田を買うな』(一般には「子孫に美田を遺すな」と伝わっている)に共感している。
 「社会に出たら、自らが切り拓け」でよいのだ。遺すことはないのだ。

(令和6年3月10日 8:45)

卒業式

 昨日は関東に住む、高校に通う孫の『卒業式』だった。大阪府の公立高は2月末に終えるが、それに比べると少し遅い。
 娘や本人から写真が送られて来た。私に似ず細身ですらりと脚が長く、なかなか凛々しい。ふだんから服装に制約が無いようで、生意気にもダブルのスーツ姿。これがなかなか似合っている。
 大学入試の発表はこれからだが、夢や目標が明確なので頼もしい。これからもしっかり学び、世のため人のために汗のかける人間になってほしいと願うのである。

(令和6年3月9日 5:05)

グラウンドゴルフ大会

 本日9時から町中央グラウンドに於いて、本連合会の「グラウンドゴルフ大会」が開かれる。
 6時30分ごろから驟雨が降り心配したが、もう降らないだろう。出場者には、日ごろ鍛えた技を十二分に発揮していただきたい。私も開会式に出る。

(令和6年3月8日 7:30)

今後は

 これまでの「会長のつぶやき」と「会長のつぶやき2」は、容量オーバーか他の原因か不明だが不具合が生じた。今後は「会長から」を更新していく。これまで同様、お訪ねいただきたい。

(令和 6年3月7日 9:45)

「大した奴」

郡生連会長会

 昨夕、郡生連の会長会が開かれた。
 10月の「郡生連宿泊指導者研修会」や11月の「郡生連カラオケ大会」などについて協議した。

(令和6年7月11日 16:03)

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