三郷町生き生きクラブ連合会
(三生連・さんせいれん)

会長のつぶやき

2通あったハル・ノート  田中英道

 1941年11月26日、アメリカは日本に交渉文書を提示します。日本での正式名称は「合衆国及日本国間協定ノ基礎概略」で、交渉にあたったコーデル・ハル国務長官の名前から、後に「ハル・ノート」と呼ばれるようになりました。
 文書の内容は、アメリカ側が考える国際秩序の安定策を提示し、日本に要求をのむよう迫ったものです。この中には、日本がのむ可能性のない、
・支那大陸やフランス領インドシナ(仏印)からの即時無条件完全撤退
・親日の南京政府に敵対する蔣介石政権支持への転換
・日独伊三国同盟の破棄
 などの強硬的な内容が含まれていました。つまりこれは、日本側に開戦させるための文書以外のなにものでもなかったと言うことができます。
  ハル・ノートにはもう一通、ハル国務長官が書いた「妥協案」が別にあったことはよく知られています。先の「強硬案」を作成したのはハリー・D・ホワイト財務次官補です。そして、このホワイト財務次官補は、ソ連軍情報部に内通したスパイでした。ルーズベルトがソ連と親和していただけでなく、明確にソ連側の利害に立って工作を進める人物がアメリカ政府内にいたわけです。
 また、OSSには対ドイツ構想の立案スタッフとして実際に、ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼらフランクフルト学派の社会学・人文学者が加わっていたこともわかっています。ルーズベルトは「世界の社会主義化」を目指していました。OSSは、その目的を暗黙裡に持っていた戦略組織でした。OSS「日本計画」は、階級闘争を起こさせ、軍部を孤立させ、軍部と人民とは違うという意識を与えて日本国内を混乱させることを計画の基本に据えていました。
 しかし日本は、計画通りにはならない国柄を持っていました。

 〝奇襲〟だと演出された「真珠湾攻撃」
 日本に、OSS「日本計画」で予定されたような階級分裂は起こりませんでした。「大政翼賛会」に見られるように、国難に対しては右派・左派の別なく、一致団結して動きました。戦後、「大政翼賛会は軍部に強制された組織であり、国民を無理やり総動員するための天皇親政だった」などとよく言われます。しかし当時は、「一致団結して、国を、天皇を守ろう」ということが国民の総意でした。一般人のものも含め当時の日記資料を見れば、それは明らかです。
  ハル・ノートを突き付けられて大陸からすべて撤退しろと迫られ、石油を止められれば、日本は国家運営をしていけないということを皆わかっていました。日本海軍は、国内に充満する開戦の気運をしぶしぶのんだと言ったほうが事実に近いのです。そして、アメリカは以前から日本を、開戦せざるをえないという状態に追い込む工作を続けていました。大東亜戦争はアメリカが熱望した戦争であり、アメリカに脅迫されてやむをえず日本が開戦した戦争です。
 ハル・ノートはアメリカ国民に対してはひた隠しにされました。あらゆる点から見て理不尽な要求であるハル・ノートは、そういった交渉を日本に対して行っていることが表に出れば、ドイツ潜水艦への挑発行為のように、国内議会で問題にされてしまうべきしろものです。1941年12月8日の真珠湾攻撃は、ルーズベルトによって、その奇襲性が演出されたのです。突然、野蛮な、猿のような日本人が襲ってきたかのように、アメリカ国民には見えました。それがまさにアメリカにとっては「太平洋戦争」の開始であり、日本にとっては交渉を重ねてきた末でのやむをえない「大東亜戦争」の開始だったのです。

東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授  田中 英道

1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する
国際的な新説・新発見を次々と発表。
 フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
 

 とにかく、日本は好んで戦争をした訳では無い。世界の社会主義化を望んだルーズベルトに誘い込まれたのである。いい加減、日本人は目を覚まさなければならない。自虐史観を捨て去らねばならない。自虐史観の維持に助太刀する者は、真の日本人ではない。売国奴と言ってよい。日本から出て行けばよいのである。(谷口利広)

敬語と聖なるもの  松浦光修

 そもそも「敬語」とは何か? むろん、それについての学問的な議論は、古来より現代にいたるまで無数にあろうが、要するに「敬語」とは、読んで字のとおりで、「敬意をあらわすために使う言葉」である。それでは・・・と考える。「敬意」というのは、何なのであろう? 戦後教育では、「平等」ということが過度に強調され、その反動で「上下」という感覚が、徹底的に排除されてきた。その結果、教育現場で生じたものは何であろう? それは、たとえば、「友だち先生」であり、また教室から教壇の撤去である。「偉人伝」の排除も、その思想の流れにそったものであろう。
 それ以外にも、さまざまな局面で、「上下」の感覚は・・・、あるいは「上下」の感覚を養うことにつながる可能性のあるものは、ことあるごとに消されてきたように思う。そして今、日本人は、その感覚を、ほとんど失ってしまった(大学の新入生が、教授に「タメ口」で話した、という話は、もう何年も前に聞いている)。
 しかし、「上下」というのは、現にあるものである。いくら言葉の上で否定してみたところで、その実在を消し去ることなど、できるものではない。たとえば、今の若い人たちでも、一歳違いの人物のことを、「一こ、上・・・」とか、「一こ、下」などといっている。それでは、なぜ、一年早く生まれただけの人物を「上」と言い、一年遅く生まれただけの人物を「下」と言うのであろうか。
 そこに「敬語」というものの本質を知るヒントがある。たとえば、若者たちから見て、歳が「上」の人物が、どんどん上へと上がっていくと、どうなるのか・・・というと、むろん、老人になるのである。さて、それでもさらに上へ上がっていくと、どうなるのであろう。「祖先」にいきつくのである。つまり、「一こ・・・上」の、最後に行き着く先は、「祖先の霊」ということになる。それは、もう「神仏」という聖なるものの世界である。
 昔は、「お年寄りには敬意を払う」ということが、日本人の常識であったが、たぶんその常識も、日本人の「神仏」に対する「敬意」とともにあったのであろう。今、日本の一般家庭からは、神棚や仏壇、どんどん消えていきつつあるが、そうしてみると、「神仏」への敬意と「老人への敬意」と「敬語」が、同時に消えていきつつあるのは、残念ながら、必然的な現象であるというほかない。

皇學館大学教授 松浦光修

 

 私自身、周りで「敬語」が失われつつあるという実感は無い。中学から「部活動」で、先輩・後輩という関係性の中で育ってきたことや社会人になってからも「教職」に身を置いたという特殊性も関係しているだろうか。

 「社会に出たら3~4歳の違いは同級生のようなものだ」などの声も聞くが、そうは思わず1歳だけの違いでも先輩は先輩だと、私は立てる。その姿勢は崩したことはない。松浦氏は、お年寄りへの敬意を神仏への敬意を結びつける。興味深い捉え方だ。その事とは別に、一般家庭から「神棚や仏壇」が少なくなってきたことについては、私も危惧を抱いている。

 仏教徒であれば、「結婚して一戸を構えたならば(借家であれ何であれ)、亡くなった者が居なくとも仏壇を……」という事を知らない人がかなりの割合占めて来たことを感じる。20代や30代の若い世代ならともかく、50~60代になっても知らないというのは憂うべき問題である。こういう事を話題にすると、住宅事情の話になるが、何も「大きな仏壇を購入しなさい」という事ではない。コンパクトなものでよいのだ。(谷口利広)

国会議員在職25年表彰 謝辞  石原慎太郎        平成7年4月14日 衆議院本会議

 昭和41年の暮れから翌年にかけて、私は、ある新聞社の特派員として、当時既にデルタ地域にまで共産勢力が進出していたベトナム戦争の取材に赴きました。

 あのベトナムで私が強く感じたことは、首都サイゴンの知識階級のみずからの国で行われている戦争への驚くほどの無関心、冷笑的な態度でありました。それゆえに、私は、あの国がやがて間違いなく共産化されることを確信していました。同時に、私には、あの教養高いベトナムのインテリと日本の知識人たちがその政治姿勢において互いに非常に似ているという気がしてなりませんでした。ということは、祖国日本もまた、いつかの将来、あるいは自由主義体制が侵食され崩壊する日が来るのではないかと。ならば、それを防ぐためにはみずから行動すべきではないかと。私が政界に身を投じる決心をしたのは、あの他国の戦争で感じたもののゆえにでありました。

 そして、その翌年、昭和43年の参議院全国区に立候補、当選し、後に衆議院に転じて、以来今日に及びます。私の政治家への転身の動機は、その後の日本の発展と安定を眺めれば、幸いにも杞憂に終わりました。すべて国民の英知ある選択と、やむことのない努力のおかげであります。

 その間、私も私なりに、志を同じくした仲間とともに政治の金権性と戦い、あるいはアメリカや中国の対日関係における一方的な主張に反発し、微力ながらの戦いもしてまいりました。

最も欣快とするのは、日本側の国益を何ら反映することのなかったあの日中航空協定に最後まで反対した我々青嵐会を当時の周恩来首相が評して、彼らの言うことが当たり前だ、私が日本の政治家だったら彼らと同じことを言っただろうと周辺に語ったということを、後に複数の方々から聞かされたことでありました。

 しかしなお、今日この表彰を受けて改めて私は、みずからの力の足りなさに慙愧せざるを得ません。政治家の経歴は決して、決して長きをもってよしとするものではないということを改めて痛感自覚し、ただ恥じ入るのみであります。

 イデオロギーの生んだ冷戦構造が崩壊した今、政治の対立軸が喪失されて、私たちは新しい軽薄な混乱の中にあります。新しい文明秩序の造形のために、多くの可能性に満ちているはずのこの日本の将来を毀損しかねないような問題が幾つも露呈してきているのに、現今の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかにみずからの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。

 こうした政治の現況に、国民がもはや軽蔑を通り越して、期待し裏切られることにも倦んで、ただ無関心に過ぎているという状況は、政治の本質的危機としか言いようがありません。

 植民地支配によって成り立っていたヨーロッパ近代主義の繁栄が終焉し、到来しつつある新しい歴史のうねりの中で、新しい世界の文明秩序が期待されている今、歴史的必然としてアジアに回帰し、他のだれにも増して新しい歴史創造の作業への参加資格のあるはずのこの日本は、いまだに国家としての明確な意思表示さえできぬ、男の姿をしながら実は男子としての能力を欠いた。さながら、さながら去勢された宦官のような国家になり果てています。それを官僚による政治支配のせいというなら、その責任は、それを放置している我々すべての政治家にこそあるのではありませんか。

 現在の日本国民の政治に対する軽侮と不信は、今日このような表彰を受けたとはいえ、実はいたずらに馬齢を重ねてきただけでしかない、まさにこの私自身の罪科であるということを改めて恥じ入り慙愧するのみであります。

 それでもなお、かくも長きにわたってこのような私に期待し支持を賜った国民の皆様に、この場をおかりして改めて心より御礼を申し上げ、あわせて深い深い慙愧の念をあらわす次第であります。

 そして、そのゆえをもって、私は、今日この限りにおいて国会議員を辞職させていただきます。

 ありがとうございました。

 

 見事の一語に尽きる。これほどの演説ができる政治家は、安倍晋三元総理亡き後、残念だが、現在、見当たらない。強いてあげれば、高市早苗氏だろうか。この演説には、信念と責任、覚悟が満ち溢れている。自民党の全国会議員、いや首長、都道府県議会、市町村議会議員は、毎日朗誦していただきたいと思うのである。

 政治家を志した以上、政治屋ではなく、「真の政治家」になっていただきたい。(谷口利広)

中国共産党崩壊近しか

 中国共産党(中国政府)による「ゼロコロナ政策」への人民の反発が強まる中、上海などで大規模な抗議活動が起きている。北京でも、複数の地区でデモが行われ、精華大学でも多くの学生が、抗議の声をあげていると。
 今回はあからさまに習近平国家主席の退陣を要求している。これまでになかったことだ。抗議活動は全土に広がる可能性がひじょうに高い。中国の街頭で最高指導者が直接批判される異例の事態だ。

 こういった模様は、日本国内の大手新聞やNHKをはじめテレビでも報道し始めている。「親中・媚中」の国内メディアでは異例だ。いよいよ中国共産党崩壊近しか。

高安、初優勝に向けて前進

 大相撲九州場所14日目は、高安が一人2敗を守り、初優勝に向け前進した。
 これまで何度も優勝を逃してきたが、今場所は悲願を果たせそうだ。可能性の残っている貴景勝のファンであるし、阿炎も好きだが、今回ばかりは高安の優勝を望んでいる。
 高安よ、今日、本割で阿炎に勝ってうれし涙を流せ。

「日本の未来は明るい」と思う理由  北野幸伯

 東京五輪のメダリストのインタビューや、彼らに関する過去の動画を見て、気づいたことがあります。
 メダリストは過去に、「金メダルが目標です」と発言していたことが多い。たとえば柔道の阿部一二三選手と阿部詩選手が、「兄妹同時金メダル」を目指してきたのは有名な話。二人は、実際に金メダルをとり、歴史に名を刻みました。
 卓球の混合ダブルスで、水谷隼さんと共に、金メダルを獲得した伊藤美誠さん。伊藤さんは二歳(!)の時に卓球をはじめました。2012年、11歳の時、お母さんとロンドンオリンピックを視察。そして、ノートに目標を書きました。
 「4年後に、この大きな舞台にたつ」(=オリンピックに参加する)
 「8年後には、オリンピックで優勝する」(=東京オリンピックで金メダルをとる)

 実際は、どうだったのでしょうか? 15歳になった伊藤さんは2016年、リオデジャネイロ・オリンピックで銅メダルを獲得しました。これは、卓球史上最年少のメダル獲得でした。そして20歳になった伊藤さんは、東京オリンピックで金メダルを獲得しました。11歳の時ノートに書いた目標を、二つとも叶えることに成功したのです。
 ボクシングで金メダルを獲得した入江聖奈さんは、去年の3月、目標を聞かれ、
 「金メダルとって、君が代を流すことです」
 と答えていました。小学2年生でボクシングをはじめた入江さんは、女子ボクシング選手としては、史上初の金メダリストになりました。

 変わる若者
 自分自身で目標を設定する。その実現のために、必死でがんばり、目標を達成し、夢をかなえる。理想的な人生ですね。これはオリンピック選手の話ですが、日本の若者と話していて感じることもあります。
 10代20代の若い人に、「将来の計画は?」と聞くと、「起業したい」答える人がかなりいます。漠然とした願望ではなく、ビジョンが具体的で、「そのために今は何をすべきか」までしっかり考えている。
 (私が聞いた話だけでは説得力がないと思い、少し調べてみました。「マイナビ2020年版独立・開業に対する意識調査」によると、20代から60代で、「独立・開業に興味がある」と答えた人は、40.5%でした。特に20代の男性は57.4%と、かなり高くなっています。ちなみに20代女性は40.1%でした。)
 私は現在50歳ですが、私が若かったころには見られなかった現象です。昔は、目標を聞かれれば、「いい大学に入って、卒業後は大企業に就職することです」などと答える人がほとんどでした。就職後の目標は、「出世して部長になること」とか。「出世して社長になる」とかいうと、「ありえない」といわれたり。「鶏口牛後」(けいこうぎゅうご)という言葉があります。「鶏口となるも牛後となるなかれ」です。「ニワトリの口になった方が、牛の尻になるよりいい」つまり、「小さな集団のトップでいる方が、大きな集団の末端でいるよりいい」という意味。 

 一昔前の日本人は、「牛後鶏口」でした。つまり、「大企業の平社員でいる方が、小さな会社をたちあげるよりいい」と。ところが、今は変わってきたのですね。なぜでしょうか? 私は、日本企業が、終身雇用を捨て去り、リストラを一般化させたからだと思います。つまり、若者が、企業を信じられなくなった。自分の人生を預けられなくなった。それで今は、「自分で人生を切り拓いていかなければ」という意識が強まってきたのではないでしょうか?
 私は、リストラが一般化したことは、もちろん「悪」だと思います。しかし、若者が、自分自身の人生を自分で切り拓こうと考えているのは、よいことだと思います。私たちは「自立国家」を目指しています。「日本の自立は、私の自立から」です。そして、「私の自立」は、「自分の人生を自分で決める」ことから始まります。「自分自身で自分の目標を設定する」ともいえるでしょう。
 私の祖父母の時代は、「国」が目標を設定していました。私の父母や私の世代は、「会社」が目標を設定していました。今の若い世代は、政府も会社もアテにならないので、自分で目標を設定しています。若い世代が「自立人間」になることで、日本はどんどんよくなっていくでしょう。だから、「日本はもうダメだ」という妄言を信じないでください。「若い自立人間」が増えていくことで、日本は必ず復活します。

国際関係アナリスト
北野 幸伯

 「卒業生の半分は外交官、半分はKGBに」と言われたエリート大学:ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学を日本人として初めて卒業。その後、カルムイキヤ共和国の大統領顧問に就任。大国を動かす支配者層の目線から世界の大局を読むことで、数々の予測を的中。自身のメルマガは、ロシアに進出するほとんどの日系大手企業、金融機関、政府機関のエリート層から支持されている。

 日本の将来を悲観的見る方の多い中、北野氏の考えに同感だ。日本の若人も捨てたものではない。「不言実行」よりも「有言実行」が格好良い言う風潮は悪い事では無い。むしろ望ましいだろう。
 「若い自立人間」が今後どんどん増えていくことで、日本は必ず復活する。大いに期待している。(谷口利広)


中国河南省の工場で暴動

 米アップルのサプライヤーである台湾・鴻海精密工業の中国河南省鄭州工場で、労働者による激しい抗議活動が起こった。暴動と呼ぶ報道もある。

 米アップルのサプライヤーである台湾・鴻海精密工業の中国河南省鄭州工場で、労働者が棒を振り回して監視カメラや窓を破壊する様子が23日、動画共有アプリ「快手」でライブ配信された。抗議活動は23日未明から始まった。きっかけはボーナス支給を延期する計画とみられる。鴻海は声明で、支払い契約を履行したと表明。敷地内で新型コロナウイルスに感染した従業員と新入社員が一緒に生活しているとの報道は「事実でない」と否定した。「いかなる暴力行為に関しても、当社は従業員や政府と連絡を取り合い、再発防止に努める」とした。

 騒動が、新たに採用された従業員に影響を及ぼしていると指摘。「当初、11月末までに新入社員をラインに立たせることができるか見極めていた。今回の騒動で月末までに通常の生産を再開できないことは確実だ」と述べた。

 厳しい行動制限、逃げ出す従業員も

 iPhoneの主要生産拠点である同工場では、厳しい新型コロナウイルス対策を巡って一部従業員が逃げ出すなど混乱が数週間続いている。
 多くの元労働者は厳格な隔離ルールや食事の不足などを指摘し、会社側は従業員のつなぎとめや勧誘のためボーナスなどインセンティブを提供せざるを得ない状況となった。ライブ動画では複数の人が、ボーナス支給が当初の約束より遅れると今週通知されたことを受けて抗議していると説明。
 ある労働者は「鴻海は人を人として扱わない」などと述べた。中国のゼロコロナ政策の一環で隔離エリアに設置された障害物を解体したり、防護服を着た要員と口論したりする人も見られた。

 この工場では10月末、コロナの感染拡大で、宿舎などから外出を禁止された従業員が大勢逃げ出していた。 衝突を受け、工場を所有する台湾の鴻海精密工業は24日、給与システムに入力ミスがあったとして謝罪する声明を発表した。
 iPhoneを生産する世界最大の工場で起きた相次ぐ混乱は、製品の供給に影響を与える可能性がある。

 コロナ対応への不満が鬱積しており、今回の暴動が中国各地に拡がる可能性もある。そうなれば、中国共産党の独裁体制への不満とつながり、中共の崩壊へとつながる可能性も。体制の綻びは、どんどん広がる方向にあると言える。
 外国企業の中国離れは、一層進むだろう。

大きな自然と調和する李登輝が触れた日本人の美  林建良

 前回の続きですが、もう一つの自然との調和、実はこの部分もかなり重要です。
 なぜかというと、李登輝は自然との調和を日本文化の核心部分だと考えているからです。多くの台湾人が感じている日本人の美学とは、自然に対する感受性と調和性です。そして日本文化の真髄とは、もののあはれと、侘(わ)び、寂(さ)びを生活の中で見つけ出すことです。これは恐らく日本人しか持っていない感受性ではないでしょうか。
 そしてこのような生活や文化の中から生まれたのが、道(どう)です。生け花が華道になり、お茶を飲むことが茶道になり、侍の生活そのものの規範が武士道になる。それがまさに日本の美しいところなのです。その美しいところは、実は自然の素朴さの中で生まれたものです。
 李登輝は2007年に日本を訪問し、奥の細道を歩きました。彼は帰りの飛行機の中で、また「誠実自然」という色紙を書きました。この時の「誠実自然」は自然の部分が重要でした。奥の細道を歩き、松尾芭蕉が句を詠んだ所で、李登輝と夫人も句を詠みました。


 深川に芭蕉を慕(した)ひ来(き) 夏の夢 (李登輝)

 松島や光と影の眩(まぶ)しかり (曽文恵)

 それはまさに日本人の心の奥の、美に対する部分に触れたということです。その美とは、自然との調和という意味です。自然への感受性、そして自然との調和がこれほど自分の生活の中に溶け込んでいる社会は、おそらく日本以外にはないのではないでしょうか。

 台湾人が憧れる…「真善美」を見つけ出す日本人の心
 日本の文化の中で真実、善、そして最終的に美を究めていく。これが全て自然そのものから出た一つの哲学であり、摂理なのです。この素朴なところ、自然と調和するところ、そして自然との非常に細かいところで真、善、美を見つけ出す部分、日本人のとても細かな奥深い心、それこそが台湾人が日本文化に対して最も憧れるところです。
 この自然というのは、個人の行動において気負わないということですが、これは非常に小さな範囲のもの、あくまでも個人の心構えの話です。もっと大きな自然との調和の部分、それこそが台湾人が最も憧れる日本文化ではないでしょうか。
 次回は、悩み多き若者たちへ 李登輝が伝えたいことというタイトルで李登輝元総統から若者へのアドバイスをお届けします。実はこのアドバイスは台湾の若者というよりも、日本人の高校生に向けた言葉なのです。よく修学旅行でやってきた高校生に将来の人生や自分の哲学をとても熱心に話していました。一国の総統が日本の若者にどんな言葉をかけたのか?

林 建良(りん けんりょう)台湾独立建国聯盟・日本本部委員長

1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
 『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。

 李 登輝や林 建良は、日本人より日本人らしいと言えるだろう。

私たちは浮ついた心を打っ棄り、日本の歴史・伝統・文化をもっともっと真剣に学ばなければならないとつくづく思うのだ。そして齢を重ねても常に前向きに生きる。私心は無いかと自らに問いかけ、他者のために汗をかく。そのような生き方を心掛ける。(谷口利広)

「ミサイル」が変えた世界の常識   藤井厳喜

 近年の国際社会において国防問題の常識を変えた発明の一つがミサイルという兵器です。特に核弾頭を積んだミサイルが重要な意味を持ちます。実は、ミサイルというものは単純に言えば、「防ぐことのできない絶対的な攻撃兵器」ということができます。今の技術では、飛んできたミサイルを完璧に撃ち落とすことができないのです。
 これまでの戦争の歴史では、攻撃側が必ず勝つとは限りませんでした。当たり前ですが、防御側が勝つことももちろんあったはずです。ところが、ミサイルというのは攻撃兵器として絶対に成功するという特徴を持っています。まして、その先に核弾頭をつけますと、圧倒的な攻撃力になりますから、一発で戦争が終わってしまいます。

 「ミサイル防衛・敵基地攻撃」は何が危険なのか?
 今のところ、日本を狙うミサイルに対して、考えられる対策の手段は3つしかありません。まずは1つは日本でもやっているミサイル迎撃ミサイルです。しかし、これで飛んできたミサイルを完璧に防ぐことはできないのです。今、日本にある防衛用のミサイルはせいぜい数十〜数百発しかありません。しかも、精度は100%ではありません。もし、チャイナから東京めがけて1,000発のミサイルが降ってきたら、東京は必ず被害を受けます。仮に990発落としたとしても、そのうちの10発が東京に落ちたらおしまいです。そして、それがもし核ミサイルだったら日本が滅びることを意味します。
 2つめの対策は、少しずつ議論されるようになっている「敵基地攻撃能力」です。要するに、相手がミサイルを撃とうとしている時に、そのミサイル発射台を壊してしまえばいいという考え方です。しかし、これでもまだ不十分なのです。少し前まで、北朝鮮のミサイルに関してはこれは良いアイデアだったかもしれません。当時の液体燃料の注入には非常に時間がかかっていて発射準備に丸一日ぐらいかかっていました。発射する場所も限られていますから、動きがあればそこを攻撃すればいいではないかと言っていたのです。
 しかし、今は固定燃料になりまして、ミサイル発射台が移動可能になったのです。そうなると、百発百中で発射台を狙うことが一気に難しくなります。

 北朝鮮・中国に対抗できる本当の方法
 では、日本が100%ミサイルから国を守るために必要なことはなんでしょうか? それこそが、「大量報復能力」を持つことに他なりません。もし、東京などの大都市に北朝鮮の核ミサイルが落ちたとしたら、日本も同じように平壌にミサイルを打ち込んで、平壌を地図から消してしまうということ。こうなれば、北朝鮮は日本を狙って絶対にミサイルを撃ってこなくなります。なぜなら、日本を攻撃すると自分の国が1日でなくなってしまうからです。当然、敵側も条件は同じで、完璧な迎撃ミサイルは持っていないわけです。また、この場合日本はミサイルの発射台を事前に潰されることがないように、潜水艦の中にミサイルを積んで海中深くに沈ませておいて、有事の際だけ浮上して攻撃する方法を取るのがいいと思います。

国際政治学者・藤井 厳喜

国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。
 著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。

 

 近代戦で大事なのは、要するに相手に攻撃させないことである。攻撃すれば、自分たちも瞬時に仕返しされると思わせることが肝心である。現在の日本には、それが無い。つい先日も記したが、日本は防衛能力(攻撃能力)が低いために、中国・ロシア・北朝鮮に舐められているのである。

 一昨日(11/22)も、政府の「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が防衛力を5年以内に抜本強化するよう求めた報告書を岸田首相に手渡した。報告書では、中国や北朝鮮を念頭に「周辺諸国等が変則軌道や極超音速のミサイルを配備している」と指摘した。そのうえで、自衛目的で相手のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」について、「保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠だ」と明記した。

 従来より大きく前進したが、5年と言わず前倒しして進める必要があると思う。財源については、まさに有事であり、国民全体で負担しなければならないと考える。国の防衛無くして命も暮らしも守ることはできないのである。中国に尖閣諸島が侵略されると次は沖縄が、その次は九州が危険に晒されるのだ。(谷口利広)

第一次世界大戦後の米国   田中英道

 第一次世界大戦後、軍事力をもとにアメリカが世界を制覇する姿がはっきりと現れてきます。第二次世界大戦に向かう過程で富がアメリカ一国に集中し、軍事力で突出してくる形が明確になってきます。これは第一次大戦でヨーロッパが戦場となり、多くの国が戦火を被って疲弊した中で、アメリカは全く戦場にならなかった、という事情もあります。また、世界中から移民してくるアメリカに移民国家としての統一性が出てきたということも大きな要因になっています。
 このような情勢の中で、日本は大平洋を挟んでアメリカと向かい合うことになります。移民国家であるアメリカの人種を含めた構成は複雑ですが、二十世紀に入ると、軍事力を握るアングロサクソン、つまりWASP(アングロサクソン系白人新教徒)と金融を握るユダヤ人の二つの連合、というあり方にまとまっていきます。
 このような中でヨーロッパではナチスが台頭してきます。ナチスはドイツ民族の優越を唱え、ユダヤ人を迫害しました。これへの対抗として、ユダヤ人の多くは社会主義に傾くことになりました。このことはあまり語られることはありませんが、非常に重要な事実として忘れてはならないことです。社会主義のイデオロギーがユダヤ人から広まったのです。マルクスもユダヤ人でした。
 そのユダヤ人たちがナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命してきます。彼らは民主党政権下でルーズベルト大統領の周辺に入り、内政や外交をにないます。
 世界恐慌の後、1933年、民主党の力が強まり、非常に左翼的な施策がとられます。ニューディール政策です。そこにユダヤ人勢力の影響を見るのは容易です。それと同時に、太平洋を隔てて向かい合う日本に対して、一つの方向付けがひそかになされました。
 当時、アメリカは日本をどう見ていたかといえば、天皇を戴く非常に封建的な国家である、という認識でした。この認識から出てきた対日方針とは、民主主義の名をかたった社会主義化でした。このことは数々の証拠によって裏付けることができます。ユダヤ色が浸透した民主党を導くルーズベルトが、この方針を実行していきます。それが日米開戦への道となったのです。日米交渉がその舞台でした。
 日米交渉のどん詰まりに出てきた最後通牒。これは国務長官ハルの名を冠してハル・ノートとよばれますが、ユダヤが握る金融の力を存分に発揮するものでした。
・石油輸出の全面停止
・日本の海外資産の全面凍結

 日本が到底受け入れられない条件を提示したのがハル・ノートだったのです。日本の出口は戦争以外にはなくなりました。念のためにいえば、この時期は東西対立の冷戦状態とはまったく逆で、ソ連を支持し、支援していたのはアメリカだったのです。ナチスと対峙するソ連のユダヤ人とアメリカ・ホワイトハウスの連携はうなずけるところです。ハル・ノートを作成したのはホワイトハウスとソ連のスパイである、というのは事実であり、歴史を見る上でこのことを無視してはなりません。さらに念のためにいえば、ハル国務長官夫人はユダヤ人です。なお、ルーズベルト家は、オランダから移住したユダヤ系の家系であるといわれています。
 最後は原爆の話です。戦争を早く終わらせるための原爆投下だったというのが通説です。しかし、原爆投下を単に孤立した軍事行動ととらえることはできません。日本を、封建的社会を変え、社会主義化しようとする以上、日本を変えるためには、まず徹底的な破壊が必要とする一つの象徴的な行為が原爆投下という軍事行動だったと理解するのが妥当です。原爆投下はそうしたアメリカの政策だったのです。
 この時期、アメリカは非常に左翼化していた、ということを歴史を見る上ではしっかりと念頭に置かなければなりません。この視点を認識すれば、原爆に関わったのがオッペンハイマーをはじめとする左翼ユダヤ人科学者たちだったことも、注目されてくるはずです。さらには戦後、日本を占領下に置いたアメリカが日本に対して行ったことも明瞭になるでしょう。すなわち、東京裁判、財閥解体や学制改革、農地改革、そして憲法などがそれです。それは二段階社会主義革命の一段目だったのです。そこに左翼化していたアメリカの姿を見るのは容易です。
 その当時のアメリカへの認識を改めねばならないのです。

田中 英道

東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授

1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する
国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。
 作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、
日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」
の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。

 

 日露戦争に辛うじて勝利し自信をつけた日本は、その後実際の国力以上に振るまうところがあっただろう。第一次世界大戦後、覇権国となった米国は、それが気に入らなかった。天皇を中心に神道の国としてまとまっているところ、まだまだ経済的に豊かではないが、中国や朝鮮、他のアジアの諸国に比し勤勉で民度が高く、識字率も高いところも何かしら煙たく思うところがあっただろう。

 日本としては、とにかく石油が欲しかった。インドネシアなど東亜に活路を見出そうと思ったことは自然の成り行きである。そして、白人に虐げられほとんどが植民地となっていたアジアの国々を助け、それらの国の活性化を図ることにより将来的に日本製品の市場としたいという思惑も当然ながら持っただろう。

 中国大陸についても日本と米国の思惑は重なる部分が多く、対立は止む無しの状況であった。日本は米国との戦争は望まなかったが、米国は日本の左翼勢力を使い日本国内を混乱させ戦争を仕掛けさせたのである。盧溝橋事件が発生した際、日本陸軍は拡大を望まず一旦休戦となっていたが、近衛文麿と風見章(内閣官房長)が画策し、戦火を拡げてしまった。

 米国の世論は戦争を望まなかったのだが、ルーズベルトが日本に真珠湾を攻撃させるように仕組み、米国民の感情を戦争止む無しへと導いた。それが大東亜戦争である。

 私たちは教科書で東条英機や松岡洋右が戦争へと先頭に立って導いたように習ったのだが、それは事実とは異なる。GHQにより、そのように洗脳されたのである。真の近現代史を学ぶことが求められる。戦後レジームからの脱却とは、それらのことを指しているのである。

 近衛と風見こそA級戦犯として裁かれるべきであった。近衛はA級戦犯として裁かれそうになり、直前に自害した。風間は公職追放とはなったが、その後代議士として復帰した。風間の所業は、自らが記した「風間日記」に詳細が遺っている。風戸章の名前は知らなかったという方が多いのではないか。(谷口利広)

松岡洋右について  経営科学出版編集部

 戦前、外務大臣を務めた松岡洋右(まつおか ようすけ)は戦争回避のために尽力し、日本国民からも空前の英雄とされていながらも私たちは彼のことを教わっていません。なぜでしょうか?   
 それは、戦後、GHQが日本を一方的に悪者に仕立て上げたかったからです。松岡の外交活動は日本無実の証拠そのものであり、アメリカの悪巧みを暴くものだからです。だから、松岡は無実にもかかわらず東京裁判でA級戦犯のレッテルを貼られましたし、松岡が書いた書籍は日本中から没収され、発禁図書に指定されています。 
 もし本当に松岡が醜い軍国主義者だったとしたら、なぜそんな人物の主張をありありと書いた松岡の書籍を、GHQは「没収した」のでしょうか? 本当に松岡洋右が「日本に戦争をさせた悪人」なら堂々と公開して、その醜態を戦後の日本人に晒した方が良かったのではないでしょうか? しかし、GHQはそうはしませんでした。そうしなかったというところに「戦前の真実」が隠されているからです。
 つまり、松岡があまりにも真実を知り過ぎていたために、日本を統治するGHQにとってはその存在自体が都合悪かったと言えます。

 だから、私たちは、松岡洋右のことをよく知りません。松岡洋右が日本のために命をかけたことも、日本が国連を脱退したくなかったことも、世界から日本が認められていたことも全てです。その代わりに、戦後GHQによって書き変えられた、現在の日本では、「松岡がいかに日本を戦争に導いたのか」「アジアに迷惑をかけた日本が悪い」といったことばかりが教えられています。ですが、日本を守ろうとした松岡のことを悪人と誤解したままというのは、戦前の日本人が何を守ろうとして動いていたかという歴史そのものを誤解してしまうことになります。

・日本人が何を大事にしていたかわからない。

・過去の日本はただ戦争をして悪い国だった。

 そんな思い込みの状態が続くと、今の日本の政治家のように、他国の顔色だけ、自分の利益だけ、日本のことは二の次、と考える人が増えてもおかしくないのかも知れません。
 例えば、現在のロシアがウクライナに侵攻している状況を見ても、現在の政府はロシアに対して経済制裁っぽいことを行っているだけであり、国防について対岸の火事で、問題の「憲法9条」や「尖閣諸島」などについては全く議論を行われていません。Twitterやネットの掲示板を見ても、「憲法9条がロシアにもあれば戦争が起きなかった。」など、的外れな言論ばかりが飛び交っています。
 どこまでいっても日本の中にはGHQが植え付けた戦争に対する反省の色が残っているのです。

 株式会社 経営科学出版編集部

 

 大東亜戦争後、日本を統治したGHQの行った事(マッカーサー自身が、誤ったことをしたと米国議会で演説した)や勝者の論理で一方的に裁いた「東京裁判」の誤りが、公文書の公開により次々と明るみになっている。
 東条英機や松岡洋右などはA級戦犯として処刑されたが、彼らは戦争回避のために動いたことは明らかである。第三次近衛文麿内閣で、松岡を外務大臣から外したことが戦争へとつながるのである。

 GHQにより「焚書」や「発禁」となった松岡の「興亜の大義」や「政党を脱建てして日本国民に訴う」などを復刻版で読んだが、彼らがいかに我が国の行く末を案じていたかがよく分かる。

 私たちは、学校では教えられていない「真の近現代史」を学ばなくてはならないのである。(谷口利広)

欠礼ハガキ

 11月に入るとすぐに賀状の欠礼ハガキが届くようになった。差出人の早い対応、几帳面さに驚く。特に、住所あて名書きがプリントでない場合は、尊敬してしまう。
 そういった方は、いつもの年は賀状も早くから準備され、12月に入って受付が始まるとすぐに投函されるのであろう。私のような雑駁でものぐさな人間には、とても考えられないことだ。

 現役のときは、冬休みに入ってからバタバタと書き始め、押し迫った29~31日に投函するというパターンだった。近年は、1日の実業団駅伝や2日、3日の箱根駅伝のゴール後に書くというのが慣例となっている。ただ、住所あて名書きは手書きに徹している。下手な字だが、これが億劫になれば賀状を出すこと自体を辞めようと思っている。

李登輝を支えた日本文化「誠実自然」  林 建良

 「誠実自然」という言葉の「自然」には二つの意味があります。一つは気負わない、無理をしない、自然体でいるという意味です。そしてもう一つは、自然との調和という意味です。
 李登輝が「誠実自然」という言葉をよく書くようになったのは、1978年、55歳の時に台北市長になったころです。当時の台北市長は選挙で選出されるのではなく、総統から任命されるものでした。李登輝は蔣経国の任命によって、台北市長になったのです。
 台北市長になる前の李登輝は、一人の学者として農学や経済を研究していたところ蔣経国の目にとまり、いきなり行政院の無任所大臣に抜擢されました。無任所大臣というのは特定の仕事をしなくていい閣僚、要するに見学生のようなものです。それまで大きな組織のトップになった経験が一度もなかったので仕方ありません。政治の世界に入ってまだ年月も浅いのに、李登輝は突然、当時人口200万人の大都市・台北市のトップになったのです。彼にとっては人生の大きな転換点です。
 いきなり数百万人の人間を相手にすると、普通はどうしてもその気負いから自分を大きく見せたがるものです。馬鹿にされないためにできるだけ大きく見せるのです。当時は、周りはみんな中国からやってきた人間ばかりですから、台湾人がそのようなポストに就くということは、本当に簡単なことではありません。しかし彼はその時、「だからこそ自然体でいこう」と考えたのです。気負わず、無理せず、自分を大きく見せることもせず、誠実にやっていこうと。当時自分を戒める言葉として、この「誠実自然」という言葉をよく書くようになったのです。
 李登輝のこの自然体という態度は、彼と会った人ならみんな分かるはずです。彼は台北市長の後に台湾省長を務めた後、総統を12年間も務めました。それほど長く権力の座にいたにもかかわらず、偉ぶったところは微塵もありません。誰に対しても親切で、体も大きいけれども本当に太陽のような存在でした。

 権力は国民からの借り物 自然体を貫いた政治家人生
 李登輝は権力について「権力はあくまでも国民からの借り物に過ぎず、自分のものではない。いずれ返さなければいけないものだ」とよく言っていました。彼が権力に執着しないことを証明する例を一つ挙げましょう。
 2000年3月の総統選挙では候補が3人いました。1人は李登輝の後継者である副総統の連戦(れん・せん)、1人は国民党を離党して無党派で出た宋楚瑜(そう・そゆ)、もう1人は民進党の陳水扁(ちん・すいへん)です。結果は陳水扁が宋楚瑜と接戦の後に勝ち、台湾初の野党政権が誕生しました。なんと国民党候補の連戦は3位と惨敗したのです。敗因は宋楚瑜に連戦の票が流れてしまったからです。もともと国民党の一員である宋楚瑜は李登輝の「台湾省凍結」政策に反発し、李登輝と反目していました。そのため宋楚瑜は国民党を飛び出して無党派で出馬、連戦の票を食ってしまったわけです。
 国民党の支持者は非常に不満で、李登輝に強く抗議しました。そして連戦も李登輝の所に行って、「党の主席を早く辞めてください」と言ったのです。当時、李登輝はまだ総統であり、国民党の主席も兼任していました。任期が終わる5月20日までは、まだ現職の総統であり現職の党の主席です。国民党の構造では総統よりも党の主席の方が大きな権力を持ちます。連戦は李登輝の実権を剥奪しようと、党主席を辞めるよう迫ったのです。
 訪ねてきた連戦に「おまえも私が辞めた方がいいと考えているのか?」と李登輝が聞くと、連戦は「その通りです」と言いました。「いつ辞めればよいのか?」と聞くと、「早いほうがいいでしょう」と連戦は答えました。その時、李登輝はとてもがっかりしました。連戦は李登輝によって抜擢された人間で、後継者としてあらゆる経験をさせ、本当に一生懸命に育てあげました。しかし、いざという時になると、これほど冷たい態度で「早く辞めた方がいい」と言ったのです。
 李登輝にとっては、本当に驚きでした。李登輝は一晩考えて、翌日潔く「辞める」と発表しました。その日、「総統、今のお気持ちはいかがですか?」と記者に聞かれた時、こう答えました。「これは太陽が東から昇って西に沈むのと同じような自然現象なのだ。人間というのは、権力の座に就く時もあれば、それから退(しりぞ)く時もある。これはあくまでも自然の摂理に過ぎない。どうということもない。とてもさっぱりしたよ」これこそが彼の「自然」という哲学なのです。全て自然体で、全く気負わないということです。

 李登輝は日本文化に憧れを持っていました。実際、2007年に日本を訪問した時には、奥の細道を歩き、松尾芭蕉が句を詠んだところで自身も同じように句を詠んだほどです。一体、なぜ彼はこれほどまでに日本文化に憧れたのでしょうか?

林 建良(りん けんりょう・台湾独立建国聯盟・日本本部委員長)
 1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。
 台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。
台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。

 「誠実自然」という言葉は、実に李登輝らしい。彼は若いとき、日本で学んだ。彼の存在があったからこそ、今の台湾があると言えるだろう。林 建良氏は李登輝を敬愛し、台湾のために共に働いた。現在も日本国内で医師としての仕事の傍ら、台湾独立建国のために汗をかいている。(谷口利広)

移民問題をどう考えるか?  藤井厳喜

 日本は日本人が均質的な文化を保ってずっと築いてきた国です。外国から人が入ってくるにしても大量に入ってきた歴史がないわけです。日本には日本古来の文化の型というのがありますから、そこに大量の外国人が入ってきて、社会の中に異質な部分をつくるということは今までなかったと思うのです。
 例えばアメリカのように移民の国というのは、残酷といえば残酷です。先に来た移民が後から来た移民を搾取するという仕組みがあります。ただ、それでもアメリカという国は移民してきた人もはじめはつらい思いをするけど、競争をしていく中でまたアメリカ人になっていくという社会であるということです。

 残酷なスイスの移民制度

 今はどうか知りませんけれども、かつてのスイスにおいて移民政策は非常に残酷でした。それは、妻帯者限定で移民を受け入れるということです。男で言えば奥さんや子どもが母国にいる人しか許さないわけです。なぜなら、その人たちは家族が自分の国にいるのでいずれ必ず自分の国に帰るからです。もし独身者などを入れてしまうと、これは男でも女でもスイス人と結婚して居着いてしまうかもしれません。
 スイスというのは、そういうことを避けるという、「差別」がきちんとできる人たちなのです。言い換えると、差別をして「それも世の中仕方ないだろう」という、割り切りができるという社会だということです。

 日本に移民差別ができるのか?
 ところが、日本人はそういう割り切り方はできないと思います。日本人の歴史を見ますと、植民地経営がついにできなかった民族です。植民地経営ができないということは、人種差別ができなかった民族です。台湾を領有しても、台湾人の生活・教育レベルを上げて日本人と同じレベルにしようとしたのです。今でいえばWin-Winの関係にしたいのです。
 それは一面はいいことです。一面はいいことなのですけれども、自分たちと同じようにしてもらわないと我慢ができないということでもあります。それが日本人の良さであり欠点であると思います。
 私は、こういった国は大量の移民を受け入れてはいけない国だと思います。

 少子化問題に隠されたウソ
 人口減少という問題はありますけれども、超マクロ的に考えると、日本は過去3回人口減少という状況に直面したことがあるわけです。考古学的な推論ですけれども、縄文時代から弥生時代の時に、それから平安末期も、江戸時代の末期も人口が減っております。今回は4回目の人口減少なのです。
 人口が増えなければ経済が伸びないというのは全くうそです。人口が減っても、GDP全体を増やしている例は世界にたくさんあります。ですから、本当に豊かな国をつくるということと、人口を増やすということは関係がありません。
 ドイツは2015年にメルケル首相が移民を歓迎しました。そしてその後の1年間で110万の経済難民が入り、ドイツ社会で犯罪の増加など大変な問題になりました。一度移民が入ると、取り返しが付きません。外国人労働者問題は、強いて言うと非常に慢性病的なのです。じわじわ日本社会に入っていって、日本社会をむしばんでいくような問題ではないかと思います。

国際政治学者・藤井 厳喜

 国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。

 
 移民の問題は、どの国にとっても大きな課題である。日本でもすでに、埼玉県をはじめ、関東を中心に大きな問題となりつつある。
 少子化を要因とする労働力の不足が根にあるわけだが、すでに治安の観点から憂慮する事態になりつつある。中国の経済破綻が現実味を帯びてきたが、そうなると大量の難民が押し寄せてくることになる。そうすると、藤井氏が指摘するように、日本社会をむしばんでいくような問題になるであろう。(谷口利広)

教育に熱心な日本人  田中英道

 江戸時代の社会を安定させた基盤としては、教育の普及を挙げなければなりません。国民教育は明治以後、学校制度ができてからだといわれますがそうではありません。江戸時代の教育の普及は大変なものでした。寺子屋といわれるものがそれです。
 こうした学校は江戸時代を通じて全国に16,560校あったといいます。規模は
小さいもので20〜30人、都市では100人を超えるものもありました。人々は実に教育熱心だったのです。
 先生を務めたのは、最初は僧侶が多かったのです
が、 都市では下級武士、それに浪人になった武士も教えるようになりました。元禄期になって庶民教育が広まると、教養のある町人も教えるようになりましたが、注目すべきなのは女性の先生が増えてきたことです。江戸では三人に一人は女性の先生だったといわれます。それだけ教養を積んだ女性がいたということです。
 生徒の親は入学金と月謝(月並銭)を払い、正月や盆暮れ、節句にはお礼を出す
のが習わしでした。入学年齢は特に決まってはいなくて、習いたいときに通い出せばいいのですが、だいたいは7〜8歳が多かったようです。いまの学齢と同じようなものだったのです。
 教科書は「往来物」といわれました。変わった呼び方ですね。これは手紙の書
き方が基本になっていたことによります。手紙はこちらから出せば返事がくるし、手紙をもらったら返事を書きます。つまり往来します。それで「往来物」というわけです。手紙の書き方の手本は平安時代末からありました。江戸時代には7,000あったといいます。
 読み書き、算盤が中心で、地理、歴史、武術も教えられました。授業は毎日行
われました。 朝7〜8時ごろからはじまり、午後3時に終わるのが普通でした。机には紙、筆、墨、硯(すずり)、文鎮、水桶と毛筆の道具が置かれ、先生が手本を与えて、それを繰り返し書いて覚えるというふうでした。
教え方は、一つの教室の全員が同じものを学ぶというのではありませんでし

た。 一室で学んでいても、生徒の年齢はまちまちで進度も違います。一人ひとりの学習の進度に応じて教科書の往来物がそれぞれに与えられ、一人ひとりに指導がなされました。年長者の生徒が年下の生徒に教えるということもありました。こういう具合ですから、評価もその進み具合によってなされ、画一的なものではありませんでした。
 庶民教育だけでなく、高等教育も盛んでした。各藩の藩校が全国にあり、それ
は255校を数えました。これは主に武士の子弟を対象にしていましたが、優秀な町人や農民が入校する道も残されていました。そして、その頂点にあるのが幕府直轄の昌平坂学問所でした。 学びたい者はそこを目指して懸命に勉強したのです。
 試験は「素読吟味」と「学問吟味」があり、前者は口頭試問で四書五経の暗記、
後者は筆記試験で内容の解釈や説明でした。漢学が柱でしたが、数学、医学、洋学、国学なども教えられました。
 日本人は寺子屋ができる前から教育に熱心でした。江戸時代以前は寺が教育
機関の役割を果たしました。寺では仏教に出てくる漢字およびシナ文化を教えました。それによって論理的に物事を考える力がつきました。その力は外国の思想・文化が入ってきたときに理解するのに役立ちました。日本ほど外国の思想・文化をやすやすと消化吸収してしまう国はありません。 それは逆に海外の影響を受けやすいということでもありますが、優れた理解力が日本の発展に大きく寄与したのは間違いないところです。
 日本にやって来た外国人は、日本人を見てすぐに教養があることを見抜きま
した。ですからイエズス会が日本をキリスト教化する戦略を立てるときに考えたのは、教養ある日本人をどう変えるかということでした。イエズス会の宣教師ヴァリニャーノはフィリピンなどを教化した方法とは違うやり方が必要だと考え、セミナリヨ (小神学校)、コレジオ (大神学校)、ノビシャド(修練院)という学校を設置して、教育しようとしましたが、結局根付きませんでした。それは日本にすでに数々の教育機関があったことが影響したものと考えられます。

東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学
客員教授  田中 英道


1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。

 田中氏が言われるように日本人は古来から教育熱心で、それは身分や職業に関わらずであった。

 江戸時代末期、外国人が数多く訪れるようになったが、日本人の学習熱心さや民度の高さに驚いたと、多くの文献に遺っている。「日本人は微笑みを絶やさず。正直で、嘘をつかない」「人を騙したりしない」「頻繁に風呂に入り、清潔である」中国人や朝鮮の人たちとは異なると。

 「意志あるところに道は開ける」「学びに、もうこれでよしは無い」、先祖のみなさんに負けないように学びを深めたいものだ。(谷口利広)

回復の見込み  西 鋭夫

 自民党政府は「構造改革」をしない。できない。これからまた10年の辛抱が続くのだろう。その間の経済成長は微々たるものなので増税が毎年行われ、ついに国民の怒りが大改革を要求し、日本病が回復に向かうのである。
 今の日本は徳川幕府の末期と似ている。あの時、天下の徳川が潰れるとは、誰も想像さえもしなかった。だが、人心は大きな変化の地鳴りを聞き、時のうねりの振動を肌で感じていたのだ。
 私は10年間も待てないので、胸に詰まっていることを言わせてもらう。

 病状
 コンクリートだけでも、恐ろしい話がある。日本国土は、カリフォルニア州より少し狭い。その日本が使ったコンクリートの年間総量は、米国全土で使われたコンクリート総量よりも多い。アメリカ大陸の大きさと日本列島の小ささを比較してもらえば、「から紅に水くくるとは」と和歌にも詠まれ輝いていた日本の山河を灰色の溝にした張本人の顔が見えてくる。
 食べ物でも、いやなカラクリがある。日米間の家計で、食費が占める割合がびっくりするほど違う。米国では、食費が家計の10%。日本では、25%。日本で生活が苦しいと言われるのは、アメリカ人より2.5倍も食費に使っているからだ。日本人が食べる農作物や海産物はほとんど輸入である。
 「浅草海苔」は浅草製ではない。東京・浅草に浅瀬の海はない。とうの昔に埋められた。日本の農業には跡継ぎもいない。農家の若者が農業を専業にしたくない。地方の若者は東京や大阪に出たまま帰ってこない。農業を教えていた定時制高校も閉校する県が続出している。
 事実、農業従事者の平均年齢は、65歳から70歳である。農業は国内総生産のわずか2%弱であり、農業に携わる人口は、園芸農家を勘定しても、僅か6%である。

 農村の原風景
 私は大阪市で生まれたが、4歳の時、米爆撃機B29から豪雨のように降ってきた焼夷弾(火災を起こす爆弾)を避けるため、母方の岡山県の農村・城下町に疎開した。
 16歳まで、絵のように美しい山々に囲まれ、田舎道のあちこちに真っ赤な彼岸花が群生し、清流の河原に月見草が咲き乱れ、田植え前の田圃は薄紫と淡い白と桃色のレンゲの花でびっしりと覆われていた。
 印象派の風景画のような美しい農村で、少し暖かくなると源氏蛍が舞った。カエル、トンボ、セミ、チョウチョ、キリギリス、カブトムシと、昆虫王国だった。青大将を2度掴み取りして、2度失敗した。歯形が左親指に「勇気の証」として長い間残っていた。
 手入れの行き届いた田圃が淡い緑から黄金色に変わり、季節を映し出していた山間の自然のなかで育ち、農村と農業には強い愛着とロマンを持っている。

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。

 

 西氏は、私の現役時代の、先輩(葛城市当麻町在住)の奥様の弟さんだ。奥様も存じ上げているが、西氏本人との面識はない。

 農村風景はまだ残ってはいるが、氏の指摘するとおり、どこも過疎が進み荒廃の一途であることは間違いない。今のままだと、雑草の生い茂る田畑が増えるばかりだ。
 政府は農業政策に注力し、とにかく食料自給率を上げなければならない。輸入ものに頼ることは極力避ける必要がある。(谷口利広)

新聞の休刊日

 テレビも新聞も事実をありのままに報道すべきだが、信用・信頼に欠けるフィルターがかかっている。そういった眼で耳で受け止めればよいが、読者側が深く考えないとつい流されてしまう。
 論評・論説については、独自の見解があってよい。当然だ。
 ところで、新聞の購読者がどんどん減る傾向にあると聞く。最近は首位から転落しているが、それまで戦前から最大手と言われて来たA新聞の購読数は400万部を切ってしまったと。「慰安婦問題」などで嘘を垂れ流して来たのだから、当然と言えば当然だ。正式に謝罪もしていない。ただ貸しビルなどを多く持っており、新聞での赤字を不動産部門で補っていると言われる。社名を変えた方がよいのではないか。
 「M新聞」が赤字続きであることも周知の事実だ。かなり深刻な状況らしい。とにかく、若者の「新聞離れ」が顕著である。
 高齢の者にとって、いろいろと考えるところがあっても永年の朝の習慣はおいそれとは変えられない。マスメディアに対してよくない印象が強いのだが、配達所の経営者や配達に係わる人には感謝している。5年先、現在の宅配システムが維持できているか微妙だと思う。
 今日は休刊日である。何かしら寂しく感じるのは私だけではないだろう。

中国は、本当に台湾を侵略できるのか?  林建良

 2022年になって、中国はますます台湾への威嚇行為を強めています。戦闘機や軍艦を台湾の近くに持ってきて、時には領空・領海に入ってくることもあります。「明日にでも戦争を起こそう」という勢いで、中国メディアによる宣伝も一層力を増すばかり。少し前までは「我々は1週間のうちに台湾を手中に収める」といっていたのが、「3日間で台湾軍を全て消滅させることができる」という論調に変わり、最後には「午前中に出撃したら、午後にはもう台湾総督府の中で珈琲が飲める」と言い出しました。
 それだけ、中国が本気で台湾を狙っているというということですが、果たして本当に、台湾はたやすく負けてしまうのでしょうか? 結論を先に言ってしまうと、これは事実ではありません。中国が台湾を攻撃しても、失敗する可能性が高いと思います。なぜなら、日本のメディアは注目していませんが、、今の台湾には、攻めてきた中国軍を返り討ちにする戦略が存在するからです。

台湾独立建国連盟・日本本部委員長  林建良

 林建良氏は、一番に中国共産党解放軍と台湾軍の士気の違いを挙げる。ロシアのウクライナ侵攻でも分かるように、戦争では「士気」の強さが最も重要となる。何のために戦うのか、目的がはっきりしなければ底力は発揮できない。
 中国共産党解放軍の民度の低さは周知の事実である。贈賄、収賄が横行し、軍内での窃盗などが日常茶飯事であると林氏は言われる。
 中国からの旅行者が他者を信用・信頼することが出来ず、心斎橋や戎橋界隈を、旅行ケースをごろごろ転がして運んでいる姿を見ても、高い民度とはけっして思われない。そのことが窺い知れる。

 台湾には、米国などから購入している最新鋭の武器もある。また台湾独自で開発した武器も。世界一の半導体に係る技術力があることからも、技術力の高さは容易に想像できる。世界各国からの支援も期待できる。
 そういったことを考え合わせると、中共が台湾に侵攻すれば、ロシア・ウクライナ戦争よりも泥沼化することは間違いないと思うのである。(谷口利広)

国際金融資本

 19世紀以後の世界の大きな出来事の裏側では、ほとんどに「国際金融資本」(ロスチャイルド家、20世紀に入ってからはロックフェラー家も)が係わっていると言われる。

 アヘン戦争、日露戦争、第一次世界大戦、ロシア革命、大東亜戦争を含む第二次世界大戦、ソ連の崩壊、最近で言えばロシアのウクライナ侵攻なども。そして、俄かに信じ難いのは、日本に開国を迫り日米修好条約を結ばせたぺリーの来航にもロスチャイルド家の意向が働いていたと。坂本龍馬にも活動資金が、グラバーを介して渡されていたと聞く。龍馬は、長崎のグラバー邸を頻繁に訪れていた事が遺された書状で明らかだ。日本国内を内戦状態にして混乱させ、自分たちの手を汚さないで日本を取り込もうとした訳だ。

 日露戦争での日本の戦費は、当時の国家予算の数倍と莫大であったが、多くはロスチャイルド家からの借金であった。ロシアのウクライナ侵攻も、長引けば長引くほど「国際金融資本」が利潤を得る仕組みとなっている。米国での大統領選をはじめ国政選挙では、「国際金融資本」が暗躍していると言われる。大手の新聞やテレビ局などのマスコミも牛耳られている。ということは、NHKをはじめ日本のマスメディアも同様だということになる。トランプは「国際金融資本」に抵抗するので叩かれる。

 とにかく、世の中の多くの出来事が「国際金融資本」によって動かされている。これらは、けっして『陰謀論』では無い。読者諸氏の多くが驚かれていると思うが、最近の近現代史を学ぶ者にとっては、欠かせない常識となっている。しかし、あの司馬遼太郎は知らなかったと思われる。なぜならば、「坂の上の雲」にも「龍馬がゆく」にも、ロスチャイルド家などには何ら触れていない。

 ロスチャイルドは、フランクフルト(独)に住む貧しいユダヤ人一家だった。

旅行において大事なこと   田中英道

 旅行というものは、ほとんどが芸術が軸になっているんです。芸術を見ることによって旅行が成立し、あとは食事や景色を楽しむとか、人と会うということが付随します。つまり、観光というのは「美を見る」「文化財を見る」という自分たちが持っていないものを見ることなのです。それが視覚的な新しい体験になります。なので、芸術を評価する気持ちがないと旅行に行っても「ただ行ってみました」というだけのことになってしまいます。よって、旅行において「文化を見る」「美意識を高める」ということは、重要になってくるわけです。
 ただ趣味的に見て帰ったとしても見ないよりはもちろんいいですけれども、それだけではもったいない。そういう意味で言うと、京都や奈良を訪れる外国人が多いのもそういうことです。
 日本ブームが始まりまして、「日本に行ってみたい」ということが、世界中に広まっています。では、なぜ日本に行ってみたいのか? 日本はどこへ行っても
・きれい
・ごみが落ちてない
・安全
・夜でも女性が歩ける

というセキュリティ的なことがよく言われていますが、それだけだったら言っては悪いけれども、スイスやスウェーデンとか安全な国はどこにだってあります。ですから、日本に来る本当の目的はそれだけではないのです。
 やはり、「日本の文化は、われわれと違う。しかしすごい価値があるんじゃないか」という気持ちがあるのです。つまり、京都や奈良に芸術を見に来ている訳です。ところが、ここで問題があります。残念ながら日本人自身が日本の芸術のアピールをしないのです。文化庁にしても、国土交通省の中の観光庁にしても、外務省情報文化局の文化参事官にしても、さまざまなところで文化という名前の部署は多いのだけれども、宣伝が全然うまくいっていません。
 こういった例は他にもあって、2016年に、私(田中先生)とローマ文化省が「日本の仏像展」を開催した時です。日本の仏像は美術的にすごい価値を秘めていますから、是非、イタリアで「日本の仏像展」を開催しようと決まったのですが、私(田中先生)が連絡しても文化庁は1年ぐらいボヤボヤして、なかなか話が進みませんでした。最後は、なんとか開催され、80点ぐらい仏像を展示しました。残念ながらイタリア側が期待する「日光・月光菩薩」とか、私が言う素晴らしい仏像は展示されませんでしたけど、かなり質の高いものは集まりました。国宝が2~3点あって、やはりすごいインパクトを与え、「ぜひ次もやろう」となりました。
 イタリアは芸術に関しては、自分の所に十分あるから、本来ではあれば、ほかの国の物を持ってくることは、あまり必要としていません。バチカンをはじめ、フィレンツェ、ヴェネツィアとあらゆる作品がどこにでも見られます。街を歩くとまるで博物館に行っているような気になります。こんな所はないです。どこに行ってもちょっとした教会堂と広場があります。作品そのものが街角で見られるのはイタリアしかありません。
 ところが日本も、お寺に行けば仏像が見られます。仏像にはそんなに価値がないと皆さん思っているかもしれませんけれども、とんでもないことです。イタリアでの日本仏像展でも、作品が非常に感動を与えました。要するに、日本も美術の最高峰と言われるイタリアと同じように京都は奈良では街を歩けばお寺があり、そこに仏像という美術作品がある訳です。それを評価する気持ち、この作品は何を伝えようとしていたのかを知ろうとする気持ちを持てば、つまり、芸術を見るという軸を持って旅行をするとそこには新たな景色が浮かび上がってくるのです。 

東北大学名誉教授 田中英道

 

 「英語教育」が大事でないとは言わないが、それよりももっと「日本の歴史と伝統」「日本の美術や工芸」などについて、小学校から学び触れることの方が重要であると思う。子どものときに機会を逃したならば、大人になってから学べばよい。
 外国人から日本の歴史や文化、伝統について質問されたとき、答えに窮するならばまず信頼は得られないだろう。英会話が苦手だからという理由で、蔑まされることなどあり得ない。

 国際会議では、昔と違って「同時通訳システム」が備えられている。母国語で、臆することなく堂々と論陣を張ればよいのである。

 私たちは、「奈良」という恵まれた地に住んでいる。歴史や伝統を学ぶには、この上なく恵まれた環境にあると言えよう。もっと地の利を生かすべきだろう。現在『正倉院展』が開催されているが、「これまで一度も出かけた事がない」などは、地の利を生かしていない、もったいないことである。さぁ、地の利を生かして出かけよう。(谷口 利広)

子どもたちに残す最大の遺産  松浦 光修

 私は、教師は「まず自分が『清浄』で『すがすがし』という境地でいてほしいものです」と思っています。けれども、今の教育現場はどうですか? その逆でしょう。それはなぜですか? 教師が勇気を持って戦っていないからではないでしょうか? 教育の世界ほど、「悪しき仲良し主義」「みんないっしょ主義」のようなものが、蔓延しているところはありません。
 それは、もう教師志望の大学生の時代から、そういう「全体主義的な空気」に慣らされて、しつけられてしまいます。「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」とは、要するにふつうの言葉でいえば、「事大主義」、「事なかれ主義」、「長いものには巻かれろ主義」です。
 それはやがては、教育現場に、根深い「癒着」と「馴れ合い」を生みます。私は長年、サヨク教師集団と戦って参りましたが、なぜその強い組織力は、今も維持されているのか…、と考えた時、その根底にあるのは、じつは高尚な思想などではない…と、近頃は思っています。そこにあるのは「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」、それに基ずく「癒着」と「馴れ合い」だと見ています。それが全国の教育現場の「反天皇全体主義」、「反日全体主義」のもっとも
根底のところにあって、その巨大な悪を支えている巨悪の根元ではないか、と私はみています。
 なぜそれを突き崩せないのか? それは、一人ひとりの教師に「勇気」がないからです。人には誰しも「保身」という感情があります。それは当然あってよいのですが、あまりに強すぎるとどうしても「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」の包囲網から脱出できない。ずるずると悪の一味になってしまう。
 はじめにそうなってしまうと、もう今度はそんなふうに「妥協して生きている自分」を正当化し、守ろうとするようになる。やがて、懸命に戦っている人を応援するどころか、嫉妬し始め、さらには妨害さえするようになる。最悪です。そうなったら、とても「我が御心すがすがし」という境地に到達するどころではないでしょう。
 一度「戦い」から逃げると、「逃げる」癖がつきます。だんだんと人相が悪くなっていきます。ひいては心を病むようにさえなってしまうのではないのでしょうか。気を遣いまくって「心の病」になるくらいなら、リスクを背負って「戦う」ほうが、精神衛生上、何倍もいいと思います。勝っても負けても、「戦い」から逃げ続けている人より、ずっといい人相になるはずです。
 世間には「きれいごと」ばかりならべて、要するに教育を「メシを食う手段」にしかしていない教師がたくさんいます。その一方で、理想を見失わず、本気で「戦い」つづけている教師もいます。子供たちはそれを敏感に感じとります。そういう教師は同僚からは、あまり評判がよくないかもしれません。職員室では孤立しがちになるかもしれません。「いい格好しやがって」などという、醜い嫉妬心を、たぶん教師という人種ほど強く持っている人々はいないでしょう。けれども大丈夫です。必ず子供たちが味方になります。「子供たちが信頼してくれる」ということほど、教師にとって強い心の支えはないはずです。
 何よりも、理想に向かって戦う姿を、子供たちに見せつづけることほど、素晴らしい教育はありません。教育技術も、知識も言葉も越えて、大人が子供たちに残してやれる最大の遺産は、実は「勇気をもって生きた大人の姿」だと思います。


皇學館大学教授 松浦光修

 

 松浦氏は「教育の世界ほど、『悪しき仲良し主義』『みんないっしょ主義』のようなものが、蔓延しているところはありません」指摘される。教育界に38年身を置いた私だが、「まさにそのとおり、鋭い指摘だ」と思う。
 また、「保身」「勇気がない」とも言われている。OBとして残念だが、的を得ている。もちろん、氏も指摘しているとおり、皆がみなそうではない。身を粉にして、児童生徒のために、日本の教育のために尽くしている方も少なくない。

 教師をめざした者の多くが、学生時代から高い志を抱き、けっして易くはない教員採用テストを突破して教職に就いたはずである。優れた教師になるための、それなりの基本的な力量は備えていただろう。10年、20年と過ごす中で、自己に厳しく研究・修養を重ねた者と易きに流れた者とで大きな差が生じると思われる。

 「庭いじり」を趣味として47年になる、「適度の水やり」「的確な剪定」「適度な施肥」「病虫害に対する早めの的確な対応」などをきちんと為せば、その結果の出るのは早い。春の手入れが、早ければもうその秋には……。一方、人づくりという観点からの教育効果の現れるのには、相当の時間を要する。20年、30年、40年と……。

 目の前のこの子のためにと必死で注力しても、なかなか理解して貰えない事が多い。であるから、真に勇気の無い教師、力量に欠ける教師は「妥協した安易な指導に流れ易い」のである。そのときは嫌われてでも、「妥協しない厳しい姿勢」を堅持することも求められる。ただ、厳しさだけではだめであり、根底に人としての温かみがなければならないことは言うまでも無い。

 松浦氏の言われる『理想に向かって戦う姿』とは、そういうことだろう。(谷口 利広)

日本精神は武士道精神と大和魂   林建良

 日本精神は大きく武士道精神と大和魂の二つに分けられます。この二つの精神には更に誠実であることと自然と調和することの二つの核があります。この二つの核のいずれも中国文化にはありません。李登輝が「誠実」と「自然」という言葉が好きなのは、これが日本文化の核心だからです。
 日本人以外にも誠実を美徳としている人はいます。「虚」を重んじる中国でも、誠実さについては評価しますが、自分でやるのは難しい。誠実さを保つことは日本人にとってはそれほど困難ではないかもしれませんが、ほかの国では必ずしもそうではありません。日本人はほかの国の人よりも自然体で誠実なのです。
 例えば、アメリカなど西洋の国には、「誠実さは最善の策である (Honesty is the best policy)」という言葉があります。「最善の策だからこうしなさい」という言葉の裏には、「それは大変難しいことだ」という意味があるのです。最善の策が簡単であれば、誰でもその道を選ぶでしょう。ですが、「この道の方が最善だよ。こうしなさい」というふうに強調しなければいけないほど、実際には難しいのです。
 初代アメリカ大統領:ジョージ・ワシントンの有名な話があります。実はこれは創作された話なのですが、ワシントンが小さい時にお父さんの大好きな桜の木を切ってしまったという有名な話があります。お父さんが帰ってきて「誰が切ったんだ?」と聞くと、ジョージ少年が「僕がやった」と言います。「僕がやった」と正直に言うこの勇気を持つのがかなり難しい部分なのです。誠実に対処するには相当の勇気が必要だからこそ、西洋ではあえて「誠実にやりなさい」と強調しているのです。

 突然の総統就任と国会改革
 実は、李登輝本人も著書の中で、「一番困難な仕事こそ、 誠実に対処しなければいけない」と言っています。李登輝がどんな例を出したかというと、1988年に総統だった蔣経国が急死し、副総統だった李登輝が総統になった時のことです。憲法の規定によって図らずも総統に就任した李登輝でしたが、蔣経国の残存任期である1988年1月〜1990年5月の2年4か月間を務め上げた後、今度は自分で選挙に立候補しなくてはなりませんでした。
 当時の台湾の総統選挙は、今のように国民の投票による直接選挙ではなく、国民代表の投票による間接選挙でした。国民代表というのは国会議員のことですが、台湾国民に選ばれた人たちではありません。その大半は1947年12月25日に中国大陸で選ばれたまま改選もされずに議員の椅子に居座っていた人たちで、台湾人からは万年議員と呼ばれていました。そんな状況の中、紆余曲折を経て、李登輝は1990年3月の総統選挙で国民代表の票を獲得し、当選しました。
 当選した李登輝が真っ先に着手したのは、台湾の民主化と政治改革でした。台湾の政治改革で一番大切なことは、「台湾は台湾であり中国は中国である。台湾と中国は関係がない」という方向性を示すことでした。そのため彼が最初に取り組んだのは、憲法改正でした。憲法改正は、当時の台湾にとって非常に大きな意味がありました。
 1949年、毛沢東率いる中国共産党との戦いに負けて台湾に逃げ込んだ蔣介石は、共産党との内戦を理由に、憲法を実質的に凍結し、憲法の上に動員戡乱時期臨時条款というものをつけたのです。動員戡乱とは、「今、全国で動乱が起こっている。だから全員動員して反乱者を一掃しろ」という意味です。この臨時条項が憲法の上に乗っかっていることにより、総統は絶大な権力を持っていました。
 一方、「我々中華民国は全中国を代表する」ということで、中国大陸で選出された国民代表は改選されないままです。今は内乱状態のため中国に戻って選挙ができないからと、1947年に選ばれた人がずっと国会議員をやっているのです。この動員戡乱時期臨時条款を外すためには、国民大会で憲法を修正する必要があります。同時に、この臨時条項を外されると国民代表は正当性を失い、今度は自分も辞めなければいけなくなります。これは非常に大きな仕事です。李登輝に言わせると、憲法の修正を国民代表に頼むことは、「まさに彼らに対して自分の墓穴を 掘ってくださいと頼むようなもの」でした。しかし、彼はこれを正攻法でやってのけたのです。
 当時、国民代表は全部で565名いました。李登輝はその一人一人の自宅を訪ね、「今はこういう状態だから、どうか引退して欲しい。 その代わり潤沢な退職金を用意するから、この退職金で悠々と晩年を過ごして下さい」と説得しました。当然この565名全員がすんなりと「ああ、分かりました。いいですよ」と言うはずはなく、門前払いされることもありました。それでも、粘り強く一人一人を説得したのです。
 李登輝がやったことはただ一つ、「こうしなければ国民は納得しない」と誠実に説明することでした。1991年、憲法改正案が通り、国民代表は全員辞職しました。李登輝は後に当時を振り返って、「誠実にお願いすれば、いずれ説得できる」と言いました。逆を言えば、誠実さがなければ説得することは不可能だということです。人間というのは嘘をつくのは平気でも、嘘をつかれるのは気分の悪いものです。誠実になることは簡単ではありませんが、最終的にはやはり誠実に対処するしかないのです。難しい仕事ほど誠実さが必要なのです。

 中国が李登輝を憎む本当の理由
 2020年7月30日、李登輝が亡くなった際には、世界各国のビッグニュースになって、当時の安倍総理など世界各国の要人が台湾に哀悼の意を表しました。しかし、1国だけ例外がありました。それが中国です。アメリカが哀悼の意を表すると、中国政府は激しく抗議。そして中国のネットには、見るに堪えない李登輝に対する罵詈雑言が溢れかえりました。
 なぜ中国や中国人はそれほどまでに李登輝を恨んでいるのでしょうか?…

林 建良(りん けんりょう)台湾独立建国聯盟・日本本部委員長
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。

 林 建良氏は「日本精神は、大きく武士道精神と大和魂の二つに分けられる。この二つの精神には、更に誠実であることと自然と調和することの二つの核がある」と言われる。日本人として有り難い評価だが、少しほめ過ぎではと思ったりする。その評価に恥じない生き方をしなければならない。

 日本に対してそういった高い評価をする台湾に対して、安倍元総理の国葬の折の日本政府(特に外務省)のとった態度は、極めて失礼なものだった。中国共産党への忖度が根底にあるだろう。無礼千万であったと言えよう。

 そうであっても、台湾は「日本」に対して好意的である。まさに「誠実」な国と言えよう。我が国は一日も早く台湾を国として認め、正式に日台友好条約を結ぶことが求められる。私はそう考える。

 日本人の一人ひとりが、安倍元総理が遺されたように『台湾の有事は、日本の有事である』ことを改めて認識する必要があると思うのである。(谷口利広)

電力不足と火力発電の意外な関係   藤井厳喜

 11月に入りずいぶんと寒くなってきましたが、相変わらず東京電力は電力不足ということで、節電節電と言っております。みなさんに知っておいていただきたいのは、こういうときに大活躍しているのが、実は火力発電所なのです。石炭火力発電所、そして、液化天然ガスの火力発電所が各地でフル稼働で頑張っています。
 今は地域電力の独占が崩れまして、電力が地方ごとに融通できるようになりましたので、例えば、今年は東京電力は中部電力などにも助けてもらって何とか賄っている状況です。急に電力の生産を増やせとなった場合、すぐに対応できるのは火力発電所しかありません。これは電力会社の方が言っていることですが、原子力発電所では対応できないのです。原子力発電所は一定レベルの発電をずっと続けるということは得意ですが、増やしたり減らしたりという調整は難しいのです。それが一番できるのは火力発電所ですから、決して軽視してはいけません。

 「水素社会」は何が問題なのか?
 一方で、日本の岸田総理は2050年のカーボンニュートラル実現で社会のあらゆる分野を電化させる必要があると昨年の時点で宣言しておりました。そして水素社会を目指すなどという話ですが、要するに、火力発電はゆくゆくは全廃するということなんですね。現在、火力発電は日本における電気の生産の4割くらいを担っています。それを2050年には全部辞めようということですね。もちろん、その頃には現閣僚で生きている人も少ないとは思いますが、はっきり申し上げて非常に非現実的です。
 家庭のエネルギー消費を見てみますと、先進国の家庭のエネルギー消費の5〜6割は熱エネルギーなのです。つまり、暖房やお料理、お風呂を沸かすといった目的でエネルギーが使われているわけですね。そんな状態ですから、燃やして熱が出る化石燃料を使った方がはるかに効率的なわけです。そういったものも含めて全部無くして、一度電気にしたものをもう一度熱に変換するというのは非効率的なエネルギーの使い方ということだと言えます。

 火力発電全廃を目指す岸田総理のホンネ
 今、環境対策の脱炭素化を主張する人々が一番目の敵にしているのは、やはり石炭、石油、そして天然ガスを使った火力発電です。しかし、本当に太陽光発電とか風力発電などの自然再生エネルギーを利用するためには、火力発電がどうしても不可欠なのです。というのは、風力や太陽光では自然条件によって欲しいときに電気を生産することができませんから、その変化に機敏に対応して電力をすぐに増やしたり、下げたりすることができるのが火力発電しかないわけです。ですから、岸田政権を含めて原発利権推進派の人が狙っているのはまず火力発電を全部潰しておいて、同時に再生可能エネルギーによる発電も潰していくということ。そしてやがて目指すのは100%の原発社会ということなのではないかと思います。
 この電力不足が叫ばれている中で、いかにめちゃくちゃな政策をしているか、ということがよくわかると思います。このあたりにトリックがあるので、引っかかってはいけないなと私は思っています。

 国際政治学者・藤井 厳喜

 国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。
 また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。

 私たちは、火力発電がどうしても必要不可欠であることを認識しなければならない。カーボンニュートラルなどといった、戯言に惑わされているのは日本だけである。

 6日からエジプトで温暖化に係る国際会議が開かれるが、脱炭素の負担を日本ばかりが背負うことの無いように努めなければならない。(谷口 利広)

「老年」の素晴らしさについて  田中英道

 奈良時代の日本においてすでに、100歳・90歳・80歳以上の齢は、めでたいものではあるにせよ、決して珍しいものではありませんでした。
 日本人の平均寿命は、14〜16世紀で15歳程度、18世紀で30歳代半ば、明治13年(1880年)時点の調査で男36歳/女38歳、平均寿命が50歳を超えたのは昭和22年(1947年)頃です。
 江戸時代はもちろん明治時代も、ほとんどの人は40歳になる前に死んでいるのか、などと考えてしまう人が多いのですが、これは勘違いです。からくりは、乳児の死亡率にあります。時代を遡れば遡るほど、医療技術は未熟だったため乳児の死亡率が高く、これが平均寿命を押し下げているだけなのです。
 現代において、100年をどう生きるかを考えるのと同じように、100年をどう生きるか、奈良時代の人々もちゃんと考えていました。「人生100年時代」は新しいテーマでも何でもなく、ずっと考え続けられてきているテーマであることは、かつて長く生き、素晴らしい創造性を持った人々が少なくなく存在し、同時に彼らもまた老人の人生を語ってきたことで証明されています。
 ところが現代は「人生100年時代」という単なるキャッチフレーズに任せ切ってしまい、身体的健康だけを追って、無自覚に年をとるということを推奨しているように見えます。まるで、人間の思慮などというものは忘れてしまえ、あるいは、思慮というものを含む創造力などというものは失ってしまえ、と言わんばかりです。
 これは、人間そのものにとって、非常に危惧すべきことです。現代人はどうやら、長く生きるためにどうするかということだけを考え過ぎているようです。“寿命が延びる”ということだけに価値が置かれ、生きることの精神的な問題、あるいは心理的な変化、そして、その人の思考、つまり、思想の展開というものが、まったく無視されているように見えます。“身体的健康が時間的に延びた”ということで、万事良しとされているようです。私は、そういうことであってはならないと思っています。
 ここでは、大局的な視点に立ち先人たちの美術作品を見ながら、老人論を建て直していくことにしましょう。まず私がお見せするのはこちらです。有名な老人像の「鑑真」です。
 鑑真(688〜763年)は、日本に5度の渡航を試み、6度目に日本にたどりつき、帰化した長老です。日本に着いた時にはすでに盲目だったと言われており、その盲目の表情が非常に美しく像に表現されています。この鑑真の像に見られるように、老人像が作られることによって初めて人間の個人の姿が表されるようになったということが重要です。
 老人が描かれるということは、そこには“文化”があり、しっかりとした社会が構成されているということを意味します。長老がいることによってはじめて社会が安定することの現れでもあるのです。
 世界には、“偶像崇拝禁止”という宗教的文化を持つ地域あるいは歴史があります。そのために、イスラム世界や5〜15世紀東ローマ帝国のビザンチン文化では、宗教上の理由から人間像をつくりません。しかし一方で、日本とヨーロッパは人間像をつくってきました。特筆すべきなのは、そこにおいては老人像がたくさん描かれた、ということです。“老人像は美しい”、“老人は美しい”という、現代が失ってしまっていると言っていい別の指標があるのです。
 続いてレオナルド・ダ・ヴィンチは、30代の終盤、ミラノにいた時に自らの肖像画を描いています。非常に有名な自画像で、トリノ王宮図書館に収蔵されています。40歳頃の時の自画像ですが、作品を見れば一目瞭然、ダ・ヴィンチはまさに老人の像として自らを描いています。つまり、ダ・ヴィンチは、老人であることを衰えであるとは考えていないのです。彼の天才性はモナ・リザのように美を若さに求めない点です。これはやはり、成熟こそ描くべき対象であり、老人、老年がいかに素晴らしいものかを自らに写して表現しているのです。
 私は、老年こそ、人生で最も創造的時代と思っています。体を色々気づかうことも、その創造に関係しています。現代、心理学者の間では“主観年齢”というものが、注目されているようです。自分は75歳なのに、60歳だと考えることの心理がどのようなものか、と分析しています。私は、年齢など気にしない老年時代が、理想だと考えています。85歳は85歳でいいのです。そうした正直に年代を認めることこそ、創造に取り組むにふさわしいのではないでしょうか。


田中 英道(東北大学名誉教授)

 

 田中 英道氏の、「老年こそ、人生で最も創造的時代と思っています」に同感だ。サムエル・ウルマンが言うように「暦年齢」が問題ではなく気持ちの持ち方が大事であり「もうだめだ」と思った時からが老人であり、老年と老人は違うのである。

 サムエル・ウルマンは「青春とは心の若さである。希望と信念にあふれ勇気に満ちて、日に新たな活動を続ける限り青春は永遠にその人のものである」とも……。(谷口 利広)

米国は日本を守るのか  西鋭夫

 日米不平等条約
 第9条で「軍隊」を持っていない日本、持ってはいけない日本が、無差別爆撃と原爆(大量破壊兵器)2発で国土を廃墟にしたアメリカとなぜ軍事同盟を結ばされたのか。なぜ軍事同盟を結び得るのか。
 海に囲まれながらも、航空母艦も原子力潜水艦も持っていない日本と、全ての武器を持っている軍事大帝国アメリカとの間に50年間も維持されているこの条約は、一目瞭然、一方通行の不平等条約である。
 明治日本は徳川末期に、欧米諸国との間に結ばれた屈辱的な不平等条約を
懸命になって書き替えていったのだが、戦後日本は歴史を忘れてしまったのか。1960年に日本で市民革命が起こるかもしれないほどの流血の大乱闘の末、現行の不平等な日米安保条約が更新された。憲法第9条で雁字搦めにされている自衛隊が枷から解き放たれ、国防軍になって初めて平等な「双務同盟」を結ぶことができる。その時には世界最強のアメリカと同盟を結ぶべきであろう。

 アメリカの国益
 ところで、強兵アメリカが弱民日本を守らなければならない道義的な理由はあるのか。ない。日本列島に米軍隊を駐留させているのは、アメリカの国益に合うからである。だが、日本の国益とアメリカの国益、「アメリカのプライド」と「日本の誇り」は、同じではない。
 アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)が日本完敗で終結した1945年の夏、マッカーサー元帥が厚木に降り、日本占領を始めた。マッカーサー自身が愛国心に燃えた戦士だったので、日本人の愛国心の強靭さを理解した。このマッカーサーの理解こそが、6ヵ年半の占領で実行された日本弱民化の原点である。誇り高き日本人を無防備にし、精神的にも臆病にすれば、太平洋はアメリカの溜池となり、アジア全土もアメリカの文化・経済植民地にできると読んだマッカーサーは、強靭な日本人を、どうすれば弱くすることができるのかと考え作り上げたのが、国防責任を捨てさせる第9条と道徳観皆無の教育基本法だ。
 
 日本弱民化政策
 一億弱民化は「平和教育」と名づけられ、誰も平和に反対することはできず、この国籍不明の教育が戦後60年間我が者顔で横行している。日本の平和教育崇拝者たちは、日本嫌いの近隣諸国と同調して、「国」を潰せば日本が平和になると錯覚し、その売国行為を「進歩的」と勘違いし、若者たちを懸命に洗脳した。 日本の大学にも、資本主義の恩恵をドッサリ受けているにもかかわらず、日本攻撃をしている隠れマルクス主義者が今でも大勢いる。

 属国教育
 敗戦は「悪」だったのだろうか。日本が「悪い」から、負けたのか。勝てば官軍の米軍は、賊軍日本に命令を下した。日本人であることを恥ずかしいと思え。日本的とは「劣悪、残酷、下品、野蛮、非科学的」であると教えろ。「君が代」は戦争への行進曲であるゆえ、歌うな。「日の丸」は侵略戦争の軍旗であるゆえ、掲げるな。日本史もアメリカから見た歴史を教えろ。武器を持つな。正当防衛のためにも、戦うな。絶望的な敗北感と命を脅かす飢えに苦しむ日本は、「属国教育」を始めさせられた。第9条が存在する限り、日本の「戦後」は終わらない。

西 鋭夫
 1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。

それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。

 6年の統治を終えて、マッカーサーは帰国した。すぐに米国議会で演説し、GHQの政策は誤りであったと述べた。「東京裁判」についても同様である。

 マッカーサーは大統領選に立候補しようとしたのだが、議会演説の内容に対して全米から猛バッシングを受け、立候補を断念した。その後亡くなるまで、妻と二人、ひっそりとホテル暮らしをしたと聞く。(谷口 利広)

日本を貶める  (株)経営科学出版 編集部

 あなたはご存知でしょうか?「日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」 と発言した日本の政治家がいることを...
 これは、2009年12月に民主党幹事長であった小沢一郎氏が、韓国・ソウル市内の大学で行った講演の中で発言されたものです。また、この講演の中で次のようにも語っています。「神武天皇は朝鮮から来たという説がありますが、これはおそらく歴史的事実でしょう。」つまり、日本の皇室の起源が朝鮮にあると主張したのです。
 これを聞いた韓国人青年たちからはどよめきの声さえあがりました。しかし、この主張は本当に正しいのでしょうか? 小沢氏がこの発言をするにあたり参考にした説が騎馬民族征服説です。これは、東京大学の江上波夫教授が唱えていた説ですが、現在ではほとんど否定されています。なぜなら、古事記や日本書紀には騎馬民族に関する記述がなく、この説には信憑性がないためです。
 しかし、なぜ小沢一郎氏は信憑性がないこのような説を引用したのでしょうか? それは、「日本を貶めるため」です。「日本の天皇の祖先は韓国出身である」と発言することで、日本は韓国より下の国だと暗に伝え、日本を貶めようとしているのです。歴史・経済を学ばれているあなたは、天皇を利用して、日本を貶めようとする勢力がいることはすでにご存知かもしれません。もちろん、日本を貶めようとする勢力がいることは大きな問題です。 
 しかし、本当の問題は、小沢氏の「天皇は朝鮮人だ」という発言を信じる日本人がいるということなのです。どうして、このような信憑性のない説を信じてしまうのでしょうか? それは、日本人が天皇に関する正しい知識を持っていないからです。
 戦後アメリカは、日本における天皇に関する教育を禁止しました。そのため日本人は学校で「天皇」について学ぶことがありません。アメリカは、二度と日本が米国の脅威にならぬよう日本人の精神を骨抜きにすることを決定し、日本の教育を根本から変えたのです。しかしこのままで良いのでしょうか? 天皇に関する正しい知識をもたない日本人でいいのでしょうか? 日本を貶める勢力の意見ばかりを信じる日本人でいいのでしょうか? 
世界中の尊敬を集める天皇をぞんざいに扱う日本人でいいのでしょうか? 
 このままの日本の教育では、豊かな国日本を守り抜くという意識を持てず、2700年以上続いてきた日本人としての根幹もなくなってしまいます。
未来の日本の子供たちは、そんな日本をどう思うでしょうか?

(株)経営科学出版編集部

 元民主党で総理まで務めた鳩山由紀夫が「あなたは韓国人か」と思うような発言を繰り返しているが、若くして自民党の幹事長まで昇りつめた小沢一郎までもが、韓国に於いて日本を、日本人を貶めるような発言をしているとは、「何をか況や」を通り越している。(谷口 利広)

朋 遠方より来るあり

 今日、高校の教え子であり長野県に住むSさんが訪ねて来た。北安曇野でスキースクールを営み、夏場は山岳ガイドや山岳レスキューにも携わっているそうだ。

 54歳になったと言われたが、がんばっている様子が随所に窺え教師冥利に尽きる思いだった。学級担任をしたわけではなく、陸上競技部員でもなかったが、なぜか慕ってくれた。彼はスポーツ万能であり、水泳もランニングも得意だった。

 教え子の立派な姿を眼にすると、私も「まだまだ老け込んでいては……」と刺激を受ける。『徳は孤ならず、必ず隣りあり』の話をすると、さらに眼を輝かせた。

60周年記念誌用集合写真

 10/25に、「県老連設立60周年記念誌」用の役員・顧問集合写真を撮った。

野田元総理 追悼演説 全文

本院議員、安倍晋三 元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。

享年六十七歳。あまりにも突然の悲劇でした。
政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずであった穏やかな日々。

すべては、一瞬にして奪われました。

政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。

私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。

我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

安倍晋三さん。あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。
父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。

成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。三十八歳の青年政治家の誕生であります。

私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。

その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。

内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢五十二、最年少でした。

大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。

しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。
かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。

五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。

私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。

安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。

安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。

同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。

「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」

温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。

あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。

安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。

「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」

私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。

私からバトンを引き継いだあなたは、七年八ヶ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。

第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。
首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。

安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。

そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。

私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。

憲政の神様、尾崎萼堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。

「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」

安倍さん。
あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。

再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。

耐え難き寂莫の念だけが胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。

その上で、申し上げたい。
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。

そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。

国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。

最後に、議員各位に訴えます。

政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。

民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。

この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。

「まさか」ではなく「もしかして」と  織田邦男

 “危機管理・安全保障で大事な考えは、「まさか」ではなく「もしかして」と捉えて準備すること。準備すれば、大体は起こらないことが多いが、その場合は「よかったな」と考えるべきです。
 しかし、日本人は準備が無駄に終わったら、「何やってんだよ。何もなかったじゃないか」と考えます。これは安全保障が分かっていない人の考えです。”
 たとえ軍事とは関係ない一般人であっても、ひとたび有事が起きれば、無関係ではいられない…。ウクライナやロシアを見れば分かるとおり、情報リテラシーの差が生死を分けることにもなりかねません。

 

元航空自衛隊トップ 織田邦男

 

 私は少し前まで、中国共産党による「台湾進攻」は無いのではと考えていた。中国国内の経済状況はガタガタであり、明るい材料がまったくない。発表されるGNPなどの指標は、嘘で塗り固められている。明らかにマイナス成長である。台湾に攻め入るどころではないのではと思った。

 しかし、習近平は反対派を徹底的に排除して3期目に入った。国内に暴走を止める者が居なくなった。そういったことを考え合わせると「台湾進攻」は現実味を帯びてきた。それもかなり早い段階での、もしかしたら年内にも。日本は、悠長で能天気な国会質疑に終止符を打ち、「台湾進攻」に備えなければならない。

 だが、中共が武力侵攻したとしても、訓練に訓練を重ねている台湾軍は手ごわい。装備も劣っていないし、何より中国共産党人民解放軍に比して、祖国を守ろうとする意識が違う。基本となる民度が違う。そのうえに、米国を始めとする多くの国の支援が期待される。中国は孤立するであろう。

 台湾に武力侵攻すれば、中国共産党の崩壊は確実に早まるだろう。(谷口利広)

国民の一人ひとりが国防・安全保障を考える  織田 邦男

 私は安全保障については、一人ひとりの国民が知らなければいけないというふうに思っておりまして、「呼ばれて、都合がつきさえすれば、どこでも飛んでいきますよ」というのが私の姿勢です。
 アメリカに2回留学させていただいて、「やっぱり日本っておかしいな」と思ったのは、本来1人1人が考えるものであるはずの安全保障が、国が考える話とされている点です。
 米空軍大学に行った時に、外にアパートを借りて住んだのですけれども、隣の家は普通の主婦がおられて、私はある時に「アメリカの安全保障について、どう思いますか?」と聞いたのです。そうしたら、とうとうとしゃべるのです。あれはびっくりしました。そのしゃべっている内容は、必ずしも正しいとは思わないし、変なところもあるけれども、1人1人がアメリカの外交政策、アメリカの安全保障について、普通のおばちゃんまでが語るというのはすごいなと思いました。
 やはり国家というのは、そういうものだと私は思うのです。 1人1人の考え方が寄り集まって構成されているのが国家だし、日本という国家の安全保障を政治家だけに任せるというのは非常におかしい話だし、戦前はそれで失敗したのだと私は思います。
 安全保障というのは、特に戦前は「おまえたちがくちばしを入れるな。おまえらが考える話じゃねえよ。俺たちに任せとけ」ということだったのです。数少ない軍人のエリートに任せてということですが、それはおかしな話です。そして、戦後はというと、これはまた逆に「軍事を語るというのはとんでもない。もう失敗したじゃないか」ということで軍事がタブーになったのですけれども、両方ともおかしいのです。ですから、軍事を考えることがタブーになって、しゃべることもタブーです。そういうことで、戦前戦後を通じて、結局国民1人1人が考えなければいけない安全保障は、誰も考えていないのです。
 やはり国会議員というのは、国民1人1人のレベルを超えることはないのです。ですから、国会も安全保障を理解できる人はいないのです。これは非常にまずいです。ものすごく長い時間がかかるかもしれないけれども、「もし安全保障を聞きたいという人がいれば、どこにでも出ていきますよ」というのが私の考えです。
 アメリカというのは、必ずしも一人ひとりが世界に目が向いているとは思わないです。非常に閉鎖的な国です。ですが、1人当たり22万円も国防費に費やしている国ですから、おのずと安全保障、あるいは国防については関心がありますよね。ですから、国防に限らず、われわれは税金を出して国を支えている、支えるべき政治家に託している、その政治家を選ばなければいけないとなりますと、やはり自分たちが動かしているというのが国ですから、選ぶ政治家はどういう考えを持って、それが正しいかどうなのかということを判断する、それによって、その政治に参画していく。そういう意識が、欧米諸国は日本よりも高いと思います。
 日本は、特に戦後、放っておいても安全で、しかも繁栄した国に安穏としておられたということがあって、そういうふうになってしまったのです。しかし、ウクライナ戦争や台湾有事などこれから激動の世の中になって、そういうふうには言っていられなくなる、やはり1人1人が考えなければいけないというふうに思います。国民のレベル以上の政治家は出てこないのです。
 そうなると、国民のレベルが上がらなければ、政治家もいわゆるこの激動の世界情勢の中で、日本の安全を保ち、繁栄を確保していくというかじ取りができる人は出てこないと思うのです。ですから、安全保障、あるいは国防などの最低限の知識をしっかり持っていなければいけないし、それを持てるようにしなければいけないのです。しかしながら、日本にはまだまだタブーがありまして、「日本学術会議は軍事研究をしない」なんてあるのです。
 僕の後輩がリタイアした後、ある大学に特任教授で呼ばれて行っていましたが、一番最初に一筆書かされたというのです。「何だ?」と言ったら、「『軍事研究はしない』というふうに書かされました」と言うのです。まだこんなことを言っているのかなと思うのです。そういう制度、そういう仕組みが残っていること自体が異常ですよね。ですから、「戦後77年経って、まだこんなことを言っているのか」と思うのですが、明日にも戦乱が起きても不思議ではない、戦争に巻き込まれても不思議ではないという時代になって、まだそんなことを言っているということです。
 やはり転ばぬ先の杖というのは非常に難しいのですけれども、しっかりとした考えを持っている人が1人でも多く出て、底上げをすることによって、政治家もレベルが上がっていくという形にしなければ、安全保障1つ知らずに政治家になって、いい外交ができるとは思わないのです。
 安倍さんは、岸信介、安倍晋太郎という家系ですから、おのずと考えざるを得なかったというのはあると思います。それでも安倍首相の時には必ず自衛官を呼んで、「現実はどうなんだ」というのを自分で勉強されていたのです。それは逆に言えば、大学もですが、そういうのを教えてくれるところがないということです。その状態を変えていかないと、激動の国際情勢を乗り切れないのではないかと危惧しているのです。

(織田氏の特別講義「自衛官のリアルpart1元空将が語り継ぎたい『自衛隊:100人の神兵たち』」より抜粋・一部編集)

航空自衛隊・元空将:織田 邦男(麗澤大学特任教授)

 防衛大学校を卒業後、航空自衛隊に入り、F- 4パイロットなどを経て、米空軍大学留学、米スタンフォード大学客員研究員、航空幕僚監部防衛部長、航空支援集団司令官などを歴任。平成21年退官。27年東洋学園大学客員教授、30年より国家戦略研究所所長。
 周囲の反対を押し切って防衛大学に入学し、航空自衛隊を目指したという織田氏。「自衛隊は違憲だ!」という逆風の中、日本を守るために現場で活躍を続けた。日米共同演習のスタートからイラク派遣に至るまで日米関係に携わってきた経験を持ち、イラク派遣では任務完了の時期がわからない中、常に身の危険を感じる活動に尽力。一度の事故もなく国際協力活動を成功させ、日本の航空自衛隊の能力が諸外国と比較しても遜色なく高いレベルであることを実証した。
 2009年、イラク派遣が終わると「これが自分の使命だった」と語り退官。35年もの間、航空自衛隊で活躍し、現役時代は空将にまで上り詰めた国防のスペシャリスト。元政治家・石原慎太郎氏に党首討論のために意見を求められた経験もあるという。 現場や過去の教訓からの分析を得意とし、虎ノ門ニュースの出演や産経新聞・JBpressへの寄稿の他、尖閣上空での中国機による攻撃をリークするなど、その活躍は多岐にわたる。

 国防・安保について、中国共産党や北朝鮮党の脅威が迫っている中、他国任せにしてはならない。国防があってこその、日々の安心安全とした暮らしが保障される。日本の、我が国の国民一人ひとりが、真剣に考えなければならない。「ならず者の国家に取り囲まれている」のだ。(谷口利広)

ゴルフの蝉川選手に拍手

 20日(目)から兵庫県で開かれていたゴルフの日本オープン選手権で、大学4年の蝉川泰果(せみかわ・たいが)選手がアマチュアとして95年ぶりとなる初優勝を果たした。蝉川は今年、日本ツアー2勝目であり、アマの年間2勝は史上初の快挙である。

 ゴルフ界では、近年若い選手の台頭が著しいが、それらの選手の中でも群を抜いてスケールの大きさを感じさせる。本人は、「タイガーウッズ選手のような、ファンを唸らせるようなプレーのできる選手をめざしている」とも。大した選手が現れたものだ。近い将来、松山選手に次いでマスターズを制してくれるのではと、期待をせずにはおられない。蝉川選手に拍手を送る。(23日16時30分)

李克強引退

 中国共産党の党大会が閉幕した。次期指導部を構成する中央委員(205人)が選出された。習近平は選ばれ、李克強首相は漏れた。李克強に近い現常務委員3名も外れた。習近平が3期目を確定し、側近には自らに近い者で固める模様だ。

 本日の「1中総会」で、新体制のメンバー発表がある。中国共産党の崩壊が早まることは間違いない。

明日(23日)中共幹部の顔ぶれが

 中国共産党の党大会は本日閉幕し、明日23日にも政権の顔ぶれが明らかとなる。党最高指導部の政治局常務委員(現在7名)に誰が就任するのだろうか。

 国内メディアのほととんどは、習近平が側近で固めるであろうとの見方が大勢である。一方、澁谷氏(拓殖大元教授)は、反習近平派が過半数を占めて李克強が中心となって改革・開放政策が進められるであろうと。
 どちらになっても、中国共産党は「崩壊」への道を突き進むことは間違いない。「一帯一路」政策も、このところ綻びが目立っている。パキスタンも政権が変り、親米に舵を切った。

 幹部の人事が判明する明日に注視したい。

前向きに受け止める生き方

 順境の時は、その人物の大きさは中々分からないものだ。が、逆境に遭遇してみると、途端にその人本来のものが露わになる。どのようなときでも、松柏のようにいつも堂々としていたい。「得意澹然(とくいたんぜん・思い通りに事が運んでもおだやかでいる) 失意泰然(思い通りにいかなくとも落ち着き払っている)」とありたい。

 頼みごとをされたときに、自分にとって利益になる、ならないかを、またそのことがしんどいことなのか、簡単なことなのかを受諾の条件にしてしまいがちだ。言い換えれば、一肌脱ごうと前向きに考えるのか、逃げるのかの違いである。しんどいことであっても、筋の通ったことであれば前向きに受け止める生き方をしたいものだと心がけているが、易いことではない。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

小野田氏と靖国神社  NEW HISTORY事務局

 昭和49年までたった一人で、大東亜戦争を戦い抜いた日本人がいました。  
 男の名は、小野田寛郎(おのだ・ひろお)。戦争の終結を知らされず、実に約30年に渡ってフィリピンで孤独な戦いを続けていたのです。
 帰国を果たした時、小野田さんは51歳になっていました。「日本人は戦争に負けて腐ってしまったのか...」小野田さんは帰国後、戦前とすっかり変わってしまった日本に絶望を感じたといいます。帰国した際に 天皇陛下万歳!  と叫ぶと、メディアは小野田さんのことを“軍国主義の亡霊”と批判しました。さらに、当時の田中角栄内閣から受け取った見舞金100万円を全て靖國神社に寄付すると、それに対してもバッシングの嵐。誹謗中傷の手紙も届いたそうです。特に靖國神社に対しての感覚がまるで変わってしまっていることには衝撃を隠せなかったといいます。
 小野田さんは、こんなコメントを残しています。「既婚者は、家族を遺して死ぬことに 心残りもあったかもしれないけれど、独身の若い者たちは、「自分が先頭に立って戦わねば」とみな思っていた。これはどこの国だって同じでしょう。命がなくなることは覚悟していた。でも靖國神社がある。 国のために戦死した人を 国で祀ることは当たり前で、これは日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。日本人はそれさえ わからなくなってしまったのかと思います」
 小野田さんのコメントにあるように、少なくとも戦前・戦中を生きた人々は、靖國神社で戦没者を祀るのは当たり前で、大切に守っていなかければいけないという認識がありました。しかし、だんだんと時代を経て、戦争の時代を生きた人々は減っていき、、メディアでは毎年の風物詩のように、毎年靖國神社をバッシング...NHKや朝日新聞、毎日新聞など、多くのメディアでの集中砲火により、日本人の認識はどんどん変わってきてしまいました。このままの状態が続けば、靖國神社の伝統は失われてしまう… 日本を守ろうと命をかけた先祖の努力を踏み躙ってしまうことになる…日本の子どもたちは、そんな国に対して愛国心を感じることはできるでしょうか? 終戦から77年経った今こそ、日本人に靖國神社について正しく理解をしてほしい。そして、誇りある日本人が、一人でも増えていってほしい。

NEW HISTORY事務局

 今朝(10/20)、ある高齢の方から「『会長のつぶやき』を読んで、靖国神社について認識を新たにした。学びを深めたい」と言われた。マスメディアのプロパガンダにより、ある程度齢を重ねた方であっても知らぬ間に間違った歴史認識を植え付けられているのである。東京裁判等に汚された学校教育も悪い。正しい歴史観をもち、子どもたちに教えていくみとが求められる。

 私たち大人がしっかりしなければならない。先ずは、自虐史観を取り払わなければならないのだ。(谷口利広)

北朝鮮はなぜ日本を狙うのか  藤井厳喜

 北朝鮮のミサイルの問題が最近日本人を悩ませています。ミサイルの射程距離がどんどん長くなって、日本列島を越えて太平洋の方にも落ちるようになりました。北朝鮮という国家が自衛のために足の長いミサイルを持ちたいと思うのは当然のことですけれども、彼らがなぜ日本の方を狙ってくるのかといいますと、これを実験する場所としては、日本海か、太平洋に打ち込むしか場所がないわけです。
 ばかばかしい話のように聞こえるかもしれませんが、北朝鮮にとってロシア
やチャイナは同盟国ですからそこに向けて発射するわけにはいきません。シベリアにも広大な空き地がありますが、何かの事故で人のいるところに落ちたら大変なことになってしまいます。そうすると、実験をするには北朝鮮のすぐ東である日本海、もしくは日本列島を越えて太平洋に飛ばすしかありません。これは一つの事実です。

 金正恩が進める核開発の目的
 それからもう一つは、開発したミサイルに核弾頭をつけて外国を威嚇したい
ということが北朝鮮の本音ですけども、その一番の相手はアメリカなのです。
 ア
メリカ合衆国と北朝鮮を国家として比べると、その国力はもはや比較になりません。もし北朝鮮 vs. アメリカで第2次朝鮮戦争という形の戦争になりますと、アメリカの持っている圧倒的な軍事力に北朝鮮は太刀打ちできないわけです。ですから、北朝鮮軍は韓国軍のことはさほど恐れていませんが、その同盟軍である米軍の存在が一番怖いのです。当然、北朝鮮としてはアメリカを抑止したいと考えています。
 極端な話をする
と、最終的には核弾頭を撃ち放って、まずはグアム島ぐらいは全滅させる能力を持つ。やがてはハワイ、カリフォルニアなどの西部の州や、そしていずれはニューヨークやワシントンなど、アメリカの主要に届く核ミサイルも開発できたとなると、「我が国がもし負け戦になったら、いつでもミサイルを撃ちますよ」「そ

の時は北朝鮮も崩壊しますが、アメリカも大変なことになりますよ」と言ってアメリカを脅かすことができます。

 核にまつわるロシアと北朝鮮の共通点
 北朝鮮の立場は今のロシアの状況とよく似ています。プーチンは、「もしウク
ライナ軍が攻勢を強めて、ロシア領内に入ってくる状況になったら核兵器を使うかもしれないよ」と脅かしているわけです。北朝鮮の手法は、その論理と全く一緒です。これは捨て身の戦略ですが、彼らからすればそれが抑止力になるということなのです。そしてもちろん、北朝鮮のミサイルは日本に対する威嚇にもなっています。日本には核兵器を使う必要もなくて、通常弾頭のミサイルを日本の原発に当てるだけでも大変なことになります。その脅しがあれば、日本がアメリカと協力して北朝鮮と戦うということもやりにくくなるでしょう。
 ここまでお伝えした点こそが、あの国が一生懸命、ミサイル開発を急いでいる
理由ということです。いたずらに恐れる必要はありませんが、それは日本に対する脅威であるということを正しく認識しておかなければいけません。


国際政治学者・藤井 厳喜

  国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。

 日本は、中国・北朝鮮・ロシアのならず者の国々に取り囲まれている。そして最近、韓国でも「核武装」の声が挙がり現実味を帯びていると聞く。日本は、世界でも稀有の厳しい環境にあるのだ。

 我が国では長い間、軍事費はGNPの1%以内という制約で、自らを縛ってきた。結果、有事の際、領土・領海・領空、そして何より国民の命を守れるのかと、心もとない状況にある。弾薬の備蓄も少なく、有事の際、1か月も持たないのではと言われている。

 ようやく中国や北朝鮮の暴挙を前に、今のままではダメだとの声が大きくなり、軍事費を増やす方向で協議が進んでいる。そんなとき決まって出るのが、軍事費を増やす余裕があるのなら国民の生活や福祉の向上などに回すべきではの意見である。だが、有事に対応できなくて、人々の生活を守ることはできないのである。暮らしを守る前に、命を守らなければならないのだ。

 政府は強い姿勢で、躊躇することなく軍事費を少なくとも世界水準の2%まで挙げるべきである。「5年後には」などと悠長なことを言わず、米国に頼るべきところは頼りながらも、「自分の国は自分で守る」という原点に立ち返り、来年度からでも実現すべきである。

 中国が台頭してきた折、米国は日本に「核武装」を勧めてきたと聞く。日本がやんわり断ったので、米国は中国との宥和政策に舵を切ったと。そのことが、今の中国の覇権主義を助長することになった。「経済的に豊かになれば、民主的な国になるだろう」との思いを、中国は見事に裏切ったのである。

 日本の経済界も「日中国交回復50年を祝う」などと戯言を言わず、中国からの撤退を急がねばならないと思う。その動きが水面下で進みつつあると聞く。停滞すること無きよう切に望む。(谷口利広)

中国共産党の崩壊は……

 澁谷 司氏(しぶや つかさ・拓殖大元教授)は、相変わらず「習近平の総書記としての3期目は難しいのでは」の考えを崩していない。その論拠には「なるほど」と頷いてしまう。つい期待してしまうのである。しかし、客観的情勢は「3期目に突入か」の様相を示しつつある。

 長老を含め、中国共産党(以下、中共)の幹部の過半数は「反習近平派」である。地方を含め、幹部連中を取り巻く中共党員にも、習近平の政策では中国は衰退の一途をたどるだろうと危惧する者が多いと聞く。最近の経済状況を見れば、それは誰の目にも明らかだろう。

 最近、中国国内あちこちでデモが頻発したり、騒動が起こっている。10月になって、北京大学近くの高速道路らしき主要道路の欄干に、習の悪政を批判する内容や習を『国賊』と名指しした大きな2枚の横断幕が掲げられるという事件が生起した。その映像をご覧になられた方も多いだろう。このような事は、かつて無かったことだ。その模様は当局により短時間で削除されたものの、ネットで世界に拡散した。

 このように一般国民から中共幹部に至るまで、「周体制ではダメだ」と思っているのになぜ3期目なのだろうかと不思議に思ってしまう。「反習近平」でまとまらなければならない幹部連中なのだが、一般国民の苦しい状況をよそにぬくぬくとした生活を送ることが出来ているのだろう。あえて危険を冒して「習近平体制打倒」に走ることはないと考えているのだろう。
 孔子は、「生を求めて、以て仁を害することなく、身を殺して、以て仁を為すこと有り」と言われたが、何と志の低いことよ。日本の政治家の中にも志の低い方が多いが、中国ではさらに……。

 しかし、中国国民の不満の鬱積は、間違いなく極度に高まっている。爆発寸前と言ってもよいだろう。経済音痴の習近平の舵取りで、中国経済はますます窮地に追い込まれるだろう。ここ最近の、中共に対する米国の厳しい対応も、中共の経済崩壊に拍車をかけるだろう。そのような中、もし台湾に侵攻するようなことになれば、民度の低い中共人民軍は、訓練を重ねている台湾軍の強力な抵抗に遭い、ロシア・ウクライナ以上の泥沼と化すだろう。他の国々も、こぞって台湾の支援に回るだろう。それは、中共の崩壊を一気に早めることにつながる。

 私は中国共産党の崩壊は、5年以内に訪れるだろうと推察する。

靖国神社考  久野 潤(日本経済大学 准教授)

 最近はようやく、一般の人が「靖國神社」に普通に行くようになりました。「護国神社」もそうです。
 私が学生時代だった20年前とかは、「今日、靖國神社に行
ってきた」と言うと…「えっ!お前、 右翼?」あるいは「お前、遺族だったの?」と言われたものです。右翼か遺族しか靖國神社に行ってはいけない! という雰囲気だったのです。
 だから、靖國神社に行く人といえば、ちと狂ったような狂信的な愛国主義者
か、 自分のお父さんやおじいちゃんが亡くなった遺族の方々のみ。これは裏を返せば、「遺族じゃなかったら行かない…」「興味ない…」というのが当たり前と思われていた時代でした。
 ところが最近は、芸能人でも靖國神社に普通に行きます。靖國神社に行ったと
SNSでアップしてくれる芸能人もいますね。また、ジョン・レノンも生前、結構来ていたという話もあります。このように、近頃は、靖國神社にだんだんアレルギーがなくなってきています。これはある意味ではチャンスといいますか、つまり、これまでは右翼か遺族でないと靖國神社に行かなかったのが、普通の人が普通に行く神社となり、靖國神社で結婚式を挙げたいという人も増えているらしいです。
 靖國神社というのは、ある意味で特別な神社なのですが、ある意味、特別視し
すぎずに、普通に日本人みんなが参拝すべき神社でもあるわけです。戦争中や戦前は当然のように軍人はもちろんのこと、政治家とか、一般の方々もみんな参拝していました。遺族も当然行きます。自分のお父さんやおじいさん、家族が祀られている。あるいは自分の子どもが祀られているという人もいるでしょう。今はもう、遺族といえば戦没者のせいぜい奥さんや兄弟が一番最高齢ですね。ご遺族の多くが子ども、さらに孫という中、それ以外の方々も普通に参拝すべき神社だと思いますし、そうあってほしいと思っています。
 それでもメディアや私のような研究者や学者が所属している学会というの
が、どうしても靖國神社にネガティブなイメージを持ちがちですし、またそのようなことを発信するわけです。少し前までだったら靖國神社に政治、 さらには総理大臣が参拝しようものなら、「中国、韓国が文句を言ってくるぞ!」という風潮がありました。「中国、韓国に日本は悪いことをしたんだから、もう一生謝り続けるべきだ!」という感じで主張していたマスコミにとっては、「だから参拝はやめろ!」という論調に持って行くわけです。
 最近はさすがに、「いや、あの戦争だって 日本が一方的に悪かったどころか、
中国、とりわけ中国共産党なんかは、 コミンテルン(ソ連)の手先になって、むしろ戦争を誘導していた。むしろあっち側が仕掛けて来たんじゃないか」そういう話などもだんだんと明るみに出てきているので、中国、韓国が反発するからという理由がそこまでは有効ではなくなりました。
 その次にメディアや学者が何と言うかというと、、、「いや、靖國神社はね。戦
没者を神としてお祀りするのは 日本の伝統のように行っているけど、ちゃんちゃらおかしいんだ」「戦没者を『神』として 祀るなんていうのは 伝統でも何でもなくて、近代に入ってから日本人が、特に日本の政府や権力者が一般の日本人を戦争に駆り立てるために、戦争で死んだら英雄だという、そういう洗脳のために上からの命令でこしらえたのが靖國神社であり、護国神社」だと。そういう言い方を結構するようになってきています。
これもはっきりいえば間違いです。何故かというと、「上からの命令」と言い
ましたが、さっき言ったみたいに確かに靖國神社、指定護国神社そのものは、国家が建てたり、地方公共団体が建てたりしたものかもしれません。しかし、それ以外の指定護国神社というのは全国に数百あります。その数百の、圧倒的に多い指定外の護国神社、招魂社などは、地元の方々の草の根の思いで建てられたものです。上から嫌々、 無理やりに建てられたものでも何でもないのです。むしろ上からの支援だけでは足りないからということで、「地元でも戦没者をきちんと祀らないと」 という思いから創建されたものなのです。
 それともう一つ、「近代に入ってから初めて建てた」というのも、これも大ウソです。はるか遡れば、建国の時、初代天皇・神武天皇の時代。『日本書紀』 によると神武天皇が宮崎から奈良に向かう神武東征において、「日本の歴史上初めての戦い」が起こるわけです。それが「孔舎衛坂の戦い」です。そこで敗れてしまうわけです。今風にいえば抵抗勢力に敗れてしまうわけですね。傷を負った神武天皇のお兄さんが敵の矢を受けて深手を負って亡くなるわけです。「なんでこんな奴らに!」みたいな感じで雄叫びを上げて亡くなった。 
 その戦死したお兄さんは和歌山市内に今「竈山神社」というのがありますが、竈山の墓というところに葬られて、それが御陵になっているわけです。その墓に葬られるとともに、その場所で「神」として顕彰されて今に至っています。建国前の、まさに「殉難者」と言えます。国事殉難者です。国家に身を捧げて非業の死を遂げた方として顕彰され続けてきたのです。
 もちろん無名の戦没者多数を祀るのと、そういった特定人物を祀るのとは違うかもしれませんが、やはり戦没した、殉難した方というのを特別扱いするというのは、これは別に近代に入ってなったわけではないのです。私が今言ったような反論をしている人を保守系のなかでも見たことがなく、だから靖國神社というのは近代の洗脳装置でも何でもない、全然後ろめたいこともない…ちゃんと日本の伝統に沿った、神道的な、日本人の古来の風習に基づいて作られるべくして作られたものだ。という感覚を、我々は持てばよろしいのかと思います。

日本経済大学 准教授 久野潤

 
 日本人の一人ひりが、中国や韓国、米国などからのいわれなき非難や国内マスメディアの妄動的洗脳を無視するとともに、東京裁判的史観、自虐史観から脱皮し、胸を張って堂々と参拝すればよいのだ。国のために一命を賭して戦った英霊に対して手を合わすことに何の躊躇や遠慮の必要があるだろうか。誹謗中傷は無視すればよい。そのうちに黙るというものである。「波風は立てないほうが……」との考え方が話をややこしいものにしてしまう。粛々とお詣りすればよいのである。谷口利広

日本國史の潰し方   西 鋭夫

 「教科書を作れ」
 教科書検閲が行なわれる一方で、マッカーサーは、日本政府に新しい教科書を作れと命令した。CIEは、1946年7月当時、「約146冊の教科書原稿が検閲、 改定され、出版を許可された」と記録している。
 地理の教科書の書き換えは簡単であった。日本政府は、1946年6月29日、マッカーサーに「地理」再開許可を要請し、それを得た。嘘をつこうとは誰も思っていなかったのだが、日本史を書くことは、CIEが文部省に「歴史とは日本国民の正直な歴史でなくてはならない」と指示していたにも拘らず、困難な作業であった。
 文部省は、歴史教科書の執筆者の名前をGHQに提出した。GHQは、これら執筆予定者の徹底した人物調査を行なった。小学校と中学校向けに各一冊、師範学校用に一冊と、計三冊が用意される。執拗な検閲・修正 CIE局員二人が、黒鉛筆と赤ペンで、英訳された原稿をクシで梳くかのように丹念に調べた。

 GHQが「日本史」に異常なまでに神経を尖らせていたことは、次の例が十分に物語っている。
 師範学校用の原稿で、執筆者が日本の「美しい自然」を描写したところ、CIE検閲官は削除した。「愛国心」は赤ペンで消され、黒鉛筆で「国を思うこと」と変えられた。「天皇の歴代記」は「天皇の伝説」と変えられた。(神武天皇)「国家統一」もダメ豊臣秀吉が、1591年に戦国時代の日本を統一した。常識だったが、CIE検閲官はこれを完全に削除した。「国家統一」が気に入らない。 
 CIEは、天皇や日本について肯定的な論評をしたり、記述したものは全て削除した。
 このような検閲の後、CIE当局は、「感情的な扱いは、完全にない」と、自信をもって断言した。1946年9月5日、CIEは、文部省に新歴史教科書『くにのあゆみ』を出版してもよいと許可を与えた。同年10月12日、マッカーサーは、日本歴史の授業を再開してもよいが、学校には「文部省が準備し、GHQが承認した 教科書のみが使用されるべきこと」と厳命した。
 この七カ月前の3月に、アメリカ教育使節団は、教科書作成に文部省を使うことに強く反対したが、GHQは文部省を使い続けた。中央集権は益々強まっていた。

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。

 マッカーサーは、連合国司令官としての任務を終えて帰国後、米国議会で演説した。その中で、トルーマン大統領の意を受けて自らの行った日本への占領政策の誤りを認めた。東京裁判にも非があったことも。それらのことを、いまだに知らない日本人があまりにも多いことに愕然とする。とにかく、広く知らされていないのである。谷口利広

親から頂いた命は惜しむべき

 高潔な目標を持っている『志士』と仁の徳性を身につけている『仁人』は、日常生活の中では自己の生命を尊重するが、仁徳を達成するためにどうしてもわが命が必要であると覚悟すれば、その身を潔く捨てることに何の躊躇もないと孔子は言われる。

 「覚悟」の大切さを指摘しているわけだが、ただ軽々に「命は惜しくない」とは言ってはならない。何のためなら惜しくないのかが問われるのである。親から頂いた命は、惜しまなければならない。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

靖國神社  NEW HISTORY事務局

 あなたは靖國神社が創建された本当の目的をご存知でしょうか? 靖國神社が創建されたのは、明治2年(1869年)。最初に祀られたのは、戊辰戦争の戦没者たちでした。
 「国家のために一命を捧げたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めたい」
 そのような明治天皇の思いから、戦没者の霊を鎮魂するための神社として靖國神社は創建されたのです。この「靖國」という名前もまた明治天皇の命名によるもので、「平和な国家を建設する」という願いのもと作られたのです。
 その後、日本は、日清、日露、大東亜戦争など、数々の戦争を経験。激しい戦闘の中で、多数の尊い命が失われました。この時、こうした国難から日本を守るべく命を捧げた人々を、英霊として顕彰するために靖國神社に祀られるようになりました。
  これまでに靖國神社に祀られた方の総数は、およそ246万6千名。日本人は、当時から、戦没者や殉難者(国のために亡くなった方)を慰霊し、顕彰し続けてきたのです。ですが、何もこれは日本の靖國神社に限ったお話ではありません。
 実は靖國神社と同じように、戦没者や殉難者を祀ったり感謝したりする施設は、世界中に存在しています。例えば、代表的なのは、米国のアーリントン国立墓地。ここはアメリカ南北戦争の戦没者墓地として建てられ、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦没者が祀られています。

 近くの韓国には、ソウル国立墓地があります。朝鮮戦争での戦没者を祀るために建てられ、ここには16万9千人が眠っているとされています。他にも、

・フランス「シャルル・ド・ゴール広場」
・イラク「アルシャヒード・モニュメント」
・イタリア「ヴェネツィア広場」
などなど、、
 日本の靖國神社にとどまらず、戦没者・殉難者を祀る施設は、世界中に数え切れないほどあるのです。そして国家のリーダーは、国民の代表として参拝をします。外国の要人来訪の際には、参拝・献花するのが国際常識です。実際、多くの日本の首相たちも、世界中のこうした施設で参拝・献花をしています。
 それなのに、、日本の「靖國神社」だけは例外的な扱いを受けています...なぜか国家のリーダーである首相が参拝できない状態にあり、、中国や韓国・アメリカからも、「参拝するな」と圧力をかけられる、、政治家の靖國参拝にはメディア総出でバッシングの嵐、、これってすごく、“おかしな状態”ではありませんか?  

 日本のために命を尽くした方々に感謝を捧げることすらできないなんて、日本人として恥ずかしいことではないでしょうか...一体なぜこんな状態になってしまったのでしょうか?
 靖國神社の歴史を辿っていくと、日本人として許すことのできない“最悪の事件”がきっかけでした...
↓NEW HISTORY事務局

 本日は、靖国神社の例大祭である。多くの国会議員が参拝した。当然であろう。もう少し近くならば私も参拝するのだが、奈良から東京となると……。これまで二度しか参拝できていない。次に上京したときには、ぜひとも三度目の参拝をするつもりでいる。

 まだ参拝できていない鹿島・香取の両神宮への参拝も、必ず果たさなければならない。(谷口利広)

剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)仁に近し

 ものづくりや工芸などの世界で、「その道60年、70年」という人が居られる。匠の領域に達している人たちである。その多くは、学歴などというものには無縁である。学校での勉強には縁遠かっても、一つの事に打ち込んで来たという何物にも代えがたい経験の重みがある。

 言葉は訥であっても、一言一言に言い知れぬ深みがあるのだ。まさに、「剛毅朴訥仁に近し」である。
 学校での学習もおろそかにしてはならないが、それが絶対ではない。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

悠然とした立ち居振る舞い

 教養があり徳のある君子はゆったりとして堂々とした雰囲気があるが、徳の無い小人は声を荒げて威張るばかりである。その立ち居振る舞いに悠然とした余裕がない。

 偉ぶる、通ぶる、知ったかぶる……、皆自分に自信のない人の特徴である。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

切磋琢磨する関係

 和して同ぜずの『和』とは相手を心から深く理解して調和する様子を指し、『同』とは相手の言葉や態度の表面だけを見て流されるままに同意する様子を指す。

 孔子は、自分の見識や判断を放棄して、他人に付和雷同するような行動のありかたをひどく嫌って軽蔑していた。

 一般に友だちは多い方がよいが、傷を嘗め合うだけの烏合の衆の集まりでは意味が無い。切磋琢磨し、常にお互いを成長させるような交友関係でありたい。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

やさしさや温かみを基盤とした毅然とした指導

 孔子は「君子は人の美を成し、悪を成さず」と言われた。善事を推進して悪事を抑制するという君子の道徳規範と、その実践のあり方を示したものである。自分の身を正してくれる言葉である。
 つい欠点を見てしまい、他の人のよいところに気づかずにいることが往々にしてある。他者の長所を素直に褒めるのは案外難しい事だ。心したい言葉である。

 私は課題の多い学校への勤務が多かった。そういった学校では、自らをだめな人間、取り柄のない人間だと思っている生徒が少なくなかった。けっしてそうではなく、どのような生徒も必ずよいところを持っている。指導する側は、隠れているその生徒のよいところを見つけてほめてやることが求められる。そして、ルール違反などに対しては毅然と叱らなければならない。

 厳しい指導の背景には、当然だが温かみがなければならない。やさしさや温かみを基盤とした、毅然とした指導である。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

庭の苔

 苔を大事に育てているが、写真は自然に生えて来た苔だ。他の場所に生えたものを移植もできるが、なかなかうまくいかない。育てていると言っても、小さな雑草をこまめに取るくらいのことだ。水は頻繁にやるのがよいように思うが、やり過ぎるとダメだ。

 年中で今が最も美しいような気がする。

「人を達す」が念頭にあれば

 孔子の高弟 子貢は能力は隆かかったが人物批評を好む癖があったようで、時々孔子にたしなめられた。
 孔子の人となりについても、子張第十九の数箇所で語っている。他の弟子たちは偉大な師、偉大な賢者、偉大な君子であるとは感じていたようだが、子貢に限っては、初めから孔子に神聖なるものを感じて仕えていたようだ。

 「自分さえよければ」というような考えが先に走ると、「他者のために汗をかく」などといった思いは浮かんでこない。「人を達す」ということが念頭にあれば、争い事は起こらないのである。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

徳は孤ならず

 正しい道を実践していても、たまに受け容れられず孤立しているかのように見えることもある。だが、実際には道徳的な人生に感化される仲間を生み出すものだ。
 正しい道徳の実践者は孤独ではない。正しき道を踏み行う者は、必ず良き理解者や支援者を得ることができると孔子は言われた。

 孤軍奮闘は立派なことだが、いつまで経っても共鳴する者が現れず一人で奮闘しているようでは、その人に徳がないとも言える。徳の中でも、すべてのベースである仁の徳が欠落していたらいつまで経っても共鳴者は現れないだろう。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

崩壊・破滅への道を

 中国の状況だが、第20回中国共産党大会が10/16日から開幕する。いよいよである。
 日本のマスコミや中国ウォッチャーはこぞって、「習近平体制3期目確実」との報道を流している。そういう報道に触れ、日本国内の誰もがそのように思っているのではないか。

 そのような状況の中、澁谷 司(拓殖大学元教授)氏の見方は違っている。中国解放軍の実権は依然として江沢民・李克強の「反習近平派」が握っており、習の3期目は難しいだろうとの考えを変えていない。それは一貫している。

 中国のみならずどの国であっても、「軍を掌握する者が実権を」となるだろう。「ペンは剣よりも強し」が理想であり、そうあらねばと思っても理想と現実は乖離する。実際のところは、そのようになってしまう。

 16日からの党大会ではどのような結末になるのか、大いに注目したい。
 どのような結末になろうと、中国共産党が崩壊・破滅への道をたどることは間違いない。

有言実行

 「不言実行」と同じく、「有言実行」という言葉もよく耳にする。「私は有言実行を心がけている」などという表現を聞くことがある。はたして「有言実行」という表現は正しいのか。
 「有言実行」という言葉が、現在正しい言葉として存在するのは間違いない。ただし、30年くらい前までに発行された辞書には掲載されていなかったという事実もある。

 このことから、「有言実行」という言葉が比較的新しい言葉であることが分かる。「不言実行」のほうが先にできた言葉であり、そこから派生してできたのが「有言実行」である。「有言実行」の意味合いとしては、「無言実行」と同じくよいイメージで使われる。例えば、「彼は有言実行でオリンピックチャンピオンになった」などと。

 有言実行をする人は、自分にプレッシャーをかけ目標をやり遂げようとする傾向がある。近年は、「不言実行」より「有言実行」の方が立派な態度だと見なされる事が比較的多い。夢や目標を広言し、努力して成功させる人のほうがかっこいいと見なされるように時代が変化してきたのだろう。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

不言実行

 孔子は「巧言」を嫌い、「不言実行」を好んだ。雄弁に巧妙な言葉を操る人よりも、しっかりした考えをもち機敏に実践する人のほうが、より君子的であると考えていた。

 世の中には、弁は立つが行動の伴わない人間があまりにも多い。「不言実行」の意味について、辞書には「あれこれ言わずに、なすべきことを実行すること」とある。「不言実行」という言葉は、人を評価するときに肯定的に使われる。主に、実力のある人に対して肯定的な意味合いで用いられることが多い。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

地位にふさわしい実力を身につける

 地位や権力を得ることばかりを求めるのではなく、自分がその地位や権力に相応しい人間性を備えているか、その職責を十分にまっとうできる実力があるかを考えろと孔子は言われた。
 他人が自分を高く評価するかしないかばかりを気にかけるのではなく、他人が認めざるを得ないような大きな仕事や実績を残せるように努力することが肝心なのである。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

反省を生かす

 ミスをした時に、気がついて次に生かせればその経験は無駄にはならないが、生かせなければ無駄以外のなんでもない。
 失敗した時点で、同じことは繰り返さないと思っても、数週間後には、失敗したことすら忘れていることもある。
 「反省を生かす」というのは、後悔した気持ちにひたるだけでなく、失敗の原因を探り改善策を見つけることまでを指す。

『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から

1億2000万人の国際化   西鋭夫

 知識人の功罪
 明治以来、日本は欧米文化の翻訳に努め、それを日本文化に取り入れた。それは過去の話でなく、現在進行形だ。日本の学生、有識者、さらに一般市民も、アメリカやヨーロッパについてかなりのことを知っているが、アメリカやヨーロッパの一般市民は日本と中国の区別もつかないし、もちろん東京や大阪がどこにあるのかも知らない。
 ところが、日本の大学で経済・経営学を勉強する時、アメリカの経済学者(例えば、ポール・サミュエルソン)の書いた大きな教科書を使い、英語を懸命に訳しながらがんばっている。これほど経済の進んだ日本で日本語の経済書はないのか。このような欧米書崇拝を恥ずかしいと思わず、むしろ「進歩的」と信じている日本の知識層が日本の将来を暗くする張本人だ。

「国際化」という名の熱病
 このような国内情勢の中で、起こるべくして起こったのが「国際化」である。「国際化」。この言葉が日本国内で「動詞」として活躍している。学校でも企業でも国際化。町も村も一生懸命である。あたかも、目に見えない海外からの「優れたもの」に追いかけられているかのように、劣等感にさいなまれた「1億2000万人の国民」が「われわれは進歩しています」と世界の人々に評価してもらわんとして、実に涙ぐましい努力をしている。明治維新の「文明開化」も、おそらくこの「国際化」のような熱病だったのだろう。
 その熱病に取りつかれた明治の日本は、「脱亜入欧」(日本は、遅れているアジアと手を切り、文明開化の進んだ西洋に仲間入りしよう)という熟語まで作り、当時欧米のエジキになっていたアジアに進出していった。
 この野蛮な戦いに負けた日本は改心し、非人道的な行為は二度としませんと誓い、憲法第9条に戦争及び戦力の放棄、すなわち「永久無防備」までも宣言し、海外諸国に謝罪した。

 国防を他国に委ねた国
 近年、日本社会は閉ざされていると非難を浴びると、今度は「国際化」だ。「国際化」とは、世界各国が互いを理解し合えば平和と友好が世界に訪れるという信仰だ。それゆえ、自衛、国防は不必要になるという。
 世の中はそんなに甘くない。相手を知れば知るほど嫌いになる時だってある。知れば知るほど相手のもの、領土、資源をぶんどりたくなり、そうするために策を練る国だってある。むしろ、「国際化」が進むほど、国防をしっかりとすべきなのだ。だが、他力本願の平和主義で戦後50年間ボケまくった日本は「アメリカが守ってくれる」と信じている。

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。
関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。

天命を全うする

 人は誰でも天命を授かって生まれてくると言われる。しかし、多くの人は自らの天命に気づくことが出来てないかも知れない。なぜなら、何気なく生活しているだけでは天命は見つからないだろうから。

 天命というものは、すぐに見つかるものではないと思う。なので、常に自問自答することが求められる。そして天命が見つかったとしても、努力せず毎日を適当にこなしていたら天命を全うすることは出来ない。

 天命とは何をやるかという内容のことを指すのではなくて、「どう向き合っていくか」という姿勢のこととも言える。自らの天命を見つけて目の前のことに全力で取り組み、身近にいる大切な人たちの役に立つ行動をして、天命を全うしていくことが求められるだろう。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

私の使命

 孔子は50歳で「天命」を知ったが、私は若いとき「自らの『天命』は何か」などと考えたことはなかった。恐らくみなさんも私と同じではなかろうか。もう少し早く論語を学んでいれば、早い時期に自らの『天命』について考えが及んだかも知れない。違った人生を歩んだかも知れない。現在は自らの使命について少しは考えたりする。

 現在の私の使命は、高齢者の会の運営をスムーズに運び会員から喜んでいただくこと、それと論語塾で「論語」を講じることを以て、その普及に貢献することの二つである。その一環として、地域住民の健康増進に貢献することを願って始めた「ラジオ体操会」をこれからも継続していく。「ラジオ体操会」は、この9月末で7年となった。一年365日というのは楽ではないが、参加者からの「ありがとう」を糧に、日々心を新たにして努めている。

 私の使命は至って小さいが、『天命』として自らの心に刻んでいる。

学び続ければ人生は豊かに

 孔子は、「憤せずんば啓せず」(論語・述而第七)とも言われた。発奮しなければ自分を広げることもできない。だから刺激を求めてどんどん外に目を向けたい。最も愚かなのは、自分で枠を作りそのなかに閉じこもってしまうことだ。

 「冉求曰く、子の道を説ばざるに非ず。力足らざればなり。子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今女なんじは畫れり」(論語・雍也第六)とも。孔子の弟子の冉求は、「先生の教えは素晴らしいと思いますが、私の力で実行するのは不可能です」と言った。そのとき孔子は、「力が足りない人間なら道半ばであきらめるもので、今のお前は最初から自分を見限っているだけだ」と諭すのである。 

 「できない」という言葉を口に出してはならない。難問、難題は、実力向上の好機と捉えるべきである。日々に埋没し、向上心を失ったとき、人は目標もまた失う。惰性のままに流れていく毎日にやりがいをなくし、ただ老いるだけの人生にどんな幸せがあるだろう。常に学び続けるなら、自ずと人生は豊かなものになる。

 「学びて時に之を習う。亦説よろこばしからずや」(論語・学而第一)。孔子は学びのなかに悦び(説は同義)があると言われるが、「悦び」は「喜び」とは異なる。「喜び」は瞬間的なものを意味し、「悦び」は何度でも繰り返し湧いて来るものだ。何か自分のテーマを持って学び続けると、一つ分かっても次々に新しい疑問が湧くはずである。それを解いていくうちにさらに発見がある。そのような「知の悦楽」を知った人なら、実り多い人生を送ることができる。また、学びを通じて、徳を高めることもできるに違いない。

 孔子は、「徳は孤ならず、必ず隣有り」(論語・里仁第四)とも言われた。社会的地位を得て経済的に恵まれても、信頼できる友人もおらず孤独な人生を送らざるを得ない人は少なくない。ところが、天命を知り、学び続けることによって人徳を高めた人の周りには、必ず友人が集まって来る。どれほど苦しいことがあっても、よい仲間や家族がいれば人は乗り越えていくことができるのだ。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

仕事に情熱を

 働くことの原点は、人から羨望の眼差しで見られる会社に勤めることでも、高い給料を得ることでもない。孔子が「憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂いを忘れ、老の将に至らんとするを知らざるのみと」(論語・述而第七)と言われているように、時には社会的な問題に憤って行動し、食べることさえ後回しになるとか、楽しみが多くて憂いを忘れ、さらには自分が老いていくことさえ忘れてしまうぐらい仕事に熱中できれば、素晴らしいことである。

つまり仕事を好きになることこそが大切なのだ。「敏にして学を好み、下聞を恥じず」(論語・公冶長第五)のように、知的好奇心や向上心が旺盛で、たとえ目下の人間にも質問することを恥じなかった孔子は、のちに歴史に残る人となった。このような情熱を、自分の仕事の原点として持つことが重要である。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

職業選択は「天命」の延長として

 職業選択とは、本来は「天命」の延長として考えるべきものだろう。ここでいう「天命」とは、決して大きなことである必要はない。生きていくうえでは誰しも役割を持っている。子は子としての役割、親は親の役割、夫や妻の役割、社員としての役割があるはずだ。それをきちんと果たしていくことで、その上に人生の確立があると言える。

 世間的に活躍する必要はなく、きちんと生きることが大切だ。自分を枠にはめずに学び続けることが重要なのである。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

中国共産党崩壊のためには引き続き習 近平が

他の指標などと同様に発表される中国の成長率については、以前から信用できないという意見が圧倒的である。「親中」「媚中」の日本のメディアは、そのことにほとんど触れないが。

 経済評論家の朝香 豊氏は、中国国内での自動車販売台数は2017年がピークで、以後大幅に落ち込んでいると言われる。他の製造業の指数も同様であると。コロナ禍の影響を差し引いても、中国の経済状況はかなり深刻な状況であると指摘する。また、人口減も甚だしく、もうすでに2~3年前にインドに追い越されているという話もある。日本の企業は、中国からの撤退を急ぐべきだろう。

 朝香 豊氏は以前から、中国共産党の崩壊のためには「経済に疎い習 近平が引き続き政権の中心にある方がよい」と言われている。私もそのように思う。どういったことになるか、注目したい。

 中国はこの20年、大きく経済成長を遂げたが、これからは現在の北朝鮮のようになっていくのだろうと思う。そうなれば気の毒なのは中国の民衆であるが、日本にも難民が押し寄せるといったことになるだろう。
 憂えて止まない。

命を知らざれば

 40歳を「不惑」と呼び、50歳は「知命」である。すなわち「天命を知る時期」なのだ。50歳を迎える前に、誰もが一度自らの歩みを振り返る時間を持ち、自分の天命とは何か考える必要があるのかも知れない。仕事を通してどのように社会に貢献できるか見つめ直した結果、仕事に対しまったく別の意義を見出し、心新たに取り組めるようになるかも。

 私が気になるのは、一般に地位を得ることや金銭的に豊かになることを人生のゴールと考えるケースが多いことだ。そう思い込んで走り続けてきたものの、地位を得た瞬間に虚しさに襲われる人がいる。
 人生のゴールは、天命を果たすことにあるとも言える。孔子は「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」と。自分に与えられた天命がわからないようでは、人を率いることはできないと言われている。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

やはり習近平の3期目は無い?

 カザフスタン外遊中に急遽予定を早め帰国した習近平首席は、10日ほど消息が途絶え、様々な憶測を呼んだ。一部では幽閉失脚の噂も流れ、私もそちらに引きづられた。が、その後突然党幹部を引き連れた形で姿を現した。

 日本国内の多くの中国ウォッチャーは、習近平の3期目はまず間違いないだろうとの見方で一致した。そのような中、拓殖大学元教授の澁谷 司氏は、一貫して「習近平の権力は弱まり、李克強首相との力関係は逆転したようだ」の見方を変えていなかった。そのような見方は、私の知る限り澁谷氏だけだ。

 その理由として、澁谷氏は先ず幹部とともにある行事に姿を見せたときの、李克強の服装に注目している。習近平などがきちんと上着を着ているのに、李克強と李に近い幹部二人だけはシャツ姿だということだ。下位の者が軽装であるなどということは、これまでの中国ではあり得なかったことだと。その写真には、他にもいくつかの不自然なことがあると澁谷氏は指摘する。
 また、その3日後にあるパーティーで習と李が乾杯をしている写真が「人民日報」に載ったが、二人の表情やグラスの持ち方にこれまでと明らかに違ったものがあることを指摘している。そして、ここ何日かの記事に、これまで必ずあった「習近平を核心とする」という表現が使われなくなったとも。
 そして、決定的と澁谷氏が言われるのは、習近平をはじめ、幹部たちが急にマスクをしなくなったことだと。これは、習が頑なに守り続けて来た「コロナ政策」の転換を意味するだろうと。そして、李克強は「改革・開放」を声高に主張していると。

 これらの理由から、今月16日に開幕する第20回党大会で決定する人事は、大きな変革があるだろうと澁谷氏は予想する。注目したい。

働く意義

 働くことに意義を見出せない人が増えているのではないか。一昔前なら、名の知れた企業に就職し仕事に励んで失態さえしなければ、収入もポストもまず安泰だった。しかし今は厳しい競争の中、頑張ってもなかなか手ごたえが得られず、見返りも少ないと嘆く人が多い。

 「働く」とは地位や収入のためだけのものだろうか。よりよく生きるための手段ではないのか。孔子は「子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きか。晝夜を舎かず」(論語・子罕第九)と言われた。人生とは死へと向かっているものである。これが大前提だ。だからこそ、「どのように生きることを楽しむか」を大切にするべきなのだ。
 働く意義を考えるなら、まず人生を高い見地から見つめ、「自分はこういう人生を歩みたい」と本質に立ち返ってみることが求められる。

 学校を卒業するとそれが務めだからという理由で企業に入り、ただ何となく毎日を過ごしている人が多くはないか。清新な気持ちで会社に行けるのはせいぜい3年だろうか。漫然と通勤し、与えられた仕事をこなし、帰ってくるだけ。目の前にある課題に追われ、自らを見直す余裕もない。だから40歳代半ばにもなると、自分が何のために生きてきたのかが分からなくなってしまうのだろう。

 世間で評判のよい学校へ入り、それなりの企業に所属すれば幸福になれると教え込まれ信じてきた。だが、現実は違うと悩み、目標を失って苦しむ例が少なくないのだと思われる。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

天が与えた宿命

 私たちが植物を見れば、皆同じように映る。時期が来れば同じように芽を出し、花を咲かせ、実をつけてを繰り返し、最後は枯れて行く。地味の豊かな土地に育った植物は、他より太い茎を持ち、他より美しい花をつけるかもしれない。よく手をかけてくれる人のもとに生きた植物も同様である。

 けれども、その生長の仕組みはみな同じだし、終末に至るまでの行程も同じ、最後に枯れて無に帰する点も同じなのである。草木は皆同じ生を全うして枯れて行く。
 人間も草木と何ら変わりはない。金持ちか貧乏か、有名か無名か、見た目には大きな違いがあるように映るけれども、人間の死に至るまでの行程は皆同じなのである。

 生まれて親に養われ、教育を受けて自立し、職を得て結婚し、子を育てて死ぬ。この全行程こそが生きるということの実質であり、天が人間に与えた宿命なのだ。この宿命を、孔子は「天命」と呼んだ。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

悟りの境地に一歩でも

 人間の心には、いつも煩悩が渦巻いているのではないだろうか。目先の私欲に振り回されるドロドロとした心ではなく、自らの欲望を抑えたサラサラとした清々しい心になれるようにしたい。

 歳を重ねるごとに精神的にも成長を遂げることは易くはないが、そのように努めたい。一生を終える頃には、欲に心が支配されない悟りの境地に一歩でも近づきたいものだ。

 あの世には、地位も・名誉も・財産も持って行けない。持って行けるのは自分の心だけである。いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題だが、悟りをめざす心を持ち続けることが大事だろう。
 悟りに近づいた境地をあの世へのおみやげとして持って行くことができたならば、あの世でも迷うことはないと信じる。

 『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

天命を知る

 天命とは、天から授けられた使命だと解釈される。人に天命や運命があるかないかというのは、難しい問題である。科学的に証明できるものではないから、そんなものはないという見方もできる。

 孔子は天命があるという立場で、自分は五十歳にして天命を知ったとはっきり言われた。つまり、孔子は古の聖人が説き実践した正しい道というものを研究し、それを現世に生かし後世に伝えることを自らの生涯の役割としたのである。それは単に自分一人の意志や考えでやっているのではなく、それを超えたもっと大きな力、すなわち天命によって、実行することが求められているのだと考えたわけだ。

 繰り返すが、人に天命や運命があるかないかというのは難しい問題だ。であっても、社会に出ていくまでに自らの天命について考える機会があれば、その後の人生に有意義であることに異論は無いだろう。両親や祖父母などの周りの人たち、また教師などが、子どもたちがそういう機会を得られるように自然な形で誘導してやることも大事であろう。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

一を以て之を貫く

 孔子の教えにおいて貫かれた「一」とは、単なる数字上の一ではなく、一切の一であり全身全霊のすべてである。孔子が体得した真如の境地から発せられる忠恕の道なのである。

 「一を以て之を貫く」は、深い真心を以て、ひとつのことに打ち込むことを指す。たくさんの情報が湯水のように流れ出てくる現代社会、気を引き締めておかないと、右へ左へと心を惑わされてしまいがちだ。「一を以て之を貫く」には、柔らかな心を持ちながらひとつのことをやり遂げる力強い意思が表れている。孔子の生き方そのものを表したスケールの大きな言葉である。現代を生きる私たちが見習うべき人生の指針となる。

 「一を以て之を貫く」の類義語として、「初志貫徹」「首尾一貫」「徹頭徹尾」などがある。一度決めたことはどんなことがあってもやり遂げる。そんな清々しさを表した言葉とも言える。思いを込めて最初から最後までやり抜く、美しい生きざまを表している。さまざまな価値観が揺れ動く現代、ふらふらと心が離れてしまいそうになったら「一を以て之を貫く」を思い出し、初心に戻ることが求められるだろう。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

人にして貰いたいこと、して貰いたくないこと

 「人にして貰いたいこと」は、どのようなことだろうか。「人にして貰って嬉しいこと」は、どのようなことか。
 たとえば、困っているときに親切にしてもらったこと。助けてもらったこと。これはとても嬉しいである。他にも、辛いとき自分の話をじっと聞いてくれたこと、共感して貰ったこと。これも嬉しいことだ。また、不安な時、ずっと隣にいてくれたこと、無理に何かをしてくれなくても何も言わなくてもただそばにいてくれること、それが何よりの心の支えになるだろう。

 自分がして貰ってうれしいそのことを、人にもしてあげるというのは本当に大切なことだ。「人にして貰って嬉しいこと」というのは、他にも無数にあるだろう。これらのことには、共通点があるように思う。それは、自分という存在が人から大切にされたときだろう。私たちは心の深いところから喜びを感じる。相手が自分のことを大切にしてくれている、そう感じることができたとき、私たちは心から嬉しく思えるのだ。

 次に、「人にして貰いたくないと思うことは、人にしてはならない」ということについて想いを巡らしてみる。「人にして貰いたい」こととは反対に、「人にして貰いたくない」ことは何だろう。「人にされて嫌なこと」とはどのようなことだろうか。 たとえば、自分の存在が軽んじられるというのは、すべての人によって嫌なことだろう。馬鹿にされたり、意地悪されたり、侮辱されたりして快く思うことはない。また、存在を無視されたり、相手にして貰えないというのも、とても辛いことだ。

 このように「人にされて嫌なことは決して人にしてはならない」ということも、本当に大切なことである。「人にされて嫌なこと」を挙げると切りがないほどたくさんあるだろうし、特にどのようなことが嫌に思うかは人によって違いもある。だが、「人にされて嫌なこと」にも共通点があるように思う。それは、自分という存在が人から大切にされないということだ。自分という存在が大切にされず、蔑ろにされていると感じるとき、私たちは心に深い悲しみを感じる。 「人にして貰いたいと思うことを人にする」「人にしてもらいたくないと思うことは、人にしない」、どちらも私たちが生きていくうえで欠かせない非常に重要な姿勢である。
 そのどちらにも、「人を大切にする」ということが共通のテーマとなっていることが分かる。

『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から

嫌われてもいい覚悟をしている人と嫌われている人は別

 嫌われ者は、周囲に必ず一人はいるだろう。自分勝手でわがまま、相手の気持ちを考えられない人は、集団生活の中で苦労することが多い。

 嫌われてもいい覚悟をしている人と、嫌われている人は別である。覚悟をして人生を過ごす人は、周囲の顔色を窺わずいつも自分らしく生活を送っている。嫌われる人は自覚をしていないため、相手の嫌がる行為を平気でやってしまう。

 嫌われてもいい覚悟は、無理に人に嫌われることではない。嫌われたらどうしようと、不安になる気持ちを捨てることなのだ。何ごとも覚悟をすると自分の核の部分がしっかりとするため、言動や動作も力強く相手に伝わる。嫌われる人は自分の都合だけを優先しているため、結果的にメリットが減ってしまうのである。

 「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

嫌われてもよいという覚悟

 嫌われてもよいという覚悟をするというのは、相手の存在を過剰に意識せずに付き合えるようになることである。
 好かれようと思うと、相性が合いそうな人を求めて付き合ってしまう。このような限定した人間関係は、一度上手くいかなくなるとストレスになってしまう。嫌われてもいい覚悟をすると人の好き嫌いが減り、好きになる人がどんどん増えていく。今までに接した経験がない人たちや、苦手な人とも自然と交流ができるようになり、気がついたら素敵な人に囲まれている事が多い。

 嫌われることはネガティブなイメージがとても強く、ほとんどの人は無理して嫌われないように努力している。「好きになる」というポジティブな内容が、なくなってしまう原因なのだ。   
 嫌われてもいい覚悟をすると、自分と意見が対立する人がいても不安にならない。人は全員顔が違うように、内面的な部分も違って当たり前である。自分の意見に賛成してもらえないと落ち込んでしまいがちだが、それは悪いことではない。

 たとえば将来これをやろうと、目的を決めたとしよう。必ず誰かが、ネガティブな意見を言ってくるはずだ。その時に相手の顔色を気にしたり、自分の敵を作らないように折れたりしてしまうと、自分の信念は揺らいでしまう。夢や目標を持ったとき、きっと進む先に邪魔になる出来事が起こるだろう。自分を嫌う人の存在もそのひとつである。強い思いを持っているのであれば、反対する人のために信念を捨ててしまわないようにしたい。

 

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

申ジナの見事な態度

 女子ゴルフの国内で最も権威のある大会「日本女子オープン」が、9/30から本日10/2までの4日間にわたって繰り広げられた。
 結果は、勝 みなみが見事に逆転で2連覇を果たした。2連覇は、樋口・畑岡以来3人目の快挙である(樋口は、4連覇と2連覇の2回)。勝の逆転優勝を大いに称える。

  最終日の本日、16番ホールまで首位を譲らなかった申ジナ(韓国)だったが、勝は17番のバーディーで振り切り1打差で逃げ切った。

 申ジナは惜しくも日本オープン初優勝を逃したわけだが、その態度は最後までがひじょうに立派だった。18番のグリーンに上がって来たとき、勝の優勝はほぼ決まっていたが、きちんと帽子を取り深々と観衆に礼をした。礼の丁寧さが際立った。さぞかし悔しかっただろうが、その後も笑みを絶やさなかった。

 大した選手である。

 

 申ジナのプロフィール

 11歳からゴルフを始め、2007年に韓国ツアー19戦10勝と驚異的な勝率を記録。08年「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」で日本ツアー初優勝。同年「全英リコー女子」を含む米ツアー4勝。09年に米ツアーの賞金女王となり、10年に世界ランキング1位にも到達。14年からは身体的な負担を理由に米ツアーの会員資格を放棄し、主戦場を日本に移した。

18年はツアー史上初となる公式戦(メジャー)年間3勝を達成し、7年シードを獲得。19年には平均ストローク「69.9399」をマークし、ツアー史上初となる60台を成し遂げた。20年「富士通レディース」優勝で生涯獲得賞金は10億円を突破。同年は「TOTOジャパンクラシック」も制した。21年「ニチレイレディス」に続き「大東建託・いい部屋ネットレディス」を制して日本で28勝目。

気遣い、心配りが

 人は、周りの人に助けられたり助けたりしながら生活している。生きること自体が周りの犠牲によって成り立っているとも言える。周りの人に一切世話にならずに生きることはあり得ない。そういった人との係わりによって人間は磨かれ成長していく。私たちは他者にお世話になりながら生きていくということを、自覚しなければいけない。自覚することで他者によって活かされていることに気付き、他者への感謝の念が生まれる。そう感じる事によって、他者に不愉快な思いをさせてはならないという気持ちが湧いてくる。その思いが「恕」であろう。 

 他の人を気遣い、不愉快な気持にさせない、そういった心配りが大切だろう。それが出来たならば、いじめの問題なども激減するだろう。人それぞれ、考え方、受け取り方が異なるので、自分では良い事だと思う行為でも誤解を招く事がある。大切なのは、自分が人からされて嫌な事は人にはしないということだ。

 人は知らない間に人の意見や評価を気にし、本当の自分を押し殺して人生を過ごしている時がある。周囲と仲良くなりたい、対立したくない、と守りの態勢にときに入ってしまうのはある意味仕方がない。人間関係を違う方向から見直すと、肩の力は抜けていくだろう。
 

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

柔軟な考え方もときには

 人の考え方や好みはさまざまである。たくさんの人が集まると、意見はまとまりにくくなる。共通点が多いと言われる日本人同士でさえ、国政の場などで何かを決めるときにはいつも混乱する。これが生活習慣や言語が異なる人たちが集まっている国際社会なら、なおさらのことだ。

 国際社会のような複雑な関係は、私たちの身近なところでは滅多に見られない。しかし、異なる考え方が二つあることで、激しくぶつかり合うことはよくある。このような場合、お互いが自分の利益ばかりを主張していたら、話は絶対にまとまらない。ものごとは前に進まない。「イエスかノーか」という極端な考え方をするのではなく、「イエスでもありノーでもある」という柔軟な考え方をしたほうが、間違いなく問題は解決しやすくなるとも言える。

 「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

ときには妥協も

 人間一人の力には限界がある。特に大きな目標を実現させたいときには周りの協力が不可欠で、自分の利益だけ主張していてはなかなか実現できない。そのとき大切なのは、「理念を大事にしつつも、譲れるところでは妥協する」ことである。大局的な見方をして、そのあたりのバランスをうまくとりながら進めるのが、まさしく中庸だろう。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

完璧を追求しすぎるあまり

 完璧を追求することは必ずしも悪いことではない。むしろ、素晴らしい成果をもたらすことも多い。一方で、「ここまで達成していれば十分」という程度があることも事実だ。

 常に完璧でなければ気がすまない完璧主義者にとって、「十分な程度を満たしていればよい」という感覚はなかなか理解し難いかもしれない。だが、時間は無限にあるわけではない。完璧を追求しすぎるあまり効率性が悪くなったり、ものごとが永遠に「未完」となってしまう恐れもあるのだ。

 

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

日本人と富士山信仰   NEW HISTORY事務局

 富士山信仰といえば、江戸時代のものが特に有名です。旧暦六月一日を富士山の山開きの日とし、山頂にある淺間大社奥宮へしきりにお参りをしました。
 とはいえ費用の面も馬鹿にはなりませんから、富士講という一種の組合のようなものに参加して登山するシステムが主流でした。それでも庶民の収入では叶うものではなく、庶民はもっぱら、江戸市中で富士山参りを済ませました。人工のミニチュア富士山「富士塚」です。
 江戸には大小の120を超える数の「富士塚」がありました。 富士山から運んだ溶岩を積んだもの、土地のもともとの隆起を生かした自然のものなど様々でした。富士塚の頂上には必ず、勧進された富士山 浅間神社が設置されていました。浅草、駒込、高田、深川、目黒、四谷、萱場町、下谷小野照の富士塚は「江戸八富士」と呼ばれて特に有名でした。
 当時、江戸市中では、わずかでも高い所に立てば富士山が見えました。 富士見坂、富士見台、富士見橋、富士見町など、ビューポイントにはわかりやすい名前がつけられました。現在でも23区内には、別名でそう呼ばれるものまで含めて24カ所以上の 「富士見坂」があります。
 この富士山信仰は、決して江戸市中だけのものではありません。江戸後期には関東全域に何千という富士塚が存在していたのです。また、「~富士」と呼ばれる山、いわゆる御当地富士は、現在、北海道から沖縄まで全国に200山程度存在しているのです。また、富士宮市の千居遺跡や、山梨県の牛石遺跡は、明らかに縄文の時代に富士山信仰があったことを示しています。
 そして、ある程度の時間をかけて、富士山が見えるはずのない遠隔の地域にまで、また、かえって富士山が見えないからこそ、自らの土地の山に冨士山の名を
与える習慣が行き渡ります。富士山に対する日本人の信仰は、非常に重要だと思います。
 これだけ列島全域の、統一した富士山信仰は、富士山というものが日本の中心であるということは誰もが知っていたということです。統一した信仰の存在は、
宗教共同体=祭祀国家があったことを予想させるものです。「家」の字がつく国家とは、何も、法律をつくることではなく、軍隊をつくることでもなく、まさに人々が共存する「家」のことです。それぞれの地域が連合するということがなければ、
縄文に見られるような、これだけの統一した文化というのは考えられません。 
 縄文文化は北海道から九州まで一貫して存在し、日本列島には同じ言葉、同じ感性を持った人が集まっていたということです。

NEW HISTORY事務局

「富士山に一度は……」とよく言われるが、みなさんは、「富士山」に登頂されたことがあるだろうか。私は3回も。そのような機会があったことは、とても幸運なことだ。

 最初は、40歳のときに家族で登頂した。不謹慎にも寝不足・二日酔いの状態で登ったので、高山病の症状が強く出てとても辛かった。自業自得である。私が弱気になると、家族全員途中リタイアということになりかねず辛いのを我慢した。登頂後もしばらくは吐き気が戻らず、記念写真には笑顔が無かった。そういう苦い経験をしている。
 「富士登山」をきっかけに、国内外の多くの山に登った。

 膝を悪くする前は、90歳を超えて誰にも助けを借りず自力登頂をしたいと思っていたが、下りが膝にこたえるので無理である。
 「富士は下から眺めるのが一番」とも言われるが、登頂しなければ味わえない何かがあることも事実だ。膝や腰に問題の無い方は、ぜひ登られるとよいだろう。(谷口利広)

少し折れただけで

 どんな時でも、あくまでも自分が正しいと我を通したいのであれば、一生を一人で過ごすつもりでいなければならないだろう。

 友人も伴侶も同僚も仲間も、歳をとるほどに目の前から消えていくはずだ。現在、自分の周りにいる友人の数こそが、自分という人間の今までの生き方や性格を物語っているとも言える(妥協の産物でなければよいが)。

 一方、相手を立てる事が自然とできる人はどうだろう。恐らくは多くの友人を持ち、伴侶や子供などの家族に恵まれ、会社の同僚や先輩後輩とも末永くお付き合いをしているのではないだろうか。

 どれだけお金を稼げるかが、人の価値となるわけではない。どんなにお金持ちであっても、広い家に一人ぼっちで暮らし、話し相手も無く、たまに掛かってくる営業電話が楽しいだけの寂しい生活を送っている人も現実に存在する。ひねくれた性格が少しは改善されても、失った時間を巻き戻すことはできない。大切な人たちを失ってはいないだろうか。ほんの少し折れただけで、ほんの少し相手の話に相槌を打つだけで、これからの人生が変わるかもしれない。

 討論で負けたとしても、命を取られる事はない。それどころか逆に信頼につながるのではないか。今までの生き方を変える事は、ときにイライラする時もあるだろう。しかしそれは、これからの生き方を上手に変えてくれる香辛料ともなろう。相手を立てる事はそんなに難しいことではない。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

自衛隊の在り方を変える憲法改正を  葛城奈海

 私は拉致問題にも長く取り組んでいまして、拉致被害者を救出できる自衛隊にしたいと思っています。
 一つ、こんなエピソードがあります。数年前まで現職の自衛官で、定年退官さ
れた飯塚泰樹さんという方からある本が送られてきたのです。飯塚さんは、第1空挺団に勤務していた時代に、横田めぐみさんの拉致のことを知って、「いつかこの少女の奪還任務が自分たちに降ってくるだろう」というふうに信じて、その日に向けて心身ともに錬磨をしておられたのです。しかし、結局退官までその任務が来なかったので、その本のタイトルというのが『平成の自衛官を終えて任務、未だ完了せず』というタイトルだったのです。
 飯塚さんは、幹部ではなくていわゆる下士官、陸曹として定年まで勤められた
方なのですけれども、大変優秀な方で2度の米国留学と4度の海外派遣を経験されているのです。それで米国留学時のある時、「自分の国と他国との間にある安全保障上の問題について発表せよ」という授業があったのだそうです。その時に、飯塚さんは拉致問題を取り上げて、世界各国から来ている同じような立場の留学生の前で、その話をしたそうです。そして、「それでその少女を助けたのか?」と言われて、「いや、助けてない」「助けには行ったのか?」と聞き直されて、
「いや、行っていない」「何で行かないのか?」「日本には法的な制約があって」と言いながら、だんだん立場が小さくなっていったそうなのです。
 それで最終的に言われたのが、「助けを待ってる国民がいるのに、それを助けにも行かないなんて、お前たちの存在意義はどこにあるんだ?」とあきれ果てたような反応が返ってきて、「立つ瀬がなかった」と書かれていました。
 「これが世界標準からしたら当たり前の姿なんだよな」というふうに、その飯塚さんのエピソードを通じてすごく実感させられました。

 それで、改めて「日本が異常な国だな」と思ったのですけれども、先般亡くなられた安倍元首相は、拉致問題にすごく熱心に取り組んでおられたのですが、その安倍元首相でさえも現職の首相だった時に、「拉致被害者救出に自衛隊を使うということは、日本には憲法の制約があってできない。いざとなったら米軍に頼むしかない」というふうにおっしゃっていたのです。「これは、本当に何とかしたい」と思いましたし、飯塚さんのような心ある自衛官であれば「助けに行きたい」と思っているのに行けないというのは、本当におかしなことだと思うのです。

  今、憲法改正が話題になっていますけれども、自民党が出している案というのは9条の2項、つまり「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。交戦権も持たない」と言っているのを残したまま、3項として「自衛隊を明記する」というものなので、こういった改憲では、全然拉致被害者を救出に行けるようにはならないのです。「そこが変わらない改憲をしても、意味があるのかしら」というのが私の見方です。まさに、自衛隊の在り方を変える憲法改正をして、きちんと自衛隊が手足を縛られずに必要な国民を救う、守るために動ける自衛隊にしていかなければと思っています。

防人と歩む会会長:葛城奈海

(かつらぎ なみ 日本政治活動家 やおよろずの森代表 予備役ブルーリボンの会幹事長 参政党DIYスクール講師

 

 憲法は中途半端な改正よりも、米国から押し付けられた現行憲法を捨て去り、まったく新しい憲法を創り上げるのがより良いと考える。(谷口利広)

国葬の儀  菅前総理の弔辞

 安倍元首相の「国葬の儀」では、安倍政権当時に、官房長官を務めた菅前首相が友人代表として、弔辞を読んだ。以下は、全文である。私は実況中継のときももちろん感動を覚えたが、改めて読み直し、涙が止めどなくこぼれた。
 9/28の朝刊などにも掲載されたが、より大きい活字で多くの方にお読み願えればと本欄にも掲載した。お読みいただければ幸いである。

 

友人代表弔辞

 7月の、8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

 あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。口惜しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

 しかし、安倍総理・・・と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、每日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。

 平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思い出すであろうと思います。

 総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしよう。総理、あなたの判断はいつも正しかつた。

 安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顏を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国、日本にとっての、真のリーダーでした。

 衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

 総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ


かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。

令和4年9月27日 
前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉

国葬の儀  日本武道館
菅前総理の弔辞
一般献花台
一般献花 長蛇の列

石燈篭

 石燈篭は、日本庭園には欠かせぬ添景物の一つである。手入れされた樹木に寄り添う寂びの入った石燈篭は、鑑賞する者の心を打つ。春日大社の苔むした燈篭をイメージしていただくと……。

 あまり多くはないが、経済的に余裕のある個人が相当のお金を投じて新しく日本庭園を造るケースがある。施主と造園業者(造園家)との息が合い、庭木と庭石、燈篭などの添景物にかける予算のバランスが取れるとよい庭となる。だが往々にして、そうでない場合が見られる。

 樹木や庭石に予算を注ぎ込めば、かなりのレベルとなる。10年20年と経過して徐々に深みがまし、ますます見栄えのする美しい庭となる。しかし、新しい石燈篭を入れるとなかなかサビ(寂び)が入らず、石燈篭だけが浮いた状態が続くことになる。世の中には、そういった庭が溢れている。
 施主の勉強不足も問題だが、的確なアドバイスができなかった造園業者(造園家)の責任はさらに重い。そういった知識を持たない三流以下の造園業者(造園家)を選んでしまうと最悪だ。実際、何も考えないで新品を入れる方が多いのだから。

 確かに、鎌倉時代や江戸時代前期の作というような石燈篭を購入するとなると何百万、何千万ということになるが、美しい、それなりの日本庭園を志向するならば、石燈篭にせめて50万、100万円は……。豊かでない私にそのような余裕は無い。その代わり、時間と労力をかけて(水遣りのたびに、水をかけて)補い、早く寂びを出させることに努めてきた。春日と織部は45年(春日は、作られてから40年は経っているだろうと思われる物を安価で求めた)、雪見は16年だが、水をかけたせいあっていい味が出て来た。

 写真は、その石燈篭たちである。男の孫が3人だが、誰か一人でも庭いじりを継いでくれたらと思うのである。

春日燈篭
上部には苔がうっすらと
織部燈篭 味わいが出てきた
雪見灯篭 笠にはぼちぼちと味わいが

自己犠牲に安住するのは

 人間関係や仕事において、自分の健康や財産を犠牲にしてまで他人や組織に貢献をしようとすることは、「自己犠牲」の代表的な行動だろう。

 自己犠牲はなかなかできないからこそ、実際に行う人に対しては大きな称賛が与えられるし、英雄を見るかのような熱い視線やエールが送られる。また損をするのにも拘わらず、他人や集団のために尽くすその心意気に感動を覚えて褒め称えられたり、美徳であるとして持ち上げられることが多い。

 承認欲求を満たしたい、多くの人から注目を浴びたいという人からすれば、自己犠牲は簡単に自分の持つ願望を満たせる方法のようにも見える。自己犠牲が美徳として称賛されたり、英雄視されることを踏まえると、「自分は特別な人間である」という実感を得たい人からすればまさに自己犠牲はうってつけとも言える。自分が損をしようと、傷つこうと、それらをただ我慢するだけでいいという手軽さかつ単純さが何より魅力的である。コツコツと勉強をして成果を出すというような地味で面倒な方法も要らず、ただ我慢するだけという手軽な方法で「自分は特別な人間である」という実感を手軽に得られる。ただし、手軽に「自分は特別な人間である」という実感を得る方法は、コツコツ勉強してテストでいい点をとるという自己犠牲をしなくても済む生き方から遠のく危険性もある。特別であるという気持ちを求めることに通じるが、自分で自分は特別だと自己完結するのではなく、他人から特別な人間だと思われて尊敬されたい、注目を浴びたい、認められたいという承認欲求の強さが、自己犠牲を招いていると考えることもできる。

 自己犠牲は我慢するだけという手軽さが魅力的であり、地道かつ正攻法な努力をせずに、簡単に自分の承認欲求を満たすことができる。ただし、その手軽さに安住すれば、自己犠牲以外の方法で承認欲求を満たすことが考えられなくなる。身体的にも経済的にも自分を破滅に追い込む恐れが生じる。ゆえに、承認欲求を満たす方法として優れているとは言えない。自己犠牲をすることが予防線を張るための行動である……と考えることもできる。 

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

相手の立場を

 本日14時から、安倍元首相の「国葬の儀」が東京で執り行われる。海外からも多くの要人が弔問に訪れる。私は、自宅で弔旗を掲げ喪に服する。

 今日も「反対」のデモ行進を行う人が居るのだろう。それらは無視すればよいものを、うれしそうに報道するテレビ局が存在する。他国から「日本人は民度が高い」と思われている。考え方が違っても、たとえどのような人であっても、死者に対して「死を悼む」心を忘れてはならない。日本人の中に、その気持ちを持たない人が存在することをとても恥ずかしく思う。

 デモ参加者の多くは、いい歳をした方々のようである。「恥を知れ」と若者に説教の一つもしなければならない年齢層だ。まさに『国賊』である。「恥を知れ」と言いたい。

 

 人は表に出す顔と、内面に潜める顔に違いがある。それはごく普通の事だが、相手に思いやりを持って接する事が大切な事に疑う余地は無い。

 相手を思いやると自然と相手の立場を考えるようになり、相手を立てようと思う。ところで、遠慮をすると立てるのは違う。遠慮をしても相手を立てている事にはならないし、面倒臭い事を押し付けるようにも見えてしまう。相手を立てるという行為は、たとえその人がその場にいない場合でもその人の長所について話をするなどがある。その人と相対したら話をよく聞き、間違っていたとしても真正面から否定はしてはならない。

 真正面から否定をして一点突破をする人は、知恵を働かせていないように思う。知恵のある人ほど、回り込んで別の角度から物事を気付かせるように話す。それも自身に置き換えてみれば分かるはずだ。正面から否定されたら、相手はカチンとくるだろう。相手を立てることができる人は、自分がやられて嫌な事は他人にもしない。相手と自分を客観的に見る事ができる人であり、本当の意味で賢い人とも言える。
安倍元首相の「国葬の儀」に当たり弔旗を

品位と信頼

 相手を立てるといった行為が自然とできている人は、他人から支持されたり好かれる傾向にあるのは事実である。そういった行動や言動、ふとした瞬間の態度を意外と人は見ているものだ。職場では猫を被りながら陰で悪態をついている人は、どこか違和感を感じる。本人は気付かれていないと思っていても、バレていているだろう。表面を取り繕うだけでは隠せないのである。
 逆にどんなに悪ぶっていても仲間から信頼されていたり、信望も厚いという人もいる。そういった人は、相手を立てるという行為をごく自然に実行していることが多い。相手を立てることは、昔は当たり前だったと言われることがある。しかし、そう思ってしまうのは時代劇や時代小説などの影響があるのかも……。人間の精神や思考は、今とそれほど変わっていないだろう。  
 若者のモラルの低下と言われることもあるが、マナーを弁えない年配者も少なくない。若い世代を非難しながら、自らの低いモラルには気付かない大人も居るのである。

 マナーやモラルを尊重していない人は、往々にして自らの信用を無くしている。なかなかそれに気付かない。だから、どんなに相手を立てていても態度や言動に違和感を与えてしまう。自らの品位と信頼を失っているのだ。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

 

他者への思いやり

 人の上に立つという行為は、社会では上司や経営者と従業員の関係であるから成り立つ。上司や経営者であっても、取引先や顧客と相対すればいつも上の立場では居れない。それが家族や友人関係にまで及ぶことになると、和が乱れる要因になる。後悔するのは相手ではなく自分自身なのだ。
 本来、人の身分に差異は無い。社会状況がそうさせているだけだ。年齢や性別、国籍や身分などは関係なく、誰もが同じ人間である。自らが他人から蔑まされたり、馬鹿にされたらどうするだろう。恐らくは険悪な関係になったり、酷い時には恨みを募らせる事になる。

 社会生活が憂鬱になる原因の一つが人間関係であることは、明白な事実である。すべての人が自分以外の他人の事を思いやって生きていれば、争い事は無くなるだろうし、犯罪行為や事故なども少なくなるだろう。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から


覚悟を決める

 「覚悟を持て」「覚悟はあるか」など『覚悟』という言葉を使ったり聞いたりする。
 辞書には、覚悟とは「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること」「迷いを脱し、真理を悟ること」「きたるべき辛い事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること」などとある。

 「覚悟を決める」「覚悟を以て事に当たる」ということを、大切にしたい。なぜなら、自らの人生と真剣に向き合っていくためには覚悟を決めるということが必要不可欠だと考えるからだ。もし、覚悟が無ければどうなるか。覚悟を決められないということは、自らの行動や言動が招いた結果を受け入れない態度を取ってしまうということに他ならない。
 つまり、自らの人生に対して無責任な態度を取るということであり、物事がうまくいかないときには、自分ではなく外部に(他者に)責任を求めるということにつながる。

 事あるごとに責任逃れを考えていては、当たり障りのない行動ばかり取ってしまうようになる。全責任を負うのが怖くなり、縮こまって挑戦しなくなるだろう。果たして、こういった態度で自らの人生をより良くしていくことはできるだろうか。確かに覚悟を決めるということは難しい。人は一般に、大した挑戦をしてきたわけではないし、何かを成し遂げてきたわけでもない。 見栄を張ったとしても、本心では何とも言えぬ不安を抱えているだろう。そうなると、周囲に同調することばかりを考え、今抱えている不安や自らの未熟さを、見て見ぬ振りをしてごまかそうとするかもしれない。仮にこういった態度のまま何かに挑戦したところで、得られる成果はたかが知れている。

 覚悟を決めた人間とそうでない人間とでは、明らかに行動に差が出る。 すべてを投げ出してでもやると決めた人間は、望む結果を得るために最大限の努力をする。努力することを惜しまないのだ。うまくいかない場合のことも覚悟しているから、そうはなりたくないとがむしゃら努める。時に不安を感じることがあったとしても、その不安を打ち消そうと自らを奮い立たせる。覚悟を決めることができれば、不安を、自らが成長するためのエネルギーに変えていくこともできるのである。しかし、覚悟を決められない人間は安全圏という殻を破ろうとせず、いざというときの責任逃れのための言い訳を探しながら行動してしまう。

 挑戦を前にやるべきは、「覚悟を決めること」である。そして、その覚悟を大切にして、全身全霊で自分の人生や物事と向き合う。そうすれば、事を成すことができる。喜びを得られるだろう。覚悟を決めてこそ、人生をより良く生きられるのだと信じる。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

覚悟の出来ている人

 覚悟を以て人生を送っている人は、絶対にと言っていいほど言い訳をしない。例えばそれが、誰から見ても失敗だと思えるような選択だったとしても、本人は絶対に言い訳をしない。その経験が未来に繋がると信じているからだ。  

 人生を覚悟している人は自分の言動に責任を持っている。例えば、自分がサービス業に従事していたとして、一人のお客様を酷く怒らせてしまったとする。自分の言動が原因だと思えば、土下座もいとわない。逆に自分が正しいと思えば謝ることはせず、その後の処置は当然言い訳無しで受け入れる。 
 人生を覚悟している人は、自分の人生に希望を持っている。だから例え、ホームレスになったとしてもその時を楽しめるし、反対にお金持ちになってもまだ先があると知っているので行動を止めない。

 人生を覚悟している人は、目の前の事を全力で楽しめる。これは明日、死ぬかもしれないという覚悟ができているからである。笑うのも泣くのも悲しむのも怒るのも、今日で終わるかもしれないと思っている。そう考えると目の前のことを全力で楽しむことができる。人生を覚悟している人は、どん底の経験ですら笑いに変えられる。その経験があるから今の自分がある、その経験は自分にとってかけがえのないものであった、と分かっているからだ。  
 人生を覚悟している人は、感情が豊かだ。よく笑う、よく泣く、時には本気で怒る。体は大人だけど、頭は赤ちゃんに戻っている感じだ。見て感じたものを純粋に受け取れるということである。

 人生を覚悟している人は未来に過剰な期待をしていない。これは言い換えれば、未来は自分で切り拓いていくものだと思っているからだ。だから、未来に対して過剰な期待をせず、目の前のことに全力で取り組み全エネルギーを注ぐことができる。会社や政治がどうにかしてくれるなどとは微塵も考えていない。人生を覚悟している人は良い意味でドライである。他人に対して必要以上に干渉しないし、必要以上に同情もしない。自分がこれでいいと納得したらそこで終わりにする。その後の受け取り方は相手に委ねる。必要以上の干渉や同情は、相手に対して「ここまでやったのだから」という期待を抱くことになり、どちらにとっても良い結果に繋がらない。
 人生を覚悟している人は、この事を理解している。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

葬儀について

 近頃、葬儀を家族葬などにして簡略化・簡素化を図ることが多くなった。近所でも例外では無い。以前には少なからずあった自治会館を使用しての葬儀も、年に一回あるかどうかといったところだ。また、訃報の回覧板が、お亡くなりになって1~2ヶ月経過してからということも稀ではない。知らせない場合も少なくない。近所の方にも知らせないというのは……。

 葬儀を華美にすることがよいとは思わない。家族葬も、本人の意思に基づいてのことであれば問題は無いだろう。他人がとやかく言える性質のものではない。ただ、近所の人たちが数カ月経って死亡を知るというのは、とても残念で寂しいことだ。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

本音で生きる

 じくじく悩まない生き方をしたいなら、本音で生きるようにしたい。本心から出た言葉を発したい。建前を取り除いた本当の考えを表現したい。もちろん時には建前も必要だが、最小限にする。

 「本音で生きる」を言い換えるならば、「正直に生きる」ということである。本音で話して素の自分を見せれば、周りの人は正しく理解してくれるようになる。本音で生きることはときに勇気のいることだが、悩まない生き方のためには欠かせない。本音を表現することで、相手から驚かれることもあるだろう。自分にとって普通のことでも、相手には不思議や非常識に映ることもある。相手は「あなたはそういう人なの」「変わった考えだね」と驚かれるかもしれないが、それは最初だけである。そのうちに理解されるようになる。
 素の自分を出しても、案外嫌われないものだ。ユニークな考え方であっても、それを表現し続けているうちに個性として認識されていく。いったん理解されたならば、後はスムーズである。相手にとって少しきついことを言っても、受け入れてもらえやすくなる。独特の考えを披瀝しても、「あなたらしいね」と思われるようになる。理解してくれる人が増えるだろう。

 本音で生きることで、あなたから去る人もいるだろう。それはそれでいいのではないか。引き止める必要も追いかける必要もない。残った人たちと付き合えばいいことである。本音になれば、相性の合う合わないが早めに分かるので、大切な人に集中できる。
 本音で生きると、正直な意見を言えるようになる。やりたいことをやれるようになるので、毎日が楽しくなる。近づく人去る人がはっきりするが、ありのままの自分を表現できるので心の葛藤に苦しむことがなくなる。

 時にはつらいことや悩ましいこともあるだろうが、自分と向き合った結果なので納得した人生が歩める。素の自分を出して生きることは貴いことだ。どんどんと自分らしい道を歩んでいける。毎日が清々しいドラマになるだろう。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

困難な事であっても一肌脱ぐ

 頼みごとをされたときに、自分にとって利益になるかならないかを、またそのことがしんどいことなのか、簡単なことなのかを受諾の条件にしてしまいがちだ。
 言い換えれば、困難な事であっても一肌脱ごうと前向きに考えるのか、逃げてしまうのかの違いである。世の中には、選択の基準を自らの利益不利益に置いてしまう人を多く見かける。そういった人の多くは、「巧言令色」の態度で生きているのではないだろうか。しんどいことであっても、筋の通ったことであれば前向きに受け止める生き方をしたい。

快晴の中、お墓参り

 昨日はお墓参りの予定だったが、終日の雨で延期した。
 「ラジオ体操」の後、本日快晴の中、妻とお参りした。いつもそうだが、お墓参りすると心が落ち着く。晴れ晴れとした気分に浸れる。我が家の墓は家から徒歩で5分の所にあり、妻の実家の墓も同じ霊苑内に。

 午後からは、今年8回目の庭木への薬剤散布を行った。風もなかったし、明日からもよい天気が続くようだ。とてもよいタイミングで散布でき喜んでいる。

 一昨日から、萩の花が咲き始めた。45年前に「東山」駅の近くで山採りした株だ。サルスベリの花も、まだ咲き続けている。百日紅と言われる所以だ。もうしばらくすると、キンモクセイも開花するだろう。

 風はとてもさわやか、いよいよ秋本場といったところだ。

剛毅朴訥、仁に近し

 「論語」に、「剛毅朴訥、仁に近し」(ごうきぼくとつ じんにちかし)という有名な章句がある。これは、芯がしっかりして辛抱強く素朴で口数の少ない者は、最高の徳である仁に近い人物と思って良いということだ。

 剛  物事に、恐れず立ち向かう強さ

 毅  苦難に堪え忍ぶ強さ

 木  質素で飾らないこと

 訥  口数が少ないこと

 剛毅朴訥は、「巧言令色」(こうげんれいしょく)< 口達者でやたら愛想のいい者に、至ってまごころはないものだ>とは対照的な言葉である。剛毅朴訥の人物は信頼でき、安心して付き合える。「仁者(人格者)は、その発言が慎重である」という意味でもある。より分かりやすく言うならば、『人格者は言葉に責任を持つ人なので、慎重になるものだ』ということであろう。

積善の家に余慶あり

 如何に時代が変わろうとも、どんなに科学技術が進歩したとしても、世の中には甘い言葉、儲かる話、聞こえの良い文章や文言など、さまざまな形での誘惑が溢れていることに変わりはない。
 一般に誰れもがお金を欲しがり、楽に暮らしたいと思うものだ。しかし、人としての弱さを突いてくるようなサービスや人には、心がないと読み解くことが求められる。心ある行動を取るためには、相手に対して常に誠実であり対等であることが求められる。うまい話には裏があり、楽して儲けられないことは本来誰れしもが分かっていることだ。言葉巧みに誰かと話そうとすればするほど、他者から心を感じて貰えない、信用されないことを再認識することが求められる

 長い期間で見るならば、不正や偽りで築いた地位や名声、富などが長く続くものではない。私はそのように思う。そのことは洋の東西を問わず歴史が物語っている。孫や玄孫の時代まで、偽りや不正で得たものに陽光が射し続ける筈がないのである。「積善の家に余慶あり」だ。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

ゲップ税の導入  国際情報アナライズ事務局

 突然ですが、あなたは「ゲップ税」をご存知でしょうか? 
 「ゲップ税」
とは、文字通りゲップの排出量に応じて徴収される税金のことです。もしかすると、あなたは「そんな馬鹿げた税金がこの世に存在する訳がない」と思われたかも知れません…しかし、実際に世界にはこの馬鹿げた「ゲップ税」を導入しようとしている国が実在するのです…
 その国とは…畜産業が盛んなニュージーランドです。BBCの報道によると、ニュージーランドでは農家が牛などの家畜のゲップ排出量に準じて税金を支払う計画案が検討されており、課税金額を算出するための計算式が現在考案されているとのことです…
 この世界初の"嘘のような本当の税金"は、ニュージーランド内で真剣に議論され、2025年からの導入に向けて着々と準備が進んでいるのです…
 しかし、あなたは不思議に思いませんか…? そもそも、なぜこのような
馬鹿げた税金制度が検討され始めたのでしょうか? 実は、この背景には…
昨年末にイギリスで行われた"とある国際会議"が関係していました。その会議とは…「気候変動枠組条約締約国会議(COP)」です。
 アメリカやEUをはじめとした世界中の100ヵ国以上が参加したこの会議では、参加国間で、「2030年までに地球温暖化の原因となっているメタンガスの排出量を30%削減する」ということが決定されました。その結果、世界有数の畜産大国であるニュージーランドでは、そのメタンガスの主な排出源である家畜の「ゲップ」や「おなら」の排出量を減らすことがCOPで決まった目標達成に最も効果的だと考えられ、ゲップ税の導入が検討され始めたという訳です…つまり、牛や羊などの家畜たちが突然、"地球温暖化の犯人"に仕立て上げられたのです。
 当然ですが、牛や羊は生きている限りメタンガスの排出を避けられません。そのため、「家畜から出るメタンガスの排出量を減らせ」ということはつまり、「家畜の数を減らせ」と言っているも同然です。このような状況に対し、農家らは「そんな馬鹿げた話があるか!」「牛や羊たちを殺せというのか!」といった猛反対の声で溢れ返っています。
 しかし、あなたは不思議に思いませんか? 新型コロナウイルスの長期化やウクライナ侵攻によるサプライチェーンの破断で世界的に食糧危機が叫ばれているなかで、なぜ、ニュージーランドでは農業を衰退させ、わざわざ食糧不足に拍車をかけるようなことをするのでしょうか? このゲップ税の導入は、国民の生活をさらに追い込み、国を困窮させることに繋がるのではないでしょうか?
 実は、そこには…畜産農業を撲滅させようとニュージーランドを裏で操る
"ある組織"の存在があったのです…そしてなんと、そこにはあの世界の大富豪ビル・ゲイツ氏もかかわっていたのです…

国際情報アナライズ事務局

 ビルゲイツは世の中で善人のように思われているが、知る人ぞ知る私腹を肥やすためには手段を選ばぬ大悪人であると。コロナワクチンに係わっても、陰で糸を引いて莫大な利益を上げていると聞く。(谷口利広)

学び続ける

 学ぶことにより自分の糧になるだけでも生きがいとなる。学び続ける途中で、共感を得られる人との出会いもある。そういった人たちとの交わりは楽しいものであり、さらに嬉しい気持ちになるだろう。有名になることが大事なのではなく、人目を気にすることなく夢中であり続けられること自体が、不安を少なくする。
 学ぶことそのものを生きがいとすれば友達が増え、さらに学び続けることができるだろう。努力の結果が報われないような不安をもし感じたとしても、懸命に学んだことは失われない。

深く考える

 今の時代、「物知り」であることの価値は低下している。世界中のどこでもインターネットに接続出来るこの時代、大抵のことはインターネットで調べられる。その分余計に、私たちには「想像」や「創造」が必要となる。

 知識を得たとしても、さらに深く考えることが求められる。しかしいくら考えようにも、最低限の基礎がなければそれはただの絵空事になってしまう。
 知識を得る本来の目的は、その知識を活用することにある。学んだ知識を活用するためには、独自に再び読み解き、認識して、他人から得たそれらを自分のものにしなければならない。この過程が思考だ。

 この思考過程が欠落するならば、学んだ知識は本当の意味で身に付かず、したがって活用することもできない。つまり、知ることとその知識を応用することは、二つの段階に分けられる。  
 一方、思考の目的は、事物の因果関係、物事の原理を解析することにある。しかし、思考するばかりでそこに必要な参考知識や情報がなければ、いくら考えても結論を出すことはできない。多くの情報を把握したうえで咀嚼できたとき、はじめて賢明な判断を下すことができる。
 情報を収集するということは、知識を得て自分なりに咀嚼するということだ。

「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から

ダイキン中国から撤退

 日本の誇るべきエアコンメーカーである「ダイキン」は、来年から中国産部品の供給をやめることを決めた。まことに理にかなった決断である。
 ダイキンのエアコンの中国部品は、現在、約2割を占めているようだが、早急に供給網を見直しゼロにすると言う。大いに拍手したい。

 米国では、中国の部品を使用している製品の輸入を全面禁止する方向である。日本のメーカーもすべての製品について中国部品の使用を見直さないと、近々米国に輸出できなくなるだろう。パナソニックやトヨタ・ホンダ、日本電産やムラタなども追随すべきだと思う。

 また、中国が進めてきた「一帯一路」政策も次々と破綻が生じている。騙されてこれまで中国の言いなりになってきたアジアやアフリカなどの途上国の多くが、目覚めて中国から離れようとしていると聞く。当然だろうご存知のとおり、すでに中国国内では不動産業のみならず、さまざまな面で経済破綻が生じている。北部の軍域では、つい先日内戦も起こった。これは飛び火しないで何とか治まったようだが、安心はできない状態だ。中国共産党は、いよいよ崩壊への道を間違いなく歩み始めているのだ。

 覇権主義を標榜するような国に、明日は無いのである。

秋分の日

 今日は「秋分の日」である。国旗を掲揚したい。だが、あいにくの雨。
 その年の「秋分の日」は、国立天文台が毎年公表する「秋分日」によって決まり、「春分日」同様、この日の前後3日間をあわせて彼岸と言う。この期間には、お墓参りをして祖先を敬い、亡くなった人たちを偲ぶ
 “暑さ寒さも彼岸まで”と言うが、大分涼しくなった。早朝のラジオ体操、半袖では肌寒く感じる。2~3日前から長袖を着用している。
 本日、宮中では「秋季皇霊祭」が行われる。

原爆の記憶  田中英道

 私は、昭和17年(1942年)、まさに戦時中に東京で生まれました。その頃はちょうど日本軍がアメリカに勝っていた時期だったので、「連戦連勝だ!」と、周りの人たちの喜ぶ声をよく聞いていました。しかし、次第に日本軍が負けはじめると、私を含めた一家は疎開を余儀なくされました。移住先は長崎県の香焼島(こうやきじま)というところです。この時まだ私は3歳でした。
 自然が豊かな場所で、敵軍から隠れるのに非常に適していた土地でした。そこで私は家族としばらくの間、ひっそりと生活をしていたわけですが、、、
 1945年8月9日。突如、私を取り巻く環境が激変しました。長崎に原爆が投下されたのです。私は、ちょうど家の玄関にいたのですが突如、原爆によるピカッとした物凄い光に包み込まれました。その時です。危険を察知した祖母が覆いかぶさり、私のことを守ってくれたんです。原爆が原因だったのか、身体が弱かったのか、祖母は3年後に死んでしまいました。でも「私のことを大切にしてくれていたんだなあ。愛してくれていたんだなあ」と、今でもよく祖母のことを思い出します。私がいまこうして生きていられるのは、祖母のおかげなのです。
 私を守ってくれた時のあの温もりは忘れられません。こうして私は、生き延びることができたわけですが、外を見てみると、原爆により十数万近くの人が亡くなっていました。この原爆という体験が、幼い私に強烈な感覚として残ったんですね。そしてこの壮絶な体験が、実はその後の人生を決定づける指針となったのです。
↓田中英道(東北大学名誉教授)

 原爆という悲惨で壮絶な体験が幼い心に強烈な感覚として残り、田中氏のその後の人生を決定づける指針となったと言われる。広島で、長崎で被爆されたみなさんは、同じ思いであろう。

 投下した米国では、表面的には「被爆者は気の毒だった」の思いだろうが、77年経過した今、原爆の使用によって「戦争が早く終わった」との思いの方が恐らく強いのではないだろうか。私の思い過ごしであったならよいが。

東京五輪に係わっての汚職に想う  藤井厳喜

 今回の角川出版・会長だけでなくオリンピックの汚職で、関係者が次々摘発されていますが...まず、非常に衝撃的だったのは、元電通の高橋治之さんという人です。スポーツビジネス界で大変有名な人で、かつては国際的なスポーツ:オリンピックやワールドカップなどをNHKから取り上げて、そしてものすごい付加価値をつけて大儲けできるようなネタにしました。
 仕事上ではすごくやり手の人です。そして同時にたくさん賄賂の類いを取っていた人です。しかし、個人のビジネスなら、公が関わらないので賄賂とも言えません。ビジネスキックバックを合法的にもらってた時代も多いのでしょう。しかし、オリンピックは公のもので、政府の税金が入っています。それは賄賂だよ、ということです。
 彼からするとなんで今更こんな1000万円程度の金で俺が捕まんなきゃいけないんだと、今まで同じことをやってきたのに何で今回は捕まるんだと怒ってると思います。それだけ環境が変わったということです。それからテレビなんかによく出て歌舞伎界でも有名な香川照之さん。この人も女性スキャンダルが出てきて、番組を全部降板しましたし、コマーシャルからも降りました。これもかつては電通が守ってきたのです。色んなスター、芸能人...電通の言うことを聞いている人は、電通が守るということが常識だったわけです。しかしそれが電通の力ではもう通じなくなっているということです。そういうことが起きてきていると...
 そして重要なのは、今回頑張っているのが東京地検の特捜部ということです。よく言われるのですが東京地検の特捜部は「アメリカの影響力」が強いです。アメリカの影響といってもアメリカの「主流派」の影響力です。「そこの態度が変わってきた」のです。今まで電通がテレビ界を支配してきた。汚職事件は見過ごされてきた。しかし、東京地検であり、その裏にいるアメリカの主流派はそれらを摘発することにしたのです。これは今まで通り民主党・バイデンが権力中枢なら変わっていないはずです。逆に変わったということは、アメリカの政治の深層部で何かが起きているのではないのかなと...そう予測できる訳です。
 実際アメリカ国内でも、不正選挙の再調査によりFBI内部で「長官がおかしい」と言った指摘がされるなど、エージェントの反乱が起きています。CIAでも起きているかもしれません。私はこれを不正選挙で抑え込まれたアメリカ愛国者のクーデターであると信じたいのですが...少し希望的観測ではあるかもしれません。しかし、不正選挙を隠し切ってバイデンを大統領にしてしまった旧権力体制が崩れていること、そして日本のマスコミで電通の力が弱まっていること...それは同時進行なのです。
 そんな中で今、トランプ派の人たちが共和党内の、予備選挙で随分勝ち進んでいます。11月の米中間選挙でもその共和党が勝ってくれると、また一挙に流れが変わることでしょう。

国際政治学者・藤井厳喜

 随分前から「電通」という企業に胡散臭さを感じていた。同感だと思われる方も多いだろう。藤井氏の一文を読んで納得である。これまで、髙橋治之以外にもあくどい事をやってきたのだろう。到底許せない。

 東京地検はこの際、徹底的にメスを入れてほしい。NHKなどにもである。御所市でも収賄事件が生起しているが、悪い事をしてぬくぬくと過ごしている企業も個人も許してはならないのである。(谷口利広)

退職に当たり記した一文    

 平成20年3月26日、大阪府教育委員会から「4月1日から大阪府立西浦高等学校の校長として赴任せよ」との通知があった。
 帰宅後、妻と西浦高校のホームページを見て唖然とした。その年度の教育計画は掲載されていたが他は古い内容で、年度初め以降、新しい内容が加えられた形跡は無かった。掲載されていた修学旅行の写真は、何年も前のものだった。当時から掲載が常識となっていた校長の挨拶も無かった。とにかく、冴えないホームページであった。
西浦高校の概況は知っていたが、前年夏に再編統合の対象校になったことが、そのことでさらに元気を失くしていることがホームページからも見てとれた。

 同28日、西浦高校の校長室において当時の校長から引継ぎを受けた。明るい話題に乏しく、机の上やその周りには書類等が山積みになっており、そういった状況からも何となく課題の多さを窺い知ることができた。そのときに、「地域からの協力体制が無い」と言われたことが印象深く残っているが、南河内で18年間勤めた経験のある私には腑に落ちなかった。聞いておかなければと思ったことを予め整理していたが、細かなことを聞くのはやめた。前向きな気持ちで自らが切り拓いて行くべきと思ったからだ。校長が元気でなければ学校に活気がなくなる。持ち前の元気でがんばらなければと自らに言い聞かせた。

 西浦高校は活気が無く低迷していることを、着任する何年も前から耳にしていた。生徒指導上の課題の多い学校での経験が長く、少々のことでは驚かないのだが、遅刻・服装・頭髪・授業態度、集会や式での態度、校内喫煙等々、予想をはるかに超える惨憺たる状況であった。

 職員の多くが、1年でも早い転出を願っていたと思われる。そこへ再編統合で3年後に閉校という明日への展望が開けない状況が生起し、意欲の減退に拍車がかかったようだ。私の着任以前、生徒指導に係わって保護者からのクレームが多かったと聞く。学校改善の意欲が乏しく腰の引けた対応では、生徒や保護者からの信頼を得ることは難しく、結果として生徒からも保護者からも指導が素直に受け入れられない状況ができてしまったと思われる。

 状況が思わしくなくなってからの校長も、「何とか現状打破を」の思いで尽力されたのだろうが頓挫したようだ。着任直後、「これまでに、もう少し何とかならなかったのか」と前任者に対して不満をもったが、今になって、当時の状況がよく理解できる。やろうとしても、次々と生起する課題に翻弄され、お気の毒にそれらの対応に忙殺される日々を送らざるを得なかったのであろう。後手、後手と回ってしまい、積極的な改善策が打てなかったのだろう。

 着任してすぐの始業式では、残念ながら静寂な雰囲気をつくることができなかった(集合・指揮の係りは静かにさせようと奮闘するのだが、周りの協力体制が弱く静かにさせることができなかった)。それでも、午後から挙行した本校として最後の入学式は、想像したよりはましだった。前年度の入学式は、マナーが悪いといったレベルではなく、式辞や祝辞の最中にPTA会長や校長が話を中断して何度も怒鳴るという最悪の事態であったらしい。着任する直前の卒業式も入学式ほどではなかったが、それに近かったと聞いている。

 

 悪循環の日々

 本校では、式と呼ぶもの以外、全校集会が皆無であった。「課題の多い学校では、可能な限り数多く全校集会をもって、集団訓練を行うと共に温度差なく学校の方針を知らしめる」ということが当たり前であると信じて疑わなかった私には、考えられないことだった。体育の授業でも、集団行動に係る指導、訓練が実施できていなかった。であるから、「人の話は静かに聞く」というごく基本的な態度が養われることはなかった。身についていないから、時たまとなる式では教員の側は大変な労力を要する。ゆえに極力、大人数で集まることを避けてきた。すべてが悪循環に陥っていたのだ。 

 遅刻・服装・頭髪・履物・授業規律・禁煙などの指導もしていないわけではなかったが、その多くが中途半端に終わり、生徒が学校の指導に対してなめてかかっているという雰囲気が充満していた。「学校としての体を為していない」と言っても過言ではなかった。

 

 あきらめない、粘り強い指導を

 私が職員に指示したのはただ一つ「やさしさや温かみを基盤にしながら、ルール違反に対してはけっして見逃さず、全員がだめなことはだめと毅然と言い切って欲しい。その場ですぐに改善させることができなくてもよい、全員が問題行動に対してだめと指摘することが大事である。あきらめない、粘り強い指導を」ということだった。何人かの教員からは「やっています。できています。きちんと見てから言ってほしい」との声があがった。しかし、できていないことは歴然であった。「どうせ閉校に向かう学校だから、校長そんなに張り切らないで静かにしておいてください」というのが、多くの職員の正直な気持ちであっただろう。そのようなことが許されるはずがない。

 校内のトイレなどでの喫煙がひどい状況であった。特に体育館のトイレは無法地帯に近く、昼休み終了後は吸殻が50本、100本残っているという状態であった。府教育委員会事務局幹部からは、「校内喫煙に関して府立高校中ワーストワン」の指摘を受けた。そのような中、私も率先して休み時間等、立ち番するなどに努めたが、いたちごっこでなかなか改善の光は見えなかった。トイレに注意書きなどを自ら作成し貼り付けたりしたが、火をつけられたこともあった。生徒指導部長に、全員での巡視・立ち番の強化を迫ったが、初めて部長になった彼は、これまでを踏襲するというのが精一杯であった。

 こういった状況の打開に向け、この喫煙問題を敢えて「学校協議会」のテーマにあげた。有識者などの委員の多くには前もって話をし、「体育館トイレの封鎖」という強硬意見を出して貰った。併せて、これまで不十分だった「禁煙教育」の充実について強く触れていただいた。このように学校協議会を応援団にし向けたところ、これまで消極的であった要の一人となる生徒指導部長が対策の強化に意欲を示し始め、以後は積極的な姿勢で先頭に立ってくれた。大きく変わったのだ。

 禁煙教育の充実を図る一環として、外部講師をお招きしての講話をしていただこうと提案したところ、「静かに聞かせる状態をつくる自信がない」という情けない意見が学年団から出た。ここが校長としての勝負どころと、自らがタバコの害に係るスライドを作成し、学年ごとに体育館で私から講話をした。生徒は静かに聞いた。「校長の本気」が、職員にも生徒にも伝わった。2年目からは外部講師による講話やワークショップ形式の禁煙教育を実践した。教員向けにも、外部講師による「禁煙教育の進め方」の講演会を開くなど研修を深めた。

 

 温度差のない一致した指導を

 集団行動を身につけさせる訓練の意味でも、「始業式と終業式のない月には、全校集会を入れよう」と提案した。核となるべき学年主任の腰が重たく時間がかかったが、着任2年目から始業式と終業式のない月に全校集会を入れることができた。画期的に改善に至ったとは言えないが、粘り強く繰り返し指導する中で、以前と比較し随分と話を聞く態度が育ってきた。平成21年度の卒業式は、中学校の校長から驚きの声があがるほど、静寂な雰囲気の下、挙行できた。本校に送った生徒をよく知る中学校長からの評価は、そのまま受け取ってよいのだろう。

 校内で見つかるタバコの吸殻の数は激減した。校舎内では、ほぼ一掃したと言えよう。「校長の本気」を感じ、職員が危機感をもって対処してきた成果の表れである。また土足で校舎内に入る生徒が多く課題のひとつであったが、共通理解の下、毅然とした粘り強い指導を実践した結果、これも大きく改善できた。その他のことでもよい流れが確かなものになってきた。最終年度、懲戒を受けた生徒は合計で12名と激減、着任初年度、被懲戒生徒数は200名近くにのぼった(前年度も同様)ことを思うと大きな改善である。保護者同席の申し渡しには大変な労力を費やしたが、けっしておろそかにせず、当該生徒にも保護者にも懇々と話をしてきたことが信頼回復につながったとの自負がある。

 生徒有志による早朝美化清掃ボランティア活動、PTA役員による清掃活動、緑化・園芸活動など、正常化・活性化に向けた地道な活動の影響も大きい。以前を知る人たちから、「校内外が見違えるように美しくなりましたね」と何度も言われた。職員も長く味わっていなかった達成感・充実感を、多少なりとも味わうことができたと思う。また、教頭が教育相談的対応に長け、校内研修なども数多く実施するなどして全員の力量アップを図るように務めてきた。外部機関との連携もスムーズに進んだ。課題の多い学校では必須の要件である。

 

 保護者、後援会、同窓会、及び地域の支援

3年生しか在籍しない最終年度のスタートを花一杯で飾りたく、5千個のチューリップの球根をPTAが中心となって植えた。私が先頭に立ったことは言うまでも無い。生徒有志、卒業生、PTA旧役員、及び地域住民からの協力もあった。始業式にタイムリーに咲かせ、沈みがちな生徒たちの心を和ませ元気づけた。6月にはそれを掘り上げ、近くの中学校などにプレゼントした。来春、あちこちで咲いてくれるだろう。7月には、掘りあげた跡地にPTAが中心となってミニヒマワリの種を播いた。二学期のスタートを、5百個のミニヒマワリの花が飾ってくれた。さらにその跡地には、2千球にのぼる日本スイセンの球根を植えた。2月末の、本校最後の卒業式と閉校式を飾った。

 これまで現状をオープンにしなかったことが、保護者や地域住民からの協力や支援につながらなかったと反省し、私は学校ホームページなどを充実させての積極的な情報発信など、学校を積極的に開くことにも全力を注いできた。さまざまな形で協力していただいた。今年度の同窓会総会には、これまでの15倍以上の卒業生が集まった。最後の卒業式並びに閉校式には、5百人を超える人たちの臨席があった。

 

 ぶれない毅然とした姿勢が共感を

 特別なことを実践してきたわけではない。ただ「やると言ったら必ずやり遂げる」のぶれない姿勢を堅持してきただけである。例えば、国旗・国歌に係わっても然りである。本校では、運動場と玄関脇の掲揚ポール、及び校長室内の三脚に国旗を常時掲揚してきた。始業式・終業式でも、式場である体育館壇上背景にきちんと掲揚した。

 私にしたら当然のことを当たり前にやっていることだけだが、相手の取り方によっては不遜と取られ苦々しく思われたかも・・・・・・。事実、あくまでも筋を貫き通す私の態度は、ときに職員からの反発を招いた。誹謗・中傷による被害を蒙ったことも無くはなかったが、けっして怯まなかった。ただそういったことが生起したこと自体、不徳のいたすところと、反省しなければならないだろう。しかし学校を変えるためには、「保護者であれ、誰であれ、だめなことはだめと言い切る」毅然とした姿勢を貫くことが大事だ。そのことに、些かの揺るぎはなかった。徐々に共感が広がったことが証明していると胸を張れる。

 最終年度、1学期末に学校教育自己診断を実施したが、ある保護者の自由記述の中で「校長はわかりやすい行動で、逃げずに生徒に向き合っている。小さなことをコツコツとやっている」とあった。また多くの方から、「もう少し早く着任してくれていたら・・・・・・」の身に余るお言葉を頂戴した。有り難いことである。

 私の教育目標「挨拶の飛び交う 秩序ある元気な学校」に一歩でも近づきたいと全力を傾注したが、なかなか思うようにはいかなかった。だが、諦めることなく粘り強く指導に努めたことを、だめなことはだめと言い続けたことを、生徒諸君はきっと覚えていてくれるだろう。そう信じたい。

 30年先、40年先、或いはもっと先で、人生に余裕ができ高校生活を振り返ったとき、愚直に「飽くこと無く 可能性を求めて」信念を貫いた校長がいたことを、一人でも思い出してくれたなら、教師冥利に尽きるというものだ。

 西浦高校は、平成23年3月31日をもって閉校となったが、1万1千8百有余の卒業生をはじめ、西浦に係わったすべての人たちが、西浦のことを子々孫々まで語り継いでくれることだろう。もちろん、私もその一人になる。

 

 平成23年3月31日をもって退職した。早いもので11年半が経過した。

 教職を終えるにあたってその記念に、最後の3年間について記した一文である。記憶も薄らいでいる部分もあるのだが、読み直すと昨日のことのように思い出される。38年の教師生活だったが、教諭としても、管理職としても、思う存分全力で走った38年だった。出会った周りの人たちに恵まれ、助けられ、幸せな38年であった。

 大阪府立西浦高等学校は、平成23年3月31日をもって閉校となったが、私が着任した直後にリニューアルした同校のホームページは現在も残っており、見ることが出来る。興味がおありなら、一度覗いていただきたい。最後の卒業式や閉校式の模様も動画で見る事が可能だったが、それは4~5年前から出来なくなった。それが少し残念だ。

 

最後の学校での教職員への着任挨拶と退任挨拶

着任挨拶(平成20年4月1日)

 みなさん、こんにちは。本日、着任しました谷口です。よろしくお願いいたします。若い頃、藤井寺工業に長く務めた経験があります。この度、南河内に戻り、久しぶりに故郷に帰ってきたような懐かしい感じがしています。昨日まで勝山高校に務めておりました。本校も多様な生徒が通学する中、みなさんは協力して対応していただいていると岡田前校長から伺っております。

 少し自己紹介させていただきます。教科は保健体育で、運動生理学や体力トレーニング論を専攻しました。競技の方の専門は陸上競技の長距離です。マラソンのトレーニングを通して健康や体力を培い、「努力することの大切さ」を学びました。「意志あるところに道は拓ける」「努力に勝る天才なし」といった言葉が、私は好きです。誰しもが夢や目標の実現に向けて、努力することが大事であると考えます。これまでも自分自身そのように心がけると共に、生徒たちにも求めてきました。本校の生徒たちにも、夢や目標をしっかり定め、その実現に向けて努力することを、講話などを通して繰り返し求めたいと思います。

 本校の置かれた状況は決して明るいものではありません。しかしながら、こういうときだからこそ余計に、明るく元気を出すことが大切であると考えます。我々の仕事のひとつは生徒に夢を語り、夢を与えることだと、私は思っています。我々が意欲をなくしたり、前向きに取り組むことを止めるならば、それが生徒や保護者に反映しかねません。我々が努力する姿勢を保ち続けるとき、自信をもって夢やロマンを語ってやることができるでしょう。

 どのような生徒にも必ずいいところがあります。我々はそれを掘り起こしほめ励ます中で、生徒の意欲を喚起する。そして、ほめ励ますだけに終わらず、誤った行動やルール違反については、毅然と注意し改善を求めることも大切なのではないでしょうか。規律指導の苦手な人も臆することなく、逃げることなく全員が一致して「ダメなことはダメ」と言い切ることが重要だと考えます。

 着任したばかりで、本校のことはほとんどわかっていません。早く実情を把握し、今年度の重点目標等を示したいと思います。

 微力ではありますが、本校のために尽力します。ご協力をお願いして、着任の挨拶といたします。

 

 

 本日(平成23年3月30日)午後、職員会議を招集した。西浦高校33年の、最後の職員会議となった。昨日、今日と、何かと慌ただしく過ごした。そのような中、午前中に挨拶回りを終えた。この33年間、数え切れない多くの方からのご支援を賜った。この場をお借りして、御礼を申し上げたい。


 私の話
 いよいよ今日、明日の2日間となり、今回が本校最後の職員会議になりました。
 さまざまな思いが巡ります。みなさんも、おそらく同様の思いでしょう。本校での勤務年数には長短がありますが、「西浦」のためにご尽力いただいたことには変わりありません。本当にご苦労様でした。
 今年度の総括については、各分掌からあがってきたものをもとに「学校評価報告」という形でまとめ、すでにホームページにも掲載しています。本日この場では、細々したことを申し上げるつもりはありません。簡潔に私の思いをお話しします。
 とにかく、しっかりと覚悟を決めて、生徒たちの思いへの理解に努めながらもけっして妥協することなく、保護者の支援も仰ぎながら一致して粘り強く取り組んだことについては、一定の成果が上がりました。一方、準備不足や取り組みに甘さが見られたことについては、それなりの結果しか出なかったと私は思っています。何が前者で、どのことが後者に当てはまるのかは、みなさん一人ひとりがよくおわかりだと思います。
 退職される方を除き、4月1日から新しいところへ赴任されるわけですが、これまでの経験を、特にうまくいかなかったときのことを反省し、ぜひ次に生かしていただきたいと願います。
 私は本校で3年間勤めたわけですが、これといって何もできなかったばかりか、我が儘を通すばかりで、みなさんには申し訳なかったとの気持ちで一杯です。3月31日で定年退職となりますが、教員生活38年の最後の3年間、西浦高校でみなさんと一緒に勤められたことをうれしく思います。
 最後に、みなさんには健康にご留意願いますと共に、ますますのご発展とご活躍を祈念申し上げ、私からの最後の話しとさせていただきます。

校長室で (平成22年4月1日)
卒業式には水仙を
春にはチューリップを

文化的建造物が作られた動機   田中英道

 エジプトの古代文明は、あの巨大なピラミッドをはじめ、さまざまなモニュメントをつくり出しました。

・ピラミッドがなぜつくられたのか?
・何の目的でつくられたのか?

 ということは、昔から王家の墓であるという説を中心に諸説あるわけですが、私はこう考えるのです。ナイル川の周辺の砂漠地帯には山がありません。そうしたところに人工の山をつくろうとしたのです。人々は人工的につくられた高い山を仰ぎ見ることによって精神を高揚させようとしたのです。人々はピラミッドを仰ぎ見ることで、人間を超越したもの、天をイメージし、崇拝の気持ちをもち、精神を高めようとしたと考えられます。そうした宗教的な意味合いがあるのだと思われます。
 人間には、「山をつくりたい。高い塔をつくりたい」という潜在的な欲求があります。これは、世界を見渡してみると、非常に多くの塔がつくられていることと関係しています。
 「塔とは何か」ということですが、山がないところに塔がつくられることが多いのです。パリのエッフェル塔もそうです。砂漠地帯にも塔が多くつくられています。この砂漠地帯、イスラム文化圏につくられたモスクをはじめとするイスラム建築を思い浮かべてみてください。いずれも高い塔をもっています。山や塔は高いところにありますが、それは天に近いということでもあります。神に近いといいかえてもいいでしょう。そういう人間の精神性、宗教心が、文明をつくる原動力になっているのです。エジプトのピラミッドには、まさにそうした意味があるのです。
 そうした目で見ていくと、古代文明によってつくられた、さまざまなモニュメントが、実は、人工的につくり出された自然であるということに気が付きます。たとえば、ギリシアのパルテノン神殿には柱廊があります。石でつくった柱があるのです。石でつくるならば、壁をつくればいいのですが、そこに何本もの柱をつくっているのです。それは、樹木をつくり出したいという欲求がそうさせているのです。 もともと人間の住居は樹木でつくるということが基本だったわけで、このパルテノンの柱廊もそうした人間の欲求の表れです。
 このように、自然というものが、常に人間の基本になっているということを知っておかなければなりません。樹木そのものが豊富にある日本では、当然樹木そのもので柱をつくればいいわけです。特に、縄文文明は、樹木そのものを活用することで成り立っています。ピラミッドのような人工的な山をつくったエジプトと、どこにでも山がある日本は対照的です。しかし、ピラミッドと日本の山では、人工と自然の違いはあっても、それに信仰が宿されているということにおいて、両者は共通しているのです。エジプトの人は、ピラミッドを通して神の世界を見ているのです。一方、日本人は富士山のような山に、神性を感じているのです。
 ピラミッドが世界の四大文明の一つの代表的なモニュメントだと考えると、それを日本の富士山との関連で見ることができるのです。富士山は、高い山だというだけではなくて、霊峰富士として崇められる信仰の対象でもあるわけです。拙著『日本の文化 本当は何がすごいのか』では、エッフェル塔が富士山の代替だった。ということを語ったわけですが、まさにそれがピラミッドにも通じるわけです。
 高い塔や、大きなモニュメントのようなものは、基本的には、山がないところ、砂漠や川の流域などの平地でつくられるのです。カンボジアのアンコール・ワットやジャワ島(インドネシア)のボロブドゥール遺跡なども、そうした例だといえます。人間は、山=高いものをつくる、という一つの法則といってもいいでしょう。
 世界各地に残されている文化的建造物が作られた動機として、そうした人間の欲求、宗教的感性が働いていたということを押さえておきたいと思います。


田中英道(東北大学名誉教授)

 

 ピラミッドが造られたその謎については、「王が自らの権力を示すためにつくった」「労働者の食糧庫としてつくられた」「王の墓として建造された」など、諸説がある。田中氏は、これらの説は全て間違っていると言われる。
 田中説はなかなか興味深い。西洋美術史の世界的権威だけに、説得力がある。(谷口利広
)

他者のためなら多少の無理は

 「美徳」は他者との関係性の中でしか磨かれないから、自分から積極的に働きかけるしかない。自分以外のために出来ることはいくらでもあるし、人の役に立てることはどこにでもある。自己中心で独り善がり、頑固で我を張り続けることは、無駄なことだ。自分のためだけに生きることはやめたい。他者の役に立てるなら力の出し惜しみをせず、多少の無理はしたいものだ。

教育関係法規の改正    松浦光修

 平成18年12月、「教育の憲法」ともいわれる「教育基本法」が、59年ぶりに改正され、翌6月には、「学校教育行政法」「教育免許及び教育公務員特例法」も改正された。
 これらの歴史的偉業をなしとげた安倍政権は、官僚とマスコミによるネガティブ・キャンペーンによって、志なかばにして倒れたが、じつはその後も、その新しい「教育基本法」をもととする教育関連の「法規」の改正はつづけられている。「教科書検定基準」、あるいは学校教育の「内容」を具体的に定める「学校指導要領」などが、それである。
  
 平成20年3月には小学校・中学校の、平成21年3月には高等学校の、新しい「学習指導要領」が、それぞれ告示され、それらをもって新しい「教育基本法」にもとづく一連の法改正は、一応の完成をみたといってよい。小・中学校の新しい「学習指導要領」は、以前のものと比べると、格段によい内容になっている。たとえば、国歌の指導について、小学校の「音楽」ではこれまでは「いずれの学年においても指導すること」だったのが、「いずれの学年においても 歌えるように指導すること」に変わった。「歌えるよう」の一言が入ったことの意義は大きい。これからは、小学生たちが、国歌を「歌えるよう指導」しない教師や学校は、あきらかに「法規違反」となる。
  
 平成21年3月に告示された「教科書検定基準」でも(残念ながら教科書検定の宿痾ともいうべき「近隣諸国条項」は残ったものの・・・)、全体としては新しい「教育基本法」の第2条をかかげるなど、改善がすすんでいる。さらに、ほとんど報道されなかったが、高等学校の新しい「学習指導要領」にも、新しい「教育基本法」をふまえた、よい文言が増えている。

 ここでは、そこに新たに加えられた文言を、いくつか列記しておこう。
  「伝統と文化を尊重し、 それらを育んで我が郷土を愛し、 個性豊かな文化の創造をはかる」(総則)
  「伝統的な言語文化についての課題を設定し、様々な資料を読んで探求し、 我が国の伝統と文化について理解を深める」(国語)
  「近現代史の指導にあたっては、・・・客観的かつ公正な史料に基づいて、 歴史の事実に関する理解を得させるようにする」(世界史A)
  「祖先が地域社会の向上と文化の創造や 発展に寄与したことを具体的に理解させ、それらを尊重する態度を育てる」(日本史B)
  「天皇の地位と役割、議会制民主主義と権力分立など、日本国憲法に定める政治の在り方について国民生活とのかかわりから認識を深めさせる」(現代社会)
  「古来の日本人の考え方や 代表的な先哲の思想を手がかりにして、自己の課題として学習させる」(倫理)
  「政治及び宗教に関する教育を行うものとする」(政治経済)
  「家庭や地域社会及び社会の一員としての 自覚をもって、共に支え合って生活することの重要性について認識させる」(総合家庭)

  皇學館大学教授 松浦光修

 「教育基本法」の改正、関連諸法規法令の改正は、安倍元首相の偉大な功績である。ただ、それは功績のほんの一部であり、明治維新以来、歴代内閣で最も多くの偉業を治められた首相であったのだ。そのことを全国民は認識しなければならない。真実をきちんと伝えないマスメディアには、怒りを覚える。騙されている人々があまりにも多い。

 

安倍晋三内閣の功績

第一次

<教育基本法の改正と国旗国歌法の制定>

<北朝鮮に対し国連の対北制裁決議を促し、日本個別としても厳しい経済制裁措置を実施>

<防衛庁を防衛省へと昇格>

<韓国からの無茶振りに明確にNOを示す>

第二次

<アベノミクスの推進>

<オリンピック招致>

<日米外交の推進>

<インド太平洋構想の発案>

<国家安全保障会議(NSC)の設立>

<防衛装備移転三原則>

<共謀罪法案の制定>

<特定秘密保護法の制定>

<平和安全法制の制定>

 (谷口利広)

国連での演説後 安部首相に握手を求める諸外国の政治家が長い列を。きわめて異例だった。

悟りをめざす心

 人間の心には、いつも煩悩が先行しているのではないだろうか。目先の私欲に振り回されるドロドロとした心ではなく、自らの欲望を抑えたサラサラとした清々しい心になれるようにしたい。

 歳を重ねるごとに精神的にも成長を遂げることは易くはないが、そのように努めたい。そして、一生を終える頃には、欲に心が支配されない悟りの境地に近づきたい。

 あの世には、地位も・名誉も・財産も持って行けない。持って行けるのは自分の心だけである。いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題であるが、悟りをめざす心を持ちたい。悟りをめざす心をあの世へのおみやげとして持って行くことができたならば、あの世でも迷うことはないと信じる。

私 の 教  育  論    谷 口  利 広

 教師に求められることは、生徒のさまざまな思いや考えから学ぶことであり、それによって自らを変革していくことではないだろうか。日々の授業実践から学ぶことができてはじめて、教師自身自らを変革できる。授業をこなすだけでは、教職経験をいくら積んでも一年目の授業を繰り返しているのに過ぎないのである。

 授業技術を磨くということは、一人ひとりの子どもの思いや考えを引き出し、それをもとに生徒が学ぶこと自体を学ぶ、そのことを可能にする授業を創る技術である。

 専門職である教師として、教師は学び続けることが求められる。それは、自分自身が変ることによって生徒が変ることにほかならない。スタートは、自らの授業実践における問題・関心にある。それも印象ではなく、具体的な生徒の事実に基づいた問題の設定である。この問題を解決する過程において、自らが新しい指導方法を創りだしたり自らの教育観を問い直してみることが求められる。そこには他の教師との対話も欠くことはできない。それを支えているのが「自らの実践を書く」ということである。その報告には、授業者自身の工夫、つまり実践的知識や信念、価値観が含まれていなければならない。単なる実践報告とは異なるのである。さらに、創りだされた指導法や教育観を問い直すことで、創られた授業の実践をし評価する。そのためには、授業技術を磨くことに加えて、調査法やインタビューなどの研究方法も身につけなければならない。自らの実践をこのように研究していくことが、学び続ける教師であることにほかならない。

 教育現場での実質的な課題解決方法は、教師と生徒がお互い授業を通じて妥協せずに、質の高い指導、密度の高い学習活動を展開することに尽きる。教師は、生徒の学習活動の不振を生徒の責任のみに転化しないで、自らの指導方法・技能や熱意の問題として反省し、あるいは、支援の仕方の不十分さを直視し、研修して改善策を練る手立てを講じたい。生徒に対しても、教師に質の高い教授内容や方法を求めるからには、学習活動に真剣に打ち込むという自らの責任を果たすよう指導したい。教師の対応が、正直であり真剣であれば、生徒は敏感に反応し、指導に素直に従い、積極的で意欲のある学習活動を展開すると信じる。教師が学習活動にかかわる情報を共有し、共通の課題として共に指導法を学習し研修しあう場を校内に設ける必要がある。しっかりとした指導体制の確立を図ることが求められる。 

 

 学校で育めるのは夢や理想であり、それを実現するためのエネルギーを蓄えさせることである。個々の生徒に具体的な生き方の方向性を把握させ、たとえ本人にとって次善の策であろうとも、その実現に向けて一歩でも近づける努力をさせることである。それには、教師が生徒の実態に応じた具体的で継続的な適応指導を徹底することである。

 覚えさせて、それを吐き出させる教育ではなく、一を聞いて十を知り、自立して自分なりに尽きない知恵を湧き出させる頭の働きを仕込むようもっていくことが大事である。生徒には、志を高くもち、その裏づけとなる基礎固めをしっかりと行い、あらゆる可能性に挑戦できる強靭な精神力と実践力、よりよい社会を築こうとする献身的精神を養うことを求めたい。

 教師は新卒以来、教室という個室の中で社会や他人の目に晒されることがない特別な職務環境を常態としている。それはいつの間にか、相手に変ることばかりを求めることに陥りやすい。自分自身を変えることに鈍くなるという教職の特殊性について、自覚を促す必要があるのではないか。学校として、一貫性のある生徒指導体制の確立は、教師が互いに学びあうこと、自らを変えていくことから始まるものだから。教師自らが混沌の時代を生き抜く先見性とバイタリティーを身につけ、生徒に希望と勇気を与える必要がある。

 

 校長論として「責任をとる」姿勢に徹することも校長の在り方として成り立ち得るが、激しい社会変化の中にある今日、リーダーとしての校長に求められるのは、「責任を果たす」姿勢である。

 校長のリーダーシップは、自らの抱く教育理念を闇雲に実現しようと教職員に押し付けることとは別のものである。また、教育委員会などのいうことを鵜呑みにして、ただこれを伝達・実施しようとしたり、同様に保護者・住民の要求を次々と実現しようとしたり、あるいは一部教職員の雄弁の前に安易に屈服したりすることとも別のものだ。自らの教育理念が妥当性をもち、通用するものであるかどうかについて点検するといった謙虚さが求められることは当然である。

 教職員に対して、必要に応じて服務規律の厳正化を求めたり、管理に神経を砕くことも求められるが、一方で共に教育を語り、授業や生徒指導を論じ、喜びや悲しみも共にする同僚同士であることを忘れてはならない。批判的であったり、斜めに構えている人をしっかり観察して、その能力や優れている面を発見し活かすことも求められる。人間的魅力や教師としての力量を高めることによって職員が自ずから従ってくるようにする。

 教職員を生かすには、何よりも一人ひとりに接する機会、話し合う機会を多く持ち、その人の職務上の問題を一緒に考えることが大切である。一人ひとりと話し合うときには、なるべく議論を避け聞き手にまわり、「聞き上手」に徹したい。

 職員の創意・工夫や努力に対しては、心からほめ励ますことを心がける。さらに、ほめ叱る際の時・場所・方法を考え「自分を認めてほしい」という一人ひとりの欲求に応える姿勢が必要である。

 食い違いや微妙な感情のずれなどが生じた場合は、自分から出向いて、その修復・改善に努めなければならない。ときにはそうしたくないという思いにとらわれ避けたくなることもあるかもしれないが、そこを耐えて内省する心のゆとりと広さを持たねばならない。そのようにできることがトータルプランナーとしての、校長の大切な資質・力量である。

 「何か新しい前進を」という積極的な姿勢から、新たな夢やロマンも生まれてくる。   前向きの働きかけには、必ず多くの人が応えるし応援をしてくれる。新しさゆえの困難や苦労も生まれてくるが、それを乗り越える楽しさもまた大きな喜びと知るべきだ。

 個々の教師をまとめ、望ましい指導体制を築く上で大切なのは、校長の内外に対する現状認識力、先見性、企画力、それに強力なリーダーシップである。伝統となっている教育方針や指導理念を踏襲しながらも、改善点が生じたら抜本的な改革のメスを入れなければならない。さらに、時代の変化、生徒の実態や教師の指導体制の変化にも臨機応変に柔軟な対応することが求められる。

 高校の校長としては、中学校に向け、積極的に自校の経営方針や教育実践の内容を説明することの意義は大きい。その際、校長自らも説明することが重要である。校長の声で情熱をこめて中学生たちにメッセージを送ることの教育効果は計り知れない。高校生活に対する期待が大きく膨らむに違いない。

 現役の頃の資料を整理していると、「私の教育論」というのが出てきた。15年位前に書いたものだ。
 式場の写真は、校長として赴任していた高校の最後の卒業式・閉校式のものだ。整然とした式場設営は、当然の務めである。その高校に3年間勤めたが、私が着任する前の夏に「統廃合」の対象となり、次の年度から3年間で閉じることが決まっていた。いわゆる困難校であった。地域と保護者の支援、何より教職員の力の結集により立て直し、周りから「見事だった」という式で終えることが出来た。校長の覚悟と責任で「立て直した」の自負がある。
 「教育論」など、三生連のホームページに似合わないが、会員の子弟にも教育に係わる方が居られるならば何かの参考になるだろうの思いである。

校舎前、運動場体育館前、校長室に365日掲揚
整然とした式場設営は当然の務め
自分の氏名だけは自筆

高山から見る空の蒼さ

 40歳を超えて登山を始めた。家族で富士山に登頂したのが始まりだった。  
 以後17年間、国内の高山を北海道から屋久島まで、ほとんど登り尽くした。近郊の低山もである。その合間には海外まで脚を伸ばし、キリマンジャロ(タンザニア)、マッターホルン(スイス)、モンブラン(仏)などにも登頂した。

 ご存知だと思うが、高山から眺める空の色は蒼い。とにかく美しい。眺めた空の青さの一つひとつが眼に焼き付けられ、心に刻まれている。経験した中でどれが一番かと聞かれると、答えに窮する。いや、それは嘘だ。本当は「ベスト3」は、すぐに答えられる。

 が、それは別の機会にする。登山ばかりでなく、マラソンやトライアスロンなど、さまざまな経験が出来た。丈夫に産み育ててくれた両親はもとより、これまで出会ったすべての人々に感謝している。

 ところで、高山や飛行機から見た空が濃い青色に見えるのはなぜだろうか。これは高層になるにつれて大気中の水滴や塵などが少なくなるため、空気分子が太陽光を散乱させる青を水滴や塵に邪魔されずにより多く目で見る事ができるためだと言われる。
 反対に夕焼けが赤くなって青が少ないのは、太陽が低い位置になるので、光は横から大気圏を突き抜けてやってくる。このときも青い光が多く散乱されるのだが、大気の中を通る距離が長いので昼間よりも散乱が多くなり、また距離が長いので青色の色は届きにくなって、散乱されにくい赤い光が目に入ってくるからとのことだ。

(写真をクリックすると拡大)

世界から敬愛される国に

 11月に、防衛省(海上自衛隊)では「国際観艦式」を行う。今回は自衛隊創設70周年という意味合いがある。

 防衛省は、2月に米国を始め諸外国に招待状を送った。その中に、中国と韓国が入っている。ロシアには、この時点でウクライナへの侵略が生起しており招待を見送った。

 ご存知の通り、韓国とは自衛隊機に対する「レーザー照射」問題がある。謝罪が未だに無く、解決に至っていない。日章旗に対するクレームの問題もある。こちらも、もちろん難癖である。
 中国は、8月にペロシ米国議会議長の訪台の直後、日本の排他的経済水域内に5発のミサイルを撃ち込んだ。この事についての謝罪は未だに無い。この際の、「親中」「媚中」と揶揄される岸田首相や林 外相の弱腰の対応には、呆れ果てた。

 このような状況の中で「国際観艦式」に両国を招待するというのは、日本国民の感情を逆なでするものだ。2月とは状況が明らかに変わっている。到底容認できる事ではない。防衛省や外務省は、「このような時期だからこそ」との考えのようだが、両省は『抑止力』を考え違いしている。毅然とした対応こそが、一番の『抑止力』となるのである。

 政府は中韓両国に期限を切って再度謝罪を求め、中韓が善処しない場合は、「招待」を取り消すべきである。当然の事だろう。弱腰外交は駄目だ。「東京裁判」に基づく自虐史観を捨て去らなければならない。そうでなければ、いつまで経っても真に世界から敬愛される国にはなれない。

日本がドンドン良くなる根本的理由  北野幸伯

  私は、28年間ロシアに滞在していたのですが、日本は、清潔で、自然がきれいです。夏は暑すぎる感じもしますが、日本の秋は最高ですね。モスクワは11月頃になると、ほとんど晴れの日がありません。日に当たらないと、白人の顔色も土色になり、病気の人が激増します。その点、日本は、雨の日と晴れの日が適度にあって、すばらしい。
 日本人は、概して穏やかで、誠実で、勤勉です。心優しい日本人に囲まれて、日本に住めるのは実に幸せです。日本に戻って3年。日本は元々いい国ですが、「さらに良くなっている」と思います。皆さんの中には、「いや、どんどん悪くなっている!」と思っている人もいるでしょう。何がよくなっているか、例を挙げてみましょう。

 激増した公立小中学校のエアコン設置率
 たとえば、公立小中学校のエアコン問題。2017年のエアコン設置率は、49.8%でした。2018年の夏は暑く、熱中症でたくさんの人が亡くなりました。そして、
「日本の小中学校には、エアコンが設置されていない!」という報道が、外国でもされたのです。私もこのことに驚き、外国人の知人友人も仰天していました。
 「日本は、ハイテク先進国で猛暑の国。なぜ学校にエアコンがないのだ????」と。質問攻めにあった私は、「そうだよね~」と同意するしかありませんでした。ところが、2020年の設置率、【 92.7% 】まで上がりました。
 4年前、エアコンがある公立小中学校は半分以下だった。それが今は、ほとんどすべての学校にエアコンがある。それに要した時間は、たった3年です。

 働き方改革の成果
 私が帰国した頃(2018年秋)、日本は「働き方改革」の話で盛り上がっていました。2019年4月に施行された「働き方改革関連法」の内容は、正直イマイチです。しかし、政府が「働き方改革!働き方改革!」と大騒ぎしたことで、明らかにムードが変わりました。
 日本人は「勤勉」で有名ですが、外国から見ると「労働時間が不当に長すぎる」ことでも知られています。2019年4月から、TBSで「わたし、定時で帰ります」というドラマが放送されました。つまり「日本で『定時で帰ること』は特殊なことで、ドラマのテーマにすらなる」と。このドラマの後、「働き方改革」が進み、皆さんの働き方も楽になったでしょうか?
 時々、モスクワ時代の友人と会うことがあります。待ち合わせをするときは「6時45分に駅で」といった感じ。以前は、こんな早い時間に会うことは難しかったですが、今は大丈夫になりました。働き方改革で、お父さん、お母さんが早く家に帰ってくる。これで、子供たちの幸せ度も増しますね。

 テレワークの普及
 新型コロナは、悪いことばかりです。しかし、一つ「よかったこと」もあります。「テレワーク」が普及したこと。業種にもよりますが、「自宅でパソコンで仕事できる」人はかなりいるはずです。そういう人たちが、往復2時間かけて出社するのは、非効率でしょう。週10時間、1か月40時間、年間480時間、通勤に費やしている。480時間は労働時間8時間で割ると、60になる。つまり、1年の通勤時間は、労働時間60日分に匹敵するのです。実にもったいないですね。だから、できる人はテレワークにした方がいいでしょう。
 ですが、今までは、「惰性」で出社してきた。ところがコロナでテレワークが「推奨」されるようになった。その結果、テレワークが激増しました。総務省6月18日の発表には、こうあります。<企業におけるテレワークの導入が急速に進み、在宅勤務を中心に導入する企業の割合は、前年比で倍以上の47.5%に達した>

 自由民主主義が進歩の原動力
 これ↑、「リアリスト北野らしくない」と思われる方も多いでしょう。しかし、独裁国家と民主主義国家を比較すると、このことが真実だと理解できます。どういうことでしょうか? たとえばエアコン設置率の急増。これは、2018年に小学生が熱中症で亡くなったことが原因になっています。大騒ぎになり、問題がクローズアップされた。たとえば、働き方改革。これは、電通社員の過労死事件などが注目されたことで進展しました。もちろん「犠牲者が出る前にやるべきだった」
という思いはあります。しかし、最悪なのは、「犠牲者がでても何も変わらないこと」でしょう。
 日本は、少なくとも「犠牲者がでれば変わる」のです。いえ、犠牲者がでて、野党とマスコミが大騒ぎすることで変わるのです。だから、野党やマスコミの役割は重要。そして、日本は、独裁国家に比べると、野党、マスコミがしっかり役割を果たしている。では、独裁国家では、どうなのでしょうか? 独裁国家には、そもそも野党がない。いても、事実上独裁者に逆らえない。マスコミは、独裁者に都合の悪い報道をしない。報道されないから、大騒ぎにならない。大騒ぎにならないから、「変えよう」という動きが起こってこないのです。あるいは起こってきても、弾圧され、つぶされます。

 だから、私たちは、「自由と民主主義が進歩の原動力」であることを自覚して、この体制を守っていくべきなのです。ちなみに、自由も民主主義も、一瞬で消え去ることがありえます。当たり前に存在しているものではありません。香港を見てください。香港は2019年、100万人デモ、200万人デモをする自由がありました。しかし2020年には、「香港国家安全維持法」が成立し、デモをすることは禁止され、習近平や共産党の批判をすると逮捕されるようになりました。そう、香港の自由、民主主義は一年で消えたのです。
 もし中国が台湾を併合すれば、台湾から自由と民主主義はなくなるでしょう。反日教育が開始され、世界一の親日国家台湾は、反日台湾省になるでしょう。そう、自由と民主主義は、「普通にあるもの」ではなく、「守らなければ消えてしまうもの」なのです。私たちは、日本を守りたいし、日本にある自由と民主主義も守りたいと思います。

 

北野幸伯(国際関係アナリスト)

「卒業生の半分は外交官、半分はKGBに」と言われたエリート大学:ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学を日本人として初めて卒業。その後、カルムイキヤ共和国の大統領顧問に就任。大国を動かす支配者層の目線から世界の大局を読むことで、数々の予測を的中。自身のメルマガは、ロシアに進出するほとんどの日系大手企業、金融機関、政府機関のエリート層から支持されている。

 日本にずっと住んでいる私たちは、「日本の良さ」になかなか気づかない。外国から日本を訪れた方は、「日本の良さ」に「日本人の民度の高さ」に一様に驚く。北野氏のように外国に長く滞在された方からも、同様の感想が述べられる。

 一方、日本が諸外国に学ばなければならないことも少なくない。「井の中の蛙になる」ことなく、常に謙虚な姿勢で世界を注視する、そして学ぼうとすることが求められている。(谷口利広)

受賞祝の宴が開かれた

  既報のとおり、先日、辻 孝三顧問と私が「高齢者福祉功労」による知事表彰を受けた。有り難いことに昨日(9/15)、役員顧問など13名(1名会費出席)による「祝う会」が王寺駅前の中華料理店で開かれた。全員から祝辞などが述べられる中、痛飲し大いに盛り上がった。なお、この席で、来年10月に90歳になられる片岡顧問の「卒寿を祝う会」の開催が満場一致で決まった。その2年後には、南部監事の「卒寿を祝う会」である。(写真はクリックで拡大)

前列向かって右から2人目 辻顧問 右隣 谷口会長

SDGsの問題点や矛盾点

 異論を唱える者は

 いつの間にか、SDGs(エスディージーズ)という言葉が世の中に溢れている。近隣の町では町長の考えであろう、職員がSDGsに浸かり切っているのではと思われるような雰囲気がある。町の広報紙を始め、会議資料や各種掲示物、ありとあらゆる場面でSDGsという言葉やロゴが目に付く。  
 SDGsは、そんなに大事なことなのだろうか。私の眼には、異常としか映らない。恐らく、役所や付随する諸機関には、異論を唱える者を容認するような雰囲気は無いのだろう。異論を唱えるならば、白眼視されるのか。素直でない私などは、つい「他にも注力すべき事があるだろうに」と思ってしまうのだ。また世の中の新聞広告などでも同様である。企業は熟慮せずに「乗り遅れてはならぬ」の浅はかな考えに陥っていないか。このような国内の状況を、憂慮する者は少ないのだろうか。このSDGsについて考えてみたい。

 問題点や矛盾点

 先ず、SDGsの問題点や矛盾点について触れる。1つ目は、 SDGsが人々の免罪符になりつつあることだ。私は、地球温暖化については疑義を抱く立場だ。夏の最高気温は確かに、子どもの時と比べて4~5度高い。だが、年間の平均気温は、100年前と比べて0.4度しか上がっていないという統計もある。
 一般に、温暖化対策として行っている取り組みは多岐にわたる。例えば、エコバッグやマイボトルの持ち運び、プラスチックのストローを使用しないなどだ。これらの取り組みは環境破壊や温暖化に配慮したものと言えるが、その行動の背後には大きな危険性がある。それは、これらの取り組みだけで環境を守る対策ができていると勘違いしてしまうことだ。本当に必要とされているもっと大きなアクションを起こすことが求められるが、これらの取り組みは阻害要因になりはしないか。

 2つ目は、 SDGsだけでは気候変動は止まらないということである。そもそも経済成長と二酸化炭素の削減は、現在求められているペースでは両立し得ないことが明らかだ。無限の経済成長を追い求める資本主義というシステム自体にブレーキをかけない限り、環境破壊や気候変動を止めることは難しい。つまり、資本主義という根本原因をそのままにして解決することは難しいのである。私は資本主義を否定しているわけでは無い。

 SDGsは怪しくないか

 SDGsは怪しいと思ってしまうが、それはなぜか2つの視点から述べる。
 1つ目は、目標に対して胡散臭いと感じてしまうことだ。SDGsの目標は、「すべて」や「ゼロ」といった極端な表現が多く見られる。定めている目標に現実味がない。SDGsは綺麗事であると捉えてしまう要因の1つとなっている。
 2つ目は、「持続可能な社会」の定義が抽象的であることだ。「より良い社会を築くために持続可能な社会をつくる」などと言われているが、この表現はあまりにも抽象的過ぎる。そう思うのは、私だけではないだろう。

 「よりよい未来をつくるために」と、政府やマスコミも手放しで礼賛する17の達成目標は、どれも立派だ。だが、その一つひとつを検証していくと、欺瞞と矛盾に満ちていることが分かる。人々の『よいことをしたい』という善意につけ込んで騙しているとも言える。「SDGs」という考え方が実は多くの矛盾を抱えていて、それを無理に実現したところで「理想的な未来」などやって来ないのだ。SDGsがかなり胡散臭いということは、実はこの言葉自体によく表れている。このあたりを、推進している側の人たちは、深く理解しているのだろうか。甚だ疑問である。

 SDGsとはご存知のとおり、「Sustainable Development Goals」の略で、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されていることが多い。ただ冷静に考えてみると、かなり「ちんぷんかんぷん」な変な言葉だ。「SustainableとDevelopment」というなんとなく知的なイメージがある単語2つを、Goalsにくっつけているので表面的に納得する人もいるのだろうが、これは言葉としては完全に破綻している。

 キャッチフレーズの成り立ちに潜む「矛盾」       
 誰も反対できない17のお題目に潜む「矛盾」

 「持続可能」であるということは、そこで「開発」は止まるのが普通だ。その逆に「開発」を続けている限りは、「持続可能」という状態にはならない。「持続可能」でありながら「開発」をずっと続けていくことはあり得ないと思うが……。

 水と油のように相反する言葉を繋ぎ合わせ、あり得ない状態をさらりと言ってのける。そして、それを達成する目標まで掲げているというのがSDGsだ。矛盾しているどころか、支離滅裂な話だ。SDGsに好意的な人ならば、「Developmentの結果、Sustainable Goalsに到達して、そこでDevelopmentは終了する」という解釈になるのかもしれない。確かに、それならば理解できないこともないが、本当にそんなことが実現可能なのか疑問は拭えない。

 意味としてまともなのは、「Sustainable Goal」、もしくは、「Unsustainable Development」のどちらかである。
 グローバル・キャピタリズム(国境のない資本主義)と言える「現代資本主義」は基本的に後者で、これは長期的にみればいずれ破綻を免れない。だから意味が通じなくてもとにかくそれらしい言葉をくっつけて、SDGsという一見スマートなフレーズを造語したのではないか。いずれにしても、このSDGsという言葉は矛盾だらけの支離滅裂な言葉である。この怪しい響きというものが一握りの人間の懐を肥やすばかりで、ほとんどの人を不幸にするSDGsの「嘘」の本質を表していると言えば言い過ぎだろうか。「名は体を表す」のである。

 誰も反対できない17のお題目

 SDGsというものの、どのあたりに矛盾が潜んでいるのかを具体に指摘する。現在、世間に広まっているSDGsは、17の目標と169のターゲットを掲げている。17の目標は、次のとおりである。

1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに 
5.ジェンダー平等を実現しよう 
6.安全な水とトイレを世界中に 
7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに 
8.働きがいも経済成長も 
9.産業と技術革新の基盤をつくろう 
10.人や国の不平等をなくそう 
11.住み続けられるまちづくりを 
12.つくる責任 つかう責任 
13.気候変動に具体的な対策を 
14.海の豊かさを守ろう 
15.陸の豊かさも守ろう 
16.平和と公正をすべての人に 
17.パートナーシップで目標を達成しよう

 どの目標も美辞麗句ばかりだ。一つひとつに異論を挟む余地など無い。ただ、多くの人が反対できないという目標だから、それが「正しい」とは限らない。実際、ここに掲げられている目標の多くは、達成することがかなり難しい「絵に描いた餅」である。
 先ず、「5.ジェンダー平等を実現しよう」「10.人や国の不平等をなくそう」「12.つくる責任 つかう責任」「16.平和と公正をすべての人に」「17.パートナーシップで目標を達成しよう」という5つの目標は、人や社会の「意識」の話だから、国際社会と国が啓発をして国民の意識を変えることでどうにかなるかもしれない。だが、世界中の人々の意識をそこまで劇的に変えられるとは、とても思えない。

 次に「3.すべての人に健康と福祉を」「4.質の高い教育をみんなに」「8.働きがいも経済成長も」「9.産業と技術革新の基盤をつくろう」「11.住み続けられるまちづくりを」という5つの目標は、インフラ整備や経済振興の話なので、投資をするお金があればできないこともない。ただ、国によって経済力には大きな差があり、これを世界中で展開するというのは現実には無理である。

 胡散臭い「7つの目標」

 これらの10の目標よりも実現が難しく看板倒れになると思われるのが、残りの7つの目標である。「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」というエネルギー、食料、水、生物多様性に関する目標は、驚くほど矛盾だらけだ。

 例えば、「エネルギーをみんなに」というのは、もちろんお題目としては結構だ。それを「クリーン」にするというのは、SDGsの文脈では化石燃料を燃やさないということになる。だから、エネルギーの価格はどんどん値上がりする。そうなると、開発途上国の人たちや貧しい人たちはエネルギーを買えない。「クリーンに」という目標は達成できても、「エネルギーをみんなに」は達成できないし、「貧困をなくそう」という目標とも大きく矛盾する。

 「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」という目標はきわめて美しいが、実現するためにはどうすればいいのかという深い話はほとんど語られていない。また、「海の豊かさを守ろう」も現実的ではない。漁業は程々にという話にだろうが、現実には世界の漁獲高はすさまじい勢いで増大している。現状が続くとすると、あるときにまったく水産資源がとれないという事態が起きる恐れもある。が、今はそれを止めるルールもない。しかも、規制して漁獲量を減らすと「飢餓をゼロに」とか、「貧困をなくそう」という目標は達成できない。理想的な話であっても、それがまったく実現できないおとぎ話ならば、それは「嘘」と変わらない。SDGsは嘘だという理由はここにある。

 「人口を減らそう」という目標の欠落

 それに加えて、このSDGsに疑問を感じるのは、17もの目標を並べていながら、地球の持続可能性を考えるうえで欠かすことのできない目標が含まれていないことだ。それは人口問題である。その解決策にまったく言及していない。
 世界の人口は20世紀初めには約16億5000万人だったが、現在は79億人まで膨れ上がっている。長期的には減少に転じると予測されるが、発展途上国も多いので、しばらくはこのまま増え続けるだろう。

 人口増加を抑えないで、SDGsが掲げる「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標を徹底的に追求していくと、人類は間違いなく「破滅への道」を歩むことになるだろう。
 まず、原生林や原野といった自然生態系が消滅する。野生動植物の生物多様性が激減し、それでも間に合わないと結局は個人間や国家間でのエネルギーや食料、水などの「資源争奪戦争」が勃発する。そうなると、もはやSDGsどころではない。これを回避する方策はただ一つしかない。「世界規模で出生率を下げる」ということだ。

 「人口を減らす」という目標を謳っていないSDGsは、もうすでに破綻していると言えよう。CO2削減やプラ製品の削減などを実践していても、根本の持続可能な開発目標が達成されるというわけでもない。究極は、人口を徐々に減らしていくことだ。

 SDGsが誰に恩恵をもたらすかと言えば、それは欧米諸国であろう。空虚な美辞麗句を並べて煙に巻くのは、彼らが現行資源の産出国を抑えて上位に位置するための戦略である。何の罪もないCO2に、不都合の原因をすべて押し付けてしまうための布石である。反論しにくい正論めいた目標を掲げて、みんなが良くなりそうな予感を抱かせるが、実際は上位と下位の差が開くだけである。そして極めて問題なのは、SDGsの推進のための拠出金は、日本が突出して高額であるということだ。

 科学的な視点で今の地球と人類を俯瞰すると、エネルギーや食料、水などを人や野生生物を含めた全世界の生物たちに、どのように分配するかということが喫緊の課題になっている。それは明白だ。エネルギーや食料、水などの資源の「限界」は判っており、人を含めた地球上のすべての生物は、それをシェアして生きているにすぎないからだ。(9/15 谷口利広)


参考  池田清彦著「SDGsの大嘘」(宝島社新書)など

システィーナ礼拝堂の天井画を間近で研究   田中英道

 これはイタリアにいた頃のお話ですが、私はこの留学で、とてつもなく貴重な体験をしました。それは、世界美術史上で屈指の名作と言われるシスティーナ礼拝堂の天井画を間近で研究できたことです。最高峰の芸術家・ミケランジェロにより描かれた、世界の“宝”ともいえるこの作品。今から500年以上前。若きミケランジェロは、足場を組んで、立ったままこの天井画全てを描ききり、なんと、約300人の人物像一つ一つを丁寧に美しく表現しました。
 しかし、描かれてからおよそ500年、この名作は危機に瀕していました。ひび割れによって天井画が損傷。さらに積年の埃、蝋燭のススで色も薄れ、原画の美しさを失いかけていました。
 そこで、かつての輝きを取り戻すべく始まったのが、この500年に1度の大修復作業です。これは10年間にわたって行われるということで、そこで修復作業をしながら同時に研究をしてほしいとのことでした。当時は、日本テレビが撮影に来るくらいでしたから、いかに重大なプロジェクトであったかがわかります。実際に私も足場にのぼらせていただき、間近でミケランジェロの天井画を拝見したのですが、初めて見上げた時はあまりにも壮大で美しい絵画に、不思議と引っ張られるかのように吸い込まれていきました。
 こうして毎年、研究費用をいただきながら、ミケランジェロの巨大な天井画を毎日間近で観察する日々が続いていたわけですが......そんなある日、私はこの天井画から「歴史的な大発見」をしたのです。私はその新事実を発見した瞬間、あまりの感動に全身がゾクゾクと震えるような不思議な感覚に包まれました。そして興奮冷めやらぬ状態のまま、そのことを論文に一気に書き上げ、世の中に送り出したのです。すると、この論文は、世界の聡明な学者から大絶賛され、非常に高い評価をいただきました。
 『田中はミケランジェロ研究の世界的な権威だ』と言ってくださる方もいて、今でも大変嬉しく思っています。

田中英道(東北大学名誉教授)

 

 足場に上り間近でミケランジェロの天井画を鑑賞するという幸運に恵まれた田中氏だが、そのような中で歴史的大発見をされ論文にまとめられた。そして世界から絶賛された。
 功成り名を遂げられたわけだが、それに止まらず日本に戻り「日本の歴史」を探求されている。それも古文書のみに頼らず、自らの脚でこまめに遺跡・神社などを回っておられる。そして、次々と定説を覆されている。凄いの一語に尽きる。お会いしたことはないが私淑しており、まさに『感服』である。

日本の文化・歴史研究に興味を持ったきっかけ  田中英道

  私が日本文化の研究に邁進するキッカケになったのは、イタリアのフィレンツェに行った時に出会った一人の先生のある言葉でした。現地で仲良くなった私の友人が、「とても面白い先生がいる。紹介するので、ぜひ会ってみてほしい」と強く勧めるので、私は「まあ、そんなに言うなら...」と思い、研究を中断し、その方にお会いすることにしました。
 その先生は、フォスコ・マライーニという方で、有名な人類学者のお一人です。もうお年でしたが、若いころに日本にいらしたこともあって、アジアに深い関心をお持ちでした。マライーニ先生は、ミケランジェロの丘の近くにあるご自宅に私を通してくださり、日本にいた頃の様々な体験話をしてくださいました。
 その中でも特に感銘を受けたのがこの言葉でした。「日本には大変なショックを受けました。日本は私を目覚めさせたのです。西洋人のキリスト教や古典学に依拠しないで、立派な文明をもっている国が、そこにあったからです。どちらを向いても道徳的一貫性、正義感、精神的な成熟さを示す人々に出会うことができました。それは西洋のキリスト教が最高の宗教ではなく、相対的、歴史的な存在なのだと知らされました。
 日本は、その世界地図に位置する小さな島国よりも、はるかに大きな存在なのです」このマライーニ先生の言葉で、私は日本の文化が西洋とは異なった成熟した文明であることを知らされ、反省しました。外国の学者から日本の良さを聞いて心を改めるということは恥ずかしいことです。ですが私はこのとき初めて、自分が日本人であることを本当の意味で自覚させられたのです。わかっているようで、わかっていない国、日本をもう一度見直してみよう。 
 イタリアから帰国後、すぐに私は日本の歴史・文化についての考察をはじめました。そして、西洋で培った眼と知識を駆使しながら、日本に残る遺跡や美術品を分析していくと、

・日本の縄文土器
・奈良時代の仏像
・江戸時代の浮世絵

 などにみられる精巧な技術と装飾、まさに日本の文化が西洋に匹敵するほどの、非常に高度なものだったことが分かり、衝撃を受けました。同時に、日本文明とは何であるか、日本人の学者によって堂々と述べられていないもどかしさを痛感しました。それに気づいたのであれば、その知識を日本人に届けなくてはならない。もっと日本の歴史・文化の凄さを知ってほしい。そして、これは西洋の文化の全てを見てきた自分にしかできない活動である。
 こうして、私は精力的に日本の研究を行い、様々な新説を発表してきました。そして今では、新しい日本の教科書を作る運動をするとともに、日本国史学会という学術団体を設立し、日本の正しい歴史・文化を伝えていくために“ある構想”を練っています。これは日本の考古学を前進させ、これから未来を背負っていく子や孫の世代に、正しい知識教育を広げていくための重大なプロジェクトなのです。

田中英道(東北大学名誉教授)

 

 田中氏の言を俟つまでも無く、私を含め日本人は「日本のよさ」「日本がいかに素晴らしい国であるか」「高い道徳性をもった国民か」「世界に誇るべき高い文化をもった国である」などを知らなさ過ぎる。もういい加減に「東京裁判史観」「自虐史観」を葬り去り、一人ひとりが誇りと矜持をもって生きなければならない。(谷口利広)

ホームページをご覧いただきたい

  スマホでもホームページをご覧いただけるので、会員の方には3日に1回くらいはホームページを訪ねていただければと思う。会員外の方の訪問も大歓迎だ。

 操作方法については、これまで何回かホームページや会報でお知らせして来た。ただ、スマホも慣れないとなかなか操作できない。そのことは、よく理解できる。お願いだが、操作方法がお分かりの方は、周りの操作が分からない方に教えていただきたい。

 昨日、知人・友人に本ホームページを訪ねてほしい旨のお願いをしたところ、多くの方に訪ねて貰った。管理者(谷口)の所で、アクセス数や訪問者数が逐一把握できる。昨日は、大幅に増えた。

 三生連のホームページに掲載してほしい事柄があったなら、谷口まで(tani.m-t@nifty.com)ご連絡を。なお、手書きの原稿を、事務所まで届けて貰っても、もちろん結構である。

御 挨 拶  会報「矍鑠」第22号(8月25日発行)

 6月下旬に、梅雨が明けたと発表があった。観測史上、最速ということだった。しかし、一週間もすると雨の日が異常に多くなり、「本当に梅雨は開けたのか」と誰もが思っただろう。7月10日頃に一転、「戻り梅雨」だと言い始めた。気象庁や気象予報士などから「梅雨明け宣言が見込み違いで早過ぎた」との発言は、私が知る限りなかった。潔くない。現在は、さまざまなデータから予報を出すが、軒並み外れたという事だろう。

 20日にはセミが鳴き始め、やっと梅雨が明けたのかと思いきや、翌日の午後からはまた雨が降った。気象異常はヨーロッパでも同様で、約1週間にわたり、猛烈な熱波に見舞われ、死者や森林火災が相次いだ。ポルトガルでは最高気温が47度に、スペインでも45度に達した。熱波による死者は、両国で千人を超えたと。

 会員の皆様には、このような中でもお元気にお過ごしになられたことと思う。あれよあれよと言っている間にお盆も過ぎ8月も終わりに近づいた。日中は相変わらず残暑が厳しい。ただ、朝夕の風に初秋を感じるようになった。

 

 安倍元首相 凶弾に倒れる

 さて、参院選投票日の2日前、7月8日(金)に近鉄西大寺駅前において、参院選の応援演説中だった安倍元首相が暴漢の凶弾に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。容疑者手製の銃で撃たれ、ほぼ即死状態であった。国内のみならず、世界を揺るがす凶悪事件が発生したのである。それも容疑者が奈良県人であると聞き、唖然とした。同時に、失った事の重大さに打ちひしがれる思いが続いた。

 安倍家の通夜、告別式には、過去に例のない数の弔問者が訪れ、道路に長く列を為した。偉大な功績と誰にも公平でユーモアに溢れた人柄が、そのような現象を生んだことに異論は無いだろう。その絶大な功績は、数えれば切りがない。世界の要人からの弔辞の数も尋常ではなく、称賛の声は尽きなかった。すぐに、「タイム」誌の表紙をも飾った。米国議会上院は追悼し、功績をたたえる決議を全会一致で採択した。安倍氏を「一流の政治家で世界の民主主義の擁護者」と表現し、「日本の政治、経済、社会、さらに世界の繁栄と安全に消えることのない足跡を残した」と指摘した。安倍元首相は、明治維新以来、最も偉大な政治家と言っても過言ではないと私は思っている。

 ご承知のとおり、9月27日に日本武道館で「国葬」として弔われることが決まった。「国葬」は当然のことだと思う。野党の一部などから疑問を呈する声も聞こえるが、茂木自民党幹事長の「国民の声、民意を理解していない。ずれている」の談話が的を得ている。偏向報道の甚だしい国内のメディアの宣伝によって、安倍元首相に対してこれまで穿った見方をしていた方も、世界からの惜しむ声、称賛の様子を見て、自分たちがマスメディアに騙されていた事を悟っただろう。折に触れ申し上げているとおり、真実を伝えない、事実を伝えないグローバリズムに毒されたテレビや新聞を、私たちはけっして鵜吞みにしてはならない。

 

 郡生連の社会見学

 7月13日(水)に、郡生連の「社会見学」が実施された。バス2台で、三重県の専修寺(せんじゅじ)と六華苑(ろっかえん)を訪ねた。一昨年、昨年と取り止めになっていたが、3年ぶりに行われた。ただ、コロナ禍の中、密を避けるため大型バス1台に2町で20名程度という制約があり、やむなく三生連からは役員・顧問11名のみの参加となった。他町の連合会も同様である。

 専修寺は566年前の創建で、とても大きな寺だった。親鸞聖人の教えを受け継ぐ浄土真宗高田派(全国に600余)の本山寺院である。国宝の如来堂・御影堂や法宝物、その他数多くの重要文化財を所有している。敷地はとても広く建物は荘厳で歴史を感じさせた。清掃管理も行き届き、心が洗われる思いだった。

 六華苑は、山林王と呼ばれた三重県桑名の実業家 二代目諸戸清六(もろと せいろく)の邸宅として大正2年に竣工した。洋館部分は、「鹿鳴館」などを設計した「日本近代建築の父」と呼ばれたジョサイア・コンドルの手による。創建時の姿を、ほぼそのままにとどめている。邸宅は桑名市が受け継ぎ、平成5年に「六華苑」(ろっかえん)という名称で一般公開するようになった。建物は国の重要文化財に、池泉回遊式庭園は平成12年に国の名勝に指定された。数寄屋造りの和館はヒノキやスギをふんだんに使い、私好みであった。庭園は雑草がこまめに抜かれているなど、手入れが隅々まで行き届いていた。建物も庭も見事な佇まいだったが、背の高い赤松が植えられていないのは少し残念だった。専修寺も含め、いつの日か三生連の社会見学でも訪れたいものだ。

 

 7月26日に郡生連役員会

 郡生連役員会が開かれ、後期の行事などについて協議し次のとおり決定した。

 グラウンドゴルフ大会は9月28日(水)に斑鳩町健民運動場で、ゲートボール大会は今後、コロナ禍の状況をみて決める。10月に予定していた指導者研修会は延期し、コロナ禍の状況が好転すれば1月か2月に実施する。カラオケ大会は11月30日(水)に「いかるがホール」で開く予定だ。申し込み締め切りは、10月15日とする。もし今後、「いかるがホール」の使用ができなくなった場合は中止とする。

 以上のとおりである。

 

 高齢者福祉功労で県知事表彰

 本連合会顧問 辻 孝三氏(前会長)と私の2人が、高齢者福祉功労で県知事表彰されることが決まった。辻顧問の功績が絶大であることは、会員の皆様にはご承知のとおりである、受章は、ある意味当然と言えよう。私の方は、『功労』というものにはほど遠く、何かの間違いではないかと……。これを機に、任期いっぱいさらに汗をかかせていただかねばと思う次第だ。

 

 本紙編集者の交代

今号から、本紙の編集者は大浦 幹文副会長となった。氏はパソコン操作が堪能である。優れた手腕を発揮されるだろう。「矍鑠」はさらなる発展を遂げることを確信する。会員諸氏におかれては、これまで以上に寄稿等を通してご支援を賜りたい。伏してお願い申し上げる。なお、ホームページの管理は、引き続き私が担う。

 会報「矍鑠」第22号(8月25日発行)から抜粋

前年(前例)踏襲の打破

 すべての組織・団体等は業務の遂行に当たって、前年(前例)踏襲に陥っていないかを厳しく点検しなければならない。特に、それらの長たる者には、自らの組織が「前年(前例)踏襲」に嵌っていないかを常にチェックすることが求められる。
 常に前回以上のものにしていくという気概を持たなければならない。そのことにより、多くの事件は防ぐことが出来るだろう。

 前年(前例)踏襲の打破が出来ない者は、長たる資格がない。潔く退任することである。

一献傾けながらの語らい

 昨日(9/10)、ある会の懇親会があった。気の置けない友との、一献傾けながらの語らいはとにかく楽しい。

 その会の設立理念は、「歴史と伝統に立脚し、日本の尊厳と国益を護ろうとする堅固な意思と、『己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す』『生を求めて、以て仁を害すること無く、身を殺して、以て仁を為すこと有り』」を旨とし、「学ぶ心」を大切にして剛毅朴訥で他者のために汗のかける仁者たらんとする者で以て構成する」である。

 何か仰々しいが、要するに「自分さえよかったら」を捨て、楽しくやろうという会である。

 昨日も大いに食べ、大いに飲み、笑顔で語り合った。最後はカラオケボックスで、喉を競い合ったのである。

敢えて苦言を

 昨日午後(9/9)、県文化会館に於いて、「令和4年度 老人福祉功労者等表彰式」(主催・奈良県、奈良県老人クラブ連合会)が開かれた。知事から個人15名、12団体に表彰状が贈られた。また、県老連会長から15団体に感謝状が、1名に感謝状が贈られた。

 大した働きもしていないのに、私も生駒郡生き生きクラブからご推薦いただき、「老人福祉功労者」の一人として栄誉に浴した。ありがたいことである。

 一つ残念だったのは、県や県老連の公式行事であるのに、『国旗』が掲揚されていなかったことだ。出席者は、関係者や報道機関を含め80名を超えたが、『国旗』が掲揚されていないというのは、どういうことだろうか。

 7月に県内で、安倍元首相が凶弾に倒れるという事件が生起した。警備の不備が問われ、「奈良県」の名を貶めたことは記憶に新しい。物事は、「当たり前のことを当たり前にやる」ということが大事だ。関係者に猛省を促したい。

 一受賞者が僭越とは思いながらも、黙っていてはならないと思い、式の最後に苦言を呈した。来年度からは善処していただけるだろう。

発言ですぐ炎上  株式会社 経営科学出版

 「できたら静かに 隠して生きていただきたい。」これは栃木県下野市市議会員石川信夫氏のLGBTの方々に対しての発言です。この発言を切り取られたことで、ネットやTwitterでは大炎上に。この発言の意図は、制度を設けてまで社会に認めさせる必要があるのか? 現に男性が女性トイレに入るとか、お風呂に入るといった社会問題が起きているという問題提起でした。
 このように、近ごろやたらと政治家やアーティスト、芸能人が発言やパフォーマンスの一部分を切り取られ、人種差別的発言があったと炎上してしまう風潮があるとあなたは感じたことはありませんか? なぜこうもすぐに炎上するのでしょうか?それは世界規模でも起きており、現に、最近でも8/30、WHOの西太平洋地域事務局長の葛西氏に人種差別発言疑惑があったと報じられ、そしてそのまま休職となってしまいました。重要なその発言内容は明かされていません。

 これまでにも、
・ファミリーマートの「おかあさん食堂」は、お母さん=料理・家事というイメージがあり、こうした商品名が無意識の偏見を生みだすと炎上  


・「メリークリスマス」の代わりに「ハッピーホリデー」 キリスト教のお祝いであり、 他の民族を軽視していることから使用禁止

・「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言が女性蔑視にあたるとして、森喜朗氏が五輪委員会会長辞任に追い込まれる

 今やこういった人種・宗教・性別に関する話題はかなりセンシティブになり、気に食わない人物や企業が抹殺されていく社会。


 実はこの風潮を作り出した「黒幕」がいることをあなたはご存知ですか?
 しかも、この黒幕の目的は、平等や多様性を認めるより良い社会を目指しているわけではなく、平等を盾に掲げられたスローガンを利用することでむしろ独裁社会を築くことが目的なのです。実際、黒人差別撤廃を掲げたスローガンとメディアを使った手口により、2020年の大統領選でトランプ大統領は敗戦に追い込まれてしまったといいます。つまり彼らにとっての敵は「資本主義」なのです。そして、その魔の手は日本にも伸びてきていました。
 実は、その舞台となっていたのが去年行われた東京五輪2020でした。


株式会社 経営科学出版

 平等を盾に……、何でもかんでも人権、人権と、確かに「人権」は大事だが……。困った世の中になったものだ。(谷口利広)

核なき世界を目指した男の裏側   インテリジェンスレポート運営事務局

 核なき世界を目指し、ノーベル平和賞を受賞。黒人初の米大統領として話題になった"バラク・オバマ元米大統領"ですが、どうやら彼には決して公にはできない"恐ろしい裏の顔"があったようです。
 メディアには映らなかった彼の本当の姿とは。

 

「私は本日、信念を持って表明する。米国は“核兵器のない世界”の平和と安全を追求するのだ」


 2009年4月、“核なき世界”を訴えたプラハ演説はオバマ元大統領の名演説の1つに数えられ、ノーベル平和賞の受賞のきっかけにもなりました。

 そんな世界平和を強く訴えていたオバマ氏ですが、米政府の内部では「暗殺王」と恐れられていたのをあなたはご存知でしょうか? 実はオバマ氏は無人機やドローンによる爆撃を好み、敵勢力と疑わしい人物がいれば次々と抹殺していくことで有名でした。
 暗殺命令の数は飛び抜けて多く、歴代大統領のものを全て足し合わせてもオバマ氏には敵わなかったといいます。

 もちろん、暗殺されたのが極悪非道のテロ集団であれば称賛されるべき功績なのかもしれません。しかし、犠牲となった命の多くは悪のテロリストではありませんでした。↓

アメリカが隠す"暗殺王オバマ"の正体

 日本人にとって印象深いオバマ氏の広島訪問。被爆者の手を握り、肩を抱くな
ど感動的な場面もありましたが、実は広島訪問時にもフットボールケース(核のスイッチ)を当たり前のように持ってきていて、帰国後、100兆円規模の核兵器の再整備を行っていたことはあまり知られていません。

インテリジェンスレポート運営事務局

 ロスチャイルド家やロックフェラー家などの『国際金融資本』に牛耳られている米国や日本など先進国と言われる国々のメディアの報道は、事実が隠された偏ったニュースとして私たちに届けられる。トランプは、そういった『国際金融資本』と闘ってきた。これからも闘うだろう。

 トランプ = 悪人 といった図式は、『国際金融資本』が作り上げた虚像である。私たちは、その呪縛から抜け出さなければならない。

 11月の米国中間選挙で共和党が圧勝するとともに、来るべき2024年の大統領選挙でトランプが勝利し、米国大統領として再登場することが待たれる。(谷口利広)

急速な円安   藤井厳喜

 今の経済を見ていると、円安が急速に進んでいます。さらに、今後は、アメリカの株価も下がり、日本の株価も下がるでしょう。ですが、これはワールド・フォーキャストをご覧になっている方にとっては、全て想定内です。
 去年の暮れから、私の言っていることが当たってきています。例えば、短期間
で、明日何が起こるか? ということを当てるのは非常に難しいことです。ですが、長期的にこういう方向に経済や政治が動いていくよという予測は、比較的簡単なことなんです。
なぜなら、それは構造的な変化だからです。
 しっかり勉強していればその方向
性は分かります。ですから、ワールド・フォーキャストの会員の方にとっては何かとんでもないことが起きて、パニック状態になってしまったということはないはずです。このように、危機に対して準備してこなかった人にとっては、1ドル=140円を超えるとは思ってもみなかった、大損したとなってしまうわけです。
 ワールド・フォーキャストをご覧いただくことによって、この波乱を、むしろ
楽しむという心の余裕すら生まれてくると思います。そして、それは同時に、大な、ビジネスや投資チャンスを皆様に提供しているということです。
 円安は
全然怖くありません。円安は、投資家にとっても、製造業の経営者にとっても、ものすごく素晴らしいチャンスを提供しているんだということをしっかりと認識してください。そういう目で、現実を見ると全く違った視点から物事を捉えられると思います。

国際政治学者:藤井厳喜 

 

 私は、経済の事は分からない。「ワールドキャスト」とは、藤井氏が有料で提供している政治・経済情報である。藤井氏は、昨年6月の時点で円安時代の到来を予測していたようである。(谷口利広)

ヨーロッパの庭園と日本庭園   田中英道

 私は、日本文化の根底は神道の自然信仰にあると考えています。「やまとごころ」とよんでいるのですが、端的にいえば、神道が人々の生き方や道徳をまとめているといってもいいと思うのです。
 それは、自然の豊かさ、温和については、自然に任せればいいという思想です。自然を何とか工作しようとか、撃退しようなどということは考えず、自然の持つ力の大きさを考えざるを得ない、学ばざるを得ないということがあるわけです。
 これは、西洋とは違います。西洋の自然は過酷なので、自然は制する対象であり、自然は人間と敵対するものという自然観が支配しています。今日は、その自然に対する思想の違いがよく表れた「庭園」を比較してみましょう。

<ヨーロッパの庭園>

 ヨーロッパの庭園といえば、ベルサイユ宮殿の庭園が思い浮かびます。 あれを見れば日本の庭園とは違うと、誰もが強く感じることでしょう。徹底して左右対称が貫かれ、地平線まで続くような平らな空間が延びています。植え込みは幾何学的に刈り込まれてシンメトリーを強調し、樹木も直線や円状など規則性をもって配置されています。また、草花さえも自然ではあり得ない色彩の配置になっています。
 ヨーロッパで十七世紀からたくさんつくられたバロックやロココの宮殿の庭園は、このベルサイユ宮殿の庭園のつくり方を基本的な原則にしています。そこにあるのは強烈な人工性です。人間の力で自然を超克し、支配する。そこに美がある。そこに美を見る。自然を人間と対立するものとしてとらえるヨーロッパ人の感性が、人間が自然を支配したところに美を感じさせるのです。
 自然には存在しないシンメトリーを庭園の基本デザインにしているのは、その端的な現れといえます。だから、山や丘などの自然の地形は、美を乱すものでしかありません。山は突き崩し、丘は削り取って平らにしてこそ、美が出現するのです。

<日本の庭園>

 日本の庭園の姿は歴然です。自然をそのままに取り込んで、小川は自然そのままにくねって流れ、その小川が流れ込む池も自然そのままのたたずまいです。植生も自然の中に見られるように配置され、枝振りも自然です。そこには自然がありのままに再現されているかのようです。
 しかし、日本の庭園も人間の手でつくったもので、人工には違いありません。わざわざ土を盛って山をつくったり、平地を削ってなだらかな斜面をつくったりもしています。樹木も剪定され、形が整えられています。ところが、西洋と最も違うこととして、日本の庭園のつくり方は、どこまでも自然に似せる、自然に近づけるのが要諦なのです。徹底して作為を感じさせない、作為を隠すのが原則なのです。これは日本人と自然の強い親和性から出てきたものです。
 日本人にとって自然と人間とは対立するものではなく、自然は人間の一部、というより人間は自然そのものなのです。この感性があくまでも自然に似せた庭園をつくり出しました。それが自然に近ければ近いほど日本人は美しいと感じ、気持ちを安定させることができます。日本の庭園は日本人の心の結晶だといえるでしょう。

 その日本式庭園の一つの形式に枯山水があります。砂という素材だけですべてを造形する枯山水は人工そのものです。ですが、枯山水の庭園から強い人工性は感じられません。砂を盛って円錐形の山をつくり、砂に箒目(ははきめ)を入れ、配置された石にぶつかって流れを変えたりうねったりする水を表現します。
 
 しかし、枯山水はこれだけではありません。その背景には必ず借景(しゃっけい)があります。その借景と枯山水を一つにしてとらえるとき、砂でつくられた紛れもない人工物である枯山水が、自然以上の自然、というよりも自然の本質を鋭く表出して立ち現れ、そこに日本人の心は美を感じずにはいられないのです。借景という絶妙の仕掛けを編み出した枯山水もまた、日本人ならではの心の表出です。

 このように述べてくると、日本三大名園の一つである金沢の兼六園には噴水があるではないか、あれはどういうことだ、という声が聞こえてきそうです。兼六園の噴水は最初からあったものではありません。明治になって西洋文明に接した日本人はいろいろなものを珍しがりました。この珍しがりぶりは知的好奇心とよぶべきもので、日本人の一つの特性だと思います。それが噴水で、これを兼六園に置いたのは日本人の好奇心のなせる業、と受け止めたいものです。

田中英道(東北大学名誉教授)

 田中氏は、恐らくお家で庭いじりはされていないと思われる。しかし、日本庭園に対する見識、鑑識眼には見事なものがある。私は47年に及ぶ庭いじり歴があり、それなりに日本庭園についての学習をしてきた。であるから、日本庭園について一定の見識をもっているとの自負がある。田中氏の日本庭園についての「自然の本質を鋭く表出している」という指摘は見事である。

 一方、ヨーロッパの庭園については、私は知らないことばかりである。西洋美術史の世界的第一人者である田中氏の眼はヨーロッパの庭園についても疑いのないものとなっているだろう。

 田中氏と足立美術館の庭園を鑑賞しながら、「日本庭園」談義をしてみたいものだ。心からそのように思っているのである。(谷口利広)

430万円の教典から紐解く教会の洗脳手法  河添恵子

 現在、旧統一教会の献金に関する金銭トラブルが問題になっています。1987年から去年までに報告された被害は計34,537件で、その被害総額は1,237億円にまでのぼったとされています。
 2021年だけでも47件の被害が報告され、その被害額はおよそ3億円超え…被害は今もなお続いている状況です。しかし、あなたは不思議に思いませんか? 一体なぜ、信者たちは破産してしまうほど自ら献金を重ねてしまうのでしょうか? 旧統一教会は、一体どうやって日本の信者から多額の献金を集めているのでしょうか?

 実は、その答えは…信者全員が持っている、"ある教典"の中に書かれていました。その教典は、430万円とかなり高額ですが、信者たちは購入を義務付けられており、購入後は一生の宝として大切に扱っています。この教典のなかに、教祖である文鮮明氏の“お言葉”として、「日本人は先祖が犯した多大なる罪を償うために献金しなければならない」と書かれています。つまり、教祖は「日本人は、約100年前に韓国の植民地支配という罪を犯したため、献金をして懺悔しなければならない。」と信者たちに説いているのです。
 実際に、『ABEMA Prime』にて実業家のひろゆき氏からインタビューを受けた現役信者の方は、このように語っています。
 「信者は皆、韓国を植民地にした罪を清算するために献金すべきだという教えに共感し、喜んで献金をしている。 教団を恨むような気持ちは全くない。」また、「自分が優れた信者だと認めてもらいたいという思いから、億単位の献金をすることも稀ではない。」と。
 つまり、日本の信者たちは献金をすればするほど罪が清算されると信じ、ときには破産に追い込まれてしまうほど、自ら献金を重ねているのです。

 しかし、あなたは不思議に思いませんか?なぜ、このような自虐史観とも言える教えを説き、国民を困窮化させるような教団が日本に浸透してしまったのでしょうか…?

・日本の信者に経済力があるからでしょうか?
・教科書で自虐史観を植え付けられるからでしょうか?

 どちらも違います。

河添恵子

ノンフィクション作家。株式会社ケイ・ユニバーサルプランニング(自営)代表取締役。元新しい歴史教科書をつくる会理事。『産経新聞』『正論』『WiLL』『テーミス』といったメディアで中国問題を論じることも多い。また、日本における脱原発の動きに対し、原子力技術者の頭脳流出で中国・韓国を利する、核兵器開発の可能性を捨てることになるなど、日本の国益に反する行為に当たるとして反対の立場を取っている。『産経新聞』のコラム「40×40」のレギュラー寄稿者。中国のコロナ死者数には疑問があり、統計隠ぺいの可能性を主張している。

 

 宗教にのめり込んでしまうのは、その本人にとっては確固たる理由があるのだろう。だが、経済的に余裕があっても何千万も何億円も注ぎ込むというのは、到底理解できない。中には、借金をしてまでも寄付している信者が存在すると……。教典の購入に430万円も支払ってしまうなどは、「狂気の沙汰……」と言われても仕方が無いだろう。

 論語に『終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す』(親の葬儀や先祖の年季法要ををきちんと営めば、それを見ている民の道徳は真っ当なものに……)とある。論語の中でも、ポイントとなる章句である。
 先祖を敬い、慈しむことは、人として基本中の基本だが、「騙されては先祖も浮かばれない」のである。(谷口利広)

乃木希典の評価     経営科学出版『ライズ・アップ・ジャパン』事務局

「NHKをぶっ壊す!」
 この言葉を聞くと、、、誰もがNHK党の立花党首を思い浮かべるのはないでしょうか? しかし実は、立花党首よりも先にNHK批判をしていた超重要人物をご存知ですか? この方は、1990年の刊行から15年以上経た現在もなお版を重ねている『 大東亜戦争への道』の著者であり、上智大学名誉教授の渡部昇一先生が「最も重要な通史」を書いている著者であると褒めていたり、2001年、テレビ朝日『朝まで生テレビ!』に大東亜戦争肯定論の立場で出演していたり、そんな歴史界の重鎮である中村粲(なかむら あきら)先生はNHKが大嘘をついていると批判していたのです。
 例えば、ある講演会で51年目の慰安婦問題というNHKスペシャルドラマについて、「NHKの映像はインチキだ!」と批判していたのです。さらに、中村先生が指摘していた、NHKの大きな嘘があったのです。その嘘とは一体なんなのか?
 それは、日露戦争を舞台にしたNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』で出てくる、乃木希典の話です。一般的に、乃木は愚将だと言われている人物ですが、中村先生曰く、全く異なる顔を持った、いわば日本の英雄だったのです。彼は一体どんな功績を残したのでしょうか? それは、今の日本につながるような重大な功績を残していたのです。その功績について、ロシア革命の指導者レーニンはこのように褒めています。

 「われわれの知っているように、(乃木が第1回総攻撃後にとった)〇〇は、予想以上にはるかに長い期間を要しはしたが、完全な勝利におわったのである」
 つまり、乃木の功績が日露戦争を勝利に導いたのです。

 しかし不思議に思いませんか? 日本では愚将だと思われている乃木が敵国だったロシアの指導者であるレーニンに褒められているのです。


経営科学出版『ライズ・アップ・ジャパン』事務局

 

 国民から莫大な受信視聴料をとり「国営放送」とも言うべきNHKが、中国共産党におもねるような偏った報道をしたり、明らかに米国民主党寄りのニュースを流すといったことを日常的に行っている。このような国益を損ねるような報道は許しがたい。  

 「NHKだから民放よりもましだ」という固定観念は捨てたい。民放も民放なのだが、NHKも全く信用できない。大事な事は、何にしろ鵜呑みにしないということだろう。NHK 党の立花党首の主張を全面的に支持している訳ではないが、彼の主張は一理ある。(谷口利広)

乃木希典は軍人としても    経営科学出版事務局

 9月5日を迎えると日露戦争終戦から117年が経過することになります。一般的に英雄として取り上げられる人といえば、、、
・山本五十六
・東郷平八郎
・山下奉文
 など日本人の英雄として知られています。ですが、あなたは知っていましたか? 日露戦争での旅順攻囲戦を指揮し、愚将と言われている乃木希典こそが日露戦争の勝利に貢献したことを...

 旅順攻囲戦とは、日露戦争において、ロシアの旅順要塞を、日本軍が攻略し陥落させた戦いのことです。一般的に乃木は「坂の上の雲」で愚将のように語り継がれていますが、実は全く真逆の証言が出てきたのです。

 例えば、元陸軍大将の今村均は「乃木将軍は無能ではない」と言っています。さらに、乃木は旅順要塞を築き上げたロシアのクロパトキン極東軍総司令官が「欧米列強がかかってきても3年は破れない」と言っている要塞を破ったのです。この要塞を破ったことをきっかけに日本軍は勝利への道を歩むことができたのです。つまり、乃木は愚将ではなくむしろ数少ない優秀な軍人だったのです。


経営科学出版『ライズ・アップ・ジャパン』事務局

 司馬遼太郎の作品は人気があり、今も多くの人に読まれている。30代半ば、司馬の「坂の上の雲」を初めて呼んだ時、小説というのはここまで調べて書き上げるのかと感銘を受けた。私が秋山兄弟や子規と同郷であることも、それに拍車をかけただろう(東大阪市八戸ノ里の『司馬記念館』にも2度足を運んだ)。

 司馬は、昭和40年代以降の日本人の歴史観に大きな影響を与えて来た一人だろう。だが、近年、乃木希典への評価が変わってきたことや坂本龍馬の働きが「国際金融資本」からの援助によるものだと分かってきたことにより(ペリー提督もロスチャイルド家の意向により日本に来た)、さらに明治維新の捉え方の変遷などにより、私の司馬に対する評価は大きく変わった。
 幕末の開国や戊辰戦争の真実を見つめ直そうとする世の中の流れの中、良識ある人々からの評価も変りつつあると言えよう。(谷口利広)

今回の内閣改造について   藤井厳喜

  今回の内閣改造は「国内的なバランス」(自民党と連立与党・公明党とのバランス)は、非常によくとれていると思います。それについては色々な人が解説をしています。ですからここでは、国際問題の方の関心から見てどんな特徴があるのかを取り上げてみたいと思います。大きな流れからいうと3つの特徴があり、反安倍です。安倍政権がやってきた路線を全く覆していきます。

 まず1つ目の特徴は韓国に弱いということです。
 浜田靖一さんが防衛大臣になりました。この方は、浜田幸一さんの息子ですが
親の代から韓国に近い人なので、日本の大事な情報が漏れるということも考えられます。その結果、韓国に対して必要のない妥協をする内閣になるのではないかと予測しています。

 2つ目の特徴はチャイナに弱いということです。
 岸田内閣に対して、大きな影響力があるのは、国内では財務省、外国では中国共産党です。この2者の考え方が露骨に表れた内閣と言えます。特に林外相は誰が見ても明らかな親中派です。世界の情報筋・外交筋の人は、林さんが親中派であり、チャイナにトラップをかけられている人間だと知っています。
 そんな林さんが外務大臣では、外国の外務大臣が日本に来ても情報漏洩を恐れて本当のことは話してくれないでしょう。さらに、財務省のコントロール下にある日本ですから、防衛省の予算拡大には反対ということになります。ですから5年で国防費をGDP2%にするのも無理でしょう。防衛大臣(浜田さん)も弱いですから、財務省に抗えません。

 3つ目の特徴は不況が続くということです。そして円安基調も継続します。
 短期で上下していますが、長期のトレンドでは、日本は対外資産を売って、高齢化社会に備えて生きていくそんな国になるでしょう。そして、貿易収支だけではなく経常収支もだんだん赤字になる。日本は製造業に依存する国ですがその製造業の競争力が落ちていくということは、国として衰退していくということです。そこに高齢化が一緒に起きると、長期的に円安シナリオ以外は考えられないでしょう。明るいお話ではありません。
 ですが皆さんにはそんな未来から目を逸らさずに見据えてできることを考えて欲しいと思います。

国際政治学者・藤井厳喜
 国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。
 著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。

 「親中派」や「親韓派」を外務大臣や防衛大臣に起用するなどは、何をか況やである。自由民主党自体が、リベラルやグローバリズムに大きく傾いている現状が、このようなとんでもない状況を作り出している。高市や小野田、有村など保守派の台頭を切に望むが、今しばらく時間がかかりそうである。(谷口利広)

元自由民主党副総裁の衝撃の告白    林 千勝

 日本を泥沼の戦争に誘導した犯人とは

 当時法制局長官であり、自由民主党副総裁も務めた船田中は戦後、「先の戦争」について衝撃の告白をしています。
 「あの立案者は風見章君なんです。のちにゾルゲ事件というのがあるでしょう。風見君を疑っちゃ悪いけれども、どうも風見君の周辺にはそういうものが‥‥。その当時、ご本人が意識しておったかどうかはわからんが、尾崎秀実もしょっちゅう風見君のところへきていたし、あとから考えると、どうも蘆 (ママ) 溝橋事件というのは、日本軍と国府軍が争ったというよりも、共産ゲリラに扇動されてやったんじゃないかという感じがします。そしてだんだん大きく拡大するようになっていったということも、国際共産主義者(日本国内の売国勢力)の謀略に引っかかったんじゃないか」中村隆英・伊藤隆・原朗編『現代史を創る人びと2』(毎日新聞社、1971)p.248-249。

 

 この衝撃的なインタビューをまとめると、近衛内閣の(今で言うと官房長官にあたる)内閣書記官長に大抜擢された風見章が、いわゆる日中戦争を拡大させたという衝撃的な内容です。歴史にifはないとは言いますが、もしも日中戦争がなければ、日米戦争、そしてその後の敗戦という歴史はなかったかもしれません。なぜなら、この日中戦争がきっかけで、下記の2つの点で米国が日本と戦争をする理由をつくってしまったからです。
 米国政府は日本によって中国市場が独占される可能性の高まりに強い危機感を覚え、中国側に味方する方策へと路線を転換することになってしまった。
 中国側が南京大虐殺などのプロパガンダを大々的にアメリカで展開し、米国が日本と対立するための大義名分を与えてしまった。つまり、この日中戦争こそが、地獄への道(戦争への道)を切り開いてしまったのです。

 

 日中戦争は起きるはずはなかった

 戦後の教育では、陸軍が暴走して中国を侵略したとされていますが、実は日中戦争のきっかけである盧溝橋事件は、偶発的かつ小規模な軍事衝突事件であり、しかも事件発生から4日後には日中間で停戦協定が結ばれていたことをご存知でしょうか?
つまり、現地の日本軍も国民党軍もこれ以上戦争をする気はなかったのです。
例えば、参謀本部第一部長である石原莞爾 ( いしはらかんじ ) 少将や、 多田参謀本部次長は和平に持っていきたいと近衛に直談判しています。このことからも分かるように、陸軍は戦争をする気はまるでなかったのです。
では、なぜ全面戦争に突入することになったのでしょうか?
それは、冒頭でご紹介した船田中の告白にあるように、風見章という政府の中枢にいる人物が深く関係していたのです。

 

 風見章の暴走

 先で述べたとおり、盧溝橋事件はたったの4日で停戦協定を結んでいただの小競り合いであり、すでに終わった事件でした。 ですが、近衛政権首相の近衛文麿と風見章は、国民党への報復の決定と決意を高らかに謳いあげたのです。しかも、政界や財界に事前に情報共有をせず、メディアの前で突然、「国民党に対する報復」を発表したのです。普通であれば、これほど大規模な戦争については衆議院、貴族院、議長を含めた政界の関係者や、財界の関係者の承認を経て、発表するのが当たり前です。ですが、近衛文麿と、風見章は、このような常識的な手順を踏まずに勢いで国策を決定しようとしたのです。良識ある、大体の外務省の関係者や軍の人たちは「なぜこんなに政府が暴走するんだ」と驚くわけです。


 そして、誰よりも驚いたのは、中国側です。小さな小競り合いであり、しかも停戦しているのに、日本政府は「報復戦争をする」と宣言したのですから、中国側の立場に立つとわけが分かりません。さらに風見章は、「徹底的に支那を懲らしめ、国民政府を壊滅させなければならない」と新聞の社説などで、中国との戦争を煽ります。彼は朝日新聞の幹部だった経験があり、メディアにも強い影響力を持っていることや、政府の中枢の人物からの発信だということで、その論調は瞬く間に世論を形成していきました。これは「風見声明」とも囁かれています。
この風見の行動に対して、後に多田参謀次長は「風見の馬鹿があんなことをやってしまった、我々はびっくりしたのだ、陸軍ではないのだよ。」このように述べています。
 ここまで述べたように、日中戦争拡大のきっかけは、陸軍の暴走ではなく、風見章の暴走によるものだと言っても過言ではないでしょう。

 

 風見章の衝撃の告白

 ここまで、風見章の裏の顔についてお伝えしてきましたが、あなたはもしかするとこのように思うかもしれません。「都合の良い事実だけを集めたのではないか」と。しかし日中戦争を煽った風見章は、自身が書き残した風見章日記にてこのように言っているのです。「『こういうふうに画策したの は陸軍ではないか』という説もあるけれど、そうではない。自分が近衛文麿と図ってこれを画策した」(『風見章日記・関係資料 : 1936-1947』みすず書房)このように、本人自ら日中戦争を画策したと告白しているのです。

 ここまでの話を読んでどう思いましたか?大東亜戦争は軍部の暴走だと、戦後70年以上ずっと言われ続けてきましたが、その裏には私たちが知らない真実が隠されていたことがお分かりいただけたのではないでしょうか。でも、なぜ風見章は、軍部の反対を押し切って、日中戦争を煽るようなマネをしたのでしょうか? 実は、ここまでお伝えした内容は、先の戦争の知られざる真実のほんの一部です。実は、風見章の他にも「まるで日本を戦争に誘導したのではないか」と思えるような売国日本人が何人も存在していたのです。そしてその中には、英雄として扱われている人物も含まれています。
・大東亜戦争とは一体なんだったのか?
 日本を戦争させたかった売国日本人たちとは一体誰なのか?
 売国日本人たちは何を考え、何を目指していたのか?

 このような、「裏切り者の存在」という今までとは違った視点を持って歴史を見ることで、 私たちが教えられなかった真実が浮かび上がってくるのです。

  

林 千勝(はやし ちかつ)

東京大学経済学部卒。 富士銀行(現みずほ銀行)などを経て、現在、近現代史研究家。

著書に

『 日米開戦 陸軍の勝算 -「秋丸機関」の最終報告書 』(祥伝社)

『 近衛文麿 野望と挫折 』(ワック)

『 日米戦争を策謀したのは誰だ! ロックフェラー、ルーズベルト、近衛文麿 そしてフーバーは ― 』(ワック)

 

 近衛や風見は、裏で米国や「ロスチャイルド家」と繋がっていたのだろう。大東亜戦争も仕組まれたのである。このことを、日本人は胸に刻まなければならないと思う。

 林氏は常々言われる、「歴史は川の流れです。 橋の上に立って足元の水の渦巻きがどうだとか、色が少しどうだとか、流れが少し変わったとかいうことだけを見ていても何も分からないのです」と。川の流れとして歴史を見ていくことが求められると。この川の流れを理解せずに、例えば「総裁選で候補が誰だ」とか、個々の細かい政策の違いとかを論じても意味がない。また、事実を伝えないテレビ番組を見るのに時間を費やしても全く無駄というものである。

 川の流れを理解することに努め、自らが考えることが大事だろう。 (谷口利広)

『古事記』と『日本書紀』   田中英道

 世界の神話のなかでも、日本の『古事記』『日本書紀』ほど、「神話」と「歴史」が見事に結び合っている文献はないでしょう。それは、天皇の存在が一貫しているからこそ生まれたと言えます。
 「皇室」が日本神話を創ったのであって、それをつくらせた天武天皇、藤原不比等の意志ではないのです。そんな日本の神話について、よく知られているギリシャ神話と比較して見ていきましょう。なぜ日本神話は、このように西洋の神話とも関連を感じさせるのでしょう。
 これまで比較神話学者によって指摘されてきたところでは、、日本神話とギリシャ神話の親近性の例として、イザナギとイザナミの物語とオルフェウスとエウリュディケーの物語があります。
 イザナギとイザナミは日本の十四の島々を生み、自然神三十五柱を次々と誕生させたあと、「火の神」を生んだために死の憂き目に遭い、イザナミは御隠れになります。
 イザナギはイザナミのいる「黄泉の国」に下り、還ってくるように呼びかけますが、イザナミは、「すでに冥界の食べ物(ヨモツヘグヒ)を食べてしまったので還れない」と言います。しかし、「冥界の神と相談してみる」と言って許可をとりつけ、「その代わり地上に行くまで自分の姿を決して見てくれるな」とイザナギに厳命します。しかし、しびれを切らしたイザナギは思わず振り返って、その姿をこっそり見てしまいます。イザナミの恐ろしい姿に思わす逃げ出したイザナギを、イザナミが地獄の手下を使って追わせますが、やっとの思いで逃げることができたのです。
 実は、これと似たような物語を、オルフェウスとエウリュディケーの神話でも見ることができます。詩人で音楽家のオルフェウスの妻、エウリュディケーが毒蛇に咬まれて死んでしまい、悲しんだ夫は「冥界」に旅に出ます。しかし、妻は、「冥界の食物ザクロを食べたために戻れない」と言います。しかし、その気持ちが「冥界」の神ハデスに届き、「地上に出るまで絶対に振り返ってはならない」という条件で、エウリュディケーを地上に返しますが、もう少しで地上だというときに、背後に妻の気配を感じられなかったオルフェウスは思わず振り返ってしまいます。それで約束を違え、妻は、永久に戻れなくなってしまいました。

 この二つの物語で似ていることは、妻の死と、冥府から連れ戻そうとして失敗する、という「愛の悲しみ」を語っていることです。それも、死というものの真実を見てはいけない。という人生の掟のようなものを夫が常に破るという、男の愚かさを戒めている点で、東西共通な夫婦観を、「生」と「死」の対比のなかで語っているといっていいでしょう。
 日本神話のなかで、この二人の物語は最も劇的で、これまで一度も語られなかった「黄泉の国」の存在が、『古事記』の語り部である稗田阿礼(ひえだのあれ)の記憶するところであったという気がしてなりません。やはり『古事記』の場合は、死者のどろどろとした国、そして、イザナミが悪魔を思わせる姿で追ってくることからも、西洋の神話『旧約聖書』の地獄にも近いところがあります。
 つまり、稗田阿礼は決して縄文からの家系の人ではなく、渡来した西洋人であったと考えられます。オルフェウスの物語を、神話の口誦者である稗田阿礼は、その西洋人としての記憶のなかに遠く伝わる夫婦の悲しみの物語として、イザナギ、イザナミのなかで語らざるをえなかったのでしょう。

 私は、これらの神話にモラルや政治的教訓が込められているというよりも、こうしたある種の文学的な記述が、ほかの神々との違和感がある存在を際立たせていると考えます。それが、日本人の共同体としての普遍的な男の人生の性の面白さをメッセージとして暗号化しているように見えます。
 そのことは、日本民族がいかに世界と異質性をもっているかを示しているようです。時の政権の権威を守るための創作といったものではありません。こうした異質性、同時にこのようなギリシャ神話が、遠く大陸を超えて伝わってきた、という事実を示すものです。時代的には、こうした西洋神話のほうが早いからです。それは漠然とした伝達ではなく、「ユダヤ人」という伝達を一つの特徴として持つ人々によるものと考えなければなりません。
 多くの神話学者が、日本神話とスキタイ、ポリネシア、マオリ、メラネシア、南米などの神話との関連性も指摘しています。私が、こうした異国人の神話との関連に惹かれるのは、日本文明と外来文明の混交という、「近代」においてもまだ続く問題の原型を見る思いだからです。

田中英道(東北大学名誉教授)

 田中氏の言を俟つまでも無く、私を含め日本人は、『古事記』や『日本書紀』をもっとしっかりと読まなければならないと思うのである。(谷口利広)

マイナンバーカードの交付申請

 必要に迫られ、マイナンバーカードの交付申請をスマホとパソコンで行った。
 説明書には「簡単に行える」と書いてあるが、私にとっては簡単ではなかった。悪戦苦闘、何とか妻と二人分を申請し終えた(もしかしたら不備を指摘するメールが届くかも知れないが)。
 先日は、「LINE」が画面上からすべて消えてしまい、使えなくなった。にっちもさっちもいかず、困り果てた。  
 約10日後、法事で帰省した時に、甥の長男に頼むと簡単に直してくれ助かった。「衰え」を感じざるを得ない。特に、器械ものに対して……。「私もだ」という方が多いのではないか。これからこういうことが増えていくのだろう。
 ここまで書いてメールが届いた。妻の分は「申請を受け付けた」と。私については、音沙汰なしだ。「やれやれ」。

失われた4世紀の……  田中英道

 あなたは数ある日本史の謎の一つ、空白の4世紀というものをご存知ですか? それは、弥生時代末期から、およそ150年もの間、日本に関する記録がどこにも残されておらず....日本内部で何が起きていたのか? 具体的なことが全く分かっていない時代のことです。

 この4世紀には、
・日本を支配したという邪馬台国の崩壊...
・現代の朝廷に直接つながる大和政権の樹立...
・古代の技術とは思えないほどの巨大な古墳が大量に建造...

 など、現代にもつながる重要な事柄がたくさん起きているのですが...いまだ
に、そのほとんどが解明されておらず...そのため、この空白の4世紀は「日本史最大のミステリー」と言われるほど...ですが、東北大学名誉教授である田中英道氏は、そんな空白の4世紀について、「もう空白なんてことはない」と強く語ります。一体どう言うことなのでしょうか?

NEW HISTORY 事務局

 

 

 私は、日本各地の失われた4世紀に関する古墳を調べました。例えば、千葉県、芝山古墳群。ここには大量に出土した特徴的な髪型の人型埴輪があります。そして、九州、竹原古墳。ここでは、芝山古墳の人型埴輪と同じ特徴をした人が壁画に描かれています。九州から千葉という遠く離れた場所にもかかわらず少し不思議ですよね。そしてよくみると、壁画には海から渡ってきたような描写もあります。
 これはどう言うことだと思いますか? 他にも、京都の蛇塚古墳や、天塚古墳など...各地の古墳や史跡を隈なく分析することで、文献には載っていないような情報が見えてきました。それぞれは小さな情報であったとしても、点と点が結びつき線となることで、これまで空白とされてきた歴史の真実がありありと浮かび上がるのです。
 ですが、これまでの日本古代史研究では中国のたった数百文字の文献にしか頼ってきませんでした。日本国内には古墳や神社など...数多くの物的史料があるにもかかわらずです。そのために、文献に描かれていない時代のことは分からずじまい。古代日本において最も重要と言える4世紀が空白の歴史などと言われてしまい、多くの日本人が自分の国の創世記にもやもやを抱えたままになってしまっているのです。
 だからこそ、それらの真実を追求するために、今回私は調査に行きました。そしてそれをあなたの目でぜひ確かめてみてほしい。そして、古代日本という歴史の価値や重要性を改めて強く感じて欲しいのです。

 

田中英道(東北大学名誉教授)

 徹底した現場主義者である田中氏は、これまでの通説に疑問を感じたりすると、現地を隈なく調査しそれを元に深く考察する。そうした田中氏(世界的な美術史家)のお話には、とても重みがある。(谷口利広)

大東亜戦争のときの日本軍人  丸谷元人

 現在の学校の教科書では全くと言っていいほど登場しない日本軍の軍人たち…しかし、今の日本の姿、アジアの国々のあり方は彼らの献身的な働きの上に成り立っています。彼らの流した血と汗と涙の上に今の私たちの生活があるのです。

 しかし、戦後の日本では「日本が悪いことをした」「日本は世界に迷惑をかけた」という被害者史観が蔓延すると共に、「日本がこうなったのは 全て軍人たちのせいだ」と全ての責任を日本軍に押し付けてきました。彼らが成し遂げた偉業や血の滲むような努力の結果は、あたかも初めから無かったかのよう隠され、封じ込められ、消し去られようとしています。
 日本は戦争に負けました。旧日本軍の中には確かに多くの失敗もありました。しかし、その一方で、他の国には決して真似できない世界史を塗り替えるほどの素晴らしい働きをしたのも日本の軍人たちでした。そして、そのことを多く国々が評価しています。日本以外の多くの国々が…本来であれば、私たち日本人こそが、そのことを、正当に評価しなければならないはずなのに…

 今年で戦後77年が経ち、私がかつてお話を聞かせていただいた方々も次々と鬼籍に入られています。このままでは本当の歴史が、真実が、永遠に失われてしまう…真実を一部でも知っている以上、このまま英霊たちが悪者にされたままにしておいては、私は自分で自分を許すことができません。
 私はなにも日本軍の全てを肯定しようと言っているわけではありません。彼らの果たした功績や日本やアジアに残したものを正しく捉え直してほしいといっているのです。そうでなければ、日本の未来のために、アジアの独立ために、全てを投げ打ち亡くなっていった多くの英霊たちの魂が浮かばれません。
 私たち自身についてもそうです。今、日本は大きな岐路に立たされています。アメリカへの過度な依存を断ち切り、迫り来る強大な隣国の圧力に対抗するためには日本のかつての失敗ばかりに焦点を当てて卑屈になるのではなく、誇らしい日本の成功を学び、私たちが持っている素晴らしい力に気付くことからはじめましょう。その上で、冷静に過去を分析し、なぜ日本は大戦に敗れたのか、何が足りなかったのか、今の日本には何が足りないのか、正しく理解しすることで初めて、憲法・法の改正、外交・軍事組織の再編といった現実的な変化へと舵を切ることができます。
 危機的な現状を打破し、強い日本を再興するため、日本が国として前を向いて正しい方向に進んでいくために、まず、日本人の一人一人が自国の歴史に誇りを持ち、日本人であることに自信を持てるようにしたい…そして、私たちの子供や孫たち、そのまた孫たちに至るまでが「ああ、日本人でよかった」と心の底から思えるような日本を作っていくためにも、一人でも多くの方に正しい日本の歴史を知り、あなた自身に眠る可能性を切り開いていただきたい…それが、私の願いです。


丸谷元人

 

 大東亜戦争終了後77年、もういい加減にGHQに刷り込まれた「自虐史観」を葬り捨て、自立した国家を確立しならなければならない。

 現役首相には、「靖国神社」の参拝をしていただきたいし、さまざまな障壁があるだろうが、日本国の象徴として天皇陛下に「伊勢神宮」などだけでなく、「靖国神社」にご参拝を賜りたいのである。御参拝日は、8月15日にこだわる必要はない。(谷口利広)

トランプ邸捜査の異常さ  藤井厳喜

 トランプ邸が捜査された当日ですが、トランプ前大統領の次男:エリック氏がその場にいたそうです。エリック氏の話によると、捜査令状を見せてもらえないまま、一方的に家宅捜索が行なわれたとのこと。法治国家のアメリカで、捜査令状を見せずに家宅捜索をすることは、異常です。なぜ、無理やりに家宅捜索が行われたのでしょうか?
 今回の家宅捜索の理由について、表向きには、トランプが公的な書類をホワイトハウスから持ち出したからだと言われています。しかし、FBIや司法省がはっきりと話をしていないので、今のところよく分かっていません。

 反トランプ勢力の牙城
 実は、この問題のポイントは、FBIと司法省の腐敗ぶりにあります。今や、ディープ・ステートという言い方もありますが、反トランプ勢力の牙城となっているのが、このFBIと司法省。ディープ・ステートとは、官僚とマスコミと政治家のこと。このリベラルな勢力が、三者一体となって、アメリカの弱体化、国家解体を図っているのです。
 以前もお話ししたことがありますが、2016年のアメリカ大統領選挙で司法省の役人で政治献金した人を調べると、9割がヒラリー・クリントンに献金していたことが発覚しました。残り1割は、全てトランプというわけでもなく、もっと弱小候補、あるいは民主党の他の候補に献金していた人もいます。ですから、反トランプ勢力の牙城がこの司法省だと言えるのです。
 また、FBIは司法省の傘下の機関。トランプが指名したFBIの長官ですら、結局は左翼思想に汚染されてアメリカ国家を解体する側でした。

 FBIと司法省の民主党びいき
 実際、FBIと司法省は民主党びいきなのです。それは、ヒラリー・クリントンが国務長官の時のこと。彼女は、国務省のサーバーではなく個人のプライベートサーバーで個人のアドレスを使って、国務長官の仕事をしていました。そして、そこで得られた情報が中国共産党に筒抜けになっていたことまで判明。これは、個人サーバーを使ったことだけでも大罪ですが、国務省の人間ですから、執行猶予付きの有罪になってもおかしくありません。実際、過去にそうなった判例もあります。
 ですが、FBIが事情聴取をし、重要な情報が漏れていないとして、彼女は無罪放免に。もちろん、クリントン邸への家宅捜索も行なっていません。さらに、FBIと司法省は、不正もコントロールしています。1つは、ご存知の通り、ロシアゲートのでっち上げ。トランプとロシアの共謀を事件化するだけでなく、FBIがトランプ陣営を盗聴するまでエスカレートしていました。
 最近だと、今話題になっているバイデンの息子:ハンター・バイデン氏のラップトップスキャンダル。彼が、チャイナやウクライナから巨額の資金を受け取っていたことが明らかになった問題です。しかし、この追及はほとんど進んでいないのです。まず裁判も始まっていない。大統領の息子だったら、上級国民で、悪いことをした証拠が出てきても捕まらない…そういった民主党サイドに立った不正をしているのが、司法省とFBIなのです。

 追い詰められる民主党
 しかし、この秋の中間選挙で共和党が勝利し、トランプ勢力が有力になると…議会でこういった問題がどんどん暴かれていきます。司法省とFBIがいかに不正をしてトランプ陣営をいじめてきたか? 過去の不正行為が、一気に明るみに出てしまいます。
 実際に、ハンター・バイデン氏のラップトップ事件について、ニューヨークタイムスをはじめとするリベラルメディアも、当初は「ロシアのでっち上げだ」と言っていましたが、今では「あれは真実だ」と認めているのです。ですから、FBIや司法省がトランプの自宅にまで押し入ったのは、共和党が勝利しないよう、不利な状況にするためでしょう。ここまでするということは、彼らも相当追い詰められているのです。

国際政治学者・藤井厳喜
 国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者  ハーバード大学大学院博士課程修了。
 日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは
35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。

 

 トランプ前大統領についてのNHKをはじめ日本のマスメディアの報道には、フィルターがかかっている。事実が報道されていない。であるから、日本国民のトランプに対する評価は一般には高くはない。だが、トランプが大統領を務めた4年間は国際紛争も無く、石油価格をはじめ物価も安定していた。そして、あの中国もおとなしくしていた。
 11月の中間選挙で共和党が圧勝し、2年後の大統領選でトランプが復活することを望む人は米国のみならず我が国においても少なくないのである。もちろん、私もその一人だ。(谷口利広)

ユダヤ人たちが日本にやって来た  田中英道

  帰化人・渡来人という言葉を使う場合、もっぱら朝鮮半島からやって来た人たちのことを指していました。つまり、「朝鮮半島から来た人たち、あるいは中国からの渡来人たちのおかげで日本はつくられた」といった考え方がされてきていたわけです。しかし日本には、さらに大陸西方の中央アジア・中東の人々が、東アジア系の人たちと混ざったかたちでやって来ていたのです。
 特に重要なのは、馬を使ってやって来た人々、つまり騎人あるいは騎士といってもいい人たちの存在です。それは結論からいえば、「ディアスポラ」となったユダヤ人たちが、日本に継続的にやって来ていたことを示しています。
 ディアスポラは、「離散」や「離散した民」と解釈されています。ローマ帝国から追放され、ディアスポラの旅に出たユダヤ人の多くが、シルクロード伝いに東の中央アジアに向かいました。シルクロードはローマ帝国時代、中国の絹を得るための通路としてすでに確立していたのです。
 彼らが最初に日本に入ってきたのは3〜4世紀ごろだと言われていますが、それ以前に入っている可能性も非常に高く、特に紀元前660年頃の日本が建国されたと言われる時代にすでに秦氏と呼ばれる人々が活躍していたそうです。この秦氏こそユダヤ民族だと考えられ、『日本書紀』には弓月国から渡来したと記されている氏族です。
 大陸を放浪していたユダヤ人たちがもっとも多く日本にやって来たのは、6世紀初頭か5世紀末と思われます。それは第21代雄略天皇が活躍していた時代とほぼ重なります。ユダヤ系の人たちが日本に渡ってきた理由は、ユダヤ人の持つ歴史的な必然性によるところが大きいでしょう。ユダヤ人は国を捨てること、国がなくなってしまうことを運命とするディアスポラの民族ですが、重要なのは「国をつくらない人々」だということです。国をつくるということは、そこに楽園ができるということです。
 しかしユダヤ人は、「我々は楽園を追放された民である」と自ら規定しています。そのため、次から次へと住む国を替えていくわけです。そうした人々が、新羅など朝鮮半島の国々では満足できず、日本にまでやって来ました。ユダヤ人にとっては結局、動くことが重要なのです。


田中英道(東北大学名誉教授)

 

 田中教授の言われるように、私も少し前まで「朝鮮半島からや中国からの渡来人たちによって日本はつくられた」と思っていた。ユダヤ人が大きく貢献したとは考えもしなかった。読者の多くもそうではないだろうか。(谷口利広)

「アメリカとその同盟国が制裁に動けば、中国は鎖国状態の経済に戻ることになる…」  国際情報アナライズ

 「アメリカとその同盟国が制裁にけば、中国は鎖国状態の経済に戻ることになる…」という衝撃の報告書を中国公安省と国家安全省が発表しました。(2022年4月)
 これは、ウクライナに侵攻したロシアのように、中国が台湾有事で欧米側から経済制裁を受けた場合、中国経済がどうなるのかを分析したものです…その報告書によると、欧米による経済制裁で輸出入が滞れば、さまざまな生活必需品が中国国内に入ってこなくなり、なかでも「大豆」によって、国民は大打撃を受けるとされています。
 というのも、中国において大豆は中華料理に欠かせないだけでなく、食肉の大半を占める豚肉の飼料としても使われているのですが… 実は、、、中国の大豆自給率は2割にも満ちておらず、欧米からの輸入がストップすれば、とたんに約14億人が食糧危機に悩まされるという衝撃の分析結果が明らかになったのです。
 また、中国は世界最大の貿易総額を誇っており、米欧日への輸出がなくなると、GDPの約7.6%にあたる、143兆4000億円分の需要が一気に失われるという結果も明らかになったのです… 今はまだ、このような甚大な被害が出る制裁を科されていない中国ですが、今回の台湾有事で、世界中の国々から「軍事演習や挑発的な発言をする 中国は完全に異常だ!」といった批判が殺到しており、いつ中国に経済制裁が課されてもおかしくない状況にあります。
 これには、さすがの中国も挑発行為を止めるのではないか? とあなたは考えているかもしれません、、、しかし、中国は今の暴走を全く止める気はないようです…なぜなら、これほどの被害が出ると予想されている経済制裁を中国は全く痛手とは考えていないからです。一体どういうことでしょうか? ここ数年で成し遂げた中国の急成長を水の泡にしてもいいということでしょうか?

 この謎を紐解く鍵は、なんと「資源」にありました。石油や天然ガスなどを含んだ、「資源」という観点からこの対立を見直してみると、世界の覇権国である欧米が「中国をねじ伏せている」という、ニュースや新聞で報じられている内容とは全く違った対立構造が見えてくるのです...


 河添恵子氏はこう語っています。
 「G7は、ロシアや中国に対して さまざまな制裁や弾圧を行ったが、 制裁されている中露側は 欧米に負けず劣らず、すでに新しい世界の秩序を作り始めている」と…

河添恵子(国際情報アナライズ事務局)


 

安部晋三元首相の人間性  菅野倖信

 平成28年9月8日、中国メディア『亜洲通信社』の社長で知日派ジャーナリストとしても知られる徐静波氏が、中国のSNS「新浪微博」のアカウント上に日本の安倍晋三首相(61)を賛美する内容の文章を投稿していました。

 

 『SNSで公開された安倍首相の感謝状』

 平成28年9月、G20があった中国で、安倍晋三首相がホテルに書き残した1通の便箋が話題になっています。ホテルの清掃員の中年女性に向けられたと思われる「感謝 内閣総理大臣 安倍晋三」というメッセージ。

 期間中、安倍首相が泊まったのが高級ホテルのシェラトン杭州湿地公園リゾートでした。ホテルによると、首相が帰国後、感謝のメッセージは9月6日の午前に清掃係が見つけました。

 「感謝」と書かれた紙は、部屋のデスクの中央に置かれていました。驚いた清掃員は、すぐにホテルの支配人に届けたそうです。取材に対しホテルの客室の責任者は、「私たちの仕事が認められ、大変嬉しく思います」と話しています。そして、この置手紙を関係者が筆跡鑑定したところ、これは本物だと思われます」ということで話題となったのです。

 

 ○SNSでこの事を知った、親日中国人漫画家の孫向文氏のコメント

 この「美談」ともいうべき安倍首相の行為は、中国はおろか、日本のメディアもほとんど伝えていません。僕は安倍首相に批判的なメディアの上層部が故意に情報を隠蔽していると勘ぐっています。

 中国では清掃業の社会的地位は非常に低く、多くの中国人たちは清掃に携わる人々を卑下しています。それに対し一国の宰相が清掃員に感謝状を送ったという今回の件は、中国人にあらゆる意味で衝撃を与えました。

 このSNSの投稿に対する返信を見ると、「アジアの光だ」。「すごい、とても親和性の高い首相だ!」「安倍さんはリオ五輪の安倍マリオといい、一国のトップとは思えないほど腰の低い人物だ」。「俺は安倍が嫌いだが今回は敬服する」「安倍首相は日本の国益にとってもっとも有能な政治家だ。中国と敵対しているのは、また別の話だ」と、安倍首相の人間性を賞賛する声や、「俺の字よりきれいだ、中国人として恥ずかしい」「字に品格が表われている」「この手紙は額縁で飾るべきだ!」「名家の出身であるため、高い教養を身につけている」などなど手紙の文字が非常に達筆だったことを受け、安倍首相の教養の高さを語る声が多数寄せられていました。

 

■対比的に批判される中国共産党体制

 多くの中国人が安倍首相を賞賛した理由は、自国の政治に対する反動もあるようです。 上述のような言葉以外に

 「安倍さんは達筆だ!大々(習主席の隠喩)の字とは桁違いだ!」、「民主vs独裁」と、安倍首相と比較して習近平国家主席(63)を批判したり、「安倍首相は善人だが、中国のメディアは彼を悪人と報道している」、「かつて共産党政府は蒋介石を悪人と吹聴した。結局、中国共産党は自分たちの都合で対抗勢力を故意に貶めるのだ」と国内の報道の偏向性を訴え、「日本の首相はこんなに教養があるのに、日中が仲良くできないのは誰のせい?(中共政府のせい)」と、自国の体制を皮肉る返信もありました。

 一方、反日的な愛国層は「ただ礼儀正しいだけの悪人だ」、「(安倍首相の行為に肯定的な発言を受け)売国奴どもめ、興奮するな!」と、否定的な声を投稿しましたが、肯定的な意見が圧倒的多数だったのです。普段、安倍首相を批判し中国を擁護する日本の左派層の人々には、このような事実を知ってもらいたいと思います。

 中国の国家主席は、かつての皇帝たちと同じく民衆の上に君臨する絶対的権力者です。そのため習主席が清掃員に感謝の手紙を送るという事態は絶対にありえません。それに対し日本の安倍首相は対等の目線で清掃員に接しました。

 この話は日本社会の教養の高さ、差別心の低さ、そして「良いことをしてもらったら必ずお礼をする」という誠実さを表していると思います。「日本人は教養が高い」、「書道と漢字はもともと中国のもの、それを吸収しさらに洗練させている」、「礼儀正しさは日本人の特性だ」と、日本の社会や文化を賞賛する声も多く寄せられていました。

 「安倍首相と仲良くしたら漢奸(裏切り者)扱いされて逮捕される」という意味の「この掃除のおばさんは大変だ!」という皮肉じみた意見が、今回の件を明確に象徴していると思います。

 僕は自著『中国が絶対に日本に勝てない理由』(扶桑社)の中で、さまざまな視点から日中両国を比較しているのですが、今回の件も「中国が絶対に日本に勝てない理由」の一つだと思いました。首脳の教養の高さは、世界中から尊敬される国家を形成するための重要な要素だと思います。

 

菅野倖信(かんの よしのぶ)

公益財団法人 モラロジー道徳教育財団 特任教授 <教育・福祉・日本近現代史・中国諸事情などについて講演及び執筆活動中>

 

 「安倍氏の感謝の書状」のようなニュースを日本のメディアが報じないという事実が、私たちが日常見聞きする報道がいかに曲げられたものであるか、真実を報道していないかを物語っている。(谷口利広)

焚書の本丸はユダヤ論!?   古味直之

 一体なぜ、戦後GHQは7,000冊もの日本の書物をひっそりと没収したのか? 彼らは「焚書」によって何を消し去りたかったのか? その真相について...澤龍氏(焚書コレクター)と福地 惇氏(高知大学名誉教授)が対談で明らかにしてくれました。
 今回、その記事の一部を抜粋し、特別にご紹介したいと思います。「え、そん
な可能性があるの...!?」と歴史の新たな一面が見えてくるでしょう。ぜひ最後まで読んでみてください。
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<焚書の本丸はユダヤ論!?>

福地:
 私が非常に興味深いと思っているのは、GHQのおこなった焚書のなかに「ユダヤ論」に関する書物が混じっていたことです。数十冊、せいぜい100冊くらいだから、全体からすれば、わずかな冊数に過ぎないけれど、高度なユダヤ論を展開した書籍が軒並み焚書の対象になっている。

 

澤:
 それは僕も以前、不思議に思ったなあ。なぜユダヤ論が焚書の対象に選ばれたのかと。

 

福地:
 昭和6、7年あたりから敗戦に至るまでの間に、日本では相当水準の高いユダヤ分析がおこなわれていたんです。日本人のユダヤ研究水準はそのころ急速にガッと上がったの。代表的なのは、『ユダヤ思想及運動』を書いた四王天延孝(しおうでん のぶたか)中将や、東北帝国大学の教授だった奥津彦重(おくつ ひこしげ)さん。この他にもいろんな素晴らしいユダヤ分析がおこなわれていたんだけど、われわれの先達は昭和初期にすでに見抜いていたのね。ユダヤが世界支配を目論んでいるって。そして欧米はすでにその手中にあると。
 高度に分析していくと、どうしてもそういう結論になるわけ。だから俺なんか
は穿って見てしまうよね。GHQが焚書をした本当の目的は、こうしたユダヤ論を根絶やしにすることじゃなかったのかって。彼らからすれば都合の悪いことが書かれているんだから。確たる証拠があるわけではないので、学会でこんなこと言っても誰にも相手にされないんだけどさ(笑)。

 

澤:
 ユダヤ論こそがGHQ焚書の本丸だったと。やっぱり先生のお話は面白い。要するに、日本のユダヤ論はグローバリストたちの邪魔になっていたということだな....
**************

 いかがでしょうか...近年明らかになった歴史の事実をもとにGHQが消し去った本を分析していくと、「GHQが消したかったのは“ユダヤ”の真実?」まるで“ミステリー小説”のような歴史の謎が浮かび上がってくると言うのです...
 一体、GHQが隠したかったユダヤの真実とは何だったのでしょうか? なぜ、ユダヤに関する本が日本から消えてしまったのか? 今回のルネサンス最新刊では、この記事の他にも...北村良和氏(愛知教育大学名誉教授)や田中英道氏(東北大学名誉教授)が貴重なユダヤ論を執筆してくださり、世界大戦中にユダヤが企んでいた“秘密の歴史”を暴いてくれました。

ルネサンス編集部  古味直之

 

 「焚書」(ふんしょ)は言論封殺であり。絶対にやってはならないことである。戦勝国が敗戦国に対しても同様である。

 米国は、それを日本に対して行ったのである。日本は戦後、それに対して物言わぬままに来たのだ。(谷口利広)

中国・突然の軍事演習の本当の狙いとは?  林建良

 8月2日、ナンシーペロシ米下院議長の台湾訪問後、中国は約束通りに大規模な軍事演習を実行しました。短距離ミサイル、11発が台湾近辺に向けて発射され、その内5発はなんと日本の排他的経済水域(EEZ)に着水しました。
 これは、
まさに日本の主権への侵害と言える行為です。そのため、日本政府、防衛省は当然強く抗議をしました。それでも中国は翌日8月5日に、今度は軍機68機、軍艦13隻を派遣し、軍機68機のうちの20機、軍艦13隻のうち1隻が海峡の中間線を通過したのです。
 今まで台湾と中国の間
には、台湾海峡を挟んで真ん中に1本のラインがあり、お互いにラインを越えないようにするのが“暗黙の了解”でした。中国は最近 、この中間線の存在を認めないと発言していました。今回、その中間線を短期間ではあるものの、超えて中間線を無視するという実績を作ってしまいました。
 では、今回の中国の大規模軍事演習の狙いとは何だったのでしょうか?そして、その目的を達成することができたのでしょうか?実は、中国のこの軍事演習の最大の目的は、対外的ではなく対内的、つまり中国国内に向けたものだったのです。

■習近平が得たかった実績とは?

 習近平にとっての一番の関心事は、3期目の続投です。そして彼の、3期目に
向けての一つの実績作りが大切だったというわけです。大手メディアの報道や専門家の分析を聞いていると、「ナンシー・ペロシが台湾を訪問するというので、習近平が癇癪を起こして大規模な軍事演習をした。」というような意見を目にしますが、それは正しくありません。というのも、今回の大型軍事演習は、1996年の台湾危機以来となるミサイル発射であり、ペロシが来たからと言って、すぐに実行できるようなものではなく、かなり前から入念な計画が必要なものなのです。
 そのため、ペロシ訪台に必要以上に反応し、あえて中国人のナショナリズムを
煽りその対内的目的を達成しようとしたというわけです。はっきりと言えば、習近平は、この10年間の任期でほぼ実績がありません。習近平の就任以降、中国経済は悪化の一方で特に最後の1年はゼロコロナ政策、そして企業を潰して嫌われるという散々なものでした…そして台湾への軍事侵攻もなかなかチャンスが無かったところ...ちょうどいい口実が出来たというわけです。台湾への”疑似”軍事侵攻を行うことで、習近平は3期目の言い訳を獲得しました。「俺でないと台湾侵攻はできないぞ」という言い訳を手に入れたのです。

 では、中国国内ではなく、対外的な目的とは何だったのでしょうか?

■中国が変えた現状と新しい現状 "New status quo"
 それは、「新しい現状」を作ったことです。今回中国が変えた現状とは、

下記の三点です。
1. 台湾海峡の中間線は存在しない。
(=中国軍機は台湾の領土ギリギリまで動かせる)
2. 台湾海峡は中国の領海であり国際水域ではない。
3. 日本の排他的経済水域(EEZ)を認めない。この現状を一方的に破壊。
これらは、もし国際社会が黙っていれば、習近平の実績になったことでしょう。

 しかし、実際には中国が今回の軍事演習によって失ったものも数多くありました…

■今回の軍事演習で中国が失ったモノとは?
それは、
1. 軍事情報が丸裸になった。

世界中が注目(監視)する中、米軍の偵察機が上空を飛ぶ中で、軍事演習が実行されました。その結果、中国のミサイルに関する情報、そして中国軍の通信に関する情報が丸裸になったのです。ミサイルのスピードや、角度、軌道など普段であれば、なかなか漏れることのない今後のミサイル防衛に役立つデータを外に出してしまったのです。


2.アメリカをはじめとする国際社会が台湾支持に回る。それによって中国の立場が悪くなる。
 ナンシー・ペロシはアメリカで有名な左派です。左派の権化であるペロシが訪台し、大規模な軍事演習をやるということで、これまで中国をあまり非難してこなかったような、左派媒体までもが大々的に報道しました。また、これまでは中国の顔色ばかり窺っていたASEAN諸国が中国批判の声明を発表したことも今回の大きな変化の一つです。中国経済に依存しているため、これまでは遠慮がちだったのですが、それでも今回は批判の声をあげたのです。

3. アメリカ軍の脅威。フィリピン海に米軍が常備することで中国を脅かす存在となる。
 台湾への軍事援助がスピーディーかつ円滑になる。と言ったことが挙げられます。今回の事件で、中国の最終目標である台湾侵攻、=台湾を手に入れることに近づいたのか? と言えば、ますます台湾は離れていったのではないかと
思います。というのも、習近平の関心事が自分の3期目継続だからです。

 しかし、油断してはいけません。いずれは台湾侵攻は起こります。中国にその気が無くなったというわけではありません。いつか来るその日のために、事前に備えをし、被害を最小限に抑えるために今回の緊張・危機をチャンスとしなければなりません。この危機を無駄にはしてはいけないと思います。
****
林 建良(りん けんりょう)
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京

大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017

年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名

運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。  
 2019年にはJCPAC
にも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。

林外相の誤った外交メッセージ  藤井厳喜

 日本のEEZ(排他的経済水域)の中に、チャイナから5発もミサイルが落ちてきました。これは重大な問題です。これに対して、日本の外務大臣・林芳正氏は抗議しませんでした。外務省のナンバー2が駐日チャイナ大使に電話をして、抗議の意を伝えただけです。こういう場合、本来ならチャイナ大使を外務省に呼びつけて、外務大臣が直接抗議することが外交手段として必要です。電話というわけにはいきません。そこは外務大臣が直接抗議しなければいけない。
 日本のEEZ内に落下したということは、これは日本の主権・安全に対する挑戦であるということです。少しエスカレートすれば、北京にいる日本大使を日本に戻したり、場合によっては外交関係断絶という構えも、抗議を表す非常に穏和なやり方です。
 外交ルール上、ここまで出来て初めて「日本は怒っている」と態度で示していることになります。そうでないと、怒っていても外交メッセージとして伝わらないのです。今の日本は外交失格です。 
 
■刻々とせまる日本の有事…
 習近平は3期目を目前に控えているので、この微妙な時期に、アメリカと本格的に軍事紛争、つまり台湾を攻めるということはまずないと考えた方がいいでしょう。しかし今は良くても、習近平は、「3期目に入った後は台湾を併合する。それが中華人民共和国の 絶対的な国家目標なんだ」ということを繰り返し言っております。
 これも後に引けないですから、やはり一度は台湾海峡で軍事紛争せざるを得ません。そうなれば、南シナ海まで戦域が広がるかもしれません。台湾が攻められれば即、日本は有事です。日本の南西諸島は、少なくとも戦域に巻き込まれます。日本が戦場になる日が近づいているのですから、それに対して日本は準備しなければいけないということですね。これは核を持った大国同士が、台湾を挟んで対決するという大変な事態になります。つまり、ウクライナ戦争の比ですらなくなるわけです。そういう状況が刻々と迫っている。
 そんな時に、日本は安倍晋三という大事なリーダーを失ってしまっているということです。非常に痛いですね。しかし、嘆いているだけでは状況を変えられないですから、我々は前に進まなければなりません。少なくとも、早く林外相の更迭だけは世論を盛り上げて岸田さんにやってもらう必要があります。そういう意味で、今回の内閣改造は最悪の布陣でした。
 残された方法としては、岸田さんは世論の動向に大変弱い人なので、「林外相みっともないぞ。日本は世界で大恥をかいたんだ」と、我々が声を上げることで
変えざるを得ない状況に持っていくことです。

■危険な“形だけの”憲法改正
 それから、長期的な観点で考えると、やはり憲法改正が必要です。岸田さんは、「憲法改正をやります」と言っています。しかし、岸田さんの言う憲法改正は、
どうも「9条改正」から逃げるのではないか?と、私は心配しています。
 例えば、環境権や、ジェンダーの問題、LGBTQの問題など…同性間の結婚を認めろ、といった人権問題を憲法に取り入れる。そういった、左翼の側に媚びる様な憲法改正に流れてしまうかもしれません。それでは「憲法改正しましたよ」と言われても、日本をさらに崩壊させるような憲法改正になってしまうのではないかと非常に危惧しています。
 やはり本筋は、憲法9条を改正して、自衛隊の存在を明記すること。他のことは枝葉末節です。この際、自衛隊ではなくて、日本国防軍・日本軍という名前にして欲しいくらいですし、本当はそれに加えて、非常事態条項をつけなければいけません。どういう状況の時に憲法停止をするのか? ということを決めておかないといけないのです。これが決まっていない憲法は、欠陥憲法です。世界にそのような憲法はありません。
 とはいえ、そこまで議論を広げたら手に負えないので、少なくとも憲法9条を改正して、自衛隊の存在は明記する。そういった憲法改正の方向を目指すべきだと、これも国民がどんどん圧力をかけて
いかなければいけないと思います。 

国際政治学者・藤井 厳喜
 国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。

 

 

 林外相の中国への対応は、「あなたは中国の外相か」と思うものが少なくない。米国首脳からも中国のスパイ扱いされていて、重要な情報はスルーされているとの……。岸田首相は今回の内閣改造でも林外相を留任させたが、「困った事だ」を通り越し深刻な事態である。(谷口)

7,769   古味直之

 あなたはこの数字が何を表しているか分かりますか? これは、大東亜戦争後、日本からパタリと姿を消した「書物」の数です。
 一体なぜ、7,000冊以
上もの本が消えてしまったのか? 
 実は、これらの本は、戦後すぐに、GHQによ
って「焚書(ふんしょ)」にされてしまいました。流通を止められ、戦後の日本から葬り去られてしまったのです。ではなぜ、GHQはこれほどの大量の本を焚書して、日本人に見せないようにしたのか? その真意は何だったのでしょうか? 
 今回、その真相を探るべく「ル
ネサンス編集部」では、ある人物に取材してきました。その人物とは、焚書研究家の澤 龍(さわ りゅう)氏。

 澤氏は、GHQが消し去った本を1冊1冊、古書店などから地道に集め続け、
7,000冊以上の本を蔵書で保有されているスゴい方です。そんな澤氏が、初めて「焚書」を知ったときのことを語ってくださいました。

 忘れもしない、平成11(1999)年のこと。何気なく立ち寄った古書店で、私
は偶然、GHQによって焚書にされた本の「目録」を発見しました。そのとき初めて、GHQが日本で大規模な『焚書』をしていたことに気付きました。当時はこんなこと、大学の先生方ですら誰も知らなかった。ずっとGHQによって巧妙に隠蔽されていたということです。それをきっかけにして、私は、この「焚書」の真相究明に乗り出しました。この目録を頼りに一冊一冊、地道に古書店で現物の本を探し集めようと思ったのです。そして、時間をかけて、これらの焚書された本を手に取り、中身を読んでいく中で、次第にGHQの「意図」が見えてくるようになりました。

 

ダイレクト出版株式会社

ルネサンス編集部  古味直之

困ったときの親切

 つい先日、四国の田舎で法事があり、車で帰省した。久しぶりに故郷の空気を吸い、親族などとのふれあいで心が和んだ。

 復路、松山付近でアクシデントが生じた。高速道路(松山道)上で急に車の調子が悪くなり、トロトロ走りになってしまった。車の構造や整備には疎く、えらいことになったと先ずは脇に止めた。そして救急隊に助けを求めた。同時に保険会社にも連絡をした。

 20分くらいで警察や救急隊に駆けつけていただき、レッカー車で一般道に降ろして貰った。警察も救急隊も、そしてレッカー車の方にはとても親切にしていただき、有難く思った。

 盆で修理・整備して貰える所が無かった。奈良まで搬送すると、その代金は保険では出ないとのこと、結局、松山に車を置き修理することにした。7~10日間は要するだろう。松山から自宅まで電車を利用したが、早く対応していただいたので比較的早く戻れた。

 困ったときに親切にしていただけると、本当に有難い。この思いを困っている人のために引き継ぎたい。感謝の連鎖となろう。

拙庭で ケヤキ盆栽を手に 8月18日

「山奥に住んでる奴は……」  経営科学出版

 かつて、日本は世界から賞賛される国でした。焼け野原にされた地獄から復興する力がありました、、、なぜそれが今、失われているのでしょうか? かつて日本に存在した、先人たちの情熱と勇気、それを失った日本はどうなるのか?

 「山奥に住んでる奴は住む場所を変えろ」
 アナタは覚えていますか?2020年の夏に起きた九州豪雨被害を...特に熊本県では球磨川(くまがわ)水系が氾濫・決壊するなどし、65名もの方が帰らぬ人となってしまいました。この悲惨な災害に対し、元大阪市長の橋下徹氏はとある情報番組で次のように語りました、、、 「今は一生に一度とか、 50年に一度の雨が頻繁に起きていて、 治水計画の前提がもう狂っていると思うんです。 人間が自然をコントロールするという 前提はもう変えていかないといけない」「今、被害にあわれている方には 政治がお金を使って全力で復旧していくのは 当たり前の話なんですが、今後、令和以降の時代を考えた際は一歩進めて、危険が生じたから逃げるでなく、そもそも住む場所を変えていくことが必要」
 一見、もっともらしいように聞こえるこの意見。とんでもない「3つの闇」が潜んでいました。
 1つ目の闇は、安易に「住む場所を変えろ」と言ってしまっていることです。これは地元に何の愛着も持たず、カンタンに住む場所を変えられる「カネ持ち」の論理ではないでしょうか?
 たしかに、大阪市長の座につき、今もコメンテーターとして引っ張りだこで、7人の子供を養うほどの経済力のある橋下氏ならカンタンに住む場所を変えられるでしょう。しかし、あの災害で被害に遭われた方の全員がそのような余裕があるとは限りません。にもかかわらず、「住んでいるところが悪いのだ」という自己責任論として結論づけられているのは、いかがなものでしょうか?

 2つ目の闇は、「そもそも日本の国土というものは、 どこにいても大災害に遭う可能性がある」という大前提を忘れていることです。橋下氏は「危険がある場所からは逃げろ」と言っていますが、だとするならば、日本国民は全員、日本から逃げ出さねばなりません。というのも、日本は海外と比べて、無数の河川が縦横無尽に走っており...四方を海で囲われているため、多くの場所で水害のリスクがありますし日本の国土面積は世界の0.25%なのに対し、マグニチュード6以上の地震は世界の20%、活火山の数は世界の7%を占めています。
・北海道
・東北
・関東
・東海
・関西
・中国
・四国
・九州
・沖縄

 全ての場所で大地震が起きる可能性があるとともに、火山の噴火だって起きる可能性があります。数十年以内に「南海トラフ巨大地震」が来ると言われていますが、大阪に住んでいる橋下氏は逃げ出さなくても良いのでしょうか?

 3つ目の闇は、「人間が自然をコントロールするという前提を変えなければならない」という敗北主義です。さきほどもお伝えしたとおり、日本国土は全ての場所において災害を受けるリスクがあります。にもかかわらず、自然とどう対峙するかを考えないというのはいったいどういうことでしょうか? 「完全にコントロール」するのは不可能なことかもしれませんが、少しでも被害を減らすように働きかけるのは必要なことではないでしょうか?
 そもそも、2020年7月の熊本県球磨川決壊も、実際は防げた可能性が高いものだったと言われています。なぜなら、この球磨川は日本三大急流の1つとして数えられ、これまで多くの水害をもたらしていたのに対し、上流に「ダム」を建設して災害を防ぐ計画が立てられていたからです。しかし、過去の熊本県知事が「ダムに頼らない治水」という空虚なキャッチコピーで建設に反対。計画は白紙に戻され、「ダムに頼らない治水」というのも何ら具体的な策が進められないまま、あの災害の日を迎えてしまったのです。
 もし、ダムを建設するなど、しっかりとした対策を打っていればこれほどの被害にはならなかったはずです。(実際、あの災害の直後に「川辺川ダム建設」の再検討が始まりました)橋下氏はこういったことを考えずに「自然に立ち向かうこと自体がオカシイ」と言っているのですが、、、もし自分や家族、大切な人たちが同じような災害に遭ったら「ダムを建設してさえいれば大丈夫だったかもしれないがそもそも自然に立ち向かうのは間違っているから仕方ない...」と納得できるのでしょうか?
 そんなことはないでしょう。どうせ何も対策を打ってこなかったことに対し、血相を変えツバを飛ばしながら批判するに決まっています。...いったいなぜ、橋下氏も過去の熊本知事にしろ、これほど危機意識がないのでしょうか?
  
 実は、これは現代日本特有の問題です。というのも、過去の先人たちは、ダムや道路の建設などを「最優先」と言ってもいいくらい重要視していて、文字通り命がけで国土を整備してきました。(黒部ダムでは、171名の方が殉職しています) 結果、戦後、瓦礫の山となっていた日本でも今では非常に快適に暮らせるようになったのですが、、逆にこのことが私たちの認識を歪めてしまったのです。

株式会社 経営科学出版


愛国心と誇り   西鋭夫

 国破れて、占領が始まった1945(昭和20)年の真夏から、「無敵の日本帝国がなぜ負けたのか」と国民は自責の病に冒され、惨敗の理由探しに苦しんだ。
「精神力では勝っていた」と占領の屈辱を耐えた。飢餓寸前の食糧危機の中で自分を慰めるかのように、この念仏を呟き、「富」の蓄財に奔走した。「富」の魔力に惑わされ、「富」に真の幸せがあると錯覚し、日本国民は形相物凄く「富」を追求した。

 戦勝国アメリカが「世界一素晴らしい」アメリカ国内市場を日本の企業に提供してくれた。「日本のために」「経済復興のために」と。しかし、「富」という甘い麻薬への代償は、日本が最も大切にしていた「大和魂」を失う事だったとは国民誰1人として気づかなかった。この危ない絡繰に気づいて警告を発した人がいたとしても、「極右」とか「軍国主義者」と罵倒を浴び、無視されただろう。
 アメリカにモノを売って日本は金儲けをした。アメリカにとっての見返りは、日本人の服従。日本人の勇敢さ、戦闘心、「武士道」。脈々と絶えることなく流れ続けた日本国の歴史。歴史に育まれ、成長してきた愛国心と誇り。即ち、日本人の「魂」。この無形の「見返り」をまんまと日本から取り上げたアメリカは、「また、勝った!」と思っている。銭では計れない、赤字・黒字決済簿に出てこない「誇り」を、アメリカは敗戦直後の虚脱状態にあった日本国民の心の中から、永久平和と民主主義という甘い言葉で誘い出し、アジア・太平洋の「征夷大将軍」マッカーサー元帥の密室で扼殺した。その死体が、憲法第9条。

 憲法9条と平和教育
 第9条は「愛国心」の墓。富める国の真っ只中にありながら、忘れ去られた墓。誰も訪れない無縁墓地。ブランド物の美しい服で着飾り、美味しいものを食べ、多額の金を使い世界へ物見遊山に行き、またハイ・テクの小道具で日常生活を楽しんでいる富国日本の人々の心の中にはペンペン草が生えているのだろう。
 己を顧みず、国の歴史となんの絆も持たず、国の栄光と失望、夢と後悔、誇りと反省などには目もくれず、ひたすら「物・富」を追いかける今の日本の姿は、飢えていた5歳の私と同じではないのか。我々の「誇り」は第9条の中に埋葬されている。日本国民は、戦後、第9条があるから日本が「平和」でおられたと信じている。そのように教育されてきた。今でも、そう教えこむ。
 アメリカは自国の国益を護るため、自国の安全を確保するため、あの猛勇日本、あの「神風特攻隊」を生み出す日本、国のために玉砕する日本人を2度と見たくなかった。我々日本人から「命をかけても護らなければならないもの」を抹殺しなければ、いつまた日本が息を吹き返し、強い国になり、太平洋で、アジアで、アメリカの進出を邪魔するかもしれない、アメリカに報復するかもしれないと恐れていた。日本の文化から、日本の歴史から、日本人の意識から、「魂」を抜き去り、アメリカが「安全である」と吟味したものだけを、学校教育で徹底させるべし。マッカーサー元帥の命令一声で、日本教育が大改革をさせられたのは、アメリカの国防と繁栄という最も重要な国益があったからだ。
 アメリカが恐れ戦いた「日本人の愛国心」を殺すために陰謀作成された「洗脳」を、日本は今でさえ「平和教育」と呼び、亡国教育に現を抜かしている。

<著者紹介>
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。

J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。

 西氏は、私が若い頃務めていた職場の先輩(大変お世話になった)の、奥様の弟さんである。

また円安ドル高の方向にじわじわ  藤井厳喜

 Q.なぜ突然円高に転じたのか?  ということですが単純に言えばこれは、「アメリカ経済が悪い」「本格的に景気後退に入ったのではないか」というアメリカ経済の先行き不安からドルが売られ、その反動で他の通貨(円など)が買われた結果だと思います。
 残念ながら私もこのタイミングでこれほど大きな「円高ドル安」が来るとは予測できませんでした。申し訳ありません。
 しかし、大きなトレンドは変わってないと見ています。実際、7月27日にFRBが0.75%利上げを実施しましたがこれはほぼ予測通りです。これ自体は織り込み済みということで、為替相場もあまり反応はありませんでした。これが1%の利上げであればかなり反応はあったと思います。
 大きく相場が動いたのは、その翌日です。7月28日、アメリカの商務省の統計が発表され 今年の第二四半期(4月〜6月)の経済成長率がマイナスだったのです。これがかなり市場を驚かせました。前の1月〜3月期もマイナスだったので、今度はプラスに上がると予測されていたのです。しかし、そうはなりませんでした。米国では景気後退の定義とされる「2つの四半期続けてマイナス成長」となり、影響が大きくなりました。
 ですが、面白いことは、この悪い数字が出て逆に7月28日に株は上がったことです。これはどういう心理かというと、、すでに景気が悪くなっているから、FRBはこれ以上は金利を上げないであろう。インフレの天井もここまでだと。そういう見込みでむしろ株価は上がったということです。
 しかし、長期的な日本経済については・日本経済の行き詰まり
・岸田政権の消極財政
・日本の貿易赤字が拡大
 ということで、円安要因は変わっていません。これは残念なことですが、長期的な日本経済の衰退というのは、外貨を稼ぐ力が落ちているということ、それを補うような経済政策が出ていないということが、大きな理由でした。これは一朝一夕で改まるとはとても思えません。ですから、基本的な円ドル関係の構造は変わっていません。
 また円安ドル高の方向にじわじわ戻り始めるというふうに予測します。

国際政治学者:藤井厳喜


医食同源は良い言葉?  林 建良 

 日本では医食同源というのは、良い言葉だと考えられています。では、日本人が考える医食同源とはどういう意味なのか。
 医というのは医療です。食というのは食事あるいは食材です。要するに口に入れるものが体を整えてくれるという意味になります。食事のときに体に良いものを食べると、自然治癒力で自分の体を治す効果を持っているというのが、日本の医食同源の考えだと思います。
 この考えは極めて正しいと思います。当然ながら口に入れるものは体に関係していて、場合によっては自分の体に良いものもあれば、悪いものもあるということです。ですから食べ物にはやっぱり注意しなければいけません。何かを食べると何らかの免疫力が増進することがあり、あるいは血管の柔軟性が保たれる
という効果もあると考えられています。

 ■本当は怖い医食同源の真相
 ところが中国人が考える医食同源は日本人とはまったく別次元の問題です。
実をいうと、僕も漢方薬について学んだことがあります。中国の漢方医療は基本的に自然科学とはかなり違った発想です。中国の漢方医は、宇宙の摂理に合わせるという発想を基本にしています。その発想自体、僕は悪くないと思います。
 それぞれの食材は、熱性のもの、温性のもの、冷性のもの、寒性のものというふうに分けられています。例えば生姜は温性のもの、唐辛子は熱性のもの、白菜や大根は寒性のものというふうに分けられていて、さらに陰と陽に分かれます。陰陽五行というのがあって、木金水土火とか、五行という概念で物を処方します。
これが漢方薬の基本になります。
 しかしながら医食同源の最も基本な部分というのは、例えば豚の肝臓は人間の肝臓に良い、豚の脳は人間の脳に良い、腎臓を食べると腎臓に良いというものです。だから究極的にはその臓器が人間に近ければ近いほど良いと考えられています。どうしても手に入らないものであれば、形だけでも人間に似ているほうが良いとされています。
 例えば朝鮮人参ですが、足が2本に体があり、人間の胎児に似ています。人間に似ているものは人間に良いというのが、医食同源の発想です。中国人が興味を持っているのは、金以外には食べるものと性に関するものです。中国古来の精力剤には犬あるいは虎のペニスが用いられてきました。乾燥した犬のペニスが今でも売られていて、中国人はこれを煎じて飲んでいます。
 そして中国では今でもやっていることなんですが、広東省では猿の脳みそを
食べることがあります。どうやって猿の脳みそを食べるかというと、テーブルの真ん中に穴を開けて、生きたままの猿をそこに縛り付けて、頭蓋骨をかち割って生きたままの猿の脳みそをスプーンですくって食べているわけです。なぜ猿の脳みそを食べるかというと、猿は霊長類で人間に近いから。だから猿の脳みそを食べると、脳に良いと考えられています。人間に近ければ近いほど良いということになると、究極的には人間を食べるのが最も良いということになります。

 ■究極の薬膳料理「赤ちゃん鍋」
 だから中国には今でも赤ちゃん鍋があるんです。赤ちゃん鍋については実は台湾の週刊誌でも報道されていて、2001年10月18日発売号の香港資本の雑誌「壱週刊」に掲載されています。そこでは、報道陣が赤ちゃん鍋の料理の手順から鍋になるまでの過程をずっと撮影してきて、実体験をレポートしています。赤ちゃんと言っても、胎児と言ったほうが良いかもしれません。

つい最近まで中国は1人っ子政策をやっていました。中国では少なくとも
年間1500万人の胎児が殺されているというか、中絶されています。先ほど申し上げたように、金銭至上主義の中国人が1500万人の胎児を無駄にすることはないでしょう。胎児の場合は妊娠6か月以上経過すれば、はっきりとした赤ちゃんの形になっています。妊娠6か月以上から満月になるまでの胎児のほか、場合によって生まれた直後の赤ちゃんを使って鍋にするということです。
 赤ちゃん鍋は、中国の究極の薬膳料理と考えられています。これが医食同源という考えです。

<著者紹介>
林 建良(りん けんりょう)
 1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。

2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。
医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精

力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。
 現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
 『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』 『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。


人生を変えた出来事  丸谷元人

 私の人生を大きく変えてしまったのはパプアニューギニアでの経験でした。若い頃、日本軍の戦績調査のために防衛大学の教授のお付きの通訳として2週間パプアニューギニアに行きました。実はその後、日本に帰国してすぐに一部上場の商社への入社が決まっていました。しかし、パプアニューギニアで頭を打たれるような経験をした私は帰国後に商社の内定を辞退することになります。
 パプアニューギニアについて一発目に衝撃を受けたのは、地元の方が今でも日本軍人の墓に花をお供えしているということです。周りがジャングルで大雨が降っていたにも関わらず日本兵の墓にハイビスカスの花をお供えしてくれていました。

 ①子供たちの大群
 日本陸軍の戦闘機隊がいたブーツ飛行場の調査に向かったときにはたまたま車を降りて休憩していると岡の上から子供たちの大群がウワーっと向かってきたことがあります。
 なんだなんだと思っていると「ジャパンだ!ジャパンだ!」というふうに
すぐに車を取り囲まれました。現地人はニコニコしながら「ジャパン、文通しよう」と言うのです。文通をするのか?と戸惑いましたが悪い気はしないので、どうして文通をしたいのかを聞いてみたら「我々はジャパンが大好きだ」というわけですね。「なんで日本が大好きなの?」と聞くと、「ジャパンは我々を助けてくれた いじめられてた我々と一緒に戦ってくれた」「ジャパンの兵隊が可愛がってくれた」と口々に言うわけですね。日本人をこんなによく思ってくれているのかともうびっくりしてしまいました。

 ②偶然見つけた日本軍の遺物
 また別のところでは、教会から帰ってくる現地人の方を眺めていると、あるものを首からぶら下げているのに気づきました。「ちょっと見せて」と声をかけるとなんと旧日本軍の認識票だったのです。じっくりと見ると第何部隊のHさん(仮名)と書いてあるではありませんか。びっくりしてしまい800円くらいで買い取らせてもらいました。厚生労働省に問い合わせをするとその3ヶ月後にご遺族の方につながりました。
 その方が3歳のときにお父さんが戦争に向かったらしく戦闘機のパイロットだったそうです。認識票は無事にご遺族の手元にお届けできたのですが現地人に「その認識票、どこで見つけたの?」と聞くと「うちの村の外れに墜落した日本軍の戦闘機がある。そこで拾ったんだ」と教えてくれました。実際に見にいくと「飛燕」という戦闘機の残骸があってHさんはこの場所でお亡くなりになったと分かりました。

 ③日本人を待っている現地の人々
 また別の日に日本とオーストラリア軍が激戦を繰り広げたアイタペと言う場所に行くと現地のおばあさんとすれ違いました。そのとき「あんたはチャイナか?コリアか? それともマレーシアか?」と聞かれたので、日本人だと答えるとおばあさんはびっくりしたような顔をしてガラッと態度が柔らかくなりました。
 その後しばらく歩いてふと後ろを振り返ると、なんと30人くらいの現地人が
行列をつくって後についてきているではありませんか。私たちは現地住民に取り囲まれ「ジャパンの兵隊は優しかった」「おじいちゃん、おばあちゃんから聞いている」と戦争時代の話をたくさん聞かされました。さらに「日本軍はいつ帰ってくるんだ?」と質問をされる機会が何度もありました。気になって尋ねると
「日本の兵隊さんは撤退するとき 必ず帰ってくると約束してくれた。我々は今でも待っている」と言われてびっくりしてしまいました。
 その後、考えたこと

「すみません。いけません」2週間の戦績調査ツアーから帰ってきた私は
内定先の会社に連絡をして入社をお断りしました。今でもこの決断は間違っていないと思います。商社の面接では「あなた男芸者できますか?」と言われていました。仕事をした後、取引先の接待をするわけですね。最初は「がむしゃらにやってやろう」と思っていたのですが、パプアニューギニアに行ったあとは「商社で良い成績を出せる人はたくさんいる。けどパプアでこの現状を見た日本人はそう多くない。私は私にしかできないことをやろう」そう思ってパプアニューギニアで活動することを決めました。
 私たちの先人である日本兵たちのお墓を、戦後60年以上が経ってもなお
彼らは守り続けてくれている。さらには、なんと数百人もの現地人が、日本兵を助けたという理由だけで、その後、裁判もなしに連合国によって処刑されたという事実も聞かされました… しかし、彼らはそれを恨むどころか、私が日本人というだけで周りを取り囲み、踊り狂わんばかりに歓迎してくれたのです…その気持ちを嬉しく思う一方、私は強烈な怒りや悲しみに包まれていました。なぜ、今まで誰も来なかったのだ!なぜ、こんな不条理が許されているのだ! ここに眠る戦没者たちのおかげで、今の日本がある。それなのに我々戦後の日本人は、
バブルだ、高級車だ、住宅だ、キャリアだ、収入だ、海外旅行だ、と騒いでいただけ…その間、これらの戦没将兵たちは、異国の冷たく暗い土の下でずっと我々を待っていたのにもかかわらず…しかし、私たちはそのことを完全に忘れてしまっているのです…
 私は、英霊たちに恥じない生き方をしたいと強く思いました。日本で骨をうずめることが出来なかった人たちの想いを絶対に踏みにじらない生き方を。そういう人を思い出して、感謝して、全ての骨の回収はできないかもしれないけれど、
想いだけは忘れずに馳せること。英霊の方たちが守りたかった「日本」に対する想いを、繋いでいくような生き方をしたいと思ったのです。        
 そうして、私は危機管理の専門家として、数多くの危険地帯で様々な任務を遂行する道を歩み始めました。時にスパイと情報戦をし、騙されたり、騙したりもしました。 常に駆け引きのある世界で、「人間」の表と裏もよく見えるようになりました。時に大切な人を守れず、「人殺し」と呼ばれた日もありました。私自身も何回も三途の川を渡りそうになり ました。 

 

危機管理コンサルタント  丸谷元人

この子を養子にして…  丸谷元人

 「この子を養子にして、日本に連れて帰ってやりたい…」
 私がどうしても忘れることの出来ない記憶を今日は少しだけお話します。

 【少年との出会い】
 これは昔、私が仕事で、ある国を訪れた時の話です。私は、50 代の白人の欧米人男性が経営する宿に泊まっていました。気さくな普通のおじさんだと思っていたのですが、なぜか彼の周囲には、常に10 歳~15 歳の男の子たちが何人かいるわけです。近くには小学校もあって、制服を着ている子どもたちが校庭で遊んでいるのが見えるのに、平日でもその男の子たちは学校に行っておらず、ホテルの掃除やお手伝いをしているのです。その時は、「貧しくて学校に行けない子もいるんだろう…」くらいに思っていました。
 その後、たまたま 1 日時間が空いたので、私は朝から海に飛び込んで、魚を追い掛けたりしていました。すると、例の 15 歳くらいの男の子が、カヌーで近くを通り掛かったので、「ここにいる魚って何よ?」とか、「サメって出るの?」みたいに声を掛けて仲良くなったのです。その後、私の方が「君、将来何になりたいんだ?」と聞いたら、「いつかパイロットになったら日本に行きたい。大きなビルがあって、トレインというのが走っていると聞いたことがある。見てみたい」こんなことを言うんです。
 それで「だったら今から勉強しておかないとダメだよね。でも何で君、学校行かないの?」と聞いたら、「行きたいけど行けない。だからここで働いているんです」と。「じゃあ、もし行けるとしたら、行きたい学校ってあるの?」と聞いたら、「やっぱりパイロットになりたいから、違う島に工業高校というのがあって、そこに行きたい」と言うんです。それで、「その学校、お金いくらかかるの?」と聞くと、1年間で、寮とか込みで20 万円ぐらいだと。その地域の平均月収が 1万とか2万とかそのぐらいだったので、「やっぱり貧困なんだな」と思って、それ以上私は聞けませんでした。その日は半日、彼と一緒にカヌーをこいだり、魚を捕ったりして遊びを楽しみました。

 【少年の秘密】
 その翌日、あまりに部屋が暑かったので、私は目の前にあるビーチに出て、少し涼んでいたのです。すると、前日一緒に遊んだ男の子が、満月のものすごく明るい月明かりに照らされながら、例の、このホテルのオーナーのおじさんに手を引かれて、オーナーの住んでいるホテルの部屋に連れ込まれていくのが見えたのです。
 「もう夜の 10 時ぐらいなのに、あの子は家に帰らず何をしているんだろうな?」と不審に思ったので、翌日その近くにいる地元民に「何で子どもたち、あそこに夜遅くまでいるの?」と聞いたら、地元の人がこう言ったのです。「ああ、あそこの白人のご主人様は男の子が大好きで、少年を何人も囲ってるから」と、それを聞いて私はもうびっくりしてしまいました。つまりその少年たちは、そのホテルオーナーから虐待をされていたということです。

 そんな現実を見てしまって、私もショックを受けてしまい、それからしばらくして、再びその少年とビーチで会った時に、思い切って言ったのです。「この前の晩、君があのオーナーと部屋に入っていったの見たけど、君はあれでいいの?」と。そうしたら、彼は最初ニコニコ顔で来ていたのですけれど、びっくりした目でこちらを見て、やがて恥ずかしそうに下を向いてしまいました。そして黙ってしまって、しばらくして首を横に静かに振って、ポツリと「僕はあれが好きじゃないです」と言うわけです。

 こちらは完全に胸を痛め、頭にきてしまいまして、「いいか、嫌なことをさせられているなら嫌とはっきり言えよ。絶対に従う必要なんかないんだ。男の子だったらいつか戦わなきゃいけないときがあるんだから。何だったら俺が一緒に行って、あのオーナーとけんかしてやってもいいんだからな。嫌だったらはっきり言っていいんだから」と言ったのです。そうしたら、彼は大変困った顔をして、「それだけはやめてください」と言ったわけです。
 「何で?こんなこと許されないんだよ。許されちゃいけないんだよ」と言うと、彼はこう言ったのです。「自分がここにいることで、オーナーは自分の家族に毎月お金を払ってくれて、養ってくれているんです。だから感謝してるんです」と、泣きながら言うわけです。こちらはそれでもう何も言えなくなってしまいまして、その当時、私は 20 代終わりで30歳ぐらいでしたけど、本当に「この子を養子にでもして、日本に連れて帰ってやろうか」と思ったぐらいでした。

 しかし、この子には両親や兄弟がいる。「その支払われたお金で、下の弟か妹か何かを小学校に行かせている」みたいな話がある…ですから、そんなことは絶対にできなかったのです。そんな時というのは、もう掛ける言葉がなくて、2 人で黙っているしかありませんでした。

 【別れの日】
 その翌日か翌々日に、私の出国の日がやってきました。そこで、彼とお別れをするために会いにいったものの、彼はどこにもいません…すると、別の小さな男の子が「ねえ、ミスター。ミスターが今日帰ってしまうから、彼は悲しんじゃってどっか行っちゃった」と。「じゃあ、このTシャツを彼に渡してあげて…」手元にあったTシャツを託し、私はチェックアウトして空港行きのバスに乗ったのです。すると、バスが出発してホテルの方をふと振り返ると、何とあの少年が、私のあげた T シャツを握りしめて大泣きしながら追い掛けてくるのです。

 私も泣けて泣けて仕方なかったのですけれど、何もできないのです。「この子はこれからどうやって生きていくんだろうな」などと思いながら、その地を去りました。
 その後もやはり、私はそのことがあまりに衝撃で、もう頭から離れなかったので、思い切って、人を介して例のホテルのオーナーに連絡を取ってもらいました。当時の自分が自由に使えたお金、精一杯の貯金をはたく形なのですけれど、「とにかく 2,000ドル(約20万円)送るから、あの少年を工業高校に行かせてやってくれ」とお願いしたのです。そうしたら、半年ぐらい何の音沙汰もなかったのですけれど、やがて人づてに「その少年がオーナーの許しを得て、別の島の行きたかった工業高校に行って、今では寮に入って一生懸命勉強している」という話が聞こえてきたので、ホッとしたということがありました。この話も結局、旧植民地の支配者や地元の有力者による非道なのです。

 少し長くなりましたが、あの時、本当に自分の非力さというか、この世の汚さみたいなものを感じました。この一件だけでなく、私はこうした世界の裏側や汚い世界を数多く見てきました。

 

危機管理コンサルタント  
丸谷元人(まるたにはじめ)

   世界の危険地帯を渡り歩き、危機管理・テロ対策現場の第一線で活躍するプロフェッショナル。オーストラリア国立大学卒業後、オーストラリア国立戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、長年、通訳翻訳業務に従事。その後、パプアニューギニア、ナイジェリア、中東など、毎週のように誘拐や人殺しがあるような治安が悪い地域での企業の事業展開支援・危機管理業務を数多く請け負ってきた。時には自ら防弾車に乗り、銃を片手に現地部族との交渉・要人の警護の業務を行なった経歴を持つ。自らのネットワークを活用して独自の情報を集め、安全対策・政治経済の動向など幅広く分析を行う。
 現在は、危機管理コンサルタントとしてグローバル外資系企業を中心に活動
しつつ、自身の運営する「月刊インテリジェンスレポート」にて国際情勢の最新分析を発信している。

 

免疫が弱ったりすると  丸谷元人


 「丸谷先生は、 九死に一生の体験を したことがありますか?」と聞かれることがあります。答えは「Yes」。海外の危険地帯をめぐる中で何度も死にかけてきました。ただ、多くの人の想像と違うことがあります。実は1番怖かったのは、銃で撃たれることでも、拉致されて拷問されることでもありません。実際、私がこれまでで一番死を意識したのは「病」のときです。
 南洋諸島で活動している頃、 熱帯性潰瘍とか、デング熱も含めてありとあら
ゆる熱帯病に感染しました。10回以上マラリアになりましたし、一番致死率が高いというのも含めて様々な病を経験していて、最後は自分の尿が墨汁のようにまっ黒になってしまったこともありました。

 人間だったら、相手もいることだし何とか抵抗の余地があるのですけれども、
病気はそういう訳にはいきません。マラリアで気を失ったことは何回もありますし、錯乱しかけたこともありました。ひどいときはもう本当に垂れ流しの状態で3回ぐらいは病気で死にかけています。「よく今まで生きてきたな」と自分のことながら思います。 
 免疫がしっかりしているときはこのような病気にかからないですけれども、
少し免疫が弱ったりすると、一発でかかってしまうのです。特に私の記憶に残っているのは部下の現地人と共にパプアニューギニアのオーエンスタンレー山脈を歩いていたときのことです。あれは、本当に不思議で、そして死を意識した体験でした…
 そこは日本軍と連合軍が悲惨な激闘を繰り広げた地…日本軍がポートモレスビーまで100キロの道のりを戦っていった場所ですけれども、500メートル登って400メートル下がって600メートル上って 500メートル下がってみたいな、こういう峠の繰り返しなのです。高低差のある100キロの道のりを3日間で強行するので朝の5時から夜の7時まで歩きます。さらに季節は雨季で大雨が降っていて、ものすごい泥道を歩きました。当然、泥の中に足がはまります。それを抜くのを繰り返していたら、足の筋を痛めて歩けなくなってしまったのです。仲間の現地人の背中におんぶしてもらって、その長い泥地帯を抜けられたのですが「日本の兵隊さんもこうやって現地人に助けてもらったんだな」いう追体験になりました。その後、足の様子を見るため休憩をすることにしたのですがすると、何やら森の向こうから人の声が、ザワザワと聞こえてくるのです。

 明らかに何かがおかしい…途中に村などは何もないし、こんな人里離れたところに、人などいるわけがないからです。すると、一つ気づいたのが、この場所は大戦中に野戦病院があった場所…多くの日本兵が亡くなっている場所ということでした。
その後、すっかり日も落ちてしまい、ご飯を食べながら、私たちは怖くなって
しまいました。大雨が降りしきる中、とりあえず、電気だけはつけたままにしようと…恐怖に気を取られていた私は、そこでふと、気づきます。1匹の蚊が私の腕にいるのです。「やられた…!!」そう思った時には遅く、私は、その1匹に噛まれてしまいました。刺されたのはその一発だけなのですが、完全にこちらは疲労困憊しているわけです。普段、街とかちょっとしたところにいるときは、マラリア蚊に刺されても平気なぐらいになっていたのですが、完全に疲労困憊している時にやられたので、それからちょうど1週間後、ポートモレスビーに帰った時に、マラリアの症状がボーンと出て倒れてしまいました。高熱で意識を失い、生死を彷徨っていました。がどうすることもできません。命からがら現地の方に助けられなんとか一命をとりとめることができました……。

危機管理コンサルタント  丸谷元人(まるたにはじめ)
 世界の危険地帯を渡り歩き、危機管理・テロ対策現場の第一線で活躍するプロフェッショナル。オーストラリア国立大学卒業後、オーストラリア国立戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、長年、通訳翻訳業務に従事。
 その後、パプアニューギニア、ナイジェリア、中東など、毎週のように誘拐や人殺しがあるような治安が悪い地域での企業の事業展開支援・危機管理業務を数多く請け負ってきた。時には自ら防弾車に乗り、銃を片手に現地部族との交渉・要人の警護の業務を行なった経歴を持つ。自らのネットワークを活用して独自の情報を集め、安全対策・政治経済の動向など幅広く分析を行う。現在は、危機管理コンサルタントとしてグローバル外資系企業を中心に活動しつつ、自身の運営する「月刊インテリジェンスレポート」にて国際情勢の最新分析を発信している。


唯一信じられるもの  丸谷元人

 私が譲れないものがあるとしたら、「何人だから善い人だ。悪い人だ」ということはないです。どこの国の人でも、腹を割って話し合えば、絶対に理解し合えます。
 例えば、相手がネオナチだろうが何だろうが、人種差別主義者であろうが、
関係ありません。私なんかオーストラリアで人種差別主義者にたくさん会いましたし、殴り合いもしました。しかし、最後は結構仲良くなるのです。
 韓国人
とはよくやり合いましたけれども、みんな仲良くなってしまって、ナイジェリアである時に、土曜日の夜の仕事終わりに、韓国人と日本人何人かで飲んでいました。そうしたら、1 人が酔っ払い始めて、竹島の話をし始めたのです。それで、「おまえらは俺たちのおばあちゃんのことをレイプしやがって」みたいなことも言い始めたのです。竹島と、それからいわゆる慰安婦問題です。
 その
場にいた日本人はみんな黙っていたわけですが、韓国人も「まあ、まあ」と言っているわけです。それで、日本人に叫びかけるのだけれども、みんな知らん顔しているのです。大体そこでみんな黙っているから、「こういう時に言わなきゃいけないだろ」と思って、言ったのです。「だってな、おまえのおばあちゃんを 俺はレイプなんかした覚えはねえ。そうしたら おまえは、もしかして俺の孫か? このやろう」 みたいな話を言ってしまったのです。向こうもカーッと怒って、それでその時にガーッと言って、韓国語混じりでよく分からないし、しかも「独島が何だ」とか、「竹島が何と」と言うから立ち上がると韓国人は「まあまあ座れ」と言うのですけれども、向こうがいきり立ってワーッとなるではないですか。 それで、その時に周りの日本人も「丸谷さん、やめた方がいいよ」と言うのですけれども、「いや、こういう時は言わなきゃいけないんですよ」「俺とおまえが、 ここで竹島を巡って殴り合いをして、竹島が返ってくるんだったら、俺はいくらでもやってやるよ」と言いました。
そこで 2 人でケンカして、「アフリカのこんなへき地で、同じような東洋
から来たわれわれが 殴り合いのケンカをして、それで解決すると思うか?」という話になったのです。 
 それで、「もう少し深い話をしようか。おまえと
俺でケンカしてもしょうがないけど、言いたいことあるなら言え」と言って、「まあまあ」と止められたのですけれども、わざわざ向こうのテーブルに回って、韓国人と2 人でとことん飲んだのです。そうしたら翌日、向こうが部屋に来て、「昨日はすいませんでした。良かったら一緒にジム行きませんか?」みたいな話になって、結局仲良くなってしまったのです。 
  結局、向こうも言いたいのです。彼らも、そういった教育を受けているから、日本人に対して知らないけれども、知らない分うっぷんもあるし、何
かいつも日本人は自分たちのことを見下してるんじゃないか」みたいな気持ちもあるから、ケンカをしたいのです。ですから、私はいつもケンカしたふりをして、言いたいこと言わせてやって、「でもな」と話をするので。 昔からよく言っていたのですけれども、韓国人がワーッと言ってくると、「でもな、言いたいことがある。ケンカしてもいいけど、俺とおまえと、日本と韓国、チャイナもだけど、ケンカすることによって 誰が得してると思う? 私たち東洋人をケンカさせて、喜んでそこから利を得ようとしてるやつがほかにいるんだぞ?それが分かんないのか」という話を常にしていました。 
きちんと時間をかけて、論理的にしっかりと、しかも我慢強く話せば、分か
り合えないことはないと、それだけは間違いないです。 しかし、みんなその作業をやらないで、なおかつメディアという、これは大手マスコミがそうですけれども、非常に意図的な、恣意的な、一方的な情報を流して対立を煽ります。それが、この世のがんの 1 つだなと、私は思っています。そうでなかったら、私たち個人的には相手は何人であろうが、対立するとか、ケンカする理由がないのです。
 ロシア人とウクライナ人がケンカするのは、別にわれわれに
は関係ないけれども、個人的に見れば、ウクライナの人々は、それはものすごくかわいそうです。一方で、この過去 8 年間、ウクライナ軍とかネオナチみたいなやつらに殺されてきた東部 ウクライナのロシア語話者の住民だって、同じ人間ですから、それはかわいそうです。しかし、「なぜウクライナ系の人たちだけがかわいそうで、 東部ウクライナの人たちの話は 話題にもならないのですか?」という話です。 「それはおかしいだろう」と、私は言っているだけであって、どちらとも友達になれると思います。
 私が送り込んだ調査要員も、ウクライナ人にすごく良くしてもらいましたか
ら、分かり合えないことは絶対にないです。 ただ、そこに政治だ、金だ、権力だ、無知だ、支配欲だと、そういったものが絡んでくるから、おかしくなってしまうのです。ですから私は、人間というものに関して、根本的には愛想を尽かしていますけれども、最後にどこかで信じています。それはあります。どんなに悪い人でも、話し合えば 99%は分かり合えるのです。

<著者紹介>
危機管理コンサルタント  丸谷元人(まるたにはじめ)

 世界の危険地帯を渡り歩き、危機管理・テロ対策現場の第一線で活躍するプ
ロフェッショナル。オーストラリア国立大学卒業後、オーストラリア国立戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、長年、通訳翻訳業務に従事。
 その後、パプアニューギニア、ナイジェリア、中東など、毎週のように誘拐
や人殺しがあるような治安が悪い地域での企業の事業展開支援・危機管理業務を数多く請け負ってきた。時には自ら防弾車に乗り、銃を片手に現地部族との交渉・要人の警護の業務を行なった経歴を持つ。自らのネットワークを活用して独自の情報を集め、安全対策・政治経済の動向など幅広く分析を行う。現在は、危機管理コンサルタントとしてグローバル外資系企業を中心に活動しつつ、自身の運営する「月刊インテリジェンスレポート」にて国際情勢の最新分析を発信している。

グローバリスト・国際金融資本と中国、ロシアのホントの関係  北野幸伯

   こんにちは!北野幸伯です。皆さん、「中国を育てたのは、国際金融資本だ!」という話、聞いたことありますか? 
 なんか「トンデモ陰謀論」みたいに聞こえますね。実をいうとこれ、「トンデモ陰謀論」ではなく、本当の話なんです。
 ざっくりお話しします。1970年代初め、アメリカと中国は、共通の敵ソ連に対抗するため、「事実上の同盟関係」になりました。この「事実上の同盟関係」というのは、キッシンジャー大統領補佐官、後国務長官の言葉です。
 ところが、米中関係は、1980年代末から1990年代初め、危機的状況になりました。理由は二つ。一つは、1989年の天安門事件。これは、わかりますね。
 もう一つは、ソ連崩壊。なぜソ連が崩壊すると、米中関係がピンチになるのでしょうか? 米中は、「共通の敵ソ連に対抗するために」事実上の同盟を組んでいた。ところが、共通の敵ソ連が崩壊したので、同盟をつづける意味がなくなったのです。米中関係悪化。困ったのは、アメリカではなく中国でした。中国は、まだまだアメリカの資金と技術を必要としていたからです。
 中国は、どうしたのでしょうか? 国際金融資本、グローバリストと組んだのです。どういう話でしょうか?
 中国は1990年初め当時、世界一の人口を抱えながら非常に貧しかった。つまり、「世界一巨大なノビシロ」があった。中国は、国際金融資本、グローバリストに、「投資すれば必ずもうかりますよ!」と持ちかけました。そして、実際国際金融資本、グローバリストは、中国投資で莫大な利益を上げつづけたのです。
 結果、国際金融資本、グローバリストの投資によって、中国経済はどんどん成長し、近代化が進んでいきました。だから、「国際金融資本、グローバリストが中国を育てた」というのは事実です。

国際関係アナリスト  北野幸伯

 「卒業生の半分は外交官、半分はKGBに」と言われたエリート大学:ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学を日本人として初めて卒業。その後、カルムイキヤ共和国の大統領顧問に就任。大国を動かす支配者層の目線から世界の大局を読むことで、数々の予測を的中。自身のメルマガは、ロシアに進出するほとんどの日系大手企業、金融機関、政府機関のエリート層から支持されている。

中国の軍隊は本当に強いのか   林建良

中国軍の独自制度「銃弾分離」とは?
 中国が台湾に手を出す場合、実は非常に危険なことが1つあります。今の中国の軍内部の事情についてはほとんど周りに知られていませんが、中国は軍のシステムとして武器と弾薬は別々のところに保管しているということです。つまり大砲を持っている部隊は砲弾を持っていないということなのです。
 なぜこの2つを一緒に置いてはいけないかというと、大砲と砲弾を一緒に持つと兵士が反乱を起こすかもしれないからです。では、大砲は何のための大砲なのか? それは、見せ物です。見せるための大砲なのです。
 例えば中国ではどんな軍事基地であろうが、政府機関であろうが、ガードマンが銃を持って立っています。その銃の中には絶対に弾が入っていません。弾は別のところにあって、別の人間が管理しているのです。これは中国の独特な制度で、「銃弾分離」と言います。

 軍隊の反乱に怯える中国政府
 そして、もし実際に戦争になると、この制度は意味をなさなくなります。そのときに最も恐怖に脅えるのは、実は政権当局です。軍が銃を持ち、大砲を持ち、砲弾を持てば、兵士たちが言うことを聞かなくなってしまう可能性があるからです。だから開戦の直前になるまで、中国政府は砲弾や弾薬をおそらく補給しないと思います。
 さらに、反乱を起こされるのが怖いわけですから、中国軍では軍事演習はたまにしかやりません。演習になると実際に砲弾を使うわけですから、指導者にとっては怖いのです。実際の戦争では、ギリギリまで弾薬が支給されない、しかも、普段の軍事演習では実弾を使った訓練ができていない。こんな軍隊が、果たして実戦で戦えるでしょうか?

 兵器を売り払う最強の"汚職軍隊"
 さらに、中国での演習は兵士たちの金儲けの手段になっているという側面もあります。なぜ金儲けになるのか? 一つだけ例を挙げますと、演習する際には戦車などの燃料として必ずガソリンを使います。すると、ずる賢い兵士は、演習では戦車を使わないで、「戦車を◯回使用して、ガソリンを◯リットル消耗した」と上に報告します。実際はそれを使わずに、ガソリンを密売するわけです。これが軍の金儲けの一例です。
 それだけではなく、銃弾分離の制度があるため、中国軍では実弾はたまにしか撃ちません。保管する人たちのなかには、例えば大砲の部品をバラしてクズ鉄として売ってしまうとか、金になる部品を売ってしまうとか、とにかく密売をするわけです。ですから大砲のほとんどが使い物にならない可能性があります。砲弾も同じです。あるいは拳銃や弾も密売します。もし戦争になるとすれば、そのときにどのぐらいの砲弾が残っているのか、帳簿に記録されている砲弾数と倉庫に保管されている砲弾数が合っているのかどうかを点検するために、上の人間が視察に訪れます。しかし中国ではこのような倉庫視察の際に、必ず火災が起きるわけです。「火災で燃えてしまったから、点検してもしょうがないよ」とお茶を濁すわけです。
 ですから中国軍の腐敗体質を勘案すれば、果たして倉庫には弾薬があるのか
どうかすら疑わしいのです。

 中国軍が必ず反乱を起こすワケ
 中国はそのぐらいの腐敗体質です。中国軍では階級が上にいくほど、演習するたびに一儲けします。どんな武器でも金になり、拳銃などはそっくりそのまま売れます。その金を上のランクの人たちがみんなで山分けをしているわけです。ですから中国の軍事予算は毎年伸びていますが、この予算が多ければ多いほどいいんです。
 中国の軍事予算が多ければ多いほど、要するに中国の軍が腐敗体質にどっぷりと浸り、軍人が大儲けする。そして、中国の軍人が金持ちになればなるほど、
戦意は消え失せていきます。そんな裕福な人間が戦争になったときに果たして戦うでしょうか? 戦争をしなければ、これらの実態は明らかにされません。ところがいざ戦争となれば、上の人間が視察に訪れるから隠せなくなるわけです。
そのとき軍人からすれば、台湾軍と戦うよりも、自分の上司に拳銃を向けたほうが安全ではないでしょうか?
 彼らは、自分の持っている武器が実は戦場では使い物にならないことを知っています。戦場に駆り出されると死ぬかもしれない。そうであれば、残っている武器で反乱を起こしたほうが自分の身の安全のためになると考えてもおかしくない。だから上の人間の「さあ、戦争しなさい」という命令が、ある意味で「反乱しなさい」という命令になってしまう可能性があるのです。

林建良 台湾独立建国聯盟・日本本部委員長


  今朝(8/5)の読売新聞朝刊に寄れば、一面見出しで「中国『台湾封鎖』演習開始」などとあり、一般読者は怖くなるだろう。他の中国ウォッチャーなどからは、「ペロシ議長が台湾を出てからの事で、犬の遠吠えだ。空母二隻も出動したというが間に合わなかったし、準備した戦闘機も古い型のものだった。米軍に太刀打ちできなかっただろう。米国を恐れていることは明白だし、長く実践経験が無いので……」などと酷評されている。林建良氏の言われることを裏付けているとも言える。
 とにかく、日本も台湾も中国の脅しに負けてはならない。

 最近の中国共産党の、他国の人権を無視した『覇権主義』の様子を見て、「戦前の日本のようだ」と言われる人が居る。これは全く異なる。
 当時、アジアのインドをはじめとした諸国は、英仏・オランダ・スペイン・ポルトガルなどの植民地となっていた。東アジアにおける独立国は、日本・満州・中華民国(今の中国では無い)・タイの4か国のみであった。どの国もヨーロッパ諸国の搾取に苦しんでいた。白人が有色人種であるアジアを蔑ろにしていたのだ。
 日本はそういった様子を見て、植民地として喘いでいる状況を何とかしてあげたいと思った。もちろん、石油などの資源に乏しい日本は、アジア諸国の資源に食指を伸ばしたことも事実であろう。しかし、それはヨーロッパ諸国の植民地主義とは異なる。
 日本は、アジア諸国が植民地から解放されることを望んだ。アジア諸国を助けてあげたいと思った。それが、「大東亜共栄圏構想」であろう。
 
 大東亜戦争の緒戦、日本が米英に伍して戦う姿を見て、アジアの人々は大いに勇気を得た。その事実は、さまざまな形で今も残る。戦後、アジアの諸国が独立を果たしたことはご存知のとおりである。日本がきっかけをつくったことは間違い無い。
 戦後、GHQは先の戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことを禁じ、「太平洋戦争」と言わせた。『憲法』を押し付けられたことと同じ理屈だ。その名残で、現在も「大東亜戦争」という呼び方をすると、『戦争賛美』に結びつけようとする一派が国内に居る事は残念の一語だ。そういう訳で、私は気にせず「大東亜戦争」と呼ぶ。
 私は「自主憲法を一刻も早く」と願う一人だ。申し上げて置くが、「戦前の事がすべて正しい」などとはまったく思っていない。
 あくまでも、是々非々の立場である。

令和4年8月5日
谷口利広



ウクライナ戦争の情勢  藤井厳喜

 ウクライナ戦争ですが、残念ながら、現在の情勢はロシアに非常に有利に傾いています。その理由は、いくつかありますが、その中から3つ取り上げようと思います。

 ①ジョンソン首相辞任と英国崩壊の危機
 まずは、イギリスのジョンソン首相の辞任です。イギリスは、一番ロシアを挑発して扇動し戦争を起こす側に立ち、侵攻後は、ウクライナを一番熱心に応援していました。
 ウクライナを応援する政策をとってきた本人が辞めてしまうので、ウクライナにとっては不利な状況です。そして、保守党の党首が変わるだけであればまだ良かったのですが、今、イギリスという“連合王国”が解体されるような状態になっています。イギリス連合王国の解体とは、一体どういうことか? 1つは、北アイルランドが、イギリスから離れたアイルランド共和国と一体になりそうな勢いであること。

 もう1つは、スコットランドがいよいよ独立しそうなのです。これは、来年の秋に独立の住民投票がもう一度行われます。過去には否決されましたが、今回は可決されそうなのです。すると、連合していた王国から、スコットランドが独立。北アイルランドはアイルランド共和国と一体になってしまえば、イングランドとウェールズだけが残ります。つまり、Great BritainならぬSmall Britainになってしまうという、今、英国が解体プロセスに入ったこと。自身を応援してくれていた国が崩壊の危機に陥っていることも、ウクライナにとっては不利です。

 ②ウクライナ政府の内部崩壊
 2つ目は、ウクライナ政府が内部崩壊を起こしそうな状況であることです。7/17、ウクライナのゼレンスキー大統領がベネディクトワ検事総長とバカノフ保安局長官、この2人を解任すると発表しました。解任理由は、2人の所属する保安局と検事局の中に、ウクライナの国家公務員でありながらロシア側に協力した職員がたくさんいるからだそうです。そして、ロシアに寝返った職員を捜査している案件は651件もあるとゼレンスキー大統領自身が発表しています。
 要するに、国家の中枢部に敵のスパイ工作員がたくさん入り込んでしまっているのです。

 ③米大使館の退去警告
 3つ目は、 7/14、ウクライナにある米大使館がウクライナにいる全ての米国民に即座に国外退去するよう促したことです。これは、今後、ウクライナ領土内での戦争が激しくなって、今安全な土地もロシア軍の攻撃を受けるかもしれない。あたかも、ウクライナ軍が総崩れになる可能性がある、と示唆する発表です。
 これは、ウクライナにとって非常に良くない状況だということだと思います。
 ゼレンスキー大統領は一生懸命に愛国心を鼓舞して、領土的妥協のような案は受け入れないと言っていますが、この状況では、その頑張りがいつまで続くのかは分からないでしょう。

国際政治学者:藤井厳喜


中国移民が大量に押し寄せる国   藤井厳喜

 いよいよチャイナという巨大帝国のバブル崩壊の影響が見えつつありますが、追い込まれて困った時、中国共産党、習近平は何をするでしょうか?  
 普通の国では考えられない手段に出るでしょう。大きく4つの可能性が考えられます。
 まず、バブル崩壊の影響が本格化してくると中国共産党には伝家の宝刀があります。政治力・経済力を行使して問題が表面化する前に、他の問題に転化させるのです。国民の不満が表面化しないようにします。しかし、それでも抑えきれない問題が経済面で出てきます。それが「失業者」です。バブル崩壊の影響が出てくると、失業者が溢れます。そのまま放っておくと、社会不安になります。

 今、中国では、年間数万件の暴動が起きているのです。そこで、習近平がするのが、経済難民の”意図的な”流出。海外に、意図的に移民・難民として送り出すのです。ターゲットになるのは、力の弱い国でアフリカの方に大量に出しています。東南アジアの国も弱いので、マレーシアには100万人規模の新しい新華僑を送り込んでいます。ラテンアメリカのチリやアルゼンチン、ブラジルでもそうです。世界各地に中華街ができています。そして、地理的に近い日本は決して他人事ではありません。大挙して経済難民がやって来るでしょう。共産党が意図して流出させるのです。
 彼らは、恐ろしい破壊力をもって各国を経済的に侵略していくでしょう。

 国際政治学者・藤井厳喜

世界から尊崇の念を

 あなたは、日本の皇室が世界中からどれだけ敬意を払われているのか知っているだろうか。2012年の、英国におけるエリザベス女王即位60周年を祝う行事では、日本の天皇陛下の席が、エリザベス女王の左席に用意されていた。つまり、栄誉ある席に、欧州の王室を差し置く形で、アジアから招待された天皇陛下が選ばれたのである。

 他にも、昭和天皇の「大喪の礼」には、世界164カ国、ECおよび27の国際機関の元首などが参列した。その参列者のレベルは史上例のないものだった。国家行事として喪に服した国はインド、パキスタン、バングラデシュなど34カ国にも及んだ。

 日本の皇室がこれだけ世界から尊敬を集め、慕われているにもかかわらず、日本人の多くは、皇室の権威の大きさを知らない。なぜ日本人の多くは、皇室の権威の大きさを知らないのだろうか。それは大東亜戦争後、アメリカによって意図的に消されてきたからだ。

 今、日本では、「皇室なんて、必要ではない」「皇室に税金を使うな」と言ってしまう人がいる。本当に日本に皇室が必要ないのだろうか。ここまで、読んで頂いた読者諸氏にはもうご理解いただけたように、日本の皇室は世界でも例を見ない歴史と伝統を誇り、他国が羨ましく思って止まない存在なのだ。世界中の国々が羨む皇室をなぜこのように批判するのだろうか。それは、現代の日本人が皇室に対して、あまりにも無知だからである。

 戦後の日本人は、天皇陛下について学校で習っていない。それは、アメリカが教育改革という名の下に、天皇陛下についての教育を禁止したからだ。天皇陛下を中心とした日本の強さを恐れたアメリカは、日本が二度とアメリカの脅威とならないように、日本人から「天皇」に関する知識と理解を奪ったのである。

   皇統の歴史を学ぶ

 なぜ、アメリカは皇室に関する知識を日本人から奪ったのか。それは、天皇を中心とした戦前の日本はあまりに強かったからだ。

・強い愛国心
・国家に対する滅私奉公の精神
・日本人としての誇り

 アメリカはそのような日本の強さを恐れていたのだ。その得体のしれない日本
の強さの根源は「天皇」であるとして、アメリカは日本人と皇室との繋がりを断ったのである。そのせいで私たち日本人は、自国の成り立ちも、日本の一番の誇りである皇室のことも、日本は天皇を中心として国家の安寧を保ってきたことも、全て忘れてしまったのである。

 それにもかかわらず、自分は日本人なのだと胸を張ることができるだろうか。日本の一番の誇りである皇室について、何も分からないままで良いのか。自分たちの子供に、「天皇陛下とはなにか」と聞かれても、答えられないままで良いのか。それは、日本人として恥ずかしいことではないだろうか。
 
 そこにつけ入るかのように、日本の天皇陛下が邪魔で邪魔で仕方がないと思っている中国共産党が、皇統断絶のための工作を仕掛けているのか、皇室の周りで不穏な動きが頻発している。中国のように、世界では国家を乗っ取るため、王室を狙うことは当たり前のことだった。世界の王室の歴史を見ても、スペイン王の座をフランス人が奪ったり、イギリス王の座をドイツ人が奪ったりと王室は常に標的とされていたのだ。しかし、国民の多くは皇室についての正しい知識を持っていないので、知らないうちにそうした動きを後押ししてしまい、自ら自国の中心である皇統の断絶を支援してしまっている例すらあるのだ。
 
 このままでは、私たちの祖先が命をかけて2000年以上に渡って連綿と受け継いできた世界最古の日本の皇統を、私たちの代で消滅させてしまう可能性すらある。それだけではなく、最悪の場合、先人たちから受け継いだ日本の皇統を中国に乗っ取られてしまうかもしれない。そんな最悪の事態は防がなければならない。

 そのような、皇室の存続が危ぶまれる今だからこそ、日本が守り続けてきた神話と、日本とは違った歴史を歩んだ世界の皇室の視点から、学校や教科書が教えない、アメリカがなんとしてもでも日本人の記憶から消し去りたかった皇統の歴史を学ぶことが求められているのである。




 この一文は、(株) 経営科学出版編集部が作成したものを元に、谷口の責任において加筆したものである。


真の美の姿   田中英道

 「仏像といえば、インドも中国も朝鮮も日本も みんな同じように思っている人が多いのですが、それはとんでもない話です。
 日本には、仏師と呼ばれる仏像を作る職人がおり 仏教をよく知った工人が仏像を作ることは当たり前のことでした。 飛鳥時代に活躍した「止利仏師」が代表するように、彼らは古代から尊敬され、社会的にも高い地位を得て日本に数々の高貴な仏像を残していきました。
 しかし、実をいえば中国にも、朝鮮にも「仏師」という言葉はありません。仏教を深くは知らない工人などが片手間に作っていた、といっていいでしょう。この特殊性は非常に重要なことであり、我が国の仏像と、朝鮮や中国、インドの 仏像とを比較すると、一目瞭然です。

 日本の仏像は、非常に作りが精巧であり技術も非常に高いのです。例えば、皆さんがよく知っている東大寺にある日光・月光菩薩は本当に素晴らしく、インドや、朝鮮・中国、さらに古代ギリシャでも到達することのできなかった“真の美の姿”が表されています。
 
 その姿が世界的に評価されたのが、「モナ・リザ」ですが、日本の仏像は「モナ・リザ」よりも早くに“真の美の姿”を達成することができたのです」

東北大学名誉教授  田中英道

安心の一言

 三生連の会務についてはさまざまな業務があり、それぞれに重要だ。その中でも会計業務は煩雑であり、大変な仕事であると思っている。いい加減な性格の私などには、とても務まらない。

 当然のことだが、会計業務は会長が兼務してはならない。出来る事ならば、副会長も兼務しないのが望ましい。三生連では、現在のところ理事の中で会計を担っていただける方がなく、致し方なく西村副会長(女性部長・夕陽ケ丘支部長代行)が担当している。氏は持病で足腰が不自由だが、てきぱきと激務をこなされる。大した方である。そして、恒川副会長にも会計業務をサポートして貰っている。両副会長に大きな負担をお掛けしている現状がある。
 お二人の仕事ぶりは素早く、適切、的確であり、安心してお任せできる。

 また、他の役員・顧問もきちんと役務を果たされており、これまた「安心」の一言である。実に有難いことである。

中国共産党は天皇陛下を政治的に利用した

 中国共産党が「昭和天皇抹殺計画」を企んでいたということを知っているだろうか? 一体どういうことなのか? 

 それは、昭和47年に発見された「日本解放工作」という、日本侵略計画を記した極秘文書に書かれていた内容である。その文書には、日本解体計画の『第三期目標』が「天皇制の廃止」とされ、昭和天皇の処刑が最終目標であると書かれていたのだ。
 中国共産党が日本の天皇陛下を狙ったのはこれだけにとどまらず、昭和天皇が崩御され平成になってすぐにも、次のような事件を起こしている。あの「天安門事件」である。

 天安門事件とは、中国共産党政府が政府批判のデモ活動で広場に集まった市民を弾圧するために、戦車で轢き殺した事件である。
 死傷者数は数百とも数千とも言われる。中共は事件後、弾圧に寄り「天安門事件」を闇の中に葬っている。この事件により、多くの国は「中国のような酷い国とは付き合ってはいけない」と中国との交流や経済取引・援助などを全面的に中断した。 当然の事だ。
 世界中から総スカンを喰らい、中国共産党最大のピンチが続いた。
 そこで、この状況を解決するために中国が目をつけたのは、日本の天皇陛下だったのだ。日本政府を騙し、天皇陛下を呼び寄せて日中友好を強調しようという策略を立てたのである。でもなぜ天皇陛下を中国に招くことが打開策になったのだろうか。

 平成4年宮沢内閣のとき、日本で異論の声が渦巻く中、天皇陛下の訪中が実現した。明らかに、宮沢内閣は騙されたのである。欧米各国はこれを見て、日中友好化により日本だけが中国の市場を独占することを恐れ、掌を返すように中国への制裁を中止した。まさに中国の思い通りに事が進んだのだ。
 
 このように、中国は天皇陛下を政治的に利用した。そしてこれは過去の話ではなく、現在でも続いている。中国は戦後、日本を弱体化させる方法として「皇室と神社を日本人から隔離すべし」という革命戦略の実行を画策していたことが明らかになっている。最近でも、不審な中国人男性が、およそ1時間にわたって皇居に侵入しスパイ活動を行なっていたという話もある。

 しかし、私たち日本人は、天皇陛下がそれほど日本の安全保障に関わる存在だということを知らない。中国が日本を侵略するために天皇陛下を利用しようとしていたことも、天皇陛下の存在が日本の安寧を守ってきたということも、知らない人があまりにも多い。そればかりか、愛子さまを「クソガキ」と呼ぶ皇宮警察官が存在していたり、「なぜ皇室なんてあるのかが分からない」「皇室を廃止すべきだ」などという無知無毛の日本人が居たりする。

 自民党の中にも、「親中」「媚中」の政治家の少なくない中、今のままでは私たちが知らない間に中国に利用され、知らない間に日本のである皇室を破壊されてしまうかもしれない。そうならないためにも、GHQによって一度は消し去られてしまった「皇室の歴史」を真摯に学ばなければならないと思うのである。
 日本人の一人ひとりが、目覚めなければならない。

この一文は、(株) 経営科学出版 編集部が記したものを元に、谷口が加筆したものである。

チャイナの成長はもう終わった  藤井厳喜

  私がなぜ、これほどまでにチャイナ経済の崩壊について警鐘を鳴らしているかというと、経済崩壊の過程が特殊だからです。チャイナバブルの崩壊シナリオは、普通の国のバブル崩壊とは全然違うのです。アメリカ・日本・ヨーロッパのバブル崩壊と同じパターンだなと思っていると痛い目に遭います。
 ビジネスでも、投資でも判断を大きく間違えるでしょう。日本人の中には、いまだにチャイナの経済が良かった時代のことを信じていて、この先もずっと、それが続くんだと思っている人がいるわけです。何度も申し上げますが、それは大変な間違いです。
 「チャイナ企業にもっと 投資すれば儲かるんじゃないか」「上海ロックダウンをやったけど、これは一時的なもので、元に戻れば また成長する時代が来るんじゃないか」そう思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、もう完全に潮目が変わったわけです。これは、例えるならそれまでの道路が右側通行だったのに、ある日突然、左側通行に変わってしまったような歴史的な転換です。

 チャイナの成長はもう終わったのです。

 

国際政治学者:藤井厳喜

日本はどれくらいロシアに投資してた?  藤井厳喜

 ロシアと共同開発を進め、日本企業も投資していた石油・ガス複合開発事業、サハリン2。そのサハリン2の運営会社:「サハリンエネルギー」は、以下の4社が出資しています。
・ロシア国営会社のガスプロム
・イギリスのシェル社
・三井物産
・三菱商事

 しかし、設立してからどれくらいお金を投資してきたのか?という話はあまり出てきていません。今年のロイターの3月4日の記事でも、正確な数値は出ていませんが、三菱商事は2,000億円単位 三井物産も2,500億円単位ではないかと言われています。

 総額4,500億円が一瞬でゼロ価値に……
 では今回の一件で、「サハリンエネルギー」はどうなってしまうのか? 日本経済新聞も言っていませんが、はっきり言うと、完全に会社を乗っ取られたわけです。ロシア政府によって接収されたと言っていいでしょう。今まで民間ビジネスをやっていましたけど、この企業は全て国のものになりました。え? と言われても国が決定したことなので逆らえません。日本はロシアに対して経済制裁をやっているのだから、報復として、国家の命令でこのお金を全て接収しますと言われて取られてしまいました。
 だから今までは株の価値が2,000億円、2,500億円あったけど、価値はゼロになったわけです。三菱商事は2,000億円、三井物産は2,500億円、最低取られたことになります。そこに注ぎ込んできたお金は全部無駄だったと、博打で擦ったのと同じです。
 それも日本人のお金です。もちろん今まで、儲けてきた分もあると思います。天然ガスが毎年1,000万トン取れまして、そのうち600万トンを日本向けに輸出する権利も持っていたのです。日本の液化天然ガス輸入の10%近くはここから来ていました。
 安定供給できて、毎年利益が上がるわけですから、それによって三井物産も三菱商事も利益を得ていたでしょうし、2,000億円、2,500億円全て損したとは言えません。しかし、とても初期に投資したお金を全て回収できるほど儲けていなかったでしょう。こういう危険があると思ってください。
 
 イギリスと日本、対応の違い
 一方、イギリスのシェルは2月末には撤退方針を明らかにしていました。これは戦争が起きた途端に維持できないと判断したからです。もちろん、ただ撤退するだけではお金を回収できないので、インドのエネルギー企業連合に権益(株券の分)を売却する交渉を進めているそうです。インドの企業は僅かな額でもシェルから株券を買えば、そこで自分の国に輸入できる権利も出てくるということでしょう。

 日本も、ロシア経済制裁を始めた時にこうなることは予測できたわけです。しかし、それを粘って天然ガス輸入は大事だから最後まで諦めないと言っていました。諦めないと言っても、プーチンがこれを取ると決めたら取られてしまいます。だから今更文句を言っても何も変わりません。モスクワの仲裁裁判所に申し込んでも、向こうの司法で対応するのですから、どうしようもありません。三井物産も、三菱商事も、企業としては大損することになってしまいます。これが厳しい世界の常識であり現実です。

 サハリン2から日本人が学ぶこと
 これはロシアだけではなく、チャイナ投資も同じことではないでしょうか。何百億円投じて作った最新鋭の自動車工場でも様々なハイテク企業の製造工場でも、チャイナで中国共産党政府が接収すると言えばおしまいです。「我が国に反抗した企業である」とか、「スパイ行為を働いた」とか難癖をつけられて、当然そういった行為をしていなくても通用しません。
 初めはチャイナの方から来てほしい、工場作ってほしいなどと三拝九拝していました。しかし、向こうの立場が優位になってしまい、「これを接収します。 チャイナの国内法に従って合法です」と言われたら、日本企業はどうしようもありません。

 私はそのうち全部取られると思います。その時は人質も取れてしまうわけです。向こうにいる駐在員とかその家族もいますが、その人たちも命があって帰って来られるだけでもいいだろうということになると思います。そうなった時に生きて帰って来れるのか、安全に帰って来れるのかも分かりません。せめて家族だけでも早く帰しておいた方がいいと、私はずっと言い続けているんですけど、いつ何をされてもおかしくありません。

 チャイナの方がもっとロシアより怖いです。日本に対して直接領土を取ると主張しています。そういう国と安心して経済上のお付き合いはできないのではないでしょうか。

国際政治学者:藤井厳喜


日本はどれくらいロシアに投資してた?  藤井厳喜

 ロシアと共同開発を進め、日本企業も投資していた石油・ガス複合開発事業、サハリン2。そのサハリン2の運営会社:「サハリンエネルギー」は、以下の4社が出資しています。
・ロシア国営会社のガスプロム
・イギリスのシェル社
・三井物産
・三菱商事

 しかし、設立してからどれくらいお金を投資してきたのか?という話はあまり出てきていません。今年のロイターの3月4日の記事でも、正確な数値は出ていませんが、三菱商事は2,000億円単位 三井物産も2,500億円単位ではないかと言われています。

 総額4,500億円が一瞬でゼロ価値に……
 では今回の一件で、「サハリンエネルギー」はどうなってしまうのか? 日本経済新聞も言っていませんが、はっきり言うと、完全に会社を乗っ取られたわけです。ロシア政府によって接収されたと言っていいでしょう。今まで民間ビジネスをやっていましたけど、この企業は全て国のものになりました。え? と言われても国が決定したことなので逆らえません。日本はロシアに対して経済制裁をやっているのだから、報復として、国家の命令でこのお金を全て接収しますと言われて取られてしまいました。
 だから今までは株の価値が2,000億円、2,500億円あったけど、価値はゼロになったわけです。三菱商事は2,000億円、三井物産は2,500億円、最低取られたことになります。そこに注ぎ込んできたお金は全部無駄だったと、博打で擦ったのと同じです。
 それも日本人のお金です。もちろん今まで、儲けてきた分もあると思います。天然ガスが毎年1,000万トン取れまして、そのうち600万トンを日本向けに輸出する権利も持っていたのです。日本の液化天然ガス輸入の10%近くはここから来ていました。
 安定供給できて、毎年利益が上がるわけですから、それによって三井物産も三菱商事も利益を得ていたでしょうし、2,000億円、2,500億円全て損したとは言えません。しかし、とても初期に投資したお金を全て回収できるほど儲けていなかったでしょう。こういう危険があると思ってください。
 
 イギリスと日本、対応の違い
 一方、イギリスのシェルは2月末には撤退方針を明らかにしていました。これは戦争が起きた途端に維持できないと判断したからです。もちろん、ただ撤退するだけではお金を回収できないので、インドのエネルギー企業連合に権益(株券の分)を売却する交渉を進めているそうです。インドの企業は僅かな額でもシェルから株券を買えば、そこで自分の国に輸入できる権利も出てくるということでしょう。

 日本も、ロシア経済制裁を始めた時にこうなることは予測できたわけです。しかし、それを粘って天然ガス輸入は大事だから最後まで諦めないと言っていました。諦めないと言っても、プーチンがこれを取ると決めたら取られてしまいます。だから今更文句を言っても何も変わりません。モスクワの仲裁裁判所に申し込んでも、向こうの司法で対応するのですから、どうしようもありません。三井物産も、三菱商事も、企業としては大損することになってしまいます。これが厳しい世界の常識であり現実です。

 サハリン2から日本人が学ぶこと
 これはロシアだけではなく、チャイナ投資も同じことではないでしょうか。何百億円投じて作った最新鋭の自動車工場でも様々なハイテク企業の製造工場でも、チャイナで中国共産党政府が接収すると言えばおしまいです。「我が国に反抗した企業である」とか、「スパイ行為を働いた」とか難癖をつけられて、当然そういった行為をしていなくても通用しません。
 初めはチャイナの方から来てほしい、工場作ってほしいなどと三拝九拝していました。しかし、向こうの立場が優位になってしまい、「これを接収します。 チャイナの国内法に従って合法です」と言われたら、日本企業はどうしようもありません。

 私はそのうち全部取られると思います。その時は人質も取れてしまうわけです。向こうにいる駐在員とかその家族もいますが、その人たちも命があって帰って来られるだけでもいいだろうということになると思います。そうなった時に生きて帰って来れるのか、安全に帰って来れるのかも分かりません。せめて家族だけでも早く帰しておいた方がいいと、私はずっと言い続けているんですけど、いつ何をされてもおかしくありません。

 チャイナの方がもっとロシアより怖いです。日本に対して直接領土を取ると主張しています。そういう国と安心して経済上のお付き合いはできないのではないでしょうか。

国際政治学者:藤井厳喜


世界の神話の中でも最も重要な記紀神話  田中英道

 和銅5(712)年に『古事記』が、養老4(720)年に『日本書紀』が完成します。戦後、この二書は『古事記』は天武天皇が天皇家の権力を、『日本書紀』は藤原家が摂政の権力を肯定するためにつくらせた偽書、あるいは捏造された歴史書だと批判され、無視されてきました。
 二書を否定する人たちは、代わりに中国で四世紀に書かれた『魏志倭人伝』を使って日本の古代を論じようとしました。ところが、今日では『古事記』の編者である太安万侶の墓が発見される一方、卑弥呼や邪馬台国はその存在自体が疑われています。
 この二書を比べると『古事記』では神代から推古天皇までの歴史が語られ、『日本書紀』は神代から持統天皇の時代までの歴史が書かれています。これ以降は『日本書紀』を第一の書として、六国史という形で国の歴史が年代別に書かれることになります。
 また、『古事記』には物語の割合が多く、『日本書紀』には事実が記述される傾向があります。とはいえ推古天皇以前の時代には記録自体が文字として残っていませんから、『日本書紀』にもフィクション的な書き方がされている部分は多くあります。
 そのため『日本書紀』も不正確であり歴史の史料に値しないといって、高天原の時代はもちろん神武天皇の存在も含めてフィクションだと否定する意見もあります。しかし、この二書は国家成立を目的として神話をつくったわけではありません。そこには外国の神話に共通するパターンがたくさん入っています。たとえば死んでしまった伊邪那美(イザナミ)に会うために黄泉の国に行った伊邪那岐(イザナギ)が伊邪那美の「振り返ってはいけない」という忠告を聞かずに振り返ったために怒り狂った伊邪那美に追いかけられたというエピソード、因幡の白兎の話、海幸彦・山幸彦の話などは、外国にある神話と非常によく似た要素が入っています。
 なぜそうなのかといえば、共通の神話のタイプをもつ民族あるいは人間の記憶が書き込まれていると考えられます。それは天皇家を高め、正当化するためにつくられたエピソードでも神話でもないのです。太古、世界の各地から日本にやってきた人たちのもっていたそれぞれの地域の神話の記憶が織り込まれているのです。

 私が日高見国の存在を唱えるのは、高天原という概念が宙に浮いたものとして、あるいは垂直方向にある天国の話としてつくられたフィクションであるという考え方を批判して、それが東国に住んでいた日本人の記憶の反映だと考えるからです。
 日本の神話は天津神と国津神を分けながらも結局、日高見国の記憶を反映したものなのです。そう見ていくと、神話と現実にある考古学的な発見が次々に合致していくことに気づきます。そういう新しい歴史は神話を読み解くことと同時に、そこにある種の物語性を含めていくことによってつくられます。だから、鹿島と香取、鹿島と鹿児島、東(アヅマ)と薩摩(サツマ)といった言葉の連想が現実の歴史の中に組み込まれているのです。
 『日本書紀』にはたくさんの注が入っています。「一書に曰く」(一説によれば)という形式で、場合によっては十も二十も注が出てきます。それは一つの出来事に対する人々の記憶がそれぞれ違うということを意味しますが、それらを比べていくと現実にあったと思われる歴史が透けて見えてきます。
 同時代に二つの歴史書ができたことは、この時代の知的レベルの高さ、歴史家の認識力の深さを感じさせるもので、多少の齟齬をあげてそれを否定するべきではありません。それどころか、世界の神話の中でももっとも重要な書として『古事記』と『日本書紀』を推薦したい気持ちでいっぱいです。

 田中英道
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。
 作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。


2022オレゴン世界陸上男子マラソン観戦記 北川 聖司

 米国オレゴン州ユージン7月17日午前6時、気温17.1℃、湿度61%夏のマラソンレースとしては絶好の気象条件、一周14㎞を3周する周回コースを参加選手62名によって競われる。日本からは、西山と星が出場、本来なら日本記録保持者の鈴木も出場するはずだったが、直前の新型コロナ検査の結果が陽性となり残念ながら欠場となった。

 スターターは、あの往年の名ランナー フランクショーターさんだった。雄姿が懐かしく思い出された。

 この気象条件であればスタートからハイペースで進んでいくと読んだが、5㎞、10㎞と平均3分8秒程のスローペースで進んだ。有力選手はいつものように、記録より勝負にかけているように思った。その分、後半驚異的なペースアップが予想された。日本選手二人が、どのように対応できるかが課題となるだろうと思った。

 序盤、アフリカ勢が前に出ず、集団の後方に構えているのが不気味であった。コースについては、国際大会には珍しく道幅が狭いのには驚いた。

 10〜15㎞では、1㎞3分を切るペースに上がり大集団も30人程に絞られた。有力選手が少しずつ前の方を窺って来た。日本選手は位置取りも良く、落ち着いて走っているように感じられた。15〜20㎞ではペースの上げ下げがあり、落ち着かないものとなった。特に

 18〜19㎞では2分52秒と急激にペースアップされ、星が集団から離れかけたが必死に堪えていた。前回金メダルのエチオピアのテシサが苦しそうな様子を見せ、連覇は難しそうな走りとなった。

 ハーフ(21.0975㎞)を、トップ集団が1時間4分8秒で通過。後半ペースアップされることを考慮すると、ゴールタイムは2時間7分台が予想された。これからアフリカ勢の揺さぶりが始まるだろうが、二人の日本選手のフォームは崩れず、落ち着いて走っているように感じられた。25〜28㎞、ここで1㎞毎のペースが3分を切るほどに上がり、28㎞過ぎで星が集団から離れてしまった。集団から離れ単独走になると集中力も徐々に薄れ、追いつくのは難しくなってくる。

 トップ集団は30㎞を1時間31分9秒で通過した。30〜31㎞は2分52秒。31〜32㎞は2分50秒、西山も集団から離れてしまったが、再度追い付こうとする粘りと何とか入賞をの気力は感じられた。何とか入賞を目指して、引き続き集中してほしいと願った。

 エチオピアのトラが、33〜34㎞を2分43秒の驚異的なペースアップで抜け出し、34〜35㎞は2分51秒と刻んだ。このまま行くと2時間5分台の大会新記録も可能なペースだった。33〜38㎞の5㎞は、14分5秒のラップを刻んだ。後半こんなにペースアップされたマラソンレースを観た覚えがない。40㎞を過ぎてもまったくペースが落ちず、そのままゴールに飛び込んだ。2位にもエチオピアのグレメウ選手が入り、エチオピア勢が1位、2位を独占した。

 2時間5分35秒の大会新記録。8位入賞者が2時間7分38秒のハイレベルな高速レースの大会となった。西山は2時間8分36秒、13位でゴールした。世界陸上、日本人最速タイムの大健闘だった。星は、2時間13分44秒の38位でゴール。二人ともいい経験ができ、今後が期待できる走りであったと思う。

 レース全体を振り返ると、新しいマラソンの型が出現したと言える。それは日本選手にとっては厳しい、ますます世界レベルから離れてしまうような型とも言える。西山と星は、描いていなかったレース展開だったと感じているはずだ。序盤はスローペースで入り、中間走ではペースの上げ下げが激しく、後半は驚異的なハイペースになった。今後、世界陸上、オリンピックのようなタイムよりメダルを争うレースでは、このようなレース展開になって行くと考えられる。世界に伍して戦うには、トラックの1万㍍で27分10秒〜26分台で走れるスピード持久力を養うことが求められるであろう。解説の大迫が言われていたが、高地トレーニングだけでなく他国の選手との合宿を積極的に取り入れることも必要であろう。

 パリオリンピックまであと2年、三浦や佐藤などの若い芽も確実に育ちつつある。高校生、中学生にも逸材が……。今回欠場となった鈴木も、次回での雪辱を誓っていることだろう。悲願の五輪でのメダル獲得には、我が国の長距離界が一丸となって課題克服のために更に努力を積み重ねる必要があることを痛感したオレゴン世界陸上であった。

北川 聖司(きたがわ しょうじ)
医療検査機関 検査技師
大阪狭山市で、小学生などのランニング指導を実践している。

日本人の食を守るために何が必要か  西 鋭夫

 日米和親条約の真相
 私たちは学校で、「日本の近代化は黒船来航から始まった」と習ってきました。ペリー提督が日本に来て、空大砲を撃ち、「徳川幕府よ、開国せよ。鎖国をやめろ」「開国せねば、江戸城を潰すぞ」と圧力をかけた。黒船に驚いた江戸幕府のお殿様たちは恐れ慄き、圧力に屈した。そして米国との間で不平等条約を結ばざるを得なかった。
 これが一般的に信じられているストーリーです。
 しかし、なぜペリーたちは、大砲を打ち鳴らして脅しまでかけたのに、結局のところは軍事基地などを作るわけでもなく、水や食料、燃料を求めたのでしょうか。そもそもペリーたちはなぜ遠く離れた日本までやってきたのでしょうか。これらの疑問に教科書は答えてくれません。

 鯨を求めた欧米諸国
 ペリー提督が日本にやってきた大きな理由は捕鯨です。捕鯨をジャンジャンさせてくれる海域と港が必要だった。米国の次にやってきたのは英国でしたが、英国もまた捕鯨をさせてくれるところを探していたわけです。民主主義や自由貿易なぞ美辞麗句に過ぎない。アメリカもイギリスも捕鯨という強欲に駆られて日本にやってきた。この流れの延長線上で、ペリーが日本海域に派遣されたのです。
 ペリーが日本にやってきたとき、通訳者としても、アメリカのことをよく知る知恵袋としても、大抜擢された人物がおりました。ジョン万次郎です。

 ジョン万次郎を救った捕鯨船
 ジョン万次郎の日本名は中浜万次郎と言います。彼は、江戸と今の和歌山のあたりを行ったり来たりしていた、小さな船会社の乗組員でした。それが15、6歳の時、台風にあって鳥島というところに流されます。鳥島にはアホウドリがたくさんいました。アホウドリは、人間が近寄っても逃げないのでアホウドリとか言われる。ジョン万は、その鳥を食べて、生き延びていた。
 その様子をたまたまアメリカの捕鯨船が見つけて、ジョン万を含む7人をホノルルへ連れて行った。当時のジョン万は15歳でしたが、船長がその資質を見抜き、アメリカ東部の自分の家へ連れてゆき、学校に行かせたわけです。彼は優秀で、英語を習得し、学校でも最優等生として卒業しました。その後は、捕鯨船の副船長に任命され、大西洋と太平洋で捕鯨をしていました。そんな彼が1851年に日本へ帰ってきた。ペリー来航の2年前のことでした。

 調査捕鯨
 日本がIWC(国際捕鯨委員会)の顔色をうかがいながら進めている「調査捕鯨」という言葉は、その響きも、示唆されることも良くない。日本のこれまでの捕鯨の歴史を知る人からすると、「調査をするために鯨捕します」というのは、国際社会の笑いものです。誰も本気で信用していないのではないか。日本ほど調査力が進んでいるところで、今後、何百年、調査を続けるのでしょうか。捕鯨をしていて、「調査です」と言い続けることは非常に難しい。日本は嘘をついているのではないかと思われる。「捕鯨をしています」「捕鯨が必要です」となぜ言えないのでしょうか。
 日本は、捕鯨という分野で世界一の優れた技術を持っていますし、鯨という資源を食べ物としても道具などとしても、余すところなく全て使っています。そうした技術や方法を伝授しましょう。そう言える日本外交であって欲しい。

 高タンパク源
 欧米諸国はかつて、単に鯨油のためだけに捕鯨を行なっておりました。肉は一切食べません。しかしその肉は高タンパク源として、日本人にとっては必要不可欠な栄養源でした。日本の南極捕鯨が始まったとき、それはGHQ支配下でのことでしたが、マッカーサーは日本人の腹を満たす鯨の重要性を無視できなかった。戦後の食糧難の時です。飢えた日本人がたくさん出てしまっては何が起こるか分からない。反乱が起きてはまずいわけです。そこでマッカーサーは許可せざるを得なかった。しかし日本人が復活し、どんどんと強くなり、経済的にも豊かになることは避けたかった。
 故に1951年にIWCに加入させた。日本からお金をぶんどりつつも、日本の捕鯨を監視することとした。

 食糧安全保障
 日本が「捕鯨」という文化を失うことは、日本の食糧安全保障にとっても深刻な影響を与えます。鯨を獲るための優れた技術も失います。世界的な戦争が起きた時、あるいは世界的な干ばつや大地震が起きた時、謎のウィルスが世界に蔓延した時、今まで日本に食糧を運んできた国が突然、運んで来なくなる可能性もある。経済封鎖だけでなく、災害などのために、輸送船が容易に海を渡れないこともあるかもしれません。
 皆さん、そんな無茶な話をと考えるかもしれませんが、これらは近未来に十分にあり得る話です。その時、食糧の多くを海外に頼っている日本は大打撃を受けるでしょう。五百円で買えたものが、五千円、一万円なることもあるかもしれない。日本人の食を守るために何が必要か、再考すべきではないでしょうか。

 

西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。


今年6回目の

 8月に入ってから庭木や盆栽に薬剤散布をする予定だったが、ヒラドツツジにグンバイムシが発生したため、昨夕、予定を早め「逸ノ城」の優勝を確認後、約1時間かけて散布した。今日も雨は降らないようなので、よいタイミングとなった。今年、6回目である。
 ツツジ類は、ぼちぼち花芽が形成される時期に入った。薬剤散布は出来る事ならば避けたい作業だが、緑を美しく保ちより多くの花をつけるには欠かせない作業のひとつである。

自国の平和や幸福を願わないとは

 本日、7月23日は、2022東京五輪の開会式が行われた日である。

 みなさん覚えておられるであろう。昨年春から初夏にかけて、偏向報道の甚だしいマスメディアや一部野党が、コロナ禍にかこつけて毎日のように「開催反対」を叫び続けた。そういった報道を鵜呑みにする一部の国民も動揺して、「無理して開催しなくても」と思い始めただろう。だか、結果はご存知のとおりである。

 組織委員会は見事なまでの運営をやってのけ、大成功のうちに幕を閉じた。開催中にコロナウィルスが蔓延するなどは無かった。

 最近、世界の機関などから「東京五輪の総括」がさまざまな形で発表されている。どこからも、「東京だから出来た」「日本だから見事なまでにやってのけた」の大きな賛辞が贈られている。

 一部野党やマスメディアの態度は、「日本が混乱することを喜んでいる」としか思えない。「中国や北朝鮮などが繫栄すればよい」と思っているとしか……。自国の平和や幸福を願わないとは、悲しいことである。

 

 今日は記念日である。早朝の「ラジオ体操会」には、組織委員会公認の「東京五輪応援Tシャツ」を身に着けて参加した。シューズは、「聖火リレー」のときに履いたものである。鮮やかな朱は、「広場の草の青」に映えた。ラジオ体操参加者にも喜んで貰った。

広場 指揮台の前で

凶弾に倒れた安倍元首相  林建良 

 7月8日、安倍晋三元首相が凶弾に倒れました。今でも信じられない気持ちでいっぱいです。

 事件が起きた時、私は外来の診療中だったのですが、台湾の友人から電話をもらって、その時に初めて事件のことを知りました。その後、次から次へといろいろな台湾の友人から「今はどうなっているんですか?」「安倍さんは大丈夫なのですか?」と連絡を受けました。それだけ、台湾人は今回の銃撃事件にショックを受けています。
 ご逝去の一報を受けて、台湾の一番高いビルの台北101では、安倍さんに対する追悼と、これまでの感謝のメッセージを映し出しました。全ての台湾人が、彼を失って大きな喪失感と悲しみに包まれています。
 世界各国の首脳が、追悼のコメントを発表していますが、おそらく、今回の事件で日本の人々と同じように深く悲しんでいるのは、台湾だけだと思います。安倍さんは、台湾にとってそれだけ特別な存在なのです。

 なぜ台湾にとって安倍元首相が大切なのか?
 ここまで、台湾人が安倍元首相のことを大切に思う理由は3つあると思います。

  • 戦後初めて台湾と向き合ってくれた日本の政治家

 安倍さん以外にも、台湾を好きな日本の政治家はたくさんいます。しかし、台湾に訪問したときは友好的であっても、彼らのほとんどは政治の場になると台湾のことを口にしなくなります。中国に配慮して、なるべく台湾の話題を避けようとするのです。しかし、安倍さんは違います。彼はインド太平洋戦略を打ち出し、中国と戦う路線を明確にしました。そして、その戦略は台湾の存在なしには語ることができません。安倍さんは、今まで他の政治家が避けてきた台湾の話題を堂々とコメントしてくれるようになりました。
 2016年に台湾・台南の地震が起きたとき、真っ先に救援を送ってくれたのも安倍元首相でした。

②李登輝の存在
 安倍さんは、かつて台湾の李登輝さんを自分の政治の師だと語ったことがあります。実際に彼は李登輝さんと頻繁に話をし、アジアの情勢や政治の大局観を色々と学んでいたのです。彼らはまさしく、一種の師匠と弟子の関係にありました。
 そして、歴史的には台湾と日本も同じように師弟の関係にあったのです。師である日本と、弟子である台湾。一方で、安倍さんと李登輝さんは逆の関係です。この師弟の絆は、台湾人と安倍さんの間にも深い絆をつくりました。

 ③安倍さんの台湾に対する深い愛情
 安倍さんが2回目の首相に就任する1年前に、台湾のある安全保障会議に参加してこんな発言をしました。「私は過去に何度もこの地を訪れていますが、飛行機を降りるたびに故郷に戻ってきたような気持ちになります。私が祖国日本以外で心の底からそのように感じる場所は世界で台湾をおいて他にありません」これは、政治家人生の中で台湾を日本の友人として大切にしてくれた安倍さんの本心ではないかと思います。
 
 台湾を深く愛してくれた安倍さんは、台湾人にとってはいわば家族の一員であり、かけがえのない存在でした。

林建良 台湾独立建国聯盟・日本本部委員長

参院選でよかったこと  藤井厳喜

 今回の選挙の場合、岸田政権が信任された形になりますので、増税、親中外交路線がとられてしまう危険性が出てきてしまいました。しかし、その中でも良かった点を探してみると、3点あります。

 小野田紀美氏が圧勝
 岡山選挙区で小野田紀美さんという自民党の候補が圧勝しました。この方は
憲法9条改正や国防に関してしっかりした考えをお持ちで、全国から注目されていました。

 小野田さん自身「自民党は、公明党と連立を組んでいるから、憲法改正ができないんだ」とはっきりと発言されています。しかしそれによって公明党から嫌われてしまい、なんと公明党は、反対派であるはずの野党候補を岡山では応援していたのです。もちろん彼女は公明党の推薦なしで出馬していました。そういった点で、日本中が注目していたのですが、そんな公明党の敵対行動を物ともせず、小野田候補が圧勝しました。これは非常に心強いニュースだと思います。

 選挙区によっては、どうしても公明党の支援が欲しいという人たちもいると思いますが、いざとなれば、公明党の支援なしでも勝てるんだということを示したわけです。非常に大きな勇気を自民党の中の保守派の人たちに与えるものだったと思います。

 反日派の落選
 立憲民主党の有田芳生氏や、白眞勲氏といった、反日派の候補者が落選したという点も日本にとって良かったことでした。

 NHK党が引き続き国政政党に
 NHK党が総得票数の2%をとって、国政政党として生き延びたということ。そして東谷義和さん、通称ガーシーさんが当選したということです。私はNHK党が、今後の政治に大きな風穴を開けるのではないかと思っています。
 東谷さんが言う芸能界スキャンダルなどには私は興味がないのですが、そうではなくて、政権の中枢に「マスコミに対して圧をかける存在」が現れたということ。この点は非常に大きなインパクトがあります。
 このNHK党の選挙戦略は、今回も非常に見事でした。NHK党の立花党首は、国防問題でも非常にしっかりとした見識を持った方です。「憲法9条では国を守れない」「日本は核武装も考えないといけない」ということも言っています。ただし、今はNHK問題に一点集中して、政治を動かし、支持者を広げていく。そういった戦略です。

 ですから、今後大きな政党になった時には明らかに改憲派でしょう。その点でも大いに期待できると思います。

 本当に改憲しようと思うと、自民党と公明党の連立を壊さないと実現できません。しかし今は、公明党なしでも自民党が安定してやっていけるような、連立パートナーとなりうる政党がいくつか出てきています。自民党以外の保守系の政党が強くなることで、憲法9条改正に進めるような状況。これが望ましいのではないかと思います。

国際政治学者  藤井厳喜


植民地主義の中国  藤井厳喜

 チャイナは、西洋の国が19世紀にやったような昔流の植民地主義を今もやっています。
 皆さんも、一度は聞いたことがあるかもしれませんが、「一帯一路」のことです。「陸と海のシルクロード」とチャイナは言っていますけれども、実態は、陸と海に自分たちの拠点を築き一帯一路の対象国を植民地化しようという計画です。
 「港がないなら、造ってやろう」「飛行場がないなら、造ってやろう」「高速道路がないなら、造ってやろう」と言ってお金を貸し付けます。貧しい国ですから、造ってもらうのはありがたいけれども完成した後は、お金が返せなくなります。お金が返せなくなったら、造った港や飛行場を借金のカタにとり、軍港化します。そういうことを、平気でやっているのです。

 これは借金の罠で、そういうあくどい高利貸のようなことをやってはいけないと、日本やアメリカ、ヨーロッパが非難しても聞く耳を持ちません。そして、すでにチャイナの国内化に飲み込まれてしまったのがウイグル人です。ウイグルはもともと、東トルキスタンという独立国でしたが、中国共産党が侵略し、乗っ取ってしまいました。これはもう、公然たる植民地支配です。

 チャイナは100万人のウイグル人を強制収容所に収容していると言われています。世界中に非難されるナチスドイツの強制収容所のようなことを、ウイグル人に対してやっているのです。そして中国は、台湾にも侵略の手を伸ばしています。

 米中対立において、アメリカの敗北は台湾を取られることです。台湾を取られてしまうと、日本は、地政学的に非常に不利であって、常にチャイナの脅威を受け続けるような、脆弱な国になってしまいます。長期的に言えば、親中派政策も増長していき日本の独立が危うくなってきます。下手をすると、そのうち日本も中華人民共和国に併合されて、ウイグルやチベットのように、中華人民共和国の日本自治区のようになってしまうかもしれません。
 最悪の場合そういうことも考えられるということです。

国際政治学者  藤井厳喜

美術は歴史を映す鏡  田中英道

 私は、1965年にフランスに留学して以来、60年近く、世界各国の美術品・文化遺産を数多く見てきました。  
 大学ではずっと“美”を理解する「美学・美術史学」という学問に取り組んできたためです。これは“カタチの美”を観察し、そこから作者の思想や哲学などを汲み取ることを主とした学問です。
 しかし、「美術史」というのは、ただ“美しさ”を論じるものではありません。「人類の歴史」を知るための重要な手がかりでもあるのです。
  というのも、人類史において、文字が発達していなかった時代、人々がコミュニケーションの媒介として用いたのは「絵」でした。
 世界で「文字」が誕生したのは、約5,000年前。日本に「文字」が伝来したのは約1,700年前だと言われています。それ以前の文字なき時代、人々は何かを伝えたいと思ったとき、絵画などの美術作品を用いていました。かつての美術は、現代よりももっと「誰かに何かを伝える」という機能を強く持っていたのです。
 また、文字の登場以降の世界でも、絵や建築、立体的な造形による人々の表現はたゆまなくおこなわれ、文字では表すことのできない、さまざまな思想や信仰を形にしてきました。美術はまさに、その時代・土地の「精神」を映す鏡なのです。

 さまざまな時代や土地の美術を比較していくことによって、人類の精神の歴史が浮かび上がります。「嘘も100回言えば真実になる」という言葉があるように、文字は必ずしも本当のことを伝えてくれるわけではありません。文字だけに頼らず、「美術」という切り口から世界文明を見ていくことで、全く新しい歴史が見えてきます。

東北大学名誉教授  田中忠道

専修寺と六華苑

 専修寺(せんじゅじ)は566年前の創建で、親鸞聖人の教えを受け継ぐ浄土真宗高田派(全国に600余)の本山寺院である。国宝の如来堂・御影堂や法宝物、その他数多くの重要文化財を所有している。

 六華苑は、山林王と呼ばれた三重県桑名の実業家 二代目諸戸清六(もろと せいろく)の邸宅として大正2年に竣工した。洋館部分は、「鹿鳴館」などを設計した「日本近代建築の父」と呼ばれたジョサイア・コンドルが手がけた。創建時の姿をほぼそのままにとどめている。桑名市は、平成5年に「六華苑」(ろっかえん)という名称で一般公開するようになった。建物は国の重要文化財に、池泉回遊式庭園は平成12年に国の名勝に指定された。

 (上2つの写真は、恒川副会長の撮影)

六華苑で 三生連の役員・顧問
専修寺の蓮の花
洋館
座敷から雪の庭園を

日本国民の魂への攻撃   藤井厳喜

   安倍晋三元総理の暗殺は、日本国民の魂への攻撃です。
 日本の自由と伝統を守る最も誇り高い侍を、我々は奪われてしまいました。しかし、ここで落胆すれば、日本国を破壊しようとする内外の敵を喜ばせるだけです。我々が絶望すれば、
テロを実行させた勢力の目的は達成されてしまいます。

 「日本を取り戻す」その目的を果たせずに、安倍元総理は命を奪われました。いつまでも悲嘆にくれていることは許されません。我々は、安倍さんの理想を継承して、日本を取り戻さなければなりません。安倍さんの魂は、この世にあって荒ぶる御魂として、我々と共に戦い続けてくれると確信します。

国際政治学者:藤井厳喜

安倍元首相 凶弾に

 8日11時半頃、近鉄西大寺駅前で選挙の応援演説中に奈良市在住の41歳の元自衛官の男に背後から銃で撃たれた。救急ヘリで病院に搬送されたが、心肺停止状態が続いた。失血を止める事と輸血の緊急処置が継続されたが、当日午後5時過ぎに帰らぬ人となった。67歳という若さであった。 

 犯人の供述によれば、「政治的信条への怨みではない」と。「母親がある宗教団体に財産を注ぎ込み破産した……。関わりがあると思われる安倍元首相を……」とも。理解に苦しむ。自宅からは、自作と思われる銃が数丁見つかったと

 暴力やテロによって言論を封殺しようとするやり方は、到底許されるものではない。私たちの奈良県内においての凶行、それも手を下した者が奈良県在住であるという事に対し、悲しみや怒りが倍加しているし、奈良県民として恥ずかしさを禁じ得ない。

 安倍晋三氏は、2期8年8カ月に亘り首相を務めた。最長記録である。その間、教育基本法の改正や安保法制の制定など大きな功績を遺された。中国に対するインド・太平洋包囲網の構築にもリーダーシップを発揮し、望ましい方向に進めた。新聞やテレビなどのメディアの偏向報道により、国内では正当に評価されない面もあったが、世界での評価は極めて高い。世界の首脳から続々と届いた弔問メッセージが、それを如実に物語っている。

 戦後の首相の中では、「段突ピカ一」だと私は思っている。信念の政治家であった。北朝鮮の拉致被害者5名が帰国できたのは、当時の小泉首相ではなく、副官房長官であった安倍氏の手柄である。平壌の滞在先ホテルで盗聴されていることを逆手にとって、「もう帰りましょう」と大声で叫んだことで金正日主席が態度を変えたのである。
 ロシアのウクライナ侵攻後、プーチン大統領と関係を深めたことが批判されているが、北方領土を何とか取り戻したいとの一念だっただろう。ただ、周近平 中国共産党総主席を国賓で迎えようとしたが、これには、私も疑問視する。深い所で考えるところがあったのもかも知れないが。今となっては分からない。とにかく、日本にとって大きな損失である。

 さて、「安心・安全な選挙」に努めるのは、行政のトップである首相の責任である。このような極めて残念な事態に陥ったのは、突き詰めれば首相の責任ということになる。岸田首相は、会見で自らの責任には触れていない。残念である。

 「要人の警護」について触れるが、今回は至近距離から、それも背後からの発砲を許してしまった。あってはならないことを生起させてしまったのだ。警護の大失敗と言えよう。警視庁や奈良県警などは、今回の失態をきちんと整理し、このような事態を二度と起こしてはならない。
 奈良県警本部長は9日の記者会見で、「急な日程変更だったが、如何なる場合でも万全の体制をとらなければならない。言い訳は許されない。大きな責任を感じている」と。立派な態度である。大したものだ。それに比べて……。

 参院選2日前に生起した訳だが、投票行動にどのように影響するかは全く予断を許さない。


 東信貴ケ丘福寿会 会報「燦燦」第88号 巻頭言から抜粋

安倍派を徹底排除する岸田政権  藤井厳喜

 日本では選挙の度に安全保障の問題が話題になりますが、その争点の一つとなるのが、国防費。安倍さんを中心に、「GDPの2%まで国防費を増やして 防衛力を強化しよう」という案が出ているのですが、実はこの案を今、岸田首相が潰そうとしています。「安倍派潰し」とも言える人事が行われ、ある意味、自民党内でクーデターに近いことが起きているのです。
 
 例えば、今度の内閣改造では、安倍さんの実の弟である岸防衛大臣を更迭して、新たな防衛大臣には、財務省出身者といった「岸田派」を任命しようとする動きがあります。

  私は、今度の選挙でどの党に入れたらいいかという話はしません。しかし、現岸田政権を早く権力の座から引きずり降ろさないと、日本の国防体制が危うくなってしまいます。もちろん、極左の政党には勝ってほしくないと思いますが、保守の補完勢力となる野党も存在します。そういうところが若干勝ってもらって、大きくはブレないようにする。そして自民党が過半数割れのようなことになれば、岸田退陣のシナリオというのも可能になるわけです。
 そうすれば、増税路線が阻止できますし、「国防費2%案」を潰そうとする彼らの動きを阻止することもできると思います。

 国防費2%潰しの黒幕
 岸田政権のキーパーソンの一人に、木原誠二さんという官房副長官がいます。財務省の出身者で、財政規律派・増税派という財務省の標準的な考え方の人です。この人が「国防費2%潰し」の中心的な役割を果たしている人間の一人じゃないかと思います。
 木原誠二さんは、東大法学部を出て財務省に就職して、今は東京20区の衆議院の出身です。当選回数5回、学歴的にも何の遜色もない典型的な財務省出身のエリートということになります。そして官房副長官というのはなかなか大事な役職です。安倍さんもかつて、小泉内閣で官房副長官を長いことやっていました。官房長官が目立ちますが、その下にいて、これから若手中堅で伸びるような人が就くポジションです。
 そんな木原さんは、どういうお考えの方かというと、例えば憲法に関しては、基本的に9条の改正は反対で、専守防衛は堅持すべきだ、という立場です。そして敵基地攻撃能力の保有については賛成している一方、日本の核武装については、「将来に渡っても検討すべきでない」と主張されています。典型的な自民党内のリベラル派なのです。

 

 日本よりイギリスを重視?
 そして彼はどうやらイギリスとの関係が深いんですね。私は彼を、「英国守旧派」と岸田政権を繋ぐパイプ役をやっている人ではないかと見ています。「英国守旧派」というのは、イギリスで唯一残っているビッグビジネス:タックスヘイブンを何とか守っていこうとする派閥です。今で言えばジョンソン政権に直接結びついている勢力です。
 
 木原さんの経歴をもう少し見ると、東大に行って大蔵省に入った後、1995〜97年にイギリスに留学し、その後、1999〜2001年まで2年間、イギリス大蔵省に出向しています。そして2002年にはその経験から、『英国大蔵省から見た日本』という本を文春新書から出版しています。おそらくこの辺りでイギリスとのコネがついたのでしょう。
 タックスヘイブンの利権を守ろうとするジョンソン政権とのパイプ役をやられているのではないかと思います。こういう方が政権の中枢に入っているところを見ると、日本のためを思うと要注意人物ですね。こういった方が大活躍されるような国だと、日本は良い方向にいかないということです。

国際政治学者・藤井厳喜

 この藤井氏の文章は、安倍元首相が凶弾に倒れる以前に書かれたものだ。

日帰りを繰り返した習近平   林建良

 香港返還25周年の式典が開かれるので、6月30日と7月1日の2日間、習近平は香港を訪問しました。普通に考えると1泊2日の2日間、香港で過ごすのですが、なぜか、今回は1泊2日ではなく、2回の日帰りでした。
 香港では泊まらず、わざわざ、広東省の深センに戻ったのです。そして翌日の朝に、再び香港に戻って、返還式典、新行政長官の就任式に参加したのです。
 せっかく香港に来たのだから、ゆっくりと休んで晩餐会にも出席し、みんなと挨拶し、意見交換をしたりしてですね、翌日の式典に参加するのが普通ではないでしょうか。
 実際、習近平が国家主席として香港を訪問するのは今回が初めてではないんですね。2017年の香港返還20周年のときにも訪問していました。その時の訪問では、一応、香港に泊まったのです。
 もちろん泊まったホテルは、全て貸し切り。そしてそれだけではなく、隣のビルまで全部貸し切りにしたわけです。そのぐらい慎重にして、かなりの厳戒態勢で香港を訪問していました。

 飛行機ではなく、異例の陸路で香港入り
 2017年の時にも、香港警察3万人を動員して、ものすごく厳しい警戒態勢の中で訪問したんですけれども、今回は、それ以上に厳しい体制をとったんですね。
 なんと今回は、高速道路で入ったわけですね。普通は遠く離れた香港に飛行機で行くのですが、今回は高速道路で入って、そこで簡単なスピーチをしたんですね。
 せっかく国家元首が来るわけなので、たくさんの人間が集まって、旗を振ったりして、そして歓迎するはずです。新聞記者も含めてその場でいっぱいの人間が国家元首のスピーチを聞くわけですよね。

 普通であればあれそうなんです。ところが、6月30日の15時に香港の高速道路の駅に着いたらですね。彼のスピーチを聞く人間はたったの4人でした。しかも、その4名との間に、もう何メートルも距離をとってがらんとしたところで、スピーチをしたのです。もちろん、新聞記者がいないわけではありません。
 新聞記者達は、さらに20メートルも離れたところで写真を撮っていました。非常に滑稽な光景だったのです。
 今回の習近平の香港訪問に関して、・飛行機ではなくて高速道路・そして1泊2日ではなく、日帰りを2回・なぜか晩餐会をキャンセルしても、外部に全く公開しない。このような不思議な点があるのですが、一体なぜなのでしょうか?
 はっきり言って、その理由はたった一つです。それは、習近平の恐怖なのです。何に対する恐怖かといえば、いろいろとありますが、一つは飛行機に対する恐怖です。飛行機に対する恐怖心と言うと、習近平が特殊なわけではなく、実はあの毛沢東にもあったんです。
 毛沢東は実は1950年以降は、一度も飛行機に乗ったことがないんです。どこに行くのも鉄道でした。そして北朝鮮の金一族も同じというのは有名ですね。金一族は基本的には飛行機に乗らないんです。たまに乗るんですけれども、基本的には外国への訪問まで鉄道です。なぜかというと、やはり飛行機は万が一墜落すると、もう生きることはできないわけです。しかも、飛行機の場合はたったひとりのパイロットが何らかの決心をする、その意志さえあればもう全員道連れにおおせることができるわけです。
 実際、今年の3月21日に中国の民間航空会社、東方航空が広西省で墜落事件を起こしました。乗客乗員計132人全員が死亡した事故で、いまだにその墜落原因は発表されていませんが、実は、パイロットによる自殺行為ではないかと今推測されているのです。というのも、もう落ち方が垂直で一直線に墜落したわけなんです。なので、飛行機だとパイロット1人が誰かに買収されたり、脅かされたりすれば、墜落する可能性があるのです。
 もちろん、そのようなことをできるのは、一般の人間ではありません。かなりの力がなければ、かなりの敵対勢力でなければ、そういうことはできこないわけですね。ですが習近平も他の独裁者と同じようにそういったリスクを恐れているのです。

台湾独立建国聯盟・日本本部委員長  林 建良


祇園祭と秦氏  田中英道

 京都の三代祭と言われる「祇園祭」は、代表的な日本のお祭りといっていいでしょう。祇園祭とは、京都で毎年7月に行われる祇園・八坂神社の祭礼であり、各地で流行した疫病を鎮めるために行われているとされていますが、単なる疫病や災害から人々を救うためという話ではありません。もっと奥深い、秦氏と関連する歴史があるのです。
 秦氏とは、応神天皇の時代に、弓月国から渡来した氏族のことであり、私は自身の研究から、秦氏は「ユダヤ人」でありイスラエルから日本にやってきたと考えています。そして、どうやら京都の「祇園祭」にもその影響が残っているようです。

①「祇園祭」の「ギオン」は ヘブライ語だった?
 祇園祭の「祇園」(ギオン)は、イスラエルの公用語:ヘブライ語の「シオン」から転じた、という説があります。シオンとは、シオニズムのことを表すので、*シオニズム...イスラエルの地・パレスチナに ユダヤ人の民族的拠点を設置しようとする思想・運動、つまり、中心地エルサレムへの巡礼を擬しており、神輿や山車で祇園社に向かってみんなで巡礼するという意味だといえるのではないでしょうか。

②「祇園祭」の山鉾に描かれた宮殿
 また、祇園祭の山鉾には、ディテールまで細かな模様があしらわれていますが、そこには意外なことに西欧のものが記されています。これにはさまざまな説があり、江戸時代に日本に入ってきた宣教師や南蛮文化の影響であるとか、支倉使節がスペインやイタリアに行った際にもってきた西洋の品々の影響である、などというものです。 
 しかし私は、秦氏がもち込んだタペストリーではないかと考えています。シルクロードを渡ってきた秦氏が、ペルシアの絨毯やコーカサスの織物などをもってきたのではないでしょうか。フランスのゴブラン織りやベルギーのタペストリーなども、商人として扱っていた可能性があります。おそらく、そうした模様や柄を山鉾に張りつけたのではないでしょうか。それらを見ると、まるで世界のいろいろな図像の展覧会を開催しているかのようです。

 ローマからシルクロードを通ってきた秦氏は、そのような世界各国のモチーフを知っており、日本へもそうした織物を供給してきた秦氏の部隊がいたというわけです。

③「祇園祭」とノアの方舟
 もう一つ、祇園祭のピークが七月十七日である理由も、「ノアの方舟」が関わっているといわれています。*ノアの方舟...旧約聖書(ユダヤ教、キリスト教の聖典)に出てくる舟旧約聖書の「創世記」を見てみましょう。そこには、洪水は四十日間続き、水は百五十日間勢いを失わなかった。と、記されていますが、ノアの方舟がアララト山(トルコ)に到着したのが七月十七日でした。

 祇園祭も七月十七日にクライマックスを迎えますが、それはこの伝説を意識しているというわけです。私もアララト山に行ったことがありますが、標高約五千メートルもある、富士山のように立派な山で、中東の山のシンボルとして崇敬されています。
 
 このように考えると、祇園祭には『旧約聖書』のイスラエルの影響があると言えるでしょう。ここで私が紹介したのは、日本と秦氏の関係を示すほんの一部に過ぎません。日本のお祭りや遺跡を見ると日本と秦氏には深い関係があることがわかってくるのです。

東北大学名誉教授  田中英道

東京裁判

 東京裁判は、戦勝国が「支配者」として一方的に敗戦国を裁いた屈辱の裁判である。不公平、不平等の、許されない酷い裁判であった。

 法廷は、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の法廷を模して作られ、昭和21年5月3日から23年11月12日まで「日本=侵略国、米国=正義」というGHQの世論操作のもとで開かれた。連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーが、自らを「極東の統治者」として演出するための政治ショーでもあった。そのずさんさは数えれば切りがない。検事団も判事団も戦勝国のみだった。

 A級戦犯の「平和に対する罪」は、戦後編み出された誤った概念にすぎない。被告側の戦勝国に不都合な証言は通訳を停止し、記録に残さなかった。しかも被告の選定には、戦勝国の利害が露骨にからんだ。
 私たちは、真実をきちんと把握しなければならない。

 

 昭和21年4月10日、GHQはA級戦犯26人を確定した。ところが、遅れて来日したソ連検事団が、日ソ間の協定で解決済みの張鼓峰事件(13年)とノモンハン事件(14年)を蒸し返し、元駐ソ大使の重光葵と元関東軍司令官の梅津美治郎の追加をねじ込んだ。重光が禁錮7年の刑となったことには首席検事のジョセフ・キーナンにも自責の念があったようだ。後に重光の弁護人に「重光が無罪になることを期待する十分な理由があり、有罪となって非常に困惑した」と手紙で吐露している。

 そのような戦勝国の一方的な裁判に正面から異を唱えたのが東条英機だった。 キーナンによる東條への尋問は22年12月31日から23年1月6日まで続いた。

 

 キーナン「米国は日本に軍事的脅威を与えたのか?」

 東條「私はそう感じた。日本もそう感じた」

 東條はこう語り、米国にハル・ノートを突きつけられ日米開戦が避けられない状況だったことを縷々説明し、キーナンの「対米侵略戦争論」を跳ね返した。

 東條は尋問直前に提出した口述書でも「この戦争は自衛戦であり、国際法には違反せぬ。(略)勝者より訴追せられ、敗戦国が国際法の違反者として糾弾されるとは考えたこととてない」と主張。その上で「敗戦の責任は総理大臣たる私の責任である。この責任は衷心より進んで受諾する」と結んだ。

 自らも認めた通り、東條が大戦時の指導者として多くの兵や国民を死なせた責任は大きい。陸相時代の昭和16年1月に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の一節を含む戦陣訓を示したことを非難されても仕方がない。逮捕時に自殺を図ったことも不評を買った。東條の指導力や先見性にも疑問符がつくが、GHQが貼った「日本のヒトラー」というレッテルはあまりに酷だろう。少なくとも東條が昭和天皇を守る盾になる一心で東京裁判に臨んだことは論をまたない。

 占領軍は、戦死者の霊を祭る靖国神社を国家神道の中心と考え、その焼却を計画した。だが、進駐軍司令長官付き補佐官として同行していた駐日ローマ教皇庁代表のイエズス会のビッテル神父は、「いかなる国家もその国家のために命を捧げた人々に対して敬意を払う権利と義務がある。戦死者を慰霊する儀式は、世界各国で行われている。その行為は先人たちへの敬意と誇りとして当然のこととされている」と、連合国軍総司令部のマッカーサー元帥に進言したことで、靖国神社は焼失を免れた。

 

 東京裁判における東條英機の死刑執行に際しての遺書 

 開戦の時のことを思い起こすと、実に断腸の思いがある。今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は死をもって償えるものではない。

しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

 天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。日本の軍に従事し、斃れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。

 今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。

 この裁判は、結局は政治裁判に終わった。 勝者の裁判たる性質を脱却せねばならない。

 天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。 存在そのものが必要なのである。それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

 東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。 これをもって東亜民族の誇りと感じた。

 今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

 

 現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。また、日本人が赤化しないように頼む。東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

 こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。終戦後わずかに三年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。今後のことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。 もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

 日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

 米国の指導者は、大きな失敗を犯した。日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。いまや満州は赤化の根拠地である。 朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。米英はこれを救済する責任を負っている。従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

 日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。それは一応は賢明であるというべきである。しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。

 国家から欲心を除くということは、不可能のことである。されば世界より戦争を除くということは不可能である。結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。 この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。

 第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。

 米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

 なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。今や戦後3年を経ておるのではないか。新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。

 米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

 戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

 青少年の保護ということは、大事なことである。近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

 今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

 最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。あれでは陸海軍一本の行動はとれない。兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。

 教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。この点については、大いに米国に学ぶべきである。学校教育は、人としての完成を図る教育である。従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。 宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。

 我ゆくも またこの土に 帰りこん 国に報ゆる事の足らねば

 一方的な自己弁護ではなく、「反省すべきこと、感謝すべきこと」がきちんと網羅されている。
 読者はどのように感じるだろうか。

「米国株と円安の行方」  藤井厳喜

   以前より「ダウ平均は3万ドルくらいまで下がる」という予測をしてきましたが、実際に今のダウ平均は3万1,000ドルあたり、一時は3万ドルを切るレベルまで下がりました。これから更にアメリカの株は下がる可能性が大きいと考えます。
 というのも、インフレが収まらず、FRBが更なる引き締めをせざるを得ない状況にあるためです。別の言い方をすると、景気が悪くなってくれないとインフレが収まらないということです。
 この責任はすべてバイデン政権にあります。トランプ政権下では、インフレなき経済成長でアメリカ経済は絶好調でした。それを実現不可能な夢物語であるグリーン・ニューディール政策をやろうとしたことで、ウクライナ戦争前からガソリン、石油、ガス価格は値上がりし、さらに福祉関係などへのカネのバラマキ、加えて、ウクライナ戦争で大赤字覚悟の戦費投入。これではインフレが起きるのは当たり前ですね。

国際政治学者:藤井厳喜

水と文明  西 鋭夫

 私たちが知っている文明文化は、水のあるところから、すなわち大河の周りで発祥しました。世界の四大文明も大きな川の流域で発生しています。

 メソポタミア文明はチグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で、エジプト文明はナイル川に沿った地域で生まれました。インダス文明もインダス川に沿って、中華文明は黄河と長江を中心として生まれました。

 黄河はイエロー・リバーと呼ばれます。上流の黄色っぽい土壌が、長い年月をかけて川で運ばれてきて、時に大洪水などを起こしながら、広大な流域に肥沃な土砂が溜まっていきました。その上で農業をやるわけです。作物はグングンと育ちました。
 黄河のもっと北へ行くと、ゴビ砂漠があります。水がないゴビ砂漠では文明は発達しませんでした。ここに水があったら、中国は世界最大の農業国となっていたでしょう。

 神道と水
 日本においても水はとても大切です。例えば、日本に昔からある神道は、水と切り離して考えることができません。
 神道では「禊」(みそぎ)という言葉を使います。これは、水で体を清めること、水で諸々のことを清めることを表します。神道とは、水が豊富にある国の宗教であり、人の生き方と言えます。
 「水」という観点から世界を見ると、日本は世界一の水大国です。どこにでも、きれいで飲むことのできる水があります。水で困ったことがない民族がいるとすれば、それは日本人のことでしょう。

 衝突
 水は、生命の源であり、人の生き方に直結するものです。しかし、ブルー・プラネットと呼ばれる地球全体で考えると、ほとんどが海水で、淡水は非常に少ない。人口が少なければ少ない淡水でも問題は起きませんでした。

 ところが、人口が増えるとどうなるのか。己の生存をかけて、水の豊富なところに襲撃するわけです。争い、紛争、戦争が引き起こされました。21世紀のいま、人口はますます増え続けています。そんな中、限られた水をめぐっての世界規模での戦いがすでに始まっております。水面下ではかなり進展していますが、幸いなことに武器はまだ使われていません。しかしこれも時間の問題かもしれません。

西 鋭夫

1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。
同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。
J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。


マッカーサーの回顧証言

 何年も前から、米国において「大東亜戦争」前後の公文書が公開されるようになり、歴史の真実が徐々に明らかになってきた。

 しかし、残念ながらそれらの内容を多くの方が知らないという事実がある。例えば、「大東亜戦争」という言い方をすると、それは偏った考え方の持ち主だと思われることがいまだにある。「『大東亜戦争』の呼称は使うな」は、「日本を復活させてはならない」というGHQの方策であり、それを「日本を赤化させたい」と考える一派がもっともらしく支援・宣伝した。あの戦争は、米英をはじめ、白人から虐げられているアジアの人々を解放しようとした戦争であり、まさに「大東亜戦争」なのである。日本にとっては、自衛の戦争であった。

 私たちは「自虐史観に汚されることなく」歴史の真実を学ばなければならない。
 その一端を紹介していく。

 

『朝鮮戦争がもたらした、マッカーサーの気づき』

 日本の敗戦と共に、無政府地帯となっていた朝鮮半島の大韓帝国に先を争って進駐したアメリカ軍とソビエト軍が領土の分割協議を行い、北緯38度線を境に朝鮮半島を南北に分割占領した。その後、昭和23年に北部には、朝鮮民主主義人民共和国、南部には、大韓民国が建国された。

 ソビエトと同盟関係をとる中国軍は、北朝鮮を後押しすることで朝鮮半島全域の共産化を画策し、北朝鮮軍を南下させた。ソビエトと中国はもとより、北朝鮮までが共産主義の赤い旗で埋め尽くされて、その赤い旗の群れが南朝鮮までも飲み込もうと南下しはじめたことに、アメリカは慌てた。そこで急遽、アメリカは、マッカーサー率いる在日米軍を朝鮮半島へ派遣し、南進する共産党軍にあたらせることとなった。日本との予測をはるかに超えた戦争の余韻がいまだ癒えない中、東アジアでの想定外の急速な共産化がもたらした朝鮮戦争が昭和25年6月に勃発した。

 朝鮮軍をはじめ中国、ソ連軍はソウルの南まで侵攻。主力の米軍は友軍である韓国軍の弱さも手伝い14万以上の死傷者を出した。韓国にとっては、北朝鮮は勿論だが、中国、ソ連(現ロシあ)もこの戦争が現在なお収束していないことから侵略国(敵国)なのだ。

 

 その戦場へ赴いたマッカーサーは、先の東京裁判にて自らが裁いた東条英機をはじめとするA級戦犯たちが、『大東亜戦争は、連合国による経済封鎖からわが国を守るための自存自衛の戦いであり、また支那大陸における戦いは、わが国を共産主義から守る勢力防衛戦争であった』との供述を、自らが共産党軍との苦戦をしいられた戦闘の中で納得せざるを得なかった。

 

 朝鮮戦争を辛うじて休戦状態にまで持ち込んで帰国したマッカーサーは、昭和26年アメリカ上・下院軍事外交合同委員会にて、「先の東京軍事裁判は、インドのパール博士が主張したように、その判断に大いなる過ちがあった。日本国の立場に立って、先の大戦を振り返って見ると、安全保障上、あの戦争は、ソビエトと中国の国際コミンテルンによる極東アジアの共産化及び連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、やむをえず戦争に走ったと認識する」と、マッカーサー自身が、「東京裁判は戦勝国による一方的に行われた不誠実な裁判であった」と回顧し、そう述べた。

 また、「われわれは日本を包囲しました(注2)。日本は8千万人という膨大な人口を抱え、4つの島にひしめいていました。その半分が農業人口で、半分が工業生産に従事していました。日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接していたいずれにも劣らぬ優秀なものです」

 「日本の労働者は、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときの方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳を持っていました」

 

 6年間日本人を観察したマッカーサーの率直な言葉が発せられた。マッカーサーは、この会議で次のようなことも述べている。

 「これほど巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働く材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました」

 「しかし、彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。日本は絹産業以外には固有の産物はほとんど何もないのです。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如していました」

 「そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです(注3)。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、日本では1千万から1200万人の失業者が発生し、亡国と化するであろうことを日本政府・軍部は恐れていました。したがって日本が戦争を始めた目的は、大部分が安全保障(セキュリティー)(注4)と国民の生命財産、生活を守るためだったのです」

 

 注
(2)包囲とは、ABCD包囲網のこと。Aはアメリカ、Bはブリテイン英国、Cはチャイナ、Dはダッチ=オランダの頭文字。米国は日露戦争後から日本人への人種差別を強化、昭和14年以後、鉄・クズ鉄など対日禁輸を強め、ついに昭和16年7月に日本の在米金融資産凍結、8月には決定的な「石油」の対日全面禁輸に踏み切った。これは米国の日本への宣戦布告に相当する。

 

(3)日本軍は開戦直後の昭和17年に資源を求めて南下したが、略奪・収奪のためではなかった。フィリピンから米国を、インドシナ半島から仏国を、インドネシアからオランダを、シンガポール・マレー半島から英国を撤退させ、欧米の植民地支配から解放し各民族の独立の道を開いた。

 昭和18年、ビルマのバー・モウ総理大臣、タイのワンワイタヤコーン殿下(首相代理)、フィリピンのホセ・ラウレル大統領、中華民国の汪兆銘行政院長、満州国の張景国総理大臣、インドの自由インド仮政府・チャンドラ・ボース首班らの首脳会議「大東亜会議」(日本の東条英機首相の主催)で、「人種差別撤廃」「互恵精神でアジアの共存共栄」を宣言した。

 インドネシアの独立の闘士・スカルノとハッタはまだ独立していないため、正式参加できなかったが、会議直後に来日し昭和天皇より皇居に招かれた。東南アジアやインドは「日本が侵略した」とは言っていない。反対に「欧米を追放してくれて日本に感謝する」と言っている。アジアから有色人種の日本によって、追い出された白人の欧米が「侵略」と決めつけたのである。

 

(4)安全保障とは「自衛」という意味。自衛戦争は現在でも国際法で認められている。マッカーサーは戦後6年を経て、それまでの主張を180度逆転し、東京裁判での東条英機元首相の日本は「自衛のために戦った」「あの戦争は米国が仕掛けた」という『宣誓供述』を認めたのである。

 

 このマッカーサー証言を、戦後の「自虐的歴史教育」「日本侵略国家論」「日本の伝統否定」「反皇室教育」を是正するために広く周知するべきである。

 このアメリカ議会におけるマッカーサー証言が、戦後六十数年を経てやっと、日本の一部の高校の日本史の教科書の副教材に掲載されるようになった。

 (東京都立高校の地理歴史教材に平成24年度より掲載)

 

 「日本は自衛戦争」マッカーサー証言 都立高教材に掲載 贖罪史観に一石

 日本が対米戦争に踏み切った理由について、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーが1981(昭和26)年、「主に自衛(安全保障)のためだった」と述べた米議会での証言が、東京都立高校独自の地理歴史教材の平成24年度版に新たに掲載された。日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材がはじめて取り上げた。このマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じそうだ。

 都の教材は、この部分の証言を英文のまま掲載し、《この戦争を日本が安全上の必要に迫られて起こしたととらえる意見もある》としている。

 (産経新聞掲載記事より抜粋)

年間13.3リットルの  吉野敏明

 この数字が何かわかりますか? これは、日本人が1年間に摂取するサラダ油の量です。このように、われわれ日本人が日常的に使っているサラダ油ですが、アメリカでは使用が禁止されていることをご存知でしょうか? その理由は、FDA(米食品医療局)がサラダ油に含まれる「トランス脂肪酸」が危険とし使用を全面的に禁止したからです。ちなみに、アメリカではトランス脂肪酸は「狂った油」と呼ばれがん、動脈硬化、心臓疾患などの原因になるとされています。
   また、アメリカのみならず、EU諸国も使用上限を決めるなどトランス脂肪酸は全世界で規制の流れに動いています。ですが、日本ではいまだに規制されることはなく…
・サラダ油
・マーガリン
・コンビニの揚げ物
・菓子パン/ドーナツ
・ファストフードのポテト 
   などなど、さまざまな場面でトランス脂肪酸を含む油が使用されています。

 実は、厚労省もトランス脂肪酸の危険性を認めていて、「トランス脂肪酸の過剰摂取により、心筋梗塞などの冠動脈疾患が増加する可能性が高いとされています。また、肥満やアレルギー性疾患についても関連が認められています」と言っています。(引用元:厚労省公式HP)


   危険性を理解しているにも関わらず、未だにこの問題を放置している日本。厚労省や政府は、われわれ国民の健康を考えていないのでしょうか……? 実は、この問題、日本人が健康になると困ってしまう、『ある勢力』が関係しているのです。

誠敬会クリニック銀座クリニック院長
吉野敏明医師

ヒノキ(桧)は最高の材

 ヒノキ(桧)とは、ご存知のとおり、ヒノキ科ヒノキ属の常緑針葉樹のことである。耐久性や品質で世界最高レベルの建築木材と言われる。
 理由は、ヒノキの内部に含んでいる油性成分やアロマ効果や殺菌効果、構造強度など、いろいろな特性によるqだろう。 
 古くから日本人はヒノキとの関係が深く、まな板、寿司屋の飯台やカウンター、ひしゃくや桶、枡といった日用品としても慣れ親しんできた。スギの木と比べて資源量が少ないため、昔から高級材として扱われてきた歴史もある。

 日本書紀には、「スギとクスノキは舟に、ヒノキは宮殿に、マキは棺に使いなさい」と書かれているそうだ。ヒノキは古くから宮殿建設用として最適で、最高の材であることが知られていた。「ひのき」という名の由来は「火の木」の意味で、古代に火おこしに使われたという説と、尊く最高のものを表す「日」をとって、「日の木」という説もある。

 ヒノキは神社仏閣を建てるための木材として、古くから用いられて来た。ヒノキは伐採してからも200年間は強くなり、その後1000年かけて徐々に弱くなると言われている。ヒノキで建てられた法隆寺や薬師寺の塔は、1300年経った今も維持されている。

 日本最後の宮大工と呼ばれた西岡常一棟梁は、ヒノキのことを「湿気に強いし、品がいい、香りもいい、それでいて細工がしやすい。ヒノキはいい木です」と語った。その弟子で、全国各地の寺院の修理・改築を行っている小川三夫氏は「1300年経ってもヒノキを削ればよい香りがするし、使うこともできる」と言われる。

 ヒノキ材の特長については、以下の4つが挙げられる。

  • 木目の美しさ
  • 耐久性が圧倒的
  • 香り、アロマ効果
  • 抗菌効果


 木目の美しさ

 ヒノキは表面の非常に美しい木目が特長だ。高級感があり、光沢のある見た目は長年使うことにより、表面に艶や味といった風味が現れる。そのため、長く使えば使うほど、風合いの魅力を楽しめる。見た目は空間がパッと明るくなる木目の白さが特長で、心材はどちらかというとピンク〜黄色味を帯び、芳香に優れている。
 その美しさは時代を超え、木目の綺麗さは人々の心を魅了し続け、癒し続けてきた。

 耐久性が圧倒的

 ヒノキは、何と言っても耐久性が圧倒的に優れている。前述のとおり、日本最古の木造建築である法隆寺にも使われている。1300年経っても当時と変わらない状態で維持し続けていることが、その耐久性を示している。世界中の人が驚く。
 このようにヒノキは保存性や耐久性に優れているため、宮殿や社寺のような歴史的建築物に向いている。シロアリや腐朽菌にも強いため、建築木材として最適なのだ。また、鉄筋コンクリートの耐久年数は30~50年程度と言われており、この数字からもヒノキがいかに保存性と耐久性に優れているかが分かる。


 香り、アロマ効果

 ヒノキの香りには、強壮作用と鎮静作用がある。ヒノキの香りには気分を前向きにしてくれたり、心が落ち着かせたり、疲れが和らいだりといったアロマ効果があると言われる。例えば、桧風呂や桧酒器など、日常生活の中でいろいろと活用されている。また、桧に含まれるαピネンという香り成分を吸収することで副交感神経が刺激され、リラックス効果があることが実証されている。その効果は森林浴に近いと言われる。そのため、アロマオイルや芳香剤にも桧の香りが活用されている。


 抗菌効果

 ヒノキに含まれる成分のαカジノールには、抗菌効果があると。具体的にはαカジノールは木材を腐らせる腐朽菌の増殖を抑え、ダニやシロアリを防ぐ効果がある。
 例えば、カーペットや布団の下に敷く防ダニシートには桧精油が使われており、ダニは桧の木屑の中で死滅することも分かっている。そのほか、ヒノキ精油には高い消臭効果もあり、実験により97%のアンモニア臭を消せるという実証結果も出ている。

 

 このようにヒノキは建築材として最高なので、ヒノキをふんだんに使って家を建てることはひとつの夢だろう。最近の若い人はそうでもないのかも知れない。それは、「ヒノキについて知らない」ことに起因していると思われる。私などは、やはり木の香のする家に住みたいと思って来た。

 約40年前に自宅を新築した際(昭和58年)、もちろん構造材や柱にはヒノキを使って貰った。予算は当然限られたが、棟梁が親戚筋で幼馴染という利点があった。リビングなどの床も無垢のヒノキを使いたかったが、予算が乏しくそれは断念せざるを得なかった。
 自分なりに研鑽し細部まで自ら設計したので、ある程度は満足する家となった。しかし、無垢のヒノキのフローリングにできなかったことは、残念に思っていた。

 11年前に定年退職した時、退職金を使って玄関ホール約3畳を無垢・無節のヒノキに張り替えて貰った。その際、リビングもと考えたが、その時点で新築からまだ28年、傷んではいなかったので「贅沢過ぎる」と決心がつかなかった。
 無垢のヒノキに張り替えた玄関ホールは、自分で蜜蝋を丁寧に塗って磨いた。あれから11年が経過したけれど、直射日光が当たらないので今でも灼けることなく白く美しい。木目も然りだ。これから年数を重ねるにつれ、徐々に飴色となっていくだろう。楽しみである。
 無垢のヒノキ、それも無節は最高である。特に素足で歩いた時の感触は、言葉では言い尽くせぬものがある。

習近平の生前葬ビデオ  林 建良 

 中国の国営メディア、新華社通信が先月、習近平の一生を振り返るドキュメンタリーを制作しました。これは、全50回の短編シリーズで「足跡」というタイトルが付けられていて、ある意味で、まだ生きている習近平を偲ぶ、「生前葬」を意識しているかのような内容となっています。
 通常の生前葬であれば、友人や家族だけで行いますが、習近平の場合は、自分の人生の素晴らしさを中国全土に放映しているのです。

■習近平が乗り越えた「5つの難関」?
 その初回放送で取り上げられたのは、習近平が15歳の頃の話です。当時は文化大革命によって都会の若者が農村に送られる「下放(かほう)」という政策があり、彼も北京から陝西省の田舎に送られて、そこで農村生活をすることになります。
 ビデオの中では、そのときに若き習近平が乗り越えた「5つの難関」が紹介されていました。さぞ苦しい境遇を耐えてきたのかと思いきや、その内容は、

・ノミにかまれて大変
・食事がまずい
・自分のことを自分でしないといけない
・農作業をしないといけない
・田舎者と付き合わないといけない

 など……
 当時の中国の農村では、ノミがいるのは当たり前ですし、農村なのですから農業に従事するのも当然です。つまり、このビデオは都会からきた「お坊っちゃん」が田舎の生活にただ文句を言っている内容でした。それを偉大な習近平の「足跡」として大々的に宣伝したのです。

■なぜここまで宣伝活動を焦るのか?
 なぜ、こんな残念な内容を習近平の功績として公開しているのでしょうか?
それは、習近平にはどうしても今自分を宣伝しなくてはならない事情があるからです。彼にとっての一番の関心事は、今年秋の共産党大会で三期目に選出されるかどうか。現在、中国内部ではアンチ習近平派が経済の不振を理由に「習近平おろし」に躍起になっています。
 実際、今年3月のウォールストリートジャーナルでは3期目を目指す習近平に対して、朱鎔基(しゅようき)元首相など、かつて政権を握った中国政治の長老たちが反対していることが報じられています。秋までの残りわずかな期間、ますます激しくなる中国の内部闘争。もし習近平がそこで負けてしまえば、制作されたビデオは本当に習近平の「追悼番組」になってしまうかもしれません。

林 建良(りん けんりょう)

台湾独立建国聯盟・日本本部委員長

1958年に台湾台中に生まれ、
1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、
2017年、「二等華光専業奨章」受賞。
 医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。
現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』
『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、
日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。
2019年にはJCPACにも登壇、
台湾の未来について演説・討論をおこなった。

参院選前に   藤井厳喜

 こんにちは、藤井厳喜です。今日は7/10の参院選前にぜひ知っていただきたいことがありまして、選挙に関するお話をお届けしたいと思います。
 選挙が近づいていきますと、私も色々な方から「どこの党に投票した方がいいんだ」あるいは、「野党に投票して本当に意味があるんですか」といったことを聞かれます。それに対して、私も精一杯お答えしております。
 しかし、政治を良くしようと思って皆さんは投票所に向かわれますが、そのとき、やはり基本的に「政治ってどうやって動いているんだ」とその仕組み、知識を持っていないと正しい判断はできないと思います。
 よく政治家というのは国民のレベル以上の人物は出ないと言います。別の言い方をすると、国民全体がレベルアップしていく中でしか、政治家のレベルも上がっていかないのです。例えば、「議院内閣制」と「大統領制」違いを説明できますか? 「一院制」と「二院制」違いを説明できますか? 歴史的になぜ二院制が生まれたのでしょうか。そして世界では、なぜ一院制の国が多いのでしょうか? それから「比例代表制」と「小選挙区制」の違いはなんですか? なかなか説明するのは難しいのではないでしょうか。
 それから、そもそも憲法って何でしょう? 憲法9条は改正するの? しないの? という議論がありますが、憲法はないと政治ができないのですか? 国家が成立しないのでしょうか。
 それから、日本に大統領はいないですよね。日本でなぜ大統領制がダメなのですか? 内閣総理大臣がいるのはなぜですか? 大統領制というのは日本に導入できるんでしょうか? たまに剽軽な人が「日本に大統領制を導入しろ」と言ってますけど、こんな人はまったく政治に対して無知で、基本的に国家とか政治に対してものを知らない人ということになります。
 そういう人には絶対投票しない方がいいと思います。ですが本当は、高校から大学の一般教養ぐらいで勉強してないといけないことなんです。民主政治というのは「国民が主人公」の政治のはずですから、その主人公の知的レベルを上げていく。ですからこのタイミングで政治とは何か? を学ぶのは、今回の選挙がどうなるこうなるではなくて、政治というものを根本的に考え直す良い機会になると思います。
 そういった思いもあり、参院選までに、政治のしくみについて考えるきっかけとなるような情報をまたお届けしたいと思います。

国際政治学者  藤井厳喜


トヨタ系列の製造業が狙われたのかも  藤井厳喜

 藤井です。今日はトヨタ系列の製造業が「狙われた可能性がある」という話をいたします。

 これはニュースでも取り上げられましたが、5/23 愛知県内のダム貯水池で大規模な漏水が発生して工業用水の供給が停止しました。この影響で、東京電力と中部電力が出資する『JERA』の碧南火力発電所の一部が停止することになりました。碧南火力発電所というのは日本最大の石炭火力発電所です。それによりこの地域での工業用水、電気の供給が不十分になってしまいました。

 この地域で最大の製造業はトヨタとその傘下が非常に多いので、ここが一番の被害を受けたのです。ここで大事なのはトヨタがホンダと異なり、全面的な電気自動車への移行戦略をとっていないことです。これをよくは思わない勢力が今回のことを企てた可能性は十分にあります。

 まず自動車産業は非常に大事な国防産業の一角を担っている柱になります。皆さんも考えて頂くと分かるのですが、戦車や装甲車を電気自動車で動かすことはできません。大きな軍艦に関しても同様です。ジェットエンジンや、ロケットエンジンも物を燃焼させて推進力を得る推進機関で造られていますから、これらの燃料は全部石油です。この石油が無かったら軍隊は動きません。つまりカーボンニュートラルでは軍隊を動かすことはできないのです。
 一般車で電気自動車が普及しても、長距離の旅行や移動、あるいは重量品の長距離輸送……やはりディーゼルエンジやガソリンエンジンは欠かせません。そういった意味でも石油技術で車を作り続けることは非常に大事なことであり、国防上も大切なことだと思います。それから特に過激な環境主義者が一番敵視しているのは火力発電所です。こういった点からも、電気自動車に全面移行しないトヨタを攻撃する動きは国際的にも存在するのではないかと思います。

 今回のことは単なる事故かもしれませんが、こういった謀略を働く勢力がトヨタを狙っているということは十分にあり得ると私は考えます。とにかくトヨタは日本を支えている企業の一つですから、十分防衛体制を敷いていただきたいと思います。日本は岸田内閣である限り国が頼りになりませんから残念ながら自分で自分を守らないといけない状況です。トヨタ関係者がご覧になってるなら、企業防衛には十分気を付けて下さいと申しておきます。

国際政治学者・藤井厳喜


神話から祖先の考え方を知る  松浦光修

 私たち日本の神話には、国土・民族の成り立ちを表す多くの話が語られています。
 確かに、それをそのまま「歴史事実」として捉えることは不可能かもしれま
せん。しかし、神話はただの作り話で古代人の夢や信仰に過ぎないというわけでもありません。そこには、古代における私たちの祖先のものの感じ方や、考え方が顕著に表れています。それは、科学の発達した現代に生きる私たちとは随分違っていたはずです。物事を客観的に分析するということより、天地万物、全ての存在が神秘的であり、その背後に目に見えない大きな力があると信じていたのです。それを「神様」として、仰いでいたのではないでしょうか。
 そうした古代の人の感じ方、考え方が表れているものこそ神話なのです。  
 今を
生きる私たちも、古代の日本人のDNAや遺伝子によって、性格やものの考え方が引き継がれています。なので、神話から祖先の考え方を知ることは、私たち自身を知ることにも繋がるのです。

皇学院大学教授  松浦光修

聖徳太子は「日本のお釈迦さま」 松浦光修

  第三十二代崇峻天皇が弑される(君主が家臣に殺される) という前代未聞の大事件のあと、皇位を継がれたのが、第三十三代・推古天皇です。はじめての女性天皇(女帝)として知られています。父君は、第二十九代欽明天皇ですから、むろん「男系の女帝」です。なお、いまだに 「女帝」と「女系」の区別がつかないという方がいらっしゃいますので、一言申し上げておきます。
 「女帝」は歴史上、八方十代いらっしゃいます。しかし、「女系の天皇」など、お一方もいらっしゃいません。畏れおおいことに今時は、そのような建国以来の皇位継承の伝統を、破壊してしまおうとしている人々もいますので、まずは、その歴史的事実を国民が、ちゃんと覚えておくことが大切です。
 さて、この推古天皇の御世、天皇をお助けして、わが国の政治を動かされたのが聖徳太子です。
 「冠位十二階の制定」「十七条の憲法の制定」「『天皇記』『国記』 の編纂」「遺惰使の派遣」「『三経義疏』の著述」などは、学校の教科書にも書かれていることですから、皆さん、よくご存知のことか、と思います。それらについて、一つ一つのことは、もう申し上げません。ただし、私には今、気がかりなことがあります。
 学校の歴史教科書は、戦後ずっと 「反天皇・反日本」の色彩が強いのですが、近ごろ、ますますその傾向が極端になってきていいます。

 たとえば、平成二十六年から使用される高校の歴史教科書のなかに、「聖徳太子は実在したか」というコラムを書いているものが登場するのです。昔から歴史の学問の世界には、とんでもない珍説を唱える人がいます。それも、そのたぐいの珍説にすぎません。むろん、どんな説でも唱えるのは自由です。しかし、だからといって、そんなものを学校で子供たちに教えてよい、ということにはなりません。それだけではなく、じつは今、学校の教科書からは、「聖徳太子」 というお名前さえ消えつつあります。「厩戸皇子」と書かれるようになったのです。日本人になじみのある「聖徳太子」をやめて、なぜなじみのない「幼名」を、わざと使うのでしょうか?
 
 要するに、歴史教科書をつくっている人たちの多くは、そもそも日本が嫌いで、皇室が嫌いで、したがって、皇太子であった聖徳太子を称える「聖徳」という言葉自体が、そもそも気に入らない、ということなのかもしれません。そういう教科書で日本史を習った子供たちは、やがて、まじめな子供ほど「聖徳太子」といっても、ポカンとすることになるでしょう。そして、その状態を放置しておけば、やがて日本人全員が「聖徳太子」のお名前さえ知らない、という時代がくるにちがいありません。恐ろしい話です。

 私たち一人ひとりが見識をもって、声をあげていなければ、知らない間に、日本は日本でなくなってしまうでしょう。浄土真宗の開祖・親鷺は、聖徳太子のことを、「和国の教主」と言っています。「日本のお釈迦さま」というような意味です。聖徳太子は、それほど仏教を尊ばれた方なのです。
 しかし、だからといって、日本の神々を粗末にされるようなことは、けっしてなさいませんでした。その証拠に、推古天皇十五年、推古天皇は「神祇鎮祭の詔」というものを出されていて、そこには、こういうことが書いてあります。
 「私は聞いています。 昔、先祖の天皇たちが世を治められる時は、天地に対して、 自分の身の置きどころがないほど畏まれ、あつく神々を敬い、すべての山や川をお祭りされたそうです。今、私の治世になって、神々の祭りを意るようなことがあっては、けっしてなりません。ですから役人たちも、心を尽くして、神々をお祭りしなさい」
 そしてこの年、聖徳太子は、朝廷のすべての役人たちをひきいて、神々をお祭りされています。用明天皇の皇子らしく、聖徳太子は神道も仏教も、ともに大切にされていたのです。
(つづく)
皇學館大学教授 松浦光修

※松浦教授の文章は平成25年に記されたものであり、松浦教授など良識ある人たちの意見が通り、現在も聖徳太子は教科書に「聖徳太子」として掲載されている。他の事でも同様に「筋の通らない事に対して、私たち一人ひとりが見識をもって、声をあげていなければ」ならないのである。

仏教の伝来   皇學館大学教授 松浦光修

 伊勢神宮の式年遷宮で、もっとも重要な儀式は、ご神体をお遷しする「遷御の儀」ですが、その日時をいつにするか、ということは、天皇陛下がお決めになることです。それでは、その式年遷宮というのは、いつからはじまったことなのでしょう? 
 古代の歴史をふりかえりつつ、そのことについて、お話をしてまいります。

 第二十九代欽明天皇の時代、日本に仏教が伝わりました。そのあと、仏教を広めようとする蘇我氏と、それを排除しようとする物部氏との間の争いが、しだいに激しくなり、とうとう戦いにまで発展してしまうのですが、そのような不穏な時代の行方を心配するあまり、用明天皇二年(西暦五八七年)には、伊勢神宮に 「天下泰平」を祈る使いが派遣されています。
 
 外国では今でも頻繁に見られる(…というよりも今、ますます激しさを増している)「宗教戦争」というものが、日本では、長い歴史を通じて、ほとんど見られません。そのことは、日本が世界に誇るべき歴史であると、私は思っているのですが、仏教伝来のころは、かなり険悪な状況でした。しかし、そのような状況のなか、用明天皇は、次のようなご姿勢で神仏に臨んでいらっしゃいました。

「天皇は仏法を信じられ、神道を尊ばれている」(『日本書紀』巻第二十一)

 外国の宗教である仏教を信じるからといって、けっして日本古来の神道を粗末にするようなことはしない、それどころか、ますます神道を尊ぶ… それが用明天皇のお考えで、皇室は、それ以後、ずっとそのようなお考えでこられたのではないか、と私は思っています。「神」と「仏」は共存共栄できる、ということです。たぶん、そのような皇室のお考えが、長い歳月のあいだに、日本人そのものの考えになっていったのでしょう。ほかの国ではあまり見られない日本人の信仰に対する寛容な姿勢は、おそらく皇室に由来するのではないでしょうか。もっとも、「自分たちの信仰だけが正しい、それ以外の信仰は滅ぼす」というような、独善的で戦闘的な信仰だけは、さすがの日本人も受け入れていません。それは、たとえば、こういうことでしょう。
 人の「自由」は基本的に認められます。しかし、いくら 「自由」が認められるからといっても、「他人の自由を奪う自由」だけは認められません。そんな「自由」を認めてしまうと、「自由」そのものがなくなってしまうからです。日本人が、独善的で戦闘的な信仰だけは、断固として拒否してきたのは、そうしないと、さまざまな信仰が共存共栄できなくなることを、直感的によく知っていたからではないか、と思います。
 さて、蘇我氏と物部氏との戦いは、蘇我氏の勝利に終わり、用明天皇のあとは、第三十二代の崇峻天皇が即位されます。しかし、驕り高ぶった蘇我氏は、崇峻天皇を弑する(主君を殺す)という、前代未聞の大罪を犯すのです。皇室に危機が迫っていました。その時、まるで神仏の使いのようにあらわれたのが、聖徳太子というお方です。

皇學館大学教授 松浦光修


地球は寒冷化しているのでは  国際政治学者・藤井厳喜

 今、マスコミは押し並べて地球温暖化と言っていますから、地球が寒くなっているというニュースはことごとく報道したがらないのです。それに対して温暖化しているというニュースは喜んで報道します。
 ですから、テレビなどのニュース
を見ていると「地球はどんどん暑くなっている」と思ってしまいますが、これは大間違いです。今で言うと、インドが猛暑であることは確かです。しかし、冷えているところもあるのです。

 4/1、フランスやベルギーでは大雪が降っていました。地中海に
あるコルシカ島では、なんと数十センチの雪が積もったほど。4/2のコルシカ島の最低気温は-8度、最高気温-2度という、真冬日だったのです。
 4/11、アメリカのオレゴン州でも、あちこちで道路が封鎖されるほどの大雪に。
オレゴン州で4月に雪が降るのは、なんと82年ぶりだそうです。  
 4/16にはテキ
サス州で手のひらサイズの雹が降ったと大きな話題になっています。他にも、4月以降、アメリカのワシントン州、バージニア州、オハイオ州、ペンシルベニア州、カナダのミネソタ州など各地で大雪となり、記録的な寒波に襲われました。
このように、調べていきますと地球が寒冷化しているニュースはたくさんあ
ることから、地球は寒冷化しているのではないか、と私は思っています。
 マスコ
ミを見ていると「今年の夏も暑くなる」というニュースばかりですが、実際、どうなるのでしょうか。寒くなったニュースは報道されませんので、私はこれから時々、地球寒冷化ニュースを集めて皆さんにお届けしたいと思います。
国際政治学者・藤井厳喜

藤井厳喜(ふじい げんき) 

国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者

ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。

江戸時代の農民は虐げられていたのではない  田中忠道

 江戸時代というと、「水戸黄門」などのドラマでは、貧しい農民が悪代官に虐げられていたようなシーンがよく描かれているが、田中英道氏(東北大学名誉教授)によれば、「実は、当時の民たちは、決してそのような弱い立場ではなく、むしろ高度な生活を営んでいたことがわかってきた」と言われる。  
 一体どういうことなのか。江戸時代の民は、どのような暮らしをしていたのか。

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 江戸時代というと何を思い浮かべますか? 封建社会。士農工商。そんなところではないでしょうか。「身分が定まっていて、大名、代官、大地主たちが町民や農民を苦しめ、それに耐えかねて、人々はしばしば一揆を起こした」実際、こんなふうに述べている歴史書もたくさんあります。しかし最近は研究が進んで、人々は意外に自由で、「身分に縛られて経済的に苦しめられるような立場ではなかった」という江戸時代の姿が明らかになってきています。
 近代以前の封建的な暗黒の時代。そういう観念が江戸時代の暗いイメージをつくり上げているのでしょう。歴史を観念で見てはなりません。イデオロギーで思い込んではなりません。将軍や大名は決して大土地所有者ではないのです。領内から徴税して、それでもって行政に当たる、そういう立場でした。
 土地を所有していたのは町人や農民でした。そしてその土地を自由に売買することができました。土地を売ってその代金を資金にし、たとえば酒造や織物の仕事をすることもできました。人々は農奴のように身分を固定されていたわけではなく、資本家として活動することもできたのです。
 少数ながら、土地をもたない小作人もいないではありませんでした。しかし、彼らは収穫の二分の一を取得する権利をもっていたのです。そして努力して収穫量を上げれば、小作人をやめることができました。
 
 テレビドラマなどに登場する代官は、だいたいが人々を苦しめる悪代官と相場が決まっています。まあ、そういう代官がまったくいなかったとはいえないでしょう。しかし、それは本来の代官の姿ではありません。農事改良を指導したり、村民教化に努めたりして生産を上げ、徴税を滞りなくおこなう地方公務員といったところが代官の役割だったのです。
 
 幕府の政治も将軍の独裁などではなく、評定(会議)によって行われました。「百姓は大御宝」という農民重視の思想が根底にあって、さまざまな施策がとられました。農民は副業を営むことができ、それは課税されませんでした。 だから、幕末の寛永のころには、農民が納める年貢率は全収入の一割、多くて三割になっていました。その年貢は主に、人々の暮らしをよくするための公共施設の基盤整備に使われました。大河川の氾濫に備えた堤防の構築や、物資輸送のための道路整備や港湾施設の拡充などです。
 
 武士の特権に「斬り捨て御免」というのがありました。しかし、これも中期以降は不可能になります。武士に非があれば、奉行所が処分しました。百姓一揆が起こっても、それが一方的に抑えられ、処断されるようなことはありませんでした。事情やいきさつがくわしく調べられ、原因をつくった責任者は罷免や没収などの改易に処せられました。一揆を起こした側も、首謀者以外は無罪放免になるのがほとんどでした。
 
 士農工商は当初、社会安定のために設けられました。しかし、実際は流動化していきました。人々はそれぞれにさまざまな生き方をしているのですから、そうなっていくのは当然です。
 例えば石田梅岩は農民の出です。しかし彼は、京の商人の家に奉公に行きました。そこで勉強し、商人や農民が武士に劣るものでないことを知って、上下関係を重んじる朱子学を中心に、仏教や老荘を取り入れ、それぞれに社会的職分があって、その役割には隔てがないことを説き、心学の祖といわれるようになりました。
 長岡藩では藩士が支配を商人に委ね、農村復興に効果を上げました。農民でも名主になり、帯刀を認められることがありましたし、姓を公称することもできました。武士である御家人の子が町家に養子に入ったり、武家と富農が婚姻関係を結ぶこともよくありました。庶民がお金で武士の身分を買うこともありました。そして学問、武芸、技術に秀でていれば、十分に取り立てられることもあったのです。
東北大学名誉教授  田中忠道

このままでは日本が第二のウクライナに    惠 隆之介

 ウクライナ東部ルガンスク州では、ロシア軍による激しい攻撃が続いています。「ロシア軍による街の破壊は 雪崩のように増加している」ウクライナのゼレンスキー大統領は、こう話し、ロシアによる攻撃が今週さらに激化するとの見方を示しました。そのような中で、ウクライナは戦争の被害に加え、さらに苦しい状況に陥っています。

 世界銀行は、ウクライナの今年の実質成長率がマイナス45%に陥ると予想。ウクライナ経済は取り返しのつかないほどの打撃を受けているというのです。
 一体どうして、このようなことになってしまったのでしょう?
 実は、ウクライナは世界第5位の小麦の輸出国。ヨーロッパのパンカゴと言われたウクライナにとって、穀物の輸出は国を支える大きな財源でした。しかし、その大半を輸出していたオデッサやマリウポリといった港のある黒海・アゾフ海沿岸が、ロシア海軍によって制圧され収穫した小麦のほとんどを運び出すことができなくなっています。これはウクライナだけでなく、世界中、そして日本にも大きな影響を与え始めていました。ウクライナからの輸出が滞ったことで世界的に小麦やトウモロコシなどの国際価格が急騰。岸田首相は15日の会見で、この価格の上昇について、「ロシアのウクライナ侵攻による、有事の価格高騰」との認識を示しています。

 ウクライナの戦争は我々の家計にまで影響を及ぼしており、今や、世界的な食糧危機に発展する可能性も叫ばれるようになったのです。しかし、ウクライナ戦争の日本への影響は食糧価格の高騰だけではありませんでした。日本はその地政学的な理由から、さらなる危機を迎えようとしていたのです。

 日本に迫る2つの脅威とは

 ウクライナが今になってこのような経済的な痛手を負ってしまったのは、一体どうしてなのでしょうか。それは、ウクライナがロシアにシーレーン(海洋交通路)を取られてしまったから。国内でいくら多くの小麦が獲れようとこのシーレーンが機能していなければ安全に船を運航することができず、輸出入が行えなくなってしまいます。多くの国が貿易を通して経済を成り立たせている現代において、海を奪われてしまうことはその国の経済基盤を奪われることと等しいのです。
 全貿易量の99%以上を海上輸送に依存するわが国にとってはさらにその海の重要性は増します。日本は海に囲まれており、日本中のどこからでも自由に輸出入ができるように見えますが、実際はそうではなく、日本への石油などのエネルギー、食物、日用品などのあらゆる輸入品の海上交通路(シーレーン)は一定してある場所を通っています。
 それが沖縄沖……。もし、沖縄で有事が発生し、このシーレーンが脅かされるようなことがあれば、エネルギーも物資も不足し、日本の経済は一気に衰退してしまうでしょう。そんな日本の命綱とも言える沖縄で、今、大変なことが起こっているようです。もはや日本は、ウクライナを他人事として眺めていることのできるほど、安全な国ではなくなってしまっていました。

 元海上自衛官  惠 隆之介

なぜ古墳はつくられたか?  田中英道

 古代ローマと同じ頃、3〜6世紀にかけて、日本では古墳が数多く作られました。その規模はピラミッドよりも大きく、もちろん古代ローマの五賢帝のうちの一人、ハドリアヌス帝のお墓として建てられたカステル・サンタンジェロよりも大きい規模で作られています。
 全国で16万基以上といわれるほどの数がありますが、その建築技術の高さだけではなくて、人々がそういうものを作り出すエネルギーの中心に、「天皇」という存在があったことを思わないわけにはいきません。

 ローマ皇帝と天皇
 ローマは皇帝を中心にしてヨーロッパ中に多くの植民地を作りました。それは現在のフランス、ドイツ、イギリスにまで及ぶ強大な力でした。まさにローマの皇帝権力の強さを示しているわけですが、これは日本で天皇陵というものが多数作られると同時に、非常に多くのさまざまな形の古墳が作られたことと重ねて考えることができます。つまり、皇帝崇拝天皇崇拝の強さです。

 ローマと日本の共通点
 そういう共通性だけではなくて、多神教的な考え方が日本と古代ローマに共通して見られます。またローマでは堅牢な石造文化が作られましたが、日本の古墳文化も石をたくさん使っています。古墳文化は“石の文化”といってもいいくらい、建造物としては堅固な構造を持っています。こういう巨大な建築文化というものも、ローマと日本の共通性として感じます。

 “形”の比較で見えてくる歴史
 古代ローマは建設の時代でした。そして日本の古墳時代もまた、建設の時代だったといっていいでしょう。これは必ずしも文書に残されているわけではなく、形の文化として成り立っているというのが特徴です。古墳について触れられている文章は『古事記』にも『日本書紀』にもないのです。不思議といえば不思議ですが、それが形の文化の自律性を示しているということでもあります。

 このように 私たちが建設の時代として古墳時代を捉えることができるのは、同じ頃に古代ローマという大建築を作った文化があるからです。双方の文化を比較検討することによって、こうした見方を得ることができるのです。

東北大学名誉教授  田中英道


沖縄の今   惠 隆之介

 ウクライナ戦争が長期化しています。ロシアとウクライナ、どちらも一進一退の攻防ですが、全く終わりの見えない情勢です。しかし、ウクライナ戦争で今、ウクライナやロシアに目がいきますが、本当に日本にとって身近な危機なのは中国ではないでしょうか?
 沖縄出身の元海上自衛隊幹部で海軍戦略、日本の海洋戦略に詳しい惠 隆之介氏によると、これまで沖縄では人民解放軍のスパイが堂々と活動していたと言います。

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 中国友好連絡会というのをご存知でしょうか? よく「友連会」と自衛隊とか公安が言っていますけれど、これは人民解放軍の工作機関で、沖縄でも公然と諜報活動をしています。
 まず中国大陸に来る自衛隊のOBとか有名人を食事に誘って 「沖縄には富裕層を自分たちで送るから、1日も早く基地経済から脱却してください」と明確に発言しているのです。そして、「万が一のときに沖縄の基地から中国側に攻撃が飛んで来たら、間違いなく反撃します」という恐怖感も与えているのです。 
 実際、この友連会のメンバーが頻繁に動いていて、尖閣のある石垣市長のところにも来ているのです。友連会のスタッフが、「尖閣諸島を共同開発しましょう」と札束を見せながら色々なことをしています。そういう感じで、中国は経済で正面攻撃に出てきているのです。富裕層の旅行客も大量に送り込まれています。
 沖縄のリゾートホテルのマネージャーなんかに聞いたら、「中国の旅行客のおかげでスイートルームから部屋が埋まっていく」と言います。風紀が乱れるから本当は受け入れたくないけれど、この連中は札束を持っているから受け入れざるを得ないと言っていました。
 この友連会のトップは中国投資バイヤーのお嬢さんで、習近平さんの奥さんがナンバー2。そして、中国軍の将官クラスが主要メンバーです。当然、沖縄の政財界のトップとつながっています。それだけではありません。中国資本は沖縄の土地も狙っています。宮古島の近くの下地島空港というのがありますけれど、
 その近隣の土地の値段が高騰しているのです。付近に宮古海峡というのがあります。これは国際海峡ですから、中国はそこを押さえようとしているのです。彼らは素性を名乗らず日本企業名で来るものですから一般の人たちはすぐに信用してしまいます。しかも、多額の現金を積むのです。どこかで売買の話を聞いたら、すぐに日本人のバイヤーが現金を持って現れるのです。彼らが好き勝手に暴れられるのははっきり申し上げて日本政府がだらしないからです。
 那覇はスクランブルで飛んでくる飛行機で満杯状態なのです。何とか下地島にスクランブルの戦闘機の1個飛行隊でも動かすべきだということを提案したことがありますが、わが国の政府は辺野古の問題で手いっぱいで動こうともしません。全くやりきれないです。
 話が飛躍して恐縮ですけれど、まさに昨今の情勢は幕末のようなもので、
今の自民党体制はこれからの乱世で国家を守れるのか? と思います。新生保守の勢力が立ち上がらないと、日本は本当に危うい方向に向かっていくと感じています。
 沖縄の最前線で少し実情を見れば、諸外国の工作が目前に迫っているのが分かるのでしょうけれども、そういった方は少ないのが現実です。沖縄の左翼活動家はとにかく今の日本の体制を破壊すればそれで済むわけです。破壊して赤い旗が立つのか、国家革新に燃えている人もいるのか、あるいは中国の手先になって、中国政府のバックアップの下に琉球共和国を作ろうと思っているお花畑のような思想の人もいるでしょう。いずれにせよウクライナ侵攻の影響で沖縄は今後、これまでにない非常に危険な状態に陥ることになります。
 尖閣諸島問題、沖縄振興予算、そして米軍基地移設問題。様々な課題が山積みですが沖縄本土復帰50周年になる今、国民1人1人に沖縄の諸問題を考えていただけると幸いです。

元海上自衛隊  惠 隆之介

ストーンヘンジと秋田・大湯(おおゆ)環状遺跡  田中英道

 イギリスの世界文化遺産 ストーンヘンジは、紀元前3000〜1500年ごろに作られたと言われる巨石遺跡だ。
 この遺跡とは遠く離れた土地で、奇妙な共通点を持つ遺跡がある。それが日本の秋田県にある大湯(おおゆ)環状遺跡である。これら2つの遺跡には、どのような共通点があるのか。

 東北大学名誉教授:田中英道氏の解説


 巨石は何を語っているのか

 ストーンヘンジは、イギリスにある巨石遺跡です。高さ4.5メートル、重さは
25トンもある巨大な石が、直径30メートルの円周上に並び立ち、その上に約7トンの石が乗せてあります。

 この巨石の配置は、太陽の運行に関係があると推測されています。当時の人々にとっても、太陽が時間の観念を与える大きな手がかりであったと想像されます。

 日本にあった“ストーンヘンジ”

 これと似た遺跡が実は日本にもあります。青森県の三内丸山遺跡の近くにある大湯環状遺跡(秋田県鹿角市)です。
 この環状遺跡も、とても規則正しくつくられています。ストーンヘンジほど大規模なものではありませんが、太陽をいかに観測するかということを日本人が縄文時代に行っていたことがストーンヘンジと同様に推測されます。
 
 この時代に、東洋・西洋に共通して、石による文化遺産がつくられ、それらは共に太陽の運行と関係しているということが分かるのです。

 誰がつくったのか?

 ストーンヘンジをつくったのは、原ヨーロッパ人とも呼ぶべき人々です。ストーンヘンジで私が注目するのは、この時代の人々が土地や自然と深く結びついて暮らしていたということです。
 日本列島では、縄文時代の人々が、自然と常に融合しながら暮らしていたわけですが、ストーンヘンジを見れば、それと近い文化がヨーロッパにもあったということが分かってくるのです。ここに日本の縄文時代との共通性を見ることができます。
 このような共通性は、遠く離れた日本とヨーロッパでも、共通する信仰があったのだろうということを予想させます。



 このように歴史を知る手がかりは、必ずしも文字史料だけでは無い。残された遺跡や発掘品を丁寧に読み解いていくことで、文字すら存在しないはるか昔の世界がどんな姿をしていたのか、少しずつ浮かび上がってくる。

 このほかにも、世界に残された謎はたくさんあると田中教授は。

・ピラミッドはなぜ作られたのか? なぜか古墳とソックリな理由とは。

・縄文土器に“動物”が描かれないワケは。 西洋では“動物ばかり”なのにな

ぜ?

・偶像崇拝のミステリー 神道はNG、仏教は〇  宗教ごとに違うのはなぜか
 

 などなど。

 これらの歴史ミステリーは、“カタチ”に着目することで解明できると田中教授は語る。一体どんな歴史の真実が見えてくるのか。

ガンの原因はタバコ・飲酒か  吉野敏明

   ガンの原因はタバコ・飲酒だとよく言われますが、これは嘘です。

 「厚生労働省のホームページでは、ガンの原因、第1位はタバコ。第3位が飲酒と書かれていますが、よくよく調べてみるとガンとの関連性は薄く、むしろ〇〇が原因だとわかりました」こう語るのは、医療法人社団誠敬会会長   吉野敏明 医師です。


 吉野氏はこう語ります。

 「日本人のガンの原因は喫煙が1位。3位が飲酒となっています。
日本では、かなり力を入れて国民の禁煙を促しています。その甲斐あってか、昭和と比べるとかなり喫煙者が減りました。喫煙者は昔の方が多かったですよね。にも関わらず、昭和40年代と比べてガンの死亡率は4倍にもなっています。特に、肺がんの死亡率は10倍にもなっているんです。おかしいことに、禁煙すればするほど、肺がんが増えています。これはどう説明すればいいのか。他に原因があるのではないか。そう思って、僕はいろんな文献を調べました。何千何万の論文を読みました。

 そうして分かりました。ガンは食源病なんです。食品添加物とガンの発症率の研究結果から明らかです。加工食品が食事の中に1/4占めている人と加工食品がほとんどという人を比べると、ほとんどという人の方がガンの発症率が高いのです。どれだけ加工食品をたくさん食べているのか、割合はどのくらいかによって、ガンの発症率は変わります。これは大変重要な話なのですが、なぜか日本では知られていません。

 なぜなら、日本語で食品添加物、ガン、悪性腫瘍とGoogleなどで調べてもこのような情報は出てきません。しかし、英語でこれらの単語をGoogleや論文サイトで調べると、何百とか何千の論文が出てきます。日本人は情報規制を受けているのです。大きな問題です。

医療法人社団 誠敬会会長  吉野敏明

織田廣喜と村田省蔵

   若いときに或る画家の作品に出合い感銘を受け、時代と共にその画家の評価がますます高まる。それはなかなか言葉では言い表せぬ、うれしいことである。
 自分では描けない私だか、たまたまなのか、少しは観る眼があったのだろうか、そういった画家が二人居る。故人となられたその油彩画家は、「織田廣喜」(おだ ひろき)と「村田省蔵」(むらた しょうぞう)の両画伯だ。大きな賞も手にされ、芸術院会員にもなられた著名なお二人なので、絵画に興味のある方はご存知の方も多いだろう。

 織田廣喜(大正3 – 平成24年)は、福岡県出身で日本美術学校西洋画学科卒、第53回二科展で総理大臣賞受賞、第56回二科展で東郷青児賞受賞。平成7年に恩賜賞、日本芸術院賞を受賞、日本芸術院会員に。二科会理事長も歴任した。また、フランス政府芸術文化勲章・シュヴァリエも受章。晩年は、奥さんのリラさんをモチーフにした「少女」を描き続けた。
 織田は現実世界をそのまま描くのではなく「想像し嘘をつく」ことが絵の制作には必要であると語った。デフォルメされた幻想的な作品で、多くのファンを得た。織田の「少女」は、洗練されたレストランや喫茶店などでよく目にする。

 25年くらい前、大丸心斎橋店で開かれた個展で、念願叶いお会いできた。そのときに購入した織田の著書「絵筆とリラと」の表紙裏に「少女」を描いていただくという幸運に恵まれた。現在、織田の油彩「少女」2作品を所蔵している。

 村田省蔵(昭和4年 - 平成30年)は、。石川県金沢市出身。金沢美術工芸専門学校洋画科卒業。上京し、小絲源太郎(こいと げんたろう)に師事。昭和34年、東京都保谷市にアトリエを構えた。昭和43年、第11回日展で菊華賞受賞。平成10年第30回改組日展で「春めく」が内閣総理大臣賞を受賞。平成18年、第37回日展にて恩賜賞日本藝術院賞受賞、同年日展理事、日本藝術院会員に。平成12年に金沢学院大学美術文化学部教授。「多彩かつ濃厚な色彩と緊密な構図は村田様式」 と評された。
 晩年は稲架木(はさぎ)の風景をモチーフにすることが多かったが、冬の田圃に雪をかぶって立つもの、春先に秋の実りを待つもの、これまでの人生を稲架木に託して描いているかのようだった。この稲架木の景色を新潟の旧岩屋村で見て、強く惹かれたと聞く。「内閣総理大臣賞」を受賞して以後、3月の日展巡回展(大阪・天王寺美術館)では、広い会場のメインの場所に展示された。身内の事のように誇らしく思ったものだ。

 私は村田に、30年程前に梅田阪急百貨店での個展でお会いできた。そのとき、油彩「三色すみれ」SMを購入したが、しばしお話しでき二人での写真を撮って貰った。私には大きな記念となった。なお後年、村田の油彩「伊豆・稲取海岸」10号を所蔵することになった。これら村田の2作品は、織田の「少女」と共に私の宝である。

 織田、村田のお二人には「文化功労者」に、そしてゆくゆくは「文化勲章」受章をと密かに念じたが、残念ながら叶わなかった。

「美術」という切り口から世界文明を 田中忠道

 私は、1965年にフランスに留学して以来、60年近く、世界各国の美術品・文化遺産を数多く見てきました。大学ではずっと“美”を理解する「美学・美術史学」という学問に取り組んできたためです。これは“カタチの美”を観察し、そこから作者の思想や哲学などを汲み取ることを主とした学問です。

 しかし、「美術史」というのは、ただ“美しさ”を論じるものではありません。「人類の歴史」を知るための重要な手がかりでもあるのです。というのも、人類史において、文字が発達していなかった時代、人々がコミュニケーションの媒介として用いたのは「絵」でした。

 世界で「文字」が誕生したのは、約5,000年前。日本に「文字」が伝来したのは約1,700年前だと言われています。それ以前の文字なき時代、人々は何かを伝えたいと思ったとき、絵画などの美術作品を用いていました。かつての美術は、現代よりももっと「誰かに何かを伝える」という機能を強く持っていたのです。

 また、文字の登場以降の世界でも、絵や建築、立体的な造形による人々の表現はたゆまなくおこなわれ、文字では表すことのできない、さまざまな思想や信仰を形にしてきました。 美術はまさに、その時代・土地の「精神」を映す鏡なのです。 さまざまな時代や土地の美術を比較していくことによって、人類の精神の歴史が浮かび上がります。

 「嘘も100回言えば真実になる」という言葉があるように、文字は必ずしも本当のことを伝えてくれるわけではありません。文字だけに頼らず、「美術」という切り口から世界文明を見ていくことで、全く新しい歴史が見えてきます。 

田中忠道 東北大学名誉教授

製薬会社 抗がん剤の闇

「抗がん剤は無意味」・・・アメリカ国立ガン研究所
抗がん剤を使わない欧米でガンが減っている?
日本の製薬会社がひた隠す、抗がん剤の闇。

 「抗がん剤を使っているのは日本くらいですよ」こう語るのは、誠敬会クリニック銀座院長の吉野敏明先生である。なんと、アメリカやイギリスでは、ほとんど抗がん剤が使われていない。さらにはガンが減っているというのだ。では、なぜ抗がん剤を使いガンの減少に努めている日本では患者数が増え続け、日本人の死亡原因1位のままなのか?

吉野敏明先生:
 「抗がん剤とは、体の中のガン細胞の増殖やガンの進行をおさえる薬です。抗がん剤治療は1940年代から行われていて、日本でもメジャーな治療法ですよね。しかし、世界を見てみるとアメリカやヨーロッパでは抗がん剤、ほとんど使われていないんです。もちろん、ずっと使っていなかった訳ではなく近年になって徐々に使用量が減っています。そして、意外なことに抗がん剤の使用量が減っているのに1999年くらいから欧米ではガンが減少し続けています。なぜかというと、ガンが食源病だとわかったのでオーガニックというように農薬や食品添加物、遺伝子組み換えを使わなくなったからです。
 先進国でガンの患者が増えているのは日本だけです。そして、抗がん剤をたくさん使っているのも日本だけ。

 除草剤〇〇〇〇アップの話は聞いたことありますか? アメリカで訴訟があって欧米で使えなくなったので日本に輸出する小麦やとうもろこしに使って在庫処分している訳です。それと同じで、アメリカで使えなくなった抗がん剤はどんどん日本に輸入されています。日本は食料や薬の最終処分場になってしまっているのです。もちろん、輸入するのにもお金がかかります。抗がん剤治療などの医療費に50兆円の税金がかけられています。この税金のほとんどが外国資本に流れていっている……。これが日本の現状です」



 一体なぜ、このような話が知られていないのか。吉野氏は「医療の問題はタブーなので誰も話すことができない」と言われる。

 体に悪いものを食べされられ、がんになり高価な「抗がん剤」を投与されているのが我々日本人なのか。
 製薬会社や日本医師会は、真実を公にすべきである。

 

中国高官の海外逃亡

 中国において、90年代以降、 判明しているだけでも、海外逃亡した政府高官は2万人以上にのぼり、不正に持ち出したお金は10兆円を超えているという。それも、1人あたり平均13億円の公金あるいは不正蓄財を海外に持ち逃げしているというから驚く。
 
 元温州市副市長の楊秀珠なる高官は、判明しただけでも3兆4,350億円も汚職で手に入れ、海外逃亡したと伝えられる。そこで、中国共産党は2010年1月、中央規律委員会監察部、公安部、司法部、外交部合同で 「汚職公務員による海外逃亡防止会議」を作って、高官の海外逃亡に対する防止策を練っている。世界広しといえども、高官の海外逃亡を防ぐ組織は中国以外にない。こんな恥さらしの組織を作らなければならないほど、中国では高官の海外逃亡問題が深刻なのだ。

 高官たちの手口は共通している。不正蓄財 子女を海外留学させる 資産を海外に移転 家族を海外に移住 本人が海外逃亡 渡航先国の法を盾に帰国拒否 という手順である。
だから高官子女の留学は、海外逃亡へのワンステップであり、安全弁の一つなのだ。ちなみに、中国の最高決定機関である中央政治局の常務委員9人のうち、子や孫を米国に留学させている者は、 少なくとも5人いる。習近平の娘も、ハーバード大に留学中である。普通の国なら、これはゆゆしき問題だ。なぜなら、国の指導者たちの子供や孫が他国に人質をとられているようなものだからである。しかし、中国の指導者たちにとって、国のことよりも逃亡先の確保の方が大切なのである。

(中略)

 高官たちが逃げ出す理由
 それにしても、なぜ成功者であるはずの高官たちは母国から逃げなければならないのだろうか? その最大の理由は、中国は法治国家ではなく人治国家だからである。世界でも指折りの法治国家に住む日本人には想像しがたいことかもしれないが、法治国家なら、権力闘争に負けたくらいで牢屋に入ることはない。

 だが、人治国家である中国の場合は、権力闘争に負けることは致命的で、命を取られるか、投獄されるかのどちらかしか道はない。

 そもそも中国の法律とは、搾取や権力闘争に使う道具でしかない。だから、権力闘争に負けると、一族郎党まで牢屋に入れられてしまう。これも中国特有の「蘇九族」(親族は皆殺し)という報復文化の特徴だ。勝者はどうなるかというと、高位高官にのぼるほど権力も強くなるが、彼らに打ち負かされた敵も多くなる。ある意味で、高位になればなるほど危険なのだ。

 毛沢東に負けた林彪(りん ぴょう)と劉少奇(りゅう しょうき)の悲惨な末路はそのいい例だ。2012年3月に失脚した薄熙来(はく きらい)もその典型的な例と言える。まるで映画のような失脚事件だったが、中国ではこのような熾烈な権力闘争は決して珍しいものではない。高官のポストは、並みの神経の持ち主ではまず務まらない。邪魔者を消すくらいは平気でやりかねない。だから、彼らは権力の座についたその日から、明日は我が身と海外逃亡の準備もしなければならないのだ。

林 建良(りん けんりょう 台湾人 日本在住の開業医)

中国の人口14億は嘘  林 建良

 世界で一番人口が多い国はどこでしょうか?

 中国の人口をGoogleで調べてみると、その人口はおよそ14億人と、全世界で1位を記録しています。しかし、この中国発表の「人口14億人」というデータ、実は全くのデタラメだということをあなたはご存知でしたか?

 2020年の5月、中国が国勢調査の結果を発表しました。すると、「明らかに数字がおかしい!」と世界中からツッコミが入ったのです。

 例えば、14歳以下の子供の人数。政府の発表によると、人数は2億5,338万人とのことですが、同じ期間で子供が産まれた数を足してみると、2億3,900万人。その差は【1,438万人】にも上ります。

 数字が大きすぎてピンとこないかもしれませんが、これは東京の人口よりも多いです。つまり、それだけの人数を中国政府は水増ししていたということ。

 こんな不正が行われているので、統計学者の間では、「人口14億という数字も、実際は12億くらいしかいないのでは?」と言われているのです。そうなると、人口世界1位も嘘になります。

林 建良 (りん けんりょう 台湾人 日本で開業医として活躍)

日本に同化したユダヤ人

 田中教授(東北大学名誉教授)は、次のように言われる。

 『ユダヤ人なしに日本の古代史は語れません。なぜなら古代日本が唯一ユダヤ人を受け
入れ、彼らと同化した国であるからです。もともとユダヤ人たちは、国を滅ぼされ離散した民族ですが、各地で迫害を受けていました。大陸の厳しい気候では食料は豊富に取れませんし、その取り合いで戦争が絶えない環境ですから、ユダヤ人たちが助けを求めても、「敵がきた」「異端の怪しい者たちがきた」と認識され、排除されたのです。ですが古代の日本は違いました。大陸と違い、温暖な気候で食料も豊富にとれますし、争いになることもほとんどなく、穏やかな性格をした人々が住んでいました。ですから、ユダヤ人たちを快く受け入れましたし、彼らを差別することもなく、住む土地や政治的な地位まで与えました。これらのことは大陸で虐げられてきたユダヤ人たちにとっては衝撃だったでしょう』

 日本に感謝をした彼らは日本人と手を取り合い、世界に誇る日本独自の文明を作り上げ、国家の繁栄に大きな貢献を果たした。例えば、その一つが巨大古墳の築造である。ユダヤ人たちは、大陸で培った最先端のテクノロジーを駆使して、ピラミッドや秦の始皇帝の墓よりも巨大な世界一のお墓・仁徳天皇陵を作り上げた。 彼らの痕跡を丁寧に辿っていくことで、古代日本国家がどのように繁栄していったのか? どのような文化を育んできたのか? 国の歩みともいえる、日本繁栄の過程が紐解けてくる。

秦(はた)氏と伏見稲荷大社  田中英道

 田中英道氏は、古墳時代前から活躍の見られる秦(はた)氏は、渡来したユダヤ人だといえ説を従来から唱えている。古墳の築造や神社の立ち上げなどに尽力したと言われる。以下は、田中氏が記されたものである。


 稲荷神社は、京都の代表的な神社で、近畿地方では初詣で最も多い参拝者を集め、全国に3万社以上ある神社です。稲荷山の神は山の神として古くから信仰されてきましたが、総本山である伏見稲荷大社の創建には秦氏が大きく関わっています。秦氏が社殿を建て、「伊奈利社」として祀ったのです。
 奈良時代初期の「山城国風土記」は、なぜ「イナリ」と呼ぶのか、その由来を語っています。すでに秦忌寸(はたのいみき)など大勢の秦氏が京都にいましたが、その遠い祖先である秦伊呂具(はたのいろぐ)が稲作をして裕福な生活を送っていました。ある日、伊呂具が米でつくった餅を的として矢を射ったところ、その餅が白鳥に変わって飛び立ち、神社のある山に降りて稲が成長したため、「稲成」から「稲荷」という名が付いたということです。
 これが伏見稲荷大社のはじまりであると「山城国風土記」には書かれています。 漢字の「稲荷」は、稲の魂を担っているという意味にもとることができます。つまり、豊穣を表しているのです。そのため、今では稲ばかりではなく、漁業や大漁祈願など、さまざまな糧、多くの利益を望む人々に祈られています。ですから、会社の神棚はだいたい稲荷神社なのです。
 「山城国風土記」によると、「イナリ」の表記はもともと「伊奈利」という字を当てていました。この「伊奈利」は万葉仮名で、漢字ではありません。万葉仮名で書くということは、「これは外来の言葉である」ということを示しているわけです。外国の言葉を使うことで、わざと日本人ではなかったということを強調したと考えられます。イナリの語源が、秦氏の祖であるユダヤ人原始キリスト教であること、稲荷神社の鳥居が赤いのはキリストの血の色だという解釈もありますが、秦氏の一族は神社を使って日本人をキリスト教化しようという意図はもっていませんでした。

日本の思想の源流は「縄文精神」と「やまとごころ」ですから、西洋のキリスト教が入る余地はなかったのです。「記紀」に書かれているような自然信仰、天皇家を中心とした社会に別の神をもち込むのは不可能だということに、秦氏は気づいたのでしょう。そのため秦氏は、逆にしっかりとした日本の思想体系の中に入り込み、それを強化するという、非常に知恵の深い思慮で日本に定着したのです。
田中英道(東北大学名誉教授)

マッカーサーの気づき

 日本の敗戦と共に、無政府地帯となっていた朝鮮半島の大韓帝国に先を争って進駐したアメリカ軍とソビエト軍が、領土の分割協議を行い北緯38度線を境に朝鮮半島を南北に分割占領した。
 その後、昭和23年に北部には朝鮮民主主義人民共和国、南部には大韓民国が建国された。

 ソビエトと同盟関係をとる中国軍は北朝鮮を後押しすることで朝鮮半島全域の共産化を画策し、北朝鮮軍を南下させた。ソビエトと中国はもとより、北朝鮮までが共産主義の赤い旗で埋め尽くされて、その赤い旗の群れが南朝鮮までも飲み込もうと南下しはじめたのには、アメリカは慌てた。そこで急遽、アメリカはマッカーサー率いる在日米軍を朝鮮半島へ派遣し、南進する共産党軍にあたらせることとなった。

 日本との予測をはるかに超えた戦争の余韻がいまだ癒えない中、東アジアでの想定外の急速な共産化がもたらした朝鮮戦争が1950年(昭和25年)6月に勃発した。

 朝鮮軍をはじめ中国、ソ連軍はソウルの南まで侵攻。主力の米軍は友軍である韓国軍の弱さも手伝い14万以上の死傷者を出した。韓国にとっては、北朝鮮は勿論だが、中国、ソ連(現ロシあ)もこの戦争が現在なお収束していないことから侵略国(敵国)なのだ。

 その戦場へ赴いたマッカーサーは、先の東京裁判にて自らが裁いた東条英機をはじめとするA級戦犯たちが、『大東亜戦争は、連合国による経済封鎖からわが国を守る為の自存自衛の戦いであり、また支那大陸における戦いは、わが国を共産主義から守る勢力防衛戦争であった』との供述を、自らが共産党軍との苦戦をしいられた戦闘の中で、納得せざるを得なかった。

 朝鮮戦争を辛うじて休戦状態にまで持ち込んで帰国したマッカーサーは、昭和26年アメリカ上・下院軍事外交合同委員会にて、「先の東京軍事裁判は、インドのパール博士が主張したように、その判断に大いなる過ちがあった。日本国の立場に立って、先の大戦を振り返って見ると、安全保障上、あの戦争は、ソビエトと中国の国際コミンテルンによる極東アジアの共産化及び連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、やむをえず戦争に走ったと認識する」と、マッカーサー自身が、「東京裁判は戦勝国による一方的に行われた不誠実な裁判であった」と回顧し、そう述べた。

 また、「われわれは日本を包囲しました。日本は8千万人という膨大な人口を抱え、4つの島にひしめいていた。その半分が農業人口で、半分が工業生産に従事していた。日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接していたいずれにも劣らぬ優秀なものだった。日本の労働者は、人間は怠けているときよりも、働き、生産しているときの方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳を持っていた」と。

 6年間日本人を観察したマッカーサーの率直な言葉が発せられた。マッカーサーは、この会議で次のようなことも述べている。


「これほど巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働く材料が必要だということを意味した。彼らは工場を建設し、労働力を有していた。しかし、彼らは手を加えるべき原料を得ることができなかった。日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何もなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如していた。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのである。もし、これらの原料の供給を断ち切られたら、日本では1千万から1200万人の失業者が発生し、亡国と化するであろうことを日本政府・軍部は恐れていた。したがって日本が戦争を始めた目的は、大部分が安全保障(セキュリティー)と国民の生命財産、生活を守るためだったのである」

 
 マッカーサーは戦後6年を経て、それまでの主張を180度逆転し、東京裁判での東条
英機元首相の日本は「自衛のために戦った」「あの戦争は米国が仕掛けた」という『宣誓供述』を認めたのである。このマッカーサー証言を、戦後の「自虐的歴史教育」「日本侵略国家論」「日本の伝統否定」「反皇室教育」を是正するために広く周知するべきである。


 このアメリカ議会におけるマッカーサー証言が、戦後60数年を経てやっと、日本の一部の高校の日本史の教科書の副教材に掲載されるようになった。

 (東京都立高校の地理歴史教材に平成24年度より掲載)

                           (産経新聞掲載記事より抜粋)

クロマツの手入れ

 少し早いが、昨日(6/13)は庭の黒松の手入れをした。午前中2時間、午後から2時間の計4時間。あと4時間はかかりそうだが、大分すっきりした。

 三室に住んでいた頃、河合町の大和川沿いをランニングしていたとき造園業者の畑に黒松が何本か植わっていた。気になったが事務所なども無く、いつも誰も居なかった。ある時持ち主らしい人がおられた。好みの一本の値段を聞いてみた。法外なものではなく、交渉の末、買う事に決めた。はっきり覚えていないが、12~13万円だったと思う。当時でも、黒松の成木には相当の価格がついていた。30歳前で小遣いは乏しく(現在も変らないが)、私にしては思い切った決断だった。

 以来、誰にも触らせず自分で手入れをしてきた。これは、庭の管理全般にわたってのことだ。名人と言われる人の本を読み、多くの人のアドバイスに耳を傾けた。黒松の培養技術(短葉法など)が確立したのは、昭和30年代の末だ。私が黒松を手掛けるようになってから受けたアドバイスには、「常識のウソ」も少なくなかった。
 自分なりに試行錯誤を重ねた。若い頃は、「国風展」(東京)や「大観展」(京都)などの、超一流の盆栽展にも足を運んだ。もちろん、名庭園と言われるところへも……。東京への往復は、夜行バスを利用した。もちろん、交通費を節約するためである。

 黒松を購入してから、もう45年以上にになる。試行錯誤を続ける中、確固たる培養技術を身につけていった。

 拙庭にやって来た時より、樹格が3~4ランクは上がったことは間違いない。私に譲り渡してくれた業者がご健在で現在の姿を目にされたなら、「ここまで育てたか」と驚かれ、喜んでいただけるだろう。

 「マツの手入れは難しい」「素人が触る樹ではない」「下手にいじると樹格を落とす」などと一般に実しやかに言われるが、これこそ「常識のうそ」である。努力すれば誰でもできる。「やる気」があるか無いかの問題である。

 クロマツをお持ちの方は、根気よく学んで、取り組んでいただきたい。「学び」に年齢は関係ない。手入れが終わり、それを眺めながらのお茶が格別なのは申し上げるまでも無い。

日本人の成立は  斎藤成也

 日本人の成立には3種類の仮説があります。
 
 1つは置換説で、縄文人と弥生人が置き換わったというもの。第1の移住者の
子孫は先住民、そして系統の異なる第2の移住者の子孫が現在の日本人である。すなわち先住民は完全に死に絶えて先住民のDNAは我々には伝わっていない。置き換わった=置換説です。
 かつて世界の人類学では人間が交代する、人種が交代するという置換説が当たり前の考え方でしたから、その流れの中で出てきた説ですが現在は否定されています。


 次に変形説です。これは、第1の移住者の子孫が時間的に変化して現在の日本人になっていったという説です。この変形説は時代的には一番新しく登場して、かつて私が大学生だった
1970年代、あるいはその前の1960年代は一世を風靡していた説です。
 東京大学人類学教室を創られた長谷部先生、その跡を継いで主任教授を務められた鈴木尚先生が支持したことで研究界に広がりました。

 実際に江戸時代〜明治時代、それから現在までさらに大きく、身長がどんどん伸びており...『短頭化現象』というのですが、顔の形もそれなりに変わっています。そういう発見から、縄文時代〜弥生時代以降の人々はやはり同じ人々でいつの間にか顔が変わっていったのではないか? ということを指摘されていました。

 しかし残念ながら現在では否定され....科学の点から見ても滑稽としか言えない説となっています。日本の人類学、自然人類学をずっとリードしてきた東京大学のお二人が支持していたということで、弟子たちも「なんかおかしいな」と思いながらも、それに従ったことで1960,70年代はこの説が学会全体を支配しておりました。

 そして最後に混血説です。これは第の1移住者の子孫に、それ以降の移住者が混血して現在の日本人となったという説です。もっとも古く提唱されたのはいわゆるお雇い外国人教師として帝国大学の医学部の内科を担当していたドイツ人のベルツによるものですが...現在では私の研究グループをはじめ次々に縄文人のDNAが解析され、現代の日本人と比較可能になったため科学的に証明されるようになりました。

 日本人・中国や朝鮮などのアジア人そして縄文人のDNAを比較すると...はっきりと私たちとのつながり、そして他地域との関係が見えてくるのです。彼らはいつやってきたのか? 我々にはどのくらいそのDNAが残されているのか?

 骨のかたちなどではなかなか証明することは難しかったより詳細で複雑な日本人の起源史が、DNAが明らかにな
ったことで紐解かれつつあります...

国立遺伝学研究所 特任・名誉教授 斎藤成也

世界の人々が認めた天皇陛下の権威

 昭和50年頃、天皇陛下に対するアメリカ国民の反応は、大変冷ややかなものだった。しかし、この時期に天皇陛下が訪米された。その時に語られたお言葉により、その態度が一変した。

 昭和50年、天皇皇后両陛下がご訪米された時のことである。このご訪米までのアメリカ国民の天皇陛下や日本に対する反応は 、「冷淡」「無関心」というものがほとんどであった。ご訪米が1カ月以内に迫っても、アメリカのジャーナリズムでは天皇陛下の訪米はほとんど話題にもならなかった。まして、一般のアメリカ国民は天皇陛下の訪米自体ほとんど知らないし、関心を持っていなかった。アメリカ国民の日本に対する関心は経済面に集中しており、それ以外のことはほとんど関心がなかったのである。

 ところが、ご訪米されてからその様相は一変した。それまで「ニューヨーク・タイムズ」には、日米首脳会談のニュースでさえ一面に掲載されたことはなかった。ところが、天皇陛下のご訪米後は6日間連続トップ記事で、それも写真入りで掲載されたのだ。このように、天皇陛下がアメリカに到着され、陛下を目の当たりにするようになってから、全米で日を追って訪米歓迎の空気が盛り上がった。なぜ、このように、訪米前と180度違う対応になったのか。

 実は、アメリカ国民が心から感動し、天皇陛下を尊敬するきっかけがあったのである。それは、ホワイトハウスでの公式歓迎晩餐会における天皇陛下のお言葉だった。

 

 [天皇陛下の感謝のお言葉]

 「私は多年、貴国訪問を念頭にしておりましたが、もし、そのことが叶えられた時には、次のことを、ぜひ貴国民にお伝えしたいと思っておりました。

 と申しますのは、私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争の直後、貴国がわが国の再建のために、温かい好意と援助の手を差し伸べたことに対し、貴国民に直接感謝の言葉を申し述べることでありました。

 当時を知らない新しい世代が、今日、日米それぞれの社会において過半数を占めようとしております。しかし、たとえ今後、時代は移り変わろうとも、この貴国民の寛容と善意は、日本国民の間に、永く語り継がれていくものと信じます」

 

 天皇陛下は、一体何に感謝しているのだろうか。それは、敗戦後の日本が直面した大きな問題、何と言っても食料難であった。昭和20年の米の収穫量は平年の6割という、明治38年以来の不作。それに加えて、外地からの引き揚げ者、復員軍人などの人口増で、食糧難は悪化するばかりだった。国民の窮状を心配された天皇陛下は、このように言われた。

 

 「皇室の御物(ぎょぶつ:代々日本の皇室の私有品となっている絵画・書跡・刀剣など)の中には、国際的価値があるものが相当あるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡し、食料に代えて国民の飢餓を1日でもしのぐようにしたい」

 

 このように言われて、侍従に御物目録をつくらせた。しかし、この話を聞いたアメリカ側からは、御物を求められるどころか、無償で食料を提供した。

 「御物を取り上げて、その代償として食料を提供することなど、自分とアメリカの面目にかけてもできない」

 陛下の考えに感激した連合国軍最高司令官マッカーサー元帥はこのように言われ 、アメリカ本国に食料緊急援助を要請し、これが実って日本の食料危機は大幅に緩和されたのだった。

 天皇陛下ご訪米当時、アメリカ国民は国際政治や外交に自信をなくしていた。この半年前に、世界史上に残る大きな屈辱、ベトナム戦争の敗北を経験していた。第二次世界大戦後、アメリカは西欧や日本、そしてアジアに多くの援助を行ってきた。ところが、中には感謝の言葉どころか、反米運動さえ起こっている国もあったのだ。そのような時期に天皇陛下が訪問し、今までのアメリカの援助に感謝を表明され、しかも日本国民の間に永く語り継がれていくと述べられたことは、アメリカ国民の心に、救いと大きな喜びを与えた。

 恩を恩として感じ、いつまでも忘れない、そういう天皇陛下のお心が、米国人を感動させたのである。

 

80年前の人種平等サミット、大東亜会議

 日本の敗色がやや感じられるようになった昭和18年11月、アジア7カ国の代表が東京に集まって、史上はじめての「アジアサミット」を開催した。
 当時の東南アジアの人々の人種差別や欧米植民地支配への憤りを共通の課題として、その解放を目標に日本を核として大東亜戦争に勝利し、独立を果たし、共に支え合う経済圏を確立する大東亜共栄圏の確立を共にめざそうというのがこの会議の主旨だった。

 欧米の植民地支配からのアジア各国の独立と共存共栄、白人による人種差別を許さないことを東京にアジア各国を代表する7人が集い、宣言したのである。会議の舞台は、帝国議会の議事堂、現在の国会議事堂だった。

 出席した首脳たちは、

・中華民国の汪兆銘行政院長

 <辛亥革命の志士で、日本は彼の政権(南京政権)に対して治外法権を撤廃し、租界を返還した>

・タイのワンワイタヤコーン殿下

 <戦後、外相、副首相、国連総会議長になった>

・満洲国の張景恵国務総理

 <清朝の軍人から中華民国の閣僚を経て満洲国のナンバー2になった人物>

・フィリピンのホセ・ラウレル大統領

 <戦後、上院議員として活躍した>

・ビルマ(現ミャンマー)のバー・モウ国家元首

 <ケンブリッジ大などに留学した弁護士、哲学博士で、イギリスに抵抗する独立運動に身を投じ獄につながれた>

・日本の東条英機首相

・オブザーバー出席の自由インド仮政府首班のチャンドラ・ボース

 <独立運動の指導者としてガンジー、ネールとともにインドの国会議事堂に肖像画が掲げられる英雄である>

 アジアを代表する錚々(そうそう)たる顔ぶれだった。

 

 昭和18年11月といえば、日本の敗色が感じられるようになった時期である。それでも命の危険を顧みずアジア7カ国の代表が東京に集まった。ちなみに、「大東亜共同宣言」を発したこの7カ国の中で、大東亜戦争開戦前の時点で独立国であったのは、日本国、中華民国(支那)、タイ王国、満州国の4カ国だけだった。この時期の世界で、有色人種の独立国というのは、実はこの4カ国だけだったのだ。

 後に、大東亜戦争の開戦により日本陸軍の南部フランス・インドの進行作戦の成功によりビルマとフィリピンが独立を果たしていることが、まさに大東亜会議によって発せられた【大東亜宣言】の実効性を裏付けるものではないか。ではこの時期アジア以外の、アフリカ、中近東、南米などの地域ではどうだったのかといえば、すべて白人たちの植民地だった。国でさえなかったのである。

 

 胸を張って「大東亜戦争」と

 植民地だったこれらのアジア各国の首脳を集めたアジアで初めての国際会議。それが大東亜会議であり、この会議をもとに各国が互いに支え合って独立を誓い合ったのである。この大東亜における「共に支えあい共に栄えてアジアに立とう」を目指した7人の侍たちの思いを歴史に残すことは、戦勝国が戦後、再びアジアを自分たちの都合の良い経済戦略下に組み入れるためには抹消しておかないとまずいと考え、大東亜戦争の呼び名が「太平洋戦争」へと一方的に呼称、変更されたのだ。  
 GHQ「連合国指令本部」、米国の方針であった。現在、「大東亜戦争」と口にすれば、一部では「偏向した考えの持ち主・軍国主義者」などと思う人がいるが、とんでもない話なのである。欧米諸国からアジアの人々を解放しよう、そして「共に支えあい共に栄えよう」とした貴い考えからの呼称である。私たちは、胸を張って「大東亜戦争」と呼ぶべきなのである。

 改めて言って置くが、けっして戦争を賛美する立場ではない。世界平和を願っている。歴史の真実を学んでほしい、知ってほしいのである。

 

 日本は「大東亜戦争」でアメリカに負けた。しかし、東南アジアの人たちは、日本兵の戦いぶりをしっかりと見ていた。欧米人が日本軍に蹴散らされた様子を。欧米人は、4~5百年の長きに渡り東南アジアの人々を抑圧支配してきた。東南アジアの人々は過去において幾度も反乱を試みたのだが、そのたびに失敗に終わっていた。とても欧米人にはかなわないと、独立をあきらめてきた。しかし、その欧米の白人たちが、自分たちの目の前で、日本軍に敗れ、逃げたり捕虜になったりしたのを目の当たりにしたのである。アジアの同じ人種日本人に、たった半年で。
 東南アジアの人にとっては「奇跡」だったのだ。

 東南アジアの人たちは、日本軍の奇跡からしっかりと学んだ。軍とはこのように動かすものなのか、国のために戦う精神とはこういうものなのかなど、目の当たりにし目覚めたのである。

 昭和20年8月15日以後、現地において敗残兵となった日本兵の中には、祖国日本への帰国を断念して東南アジアの国々の独立運動家たちの願いを受けて、再度植民地化を目論む欧米諸国との戦いに挑むために残留義勇兵として身を捧じた。東南アジアの国々の独立のために、現地の人々と共に戦った日本人たちが少なからずいたのである。

 敗戦後のインドネシアでは、再度の植民地化のために侵攻してきたオランダ軍に対して2千人以上、ベトナムではフランス軍の侵攻に対して600人以上の残留日本軍兵士が独立戦争に関わった。まさに、若き日本兵たちの戦いの胸の内は「白人支配からの同胞たちの解放への思い」だったのである。
 東南アジアの国々は、日本の敗戦後の動揺を乗り越え、その後独立を勝ち取っていった。
東南アジアの国々が独立を果たすと、これがきっかけになって世界中の植民地が立ち上がった。自分たちもできるはずだと。そして第二次世界大戦後、次々と独立していったのである。

日本の古墳時代、古墳文化は、過小評価されてきた    田中英道

  ローマ帝国や秦・漢王朝が繁栄していた時代に、日本は弥生〜古墳時代を迎えていました。前方後円墳とよばれる形態の同じ古墳が、岩手から鹿児島まで、多数つくられ、また、円墳、方墳、八角墳、その他さまざまな形の古墳が全国につくられました。その数は16万基を超えると言われています。

 古墳を作り上げた土木工事の技術、また、それを可能にした組織、共同体、あるいは国家というものは、それを率いる統治者、大王あるいは天皇がおられたということでしょう。

 仁徳天皇陵や応神天皇陵の規模の巨大な前方後円墳は、それを雄弁に物語っています。前方後円墳では、円の一番上、一番高いところに棺がおかれます。前方後円墳の山の頂は、エジプトのピラミッドの頂点を連想させ、山の頂上の上に棺を置くということが、日本人の御霊信仰を表しています。そして前方後円墳は、濠に囲まれており、仁徳天皇陵などは三重の濠がめぐらされていました。
 この濠には、橋がありません。橋がないということは、人々はそこに渡ることができません。つまりそこが、聖域だということを意味します。聖なるものがある、つまり神がいるということであり、古墳は、日本の神道の内実をよく表しています。 
 死者の霊を神として祀るのは、御霊信仰であり、古墳とは、神道の結晶といっても過言ではありません。そして、この世界最大級の墳墓である古墳をつくりあげた当時の人々の土木工事の技術は、これも世界レベルであったことは間違いありません。


 仁徳天皇陵は、大林組の試算によれば、これをつくるのに、1日2,000人の人が働いて、約16年かかっただろうと言われています。こうした大事業を成し遂げるにためには、統一された政治権力・国家、統一された度量衡、人々の技術と組織力、人々に共通する精神・信仰が必要だったことはいうまでもありません。
 このことを、古代ローマ・秦、漢帝国と比べてみるとどうなのだろうと考える人はほとんどいません。しかし、それは数や規模、さらにはその質的な高さ(統一性・均質性)からいっても、十分、ローマ帝国や秦・漢帝国に匹敵するものであったといえるでしょう。
 例えば、ハドリアヌス帝の墓、秦の始皇帝の墓、さらにはクフ王のピラミッド、
これらよりも、仁徳天皇陵のほうがその規模は大きいのです。ローマ帝国、秦・漢帝国、日本(倭)……それぞれの国土の大きさから考えてみれば日本の古墳の大きさは際立っているとも言えます。

東北大学名誉教授  田中英道

金印は本物か偽物か、それとも

 今からおよそ2000年前の弥生時代に中国の皇帝から与えられ、江戸時代に見つかったとされている国宝の金印「漢委奴国王」。多くの人は、その“史実”を疑う余地などないと信じてきた。しかし、この金印をめぐる根本的な議論がなされている。偽物説があるし、存在自体がまやかしであるという説もあるのだ。

 金印は、本物なのか。4年前に、真偽を問うシンポジウムが、出土の地、福岡で開かれ、それぞれの立場をとる研究者が激論を交わした。

 

 弥生時代の交流を示す国宝

 歴史の教科書でおなじみのこの金印は、江戸時代の中頃、現在の福岡市の志賀島で水田の溝を修理していた農民が土の中から見つけたとされている。
 正方形の印面は1辺が2.3センチ、重さ108グラムの純金製で、とぐろをまいたような蛇の形をした「つまみ」があり、印面には「漢委奴国王」の5つの文字が3行にわたって彫り込まれている。所蔵する福岡市博物館によると、読み方は諸説あるが、「漢の委の奴の国王(かんの・わの・なのこくおう)」すなわち「漢に朝貢する、倭の中の奴国の王」という意味だとする考えが通説となっている。

 中国の古代王朝は周辺の国に対して主従関係の証しとして印を与えた。中国の歴史書「後漢書」には、西暦57年に「後漢に貢ぎ物を持って挨拶に来た倭の奴国に対して皇帝が印を与えた」という記述がある。志賀島の金印はこの記述に相当するという見解が定着し、九州北部の「奴国」が中国の王朝と交流していたことを物語る歴史的価値の高い資料として、昭和6年に国宝に指定された。

 

 出土状況は謎だらけ

 この金印、発見以来、後世に作られた偽物ではないかとする疑問の声がつきまとっている。金印の発見時の様子が分かる古文書は複数あり、発見した農民の口上書のほか、当時、随一の学才をと言われた福岡藩お抱えの学者の鑑定書も残っている。にもかかわらず、発見されたとされる場所は不明確でそれらしい遺構もなく、出土品も他には無い。さらには、金印を発見した農民「甚兵衛」が実在したかどうかを怪しむ声もあるほどだ。

 長年くすぶり続けているこの話題に火をつけたのは、千葉大学の三浦佑之名誉教授である。12年前に「江戸時代に作られた偽物だ」とする説を発表し、以後、考古学や金属加工の専門家を巻き込んだ論争が続いている。

 

 「偽物説」の根拠

最大の論点は、この金印が「いつ」作られたかである。金属製品など古代の工芸技術に詳しいNPO 工芸文化研究所の鈴木勉理事長は、金印に残る彫り痕の特徴が古代中国で作られたとされる印と大きく異なっていると指摘し、後世の偽造ではないかと考える。

 鈴木氏によると、志賀島の金印は、文字の中心線を彫ったあと、別の角度からも「たがね」を打ち込んで輪郭を整える「さらい彫り」という技法が使われている。
 この金印とほぼ同じ時期のもので特徴もよく似ているとして「本物説」の根拠の1つとなっている、中国で見つかった「広陵王璽」という印は、たがねで文字を一気に彫り進める「線彫り」と呼ばれる高度な技法で製作されているということだ。
 さらに、前漢から後漢の印の多くは1つの線がほぼ均一の太さで彫られているのに対し、志賀島の金印は中央から端に向かって太くなる特徴があるうえに、印面に対する文字の部分の面積がほかの印と比べて突出して大きいと。

 鈴木氏は「さらい彫り」やこうした文字の特徴は江戸時代の印によく見られるとして、「金印は江戸時代に作られた偽物の可能性が非常に高い」と指摘する。

 

 「本物説」の根拠

 明治大学文学部の石川日出志教授は、「本物説」の根拠として、彫られた文字の特徴や飾りの形、それに金の純度などを挙げている。石川教授は弥生時代の考古学が専門で、これまでに中国で見つかっている古い時代の印の外見や刻まれた文字の特徴との比較などをもとに研究を進めてきた。
 それによると、志賀島の金印は、「漢」の字の「偏」の上半分が僅かに曲がっている点や、「王」の真ん中の横線がやや上に寄っている点が、中国の後漢初期の文字の特徴をよく表していると。また、蛇の形をした「つまみ」について、中国や周辺の各地で発見された同じような形の印と比較すると、後漢はじめごろに製作されたものが最も特徴が近いとしている。
 さらに、志賀島の金印に含まれる金の純度は90%以上と古代中国の印とほぼ同じだと指摘。「江戸時代に金の純度をまねてまで作ることはできず、後漢のものだとして何ら問題がない」と主張する。

 

 白熱のシンポジウム

 シンポジウムには本物と偽物それぞれの立場をとる研究者が招かれ、金印の文字やつまみの形などをめぐって激しい議論が交わされた。しかし、双方とも最後までそれぞれの主張を譲らず、様子を見守っていた地元の歴史ファンの受け止め方も、「本物説の方が信頼性があった」「偽物説の方が論理的だった」などとさまざまだった。
 今回は「引き分け」に終わったが、両者は今後さらに主張の根拠を固め、将来、別の舞台で決着を図ることを約束した。

 

 新たな視点も

 一方、シンポジウムでは、これまでとは違う視点からの研究も紹介された。
 福岡市埋蔵文化財課の大塚紀宜さんは、金印の「つまみ」が途中で作り変えられているのではないかとする自説を発表。蛇の形をしている金印の「つまみ」は、もともとラクダの形をしていたのではないかと指摘した。

 確かに、つまみの部分をよく観察すると、前足や後ろ足があるようにも見え、一般的にイメージされる蛇とはほど遠いデザインであることに気付かされる。大塚氏によると、つまみの形と印が見つかった場所との関係を調べてみると、当時、「蛇=南」「ラクダ=北」という区別があったと推測できるということだ。
 大塚氏は、漢は奴国が北にあると思い込んでラクダにしたものの、途中で間違いに気付き、あわてて蛇に変えた可能性があるとする。

 

 史実とは何かを考える

 金印は本物だとする立場を変えていない福岡市博物館が、なぜこのようなシンポジウムを開いたのか。

 有馬学館長は「歴史的な価値が確定したかのように思われている資料でさえさまざまな見方ができ、学問的な根拠がぶつかっている。こうした議論があることを多くの方に知ってもらうことで、文化遺産についての理解がいっそう深まると思います」と話している。

 1つの小さな資料でありながら、研究の手法が異なれば全く違った見解になる。そして、論争があるからこそ研究が深まり、新説も生まれてくる。“史実”とは何かを考えさせられ、歴史をひもとくことの魅力や奥深さを感じる。


 田中英道氏(東北大学名誉教授)の説

『魏志倭人伝』にしか登場しない「卑弥呼」・「邪馬台国」。なぜ「卑弥呼神社」は日本国内に存在しないのか? 『魏志倭人伝』はどのように書かれたのか? 
 どの角度から考察しても、邪馬台国は存在しなかったと田中氏は言われる。

 田中氏は、『魏志倭人伝』や「卑弥呼」・「邪馬台国」や『金印』は、中学校の教科書にも掲載されていたし、その存在の「九州説」「畿内説」など多くの本が出版されている。その『邪馬台国』は、『魏志倭人伝』の著者『陳寿(ちんじゅ)』のフィクションだったとも言われる、大胆不敵な、日本中の全歴史家を敵にまわしかねない考察である。
 そもそも『魏志倭人伝』は、中国で三世紀に編纂された歴史書とされる、『三国志』の中のほんの一部である。   
 『三国志』の三国とは、184年に黄巾の乱で「漢」が乱れてから、280年に「西晋」が再統一するまでの約100年間の覇権を争った『魏』『蜀』『呉』の三国を指している。三国間の内乱状態の時代が、後に「三国時代」と呼ばれて、大勢の英雄が群雄割拠した。そこから邪馬台国へ、陳寿は飛躍させたのたぢろうか。


 三国志には、この『魏(ぎ)』『蜀(しょく)』『呉(ご)』の歴史がまとめられている。『三国志』は、『陳寿』という官僚が編纂した。『魏志倭人伝』は400字原稿用紙5枚、僅か2,000字程度の書き物である。陳寿は最初、『蜀』に仕え、263年に『蜀』が滅びた後、統一王朝「西晋」に仕えて三国志を編纂した。統一王朝「西晋」にとっては、『魏』が元々の国である。

 田中英道氏は、日本の神社を全部調べたようだが、『卑弥呼神社』がどこにもないというのである。従って邪馬台国も卑弥呼も、存在しなかったと結論づけている。そもそも邪馬台国も卑弥呼も、「蔑視」用の字である。邪馬台国の「邪」はどういう意味か。中国語では「正しくないこと、よこしまなこと」「道に外れていること」という意味である。
 卑弥呼の「卑」は、「いやしい」「賤しい」であるから、最大の軽蔑語である。「日本の王は、いやしい女であった」と言っているのだ。

 本質的に邪馬台国論争とは、「日本の歴史の根幹は天皇である」ということを否定するための論争である。この論争のケリをつけない限り、日本の歴史を無視するような左翼的な「歴史認識」が続くことになる。実際に今も、相変わらず「邪馬台国」論争は、九州説・畿内説が相乱れているだけで、調べれば調べるだけ、魏志倭人伝には、デタラメばかり書いていると言うことが明らかになる。
 魏志倭人伝は、これまで金科玉条のような扱いを受けてきた。これは「中国の歴史書は信頼すべきだ」とする、日本人学者の奇妙な信仰から来ている。『呉』が滅亡して『西晋』統一した280年から『陳寿』が没する297年の間に出来上がっている。『魏志倭人伝』はすべて伝聞で書かれている。陳寿は、日本へやって来て取材した上で『『魏志倭人伝』を書いたわけではない。

 田中氏によれば、「金印」自体がまやかしなのであろう。田中氏の著書は、これまでの、「仮説」と「妄想」しか書かれていない本が氾濫している理由を教えてくれる快書と言えよう。

中国の状況

 中国の状況(政治・経済)については、世界に及ぼす影響が大きいので、注視せざるを得ない。
 新聞やテレビでの中国に係る報道が少ないこともあり、ネットでの情報が主となる。さまざまな見方があり、どれを信じればよいのか難しいところだ。ただ習 近平の力が弱まり、李 克強の影響力が強まっていることは衆目の一致するところだ。経済状況が最悪であることが原因である。国内の大手メディアは報道しないが、中国の経済状況はひどい状況にあるらしい。周に任せていては……という流れが強まっている。
 だが、11月に予定されている党大会で周の3選が阻止されるかどうかについては微妙である。ただ、もし3選が阻止され他の者が主席に就任したとしても、中国共産党(以下、中共)の独裁政治が終焉しない。周 近平が引き続き居座り中国経済が破綻する方が、一時的な混乱が生じたとしても世界にとってはよいと思われる。もちろん日本にとってもだ。
 中共が崩壊し、中国が「覇権主義」を捨て、民主的な国家に生まれ変わることを切に望む。

縄文土器の縄目紋様にどんな意味があるのか  田中 英道

   縄文土器の多くには、表面に縄目の文様がつけられています。そこから、縄文土器と呼ばれています。なぜ縄目の文様がつけられたのでしょうか。

 学者たちは記録がないからと、はっきりしたことを答えてくれません。そのころは文字を必要としなかったのだから、記録がないのは当たり前です。しかし、古くから日本人の暮らしの中にあるものを通して、推測することはできます。

 縄で思い浮かぶのは、神社の拝殿の正面に飾られている注連縄(しめなわ)です。神木とされる巨木の幹にも注連縄が巻かれているのを見かけます。お正月の玄関飾りも多くは縄で出来ています。これらは張られた縄の内側が清らかで神聖であることを示しています。縄は外から穢れたものが入ってこないようにする境界でもあったと思われます。

 貯蔵用にしろ煮炊き用にしろ、土器の内側に入れられるのは大切な食べ物です。穢れ、非衛生的なものが入ってはなりません。縄目の文様はそれを防ぐ意味があるのでしょう。また、土器が、清らかで神聖なものだという気持ちを表していると思います。祖先たちは清らかなものを大切にする気持ちが強かったのです。

 縄文土器の中には、火焔土器(かえん・どき)と呼ばれるものがあります。装飾性の強い、炎を思わせるダイナミックで躍動的な造形が特徴です。私は世界中の博物館をめぐり、数え切れないほどの土器を見ていますが、火焔土器のような造形的にすぐれた素晴らしいものはほかにありません。火焔土器は日本最初の芸術作品といっていいでしょう。

 縄文土器には炎だけでなく、水の動き、雲の動き、大鹿の角などを思わせるものもあります。自然に親しみ、おそれ敬い、それを形にとらえて表現した祖先たちの心が感じられます。

東北大学名誉教授 田中英道


米・豪・印首脳来日、連携強化を確認

   23日、岸田首相は来日中のバイデン米大統領と会談し、日米同盟の抑止力と露・中への対処力を強化する方針で一致した。それに係わり、「防衛費」の増額確保の決意を伝えた。またバイデン大統領は。台湾有事の際の軍事介入を明らかにした。

 24日午前、日・米・豪・印の枠組み「クアッド」は、首相官邸で対面の首脳会談を開き、中国を念頭にルールに基づく海洋秩序の重要性を強調し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向けた連携強化を確認した。

怨みを匿して……

   論語に「怨みを匿して其の人を友とするを恥ず」(うらみをかくしてそのひとをともとするをはず 公冶長第五)とある。怨みをかくして、友として親しく交わるのを恥じる、という意味である。

 「憤慨するような事をされ内心ひどく苦々しく思っているのに、それを抑えてその人と親しくつきあうようなことは恥じるべきだ」ということだろう。

 一般には、「いやなことがあっても、それを抑えてにこにこする」という態度が大人の対応とされるが、いかに不利益を蒙ることになろうとも私にはそれはできない。孔子も同様であった。
 「いやなことがあっても、それを抑えてにこにこする」は、慇懃無礼にも繋がるだろう。

3大関の捲土重来に期待する

   大相撲夏場所は照ノ富士が7回目の優勝を果たし、昨日幕を閉じた。中日までに3敗を喫したのだが、後半は7連勝だった。両膝が悪い中での踏ん張りは、横綱としての責任を十分に果たしたと言えよう。

 一方、3大関は「皆勤大関全員負け越し」という不名誉で恥ずかしい記録は免れたものの、「大関の責任」という観点からは情けないものだった。故障を抱えているなどそれぞれに事情はあるだろうが、土俵にあがる以上言い訳は許されない。御嶽海と正代は、次場所はカド番となるが、貴景勝を含め奮起を促したい。

 大栄翔の関脇昇進は必至だが、来場所も10勝をあげるよう期待する。気迫に溢れた相撲は、好感が持てる。鋭い立ち合いに、さらに磨きを……。ここ最近最も力をつけてきたのは、若元春である。弟の若隆景の活躍に刺激を受けているのだろうが、力強い押っつけなどしぶとい相撲は玄人好みだ。これから上位を脅かすおもしろい存在になりそうである。体が小さいだけに、もっと筋力をつけることが求められる。

 阿炎は負け越したが、何とか小結に止まるだろう。肘の状態も戻ってきたようだし、もっと激しい相撲をとって欲しい。これは琴勝峰や王鵬にも言えることだ。取り口が優しすぎる。気迫をもっと前面に出さなければならない。この点、琴ノ若はましだが、若干むらがある。時折、無気力ととられるような相撲がある。それを直せば、大関もそう遠くない。

 以上、私なりに夏場所の総括をしてみた。

サツキを観る会

 5月21日(土)、拙宅に仲間が集まり「サツキを観る会」を開いた。天候に恵まれ、見ごろとなったサツキを鑑賞して貰いながら歓談した。
 これらのサツキの刈り込み物は、45年くらい前から、5センチ程の苗を大事に育てて来た。であるから、一般に地植えのサツキは赤一色が普通なのだが、赤・ピンク・白・薄紫・絞りなど色とりどりである。

木を植える日本人と木を伐る中国人 林 建良

 阿里山鉄道は掠 奪資源の運搬用だったと教える国民党教育
 
 台湾の中央に、2000メートルを超える山々からなる中央山脈と呼ばれる山岳地帯がある。そのなかに阿里山という山があり、この阿里山には、台湾人が「神木」と呼ぶ樹齢何千年という檜(ひのき)や杉の巨木がたくさんそびえていて、日本でもよく知られている。
 この阿里山でもう一つ有名なのは、台湾で唯一の高山鉄道「阿里山森林鉄道」である。阿里山森林鉄道は日本時代の1912(明治45)年に敷設された鉄道で、当時、日本初の山岳鉄道だった。われわれ戦後世代の台湾人はこの阿里山森林鉄道について、学校では「日本が台湾の貴重な檜や杉を伐採するために敷いた鉄道だ」と教えられた。
 国民党教育では、日本は台湾の資源を掠奪するために作った鉄道だと教えていた。当時の私はこの教えを信じて疑わなかった。日本が台湾を領土としたのは、台湾の資源を持ち出すためだったと思っていた。
   しかし、日本に来て、日本人の自然に対する対応を見ていて、日本人は植物を大切にする民族であることを強く感じた。日本人は猫の額ほどの小さな庭でも、木や草花を植えている。土地さえあれば植えているという印象だった。しかも、無造作に植えているのではなく計画的であり、また非常にていねいに手入れをする。あたかも家族に接するように大切にしているのである。

 このような日本人を見ていて、果たして私が受けた教育は本当だったのだろうかと疑いはじめた。われわれ戦後世代の台湾人は、恥ずかしいことだが、台湾の歴史についてはほとんど無知に近いといってよい。
 私は日本に来てはじめて台湾に関する歴史資料などを読み漁った。そこでわかったことは、清朝が台湾を統治していた約200年間、木を伐採することはあっても、植林はいっさいやらなかったという事実だ。入りにくい高山は除いて、平野の森林をことごとく伐採してしまったのである。逆に、清朝のあと1895(明治28)年に台湾を統治した日本は、日露戦争に勝った1906(明治39)年から造林事業を奨励していたのだ。

 台湾総督府では毎年、100万本余の苗木を無償で配布し、補償金まで交付して造林事業に力を入れていたのである。このように、日本が統治する以前の台湾では樹木がほとんど伐採されてしまったため、山の保水力が極端に落ち、ちょっとした雨でも大水が出たり山崩れが起こったりしていた。「イラ・フォルモサ(麗しの島)」と呼ばれた台湾の面影は消えてしまっていた。
 ところが、日本はどんどん造林し、たとえば1943(昭和18)年には507カ所で植林していて、阿里山鉄道にしても、伐採した檜を運搬する役目も果たしたが、それは決して掠奪するためではなかった。また植林・造林事業に果たした役割も大きかったのである。
 今の日本でも自然を維持しながら伐採し植林しているが、当時もほぼ同じ姿勢で臨んでいたのである。

   美しい並木を伐ってしまった蒋介石軍
 歴史から見ても、たとえば鎮守の森に見られるように、日本人は木を植え、木を育てることを大切にしてきた民族である。
 台湾に関して言えば、台湾総督府の都市計画に基づいて作られた台湾の都会の道路という道路は美しい並木道だったという。ところが、1950年代、私が小さいころにはそのような並木道はほとんどなくなっていた。戦後、中国から蒋介石の軍隊が台湾に入ってきたとき、この並木を伐ってしまったのである。
 蒋介石軍がまず最初に取りかかったのが並木の伐採だった。木の陰に誰が隠れているかわからないから危険だ、という訳だ。伐った並木は薪にもできるから一石二鳥、という理由だった。これが中国人の考え方なのである。こうやって中国人は資源を破壊してきたのである。
 中国には人を励ますときによく使う「人定勝天(ズンディンスンテン)」
ということわざがある。人間は天に勝つように定まっている、すなわち「難題は必ず克服できるから頑張れ」と言って励ますのである。だが、この言葉の原義は、人間は「天」すなわち自然を征服できるという意味であり、

   中国人は、自然は人間に利用されるためにある、征服されるためにあると考えるのである。

 外にも触れたように、生き物はすべて食べ物とするのが中国人である。植物にしてもいかに利用するか、それ以外なにも考えていない。自然を尊重し、自然と共生するなどという概念はなく、そういう発想もしないのが中国人なのである。

   林 建良 著 『日本よ、こんな中国と付き合えるか?  』より引用


なぜ、日本では恋愛に関する古典が多く誕生したのか    田中忠道

 『万葉集』において何より注目するのは、詩型の多様さに加えて、語彙の豊かさ、題材の豊富さです。
 天皇の国見の歌から恋の歌、生活の歌など、題材の豊富さは世界的に見ても稀です。また、歌を詠んだ作者の多様性にも驚くものがあります。
 天皇がいます。役人がいます。防人がいます。地方の人がいます。農民もいます。遊行女婦から物乞いまで歌を詠み、それが万葉集に選ばれているのです。もちろん、男女の別もありません。
 日本の古代がいかに平等な社会であったかということです。
 しかし、これを言うだけでは不十分です。私が『万葉集』でもっとも重要だと考えるのは、歌に現れている個人主義です。ほとんどが自分の感慨、感情、経験など、個人のことをうたっています。
 山部赤人は自然と自分との交わりをうたいました。大伴旅人は妻の死を悲しんで詠みました。山上憶良は生活の貧しさを率直に詠みました。名もなき男女が恋の喜びをうたい、遠くの恋人に思いを馳せ、恋の思いが通じないことに苛立ち、恋人の心変わりを嘆き、恋に執念を燃やします。出会いに満面の笑みをたたえ、別れの悲しみに打ちひしがれます。
 そこにあるのは闊達に、自由に、思いのままに自己を表現している姿です。これはまさに個人主義です。
 しかし、現代に見られる個人主義とはちょっと違います。闊達に自分を和歌で表現できるというのは、個が確立しているからにほかなりません。個の確立は個人主義の基盤です。自分が何者なのかがしっかりと把握できているのです。
 では、いま個人主義といわれているものはどうでしょうか。自分が何者なのかを自覚できないままに自分の利だけを主張する。それが個人主義だとされていないでしょうか。
 万葉の歌人たちに自分は何者なのかを自覚させたものは何か。それは共同体です。日本という国です。共同体があり、その中に自分は生きているという自覚、あるいは認識。それが万葉の人々に個を確立させ、闊達にしていたのだと思います。
 その代表格が繊細な自分の感情をうたい、憂鬱な気持ちをうたい、同時に、天皇は神であるとうたい、天皇のために死んでも悔いはないとうたった柿本人麻呂であり、大伴家持であるのです。共同体の中に生きている自分。これをしっかり把握することが、真の個人主義なのです。このことを私たちは万葉の人々から学ぶことができるのです。

東北大学名誉教授 田中英道

不利益になる報道は……

 田中角栄内閣のとき、昭和47年9月に日中友好回復が成った際、中国側から日本側報道機関に北京に支局を置く場合は、「中国に不利益になるような報道はしない」を約束するように求められた。

 あり得ないことだが、サンケイ新聞社以外はその要求を飲んだのである。

 そういった経緯があるので、以後テレビ・ラジオを含む日本の報道は、中国(中国共産党)に対してひどく遠慮するようなものとなっている。多くの日本人は、その事を知らない。私も半年前まで知らなかった。

 確証はないが、そのうえに、多くの報道機関に裏金が渡されているということも聞く。購読者が激減する中、各新聞社とも経営は厳しい。しかし、報道は公平でなければならない。

 後ろめたいことをしておれば、真実が報道される筈がない。私たちは、厳しい眼で監視しなければならないと思うのである。

無視と軽視

 4月後半から5月5日までの4回にわたる公の幹部会議での李 克強首相の発言内容に、習 近平を無視するようなことがあった。また、先日の韓国の大統領就任式に出席した以前は周 近平派と見られていた王 岐山(序列第2位)の、就任式前日の退任した前大統領との会談の中で、習近平のことを3回にわたって「彼」と呼び、公の場で軽視した。
 これらのことはこれまでには考えられなかったことであり、権力闘争が激烈であることを示し、反習 近平派の勢力の著しい増大を意味しているだろう。

実態把握は極めて困難

 中国の政治情勢については、「習 近平の指導力に陰りが見られることは事実だし、反習 近平派の影響力が増していることに疑いの余地は無いが、実権は依然として習 近平が握っている」という見方をする中国ウォッチャーが多い。

 中国共産党がすべてを牛耳るあのような独裁国家なのでなので、実態を正確に把握することは極めて困難である。

(5/15 20時)

中国の政変

 一昨日、中国で政変が起きているとの情報があると記したが、疑いのない事実のようだ。
 つい少し前まで、中国共産党(以下、中共)最高幹部は周 近平派が圧倒的に多くを占めていた、が、ここに来て、周 近平の息のかかった者が引退したり、閑職に追いやられるケースが目立っている。逆に李 克強派と思われる者が重職を担うことが増えて来た。これは実質、権力が習 近平から李 克強に移ったことと捉えるのが妥当だろう。

 さまざまな要因が考えられるが、一番は「中国経済の破綻」だろう。誰もが知るとおり、中国の発表する数字には嘘が多い。各種経済指標についても例外では無い。相当に深刻な状況にあると。「習 近平に任せてはおられない」との危機感が「長老」を含めた中共幹部間の共通認識となったのだろう。
 こういった状況を踏まえ、今後の日本の舵取りがますます難しくなってきたと言えよう。

注視する必要が 中国の情勢 (5/13)

 拓殖大学元教授の澁谷 司氏によれば、中国では経済の破綻や戦狼外交の行き詰まりなどが理由でクーデターが勃発、中国共産党の習 近平主席が事実上退任、軍は江 沢民元主席が掌握し、李 克強首相が政権を握ったと言う。

 中国では面子を何より重んじるため公にはせず、11月の党大会で正式決定されると。

 事実であれば、ロシアのウクライナ侵攻以上の世界情勢を揺るがす大ニュースである。注視しなければならない。

5/13  10:15現在 報道されていない

モン・サン・ミシェルと厳島神社   田中英道

    モン・サン・ミシェルといえば、海の上に浮かんだように見える姿で知られるフランスの修道院建築物です。フランス西海岸のサン・マロ湾にある小島の上に建てられていて、高さは八十メートルもあります。

 この島自体は小さな花崗岩の円錐形の岩山で、その上にトゲ刺すように塔が建っている姿が特徴的です。海に囲まれた海と建築物との見事な調和は日本人にも非常に人気があります。
 この小島にモン・サン・ミシェルが建築されたのは708年のことでした。アヴランシュの司教オベールの夢に大天使ミカエルが現れ、岩山の上に聖堂を建てるようにというお告げを受け、それに従って礼拝堂を建てたのが発端になったといわれます。以来、この島は聖地となって、巡礼者が訪れるようになりました。


 

 一方、厳島神社(広島県)も海の中に建ち、海と調和しているという意味で、モン・サン・ミシェルと同じ趣があります。建築物が海の中にあるという例は、世界でも数少ないといっていいでしょう。
 この厳島神社は、瀬戸内海の広島湾に浮かぶ宮島にあります。周囲三十一キロメートルの小島ですが、標高五百三十メートルの弥山という山があり、島全体が信仰の対象になってきました。こうした山の麓にある神社ですから、やはり聖なる場所として崇められてきました。


 厳島神社は、最初、推古天皇元年である593年に創建されたといわれています。現在の姿に整えられたのは1168(仁安3)年、平清盛の時代です。
 平安時代の寝殿造の建築様式を巧みに取り入れた華麗な社殿に特徴があります。まるで海を敷地としているような、海と調和した厳島神社の姿は、モン・サン・ミシェルとよく似ています。
 厳島神社は満潮のときは島となり、干潮のときは地続きとなるような場所に建てられています。潮が引くと鳥居のそばまで歩いていくことができます。このように潮の干満によって姿が変わるという点はモン・サン・ミシェルも同様で、干潮時には島までの道が出現します。
 厳島神社は干潮のとき以外は海水に床柱が浸っているため、台風や高波と満潮が重なると、海水が廊下の上にまで達することもあります。海の状態によっては危険な状態にもなりうるというのは、モン・サン・ミシェルも同じでしょう。
 これも両者の類似性として挙げてもいいように思います。
 厳島神社の沖合200メートルの海上に建つ朱塗りの大鳥居は、高さ16メートルあります。四本の控え柱を持つ両部鳥居の形式をとっています。楠木の自然木が使われていて、モン・サン・ミッシェルの石造りの城と比べると華奢に見えますが、木というものが本来の建築のもとであることを考えると、それを維持している厳島神社の美しさに私はより心を惹かれます。


 私は両方を何度も訪ねたことがありますが、海と調和するその姿を見ると、これらの建物が自然との調和を図っているように感じます。むろんモン・サン・ミッシェルは石造りで、そこには自然を支配しようとするヨーロッパの伝統的な感覚がありますが、島の城壁の外には木が繁っていて、決して単なる人工の島ではありません。海と樹木、そして建物が遠い地平線の先で孤立するかのように建っている姿は、現代の目から見ると、自然の中に生きた建築となっていることに注目したいと思います。
 ゴシック建築というのは、もともと樹木を真似しています。尖塔にしても柱廊にしても、木が空に向かって伸びる様をイメージしています。それを考えると、石の建築でさえも、もとは木であるという見方ができるわけです。
 そういう意味でも、厳島神社の木の建築と重ね合わせて考えることができるのです。さらにいえば、モン・サン・ミッシェルは都であるパリから離れた場所に位置しています。厳島神社も、奈良あるいは平家の都であった福原(現在の神戸市)から離れたところにあります。この「都からの隔絶性」も類似点の一つとして挙げてもいでしょう。


 そういう様々な類似点を考えると、日本人にとって厳島神社は、海と調和した建築として見るべき価値があるのではないかと思われます。


東北大学 名誉教授
日本国史学会 代表理事
ボローニャ大学・ローマ大学客員教授
田中 英道


モン・サン・ミッシェル
厳島神社 大鳥居

干天の慈雨

 しばらく晴天の日が続き、ラジオ体操で使っている自治会館の広場の土も乾き埃ぽっくなっていた。周りの樹木も水を欲しがっていた。昼前から久しぶりの雨で、雨量は大したことなかったが干天の慈雨となった。拙宅の庭木たちも喜んでいるようだった。庭石も同様だ。

 さて、サツキはまだ二分咲きといったところである。見ごろになるには、あと10日は要するだろう。今、ツバキの新葉がとても美しい。

サツキを育てる

 

 サツキはツツジ科ツツジ属に分類される。他のツツジに比べ1ヶ月程度遅い5~6月頃、一斉に咲き揃うところからその名が付いたと言われている。奈良県では、一般的には5月20日頃から月末にかけてが見ごろとなる。他のツツジ類と比べて花形や樹形についてほとんど相違ないが、開花期が異なるために園芸的に区別されている。

 関東地方・富山県以西、四国、九州南部の屋久島までの範囲に分布し、南限の屋久島では多数の自生のサツキを見ることができる。ツツジ類としては葉が固くて小さく、茎には這う性質が強い。自生するものは渓流沿いの岩の上に根を張って生育し、増水時に水をかぶっても引っかからないような低い姿勢で生育する。このように、渓流植物の特徴を備える。山間部の農村では、棚田の段差部の石垣に生えることもある。草刈りにも強く、石垣の間に根を下ろし、背の低い群落を形成し、初夏に一面に咲く。水際に自生するだけに根が水に強く、加湿を嫌う他のツツジとは対照的である。刈り込みにも強く花が美しいことから栽培が盛んであり、園芸種は多数ある。耐寒性も比較的あり、丈夫で育てやすい。
 栽培は、鉢植えで行われることが多い。強い酸性土壌を好むため、培養土は一般に、鹿沼土と山ごけをほぼ等量ずつ混ぜたものを用いる。繁殖は普通、鹿沼土の単品に挿木する。

 サツキは、「岩つつじ」の名前で万葉集にも登場する。ツツジ科の中でも岩場に性質が強かったため、この名になった。よく知られた歌に和泉式部の岩つづじ折り持てぞ見る背子が着し くれなゐ染の衣に似たれば」がある。愛する人の着ていた衣と、手折った岩つつじの赤いイメージが鮮烈だ。奔放な恋で知られた和泉式部らしい情感あふれる歌である。他にも、従者が亡き草壁皇子への思いを詠んだ「水伝う磯の浦みの岩つつじ 茂く咲く道を またも見むかもなどがある。

 サツキは日当たりを好む。ただし、真夏の直射日光は避けたい。鉢植えの場合、夏以外は日なたで育て、気温が高くなってきたら半日陰へ移動させる。地植えの場合は真夏に半日陰になる場所へ植えつけるのがよい。サツキの植えつけ適期は3月~6月、9月~10月だ。ただし、開花している間は植えつけ作業を避ける。鉢植えの場合、植えつけ前に根鉢をほぐし、古い土を3分の1ほど落とす。鉢に苗を移したら、少しずつ新しい土を入れていきます。サツキは土の表面に近い場所へ細い根を張り巡らせるため、深植えしないように気をつける。
 地植えの場合は、土を10cmほど盛ったところにサツキを植えつけるむ。根についた古い土は、2分の1程度落とす。地植えのときも深植えしないように注意する。植えつけの際には元肥を混ぜ込む。植えつけが完了したら、水をたくさん与える。根がしっかりと張るまでは水を切らさないよう、最低でも2週間はこまめに様子を確認し水をやる。水やりの際に、時折根の活着促進のため植物用活力剤を希釈して与えると良い。

 花が咲き終わったらお礼肥を与える。花後から7月上旬ごろまでに施肥する。9月~10月になったらサツキの株が充実するため、もう一度肥料をを与える。また、2月になったら寒肥を施す。サツキは乾燥に弱い。とくに鉢植えは水切れを起こしやすいため、土が乾く前に水をやる。地植えの場合は、5~6日晴天が続いたら水をやる。冬場も、土が乾いていたらみずをやる。私の経験では、「冬場の水やりが特に大事」と強く思う。

 花を毎年たくさん咲かせるために欠かせない作業が剪定だ。サツキは新しく伸びた枝に花芽をつける。株自体が元気なら古い枝にも花を咲かせるが、できるだけ若い枝がたくさん育つように剪定するのがよい。剪定の時期は花後の5月~6月である。サツキの花芽は6月末~7月末に形成されるため、それまでに剪定を済ませなければならない。花が咲き終わったら、できる限りすみやかに剪定する。混みあっているところの余分な枝や、極端に細い枝、ひょろひょろと徒長している枝は切り取る。ただし、太くがっしりとした枝を深く切り詰めてしまうと、サツキへの負担が大きくなってしまう。枝の先端を少しずつカットする程度にとどめたほうがよい。

 鉢植えのサツキは、2年~3年に1回の頻度で植え替えを行う。適期は植えつけと同じく開花時期を除いた3月~6月、9月~10月だ。剪定と同時に植え替えを済ませても大丈夫である。根鉢を崩して土を半分ほど落とし、新しい土の入った鉢へ植え替える。元肥として肥料を少し混ぜ込む。

 サツキは-10℃程度でも耐えられる耐寒性をもつ。ただし、冬の寒風に当てすぎると株が弱ってしまうため注意する。生育が停滞するため、当然だが、水やりの頻度も夏より少なく抑える。

「あなたの安全を私が担う」

  ビルメンテナンス等の業務に携わる私の教え子でもあるTさんが、定年(60歳)後の再任用2年目に当たり、会社に提出した文章を紹介する。
 こういった真摯な気持ちでもって職務に専心する人たちによって、日本は支えられているのだ。
 

   定年後も、本社で勤務させていただいていますことに深謝申し上げます。

 入社以来、本日ここまで「粉骨砕身、会社のために努めてきた」の自負があります。また、『生を求めて、以て仁を害すること無く、身を殺して、以て仁を為すことあり』(論語)の気概をもって勤務してまいりました。 

 高校卒業と同時に国鉄(現JR)に勤務し、保線区に配属されました。線路の保守点検であり、日々快適かつ安全な運行がなされるように全力で努めました。ある時、子ども連れの顧客が私たちを指さして「しっかり勉強しなかったら、こんな仕事にしかつけないのよ」と聞こえよがしに言われました。腹は立たなかったです。なぜならば、「あなたが乗ろうとする電車の安全運行は私たちが担っている」の自負があったからです。現在のビルメンテナンスの業務にも通じる事です。 

 論語に『剛毅朴訥、仁に近し』(ごうきぼくとつ じんにちかし)という有名な章句があります。通釈すると、「剛健な意思、毅然たる表裏のない質朴さ、粉飾のない訥々たる言葉、こうした資質は、最高の徳たる人に近い」です。また、日蓮大聖人は「陰徳あれば陽報あり」と述べられています。私はこれらの言葉を胸に日々の業務に邁進しています。これからも何ら変りません。そのことが、会社の業績向上につながり、ひいては社会貢献つながると信じるからです。もちろん、家族の幸福にも。

 最後に、座右の銘としている論語の章句を挙げます。

『人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患えるなり』

足立美術館の庭園

 日本一と言われる(世界一)足立美術館の庭園を鑑賞された方は、さぞかし多いことだろう。とにかく、美しいの一言である。

 足立美術館の5万坪の日本庭園は、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による庭園ランキングで、19年連続日本一に選ばれている。これは、「いま現在鑑賞できる日本庭園としていかに優れているか」を基準に調査・選考されており、広大な庭園の細部にまで維持管理がゆきとどいている点が高く評価されているのだ。高い評価を得ている背景には、専属の7名の庭師による管理はもとより、毎朝開館前に事務職員も含めた総出で約1時間かけて掃除をするなどの、徹底した「おもてなし」の姿勢がある。年中無休のため掃除は365日休むことなく続けられ、雨の日にもカッパを着て行われる。

 サツキなどの刈り込みものも素晴らしいが、私は特に赤松に魅かれる。これだけの赤松の名木は、他では見られないからだ。年中美しい姿を観ていただくため、夏季には専属の庭師による赤松の剪定作業が集中して行われる。古葉を手作業で摘み落として樹形を整え、最後に竹製の手箒でこすって古皮をはがしていく。こうすることで、赤松の鮮やかな幹肌が現れる。毎年7月末から約2ヶ月かけて行われる。園内には赤松が約800本植わっているが、太くなり過ぎたり状態が悪くなった際にすぐ交換できるよう、別の場所にスペアが用意され、赤松だけでも約400本があるそうだ。スペアが用意されているのは、他の樹種についても同様だ。

 足立美術館は、実業家として成功した足立 全康氏の「郷土に恩返しがしたい」という思いから、昭和45年に設立された。横山大観をはじめとする日本画に深い思い入れを持つ足立全康は、まず日本庭園を通して四季の自然の美を感じてもらい、その感動をもって横山大観などの作品にふれることで、日本画の魅力を理解してもらおうと考えた。館内に入るとまず「枯山水庭」や、「白砂青松庭」など趣の異なる美しい庭園が広がっているのはこのためだ。

 私は庭いじりを趣味とするが、いつも足立美術館庭園のサツキの刈り込みものを目標にしている。そう言うと、多くの人が笑う。もちろん規模・広さが比べ物にならない。言うまでもなく、足元にも遠く及ばない。だが、サツキの刈り込みものに係わっては樹形と花付きの両方でひけをとらないようにと、年間を通して心がけている。

 拙庭のサツキのほとんどが、45年程前に100~150円くらいで購入したポット苗を育てたものだ。一般に地植えのサツキは赤がほとんどだが、拙庭のものは、さまざまな種類である。足立美術館庭園に限らず、名庭園のサツキは3月にも剪定して樹形を整える。鑑賞客がいつ訪れても美しい姿を見る事が出来るように、花よりも樹形を重視するからだ。春先に剪定すると、多くの花芽を落としてしまうことになる。実際、花は2~3割しか咲かないのである。

 私は樹形だけではなく、花付きも大事にする。より多くの花を見ることが出来るように年間を通して腐心している。花が咲き終わるや否やすぐに剪定をする。その後飛び出た芽を、大久保はさみでチョっチョっと切る。花芽を落とさないように注意を払う。それは咲き始める直前まで続く。家人から「いい加減にしたら」と飽きられる。もっとも、11月から2月までは、芽は伸びない。その結果、樹によっては葉っぱがみえないくらいに花をつけることも……。

 ご存知のとおり、足立美術館庭園のサツキの刈り込みものを実際に鑑賞するのは70㍍以上離れた所からである。狭い拙庭では、すぐそばからとなる。わずかなでこぼこが、すぐに目立ってしまう。より丁寧で緻密な手入れが求められるのだ。そうでないと、美しい樹形を保つことはできない。

 恐れ多くも、足立美術館庭園のサツキの刈り込みものを目標にしていると言っているが、サツキの刈り込みものに関しては、樹形も花も拙庭の方が上だとの自負がある。45年以上、年間を通してそれだけの時間と労力をかけてきたのである。あと2週間程でサツキの見ごろとなる。今年も多くの方に鑑賞していただきたい。

赤松 足立美術館庭園
白砂青松  足立美術館庭園
館内から  足立美術館庭園
谷口邸庭園

故郷を思い出させる懐かしい逸品

   高校の同級生が舗この連休に、四国 宇和島に帰省した。土産に、銘菓舗『百波』(もなみ)の銘菓「伊達候」「栗饅頭」「密饅頭」を貰った。

 「伊達候」は、宇和島藩十万石を治めた名君にちなんで命名した最中だ。餡は北海道産大納言を氷砂糖と和三盆糖で仕上げた上品な甘さの粒餡であり、香ばしい金沢産の最高級加賀種に手詰めしてある。
 「栗饅頭」は選りすぐった大粒栗を北海道産の小豆を使った上白餡で包み、焼き上げている。
 「密饅頭」は、愛媛ミカンの花の蜂蜜を使い北海道産の小豆を漉し餡にして、焼き込んでいる。地味豊かである。

 『百波』の菓子に使用している卵は、無農薬資料を与えて放し飼いで育てた地鶏の卵だと聞く。

 早速賞味したが、何れも故郷を思い出さずにはおれない懐かしい逸品であった。

遠藤日向(住友電工)快挙

 陸上競技の、日本グランプリシリーズ延岡大会の「第33回ゴールデンゲームズinのべおか」が昨日(5/4)、宮崎県延岡市の西階総合運動公園競技場で行われた。

 コロナ禍で3年ぶりの開催となった今大会は男女の5000mがグランプリ種目として実施され、男子B組に出場した遠藤日向(えんどう ひゅうが住友電工)が13分10秒69で優勝。このタイムは日本歴代2位で、今年7月に行われるオレゴン世界選手権の参加標準記録(13分13秒50)も破った。6月の日本選手権で3位以内に入れば自動的に代表に内定する。

 このレースには、国内の実業団に所属する外国選手も多数出場したが、ラスト一周のスパートで全員に後塵を浴びせての圧勝だった。ラストスパートで外国有力選手を置き去りにするなどは、瀬古選手以来のことである。
 ユーチューブで生中継を見ていたが、感動を覚えた。遠藤選手は5000mに関しては国内におけるトップ選手だが、最終選考会で力を出し切れず東京五輪代表を逃した。今後さらに精進して、パリ五輪で大輪の花を咲かせて欲しい。

 さらに昨日は、B組で15着に入った佐藤圭汰(駒大)が13分22秒91でゴール、吉居大和(中大)が2020年に樹立した20歳未満日本記録(13分25秒87)を更新。昨年10月に13分31秒19の高校記録を打ち立てた大物ルーキーが、大学に入って初の5000mで新たなレコードを樹立した。高校は、洛南高校だった。

 拙宅はY紙を購読しているが、「遠藤選手の快挙」が本日の朝刊にはまったく触れられていなかった。「連休中で取材体制が手薄だろう」とは言え、陸上競技ファンにとって大ニュースだけに残念極まりない。Y紙には、猛省を促したい。

遠藤日向 あっぱれ
外国勢に後塵を 遠藤ゴール

日本は一大文明国  田中忠道

 日本のように一つ所に、同じ領域に、同じ民族が住み続け、2000年以上もの歴史を積み重ねてきた国はほかにありません。

 ヨーロッパを見てみましょう。古くはケルト人が住んでいました。カエサルの『ガリア戦記』 に見るように、そこにラテン民族のローマ人がやってきて、ケルト人を蹴散らします。そのころ、中央アジア、中央ヨーロッパでは、フン族の圧カに押し出される形で、ゲルマン民族が西へ移動していきます。
 ゲルマン民族のさまざまな種族がヨーロッパ各地に定着し、それがヨーロッパのさまざまな国の原型になったといわれています。それだけでは終わりません。十三、十四世紀になるとモンゴル族が侵入してきます。ヨーロッパは大きく動揺しました。国境線が西に東に、南に北に移動しました。これはアジア大陸でも同じことです。中国の歴史はいくつもの王朝の交代の歴史でした。そして、王朝と王朝との間にはほとんど連続性がありません。断絶しているのです。
 秦王朝の兵馬備の技術は、その後の中国の彫刻になんら影響を与えていません。それは単に王朝の名称が変わっただけというのでなく、漢族から鮮卑族へ、モンゴル族へ、満州族へ、という支配的民族の交代であったのです。そこには戦乱がありました。他民族に侵略され、追われて移動し、故郷を失い、消滅し、あるいは新たな故郷を求めるということが繰り返されて、現在ある国が定まっていったのです。

 世界の国々はすべて、このような変化、断絶を経験しています。しかし 日本だけにはそのような歴史がありません。一度だけ、モンゴルが攻めてきたことがあります。しかし、日本の国土には侵入できませんでした。
 明治以後を「近代」と呼び、何もかもが変わったように言われます。しかし、何が変わったのでしょう。日本人という民族はそのままです。また、日本はアメリカとの戦争に負けました。しかし米軍は、天皇には関与せず、本土上陸もしませんでした。その結果、基本は変わらなかったのです。
 日本民族は体然として同じ領域に、日本人として暮らしています。そして2000年以上も前から日本が変わらずに、ここにあることを示す何よりのものは、天皇がおられるということてす。明治のいわゆる近代化の波も、戦争も軍年的な敗北だけて、日本を変えることはなかったのです。

 世界史では、近代が国家観を形成し、人々の国民意識を育て、国家が成立したと言われます。しかし日本は大陸から隔てられた島国という条件もあって、自然と一体になって、大八洲がそのまま国土として意識され、早くから巧まずして人々の国民意識を育てることになり、それが途絶えることなく今日まで続いているのてす。

 日本人の変わらない連続性を示すものとして、たとえば「万葉集」を挙げましょう。それは日本の神話が生まれたのと同じ時期から詠み継がれてきたものです。
 あらゆる人々が自然の中で、農耕をしながら、旅をしながら、防人の困難さに耐えながら、あるいはいつに変わらぬ日常生活を営みながら、歌に詠んだものです。それをいま私たちが読んでも、何の違和感もありません。そこに詠まれている感情、気持ちをそのまま私たちのものとして感じとることができます。だから『万葉集」はいまも一般の人に広く読まれ、その歌が愛唱されているのです。

 このようなことは他の国には絶対にありません。日本だけのものです。これは、日本では同じ体制、同じ言語、同じ文化が変わらずに連続しているからにほかなりません。世界には、前世紀の高い文化を示すもの、神殿や劇場、闘技場や水道などがいくつもあります。しかし、それらはすべて遺跡です。廃墟です。その文化は途絶えてしまって、いまは生きていません。

 日本は違います。まだ仁徳天皇陵を拝んでいます。千三百年前にはじまった伊勢神宮のニ十年ごとの遷宮はいまも営まれ、人々は神々しい気分を感じながら玉砂利を踏んで参拝しています。千四百年前の木造建築である法隆寺は、いまもそのままに仏教の法要が営まれています。それらはすべていまも生きているのてす。日本が不易流行の国である現れてす。

 グローバリゼーションの風潮の中で、国家観を薄めるかのような動きが起こっていますが、その流れに押し流されてはなりません。日本が不易流行の国、歴史大国であることを自覚し、その位置に立って私たち日本人の体験・思想を世界に向かってしっかり述べていくことが、日本人が世界に交わっていく道であることを知らなければなりません。

 日本は一大文明の国なのですから。
 

東北大学名誉教授 田中忠道

ゴッホが取り憑かれた浮世絵の魅力とは

 パリにおいて思う存分浮世絵の研究を重ねたゴッホは、同時代の作家の誰よりも深く浮世絵に傾倒し、その研究の成果を自身の画風にも反映させていく。
 浮世絵の何がゴッホをそれほどに心酔させたのだろうか。ゴッホの感性に深く訴えかけたと思われる、3つの要素を取り挙げる。

1 自由で鮮やかな色彩表現   
 浮世絵を研究するため、ゴッホは実際に浮世絵作品を複数模写している。その際、一番惹きつけられたのが、浮世絵の自由な色彩感覚だっただろう。  
 浮世絵では、しばしば実景とは異なる大胆な色調で描かれることがあった。江戸時代の日本人にとっては、こうした浮世絵の自由な色彩感覚は慣れっこだったと思われるが、当時の西洋人には非常に新鮮に映ったのではないか。実際、以後の画業で、見えた風景の色彩を100%見えたままに描くことにはこだわらなくなった。それよりも、自らの感性が捉えた色彩で風景を表現するようになっていく。
 たとえば、本来、青系統で描かれることが多い空は黄色に、黄色や褐色で描かれることが多い麦畑は紫に光っている。一般的な空と大地の色のイメージが逆転しているわけだ。こうした自由な色彩感覚は、ゴッホが浮世絵を学んで得た成果だったと言える。

2 平面的な画面   
 色彩の鮮やかさに加え、ゴッホを虜にしたのが浮世絵の持つ平坦な色面表現だっただろう。
 ルネサンス期以降、西洋の画家たちは、透視図法や空気遠近法など、様々な描画技術を駆使して奥行きのある立体的な空間を絵の中に表現しようとしてきた。ゴッホもまた、オランダでの修行時代では、西洋の伝統的な遠近法に忠実に描いていた。一方、日本伝統の大和絵から派生した浮世絵は、写実的な遠近表現よりも、デォルメされた人体表現や、モチーフの装飾性を重視する。くっきりとした輪郭線を使って、線に囲まれた各領域を単色で描くことで印象的な構図を作ろうとしていたのだ。この点にもゴッホは強い影響を受けた。
 友人への書簡で「僕は現場で仕事し、素描で本質をつかもうとしている。本質とは、存在しようと存在すまいと、僕が感じ取った(物体の)輪郭で囲まれた面のことだ。そして僕はこの面を、単純化された色調で塗りつぶすんだ」と。
 ゴッホの作品で最も有名な「ひまわり」を見てみよう。所々に太い輪郭線を使って、平面的に描かれている。また、このひまわりには「陰影」がない。同時代のモネが描いた作品(クロード・モネ「ひまわり」1881年 メトロポリタン美術館蔵)と比べてみると、ゴッホが浮絵から多くの影響を受けていることがはっきりと理解できる。

3 大胆な構図    
 ゴッホが浮世絵に惹き付けられたもう一つの特徴が、「構図」の面白さである。庶民向けの商業美術であった浮世絵では、美人画でも名所絵でも、大胆かつシンプルで明快な構図が特徴的である。それぞれの絵師は、最も表現したい部分を強調しつつ、余計な背景は思い切ってトリミングするなど、今で言うところの「ばえる」構図になるよう工夫をこらした。
 こうした劇的で斬新な構図もまた、ゴッホの心を捉えたと思われる。ゴッホが浮世絵から感銘を受けたポイントの一つが、しばしば作品の前景で大きくクローズアップして描かれた生き生きとした植物などだった。ゴッホが模写を重ねた歌川広重の作品を見てみたい。「富士三十六景 武蔵小金井」では、桜の老木の幹が画面の上下に突き抜けるようにして、作品の左半分を覆い尽くしている。穴が空いていたり、根本が2つに枝分かれしたりと、エキセントリックな老木の幹は、作品に向き合う鑑賞者に強いイメージを与えている。「名所江戸百景 堀切の花菖蒲」では、咲き誇るアヤメが画面手前で非常に大きく描かれている。
 また。前景の強調に加えて、ユニークな視点設定も見逃せない。まるで地上を這いつくばる小動物や虫が、地面スレスレの位置からアヤメを下から見上げているかのように描いている。広重は、前景の対象物を単に強調するだけでなく、視点をずらすことでより強い印象を与えるように構図を操作しているのだ。
 ゴッホは、広重が試行錯誤を繰り返して編み出した構図上のテクニックを、余すことなく吸収して自分の作品に反映した。
 実際に絵を示さないと分かりにくいが、その集大成とも言える作品、末期の作品である「草地の木の幹」は、画家の周囲に広がる草地の微細な表情だけに焦点を当てて描かれた作品だ。通常、風景画といえば眼前に広がるパノラマを描くものだが、ゴッホは足元の地面にも興味を持ち、生き生きとした色彩とユニークな構図で描いてみせた。前景には、画面の外側へと斜めに伸びる2本の木の幹が大きく描かれている。幹は木版画のような太い輪郭線で囲まれ、黄色や水色など自由な色彩で配色されている。もう少し観察してみると、この絵は上から地面に向かって見下ろすような、特殊な視点で描かれていることにも気付かされる。つまり、広重の風景画と同じエッセンスが詰まっているのだ。

ゴッホは北斎の浮世絵に

 色鮮やかで情熱的なその作品と生涯が、今なお世界中の人々を魅了し続けるポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホ。日本でも非常に人気が高く、展覧会は毎回大きな反響を呼ぶ。厚塗りでうねるように描いた作品はインパクト抜群である。ゴーギャンとの奇妙な同居生活の顛末や、わずか37歳で迎えた衝撃の自死など、数々のドラマチックなエピソードとともに、彼の画風は世界中の絵画ファンを虜にしている。
 そんなゴッホだが、最初から激烈な作風だったわけではない。1880年頃に画家を志してからしばらくは、彼の祖国・オランダの同時代の画家たちの影響を色濃く受けた、比較的地味な作品を描いていたのだ。そこから、ゴッホの作風は激変する。
 私たちが今見て「ゴッホらしい」と感じられる作風へとたどり着いたきっかけは、芸術の都・パリへと移住したことだった。画商を営んでいた実弟テオのアパートで同居生活を始めると、ゴッホはパリで印象派やポスト印象派の仲間たちから感化されて、劇的に画風を変化させていった。実は、そこでゴッホの作風に強い影響を与えたのが「浮世絵」だったのである。

 19世紀後半、万国博覧会の開催や美術商の活動などを通して、絵画や工芸など日本文化が本格的に欧米へと知られていくことになる。西洋での伝統的な美術表現とは全く異なる感性の下でつくられた日本の美術工芸品は、西洋の人々に大きな衝撃を与え、「ジャポニスム」ブームを巻き起こした。特にパリでは万国博覧会が合計4回も開催され、新たな芸術表現を探し求めていた次世代の芸術家たちに大きな影響を与えていくことになる。
 その中で、モネやドガといった印象派や、ゴーギャンやロートレックなどポスト印象派の画家たちに強い影響を与えたのが「浮世絵」だったのだ。

 ゴッホも、1886年春にパリへ移住すると、仲間の画家たちを通じてすぐに「浮世絵」に惹かれていった。古美術商サミュエル・ビングのギャラリーの常連になると、ゴッホは、足繁くビングのもとに通うようになる。目当ては、店舗の屋根裏に大量にストックされていた1万枚以上の浮世絵だった。彼は、何度もビングの店を訪れ、心ゆくまで浮世絵作品を研究し尽くしたようだ。

 このように、ゴッホはパリ時代、浮世絵漬けと言っても良いほど浮世絵へと傾倒していった。実際、彼が弟テオと一緒に収集した日本の浮世絵作品は、400点以上にのぼった。しかも収集だけに飽き足らず、ゴッホはなんとコレクターとして浮世絵の展覧会を開催してしまうのだ。

 さて、北斎の浮世絵は、多くの西洋人にキリスト教を捨てさせたと言われている。「そんなまさか? 」と思われるだろうが、本当だ。例えば、『ひまわり』を描いたゴッホ。彼は元々、牧師の家に生まれ、自身も牧師を目指していたほど敬虔なクリスチャンだった。そんなゴッホだが、こんな言葉を手紙に残している。
 〝彼らみずからが花のように、自然の中に生きていく素朴な日本人たちが、われわれに教えるものこそ真の宗教とも言えるのではないだろうか〟
 (アルルにて、弟テオあての手紙)

 不思議ではないか? 熱心なキリスト教徒であるはずなのに、日本人が教えているものこそ「真の宗教」だと述べているのだ。さらに別の手紙には、こんな言葉も残されている。
〝日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気に もっと幸福にならずにいられないはずだ〟
 (アルルにて、弟テオあての手紙)

 ゴッホは晩年、南フランスに移住したのだが、その理由については手紙の中でこんな風に書き記されている。
〝僕たちは日本の絵画芸術が好きなんだ。僕たちはその影響を受けているんだ。では、日本に行かないならどうするか、日本と同じようなところ、南仏だろうか?〟
 (アルルにて、弟テオあての手紙)
 ゴッホは、日本人の感性に衝撃を受け、その感性を「真の宗教」とまで呼び、さらにその感性を理解するために、わざわざ南フランスに移住までしていたのだ。そして、その衝撃の根源こそ、葛飾北斎の浮世絵にあった。東北大学名誉教授 田中英道氏は、このように述べている。
 「ゴッホが追い求めたものこそ、日本であり、北斎であり、自然だったのです」
 ゴッホは、北斎の浮世絵のどこに、これほどの感動を覚えたのだろうか?
そして、熱心なクリスチャンがキリスト教を捨ててしまうほど、思想を揺るがした理由とは? ゴッホの視点を通すことで、世界からみた日本のユニークさが分かり、世界の人々が日本に憧れる理由を理解することができるだろう。


祝祭日に国旗を粛々と掲揚

 大変残念なことに、祝祭日に国旗を掲揚する家が少ない。国旗を常備され、祝祭日には国旗を掲揚していただきたい。

 国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)は、国旗・国歌を定める日本の法律であり、 通称は国旗・国歌法と呼ぶ。 所管官庁は内閣府。  平成11年8月13日に公布、即日施行された。

 反対する人たちは、それまで「日の丸が国旗だとは、君が代が国歌だとは、どこにも書かれていない」と主張してきた。はっきりと明文化されたのだ。

 外国へ行くと、ふだんの日でもあちらこちらに国旗が掲げられている。
 自国の国旗・国歌に敬意を示さないで、他国の国旗・国歌に対して敬意を示すことは難しいだろう。

 祝祭日に、国旗を粛々と掲揚しよう。

 

 

内閣総理大臣の談話(平成11年8月9日)

   本日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立いたしました。
  我が国の国旗である「日章旗」と国歌である「君が代」は、いずれも長い歴史を有しており、既に慣習法として定着していたものでありますが、21世紀を目前にして、今回、成文法でその根拠が明確に規定されたことは、誠に意義深いものがあります。
  国旗と国歌は、いずれの国でも、国家の象徴として大切に扱われているものであり、国家にとって、なくてはならないものであります。また、国旗と国歌は、国民の間に定着することを通じ、国民のアイデンティティーの証として重要な役割を果たしているものと考えております。
  今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。
  また、法制化に伴い、学校教育においても国旗と国歌に対する正しい理解が促進されるものと考えております。我が国のみならず他国の国旗と国歌についても尊重する教育が適切に行われることを通じて、次代を担う子どもたちが、国際社会で必要とされるマナーを身につけ、尊敬される日本人として成長することを期待いたしております。

伊勢神宮
靖国神社

中之島美術館「モディリアーニ展」

   2月に開館した大阪・中之島美術館で開かれている「モディリアーニ展」を鑑賞して来た。

   イタリア出身のモディリアーニ(1884 – 1920)はフランスに渡り、エコール・ド・パリの一員としてピカソや藤田嗣治などと共に活躍した。本展では、そうした仲間たちの作品も多数紹介、彼らの交流を紹介している。

 祖国で学んだ絵画技法をもとにパリで個性的な作風を確立し、生涯に多くの肖像画を描いた。モディリアーニによる人物像はデフォルメされた独特のアーモンド型の眼や細長い首をもち、内面的な本質を鋭く捉えていると言われる。自身の彫刻の影響もあるのではと指摘されることが多い。

 35歳で夭折したが、精力的に描いた作品群は世界中で今なお愛好されている。本展では、国内外で所蔵されるモディリアーニ作品を中心に、同時代のパリを拠点に繰り広げられた新しい動向や多様な芸術の土壌を示し、モディリアーニ芸術が成立する軌跡をたどっている。

 本展には世界初公開の肖像画を含め、国内外のモディリアーニ作品約40点が集結した。フランス、イギリス、ベルギー、デンマーク、スイス、アメリカなどからも選りすぐりを集め、さらに国内美術館等が所蔵する油彩画や水彩、素描が一堂に会した。中でも、スウェーデン生まれの伝説的ハリウッド女優、グレタ・ガルボが生涯にわたって愛蔵した『少女の肖像』は世界初公開である。

 訪ねた日がウイークデーで、さらに雨だったこともあり鑑賞客が比較的少なく、ゆったりと鑑賞できたことは幸運だった。ただ、館内の案内掲示が分かりにくいと感じたのは私だけだろうか。

ジャポニスム(仏語)の虜になった西洋の画家たち

 江戸時代の天才絵師・葛飾北斎は、世界中の「憧れの的」だったということを知っている人は少なくないだろう。美術に関心のある人には、比較的よく知られた話だ。

 例えば、フランスの画家・アンリ・リヴィエールは、北斎の『冨嶽三十六景』に憧れ、エッフェル塔を富士山に見立てた『エッフェル塔三十六景』を描いている。
 「光の画家」と呼ばれるクロード・モネは、北斎の浮世絵を23点も所有しており、『冨嶽三十六景』と同じ構図で、しかも“36枚の連作”で絵画を描いた。

 バレエ絵画を多く描いた印象派の画家 エドガー・ドガは、『北斎漫画』の相撲の力士を参考に、バレリーナの姿を描いている。しかも北斎への人気は、一時的なブームというわけではなく、アメリカの有名な雑誌『LIFE』の「この1000年で最も重要な功績を残した100人」という特集記事では、葛飾北斎が日本人で唯一、ランクインしているのだ。欧米では、レオナルド・ダ・ヴィンチの次に有名な画家と言えば、真っ先に出てくるのが葛飾北斎の名前だそうだ。

 これほど多くの人々が葛飾北斎に夢中になったのだが、一体なぜ、遠く離れた国々で、北斎はこんなに愛されるのか。その理由は、北斎の絵に込められた「日本的な思想」が深く関係していたようである。
 一説によれば、その影響力は、西洋人にキリスト教を捨てさせるほどだったと言う。

 

 ジャポニスムとは、日本趣味、すなわち日本の物品,美術品に対する関心のこと。特に,19世紀後半にフランスを中心としてみられたものをいう。  
 19世紀後半に欧米で起こった日本美術ブーム。工芸品と浮世絵を中心とする日本美術への強い興味で、フランスを中心に、ヨーロッパのほぼ全域からアメリカまで、西洋世界の広範囲で生起した。
 幕末に日本が開国して以降、美術工芸品の流出・輸出が行なわれていくなかで勃興し、特に1862年ロンドン万博、67年パリ万博、73年ウィーン万博における日本美術の出品・展示が契機となり流行した。しかし20世紀に入ってフォーヴィスムなどの新しい美術が出現すると、ジャポニスムは1910年代には終息し、欧米では以後、中国美術やアフリカ美術が注目を集めるようになっていった。

 ジャポニスム(英語では、ジャポニズム)は、現在も製造、販売されているフランスのかばんメーカーのルイ・ヴィトンの「ダミエ」キャンバスや「モノグラム」キャンバスも、当時のゴシック趣味、アール・ヌーヴォーの影響のほか、市松模様家紋の影響もかかわっているとされる。

前向きに

   高齢者の会の役員をしたり、「論語教室」で講じたりしていると、多くの人たちと語り合える。そのような機会が多い。有り難いことだ。

 「人生を前向きに生きている人」「他者のために汗のかける人」との出会いは、私に大きな示唆を与えていただくことになる。自身も、他者に「前向きな姿勢」を感じて貰えるような生き方を、したいものだと思うのである。
 簡単な事ではないが、そうありたいと思う気持ちが大事だろう。

佐々木、異次元の投球

 プロ野球千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希(ろうき)が10日、対オリックス戦で完全試合を達成した。28年ぶり、史上16人目の快挙である。走者を一人も出さずに完封勝ちする完全試合を20歳5か月で達成したのは、史上最年少だ。

 佐々木は大船渡高(岩手)時代に、高校生最速となる163㌔を記録した。3年時の県大会決勝では、故障を防ぐために当時の監督が登板を回避させ話題となった。
 ロッテに入団後もケガのリスクと向き合いながら、身体の強化に専念してきた。ここに来て、一気に開花した感じだ。10日の試合では、13連続奪三振の新記録も達成した。計19奪三振は、タイ記録である。

 筑波大の川村卓雄教授は、佐々木の高校時代から投球フォームを解析するなど強い関心を示してきた。高校の時もリリース(ボールを離すタイミング)の高さに圧倒され、「あの高さから下向きに、ものすごい角度がついていた」と。当時から、「大谷よりも高いレベルだ」とみていた。
 川村教授は、「異次元の存在であり、170㌔も狙える」とも。

 凄い投手が出てきたものだ。個人的には日本で長く投げ続けて欲しいと願うが、「大リーグで奪三振の記録を更新して欲しい」とも思う。とにかく、しばらくは佐々木の活躍に目を離せない。

辻 前会長(現 顧問)の次兄 辻 二郎氏ご逝去

 三生連の前会長(現顧問) 辻 孝三氏の次兄 辻 二郎(つじ じろう)東京工業大学栄誉教授が、4月1日逝去された。謹んでご冥福を申し上げる。滋賀県出身で、享年95歳であった。

 辻 二郎氏は、昭和2年滋賀県にお生まれになり、彦根工業専門学校(現滋賀大学)を経て、昭和26年京都大学理学部卒業。東レ基礎研究所研究主幹、東京工業大学工学部教授、岡山理科大学工学部教授倉敷芸術科学大学産業科学技術学部教授を歴任。平成23年東京工業大学栄誉教授

 パラジウム触媒を用いた有機合成反応の先駆者で、世界で最初にパラジウム化合物を用いる炭素-炭素結合生成反応を発見された。中でも辻・トロスト反応は有名である。

 主な受賞としては、昭和55年日本化学会賞、平成6年紫綬褒章、平成16年日本学士院賞、平成26年テトラヘドロン賞がある。

会旗 完成

   会旗が出来上がり、本日(4/7)1の役員会でお披露目となった。
 もちろん、明日の支部長会でも皆さんにに見ていただく。
 これは小さい方であり、大きい会旗は、これの3倍以上もある。

中之島図書館「論語塾」

 平成28年4月から大阪市の中之島図書館において、『論語』を講じている。7年目に入っており、90分の講義は110回となった。
 最初の5年間は毎月2回、現在は月1回である。コロナ禍で休講を余儀なくされたこともあったが、今年度の「論語塾」も4/2(土)から始まった。最初は15~25名程度であったが、今年度は初回から定員(50名)の予約が一杯となった。有り難いことである。

平和ボケを捨てて、今からどのような備えが……

   ウクライナが、かつて世界第3位の核武装大国だったことを知っているだろうか。
 それは、今から約30年前のソ連が崩壊した時、ソ連の基地が置かれていたウクライナには、大量の核弾頭が残されていた。その数、1240発。アメリカ・ロシアに次ぐ世界3位の核大国だったのである。

 当時、核保有国を増やしたくないアメリカ・イギリス・ロシアはウクライナに対し、ウクライナに攻め込まないこと、ウクライナが侵略を受けたときには 即座に支援のために国連安保の行動を依頼することなどの取り決めと引き換えに核の放棄を持ちかけた。
 ウクライナが、これら3つの大国の要求を断れるはずもなく、チェルノブイリ原発事故の苦い記憶が核兵器への抵抗感になっていたことも後押しとなり、ウクライナは核廃棄を約束した。核兵器をロシアに移送し、「核を持たない国」になったのだ。

 そして、時は流れ2022年、「攻め込まない」と約束をしていたはずのロシアが、平然と約束を破ってウクライナに侵攻した。連日報じられるように、街は壊され、民間人にも死者を出し、ウクライナの平和はあっという間に崩れ去った。欧米諸国はロシアへの経済制裁やウクライナへの物資支援をしてはいるが、連合軍を出してウクライナを助けに行くこともなく、国連安保理は議決こそ行なったもののロシアの拒否権により動けないままである。  
 現在、ウクライナは、大国ロシア相手にたった1人で戦っているような状況に陥っている。

 もしも、ウクライナが核を持ち続けていたとしたら、今、どうなっていただろう。ウクライナ侵攻は、そもそも起きていただろうか。この話は決してひとごとでは無い。日米安保を頼りに「アメリカに守ってもらう」と言い続け、広島・長崎の原爆のトラウマから「非核三原則」を掲げ、平和憲法を守り続けている、そのような日本の姿は、どこかウクライナに重なる。このままで、日本は本当に大丈夫なのか。

 前日の陸上自衛隊・元陸将F氏はこう警鐘を鳴らす。「実は私たち日本人も「明日は我が身」と 覚悟をしなければならないほど、 我が国を取り巻く情勢は緊迫している」と。
 ウクライナ情勢の裏で、日本に密かに迫る危機とは一体どのようなものなのか。いまだに憲法改正も進まない日本に、今からどんな備えが求められるのか。平和ボケを捨てて、国民の一人ひとりが、真剣に向き合わなければならないのである。

日本を滅亡の危機から救った秀吉

 豊臣秀吉に対してどんなイメージを持っているだろうか。
 恐らく、「世渡り上手、信長に気に入られて大出世した人、キリシタン弾圧を徹底した人」と思われているのではないか。大河ドラマの主人公にも何度もなった、日本で最も有名な武将の一人である。でも、実は秀吉が“日本を滅亡の危機から救った人”だったということをご存知ないのではないだろうか。

 時は戦国時代、豊臣秀吉が全国へ支配を拡大していた矢先、日本は滅亡の危機に瀕していた。ある組織によって“日本植民地化計画”が進められていたのだ。その組織とは、イエズス会である。キリスト教布教を手段として、アジア諸国を植民地化しようとしていたのだ。 例えば、同じ時代、日本の近隣国であるフィリピンはスペインの植民地にされてしまっていた。フィリピンにも布教の名の下に、植民地工作の先兵として宣教師が送り込また。そんな西洋諸国の脅威にいち早く気づいたのが、豊臣秀吉であった。
 フィリピンや近隣国の情報を手に入れていた秀吉は、日本に来ていた宣教師たちの活動に危機感を抱いた。九州征伐の際、長崎の状況をみた秀吉は絶句した。それは、多くの日本人が“奴隷”として海外に売り飛ばされていたからだ。
 一説によると、世界各国に売られていった日本人奴隷は5万人以上とも、40万人以上とも言われている。その日本人奴隷の貿易に、宣教師が関わっていることが分かったのである。「このままでは日本が危ない」そう思った秀吉は、バテレン追放令を出した。これは、キリスト教徒を追い出すのではなく、宣教師を国外追放にするというものだった。
 そしてこの後も、秀吉から徳川家康へキリスト教への弾圧政策は引き継がれる。この秀吉の働きがあったからこそ、日本は植民地化されることなく独立を保つことができたとも言える。
 秀吉ほどの有名な武将でも、現代の教科書を読むだけではその功績のひとかけらしか知ることはできない。そして実は、、そんな意外な一面があるのは秀吉だけではなかった。あの織田信長も、戦後「暴君」のイメージが作り上げられた武将の一人である。信長には、戦で勝った相手のドクロで酒を飲んだり、お寺を焼き討ちにしたりと、神をも恐れぬようなことをした武将というイメージがある。でも、最新の研究によると、信長は、“神社を厚く支援し、神を信仰していた”ということが分かっている。


GHQによる公民館の設置

   日本中にある「公民館」(集会所)がGHQによって設置されたことを知っているだろうか。GHQは、日本が再び米国の脅威にならないことを狙って「日本弱体化政策」を強制した。その政策の1つが公民館(集会所)の設置であった。

 戦前は、地域住民の中心には神社があった。その年の豊作を祈る行事から実りに感謝する秋祭りまで、一年のサイクルを通して人々は神々に感謝した。地域住民は、氏神様を中心として精神的な結束を固めていた。さらには、地元の揉め事の解決から祝い事まで、あらゆる問題は神社で開かれる「寄り合い」で解決されていた。つまり、神社は精神的支柱であると共に、行政拠点の役割も果たしていた。
 これに気づいたGHQは、学校教育などを通して神社参拝を禁止し国民の結束力を奪っていく一方で、神社に代わる国民の中心として構想されたのが「公民館」(集会所)だった。そのような公民館で開かれたのは、映写機を持ち込んでの映画会だった。上映される映画はもちろんハリウッド映画であり、豊かな資本主義社会が描かれていた。欧米の民主主義、自由主義、個人主義、資本主義の浸透が行われたのだ。つまり、GHQは日本国民の地域共同体、つまりは「絆」を、公民館(集会所)設置によって破壊したということである。

鈴木健吾選手の課題と対策 北川 聖司

 鈴木健吾選手(富士通)の走る姿を初めて見たのは、2017年の箱根駅伝予選会だった。

 当時、神奈川大学3回生、小柄ながらダイナミックなフォームであった。上下動が少なく、腰の位置も高かった。腕振りも肩甲骨を上手く使って大きく振られ、その分ストライドが大きかった。強豪大学の多くがアフリカからの留学生を中心として臨む中、鈴木選手は総合順位3位、日本人トップでゴールした。驚いたのは、最後の5㌔、出場選手の中で一番速かったことである。レース後半に勝負ができる凄い選手が出て来たと、思わず興奮してしまった。テレビ中継の中で鈴木選手の出身高校の紹介があり、谷口先生の後輩であるを知った。それもまた、私には驚きであった。

 それからは鈴木選手の動向が楽しみとなり、期待感を持って応援してきた。

 鈴木選手は順調に成績を伸ばし、箱根駅伝2区の区間賞獲得、東京五輪マラソン最終代表選考会MGCにも出場を果たした。代表には僅かながら届かなかったが、終盤トップ集団を引っ張る積極的な力走を見せた。鈴木選手自身も、次のバリ五輪に繋がる走りが出来たと納得した内容ではなかったかと思われる。

 その後、2021年びわ湖毎日マラソンで2時間4分56秒の驚異的な日本記録を達成した。この際も、最終盤30〜40㌔、そしてゴールまでを驚異的なラップで走り切った。この最後の力走はアフリカ勢でもなかなか出せないタイムである。鈴木選手の大きな武器である。この大きな強みを生かしてパリ五輪最終代表選考会MGCを勝ち抜いて欲しいと願う。

 今年、3月6日の東京マラソンでも日本歴代2位のタイムで日本人1位となり、今年7月アメリカで開催される世界陸上の出場を決めた。これは、MGCを突破しパリ五輪でのメダル獲得を目指す鈴木選手にとっては、自分を試す本当にいいチャンスである。世界陸上ではタイムより順位にこだわって欲しい。五輪同様、夏のレースで最初から積極的にトップ集団に入って、中間走での揺さぶりにも対応し終盤で得意の粘りがどこまで通用するかを試してみる絶好の機会だ。ここで課題を自覚し、MGCとパリ五輪までに修正できればと思う。そうすれば、パリ五輪でのメダル獲得も見えて来るように思われる。

 メンタル的にもさらに強くなり、世界で戦う前向きな気持ちを今以上に持って世界選手権に挑んでいただきたい。世界選手権の内容と結果が非常に重要となって来るように思われる。最後に、これまで以上に体のケアに留意し、怪我や故障が無いように順調に仕上げていただくことを切に願う。

北川 聖司

世界の歴史を一つに     田中忠道

 モンゴルはいまでこそ、中央アジアの小国にすぎませんが、元(モンゴル)が、世界をつなげたということを理解しておかなければなりません。
 
 日本では、元冠という事件だけが注目され、日本が神風の味方も得て、元(モンゴル)の侵略を防いだということのみ語られるのですが、このモンゴルこそが、世界の歴史を一つにつなげたということの意義を、認識することが必要です。

 モンゴルは、チンギス・ハンの時代にモンゴル帝国を建てて、次々にユーラシア大陸の各地を侵略していきました。そして、元冠によって日本征服を企てた第五代皇帝フビライ・ハンの時代に、大都(現在の北京)を都にして元と称し、その領土を最大のものとしました。ハンガリーに侵攻し、イタリアの近くまで迫り、最終的にはポーランドまで行っています。

 モンゴル帝国の隆盛とその拡大によって、東西のさまざまな文物が行き交うことになり、東西の文化の交流も進んだという事実、これが重要なのです。それというのも、東洋の文化がイスラムだけではなく、モンゴルを経由して西洋に伝わっていったということです。その典型的な例が絹です。

 絹を運ぶために絹の道(シルクロード)がつくられ、東西が結ばれました。それがモンゴルによって、長いユーラシア大陸を結び付ける駅馬車制として確立しました。そのために、東西の交易がさらに円滑に行われるようになったのです。
 これによって、マルコ・ポーロは日本の情報を西洋に伝えることができたのです。それは、彼の著書である『東方見聞録」の中に黄金の島・ジパングとして紹介されています。これが実は、極めて重要な情報だったのです。

 

 「ジパング(訳註 「日本」の中国音ジーペン・グオの靴り)は東の方、大陸から千五百マイルの公海中にある島である。しかも、まことに大きな島である。住民は色白で、優雅な偶像教徒である。ここは独立国で、彼ら自身の君主をいただいて、どこの国の君主からも製肘を受けていない。莫大な量の黄金があるが、この島では非常に豊かに産するのである。それに大陸からは、商人さえもこの島へこないので、黄金を国外に持ち出す者もいない。いま話したように、大量の黄金があるのもそのためである。また、この島にある君主の宮殿のその偉観について話をしよう。この君主はすべて純金で覆われた、非常に大きな宮殿を持っている。
われわれが家や教会の屋根を鉛板でふくように、この国では宮殿の屋根を全部純金でふいている。その価値は、とても数量で計り得ない。さらに、たくさんある部屋は、これまた床を指二本の厚みのある純金で敷きつめている。このほか広間や窓も、同じようにことごとく金で飾りたてられている。実際、この宮殿の計り知れぬ豪華さは、いかに説明しても想像の域を脱したものである。」(マルコ・ポーロ「東方見聞録」)

 おそらく、平泉の金色堂のイメージが伝わっていたのでしょう。純金で屋根も床もつくられているわけではなく、木造に金箔を張っているだけのことですが、
日本の仏像も同じように金色に輝いており、彼らに強烈な印象を与えたのでしょう。いずれにせよ、このマルコ・ポーロの『東方見聞録」ほど、金に飢えた西方の人々の血をわかせたものはありませんでした。モンゴルは、そういう意味でも日本を西洋に結び付ける重要な役割を果たしたのです。しかし、よくいわれるのは、モンゴル自体には、強大な軍事力以外に大した文化はなかったということです。やはり騎馬民族という蛮族、野蛮な侵略者であったというのです。確かに、宋を滅ぼすと、政治体制的には、完全に宋の仕組みを破壊してしまいました。
しかし、その文化は一応受け継いで、西洋に伝える役割を果たしたのです。

田中忠道(東北大学名誉教授)

ペリーの来航時、日本の経済規模は欧米諸国に匹敵

 「ペリーの黒船」が来日した当時、我が国が「小国」であったと言うのは間違いだ。江戸期の時点で日本経済は欧米を凌ぐほどに大きかった。

 1700年頃、産業革命前だが、日本のGDPは英国よりも大きかった。ドイツよりもである。フランスには負けていたが、それはわずかの差だった。オランダに至っては、日本の四分の一程度の経済規模に過ぎなかった。
 ペリーが来航するおよそ30年前の1820年時点でも、日本のGDPは米国よりもはるかに大きかった。

 さすがに、産業革命を経た1820年時点の英国、フランス、ドイツには追い抜かれることになったが。

自分の国は自分たちで守る

ある著名な国際政治学者が、「自分の国は自分たちで守る、アメリカに頼っていてはいけない。今回のロシアのウクライナ侵攻でそれがはっきりした。ごく近い将来、中国が『台湾侵攻』を仕掛けてくると考えられている。そうなれば、日本にも侵攻してくる可能性は十分にある。『憲法9条があるから……』などは、戯言(たわごと)である。国際法を一切無視するような国に占領されてしまえば、二度と国を取り戻すことはできない」と。

 世界は次なる“大戦争”へと着実に向かっているとも言える。一人の日本人として、中国・北朝鮮・ロシアに囲まれている地政学的状況に、今こそ刮目することが求められるだろう。

 後世の兵学に影響を与えた中国 斉の軍略家 司馬穰苴(しばじょうしょ)の言葉に、「国は大きくても好戦的であれば、必ず滅亡する。天下は安定していても、戦争を忘れると必ず危険が生ずる」と。これは今の世界情勢、日本を取り巻く環境を示しているとも言える。
 
 差し迫る戦争の脅威から我が国を守るための具体的な指針に、耳を傾けることが求められるだろう。 

 私たちの子や孫の世代、未来の日本人に、この「美しい日本」を残せるように、我が国を守っていく術を考えなければならない。

贅沢なひと時

 拙庭のハクモクレンは14日に開花し、気温が比較的低かったためか長く楽しませてくれた。
 昨日の雨で7割程度が落花した。今朝外へ出ると前の道路一面に広がっていた。ラジオ体操に出かける前に掃き寄せ、帰ってからゴミ袋へ。日曜日の早朝、ほとんど車の往来は無く、風も無かったので黙々と作業ははかどった。
 知らない人から見ると「大変だな」と思われるだろうが、掃き寄せながらそれを楽しんでいる自分に気づく。時間にして小一時間だったが、贅沢なひと時であった。作業後のコーヒーは、いつもにも増しておいしかったことは言うまでも無い。

先人たちは知恵を振り絞って日本を守り抜いてきた  富岡 幸一郎

   ー2月24日 突如としてロシアは、ウクライナへ侵攻しました。「明日は我が身だ・・・」危機感を募らせたヨーロッパではある「行動」が取らました。それは「国防」です。
 「我が国は、安全保障にもっと資金を投じなければならない」ドイツのショルツ首相はそう宣言し、すぐさま国防費を大幅に引き上げました。その額なんと「13兆円(1,000億ユーロ)」...ナチスの反省から平和主義が根強いドイツにおいて、国防費UPは異例中の異例といえます。

 「我が国は、従来の立場を変えた」スイスのカシス大統領はそう宣言し、ロシアへの経済制裁を支援しました。スイスは「永世中立国」として長らく中立性を重じてきた国であり、国際問題に口出ししてきませんでした。ところが軍事侵攻を目の当たりにしたことで「このままロシアを野放しにはできない!」という危機感から方針転換していったのです。

 もちろんドイツやスイスだけではなく他のヨーロッパ諸国においてもロシアを牽制する動きが見られました。

 では、肝心の日本はどうでしょうか? ウクライナ侵攻が起こったときに、真っ先にあがった声として...
 ・「プーチンのようなリーダーが出てきても、侵略されないために憲法9条があるんだ」共産党の志位和夫委員長は自身のツイッターでこのように述べました。またネット界隈でも「憲法9条があれば軍事侵攻なんか起きなかった!」という的外れな声も飛び交いました。
 さらに...
 ・「日本の領土が侵略されたら、米軍があらゆる能力で守ってくれる」 林芳正外務大臣は記者会見でこんな無責任な発言をしました。
 さらに...「日米同盟で今後も国民の命や暮らしを守れると信じております」岸田文雄総理大臣は米軍に日本人の命をゆだねるようなトンデモない発言をしていたのです。

 なぜ日本の政治家たちは危機意識のカケラもなく愚かな発言をするのでしょうか? 過去の日本人を振り返ってみると「立派」としか言いようがありませんでした。幕末の「ペリー来航」から「大東亜戦争」に至るまでの百年間…当時力を持っていた「欧米」という存在に堂々と正面から立ち向かっていきました。
 またアジアの他の国とは違って欧米の植民地にならないように、先人たちは知恵を振り絞って日本を守り抜いてきました。先人たちにとって...「国防」を考えることは当然であり、なおかつ豊かな日本を子孫たちにきちんと受け継いできたのです。
 それなのになぜ、いまの日本では体たらくで愚かな発言をするような政治家が出てくるのでしょうか? 実は...ある「キッカケ」を境目に突然ダメになってしまったのです。日本をダメにしたある「キッカケ」とは...

富岡 幸一郎

鈴木選手の活躍に

 マラソンの現日本記録保持者の鈴木健吾選手(富士通)は、高校の後輩である。東京五輪に出場したワコールの一山選手と、昨年末結婚した。今夏の世界陸上のマラソン日本代表に、夫婦そろって選ばれた。更なる活躍に期待する。
 5年前、9期生の近畿同窓会の会報に寄稿依頼があり、鈴木選手の事を記した。「今後の活躍に期待する」と書いたが、順調に、否期待以上の活躍を見せてくれている。後輩がマラソンで日本記録を更新するなどとは、夢にも想像できなかった。拙文をここに掲載する。


 鈴木選手のさらなる活躍に期待する

 

 同窓の方や在校生のみなさんの各方面での活躍には、大いに刺激される。ニュースを耳にする度に、自分も負けずに努力を積み重ねなければと思わずにはいられない。意思の軟弱な自分に、実践できるかどうかは別にして。

 昭和63年のセンバツ甲子園における優勝は、宇東にとって金字塔であり、卒業生でなくとも宇和島の関係者であれば誰もが留飲を下げ、我が事のように、否それ以上に感動したものだ。母校120年の歴史の中で、これほど燦然と輝く出来事はないだろう。

 在学中、私は陸上競技部に所属し、勉強は二の次、三の次で、三年間全精力の8割くらいを費やして練習に明け暮れた。であるから、当時は運動場の縄張り争いや、部活動予算の大部分を野球部とボート部が使っていたことなどから、野球部に対して敬意を表するなどといったことは無かった。最も苦しいトレーニングをこなしているのは、陸上部の長距離班だという自負があった。しかし、昭和63年のセンバツ以来、私はスタンドでの応援を欠かしたことがない(前年夏の初出場は、父の初盆のため行けず)。母校愛というものだろう。甲子園に脚を運ぶことは、近畿在住のОBとして当然の事だ。

 センバツに初出場のとき、大会前に私は毎日新聞に投稿した。「ぜひ甲子園で母校の校歌を」の拙文だ(昭和63年2月6日「みんなの広場」)。抜粋を掲載する。『……在校当時から部員の礼儀正しさ、練習熱心さには感心していた。特に思い出に残っているのは、昼休みのグラウンド整備だ。毎日、かんなで削ったように仕上げていた。その伝統は、今も引き継がれていることと思う。昨年春、父を亡くした。父は大の野球好きで、「一ぺん、東高に甲子園へ出てもらわないけん」が口癖だった。皮肉なもので、亡くなってからすぐに続けて二度の出場だ。生きていたら田舎から呼び寄せ、一緒に応援できるのに(……中略)昨年夏は初出場ということもあり、力を出し切れず、一回戦で敗れた。今回は、ぜひとも甲子園で校歌を聞きたいものだ』。読んだ同期生数名から連絡があった。掲載に気をよくした私は、大会終了後も投稿した(同年4月7日・毎日新聞朝刊「みんなの広場」)。『……、スタンドで家族とともに校歌を聞き、思わず涙した。……ところで、高校で教壇に立っているが、いま学校で、生徒が校歌を歌うのは卒業式の時くらいだ。校歌も満足に歌えないで、卒業して行く生徒が多い。他の学校でも同じようなものだと(……中略)私の教える生徒には、機会あるごとに指導する。工業高校なので、ほとんどの生徒が、即社会人となって巣立つ。「新入社員歓迎会の席では、堂々と校歌を歌いなさい」と言って送り出すことにしている。中学校などで、後者の窓ガラスを割ったり、教師に乱暴したりなどの、悲しいニュースを耳にする。胸を張って校歌が歌える子供に、そんなことは出来ないはずだ。「誇りをもって校歌の歌える子供」を、たくさん育てたいと思う』文中では校歌を聞くとしているが、このセンバツ初優勝のときは勿論のこと、全試合、喉を枯らして歌っていることは言うまでもない。

 前置きが長くなってしまった。前号にも掲載されたが、本年正月の箱根駅伝では、後輩 鈴木健吾(神奈川大)さんの大活躍があった。感動を通り越し、あまりのすごさにしばし呆然とした。箱根駅伝の予選会で日本人トップとなり、相応の活躍をと期待していたが、大きく上回る走りを見せてくれた。
 すぐに平野弘通先輩や宇和島・吉田在住の陸上部の同期・奥山 功さんなどに電話を掛けた。みなさん私と同様に興奮気味であった。「箱根駅伝の区間最高記録賞」くらいで、大袈裟ではないかと思われる方もおられだろう。どっこい、それは失礼ながらも「甚だしき認識不足」というものである。箱根駅伝の2区の区間賞獲得が、どれほど偉大なものであるかをご説明しよう。

 箱根駅伝に出場したいがために、関東の有力大学に全国の力ある長距離選手が集まる。しかし、本大会に出場できるのは一握りである。鈴木さんが区間賞を取られた2区は、別称「花の2区」と呼ばれ、各大学のエースが集結する。当然、ケニアやエチオピアなどからの留学生強豪選手も、この2区を走る。2区の区間最高記録賞を獲得した者は、学生長距離界のナンバーワンと言ってよいだろう。その2区で、私たちの後輩が区間賞を獲得したのである。並みいる強豪に後塵を浴びせたのである。分かっていただけただろうか。センバツ優勝に匹敵するとまでは言わないが、それに次ぐ一大事なのだ。これでお分かりいただけない方には、「大阪屋」にご集合願わなければならない。一献傾けながら、説くとご説明申し上げる。否、駅伝、マラソンの話が聞きたいと言われる方にも集まっていただかねば……。勘定はみなさん持ちで……などとケチくさいことは……。貧乏はしていても見栄は張れるのである。

 鈴木健吾さんは、3年前に全国高校駅伝に出場したときのエースであり、京都・西京極陸上競技場で激励したとき、小柄な体ながら(50キロ未満では)並々ならぬものを感じさせた。4月から4年だが、全日本学生選手権や全日本選手権での活躍が期待できる。もちろん、来年の箱根駅伝でも。それどころか、無駄のない端正なフォームを見るに、東京オリンピックのマラソン代表になるだけの資質を備えていると私は見る。後は、体の手入れを十分に行う中での猛練習である。ご存知のとおり、このところ日本の男子マラソン界は精彩を欠いている。鈴木さんの活躍が起爆剤となって、「マラソン日本」が復活することを念じて止まない。

 箱根駅伝終了後すぐ鈴木さんに、平野さんと前述の奥山さんの3人で僅かばかりの激励金を届けた。すぐに写真(箱根での雄姿)や記念品を添えた御礼の手紙が届いた。コピーではなく、それぞれに自筆だった。電話で平野さんと二人、奇しくも「泣かせるぜ」と……。平野さんは、すぐにその写真を「大阪屋」に飾られたとお聞きする。お客さんに、「これが箱根で区間賞をとったわしの後輩の鈴木君よ。がいな奴やろ」と自慢する光景が目に浮かぶ。鈴木さんが東京オリンピックに出場する際は、9期の先輩諸氏も応援団を結成してこぞって東京へ乗り込まれることだろう。そのとき、私もその末席に加えていただければ望外の喜びである。(谷口さんは宇東20期で、陸上部元主将。在学当時、県を代表する長距離走者。大学でも、全日本学生選手権や全日本大学駅伝等で活躍。卒業後も、びわ湖毎日や東京国際、別大毎日マラソンなどに出場。元大阪府立高校校長。鈴木健吾選手への評価も、彼の経験に基づくものであり確かだろう。平野弘通氏 記)

谷 口  利 広(20期)

あの戦争は西洋近代との戦いだった   富岡幸一郎

 それは昭和45年11月25日1970年です。 作家の三島由紀夫が「楯(たて)の会」の仲間とともに、自衛隊に入りまして、そこで演説をしてその後割腹し自決したという、大変衝撃的な事件がありました。 
 私は当時中学1年生でありました。三島由紀夫という名前も実は知りませんでしたが、大変衝撃を受けたのを覚えています。三島さんと一緒に自決された、
   当時25歳の森田必勝(まさかつ)さんこの2人をしのぶ会を「憂国忌」と名付けまして、その1 年後、2 年後に九段会館で行いました。私はまだ中学の後半か、高校生に入っていたかどうか覚えていませんが、そのころに会に参加いたしました。林房雄はその会の代表発起人でありました。 
 その時控え室におられた林さんと、まだまだ何も知らない、本当に子どものような私がごあいさつをしたのを大変印象深く覚えております。「林房雄がこの戦争をどう捉えたのか?」というのは、そういう意味でも私はその後、大変興味深く見つめてまいりました。林さん自身は「東亜百年戦争」という言い方をしました。
 そしてさまざまな戦争、戦闘はあったけれども、実はその中で日本人は一度として戦争に勝ったことはありませんでした。もちろん日清戦争や日露戦争は勝利したけれども、戦闘に勝ったけれども、大きな意味で日本は戦争に勝っていないのです。これはどういう意味かというと、やはり日本にとってあの幕末以来の西洋の列強、帝国主義との戦いはまさにずっと続いていたのです。 
 「あの戦争は西洋近代との戦いだった」 そういうニュアンスがこの「大東亜戦争」という戦いの中に、込められていると私は思います。「大東亜戦争の正当な評価が、戦後の歴史学者ではなく林房雄というひとりの文学者によって書かれたことは意義のあることだ」文芸評論家として、そして戦後世代として「大東亜戦争」を正当に評価するべく日夜取り組んでおります。

富岡幸一郎

【講師紹介】
1957年東京生まれ。中央大学文学部仏文科卒業。中大在学中の1979年、第22回『群像』新人文学賞 評論部門優秀作を受賞し、評論活動を開始する。以後40年間にわたり「文芸評論」の世界で活躍する。現在、文芸評論家/鎌倉文学館館長/関東学院大学 国際文化学部比較文化学科教授、雑誌『表現者クライテリオン』顧問。

特別寄稿  マラソン 鈴木健吾選手に期待する  竹内 利昭

 マラソンの現在の日本記録保持者である鈴木健吾選手(富士通)は、私の中学校・高校の後輩である。先日の東京マラソンでも、歴代2位の記録で日本人1位となった。パリ五輪をめざす精鋭の中でも、一歩抜きんでていることは、衆目の一致するところだ。順調に成長を続け、ぜひともパリ五輪でメダルを獲得して欲しい。切に願っている。
 私の教え子で元長距離選手でもあった竹内利昭氏(62歳・藤井寺市在住)から、「鈴木健吾選手の課題と対策」について寄稿があった。竹内氏は『論語』を学び、他者のために汗をかくことを厭わない「剛毅朴訥の君子」である。

 

 私みたいな者が意見述べるのはおこがましいですが、メンタル面の向上が第一かと思います。常に日本記録保持者と言われ、追う立場から追われる立場に変わってプレッシャーが相当の事だと思いました。
 ニューイヤー駅伝(1/1)では会社の不祥事でチーム全体の士気が上がらず、鈴木
選手も平凡な記録に終わりました。体調が今一つの中、東京マラソンに出場しましたが、キプチョゲ(ケニア・世界記録保持者で五輪2連覇中)のいる先頭集団に入らず第2集団で勝負することを選びました。パリ五輪に行くためのMGC(精鋭による最終代表選考レース)の出場権利を取るためには致しかない選択だと思います。ゴール後の涙はその故だと私は思いました。
 キプチョゲはペースメーカーを置き去りにして自分のペースでレー
スを運びました。方や鈴木選手は、ペースメーカーにペースを崩されました。キプチョゲは「どうしたら長く活躍できるか」の質問に「プロフェッショナルであること、競技に対して愛情を持つこと」と答えていました。
 鈴木選手は日本記録保持者、琵琶湖で終盤ペ
ースを落とさず反対にペースアップしました。鈴木選手は、日本におけるプロフェッショナルです。自信を持って「飽くこと無く 可能性を求めて」前に進んで行って頂きたい。

 今年の7月、世界陸上のマラソン代表となりましたが、パリに向けて夏のマラソン経験出来るのは大きな事です。世界陸上はペースメーカー付くかどうかわかりませんが、MGCや五輪はペースメーカー付きません。特にMGCは鈴木選手中心に進むと想定されます。自分のペースでレースを作り、代表を勝ち取る力はあります。消極的な意見と取られるかも知れませんが、世界では記録より順位を目指すレースに徹する、そのような練習を取り入れたらどうかと思いますが?
(竹内 利昭)


 自分たちが戦った戦争を何と呼ぶのか 文芸評論家 冨岡 幸一郎


 私は昭和32年の生まれですが、学校の教科書では先の戦争を「太平洋戦争」と記述されていました。最近では、左翼の側はあの戦争を何と呼ぶのか? 大東亜戦争というのは嫌だ! 大東亜戦争にくみしたくない! ということで「アジア・太平洋戦争」などという呼び方をしています。
 また戦後の左翼史観が強かった時代からの呼び名ですが「十五年戦争」という
言い方もされています。しかし、すでに皆さまもご存知のように、あの戦争の本当の名前、私たちの先人たちが「あの戦争」を何と呼んだのかというと、言うまでもなく「大東亜戦争」というのが正しい名前であります。
この「大東亜」というのは、当時「大東亜共栄圏」という言葉がありました。

 「日本を中心にアジアが栄える」「西洋列強の植民地を解放し、東亜の秩序を日本が盟主となって、中心となって築こう」という理念がありました。しかし、戦後アメリカのGHQ占領軍が「東京裁判」を行いましたが、占領軍は日本に進駐してすぐに、「12月15日以降『大東亜戦争』という言葉は使ってはいけない」ということで、以後は「太平洋戦争 (Pacific War)」という、アメリカ人が呼んでいた戦争の名前になったわけです。
 またテレビなど一般的にはまだ「太平洋戦争」という GHQ によって命令され
た言葉が使われているというのは大変残念ですし、遺憾なことだと思っています。
 
 「自分たちが戦った戦争を何と呼ぶのか?」というのは大変大事なことで

す。 例えばロシアですが、18世紀にナポレオンと戦いました。ナポレオンは一時期モスクワを占領しました。しかし「冬将軍」(非常に厳しい寒さ)とロシア軍の執拗(しつよう)な抵抗で、ついに最強のナポレオン軍が敗退していきます。
 ロ
シアではあの戦争を「祖国戦争」あるいは「祖国防衛戦争」と呼んでいます。民族・国民・国家の誇りが、あのナポレオンを打ち破ったというロシア人の誇りにつながっているのです。 

 私はかねてよりこの大東亜戦争について、戦争を体験しない世代あるいは

我々よりももっと若い世代に、ぜひ日本人が死力を尽くして戦った「大東亜戦争」について戦争体験のない若い文学者に大きな歴史小説を書いてもらいたいと思っています。そういう意味でも、この「大東亜戦争」という呼び名は、やはり大変重要な問題になっていくと思っています。 

 冨岡 幸一郎(文芸評論家)

令和3年度も押し迫って

 令和3年度も押し迫って来た。年度内に片づけなければならないことも少なくない。現役のときは必要に迫られ、今日やるべきこと、週内にやればよいことなど、頭の中できちんきちんと整理されていたが、最近はそうはいかない。また、ちょっとしたミスが多くなった。これらは老化現象のひとつであろう。メモ書きをして、整理することが求められる。繰り返し点検することが必要だ。

 わりと「やらなければならない」ことが多い方だが、「やるべきことが多い」ことは、ボケ防止には有難いことだ。そう思って、一つひとつ片づけていきたい。

天皇を天皇にしているものは  松浦 光修

 日本を「日本にしているもの」は、天皇のご存在のみ....つまり、天皇は曰本の「たまの緒」でもある、というお話をしましたが、それでは、さらに考えをすすめて、天皇を「天皇にしているもの」とは何でしょう。

 こういうことを論じるのは、おそれ多いことではありますが、これは日本人として、どうしても知っておかなければならないことだと思いますので、これから、私が考えているところを、すこしお話しします。

 天皇を「天皇にしているもの」といっても、もちろん数え上げていったらきりがありません。けれども、「どうしても、これだけは…」というものが、二つあります。
 まず一つ目は、あたりまえのことですが、初代の天皇である神武天皇のお血すじを引いていらっしゃる・・・ということです。しかも、ただお血すじがつながってさえいればいい、というものではありません。百二十六代におよぶ、長い皇室の歴史をみると、皇位の受け継ぎ方は、じつにさまざまです。兄弟で受け継がれたこともありましたし、なかには息子である天皇のあとを継いで、そのお母さまが天皇になられる(第四十三代・元明天皇)という、めずらしい例もあります。
 けれども神武天皇以来、今の天皇陛下にいたるまで、一つの例外もなく守られている皇位の受け継ぎ方の大原則があります。それは神武天皇の男系の子孫に受け継がれてきたということです。「男系」というのは、父方のお血すじをたどっていけば、かならず神武天皇にたどり着く・・・ということです。
 今の世間には、「女性天皇」と「女系天皇」の区別がつかない、という人がたくさんいらっしゃるようですが、その二つは、ぜんぜんちがいます。女性天皇は、歴史の上では、八方いらっしゃいます。お一方で二度、天皇の位についていらっしゃる方が、お二方いますので、つまり、十代の女性天皇がいらっしゃるわけですが、いずれも、父方のお血すじをたどっていけば、神武天皇にたどりつく方です。
 それとはちがって、もしも女性天皇が、どこか別の家の男性からお婿さんをむかえて、その間に誕生した子供が、天皇として即位したら(その子供が、男子であろうと女子であろうと)、その時、わが国の歴史上、はじめて「女系天皇」があらわれることになります。もちろん、そんな天皇は、これまでお一方もいません。
 たとえば、ある天皇に男のお子さまがいらっしゃらず、女のお子さまだけがいらっしゃった場合、私たちの先祖は、「その女のお子さまが、天皇の位につけばよい」などとは、けっして考えませんでした。たとえ前の天皇から、かなり血すじが離れていても、とにかく神武天皇の男系のご子孫を探してた、天皇の位についていただいてきたのです。

 そのような建国以来のわが国の先祖たちの「神武天皇の男系のお血すじ」への深い敬意と、それにもとづく奇跡のような努力によって、天皇は、今の地球上でたった一人の「皇帝」として、たたえられるようになっています。そういう建国以来の、皇位の受け継ぎ方の大原則を破壊することは、悠久の歴史を刻んできた日本そのものを破壊することです。ですから、私は、あちらこちらで、なんども繰り返して、「皇位の男系継承という大原則を、守らなければなりません」と訴え続けてきました。「けれども、悠仁さまと一人では、将来が心配なのですが・・・」とおっしゃる方も、いらっしゃるでしょう。心配はいりません。「皇位の男系継承」を守る方法は、ちゃんとあります。そのことを、つぎにお話ししましょう。  原文のまま 
(つづく)

皇學館大学教授 松浦 光修

ロゴマーク

 三生連の会章(ロゴマーク)が、出来上がった。
 今後、様々な場面で使用する。


 三郷町を形成する南畑・立野・勢野の三地区の連合をイメージ、三本線は高齢者の会がめざす、健康・友愛・奉仕を表している。

 現在、会章をあしらった『会旗』も製作中である。4月7日の「役員会」、8日の「支部長会」がお披露目となる。
会章