油断は……
台風はしばらく近寄って来ていない。この状態が続くとよいのだが、油断はできない。
単純な作業だが、時間がかかる。拙宅のクロマツは背が高くないので、比較的作業はやり易い。とは言っても、今回も10時間を要した。一般には、庭植のクロマツにこの「短葉法」は用いない。理由は経費の問題である。手入れを職人に頼むならば、5月初めの「ミドリ摘み」、そして「芽切り」。続いて「芽かき」と、晩秋から年末にかけての「古葉ふるい(落とし)」。計4回の依頼となる。一本のクロマツに8~10万円が必要となる。余程の資産家でなければ無理である。
ゆえに、簡易的な手入れとなってしまう。簡易的な手入れでも、技量の高い職人であればそれなりの姿を維持するが、町内を俯瞰すると酷い状態になっているクロマツが多い。
拙庭のクロマツは前に住んでいた家からの木で、入れてから45年になる。45年前の樹姿が当時の写真に残るが、こんなに貧弱だったのかと……。一度も職人の手を煩わせず来たが、誰の目にも格段に樹格があがったことが分かる。
残暑厳しかった中での10時間の作業は楽ではないが、手入れの終わった姿を見るとき、大きな達成感を味わうことが出来る。金では買えない、大きな喜びである。
県内の個人のお宅で、「短葉法」でもって高い樹格のクロマツを維持されているところがあるならば教えていただきたい。恐らく、皆無では無いだろうか。
インターネットで『庭植えクロマツの手入れ』を検索しても、参考となるような「達人の技」は残念ながら見受けられない。それどころか、エッと思うような動画も少なくない。
要因について、私は次の三つをあげる。
➀日ごろからご高齢の方を特に大事にするという風土が醸成されている。➁ご高齢の方であっても、他の会員と同様の年会費を徴収している。➂必要があれば、車での送迎もする。
➀については当たり前のことなのだが、これを全会員が自然に実践している。➁は、そうすることによって「自分はお客様ではなく、会を支えている一人だ」という自覚を持っていただける。会費を払っていないと、参加したいけれど何とはなく「みなさんに負担をおかけしている」という気持ちになってしまう方が居られるだろう。➂は、これから特に必要となってくるだろう。
先日、本連合会の中で突出して会員数の多い支部の会長とお話しする機会があった。いみじくも、「会員数は多いのだけれど、行事への参加者数が少ない」と。私も以前からそのことに気づいていた。実は、その支部では数年前にそれまで徴収していた年会費を無料にされたのである。その後、支部長は二度変わっている。
会費のもつ意味は大きい。会費を納めていないと、会員としての自覚が希薄になることは自明の理である。活性化は望むべくも無い。
先日来開かれている県老連の「会員増強検討委員会」において、市や町の連合会全体として年会費を徴収していないところが幾つかあることを知り驚いた(一つは以前から知っていたが)。そういったところでも、会員減少に歯止めはかかっていない。
他の連合会でも、会員増強のために年会費の徴収を取り止めるような愚策を講じるならば、もし会員数が増えたとしても活力に乏しい団体となるだろう。県老連は、けっしてそのような策をとってはならない。強く思うのである。
朝夕大分涼しくなってきました。
さて、コロナへの国の対応が変り、これに伴い、福祉保健センターや文化センター、並びにスポーツセンターなどでの大人数での集会が可能となりました。
7月、町の「ふれあいフェスタ」がスポーツセンターを中心に大人数で盛大に開かれました。その際、最後は当日参加された方の希望者全員に、「子ども食堂」に係わるボランティアのみなさんのご協力により、福祉保健センターの大広間とここ大会議室、及び廊下の長椅子を使ってカレーライスが振るまわれました。300名を上回る数だったと聞いております。本日ご出席の皆さんの中にもご相伴に与った方が居られると思います。私もその一人です。とてもおいしくいただきました。
そのような状況下、社会福祉協議会に『友愛のつどい』の開催についてこれまでどおり大広間を使わせていただきたいと打診したところ、「使用できる」の確約がとれました。早速、11月14・15・16日の3日間を押さえていただきました。
本日の協議題は「友愛のつどい」と聞いていますが、三生連のとある支部で「コロナ禍が一掃されていない中、無理に開催しなくとも」のご意見が出たように聞きました。それを聞き、「さまざまなご意見があるものだな」と改めて思いました。もちろん、今後コロナ禍がぶり返すかも知れません。これは誰も予測できません。ただ間違いなく言える事は、ぶり返すならば、福祉保健センターは使えないという事です。開催したくとも物理的に不可能です。
現在の状況下で開催するにしても、思い持病のある方や体調不良の会員に参加を無理強いするものではありません。お元気な方についてもです。当然です。参加はあくまでも、ご本人の自由意思です。繰り返しますが、「参加」に不安のある方は、「不参加」の意思表示をしていただいたらよいのです。
四年ぶりの開催となる訳ですが、開催に当たり女性部執行部役員はもちろんのこと、各支部の部長・副部長のみなさんに大きな負担がかかります。ではありますが、過去21回にわたって先輩方のご努力によって開催し、対象の会員から「大いに楽しみにしている」という大好評の行事、これを絶やすことがあってはなりません。
七年前までは、当時は三老連でしたが、三老連の男性役員は「友愛のつどい」にほとんど係わっていませんでした。女性部に任せっきりでした。そういった状況を見て、私は男性役員も手伝わなければと強く思い、会場設営や撤収などに積極的に係るように変えました。私が副会長のときのことです。現在では、三生連全体の行事というとらえ方をしています。全員のご協力により、これまで以上に参加者に喜んでいただける心温まる「友愛のつどい」にしていきましょう。
本日の役員会が、みなさんのご協力により有意義な役員会になりますことを祈念申し上げ、開会の挨拶といたします。
三生連(三郷町生き生きクラブ連合会)の「論語に親しむ会」と大阪中之島図書館で開かれている「論語塾」で、『論語』を講じている。どちらも8年になる。
「中国文学」や「中国古代史」を専攻していた訳では無いし、『論語』を学ぶようになってまだ30年足らずの若輩の身である。「身の程知らず」の謗りを受けても返す言葉も無い。そのように思っている。ただ、38年間、高校で教鞭を執っていたので、生来の物おじしない性格と相俟って「人前で話す」と言う点では、少しばかり長けているとも言えなくは無い。
私の講義では、「素読」(朗誦)を大切にしている。国内に「論語教室」・「論語塾」は数多あるが、「素読」を大切にし愚直に注力している点では、人後に落ちないのではないか。受講者と共に、いつも最低三章は朗誦する。受講者と読む際に、手抜きをしたことはただの一度も無い。いつも精魂込めている。「素読すると身も心もスッキリする」というのが、受講者の一致した感想である。また、講義では細かな語句の説明は最小限にし、孔子や孔子の高弟がその章句を通して「何を言おうとしているのか」「それを私たちは日常生活においてどう生かすことが求められているだろうか」という視点で解説するように心掛けている。
有難い事に中之島図書館の「論語塾」(月1回)は盛況で、定員60名は満杯であり、現在、受講者の数は日本一と言われている。今後はさらに内容の充実に努め、名実共に日本一と言われるようにしたい。なお、受講生の中から「論語指導士」の資格(論語教育普及機構認定)取得者3名を輩出している。今後も5人、10人と続いてくれるだろう。論語の講義回数は620回となった。千回をめざす。
「齢を重ねる毎に、段々と暑さ寒さがより堪えるようになった」との声を世間では耳にするが、本連合会の会員の皆様には如何であろうか。「まだまだこれくらい、心頭滅却すれば火もまた涼し」の心意気を継続されている猛者も多いだろう。そうは申しても、まだ半月以上は暑い日が続くと思われる。残暑お見舞い申し上げる。御身くれぐれもお大事に……。
年間の寒暖差が
昔に比べて夏の最高気温は確かに上がっている。子どものときを思い起こせば、真夏の最高気温は33度前後だったように思う。西日本で37度超というのは無かった。「熱波」という言葉で表現されるように、ヨーロッパでも夏場の最高気温はかなり上がっている。日本のエアコンが大人気のようだ。一方、国内において、冬場の平均気温は下がっている。であるから、年間の平均気温は、それ程上がっていないのである。ゆえに、「地球温暖化」という表現は正しくない。『年間の寒暖差が大きくなっている』というのが正しい。私はそのように思う。
コロナへの対応は変わったが
「コロナ」の扱いが5月から変わった。とは言え、依然として感染者は絶えない。周りでは、最近になって感染したと言われる方も少なくない。だが、概ね症状は軽い。必要以上に恐れることはないが、侮らず用心を心掛けたい。
マスクの着用を強制されなくなり(一部の施設を除く。例えば近大医学部附属奈良病院では、着用しないと入館できない)、着用が苦になる私などはとても楽になった。しかし、習慣は恐ろしいもので、早朝の散歩でも未だに外せない人を散見する。電車の中でも、無着用の人が増えた。外国からの訪日客が、ものすごい勢いで増えているが、彼らの中でマスク着用者を見たことが無い。
ふれあいフェスタ
7月22日に、『さんごうふれあいフェスタ』がスポーツセンターを中心に開かれた。4年ぶりの開催であった。本連合会では、これまで同様「昔の遊び」をテーマに、弓での射的、お手玉などを用意した。西村副会長の提案で、新しく「カルタとり」も行った。弓での射的はいつもどおり人気があったのだが、「俳句カルタ」「四字熟語カルタ」の2つを用意した「カルタとり」が、最も好評を博した。予想をはるかに超える盛り上がりを見せた。
園児や小学校低学年までの児童は、カルタに強い興味をもつことを強く認識した。このカルタを利用して、10歳くらいまでの子どもたちに「人としての在り方」「人としての生き方」などの基礎・基本を学ばせることが出来ればと思った。来年度の「昔の遊び」に生かせればと思う。なお、今回のカルタは、西村氏の手作りのものを含んでいる。これらは、行事終了後、「三生連」に寄贈された。
「友愛のつどい」は
福祉保健センター内で、飲食ができるようになった。「さんごうふれあいフェスタ」の終了後、センター内の大広間や大会議室、その前の長椅子のスペースなどで、ボランティアの協力により参加者や協力者大勢にカレーライスが振るまわれた。私たちも食したが、とてもおいしかった。そのような中、「甘い、辛くない」という声も聞こえてきたが、万人向きに(特に子どもたち)作るのだからやむを得ない。また、「量が少ない」と勝手気ままな事を言う者も居た。感謝の念をもてない方には、まともに向き合いたくない。
今回、大勢での飲食が認められたので、コロナ禍が大きくぶり返さない限り、11月の『友愛のつどい』は開催されることになる。本連合会としては朗報である。
福祉保健センターでは、備え付けのスリッパも復活したし、さまざまな制約がとれてきた。うれしい限りである。
町の「敬老会」
町主催の「敬老会」が、9月9日に開かれる。案内のハガキの届いたのは、8月23日、24日の両日だった。8月1日付の広報にも掲載されず、9月1日付のものにやっと。何人もの会員から「開催されるのか」の問い合わせがあった。
社会見学と秋のハイク
まだ正式に協議の場に乗っていないが、「秋のハイキング」と例年2月か3月に実施している「社会見学」とを、合わせて12月初めに実施できればと考えている。従来から秋涼の時期に社会見学を実施出来ないかと思ってきた。近場でも、12月に入ってからの方が紅葉はより美しいという所もある。「紅葉狩り」と「社会見学」とを合わせて実施することは可能である。早急に検討する。
会報「矍鑠」第25号 『巻頭言』から「善人でさえ救われるのだから、悪人はなおさら救われる」と訳される。第三章では続いて「ところが、世間の人は常に悪人でさえ救われるのだから、善人はなおさら救われると言っている」と。さらに「これは一見それらしく聞こえるが、阿弥陀仏が本願を建てられた趣旨に反する。 なぜならば自分の力で後生の一大事の解決をしようとしている間は、他力をたのむことができないので、阿弥陀仏のお約束の対象にはならない。しかし、自力をすてて他力に帰すれば、真実の浄土へ往くことができる」 と。「欲や怒りや愚痴などの煩悩でできている私たちは、どうやっても迷いを離れることができないのを、阿弥陀仏がかわいそうに思われて本願をおこされたねらいは、悪人成仏のためですから、阿弥陀仏のお力によって、自惚れをはぎとられ、醜い自己を100%照らし抜かれた人こそが、この世から永遠の幸福に生かされ、死んで極楽へ往くことができるのだ。それで、善人でさえ助かるのだから、まして悪人はなおさら助かると仰せになった」と第三章は結ばれている。
善人は親鸞の教えでは、善人である限りいつまでたっても救われない。善人を飾りたてる知識や能力などすべてを取り去り、自我を捨て果てて、つまり愚に立ち返ってはじめて救われるのだ。
なぜ親鸞聖人はこのような事を言われたのか。目的は一つだと言われている。「本願他力の意趣を明らかにするため」である。本願他力の意趣に背いているか、あっているか。反しているか、反していないか。「善人なおもて往生をとぐいわんや悪人をや」これは本願他力の意趣にあっている。「悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや」これは本願他力の意趣に背いているのだ。世の中の人は常に「本願他力の意趣」に反することを言っているということだ。
では、「本願他力の意趣」とは何か。「本願」とは誓願とも言われるように約束ということだ。「他力」とは阿弥陀仏の本願力である。よく世間では、人のふんどしで相撲をとるような自分以外の力を言っているが、本来は、阿弥陀仏の本願力のみを他力という。「本願他力の意趣」とは、阿弥陀仏の本願のことである。
「阿弥陀仏の本願」とは、歎異抄第1章では「弥陀の誓願」ともいわれているように阿弥陀仏という仏のたてられた約束だ。では、阿弥陀仏はどんな約束をされているのか。分かりやすく言うと、それは死んでからではない、平生、生きている現在を救うというとてつもない約束なのだ。
この世から未来永遠に「絶対の幸福」に救ってみせると誓われた約束が、「阿弥陀仏の本願」なのである。約束には必ず相手がある。相手のない約束は無い。阿弥陀仏は、約束の相手を「すべての人」とおっしゃっている。約束するときは相手がどんな人か見定めないと約束できない。相手は男か女か、どんな家に住んでいるのか、財産はどれくらいあるのかをよく知った上で、この人となら約束しよう、この人とは約束できないとなる。阿弥陀仏が約束の相手をすべての人とおっしゃっているのは、すべての人をよく知った上で約束しておられるのだ。
では、阿弥陀仏は、すべての人をいかなるものと見抜かれて約束されているのか。阿弥陀仏は、すべての人は極悪人だと見抜かれた上で、そういうすべての人と約束するぞとおっしゃっている。約束の相手は善人ではないのだ。金輪際、助かる縁がない悪人なのである。極悪人をあわれに思われてお約束されているのが阿弥陀仏の本願なのだ。ところが、私たちは自惚れて、自分がそんなに恐ろしい者だとは思っていない。自分は善人だというのは倫理や法律の上でのことである。仏様の目からご覧になると、善人などこの世にはいないのだ。それなのに、自分は悪人ではない、悪人など人ごとだと思って聞いているのではないだろうか。
親鸞聖人がお亡くなりになった後、残念なことに聖人の信心に背くような理解が主張されるという事態が生起した。これを悲しみ、責任を感じた唯円が、聖人の教えが正しく受け継がれて、世の光となり続けるようにと願って聖人の言葉をまとめ、著わしたのが『歎異抄』である。
電気自動車(EV)については、当初から私は懐疑的な見方をして来た。本コーナーでも、何度かその旨を述べて来た。それは、今現在も一貫している。
昨年末くらいまでは世界中がEV一辺倒であった。これは、ハイブリッド車で一人勝ちしていたトヨタに対するいじめであった。表向きはCO2を減少させるためと言っているが。EVは製造過程で、多くのCO2を排出する。中国については、ガソリンエンジンの製造技術が追いつかない諦め、EVなら対等に戦えるという浅知恵からである。
EVに使用する蓄電池には、大量のリチウムやコバルトを必要とする。産出国はコンゴや中国など、一部の国に限られる。であるから、政治的に利用される懸念がある。日本では、海洋資源としてコバルトを多く有するが、安定的に供給できるようになるには、まだまだ時間を要すると。
充電の問題も、どの国もクリア出来ていない。10年が寿命と言われる蓄電池の廃棄の課題もある。いろいろと課題ばかりである。
世界がEV一辺倒の状況だったが、この4月頃から米国でも欧州でもガソリンエンジンに、その中でもハイブリッドに回帰する様相を呈してきた。懐疑的な見方をしていた私は、溜飲を下げている。
中国でも米国でも、そして欧州でもEVが大量に売れ残り、在庫車半端ではないようだ。ただ米国のテスラ車だけは大幅な値下げにより、販売を伸ばしているようだ。だが、利益率はかなり下がっていると聞く。中国では、倒産するEV製造会社が相次いでいるとも。
欧米各国の自動車メーカーが、ガソリンエンジンに(特にハイブリッド車)ハンドルを切り始めた。トヨタの全方位戦術が実を結びつつあるのだ。
会員諸氏の中にもEVの購入を考えて居られる方が、もしかしたら……。ぜひ思い直していただきたい。
それではまず、「日本の自由と西洋の自由はまったく違うこと」「日本人には西洋の自由はまったく必要がないこと」を整理していきたいと思います。
リベラル、リベラリズムのもとである、「リバティ(liberty)」「フリーダム(freedom)」これらが日本語でいう「自由」にあたります。もちろん、西洋の言葉で、両方ともだいたい同じような意味を持っていますが、問題はこれらの言葉が与える印象、ニュアンスです。フリーダムの形容詞形「フリー」は、古英語の「フレオ」、あるいはドイツ語の「フリアス」古インドヨーロッパの「フリジョス」、などと関係を持っています。そして、これらは皆「良いことである」という意味を含んでいます。「愛する」とか「好む」とか、そういう意味合いがあります。
リバティの起源はラテン語の「リーベル」です。リーベルは、「社会的にも政治的にも制約されていない」「負債を負っていない」という意味です。英語となったときのリベラルも、「解放された」という意味合いを強く持ちます。したがって、西洋で「自由」と言えばまず、好ましく、良いものとして解釈されます。このような傾向をあらかじめ持った言葉が、リベラル、リベラリズムの基本になっているわけです。
日本では「自由」は肯定的な言葉ではなかった
日本では古来、「自由」という言葉はあまり使われてきませんでした。なぜなら、自由という言葉は、あまり良い意味ではなかったからです。
では、「自由」という言葉が日本で古来、どのように使われてきたかと言えば、わがまま」という意味で使われてきました。古いものでは、平安時代にまとめられた『続日本紀』(797年成立)に、自由という言葉が見えますが、「わがままだ」「勝手だ」「放蕩だ」という意味で使われているのです。
『徒然草』の第6段には、《よろず自由にして、 おおかた人に従うということなし》という一節があります。「勝手なことをやって人に従わない」ということで、いい意味ではありません。
江戸時代の教育論書『和俗童子訓』には、《殊に高家の子は、物事豊かに自由なる故に、好む方に心早くうつり易くして、おぼれ易し》という一文があります。「家柄の良い子供は、恵まれていて あまり制約をうけないものだから 勝手なことをする」という意味であり、苦言にほかなりません。
「自然の子」と「神の子」の違い
西洋の自由と日本の自由の意味の違い…これは、何を意味しているでしょうか。西洋では、自由は「何かから解放される」という意味で、喜びのニュアンスがあります。一方で日本の場合は、自由は「わがまま」という意味で悪い意味で使われています。ということは、日本では、西洋で言う「解放される自由」についても、悪いことであるとしてきたのでしょうか。
それは違います。日本人には、自由などは自明のものとしてあり、わざわざ語る必要がなかったのです。日本の文化は自然を中心とする「自然道」です。人間は「自然の子」であり、そこに制約などは最初からありません。自然の子ということには、野生の子というような意味があります。日本人にとって人間はもともと自由なのです。野性的な意味で自由、生物的にも自由なのです。
いわゆる自由については「もともと備わっているのだから、それを野放しにして勝手なことをしてはいけない。わがままに振る舞って他人のことを考えない状態になるのはよくない」と日本人は考えてきたのです。
ところが、西洋の場合、人間は“神の子”です。もともと持っているものは何かというと、「原罪」です。アダムとエバが神との約束を破り、楽園を追放されたところから、西洋の人間はスタートします。西洋の場合は、人間はすべて原罪を持ち、あらかじめ制約されている存在です。原罪の意識は西洋の思想の根底に必ずあり、西洋人はそこから逃れることはできません。したがって西洋では、いわゆる自由は「解放される」という意味で使われてきました。
人間のもともとの状態が、日本と西洋では正反対であることから、日本の自由と西洋の自由とではまったく異なる価値観を持っているのです。だから、日本人には西洋の自由は必要ないのです。
東北大学名誉教授 田中英道
田中氏は、「日本人にとって、人間はもともと野性的な意味でも、生物的にも自由なのだ。西洋の場合は、人間はすべて原罪を持ち、あらかじめ制約されている存在である」と。「日本の自由と西洋の自由とではまったく異なる価値観を持っており、だから、日本人には西洋の自由は必要ないのだ」とも。
「日本人には、元々自由が備わっており、だから勝手な事をしたり、我がままに振るまう事はよくないと考えて来た」と田中氏は言われる。
「自由」について、これまで深く考えたことが無かったが、田中氏の説を聞き、「なるほど」と思った。(谷口利広)
三生連(三郷町生き生きクラブ連合会)の「論語に親しむ会」と大阪中之島図書館で開かれている「論語塾」で、『論語』を講じている。どちらも8年になる。
「中国文学」や「中国古代史」を専攻していた訳では無いし、『論語』を学ぶようになってまだ30年足らずの若輩の身である。「身の程知らず」の謗りを受けても返す言葉も無い。そのように思っている。ただ、38年間、高校で教鞭を執っていたので、生来の物おじしない性格と相俟って「人前で話す」と言う点では、少しばかり長けているとも言えなくは無い。
私の講義では、「素読」(朗誦)を大切にしている。国内に「論語教室」・「論語塾」は数多あるが、「素読」を大切にし愚直に注力している点では、人後に落ちないのではとの自負がある。受講者と共に、いつも最低三章は朗誦する。受講者と読む際に、手抜きをしたことはただの一度も無い。いつも精魂込めている。「素読すると身も心もスッキリする」というのが、受講者の一致した感想である。また、講義では細かな語句の説明は最小限にし、孔子や孔子の高弟がその章句を通して「何を言おうとしているのか」「それを私たちは日常生活においてどう生かすことが求められているだろうか」という視点で解説する。常に心掛けている。
有難い事に中之島図書館の「論語塾」(月1回)は盛況で、定員60名は満杯だ。現在、受講者の数は日本一と言われている。今後はさらに内容の充実に努め、名実共に日本一と言われるようにしたい。なお、受講生の中から「論語指導士」の資格(論語教育普及機構認定)取得者3名を輩出している。今後も5人、10人と続いてくれるだろう。
論語の講義回数は620回となった。千回をめざす。
しかし、それだけなのでしょうか。日本から向こうに渡っていったものはないのでしょうか。日本のこの時代に対する歴史観には、日本は文化が遅れていて、中国や朝鮮に学び、向こうの文化を取り入れて発展してきたという観念が抜きがたくあります。特に戦後、この見方が浸透しました。その代表例は遣隋使、遣唐使です。
607年に小野妹子が遣隋使として派遣されました。遺唐使の最初の派遣は630年です。日本からたびたび唐に出かけて向こうの進んだ文化を学び、それによって日本は発展したという文脈で語られています。しかし、事実はまったく違うのです。たとえば小野妹子の遺隋使のときです。こちらから行っただけでなく、隋からも位の高い役人などが32艘もの船を連ねてやってきています。いわば「遣日使」です。
唐の時代になると、さらに頻繁に日本にやってきています。その人数がまたすごいのです。たとえば、669年には2000人あまりの人が来ています。671年にも2000人が来日、という具合です。
ほかにも、当時新羅は日本に高い関心を抱いていたようで、30数回も来ています。いまの中国の満州から朝鮮北部、そしてロシアの沿海州まで版図を広げた渤海という国がありましたが、ここからも33回も来ているのです。遺隋使、遣唐使よりも遣日使のほうがはるかに多かったのです。
では、彼らは何のために日本にやってきたのでしょうか。ほかでもありません。日本の文化を摂取するために来たのです。経済的には日本の産出する銀、絹などの高い需要がありました。
8世紀後半になると日本は金も産出するようになり、日本への関心はさらに高まりました。文化的には日本の仏教、それに聖徳太子の思想を学ぶということもありました。鑑真が日本への渡航に5回も失敗し、6度目にようやくたどり着いた話は有名ですが、鑑真がなぜこれほどまでに日本に執着したのか。聖徳太子の思想をはじめ、日本に定着している仏教を高く評価していたということが根底にあるのです。
鑑真だけではありません。インド人、ベトナム人、ソグド人の僧侶も日本の仏教を学びにきています。奈良時代、日本も唐もその他の諸国も文化的には対等で、相互に学びあい、物を交流させていたのです。だから、遺隋使や遣唐使と呼ぶのが誤解のもとなのです。正確には交流使というべきだと思います。
日本にこれほどたくさんの人々が移ってきたというのは、日本の文化が高く評価される水準にあったことを証明しているのです。
東北大学 名誉教授
日本国史学会 代表理事
ボローニャ大学・ローマ大学客員教授
田中 英道
田中氏が言われるように、奈良時代、すでに我が国の文化水準は高かったのである。もっと言えば、縄文時代から高い文化水準をもっていた。そういったことを、私たちは習わなかった。現在でも、小学校や中学校では教えていない。
GHQの、大東亜戦争以前の事はすべて否定し「日本」を「日本人」を貶めようとした政策が、未だに尾を引いているとも言える。私たちは、もうそろそろ目を覚まさなければならない。
田中氏は、「遣隋使・遣唐使という呼び方が誤解を生む。『交流使』なのである」と。とても的を得ている。
『日本人よ‼ もっと胸を張ろう』(谷口利広)
重要な7世紀の思想、精神の問題をお話ししたいと思います。
聖徳太子がなぜ聖徳なのか、聖なる、あるいは徳が高い人なのかということです。『十七条憲法』を彼が作ったことは皆さんもご存知だと思います。第一条に有名な「和を貴べ」という言葉を使っています。
現代というのは弁証法、対立を作り出す。これは西洋からきた論理です。否定、肯定を組み合わせ、議論をするということが近代以降の議論の方法、考え方です。しかし、「和を貴ぶ」というのは曖昧な言葉のように見えますけれども、「和」とは対立ではありません。和というのは、同じ方向に向いて、否定ではなく肯定的に「あなたの意見は良い意見だけども、こうした方がなお良くなるのではないか」ということ、肯定的な弁証法と言ってもいいです。
一方、否定的弁証というのは「あなたはここが間違いだ。ここが違うぞ」ということで、否定してしまう。そして「私の意見はこうだ」と、前の意見を対立的に葬っていくのです。もちろん、「あなたの意見のこの分は取る」ということがあっても、それがある意味で弁証法なのです。だから、相手を否定する。これは「否定弁証法」といって、戦後に特に流行りました。
戦後、「こういう方法を取りなさい」ということで、教育されました。「アメリカの教育方法はこれだ」と言うことですけれども、やはり不毛です。やたらに否定する、そうすると、言った人はそれに反論せざるを得ません。すると、永久に議論が対立していく、対立の絶対性ということになっていくわけです。裁判がそうです。こちらがこう言うと、あちらは「そうじゃない」と言うふうに、永久に対立しながら、裁判官が「どっちがいいか」ということで裁判を下すわけです。
『十七条憲法』では、「最初からそれをやるとまずい。 そんなことをやったらずっと続く。永久に結論には至らず、相手の存在を否定してしまう。相手にとっては私の意見も入れてくれ」となりますから、意見を肯定しながらもさらに良い意見を言うこと、それこそが和の論法です。だから、批判ではなく肯定するということを『十七条憲法』は言っている。近代を超えています。
近代では、弁証法は否定しながら、アウフヘーベンというのですけれど、止揚するという意味なので、これもまた近代を超えているのです。
【アウフヘーベン(止揚)】
ヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。否定しつつ、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。対立と闘争の過程を通じて矛盾する要素を発展的に統一すること。つまり相手をすぐに批判する、「ダメ、ダメ」ということに、近代ではみんな慣れてしまっているのです。しかし、聖徳太子の時代は「あなたの言っていることは良い。しかし、こうすればもっと良い。あるいは、こういうふうに考えれば 別の視点も出てくる」というふうに、肯定的に言う。和の思想です。このことが、私は世界でも日本人の思想、思考方法として非常に重要なことだと思うのです。けんかをすることが西洋では常態になってしまう。ですから、とげとげしくなる。
「西洋人は否定されるから、慣れてる」などと言いますが、そんなことはありません。ヨーロッパ人でも、否定するためには相手に感情的にならざるを得ません。そういうことを、聖徳太子は分かっている。「否定するということは、人間によくあることだ。だけども、和を貴びなさい。和こそ大事なのだ」ということで、それは現代でも生かされるし、西洋でもやはり「和を貴びなさい」という思想は大事だと思うのです。
田中英道(東北大学 名誉教授)
田中氏の言われるように、初めに「あなたの言っていることは間違っている」となれば、相手からの警戒心・敵愾心を呼び起こすことになる。議論は頓挫するだろう。一方、「あなたの意見に賛同する所が多いのだけれど、この箇所については私は違った見方をしている」などとやんわりもっていけば、相手も聞く耳をもつだろう。議論が成り立つと思う。
学校教育の場で、「何でもかんでも反論しなさい」などと習った覚えはない。だけれど、無意識のうちに「黙っていては駄目だ。否定しなさい。自己主張しなさい」という考えに感化されてきたのかと思ってしまうふしもある。
聖徳太子の「和を以て貴しと為す」の出典は、論語(学而第一)の『禮の和を用て貴しと為すは、先王の道も美と為す』だとの説が有力だ。「論語」が我が国に伝わった年代からして、聖徳太子が「論語」に親しんだ可能性はきわめて高い。
ただ「論語」にもあるように、すべての人間関係を和一点張りで対応しようとすれば、うまくいかない場合もある。そこが難しいところだ。
ところで、「論語」に『己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す』とある(雍也第六)。人間関係を円滑にし、皆が意欲をもって動くようにするためには、リーダーたる者が謙虚であらねばならない。『生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を為すこと有り』と心することが求められる。(谷口利広)
7時半ごろから3時間半をかけてサツキと玉ツゲの剪定をした。いい天気だったので、はかどった。
遅咲きの八重咲のサツキが満開であり、すべての終了は3~4日先になりそうだ。 日差しが強かったので、かなり日焼けした。
本欄を作成するとき、「下側に挿入」「上側に挿入」を選ぶようになっているが、忘れると最後尾に挿入される。時折、そういった失敗をする。時間があれば、最後尾までお下がりを……。
今年も5日くらい前から、ハクモクレンの実が落ち始めた。
長さ4~8㌢、直径1㌢弱の棒状の堅い実だ。拙庭のハクモクレンは大きく花をよくつけるので、実の数も尋常ではない。例年、4㍑のゴミ袋に3分の2の量となる。実がカーポートの屋根の上に落ちると、「パーン」というかなり大きな音がする。夜中だと、ご近所迷惑かも知れない。まだまだ1週間以上は続きそうだ。
他の市町村連合会の話だが、ある単位支部において、会則で決めているわけではないが80歳以上の新規会員は歓迎されないことがあると聞いた。88歳以上の新加入はお断りしているとも。これはよくない、問題だと私は思う。
そのようなことが起こる要因には、二つあるのではと考える。
一つは、その単位支部にこれまで積み上げて来た余剰金がわりと多くあり、「これらはこれまでからの会員が遺してきた財産だから、高齢の新規会員が同じように恩恵を受けるのは容認できない」というものだ。
もう一つは、85歳や88歳を超えると年会費を免除している単位支部が、少なからず見られることである。「もうすぐ年会費免除になる会員を加入させることはない」といった考え方だ。
一つ目については、必要と思うならば、新規加入者に若干の入会金を課せばよい話だ。金額としては、2000~3000円位が妥当だろう。
二つ目については、超高齢者への気遣いが却って仇になっていると思う。「会員として居られる限りは、退会されない限り年会費は納めていただく」というのが私の考え方だ。私も単位支部の会長(支部長)も兼務しているが、私のところでは90歳を超えても行事に参加しようと思われる方がほとんどだ。年会費免除となるならば、行事に参加しようと思っても気をつかって躊躇されることが多くなるのではないか。
「私も正会員であり会の財政の一端を担っている」と思って貰うのが、互いによい関係だろう。そうすれば、「もうすぐ年会費免除になる会員を加入させることはない」といった声は、挙がらなくなる。
私が会長を務める支部では、この5月1日付で82歳の女性が新規加入をされた。既会員の全員が、大いに歓迎している。その方は「ラジオ体操会」にも参加され、6/1に実施する支部の懇親行事『バス送迎・昼食会付き温泉入浴と大衆演劇鑑賞』にも参加される。6月からは、三生連の「論語に親しむ会」(月2回)にも参加される予定だ。すでに、テキストを購入された。ちなみに、会から「ご入会お祝い」として、カステラ1本を贈呈した。「役員のみなさんの至れり尽くせりの親切な対応がとても嬉しい。もう少し早く入会するべきだった」とご本人はすごく感激されている。
実は支部では10年位前まで、80歳代半ばになると退会される方がほとんどだった。今は90歳代が10名、みなさんとても生き生きとされている。前述の『バス送迎・昼食会付き温泉入浴と大衆演劇鑑賞』には、90歳代の方が3名参加される。昨年度実施の1泊旅行には、96歳の方が参加された。その方は今回も参加される。
超高齢者が「招かれざる客」になることは、ぜったいに避けなければならない。
昨夜の予報では7日は全日雨となっていたので、明朝の「ラジオ体操」は自治会館内でと思っていた。
朝起きると止んでいたので「屋外で可能だな」と。ところが、いざ出発となると再び降り始めていた。結局、屋内で……。屋内でも問題はないのだが、外で実施できればそれに越したことはない。
「ラジオ体操会」の参加者だが5月から復帰した人も居り、さらに賑やかになっている。中旬からはもう一人復帰する。
「ラジオ体操会」は、4年連続で「かんぽ生命」から、団体・個人の部で表彰されている。6月末に内定するが、5年連続となればさらに励みになる。
夢を実現しようとする時、事に当たる時、「動機善なりや」ということを自らに問わなければならない。自問自答し、動機の善悪を判断する。
善とは、誰から見ても正しいことだ。自らの利益や都合ではなく、その動機が他者からも受け入れられるものでなければならない。
また、事を進めていく上では、「私心なかりしか」という問いかけも必要である。自己中心的に進めていないかを点検することが求められる。
動機が善であり、私心がなければ、「徳は孤ならず」(論語・里仁)だ。見方は自然に増え、紆余曲折はあるにせよ最後は必ず成功するだろう。
また、「過程も善なりや」ということが問われる。結果を出すために自己都合の”私心”で事を進めていないか、人の道を外れた不正行為は無いかなど自己に対して妥協無き厳しさが求められる。「動機善なりや、私心なかりしか」を見失い、小手先で成果を求めるような軽い考えになっていないか、常に反省する必要がある。
「動機善なりや、私心なかりしか」は、すべての人に共通する格言だ。常に自問自答しながら、「自分のためではなく、世のため人のために」、利他の心で判断することが求められる。論語は、今からおよそ2千5百年前の中国に生きた思想家孔子と弟子たち、当時の為政者との言行録である。キリスト教の「聖書」と並んで、これまで世界で最も多く読まれた書籍であると言われる。儒教の教典ともなっている。
私は元々、「保健体育学」が専門だが、近年「倫理学」や「政治哲学」についても学びを深めて来た。特に「論語」について研鑽修養に努め、孔子の教えや思想を現代社会における倫理的・政治的課題に応用する方法を模索している。
その一環として、十年ほど前から大阪の中之島図書館などさまざまな会場で、「論語」を講じてきた。三生連の「論語に親しむ会」はその一つである。
一般に、シリーズで実施する「論語教室」や「論語塾」への参加者数は、そう多くはない。国内では、10名前後というものがほとんどだ。単発的に開かれる「講演会」などは、この限りではない。
中之島図書館での「論語塾」は、現在6カ月を1クールとして毎月一回開かれている(通算125回)。募集が始まると60名の定員が早い段階で満たされ、キャンセル待ちが生じるといった盛況を呈している。
「やさしく、堅苦しくなく」をモットーとし、スポーツの話題や四季折々の庭いじりの話しなど、余談を織り交ぜることが好評の要因かも知れない。終了後のアンケート調査によれば、受講者の満足度は常に80㌫を超えている。が、しかし、中には「人生は短い。余談は要らない」といった辛口のご意見も頂戴する。見方に拠れば、そういった方は「並々ならぬ向学心」をお持ちとも言えなくはないが、一方で「もっと余裕をもって臨めば」と思ったりもする。
十人十色であり、何においても満足度100㌫達成などは至難である。元より目標とはしていない。80㌫強の数字を糧に、今後もしっかりと務める所存だ。
昭和15年に、皇紀2600年の盛大な紀元節が行われたことを、戦前を知っている人々は思い起こすことがあるだろう。零戦飛行機のゼロは、2600年のゼロである。
今年は皇紀2683年であるが、戦後、西暦に比べてこの皇紀が、完全に無視されるようになった。皇紀元年は、西暦を660年遡る西暦紀元前660年にあたる、その意味も、誰も再検討しないのは残念なことである。
西暦2023年という年代が、日本にも行き渡ってしまい、令和5年という元号も二次的に使われるようになった。しかし西暦元年とは、キリストが生まれたと称する年代であり、人口の1パーセントもキリスト教徒がいない日本で、まるでこの西暦が、絶対であるように信じさせられている。これはある意味では国家にとって偽善的な事態であると言わなくてはならない。
グローバリズムを支持する学界の人たちは、このような皇暦を探査をすることは、ナショナリズムの動き、と言って忌避するのだろう。戦後の多くの歴史家は、こういう日本の歴史を否定することが科学的だと述べ、ただ無視しているのである。しかし、それは日本の歴史的事実を忘れさせようとする戦後の左翼の文化戦略から生まれていることを理解していない。また、西暦を使わせることで、世界をキリスト教化する、という西洋人の支配欲に従ってしまったことになる。
そんな状態に陥っても、まだキリスト教徒が1パーセント以内しかいない頑固な日本人には、それにふさわしい皇暦があるのである。神武天皇の即位の年を紀元節として祖先が提起した以上、そこには意味があり、その意義を正すことは歴史家としては当然のことだろう。明治以後の日本人の偽善を上塗りさせてはならないのである。
田中英道
私を知る人はお気づきのとおり、私は従来から元号を使用し、余程の事が無い限り西暦は使わない。その事は徹底している。
田中英道氏は、「西暦元年とは、キリストが生まれたと称する年代であり、人口の1パーセントもキリスト教徒がいない日本で、まるでこの西暦が、絶対であるように信じさせられている」と。私も以前からそのように主張しており、全くの同感である。田中氏の言は、我が意を得たりだ。
世界中でキリスト教徒が最も多いが、その割合は世界人口の約3割である。3分の1にも満たないのである。一般には、もっと多いと思われている。キリスト教に次いで多いのがイスラム教であり、ヒンズー教、仏教と続く。ヒンズー教は、インド以外ではほとんど信仰されていないので、世界三大宗教と言えば、キリスト教、イスラム教、仏教を指すことになる。
グローバリズムに追随する国内の新聞の表記は、かなり以前から西暦が主体となっており( )付きで元号が使用されている。テレビ報道などでも、西暦が使われる。世界に誇るべき元号というものがあるのに、腑に落ちない。おかしな話である。ただ公文書では、依然として元号が使用される。当然である。
田中氏は、「神武天皇が即位した年を紀元とする『皇紀』についても大きな意義がある」と言われる。そのとおりである。「日本人の魂を蔑ろにしようとした」GHQの、「2度と自分たちの国に歯向かおうとさせない」という米国の思惑に対する田中氏の反骨の精神と見ている。
私たちは、「日本の歴史的事実を否定することが科学的で正しい」などといった左翼の戦略から脱却しなければならない。そのように強く思うのである。(谷口利広記)
綱取りに挑んでいる貴景勝の膝の具合が心配だ。5日目の相撲は右脚もよく前に出ていた。痛めている左脚が踏ん張れているという事だ。
土俵への昇り降りや歩き方に注目しているが、私にはましになっているように見える。このまま何とか乗り越えられるのではと思っているのだが。
しかし、見方は人によって違う。読売新聞の上村記者は、「『強行出場』は危険な賭けにも映る。命取りになりかねない」(3/17朝刊)と。恐らく、貴乃花のことが念頭にあるのだろう。
貴景勝も、そう若くはない。「横綱取り」のチャンスは度々巡って来るものではない。今場所に懸ける彼の気迫は、並々ならぬと感じる。その気迫を、『天』は見ているだろう。
貴景勝の「相撲人生」である。「自らの思うがままに全力を尽くせ」と言いたい。
追加一
事(じ)に当り(あたり)思慮(しりょ)の乏しきを憂(う)ふること勿れ(なかれ)。凡(およ)そ思慮は平生黙坐靜思(へいぜいもくざせいし)の際(きわ)に於(おい)てすべし。有事(ゆうじ)の時(とき)に至り(いたり)、十(じゅう)に八九(はっく)は履行(りこう)せらるるものなり。事(こと)に当り(あたり)卒(そつ)爾(じ)に思慮することは、譬(たと)へば臥床(がしょう)夢寐(むび)の中(なか)、奇策(きさく)妙案(みょうあん)を得る(える)が如き(ごとき)も、明朝(みょうちょう)起床(きしょう)の時(とき)に至(いた)れば、無用(むよう)の妄想(もうそう)に類(るい)すること多(おお)し。
現代文訳
何か事が起こったときになって、準備できていないことを憂いても始まらない。考えを巡らせるのは、普段、心静かに準備しておくものである。
そうすれば、事が起こったとき、心づもりしていた事の八から九割は実行できるものだ。
事が起こったときに急に考えることは、例えば夢の中で得た策を翌朝実行しようとしてもそれは無理な妄想に過ぎないということと同じある。
解 説
これも、日ごろの準備が何より大事である事を示している。事前の準備怠り無きであれば、いざというとき完璧は無理であっても、七割は対処できるであろうと。
「学びて時に之を習う」(『論語』学而第一 学び、何度も何度も復習する)ことが、事が起こったときに役立つのである。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
大相撲だが次の大関候補が数多く、どの力士が先陣争いを制するのか興味深い。なかなか連続して10勝以上をあげるのは難しく、現在は「どんぐりの背比べ」といったところだろうか。
そのような中、2連敗はしたが、この一年間幕内で最も力をつけたのは若元春(小結)だろう。これまで弟の「若隆景」(関脇)の陰に隠れて目立たなかったが、玄人好みするその取り口にを私はわりと早くから眼をつけていた。力強さも出て来た。
解説の舞の海さんが先日、「ひょっとすると大関一番乗りは若元春かも知れない」と言われていた。彼の解説には納得できない事も少なくないが、若元春の評価については一致する。
若元春の今後の相撲に注目したい。
第四十一ヶ条
身(み)を修(しゅう)し、己(おのれ)を正(ただ)して、君子(くんし)の体(たい)を具(そな)ふるとも、処分(しょぶん)の出来(でき)ぬ人(ひと)ならば、木偶人(でく)も同然(どうぜん)なり。譬(たとえ)へば数十人客(すうじゅうにんきゃく)、不意(ふい)に入(い)り来(こん)んに、譬(たと)え何程饗応(なにほどきょうおう)したく思(おも)ふとも、兼(かね)て器具調度(きぐちょうど)の備無(そなえな)ければ、唯心配(ただしんぱい)するのみにて、取賄(とりまかな)ふ可(べ)き様有間敷(さまあるまじき)ぞ。常(つね)に備(そなえ)あれば、幾人(いくにん)なりとも、数(かず)に応(おう)じて賄(まかな)はるる也(なり)。夫(そ)れ故平日(ゆえへいじつ)の用意(ようい)は肝腎(かんじん)ぞとて、古語(こご)を書(かき)て賜(たまわ)りき。
文(ぶんは)非鉛槧也。必有処事之才(えんざんにあらざるなりゆうかならずことをしょするのさいあり)。武非劔楯也(ぶはけんじゅんにあらざるなり)。必有料敵之智(かならずてきをはかるのちあり)。才智之所在一焉而巳(さいとちのあるところひとつのみ)。
現代文訳
修行して心を正して君子の心身を備えても、事にあたってその処理の出来ない人は、ちょうど木で作った人形と同じ事である。
たとえば数十人のお客が突然おしかけて来た場合、どんなに接待しようと思っても、食器や道具の準備が出来ていなければ、ただおろおろと心配するだけで、接待のしようもないであろう。いつも道具の準備があれば、たとえ何人であろうとも、数に応じて接待する事が出来るのである。
だから、普段の準備が何よりも大事な事であると古語を書いて下さった。
『学問というものはただ文筆の業のことをいうのではない。必ず事に当ってこれをさばくことのできる才能のある事である。武道というものは剣や楯をうまく使いこなす事を言うのでは無い。必ず敵を知ってこれに処する知恵のある事である。才能と知恵のあるところはただ一つである』
解 説
日ごろから心身を鍛錬して、「我以外皆師なり」の謙虚な気持ちで学びを深めることが求められる。
孔子が言われた。「事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す」(『論語』学而第一 物事に当たってはきびきびとし、言葉は慎み、高徳の人について教えを受けて、自分の行いを正していくような人こそ、本当に学を好むということができる)と。第四十ヶ条
翁(おう)に従(したがい)て、犬(いぬ)を駆(か)り兎(うさぎ)を追(お)い、山谷(さんや)を跋渉(ばっしょう)して、終日猟(しゅうじつか)り暮(く)らし、一田家(いちでんか)に投宿(とうしゅく)し、浴終り(よくおわ)て、心神(しんしん)いと爽快(そうかい)に見(み)えさせ給(たま)ひ、悠然(ゆうぜん)として申(もう)されけるは、君子(くんし)の心(こころ)は、常(つね)に斯(かく)の如(ごと)くにこそ、有(あ)らんと思(おも)ふなりと。
現代文訳
南洲翁に従って犬を連れて兎を追い、山や谷を歩いて一日中狩り暮らし、田舎の宿で風呂に入って、身も心もきわめて爽快になったとき、悠々として言われるには『君子の心はいつもこのように爽やかなものであろうと思う』と。
解 説
孔子が言われた。「君子は坦かに蕩蕩たり(たいらかにとうとうたり)。小人は長えに戚戚たり(とこしなえにせきせきたり 『論語』述而第七)くんしはいつも平安でのびのびとしている。小人は、いつでもくよくよして落ち着きがない」と。
弟子たちが孔子を評して、「温にして厲し。威にして猛からず。恭にして安し」(『論語』述而第七 おだやかでいてきびしく、おごそかであってもたけだけしいところはなく、うやうやしくて、しかも安らかな人であった)と。大相撲春場所(大阪)が開かれている。
現在、十両上位に位置し、将来は大関・横綱へと嘱望される力士と私が予測している『湘南の海』(しょうなんのうみ)という関取が居る。
幕下下位で初めてその四股名をしったとき、何かへんてこりんな四股名だと思った。家人も同意見だった。
湘南にこだわるならば、『湘南海』(しょうなんかい)の方が、呼び易いしぴったりくるじゃないかと……。
上背・体重とも申し分ないし、随分と力をつけて来た。来年の今頃には、幕内三役も十分果たせるのではと思っている。
不思議なのは、力をつけて来たのと同時に、『湘南の海』という四股名がとても馴染んで「案外、いいじゃないか」と思うようになったことだ。
「名は、実力が高めていく」の典型だろう。今場所新入幕を果たした力士や新十両にも逸材が大勢居る。彼らの今後の活躍から目が離せない。
第三十九ヶ条
今(いま)の人(ひと)、才識有(さいしきあ)れば、事業(じぎょう)は心次第(こころしだい)に、成(な)さるるものと思(おも)へども、才(さい)に任(まか)せて為(な)す事(こと)は、危(あやう)くして見(み)て居(い)られぬものぞ。体有(たいあ)りてこそ、用(よう)は行(おこな)はるるなり。肥後(ひご)の長岡先生(ながおかせんせい)の如(ごと)き君子(くんし)は、今(いま)は似(に)たる人(ひと)をも見(み)ることならぬ様(よう)に、なりたるとて嘆息(たんそく)なされ、古語(こご)を書(か)きて授(さず)けらる。
夫(それ)天下非誠不動(てんかまことにあらざればうごかず)。非才不治(さいあらざればおさまらず)。誠之至者其動也速(まことのいたるものはそのうごきやはやし)。
才之周者(さいのあまねきものは)其治也広(そのおさむるやひろし)。才興誠合然後事可成(さいとまことをあわせしかるのちことなるべし)。
現代文訳
今の人は、才能や知識だけあればどんな事業でも思うままに出来ると思っているが、才能に任せて行う事は危なっかしくて見てはおられないものだ。
しっかりした内容があってこそ物事は立派に行われる。
肥後の長岡先生(長岡監物、熊本藩家老、勤皇家)のような立派な人物を今は見る事が出来ないようになったといって嘆かれ、昔の言葉を書いて与えられた。
『世の中のことは真心がない限り動かす事は出来ない。才能と識見がない限り治める事は出来ない。真心に徹するとその動きも速い。才識があまねく行き渡っていると、その治めるところも広い。才識と真心と一緒になった時、すべての事は立派に出来あがるであろう』
解 説
能力が高いだけでは、他者を動かすことはできない。なぜならば、信用・信頼が無ければ人はついて来ない。
信用・信頼を得るためには。真心が必須である。そして、自らが動き、人一倍汗をかかなくてはならない。謙虚に、自らを磨かなければならない。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
「西郷南洲翁遺訓」の現代文訳と解説をした、『反骨無欲の人』を銀河書籍から3/9に出版した。
第三十八ヶ条
世人(せじん)の唱(とな)ふる機会(きかい)とは、多(おお)くは僥倖(ぎょうこう)の仕當(しあ)てたるを言(い)ふ。真(しん)の機会(きかい)とは、理(り)を尽(つく)して行(おこな)ひ、勢(せい)を審(つまびら)かにして動(うご)くと云(い)ふに在(あ)り。平日国天下(へいじつくにてんか)を憂(うれ)ふる誠心厚(せいしんあつ)からずして、只時(ただとき)のはずみに乗(じょう)じて成(な)し得(え)たる事業(じぎょう)は、決(けっ)して永続(えいぞく)せぬものぞ。
現代文訳
世の中の人の言う好機とは、多くはたまたま得た偶然の幸せの事を指している。しかし、本当の好機というのは道理を尽くして行い、時の勢いをよく見極めて動くことだ。
常日ごろ、国や世の中のことを憂える真心がなくて、ただ時のはずみに乗って成功した事業は、決して長続きしないものである。
解 説
好機は、自らの努力の積み重ねによって得なければならない。偶然得た者は儚く、浮雲のようなものであり長続きしない。
努力の継続で得た成功でなければ、長続きしないのである。また「好事魔多し」という言葉がある。成功したからといって油断や過信があると、思わぬ災難が訪れるやも知れない。
「忠恕」を念頭に、努力を積み重ねたいものだ。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第三十七ヶ条
天下(てんか)後世迄(こうせいまで)も、信仰悦服(しんこうえっぷく)せらるるものは、只是一箇(ただこれいっこ)の真誠也(しんせいなり)。古(いにし)へより父(ちち)の仇(かたき)を討(う)ちし人(ひと)、其(そ)の麗(か)ず挙(あげ)て数(かぞ)へ難(がた)き中(なか)に、独(ひと)り曽我(そが)の兄弟(きょうだい)のみ、今(いま)に至りて児童婦女子迄(じどうふじょしまで)も、知(し)らざる者(もの)の有(あ)らざるは、衆(しゅう)に秀(ひい)でて、誠(まこと)の篤(あつ)き故也(ゆえなり)。誠(まこと)ならずして、世(よ)に誉(ほ)めらるるは、僥倖(ぎょうこう)の誉也(ほまれなり)。誠篤(まことあつ)ければ、縦令当時知(たといとうじし)る人無(ひとな)くとも、後世必(こうせいかなら)ず知己有(ちきあ)るもの也(なり)。
現代文訳
未来永劫までも信じて心から従う事が出来るのは、ただ一つの真心だけである。
昔から父の仇を討った人は数えきれないほど大勢いるが、その中でひとり曽我兄弟だけが、今の世に至るまで女子子供でも知らない人のないくらい有名なのは、多くの人に抜きんでて真心が深いからである。
真心がなくて世の中の人から誉められるのは偶然の幸運に過ぎない。真心が深いと、たとえその当時、知る人がなくても後の世に必ず心の友が出来るものである。
解 説
孔子は、「吾が道は一以て之を貫く」(『論語』里仁第四 私の道は一つの原理で貫いているよ)と。曽子がこれを補足して、「夫子の道は忠恕のみ」(『論語』里仁第四 先生の道は、まごころ<忠>からなるおもいやり<恕>だと思う)と。真心の大切さを説いている。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第三十六ヶ条
聖賢(せいけん)に成(な)らんと、欲(ほっ)する志無(こころざしな)く、古人(こじん)の事跡(じせき)を見迚(みとて)も、企(くわだ)て及(およ)ばぬと、云(い)ふ様(よう)なる心(こころ)ならば、戦(いくさ)に臨(のぞ)みて、逃(にげ)るより猶卑怯(なおひきょう)なり。朱子(しゅし)も白刃(はくじん)を見(み)て、逃(にげ)る者(もの)はどうもならぬと云(い)はれたり。誠意(せいい)を以(もっ)て聖賢(せいけん)の書(しょ)を読(よ)み、其(そ)の処分(しょぶん)せられたる心(こころ)を、身(み)に体(たい)し心(こころ)に験(けん)する修業致(しゅぎょういた)さず、唯个様(ただかよう)の言(げん)、个様(かよう)の事(こと)と、云(い)ふのみを知(し)りたりとも、何(なん)の詮無(せんな)きもの也(なり)。予(よ)、今日人(こんにちひと)の論(ろん)を聞(き)くに、何程尤(なにほどもっと)もに論(ろん)ずるとも、処分(しょぶん)に心行(こころゆ)き渡(わた)らず、唯口舌(ただくぜつ)の上(うえ)のみならば、少(すこ)しも感(かん)ずる心之(こころこれ)れ無(な)し。真(しん)に其(そ)の処分有(しょぶんあ)る人(ひと)を見(み)れば、実(じつ)に感(かん)じ入(いる)る也(なり)。聖賢(せいけん)の書(しょ)を空(むな)しく読(よ)むのみならば、譬(たとえ)へば人(ひと)の剱術(けんじゅつ)を傍観(ぼうかん)するも同(おな)じにて、少(すこ)しも自分(じぶん)に得心出来(とくしんでき)ず。自分(じぶん)に得心出来(とくしんでき)ずば、万一立(まんいちた)ち合(あ)へと申(もう)されし時(とき)、逃(にげ)るより外有(ほかあ)る間敷也(まじきなり)。
現代文訳
聖人賢者になろうとする気持ちがなく、昔の人が行なった史実をみて自分にはとてもまねる事が出来ないと思うような気持ちであったら、戦いに臨んで逃げるよりなお卑怯なことだ。
朱子は抜いた刀を見て逃げる者はどうしようもないと言われた。誠意をもって聖人賢者の書を読み、その一生をかけて培われた精神を、心身に体験するような修業をしないでただこのような言葉を言われ、このような事業をされたという事を知るばかりでは何の役にも立たない。
私は今、人の言う事を聞くに、何程もっともらしく論じようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけの事であったら少しも感心しない。
本当にその行いの出来た人を見れば、実に立派だと感じるのである。聖人賢者の書をただ上辺だけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術を傍から見るのと同じで、少しも自分の身に付かない。自分の身に付かなければ、万一『刀を持って立ち会え』と言われた時、逃げるよりほかないであろう。
解 説
GHQに汚された戦後教育の悪弊で、「義務」を果たさないで「権利」ばかりを主張する者が多い。
孔子は、「先ず行う、其の言は而る(しかる)後に之に従う」(『論語』為政第二 まず実行して、言葉はその後だ)と。学んで、それを実践する。その後に他者に伝えるのだと。
同様に、『論語』学而第一に曽子の語った言葉として「習わざるを傳ぅる(つたうるか)」とあるが、これはまだ習得していないことを人に教えることはなかったかと自らを戒めている言葉だ。曽子は、「人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか」とも。十分に咀嚼できていないものを、人に話すべきではない。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第三十五ヶ条
人(ひと)を籠絡(ろうらく)して、陰(かげ)に事(こと)を謀(はか)る者(もの)は、好(よ)し其(そ)の事(こと)を成(な)し得(う)るとも、慧眼(けいがん)より之(これ)を見(み)れば、醜状著(しゅうじょういちじ)るしきぞ。人(ひと)に推(お)すに、公平至誠(こうへいしせい)を以(もっ)てせよ。公平(こうへい)ならざれば、英雄(えいゆう)の心(こころ)は決(けっ)して攬(と)られぬもの也(なり)。
現代文訳
人をごまかして陰でこそこそと策略を謀る者は、たとえその事が上手に出来あがろうとも、物事をよく見抜く人がそれを見れば醜い事がすぐに分かる。
人に対しては常に公平で真心をもって接するのが良い。公平でなければ英雄の心を掴む事は出来ないものだ。
解 説
ごまかしで得たものは脆い。努力の積み重ねで得た成果は堅固である。簡単に崩れたりしない。
孔子が言われた。「不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し」(『論語』述而第七 不義を行って財産や地位を得ても、自分にとっては浮雲のようなものだ)と。
コネだとか、賄賂などに頼らない人生を送らねばならない。そうであれば、自ずと他者からの信用・信頼が深まる。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第三十四ヶ条
作略(さくりゃく)は平日致(へいじついた)さぬものぞ。作略(さくりゃく)を以(もっ)てやりたる事(こと)は、其迹(そのあと)を見(み)れば、善(よ)からざること判然(はんぜん)にして、必(ひつ)したり之(これ)れ有(あ)るなり。唯戦(ただいくさ)に臨(のぞ)みて、作略無(さくりゃくな)くばあるべからず。併(しか)し平日作略(へいじつさくりゃく)を用(もちう)れば、戦(いくさ)に臨(のぞ)みて作略(さくりゃく)は出来(でき)ぬものぞ。孔明(こうめい)は平日作略(へいじつさくりゃく)を致(いた)さぬゆえ、あの通(とお)り奇計(きけい)を行(おこな)はれたるぞ。予嘗(よかつ)て東京(とうきょう)を引(ひ)きし時(とき)、弟(おとうと)へ向(むか)ひ、「是迄少({これまですこ)しも作略(さりゃく)をやりたる事有(ことあ)らぬゆえ、跡(あと)は聊(いささ)か濁(にご)るまじ、夫(そ)れ丈(だ)けは見(み)れ」と申(もう)せしとぞ。
現代文訳
策略は普段は用いてはならない。策略をもって行なった事は、その結果を見れば良くない事がはっきりしていて、必ず判るものだ。ただ戦争の場合だけは、策略が求められる。
しかし、日ごろから策略をやっていると、いざ戦いの時、上手な策略は浮かばないものだ。諸葛孔明(古代中国の宰相)はかねて策略を用いなかったから、いざという時にあのように思いもよらない策略を実行することが出来たのだ。
自分はかつて東京を引揚げたとき、弟(従道)に向かって『自分はこれまで少しも謀ごとをやった事が無いので、ここを引揚げた後も跡は少しも濁ることはあるまい。それだけはよく見ておけ』と言っておいたという事である。
解 説
一日が24時間というのは、誰にも分け隔てのない天から与えられた時間である。であるから、策略ばかり考えていると本来努力すべきことがおろそかになりがちだ。正当な努力の積み重ねによって、成果を挙げたい。
常に念頭に「努力」の二文字を置き実践すれば、誰よりも努力しているという気持ちが自然と態度に表れ、他者からの信用信頼も自ずから得られるはずだ。
ただ努力してもすぐに成果が得られないときも多い、だが、努力している姿はどこかで誰かが見ている。とにかく、努力を継続することである。第三十三ヶ条
平日道(へいじつみち)を蹈(ふ)まざる人(ひと)は、事(こと)に臨(のぞ)みて狼狽(ろうばい)し、処分(しょぶん)の出来(でき)ぬもの也(なり)。
譬(たとえ)へば近隣(きんりん)に出火有(しゅっかあ)らんに、平生処分有(へいぜいしょぶんあ)る者(もの)は動揺(どうよう)せずして、取仕末(とりしまつ)も能(よ)く出来(でき)るなり、平日処分無(へいじつしょぶんな)き者(もの)は、唯狼狽(ただろうばい)して、なかなか取仕末(とりしまつ)どころには之無(これな)きぞ。
夫(そ)れも同(おな)じにて、平生道(へいぜいみち)を蹈(ふ)み居(い)る者(もの)に非(あら)ざれば、事(こと)に臨(のぞ)みて策(さく)は出来(でき)ぬもの也(なり)。
予先年出陣(よせんねんしゅつじん)の日(ひ)、兵士(へいし)に向(むか)ひ、我(わ)が備(そなえ)への整不整(せいふせい)を、唯味方(ただみかた)の目(め)を以(もっ)て見(み)ず、敵(てき)の心(こころ)に成(な)りて一(ひと)つ衝(つ)いて見(み)よ、夫(そ)れは第一(だいいち)の備(そなえ)ぞと申(もう)せしとぞ。
現代文訳
日ごろから道義を履み行わない人は、ある事柄に出会うとあわてふためき、何をして良いか判らぬものである。
たとえば、近所に火事があった場合、日ごろから心構えの出来ている人は少しも動揺する事なく、これに対処することが出来る。しかし、かねて心構えの出来ていない人はただ狼狽して、なにをして良いか判らず的確に対処する事が出来ない。
それと同じ事で、日常的に道義を履み行っている人でなければ、ある事柄に出会った時に立派な対策はできない。
私が先年戦いに出たある日のこと、兵士に向かって自分たちの防備が十分であるかどうか、ただ味方の目ばかりで見ないで敵の心になって考えてみなさい、それこそ第一の防備であると説いて聞かせたと言われた。
解 説
備えあれば憂いなしと分かっていても、凡人はとかく油断しがちだ。
学習でも、競技でも同様である。テストや大会が近づいたからといって俄か仕込みでは、よい成績を挙げることはできない。日ごろからの積み重ねが大事だ。
とかく人は、「あの人は頭がよいから優秀な成績を」「素質があるからよい成績を」と言うが、見えないところで人一倍努力していることに気が付かない。
「努力に勝る天才無し」「オリンピックの覇者に天才無し」(村社講平)である。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第三十二ヶ条
道(みち)に志(こころざ)す者(もの)は、偉業(いぎょう)を貴(とうと)ばぬもの也(なり)。司馬温公(しばおんこう)は、閨中(けいちゅう)にて語(かた)りし言(げん)も、人(ひと)に対(たい)して言(い)うべからざる事(こと)、無(な)しと申(もう)されたり。独(ひとり)を慎(つつし)むの学推(がくお)して知(し)る可(べ)し。人(ひと)の意表(いひょう)に出(で)て、一時(いっとき)の快適(かいてき)を好(この)むは、未熟(みじゅく)の事(こと)なり、戒(いまし)む可(べ)し。
現代文訳
正しく道義を踏み行おうとする者は、偉大な事業を尊ばないものである。
司馬温公(中国北宋の学者)は寝室の中で妻と密かに語ったことも他人に対して言えないような事は無いと言われた。独りを慎むと言う事の真意は如何なるものであるか分かるだろう。
人をあっと言わせるような事をして、その一時だけ良い気分になることを好むのは、まだまだ未熟な人のする事で、十分反省すべきである。
解 説
『慎獨』の出典は、「大学」である。《「君子は必ず其の独りを慎むなり」などから》で、自分一人のときでも、行いを慎み雑念の起こらないようにすることである。自分を少しでも高めるためにも、他人の見ていないところでも己を律し、より有意義な時を重ねていきたい。
中学のとき、当時の校長が全校集会の講話で、「小人閑居(かんきょ)して不善を為し、至らざる所無し」 と言われた。ほとんどの人は、暇があってゆっくりしているとろくなことをしでかさないという意味であり、60年近く前の事だが鮮明に覚えている。この出典も「大学」である。 「慎獨」と合わせて心したい。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第三十一ヶ条
道(みち)を行(おこな)ふ者(もの)は、天下挙(てんかこぞって)て毀(そし)るも、足(た)らざるとせず、天下挙(てんかこぞって)て誉(ほむ)るも、足(た)れりとせざるは、自(みずか)ら信(しん)ずるの厚(あつ)きが故也(ゆえなり)。其(そ)の工夫(くふう)は、韓文公(かんぶこう)が伯夷(はくい)の頌(しょう)を熟読(じゅくどく)して会得(えとく)せよ。
現代文訳
正しい道を生きてゆく者は、国中の人が寄ってたかって悪く言うような事があっても、決して不満を言わず、また、国中の人がこぞって褒めても決して自分に満足しないのは、自分を深く信じているからである。
そのような人物になる方法は、韓文(はんぶん)公(こう)(韓退之(かんたいし)、唐(とう)の文章家(ぶんしょうか))の「伯夷(はくい)の頌(しょう)」(伯夷(はくい)、叔斉兄弟(しゅくさいきょうだい)の節(せつ)を守(まも)って餓死(がし)したことを褒め称えた文(ぶん)の一章(いっしょう))をよく読んでしっかり身に付けるべきである。
伯夷・叔齊
解 説
伯夷・叔齊の兄弟は、古代中国殷末期の狐竹君の子である。君主である父親の後継を譲り合い、他の弟が相続した。そして、自分たちが居ると弟がやりにくいだろうと二人とも国を出た。最後は飢え死にしてしまった。
民は、二人をいつまでも褒め称えた。孔子も二人は「仁を求めて、仁を得たり」と、古の賢人として称えたのである。「我先に」を抑え「他者を立てる」ことに徹した兄弟を、孔子は心から敬愛したのである。
伯夷・叔齊の兄弟については、『論語』に4回も出て来る。
「現代文訳」と「解説」は、谷口に由る。
第三十ケ条
命(いのち)もいらず、名(な)もいらず、官位(かんい)も金(かね)もいらぬ人(ひと)は、仕末(しまつ)に困(こま)るもの也(なり)。此(この)の始末(しまつ)に困(こま)る人(ひと)ならでは、艱難(かんなん)を共(とも)にして、国家(こっか)の大業(たいぎょう)は成(な)し得(え)られぬなり。去(さ)れども个様(かよう)の人(ひと)は、凡俗(ぼんぞく)の眼(め)には、見得(みえ)られぬぞと申(もう)さるるに付(つき)、孟子(もうし)に『天下(「てんか)の広居(こうきょ)に居(お)り、天下(てんか)の正位(せいい)に立(た)ち、天下(てんか)の大道(だいどう)を行(おこな)ふ、志(こころざし)を得(え)れば、民(たみ)と之(これ)に由(よ)り、志(こころざし)を得(え)ざれば、独(ひと)り其道(そのみち)を行(おこな)ふ、富貴(ふうき)も淫(いん)すること能(あた)はず、貧賎(ひんせん)も移(うつ)すこと能(あた)はず、威武(いぶ)も屈(くつ)すること能(あた)はず』と云(い)ひしは、今仰(いまおお)せられし如(ごと)きの、人物(じんぶつ)にやと問(と)ひしかば、いかにも其(そ)の通(とお)り、道(みち)に立(た)ちたる人(ひと)ならでは、彼(か)の気象(きしょう)は出(で)ぬ也(なり)。
現代文訳
命もいらぬ、名もいらぬ、官位もいらぬ、金もいらぬ、というような人は始末に困るものである。このような始末に困る人でなければ、困難を共にして、一緒に国家の大きな仕事を大成する事は出来ない。
しかしながら、このような人は一般の人の眼では見抜く事が出来ない、と言われた。
それでは孟子の書に『人は天下の広々とした所におり、天下の正しい位置に立って、天下の正しい道を履み行うものだ。もし、志を得て用いられたら一般国民と共にその道を履み行い、もし志を得ないで用いられないときは独りで道を履み行えばよい。そういう人はどんな富や身分もこれをおかす事は出来ないし、貧しく卑しい事もこれによって心が挫ける事はない。また力をもって、これを屈服させようとしても決してそれは出来ない』とあるのは、今、仰せられたような人物の事ですかと尋ねたら、いかにもそのとおりで、真に道を行う人でなければそのような精神は得難い事だと言われた。
『論語』雍也第六 一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り……
解 説
「何も要らない」というのは理想だが、聖人的であり現実的ではない。「必要以上の物質欲、名誉欲を持つな」という事である。
政治で身を立てようと思ったときほとんどの者が「世のため、人のため」にと思ったはずだ。だが、いつの間にか純粋な気持ちが忘れ去られてしまう。余程、心しないと欲望に負けてしまうことになる。
「現代文訳」「解説」は、谷口利広に由る。
第二十九ケ条
道(みち)を行(おこな)ふ者(もの)は、固(もと)より困厄(こんやく)に逢(あ)ふものなれば、如何(いか)なる艱難(かんなん)の地(ち)に立(た)つとも、事(こと)の成否(せいひ)、身(み)の死生抔(しせいなど)に、少(すこ)しも関係(かんけい)せぬもの也(なり)。事(こと)には上手下手(じょうずへた)有(あ)り、物(もの)には出来(でき)る人(ひと)、出来(でき)ざる人有(ひとあ)るより、自然心(しぜんこころ)を動(うご)かす人(ひと)も有(あ)れども、人(ひと)は道(みち)を行(おこな)ふものゆえ、道(みち)を蹈(ふ)むには上手下手(じょうずへた)も無(な)く、出来(でき)ざる人(ひと)も無(な)し。故(ゆえ)に只管(ひたす)ら道(みち)を行(おこな)ひ、道(みち)を楽(たのし)み、若(も)し艱難(かんなん)に逢(あ)ふて、之(これ)を凌(しの)がんとならば、弥々道(いよいよみち)を行(おこな)ひ、道(みち)を楽(たのし)む可(べ)し。予(よ)、壮年(そうねん)より、艱難(かんなん)と云(い)ふ艱難(かんなん)に罹(かか)りしゆえ、今(いま)はどんな事(こと)に出会(であ)ふとも、動揺(どうよう)は致(いた)すまじ、夫(そ)れだけは仕合(しあわ)せ也(なり)。
現代文訳
正しい道を進もうとする者は決まって困難な事に遭遇するものだから、どんな苦しい場面に立っても、その事が成功するか失敗するかという事や、自分が生きるか死ぬかというような事に少しもこだわっていない。
事を行なうには上手下手があり、物によっては良く出来る人、良く出来ない人もいるので、自然と道を行うことに疑いをもって動揺する人もあろうが、人は道を履み行わねばならぬものだから、道を履むという点では上手下手もなく、出来ない人もない。
だから精一杯道を履み行い、道を楽しみ、もし困難な事にあってこれを乗り切ろうと思うならば、いよいよ道を履み行い、道を楽しむような境地にならなければならぬ。
自分は若い時代から困難という困難にあって来たので、今はどんな事に出会っても心が動揺するような事は無い。それだけは実に幸せだ。
解 説
「若いときの苦労はお金を払ってでも……」と言われるが、苦労すればするほど、人生経験が豊かであればあるほど、その人の人間性に深みを与える。だが、人間には成功体験も必要である。成功体験の無い者は、僻みが強くなる傾向がある。
「成功」を収めるためにも、苦労を肥やしにして努力を積み重ね、その先にあるものを勝ち取りたい。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十八ケ条
道(みち)を行(おこな)うには、尊卑貴賎(そんぴきせん)の差別無(さべつな)し。摘(つま)んで言(い)へば、尭・舜(ぎょう しゅん)は天下(てんか)に王(おう)として、万機(まんき)の政事(せいじ)を執(と)り給(たま)へども、其(そ)の職(しょく)とする所(ところ)は教師也(きょうしなり)。孔夫子(こうふし)は魯国(ろのくに)を始(はじ)め、何方(いずかた)へも用ヰ(もちい)られず、屡々困厄(しばしばこんやく)に逢(あ)ひ、匹夫(ひっぷ)にて世(よ)を終(お)へ給(たま)ひしかども、三千(さんぜん)の徒皆道(とみなみち)を行(おこな)ひし也(なり)。
現代文訳
道を履み行うに当たって、身分が尊いとか、卑しいとかの区別は無い。要するに昔のことを言えば、古代中国の尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)は国王として国の政治を司ったが、もともとその職業は教師であった。
孔子は魯の国を始め、どこの国にも政治家として用いられず、何度も困難な苦しい目に遭い、身分の低いままに一生を終えられたが、三千人といわれるその子弟は、皆その教えに従って道を履み行ったのである。
※堯・舜 孔子
解 説
天命を知り、人生をどのように生きていくかを悟ることは簡単ではない。孔子も言われた。「朝に道を聞けば、夕べに死すとも可なり」(『論語』)と。人々が道を悟り、道を履み行うようになれば、自分はいつ死んでもよいということだろう。道を悟ることは、それほど難しいことなのだ。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十七ケ条
過(あやま)ちを改(あらた)めるに、自(みずか)ら過(あやま)ったとさへ思(おも)ひ付(つ)かば、夫(そ)れにて善(よ)し、其事(そのこと)をば棄(す)てて顧(かえり)みず、直(ただち)に一歩踏出(いっぽふみだ)す可(べ)し。過(あやまち)を悔(くや)しく思(おも)い、取繕(とりつくろ)はんと心配(しんぱい)するは、譬(たと)へば茶碗(ちゃわん)を割(わ)り、其欠(そのか)けらを集(あつ)め、合(あわ)せ見(み)るも同(おな)じにて、詮(せん)もなきこと也(なり)。
現代文訳
過ちを改めるのに、自分に過ちがあったと思いついたら、先ずはそれで良い。過ちをさっぱり捨てて、すぐに一歩前進することが求められる。過ちを悔やんであれこれと取りつくろおうとしてしまうのは、たとえば茶わんを割って、その欠けらを集めて合わせて見るのと同様で何の役にも立たぬ事である。
『論語』子罕第九 過てば即ち改むるに憚ること……
衛霊公第十五 過ちて改めざる、之を過ち……
解 説
過ちを犯さないひとは居ないはずだ。過ちに気づいたときの対処の仕方によって人の値打ちが決まるといってよい。面子にこだわらず、あやまちに気づけばすぐに謝罪し、即刻改めることが必要だ。そして、同じ過ちを繰り返さないことが君子として大事な心得である。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十六ケ条
己(おのれ)れを愛(あい)するは、善(よ)からぬことの第一也(だいいちなり)。修業(しゅぎょう)の出来(でき)ぬも、事(こと)の成(な)らぬも、過(あやまち)を改(あらた)むることの出来(でき)ぬも、功(こう)に伐(ほこ)り驕謾(きょうまん)の生(しょう)ずるも、皆自(みなみずか)ら愛(あい)するが為(ため)なれば、決(けっ)して己(おの)れを愛(あい)せぬもの也(なり)。
現代文訳
自分を愛する(即ち自分さえよければ良い)というような心は、もっとも善くない事である。修業の出来ないのも、事業の成功しないのも、過ちを改める事の出来ないのも、自分の功績を誇り、驕りたかぶるのも、皆自分さえよければということから生ずるのであって、決して自分だけを愛するようなことはしてはならない。
『論語』雍也第六「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬(たとえ)を取る。仁の方(みち)と謂うべきのみ」(仁者は、自分が立とうと思えば先に人を立て、自分がのびようと思えば先に人をのばすように、日常生活に於いて行う。これが仁を実践する手近な方法だ)。
解 説
学ぶだけで深く考えなければ、物事の本当の意味は分からない。考えるのみで学ばなければ独断に陥る。一人よがりになって危うい。(『論語』為政第二)
自分のことよりも、先ずは他者の事に思いを致すという心境に近づきたい。そして、「死ぬまで学び続ける」という気持ちを継続する。第二十五ケ条
人(ひと)を相手(あいて)にせず天(てん)を相手(あいて)にせよ。天(てん)を相手(あいて)にして己(おのれ)れを尽(つく)し、人(ひと)を咎(とが)めず、我(わ)が誠(まこと)の足(た)らざるを尋(たず)ぬべし。
現代文訳
人を相手にしないで、天を相手にしなさい。天を相手にして自分の誠をつくし、人の非をとがめるような事はしないで、自分の真心の足らない事を反省しなさい。
『論語』憲問第十四 天を怨みず、人をとがめず……
解 説
孔子は、「君子は、天命と大人と聖人の言を畏れる」と。そして、「小人は天命を知らずして畏れず、大人に狎れ、聖人の言を侮る」とも。(『論語』季氏第十八)私たちは日常、些細な事で「どうだ、こうだ」と思い悩むことが多い。人を相手にせず、大人には一目を置き、聖人の言に常に耳を傾けたい。生きる指針にしたいものだ。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十四ケ条
道(みち)は天地自然(てんちしぜん)の物(もの)にして、人(ひと)は之(これ)を行(おこな)うものなれば、天(てん)を敬(けい)するを目的(もくてき)とす。天(てん)は人(ひと)も我(われ)も、同一(どういつ)に愛(あい)し給(たも)ふゆえ、我(われ)を愛(あい)する心(こころ)を以(もっ)て人(ひと)を愛(あい)する也(なり)。
現代文訳
道というものは天地自然のものであり、人は之に則って生きるべきものであるから、何よりもまず天を敬う事を目的とすべきである。
天は他人も自分も平等に愛して下さるから、自分を愛する心をもって人を愛する事が大事である。
解 説
「敬天愛人」は西郷が言い始めた言葉ではない。彼がよく影響を受けたとされる広瀬淡窓には、「敬天」という語はあるものの「愛人」がない。「敬天」と「愛人」とを一体に結んで説くことはなかった。
「敬天愛人」の語を日本で最初に提唱したのは、中村敬宇(中村正直)である。敬宇の学んだ中国や日本の儒学在来の敬天思想が、新しくキリスト教の「愛神」の思想に深く感化されて「敬天愛人」へと結実したものと考えられる。西郷は、それを自らの遺訓に取り込んだと思われる。
「人には愛情を注ぐ。けれども判断をする時は、天が了解を出してくれる、天が喜んでくれる判断をせよ」という意味だろう。「お天道様が見ている」という昔から日本に伝わる教えに基づいて、「リーダーたるもの周囲に安易に迎合するのではなく、お天道様が喜ぶ判断をしなさい」というものだ。損得勘定で動いてはならない。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十三ケ条
学(がく)に志(こころざ)す者(もの)、規模(きぼ)を宏大(こうだい)にせずば、有(あ)る可(べ)からず。さりとて唯此(ただここ)にのみ偏倚(へんい)すれば、或(あるい)は身(み)を修(しゅう)するに、疎(おろそか)に成り行くゆゑ(え)、終始己(しゅうしおのれ)に克(か)ちて、身(み)を修(しゅう)する也(なり)。規模(きぼ)を宏大(こうだい)にして、己(おのれ)に克(か)ち、男子(だんし)は人を容(い)れ、人(ひと)に容(い)れられては、済(す)まぬものと思(おも)へよと、古語(こご)を書(か)いて授(さず)けらる。
恢宏其(そのしきを)志気者(かいこうするものは)、人之患莫大乎(ひとのうれいだいなるはなし)、自私自吝(じしじりん)。安於卑俗(ひぞくにやすんじて)、而不以古人自期(しこうしてこじんをもってみずからきせず)。
古人(こじん)を期(き)するの、意(い)を請問(せいもん)せしに、尭舜(ぎょうしゅん)を以(もっ)て手本(てほん)とし、孔夫子(こうふうし)を教師(きょうし)とせよとぞ。
現代文訳
学問を志す者は、その規模、理想を大きくしなければならない。しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと、身を修める事がおろそかになっていくから、常に自分にうち克って修養することが大事である。規模、理想を大きくして自分にうち克つことに努めなさい。
男子は、人を自分の心の中に呑みこむ位の寛容が必要で、人に呑まれてはだめであると思いなさいと言われて昔の人の詞を書いて与えられた。
その志をおし広めようとする者にとってもっとも憂えるべき事は、自己の事のみを図りけちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業しようとしないことだ。
古人を期するというのはどういうことですかと尋ねたところ、尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)を以って手本とし、孔子を教師として勉強しなさいと教えられた。
※ 堯・舜 孔子
解 説
孔子は、「十軒ほどの小さな村にも、必ず私くらいのまことの人はいるだろう。しかし、私の學を好むのに及ぶ人はいない」と言われた。(『論語』公冶長第五)
これだけの自信に満ちた言葉は、なかなか発せられるものではない。揺らぎない自信は、それだけ学問に打ち込んでいたことを示している。
第二十二ケ条
己(おのれ)に克(か)つに、事々物々(じじぶつぶつ)、時(とき)に臨(のぞ)みて克(か)つ様(よう)にては、克(か)ち得(え)られぬなり。兼(かね)て気象(きしょう)を以(もっ)て克(か)ち居(お)れよと也(なり)。
現代文訳
自分に克つと言う事は、その時、その場の、いわゆる場あたりに克とうとしてもなかなかうまくいかぬものである。日ごろから精神を奮い起こして、自分に克つ修行をすることが求められる。
『論語』顔淵第十二 「己に克ちて禮に復る(もどる)を仁と為す。一日己に克ちて禮に復れば天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。而して(しこうして)人に由らんや」(私利私欲に打ち克って、社会の秩序と保つ礼に立ち戻るのが仁である。たとえ一日でも己に克って礼に復れば、天下の人もおのずから仁になっていく。その仁を行うのは、自らの意思によるべきで、他人の助けによるべきではない)。
解 説
仁を為すのは、自らの意思によるべきであり、他人の助けによるべきではない。しかし、徳を実践して居れば、必ず志を同じくする同志が自ずと集まって来るものである。道を履み行っておれば、誰かがそれを見ている。『徳は孤ならず、必ず鄰あり』(『論語』里仁第四)である。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十一ケ条
道(みち)は天地自然(てんちしぜん)の道(みち)なるゆえ、講学(こうがく)の道(みち)は敬天愛人(けいてんあいじん)を目的(もくてき)とし、身(み)を修(しゅう)するに克己(こっき)を以(もっ)て終始(しゅうし)せよ。己(おのれ)に克(か)つの極功(きょくこう)は、『毋意(「いなく)、毋必(ひつなく)、毋固(こなく)、毋我』(がなく」)。総じて人(そうじてひと)は、己(おのれ)れに克(か)つを以(もっ)て成(な)り、自(みずか)ら愛(あい)するを以(もっ)て敗(やぶ)るるぞ。能(よ)く古今(ここん)の人物(じんぶつ)を見(み)よ。事業(じぎょう)を創起(そうき)する人、其事大抵十(そのことたいていじゅう)に七八迄(しちはちまで)は、能(よ)く成(な)し得(う)れども、残(のこ)り二(ふた)つを終(おわ)る迄(まで)、成(な)し得(う)る人の希(まれ)なるは、始(はじめ)は能(よ)く己(おのれ)を慎(つつし)み、事(こと)をも敬(けい)する故(ゆえ)、功(こう)も立(た)ち名(な)も顕(あら)はるるなり。功立(こうた)ち名(な)も顕(あら)はるるに随(したが)ひ、いつしか自(みずか)ら愛(あい)する心起(こころおこ)り、恐懼戒慎(きょうくかいしん)の意弛(いゆる)み、驕矜(きょうきょう)の気漸(きようや)く長(ちょう)じ、其(そ)の成(な)し得(え)たる事業(じぎょう)を屓(たの)み、苟(いやしく)も我(わ)が事(こと)を仕遂(しとげ)んとて、まづき仕事(しごと)に陥(おちい)いり、終(つい)に敗(やぶ)るるものにて、皆自(みなみずか)ら招(まね)く也(なり)。故(ゆえ)に己(おのれ)に克(か)ちて、睹(み)ず聞(き)かざる所(ところ)に戒慎(かいしん)するもの也(なり)。
現代文訳
道というものは、天地自然の道理であるから、学問の道は『敬天愛人』を目的とし、自分を修めるには己れに克つという事を心がけねばならない。
己れに克つという事の真の目的は、「意なし、必なし、固なし、我なし」我がままをしない。無理押しをしない。固執しない。我を通さない、という事だ。
一般的に人は自分に克つ事によって成功し、自分を愛する(自分本位に考える)事によって失敗するものだ。よく昔からの歴史上の人物をみるが良い。事業を始める人が、その事業の七、八割までは大抵良く出来るが、残りの二、三割を終りまで成しとげる人の少いのは、始めはよく自分を慎んで事を慎重にするから成功し有名にもなる。ところが、成功して有名になるに従っていつのまにか自分を愛する心がおこり、畏れ慎むという精神が緩み驕り高ぶる気分が多くなる。その成し得た仕事を見て何でも出来るという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついに失敗するものである。これらはすべて自分が招いた結果である。だから、常に自分にうち克って、人が見ていない時も、聞いていない時も、自分を慎み戒めることが大事な事だ。
『論語』子罕第九 意毋く、必毋く……
解 説
「礼記」大学に『慎獨』(しんどく)とある。「君子は必ず其の独りを慎むなり」などから》自分一人のときでも、行いを慎み雑念の起こらないようにすることを言う。
誰が見ていようが、いまいが、常に自らの行いを律し、影日向のない行動をとることが求められる。「行うは難し」である。
当たり前の事だが、弱い人間はつい慎みを忘れてしまいがちだ。心したいものである。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第二十ケ条
何程(なにほど)制度方法(せいどほうほう)を論(ろん)ずるとも、其(そ)の人(ひと)に非(あら)ざれば、行(おこな)はれ難(がた)し。人有り(ひとあり)て、後方法(のちほうほう)の、行(おこな)はれるものなれば、人(ひと)は第一(だいいち)の宝(たから)にして、己(おの)れ其(そ)の人(ひと)に成(な)るの心懸(こころが)け肝要(かんよう)なり。
現代文訳
どんなに制度や方法を論議しても、それを行なう人が立派な人でなければうまくいかないだろう。人として立派な人あって始めて色々な方法は行われるものだから、人こそ第一の宝である。
自分がそういう立派な人物になるよう心掛けることが。何より大事である。
解 説
人間性を磨くのに一番は一番身近にいる両親が範を示し、それを真似ることだろうか。しかし、皆が皆そういった恵まれた環境に育つ訳ではない。
劣悪な環境に育っても、立派な大人に育つ人も少なくない。学歴という観点からは劣っていたとしても、周りから仁者として尊敬される方は世の中に多い。『論語』学而第一に「事に敏にして言に慎み、有道に就きて正す。學を好むと謂うべきのみ」とあるが、自らの行いを自ら正していくことのできる人こそ、本当に学を好むと言うことができる。
「我れ以外、皆師なり」の謙虚な気持ちで学び、人間性を磨き続けることが大事だ。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広に由る。
第十九ケ条
古(いにしえ)より、君臣共(くんしんとも)に己(おの)れを、足(た)れりとする世(よ)に、治功(ちこう)の上(あが)りたるはあらず。自分(じぶん)を足(た)れりとせざるより、下々(しもじも)の言(げん)も聴(き)き入(い)れるもの也(なり)。己(おの)れを足(た)れりとすれば、人己(ひとおの)れの非(ひ)を言(い)へば、忽(たちま)ち怒(いか)るゆえ、賢人君子(けんじんくんし)は之(これ)を助(たす)けぬなり。
現代文訳
昔から、主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行った世に、うまく治まった時代はない。自分にはまだ足りないところがある、と考えることによって、下々の言うことも聞き入れるものである。自分が完全だと思っているとき人が自分の欠点を正すと、すぐ腹を立ててしまうから、賢人や君子は、驕り高ぶっている者に対しては決して味方はしないものである。
解 説
『論語』公冶長第五に「下問を恥じず」とある。「目下の者にもへり下って尋ねることを恥じない」という意味である。
分からないことは分からないと、隠す必要はない。ただ「何でもかんでもすぐ他者に尋ねる」という人が居るが、「先ずは自分で調べる」ことが大事だ。辞書・辞典を身近に置き、調べることが大事である。
同じく『論語』為政第二に「之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。之れ知るなり」とも。知っていることは知っている。知らないことは知らないと素直に言えるのが、本当に知るということだ。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
幕末から維新にかけての偉人 西郷南洲(隆盛)が遺された文章を、随時掲載している。
今を生きる私たちにも大きな示唆を与えて貰える。
第十八ケ条
談(だん)国事(こくじ)に及(およ)びし時(とき)、慨然(がいぜん)として申(もう)されけるは、国(くに)の凌辱(りょうじょく)せらるるに当(あ)たりては、縦令国(たとえくに)を以(もっ)て斃(たお)るとも、正道(せいどう)を践(ふ)み、義(ぎ)を尽(つく)すは政府(せいふ)の本務也(ほんむなり)。然(しか)るに平日(へいじつ)、金穀理財(きんこくりざい)の事(こと)を議(ぎ)するを聞(き)けば、如何(いか)なる英雄豪傑(えいゆうごうけつ)かと見(み)ゆれども、血(ち)の出る事(でること)に臨(のぞ)めば、頭(こうべ)を一処(いっしょ)に集(あつ)め、唯目前(ただもくぜん)の苟安(こうあん)を謀(はか)るのみ、戦(いくさ)の一字(いちじ)を恐(おそ)れ、政府(せいふ)の本務(ほんむ)を墜(おと)しなば、商法支配所(しょうほうしはいじょ)と申(もう)すものにて、更(さら)に政府(せいふ)には非(あら)ざる也(なり)。
現代文訳
話が国の事に及んだとき大変に嘆いて言われるには、国が外国から辱しめを受けるような事があったなら、たとえ国が倒れようとも正しい道を履んで道義を尽くすのは政府の努めである。ゆえに、ふだん金銭、穀物、財政のことを議論するのを聞いていると、何という英雄豪傑かと思わずにはおれない人が、実際に血の出ることに臨むと頭を一カ所に集め、ただ目の前の気休めだけを謀るばかりである。戦の一字を恐れ政府の任務を忘れるような事があったならば、商法支配所と言うようなもので政府ではないというべきである。
解 説
為政者たる者は、何が起ころうと動じない「不動心」を日頃から養わなければならない。常に気力が充実していなければ、国民を導くことはできない。「平常心是道」である。
気力充実の源は、健康と体力だ。なかなか時間が取れないだろうが、時間を確保することが求められる。創意工夫をして気力の源を養わなければならない。
「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」である。 幕末から維新にかけての偉人 西郷南洲(隆盛)が遺された文章を、随時掲載している。
今を生きる私たちにも大きな示唆を与えて貰える。
第十七ケ条
正道(せいどう)を踏(ふ)み、国(くに)を以(もっ)て斃(たお)るるの精神無(せいしんな)くば、外国交際(がいこくこうさい)は全(まった)かる可(べ)からず。彼(か)の強大(きょうだい)に畏縮(いしゅく)し、円滑(えんかつ)を主(しゅ)として、曲(ま)げて彼(か)の意(い)に従順(じゅうじゅん)する時(とき)は、軽侮(けいぶ)を招(まね)き、好親却(こうしんかって)て破(やぶ)れ、終(つい)に彼(か)の制(せい)を受(うく)るに至(いた)らん。
現代文訳
正しい道を履み行い、国のために倒れてもやるという精神が無いと、外国との交際はこれを全うすることは出来ない。
外国の強大なことに萎縮し、ただ円満にことを納める事を主として、自国の真意を曲げてまで外国の言うままに従う事は軽蔑を受け、親しい交わりをするつもりがかえって破れ、しまいには外国に制圧されるに至るであろう。
解 説
山口県から選出され外務大臣を務めている方に「毎朝、この第十七条を10回読みなさい」と申し上げたい。そして、「私心無かりしか」と自らに問いかけていただきたいと思うのである。
あくまでも『媚中』を通すのであれば、中国に移民されるとよいのだ。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
第十六ケ条
節義(せつぎ)廉恥(れんち)を失(うしな)ひて、国(くに)を維持(いじ)するの道決(みちけっ)して有(あ)らず、西洋(せいよう)各国(かっこく)同然(どうぜん)なり。上(うえ)に立(た)つ者下(ものした)に臨(のぞ)みて、利(り)を争(あらそ)ひ義(ぎ)を忘(わす)るる時(とき)は、下皆之(したみなこれ)に倣(なら)ひ、人心(じんしん)忽(たちま)ち財利(ざいり)に趨(はし)り、卑吝(ひりん)の情日々(じょうひび)長(ちょう)じ、節義(せつぎ)廉恥(れんち)の志操(しそう)を失(うしな)ひ、父子(ふし)兄弟(けいてい)の間(あいだ)も銭財(ぜんざい)を争(あらそ)ひ、相(あ)ひ讐視(しゅうし)するに至(いた)る也(なり)。此(かく)の如(ごと)く成(な)り行(ゆ)かば、何(なに)を以(もっ)て国家(こっか)を維(い)持(じ)す可(べ)きぞ。徳川(とくがわ)氏(し)は将士(しょうし)の猛(たけ)き心(こころ)を殺(そ)ぎて世(よ)を治(おさ)めしか共(とも)、今(いま)は昔時(せきじ)戦国(せんごく)の猛士(もうし)より、猶(なお)一層(いっそう)猛(たけ)き心(こころ)を、振(ふる)ひ起(おこ)さずば、万国(ばんこく)対峙(たいじ)は成(な)る間敷也(まじきなり)。普仏(ふふつ)の戦(いくさ)、仏国(ふつこく)三十万(さんじゅうまん)の兵(へい)三カ月(さんかげつ)の糧食(りょうしょく)有(あ)りて降(こう)伏(ふく)せ(し)しは、余(あま)り算盤(そろばん)に精(くわ)しき故(ゆえ)なりとて笑(わら)はれき。
現代文訳
「道義を守り恥を知る心」を失うようなことがあれば、国家を維持することは決して出来ない。西洋各国でも皆同じである。上に立つ者が下の者に対して利益のみを争い求め正しい道を忘れるとき、下の者もまたこれに習うようになって、人の心は皆財欲にはしり、卑しくケチな心が日に日に増す。
道義を守り恥を知る心を失って、親子兄弟の間も財産を争い互いに敵視するのである。このようになったら、何をもって国を維持することが出来ようか。
徳川氏は将兵の勇猛な心を抑えて世の中を治めたが、今は昔の戦国時代の武士よりもなお一層勇猛心を奮い起さなければ、世界のあらゆる国々と対峙することは出来無いであろう。普、仏戦争のとき、フランスが三十万の兵と三ケ月の食糧があったにもかかわらず降伏したのは、余り金銭のソロバン勘定に詳しくなかったがためであると言って笑われた。
『論語』泰伯第八 邦道有るに、貧しくして且つ賤しきは……
憲問第十四 邦、道有れば穀す……
解 説
現在、「廉恥」という言葉を日常的にはあまり使わない。ハレンチ(破廉恥)の廉恥であり、「道義を守り恥を知る心」という意味だ。ハレンチが頭にあると、「廉恥」を悪い意味に取ってしまいがちだが、人として欠かせない大事な心である。
昔は親から「恥を知れ」「お天道様に申し開きは立つのか」などと叱られたものだ。私たちは折に触れ、「恥を知れ」「お天道様に申し開きは立つのか」などと振り返ることがよいのではと思う。もう一つ付け加えるならば、「私心無かりしか」であろうか。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
幕末から維新にかけての偉人 西郷南洲(隆盛)が遺された文章を、随時掲載している。
今を生きる私たちにも大きな示唆を与えて貰える。
第十五ケ条
常備(じょうび)の兵数(へいすう)も、亦会計(またかいけい)の制限(せいげん)に由(よ)る、決(けっ)して無限(むげん)の虚勢(きょせい)を張(は)る可(べ)からず。兵気(へいき)を鼓舞(こぶ)して、精兵(せいへい)を仕立(した)てなば、兵数(へいすう)は寡(すくな)くとも、折衝禦侮共(せっしょうぎょぶとも)に事欠(ことかく)く間敷也(まじきなり)。
現代文訳
常備する軍隊の人数も会計予算の中で対処すべきで、決して無限に軍備を増やして空威張りをしてはならない。
兵士の気力を奮い立たせて優れた軍隊を創りあげれば、たとえ兵隊の数は少くても外国との折衝にあたって侮りを受けるような事は無いであろう。
解 説
国のために、国民のために必死で働く自衛官の処遇については、今すぐに大幅にアップする必要がある。国会議員の歳費や政務調査費などを大幅削減すれば、それに見合う額の相当部分が捻出されるのではないかと思う。
現在、自衛官の処遇について「大幅なアップ」が論議されている。西郷は、この事を140年前に指摘している。比類無き、先見の明である。
第十四ケ条
会計(かいけい)出納(すいとう)は、由(よ)って立(た)つ所(ところ)、百般(ひゃっぱん)の事業皆是(じぎょうみなこれ)より生(しょう)じ、経綸中(けいりんちゅう)の枢要(すうよう)なれば、慎(つつし)まずばならぬ也(なり)。其(そ)の大体(だいたい)を申(もう)さば、入(い)るを量(はか)りて出(で)づるを制(せい)するの外(ほか)、更(さら)に他(た)の術数無(じゅっすうな)し。一歳(いっさい)の入(い)るを以(もっ)て、百般(ひゃっぱん)の制限(せいげん)を定(さだ)め、会計(かいけい)を総理(そうり)する者(もの)、身(み)を以(もっ)て制(せい)を守り(まもり)、定制(ていせい)を超過(ちょうか)せしむ可(べ)からず。否(しか)らずして、時勢(じせい)に制(せい)せられ、制限(せいげん)を慢(みだり)にし、出(いず)るを見て入(みい)るを計(はか)りなば、民(たみ)の膏血(こうけつ)を絞(しぼ)るの外有(ほかあ)る間敷也(まじきなり)。然(しか)らば仮令事業(たとえじぎょう)は、一旦進歩(いったんしんぽ)する如(ごと)く見(み)ゆるとも、国力疲弊(こくりょくひへい)して済救(さいきゅう)す可(べ)からず。
現代文訳
会計出納は、すべての制度の基本であって、あらゆる事業はこれによって成り立つ。秩序ある国家を創る上で最重要事であるから慎重にしなければならない。その方法を申すならば、収入の範囲内で支出を抑えるという以外に手段はない。総ての収入の範囲で事業を制限して、会計の総責任者は一身をかけてこの制度を守り、定められた予算を超えてはならない。
そうではなく時勢にまかせ、制限を緩かにして支出を優先して考え、それに合わせ収入を計算すれば、結局国民から重税を徴収するほか方法はなくなるであろう。もしそうなれば、たとえ事業は一時的に進むように見えても国力が疲弊して、ついには救い難い事になるであろう。
解 説
前条と同様である。
現在の財務官僚は、「国債は国の借金ではない」ことを分かっていながら、「次世代に先送りするな」などと吹聴して国民を騙している。マスメディアも、「国債は国の借金ではない」と絶対に書かない。酷いものだ。
また国会議員の定数も、現在の二割減で十分ではないかと思う。「親中派」「媚中派」など、「あなた方は何処の国の議員か」問わずにはおれない政治家があまりにも多い。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
第十三ケ条
租税(そぜい)を薄(うす)くして、民(たみ)を裕(ゆたか)にするは、即(すなわ)ち国力(こくりょく)を養成(ようせい)する也(なり)。故(ゆえ)に国家多端(こっかたたん)にして、財用(ざいよう)の足(た)らざるを苦(くるし)むとも、租税(そぜい)の定制(ていせい)を確守(かくしゅ)し、上(うえ)を損(そん)じて下(した)を虐(しい)たげぬもの也(なり)。能(よ)く古今(ここん)の事跡(じせき)を見(み)よ。道(みち)の明(あき)かならざる世(よ)にして、財用(ざいよう)の不足(ふそく)を苦(くるし)むときは、必ず(かならず)曲知小慧(きょくちしょうけい)の俗吏(ぞくり)を用(もち)ひ、巧(たく)みに聚斂(しゅうれん)して、一時(いちじ)の欠乏(けつぼう)に給(きゅう)するを、理材(りざい)に長(ちょう)ぜる良臣(りょうしん)となし、手段(しゅだん)を以(もっ)て、苛酷(かこく)に民(たみ)を虐(しい)たげるゆえ、人民(じんみん)は苦悩(くのう)に堪(た)へ兼(か)ね、聚斂(しゅうれん)を逃(のが)れんと、自然譎詐狡猾(しぜんきっさこうかつ)に趣(おもむ)き、上下互(じょうげたがい)に欺(あざむ)き、官民敵讐(かんみんてきしゅう)と成(な)り、終(つい)に分崩離拆(ぶんぽうりせき)に至(いた)るにあらずや。
現代文訳
税金を少なくして、国民生活を豊かにすることこそ国力を高めることになる。だから国の事業が多く、財政の不足で苦しむような事があっても決まった制度をしっかり守り、政府や上層の人たちが損をしても、下層の人達を苦しめてはならない。
昔からの歴史をよく見るがよい。道理の明らかに行われない世の中にあって、財政の不足で苦しむときは、必ずこざかしい考えの小役人を用いて、その場しのぎをする人を財政が良く分かる立派な役人と認める。そういう小役人は手段を選ばず、無理やり国民から税金を取り立てる。だから、人々は苦しみ、堪えかねて税の不当な取りたてから逃れようと、自然に嘘いつわりを言ってお互いに騙し合い、役人と一般国民が敵対して終には国が分裂して崩壊するようになっているではないか。
解 説
税の徴収については、国民の立場からすれば少なければ少ないほどありがたい。為政者は一切の無駄を省くことに腐心し、国民の負担が軽減されるようにしなければならない。
政権は、財務省の企みに乗って安易に増税を考えてはならないのである。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
第十二ケ条
西洋(せいよう)の刑法(けいほう)は専(もっぱ)ら懲戒(ちょうかい)を主(しゅ)として苛酷(かこく)を戒(いまし)め、人(ひと)を善良(ぜんりょう)に導(みちび)くに注意深(ちゅういぶか)し。故(ゆえ)に囚獄中(いんごくちゅう)の罪人(ざいにん)をも、如何(いか)にも緩(ゆる)るやかにして鑒戒(かんかい)となる可(べ)き書籍(しょせき)を与(あた)へ、事(こと)に因(よ)りては親族朋友(しんぞくほうゆう)の面会(めんかい)をも許(ゆる)すと聞(き)けり。尤(もっと)も聖人(せいじん)の刑(けい)を設(もう)けられしも、忠孝仁愛(ちゅうこうじんあい)の心より鰥寡孤独(かんかこどく)を愍(あわれ)み、人(ひと)の罪(つみ)に陥(おちい)るを恤(うれ)ひ給(たま)ひしは深(ふか)けれども、実地手(じっちて)の届(とど)きたる今の西洋(せいよう)の如(ごと)く有(あ)りしにや、書籍(しょせき)の上(うえ)には見(み)え渡(わた)らず、実(じつ)に文明(ぶんめい)ぢゃと感(かん)ずる也(なり)。
現代文訳
西洋の刑法は専ら、罪を再び繰り返さないようにする事を根本の精神としている。むごい扱いを避けて人を善良に導く事を目的としており、だから獄中の罪人であっても緩やかに取り扱い教訓となる書籍を与え、場合によっては親族や友人の面会も許すということである。
もともと昔の聖人が刑罰というものを設けられたのも、忠孝、仁愛の心から孤独な人の身上を憐み、そういう人が罪に陥るのを深く心配されたが、実際の場で今の西洋のように配慮が行き届いていたかどうかは書物には見あたらない。西洋のこのような点は誠に文明だとつくづく感じることである。
『論語』為政第二 「之を道く(みちびく)に政を以てし、之を齊うる(ととのうる)に刑を以てすれば、民免れて恥ずること無し。之を道く(みちびく)に徳を以てし、之を齊うるに禮を以てすれば、恥ずる有りて且つ格し(ただし)」(政令や法律だけで国を治め、刑罰に統制すれば、民は要領よく免れて何ら恥じることがなくなる。道徳を基本として国を治め、礼<政治的規範>によって統制すれば、自ら省みて過ちを恥じ、自ら正していくようになる)
解 説
理由はそれぞれに違うのだが、二回も島流しにあった西郷ならではの見解である。ただそういった時期にあっても、周りの人によくして貰い、世の中の情報から隔絶されていた訳ではない。
「罪を憎んでも人を憎むな」とも言われるが、先ずは「改心」を促す手立てを考えてやることだ。ただ極悪な事を(例えば殺人など)繰り返す者も存在する事も事実である。一概に「こうあるべきだ」と言えない面もある。『死刑』について賛否両論に分かれる所以である。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
幕末から維新にかけての偉人 西郷南洲(隆盛)が遺された文章を、随時掲載している。
今を生きる私たちにも大きな示唆を与えて貰える。
第十一ケ条
文明(ぶんめい)とは道(みち)の普(あまね)く行(おこな)はるるを、賛称(さんしょう)せる言(げん)にして、宮室(きゅうしつ)の荘厳(そううごん)、衣服(いふく)の美麗(びれい)、外観(がいかん)の浮華(ふか)を言(い)ふには非(あら)ず。世人(せじん)の唱(とな)ふる所(ところ)、何(なに)が文明(ぶんめい)やら、何(なに)が野蛮(やばん)やら些(ち)とも分からぬ(わからぬ)ぞ。予(よ)、甞(かつ)て或人(あるひと)と議論(ぎろん)せしこと有(あ)り、西洋(せいよう)は野蛮(やばん)ぢゃと云(い)ひしかば、否(い)な文明(ぶんめい)ぞと争(あらそ)ふ。否(い)な否(い)な野蛮(やばん)ぢゃと畳(たたみ)みかけしに、何(なん)とて夫(そ)れ程(ほど)に申(もう)すにやと推(お)せしゆえ、実(じつ)に文明(ぶんめい)ならば、未開(みかい)の国(くに)に対(たい)しなば、慈愛(じあい)を本(もと)とし、懇々説諭(こんこんせつゆ)して開明(かいめい)に導(みちび)く可(べ)きに、左(さ)は無(な)くして未開蒙昧(みかいもうまい)の国(くに)に対(たい)する程(ほど)、むごく残忍(ざんにん)の事を致(いた)し、己(おのれ)れを利(り)するは野蛮(やばん)ぢゃと申(もう)せしかば、其(そ)の人口(ひとくち)を莟(つぼ)めて、言無(ことばな)かりきとて笑(わら)はれける。
現代語訳
文明というのは道義、道徳に基づいて事が広く行われることを称える言葉であって、宮殿が大きく立派であったり、身にまとう着物が綺麗あったり、見かけが華やかであるいうことではない。世の中の人の言うところを聞いていると、何が文明なのか、何が野蛮なのか少しも解らない。
自分はかってある人と議論した事がある。自分が西洋は野蛮だと言ったところ、その人はいや西洋は文明だと言われ言い争いとなった。いや、いや、野蛮だとたたみかけて言ったところ、なぜそれほどまでに野蛮だと申されるのかと強く言うので、もし西洋が本当に文明であったら開発途上の国に対しては、慈しみ愛する心を基として、よくよく説明説得して、文明開化へと導くべきである。そうではなく、開発途上の国に対してむごく残忍なことをして、自分たちの利益のみを図るのは明らかに野蛮であると言ったところ、その人もさすがに口をつぼめて返答出来なかったと笑って話された。
解 説
大東亜戦争以前、アジアの諸国で独立国だったのは、タイ・満州国・日本だけであった。他の国は、米国・英・仏・オランダ・スペイン・ポルトガルなど西欧列強の植民地であった。そういった状況の中、アジア同胞を植民地から解放しようとしたのが日本であり、大東亜戦争だった。
戦後、GHQの方針で、「大東亜戦争」という用語の使用は禁止されたのである。無論、戦争を賛美する立場ではないが、「大東亜戦争」という用語は胸を張って使おう。「GHQ史観」や「東京裁判史観」からいい加減抜け出して、「誇り高き日本人」として生きていかねばならない。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
第十ケ条
人(じん)智(ち)を開発(かいはつ)するとは、愛国忠孝(あいこくちゅうこう)の心(こころ)を開(ひら)くなり。国(くに)に尽(つく)し家(いえ)に勤(つとむ)るの道明(みちあきら)かならば、百般(ひゃっぱん)の事業(じぎょう)は、従(したがっ)て進歩(しんぽ)す可(べ)し。或(あるい)は耳目(じもく)を開発(かいはつ)せんとて、電信(でんしん)を懸(か)け、鉄道(てつどう)を敷(し)き、蒸気仕掛(じょうきしか)けの器械(きかい)を造立(ぞうりつ)し、人(ひと)の耳目(じもく)を聳動(しょうどう)すれども、何故電信鉄道(なにゆえでんしんてつどう)の無(な)くては叶(かな)はぬぞ、欠(か)くべからざるものぞと云(い)ふ処(ところ)に目(め)を注(そそ)がず、猥(みだり)に外国の盛大(せいだい)を羨(うらや)み、利害得失(りがいとくしつ)を論(ろん)ぜず、家屋(かおく)の構造(こうぞう)より玩弄物(がんろうぶつ)に至(いた)る迄(まで)、一々外国(いちいちがいこく)を仰(あお)ぎ、奢侈(しゃし)の風(ふう)を長(ちょう)じ、財用(ざいよう)を浪費(ろうひ)せば、国力疲弊(こくりょくひへい)し、人心浮薄(じんしんふはく)に流(なが)れ、結局(けっきょく)日本(にっぽん)身代限(しんだいかぎ)りの外(ほか)有(あ)る間敷也(まじきなり)。
現代語訳
人間の知恵を開発すること、即ち教育の根本目的は愛国の心、忠孝の心を持つことである。国のために尽し、家のため働くという、人としての道理が明らかであるならば、すべての事業は進歩するであろう。
耳で聞いたり、目で見たりする分野を開発しようとして、電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛の機械を造って、人の目や耳を驚かすような事をするけれども、どういう訳で電信、鉄道が無くてはならないか、欠くことの出来ない物であるかということに目を注がないで、みだりに外国の盛大なことをうらやみ、利害、損得を議論しないで、家の造り構えから、子供のオモチャまで一々外国の真似をし、身分不相応に贅沢をして財産を無駄使いするならば、国の力は衰退し、人の心は軽々しく流され、結局日本は破綻するより他ないではないか。
『論語』学而第一 孝弟なる者は、其れ仁を…… 孝弟にして上を犯すを好む者は……
解 説
何を行うにしても国のために尽くし、家族のためにしっかり働くという気持ちが根本となる。
戦後の教育の誤りは、「自分のために」「自分第一」「自分中心」ということが前面に出過ぎたことた。
「滅私奉公」という言葉は、GHQのプロパガンダにより軍国主義の権化のように思われているが、けっしてそうではない。「私」を抑えて「公」のためにという貴い考え方である。その希薄さが、今さまざまな面で歪を助長している。
「滅私奉公」を大事にしたい。
本日、2月11日は「建国記念の日」である。橿原神宮では、厳かに「紀元祭」が斎行される。各家庭でも、国旗を掲揚しお祝いしよう。
拙宅では、「ラジオ体操」に出かける前に玄関に掲揚した。雨が微かに降っていたが、体操をするときには止んだ。帰宅した7時前には朝陽が差し、いい天気になった。翩翻と輝く国旗を仰ぎ、「日本に生まれてよかった」の感を改めて強くした。幸せである。
多くの国で「建国記念日」を法律で定めて祝日としているが、何をもって建国記念日とするかは国によって異なる。日本では、建国をしのぶ日として法律に基づき「建国記念の日」が定められた。日付は政令に基づき、建国神話(日本神話)を基に日本建国日とされている紀元節「紀元前660年2月11日」と同じ日にされた。
2月11日は、古事記や日本書紀で初代天皇とされる神武天皇の即位日が、日本書紀によれば辛酉年春正月、庚辰朔、すなわち、1月1日 (旧暦)(『日本書紀』卷第三、神武紀 「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」)とあり、その月日を明治に入り、グレゴリオ暦での具体的な日付として推定したものだ。
明治5年11月15日太政官布告第344号「神武天皇御即位祝日例年御祭典」によって、旧暦1月1日に当たる1月29日が祝日とされた。翌明治6年1月4日 太政官布告第1号「五節ヲ廃シ祝日ヲ定ム」によって、神武天皇即位日という名称となり、1月29日に諸式典が斎行された。
同年3月7日太政官布告第91号「神武天皇御即位日ヲ紀元節ト称ス」によって、紀元節という名称に改称された。同年7月20日太政官布告第258号によって、紀元節の日付は2月11日に改められ、翌明治7年2月11日から適用された。 この紀元節は昭和23年に一度廃止されたものの、改めて昭和41年に「建国記念の日」として国民の祝日となり、その翌年から適用された。
現行の「国民の祝日に関する法律(祝日法)」の第1条には「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」と定められている。
また、建国記念の日については「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされている。この意味するところは、神武創業のいにしえを偲び、建国の精神を守り伝えてきた先人の努力に心からの敬意と感謝を表するとともに、悠久の歴史の中で培われてきた文化・伝統を大切にしながら国の発展を期することといえる。
「国旗を掲揚しよう」と言うと、「私の家にはありません」という人が居る。無ければ購入しよう。百貨店でもスーパーでも、ネットでも販売している。高価なものではない。他で少し始末すればよい。
「掲揚する場所がない」と言われる。門や玄関の右側に掲揚するのが原則だが、こだわる必要はない。左側でもよい。拙宅でも場所的な理由で右側掲揚が困難なので左側に掲揚している。
「うちはマンションだから場所がない」と言われる。工夫すれば、どこでも掲揚可能だ。小さい国旗でもよいのである。掲揚のための付属品もネットなどで販売している。
「近所で掲揚しているお宅が少ない。何となく……」と言われる。「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるためにこぞって祝い、感謝し、又は記念する」のに何を恥ずかしがるのか。堂々と粛々と掲揚していただきたい。「自国の国旗に敬意を示すことのできないことが恥ずかしいことだ」「自国の国旗に敬意を表することができなくて、他国の国旗に敬意を表せるのか」と思うのである。
自虐史観に苛まれた感情を捨て去ろう。恥ずべき感情を、子や孫に継承してはならない。
第八ケ条
広(ひろ)く各国(かっこく)の制度(せいど)を採(と)り、開明(かいめい)に進(すす)まんとならば、先(ま)づ我国(わがくに)の本体(ほんたい)を居(す)え、風教(ふうきょう)を張(は)り、然(しか)して後徐(のちしず)かに、彼(か)の長所(ちょうしょ)を斟酌(しんしゃく)するものぞ。否(しか)らずして猥(みだ)りに彼(かれ)に倣(なら)ひなば、国体(こくたい)は衰頽(すいたい)し、風教(ふうきょう)は萎靡(いひ)して、匡救(きょうきゅう)す可(べ)からず、終(つい)に彼(か)の制(せい)を受(う)くるに至(いた)らんとす。
現代語訳
広く諸外国の制度を取り入れ、文明開化を押し進めようと思うならば、まず我が国の本体を良くわきまえ、風俗教化を正しくして、そして後、ゆっくりと諸外国の長所を取り入れるべきである。
そうではなく、ただみだりに諸外国の真似をするならば、国の体制は弱体化して、風俗の教化は乱れて、救いがたい状態になる。ついには外国に制せられる事になるであろう。
解 説
我が国の歴史を振り返る時、大きく道徳や風俗が乱れたという時代はなかった。古来、日本人は勤勉で正直、まじめで親切であったからだろう。
この日本人のよさを守り抜いていくことが求められる。そのことで国体が保持できるのである。
「現代文訳」と「解説」は、谷口利広による。
中国文化と中国人文化の違いを最も区別できないのが日本人です。僕はこれが1番の問題だと考えていて、日本が中国の本質をどうしても見抜けない根本的な原因はこの部分ではないかと考えています。
日本人は中国と同舟ではないものの、少なくとも同文化、同じ漢字文化を共有していると考えています。もしくは日本文化のかなりの部分が中国からやってきたもので、少なからずの日本人が中国の古典といわれる詩や芸術、音楽、哲学などの文化に憧れを持っているのではないでしょうか。
確かに立派なものがたくさんあり、さらに中国の古典には立派なことが書かれています。しかしながら、それらは中国人の実社会には存在しません。日本人はそれが分かっていないわけです。
中国文化、特に古典には四書五経と呼ばれる『史記』や『漢書』、『論語』、『孟子』、『春秋』などがありますが、これらは基本的には3つの理由で重要視されてきたものだと考えられます。
一つは勉強するためのものです。中国には科挙制度があります。要するにそれらを勉強して試験に通らなければ官僚にはなれない。官僚にならなければ権力者にはなれないということです。
もう一つは、権力者が見て楽しむための娯楽です。
最後の3点目は、権力者がそれを使って民を統治するための手段になっているということです。
日本人が中国文化を理解できないわけ
なぜ日本人がそれを理解できないのか。簡単に説明すると、日本文化がほぼイコールで日本人文化と言ってもいいからです。例えば日本の文化のなかには、文学であれば俳句や短歌があります。これらは、別に偉い人間だけが楽しむ文学ではありません。また権力者がそれらを用いて、民を統治するための道具でもありません。田舎であろうが、都会であろうが、みんなが俳句や短歌を書いていて、一般庶民のなかで楽しまれてきました。
職業も関係なく、百姓も、大学教授も同じように俳句を作り、短歌を詠うという習慣があります。しかし、中国ではそうではないのです。
中国の親は子供の嘘を賞賛する?
一人の台湾人から見れば、日本文化の中心、最も本質的な部分は真(しん)だと思います。真実の真(しん)、真(まこと)の部分です。だから日本人社会、日本人文化は誠実さを中心に形成されてきました。日本人の誠実さ、真面目さというのは別に努力して身に付けたものではなく、日本文化のなかに自然と存在しているものだということです。
一方で中国人的な発想からすれば、日本人は何の目的で誠実にするのかと考えます。日本の文化と西洋の文化で非常に一致していることは、Virtue is it‘s own reward、美徳そのものが美徳の報酬であるということではないでしょうか。
なぜいい行ないをするのか、なぜいい人間になるのか、なぜ美徳が身に付いているのか。それは、日本人が美徳そのものが報酬だと考えているからです。しかし中国文化はイコール中国人文化ではありません。最も分かりやすい説明をするとすれば、中国では親が自分の子どもに教えるのは中国人文化です。中国の教科書にも人間は誠実であるべきということは書かれていますが、これが中国文化の部分で、要するに偽りの文化と言えます。実際の中国人社会のなかには存在していないものだからです。
中国人文化の本質は偽りです。日本の真とは逆なのです。だから中国人の親は子どもに「他人には本当のことを絶対に言ってはいけません」と教えています。他人を絶対に信用してはいけないと教えます。これはずっと昔から今まで中国人の親が子どもに教え続けてきたことで、他人には絶対にウソをつかなければ
いけないということなんです。
ですから中国人文化は基本的には偽りの文化、詐欺師の文化ということになります。
林 建良(りん けんりょう)
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。
来日する中国人と思われる人たちが、旅行鞄をゴロゴロ転ばせながら繁華街を歩く姿を見て、「人を信用できないのだろう」と思って冷ややかに見てきた。
林氏の「中国人文化の本質は偽りです。日本の真とは逆なのです。だから中国人の親は子どもに『他人には本当のことを絶対に言ってはいけません』と教えています。他人を絶対に信用してはいけないと教えます。これはずっと昔から今まで中国人の親が子どもに教え続けてきたことで、他人には絶対にウソをつかなければいけないということなんです」で、やっぱりと納得した。
他人を信用できず、バスやホテルのフロントなどに預けることが出来ないのである。実に可哀想な人たちである。
習近平が外遊するときも、カバンを随行の者がゴロゴロ引くのだろうか。尤も、何十人もが随行するから問題ないのだろうが。それにしても……。(谷口利広)
第七ケ条
事大小(ことだいしょう)と無(な)く、正道(せいどう)を踏(ふ)み至誠(しせい)を推(お)し、一時(いちじ)の詐謀(さぼう)を用(もち)う可(べ)からず。人多(ひとおお)くは事(こと)の指支(さしつか)ふる時(とき)に臨(のぞ)み、作略(さくりゃく)を用(もちい)て一旦其(いったんそ)の指支(さしつかえ)を通(とお)せば、跡(あと)は時宜次第工夫(じぎしだいくふう)の出来(でき)る様(よう)に思(おも)へども、作略(さくりゃく)の煩(わずら)ひ屹度生(きっとしょう)じ、事必(ことかなら)ず敗(やぶ)るるものぞ。正道(せいどう)を以(もっ)て之(これ)を行(おこな)へば、目前(もくぜん)には迂遠(うえん)なる様(よう)なれども、先(さき)に行(ゆ)けば成功(せいこう)は早(はや)きもの也(なり)。
現代語訳
どんな大きい事でも、小さい事でも、いつも正しい道をふみ行い、真心を尽くす。一時の策略を用いてはならない。人は多くの場合、難しい事に出会うと何か策略を使ってうまく事を運ぼうとするが、策略したためにそのツケが生じて、その事は必ず失敗するものである。
正しい道を踏み行う事は、目の前で回り道をしているようでもあるが、先に行けばかえって成功は早いものである。
解 説
苦労して物事を解決に導けば、その過程で得るものは大きい。周りからの信用・信頼も大きく膨らむ。策略を用いたい欲求に駆られても、易きに流れず地道に努力する方法を選択したい。
「現代文訳」と「解説」は谷口利広による。
第六ケ条
人材(じんざい)を採用(さいよう)するに、君子小人(くんししょうにん)の弁酷(べんこく)に過(す)ぐる時(とき)は、却(かえっ)て害(がい)を引起(ひきおこ)すもの也(なり)。其(そ)の故(ゆえ)は、開闢以来世上一般十(かいびゃくいらいせじょういっぱんじゅう)に七八(しちはち)は小人(しょうにん)なれば、能(よ)く小人(しょうにん)の情(じょう)を察(さっ)し、其(そ)の長所(ちょうしょ)を取(と)り、之(これ)を小職(しょうしょく)に用(もち)い、其(そ)の材芸(ざいげい)を尽(つく)さしむる也(なり)。
東湖先生申(とうこせんせいもう)されしは、『小人程才芸有(「しょうにんほどさいげいあ)りて用便(ようべん)なれば、用(もち)いざればならぬもの也(なり)。去(さ)りとて長官(ちょうかん)に居(す)え、重職(じゅうしょく)を授(さず)くれば、必(かなら)ず邦家(ほうか)を覆(くつがえ)すものゆえ、決(けっ)して上(うえ)には立(た)てられぬものぞ』(」)と也(なり)。
現代語訳
人材を採用する時、良く出来る人(君子)と普通(小人)の人との区別を厳しくし過ぎると、かえって問題を引起すものである。その理由は、この世が始まって以来、世の中で十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これをそれぞれの職業に用い、その才能や技芸を十分発揮させる事が重要である。
藤田東湖先生(水戸藩士、尊王攘夷論者)が申されるには、「小人は才能と技芸があって使用するに便利であるから、ぜひ使用して仕事をさせなければならない。だからといって、これを上役にして重要な職務につかせると、必ず国をひっくり返すような事になりかねないから、決して上役に立ててはならないものである」と。
解 説
要するに適材適所である。上に立つ者は、部下の人間性や仕事ぶりをよく見極め、その者に合った役割を与えることが大事だ。そのうえで、的確なアドバイスを与えることも必要だ。その際、やさしさだけではダメであり、温かみの中に厳しさも求められる。的確に、「叱る」ことも大事なのだ。第五ケ条
或(あ)る時(とき)、『幾歴辛酸志始堅(「いくたびかしんさんをへてこころざしはじめてかたし)。丈夫玉砕愧甎全(じょうぶぎょくさいせんぜんをはず)、一家(いっかの)遺事人知否。不為児孫買美田(いじひとしるやいなやじじそんのためにびでんをかわず)』(」)、との七絶(しちぜつ)を示(しめ)されて、若(もし)し此(こ)の言(げん)に違(たが)ひなば、西郷(さいごう)は言行反(げんこうはん)したりとて、見限(みかぎ)られよと申(もう)されける。
現代語訳
ある時『何度も何度も辛い事や苦しい事にあった後、志というものは始めて固く定まるものである。志を持った真の男子は玉となって砕けるとも、志をすてて瓦のようになって長生きすることを恥とせよ。自分は我家に残しておくべき訓があるが、人はそれを知っているであろうか。それは子孫のために良い田を買わない、すなわち財産を残さないという事だ』という七言絶句の漢詩を示されて、もしこの言葉に違うような事があったら、西郷は言行不一致と、見限っても良いと言われた。
解 説
「子孫のために良い田を買わない」は、南洲翁遺訓の中で最も世間に知られた章句の一つだ。「そりゃ、そうだ」と私などは思うが、多くの人が節約してでも子や孫に財産を遺そうとするのである。
目を覚ましていただきたい。自らの人生は、自らに切り拓かせるようにもって行くことが親の務めである。祖父母の務めである。親に頼る、他者に頼ろうとする者は、碌な人生しか歩めないだろう。
近所でも、親の力で一流企業に入り早くから家を建て、高級車を乗り回してふんずり返り、挨拶もできない方が居る。一番には、そういうことを許している親が悪いのである。そのような一族に、いつまでも明るい光は射さないだろう。
「積善の家に余慶あり」を信じて疑わない。
「現代語訳」と「解説」は、谷口利広による。
第四ケ条
万民(ばんみん)の上(うえ)に位(い)する者(もの)、己(おのれ)を慎(つつし)み、品行(ひんこう)を正(ただ)しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒(いまし)め、節倹(せっけん)を勉(つと)め、職事(しょくじ)に勤労(きんろう)して、人民(じんみん)の標準(ひょうじゅん)となり、下民其(かみんそ)の勤労(きんろう)を気(き)の毒(どく)に思(おも)ふ様(よう)ならでは、政令(せいれい)は行(おこな)はれ難(がた)し。然(しか)るに草創(そうそう)の始(はじめ)に立(た)ちながら、家屋(かおく)を飾(かざ)り、衣服(いふく)を文(いろど)り、美妾(びしょう)を抱(かかえ)へ、蓄財(ちくざい)を謀(はか)りなば、維新(いしん)の功業(こうぎょう)は遂(と)げられ間敷也(まじきなり)。今(いま)と成(な)りては、戊辰(ぼしん)の義戦(ぎせん)も偏(ひと)へに私(し)を営(いとな)みたる姿(すがた)に成(な)り行(ゆ)き、天下(てんか)に対(たい)し戦死者(せんししゃ)に対(たい)して、面目無(めんぼくな)きぞとて、頻(しき)りに涙(なみだ)を催(もよお)されける。
現代語訳
国民の上に立つ者(政治、行政の責任者)は、いつも自分の心を慎み、品行を正しくし、偉そうな態度をとらない。贅沢を慎み節約する事に努め、仕事に励んで一般国民の手本となる。
一般国民がその仕事ぶりや、生活ぶりを気の毒に思うくらいにならなければ、政令はスムーズに行われないものである。
ところが今、維新創業の初めというのに、立派な家を建て、立派な洋服を着て、きれいな妾をかこい、自分の財産を増やす事ばかりを考えるならば、維新の本当の目的を全うすることは出来ないであろう。今となって見ると戊辰(明治維新)の正義の戦いも、ひとえに私利私欲をこやす結果となり、国に対し、また戦死者に対して面目ない事だと言って、しきりに涙を流された。
解 説
政治家は、常に清貧を旨とすべきだ。西郷の時代も、現代でも、金儲けのためにやっているのではないかと思ってしまうような方が多い。周りから「先生」などと言われていい気になってはならない。最初に政治家を志したときの気持ちを忘れてはならないのである。
南洲翁遺文
第三ケ条
政(まつりごと)の大体(だいたい)は、文(ぶん)を興(おこ)し、武(ぶ)を振(ふる)ひ、農(のう)を励(はげ)ますの三(みっ)つに在(あ)り。其(その)他百般(たひゃっぱん)の事務(じむ)は、皆(みな)此(こ)の三(みっ)つの物(もの)を助(たすく)るの具(ぐ)也(なり)。此(この)の三(みっ)つの物(もの)の中(なか)に於(おい)て、時(とき)に従(したが)ひ勢(いきおい)に因(よ)り、施行(しこう)先後(せんご)の順序(じゅんじょ)は有(あ)れど、此(こ)の三(みっ)つの物(もの)を後(あと)にして、他(た)を先(さき)にするは更(さら)に無(な)し。
現代語訳
政治の根本は国民の教育を高め充実させ、国の自衛のために軍備を充実強化し、食料の自給率、安定のため農業を奨励するという三つである。
その他の色々の事業は、皆この三つ政策を助けるための手段である。この三つの中で、時の成り行きによってどれを先にし、どれを後にするかの順序はあろうが、この三つの政策を後回しにして、他の政策を先にするというようなことがあっては決してならない。
解 説
教育・防衛力・食糧政策は、政治の基本てある。中でも、人づくり、教育が最優先である。GHQの政策により「戦前のものはすべて悪」と歪められた。これらを根本から見直すことが求められる。戦前の教育のほとんどは、有史以来積み上げてきた我が国が他国に誇るべきものである。幕末から維新にかけて我が国を訪れた外国人が一様に、日本人は「勤勉」「正直」「親切」「清潔」であると驚いた。これらは、一朝一夕にできるものではない。
当時最も進んでいたと思われる英国の識字率は40㌫だったが、日本人は70㌫だつた。
また、国の防衛力無くして外交など成り立たないことは、自明の理である。最近やっと国民の多くが目覚めてきた。大東亜戦争は、他国を侵略しようとして始めたものではない。米国の(ルーズベルト)の策略に嵌ってしまったのである、
食糧自給率の低下については、深刻な問題である。国が抜本的な対策を打たないと国を亡ぼすことになる。国民も、少しくらい高くても国産のものを購入するようにするなどの、地道な取り組みが必要だ。
賢人(けんじん)百官(ひゃっかん)を総(す)べ、政権(せいけん)一途(いっと)に帰(き)し、一格(いっかく)の国体定制(こくたいていせい)無(な)ければ、縦(たと)令(い)人材(じんざい)を登用(とうよう)し、言路(げんろ)を開(ひら)き、衆説(しゅうせつ)を容(い)るるとも、取捨(しゅしゃ)方向(ほうこう)無(な)く、事業(じぎょう)雑駁(ざっぱく)にして成功(せいこう)有(あ)るべからず。昨日(きのう)出(い)でし命令(めいれい)の、今日(きょう)忽(たちま)ち引(ひ)き易(か)ふると云(いう)様(よう)なるも、皆(みな)統轄(とうかつ)する所一(ところいち)ならずして、施政(しせい)の方針(ほうしん)一定(いってい)せざるの致(いた)す所也(ところなり)。
現代語訳
優れた政治家が多くの役人たちを一つにまとめ、政権が一つの体制にならなければ、たとえ立派な人を用い発言出来る場を開いて多くの人の意見を取入れるにしても、どれを取り何を捨てるか一定の方針を示さなければ、仕事が雑になり成功するはずがないであろう。昨日出された命令が今日またすぐに変更になるというような事も、政治を行う方向が一つに決まっていないからである。
解 説
国会の審議において、そのような低俗な内容は週刊誌やテレビのワイドショーなどに任せて置けばよいのにと思われる事を、長々と繰り返している。税金の無駄遣い以外の何物でもない。
さまざまな面で厳しい局面に立たされている我が国である。政治家はもちろん、国民の一人ひとりが、今後の在り方・生き方について真剣に考えなければならない。国会の体たらくを見せられることの根本責任は、投票権をもつ我々一人一人にある。いい加減な者を議会に送り出してはならない、これは県市町村議会を問わずだ。
西郷南洲翁遺訓
第一ケ条
廟堂(びょうどう)に立(た)ちて、大政(たいせい)を為(な)すは、天道(てんどう)を行(おこな)ふものなれば、些(ち)とも私(し)を挟(はさ)みては済(す)まぬもの也(なり)。いかにも心(こころ)を公平(こうへい)に操(と)り、正道(せいどう)を踏(ふ)み、広(ひろ)く賢人(けんじん)を選挙(せんきょ)し、能く其職(よ そのしょく)に任(た)ふる人を挙(あ)げて、政柄(せいへい)を執(と)らしむるは、即(すなわ)ち天意也(てんいなり)。夫(そ)れ故真(ゆえしん)に賢人(けんじん)と認(みと)める以上(いじょう)は、直(ただち)に我(わ)が職(しょく)を、譲(ゆずる)る程(ほど)ならでは叶(かな)はぬものぞ。故(ゆえ)に何程国家(なにほどこっか)に勲労有(くんろうあ)るとも、其(そ)の職(しょく)に任(た)へぬ人を、官職(かんしょく)を以(もっ)て賞(しょう)するは、善(よ)からぬことの第一也(だいいちなり)。官(かん)は其(そ)の人を選(えら)びて之(これ)を授(さず)け、功有(こうあ)る者(もの)には俸禄(ほうろく)を以(もっ)て賞(しょう)し、之(これ)を愛(あい)し置(お)くものぞと申(もう)さるるに付(つき)、然(しか)らば尚書仲虺之誥(しょうしょちゅうきのこう)に、
「徳懋(とくさかん)んなるは官(かん)を懋(さかん)んにし、功懋(こうさかん)んなるは賞(しょう)を懋(さかん)んにす」と之(これ)れ有(あ)り、徳(とく)と官(かん)と相配(あいはい)し、功(こう)と賞(しょう)と相対(あいたい)するは、此(こ)の義(ぎ)にて候(そうら)ひしやと請問(せいもん)せしに、翁(おう)、欣然(きんぜん)として、其通(そのと)おりぞと申(もう)されき。
現代語訳
政府に入って閣僚となり国政を司るのは天地自然の道を担うものであるから、いささかでも私利私欲があってはならない。だから、どんな事があっても心を公平にして正しい道を踏み、広く賢明な人を選んでその職務に忠実に実行出来る人に政権を執らせる事こそ天意である。
だから本当に賢明で適任だと認める人がいたら、すぐにでも自分の職を譲る程でなくてはならい。従ってどんなに国に功績があっても、その職務に不適任な人を官職に就ける事は良くない事の第一である。
官職というものはその人をよく選んで授けるべきで、功績のある人には俸給を多く与えて奨励するのが良いと南洲翁が申されるので、それでは尚書(しょうしょ)(書経)仲虺(ちゅうき)(殷の湯王 の大臣の誥(こう)<朝廷が下す辞令書>)の中に「徳の高いものには官位を与え、功績の多いものには褒賞を多くする」というのがありますが、この意味でしょうかと尋ねたところ、南洲翁は大変に喜ばれて、まったくその通りだと仰られた。
※『論語』為政第一・顔淵第十二 直きを挙げて諸を枉れるに……
解 説
勤皇方であった薩摩・長州・土佐の維新後の、横暴跋扈は、西郷にとって許しがたいものであっただろう。政治に携わる者か政治屋と化し、私腹を肥やすことに精を出している現状に忸怩たる思いを募らせていたと思われる。現代も、「政治屋」が跋扈している。真の政治家と言うべき人は、自民党の中でもほんの一握りである。
今朝は冷え込みは厳しかった。三郷町ではマイナス2.5度(6時)となり、広場の土も凍った。
「東信貴ケ丘ラジオ体操会」の、1月の皆勤者は8名だった。この8名は全員12月も皆勤だった。厳寒の時期、また大晦日・三が日など障壁を乗り越えての皆勤は、大いに称賛されてよい。今朝はあまりに冷えたので全員による表彰式は行わず、対象者個々に表彰状が渡された。
徐々に夜明けが早くなって来たし、節分・立春も近づき、寒さも少しずつ緩むだろう。「春はすぐそこに」である。
トヨタ自動車は、13年余り経営の舵取りを担ってきた豊田章男社長が4月1日付けで代表権のある会長に就任すると発表した。後任社長には佐藤恒治執行役員が就任する。
豊田章男氏は、昭和59年にトヨタ自動車に入社したあと、副社長などを経て、平成21年6月から創業家出身の社長として13年あまり経営を担ってきた。社長就任当初からリーマンショックによる世界経済の悪化や、アメリカでの大規模なリコール問題、それに東日本大震災など厳しい経営環境に直面したが、「もっといいクルマづくり」を掲げ、マツダやスズキと相次いで資本提携するなど、日本の自動車業界をけん引してきた。歴代社長の中でも特筆すべき経営手腕を発揮し、プレゼンテーション能力や挨拶・演説の上手さは、国内の政財界等を通じてピカ一だと私は思っている。代表権のある会長として、今後も経営を担う。
東京マラソン(3/5)の招待選手が、昨日(1/26)発表された。鈴木健吾(富士通)と大迫傑(ナイキ)の新旧日本記録保持者が、久しぶりに対決することになった。その他では、男子では土方(旭化成)、細谷(黒崎播磨)、井上(三菱重工)、吉田(GMO)、其田(JR東日本)、小山(ホンダ)らが。
海外勢は、シサイ・レマ(エチオピア・2時間03分36秒)やバーナード・コエチ(ケニア・2時間04分36秒)ら10名が招待されている。
女子は、一山(ワコール)、松田(ダイハツ)、細田(エディオン)、松下(天満屋)らが出場する。海外からは、アシュテ・ベケレ(エチオピア・2時間17分58秒)ら7名が招待選手として出場する。
いつも高速レースとなるので、日本記録の更新が期待される。今から楽しみだ。
日本相撲協会は、本日(25日午前)番付編成会議を行い、初場所幕下15枚目格付け出しデビューし7戦全勝で優勝した落合(19=宮城野)の新十両昇進を決めた。
22年前に「幕下15枚目格付け出し制度」ができて以降、所要2場所で関取になったのは、成田(のち豪風)、内田(のち普天王)、遠藤、逸ノ城、御嶽海、矢後の6人だけ。この最速記録を抜いた。史上初の快挙である。
師匠の元横綱白鵬の宮城野親方にとってうれしい知らせとなった。昨年7月に宮城野部屋を継承してから、同部屋で初の新十両誕生である。28日の引退相撲に向けて、愛弟子から最高のプレゼントとなった。
宮城野親方と揃って会見した落合は、「目標は幕内で優勝し師匠を泣かせることと、横綱になること」と力強く語った。
ケガなく順調にいけば、1年後には「三役昇進」もあり得る。朝ノ山も近々、三役に復帰するだろうし、現在大関候補と言われている若隆景や琴ノ若、阿炎、大栄翔なども、うかうかしておれない状況だ。大相撲に詳しい人しか知られていないが、来場所幕内に昇進するであろう北青鵬、そして十両の湘南の海、狼雅なども場所ごとに強くなっている。今場所不振だった王鵬も、きっと巻き返すだろう。若手成長株の活躍から目が離せない。
落合哲也(おちあい・てつや)
平成15年8月鳥取県倉吉市生まれ。小学生の時、はじめはサッカーに夢中だったが、父・勝也さんの勧めもあり鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞った。鳥取城北高2、3年時に高校横綱になった。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせた。平成22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。
179センチ、156キロ。得意は突き押し、左四つ、寄り。
明朝(1/25)は平地でも5~10㌢の積雪の予報だ。最低気温もマイナス4度になると。交通マヒが生じたり、水道の凍結が心配されるが、庭の雪景色は見たい気もする。
四国西南の田舎で育ったが、毎冬2~3回、5~10㌢の積雪があった。山間部では30㌢を超えることも。豊後水道(宇和海)からの湿った気流が千㍍前後の山に当たって雪となる。雪が降ると、雪合戦やソリ遊びなどで楽しんだ。ただ気温が比較的高いため溶けやすい。夜間はそれが凍る。それを繰り返し、雪が積もると1週間くらいは運動場が普段のようには使えなかった。中学・高校と陸上競技部で長距離をやっていたが、運動場が使えないと学校の周囲や一般道路を走ることになった。55~60年前は今のように車が多くなかったので、どこでも安全に走ることができた。現在は、田舎でも国道を走ることは危険である。
今日は明るいうちに外の散水栓などの保護をして、凍結に備えたいと思っている。
大相撲初場所は、貴景勝の3度目の優勝で幕を閉じた。埼玉栄高校の後輩との相星決戦は、すくい投げが見事に決まった。琴勝峰は真っ向勝負で挑み、立派だった。
ところで、NHKテレビ中継の解説者を務める元横綱K氏の体たらくは酷すぎる。解説自体も酷い内容だし、遊び半分の服装は視聴なめている。せめて千秋楽くらいは威儀を正してほしいと願ったが、本日は赤い革ジャンパーだった。視聴者に対しても、力士に対しても失礼極まりない。
このN氏の解説は15日間のうち5~6日だが、他の解説者はすべてスーツにネクタイである。アナウンサーも、もちろんである。
ネットでは、この方の現役時代の八百長相撲が非難の対象になっている。事実関係は分からないが、いい加減な解説や無礼な服装に接していると、「さもありなん」と思ってしまうのだ。現役時代、横綱には昇進したものの佐田の山や栃ノ海、玉ノ海などとは比較にならない、いい加減な相撲をとっていた印象が強い。
このような方を永年解説者として重用しているNHKもNHKである。私は、K氏が解説を担当する際は、相撲中継を「消音」して見ている。
来場所(3月)は、大阪府立体育会館での開催だ。今場所以上の熱戦を期待する。
テニスの全豪オープン(オーストラリア/メルボルン)において、第31シードの西岡良仁は、ベスト16にコマを進めた。日本人として松岡・錦織に続き3人目の快挙だ。
本日、第18シードのK・ハチャノフとの4回戦がジョン・ケイン・アリーナの第3試合で対戦する。日本時間22日の12時30分(現地14時30分)以降に開始予定。両者は3度目の顔合わせでハチャノフの2勝1敗。直近では2022年のシティ・オープン(アメリカ/ワシントンDC、ハード、ATP500)3回戦で対戦しており、7-6 (7-2), 7-6 (7-1)のストレートで西岡が勝利している。
西岡は錦織の陰で目立たなかったがめきめき力をつけており、今や日本のエースである。この試合に勝てば、準々決勝で第10シードのH・フルカチュ(ポーランド)と第29シードのS・コルダ(アメリカ)のどちらかと対戦する。さらなる活躍に期待する。
昨日午後、大和高田市に住む友人宅に招待して貰った。友が自ら包丁をふるった「牛すき」と「おでん」をご馳走になった。もう一人の友と三人で大いに痛飲した。
若い頃、ランニングやトライアスロンの練習で共に汗をかいた仲間であり、いろいろな思い出話が弾んだ。一人は84歳になるが、いまだに走っておられ、時折レースにも出場されている。招待してくれた友は2歳年下であり、室内装飾の仕事に週3~4日 携わっている。
同好の(であった)気の置けない友が6~7人居るので、呼びかけて近いうちに一献傾けたいものだと言い合って別れた。このような機会を作ってくれた友に感謝する。
『論語』全篇を朗唱し録音したものを、友人たちにEメール配布したとことはお伝えしたとおりだ。あるお一人から「スマホにダウンロードして通勤途上などに聴く。友人にも配布したい」と……。「『論語』のよさを一人でも多くの方に」と思っている私にとっては、願ったり叶ったりである。
本日午前、三生連の「論語に親しむ会」が開かれる。103回目だ。他の教室・塾を合わせると600回の節目となる。
中之島図書館(大阪)での論語塾も、来年度も継続が決まっている。今後も求められる間は、続けていきたい。
1000回を目標にする。
中国の人口減が続いている。随分前に14億人は下回っているし、インドに追い越されているという話も流布されている。
成長率もマイナスになっているはずなのに、プラスで発表されている。地方の公務員の給料は半分しか支払われていないとも……。経済状況は酷い状況になっているらしい。数十年先には、国民総生産(GNP)は米国を追い越すのではと言われていたが、「無理だ」の声が大きくなってきた。そのとおりだろう。
以前から中国の統計は嘘が多く、信用できないというのは定説だ。日本のマスメディアは、例の「記者協定」により中国の不利になることは報道しない。そろそろそんな「記者協定」は反故にすべきだと思うのだが。
紀元前3000年前後に、ユーラシア大陸に生まれた古代文明は、「世界の四大文明」と呼ばれます。
・メソポタミア文明
・エジプト文明
・インダス文明
・中国文明
この四大文明というのは、世界では必ずしも有名な学説ではないのですが、なぜか日本では良く知られています。それぞれ、大河の流域に誕生した文明です。
例えば、エジプト文明は、ナイル川の定期的な氾濫によって運ばれる肥沃な黒い土を用いた灌漑農耕のはじまりにより、一つの文明が築かれました。そうした灌漑設備が整うことにより農業が盛んになり、中央集権的な国家が出来始めたことが四大文明の例として知られています。
自然が過酷であることから、道路や運河、灌漑施設を作ることで村落を形成していく、そのことが文明を作り出す一つの大きな要素になっていることは明らかです。
一方、日本は自然環境に恵まれているため、大規模なものを人工的に作る必要がありません。1992年に青森県で発掘された三内丸山遺跡は、まさにそのことを表しています。
紀元前5500年頃から紀元前4500年頃にかけて栄えた縄文時代の集落跡であり、四大文明よりも古いことが分かっています。狩猟、最終経済が行われ、樹木でつくられた集会場、神殿や祖先の墓が集落の中にありました。自然を活用して、自然の中で生きることができたわけで、都市をつくる必要もなかったのです。戦争がないので、城壁を築く必要もありませんでした。日本は縄文弥生の時代に、戦争というものをあまり意識していません。動物が侵入するのを防ぐための柵をつくっているぐらいです。そして、先ほど説明した四大文明は、いずれも自然を破壊したことで消滅していきました。
インドで成立したインダス文明は、流域の樹木が乱伐されたことにより、洪水が起きるようになり衰亡しています。樹木の乱伐が原因であったということに、都市国家というものが、自然と調和する文化ではなく、自然を破壊する文化であったことを認識しなければなりません。私たちはもっと自然という要素を重視していくべきでしょう。
世界史の舞台に最初に現れた古代文明が、メソポタミア文明のように自然を開発することで、自然と対立するものであったり、インダス文明のように、樹木を乱伐したことによって衰退してしまうものであったりすることに、文明の否定的な側面が現れているのです。それらと比べると、日本の縄文文明は、衰退することなく徐々に変化していきました。それは縄文文明が、自然を生かし、自然と融合する文明であったことを表しています。まさに、縄文文明は世界の四大文明に匹敵します。
田中 英道 東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授 1942年生まれ 東京大学文学部卒業
縄文文明は、四大文明よりも古いのである。中国文明よりも。
令和5年が明けて半月が過ぎました。中国武漢から発生した新型コロナウイルスの災禍は未だ収束に至らず、昨年2月に始まったロシアのウクライナへの軍事侵攻も停戦の兆しは見えません。戦後の安全保障の枠組みが揺らぐ中、我が国は現下の東アジア情勢にも鑑み「安保3文書」を改定し、防衛力の増強を図ることに舵を切りました。
多事多難なりける令和の世かな、と嘆息せざるを得ませんが、戦後体制の欺瞞を直視することなく、「平和の毒」をそうと自覚しないまま長く惰眠を貪ってきた我が国が、独立国とはなんぞやということに覚醒する時機が否応なしに到来したと云えます。
昨年4月に書いて途中だった標題について、筆を執ることが出来なかった怠惰をお詫びするとともに、我が国民が内包する本質的な問題を改めて指摘したいと思います。
「戦いを放棄すれば命は救われるのか」という問いは、ロシアのウクライナ侵攻に関し、「戦う一択ではダメだ!」とか「(ウクライナ国民は) 抵抗せず国外へ避難すべき」とかの発言を繰り返す橋下徹氏やテリー伊藤氏らへの反問として書き進めました。前回、早稲田大学教授の有馬哲夫さんの『日本人はなぜ自虐的になったのか』(新潮新書)を引いて、世界の歴史を振り返れば〈戦争準備を怠った国ほど戦争に巻き込まれ、ひどい目に遭って〉いること、それを知っている多くの国の人々は、平和を祈りつつも〈敵国が付け入ることがないよう、戦争の抑止になるよう、できるだけ強力な軍事力を手に入れたい〉と考えている、それが「普通の国」であると述べました。
では、そうした「普通の国」と日本の違いは何か。有馬さんの答えは、〈「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」があるか、ないかの違い〉というものです。「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」は、大東亜戦争後の連合国最高司令官総司令部(GHQ)による占領政策とウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
(War Guilt Information Program)によって、戦後日本人の思考様式に組み込まれたものです。ちなみに、WGIPを「戦争についての罪悪感を日本人の心に 植え付けるための宣伝計画」と訳したのは江藤淳で、日本側から占領史を語る上での適訳だと私は考えています。
近代の戦争は、敵国を軍事的に敗北させることだけでは終わりません。イラク戦争で米国のブッシュ大統領が「サダム・フセインを打倒してイラクを民主的な国にする」と宣言したように、軍事戦に続いて政治戦と心理戦を行うことで、敵国に対し将来にわたる脅威を取り除き、制御可能とする体制を築くことをめざします。
大東亜戦争後の日本を占領した米国が達成すべき最重要目標は、〈日本人の心を支配し、「戦争能力」を奪い、「2度とアメリカに立ち向かうことがないようにする」ことでした。〉「WGIP」が心理戦、「民主化」の名のもとに行われた「五大改革」が政治戦です。これらの詳細については、前掲の有馬さんの著作に明らかにされているので御一読を乞うものですが、「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」については端的に紹介しておきます。
前者は〈「先の大戦とその周辺の時期に日本のしたことはすべて誤りで、悪いことで、アメリカをはじめとする連合国のしたことはすべて正しい」という偏向した見方〉で、後者は〈「日本は悪い戦争をしたから負けた。だから、アメリカをはじめとした 旧連合国のいうことが無理筋でも、歴史的事実とは違っていても、罰として受け入れるしかない」という考え方〉です。
戦後日本は、「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」によって、自らの精神や思考に枷(かせ)をはめ、独立国のなんたるかを忘れても、それによって恥ずかしくとも、後ろめたくとも思う必要がないように、「平和主義」であると瞞着(まんちゃく)してきました。戦いを忌避することが平和に通じるという姿勢は、国防における「専守防衛」という欺瞞、具体的には反撃能力(敵基地攻撃能力)の否定につながって、これはいまも国民の多数派ではないかと思います。
「独立」の意志を堅持すること、軍事力を持つことは、即好戦的であることを意味しません。独立国にとって、戦う覚悟を持つこと、準備することは必須です。それを発動するかどうかは相手と国際情勢によります。
前回触れた永世中立国スイスの決意は、再論ながら「戦争を防ぐために戦争の準備を怠ってはならない」というもので、スイスの平和は、一定の軍事力と一旦緩急あれば一般国民も銃を手に起つという意志で保たれています。スイスはなぜ第二次世界大戦中でも中立を守り通せたのか。スイスは緊迫する情勢下、「侵略を受けたときは徹底して戦い、絶対に降伏してはならない」という法律を制定し、仏独から戦闘機を大量購入し、さらにライセンス生産によって航空戦力を強化します。開戦と同時にスイスは「武装中立」を宣言、侵略者には「焦土作戦」で臨むことを決めます。侵入してくる他国軍隊とは徹底的に戦い、領空侵犯する航空機は連合国、枢軸国を問わず撃墜する。スイス政府は最大で八十五万の国民を動員し、スイス空軍は約200機を失いながら、連合国側・枢軸国側を問わず領空侵犯機を迎撃しました。欧州全土が戦火に焼かれた戦争で、スイスはその国土を「戦う」ことによって守り抜いたわけです。
こうした歴史を持つスイスは大戦後も『民間防衛』(邦訳・原書房)という手引書を国内の全家庭に配布し、武器の備えと一定期間の軍事訓練を国民に課しています。『民間防衛』の〈まえがき〉でスイス連邦法務警察長官はこう国民に語りかけます。〈国土の防衛は、わがスイスに昔から 伝わっている伝統であり、わが連邦の存在 そのものにかかわるものです。そのため、武器をとり得るすべての国民によって組織され、近代戦用に装備された強力な軍のみが、侵略者の意図をくじき得るのであり、これによって、われわれにとって最も大きな財産である自由と 独立が保障されるのです。(略)われわれの最も大きな基本的財産は、 自由と独立です。これを守るために、われわれは、すべての民間の力と軍事力を一つに合わせねばなりません。しかし、このような侵略に対する抵抗の力というものは、即席にできるものではありません。(略)われわれは、脅威に、いま、直面しているわけではありません。この本は危急を告げるものではありません。しかしながら、国民に対して、責任を持つ政府当局の義務は、最悪の事態を予測し、準備することです。軍は、背後の国民の士気がぐらついていては頑張ることができません。(略)
一方、戦争は武器だけで行われるものではなくなりました。戦争は心理的なものになりました。作戦実施のずっと以前から行われる陰険で周到な宣伝は、国民の抵抗意思をくじくことができます。精神――心がくじけたときに、腕力があったとて何の役に立つでしょうか。反対に、全国民が、決意を固めた指導者のまわりに団結したとき、だれが彼らを屈服させることができましょうか。民間国土防衛は、まず意識に目ざめることから始まります。われわれは生き抜くことを望むのかどうか。――国土の防衛は、もはや軍にだけ頼るわけにはいきません。(後略)〉
これが国防における現実感覚というもので、戦後多くの日本人が失ってしまった感覚でしょう。『民間防衛』の〈訳者あとがき〉は 概略こう述べます。
「戦後の日本人が思い浮かべるスイスのイメージは、美しいアルプスを見上げる牧場であり、羊飼いの少年少女の恋物語であり、何より戦乱の歴史を 繰り拡げてきたヨーロッパにおいて、百五十年以上にわたって平和を享受してきた国であった。このイメージ自体は必ずしも誤りではない。『アルプスの少女ハイジ』の世界はたしかにある。しかし、戦後の日本人がこの平和愛好国スイスを語るとき、なぜかスイス国民の平和を守るための覚悟と努力、国民一人一人の大変な負担とこれに耐えぬく気迫という現実には目をつぶり、ともすれば、かかる努力によってはじめて開花した平和という美しい花にのみ気をとられてきた。」
まさに戦後の日本は、現行憲法前文にある「平和を愛する諸国民」を自明に信じ、〈平和を守るための覚悟と努力、国民一人一人の大変な負担とこれに耐えぬく気迫という現実には目をつぶり〉、〈平和という美しい花にのみ気をとられてきた〉わけです。
ソ連崩壊後に独立したウクライナも、国連安保理常任理事国(米英露)による領土保全と政治的独立の保障(1994年、ブタペスト覚書。仏中両国も別文書で ウクライナに安全保障を提供)を以て、ソ連時代に配備された約1900発の核弾頭の撤去に応じました。ところが、当のロシアによって「ブタペスト覚書」は反故にされ、2014年3月、国連はウクライナ領土の一体性を保障したにも拘わらず、クリミア半島は併合され今日の事態につながっています。戦うことを放棄すれば、相手は寛容な態度で接してくれるはずだ、というのは願望です。今もウクライナ国民がロシアの侵攻に抵抗し続けているのは、矛を収めても自らが保証されないと痛感しているからです。ロシアによってさらに蹂躙される、大きな犠牲を払うことになると考えているからです。
翻って私が思い出すのは、平成27年(2015)、安倍政権が進めていた安全保障関連法案への反対運動の一景です。SEALDsという若者たちのグループが左派の運動家やマスメディアに持て囃されたことを覚えておられるでしょうか。SEALDs主催の国会前デモで別の団体に所属する福岡の大学生がこう発言して注目を浴びました。「そんなに中国が戦争を 仕掛けてくるというのであれば、そんなに韓国と外交がうまくいかないのであれば、アジアの玄関口に住む僕が、韓国人や中国人と話して、遊んで、酒を飲み交わし、もっともっと仲良くなってやります。僕自身が抑止力になってやります。抑止力に武力なんて必要ない。 絆が抑止力なんだって証明してやります。」
日本を取り巻く安全保障環境への現実認識が欠落し、「美しい花」にのみ気をとられ、なぜ美しい花が咲き誇れているのか、その弛まぬ努力、苦労に思い至らない。この若者の発言は、たとえば橋下徹氏の一連のツイートの文言に通底します(百田尚樹さんの近著『橋下徹の研究』[飛鳥新社]を御参照あれ)。安保法制整備の論議の際に叫ばれた「戦争法案反対!」という観念の遊戯のようなスローガンに共鳴するスイス国民はいないか、いてもごく僅かでしょう。「自虐バイアス」と「敗戦ギルト」に囚われている限り、東京裁判史観から脱却出来ず、「独立」への意志は、日本がまた侵略戦争を起こす道に違いないと思い込んでしまう。
日本は反省と謝罪を繰り返し、この列島に縮こまっているほうがいい、それで世界の平和は保たれる、となる。中国の核も、北朝鮮の核も脅威には見えない。日本は他国を侵略しない。しかし、他国に日本の国土と国民の命が脅かされたときは自衛のために断固戦う。少なくとも戦う権利は放棄しない。これが危険思想ならスイスも平和愛好国ではなく危険な国家ということになります。戦うことを悪の領域に縛り続けることは、自らの自由な意志を失うことであり、命を守る最善の選択でもない。
有馬さんは前掲書の「終章」をこう結んでいます。〈「戦争はどんな戦争も悪である」と信じ、 ひたすら言葉だけで平和を 唱えているわけにはいきません。 戦争を抑止し、回避するために、そろそろ必要とされる歴史リテラシーと 軍事リテラシーを身に着け、日本を「普通の国」にすべきだと思います。〉
上島嘉郎 「正論」元編集長
「自虐史観を捨て、日本人として堂々と生きなければならない」と常に思っている。そのように日々送っているが、「自虐バイアス」「敗戦ギルト」という言葉は初めて聞いた。無知を痛感する。
小学校や中学校で、「スイスは他国と如何なる場合も戦わない『永世中立国』だ。日本も見習うべきだ」と習った。教師も米国の策略に見事なまでに嵌り、自虐史観に苛まれていたのだろう。否、私も教職にあったが、多くの同僚が苛まれていたと言えよう。永く課題となっていた式典における国旗・国歌の問題も、根底には……。
今思い起こしても、子どもときに私が出会った学校の教師は、人間的に尊敬できる方がほとんどだった。ではあるが、「日本軍人は、米欧に虐げられているアジアの同胞の解放のために立派に戦った」と教えてくれる先生には出会えなかった。「日本人は優れている。胸を張れ」と言ってくださる気骨のある教師には恵まれなかった。教育委員会の意向に逆らう事は難しかっただろうが。
中学のとき、ある教師が「日本車は100年経っても、アメ車やドイツ車に追いつけない」と言われた。私は即座に「そんなことはない。日本人は優秀だから……」と言い返した。何の確証も無かったが、「追い越せるように君らがその先陣に……」と先生には言ってほしかった。児童生徒に夢を語り、希望を持たせるのが教師の務めだろうと思ったからだ。その教師は鼻で笑っていた。日本車のめざましい発展はご存知のとおりである。
とにかく、上島氏の言われるように、「戦いを放棄して国は守れない」のである。政府が防衛力の増強に注力し始めたことは、まことに喜ばしいことだ。日本人の一人ひとりが目覚めなければならない。(谷口利広)
『大寒』はまだだし(1/27)季節は冬だが、植物は春に備え着実に歩を進めている。
拙庭のハクモクレンの花芽もまだ小さいが、目を凝らすと僅かずつ大きくなっている。その数ざっと千個、今春も花どき、ご近所の方や往来の方々の目を楽しませてくれるだろう。例年、町外などの遠くからわざわざ鑑賞に来ていただける。開花は3月10日頃になるだろう。その時期、雨の少ないことを祈る。
モミジの葉芽も、日々微かに大きくなりつつある。庭いじりを趣味とする人しか分からないかも……。樹木は葉が茂った緑滴る姿ももちろん美しいが、落葉樹の裸木の姿も実に風情がある。現役で務めていた時期には見逃していたものも、今はゆったりとした気持ちで鑑賞できる。そんな事を申し上げると、余程暇なのかと思われるだろう。が、やらなければならない事は現役時代と同じくらいにある。ただボランティアや趣味の世界のことだから、「追われる」といった切迫感は限りなく薄い。言い換えれば、気楽にやれるのである。
サツキを含むツツジ類の状態も良好だ。例年3月に入ってからの庭木への薬剤散布、今年の1回目は2月の中旬に行なおうと思っている。
翠富士、あっぱれ
昨日7日目、結び貴景勝と翠富士の一戦は、両者気迫溢れる相撲だった。国技館を訪れたファンも堪能したことだろう。
翠富士は小さい体ながら連日闘志十分な相撲、負けたとは言えお見事の一語だ。
正代に翠富士の気迫があれば、10勝はたやすい事なのだが……。昨日で5敗となり、大関復帰には崖っぷちである。
「CO2ゼロ」は世界の潮流か
日本では、「CO2ゼロ」が「世界の潮流」だと認識され、それに疑問を呈することが憚られる風潮があるが、では世界の国々はどれほど熱心に「CO2ゼロ」に取り組んでいるのか。
確かに、西ヨーロッパのエリート、国連のエリート、そしてアメリカ民主党のエリートたちは一生懸命に「脱炭素」と言っている。そのため気象サミットや温暖化枠組条約締約国会議(COP)では「脱炭素」が絶対ということになっているが、それが世界の潮流かというとそうではない。
例えば、ヨーロッパでも東欧は脱炭素なんてまったくやる気が無い。これから経済成長したいと思っている国にとって「CO2ゼロ」は迷惑な話である。米国でも温暖化をまったく信じていない共和党議員がたくさんいる。日本はどうかと言えば、国際会議では西欧諸国や国連があれこれ言うから、「温暖化対策は待ったなし」「2050年にCO2実質ゼロ」に一応同調してはいるが、実際にこれらの国々が作っているエネルギー計画を見れば、まったく「CO2ゼロ」を目指していないことが分かる。
そもそも「CO2ゼロ」に実現性があるのかという問題がある。世界のCO2排出量(2018年)は、中国28.4%、アメリカ14.7%、EU+イギリス9.4%、インド6.9%、ロシア4.7%。日本3.2%。つまり、中国とアメリカで世界のCO2排出量の4割以上を占めている。この2国が本気にならなければCO2は減らない。では、米中両国のスタンスはどうか。兵国はバイデン大統領が温暖化対策に熱心で、2030年にCO2を半分に、2050年にゼロにすると言っている。しかし、米国は石油・ガス・石炭産業が世界一発達した国だ。共和党はバイデン政権の脱炭素政策に反対。身内の民主党内でも穏健派、とりわけ選出州にエネルギー産業をもつ議員は、極端な脱炭素政策には反対している。最近も民主党議員が、バイデン政権が提出している関連法案を徹底的に批判して潰してしまった。バイデンが進めようとしても民主党から少しでも造反者が出れば法案は通らないというのが現状で、米国は脱炭素などできないのである。
一方、最大のCO2排出国である中国は2060年にCO2を実質ゼロにすると言っているが、これは遠い将来の話でしかない。現実的な話としては5年後、10年後どうするかが大切だ。中国は2024年まではCO2を1割増やすと言っている。中国のCO2排出量は日本の10倍だから、その1割といえば日本の年間排出量と同じ量のCO2を増やすと言っているのである。現在、石炭使用量は過去最高を更新中で、CO2を大量に排出している。2025年以降は排出量を削減するとも言っているが、それは大幅に増やし続けてきた排出量をそれほどは増やさないと言っているだけだ。結局、ここでもCO2排出量は増えることになるだろう。つまり、「CO2ゼロ」は世界の排出量の4割以上を占める米中が本気にならない限りCO2は減らないわけで、仮に日本が「CO2ゼロ」を達成したとしても大勢に変化はない。これが世界の現実である。
「脱炭素」で行き詰まるドイツ
西欧諸国の多くはエネルギー危機に陥り、「脱炭素」どころではないというのが現状である。最も熱心に「CO2ゼロ」に取り組んでいるドイツがその典型だ。ドイツはこれまで脱原発政策を進めてきて、すべての原発を止めることになっている。化石燃料も石炭火力はゼロをめざして減らしている。地下にシェールガスが埋蔵されているが、今のところ開発していない。ドイツは電力の半分近くを再生可能エネルギーでまかなうなど、エネルギー政策では風力発電と、もう1つはロシアからの輸入ガスに頼ってきた。ロシアのウクライナ侵略により、天然ガスの輸入は滞りがちだ。
風力発電はドイツが世界の先頭を走ってきたが、2019年以降は風力発電所の新設のペースが著しく落ちている。理由は生態系への影響、景観、騒音等で、特に野鳥が風力発電の羽根に当たって沢山死んでいることが大きな問題とされている。風力が環境に優しいというわけではないのだ。ロシアからのガスが止まれば、工場は稼働できず、家庭では暖房が思うように使えない。ダメージは大きいと言える。結局、「CO2ゼロ」「脱炭素」といえば、なにか環境にやさしいイメージがあるけれども、再生可能エネルギーに依存して化石燃料を軽視し過ぎてしまい、エネルギー構成がバランスを欠くと、ドイツのようになってしまうということだ。
中国だけが儲け、日本経済は破滅する
日本では、太陽光や風力で発電し、それで工場を動かし、電気自動車を走らせれば、「CO2ゼロ」が可能だと考えている人もいるが、ドイツの例を見れば、そんなに簡単ではない。世界で2050年に「CO2ゼロ」を目指すことになっているが、実は技術的に、また経済的に、どのようにして「ゼロ」を達成するのか、具体的な計画をもっている国は1つもない。日本も「2050年ゼロ」と言わないと後ろ向きだと糾弾されるので、宣言したわけだが、実施可能性はろくに検討されていない。
「CO2ゼロ」を実現する技術にしても、例えばCO2を発電所や工場から回収して地中に埋めるCCUSとか、水素からにメタンを作る合成メタンなどがあげられているが、まだ実験室とかパイロットプラントのレベルでしかない。仮に、それらの技術が実用化されたとして、そのコストは原子力利用の幅によって大きく変わるが、年間43兆円から72兆円と試算されている。「CO2ゼロ」を実現するためにそれだけの予算を使うというのはとても受け入れられる話ではない。そんな予算があるなら、例えば洪水被害を防ぐ治水対策に費やすべきだろう。
そもそも太陽光発電や風力発電で作った電気を使うと言うけれども、絶対に採算が合わない。太陽光は太陽が陰ったら発電しないし、風力は風が止まったら発電しない。そのために、太陽光や風力を利用しようとしたら、常に火力発電所を稼働させてバックアップすることが必要になる。再生可能エネルギーで発電しようとしたら、発電所は二重投資になって大変なコスト高となるのである。それは電気料金の値上げという形で国民に跳ね返ってくる。問題はそれだけではない。太陽光発電、風力発電、電気自動車はそのいずれもが、いまや中国が最大の産業を有している。日本や西欧が「CO2ゼロ」の実現に向けて巨額の温暖化投資をするとなると中国から輸入することとなる。言い換えれば、日本や西欧は「CO2ゼロ」で国力が弱体化する一方で、CO2を排出し続ける中国は国力が強くなる。そんなバカみたいな話になるわけだ。
さらに、中国製の発電設備が日本や西欧の電力網に多数接続されると、サイバー攻撃のリスクが高まる。中共の指令があればいつでも大停電を起こし、主要な社会維持機能が麻痺してしまうリスクに晒されることになる。「CO2ゼロ」というのはエネルギー問題という分野にとどまらず、国家の安全保障に直結する問題なのである。日本は中国の軍事的脅威に晒されているが、それと温暖化の脅威とどちらが大きいか。国家の安全保障という観点から見れば答えは明らかである。
温暖化で気温はどれほど上昇したのか
「CO2ゼロ」は、それを達成しないと「温暖化で地球が危機になる」と言われているからですが、そもそもそんな危機的状況になっているのか。日本では多くの方が「このまま進めば地球の生態系が破壊され、災害が増える。温暖化の原因は化石燃料を燃やすことで出るCO2だから、これを大幅に削減することが必要だ」というふうに思っている。しかし、これは事実ではない。国連とか政府の御用学者やマスコミからそういう「物語」を繰り返し聞かされて、みんな信じてしまっているだけなのだ。私もそうした「物語」を語っていれば出世するかもしれないが、青臭くても本当のことを言わなければ科学者ではないと思っているので、温暖化を巡ってファクトフルネス(データをもとに世界を冷静に見る習慣)に立って誰でも見ることができる公開データを紹介して議論しているのだ。
非常に大雑把な話をすると、地球の大気中のCO2濃度は現在約410ppmで、産業革命前の1850年頃の280ppmに比べて約5割増えている。一方、地球の平均気温は産業革命前に比べて0.8℃上昇した。日本の気温上昇は過去百年当たりで0.7℃。これは気象庁が発表している公式の数字である。だから、気温が上昇し地球が温暖化していることは事実なのだ。しかし、この気温上昇がどの程度CO2の増加によるものかはよく分かっていない。最近、猛暑になるたびに「地球温暖化のせいだ」と言われるが、事実はまったく違う。日本の気温上昇が100年で0.7℃だから、1990年から2020年までの30年間では0.2℃程度上昇したことになる。しかし、0.2℃といえば体感できるような温度差ではない。2018年に気象庁は「熊谷(埼玉県)で最高気温が国内の統計開始以来最高となる41.1℃になった」と発表したが、地球温暖化がなければ熊谷は40.9℃だった、という程度の違いである。地球温暖化はごくわずかに気温を上げているに過ぎないのだ。
猛暑の原因は別にある。気象庁は夏の高気圧の張り出し具合などの自然現象と、都市熱による影響の2つを挙げている。都市熱についていえば、都市化によってアスファルトやコンクリートによる「ヒートアイランド現象」が起こり、家やビルが建て込むことで風が遮られる「ひだまり効果」も出る。こうした都市熱によって東京は既に約3℃も気温が上がっているのだ。東京から離れた伊豆半島の石廊崎では1℃も上がっていないが、これが地球温暖化による日本全体の気温上昇(0.7℃)に対応する数字と言える。温暖化が原因で猛暑になっているわけではないのだ。
北極グマの絶滅も沈む島もフェイク
近年、台風や集中豪雨による被害が発生し、そのたびに「地球温暖化の影響」と報道される。台風について言えば、増えてもいないし、強くもなっていない。気象庁の統計で1950年以降の台風の発生数を見ると、年間25個程度で一定している。勢力が「強い」以上に分類される台風の発生数は1975年以降、15個程度と横ばいで、増加傾向は認められない。1951年以降10個の超強力台風が上陸したが、1971年以降はほとんどなく、1993年以降は上陸していない。豪雨も観測データでは増えていない。理論的には過去30年間で気温が0.2℃上昇したのだから、その分の雨量が増えた可能性はあるが、それでもせいぜい1%程度である。豪雨も温暖化のせいではない。
誤解を恐れずに言えば、温暖化の悪影響という話はほとんどフェイクニュースである。実際、これまで地球温暖化の影響で起きると言われた不吉な予測はことごとく外れてきた。例えば、北極グマは温暖化で海氷が減って絶滅すると騒がれたが、今では逆に増加している。クマを殺さず保護するようになったからだ。海抜数メートルのサンゴ礁の島々が温暖化による海面上昇で沈んでしまうと言われたが、現実には沈没していない。サンゴ礁は生き物なので海面が上昇するとそのぶん速やかに成長するからで、逆に拡大している島もあるほどだ。
結局、温暖化はゆっくりとしか進んでいないし、その影響で災害が増加しているわけでもない。温暖化の理由の一部はCO2だが、それ以外の要因も大きく、CO2の大幅排出削減は「待ったなし」ではない。これが温暖化の科学的知見だと言える。
温暖化の脅威よりも中国の脅威が深刻だ
行儀のいい言い方をすれば、ファクトはこうだということをきちんと示して、間違った報道があればそれに反論してゆくしかないと思っている。しかし、この問題ではむしろ脱炭素を推進すればするほど経済的ダメージを受ける人たち、つまり地方の工場や地方経済の担い手に声を上げてもらうことが重要である。同時に、その人たちを受け止める議会や行政といった政治的な受け皿も必要である。そういう受け皿があれば「では、科学的知見はどうなっているの?」と議論する土俵ができると思うからだ。
米国では共和党が実際にそういう受け皿になっているし、英国の保守党でも同様の動きが出てきている。日本でも、脱炭素で経済的ダメージを受ける人たちの声を掬い取って、国会や地方議会においてそうした動きが出てくることを期待する。
「CO2ゼロ」に対して議論を起こす一方、政府の「CO2ゼロ」に対する軌道修正が求められるが、軌道修正というより、「CO2ゼロ」の話が全部ウソだとしても、なんとか日本の国益に繋げるやり方を考えなければならない。例えば、CO2削減のコストの問題である。いくらCO2が減っても高コストであれば誰も使わないけれども、安くてCO2が出ない技術が出てくれば、みんな喜んでやるはずだ。そうした技術を生み出す上で重要なのは、裾野の広い製造業の基盤であり、それこそ日本の強みである。そうした製造業全体の総合力のなかから新技術も生まれるし、コストも下げられると思う。また、技術基盤の充実に国をあげて注力していけば、「CO2ゼロ」の話がどうであれ、必ず国益に繋がる。
繰り返しになるが、日本にとって大事なのは温暖化の脅威よりも、中国の脅威である。日本は経済力、技術力を含めた総合的な国力で中国に負けてはいけない。経済も技術も国の安全を守るためにあるのだ。「CO2ゼロ」を実現せんがために経済がダメになったり、技術力が失われたりするのでは元も子もないのである。
キャノングローバル研究所 杉山大志
杉山 大志(すぎやま たいし 1969年- )
エネルギー・環境研究者。地球温暖化問題およびエネルギー政策を専門とする。地球温暖化による気候危機説については懐疑派である。
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特任教授。2004年より気候変動に関する政府間パネル(IPCC)評価報告書等の執筆者。産業構造審議会産業技術環境分科会 地球環境小委員会地球温暖化対策検討ワーキンググループ委員。総合資源エネルギー調査会省エネルギー・新エネルギー分科会省エネルギー小委員会工場等判断基準ワーキンググループ委員[6]。2020年より産経新聞「正論」欄執筆陣。
北海道生まれ。1991年東京大学理学部物理学科卒業。1993年東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修了、電力中央研究所入所。1995年から1997年まで国際応用システム解析研究所(IIASA、オーストリア)研究員。2017年キヤノングローバル戦略研究所上席研究員、2019年より現職。所属しているキヤノングローバル戦略研究所のほか、『アゴラ』や『JBpress』、『WiLL』にも寄稿している。また、NPO法人国際環境経済研究所のウェブサイト掲載記事において、イギリスの懐疑論ロビー団体である地球温暖化政策財団の記事を解説している。2004年にIPCC第4次評価報告書の第3作業部会(WGIII)に参加して以来、評価報告書等の執筆者を務める。(ウィペキアから)
みなさんには、「大嘘」を見事に論破している杉山氏のこの論説を繰り返しお読みください。
そして、「地球温暖化のウソ」に騙されないでいただきたいのである。(谷口利広)
12日の読売新聞夕刊によれば、「米国海洋大気局は12日、2022年の世界の平均気温が14.76度となり、信頼できる観測記録の残る1880年以降で6番目に高かったと発表した。
暑い年の上位9位は直近9年間が占め、地球温暖化が進んでいるとみられる」と。「2022年は、20世紀の平均気温(13.9度)を0.86度上回る14.76度だった。産業革命前のデータとして代用できると考えられている1880~1900年と、1.06度上昇していた」とも。
世界の平均気温は、約140年前から1.06度の上昇である。1度の違いは、気を付けておれば何となく分かるという程度だろう。この記事の見出しは、「世界の気温6番目の高さ」であると。明らかに読者を『気候温暖化』、ひいては『脱炭素化』に向けようとする印象操作である。
新聞・テレビなどには、こういった印象操作がかなり多い。私たちは鵜呑みにしないで、「事実かな、嘘が混じっていののではないか」と疑ってみることも大事だ。何が真実なのかを見極めたい。
西村康稔経済産業相は5日(日本時間6日未明)、米戦略国際問題研究所(CSIS)で、日本が2023年の主要7カ国首脳会議(G7サミット)議長国として優先して取り組んでいく課題などについて約40分間、講演した。
供給網の強化へ友好国の連携を呼びかけたのだ。対立する国を貿易制限などで経済的に威圧する行為を繰り返す中国を念頭に、国際的に協調して対抗策を準備する必要性を説いたのである。
中国は新型コロナウイルス問題などで関係が悪化したオーストラリア産ワインの輸入を止めた。過去には日本へのレアアース輸出を制限した。西村氏はこれらの具体例に触れ、不当な輸出入制限について「今そこにある現実の危機」との懸念を示した。「どうやれば威圧を抑止できるかについて検討を進めるべきだ」とも訴えかけた。「チョークポイント」と呼ぶ供給網の要所を把握して友好国で、集団で対抗する効果を強調した。G7サミットでも重要議題になると位置づけた。
米国が同盟国に導入を求めている先端半導体の対中輸出規制については直接の言及を避けたが、経済安全保障上のリスクとなる技術流出などに対処するには「輸出管理による協力強化が極めて重要」と改めて強調した。「米国などと意見交換しながら国際的な協調のもと厳格な輸出管理を行う」と述べた。国際協調を巡り「保護主義はあってはならない」と言及する場面もあった。
米国が電気自動車(EV)購入時の税額控除を北米で組み立てた車に限ることについて、かねてから見直しを求めており、改めてけん制した格好だ。
国内のマスコミは、西村経産相の活躍ぶりを大きく報道していない。残念でならない。「媚中」で国益を損なうばかりの林芳正外務大臣に代わって、大きな働きをしている西村康稔経済産業相に大きな拍手を送る。
貴景勝と阿炎の注目の一戦は、阿炎の突っ張りを左からの強烈な押っつけで横向きにさせ貴景勝が一気に押し出した。
突っ張り合いの末、四つ相撲になると予想したが、大関にとっては会心の相撲となった。これで全勝は居なくなり、「貴景勝の優勝と横綱昇進」が濃厚になったと私は見ている。
2022年のはじめ、私は米中対立はこれからどうなるのかと言うことをみなさんに申し上げました。
それは、今は米中による第2次冷戦の真っ最中であり、バイデン政権になってもこの米中の冷戦構造というのはずっと続くということです。これは事実としてその方向になったと思います。
最近の話題で重要なことは、少し前にバイデンさんが日本に来たときの話です。彼は、台湾危機に関してはアメリカの曖昧戦略を否定して、明確戦略を取ると言ったのです。つまり、台湾がチャイナによって軍事的に攻撃されたとき、アメリカは約束を守って、台湾防衛に協力するということです。
「現状維持」を目指すアメリカのレトリック
アメリカが台湾を守ることを正当化する言い分には面白いものがあります。どういうことかというと、「アメリカはあくまで台湾海峡の現状維持を目指している」ということ。チャイナがいうワン・チャイナ・ポリシーは今もアメリカは守っていて、中国共産党の側が強引に変更しようとしているんだというレトリックになっているのです。これは、非常に良いことと言えます。というのは、今までも「現状維持」という言葉は使われていたのですが、「現状維持をしていない」といっていじめられていたのは台湾側だったということが多かったのです。今は逆に現状維持をしていないといって、チャイナ側を批判するように変わったということです。
これは、習近平さんが武力手段を行使しても、台湾を侵略して併合すると宣言して、軍事的圧力を強めていることが影響しているでしょう。ですから、「中華民国・台湾」という国が独立国であるという現状を守るためにアメリカは戦略を変えたのです。
迫る台湾有事のXデー
ここまでの話では、台湾情勢の緊急度が上がったことにより、米中の対立構造がよりはっきりしてきているということがいえると思います。では、実際にいつ戦争が始まる可能性が高いのかというと、習近平さんの周りにいるチームはそんな馬鹿ではありませんですから、いますぐ戦争を始めることはないでしょう。アメリカ国防総省の専門家に言わせると、2024年以降が危ないということになります。
昨年の終わりに、習近平さんは3期目に入りました。彼は、その第3期目のうちに台湾統一をやらないといけないという圧力を国内から受けていると考えられます。ですから2023年も、米中対立はますます激化する方向へと動いていきます。米中が対立すれば、その戦場になるのは日本ですから、日本もこれからどんな立場を取るのか、明確にしなくてはなりません。
国際政治学者・藤井 厳喜
中国の経済状況は酷いことになっている。公務員への給料も各地で滞っていると聞く。経済成長はマイナス20パーセント近くに落ち込むだろうとの海外からの予測だが、中共の公式発表ではいまだに5%は確保できるだろうと……。あり得ない話である。
コロナや経済不況に係わって、デモや暴動も各地で生起しており、それをもはや力で抑えつけることが出来ない。習近平の弱気が垣間見えるようになってきた。大企業での大幅なリストラも相次いでいるらしい。
そのような中、日米・日豪・日英・日仏・日伊などの連携は、日に日に堅固なものとなり、中国は徐々に身動きできなくなりつつある。いよいよ「中国共産党の崩壊」は現実味を帯びて来た。
大阪市内の地下鉄などで乗り合わせる中国からだろうと思われる訪日客の表情も何となく冴えない。そのように感じるのは私だけではないだろう。(谷口利広)
戦後70年、左翼による教育やマスコミが引導した日本を、いかに正常に取り戻すかの発想力で最も重要なのは、“日本の伝統・文化をどのように再評価するか”です。マルクス主義の歴史観では、文化は経済という「下部構造」の従属物だと考えられ、これまでの義務教育の歴史教科書は、すべて、文化を添え物としてのみ記述し、民衆的な表現のみを重視してきた傾向が強いものでした。
しかし、文化は決して「下部構造」に従属するものではなく、逆にそれを導くものだったのです。宗教文化はとくにそのことが顕著ですし、また、西洋文化が取り入れられると、それがいかに経済を変え、政治も変化させたかを人々は知っています。この文化と経済、政治の一体化は、日本人が日常的に感じることです。和歌も俳句の中で生まれるものです。
政治は日常の生活の法律をつくり、経済は生活に影響を与えます。しかし、基本は毎日の活動そのものにあります。それは、精神と物質のダイナミズムによって構成されるものなのです。まず、誤ったマルクス主義的な物質至上観を捨てなければなりません。階級社会ではなく、役割分担の社会であって、その役割の中で、人々は文化を見出だすのです。伝統・文化はそこで、生かされています。
縄文時代の火焔土器に始まる日本の芸術は、仏教美術にせよ、和歌を中心とする文学にせよ、語りをもとにする軍記物にせよ、すべて信仰生活の中でつくられてきました。その信仰の対象は自然であり、祖先であり、神々でした。また仏像であり、高僧の言葉であり、またその生き様でした。
いずれにせよ、それはあくまで日本の大きな自然の中で人間が展開してきたのです。それぞれの国や地域の文化を主張することは、決して他国と競争することではありません。お互いの文化を評価しあうことは、決して相手を否定したり、軽蔑したりするものではありません。基本的な世界相互の文化認識の問題なのです。それこそ真の意味での「多文化主義」なのです。
積極的文化外交のためには、もっと外務省、文化庁、そして観光庁が固く協力して行う必要があります。現在の縦割り行政の中で、外務省は日本の文化を知らないし、文化庁は外国の日本に対する期待感を知らないし、観光庁はただ招くことだけを考えて空回りをしています。
「おもてなし」は、最終的には、その家の宝物を見せないと、わざわざ遠くからやって来た御客は満足しません。そのことを銘記しなければならないのです。
田中 英道
東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する
国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
田中氏が言われるように、これまでの歴史教科書は、すべて、文化を添え物として扱い、民衆的な表現のみを重視してきた。文化は決して従属するものではない。文化が経済を変え、政治をも変化させてきたのである。
日本の文化・芸術は、すべて信仰生活の中でつくられてきた。信仰の対象は自然であり、祖先であり、神々だった。また仏像であり、高僧の言葉であり、先人の生き様であったのだ。
今こそ私たち一人ひとりが自虐史観からの脱却を図り、日本の伝統文化を見つめ直しつつ日本の尊厳を守り、次代に継承してゆかねばならないと思うのである。(谷口利広)
大相撲初場所が昨日、開幕した。初日、「満員御礼」となった。令和2年初場所千秋楽以来のことだ。
「1横綱・1大関」の異例の場所となった。これだけでも125年ぶりなのに、横綱照ノ富士が休場となり、1大関だけという異例づくしの場所となってしまった。しかし、若手にとってはまさにチャンス到来である。若隆景や琴ノ若、阿炎などは上をめざして、さらに闘志あふれる相撲をとってほしい。昨日は敗れたが、元大関の高安も、「今年の目標は先ずは初優勝、そして大関、横綱だ」と力強く語っている。私は、それだけの力は十分あると思っている。若手に負けず上をめざしてほしい。
この2週間、午後からは相撲観戦に終始することになり、「家人からの顰蹙を買う」ことになる。
令和5年の年頭に当り
〇不遜を戒め、森羅万象に対し感謝の心をもつ。
〇天照大神をはじめ、神々を崇敬し、先人祖先の遺徳を偲びつつ、心穏やかに手を合わす。
〇高潔な倫理観や道徳心に磨きをかける。
〇弱者への思いを自らの基本的行動規範とする。
〇常に「私心や保身は無かりしか」と問いかけ、国のため、公共のため、他者のために汗をかく。
〇学び続ける心、額に汗して努力を積み重ねる精神の堅持に努める。
〇忍び寄る老いに逆らいながらも、うまく付き合う術を模索する。
〇可能性を求めて飽くこと無く自らを高める。
そのような人になりたい。
「地球温暖化」「脱炭素」という言葉が蔓延って(はびこって)いる。「地球は温暖化しており、その原因は二酸化炭素の排出増加だ」という説だ。
これは「プロパガンダ」(政治的宣伝)であり、大嘘だ。これが世界的な流れとなり、おかしいと言いにくい社会状況が形成されている。高い識見をお持ちだと思われる方までもが、騙されている。異なる意見を述べるならば、異端視、白眼視される。大きな問題だ。
統計では、この150年の世界全体での平均気温の上昇は、1.5度であると。10年で、0.1度だ。0.1度は、ヒトの感覚では分からない。自然な変動の範囲内であるのに、「地球は温暖化している」と主張し、これを止めるには、「脱炭素化」が欠かせないと言う。
確かに、昔に比べて夏は暑くなっていると感じる。実際、子どものときに35度を超えるなどというのはほとんど無かった。テレビなどのニュースを見ていると「地球はどんどん暑くなっている」と思わされるが、これは偏った見方である。寒くなっている所もあるのだ。これまで雪の少なかったフランスやベルギーのある地方で、またイタリアのコルシカ島でも大雪が降ったりしている。これまで冬でも暖かだった所で最高気温が氷点下に止まり、真冬日になったという例もある。しかし、「温暖化」ばかりが喧伝され、寒冷化は大きくは取り扱われない。
米国でも、昨冬32年ぶりの大雪になった所があった。寒冷化している例も少なくない。そういったことから、地球は寒冷化しているのではないかとの意見もある。地球の歴史をたどるとき、温暖化があり寒冷化の時代があったのだ。
「地球温暖化」「脱炭素化」のプロパガンダがなぜ
「地球温暖化」「脱炭素化」というプロパガンダが、なぜ蔓延ったのか。原因は二つ挙げられる。一つは、世界の流れが社会主義化、共産主義化に傾いていることだ。「グローバル化」「リベラル化」などと言い表される。19世紀後半からの資本主義の台頭により、生産性が向上しそれとともに人口が増えた。貧富の差も大きくなった。それまでは農業が主体であったが、工業などが盛んとなるにつれ富む者と貧困層の格差が大きくなってきたのである。そのような中、週40時間労働や失業保険の制度などもでき、改善も図られた。資本主義の是正が為されたと言えよう。累進課税の導入などは、社会主義の考え方が取り入れられたとも言える。
マルクス主義や共産主義は私有財産を否定するが、その途中の段階である社会主義は工場などの生産手段は国有するが、私有財産を一部認める。資本主義社会では自由が保障されるが、社会主義・共産主義では政治的自由や経済的自由は認められない。一方、怠けても最低限度の事は保障されるのだが、これらの事は社会主義・共産主義の負のイメージともなる。1991年にソ連が崩壊したが、社会主義・共産主義陣営にとってこれは甚大なダメージとなった。その巻き返しを図ろうとしているのだ。
温暖化と寒冷化の繰り返しは自然のサイクルであり、現在の異常なまでの「温暖化」への考え方は非科学的である。50年後、100年後には、「カーボンニュートラル」などと馬鹿な取り組みをしたものだと反省することになるだろう。「地球温暖化」は、左翼・社会主義者や共産主義者が30年くらいかけて仕組んで来たプロパガンダである。
産業の発達は、水質・大気・土壌の汚染を増加させた。特に1950年代から世界中で環境汚染が広まった。我が国も例外では無く、代表的な例として「四日市ぜんそく」「イタイイタイ病」「水俣病」が挙げられる。しかし、これらは汚染源への対処によって1960年代後半から大きく改善され、約20年でほぼ解決された。国内の多くの川の水質が改善された。そのことは、大和川の水質で実感されるだろう。
「脱炭素化」の場合は総量規制が求められる。エネルギー消費を減らせば経済不況に結びつき、資本主義経済を圧迫し窒息させることになる。社会主義・共産主義陣営にとっては有利な状況となる。保守的な考えの人まで総量規制に同調している。社会主義に傾倒した多くのマスメディアが、国民を騙している状況が急速に形成されて来たのである。
原子力発電は万能か
「地球温暖化」「脱炭素化」というプロパガンダが蔓延ってきた理由の二つ目は、「原子力発電(以下、原発)推進者」の過剰な「原発礼賛」だ。だが、原発には課題が多い。原発は「装置産業」であり、建設するためには莫大な経費がかかる。建設のために公害も発生する。二酸化炭素の排出量も多い。そして、何より、廃棄物の処理には想像を絶する経費がかかることを忘れてはならない。「地球温暖化」を阻止するために原発に頼るという考えは、ナンセンスである。原発のコストに比べて、太陽光発電や天然ガス、シュールガスなどのコストは小さいが、太陽光発電は数十年後の廃棄物の処理に大きな課題がある。
石炭や石油の埋蔵量を心配する向きもあるが、400年は大丈夫という説が有力だ。400年の間には、安価なコストで公害の無いエネルギー源が発見・発明されるかも知れない。
「電気自動車」はエースになり得るか
「脱炭素化」の一環として、現在「電気自動車」がもてはやされ、台頭しつつある。だが、「電気自動車」には克服できていない多くの課題がある。まず、生産するために多くの二酸化炭素を排出することである。マツダの研究者の論文によれば、電気自動車の製造時に排出される二酸化炭素量は従来のガソリン車のおよそ2.0〜2.5倍になるという(同様の数字を、フォルクスワーゲンも出している)。さらに動力は電気であり、この電気を生み出すために火力発電所では二酸化炭素が発生する。電気自動車はガソリン車と同等か、それ以上に二酸化炭素を排出してしまう。
そして、動力源である蓄電池の課題もある。以前に比し走行距離は伸びて来たとは言え、まだ長距離は走れない。1回の充電で500㌔は走れると言われる車も出てきたが、実際はカタログ値の5~7割と言われる。道路が凍結して渋滞で動けなくなった時や停電時の対応が、克服すべき大きな課題だ。下手をすれば、命を落としかねないことになる。「それなら太陽光などの自然エネルギーを」と思われるかもしれないが、太陽光発電は原理上、クルマを走らせるような大きなパワーには変換できない。理論上は。クルマの上に直径30メートルの太陽光パネルを設置する必要がある。
こういった事実にも関わらず、多くの国々はなぜ『環境問題へ配慮している』という嘘をついてまで電気自動車へ舵を切ったのか。『ガソリン車で圧倒的な技術力とシェアを誇るトヨタを潰したい欧米諸国の思惑が関係している』と思わざるを得ない。真実はどうであれ、世界一燃費の良いガソリンエンジンを作るトヨタが、EV車の開発に注力せざるを得ない状況になっているのが現状である。
今後、技術研究が進み課題が克服されて来たならば、電気自動車が「ハイブリッド車」を凌駕する時代が訪れるかも知れない。そうなると、次代のエースとなるだろう。が、それには少なくとも20年を要するのではないか。その間に「ハイブリッド」もさらに進化し、燃費も出力も向上するだろうから、実際にはもっと時間がかかるのかも……。2035年には、すべてが「電気自動車」になどと声高に言われるが、現時点でそれは無理だと言わざるを得ない。
夏場の異常高温で農業などに新たな課題が生じている。これらについては、英知を結集して対処していかねばならない。
とにかく、私たちはプロパガンダに惑わされることなく、何が真実なのかをしっかりと見極めなければならないのである。
今中国で一番ホットな話題とは、コロナの感染ですね。感染者数はどれくらいかというと、中国政府の公表人数では3,000人ほどです。
しかし、12/23、アメリカのブルームバーグの報道によると、中国の国家衛生委員会の内部情報では1日の感染者数は、およそ3,700万人だそうです。中国政府の発表と1万倍の差があるのです。
さらに、3,700万人の中で1日の死亡者数はどれくらいかというと、5,000人だと言われています。感染者数3,700万人はおよそ合理的な数字ですが、死亡者数5,000人は信じられません。なぜなら、致死率はおそらく0.24%と言われおり、1日の感染者数3,700万人で計算すると、1日の死亡者数は8.8万人に上るからです。中国は、まだまだピークの真っ最中です。
中国で死亡者数が多いワケ
なぜ、中国ではこれほどたくさんの人が感染して死んでいくのでしょうか? 最大の理由は、中国の国産ワクチンが効かないからです。中国の国産ワクチンの接種率は、およそ9割。9割の中国人が少なくとも2回の接種を受けています。しかし、2回の接種を受けていながらこれほどの感染率、死亡率なのです。
外国のワクチンと比べれば、効果は明らかに劣っています。ですから、中国人からすれば国産のワクチンよりも外国の効果のあるワクチンを打ちたいと言う人が増えています。
実際、アメリカやドイツがワクチンを無料で提供しようと中国にオファーを出しました。しかし、中国はこれを断ったのです。中国が断った理由としてマスコミの最も多い論評は、中国はメンツを重んじる国だからメンツのために受け入れられないというもの。しかし、私に言わせると、それは中国文化を知らない論評ですね。なぜかというと、中国人にとってこのメンツは一文の価値ありません。私の経験から言っても、彼らは、躊躇することなく、メンツよりも実利を選ぶのです。
中国が海外のワクチンを断った4つの理由
メンツが理由でないのなら、なぜ断ったのでしょうか? 中国が断った理由は、主に4つあります。
1つ目は、ワクチンナショナリズムです。これは、11/30のウォール・ストリート・ジャーナルの社説に出た言葉です。ワクチンナショナリズムとは、中国は中国産のワクチンが一番良いものだと中国人に宣伝していること。その代わり、アメリカやヨーロッパのワクチンがダメだと一生懸命宣伝するワケです。だからアメリカでは100万の人が死亡しているが、それに対して、我が中国はこの優秀なワクチンを持っているから、死亡者数は数千人と極めて少ないのだと言っているのです。
2つ目の理由は、軍の利権です。実は、2020年1月21日、中国が一番最初に武漢をロックダウンしました。その直前に初めて、武漢コロナが存在すると世の中に分かりました。ところが、中国のワクチンは1ヶ月後の2020年2月26日にすでに作られていたのです。これを作ったのは、中国の軍関連のワクチン開発会社です。
ワクチンというのは、ウイルスが分かってからわずか1ヶ月で完成することはあり得ません。今回、アメリカやヨーロッパが異例中の異例で急いで開発しましたが、それでも6〜10ヶ月です。つまり、何らかの目的で中国軍がこのウイルスを作り、中国では蔓延前からコロナが存在していた。そして、自分だけ安全であるようにそのワクチンも同時に作ったと考える方が合理的です。そして中国のワクチン会社は100%国と関わっているのです。
しかし、中国では外国のワクチンを打ちたいという意見が増えていますので、海外からのワクチン支援を受け入れると、せっかく軍が開発したワクチンは使われなくなってしまうでしょう。すると、軍の儲けがなくなり、軍の機嫌が悪くなってしまいます。習近平にとって、軍の支持を取り付けることは一番大切なことですから、軍の利権を守るために外国のワクチンを断っているのだと考えられます。
3つ目の理由は、ワクチン外交です。中国は、2020年から特に一帯一路を中心にワクチン外交を展開しています。例えば、東南アジアのインドネシアやマレーシアですね。無償提供にしろ、有償にしろ、これも中国軍の利権と繋がるワケです。自分の国のワクチンは外国に無償であげるほどたくさんあるのに、国内に外国のワクチンを受け入れてしまうとこのワクチン外交が崩れてしまいます。つまり、中国のワクチンに対する信頼がなくなってしまうのです。ですから、ワクチン外交をする限りはアメリカから提供してもらうことはできません。
そして、4つ目の理由が最も邪悪です。それは、人口改造。ワクチンでその人口を変えるという訳ではありません。しかし、中国において、今回のコロナで亡くなった人の8割は60歳以上の高齢者です。彼らも、基本的には中国の国産ワクチンを打っています。つまり、中国の人口構造が、高齢化ではなく、若くなっていきますよね。こうして、中国の人口問題はある意味で改善するのです。
「人口改造」と言える2つの証拠
これには、間接的に証拠が2つあります。
1つ目は、ワクチン接種の順番が中国は高齢者が一番最後であること。日本やアメリカ、世界各国ではワクチンを最初に受けるのは高齢者。それは、死亡する可能性が一番高いからです。しかし、中国では逆。貴重な労働力を死なせないために、18歳以上の人間から打つのです。高齢者は死んでもしょうがない、ということではないでしょうか。
2つ目は、今までの制限の撤廃です。今までの非常に厳しい規制、外国から入国した人間、飛行機や電車のルールなど…これらを一切撤廃しました。内部の指示としては、早く感染させろということなのです。その結果、今の北京では火葬場は長蛇の列です。死体の安置のしようもなく、代わりにコンテナを使って死体をその中に積み込むという、非常に悲惨な状態になっています。つまり、たくさんの人が亡くなっているということ…
これは事実で、中国共産党の狙いなのです。
林 建良(りん けんりょう)
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
中国は恐ろしい国、とんでもない国だと思っていたが、ここまでとは思っていなかった。中国というよりも、中国共産党であるが。いずれにせよ、気の毒なのは中国の国民である。
こういった国であるのに、日本の政治家の中に「親中派」「媚中派」という輩がいることに驚きを禁じ得ない。そういった人たちに深い嫌悪感を抱く。今すぐこの日本から出て行ってほしい。
それらの中でも、特に酷い二人の名前を挙げようとしたが、やめておく。論評の対象にも値しない男だと思うからだ。(谷口利広)
日本という国はどこまでが歴史で、どこまでが伝説で、どこまでが神話か分からない国です。だからダメだというわけではありません。だからこそすごいのです。こういった国は世界にはありません。
過去を遡っていきますと、ある程度の歴史は分かります。歴史学の先は考古学の分野で、出土したものによってここに国があっただろうとか、それまでの歴史がある程度分かっています。そんな考古学も含めて、さらに遡っていって歴史が分からなくなったあたりから伝説の世界が始まるのです。
伝説の世界を信じていると、新しい考古学上の発見がその伝説を証明してくれたりすることがあります。西洋ではシュリーマンという人がそれをやりました。彼はトロイという都市国家があって、トロイ戦争があったという伝説を信じて、きっとその証拠があるのではないか? という前提で発掘をしていたら、本当にトロイの遺跡かを発見したということがあります。
日本の「生きた神話」の価値
これから考古学が進んでいくと日本もどんどん遡ることが出来ると思います。
例えば、神武天皇は実在の天皇であったということがそのうち証明されると思います。歴史の先に伝説があります。そして、伝説よりさらに前には神話があるのです。
逆に言うと神話があって、伝説があって、歴史がある民族というのは世界を探してもほとんどありません。しかもその神話が現在に生きている。神話で出てきた聖なる家系、神の末裔と言われる皇室が今も社会の民族の中心に存在している国。それこそが私たちの日本です。
世界でも日本が"特別な”ワケ
というよりも、そんな国はもう日本かユダヤ民族くらいしかないのです。ギリシャ神話も、ローマの神話も、あるいは北欧神話も、かつて神話があったヨーロッパの国はどれもキリスト教によって塗り替えられてしまいました。
日本では神話は生きているのです。神話に出てくるファミリーが今も東京のど真ん中にいらして、民族の中心になっている。歴史が伝説に遡り、伝説がさらに神話に遡る。そうやって、日本人の連続性は少なくとも3,000年くらいは続いているといわれています。これが、私たちが大切にしたい日本の価値だと思います。
国際政治学者・藤井厳喜
「神話があって、伝説があって、歴史がある民族というのは世界を探してもほとんど無い」と藤井氏は言われる。「歴史が伝説に遡り、伝説がさらに神話に遡る。そうやって、日本人の連続性は少なくとも3,000年くらいは続いている」のが日本であるとも。そのとおりであり、日本人は今こそ自虐史観を葬り去り、この歴史と伝統を誇りにして生きなければならない。生きることが求められる。特に若い世代には、強く望む。(谷口利広)
会員の皆様には、ご家族共々お健やかに新年をお迎えになられたことだろう。令和5年がスタートした。本年も皆様のお力添えを仰ぎながら連合会運営に努める所存だ。ご支援とご協力をお願い申し上げる。
コロナ禍が私たちの生活に大きな影を落とした一年であった。否、もう少しで三年となる。このように長くなるとは予想しなかった。今年こそは「コロナにさよならをしたい」と誰もが願うだろうが、早い時期での一層は難しいと思われる。残念だが、一掃されるという願い自体が無理なのかも知れない。今後の感染状況の推移を見通すのは困難だが、そういった中であっても地道な活動、粘り強い取り組みにより、少しでも明るい一年にしたいと思う。
恒例の行事について
秋の恒例「三生連のハイキング」「郡生連のカラオケ大会」「県老連のウォークラリー」は実施されたが、本連合会の「友愛のつどい」は、残念ながら3年連続での取り止めとなった。多くの方が楽しみにしている行事であり、来年度は何とか開催に漕ぎ着けたいと思う。4月の総会も同様である。令和4年度の本連合会の「社会見学」は、既報のとおり「法隆寺」とする。ガイドに詳しく説明していただく。お申込みいただきたい。
県老連の設立60周年記念誌
奈良県老人クラブ連合会は、設立60周年となる。4月に「60周年記念誌」が発行される予定だ。各市町村連合会に2頁の枠が与えられており、三生連でも現在作成中だ。10年前の「50周年記念誌」でも、同じように2頁の枠を貰ったようだ。事務所にある冊子を紐解くと、「三老連」の内容は他の市町村連合会に比し貧相なものであった。私には与り知らぬ事情があったのだろう。今回は汚名を挽回したいと思う。上梓されれば、各支部に一冊を謹呈する予定だ。 七福神で注目すべきことは、恵比寿をのぞく六福神が外国の神様だということです。
大黒天、弁財天、布袋、福禄寿、寿老人はいずれも中国の神、毘沙門天はインドの神です。仏教に取り入れられたり、中国の道教や禅僧の神々で宝船に乗り込んだ姿は、まさに「呉越同舟」です。いずれも福の神なので、七福神と呼ばれますが、「笑う神」というのも珍しい存在です。
室町時代までは、日本人にとっての世界は天竺(てんじく)、支那と日本で成り立っていました。そして、それらの神々が日本にやってくると、日本の神々と融合しました。例えば、大黒天は大国主(おおくにぬし)と、弁財天は天宇受賣(あめのうずめ)と融合しました。
いったいこうしたバラバラの神々がなぜみな「笑いの神」なのでしょうか。また「福の神」なのでしょうか。その答えは簡単です。日本人は人間の性格はもともと善であり、陽気なものと考えました。『万葉集』ではすでに大伴旅人がこのように詠っています。
《この世にし らしくしてあらば 来む生には 虫にも鳥にも われはなりけむ》
仏教が入り、死後、六道の畜生道に回されても、この世の楽しさを享受しようというのです。仏教の教えを深刻に考えなかった証拠です。人間はもともと自然の一部であって、自然は心変わりがあっても、基本は幸福に生きることにある、ということです。
この日本人の楽天性が室町時代以後、仏教的戒律から解き放たれた日本人、特に商人を中心にして、自分たちの神々を作り出したのです。すでにその元の姿を忘れて、それぞれ日本人の善意のあふれる福の神々を作り出し、それが七福神の姿になったといってもよいでしょう。
私はこれにキリスト教の日本伝来がマリア観音の形をとって融合し、さらに近代ではサンタクロースという子どもにプレゼントを持ってくるキリスト教の聖人が神となって、「クリスマス」という祝日と結びついたと考えています。日本の「クリスマス」は八福神の一神、サンタクロースの祭りなのです。さらに付け加えれば、2月にチョコレートを贈るバレンタインを入れてもいいのかもしれません。
田中英道 東北大学名誉教授
会員の皆様には、ご家族共々お健やかに新年をお迎えになられたことだろう。令和5年がスタートした。本年も皆様のお力添えを仰ぎながら連合会運営に努める所存だ。ご支援とご協力をお願い申し上げる。
コロナ禍が私たちの生活に大きな影を落とした一年であった。否、もう少しで三年となる。このように長くなるとは予想しなかった。今年こそは「コロナにさよならをしたい」と誰もが願うだろうが、早い時期での一層は難しいと思われる。残念だが、一掃されるという願い自体が無理なのかも知れない。
今後の感染状況の推移を見通すのは困難だが、、そういった中であっても地道な活動、粘り強い取り組みにより、少しでも明るい一年にしたいと思う。
最近の円安の追い風もあり、日本では外国人観光客が目立つようになってきました。日本政府は、前から「観光立国」という言葉をよく使っていますが、今日は、この観光立国という言葉についてお伝えいたします。
結論を先に言ってしまうと、「観光立国は産業亡国である」ということを覚えておいていただきたいです。
ここ数年の日本は観光立国を声高に主張してきましたが、私は観光立国には大反対なのです。なぜなら、だいたい観光立国に走るのはもう産業が終わってしまった国です。例えば、ギリシャはその良い例ですし、イギリスやフランスなど、かつては産業立国だった国も今や観光に頼るようになってきています。要するに産業国家として終わってしまったので、あとは観光客を頼りにするしかないということです。
事例でわかる観光立国の悲劇
これはドイツとフランスを比べてみるとよくわかります。ドイツには観光に行く人も多いし、観光地としても魅力的ではありますが、国内には自動車や電気機械産業などがしっかり残っていて、産業大国としても立派です。
一方のフランスはというと、自国の人口よりも1年間にフランスを訪れる観光客が多いというのがコロナ前の現実でした。そして、そのことをフランス人は誇りにしていたわけですが、これは観光業にしか頼ることができないということにほかありません。
観光業というのは過去の栄光を見てもらうということです。エッフェル塔が人気だといっても、エッフェル塔というのはフランスの産業力が優れていた昔の時代に建てられたものです。イギリスにしても、産業革命が起きた国ですが、産業国家としてのイギリスはもう終わってしまい、イギリスのさまざまな古い建築物や美術館が観光地となっています。
例えば、バッキンガム宮殿の衛兵の交代などは有名ですが、これも過去の栄光の残滓にすぎません。これが観光立国の実態です。
日本がそんなものを目指してはダメなのです。
国際政治学者・藤井 厳喜
藤井厳喜氏の「観光立国に走るのはもう産業が終わってしまった国だ。あとは観光客を頼りにするしかないということである」「観光業というのは過去の栄光を見てもらうということだ。過去の栄光の残滓にすぎない。日本がそんなものを目指してはダメ」は手厳しく聞こえるかも知れないが、私は正鵠を得ていると思う。
日本は、産業国としての地位・立場を維持しつつ、観光でも魅力ある国をめざすことが理想だろう。そして何より、GHQに刷り込まれた自虐史観を捨て去らねばならない。私たちは、戦後の教育により自虐史観に苛まれている。そのことに気づかねばならない。そのうえで、戦前までの日本人が自然に身につけていた「大和魂」を取り戻すことが求められる。そのためにも、古代史から近現代史まで、真の「歴史」を学び直す必要があるだろう。「80歳を超えたから今さら……」では悲しい。死ぬまで向上心、「学び続ける気持ち」を持ちたい。
そして、日本人の一人ひとりが「八紘為宇」(はっこういう)の心で生きることが必要だと思うのである。(谷口利広)
八紘為宇(はっこういう) 八紘一宇(はっこういちう)も同義。
「天下を一つの家のようにすること」、「全世界を一つの家にすること」を意味する。『日本書紀』には、大和橿原に都を定めた時の神武天皇の詔勅に「兼六合以開都 掩八紘而為宇」(六合〈くにのうち〉を兼ねて以て都を開き、八紘〈あめのした〉を掩いて宇〈いえ〉と為す)との記述がある。
神武天皇の「八紘為宇」の御勅令の真の意味は、天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと、つまり世界平和の理想を掲げたものだ。
昭和天皇が和歌に「天地の神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を」とお詠みになっているが、この御心も「八紘為宇」の精神である。
田中智学が日本的な世界統一の原理として、明治36年に「八紘一宇」と造語したとされる。
大東亜戦争の折、政府が「大東亜共栄圏の建設、延いては世界万国を日本天皇の御稜威(みいづ)の下に統合し、おのおのの国をしてそのところを得しめようとする理想」を表明するものとして引用使用した。そのことから、軍国主義の象徴のように捉える向きもあるが、本来は世界平和を希求する言葉である。
昭和天皇の玉音放送の日から2週間後の8月30日、GHQの最高司令官であるマッカーサーが厚木に上陸すると、東京湾外に浮かぶミズーリ号の上で日本の降伏調印式が開かれました。ところがマッカーサーは、調印式が終わった日の午後、誰もが予想だにしなかった驚くべき行動をとったのです。それはスケジュールにもなかった予定で、突然バスをチャーターして鎌倉にある「鶴岡八幡宮」を参拝したのです。実際に当時の新聞は、次のように報道しています。
「9月2日午後3時ころ、14名の米軍将官が1台のバスに分乗して到着した」(読売報知9月18日刊)さらにマッカーサーを先頭に、GHQの幹部たちは神社の作法を忠実に守って参拝したと言われています。このときの様子について宮司の恩田氏は次のような感想を述べています。
「突然の訪問と元帥の動作、言葉は終始おだやかで敬虔な態度を持しておられたのには感服しました」 マッカーサーが姿勢を正して崇敬な面持ちで鶴岡八幡宮をお参りしたことがわかります。また、文芸評論家で関東学院大学教授の富岡幸一郎氏は次のように述べています。「さすが軍人だなという感じがいたします。マッカーサー元帥は鶴岡八幡宮にいる源頼朝公のサムライの魂を継承しようとしたのでしょう……」と。
近年、遺伝子学の発達によって、我々日本人のルーツが明らかになるとともに、それまで有力視されていた学説が覆されています。
学校教育で、我々は古代日本における縄文時代と弥生時代の区分を最初に習します。稲作がなかった時代が縄文時代、稲作が導入された時代が弥生時代であるという区分概念とともに、半島から渡来人がやって来て、弥生時代が拓かれたということを叩き込まれるのです。
そして、教科書や資料集の図版では、縄文人の顔と弥生人の顔の対比がビジュアルで示されます。太眉で目が大きく、厚唇で濃い南方系の顔が縄文人。細眉、一重瞼の細い目、薄唇で薄い北方系の顔が弥生人。しかし、この区分には、まったく根拠はなく、巧妙な印象操作を誘発するものでしかありません。
日本全国の縄文人骨の遺伝子を詳細に分析すると、縄文人が共通の単一民族の基層を持っていたのではなく、北方系から南方系まで、既に雑多な民族の混合型であったことがわかってきています。教科書や一般の概説書では、「二重構造説」というものが解説されます。この説では、南方からやって来た縄文時代の人々(前述の顔の濃い人々)を「原日本人」と規定し、弥生時代に北方系の人々(前述の顔の薄い人々)が朝鮮半島から日本に大量にやって来て、南方系の「原日本人」と混血をして、渡来系弥生人が誕生したとされます。
一方、渡来人は沖縄や北海道(アイヌ人領域とされる)へはほとんど入らなかったため、これらの地域では、南方系の先住日本人の血統が保たれます。このように、日本人には「原日本人」と弥生人の二つの系列があるとされることから、「二重構造説」と呼ばれるのです。この説は1990年代に定説となっていきます。
「原日本人」の血統を残す沖縄と北海道の人々、つまり、琉球人とアイヌ人は遺伝子上の近似性があるとされ、これが「二重構造説」の大きな論拠とされてきました。2012年の国立遺伝学研究所や東京大学の研究でも、両者は近似性があるという結果が出ています。しかし、よくよく、その調査の内容を見ると、遺伝子を提供した者がアイヌ人である保証などはなく、遺伝子サンプル自体に問題があったと言わざるを得ません。
サンプルの対象となったのは「北海道日高地方の平取町に居住していたアイヌ系の人々から提供を受けた血液から抽出したDNAサンプル」といった説明がなされ、提供者の平取町の居住者がアイヌ人であるということを前提にしていますが、彼らがアイヌ人であるという証拠があるのかどうかは不明です。普通の日本人の遺伝子を拾っている可能性が高いでしょう。
一方、二重構造説に懐疑的な立場から最新の研究成果を数多く上げている国
立科学博物館の篠田謙一副館長によると、「二重構造説では、アイヌと沖縄の人々の近縁性を指摘していますが、両者のハプログループは大きく異なっていることもわかっています」とのこと(2019年)。つまり、遺伝子サンプルの採取の仕方、近似基準の取り方によって、結果が大きく異なるということが示されています。
いずれにしても、一般に流布している「アイヌ人・琉球人近似説」は極めて怪しいものであることは間違いなく、それを論拠にしている「二重構造説」もまた信用するに値しない破綻した説と言えるでしょう。
宇山卓栄
様々な研究から、古代史もこれまでの説が大きく覆されていることが多い。
私たちには常に「学び続ける心」を大切にし、探求心を持ち続けることが求められる。(谷口利広)
中国のコロナ禍は、大変な状況に陥っていると……。
以前から中国のさまざまな統計発表は信用できないというのが定説だが、コロナの感染者はひどいことになっており、ここ最近、毎日新規感染者が100万人を超えているとの情報も流れる。総計では、2億5千万人を超えているのではないかと……。米国の感染者数累計は1億36万5943人(日本時間24日午後7時現在)である。なお、中国が発表している中国本土の感染者累計は、190万9905人だ。
最近の中国では、あまりにも死亡者が多いので焼却が間に合わず、死体安置所には死体が山積みされているとのニュースも伝わる。中国は、数日前から感染者数の発表を止めた。
解熱剤などの風邪薬が極度に不足して、日本で爆買いに走り持ち帰っていると。あまりにも極端なので、日本のショップでは一人当たりの購入数に制限を設けている所が出てきているらしい。風邪薬の中でも、どういうわけか大正製薬の「パブロン ゴールド」の人気が特に高いらしい。
習近平の悪政、政策破綻によって、気の毒な目に遭っているのは中国人民である。「習近平が3期目に入れば中国共産党の崩壊は早まる」と言われて来たが、そのとおりの状況になってきた。
和魂と洋才は異質なもの。戦争に勝てば勝つほど、つまり「洋才」に適応すればするほど、うちなる「和魂」がそれに疼きを感じていく。まさしく日本は最初から社会的な道徳と、それに還元し得ない和魂との闘争、矛盾、ずれ、それを持って始まったのだというふうに言えるのかもしれません。
過去の日本や共同体の意識に対して、これを封建的という否定的なニュアンスで見て、「個の開放」をやったというのが近代という時代だと言える時代になった。個人が作法や型といった「衣装」をはぎ取られて、裸で立つような時代になった。近代社会でみんな豊かになって、「抑圧」から解き放たれたからよかったじゃないか、本当にそれだけで済むのだろうか。それとも「型」を捨て去り「自由」に生きるのは本当に幸福なのか、という問いは、一方で、当然生まれてくるはず。人間の本源に関わるこうした問いに向き合ったのが、日本では主に文学者だったのです。
浜崎 洋介
(はまさき ようすけ、1978年10月生 ) 文芸批評家 日本大学芸術学部卒・東京工業大学 大学院社会理工学研究科価値システム専攻(修士・博士) 日大・東京工大非常勤講師。専門は日本近代文学、批評理論、比較文学。福田恆存、小林秀雄を中心に、日本の保守思想の研究を専門とする。
浜崎氏は学校での勉強には熱心ではなく、中学からはもっぱら読書に明け暮れていたと語っておられる。父親の転勤により幾度か転校を余儀なくされ、いじめも経験されたとも聞く。そのような中、目的意識のないまま日大芸術学部に入学した。卒業後、東工大の大学院社会理工学研究科に進み、「福田恒存」の研究で博士号を取得した。異色の経歴をもつ。
古代から「歴史は勝者によってつくられる」と言われ、戦争に勝った者が歴史を自分たちの都合のいいように書き換え、都合の悪い内容は削除してしまう。 そのため、例え一次資料であっても、それが真実かどうかはわからない。だから、後世の歴史家が研究し分析しても、何が本当に起きていたのかがなかなか見えて来ない。だが文芸批評は、なぜその作品が生まれたのか、どういう社会状況、歴史的経緯から生まれたのか、他の時代や他の国と何が違うのかを比較するため、「同時代の等身大の日本」が見えて来ると……。そういった考えから、文芸批評家の道を歩まれる。
最近、浜崎氏の「日本近代精神史」に触れる機会があった。今まで当たり前のように信じてきたことが、見事に覆される内容となっている。これまでの歴史で語られて来なかった内容を次々と暴露している。
浜崎氏は、次のように言われる。「文学を研究することは歴史教科書からこぼれ落ちた心の歴史を研究するということである。そのため、無機質な歴史ではなく人間の血の通った真の歴史を知ることができる」と。
「だからこそ、林房雄、小林秀雄、柄谷行人、渡部昇一、西尾幹二など日本の歴史的な名著は文学者や文芸批評家が書いているものが多いのだろう」とも。浜崎氏も彼らと同じく文芸批評家であるため、人々の精神の揺れ動きを感じ取りながら、歴史を語ることができるのだろう。
歴史は経済で動くとも言われるように、経済の動きや現代の日本で起きている問題を排除して歴史を語ってしまうと、史実を並べたとしても、なぜそのような歴史を歩まざるを得なかったのか? その理由が明確でない場合がある。つまり、俯瞰的な目を持って歴史を見ないと時に間違った解釈をしてしまう可能性がある。
浜崎氏は、藤井 聡や三橋貴明などマクロ経済の専門家と常に意見交換をしているため、より大きな視点から歴史を語ることができるのだろう。(谷口利広)
これは私が散々お伝えしている話ですが、日本の借金で国が潰れることはありません。そのことを知らないと、マスコミや政治家に騙されてしまいます。
今の日本の国内総生産(GDP)は、約500兆円と言って差し支えないと思います。そして「政府にはその2倍の借金があるじゃないか! これは大問題だ!」と、危機を煽る議論がありますが、こんなものは真っ赤な嘘です。このお金は、日本国にわれわれ日本人が貸しているんです。政府にとっては借金でも、私たちにとっては資産なのです。しかも、円建てで借りているので、政府はこの借金を返そうと思えばいつでも返すことができます。
借金問題、実は簡単に解決できる?
なぜなら、国には通貨発行権という巨大な権限があるからです。これは国家だけに与えられた特権です。皆さんのお財布の中に入っているお金は全て日本政府の子会社である日本銀行が出しているものです。ですから極端な話をすると、もし1,000兆円今すぐ返してくれという話になれば、1個1兆円の金貨を1,000枚作れば片付く話なのです。ただし、お金が出すぎると、日本円の価値が下がってしまってインフレになる危険があります。別の言い方をすれば、インフレがない限りは通貨発行はいくらでも可能です。
日本は、これまでずっとデフレ不況で苦しんできました。今までの先進国の経験則からいって、インフレ率が2%になると実質経済成長率が3%になってちょうどいいバランスになると言われています。だからこそ、この2%を達成できるまでは日本政府はお金を刷ってもいいのです。このことをマスコミは教えてくれません。
増税は何がマズイのか?
政府には、通貨発行と並んで、徴税権という特権もあります。原理的には、どちらを使って借金を返すことも可能ではあります。国民は反対するでしょうが、1,000兆円を徴税することは可能なのです。しかし、国民が持っている国債を国民に返すわけですから、国民の中でお金が動いているだけの話です。
話を整理しますと、政府には通貨発行権と徴税権の2つの特権があります。どっちがいいかというと、通貨発行の方が良いのです。政府がまた増税・増税と言っていますが、これはよしたほうがいいですね。日本の景気がもっと悪くなります。
これは、3%から5%、5%から8%、8%から10%と、消費税を増やした時にわれわれがもう嫌というほど体験したことです。国内経済が落ち込みますから、ものが売れなくなる。ますますデフレ不況、ますます給料が減るという悪循環をしてしまいます。買い控えが起きますから、税率を上げても実際は税が増収にならない、という馬鹿みたいな話になってしまいます。
国際政治学者・藤井 厳喜
国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。
著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは
35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、
外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。
「政府にとっては借金でも、私たちにとっては資産」ということを、新聞やテレビは言わないから、国民は「国にそんなに多額の借金があって大丈夫か」と不安にさせられる。マスネディアにそのように仕向けているのは財務省であり、意図的にやっていることだ。
藤井氏の言われるように、政府には、「通貨発行と並んで、徴税権という特権」があり、「原理的には、どちらを使っても借金を返すことが可能」だ。
岸田首相は、引き上げる国防費を捻出するために増税案を持ち出した。これは愚策だ。景気を悪くしてしまうことに直結するからである。国債で手当てすべきだ。(谷口利広)
今朝9時ごろ予期せぬ事態から、自らが作成した「論語」に係る電子データをパソコン上で行方不明にさせてしまった。8年くらいかけて作成した、A4で千枚以上の大量の資料だ。
復元させようといろいろと試みたが、うまくいかず途方に暮れていた。バックアップしていなかったので、復元しなければ一から作り直さなければならず、そのためには途方もなく膨大な時間を要する。
何度もへこたれそうになったがあきらめずに、試行錯誤を繰り返した。結果、 約10時間後に自力で探し当て、データを取り戻すことができた。
あきらめずに、可能性を求めて努力したから実を結んだのである。
近年になって、最も日本の神道の存在を世界に知らしめたのは、2016年の伊勢志摩G7サミットの開催でした。何しろG7の国は、日本以外はみなキリスト教国です。その6カ国の大統領、首相に、神道の最も重要な聖地である伊勢神宮を安倍首相が案内したのです。
日本人にとって、これほど誇りに思う年はなかったと言うべきでしょう。あるいは、靖国神社にアメリカ大統領を連れて行く以上の意義があったと考えるべきかもしれません。靖国の英霊たちが信じる伊勢神宮に、かつての戦争相手の首相たちを集合させたからです。
その際、安倍首相は「日本の精神性に触れていただくには大変よい場所」と、簡単にその動機を語っていましたが、何気ないこの言葉もよかった。神道のよさは、「これが皆さんのキリスト教と 対立する日本の宗教ですよ」と言わない点です。それでいて、この宗教こそ、日本人がキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の教徒にならない、強固に根付いた宗教なのです。それはこの神道が、共同宗教、つまり人々が共同で信じる自然宗教であるからだと私は考えています。
その自然を、神よりも以前の、より重要な存在であると、日本人は信じているのです。それを安倍首相のように「精神性」と言ってもよいでしょう。各国首脳(いずれもサミット当時)の感想は、そのコメントでわかります。
例えば、アメリカのオバマ大統領は、「幾世にもわたり、 癒しと安寧をもたらしてきた 神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。世界中の人々が平和に、理解し合って共生できるようお祈りいたします」と記しています。
政治家たちには、宗教に対して特別な見方があり、やはり政治への影響もあります。この言葉から、オバマ大統領は、神道が一神教でないことにまず安らぎを覚えたと考えられます。現代世界の政治的・軍事的「衝突」が元来、一神教同士の争いであることを知っているからです。「共生」という言葉こそ、大統領の希望です。神道が宗教であり、この神道こそ、日本人がキリスト教国に対する大東亜戦争の精神軸になったということは、この伊勢神宮に接する限り思い浮かばなかったように思われます。
この神宮の風景は、神道のうちの自然信仰を強く感じさせるからです。まさに、約70年前、アメリカのマッカーサー最高司令官は、日本国民のキリスト教化を目論んで皇太子殿下にキリスト教徒の家庭教師をつけ、多くのキリスト教の大学を設立し、皇太子殿下のお妃に、そうした大学出身者の一人を選ぶことを密かに指導しました。そして神道指令を出し、神道と国民の切り離しにかかったのです。
しかしその後、今日まで不思議ことに、国民の中で、キリスト教徒は1パーセントもいません。皇室がキリスト教を特に重んじることもありません。マッカーサーの押し付けは、完全に失敗したのです。このアメリカ大統領の言葉は、その宗教政策の失敗を知ってか知らずか、神道の強さ、神道の深さに敬意を表しているのです。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの一神教では、「唯一神を信じる」ことで信仰は集約されています。神道は多神教といわれ、多くの神を信じる宗教と言われています。しかしそれだけでは、神道を理解しているとはいえません。自然そのものが厳然たる信仰の対象として存在しており、天地の偉大さが神々を生かす。その宗教認識が、現代の自然科学を包含する偉大な日本人の思想にさせるのです。
東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事
ボローニャ大学・ローマ大学客員教授
田中 英道
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表。
フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
田中氏が言われるように、GHQマッカーサー最高司令官は日本国民のキリスト教化を目論んだ。皇太子殿下にキリスト教徒の家庭教師をつけ、多くのキリスト教の大学を設立した。神道指令を出し神道と国民の切り離しにかかった。一時的に荒んだ神社もあったが、見事に復活しその目論見は、マッカーサーの押し付けは、完全に失敗した。日本国民の中にキリスト教徒は1パーセントもいないのである。
大災害のときなどに見せる日本人の一体感、国家としてのまとまりは、他の国には真似のできないものである。高い民度、気高い精神性、二千年以上にわたって培われた日本人のよき伝統と尊厳を、これからも守り抜かねばならないのである。(谷口利広)
神道指令(しんとうしれい)は、昭和20年12月15日に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の通称。
覚書は信教の自由の確立と軍国主義の排除、国家神道を廃止、神祇院を解体し政教分離を果たすために出されたものである。これにより公的機関による神社への支援、資金援助が禁止され、「大東亜戦争」や「八紘一宇」など、国家神道、軍国主義的・超国家主義的とされる用語の公文書における使用も禁止された。国教分離指令とも言われる。
冷え込みが厳しくなってきた。最低気温は、0~1度で推移している。ときに氷も張る。ラジオ体操のとき、寒さで「耳が痛い」という状態ではまだないが、そろそろ耳当てや帽子がほしくなってくる。明後日は冬至だ。
出雲大社を訪れた際、いくつかの発見があり、とても満足して出雲大社を後にしようとした時、私は出雲大社の外れで「相撲場」を見つけました。そして相撲場のすぐ隣には小さなお社がありました。野見宿禰神社と言うお社です。立て札を読んでみると、野見宿禰という力自慢の男を祀っていました。彼は日本神話にも登場し、日本で初めて相撲を取った人物でもあるそうです。相撲の祖として現代でも崇められています。
この時私は「あ、神話と歴史が繋がった」と思った訳です。なぜか出雲大社にある相撲場…これが、出雲に「日本人ではない人」が来ていた形跡と考えられるからです。実は、日本の国技とも言われる相撲は、日本発祥のスポーツではなく、海外から日本に伝えられたものだったのです。相撲は西アジアを起源としてシルクロード沿いに発展していて、イスラエル、トルコ、モンゴル、そして日本。というように世界各地にあります。朝青龍や白鵬のように、日本にモンゴル人力士が多いのもそれが関係しています。
相撲で使う「ハッケヨイ」「ノコッタ」。はっきり言って日本語では意味が分かりませんが、実はこれも古代ユダヤ人が使用していたヘブライ語が語源になっているのです。「ハッケ」=「なげつけろ」、「ヨイ」=「やっつけろ」、「ノコッタ、ノコッタ」=「投げたぞ、やったぞ」という感じです。そもそも、相撲と言うのも「シュモー」と言うヘブライ語が元になっているのです。
これはつまり、イスラエルにいた古代ユダヤ人たちが、大陸の西の方から、日本に文化を運んできたということです。相撲もそのようにして日本に運び込まれ、そしてここ出雲に聖地があるのです。これは一体、何を意味するのでしょうか? 出雲には、日本人ではない「謎の古代民族」がいたと考えざるを得ません。
出雲には古代の謎が集中しています。古代出雲に、大陸のはるか西方から人々が来ていたと考えると、全ての謎が面白いように繋がっていくのです。
「謎の古代民族」の正体は「古代ユダヤ人」だったと、私はみている訳です。
田中英道 東北大学名誉教授
相撲の「ハッケヨイ」「ノコッタ」や「相撲」の語源が、古代ユダヤ人が使っていたヘブライ語だということは前に何かで読んだ気もするが、今回、再認識できた。一般には知られていない。
田中氏は、「古代出雲に、大陸のはるか西方から人々が来ていたと考えると、全ての謎が面白いように繋がっていく」と言われる。そして、「『謎の古代民族』の正体は『古代ユダヤ人』だった」と推論する。実に興味深い話である。(谷口利広)
紀元前二万年ぐらいに氷河期が終わります。これによって日本が大陸と地続きであった時代も終わりました。そのあたりから縄文時代がはじまり、独立した文化が生まれました。
旧石器時代にはナウマンゾウなど大陸からいろいろなものが入ってきたため、独立しているとは必ずしもいえない状態でしたが、縄文時代になると独自の文化が現れるようになりました。縄文中期が五千年ぐらい前だとすると三千年ぐらい前から気候変動が起こり、だんだん寒くなってきました。それを主な原因として関東・東北に集中していた人口が南下し、西に向かいました。
それに伴い、西日本の人口が増加していきます。これには海外からの移民、帰化人が入ってきたことも関係していると考えられます。このようにして関西という地域が大事になってきました。
帰化人勢力が西日本で次第に強くなってくると、東日本にいた日高見国の統治者たちは西日本を統一しなければならないと考えるようになりました。それを実行に移したのが天孫降臨です。天孫降臨は日高見国の中心地である鹿島から九州の鹿児島へ船で移動していくことがはじまりだったと私は考えています。その第一の目的は、朝鮮半島を通って次々に渡ってきていた帰化人たちから九州を守ることです。その前段階としてあるのが出雲の神話です。
奈良に大和朝廷ができるまで東にある日高見国が西を支配していくプロセスがずっと続くのですが、その一つとして大国主命(オオクニヌシノミコト)の国譲りの神話があるのです。関東・東北を中心とした縄文の時代は紀元前二千年ぐらい前まで続きますが、弥生時代に近くなってくるときに、だんだんと西に人口が移動していきます。同じ時期に大国主命あるいは関西系の氏族が非常に力をもつようになりました。
大国主命は素戔嗚(スサノオ)の子孫で、出雲に割拠していました。そして九州・中国・近畿という西日本を統治していました。そこに天照系、つまり東日本の日高見国系の人々が「国を譲れ」といって何度か使節を送りました。その最後に送られたのが建御雷神(タケミカヅチノカミ)です。建御雷神は強力な刀の神様で、鹿島神宮の祭神です。建御雷神は大国主命の三番目の息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)と稲佐の海、つまり出雲で相まみえました。その結果、戦わずして建御名方神が諏訪に逃げたということが神話に書かれています。
昭和59(1984)年、その神話に対応する考古学的な発見がありました。出雲の荒神谷という場所で発見された荒神谷遺跡から358本の銅剣が出土したのです。どんな目的でこれだけ多くの銅剣が一つの遺跡から出てきたのか、考古学者も出雲の郷土史家も解釈しかねています。しかし、その理由は簡単なことです。銅剣を見ると、バッテン(×印)がついているのです。これは「もう使えない」という意味です。使えなくなったから捨てた、あるいは山の神に奉納したのです。
これを「国譲り」の神話と重ねて解釈すると、出雲のほうの氏族たちが日高見国に対して恭順の意を示すために銅剣を全部集めてバッテンをつけて捨てたと考えることができます。それが日高見国と出雲の関係だったと思います。これだけの大量な銅剣が一ヶ所から出てくるのには必ず意味があるはずです。
建御名方神が逃げた諏訪は地図を見ると日本の真ん中にあるようですが、甲信越というのは日高見国が支配する関東なのです。つまり建御名方神は東の内部に連れて行かれて、高天原系に従ったということになります。
田中英道
東北大学名誉教授
日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。
海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
「神話は、あくまでも神話だろう」と2年くらい前まで私はそう思っていた。しかし、古文書のみに頼らない田中英道氏は、遺跡や神社などの入念な現地調査により「神話」と「史実」との関連を次々と解き明かされておられる。教科書で習った「これまでの古代史を塗り替えている」と言っても過言ではない。実に興味深い。
出雲大社を再度訪ねたいし、まだお詣りしたことのない鹿島神宮や香取神宮にも、早い機会に訪れたいと思う。
田中氏は現在80歳だが、長生きをされて研究を深化させていただきたいと願う。門外漢の私だが、機会があれば直接お話を伺いたいと思うのである。(谷口利広)
今月初め、岸田首相は防衛費を大幅に増やし、5年間で約43兆円とする決断を財務相と防衛相に伝えた。16日には、国家安全保障戦略と国家防衛戦略、防衛力整備計画の3文書が閣議決定された。
我が国の防衛費には、これまで国内総生産(GDP)の1%程度という制約があった。自らが足かせをしてきたのだ。日本は、中国・ロシア・北朝鮮という良識が通用しない「ならず者国家」に包囲されている。世界で最も危険な地域に位置していると言えよう。3文書の柱は、「反撃能力」の保有である。防衛については、「攻撃すれば反撃される」と思わせてこそが真の抑止力となる。
今回の日本の方針変更について中国は、「中国の脅威をあおり、地域の緊張、対立を引き起こすものだ」と、「何を言っているのだ」が私の思いだ。我が国の「反撃能力」保有に警戒感を強めているのだ。14~16日にかけて空母「遼寧」や駆逐艦など計10隻以上を沖縄近海に向かわせた。習 近平政府は、明らかに慌てているのである。
防衛力は、外交力を高める有効な手段でもある。「覇権主義的専制国家は、力の弱い国とは対話しない」、これが国際政治の現実だ。防衛力を強化し、それを支えとした外交が求められる。我が国は、「自国が平和的であれば、平和は保てる」と勘違いし、これまで楽観的思考に陥っていた。自分の国は自らが守らなければならないのである。当たり前のことを当たり前として、防衛政策を推進することが求められる。
今回の「ロシア・ウクライナ戦争」を通して、日本国民は学んだと言えよう。
今の家は築39年だ。建売を購入した前の家を7年程で売り、それを元に近くに土地を求め、建てた。33歳を前にしてのことだった。
妻も働いていたので、多額のローンが組めた。モデルハウスや雑誌などを参考にそれまで蓄積していたものをフル動員して、間取りなどを考えた。失敗したくないの思いで、全精力を注ぎ込んだ。大阪市内で大工をしていた3歳上の幼馴染が、ちょうど独立して工務店を経営することになった。我が家はその一軒目となった。
多額のローンを組んだとはいえ予算は潤沢ではなかったのに、桧や杉をふんだんに使ってくれた。30歳代前半の男には十分過ぎる家となった。今でも、もちろん満足している。
自身タバコを吸わないし、親族や友人にも敷地内禁煙を強いてきたことと、外壁の早めの塗り替えなど維持管理に留意して来たので、築年数のわりには美しく保てている。木造在来工法にこだわったのだが、それは正解だったと思っている。木の香のする家は最高だ。
60歳の定年退職時、風呂と洗面所を一新した。トイレは1階2階とも、21年目に便器などを新しくしたが、少し前からそのトイレに不具合が出始め今回取り替えることにした。
ある1社の見積もりは、両方で約40万円が提示された。インターネットなどで私なりに情報を仕入れており、高いと思った。他で見積もって貰うと、税込み24万円で請け負うと言われた。それも即日、工事にかかれると。もちろん、暖房便座のシャワートイレである。金額だけではなく対応に終始誠意が感じられたので、すぐに決断し契約した。
見積もりに来た本人が一人で作業をしたのだが、動きが素早く見事な働きぶりだった。作業後、コーヒーを飲んで貰ったが、現在26歳であり、昨年結婚をしたところだと。実にさわやかな青年であった。
妻も娘も大満足であり、私自身とても心地の良い1日となった。昨日(12/16)の出来事である。
橿原市に住むS氏(81歳)は、『論語』学習の先輩であり、何かとお世話になっている。私は君子の条件を問われたならば、「教養と德を有する」の他に、迷いなく「他者のために汗がかける」を挙げる。氏は自らの事は後回しにして、「人を立て、人を達す」(論語・雍也第六)を徹底される。これはまさに「行うは難し」であり、なかなか出来る事では無い。この点で、私の周りに並び立つ方は居ない。S氏を知る方は、誰もがそう思われるだろう。
氏は剣道でも達人の域に達している。大阪の公立大学のご卒業で、剣道部の主将を務められた。猛者だが常に笑顔を絶やさず、好好爺たる雰囲気で威厳を感じさせない。孔子を弟子たちが、「温にして厲し。威にして猛からず。恭にして安し」(論語・述而第7)と言ったが、S氏に置き換えてもよい。真の達人と呼ぶにふさわしい。
今春、一時体調を崩されたが、持ち前の気迫と粘り強さで持ち直されお元気になられた。
私事だが、8年程前、中之島図書館で論語塾が始まった際、初日に北浜の料亭でお祝いの席を設けて貰った。また、東京五輪聖火リレーの際は「法隆寺」まで駆けつけていただき、その日のうちにJR法隆寺駅前で慰労の宴を催していただいた。S氏は気配り、心配りの人でもある。
一度、三生連の「論語に親しむ会」にお招きし、ご講話をお願いしたいと思っている。
《今だから言います。4月4日に故安倍元総理と食事をご一緒したとき 「林さんは中国のハニートラップにかかってるでしょうね」 と仰ってた。根拠もお話になっていた》
大王製紙の元会長、井川意高氏はこのようにツイートしました。ここでいう林さんとは、岸田内閣の林芳正外務大臣です。つまり、現在の日本の外交の責任者が、中国のハニートラップに引っ掛かっているという疑惑を井川氏は告発したのです。ですが、それは井川氏による告発に過ぎず、信頼できるかどうか分からない話だったのですが、なんと安倍元総理の弟で、防衛大臣も務めた岸信夫首相補佐官が、この井川氏による投稿を、「リツイート」したというのです。つまり、岸信夫氏が井川氏の告発を認めたと言ってもいいのではないでしょうか?
事実、林芳正外務大臣の振る舞いは不自然なほどに中国に「べったり」で、例えば、ワシントンで行われた中国を批判するための演説会で、なぜか林外務大臣は奇妙なまでに中国への批判を避けました。さらに、毛沢東の金の胸像を持って嬉しそうに笑っている林外務大臣の写真の存在も疑惑に油を注いでいます。
あなたは恐ろしいと思わないでしょうか? 「戦争の準備をしろ」と習近平が指令を出し台湾と尖閣を明確に狙っているのに。中国にべったりな林外務大臣がいる岸田内閣に日本を守れるのでしょうか。
しかも、メディアは奇妙なまでに林芳正外務大臣の疑惑を追及しません。普通、現職の外務大臣が仮想敵国とべったりだなんて、メディアからしても美味しいネタのはず。それなのにメディアは親中議員や中国を批判することはなく、どうでもいいことばかりを報道しています。「日本の危機」を覆い隠してしまっているのです。
こういった状況であるのに、林芳正外相は近々、中国を訪問し習近平総書記らと会談すると聞く。にやにやしながら、媚び諂う(こびへつらう)のだろう。これを許す岸田首相の最近の言動は、常軌を逸しているとしか言いようがない。二人揃って退任すべきだ。
林芳正氏のような「恥知らずの人間」を国会に送り出している山口県民は、早く目を覚ましてほしい。(谷口利広)
35年来の友人である香芝市にお住いのS氏は、84歳になるがとてもお元気である。ひと回りも上なので、友人と言うよりは大先輩と言った方が的を得ている。マラソンやトライアスロン、登山などを通してのお付き合いだ。競技に関しては、私の方が、少しだけキャリアが上だったことと愛好クラブの代表を務めていたこともあり、いまだに年下の私を立てていただく。恐縮している次第だ。
若い私はとうに走るのを辞めてしまったが、S氏はずっとトレーニングを続けておられる。つい先日も伊勢で開かれたランニングレースで、年代別3位に入賞された。
畑仕事、昼寝、読書、週3-4回の筋トレ(腹筋、背筋、スクワット)二上山の祐泉寺までの往復10kmのランニング、そしてママチャリで近郊の真美ケ丘方面への周回バイシクリングなどを日課にされていると聞く。絵筆も持たれるし、達筆でもある。さらにパソコンも操られ、メール配信などはお手の物だ。以前は、地元の高齢者の会の役員もされていた。
私が東京五輪の聖火ランナーを務めたときも、いの一番に駆けつけていただき声援を送って貰った。聖火ランナーには、私よりS氏が選ばれるべきだったのかも知れない。そういった人生の達人とも言える方だが、少しも偉ぶること無くいつも謙虚である。大した方だと、いつも敬服しているのである。
朝から冷たい雨だ。氷雨と呼んでいいのだろうか。4時過ぎに朝刊を取りに出たときには降っていなかった。
ラジオ体操は、自治会館の中で行った。冷たい雨の降る早朝、体操のために集まる人の意思の強さには感心させられる。
そぼ降るという感じではないので、この雨でモミジやドウダンツツジに残る葉がほとんど落ち切るだろう。晴天が続いていたので、庭木には恵みの雨だ。初秋までのように根の活動は活発ではないが、冬場も水は必要だ。水が土中に浸透するとき、空気も通る。酸素は、土の活性化には欠かせない。
サツキやアメリカハナミズキなど、水をわりと欲しがる花木の花付きのためには、冬場の水やりが大事であることを知る人は、庭いじりの熟練者と言えよう。植木職人でも、「冬場の水やりは必要ない」と思っている人が少なくない。一週間雨が降らず、あと2~3日は雨が望めないといったときは、水やりをした方がよりよい。水をやらなかっても枯れることはないが、よりよきを望むならば遣りなさいということだ。そういったことを認識していない人に剪定を頼んだりすると、結果は言うまでも無い。
サツキの蕾が目立つようになってきた(実際は、8月半ばまでに花芽はできている)。拙庭では水遣りや害虫対策の薬剤散布などの管理がうまくいき、来年の花もかなり期待できそうだ。一人ほくそ笑んでいる。(12月12日)
江藤淳が自死してから23年以上になる。戦後を代表する文芸評論家であり、保守論客であった江藤は、戦後の民主主義の欺瞞と閉された言語空間を批判した。江藤の言葉は、今日の日本に至要な訓戒として響いている。
文芸評論家の富岡幸一郎氏が、令和元年に江藤の“遺言”の意味を解説したものを掲載する。
江藤淳が亡くなって、本年で二十年の歳月が経つ。没後十年の平成二十一年、本誌で特集を組み筆者も原稿を寄せたが、その文章の冒頭に次のように書いた。「もしあの人物が健在であれば、日本と世界の情勢についてどんな発言をしてくれるのだろうか、と期待せずにはおられない論客、それが江藤淳にほかならない」と。
平成の世の終焉に際し思い起こすのは、三十年前、昭和天皇の崩御と平成改元の直後に筆者がインタビューしたときの江藤淳の言葉である。「人が死ぬ如く国も亡ぶのであり、何時でもそれは起こりうる」。
平成六年には『日本よ、亡びるのか』という表題の本も刊行しているが、今日の日本の現状を見れば、“亡国”という不吉な言葉がにわかにリアリティーを帯びてくるのである。外国人(移民)労働者の受け入れ拡大は労働力の問題である以上に、国のかたちを変えるものであるが、政府・与党はただ法案成立を急ぎ、憲法改正という国家の基盤的問題はまた先送りされつつある。
米中の新冷戦時代に突入しながら改憲や国防の課題を、政府も国民も他人事めいたことにしている。江藤淳は、竹下・宇野・海部・宮沢、そして細川内閣辞任へとめまぐるしく交代する政治のありさまを「百鬼夜行の平成政治」と批判し、「平成日本はいつ滅びるかわからない。ますます滅びそうだと思っている」といったが、民主党政権の三年余で文字通り亡国の淵にまでいった日本は、安倍晋三の再登場によって“一強”政治などと称されながらも、その内実たるや新自由主義の妖怪を跋扈させるばかりであった。
江藤淳がもし健在であれば、言下に日本は「ますます滅び」つつあると断ずるであろう。なぜなら、江藤淳がその後半生を賭して探究した「戦後史」の呪縛から日本人は七十有余年も経ても、少しも脱却できていない、いやむしろ自ら進んでアメリカという超大国への幻想的依存を深めることで、真に自立した国家としての道を歩むことを放棄する、自己欺瞞に陥ってきたからである。
萎縮する「日本の言語空間」
江藤淳は昭和五十三年を起点に米国の占領政策の実態を一次資料から改めてさぐり、戦後の日本人が「閉された言語空間」に置かれてきたことをあきらかにした。GHQによる検閲や戦後憲法の制定のプロセスなどの歴史的な検証がその仕事の中心となっていたが、重要なのはそれは決して過去の歴史研究ではなく、今ここに現前している日本と日本人の「自由」と「生存」の根本的な問題として在り続けていることだ。
『閉された言語空間』(平成元年)で江藤淳は占領下における米国の検閲が「眼に見えない戦争」すなわち日本の「文化」と「思想」にたいする殲滅戦であり、占領が終了した後も現在に至るまで、日本人がこの戦後「体制」を改めようとせずにきた事実を鋭く指摘した。
なぜ、改めようとしないのか。それはこの「体制」によって「利得の構造」を保持してきた政治・教育・文化の“戦後利得者”たちが、今日に至るまでマスコミ、ジャーナリズムの主流を占めてきたからである。
この構造は保守派であろうが左翼リベラルであろうが、体制側であろうが反体制側であろうが同じである。冷戦構造が崩壊して三十年を経てもそれは全く変わっていない。いや、むしろ江藤淳が当時厳しく糾弾した「日本を日本ではない国」にすることで利益をむさぼっている“利得者”たちは、グローバリズムと新自由主義政策の拡大のなかで、新たな「階級」として白蟻のように増殖し、日本社会のその骨格を蝕んでいる。
自由貿易の名のもとに国内の産業を破壊しつくし、アベノミクスは脱デフレを標榜しながら国内の賃金低下をもたらし、あげくの果てに欧州ではすでに惨憺たる結果となった「移民」労働力の受け入れを急ごうとする。
戦後レジームにおいて左右の政治勢力として対立してきた“利得者”たちは、イデオロギーの仮面を?いで、経済効率主義の名目のもとに、今この国の破壊にいそしんでいるのだ。江藤淳は『閉された言語空間』においてこう指摘した。
「(占領軍による徹底した検閲は)言葉のパラダイムの逆転であり、そのことをもってするアイデンティティの破壊である。以後四年間にわたるCCD(占領軍民間検閲支隊)の検閲が一貫して意図したのは、まさにこのことにほかならなかった。それは、換言すれば「邪悪」な日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば日本を日本ではない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった」
「日本」は今やまさにグローバル企業に席巻される「一地域」に変貌しようとしている。それは日本人が「日本人以外」の「何者か」になりつつあるからだが、その淵源は戦後のわれわれが日本人の「歴史」と「文化」と「思想」に根ざした言語空間を喪失しつづけてきたからに他ならない。
GHQによる占領下の検閲の延長に、自己検閲の罠から脱却することもせず、むしろそこに従属し安住することで、アメリカニズムを「自由」「平和」「民主主義」と言い換えてきたからである。
江藤淳はCCDの言論検閲が戦後日本の言語空間を拘束しつづけ、そこから日本人の「歴史への信頼」の「内部崩壊」が地滑り的に起こり、深刻化していることを詳細に指摘したが、今日のニッポン語「コンプライアンス」「……ハラスメント」「LGBT」etc.を見るまでもなく、日本語は刻々と萎縮しつづけて止むことがないのである。対米従属は政治・外交上の問題、さらには国防の問題というよりは、その核心にあるのはむしろ言語・日本語という文化的根源の危機なのではないか。
「今日の日本に、あるいは“平和”もあり、“民主主義”も“国民主権”もあるといってもいいのかも知れない。しかし、今日の日本に、“自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に、“自由”はあり得ないからである」(『閉された言語空間』)
亡国での皇統持続とは何か
平成元年二月十六日に江藤淳に長時間のインタビューをした。筆者とそれ以前に行なった二回の対談とともに『離脱と回帰と昭和文学の時空間』という対談集としてまとめた。
そこで江藤淳が昭和天皇への深い敬愛と、天皇という存在が世俗的空間をこえた聖なるものであることをとりわけ強調していたことが、今も印象に残っている。崩御の日、皇居前に集い記帳した多くの日本人の姿は、「天皇制」などというコミンテルンの用語(戦後は占領軍当局が共産党のこの用語をそのまま採用し広めた)ではなく、日本文化の本質たる皇統の顕現、昭和帝が天皇として戦前・戦後を生きられたことを何よりも物語っていると江藤淳は指摘した。そして皇統が維持されてきたことの重要さを次のように語った。
「僕は百二十五代、皇統が続いているということの意味で、大嘗祭もあまり形式的に考える必要はないという意見なんです。もちろん大嘗祭は、日本がこれだけの繁栄に浴している時代に、皇位継承に伴う諸行事が滞りなく行われない理由は何もないから、当然行われるでしょう。
それで名実ともに新帝は即位されて、皇統を持続されるだろうと思いますけれどね。過去に皇統が持続してきた間に、大嘗祭が行われなかった例もあります。そうであってもなおかつ皇統は持続してきている。(中略)皇室を廃するということを、日本人は一度もしなかった。(中略)この歴史的事実をわれわれは心の支えにしていくほかないと思うのです」
江藤淳には『昭和の文人』という名著があり、昭和天皇の崩御の折に「字余りのお歌」という一文で、「我ハ先帝ノ遺臣ニシテ新朝ノ逸民」という言葉も記していた。自らも昭和という時代と人生を共にしてきたとの感慨であろう。昭和が終わり平成となり、その平成の三十年も今終わろうとしている。皇統の歴史も新たな時代をむかえる。
しかし「日本」が「日本ではない国」となれば、そもそも皇統の持続とは何か。江藤淳が警鐘を鳴らしたように、日本人が自らの歴史と伝統を語りうる言葉を回復しないかぎり、主体的な自由な言語空間を取り戻さなければ、日本と日本人は真に自立しえないであろう。それどころか、遠からずして亡国もありうるのである。
富岡幸一郎(令和元年) (SAPIO2019年1・2月号から)
【PROFILE】富岡幸一郎●1957年東京都生まれ。中央大学文学部フランス文学科卒業。関東学院大学国際文化学部比較文化学科教授、鎌倉文学館館長。著書に『虚妄の「戦後」』(論創社)、『西部邁 日本人への警告』(共著、イースト・プレス)などがある。
江藤 淳 の「遺書」
心身の不自由が進み、病苦が堪え難し。去る六月十日、脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。乞う、諸君よ、これを諒とせられよ。
平成十一年七月二十一日 江藤淳
江藤の「遺書」については、翌日全国紙が掲載し、読者などから『見事だ』という多くの賛辞が寄せられた。一部で、「形骸を断ずる」という箇所に批判もあったが。私に、「どうのこうの」と論じる力量は無い。ただ言えることは、何らかの強い意志をもっての「自死」について他者が論じることは避けるべきだと思う。
『決断できない政治』『弱腰外交』は、江藤が生きた時代よりもさらに悪化の一途を……。江藤の嘆きは、ますます大きくなっている。(谷口利広)
昭和45年年11月、作家 三島由紀夫が自ら率いた民兵組織「楯の会」メンバーと東京都新宿区の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地(現防衛省)に乱入、隊員に向け演説の後、自決した。そのとき、私は大学2年であった。学生寮のラジオで知り、大きな衝撃を受けた。「春の雪」「奔馬」「暁の寺」を読み終えた直後だった。
私は、自衛隊に、このような状況で話すのは空しい。しかしながら私は、自衛隊というものを、この自衛隊を頼もしく思ったからだ。こういうことを考えたんだ。しかし日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、ついには精神的にカラッポに陥って、政治はただ謀略・欺傲心だけ………。これは日本でだ。ただ一つ、日本の魂を持っているのは、自衛隊であるべきだ。われわれは、自衛隊に対して、日本人の………。しかるにだ、我々は自衛隊というものに心から………。
静聴せよ、静聴。静聴せい。
自衛隊が日本の………の裏に、日本の大本を正していいことはないぞ。
以上をわれわれが感じたからだ。それは日本の根本が歪んでいるんだ。それを誰も気がつかないんだ。日本の根源の歪みを気がつかない、それでだ、その日本の歪みを正すのが自衞隊、それが………。
静聴せい。静聴せい。
それだけに、我々は自衛隊を支援したんだ。
静聴せいと言ったら分からんのか。静聴せい。
それでだ、去年の10月の21日だ。何が起こったか。去年の10月21日に何が起こったか。去年の10月21日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、これはいかんぞ、これは憲法が改正されないと感じたんだ。
なぜか。その日をなぜか。それはだ、自民党というものはだ、自民党というものはだ、警察権力をもっていかなるデモも鎮圧できるという自信をもったからだ。
治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったのだ。分かるか、この理屈が………。
諸君は、去年の10・21からあとだ、もはや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が20年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会はないんだ。もうそれは政治的プログラムからはずされたんだ。ついにはずされたんだ、それは。どうしてそれに気がついてくれなかったんだ。
去年の10・21から1年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた。もうこれで憲法改正のチャンスはない! 自衛隊が国軍になる日はない! 建軍の本義はない! それを私は最もなげいていたんだ。自衛隊にとって建軍の本義とはなんだ。日本を守ること。日本を守るとはなんだ。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである。
おまえら聞けぇ、聞けぇ!静かにせい、静かにせい!話を聞けっ! 男一匹が、命をかけて諸君に訴えてるんだぞ。いいか。いいか。
それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。
シビリアン・コントロール………シビリアン・コントロールに毒されてんだ。シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ。
………そこでだ、俺は4年待ったんだよ。俺は4年待ったんだ。自衛隊が立ちあがる日を。………そうした自衛隊の………最後の30分に、最後の30分に………待ってるんだよ。
諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ! 俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。
そのために、われわれの総監を傷つけたのはどういうわけだ
抵抗したからだ。憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきた、という、ことを知らないのか。諸君の中に、一人でも俺といっしょに立つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。よし! 武というものはだ、刀というものはなんだ。自分の使命………。
それでも武士かぁ! それでも武士かぁ!
まだ諸君は憲法改正のために立ちあがらないと、見極めがついた。これで、俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ。
天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!
注1、 ………は、聞き取り不能
注2、 ゴシック体は、野次と野次に対する三島の叱咤
GHQから押し付けられた日本国憲法では、「日本国は軍隊を持たない」としている。だが、自衛隊は存在する。これは憲法違反なのだろうか? 海外からの目は、「軍隊である」との認識だ。押し着せの憲法を鵜呑みにしている一部の国民に、自衛隊は後ろから指をさされている。 自衛隊を否定している人たちに限って、災害発生時、「出動が遅い」などとほざいている。
マッカーサーの米国議会証言録
総司令官解任後の1951年5月3日から、マッカーサーを証人とした上院の軍事外交共同委員会が開催された。主な議題は「マッカーサーの解任の是非」と「極東の軍事情勢」についてであるが、日本についての質疑も行われている。
日本が戦争に突入した目的は主として安全保障によるもの
質問者より朝鮮戦争における中華人民共和国(赤化中国)に対しての海空封鎖戦略についての意見を問われ、マッカーサーは太平洋戦争での経験を交えながら下記のように答えている。
「(中略)日本は産品がほとんど何もありません、蚕(絹産業)を除いて。日本には綿がない、羊毛がない、石油製品がない、スズがない、ゴムがない、その他多くの物がない、が、その全てがアジア地域にはあった。日本は恐れていました。もし、それらの供給が断ち切られたら、日本では1000万人から1200万人の失業者が生じる。それゆえ、日本が戦争に突入した目的は、主として安全保障の必要に迫られてのことでした。原材料、すなわち、日本の製造業に必要な原材料、これを提供する国々である、マレー、インドネシア、フィリピンなどは、事前準備と奇襲の優位により日本が占領していました。
日本の一般的な戦略方針は、太平洋上の島々を外郭陣地として確保し、我々がその全てを奪い返すには多大の損失が生じると思わせることによって、日本が占領地から原材料を確保することを我々に黙認させる、というものでした。
これに対して、我々は全く新規の戦略を編み出しました。日本軍がある陣地を保持していても、我々はこれを飛び越していきました。我々は日本軍の背後へと忍び寄り、忍び寄り、忍び寄り、常に日本とそれらの国々、占領地を結ぶ補給線に接近しました」
日本人は12歳
公聴会3日目(5月5日)、マッカーサーの日本統治についての質疑が行われた。マッカーサーはその質疑の中で、人類の歴史において占領の統治がうまくいったためしがないが、例外としてジュリアス・シーザーの占領と、自らの日本統治があるとし、その成果により一度民主主義を享受した日本がアメリカ側の陣営から出ていくことはないと強調したが、質問者のロング委員よりヴァイマル共和政で民主主義を手にしながらナチズムに走ったドイツを例に挙げての質問を受けた際の応答が下記の通りである。
「まぁ、ドイツの問題は日本の問題と完全に、そして、全然異なるものでした。ドイツ人は成熟した人種でした。アングロサクソンが科学、芸術、神学、文化において45歳の年齢に達しているとすれば、ドイツ人は同じくらい成熟していました。しかし日本人は、歴史は古いにもかかわらず、教えを受けるべき状況にありました。現代文明を基準とするならば、我ら(アングロサクソン)が45歳の年齢に達しているのと比較して日本人は12歳の少年のようなものです。彼等は新しいモデルに影響されやすく、基本的な概念を植え付ける事ができます。日本人は新しい概念を受け入れる事ができるほど白紙に近く、柔軟性もありました。ドイツ人は我々と全く同じくらい成熟していました。ドイツ人が現代の国際的な規範や道徳を放棄したときは、それは故意によるものでした。ドイツ人は国際的な知識が不足していたからそのような事をしたわけではありません。日本人がいくらかはそうであったように、つい過ってやったわけでもありません。ドイツ自身の軍事力を用いることが、彼等が希望した権力と経済支配への近道であると思っており、熟考の上に軍事力を行使したのです。
現在、あなた方はドイツ人の性格を変えようとはしないはずです。ドイツ人は世界哲学の圧力と世論の圧力と彼自身の利益と多くの他の理由によって、彼等が正しいと思っている道に戻っていくはずです。そして、我々のものとは多くは変わらない彼等自身が考える路線に沿って、彼等自身の信念でゲルマン民族を作り上げるでしょう。しかし、日本人はまったく異なりました。全く類似性がありません。大きな間違いの一つはドイツでも日本で成功していた同じ方針を適用しようとしたことでした。控え目に言っても、ドイツでは同じ政策でも成功していませんでした。ドイツ人は異なるレベルで活動していたからです」
この発言が多くの日本人には否定的に受け取られ、日本におけるマッカーサー人気冷却化の大きな要因となった。当時の日本人はこの発言により、マッカーサーから愛されていたのではなく、“昨日の敵は今日の友”と友情を持たれていたのでもなく、軽蔑されていたに過ぎなかったことを知ったという指摘がある。
さらにマッカーサーは、同じ日の公聴会の中で「日本人は12歳」発言の前にも「日本人は全ての東洋人と同様に勝者に追従し敗者を最大限に見下げる傾向を持っている。アメリカ人が自信、落ち着き、理性的な自制の態度をもって現れた時、日本人に強い印象を与えた」「それはきわめて孤立し進歩の遅れた国民(日本人)が、アメリカ人なら赤ん坊の時から知っている『自由』を初めて味わい、楽しみ、実行する機会を得たという意味である」などと日本人を幼稚と見下げて、「日本人は12歳」発言より強く日本人を侮辱したと取られかねない発言も行っていた。
また、自分の日本の占領統治をシーザーの偉業と比肩すると自負したり、「(日本でマッカーサーが行った改革は)イギリス国民に自由を齎したマグナ・カルタ、フランス国民に自由と博愛を齎したフランス革命、地方主権の概念を導入した我が国のアメリカ独立戦争、我々が経験した世界の偉大な革命とのみ比べることができる」と証言しており、マッカーサーは証言で、自身が日本で成し遂げたと考えていた業績を弁護していたという解釈もある。
一方で、マッカーサーは「老兵は死なず……」のフレーズで有名な1951年4月19日の上下両院議員を前にした演説では「戦争以来、日本人は近代史に記録された中で最も立派な改革を成し遂げた」や「賞賛に足る意志と、学習意欲と、抜きんでた理解力をもって、日本人は戦争が残した灰の中から、個人の自由と人格の尊厳に向けた大きな建造物を建設した。政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、今や日本は地球上にある多くの自由国家と肩を並べており、決して再び世界の信頼を裏切る事はないであろう」と日本を称賛しており、「日本人は12歳」発言は、日本人はドイツ人より信頼できることを強調したかっただけでマッカーサーの真意がうまく伝わらなかったという解釈や、マッカーサーと関係が深かった吉田茂のように「元帥の演説の詳細を読んでみると「自由主義や民主主義政治というような点では、日本人はまだ若いけれど」という意味であって「古い独自の文化と優秀な素質とを持っているから、西洋風の文物制度の上でも、日本人の将来の発展は頗る有望である」ということを強調しており、依然として日本人に対する高い評価と期待を変えていないのがその真意である」との好意的な解釈もある。なぜマッカーサーが「12歳」と言って「13歳」でなかったのかは、英語の感覚で言えば12歳は「ティーンエイジャー」ではまだないということである。まだ精神年齢が熟しきっておらず、新しい事柄を受け入れることが可能だと強調しているのである。
その他
この委員会では、他にも「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」と述べ、アジアにおける共産勢力の脅威を強調している。
ラッセル・ロングからは「連合国軍総司令部は史上類を見ないほど成功したと指摘されている」と水を向けられたが、「そうした評価を私は受け入れない。勝利した国家が敗戦国を占領するという考え方がよい結果を生み出すことはない。いくつか例外があるだけだ」「交戦終了後は、懲罰的意味合いや、占領国の特定の人物に対する恨みを持ち込むべきではない」と答えている。また、別の上院議員から広島・長崎の原爆被害を問われると、「熟知している。数は両地域で異なるが、虐殺はどちらの地域でも残酷極まるものだった」と答えて、原爆投下の指示を出したトルーマンを暗に批判している。
マッカーサー証言のポイントは、「日本が戦争へと進んだのは、安全保障上の理由によるものだ」捉えている点だろう。そして、1951年4月19日の上下両院議員を前にした演説では「戦争以来、日本人は近代史に記録された中で最も立派な改革を成し遂げた」や「賞賛に足る意志と、学習意欲と、抜きんでた理解力をもって、日本人は戦争が残した灰の中から、個人の自由と人格の尊厳に向けた大きな建造物を建設した。政治的にも、経済的にも、そして社会的にも、今や日本は地球上にある多くの自由国家と肩を並べており、決して再び世界の信頼を裏切る事はないであろう」と称賛している点だ。
日本は戦前、けっして覇権主義に陥ったのではない。東アジアに石油などの資源を求めた事と「アジアの諸国が欧米の植民地から脱出する」手助けをしたかったということだ。蒋介石との「日中戦争」で消耗する中、とにかく米国との戦争は避けたかった。勝てる見込みのない事を悟っていた。だが、社会主義に傾倒するルーズベルトの策略に嵌り真珠湾を攻撃してしまった。結果、米国の世論を「米日戦争止む無し」に……。(谷口利広)
現代の日本の国家的危機は、聖徳太子が築いた骨格を崩しているところから生じている。
1.聖徳太子が直面した国家的危機
私が毎月配信している、「日本志塾」12月号の「聖徳太子が築いた日本の骨格では、太子が当時の国家的危機に対応すべく国家体制、教育、外交の三つの分野で築いた骨格が、現在までの日本を支えてきたことをお話ししています。このメルマガはそのお話の続編です。
まず、当時の危機とは、以下のようなものでした。
(1)豪族間の争いによる国内の混乱
当時の日本は国家と言っても、豪族の連合国家でした。その中で天皇家の力が衰え、蘇我氏や物部氏などの有力豪族が権勢を伸ばし、互いに勢力争いをしていました。それにより国政が非常に乱れました。
(2)仏教導入か、否かの対立
大陸の先進文明として仏教を受容すべきか、それとも古来の神ながらの道(神)を守り続けるべきか、との論争が、豪族どうしの争いに拍車をかけました。
(3)東アジアの動乱
国外では、隋が大陸を統一し、高句麗に大軍を送り込みます。同時に、新羅が半島統一を狙って、任那や百済に攻め込みます。隋と新羅の連合は、日本にも脅威を与えていました。
2.「公民国家」の理想
これらの3つの国家的危機に聖徳太子は立ち向かっていきます。
まず、豪族間の争いを止めるべく、国家体制を豪族の連合国家から、「公民国家」へと大転換させます。それまで豪族達が私有していた土地も人民も、すべて国家のものとする、ということです。
坂本太郎・東大名誉教授は、太子の描いた公民国家の構想を次のように説明しています。
第一に、国家は君と臣と民との三つの身分で構成される。
おのおのがその分を守って国家のために尽くす時、国家は永久に栄えるということである。
君は天皇、臣は朝廷に仕える役人、そして民は一般の人々だ。
天皇は、臣や民とはかけはなれた高い地位にあるが、礼を重んじ、信を尊び、賢い人を役人にして、民の生活を安定させねばならぬ。
臣は、君の命をうけて、私(わたくし)をすて、公(おおやけ)に向かい、公平な政治を行わなければならぬ。
民は、臣の導きによって、おのおのの職分につとめねばならぬ。
[坂本]
臣を政府、民を国民と考えれば、天皇を国家・国民統合の中心として、政府が国民のために政治を行う、という国家体制です。その後の貴族政治のみならず、幕府政治、明治以降の政府でも、この基本形は継承されています。
今も国務大臣など政府の上層部は天皇陛下による認証式が行われます。国会議員にも、国会開会式において天皇がお言葉を述べます。
ここには天皇が国民の安寧を祈られる大御心を体して政治を行うべし、という理想が込められています。
3.「大御宝を鎮むべし」を追求するための「公民国家」
17条憲法は、公民国家を治める臣たちの持つべき心構えが示されています。たとえば、第12条では次のように述べられています。
十二にいう。
国司(くにのみこともち)や国造(くにのみやつこ)は百姓から税をむさぼってはならぬ。国に二人の君はなく、民に二人の主はない。国土のうちのすべての人々は、皆王(天皇)を主としている。仕える役人は皆王の臣である。どうして公のこと以外に、百姓からむさぼりとってよいであろうか。
[宇治谷]
豪族が私領民に勝手に課税したり使役したりすることは、もはや許されません。民はすべて「公民」であり、国司も国造も、その公民の統治を天皇から委任された「天皇の臣」なのです。
ここで「国土のうちのすべての人々」は、原文では「卒土(くにのうち)の兆民(おほみたから)」と記されています。
また「百姓」も「おほみたから」と訓じられています。初代・神武天皇は即位に際し「元元(おほみたから)を鎮(しず)むべし」と宣言しました。民は国家の大切な「大御宝」であり、その安寧を実現することが、わが国の建国目的でした。聖徳太子はその目的を追求して、豪族連合国家を公民国家に脱皮させたのです。
「大御宝を鎮むべし」との初代神武天皇の建国宣言は、126代の今上陛下にも受け継がれています。たとえば本年の新年のメッセージでは、コロナの被害者への心配を述べられ、さらに昨年の台風や大雨の被害者、そして東日本大震災の被災者に対しても、次のように心を寄せられています。
(東日本大震災で被害を受けた)多くの方々が、困難な状況の中で今なお苦労を重ねておられることを案じています。
日本国憲法は第1条で「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と述べています。それは単に制度の上で天皇を戴くことだけでなく、大御宝の安寧を祈る天皇の大御心を、どう現実の政治で実現するのか。こう自問しながら、具体的な政策を考えるのが、日本の政治家の責務なのです。
「大御宝の安寧」のための政策提案もなく、政府の揚げ足とりばかりの一部野党、与党でも票目当ての人気とり政策に走る一部の議員、こうした政治家はこの根本を見失っています。現代政治の混乱はここから来ています。
4.「公民」を育てるための教育
第二の仏教の受容に関しては、仏教か神道か、という二者択一ではなく、神道の土壌の上に仏教を移し替える、という天才的なアプローチをとられました。
たとえば、今日、多くの葬式は仏式で行われます。これも太子が始められたとされています。太子は、推古14(606)年に推古天皇に「勝鬘経」の講読をしましたが、これは父・用明帝などの霊の供養も兼ねていました。ここから、仏教と先祖供養が結びつきました。
梅原猛・国際日本文化研究センター名誉教授はこう指摘されています。
実際、日本人は古くから先祖供養をもっとも大事な宗教儀式としてきた。
太子はこの先祖供養の儀式と仏教を結びつけたのである。かくて仏教は日本に定着し、現在まで日本人は仏教によって、主に祖先の供養と死者の葬儀を行っているのである。
[梅原]
先祖供養を仏教によって行うようになったことで、神道の祖霊信仰が現代まで継承されました。もともとの大陸の仏教では、人間の魂は極楽か地獄に行ってしまいます。こういう死生観では、先祖から自分を通って子孫に繋がる「縦糸」の意識は薄れてしまいます。
「先祖が草場の陰で私たちを見守ってくれている」という日本人の死生観によって、先祖に感謝し、自分も子孫のために頑張らねば、という使命感を抱きます。自分の出費を抑えても、子供の教育にお金を使う、というのが、日本人の強みの一つですが、それは太子が仏教を変容させ、日本仏教を通じて祖霊信仰を日本人の心の中に活かし続けたからです。
このような縦糸の意識は健全な家庭で維持継承されるものです。家庭の中でこそ子供たちは歴史伝統の縦糸、家族や地域、社会の横糸の中に自分を位置づけ、その中で処を得るよう、成長していきます。これが国を支える「公民」を育てる道です。子供の権利や人権ばかり主張する今日のリベラリズムは、こうした縦糸、横糸を忘れさせ、根無し草の人間を育てています。現在の教育の混迷は、ここから来ています。
5.中華帝国主義を否定し、独立対等外交へ
第三の東アジアの動乱に対しても、太子は天才的な外交路線を始めます。中華帝国が自らを天下の中心とし、周囲の蛮族を従えるという「冊封体制」、今日の言葉で言えば「中華帝国主義」を排して、主権国家としての独立対等路線を始めたのです。
隋は西暦581年に、およそ300年ぶりに大陸を統一しましたが、598年には高句麗に大軍を送ります。高句麗は今日の北朝鮮から南満洲を占めていた国家でした。高句麗が隋に攻められているのをこれ幸いと、朝鮮半島東部を占めていた新羅は、日本の属領であった南端の任那や、南西部の百済を攻めます。
隋-新羅同盟に対抗して、聖徳太子は高句麗-百済-日本の三国同盟を組みますが、日本の遠征軍は渡海目前での将軍の病死により、応援を果たせませんでした。この失敗から、聖徳太子は「新羅を討つに兵を用いず」として、外交による新羅の封じ込めに転じます。
推古天皇15(607)年、太子は小野妹子を隋に派遣し、皇帝あての国書を送ります。これが「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」という有名な国書です。
この国書がいかに画期的だったかは、同時期に高句麗の嬰陽(えいよう)王が、隋の大軍を撃退した後に隋皇帝に送った国書と比べるとよく分かります。王は戦争に勝ったのに、国書では「遼東糞土の臣(糞尿にまみれた遼東の地を治めさせていただいている臣下)」とまで、へりくだっているのです。
これに比べれば、太子の国書はまったく対等の、しかも親しみを込めた挨拶です。
隋の煬帝は、妹子との会見の後、激怒して「このような無礼な書は二度と自分には見せるな」と臣下に命じました。煬帝が怒ったのは、「天子」「皇帝」とは世界に自分一人しかいないという中華思想のゆえです。
太子は高句麗随一の仏僧恵慈を側近としていましたから、こうした随皇帝の反応は織り込み済みだったでしょう。そのうえで、高句麗との戦いで精一杯の隋には、さらに日本を敵に回す余力はない、と正確に国際情勢を読んでいました。
果たして太子の読み通り、煬帝は怒りを抑え、翌年の小野妹子の帰国に際し、特使・裴世清以下12名の使節団を同行させました。使節団は煬帝からの、こんな国書を持参しました。
「皇帝から倭皇に挨拶を送る」と始まる丁重な文面で「皇(天皇)は海の彼方により居(まし)まして、民衆を慈しみ、国は安楽で生活は融和し、深い至誠の心あり」。
なにやら日本に阿(おもね)っているような文面です。隋の使節団は新羅を驚愕させました。もし、隋が日本と組んだら、新羅はひとたまりもありません。慌てて、日本にご機嫌取りの使節を送って来ました。その後も隋の高句麗侵略は続きましたが、太子の封じ込め策によって新羅は動けなくなり、高句麗は後顧の憂いなく対隋戦に集中できました。
結局、大軍を3度も北朝鮮まで送るという無理がたたって、隋は618年に滅亡してしまいます。高句麗は心のこもったお礼の使節を日本に送りました。
6.太子の「バランス・オブ・パワーに基づいた独立対等外交路線」に戻るべき時
太子の対等独立外交路線は、その後の江戸時代までの日本の対中外交の基本となりました。白村江の戦い、元寇、秀吉の朝鮮征伐を除けば、民間による交易が中心で、中華帝国との直接のやりとりはほとんどありませんでした。
平安時代にはもう中国から学ぶべきものはないと遣唐使を廃止して、ほとんど国交断絶状態となり、その後は和歌や物語などの平安文学が栄えました。江戸時代も琉球王国を擬制の仲介国として、対明・清貿易はしましたが、正式な国交はなく、国内は長い平和と繁栄の時代が続きました。
太子の外交戦略は、今日の言葉で言えば、主権国家どうしの対等友好外交です。その友好の背景には、バランス・オブ・パワーに基づく平和維持がありました。その枠組みの中で、新羅のような「ならず者国家」の野望を封じ込めたのです。当時の東アジア情勢は、今日とよく似ています。中国が伝統的な中華帝国主義に戻り、そのお膝元で北朝鮮という「ならず者国家」が大手を振るって、ミサイルを撃ちまくっています。このような国際的危機を招いたのは、今までの日本の外交姿勢に問題があったからです。「日中友好」のかけ声のもと、そして中国に植え付けられた贖罪意識に誘導され、日本は対中ODAと企業の対中進出によって中国を経済大国に育ててしまいました。その経済力を使って、中国は軍事大国としてのしあがりました。太子が遺した「バランス・オブ・パワーを基盤とした独立対等外交」路線を忘れたことが、現在の国家的危機を招いたのです。
7.日本の骨格が崩れ始めたことから、国家的危機が再来している
以上、太子が遺した日本の骨格として、以下の3点を論じました。
・「大御宝を鎮むべし」という国家目的を追求する公民国家
・家庭を基盤として縦糸、横糸の中で子供を育てる公民教育
・バランス・オブ・パワーを基盤とする独立対等外交
これらの骨格が崩れてきているところから、現代日本の国家的危機が再来しています。危機の克服のためには、日本の本来の骨格を再構築し、そこから頑健な体力を取り戻す、というアプローチが必要です。太子の事跡を学ぶ歴史教育とは、そのためにあるのです。
伊勢雅臣
1953年東京生まれ。東京工業大学 社会工学科卒。日本の大手メーカーに就職後、社内留学制度により、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学。工学修士、経営学修士(MBA)経営学博士(Ph.D.)を取得。生産技術部長、事業本部長、常務執行役員などを歴任。2010年よりイタリア現地法人社長。2014年よりアメリカ現地法人社長を歴任。イタリアでは約6千人、アメリカでは約2.5万人の外国人を束ね、過去最高利益を達成するなど成果を上げてきた。
これまでの海外滞在はアメリカ7年、ヨーロッパ4年の合計11年。駐在・出張・観光で訪問した国は5大陸36カ国以上に上る。
1997年9月より、社業の傍ら独自に日本の歴史・文化を研究。毎週1回・原稿用紙約15枚の執筆を22年間。正月休み以外は毎週続け、発行したメールマガジンは1148号を超える。筑波大学等でも教鞭をとり、日本の未来を担う「国際派日本人」の育成に尽力している。
聖徳太子の偉大な功績については、これまでも私なりに学んで来たが、改めて再認識できた。
伊勢氏が言われるように、中国をここまでのさばらせてしまったのは、約1400年前に聖徳太子が推進した「バランス・オブ・パワーを基盤とする独立対等外交」を忘れてしまったからだ。中国に植え付けられた贖罪意識に誘導された弱腰外交を猛省しなければならない。ハニートラップに嵌った「親中・媚中」派の売国奴を、今こそ一掃しなければならないのだ。先ずは、林 芳正外務大臣の更迭である。
来年2月8日の三生連の「社会見学」では、法隆寺を訪ねる。太子の遺徳を偲ぶよい機会だ。(谷口利広)
万年筆を使う事が少なくなった。前に使用したのはいつだったか思い出せないくらいだ。万年筆どころか、ボールペンや鉛筆であっても、文字を書くという行為自体が少なくなった。
現在は、文章を書く際は、パソコンを使う事がほとんどといってよいだろう。下手な字が、ますます酷いものになっている。
学生時代、なけなしの金で高価な米国P社製のスターリングシルバーの物を購入し、愛用していた。
50歳を超えた一時期、万年筆に凝った。5本を所有している。そのうちの一本は、ドイツのM社製のもので世界的に知られた太軸の逸品だ。実は、その一本が行方不明となり困っていた。
3年以上そのような状態が続いていたと思う。今朝、他の物をさがしているときに偶然見つかった。時間をかけて水洗いし、中に残った乾いたインクを流し落とした。他の4本も同様に。万年筆は、一年に一度くらい水洗いするのがよいと言われる。
他の4本だが、見つかった物と同様のM社製の、暗殺された米国大統領の名前を冠したものと、ボールペンで名高い米国C社製のスターリングシルバー製の品、あとの2本は国産でP社製とS社製のものだ。当然だが、それぞれに書き味が違う。私は、どちらかと言うと、太字が好みだ。
万年筆は、インクの入った状態でじっと置いておくのはよくない。言うまでも無いだろう。これを機会にまた、ちょくちょく使ってみようかと思っている。
「ならビューティフルシニア表彰」なるものがある。
心身ともに健康で、若々しく、積極的に社会活動を行い、年齢を重ねた「美しさ」を感じさせ、あんな人になりたい、と憧れとなるような県内に在住する 70歳以上のシニア(高齢者)を県民に紹介して顕彰(知事表彰)するもので、今年で13回目となる。
今年の「ビューティフルシニア」の一人に、三室の青木孝益氏(90歳・三室支部元支部長・三生連元理事)が選ばれた。今月17日に、奈良市内で表彰式がある。まことにおめでたいことだ。心から祝福申し上げる。
三生連からは第2回で表彰された中井和子氏(新友会・三老連元顧問)以来二人目である。
名前の通り、アメリカの南部と北部による戦争ですが、その背後には<黒幕>の存在がありました。アメリカを強国にしないために、奴隷制支持の南部軍を助けて、アメリカを分裂させてしまおう。ということを画策・応援した<黒幕>がいたのです。
南部はプランテーション農業ですから、原材料輸出国です。北部は工業化を目指していましたから、将来、自分たちの支配力を脅かしてくる可能性があるわけです。そうすると北部は叩かなければいけません。これを叩いて、南部の大農業地帯を発展させ、そこからの綿花の貿易などを支配する。<黒幕>にとって南部は都合が良く、原材料供給国でいてほしいと願っていました。
もし南部が独立を保てれば、<黒幕>にとってここまで具合のいい話はありません。南部の資源は利用し、北部の工業地帯は発展させない。そのような<黒幕>による謀略があったのです。
南北戦争は、一見、アメリカ国内の内戦ですが、上記のように当事者以外の<黒幕>の関与が大きくありました。勘の良い方なら、この<黒幕>の大枠が少し掴めてきたのではないでしょうか? そしてこの<黒幕>は、今も生き残り続け、今も世界中の事象の裏側で、暗躍し続けています…
国際政治学者・藤井厳喜
藤井氏の指摘する黒幕とは、ロスチャイルド家だ(ドイツ・フランクフルトに端を発する貧しいユダヤ人の一族だったが、金融を生業にするようになってから大きく発展した。フランクフルト以外、ロンドン・パリ・ミラノ・ニューヨークに居を構えた)。もうこの時代に米国に進出し、影響を及ぼしていたのだ。フランス革命でも、ロシア革命でも、第一次世界大戦においても糸を引き、結果として莫大な利益を得た。
幕末の日本に来航し講和条約の締結を迫ったペリーの背後にも、ロスチャイルド家の存在があった。近年は、ロスチャイルド家と並んでロックフェラー家も黒幕となった。
「国際金融資本」と呼ばれる彼らは、世界のありとあらゆる出来事に係わっている。大東亜戦争に日本を誘い込んだルーズベルトの背後でも、今年2月からのロシアのウクライナ侵攻にも大きく係わっている。世界を牛耳っていると言っても過言ではない。
コロナ禍の中、ワクチン接種で莫大な利益をあげている企業があるが、元を辿れば「国際金融資本」に繋がることは間違いない。(谷口利広)
昨日(12月5日)の参議院本会議で、中国の新疆ウイグル自治区などでの人権侵害(ジェノサイト)に懸念を示す決議を自民党などの賛成多数で採択した。しかし、欧米諸国のようには中国を名指ししなかった。
親中派・媚中派議員が反対したため、内容が交代したのだ。これに与党を形成する党がさらに足を引っ張るのだ。なぜこれほどまでに、中国におもねるのだ。ハニートラップにかかっていることも、要因のひとつだろう。こういった議員は、はやく議員辞職するべきだ。
自民党の体たらくにほとほといや気がさす。
早朝、かなり冷え込むが、ラジオ体操の参加者は元気だ。寒いのだが、冷気は気持ちよい。夜明けが遅くなり、広場に照明はあるものの出席スタンプを押す係は見にくい。明るくなるのは、「第一体操」の途中からだ。
大阪ガス財団の支援によるアルミ製の立派な指揮台があり、台上で示範する。示範があると全体の動きがよくなる。台上から見ると、一目瞭然だ。購入費の8割を補助していただいたのだが、大阪ガス財団には、とても感謝している。
朝のラジオ体操は、始めて7年と2ヵ月となったが、この間休まず続いている。雨天でも、元旦も大晦日でも、例外無く。10年は遠い先のように思っていたが、視野に入ってきた。新加入のお二人も熱心であり、「東信貴ケ丘ラジオ体操会」はますます盛んとなる勢いだ。
「神仏」は「かたち」のないものであり、「祖霊」も、「かたち」のないものである。しかし、古来、日本人は、わが民族にはそういう「目に見えない世界」と「目に見える世界」の仲取り持ちをしてくださる方がいる・・・と信じてきた。それが、天皇である。そのことについては、私は、再三書いてきたので、ここでは、もうくり返さない(拙著『日本の心に目覚める五つの話』〔平成二十二年・明成社〕などを参照のこと)。
一言で言えば、天皇とは、わが民族の「祭り主」である。初代の神武天皇以来、現在の第百二十五代の今上陛下にいたるまで、皇統は、一貫して男系で継承されてきている。そして、その天皇の第一のお勤めとは、日々の「祈り」なのである。それでは、天皇は日々、何を祈っておられるのであろう。それは、「国民の幸せ」である(この厳然たる事実を、たとえ一言でも、 教育現場で教えるようになれば、 日本は変わる・・・と、私は考えている)。
天皇とは、「目に見えない世界」と「目に見える世界」の仲取り持ちをしてくださる方なのであるから、日本人にとっては、この世で最も「上」の方ということになる。つまり、誰を差し置いても、まず「敬語」を使うべきは、まず天皇なのである。その点、新しい「学習指導要領」に、「天皇についての理解と 敬愛の念を深めるようにすること」(小学校・社会)とあるのは、まことに妥当な文言といえる。
問題は、その「法規」が、全国の学校現場で守られているか・・・ということである。たとえば、来年から使用される小学校の教科書には、今上陛下の写真をあげながら、その説明文では「天皇」と「呼び捨て」にしている教科書がほとんどである(拙稿「八月十五日は開放記念日 ―罷り通る自虐教科書」〔『正論』平成二十二年四月号〕)。
具体的に言えば、こうである。「天皇は憲法で定められた このような仕事以外にも、 全国植樹祭への出席や災害で被災した 地域への訪問などの、公的な仕事も行います」(教育出版『小学校社会6下』)。よく見ると、この一文には、一つも「敬語」が使われていないことに気づく。
先ほど私は、「神仏」への敬意と「老人への敬意」と「敬語」の三つは、同時に消えていきつつある、と書いた。しかし、そうであるならば、あるいは、こうも言えよう。もしも学校現場で、天皇に対する「品のいい敬語」を取りもどすことができれば、「神仏」への敬意も「老人」への敬意も、同時によみがえるのではないか・・・と。
わが国は、「言霊の幸はふ国」(『万葉集』)なのであるから、そういう教育が行われれば、そういう現象も、きっと起こってくるにちがいないと、私は期待している。
皇學館大学教授 松浦光修
天皇をお読み(お呼び)するとき、私はごく自然に「天皇陛下」となる。しかし、60歳、70歳の熟年世代にも、そうでない方がおられる。残念な事だ。そういった家庭に育った子どもも、そうなっていく確率は高いだろう。
天皇陛下は日々、「日本国の安寧」と「国民の幸せ」を願ってお祈りされている。松浦氏は、「天皇陛下がお祈りしていることを教育現場で子供たちに教えるならば、日本は変わる」と……。まったく同感である。
我々の世代が、「日本再生のために何を為すべきか」を今一度考え直すことが求められていると思うのだ。
未だに「大東亜戦争」を「太平洋戦争」と呼び、自身が自虐史観に苛まれていることさえ気づかない方が存在する。そういった方の多くは、日ごろは米国を好ましく思っていないのに「有事の際は米国が動いてくれる」と信じ切っている。だが米国も実際のところは、「他国に頼るな。自分の国は自分で守れ」と思っているだろう。自国の防衛で精一杯というのが、実情だろう。他国のために、自国民の血は流したくないというのは人情である。
「九条を守れ、自衛隊は違憲だ」と叫んでいる人に限って、災害発生時「自衛隊の出動が遅い」などと言うのである。そのことは、阪神・淡路大震災のときに証明された。
そのような中、防衛予算を増やす方向で進んでいることは喜ばしいことだ。正味の増額になるかどうかチェックが必要だ。繰り返すが、「日本再生のために何を為すべきか」を今一度考え直すことが求められているのである。(谷口利広)
今回、はっきり言って民進党は「信じられないような」大敗をしてしまいました。というのも、蔡英文政権そのものは、非常に高い支持率を維持しています。2期目でなお支持率50%超えは異例なことです。経済成長率もとても良くて、個人国民所得は、今年初めて日本と韓国を抜いて高くなりました。つまり負ける要素はほとんどなかったのです。なのになぜ大敗してしまったのか? これには2つの理由があります。
予備選挙の廃止が裏目に…
一つは人選ミスです。本来、民進党は選挙の前に党内で「予備選挙」というのを行います。そこで内部で戦わせて、一番強い人を立候補させるのです。しかしこの方法だと本選挙に入る前に、党内でいざこざが生じることもあるので、今回はそれに配慮して、実質的に蔡英文総統に一任する形となりました。
実はそれが、裏目に出てしまったのです。蔡英文は外交と国防の分野ではとても素晴らしいリーダーシップを発揮していますが、党内・地方勢力の派閥や権力分配には全く無関心です。しかし、地方選挙の場合、地方の派閥、勢力、利益分配にある程度精通しなければ、候補者を立てることは難しいのです。
蔡英文はそこを無視して人選を無理やり押し付けるような部分がありました。例えば、新北市の市長候補だった林佳龍(りんかりゅう)は、もともと台北市で立候補しようと入念に準備していました。ところが彼を、まったく地盤もない新北市に立候補させたのです。つまり、本来なら勝てる候補者を勝てないところに立候補させてしまいました。民進党にもいろいろな派閥がありますから、この派閥の支持基盤を見極める必要があるのです。
これにより民進党は今回の選挙で一致団結していませんでした。これは民進党内に敵への油断、おごりと慢心があったと言えます。
若者が離れたネガティブキャンペーン
そしてもう一つの敗因は何か? 今回の選挙では、政策を出して政策論争をするよりも、民進党でも国民党でもネガティブキャンペーンでお互いの政党を批判・個人攻撃することばかりやっていました。このようなネガティブキャンペーンに若者は嫌気が差していますから、今回は自分の故郷に帰って投票するような様子もなく、若者にとっては全く魅力のない選挙になっていたのです。
しかし民進党の支持者層の多くは若者です。若者が投票に行かなければその分、民進党の票が減ってしまうということです。
2年後の総統選はどうなる?
明らかに今回の失敗によって蔡英文の影響力は弱くなり、これからはポスト蔡英文の時代が始まります。総統としての任期は残り1年ちょっとですが、党の主席を辞めたことで、レームダック化するでしょう。そして今回の責任を問われる中で、内閣改造もする可能性があります。そうなった場合、2024年の総統選挙では、蔡英文の意中の人物が立候補できなくなる可能性が非常に高いです。
現時点で、2024年の総統有力候補は3人います。
・頼清徳(副総統)
・陳建仁(前副総統)
・鄭文燦(桃園市長)
この3人のうち、陳建仁と鄭文燦の2人は蔡英文の意中の人選なのです。しかし今回の選挙によって、この2人が立候補する可能性は非常に低くなり、その分、頼清徳が総統候補になる可能性が高くなりました。
実は皮肉なことに、頼清徳の支持者たちが今回の選挙であまり積極的に動かなかったことも大敗した1つの要因なのです。本人がどう思っているかは別として、彼の支持者らは明らかに今回の選挙で、民進党の足を引っ張ったのです。
結果的に、頼清徳にとってかなり有利な情勢となりました。確かにこの3人の中で考えると、頼清徳は良い人選だと思います。しかし敵である国民党は今回の選挙で勢いづくはずですから、民進党もこのまま内部闘争をしている余裕はもうなくなり、一致団結せざるを得なくなるでしょう。そういう意味で、今回の大敗は決して、長い目で見れば悪いことではありません。民進党がこの大敗を反省して、一致団結して気を引き締められるかが今後の鍵になると思います。
林 建良(りん けんりょう)台湾独立建国聯盟・日本本部委員長
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。
医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。
現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、
台湾の未来について演説・討論をおこなった。
台湾の内政について疎いが、民進党には今回の結果を反省して一致団結することが求められる。でないと、中国共産党を利することになってしまう。混乱している中国に塩を贈らないでほしい。(谷口利広)
本日は、仮想通貨の闇についてお伝えいたします。
私はかねてから、仮想通貨市場の将来性は暗い、素人は手を出さない方がいいということを言ってきましたが、実は仮想通貨ブームの裏側には意外な国が隠れています。
覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんが、2018年に日本のコインチェックという仮想通貨の取引所で大規模な盗難事件が起きました。これは典型的なサイバーハッキング犯罪でして、約580億円分のNEMという仮想通貨が盗まれてしまったのです。この会社はなんと、400億円ほどキャッシュで用意して、お金を奪われた被害者に補填したそうですが、盗まれたNEMというお金は、ダークウェブと呼ばれる闇市場で資金洗浄されて行方不明になっているのです。
これは、単にハッキングして盗んだというだけの話ではなくて、盗んだものが別の通貨に交換されてしまったということが重要なのです。
実は犯人は…北朝鮮?
この犯人は誰が怪しいのかというと、実はこれが北朝鮮だと言われているのです。これは韓国の国家情報院が伝えていることです。韓国は北朝鮮にたびたびハッキングを受けてひどい目に遭っている国ですから、手口がよくわかっているのかもしれません。
韓国国会の情報委員会で、コインチェック事件の背後には北朝鮮の国家が育成したハッカーがいるのではないかという発言がありました。状況証拠的には、北朝鮮ということで間違いないのではないかと考えられているわけです。この話からわかる通り仮想通貨を危うくしている理由の1つは、コインチェックのような取引所はセキリュティが大甘だということです。
それはブロックチェーンという技術に問題があるという話ではなくて、それを扱う取引所に問題があるということです。どれだけ技術が優れていても、通貨を交換する場所が簡単にハッキングされてしまったら、どうしようもないのです。
いつ盗まれるかわからないリスク
2014年には、同じくハッキングによって一番被害が大きかったマウントゴックス事件もありました。これも日本の会社です。ですから、みなさんがこういう取引所にお金を預けるということは、強盗によく襲われる銀行にお金を預けることと同じなのです。
実際の日本円や米ドルだったら、たびたび強盗が入っている銀行にはお金を預けることはありません。それはお金が信用できないのではなく、銀行が信用できないということです。私が仮想通貨に反対する理由は他にもいくつかありますが、今日は北朝鮮との関係に触れながら、取引所の問題についてお伝えいたしました。
国際政治学者・藤井 厳喜
国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。
著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。
私は、ギャンブルは一切やらない。競輪・競馬・競艇はもちろん、パチンコもやったことが無い。であるから、コインチェックだの偽装通貨だのも、鼻から相手にしていないし、全く関心がない。宝くじも買った事がない。「本当はやってみたいけれど我慢している」ではないので、ストレスは皆無だ。
人が株とかで儲けたとか、宝くじに当たったとか聞いても、「あぁ、そう」である。お金に興味が無いことは無い。お金は欲しいと思っているが、儲け話に乗る気は無いのである。そういう性格と言うか、そういう生き方が自然にできてよかったとつくづく思っている。(谷口利広)
1941年11月26日、アメリカは日本に交渉文書を提示します。日本での正式名称は「合衆国及日本国間協定ノ基礎概略」で、交渉にあたったコーデル・ハル国務長官の名前から、後に「ハル・ノート」と呼ばれるようになりました。
文書の内容は、アメリカ側が考える国際秩序の安定策を提示し、日本に要求をのむよう迫ったものです。この中には、日本がのむ可能性のない、
・支那大陸やフランス領インドシナ(仏印)からの即時無条件完全撤退
・親日の南京政府に敵対する蔣介石政権支持への転換
・日独伊三国同盟の破棄
などの強硬的な内容が含まれていました。つまりこれは、日本側に開戦させるための文書以外のなにものでもなかったと言うことができます。
ハル・ノートにはもう一通、ハル国務長官が書いた「妥協案」が別にあったことはよく知られています。先の「強硬案」を作成したのはハリー・D・ホワイト財務次官補です。そして、このホワイト財務次官補は、ソ連軍情報部に内通したスパイでした。ルーズベルトがソ連と親和していただけでなく、明確にソ連側の利害に立って工作を進める人物がアメリカ政府内にいたわけです。
また、OSSには対ドイツ構想の立案スタッフとして実際に、ホルクハイマー、アドルノ、マルクーゼらフランクフルト学派の社会学・人文学者が加わっていたこともわかっています。ルーズベルトは「世界の社会主義化」を目指していました。OSSは、その目的を暗黙裡に持っていた戦略組織でした。OSS「日本計画」は、階級闘争を起こさせ、軍部を孤立させ、軍部と人民とは違うという意識を与えて日本国内を混乱させることを計画の基本に据えていました。
しかし日本は、計画通りにはならない国柄を持っていました。
〝奇襲〟だと演出された「真珠湾攻撃」
日本に、OSS「日本計画」で予定されたような階級分裂は起こりませんでした。「大政翼賛会」に見られるように、国難に対しては右派・左派の別なく、一致団結して動きました。戦後、「大政翼賛会は軍部に強制された組織であり、国民を無理やり総動員するための天皇親政だった」などとよく言われます。しかし当時は、「一致団結して、国を、天皇を守ろう」ということが国民の総意でした。一般人のものも含め当時の日記資料を見れば、それは明らかです。
ハル・ノートを突き付けられて大陸からすべて撤退しろと迫られ、石油を止められれば、日本は国家運営をしていけないということを皆わかっていました。日本海軍は、国内に充満する開戦の気運をしぶしぶのんだと言ったほうが事実に近いのです。そして、アメリカは以前から日本を、開戦せざるをえないという状態に追い込む工作を続けていました。大東亜戦争はアメリカが熱望した戦争であり、アメリカに脅迫されてやむをえず日本が開戦した戦争です。
ハル・ノートはアメリカ国民に対してはひた隠しにされました。あらゆる点から見て理不尽な要求であるハル・ノートは、そういった交渉を日本に対して行っていることが表に出れば、ドイツ潜水艦への挑発行為のように、国内議会で問題にされてしまうべきしろものです。1941年12月8日の真珠湾攻撃は、ルーズベルトによって、その奇襲性が演出されたのです。突然、野蛮な、猿のような日本人が襲ってきたかのように、アメリカ国民には見えました。それがまさにアメリカにとっては「太平洋戦争」の開始であり、日本にとっては交渉を重ねてきた末でのやむをえない「大東亜戦争」の開始だったのです。
東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授 田中 英道
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する
国際的な新説・新発見を次々と発表。
フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
とにかく、日本は好んで戦争をした訳では無い。世界の社会主義化を望んだルーズベルトに誘い込まれたのである。いい加減、日本人は目を覚まさなければならない。自虐史観を捨て去らねばならない。自虐史観の維持に助太刀する者は、真の日本人ではない。売国奴と言ってよい。日本から出て行けばよいのである。(谷口利広)
そもそも「敬語」とは何か? むろん、それについての学問的な議論は、古来より現代にいたるまで無数にあろうが、要するに「敬語」とは、読んで字のとおりで、「敬意をあらわすために使う言葉」である。それでは・・・と考える。「敬意」というのは、何なのであろう? 戦後教育では、「平等」ということが過度に強調され、その反動で「上下」という感覚が、徹底的に排除されてきた。その結果、教育現場で生じたものは何であろう? それは、たとえば、「友だち先生」であり、また教室から教壇の撤去である。「偉人伝」の排除も、その思想の流れにそったものであろう。
それ以外にも、さまざまな局面で、「上下」の感覚は・・・、あるいは「上下」の感覚を養うことにつながる可能性のあるものは、ことあるごとに消されてきたように思う。そして今、日本人は、その感覚を、ほとんど失ってしまった(大学の新入生が、教授に「タメ口」で話した、という話は、もう何年も前に聞いている)。
しかし、「上下」というのは、現にあるものである。いくら言葉の上で否定してみたところで、その実在を消し去ることなど、できるものではない。たとえば、今の若い人たちでも、一歳違いの人物のことを、「一こ、上・・・」とか、「一こ、下」などといっている。それでは、なぜ、一年早く生まれただけの人物を「上」と言い、一年遅く生まれただけの人物を「下」と言うのであろうか。
そこに「敬語」というものの本質を知るヒントがある。たとえば、若者たちから見て、歳が「上」の人物が、どんどん上へと上がっていくと、どうなるのか・・・というと、むろん、老人になるのである。さて、それでもさらに上へ上がっていくと、どうなるのであろう。「祖先」にいきつくのである。つまり、「一こ・・・上」の、最後に行き着く先は、「祖先の霊」ということになる。それは、もう「神仏」という聖なるものの世界である。
昔は、「お年寄りには敬意を払う」ということが、日本人の常識であったが、たぶんその常識も、日本人の「神仏」に対する「敬意」とともにあったのであろう。今、日本の一般家庭からは、神棚や仏壇、どんどん消えていきつつあるが、そうしてみると、「神仏」への敬意と「老人への敬意」と「敬語」が、同時に消えていきつつあるのは、残念ながら、必然的な現象であるというほかない。
皇學館大学教授 松浦光修
私自身、周りで「敬語」が失われつつあるという実感は無い。中学から「部活動」で、先輩・後輩という関係性の中で育ってきたことや社会人になってからも「教職」に身を置いたという特殊性も関係しているだろうか。
「社会に出たら3~4歳の違いは同級生のようなものだ」などの声も聞くが、そうは思わず1歳だけの違いでも先輩は先輩だと、私は立てる。その姿勢は崩したことはない。松浦氏は、お年寄りへの敬意を神仏への敬意を結びつける。興味深い捉え方だ。その事とは別に、一般家庭から「神棚や仏壇」が少なくなってきたことについては、私も危惧を抱いている。
仏教徒であれば、「結婚して一戸を構えたならば(借家であれ何であれ)、亡くなった者が居なくとも仏壇を……」という事を知らない人がかなりの割合占めて来たことを感じる。20代や30代の若い世代ならともかく、50~60代になっても知らないというのは憂うべき問題である。こういう事を話題にすると、住宅事情の話になるが、何も「大きな仏壇を購入しなさい」という事ではない。コンパクトなものでよいのだ。(谷口利広)
昭和41年の暮れから翌年にかけて、私は、ある新聞社の特派員として、当時既にデルタ地域にまで共産勢力が進出していたベトナム戦争の取材に赴きました。
あのベトナムで私が強く感じたことは、首都サイゴンの知識階級のみずからの国で行われている戦争への驚くほどの無関心、冷笑的な態度でありました。それゆえに、私は、あの国がやがて間違いなく共産化されることを確信していました。同時に、私には、あの教養高いベトナムのインテリと日本の知識人たちがその政治姿勢において互いに非常に似ているという気がしてなりませんでした。ということは、祖国日本もまた、いつかの将来、あるいは自由主義体制が侵食され崩壊する日が来るのではないかと。ならば、それを防ぐためにはみずから行動すべきではないかと。私が政界に身を投じる決心をしたのは、あの他国の戦争で感じたもののゆえにでありました。
そして、その翌年、昭和43年の参議院全国区に立候補、当選し、後に衆議院に転じて、以来今日に及びます。私の政治家への転身の動機は、その後の日本の発展と安定を眺めれば、幸いにも杞憂に終わりました。すべて国民の英知ある選択と、やむことのない努力のおかげであります。
その間、私も私なりに、志を同じくした仲間とともに政治の金権性と戦い、あるいはアメリカや中国の対日関係における一方的な主張に反発し、微力ながらの戦いもしてまいりました。
最も欣快とするのは、日本側の国益を何ら反映することのなかったあの日中航空協定に最後まで反対した我々青嵐会を当時の周恩来首相が評して、彼らの言うことが当たり前だ、私が日本の政治家だったら彼らと同じことを言っただろうと周辺に語ったということを、後に複数の方々から聞かされたことでありました。
しかしなお、今日この表彰を受けて改めて私は、みずからの力の足りなさに慙愧せざるを得ません。政治家の経歴は決して、決して長きをもってよしとするものではないということを改めて痛感自覚し、ただ恥じ入るのみであります。
イデオロギーの生んだ冷戦構造が崩壊した今、政治の対立軸が喪失されて、私たちは新しい軽薄な混乱の中にあります。新しい文明秩序の造形のために、多くの可能性に満ちているはずのこの日本の将来を毀損しかねないような問題が幾つも露呈してきているのに、現今の政治はそれにほとんど手をつけられぬままに、すべての政党、ほとんどの政治家は、今はただいかにみずからの身を保つかという最も利己的で卑しい保身の目的のためにしか働いていません。
こうした政治の現況に、国民がもはや軽蔑を通り越して、期待し裏切られることにも倦んで、ただ無関心に過ぎているという状況は、政治の本質的危機としか言いようがありません。
植民地支配によって成り立っていたヨーロッパ近代主義の繁栄が終焉し、到来しつつある新しい歴史のうねりの中で、新しい世界の文明秩序が期待されている今、歴史的必然としてアジアに回帰し、他のだれにも増して新しい歴史創造の作業への参加資格のあるはずのこの日本は、いまだに国家としての明確な意思表示さえできぬ、男の姿をしながら実は男子としての能力を欠いた。さながら、さながら去勢された宦官のような国家になり果てています。それを官僚による政治支配のせいというなら、その責任は、それを放置している我々すべての政治家にこそあるのではありませんか。
現在の日本国民の政治に対する軽侮と不信は、今日このような表彰を受けたとはいえ、実はいたずらに馬齢を重ねてきただけでしかない、まさにこの私自身の罪科であるということを改めて恥じ入り慙愧するのみであります。
それでもなお、かくも長きにわたってこのような私に期待し支持を賜った国民の皆様に、この場をおかりして改めて心より御礼を申し上げ、あわせて深い深い慙愧の念をあらわす次第であります。
そして、そのゆえをもって、私は、今日この限りにおいて国会議員を辞職させていただきます。
ありがとうございました。
見事の一語に尽きる。これほどの演説ができる政治家は、安倍晋三元総理亡き後、残念だが、現在、見当たらない。強いてあげれば、高市早苗氏だろうか。この演説には、信念と責任、覚悟が満ち溢れている。自民党の全国会議員、いや首長、都道府県議会、市町村議会議員は、毎日朗誦していただきたいと思うのである。
政治家を志した以上、政治屋ではなく、「真の政治家」になっていただきたい。(谷口利広)
中国共産党(中国政府)による「ゼロコロナ政策」への人民の反発が強まる中、上海などで大規模な抗議活動が起きている。北京でも、複数の地区でデモが行われ、精華大学でも多くの学生が、抗議の声をあげていると。
今回はあからさまに習近平国家主席の退陣を要求している。これまでになかったことだ。抗議活動は全土に広がる可能性がひじょうに高い。中国の街頭で最高指導者が直接批判される異例の事態だ。
こういった模様は、日本国内の大手新聞やNHKをはじめテレビでも報道し始めている。「親中・媚中」の国内メディアでは異例だ。いよいよ中国共産党崩壊近しか。
東京五輪のメダリストのインタビューや、彼らに関する過去の動画を見て、気づいたことがあります。
メダリストは過去に、「金メダルが目標です」と発言していたことが多い。たとえば柔道の阿部一二三選手と阿部詩選手が、「兄妹同時金メダル」を目指してきたのは有名な話。二人は、実際に金メダルをとり、歴史に名を刻みました。
卓球の混合ダブルスで、水谷隼さんと共に、金メダルを獲得した伊藤美誠さん。伊藤さんは二歳(!)の時に卓球をはじめました。2012年、11歳の時、お母さんとロンドンオリンピックを視察。そして、ノートに目標を書きました。
「4年後に、この大きな舞台にたつ」(=オリンピックに参加する)
「8年後には、オリンピックで優勝する」(=東京オリンピックで金メダルをとる)
実際は、どうだったのでしょうか? 15歳になった伊藤さんは2016年、リオデジャネイロ・オリンピックで銅メダルを獲得しました。これは、卓球史上最年少のメダル獲得でした。そして20歳になった伊藤さんは、東京オリンピックで金メダルを獲得しました。11歳の時ノートに書いた目標を、二つとも叶えることに成功したのです。
ボクシングで金メダルを獲得した入江聖奈さんは、去年の3月、目標を聞かれ、
「金メダルとって、君が代を流すことです」
と答えていました。小学2年生でボクシングをはじめた入江さんは、女子ボクシング選手としては、史上初の金メダリストになりました。
変わる若者
自分自身で目標を設定する。その実現のために、必死でがんばり、目標を達成し、夢をかなえる。理想的な人生ですね。これはオリンピック選手の話ですが、日本の若者と話していて感じることもあります。
10代20代の若い人に、「将来の計画は?」と聞くと、「起業したい」答える人がかなりいます。漠然とした願望ではなく、ビジョンが具体的で、「そのために今は何をすべきか」までしっかり考えている。
(私が聞いた話だけでは説得力がないと思い、少し調べてみました。「マイナビ2020年版独立・開業に対する意識調査」によると、20代から60代で、「独立・開業に興味がある」と答えた人は、40.5%でした。特に20代の男性は57.4%と、かなり高くなっています。ちなみに20代女性は40.1%でした。)
私は現在50歳ですが、私が若かったころには見られなかった現象です。昔は、目標を聞かれれば、「いい大学に入って、卒業後は大企業に就職することです」などと答える人がほとんどでした。就職後の目標は、「出世して部長になること」とか。「出世して社長になる」とかいうと、「ありえない」といわれたり。「鶏口牛後」(けいこうぎゅうご)という言葉があります。「鶏口となるも牛後となるなかれ」です。「ニワトリの口になった方が、牛の尻になるよりいい」つまり、「小さな集団のトップでいる方が、大きな集団の末端でいるよりいい」という意味。
一昔前の日本人は、「牛後鶏口」でした。つまり、「大企業の平社員でいる方が、小さな会社をたちあげるよりいい」と。ところが、今は変わってきたのですね。なぜでしょうか? 私は、日本企業が、終身雇用を捨て去り、リストラを一般化させたからだと思います。つまり、若者が、企業を信じられなくなった。自分の人生を預けられなくなった。それで今は、「自分で人生を切り拓いていかなければ」という意識が強まってきたのではないでしょうか?
私は、リストラが一般化したことは、もちろん「悪」だと思います。しかし、若者が、自分自身の人生を自分で切り拓こうと考えているのは、よいことだと思います。私たちは「自立国家」を目指しています。「日本の自立は、私の自立から」です。そして、「私の自立」は、「自分の人生を自分で決める」ことから始まります。「自分自身で自分の目標を設定する」ともいえるでしょう。
私の祖父母の時代は、「国」が目標を設定していました。私の父母や私の世代は、「会社」が目標を設定していました。今の若い世代は、政府も会社もアテにならないので、自分で目標を設定しています。若い世代が「自立人間」になることで、日本はどんどんよくなっていくでしょう。だから、「日本はもうダメだ」という妄言を信じないでください。「若い自立人間」が増えていくことで、日本は必ず復活します。
国際関係アナリスト
北野 幸伯
「卒業生の半分は外交官、半分はKGBに」と言われたエリート大学:ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学を日本人として初めて卒業。その後、カルムイキヤ共和国の大統領顧問に就任。大国を動かす支配者層の目線から世界の大局を読むことで、数々の予測を的中。自身のメルマガは、ロシアに進出するほとんどの日系大手企業、金融機関、政府機関のエリート層から支持されている。
日本の将来を悲観的見る方の多い中、北野氏の考えに同感だ。日本の若人も捨てたものではない。「不言実行」よりも「有言実行」が格好良い言う風潮は悪い事では無い。むしろ望ましいだろう。
「若い自立人間」が今後どんどん増えていくことで、日本は必ず復活する。大いに期待している。(谷口利広)
米アップルのサプライヤーである台湾・鴻海精密工業の中国河南省鄭州工場で、労働者による激しい抗議活動が起こった。暴動と呼ぶ報道もある。
米アップルのサプライヤーである台湾・鴻海精密工業の中国河南省鄭州工場で、労働者が棒を振り回して監視カメラや窓を破壊する様子が23日、動画共有アプリ「快手」でライブ配信された。抗議活動は23日未明から始まった。きっかけはボーナス支給を延期する計画とみられる。鴻海は声明で、支払い契約を履行したと表明。敷地内で新型コロナウイルスに感染した従業員と新入社員が一緒に生活しているとの報道は「事実でない」と否定した。「いかなる暴力行為に関しても、当社は従業員や政府と連絡を取り合い、再発防止に努める」とした。
騒動が、新たに採用された従業員に影響を及ぼしていると指摘。「当初、11月末までに新入社員をラインに立たせることができるか見極めていた。今回の騒動で月末までに通常の生産を再開できないことは確実だ」と述べた。
厳しい行動制限、逃げ出す従業員も
iPhoneの主要生産拠点である同工場では、厳しい新型コロナウイルス対策を巡って一部従業員が逃げ出すなど混乱が数週間続いている。
多くの元労働者は厳格な隔離ルールや食事の不足などを指摘し、会社側は従業員のつなぎとめや勧誘のためボーナスなどインセンティブを提供せざるを得ない状況となった。ライブ動画では複数の人が、ボーナス支給が当初の約束より遅れると今週通知されたことを受けて抗議していると説明。
ある労働者は「鴻海は人を人として扱わない」などと述べた。中国のゼロコロナ政策の一環で隔離エリアに設置された障害物を解体したり、防護服を着た要員と口論したりする人も見られた。
この工場では10月末、コロナの感染拡大で、宿舎などから外出を禁止された従業員が大勢逃げ出していた。 衝突を受け、工場を所有する台湾の鴻海精密工業は24日、給与システムに入力ミスがあったとして謝罪する声明を発表した。
iPhoneを生産する世界最大の工場で起きた相次ぐ混乱は、製品の供給に影響を与える可能性がある。
コロナ対応への不満が鬱積しており、今回の暴動が中国各地に拡がる可能性もある。そうなれば、中国共産党の独裁体制への不満とつながり、中共の崩壊へとつながる可能性も。体制の綻びは、どんどん広がる方向にあると言える。
外国企業の中国離れは、一層進むだろう。
前回の続きですが、もう一つの自然との調和、実はこの部分もかなり重要です。
なぜかというと、李登輝は自然との調和を日本文化の核心部分だと考えているからです。多くの台湾人が感じている日本人の美学とは、自然に対する感受性と調和性です。そして日本文化の真髄とは、もののあはれと、侘(わ)び、寂(さ)びを生活の中で見つけ出すことです。これは恐らく日本人しか持っていない感受性ではないでしょうか。
そしてこのような生活や文化の中から生まれたのが、道(どう)です。生け花が華道になり、お茶を飲むことが茶道になり、侍の生活そのものの規範が武士道になる。それがまさに日本の美しいところなのです。その美しいところは、実は自然の素朴さの中で生まれたものです。
李登輝は2007年に日本を訪問し、奥の細道を歩きました。彼は帰りの飛行機の中で、また「誠実自然」という色紙を書きました。この時の「誠実自然」は自然の部分が重要でした。奥の細道を歩き、松尾芭蕉が句を詠んだ所で、李登輝と夫人も句を詠みました。
深川に芭蕉を慕(した)ひ来(き) 夏の夢 (李登輝)
松島や光と影の眩(まぶ)しかり (曽文恵)
それはまさに日本人の心の奥の、美に対する部分に触れたということです。その美とは、自然との調和という意味です。自然への感受性、そして自然との調和がこれほど自分の生活の中に溶け込んでいる社会は、おそらく日本以外にはないのではないでしょうか。
台湾人が憧れる…「真善美」を見つけ出す日本人の心
日本の文化の中で真実、善、そして最終的に美を究めていく。これが全て自然そのものから出た一つの哲学であり、摂理なのです。この素朴なところ、自然と調和するところ、そして自然との非常に細かいところで真、善、美を見つけ出す部分、日本人のとても細かな奥深い心、それこそが台湾人が日本文化に対して最も憧れるところです。
この自然というのは、個人の行動において気負わないということですが、これは非常に小さな範囲のもの、あくまでも個人の心構えの話です。もっと大きな自然との調和の部分、それこそが台湾人が最も憧れる日本文化ではないでしょうか。
次回は、悩み多き若者たちへ 李登輝が伝えたいことというタイトルで李登輝元総統から若者へのアドバイスをお届けします。実はこのアドバイスは台湾の若者というよりも、日本人の高校生に向けた言葉なのです。よく修学旅行でやってきた高校生に将来の人生や自分の哲学をとても熱心に話していました。一国の総統が日本の若者にどんな言葉をかけたのか?
林 建良(りん けんりょう)台湾独立建国聯盟・日本本部委員長
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。
『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。
李 登輝や林 建良は、日本人より日本人らしいと言えるだろう。
私たちは浮ついた心を打っ棄り、日本の歴史・伝統・文化をもっともっと真剣に学ばなければならないとつくづく思うのだ。そして齢を重ねても常に前向きに生きる。私心は無いかと自らに問いかけ、他者のために汗をかく。そのような生き方を心掛ける。(谷口利広)
近年の国際社会において国防問題の常識を変えた発明の一つがミサイルという兵器です。特に核弾頭を積んだミサイルが重要な意味を持ちます。実は、ミサイルというものは単純に言えば、「防ぐことのできない絶対的な攻撃兵器」ということができます。今の技術では、飛んできたミサイルを完璧に撃ち落とすことができないのです。
これまでの戦争の歴史では、攻撃側が必ず勝つとは限りませんでした。当たり前ですが、防御側が勝つことももちろんあったはずです。ところが、ミサイルというのは攻撃兵器として絶対に成功するという特徴を持っています。まして、その先に核弾頭をつけますと、圧倒的な攻撃力になりますから、一発で戦争が終わってしまいます。
「ミサイル防衛・敵基地攻撃」は何が危険なのか?
今のところ、日本を狙うミサイルに対して、考えられる対策の手段は3つしかありません。まずは1つは日本でもやっているミサイル迎撃ミサイルです。しかし、これで飛んできたミサイルを完璧に防ぐことはできないのです。今、日本にある防衛用のミサイルはせいぜい数十〜数百発しかありません。しかも、精度は100%ではありません。もし、チャイナから東京めがけて1,000発のミサイルが降ってきたら、東京は必ず被害を受けます。仮に990発落としたとしても、そのうちの10発が東京に落ちたらおしまいです。そして、それがもし核ミサイルだったら日本が滅びることを意味します。
2つめの対策は、少しずつ議論されるようになっている「敵基地攻撃能力」です。要するに、相手がミサイルを撃とうとしている時に、そのミサイル発射台を壊してしまえばいいという考え方です。しかし、これでもまだ不十分なのです。少し前まで、北朝鮮のミサイルに関してはこれは良いアイデアだったかもしれません。当時の液体燃料の注入には非常に時間がかかっていて発射準備に丸一日ぐらいかかっていました。発射する場所も限られていますから、動きがあればそこを攻撃すればいいではないかと言っていたのです。
しかし、今は固定燃料になりまして、ミサイル発射台が移動可能になったのです。そうなると、百発百中で発射台を狙うことが一気に難しくなります。
北朝鮮・中国に対抗できる本当の方法
では、日本が100%ミサイルから国を守るために必要なことはなんでしょうか? それこそが、「大量報復能力」を持つことに他なりません。もし、東京などの大都市に北朝鮮の核ミサイルが落ちたとしたら、日本も同じように平壌にミサイルを打ち込んで、平壌を地図から消してしまうということ。こうなれば、北朝鮮は日本を狙って絶対にミサイルを撃ってこなくなります。なぜなら、日本を攻撃すると自分の国が1日でなくなってしまうからです。当然、敵側も条件は同じで、完璧な迎撃ミサイルは持っていないわけです。また、この場合日本はミサイルの発射台を事前に潰されることがないように、潜水艦の中にミサイルを積んで海中深くに沈ませておいて、有事の際だけ浮上して攻撃する方法を取るのがいいと思います。
国際政治学者・藤井 厳喜
国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。
著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。
近代戦で大事なのは、要するに相手に攻撃させないことである。攻撃すれば、自分たちも瞬時に仕返しされると思わせることが肝心である。現在の日本には、それが無い。つい先日も記したが、日本は防衛能力(攻撃能力)が低いために、中国・ロシア・北朝鮮に舐められているのである。
一昨日(11/22)も、政府の「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」が防衛力を5年以内に抜本強化するよう求めた報告書を岸田首相に手渡した。報告書では、中国や北朝鮮を念頭に「周辺諸国等が変則軌道や極超音速のミサイルを配備している」と指摘した。そのうえで、自衛目的で相手のミサイル発射拠点などを破壊する「反撃能力」について、「保有と増強が抑止力の維持・向上のために不可欠だ」と明記した。
従来より大きく前進したが、5年と言わず前倒しして進める必要があると思う。財源については、まさに有事であり、国民全体で負担しなければならないと考える。国の防衛無くして命も暮らしも守ることはできないのである。中国に尖閣諸島が侵略されると次は沖縄が、その次は九州が危険に晒されるのだ。(谷口利広)
第一次世界大戦後、軍事力をもとにアメリカが世界を制覇する姿がはっきりと現れてきます。第二次世界大戦に向かう過程で富がアメリカ一国に集中し、軍事力で突出してくる形が明確になってきます。これは第一次大戦でヨーロッパが戦場となり、多くの国が戦火を被って疲弊した中で、アメリカは全く戦場にならなかった、という事情もあります。また、世界中から移民してくるアメリカに移民国家としての統一性が出てきたということも大きな要因になっています。
このような情勢の中で、日本は大平洋を挟んでアメリカと向かい合うことになります。移民国家であるアメリカの人種を含めた構成は複雑ですが、二十世紀に入ると、軍事力を握るアングロサクソン、つまりWASP(アングロサクソン系白人新教徒)と金融を握るユダヤ人の二つの連合、というあり方にまとまっていきます。
このような中でヨーロッパではナチスが台頭してきます。ナチスはドイツ民族の優越を唱え、ユダヤ人を迫害しました。これへの対抗として、ユダヤ人の多くは社会主義に傾くことになりました。このことはあまり語られることはありませんが、非常に重要な事実として忘れてはならないことです。社会主義のイデオロギーがユダヤ人から広まったのです。マルクスもユダヤ人でした。
そのユダヤ人たちがナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命してきます。彼らは民主党政権下でルーズベルト大統領の周辺に入り、内政や外交をにないます。
世界恐慌の後、1933年、民主党の力が強まり、非常に左翼的な施策がとられます。ニューディール政策です。そこにユダヤ人勢力の影響を見るのは容易です。それと同時に、太平洋を隔てて向かい合う日本に対して、一つの方向付けがひそかになされました。
当時、アメリカは日本をどう見ていたかといえば、天皇を戴く非常に封建的な国家である、という認識でした。この認識から出てきた対日方針とは、民主主義の名をかたった社会主義化でした。このことは数々の証拠によって裏付けることができます。ユダヤ色が浸透した民主党を導くルーズベルトが、この方針を実行していきます。それが日米開戦への道となったのです。日米交渉がその舞台でした。
日米交渉のどん詰まりに出てきた最後通牒。これは国務長官ハルの名を冠してハル・ノートとよばれますが、ユダヤが握る金融の力を存分に発揮するものでした。
・石油輸出の全面停止
・日本の海外資産の全面凍結
日本が到底受け入れられない条件を提示したのがハル・ノートだったのです。日本の出口は戦争以外にはなくなりました。念のためにいえば、この時期は東西対立の冷戦状態とはまったく逆で、ソ連を支持し、支援していたのはアメリカだったのです。ナチスと対峙するソ連のユダヤ人とアメリカ・ホワイトハウスの連携はうなずけるところです。ハル・ノートを作成したのはホワイトハウスとソ連のスパイである、というのは事実であり、歴史を見る上でこのことを無視してはなりません。さらに念のためにいえば、ハル国務長官夫人はユダヤ人です。なお、ルーズベルト家は、オランダから移住したユダヤ系の家系であるといわれています。
最後は原爆の話です。戦争を早く終わらせるための原爆投下だったというのが通説です。しかし、原爆投下を単に孤立した軍事行動ととらえることはできません。日本を、封建的社会を変え、社会主義化しようとする以上、日本を変えるためには、まず徹底的な破壊が必要とする一つの象徴的な行為が原爆投下という軍事行動だったと理解するのが妥当です。原爆投下はそうしたアメリカの政策だったのです。
この時期、アメリカは非常に左翼化していた、ということを歴史を見る上ではしっかりと念頭に置かなければなりません。この視点を認識すれば、原爆に関わったのがオッペンハイマーをはじめとする左翼ユダヤ人科学者たちだったことも、注目されてくるはずです。さらには戦後、日本を占領下に置いたアメリカが日本に対して行ったことも明瞭になるでしょう。すなわち、東京裁判、財閥解体や学制改革、農地改革、そして憲法などがそれです。それは二段階社会主義革命の一段目だったのです。そこに左翼化していたアメリカの姿を見るのは容易です。
その当時のアメリカへの認識を改めねばならないのです。
田中 英道
東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する
国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。
作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から、
日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」
の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
日露戦争に辛うじて勝利し自信をつけた日本は、その後実際の国力以上に振るまうところがあっただろう。第一次世界大戦後、覇権国となった米国は、それが気に入らなかった。天皇を中心に神道の国としてまとまっているところ、まだまだ経済的に豊かではないが、中国や朝鮮、他のアジアの諸国に比し勤勉で民度が高く、識字率も高いところも何かしら煙たく思うところがあっただろう。
日本としては、とにかく石油が欲しかった。インドネシアなど東亜に活路を見出そうと思ったことは自然の成り行きである。そして、白人に虐げられほとんどが植民地となっていたアジアの国々を助け、それらの国の活性化を図ることにより将来的に日本製品の市場としたいという思惑も当然ながら持っただろう。
中国大陸についても日本と米国の思惑は重なる部分が多く、対立は止む無しの状況であった。日本は米国との戦争は望まなかったが、米国は日本の左翼勢力を使い日本国内を混乱させ戦争を仕掛けさせたのである。盧溝橋事件が発生した際、日本陸軍は拡大を望まず一旦休戦となっていたが、近衛文麿と風見章(内閣官房長)が画策し、戦火を拡げてしまった。
米国の世論は戦争を望まなかったのだが、ルーズベルトが日本に真珠湾を攻撃させるように仕組み、米国民の感情を戦争止む無しへと導いた。それが大東亜戦争である。
私たちは教科書で東条英機や松岡洋右が戦争へと先頭に立って導いたように習ったのだが、それは事実とは異なる。GHQにより、そのように洗脳されたのである。真の近現代史を学ぶことが求められる。戦後レジームからの脱却とは、それらのことを指しているのである。
近衛と風見こそA級戦犯として裁かれるべきであった。近衛はA級戦犯として裁かれそうになり、直前に自害した。風間は公職追放とはなったが、その後代議士として復帰した。風間の所業は、自らが記した「風間日記」に詳細が遺っている。風戸章の名前は知らなかったという方が多いのではないか。(谷口利広)
戦前、外務大臣を務めた松岡洋右(まつおか ようすけ)は戦争回避のために尽力し、日本国民からも空前の英雄とされていながらも私たちは彼のことを教わっていません。なぜでしょうか?
それは、戦後、GHQが日本を一方的に悪者に仕立て上げたかったからです。松岡の外交活動は日本無実の証拠そのものであり、アメリカの悪巧みを暴くものだからです。だから、松岡は無実にもかかわらず東京裁判でA級戦犯のレッテルを貼られましたし、松岡が書いた書籍は日本中から没収され、発禁図書に指定されています。
もし本当に松岡が醜い軍国主義者だったとしたら、なぜそんな人物の主張をありありと書いた松岡の書籍を、GHQは「没収した」のでしょうか? 本当に松岡洋右が「日本に戦争をさせた悪人」なら堂々と公開して、その醜態を戦後の日本人に晒した方が良かったのではないでしょうか? しかし、GHQはそうはしませんでした。そうしなかったというところに「戦前の真実」が隠されているからです。
つまり、松岡があまりにも真実を知り過ぎていたために、日本を統治するGHQにとってはその存在自体が都合悪かったと言えます。
だから、私たちは、松岡洋右のことをよく知りません。松岡洋右が日本のために命をかけたことも、日本が国連を脱退したくなかったことも、世界から日本が認められていたことも全てです。その代わりに、戦後GHQによって書き変えられた、現在の日本では、「松岡がいかに日本を戦争に導いたのか」「アジアに迷惑をかけた日本が悪い」といったことばかりが教えられています。ですが、日本を守ろうとした松岡のことを悪人と誤解したままというのは、戦前の日本人が何を守ろうとして動いていたかという歴史そのものを誤解してしまうことになります。
・日本人が何を大事にしていたかわからない。
・過去の日本はただ戦争をして悪い国だった。
そんな思い込みの状態が続くと、今の日本の政治家のように、他国の顔色だけ、自分の利益だけ、日本のことは二の次、と考える人が増えてもおかしくないのかも知れません。
例えば、現在のロシアがウクライナに侵攻している状況を見ても、現在の政府はロシアに対して経済制裁っぽいことを行っているだけであり、国防について対岸の火事で、問題の「憲法9条」や「尖閣諸島」などについては全く議論を行われていません。Twitterやネットの掲示板を見ても、「憲法9条がロシアにもあれば戦争が起きなかった。」など、的外れな言論ばかりが飛び交っています。
どこまでいっても日本の中にはGHQが植え付けた戦争に対する反省の色が残っているのです。
株式会社 経営科学出版編集部
大東亜戦争後、日本を統治したGHQの行った事(マッカーサー自身が、誤ったことをしたと米国議会で演説した)や勝者の論理で一方的に裁いた「東京裁判」の誤りが、公文書の公開により次々と明るみになっている。
東条英機や松岡洋右などはA級戦犯として処刑されたが、彼らは戦争回避のために動いたことは明らかである。第三次近衛文麿内閣で、松岡を外務大臣から外したことが戦争へとつながるのである。
GHQにより「焚書」や「発禁」となった松岡の「興亜の大義」や「政党を脱建てして日本国民に訴う」などを復刻版で読んだが、彼らがいかに我が国の行く末を案じていたかがよく分かる。
私たちは、学校では教えられていない「真の近現代史」を学ばなくてはならないのである。(谷口利広)
11月に入るとすぐに賀状の欠礼ハガキが届くようになった。差出人の早い対応、几帳面さに驚く。特に、住所あて名書きがプリントでない場合は、尊敬してしまう。
そういった方は、いつもの年は賀状も早くから準備され、12月に入って受付が始まるとすぐに投函されるのであろう。私のような雑駁でものぐさな人間には、とても考えられないことだ。
現役のときは、冬休みに入ってからバタバタと書き始め、押し迫った29~31日に投函するというパターンだった。近年は、1日の実業団駅伝や2日、3日の箱根駅伝のゴール後に書くというのが慣例となっている。ただ、住所あて名書きは手書きに徹している。下手な字だが、これが億劫になれば賀状を出すこと自体を辞めようと思っている。
「誠実自然」という言葉の「自然」には二つの意味があります。一つは気負わない、無理をしない、自然体でいるという意味です。そしてもう一つは、自然との調和という意味です。
李登輝が「誠実自然」という言葉をよく書くようになったのは、1978年、55歳の時に台北市長になったころです。当時の台北市長は選挙で選出されるのではなく、総統から任命されるものでした。李登輝は蔣経国の任命によって、台北市長になったのです。
台北市長になる前の李登輝は、一人の学者として農学や経済を研究していたところ蔣経国の目にとまり、いきなり行政院の無任所大臣に抜擢されました。無任所大臣というのは特定の仕事をしなくていい閣僚、要するに見学生のようなものです。それまで大きな組織のトップになった経験が一度もなかったので仕方ありません。政治の世界に入ってまだ年月も浅いのに、李登輝は突然、当時人口200万人の大都市・台北市のトップになったのです。彼にとっては人生の大きな転換点です。
いきなり数百万人の人間を相手にすると、普通はどうしてもその気負いから自分を大きく見せたがるものです。馬鹿にされないためにできるだけ大きく見せるのです。当時は、周りはみんな中国からやってきた人間ばかりですから、台湾人がそのようなポストに就くということは、本当に簡単なことではありません。しかし彼はその時、「だからこそ自然体でいこう」と考えたのです。気負わず、無理せず、自分を大きく見せることもせず、誠実にやっていこうと。当時自分を戒める言葉として、この「誠実自然」という言葉をよく書くようになったのです。
李登輝のこの自然体という態度は、彼と会った人ならみんな分かるはずです。彼は台北市長の後に台湾省長を務めた後、総統を12年間も務めました。それほど長く権力の座にいたにもかかわらず、偉ぶったところは微塵もありません。誰に対しても親切で、体も大きいけれども本当に太陽のような存在でした。
権力は国民からの借り物 自然体を貫いた政治家人生
李登輝は権力について「権力はあくまでも国民からの借り物に過ぎず、自分のものではない。いずれ返さなければいけないものだ」とよく言っていました。彼が権力に執着しないことを証明する例を一つ挙げましょう。
2000年3月の総統選挙では候補が3人いました。1人は李登輝の後継者である副総統の連戦(れん・せん)、1人は国民党を離党して無党派で出た宋楚瑜(そう・そゆ)、もう1人は民進党の陳水扁(ちん・すいへん)です。結果は陳水扁が宋楚瑜と接戦の後に勝ち、台湾初の野党政権が誕生しました。なんと国民党候補の連戦は3位と惨敗したのです。敗因は宋楚瑜に連戦の票が流れてしまったからです。もともと国民党の一員である宋楚瑜は李登輝の「台湾省凍結」政策に反発し、李登輝と反目していました。そのため宋楚瑜は国民党を飛び出して無党派で出馬、連戦の票を食ってしまったわけです。
国民党の支持者は非常に不満で、李登輝に強く抗議しました。そして連戦も李登輝の所に行って、「党の主席を早く辞めてください」と言ったのです。当時、李登輝はまだ総統であり、国民党の主席も兼任していました。任期が終わる5月20日までは、まだ現職の総統であり現職の党の主席です。国民党の構造では総統よりも党の主席の方が大きな権力を持ちます。連戦は李登輝の実権を剥奪しようと、党主席を辞めるよう迫ったのです。
訪ねてきた連戦に「おまえも私が辞めた方がいいと考えているのか?」と李登輝が聞くと、連戦は「その通りです」と言いました。「いつ辞めればよいのか?」と聞くと、「早いほうがいいでしょう」と連戦は答えました。その時、李登輝はとてもがっかりしました。連戦は李登輝によって抜擢された人間で、後継者としてあらゆる経験をさせ、本当に一生懸命に育てあげました。しかし、いざという時になると、これほど冷たい態度で「早く辞めた方がいい」と言ったのです。
李登輝にとっては、本当に驚きでした。李登輝は一晩考えて、翌日潔く「辞める」と発表しました。その日、「総統、今のお気持ちはいかがですか?」と記者に聞かれた時、こう答えました。「これは太陽が東から昇って西に沈むのと同じような自然現象なのだ。人間というのは、権力の座に就く時もあれば、それから退(しりぞ)く時もある。これはあくまでも自然の摂理に過ぎない。どうということもない。とてもさっぱりしたよ」これこそが彼の「自然」という哲学なのです。全て自然体で、全く気負わないということです。
李登輝は日本文化に憧れを持っていました。実際、2007年に日本を訪問した時には、奥の細道を歩き、松尾芭蕉が句を詠んだところで自身も同じように句を詠んだほどです。一体、なぜ彼はこれほどまでに日本文化に憧れたのでしょうか?
林 建良(りん けんりょう・台湾独立建国聯盟・日本本部委員長)
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。
台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。
台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。
「誠実自然」という言葉は、実に李登輝らしい。彼は若いとき、日本で学んだ。彼の存在があったからこそ、今の台湾があると言えるだろう。林 建良氏は李登輝を敬愛し、台湾のために共に働いた。現在も日本国内で医師としての仕事の傍ら、台湾独立建国のために汗をかいている。(谷口利広)
江戸時代の社会を安定させた基盤としては、教育の普及を挙げなければなりません。国民教育は明治以後、学校制度ができてからだといわれますがそうではありません。江戸時代の教育の普及は大変なものでした。寺子屋といわれるものがそれです。
こうした学校は江戸時代を通じて全国に16,560校あったといいます。規模は小さいもので20〜30人、都市では100人を超えるものもありました。人々は実に教育熱心だったのです。
先生を務めたのは、最初は僧侶が多かったのですが、 都市では下級武士、それに浪人になった武士も教えるようになりました。元禄期になって庶民教育が広まると、教養のある町人も教えるようになりましたが、注目すべきなのは女性の先生が増えてきたことです。江戸では三人に一人は女性の先生だったといわれます。それだけ教養を積んだ女性がいたということです。
生徒の親は入学金と月謝(月並銭)を払い、正月や盆暮れ、節句にはお礼を出すのが習わしでした。入学年齢は特に決まってはいなくて、習いたいときに通い出せばいいのですが、だいたいは7〜8歳が多かったようです。いまの学齢と同じようなものだったのです。
教科書は「往来物」といわれました。変わった呼び方ですね。これは手紙の書き方が基本になっていたことによります。手紙はこちらから出せば返事がくるし、手紙をもらったら返事を書きます。つまり往来します。それで「往来物」というわけです。手紙の書き方の手本は平安時代末からありました。江戸時代には7,000種あったといいます。
読み書き、算盤が中心で、地理、歴史、武術も教えられました。授業は毎日行われました。 朝7〜8時ごろからはじまり、午後3時に終わるのが普通でした。机には紙、筆、墨、硯(すずり)、文鎮、水桶と毛筆の道具が置かれ、先生が手本を与えて、それを繰り返し書いて覚えるというふうでした。
教え方は、一つの教室の全員が同じものを学ぶというのではありませんでし
た。 一室で学んでいても、生徒の年齢はまちまちで進度も違います。一人ひとりの学習の進度に応じて教科書の往来物がそれぞれに与えられ、一人ひとりに指導がなされました。年長者の生徒が年下の生徒に教えるということもありました。こういう具合ですから、評価もその進み具合によってなされ、画一的なものではありませんでした。
庶民教育だけでなく、高等教育も盛んでした。各藩の藩校が全国にあり、それは255校を数えました。これは主に武士の子弟を対象にしていましたが、優秀な町人や農民が入校する道も残されていました。そして、その頂点にあるのが幕府直轄の昌平坂学問所でした。 学びたい者はそこを目指して懸命に勉強したのです。
試験は「素読吟味」と「学問吟味」があり、前者は口頭試問で四書五経の暗記、後者は筆記試験で内容の解釈や説明でした。漢学が柱でしたが、数学、医学、洋学、国学なども教えられました。
日本人は寺子屋ができる前から教育に熱心でした。江戸時代以前は寺が教育機関の役割を果たしました。寺では仏教に出てくる漢字およびシナ文化を教えました。それによって論理的に物事を考える力がつきました。その力は外国の思想・文化が入ってきたときに理解するのに役立ちました。日本ほど外国の思想・文化をやすやすと消化吸収してしまう国はありません。 それは逆に海外の影響を受けやすいということでもありますが、優れた理解力が日本の発展に大きく寄与したのは間違いないところです。
日本にやって来た外国人は、日本人を見てすぐに教養があることを見抜きました。ですからイエズス会が日本をキリスト教化する戦略を立てるときに考えたのは、教養ある日本人をどう変えるかということでした。イエズス会の宣教師ヴァリニャーノはフィリピンなどを教化した方法とは違うやり方が必要だと考え、セミナリヨ (小神学校)、コレジオ (大神学校)、ノビシャド(修練院)という学校を設置して、教育しようとしましたが、結局根付きませんでした。それは日本にすでに数々の教育機関があったことが影響したものと考えられます。
東北大学 名誉教授 日本国史学会 代表理事 ボローニャ大学・ローマ大学客員教授 田中 英道
1942年生まれ。東京大学文学部卒業。海外旅行すら珍しい時代、24才で単身ヨーロッパへ留学し、西洋美術の研究に没頭。以来50年以上、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フェルメールなど、数多くの有名美術家に関する国際的な新説・新発見を次々と発表。フランス語や英語で書いた論文は、一流学者が引用する国際的な文献となり、「西洋美術史の第一人者」と呼ばれる。作品の形や模様などから、芸術家のもつ思想や哲学、宗教的背景までをも読み取る、「形象学(フォルモロジー)」という独特の学問手法を体得。その観点から日本美術の世界的価値に着目し精力的な研究を展開している。さらに日本独自の文化・歴史の重要性を指摘し、「日本国史学会」「新しい歴史教科書をつくる会」の代表を務めるなど、真実の“日本通史”を国民の元へ届けることをテーマに研究をしている。
田中氏が言われるように日本人は古来から教育熱心で、それは身分や職業に関わらずであった。
江戸時代末期、外国人が数多く訪れるようになったが、日本人の学習熱心さや民度の高さに驚いたと、多くの文献に遺っている。「日本人は微笑みを絶やさず。正直で、嘘をつかない」「人を騙したりしない」「頻繁に風呂に入り、清潔である」中国人や朝鮮の人たちとは異なると。
「意志あるところに道は開ける」「学びに、もうこれでよしは無い」、先祖のみなさんに負けないように学びを深めたいものだ。(谷口利広)
自民党政府は「構造改革」をしない。できない。これからまた10年の辛抱が続くのだろう。その間の経済成長は微々たるものなので増税が毎年行われ、ついに国民の怒りが大改革を要求し、日本病が回復に向かうのである。
今の日本は徳川幕府の末期と似ている。あの時、天下の徳川が潰れるとは、誰も想像さえもしなかった。だが、人心は大きな変化の地鳴りを聞き、時のうねりの振動を肌で感じていたのだ。
私は10年間も待てないので、胸に詰まっていることを言わせてもらう。
病状
コンクリートだけでも、恐ろしい話がある。日本国土は、カリフォルニア州より少し狭い。その日本が使ったコンクリートの年間総量は、米国全土で使われたコンクリート総量よりも多い。アメリカ大陸の大きさと日本列島の小ささを比較してもらえば、「から紅に水くくるとは」と和歌にも詠まれ輝いていた日本の山河を灰色の溝にした張本人の顔が見えてくる。
食べ物でも、いやなカラクリがある。日米間の家計で、食費が占める割合がびっくりするほど違う。米国では、食費が家計の10%。日本では、25%。日本で生活が苦しいと言われるのは、アメリカ人より2.5倍も食費に使っているからだ。日本人が食べる農作物や海産物はほとんど輸入である。
「浅草海苔」は浅草製ではない。東京・浅草に浅瀬の海はない。とうの昔に埋められた。日本の農業には跡継ぎもいない。農家の若者が農業を専業にしたくない。地方の若者は東京や大阪に出たまま帰ってこない。農業を教えていた定時制高校も閉校する県が続出している。
事実、農業従事者の平均年齢は、65歳から70歳である。農業は国内総生産のわずか2%弱であり、農業に携わる人口は、園芸農家を勘定しても、僅か6%である。
農村の原風景
私は大阪市で生まれたが、4歳の時、米爆撃機B29から豪雨のように降ってきた焼夷弾(火災を起こす爆弾)を避けるため、母方の岡山県の農村・城下町に疎開した。
16歳まで、絵のように美しい山々に囲まれ、田舎道のあちこちに真っ赤な彼岸花が群生し、清流の河原に月見草が咲き乱れ、田植え前の田圃は薄紫と淡い白と桃色のレンゲの花でびっしりと覆われていた。
印象派の風景画のような美しい農村で、少し暖かくなると源氏蛍が舞った。カエル、トンボ、セミ、チョウチョ、キリギリス、カブトムシと、昆虫王国だった。青大将を2度掴み取りして、2度失敗した。歯形が左親指に「勇気の証」として長い間残っていた。
手入れの行き届いた田圃が淡い緑から黄金色に変わり、季節を映し出していた山間の自然のなかで育ち、農村と農業には強い愛着とロマンを持っている。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。
西氏は、私の現役時代の、先輩(葛城市当麻町在住)の奥様の弟さんだ。奥様も存じ上げているが、西氏本人との面識はない。
農村風景はまだ残ってはいるが、氏の指摘するとおり、どこも過疎が進み荒廃の一途であることは間違いない。今のままだと、雑草の生い茂る田畑が増えるばかりだ。
政府は農業政策に注力し、とにかく食料自給率を上げなければならない。輸入ものに頼ることは極力避ける必要がある。(谷口利広)
2022年になって、中国はますます台湾への威嚇行為を強めています。戦闘機や軍艦を台湾の近くに持ってきて、時には領空・領海に入ってくることもあります。「明日にでも戦争を起こそう」という勢いで、中国メディアによる宣伝も一層力を増すばかり。少し前までは「我々は1週間のうちに台湾を手中に収める」といっていたのが、「3日間で台湾軍を全て消滅させることができる」という論調に変わり、最後には「午前中に出撃したら、午後にはもう台湾総督府の中で珈琲が飲める」と言い出しました。
それだけ、中国が本気で台湾を狙っているというということですが、果たして本当に、台湾はたやすく負けてしまうのでしょうか? 結論を先に言ってしまうと、これは事実ではありません。中国が台湾を攻撃しても、失敗する可能性が高いと思います。なぜなら、日本のメディアは注目していませんが、、今の台湾には、攻めてきた中国軍を返り討ちにする戦略が存在するからです。
台湾独立建国連盟・日本本部委員長 林建良
林建良氏は、一番に中国共産党解放軍と台湾軍の士気の違いを挙げる。ロシアのウクライナ侵攻でも分かるように、戦争では「士気」の強さが最も重要となる。何のために戦うのか、目的がはっきりしなければ底力は発揮できない。
中国共産党解放軍の民度の低さは周知の事実である。贈賄、収賄が横行し、軍内での窃盗などが日常茶飯事であると林氏は言われる。
中国からの旅行者が他者を信用・信頼することが出来ず、心斎橋や戎橋界隈を、旅行ケースをごろごろ転がして運んでいる姿を見ても、高い民度とはけっして思われない。そのことが窺い知れる。
台湾には、米国などから購入している最新鋭の武器もある。また台湾独自で開発した武器も。世界一の半導体に係る技術力があることからも、技術力の高さは容易に想像できる。世界各国からの支援も期待できる。
そういったことを考え合わせると、中共が台湾に侵攻すれば、ロシア・ウクライナ戦争よりも泥沼化することは間違いないと思うのである。(谷口利広)
19世紀以後の世界の大きな出来事の裏側では、ほとんどに「国際金融資本」(ロスチャイルド家、20世紀に入ってからはロックフェラー家も)が係わっていると言われる。
アヘン戦争、日露戦争、第一次世界大戦、ロシア革命、大東亜戦争を含む第二次世界大戦、ソ連の崩壊、最近で言えばロシアのウクライナ侵攻なども。そして、俄かに信じ難いのは、日本に開国を迫り日米修好条約を結ばせたぺリーの来航にもロスチャイルド家の意向が働いていたと。坂本龍馬にも活動資金が、グラバーを介して渡されていたと聞く。龍馬は、長崎のグラバー邸を頻繁に訪れていた事が遺された書状で明らかだ。日本国内を内戦状態にして混乱させ、自分たちの手を汚さないで日本を取り込もうとした訳だ。
日露戦争での日本の戦費は、当時の国家予算の数倍と莫大であったが、多くはロスチャイルド家からの借金であった。ロシアのウクライナ侵攻も、長引けば長引くほど「国際金融資本」が利潤を得る仕組みとなっている。米国での大統領選をはじめ国政選挙では、「国際金融資本」が暗躍していると言われる。大手の新聞やテレビ局などのマスコミも牛耳られている。ということは、NHKをはじめ日本のマスメディアも同様だということになる。トランプは「国際金融資本」に抵抗するので叩かれる。
とにかく、世の中の多くの出来事が「国際金融資本」によって動かされている。これらは、けっして『陰謀論』では無い。読者諸氏の多くが驚かれていると思うが、最近の近現代史を学ぶ者にとっては、欠かせない常識となっている。しかし、あの司馬遼太郎は知らなかったと思われる。なぜならば、「坂の上の雲」にも「龍馬がゆく」にも、ロスチャイルド家などには何ら触れていない。
ロスチャイルドは、フランクフルト(独)に住む貧しいユダヤ人一家だった。
旅行というものは、ほとんどが芸術が軸になっているんです。芸術を見ることによって旅行が成立し、あとは食事や景色を楽しむとか、人と会うということが付随します。つまり、観光というのは「美を見る」「文化財を見る」という自分たちが持っていないものを見ることなのです。それが視覚的な新しい体験になります。なので、芸術を評価する気持ちがないと旅行に行っても「ただ行ってみました」というだけのことになってしまいます。よって、旅行において「文化を見る」「美意識を高める」ということは、重要になってくるわけです。
ただ趣味的に見て帰ったとしても見ないよりはもちろんいいですけれども、それだけではもったいない。そういう意味で言うと、京都や奈良を訪れる外国人が多いのもそういうことです。
日本ブームが始まりまして、「日本に行ってみたい」ということが、世界中に広まっています。では、なぜ日本に行ってみたいのか? 日本はどこへ行っても
・きれい
・ごみが落ちてない
・安全
・夜でも女性が歩ける
というセキュリティ的なことがよく言われていますが、それだけだったら言っては悪いけれども、スイスやスウェーデンとか安全な国はどこにだってあります。ですから、日本に来る本当の目的はそれだけではないのです。
やはり、「日本の文化は、われわれと違う。しかしすごい価値があるんじゃないか」という気持ちがあるのです。つまり、京都や奈良に芸術を見に来ている訳です。ところが、ここで問題があります。残念ながら日本人自身が日本の芸術のアピールをしないのです。文化庁にしても、国土交通省の中の観光庁にしても、外務省情報文化局の文化参事官にしても、さまざまなところで文化という名前の部署は多いのだけれども、宣伝が全然うまくいっていません。
こういった例は他にもあって、2016年に、私(田中先生)とローマ文化省が「日本の仏像展」を開催した時です。日本の仏像は美術的にすごい価値を秘めていますから、是非、イタリアで「日本の仏像展」を開催しようと決まったのですが、私(田中先生)が連絡しても文化庁は1年ぐらいボヤボヤして、なかなか話が進みませんでした。最後は、なんとか開催され、80点ぐらい仏像を展示しました。残念ながらイタリア側が期待する「日光・月光菩薩」とか、私が言う素晴らしい仏像は展示されませんでしたけど、かなり質の高いものは集まりました。国宝が2~3点あって、やはりすごいインパクトを与え、「ぜひ次もやろう」となりました。
イタリアは芸術に関しては、自分の所に十分あるから、本来ではあれば、ほかの国の物を持ってくることは、あまり必要としていません。バチカンをはじめ、フィレンツェ、ヴェネツィアとあらゆる作品がどこにでも見られます。街を歩くとまるで博物館に行っているような気になります。こんな所はないです。どこに行ってもちょっとした教会堂と広場があります。作品そのものが街角で見られるのはイタリアしかありません。
ところが日本も、お寺に行けば仏像が見られます。仏像にはそんなに価値がないと皆さん思っているかもしれませんけれども、とんでもないことです。イタリアでの日本仏像展でも、作品が非常に感動を与えました。要するに、日本も美術の最高峰と言われるイタリアと同じように京都は奈良では街を歩けばお寺があり、そこに仏像という美術作品がある訳です。それを評価する気持ち、この作品は何を伝えようとしていたのかを知ろうとする気持ちを持てば、つまり、芸術を見るという軸を持って旅行をするとそこには新たな景色が浮かび上がってくるのです。
東北大学名誉教授 田中英道
「英語教育」が大事でないとは言わないが、それよりももっと「日本の歴史と伝統」「日本の美術や工芸」などについて、小学校から学び触れることの方が重要であると思う。子どものときに機会を逃したならば、大人になってから学べばよい。
外国人から日本の歴史や文化、伝統について質問されたとき、答えに窮するならばまず信頼は得られないだろう。英会話が苦手だからという理由で、蔑まされることなどあり得ない。
国際会議では、昔と違って「同時通訳システム」が備えられている。母国語で、臆することなく堂々と論陣を張ればよいのである。
私たちは、「奈良」という恵まれた地に住んでいる。歴史や伝統を学ぶには、この上なく恵まれた環境にあると言えよう。もっと地の利を生かすべきだろう。現在『正倉院展』が開催されているが、「これまで一度も出かけた事がない」などは、地の利を生かしていない、もったいないことである。さぁ、地の利を生かして出かけよう。(谷口 利広) 私は、教師は「まず自分が『清浄』で『すがすがし』という境地でいてほしいものです」と思っています。けれども、今の教育現場はどうですか? その逆でしょう。それはなぜですか? 教師が勇気を持って戦っていないからではないでしょうか? 教育の世界ほど、「悪しき仲良し主義」「みんないっしょ主義」のようなものが、蔓延しているところはありません。
それは、もう教師志望の大学生の時代から、そういう「全体主義的な空気」に慣らされて、しつけられてしまいます。「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」とは、要するにふつうの言葉でいえば、「事大主義」、「事なかれ主義」、「長いものには巻かれろ主義」です。
それはやがては、教育現場に、根深い「癒着」と「馴れ合い」を生みます。私は長年、サヨク教師集団と戦って参りましたが、なぜその強い組織力は、今も維持されているのか…、と考えた時、その根底にあるのは、じつは高尚な思想などではない…と、近頃は思っています。そこにあるのは「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」、それに基ずく「癒着」と「馴れ合い」だと見ています。それが全国の教育現場の「反天皇全体主義」、「反日全体主義」のもっとも
根底のところにあって、その巨大な悪を支えている巨悪の根元ではないか、と私はみています。
なぜそれを突き崩せないのか? それは、一人ひとりの教師に「勇気」がないからです。人には誰しも「保身」という感情があります。それは当然あってよいのですが、あまりに強すぎるとどうしても「悪しき、なかよし主義」「みんな、いっしょ主義」の包囲網から脱出できない。ずるずると悪の一味になってしまう。
はじめにそうなってしまうと、もう今度はそんなふうに「妥協して生きている自分」を正当化し、守ろうとするようになる。やがて、懸命に戦っている人を応援するどころか、嫉妬し始め、さらには妨害さえするようになる。最悪です。そうなったら、とても「我が御心すがすがし」という境地に到達するどころではないでしょう。
一度「戦い」から逃げると、「逃げる」癖がつきます。だんだんと人相が悪くなっていきます。ひいては心を病むようにさえなってしまうのではないのでしょうか。気を遣いまくって「心の病」になるくらいなら、リスクを背負って「戦う」ほうが、精神衛生上、何倍もいいと思います。勝っても負けても、「戦い」から逃げ続けている人より、ずっといい人相になるはずです。
世間には「きれいごと」ばかりならべて、要するに教育を「メシを食う手段」にしかしていない教師がたくさんいます。その一方で、理想を見失わず、本気で「戦い」つづけている教師もいます。子供たちはそれを敏感に感じとります。そういう教師は同僚からは、あまり評判がよくないかもしれません。職員室では孤立しがちになるかもしれません。「いい格好しやがって」などという、醜い嫉妬心を、たぶん教師という人種ほど強く持っている人々はいないでしょう。けれども大丈夫です。必ず子供たちが味方になります。「子供たちが信頼してくれる」ということほど、教師にとって強い心の支えはないはずです。
何よりも、理想に向かって戦う姿を、子供たちに見せつづけることほど、素晴らしい教育はありません。教育技術も、知識も言葉も越えて、大人が子供たちに残してやれる最大の遺産は、実は「勇気をもって生きた大人の姿」だと思います。
皇學館大学教授 松浦光修
松浦氏は「教育の世界ほど、『悪しき仲良し主義』『みんないっしょ主義』のようなものが、蔓延しているところはありません」指摘される。教育界に38年身を置いた私だが、「まさにそのとおり、鋭い指摘だ」と思う。
また、「保身」「勇気がない」とも言われている。OBとして残念だが、的を得ている。もちろん、氏も指摘しているとおり、皆がみなそうではない。身を粉にして、児童生徒のために、日本の教育のために尽くしている方も少なくない。
教師をめざした者の多くが、学生時代から高い志を抱き、けっして易くはない教員採用テストを突破して教職に就いたはずである。優れた教師になるための、それなりの基本的な力量は備えていただろう。10年、20年と過ごす中で、自己に厳しく研究・修養を重ねた者と易きに流れた者とで大きな差が生じると思われる。
「庭いじり」を趣味として47年になる、「適度の水やり」「的確な剪定」「適度な施肥」「病虫害に対する早めの的確な対応」などをきちんと為せば、その結果の出るのは早い。春の手入れが、早ければもうその秋には……。一方、人づくりという観点からの教育効果の現れるのには、相当の時間を要する。20年、30年、40年と……。
目の前のこの子のためにと必死で注力しても、なかなか理解して貰えない事が多い。であるから、真に勇気の無い教師、力量に欠ける教師は「妥協した安易な指導に流れ易い」のである。そのときは嫌われてでも、「妥協しない厳しい姿勢」を堅持することも求められる。ただ、厳しさだけではだめであり、根底に人としての温かみがなければならないことは言うまでも無い。
松浦氏の言われる『理想に向かって戦う姿』とは、そういうことだろう。(谷口 利広)
日本精神は大きく武士道精神と大和魂の二つに分けられます。この二つの精神には更に誠実であることと自然と調和することの二つの核があります。この二つの核のいずれも中国文化にはありません。李登輝が「誠実」と「自然」という言葉が好きなのは、これが日本文化の核心だからです。
日本人以外にも誠実を美徳としている人はいます。「虚」を重んじる中国でも、誠実さについては評価しますが、自分でやるのは難しい。誠実さを保つことは日本人にとってはそれほど困難ではないかもしれませんが、ほかの国では必ずしもそうではありません。日本人はほかの国の人よりも自然体で誠実なのです。
例えば、アメリカなど西洋の国には、「誠実さは最善の策である (Honesty is the best policy)」という言葉があります。「最善の策だからこうしなさい」という言葉の裏には、「それは大変難しいことだ」という意味があるのです。最善の策が簡単であれば、誰でもその道を選ぶでしょう。ですが、「この道の方が最善だよ。こうしなさい」というふうに強調しなければいけないほど、実際には難しいのです。
初代アメリカ大統領:ジョージ・ワシントンの有名な話があります。実はこれは創作された話なのですが、ワシントンが小さい時にお父さんの大好きな桜の木を切ってしまったという有名な話があります。お父さんが帰ってきて「誰が切ったんだ?」と聞くと、ジョージ少年が「僕がやった」と言います。「僕がやった」と正直に言うこの勇気を持つのがかなり難しい部分なのです。誠実に対処するには相当の勇気が必要だからこそ、西洋ではあえて「誠実にやりなさい」と強調しているのです。
突然の総統就任と国会改革
実は、李登輝本人も著書の中で、「一番困難な仕事こそ、 誠実に対処しなければいけない」と言っています。李登輝がどんな例を出したかというと、1988年に総統だった蔣経国が急死し、副総統だった李登輝が総統になった時のことです。憲法の規定によって図らずも総統に就任した李登輝でしたが、蔣経国の残存任期である1988年1月〜1990年5月の2年4か月間を務め上げた後、今度は自分で選挙に立候補しなくてはなりませんでした。
当時の台湾の総統選挙は、今のように国民の投票による直接選挙ではなく、国民代表の投票による間接選挙でした。国民代表というのは国会議員のことですが、台湾国民に選ばれた人たちではありません。その大半は1947年12月25日に中国大陸で選ばれたまま改選もされずに議員の椅子に居座っていた人たちで、台湾人からは万年議員と呼ばれていました。そんな状況の中、紆余曲折を経て、李登輝は1990年3月の総統選挙で国民代表の票を獲得し、当選しました。
当選した李登輝が真っ先に着手したのは、台湾の民主化と政治改革でした。台湾の政治改革で一番大切なことは、「台湾は台湾であり中国は中国である。台湾と中国は関係がない」という方向性を示すことでした。そのため彼が最初に取り組んだのは、憲法改正でした。憲法改正は、当時の台湾にとって非常に大きな意味がありました。
1949年、毛沢東率いる中国共産党との戦いに負けて台湾に逃げ込んだ蔣介石は、共産党との内戦を理由に、憲法を実質的に凍結し、憲法の上に動員戡乱時期臨時条款というものをつけたのです。動員戡乱とは、「今、全国で動乱が起こっている。だから全員動員して反乱者を一掃しろ」という意味です。この臨時条項が憲法の上に乗っかっていることにより、総統は絶大な権力を持っていました。
一方、「我々中華民国は全中国を代表する」ということで、中国大陸で選出された国民代表は改選されないままです。今は内乱状態のため中国に戻って選挙ができないからと、1947年に選ばれた人がずっと国会議員をやっているのです。この動員戡乱時期臨時条款を外すためには、国民大会で憲法を修正する必要があります。同時に、この臨時条項を外されると国民代表は正当性を失い、今度は自分も辞めなければいけなくなります。これは非常に大きな仕事です。李登輝に言わせると、憲法の修正を国民代表に頼むことは、「まさに彼らに対して自分の墓穴を 掘ってくださいと頼むようなもの」でした。しかし、彼はこれを正攻法でやってのけたのです。
当時、国民代表は全部で565名いました。李登輝はその一人一人の自宅を訪ね、「今はこういう状態だから、どうか引退して欲しい。 その代わり潤沢な退職金を用意するから、この退職金で悠々と晩年を過ごして下さい」と説得しました。当然この565名全員がすんなりと「ああ、分かりました。いいですよ」と言うはずはなく、門前払いされることもありました。それでも、粘り強く一人一人を説得したのです。
李登輝がやったことはただ一つ、「こうしなければ国民は納得しない」と誠実に説明することでした。1991年、憲法改正案が通り、国民代表は全員辞職しました。李登輝は後に当時を振り返って、「誠実にお願いすれば、いずれ説得できる」と言いました。逆を言えば、誠実さがなければ説得することは不可能だということです。人間というのは嘘をつくのは平気でも、嘘をつかれるのは気分の悪いものです。誠実になることは簡単ではありませんが、最終的にはやはり誠実に対処するしかないのです。難しい仕事ほど誠実さが必要なのです。
中国が李登輝を憎む本当の理由
2020年7月30日、李登輝が亡くなった際には、世界各国のビッグニュースになって、当時の安倍総理など世界各国の要人が台湾に哀悼の意を表しました。しかし、1国だけ例外がありました。それが中国です。アメリカが哀悼の意を表すると、中国政府は激しく抗議。そして中国のネットには、見るに堪えない李登輝に対する罵詈雑言が溢れかえりました。
なぜ中国や中国人はそれほどまでに李登輝を恨んでいるのでしょうか?…
林 建良(りん けんりょう)台湾独立建国聯盟・日本本部委員長
1958年に台湾台中に生まれ、1987年、日本交流協会奨学生として来日。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2007年、「林一洋医師記念賞」受賞、2017年、「二等華光専業奨章」受賞。医師としての仕事の傍ら、台湾民主化の父:李登輝とともに台湾建国運動を精力的に展開。台湾においてパスポート表記を「中華民国 REPUBLIC OF CHINA TAIWAN」から「台湾 TAIWAN」に変更する「台湾正名運動」の発案者。現在は栃木県在住。台湾独立建国連盟 日本本部・委員長を務めている。『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』『中国ガン』(並木書房)の2作を通して、日本人が気づいていない、中国の本質を暴く。2019年にはJCPACにも登壇、台湾の未来について演説・討論をおこなった。
林 建良氏は「日本精神は、大きく武士道精神と大和魂の二つに分けられる。この二つの精神には、更に誠実であることと自然と調和することの二つの核がある」と言われる。日本人として有り難い評価だが、少しほめ過ぎではと思ったりする。その評価に恥じない生き方をしなければならない。
日本に対してそういった高い評価をする台湾に対して、安倍元総理の国葬の折の日本政府(特に外務省)のとった態度は、極めて失礼なものだった。中国共産党への忖度が根底にあるだろう。無礼千万であったと言えよう。
そうであっても、台湾は「日本」に対して好意的である。まさに「誠実」な国と言えよう。我が国は一日も早く台湾を国として認め、正式に日台友好条約を結ぶことが求められる。私はそう考える。
日本人の一人ひとりが、安倍元総理が遺されたように『台湾の有事は、日本の有事である』ことを改めて認識する必要があると思うのである。(谷口利広)
11月に入りずいぶんと寒くなってきましたが、相変わらず東京電力は電力不足ということで、節電節電と言っております。みなさんに知っておいていただきたいのは、こういうときに大活躍しているのが、実は火力発電所なのです。石炭火力発電所、そして、液化天然ガスの火力発電所が各地でフル稼働で頑張っています。
今は地域電力の独占が崩れまして、電力が地方ごとに融通できるようになりましたので、例えば、今年は東京電力は中部電力などにも助けてもらって何とか賄っている状況です。急に電力の生産を増やせとなった場合、すぐに対応できるのは火力発電所しかありません。これは電力会社の方が言っていることですが、原子力発電所では対応できないのです。原子力発電所は一定レベルの発電をずっと続けるということは得意ですが、増やしたり減らしたりという調整は難しいのです。それが一番できるのは火力発電所ですから、決して軽視してはいけません。
「水素社会」は何が問題なのか?
一方で、日本の岸田総理は2050年のカーボンニュートラル実現で社会のあらゆる分野を電化させる必要があると昨年の時点で宣言しておりました。そして水素社会を目指すなどという話ですが、要するに、火力発電はゆくゆくは全廃するということなんですね。現在、火力発電は日本における電気の生産の4割くらいを担っています。それを2050年には全部辞めようということですね。もちろん、その頃には現閣僚で生きている人も少ないとは思いますが、はっきり申し上げて非常に非現実的です。
家庭のエネルギー消費を見てみますと、先進国の家庭のエネルギー消費の5〜6割は熱エネルギーなのです。つまり、暖房やお料理、お風呂を沸かすといった目的でエネルギーが使われているわけですね。そんな状態ですから、燃やして熱が出る化石燃料を使った方がはるかに効率的なわけです。そういったものも含めて全部無くして、一度電気にしたものをもう一度熱に変換するというのは非効率的なエネルギーの使い方ということだと言えます。
火力発電全廃を目指す岸田総理のホンネ
今、環境対策の脱炭素化を主張する人々が一番目の敵にしているのは、やはり石炭、石油、そして天然ガスを使った火力発電です。しかし、本当に太陽光発電とか風力発電などの自然再生エネルギーを利用するためには、火力発電がどうしても不可欠なのです。というのは、風力や太陽光では自然条件によって欲しいときに電気を生産することができませんから、その変化に機敏に対応して電力をすぐに増やしたり、下げたりすることができるのが火力発電しかないわけです。ですから、岸田政権を含めて原発利権推進派の人が狙っているのはまず火力発電を全部潰しておいて、同時に再生可能エネルギーによる発電も潰していくということ。そしてやがて目指すのは100%の原発社会ということなのではないかと思います。
この電力不足が叫ばれている中で、いかにめちゃくちゃな政策をしているか、ということがよくわかると思います。このあたりにトリックがあるので、引っかかってはいけないなと私は思っています。
国際政治学者・藤井 厳喜
国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。著書は第1作の『世界経済大予言』(1984年)以来、年間数冊のペースで出版され、70冊を上回る。また、秘匿性の高い、年間20万円の会員制レポートは35年間毎月発行され、「正確な情報が命」とも言える、旧三井信託銀行、旧日興証券などの金融機関や大手企業・個人投資家を中心に「世界情勢を読み解くバイブル」として支持されている。
また、国連集会に派遣団として参加したり、1999年には米ブッシュ政権との架け橋として、リチャード・アーミテージ元米国務副長官、ロバート・ゼーリック世界銀行総裁(共に当時は民間人)らに掛け合い、外交の裏側を取り仕切るなどの国際的・政治的な活動も行ってきた。
私たちは、火力発電がどうしても必要不可欠であることを認識しなければならない。カーボンニュートラルなどといった、戯言に惑わされているのは日本だけである。
6日からエジプトで温暖化に係る国際会議が開かれるが、脱炭素の負担を日本ばかりが背負うことの無いように努めなければならない。(谷口 利広)
奈良時代の日本においてすでに、100歳・90歳・80歳以上の齢は、めでたいものではあるにせよ、決して珍しいものではありませんでした。
日本人の平均寿命は、14〜16世紀で15歳程度、18世紀で30歳代半ば、明治13年(1880年)時点の調査で男36歳/女38歳、平均寿命が50歳を超えたのは昭和22年(1947年)頃です。
江戸時代はもちろん明治時代も、ほとんどの人は40歳になる前に死んでいるのか、などと考えてしまう人が多いのですが、これは勘違いです。からくりは、乳児の死亡率にあります。時代を遡れば遡るほど、医療技術は未熟だったため乳児の死亡率が高く、これが平均寿命を押し下げているだけなのです。
現代において、100年をどう生きるかを考えるのと同じように、100年をどう生きるか、奈良時代の人々もちゃんと考えていました。「人生100年時代」は新しいテーマでも何でもなく、ずっと考え続けられてきているテーマであることは、かつて長く生き、素晴らしい創造性を持った人々が少なくなく存在し、同時に彼らもまた老人の人生を語ってきたことで証明されています。
ところが現代は「人生100年時代」という単なるキャッチフレーズに任せ切ってしまい、身体的健康だけを追って、無自覚に年をとるということを推奨しているように見えます。まるで、人間の思慮などというものは忘れてしまえ、あるいは、思慮というものを含む創造力などというものは失ってしまえ、と言わんばかりです。
これは、人間そのものにとって、非常に危惧すべきことです。現代人はどうやら、長く生きるためにどうするかということだけを考え過ぎているようです。“寿命が延びる”ということだけに価値が置かれ、生きることの精神的な問題、あるいは心理的な変化、そして、その人の思考、つまり、思想の展開というものが、まったく無視されているように見えます。“身体的健康が時間的に延びた”ということで、万事良しとされているようです。私は、そういうことであってはならないと思っています。
ここでは、大局的な視点に立ち先人たちの美術作品を見ながら、老人論を建て直していくことにしましょう。まず私がお見せするのはこちらです。有名な老人像の「鑑真」です。
鑑真(688〜763年)は、日本に5度の渡航を試み、6度目に日本にたどりつき、帰化した長老です。日本に着いた時にはすでに盲目だったと言われており、その盲目の表情が非常に美しく像に表現されています。この鑑真の像に見られるように、老人像が作られることによって初めて人間の個人の姿が表されるようになったということが重要です。
老人が描かれるということは、そこには“文化”があり、しっかりとした社会が構成されているということを意味します。長老がいることによってはじめて社会が安定することの現れでもあるのです。
世界には、“偶像崇拝禁止”という宗教的文化を持つ地域あるいは歴史があります。そのために、イスラム世界や5〜15世紀東ローマ帝国のビザンチン文化では、宗教上の理由から人間像をつくりません。しかし一方で、日本とヨーロッパは人間像をつくってきました。特筆すべきなのは、そこにおいては老人像がたくさん描かれた、ということです。“老人像は美しい”、“老人は美しい”という、現代が失ってしまっていると言っていい別の指標があるのです。
続いてレオナルド・ダ・ヴィンチは、30代の終盤、ミラノにいた時に自らの肖像画を描いています。非常に有名な自画像で、トリノ王宮図書館に収蔵されています。40歳頃の時の自画像ですが、作品を見れば一目瞭然、ダ・ヴィンチはまさに老人の像として自らを描いています。つまり、ダ・ヴィンチは、老人であることを衰えであるとは考えていないのです。彼の天才性はモナ・リザのように美を若さに求めない点です。これはやはり、成熟こそ描くべき対象であり、老人、老年がいかに素晴らしいものかを自らに写して表現しているのです。
私は、老年こそ、人生で最も創造的時代と思っています。体を色々気づかうことも、その創造に関係しています。現代、心理学者の間では“主観年齢”というものが、注目されているようです。自分は75歳なのに、60歳だと考えることの心理がどのようなものか、と分析しています。私は、年齢など気にしない老年時代が、理想だと考えています。85歳は85歳でいいのです。そうした正直に年代を認めることこそ、創造に取り組むにふさわしいのではないでしょうか。
田中 英道(東北大学名誉教授)
田中 英道氏の、「老年こそ、人生で最も創造的時代と思っています」に同感だ。サムエル・ウルマンが言うように「暦年齢」が問題ではなく気持ちの持ち方が大事であり「もうだめだ」と思った時からが老人であり、老年と老人は違うのである。
サムエル・ウルマンは「青春とは心の若さである。希望と信念にあふれ勇気に満ちて、日に新たな活動を続ける限り青春は永遠にその人のものである」とも……。(谷口 利広)
日米不平等条約
第9条で「軍隊」を持っていない日本、持ってはいけない日本が、無差別爆撃と原爆(大量破壊兵器)2発で国土を廃墟にしたアメリカとなぜ軍事同盟を結ばされたのか。なぜ軍事同盟を結び得るのか。
海に囲まれながらも、航空母艦も原子力潜水艦も持っていない日本と、全ての武器を持っている軍事大帝国アメリカとの間に50年間も維持されているこの条約は、一目瞭然、一方通行の不平等条約である。
明治日本は徳川末期に、欧米諸国との間に結ばれた屈辱的な不平等条約を
懸命になって書き替えていったのだが、戦後日本は歴史を忘れてしまったのか。1960年に日本で市民革命が起こるかもしれないほどの流血の大乱闘の末、現行の不平等な日米安保条約が更新された。憲法第9条で雁字搦めにされている自衛隊が枷から解き放たれ、国防軍になって初めて平等な「双務同盟」を結ぶことができる。その時には世界最強のアメリカと同盟を結ぶべきであろう。
アメリカの国益
ところで、強兵アメリカが弱民日本を守らなければならない道義的な理由はあるのか。ない。日本列島に米軍隊を駐留させているのは、アメリカの国益に合うからである。だが、日本の国益とアメリカの国益、「アメリカのプライド」と「日本の誇り」は、同じではない。
アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)が日本完敗で終結した1945年の夏、マッカーサー元帥が厚木に降り、日本占領を始めた。マッカーサー自身が愛国心に燃えた戦士だったので、日本人の愛国心の強靭さを理解した。このマッカーサーの理解こそが、6ヵ年半の占領で実行された日本弱民化の原点である。誇り高き日本人を無防備にし、精神的にも臆病にすれば、太平洋はアメリカの溜池となり、アジア全土もアメリカの文化・経済植民地にできると読んだマッカーサーは、強靭な日本人を、どうすれば弱くすることができるのかと考え作り上げたのが、国防責任を捨てさせる第9条と道徳観皆無の教育基本法だ。
日本弱民化政策
一億弱民化は「平和教育」と名づけられ、誰も平和に反対することはできず、この国籍不明の教育が戦後60年間我が者顔で横行している。日本の平和教育崇拝者たちは、日本嫌いの近隣諸国と同調して、「国」を潰せば日本が平和になると錯覚し、その売国行為を「進歩的」と勘違いし、若者たちを懸命に洗脳した。 日本の大学にも、資本主義の恩恵をドッサリ受けているにもかかわらず、日本攻撃をしている隠れマルクス主義者が今でも大勢いる。
属国教育
敗戦は「悪」だったのだろうか。日本が「悪い」から、負けたのか。勝てば官軍の米軍は、賊軍日本に命令を下した。日本人であることを恥ずかしいと思え。日本的とは「劣悪、残酷、下品、野蛮、非科学的」であると教えろ。「君が代」は戦争への行進曲であるゆえ、歌うな。「日の丸」は侵略戦争の軍旗であるゆえ、掲げるな。日本史もアメリカから見た歴史を教えろ。武器を持つな。正当防衛のためにも、戦うな。絶望的な敗北感と命を脅かす飢えに苦しむ日本は、「属国教育」を始めさせられた。第9条が存在する限り、日本の「戦後」は終わらない。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。
それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。
6年の統治を終えて、マッカーサーは帰国した。すぐに米国議会で演説し、GHQの政策は誤りであったと述べた。「東京裁判」についても同様である。
マッカーサーは大統領選に立候補しようとしたのだが、議会演説の内容に対して全米から猛バッシングを受け、立候補を断念した。その後亡くなるまで、妻と二人、ひっそりとホテル暮らしをしたと聞く。(谷口 利広)
あなたはご存知でしょうか?「日本人は動物にも劣る民族といっても過言ではない」「君達韓国人のような優秀な民族の血を日本人に入れない限り、他人やアジアに寄生して生きる害虫日本人が増えるだけだ」 と発言した日本の政治家がいることを...
これは、2009年12月に民主党幹事長であった小沢一郎氏が、韓国・ソウル市内の大学で行った講演の中で発言されたものです。また、この講演の中で次のようにも語っています。「神武天皇は朝鮮から来たという説がありますが、これはおそらく歴史的事実でしょう。」つまり、日本の皇室の起源が朝鮮にあると主張したのです。
これを聞いた韓国人青年たちからはどよめきの声さえあがりました。しかし、この主張は本当に正しいのでしょうか? 小沢氏がこの発言をするにあたり参考にした説が騎馬民族征服説です。これは、東京大学の江上波夫教授が唱えていた説ですが、現在ではほとんど否定されています。なぜなら、古事記や日本書紀には騎馬民族に関する記述がなく、この説には信憑性がないためです。
しかし、なぜ小沢一郎氏は信憑性がないこのような説を引用したのでしょうか? それは、「日本を貶めるため」です。「日本の天皇の祖先は韓国出身である」と発言することで、日本は韓国より下の国だと暗に伝え、日本を貶めようとしているのです。歴史・経済を学ばれているあなたは、天皇を利用して、日本を貶めようとする勢力がいることはすでにご存知かもしれません。もちろん、日本を貶めようとする勢力がいることは大きな問題です。
しかし、本当の問題は、小沢氏の「天皇は朝鮮人だ」という発言を信じる日本人がいるということなのです。どうして、このような信憑性のない説を信じてしまうのでしょうか? それは、日本人が天皇に関する正しい知識を持っていないからです。
戦後アメリカは、日本における天皇に関する教育を禁止しました。そのため日本人は学校で「天皇」について学ぶことがありません。アメリカは、二度と日本が米国の脅威にならぬよう日本人の精神を骨抜きにすることを決定し、日本の教育を根本から変えたのです。しかしこのままで良いのでしょうか? 天皇に関する正しい知識をもたない日本人でいいのでしょうか? 日本を貶める勢力の意見ばかりを信じる日本人でいいのでしょうか? 世界中の尊敬を集める天皇をぞんざいに扱う日本人でいいのでしょうか?
このままの日本の教育では、豊かな国日本を守り抜くという意識を持てず、2700年以上続いてきた日本人としての根幹もなくなってしまいます。
未来の日本の子供たちは、そんな日本をどう思うでしょうか?
(株)経営科学出版編集部
元民主党で総理まで務めた鳩山由紀夫が「あなたは韓国人か」と思うような発言を繰り返しているが、若くして自民党の幹事長まで昇りつめた小沢一郎までもが、韓国に於いて日本を、日本人を貶めるような発言をしているとは、「何をか況や」を通り越している。(谷口 利広)
今日、高校の教え子であり長野県に住むSさんが訪ねて来た。北安曇野でスキースクールを営み、夏場は山岳ガイドや山岳レスキューにも携わっているそうだ。
54歳になったと言われたが、がんばっている様子が随所に窺え教師冥利に尽きる思いだった。学級担任をしたわけではなく、陸上競技部員でもなかったが、なぜか慕ってくれた。彼はスポーツ万能であり、水泳もランニングも得意だった。
教え子の立派な姿を眼にすると、私も「まだまだ老け込んでいては……」と刺激を受ける。『徳は孤ならず、必ず隣りあり』の話をすると、さらに眼を輝かせた。
本院議員、安倍晋三 元内閣総理大臣は、去る七月八日、参院選候補者の応援に訪れた奈良県内で、演説中に背後から銃撃されました。搬送先の病院で全力の救命措置が施され、日本中の回復を願う痛切な祈りもむなしく、あなたは不帰の客となられました。
享年六十七歳。あまりにも突然の悲劇でした。
政治家としてやり残した仕事。次の世代へと伝えたかった想い。そして、いつか引退後に昭恵夫人と共に過ごすはずであった穏やかな日々。
すべては、一瞬にして奪われました。
政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません。人々の暮らしや命がかかっています。マイクを握り日本の未来について前を向いて訴えている時に、後ろから襲われた無念さはいかばかりであったか。改めて、この暴挙に対して激しい憤りを禁じ得ません。
私は、生前のあなたと、政治的な立場を同じくするものではありませんでした。しかしながら、私は、前任者として、あなたに内閣総理大臣のバトンを渡した当人であります。
我が国の憲政史には、百一代 六十四名の内閣総理大臣が名を連ねます。先人たちが味わってきた「重圧」と「孤独」を我が身に体したことのある一人として、あなたの非業の死を悼み、哀悼の誠を捧げたい。
そうした一念のもとに、ここに、皆様のご賛同を得て、議員一同を代表し、謹んで追悼の言葉を申し述べます。
安倍晋三さん。あなたは、昭和二十九年九月、後に外務大臣などを歴任された安倍晋太郎氏、洋子様ご夫妻の二男として、東京都に生まれました。
父方の祖父は衆議院議員、母方の祖父と大叔父は後の内閣総理大臣という政治家一族です。「幼い頃から身近に政治がある」という環境の下、公のために身を尽くす覚悟と気概を学んでこられたに違いありません。
成蹊大学法学部政治学科を卒業され、いったんは神戸製鋼所に勤務したあと、外務大臣に就任していた父君の秘書官を務めながら、政治への志を確かなものとされていきました。そして、父 晋太郎氏の急逝後、平成五年、当時の山口一区から衆議院選挙に出馬し、見事に初陣を飾られました。三十八歳の青年政治家の誕生であります。
私も、同期当選です。初登院の日、国会議事堂の正面玄関には、あなたの周りを取り囲む、ひときわ大きな人垣ができていたのを鮮明に覚えています。そこには、フラッシュの閃光を浴びながら、インタビューに答えるあなたの姿がありました。私には、その輝きがただ、まぶしく見えるばかりでした。
その後のあなたが政治家としての階段をまたたく間に駆け上がっていったのは、周知のごとくであります。
内閣官房副長官として北朝鮮による拉致問題の解決に向けて力を尽くされ、自由民主党幹事長、内閣官房長官といった要職を若くして歴任したのち、あなたは、平成十八年九月、第九十代の内閣総理大臣に就任されました。戦後生まれで初。齢五十二、最年少でした。
大きな期待を受けて船出した第一次安倍政権でしたが、翌年九月、あなたは、激務が続く中で持病を悪化させ、一年あまりで退陣を余儀なくされました。順風満帆の政治家人生を歩んでいたあなたにとっては、初めての大きな挫折でした。「もう二度と政治的に立ち上がれないのではないか」と思い詰めた日々が続いたことでしょう。
しかし、あなたは、そこで心折れ、諦めてしまうことはありませんでした。最愛の昭恵夫人に支えられて体調の回復に努め、思いを寄せる雨天の友たちや地元の皆様の温かいご支援にも助けられながら、反省点を日々ノートに書きとめ、捲土重来を期します。挫折から学ぶ力とどん底から這い上がっていく執念で、あなたは、人間として、政治家として、より大きく成長を遂げていくのであります。
かつて「再チャレンジ」という言葉で、たとえ失敗しても何度でもやり直せる社会を提唱したあなたは、その言葉を自ら実践してみせました。ここに、あなたの政治家としての真骨頂があったのではないでしょうか。あなたは、「諦めない」「失敗を恐れない」ということを説得力もって語れる政治家でした。若い人たちに伝えたいことがいっぱいあったはずです。その機会が奪われたことは誠に残念でなりません。
五年の雌伏を経て平成二十四年、再び自民党総裁に選ばれたあなたは、当時 内閣総理大臣の職にあった私と、以降、国会で対峙することとなります。最も鮮烈な印象を残すのは、平成二十四年十一月十四日の党首討論でした。
私は、議員定数と議員歳費の削減を条件に、衆議院の解散期日を明言しました。あなたの少し驚いたような表情。その後の丁々発止。それら一瞬一瞬を決して忘れることができません。それらは、与党と野党第一党の党首同士が、互いの持てるものすべてを賭けた、火花散らす真剣勝負であったからです。
安倍さん。あなたは、いつの時も、手強い論敵でした。いや、私にとっては、仇のような政敵でした。
攻守を代えて、第九十六代内閣総理大臣に返り咲いたあなたとの主戦場は、本会議場や予算委員会の第一委員室でした。
少しでも隙を見せれば、容赦なく切りつけられる。張り詰めた緊張感。激しくぶつかり合う言葉と言葉。それは、一対一の「果たし合い」の場でした。激論を交わした場面の数々が、ただ懐かしく思い起こされます。
残念ながら、再戦を挑むべき相手は、もうこの議場には現れません。
安倍さん。あなたは議場では「闘う政治家」でしたが、国会を離れ、ひとたび兜を脱ぐと、心優しい気遣いの人でもありました。
それは、忘れもしない、平成二十四年十二月二十六日のことです。解散総選挙に敗れ敗軍の将となった私は、皇居で、あなたの親任式に、前総理として立ち会いました。
同じ党内での引継であれば談笑が絶えないであろう控室は、勝者と敗者の二人だけが同室となれば、シーンと静まりかえって、気まずい沈黙だけが支配します。その重苦しい雰囲気を最初に変えようとしたのは、安倍さんの方でした。あなたは私のすぐ隣に歩み寄り、「お疲れ様でした」と明るい声で話しかけてこられたのです。
「野田さんは安定感がありましたよ」
「あの『ねじれ国会』でよく頑張り抜きましたね」
「自分は五年で返り咲きました。あなたにも、いずれそういう日がやって来ますよ」
温かい言葉を次々と口にしながら、総選挙の敗北に打ちのめされたままの私をひたすらに慰め、励まそうとしてくれるのです。
その場は、あたかも、傷ついた人を癒やすカウンセリングルームのようでした。
残念ながら、その時の私には、あなたの優しさを素直に受け止める心の余裕はありませんでした。でも、今なら分かる気がします。安倍さんのあの時の優しさが、どこから注ぎ込まれてきたのかを。
第一次政権の終わりに、失意の中であなたは、入院先の慶応病院から、傷ついた心と体にまさに鞭打って、福田康夫新総理の親任式に駆けつけました。わずか一年で辞任を余儀なくされたことは、誇り高い政治家にとって耐え難い屈辱であったはずです。あなたもまた、絶望に沈む心で、控え室での苦しい待ち時間を過ごした経験があったのですね。
あなたの再チャレンジの力強さとそれを包む優しさは、思うに任せぬ人生の悲哀を味わい、どん底の惨めさを知り尽くせばこそであったのだと思うのです。
安倍さん。あなたには、謝らなければならないことがあります。
それは、平成二十四年暮れの選挙戦、私が大阪の寝屋川で遊説をしていた際の出来事です。
「総理大臣たるには胆力が必要だ。途中でお腹が痛くなってはダメだ」
私は、あろうことか、高揚した気持ちの勢いに任せるがまま、聴衆の前で、そんな言葉を口走ってしまいました。他人の身体的な特徴や病を抱えている苦しさを揶揄することは許されません。語るも恥ずかしい、大失言です。
謝罪の機会を持てぬまま、時が過ぎていったのは、永遠の後悔です。いま改めて、天上のあなたに、深く、深くお詫びを申し上げます。
私からバトンを引き継いだあなたは、七年八ヶ月あまり、内閣総理大臣の職責を果たし続けました。
あなたの仕事がどれだけの激務であったか。私には、よく分かります。分刻みのスケジュール。海外出張の高速移動と時差で疲労は蓄積。その毎日は、政治責任を伴う果てなき決断の連続です。容赦ない批判の言葉の刃を投げつけられます。在任中、真の意味で心休まる時などなかったはずです。
第一次政権から数え、通算在職日数三千百八十八日。延べ百九十六の国や地域を訪れ、こなした首脳会談は千百八十七回。最高責任者としての重圧と孤独に耐えながら、日本一のハードワークを誰よりも長く続けたあなたに、ただただ心からの敬意を表します。
首脳外交の主役として特筆すべきは、あなたが全くタイプの異なる二人の米国大統領と親密な関係を取り結んだことです。理知的なバラク・オバマ大統領を巧みに説得して広島にいざない、被爆者との対話を実現に導く。かたや、強烈な個性を放つドナルド・トランプ大統領の懐に飛び込んで、ファーストネームで呼び合う関係を築いてしまう。
あなたに日米同盟こそ日本外交の基軸であるという確信がなければ、こうした信頼関係は生まれなかったでしょう。ただ、それだけではなかった。あなたには、人と人との距離感を縮める天性の才があったことは間違いありません。
安倍さん。あなたが後任の内閣総理大臣となってから、一度だけ、総理公邸の一室で、密かにお会いしたことがありましたね。平成二十九年一月二十日、通常国会が召集され政府四演説が行われた夜でした。
前年に、天皇陛下の象徴としてのお務めについて「おことば」が発せられ、あなたは野党との距離感を推し量ろうとされていたのでしょう。
二人きりで、陛下の生前退位に向けた環境整備について、一時間あまり、語らいました。お互いの立場は大きく異なりましたが、腹を割ったざっくばらんな議論は次第に真剣な熱を帯びました。
そして、「政争の具にしてはならない。国論を二分することのないよう、立法府の総意を作るべきだ」という点で意見が一致したのです。国論が大きく分かれる重要課題は、政府だけで決めきるのではなく、国会で各党が関与した形で協議を進める。それは、皇室典範特例法へと大きく流れが変わる潮目でした。
私が目の前で対峙した安倍晋三という政治家は、確固たる主義主張を持ちながらも、合意して前に進めていくためであれば、大きな構えで物事を捉え、飲み込むべきことは飲み込む。冷静沈着なリアリストとして、柔軟な一面を併せ持っておられました。
あなたとなら、国を背負った経験を持つ者同士、天下国家のありようを腹蔵なく論じあっていけるのではないか。立場の違いを乗り越え、どこかに一致点を見出せるのではないか。
以来、私は、そうした期待をずっと胸に秘めてきました。
憲政の神様、尾崎萼堂は、当選同期で長年の盟友であった犬養木堂を五・一五事件の凶弾で喪いました。失意の中で、自らを鼓舞するかのような天啓を受け、かの名言を残しました。
「人生の本舞台は常に将来に向けて在り」
安倍さん。
あなたの政治人生の本舞台は、まだまだ、これから先の将来に在ったはずではなかったのですか。
再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。
勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。
耐え難き寂莫の念だけが胸を締め付けます。
この寂しさは、決して私だけのものではないはずです。どんなに政治的な立場や考えが違っていても、この時代を生きた日本人の心の中に、あなたの在りし日の存在感は、いま大きな空隙となって、とどまり続けています。
その上で、申し上げたい。
長く国家の舵取りに力を尽くしたあなたは、歴史の法廷に、永遠に立ち続けなければならない運命(さだめ)です。
安倍晋三とはいったい、何者であったのか。あなたがこの国に遺したものは何だったのか。そうした「問い」だけが、いまだ宙ぶらりんの状態のまま、日本中をこだましています。
その「答え」は、長い時間をかけて、遠い未来の歴史の審判に委ねるしかないのかもしれません。
そうであったとしても、私はあなたのことを、問い続けたい。
国の宰相としてあなたが遺した事績をたどり、あなたが放った強烈な光も、その先に伸びた影も、この議場に集う同僚議員たちとともに、言葉の限りを尽くして、問い続けたい。
問い続けなければならないのです。
なぜなら、あなたの命を理不尽に奪った暴力の狂気に打ち勝つ力は、言葉にのみ宿るからです。
暴力やテロに、民主主義が屈することは、絶対にあってはなりません。
あなたの無念に思いを致せばこそ、私たちは、言論の力を頼りに、不完全かもしれない民主主義を、少しでも、よりよきものへと鍛え続けていくしかないのです。
最後に、議員各位に訴えます。
政治家の握るマイクには、人々の暮らしや命がかかっています。
暴力に怯まず、臆さず、街頭に立つ勇気を持ち続けようではありませんか。
民主主義の基である、自由な言論を守り抜いていこうではありませんか。
真摯な言葉で、建設的な議論を尽くし、民主主義をより健全で強靱なものへと育てあげていこうではありませんか。
こうした誓いこそが、マイクを握りながら、不意の凶弾に斃れた故人へ、私たち国会議員が捧げられる、何よりの追悼の誠である。
私はそう信じます。
この国のために、「重圧」と「孤独」を長く背負い、人生の本舞台へ続く道の途上で天に召された、安倍晋三 元内閣総理大臣。
闘い続けた心優しき一人の政治家の御霊に、この決意を届け、私の追悼の言葉に代えさせていただきます。
安倍さん、どうか安らかにお眠りください。
“危機管理・安全保障で大事な考えは、「まさか」ではなく「もしかして」と捉えて準備すること。準備すれば、大体は起こらないことが多いが、その場合は「よかったな」と考えるべきです。
しかし、日本人は準備が無駄に終わったら、「何やってんだよ。何もなかったじゃないか」と考えます。これは安全保障が分かっていない人の考えです。”
たとえ軍事とは関係ない一般人であっても、ひとたび有事が起きれば、無関係ではいられない…。ウクライナやロシアを見れば分かるとおり、情報リテラシーの差が生死を分けることにもなりかねません。
元航空自衛隊トップ 織田邦男
私は少し前まで、中国共産党による「台湾進攻」は無いのではと考えていた。中国国内の経済状況はガタガタであり、明るい材料がまったくない。発表されるGNPなどの指標は、嘘で塗り固められている。明らかにマイナス成長である。台湾に攻め入るどころではないのではと思った。
しかし、習近平は反対派を徹底的に排除して3期目に入った。国内に暴走を止める者が居なくなった。そういったことを考え合わせると「台湾進攻」は現実味を帯びてきた。それもかなり早い段階での、もしかしたら年内にも。日本は、悠長で能天気な国会質疑に終止符を打ち、「台湾進攻」に備えなければならない。
だが、中共が武力侵攻したとしても、訓練に訓練を重ねている台湾軍は手ごわい。装備も劣っていないし、何より中国共産党人民解放軍に比して、祖国を守ろうとする意識が違う。基本となる民度が違う。そのうえに、米国を始めとする多くの国の支援が期待される。中国は孤立するであろう。
台湾に武力侵攻すれば、中国共産党の崩壊は確実に早まるだろう。(谷口利広)
私は安全保障については、一人ひとりの国民が知らなければいけないというふうに思っておりまして、「呼ばれて、都合がつきさえすれば、どこでも飛んでいきますよ」というのが私の姿勢です。
アメリカに2回留学させていただいて、「やっぱり日本っておかしいな」と思ったのは、本来1人1人が考えるものであるはずの安全保障が、国が考える話とされている点です。
米空軍大学に行った時に、外にアパートを借りて住んだのですけれども、隣の家は普通の主婦がおられて、私はある時に「アメリカの安全保障について、どう思いますか?」と聞いたのです。そうしたら、とうとうとしゃべるのです。あれはびっくりしました。そのしゃべっている内容は、必ずしも正しいとは思わないし、変なところもあるけれども、1人1人がアメリカの外交政策、アメリカの安全保障について、普通のおばちゃんまでが語るというのはすごいなと思いました。
やはり国家というのは、そういうものだと私は思うのです。 1人1人の考え方が寄り集まって構成されているのが国家だし、日本という国家の安全保障を政治家だけに任せるというのは非常におかしい話だし、戦前はそれで失敗したのだと私は思います。
安全保障というのは、特に戦前は「おまえたちがくちばしを入れるな。おまえらが考える話じゃねえよ。俺たちに任せとけ」ということだったのです。数少ない軍人のエリートに任せてということですが、それはおかしな話です。そして、戦後はというと、これはまた逆に「軍事を語るというのはとんでもない。もう失敗したじゃないか」ということで軍事がタブーになったのですけれども、両方ともおかしいのです。ですから、軍事を考えることがタブーになって、しゃべることもタブーです。そういうことで、戦前戦後を通じて、結局国民1人1人が考えなければいけない安全保障は、誰も考えていないのです。
やはり国会議員というのは、国民1人1人のレベルを超えることはないのです。ですから、国会も安全保障を理解できる人はいないのです。これは非常にまずいです。ものすごく長い時間がかかるかもしれないけれども、「もし安全保障を聞きたいという人がいれば、どこにでも出ていきますよ」というのが私の考えです。
アメリカというのは、必ずしも一人ひとりが世界に目が向いているとは思わないです。非常に閉鎖的な国です。ですが、1人当たり22万円も国防費に費やしている国ですから、おのずと安全保障、あるいは国防については関心がありますよね。ですから、国防に限らず、われわれは税金を出して国を支えている、支えるべき政治家に託している、その政治家を選ばなければいけないとなりますと、やはり自分たちが動かしているというのが国ですから、選ぶ政治家はどういう考えを持って、それが正しいかどうなのかということを判断する、それによって、その政治に参画していく。そういう意識が、欧米諸国は日本よりも高いと思います。
日本は、特に戦後、放っておいても安全で、しかも繁栄した国に安穏としておられたということがあって、そういうふうになってしまったのです。しかし、ウクライナ戦争や台湾有事などこれから激動の世の中になって、そういうふうには言っていられなくなる、やはり1人1人が考えなければいけないというふうに思います。国民のレベル以上の政治家は出てこないのです。
そうなると、国民のレベルが上がらなければ、政治家もいわゆるこの激動の世界情勢の中で、日本の安全を保ち、繁栄を確保していくというかじ取りができる人は出てこないと思うのです。ですから、安全保障、あるいは国防などの最低限の知識をしっかり持っていなければいけないし、それを持てるようにしなければいけないのです。しかしながら、日本にはまだまだタブーがありまして、「日本学術会議は軍事研究をしない」なんてあるのです。
僕の後輩がリタイアした後、ある大学に特任教授で呼ばれて行っていましたが、一番最初に一筆書かされたというのです。「何だ?」と言ったら、「『軍事研究はしない』というふうに書かされました」と言うのです。まだこんなことを言っているのかなと思うのです。そういう制度、そういう仕組みが残っていること自体が異常ですよね。ですから、「戦後77年経って、まだこんなことを言っているのか」と思うのですが、明日にも戦乱が起きても不思議ではない、戦争に巻き込まれても不思議ではないという時代になって、まだそんなことを言っているということです。
やはり転ばぬ先の杖というのは非常に難しいのですけれども、しっかりとした考えを持っている人が1人でも多く出て、底上げをすることによって、政治家もレベルが上がっていくという形にしなければ、安全保障1つ知らずに政治家になって、いい外交ができるとは思わないのです。
安倍さんは、岸信介、安倍晋太郎という家系ですから、おのずと考えざるを得なかったというのはあると思います。それでも安倍首相の時には必ず自衛官を呼んで、「現実はどうなんだ」というのを自分で勉強されていたのです。それは逆に言えば、大学もですが、そういうのを教えてくれるところがないということです。その状態を変えていかないと、激動の国際情勢を乗り切れないのではないかと危惧しているのです。
(織田氏の特別講義「自衛官のリアルpart1元空将が語り継ぎたい『自衛隊:100人の神兵たち』」より抜粋・一部編集)
航空自衛隊・元空将:織田 邦男(麗澤大学特任教授)
防衛大学校を卒業後、航空自衛隊に入り、F- 4パイロットなどを経て、米空軍大学留学、米スタンフォード大学客員研究員、航空幕僚監部防衛部長、航空支援集団司令官などを歴任。平成21年退官。27年東洋学園大学客員教授、30年より国家戦略研究所所長。
周囲の反対を押し切って防衛大学に入学し、航空自衛隊を目指したという織田氏。「自衛隊は違憲だ!」という逆風の中、日本を守るために現場で活躍を続けた。日米共同演習のスタートからイラク派遣に至るまで日米関係に携わってきた経験を持ち、イラク派遣では任務完了の時期がわからない中、常に身の危険を感じる活動に尽力。一度の事故もなく国際協力活動を成功させ、日本の航空自衛隊の能力が諸外国と比較しても遜色なく高いレベルであることを実証した。
2009年、イラク派遣が終わると「これが自分の使命だった」と語り退官。35年もの間、航空自衛隊で活躍し、現役時代は空将にまで上り詰めた国防のスペシャリスト。元政治家・石原慎太郎氏に党首討論のために意見を求められた経験もあるという。 現場や過去の教訓からの分析を得意とし、虎ノ門ニュースの出演や産経新聞・JBpressへの寄稿の他、尖閣上空での中国機による攻撃をリークするなど、その活躍は多岐にわたる。
国防・安保について、中国共産党や北朝鮮党の脅威が迫っている中、他国任せにしてはならない。国防があってこその、日々の安心安全とした暮らしが保障される。日本の、我が国の国民一人ひとりが、真剣に考えなければならない。「ならず者の国家に取り囲まれている」のだ。(谷口利広)
20日(目)から兵庫県で開かれていたゴルフの日本オープン選手権で、大学4年の蝉川泰果(せみかわ・たいが)選手がアマチュアとして95年ぶりとなる初優勝を果たした。蝉川は今年、日本ツアー2勝目であり、アマの年間2勝は史上初の快挙である。
ゴルフ界では、近年若い選手の台頭が著しいが、それらの選手の中でも群を抜いてスケールの大きさを感じさせる。本人は、「タイガーウッズ選手のような、ファンを唸らせるようなプレーのできる選手をめざしている」とも。大した選手が現れたものだ。近い将来、松山選手に次いでマスターズを制してくれるのではと、期待をせずにはおられない。蝉川選手に拍手を送る。(23日16時30分)
中国共産党の党大会が閉幕した。次期指導部を構成する中央委員(205人)が選出された。習近平は選ばれ、李克強首相は漏れた。李克強に近い現常務委員3名も外れた。習近平が3期目を確定し、側近には自らに近い者で固める模様だ。
本日の「1中総会」で、新体制のメンバー発表がある。中国共産党の崩壊が早まることは間違いない。
中国共産党の党大会は本日閉幕し、明日23日にも政権の顔ぶれが明らかとなる。党最高指導部の政治局常務委員(現在7名)に誰が就任するのだろうか。
国内メディアのほととんどは、習近平が側近で固めるであろうとの見方が大勢である。一方、澁谷氏(拓殖大元教授)は、反習近平派が過半数を占めて李克強が中心となって改革・開放政策が進められるであろうと。
どちらになっても、中国共産党は「崩壊」への道を突き進むことは間違いない。「一帯一路」政策も、このところ綻びが目立っている。パキスタンも政権が変り、親米に舵を切った。
幹部の人事が判明する明日に注視したい。
順境の時は、その人物の大きさは中々分からないものだ。が、逆境に遭遇してみると、途端にその人本来のものが露わになる。どのようなときでも、松柏のようにいつも堂々としていたい。「得意澹然(とくいたんぜん・思い通りに事が運んでもおだやかでいる) 失意泰然(思い通りにいかなくとも落ち着き払っている)」とありたい。
頼みごとをされたときに、自分にとって利益になる、ならないかを、またそのことがしんどいことなのか、簡単なことなのかを受諾の条件にしてしまいがちだ。言い換えれば、一肌脱ごうと前向きに考えるのか、逃げるのかの違いである。しんどいことであっても、筋の通ったことであれば前向きに受け止める生き方をしたいものだと心がけているが、易いことではない。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
昭和49年までたった一人で、大東亜戦争を戦い抜いた日本人がいました。
男の名は、小野田寛郎(おのだ・ひろお)。戦争の終結を知らされず、実に約30年に渡ってフィリピンで孤独な戦いを続けていたのです。
帰国を果たした時、小野田さんは51歳になっていました。「日本人は戦争に負けて腐ってしまったのか...」小野田さんは帰国後、戦前とすっかり変わってしまった日本に絶望を感じたといいます。帰国した際に 天皇陛下万歳! と叫ぶと、メディアは小野田さんのことを“軍国主義の亡霊”と批判しました。さらに、当時の田中角栄内閣から受け取った見舞金100万円を全て靖國神社に寄付すると、それに対してもバッシングの嵐。誹謗中傷の手紙も届いたそうです。特に靖國神社に対しての感覚がまるで変わってしまっていることには衝撃を隠せなかったといいます。
小野田さんは、こんなコメントを残しています。「既婚者は、家族を遺して死ぬことに 心残りもあったかもしれないけれど、独身の若い者たちは、「自分が先頭に立って戦わねば」とみな思っていた。これはどこの国だって同じでしょう。命がなくなることは覚悟していた。でも靖國神社がある。 国のために戦死した人を 国で祀ることは当たり前で、これは日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。日本人はそれさえ わからなくなってしまったのかと思います」
小野田さんのコメントにあるように、少なくとも戦前・戦中を生きた人々は、靖國神社で戦没者を祀るのは当たり前で、大切に守っていなかければいけないという認識がありました。しかし、だんだんと時代を経て、戦争の時代を生きた人々は減っていき、、メディアでは毎年の風物詩のように、毎年靖國神社をバッシング...NHKや朝日新聞、毎日新聞など、多くのメディアでの集中砲火により、日本人の認識はどんどん変わってきてしまいました。このままの状態が続けば、靖國神社の伝統は失われてしまう… 日本を守ろうと命をかけた先祖の努力を踏み躙ってしまうことになる…日本の子どもたちは、そんな国に対して愛国心を感じることはできるでしょうか? 終戦から77年経った今こそ、日本人に靖國神社について正しく理解をしてほしい。そして、誇りある日本人が、一人でも増えていってほしい。
NEW HISTORY事務局
今朝(10/20)、ある高齢の方から「『会長のつぶやき』を読んで、靖国神社について認識を新たにした。学びを深めたい」と言われた。マスメディアのプロパガンダにより、ある程度齢を重ねた方であっても知らぬ間に間違った歴史認識を植え付けられているのである。東京裁判等に汚された学校教育も悪い。正しい歴史観をもち、子どもたちに教えていくみとが求められる。
私たち大人がしっかりしなければならない。先ずは、自虐史観を取り払わなければならないのだ。(谷口利広)
北朝鮮のミサイルの問題が最近日本人を悩ませています。ミサイルの射程距離がどんどん長くなって、日本列島を越えて太平洋の方にも落ちるようになりました。北朝鮮という国家が自衛のために足の長いミサイルを持ちたいと思うのは当然のことですけれども、彼らがなぜ日本の方を狙ってくるのかといいますと、これを実験する場所としては、日本海か、太平洋に打ち込むしか場所がないわけです。
ばかばかしい話のように聞こえるかもしれませんが、北朝鮮にとってロシアやチャイナは同盟国ですからそこに向けて発射するわけにはいきません。シベリアにも広大な空き地がありますが、何かの事故で人のいるところに落ちたら大変なことになってしまいます。そうすると、実験をするには北朝鮮のすぐ東である日本海、もしくは日本列島を越えて太平洋に飛ばすしかありません。これは一つの事実です。
金正恩が進める核開発の目的
それからもう一つは、開発したミサイルに核弾頭をつけて外国を威嚇したいということが北朝鮮の本音ですけども、その一番の相手はアメリカなのです。
アメリカ合衆国と北朝鮮を国家として比べると、その国力はもはや比較になりません。もし北朝鮮 vs. アメリカで第2次朝鮮戦争という形の戦争になりますと、アメリカの持っている圧倒的な軍事力に北朝鮮は太刀打ちできないわけです。ですから、北朝鮮軍は韓国軍のことはさほど恐れていませんが、その同盟軍である米軍の存在が一番怖いのです。当然、北朝鮮としてはアメリカを抑止したいと考えています。
極端な話をすると、最終的には核弾頭を撃ち放って、まずはグアム島ぐらいは全滅させる能力を持つ。やがてはハワイ、カリフォルニアなどの西部の州や、そしていずれはニューヨークやワシントンなど、アメリカの主要に届く核ミサイルも開発できたとなると、「我が国がもし負け戦になったら、いつでもミサイルを撃ちますよ」「そ
の時は北朝鮮も崩壊しますが、アメリカも大変なことになりますよ」と言ってアメリカを脅かすことができます。
核にまつわるロシアと北朝鮮の共通点
北朝鮮の立場は今のロシアの状況とよく似ています。プーチンは、「もしウクライナ軍が攻勢を強めて、ロシア領内に入ってくる状況になったら核兵器を使うかもしれないよ」と脅かしているわけです。北朝鮮の手法は、その論理と全く一緒です。これは捨て身の戦略ですが、彼らからすればそれが抑止力になるということなのです。そしてもちろん、北朝鮮のミサイルは日本に対する威嚇にもなっています。日本には核兵器を使う必要もなくて、通常弾頭のミサイルを日本の原発に当てるだけでも大変なことになります。その脅しがあれば、日本がアメリカと協力して北朝鮮と戦うということもやりにくくなるでしょう。
ここまでお伝えした点こそが、あの国が一生懸命、ミサイル開発を急いでいる理由ということです。いたずらに恐れる必要はありませんが、それは日本に対する脅威であるということを正しく認識しておかなければいけません。
国際政治学者・藤井 厳喜
国内外の大企業・投資家からも信頼される国際政治学者 ハーバード大学大学院博士課程修了。日本のマスメディアでは決して報道されない、欧米政府が扱うレベルの政治・経済の動向。そして市民レベルの情報も踏まえて、文化、思想、宗教など多方面から分析し未来を的確に見抜く予測力は、内外の専門家から高く評価されている。
日本は、中国・北朝鮮・ロシアのならず者の国々に取り囲まれている。そして最近、韓国でも「核武装」の声が挙がり現実味を帯びていると聞く。日本は、世界でも稀有の厳しい環境にあるのだ。
我が国では長い間、軍事費はGNPの1%以内という制約で、自らを縛ってきた。結果、有事の際、領土・領海・領空、そして何より国民の命を守れるのかと、心もとない状況にある。弾薬の備蓄も少なく、有事の際、1か月も持たないのではと言われている。
ようやく中国や北朝鮮の暴挙を前に、今のままではダメだとの声が大きくなり、軍事費を増やす方向で協議が進んでいる。そんなとき決まって出るのが、軍事費を増やす余裕があるのなら国民の生活や福祉の向上などに回すべきではの意見である。だが、有事に対応できなくて、人々の生活を守ることはできないのである。暮らしを守る前に、命を守らなければならないのだ。
政府は強い姿勢で、躊躇することなく軍事費を少なくとも世界水準の2%まで挙げるべきである。「5年後には」などと悠長なことを言わず、米国に頼るべきところは頼りながらも、「自分の国は自分で守る」という原点に立ち返り、来年度からでも実現すべきである。
中国が台頭してきた折、米国は日本に「核武装」を勧めてきたと聞く。日本がやんわり断ったので、米国は中国との宥和政策に舵を切ったと。そのことが、今の中国の覇権主義を助長することになった。「経済的に豊かになれば、民主的な国になるだろう」との思いを、中国は見事に裏切ったのである。
日本の経済界も「日中国交回復50年を祝う」などと戯言を言わず、中国からの撤退を急がねばならないと思う。その動きが水面下で進みつつあると聞く。停滞すること無きよう切に望む。(谷口利広)
澁谷 司氏(しぶや つかさ・拓殖大元教授)は、相変わらず「習近平の総書記としての3期目は難しいのでは」の考えを崩していない。その論拠には「なるほど」と頷いてしまう。つい期待してしまうのである。しかし、客観的情勢は「3期目に突入か」の様相を示しつつある。
長老を含め、中国共産党(以下、中共)の幹部の過半数は「反習近平派」である。地方を含め、幹部連中を取り巻く中共党員にも、習近平の政策では中国は衰退の一途をたどるだろうと危惧する者が多いと聞く。最近の経済状況を見れば、それは誰の目にも明らかだろう。
最近、中国国内あちこちでデモが頻発したり、騒動が起こっている。10月になって、北京大学近くの高速道路らしき主要道路の欄干に、習の悪政を批判する内容や習を『国賊』と名指しした大きな2枚の横断幕が掲げられるという事件が生起した。その映像をご覧になられた方も多いだろう。このような事は、かつて無かったことだ。その模様は当局により短時間で削除されたものの、ネットで世界に拡散した。
このように一般国民から中共幹部に至るまで、「周体制ではダメだ」と思っているのになぜ3期目なのだろうかと不思議に思ってしまう。「反習近平」でまとまらなければならない幹部連中なのだが、一般国民の苦しい状況をよそにぬくぬくとした生活を送ることが出来ているのだろう。あえて危険を冒して「習近平体制打倒」に走ることはないと考えているのだろう。
孔子は、「生を求めて、以て仁を害することなく、身を殺して、以て仁を為すこと有り」と言われたが、何と志の低いことよ。日本の政治家の中にも志の低い方が多いが、中国ではさらに……。
しかし、中国国民の不満の鬱積は、間違いなく極度に高まっている。爆発寸前と言ってもよいだろう。経済音痴の習近平の舵取りで、中国経済はますます窮地に追い込まれるだろう。ここ最近の、中共に対する米国の厳しい対応も、中共の経済崩壊に拍車をかけるだろう。そのような中、もし台湾に侵攻するようなことになれば、民度の低い中共人民軍は、訓練を重ねている台湾軍の強力な抵抗に遭い、ロシア・ウクライナ以上の泥沼と化すだろう。他の国々も、こぞって台湾の支援に回るだろう。それは、中共の崩壊を一気に早めることにつながる。
私は中国共産党の崩壊は、5年以内に訪れるだろうと推察する。
最近はようやく、一般の人が「靖國神社」に普通に行くようになりました。「護国神社」もそうです。
私が学生時代だった20年前とかは、「今日、靖國神社に行ってきた」と言うと…「えっ!お前、 右翼?」あるいは「お前、遺族だったの?」と言われたものです。右翼か遺族しか靖國神社に行ってはいけない! という雰囲気だったのです。
だから、靖國神社に行く人といえば、ちと狂ったような狂信的な愛国主義者か、 自分のお父さんやおじいちゃんが亡くなった遺族の方々のみ。これは裏を返せば、「遺族じゃなかったら行かない…」「興味ない…」というのが当たり前と思われていた時代でした。
ところが最近は、芸能人でも靖國神社に普通に行きます。靖國神社に行ったとSNSでアップしてくれる芸能人もいますね。また、ジョン・レノンも生前、結構来ていたという話もあります。このように、近頃は、靖國神社にだんだんアレルギーがなくなってきています。これはある意味ではチャンスといいますか、つまり、これまでは右翼か遺族でないと靖國神社に行かなかったのが、普通の人が普通に行く神社となり、靖國神社で結婚式を挙げたいという人も増えているらしいです。
靖國神社というのは、ある意味で特別な神社なのですが、ある意味、特別視しすぎずに、普通に日本人みんなが参拝すべき神社でもあるわけです。戦争中や戦前は当然のように軍人はもちろんのこと、政治家とか、一般の方々もみんな参拝していました。遺族も当然行きます。自分のお父さんやおじいさん、家族が祀られている。あるいは自分の子どもが祀られているという人もいるでしょう。今はもう、遺族といえば戦没者のせいぜい奥さんや兄弟が一番最高齢ですね。ご遺族の多くが子ども、さらに孫という中、それ以外の方々も普通に参拝すべき神社だと思いますし、そうあってほしいと思っています。
それでもメディアや私のような研究者や学者が所属している学会というのが、どうしても靖國神社にネガティブなイメージを持ちがちですし、またそのようなことを発信するわけです。少し前までだったら靖國神社に政治、 さらには総理大臣が参拝しようものなら、「中国、韓国が文句を言ってくるぞ!」という風潮がありました。「中国、韓国に日本は悪いことをしたんだから、もう一生謝り続けるべきだ!」という感じで主張していたマスコミにとっては、「だから参拝はやめろ!」という論調に持って行くわけです。
最近はさすがに、「いや、あの戦争だって 日本が一方的に悪かったどころか、中国、とりわけ中国共産党なんかは、 コミンテルン(ソ連)の手先になって、むしろ戦争を誘導していた。むしろあっち側が仕掛けて来たんじゃないか」そういう話などもだんだんと明るみに出てきているので、中国、韓国が反発するからという理由がそこまでは有効ではなくなりました。
その次にメディアや学者が何と言うかというと、、、「いや、靖國神社はね。戦没者を神としてお祀りするのは 日本の伝統のように行っているけど、ちゃんちゃらおかしいんだ」「戦没者を『神』として 祀るなんていうのは 伝統でも何でもなくて、近代に入ってから日本人が、特に日本の政府や権力者が一般の日本人を戦争に駆り立てるために、戦争で死んだら英雄だという、そういう洗脳のために上からの命令でこしらえたのが靖國神社であり、護国神社」だと。そういう言い方を結構するようになってきています。
これもはっきりいえば間違いです。何故かというと、「上からの命令」と言いましたが、さっき言ったみたいに確かに靖國神社、指定護国神社そのものは、国家が建てたり、地方公共団体が建てたりしたものかもしれません。しかし、それ以外の指定護国神社というのは全国に数百あります。その数百の、圧倒的に多い指定外の護国神社、招魂社などは、地元の方々の草の根の思いで建てられたものです。上から嫌々、 無理やりに建てられたものでも何でもないのです。むしろ上からの支援だけでは足りないからということで、「地元でも戦没者をきちんと祀らないと」 という思いから創建されたものなのです。
それともう一つ、「近代に入ってから初めて建てた」というのも、これも大ウソです。はるか遡れば、建国の時、初代天皇・神武天皇の時代。『日本書紀』 によると神武天皇が宮崎から奈良に向かう神武東征において、「日本の歴史上初めての戦い」が起こるわけです。それが「孔舎衛坂の戦い」です。そこで敗れてしまうわけです。今風にいえば抵抗勢力に敗れてしまうわけですね。傷を負った神武天皇のお兄さんが敵の矢を受けて深手を負って亡くなるわけです。「なんでこんな奴らに!」みたいな感じで雄叫びを上げて亡くなった。
その戦死したお兄さんは和歌山市内に今「竈山神社」というのがありますが、竈山の墓というところに葬られて、それが御陵になっているわけです。その墓に葬られるとともに、その場所で「神」として顕彰されて今に至っています。建国前の、まさに「殉難者」と言えます。国事殉難者です。国家に身を捧げて非業の死を遂げた方として顕彰され続けてきたのです。
もちろん無名の戦没者多数を祀るのと、そういった特定人物を祀るのとは違うかもしれませんが、やはり戦没した、殉難した方というのを特別扱いするというのは、これは別に近代に入ってなったわけではないのです。私が今言ったような反論をしている人を保守系のなかでも見たことがなく、だから靖國神社というのは近代の洗脳装置でも何でもない、全然後ろめたいこともない…ちゃんと日本の伝統に沿った、神道的な、日本人の古来の風習に基づいて作られるべくして作られたものだ。という感覚を、我々は持てばよろしいのかと思います。
日本経済大学 准教授 久野潤
日本人の一人ひりが、中国や韓国、米国などからのいわれなき非難や国内マスメディアの妄動的洗脳を無視するとともに、東京裁判的史観、自虐史観から脱皮し、胸を張って堂々と参拝すればよいのだ。国のために一命を賭して戦った英霊に対して手を合わすことに何の躊躇や遠慮の必要があるだろうか。誹謗中傷は無視すればよい。そのうちに黙るというものである。「波風は立てないほうが……」との考え方が話をややこしいものにしてしまう。粛々とお詣りすればよいのである。谷口利広
「教科書を作れ」
教科書検閲が行なわれる一方で、マッカーサーは、日本政府に新しい教科書を作れと命令した。CIEは、1946年7月当時、「約146冊の教科書原稿が検閲、 改定され、出版を許可された」と記録している。
地理の教科書の書き換えは簡単であった。日本政府は、1946年6月29日、マッカーサーに「地理」再開許可を要請し、それを得た。嘘をつこうとは誰も思っていなかったのだが、日本史を書くことは、CIEが文部省に「歴史とは日本国民の正直な歴史でなくてはならない」と指示していたにも拘らず、困難な作業であった。
文部省は、歴史教科書の執筆者の名前をGHQに提出した。GHQは、これら執筆予定者の徹底した人物調査を行なった。小学校と中学校向けに各一冊、師範学校用に一冊と、計三冊が用意される。執拗な検閲・修正 CIE局員二人が、黒鉛筆と赤ペンで、英訳された原稿をクシで梳くかのように丹念に調べた。
GHQが「日本史」に異常なまでに神経を尖らせていたことは、次の例が十分に物語っている。
師範学校用の原稿で、執筆者が日本の「美しい自然」を描写したところ、CIE検閲官は削除した。「愛国心」は赤ペンで消され、黒鉛筆で「国を思うこと」と変えられた。「天皇の歴代記」は「天皇の伝説」と変えられた。(神武天皇)「国家統一」もダメ豊臣秀吉が、1591年に戦国時代の日本を統一した。常識だったが、CIE検閲官はこれを完全に削除した。「国家統一」が気に入らない。
CIEは、天皇や日本について肯定的な論評をしたり、記述したものは全て削除した。
このような検閲の後、CIE当局は、「感情的な扱いは、完全にない」と、自信をもって断言した。1946年9月5日、CIEは、文部省に新歴史教科書『くにのあゆみ』を出版してもよいと許可を与えた。同年10月12日、マッカーサーは、日本歴史の授業を再開してもよいが、学校には「文部省が準備し、GHQが承認した 教科書のみが使用されるべきこと」と厳命した。
この七カ月前の3月に、アメリカ教育使節団は、教科書作成に文部省を使うことに強く反対したが、GHQは文部省を使い続けた。中央集権は益々強まっていた。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。
マッカーサーは、連合国司令官としての任務を終えて帰国後、米国議会で演説した。その中で、トルーマン大統領の意を受けて自らの行った日本への占領政策の誤りを認めた。東京裁判にも非があったことも。それらのことを、いまだに知らない日本人があまりにも多いことに愕然とする。とにかく、広く知らされていないのである。谷口利広
高潔な目標を持っている『志士』と仁の徳性を身につけている『仁人』は、日常生活の中では自己の生命を尊重するが、仁徳を達成するためにどうしてもわが命が必要であると覚悟すれば、その身を潔く捨てることに何の躊躇もないと孔子は言われる。
「覚悟」の大切さを指摘しているわけだが、ただ軽々に「命は惜しくない」とは言ってはならない。何のためなら惜しくないのかが問われるのである。親から頂いた命は、惜しまなければならない。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
あなたは靖國神社が創建された本当の目的をご存知でしょうか? 靖國神社が創建されたのは、明治2年(1869年)。最初に祀られたのは、戊辰戦争の戦没者たちでした。
「国家のために一命を捧げたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めたい」
そのような明治天皇の思いから、戦没者の霊を鎮魂するための神社として靖國神社は創建されたのです。この「靖國」という名前もまた明治天皇の命名によるもので、「平和な国家を建設する」という願いのもと作られたのです。
その後、日本は、日清、日露、大東亜戦争など、数々の戦争を経験。激しい戦闘の中で、多数の尊い命が失われました。この時、こうした国難から日本を守るべく命を捧げた人々を、英霊として顕彰するために靖國神社に祀られるようになりました。
これまでに靖國神社に祀られた方の総数は、およそ246万6千名。日本人は、当時から、戦没者や殉難者(国のために亡くなった方)を慰霊し、顕彰し続けてきたのです。ですが、何もこれは日本の靖國神社に限ったお話ではありません。
実は靖國神社と同じように、戦没者や殉難者を祀ったり感謝したりする施設は、世界中に存在しています。例えば、代表的なのは、米国のアーリントン国立墓地。ここはアメリカ南北戦争の戦没者墓地として建てられ、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの戦没者が祀られています。
近くの韓国には、ソウル国立墓地があります。朝鮮戦争での戦没者を祀るために建てられ、ここには16万9千人が眠っているとされています。他にも、
・フランス「シャルル・ド・ゴール広場」
・イラク「アルシャヒード・モニュメント」
・イタリア「ヴェネツィア広場」
などなど、、
日本の靖國神社にとどまらず、戦没者・殉難者を祀る施設は、世界中に数え切れないほどあるのです。そして国家のリーダーは、国民の代表として参拝をします。外国の要人来訪の際には、参拝・献花するのが国際常識です。実際、多くの日本の首相たちも、世界中のこうした施設で参拝・献花をしています。
それなのに、、日本の「靖國神社」だけは例外的な扱いを受けています...なぜか国家のリーダーである首相が参拝できない状態にあり、、中国や韓国・アメリカからも、「参拝するな」と圧力をかけられる、、政治家の靖國参拝にはメディア総出でバッシングの嵐、、これってすごく、“おかしな状態”ではありませんか?
日本のために命を尽くした方々に感謝を捧げることすらできないなんて、日本人として恥ずかしいことではないでしょうか...一体なぜこんな状態になってしまったのでしょうか?
靖國神社の歴史を辿っていくと、日本人として許すことのできない“最悪の事件”がきっかけでした...
↓NEW HISTORY事務局
本日は、靖国神社の例大祭である。多くの国会議員が参拝した。当然であろう。もう少し近くならば私も参拝するのだが、奈良から東京となると……。これまで二度しか参拝できていない。次に上京したときには、ぜひとも三度目の参拝をするつもりでいる。
まだ参拝できていない鹿島・香取の両神宮への参拝も、必ず果たさなければならない。(谷口利広)
ものづくりや工芸などの世界で、「その道60年、70年」という人が居られる。匠の領域に達している人たちである。その多くは、学歴などというものには無縁である。学校での勉強には縁遠かっても、一つの事に打ち込んで来たという何物にも代えがたい経験の重みがある。
言葉は訥であっても、一言一言に言い知れぬ深みがあるのだ。まさに、「剛毅朴訥仁に近し」である。
学校での学習もおろそかにしてはならないが、それが絶対ではない。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
教養があり徳のある君子はゆったりとして堂々とした雰囲気があるが、徳の無い小人は声を荒げて威張るばかりである。その立ち居振る舞いに悠然とした余裕がない。
偉ぶる、通ぶる、知ったかぶる……、皆自分に自信のない人の特徴である。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
和して同ぜずの『和』とは相手を心から深く理解して調和する様子を指し、『同』とは相手の言葉や態度の表面だけを見て流されるままに同意する様子を指す。
孔子は、自分の見識や判断を放棄して、他人に付和雷同するような行動のありかたをひどく嫌って軽蔑していた。
一般に友だちは多い方がよいが、傷を嘗め合うだけの烏合の衆の集まりでは意味が無い。切磋琢磨し、常にお互いを成長させるような交友関係でありたい。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
孔子は「君子は人の美を成し、悪を成さず」と言われた。善事を推進して悪事を抑制するという君子の道徳規範と、その実践のあり方を示したものである。自分の身を正してくれる言葉である。
つい欠点を見てしまい、他の人のよいところに気づかずにいることが往々にしてある。他者の長所を素直に褒めるのは案外難しい事だ。心したい言葉である。
私は課題の多い学校への勤務が多かった。そういった学校では、自らをだめな人間、取り柄のない人間だと思っている生徒が少なくなかった。けっしてそうではなく、どのような生徒も必ずよいところを持っている。指導する側は、隠れているその生徒のよいところを見つけてほめてやることが求められる。そして、ルール違反などに対しては毅然と叱らなければならない。
厳しい指導の背景には、当然だが温かみがなければならない。やさしさや温かみを基盤とした、毅然とした指導である。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
孔子の高弟 子貢は能力は隆かかったが人物批評を好む癖があったようで、時々孔子にたしなめられた。
孔子の人となりについても、子張第十九の数箇所で語っている。他の弟子たちは偉大な師、偉大な賢者、偉大な君子であるとは感じていたようだが、子貢に限っては、初めから孔子に神聖なるものを感じて仕えていたようだ。
「自分さえよければ」というような考えが先に走ると、「他者のために汗をかく」などといった思いは浮かんでこない。「人を達す」ということが念頭にあれば、争い事は起こらないのである。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
正しい道を実践していても、たまに受け容れられず孤立しているかのように見えることもある。だが、実際には道徳的な人生に感化される仲間を生み出すものだ。
正しい道徳の実践者は孤独ではない。正しき道を踏み行う者は、必ず良き理解者や支援者を得ることができると孔子は言われた。
孤軍奮闘は立派なことだが、いつまで経っても共鳴する者が現れず一人で奮闘しているようでは、その人に徳がないとも言える。徳の中でも、すべてのベースである仁の徳が欠落していたらいつまで経っても共鳴者は現れないだろう。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
中国の状況だが、第20回中国共産党大会が10/16日から開幕する。いよいよである。
日本のマスコミや中国ウォッチャーはこぞって、「習近平体制3期目確実」との報道を流している。そういう報道に触れ、日本国内の誰もがそのように思っているのではないか。
そのような状況の中、澁谷 司(拓殖大学元教授)氏の見方は違っている。中国解放軍の実権は依然として江沢民・李克強の「反習近平派」が握っており、習の3期目は難しいだろうとの考えを変えていない。それは一貫している。
中国のみならずどの国であっても、「軍を掌握する者が実権を」となるだろう。「ペンは剣よりも強し」が理想であり、そうあらねばと思っても理想と現実は乖離する。実際のところは、そのようになってしまう。
16日からの党大会ではどのような結末になるのか、大いに注目したい。
どのような結末になろうと、中国共産党が崩壊・破滅への道をたどることは間違いない。
「不言実行」と同じく、「有言実行」という言葉もよく耳にする。「私は有言実行を心がけている」などという表現を聞くことがある。はたして「有言実行」という表現は正しいのか。
「有言実行」という言葉が、現在正しい言葉として存在するのは間違いない。ただし、30年くらい前までに発行された辞書には掲載されていなかったという事実もある。
このことから、「有言実行」という言葉が比較的新しい言葉であることが分かる。「不言実行」のほうが先にできた言葉であり、そこから派生してできたのが「有言実行」である。「有言実行」の意味合いとしては、「無言実行」と同じくよいイメージで使われる。例えば、「彼は有言実行でオリンピックチャンピオンになった」などと。
有言実行をする人は、自分にプレッシャーをかけ目標をやり遂げようとする傾向がある。近年は、「不言実行」より「有言実行」の方が立派な態度だと見なされる事が比較的多い。夢や目標を広言し、努力して成功させる人のほうがかっこいいと見なされるように時代が変化してきたのだろう。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
孔子は「巧言」を嫌い、「不言実行」を好んだ。雄弁に巧妙な言葉を操る人よりも、しっかりした考えをもち機敏に実践する人のほうが、より君子的であると考えていた。
世の中には、弁は立つが行動の伴わない人間があまりにも多い。「不言実行」の意味について、辞書には「あれこれ言わずに、なすべきことを実行すること」とある。「不言実行」という言葉は、人を評価するときに肯定的に使われる。主に、実力のある人に対して肯定的な意味合いで用いられることが多い。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
地位や権力を得ることばかりを求めるのではなく、自分がその地位や権力に相応しい人間性を備えているか、その職責を十分にまっとうできる実力があるかを考えろと孔子は言われた。
他人が自分を高く評価するかしないかばかりを気にかけるのではなく、他人が認めざるを得ないような大きな仕事や実績を残せるように努力することが肝心なのである。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
ミスをした時に、気がついて次に生かせればその経験は無駄にはならないが、生かせなければ無駄以外のなんでもない。
失敗した時点で、同じことは繰り返さないと思っても、数週間後には、失敗したことすら忘れていることもある。
「反省を生かす」というのは、後悔した気持ちにひたるだけでなく、失敗の原因を探り改善策を見つけることまでを指す。
『論語に学ぶ』谷口利広著(銀河書籍)から
知識人の功罪
明治以来、日本は欧米文化の翻訳に努め、それを日本文化に取り入れた。それは過去の話でなく、現在進行形だ。日本の学生、有識者、さらに一般市民も、アメリカやヨーロッパについてかなりのことを知っているが、アメリカやヨーロッパの一般市民は日本と中国の区別もつかないし、もちろん東京や大阪がどこにあるのかも知らない。
ところが、日本の大学で経済・経営学を勉強する時、アメリカの経済学者(例えば、ポール・サミュエルソン)の書いた大きな教科書を使い、英語を懸命に訳しながらがんばっている。これほど経済の進んだ日本で日本語の経済書はないのか。このような欧米書崇拝を恥ずかしいと思わず、むしろ「進歩的」と信じている日本の知識層が日本の将来を暗くする張本人だ。
「国際化」という名の熱病
このような国内情勢の中で、起こるべくして起こったのが「国際化」である。「国際化」。この言葉が日本国内で「動詞」として活躍している。学校でも企業でも国際化。町も村も一生懸命である。あたかも、目に見えない海外からの「優れたもの」に追いかけられているかのように、劣等感にさいなまれた「1億2000万人の国民」が「われわれは進歩しています」と世界の人々に評価してもらわんとして、実に涙ぐましい努力をしている。明治維新の「文明開化」も、おそらくこの「国際化」のような熱病だったのだろう。
その熱病に取りつかれた明治の日本は、「脱亜入欧」(日本は、遅れているアジアと手を切り、文明開化の進んだ西洋に仲間入りしよう)という熟語まで作り、当時欧米のエジキになっていたアジアに進出していった。
この野蛮な戦いに負けた日本は改心し、非人道的な行為は二度としませんと誓い、憲法第9条に戦争及び戦力の放棄、すなわち「永久無防備」までも宣言し、海外諸国に謝罪した。
国防を他国に委ねた国
近年、日本社会は閉ざされていると非難を浴びると、今度は「国際化」だ。「国際化」とは、世界各国が互いを理解し合えば平和と友好が世界に訪れるという信仰だ。それゆえ、自衛、国防は不必要になるという。
世の中はそんなに甘くない。相手を知れば知るほど嫌いになる時だってある。知れば知るほど相手のもの、領土、資源をぶんどりたくなり、そうするために策を練る国だってある。むしろ、「国際化」が進むほど、国防をしっかりとすべきなのだ。だが、他力本願の平和主義で戦後50年間ボケまくった日本は「アメリカが守ってくれる」と信じている。
西 鋭夫
1941年大阪生まれ。
関西学院大学文学部卒業後、ワシントン大学大学院に学ぶ。同大学院で修士号と博士号取得(国際政治・教育学博士)。J・ウォルター・トンプソン広告代理店に勤務後1977年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所博士号取得研究員。それより現在まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所教授。また、2016年3月より同研究所小川忠洋フェロー。
人は誰でも天命を授かって生まれてくると言われる。しかし、多くの人は自らの天命に気づくことが出来てないかも知れない。なぜなら、何気なく生活しているだけでは天命は見つからないだろうから。
天命というものは、すぐに見つかるものではないと思う。なので、常に自問自答することが求められる。そして天命が見つかったとしても、努力せず毎日を適当にこなしていたら天命を全うすることは出来ない。
天命とは何をやるかという内容のことを指すのではなくて、「どう向き合っていくか」という姿勢のこととも言える。自らの天命を見つけて目の前のことに全力で取り組み、身近にいる大切な人たちの役に立つ行動をして、天命を全うしていくことが求められるだろう。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
孔子は50歳で「天命」を知ったが、私は若いとき「自らの『天命』は何か」などと考えたことはなかった。恐らくみなさんも私と同じではなかろうか。もう少し早く論語を学んでいれば、早い時期に自らの『天命』について考えが及んだかも知れない。違った人生を歩んだかも知れない。現在は自らの使命について少しは考えたりする。
現在の私の使命は、高齢者の会の運営をスムーズに運び会員から喜んでいただくこと、それと論語塾で「論語」を講じることを以て、その普及に貢献することの二つである。その一環として、地域住民の健康増進に貢献することを願って始めた「ラジオ体操会」をこれからも継続していく。「ラジオ体操会」は、この9月末で7年となった。一年365日というのは楽ではないが、参加者からの「ありがとう」を糧に、日々心を新たにして努めている。
私の使命は至って小さいが、『天命』として自らの心に刻んでいる。
孔子は、「憤せずんば啓せず」(論語・述而第七)とも言われた。発奮しなければ自分を広げることもできない。だから刺激を求めてどんどん外に目を向けたい。最も愚かなのは、自分で枠を作りそのなかに閉じこもってしまうことだ。
「冉求曰く、子の道を説ばざるに非ず。力足らざればなり。子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今女なんじは畫れり」(論語・雍也第六)とも。孔子の弟子の冉求は、「先生の教えは素晴らしいと思いますが、私の力で実行するのは不可能です」と言った。そのとき孔子は、「力が足りない人間なら道半ばであきらめるもので、今のお前は最初から自分を見限っているだけだ」と諭すのである。
「できない」という言葉を口に出してはならない。難問、難題は、実力向上の好機と捉えるべきである。日々に埋没し、向上心を失ったとき、人は目標もまた失う。惰性のままに流れていく毎日にやりがいをなくし、ただ老いるだけの人生にどんな幸せがあるだろう。常に学び続けるなら、自ずと人生は豊かなものになる。
「学びて時に之を習う。亦説よろこばしからずや」(論語・学而第一)。孔子は学びのなかに悦び(説は同義)があると言われるが、「悦び」は「喜び」とは異なる。「喜び」は瞬間的なものを意味し、「悦び」は何度でも繰り返し湧いて来るものだ。何か自分のテーマを持って学び続けると、一つ分かっても次々に新しい疑問が湧くはずである。それを解いていくうちにさらに発見がある。そのような「知の悦楽」を知った人なら、実り多い人生を送ることができる。また、学びを通じて、徳を高めることもできるに違いない。
孔子は、「徳は孤ならず、必ず隣有り」(論語・里仁第四)とも言われた。社会的地位を得て経済的に恵まれても、信頼できる友人もおらず孤独な人生を送らざるを得ない人は少なくない。ところが、天命を知り、学び続けることによって人徳を高めた人の周りには、必ず友人が集まって来る。どれほど苦しいことがあっても、よい仲間や家族がいれば人は乗り越えていくことができるのだ。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
働くことの原点は、人から羨望の眼差しで見られる会社に勤めることでも、高い給料を得ることでもない。孔子が「憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂いを忘れ、老の将に至らんとするを知らざるのみと」(論語・述而第七)と言われているように、時には社会的な問題に憤って行動し、食べることさえ後回しになるとか、楽しみが多くて憂いを忘れ、さらには自分が老いていくことさえ忘れてしまうぐらい仕事に熱中できれば、素晴らしいことである。
つまり仕事を好きになることこそが大切なのだ。「敏にして学を好み、下聞を恥じず」(論語・公冶長第五)のように、知的好奇心や向上心が旺盛で、たとえ目下の人間にも質問することを恥じなかった孔子は、のちに歴史に残る人となった。このような情熱を、自分の仕事の原点として持つことが重要である。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
職業選択とは、本来は「天命」の延長として考えるべきものだろう。ここでいう「天命」とは、決して大きなことである必要はない。生きていくうえでは誰しも役割を持っている。子は子としての役割、親は親の役割、夫や妻の役割、社員としての役割があるはずだ。それをきちんと果たしていくことで、その上に人生の確立があると言える。
世間的に活躍する必要はなく、きちんと生きることが大切だ。自分を枠にはめずに学び続けることが重要なのである。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
他の指標などと同様に発表される中国の成長率については、以前から信用できないという意見が圧倒的である。「親中」「媚中」の日本のメディアは、そのことにほとんど触れないが。
経済評論家の朝香 豊氏は、中国国内での自動車販売台数は2017年がピークで、以後大幅に落ち込んでいると言われる。他の製造業の指数も同様であると。コロナ禍の影響を差し引いても、中国の経済状況はかなり深刻な状況であると指摘する。また、人口減も甚だしく、もうすでに2~3年前にインドに追い越されているという話もある。日本の企業は、中国からの撤退を急ぐべきだろう。
朝香 豊氏は以前から、中国共産党の崩壊のためには「経済に疎い習 近平が引き続き政権の中心にある方がよい」と言われている。私もそのように思う。どういったことになるか、注目したい。
中国はこの20年、大きく経済成長を遂げたが、これからは現在の北朝鮮のようになっていくのだろうと思う。そうなれば気の毒なのは中国の民衆であるが、日本にも難民が押し寄せるといったことになるだろう。
憂えて止まない。
40歳を「不惑」と呼び、50歳は「知命」である。すなわち「天命を知る時期」なのだ。50歳を迎える前に、誰もが一度自らの歩みを振り返る時間を持ち、自分の天命とは何か考える必要があるのかも知れない。仕事を通してどのように社会に貢献できるか見つめ直した結果、仕事に対しまったく別の意義を見出し、心新たに取り組めるようになるかも。
私が気になるのは、一般に地位を得ることや金銭的に豊かになることを人生のゴールと考えるケースが多いことだ。そう思い込んで走り続けてきたものの、地位を得た瞬間に虚しさに襲われる人がいる。
人生のゴールは、天命を果たすことにあるとも言える。孔子は「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」と。自分に与えられた天命がわからないようでは、人を率いることはできないと言われている。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
カザフスタン外遊中に急遽予定を早め帰国した習近平首席は、10日ほど消息が途絶え、様々な憶測を呼んだ。一部では幽閉失脚の噂も流れ、私もそちらに引きづられた。が、その後突然党幹部を引き連れた形で姿を現した。
日本国内の多くの中国ウォッチャーは、習近平の3期目はまず間違いないだろうとの見方で一致した。そのような中、拓殖大学元教授の澁谷 司氏は、一貫して「習近平の権力は弱まり、李克強首相との力関係は逆転したようだ」の見方を変えていなかった。そのような見方は、私の知る限り澁谷氏だけだ。
その理由として、澁谷氏は先ず幹部とともにある行事に姿を見せたときの、李克強の服装に注目している。習近平などがきちんと上着を着ているのに、李克強と李に近い幹部二人だけはシャツ姿だということだ。下位の者が軽装であるなどということは、これまでの中国ではあり得なかったことだと。その写真には、他にもいくつかの不自然なことがあると澁谷氏は指摘する。
また、その3日後にあるパーティーで習と李が乾杯をしている写真が「人民日報」に載ったが、二人の表情やグラスの持ち方にこれまでと明らかに違ったものがあることを指摘している。そして、ここ何日かの記事に、これまで必ずあった「習近平を核心とする」という表現が使われなくなったとも。
そして、決定的と澁谷氏が言われるのは、習近平をはじめ、幹部たちが急にマスクをしなくなったことだと。これは、習が頑なに守り続けて来た「コロナ政策」の転換を意味するだろうと。そして、李克強は「改革・開放」を声高に主張していると。
これらの理由から、今月16日に開幕する第20回党大会で決定する人事は、大きな変革があるだろうと澁谷氏は予想する。注目したい。
働くことに意義を見出せない人が増えているのではないか。一昔前なら、名の知れた企業に就職し仕事に励んで失態さえしなければ、収入もポストもまず安泰だった。しかし今は厳しい競争の中、頑張ってもなかなか手ごたえが得られず、見返りも少ないと嘆く人が多い。
「働く」とは地位や収入のためだけのものだろうか。よりよく生きるための手段ではないのか。孔子は「子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きか。晝夜を舎かず」(論語・子罕第九)と言われた。人生とは死へと向かっているものである。これが大前提だ。だからこそ、「どのように生きることを楽しむか」を大切にするべきなのだ。
働く意義を考えるなら、まず人生を高い見地から見つめ、「自分はこういう人生を歩みたい」と本質に立ち返ってみることが求められる。
学校を卒業するとそれが務めだからという理由で企業に入り、ただ何となく毎日を過ごしている人が多くはないか。清新な気持ちで会社に行けるのはせいぜい3年だろうか。漫然と通勤し、与えられた仕事をこなし、帰ってくるだけ。目の前にある課題に追われ、自らを見直す余裕もない。だから40歳代半ばにもなると、自分が何のために生きてきたのかが分からなくなってしまうのだろう。
世間で評判のよい学校へ入り、それなりの企業に所属すれば幸福になれると教え込まれ信じてきた。だが、現実は違うと悩み、目標を失って苦しむ例が少なくないのだと思われる。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
私たちが植物を見れば、皆同じように映る。時期が来れば同じように芽を出し、花を咲かせ、実をつけてを繰り返し、最後は枯れて行く。地味の豊かな土地に育った植物は、他より太い茎を持ち、他より美しい花をつけるかもしれない。よく手をかけてくれる人のもとに生きた植物も同様である。
けれども、その生長の仕組みはみな同じだし、終末に至るまでの行程も同じ、最後に枯れて無に帰する点も同じなのである。草木は皆同じ生を全うして枯れて行く。
人間も草木と何ら変わりはない。金持ちか貧乏か、有名か無名か、見た目には大きな違いがあるように映るけれども、人間の死に至るまでの行程は皆同じなのである。
生まれて親に養われ、教育を受けて自立し、職を得て結婚し、子を育てて死ぬ。この全行程こそが生きるということの実質であり、天が人間に与えた宿命なのだ。この宿命を、孔子は「天命」と呼んだ。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
人間の心には、いつも煩悩が渦巻いているのではないだろうか。目先の私欲に振り回されるドロドロとした心ではなく、自らの欲望を抑えたサラサラとした清々しい心になれるようにしたい。
歳を重ねるごとに精神的にも成長を遂げることは易くはないが、そのように努めたい。一生を終える頃には、欲に心が支配されない悟りの境地に一歩でも近づきたいものだ。
あの世には、地位も・名誉も・財産も持って行けない。持って行けるのは自分の心だけである。いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題だが、悟りをめざす心を持ち続けることが大事だろう。
悟りに近づいた境地をあの世へのおみやげとして持って行くことができたならば、あの世でも迷うことはないと信じる。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
天命とは、天から授けられた使命だと解釈される。人に天命や運命があるかないかというのは、難しい問題である。科学的に証明できるものではないから、そんなものはないという見方もできる。
孔子は天命があるという立場で、自分は五十歳にして天命を知ったとはっきり言われた。つまり、孔子は古の聖人が説き実践した正しい道というものを研究し、それを現世に生かし後世に伝えることを自らの生涯の役割としたのである。それは単に自分一人の意志や考えでやっているのではなく、それを超えたもっと大きな力、すなわち天命によって、実行することが求められているのだと考えたわけだ。
繰り返すが、人に天命や運命があるかないかというのは難しい問題だ。であっても、社会に出ていくまでに自らの天命について考える機会があれば、その後の人生に有意義であることに異論は無いだろう。両親や祖父母などの周りの人たち、また教師などが、子どもたちがそういう機会を得られるように自然な形で誘導してやることも大事であろう。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
孔子の教えにおいて貫かれた「一」とは、単なる数字上の一ではなく、一切の一であり全身全霊のすべてである。孔子が体得した真如の境地から発せられる忠恕の道なのである。
「一を以て之を貫く」は、深い真心を以て、ひとつのことに打ち込むことを指す。たくさんの情報が湯水のように流れ出てくる現代社会、気を引き締めておかないと、右へ左へと心を惑わされてしまいがちだ。「一を以て之を貫く」には、柔らかな心を持ちながらひとつのことをやり遂げる力強い意思が表れている。孔子の生き方そのものを表したスケールの大きな言葉である。現代を生きる私たちが見習うべき人生の指針となる。
「一を以て之を貫く」の類義語として、「初志貫徹」「首尾一貫」「徹頭徹尾」などがある。一度決めたことはどんなことがあってもやり遂げる。そんな清々しさを表した言葉とも言える。思いを込めて最初から最後までやり抜く、美しい生きざまを表している。さまざまな価値観が揺れ動く現代、ふらふらと心が離れてしまいそうになったら「一を以て之を貫く」を思い出し、初心に戻ることが求められるだろう。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
「人にして貰いたいこと」は、どのようなことだろうか。「人にして貰って嬉しいこと」は、どのようなことか。
たとえば、困っているときに親切にしてもらったこと。助けてもらったこと。これはとても嬉しいである。他にも、辛いとき自分の話をじっと聞いてくれたこと、共感して貰ったこと。これも嬉しいことだ。また、不安な時、ずっと隣にいてくれたこと、無理に何かをしてくれなくても何も言わなくてもただそばにいてくれること、それが何よりの心の支えになるだろう。
自分がして貰ってうれしいそのことを、人にもしてあげるというのは本当に大切なことだ。「人にして貰って嬉しいこと」というのは、他にも無数にあるだろう。これらのことには、共通点があるように思う。それは、自分という存在が人から大切にされたときだろう。私たちは心の深いところから喜びを感じる。相手が自分のことを大切にしてくれている、そう感じることができたとき、私たちは心から嬉しく思えるのだ。
次に、「人にして貰いたくないと思うことは、人にしてはならない」ということについて想いを巡らしてみる。「人にして貰いたい」こととは反対に、「人にして貰いたくない」ことは何だろう。「人にされて嫌なこと」とはどのようなことだろうか。 たとえば、自分の存在が軽んじられるというのは、すべての人によって嫌なことだろう。馬鹿にされたり、意地悪されたり、侮辱されたりして快く思うことはない。また、存在を無視されたり、相手にして貰えないというのも、とても辛いことだ。
このように「人にされて嫌なことは決して人にしてはならない」ということも、本当に大切なことである。「人にされて嫌なこと」を挙げると切りがないほどたくさんあるだろうし、特にどのようなことが嫌に思うかは人によって違いもある。だが、「人にされて嫌なこと」にも共通点があるように思う。それは、自分という存在が人から大切にされないということだ。自分という存在が大切にされず、蔑ろにされていると感じるとき、私たちは心に深い悲しみを感じる。 「人にして貰いたいと思うことを人にする」「人にしてもらいたくないと思うことは、人にしない」、どちらも私たちが生きていくうえで欠かせない非常に重要な姿勢である。
そのどちらにも、「人を大切にする」ということが共通のテーマとなっていることが分かる。
『論語精髄』谷口利広著(銀河書籍)から
嫌われ者は、周囲に必ず一人はいるだろう。自分勝手でわがまま、相手の気持ちを考えられない人は、集団生活の中で苦労することが多い。
嫌われてもいい覚悟をしている人と、嫌われている人は別である。覚悟をして人生を過ごす人は、周囲の顔色を窺わずいつも自分らしく生活を送っている。嫌われる人は自覚をしていないため、相手の嫌がる行為を平気でやってしまう。
嫌われてもいい覚悟は、無理に人に嫌われることではない。嫌われたらどうしようと、不安になる気持ちを捨てることなのだ。何ごとも覚悟をすると自分の核の部分がしっかりとするため、言動や動作も力強く相手に伝わる。嫌われる人は自分の都合だけを優先しているため、結果的にメリットが減ってしまうのである。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
嫌われてもよいという覚悟をするというのは、相手の存在を過剰に意識せずに付き合えるようになることである。
好かれようと思うと、相性が合いそうな人を求めて付き合ってしまう。このような限定した人間関係は、一度上手くいかなくなるとストレスになってしまう。嫌われてもいい覚悟をすると人の好き嫌いが減り、好きになる人がどんどん増えていく。今までに接した経験がない人たちや、苦手な人とも自然と交流ができるようになり、気がついたら素敵な人に囲まれている事が多い。
嫌われることはネガティブなイメージがとても強く、ほとんどの人は無理して嫌われないように努力している。「好きになる」というポジティブな内容が、なくなってしまう原因なのだ。
嫌われてもいい覚悟をすると、自分と意見が対立する人がいても不安にならない。人は全員顔が違うように、内面的な部分も違って当たり前である。自分の意見に賛成してもらえないと落ち込んでしまいがちだが、それは悪いことではない。
たとえば将来これをやろうと、目的を決めたとしよう。必ず誰かが、ネガティブな意見を言ってくるはずだ。その時に相手の顔色を気にしたり、自分の敵を作らないように折れたりしてしまうと、自分の信念は揺らいでしまう。夢や目標を持ったとき、きっと進む先に邪魔になる出来事が起こるだろう。自分を嫌う人の存在もそのひとつである。強い思いを持っているのであれば、反対する人のために信念を捨ててしまわないようにしたい。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
女子ゴルフの国内で最も権威のある大会「日本女子オープン」が、9/30から本日10/2までの4日間にわたって繰り広げられた。
結果は、勝 みなみが見事に逆転で2連覇を果たした。2連覇は、樋口・畑岡以来3人目の快挙である(樋口は、4連覇と2連覇の2回)。勝の逆転優勝を大いに称える。
最終日の本日、16番ホールまで首位を譲らなかった申ジナ(韓国)だったが、勝は17番のバーディーで振り切り1打差で逃げ切った。
申ジナは惜しくも日本オープン初優勝を逃したわけだが、その態度は最後までがひじょうに立派だった。18番のグリーンに上がって来たとき、勝の優勝はほぼ決まっていたが、きちんと帽子を取り深々と観衆に礼をした。礼の丁寧さが際立った。さぞかし悔しかっただろうが、その後も笑みを絶やさなかった。
大した選手である。
申ジナのプロフィール
11歳からゴルフを始め、2007年に韓国ツアー19戦10勝と驚異的な勝率を記録。08年「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」で日本ツアー初優勝。同年「全英リコー女子」を含む米ツアー4勝。09年に米ツアーの賞金女王となり、10年に世界ランキング1位にも到達。14年からは身体的な負担を理由に米ツアーの会員資格を放棄し、主戦場を日本に移した。
18年はツアー史上初となる公式戦(メジャー)年間3勝を達成し、7年シードを獲得。19年には平均ストローク「69.9399」をマークし、ツアー史上初となる60台を成し遂げた。20年「富士通レディース」優勝で生涯獲得賞金は10億円を突破。同年は「TOTOジャパンクラシック」も制した。21年「ニチレイレディス」に続き「大東建託・いい部屋ネットレディス」を制して日本で28勝目。
人は、周りの人に助けられたり助けたりしながら生活している。生きること自体が周りの犠牲によって成り立っているとも言える。周りの人に一切世話にならずに生きることはあり得ない。そういった人との係わりによって人間は磨かれ成長していく。私たちは他者にお世話になりながら生きていくということを、自覚しなければいけない。自覚することで他者によって活かされていることに気付き、他者への感謝の念が生まれる。そう感じる事によって、他者に不愉快な思いをさせてはならないという気持ちが湧いてくる。その思いが「恕」であろう。
他の人を気遣い、不愉快な気持にさせない、そういった心配りが大切だろう。それが出来たならば、いじめの問題なども激減するだろう。人それぞれ、考え方、受け取り方が異なるので、自分では良い事だと思う行為でも誤解を招く事がある。大切なのは、自分が人からされて嫌な事は人にはしないということだ。
人は知らない間に人の意見や評価を気にし、本当の自分を押し殺して人生を過ごしている時がある。周囲と仲良くなりたい、対立したくない、と守りの態勢にときに入ってしまうのはある意味仕方がない。人間関係を違う方向から見直すと、肩の力は抜けていくだろう。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
人の考え方や好みはさまざまである。たくさんの人が集まると、意見はまとまりにくくなる。共通点が多いと言われる日本人同士でさえ、国政の場などで何かを決めるときにはいつも混乱する。これが生活習慣や言語が異なる人たちが集まっている国際社会なら、なおさらのことだ。
国際社会のような複雑な関係は、私たちの身近なところでは滅多に見られない。しかし、異なる考え方が二つあることで、激しくぶつかり合うことはよくある。このような場合、お互いが自分の利益ばかりを主張していたら、話は絶対にまとまらない。ものごとは前に進まない。「イエスかノーか」という極端な考え方をするのではなく、「イエスでもありノーでもある」という柔軟な考え方をしたほうが、間違いなく問題は解決しやすくなるとも言える。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
人間一人の力には限界がある。特に大きな目標を実現させたいときには周りの協力が不可欠で、自分の利益だけ主張していてはなかなか実現できない。そのとき大切なのは、「理念を大事にしつつも、譲れるところでは妥協する」ことである。大局的な見方をして、そのあたりのバランスをうまくとりながら進めるのが、まさしく中庸だろう。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
完璧を追求することは必ずしも悪いことではない。むしろ、素晴らしい成果をもたらすことも多い。一方で、「ここまで達成していれば十分」という程度があることも事実だ。
常に完璧でなければ気がすまない完璧主義者にとって、「十分な程度を満たしていればよい」という感覚はなかなか理解し難いかもしれない。だが、時間は無限にあるわけではない。完璧を追求しすぎるあまり効率性が悪くなったり、ものごとが永遠に「未完」となってしまう恐れもあるのだ。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
富士山信仰といえば、江戸時代のものが特に有名です。旧暦六月一日を富士山の山開きの日とし、山頂にある淺間大社奥宮へしきりにお参りをしました。
とはいえ費用の面も馬鹿にはなりませんから、富士講という一種の組合のようなものに参加して登山するシステムが主流でした。それでも庶民の収入では叶うものではなく、庶民はもっぱら、江戸市中で富士山参りを済ませました。人工のミニチュア富士山「富士塚」です。
江戸には大小の120を超える数の「富士塚」がありました。 富士山から運んだ溶岩を積んだもの、土地のもともとの隆起を生かした自然のものなど様々でした。富士塚の頂上には必ず、勧進された富士山 浅間神社が設置されていました。浅草、駒込、高田、深川、目黒、四谷、萱場町、下谷小野照の富士塚は「江戸八富士」と呼ばれて特に有名でした。
当時、江戸市中では、わずかでも高い所に立てば富士山が見えました。 富士見坂、富士見台、富士見橋、富士見町など、ビューポイントにはわかりやすい名前がつけられました。現在でも23区内には、別名でそう呼ばれるものまで含めて24カ所以上の 「富士見坂」があります。
この富士山信仰は、決して江戸市中だけのものではありません。江戸後期には関東全域に何千という富士塚が存在していたのです。また、「~富士」と呼ばれる山、いわゆる御当地富士は、現在、北海道から沖縄まで全国に200山程度存在しているのです。また、富士宮市の千居遺跡や、山梨県の牛石遺跡は、明らかに縄文の時代に富士山信仰があったことを示しています。
そして、ある程度の時間をかけて、富士山が見えるはずのない遠隔の地域にまで、また、かえって富士山が見えないからこそ、自らの土地の山に冨士山の名を
与える習慣が行き渡ります。富士山に対する日本人の信仰は、非常に重要だと思います。
これだけ列島全域の、統一した富士山信仰は、富士山というものが日本の中心であるということは誰もが知っていたということです。統一した信仰の存在は、
宗教共同体=祭祀国家があったことを予想させるものです。「家」の字がつく国家とは、何も、法律をつくることではなく、軍隊をつくることでもなく、まさに人々が共存する「家」のことです。それぞれの地域が連合するということがなければ、
縄文に見られるような、これだけの統一した文化というのは考えられません。
縄文文化は北海道から九州まで一貫して存在し、日本列島には同じ言葉、同じ感性を持った人が集まっていたということです。
NEW HISTORY事務局
「富士山に一度は……」とよく言われるが、みなさんは、「富士山」に登頂されたことがあるだろうか。私は3回も。そのような機会があったことは、とても幸運なことだ。
最初は、40歳のときに家族で登頂した。不謹慎にも寝不足・二日酔いの状態で登ったので、高山病の症状が強く出てとても辛かった。自業自得である。私が弱気になると、家族全員途中リタイアということになりかねず辛いのを我慢した。登頂後もしばらくは吐き気が戻らず、記念写真には笑顔が無かった。そういう苦い経験をしている。
「富士登山」をきっかけに、国内外の多くの山に登った。
膝を悪くする前は、90歳を超えて誰にも助けを借りず自力登頂をしたいと思っていたが、下りが膝にこたえるので無理である。
「富士は下から眺めるのが一番」とも言われるが、登頂しなければ味わえない何かがあることも事実だ。膝や腰に問題の無い方は、ぜひ登られるとよいだろう。(谷口利広)
どんな時でも、あくまでも自分が正しいと我を通したいのであれば、一生を一人で過ごすつもりでいなければならないだろう。
友人も伴侶も同僚も仲間も、歳をとるほどに目の前から消えていくはずだ。現在、自分の周りにいる友人の数こそが、自分という人間の今までの生き方や性格を物語っているとも言える(妥協の産物でなければよいが)。
一方、相手を立てる事が自然とできる人はどうだろう。恐らくは多くの友人を持ち、伴侶や子供などの家族に恵まれ、会社の同僚や先輩後輩とも末永くお付き合いをしているのではないだろうか。
どれだけお金を稼げるかが、人の価値となるわけではない。どんなにお金持ちであっても、広い家に一人ぼっちで暮らし、話し相手も無く、たまに掛かってくる営業電話が楽しいだけの寂しい生活を送っている人も現実に存在する。ひねくれた性格が少しは改善されても、失った時間を巻き戻すことはできない。大切な人たちを失ってはいないだろうか。ほんの少し折れただけで、ほんの少し相手の話に相槌を打つだけで、これからの人生が変わるかもしれない。
討論で負けたとしても、命を取られる事はない。それどころか逆に信頼につながるのではないか。今までの生き方を変える事は、ときにイライラする時もあるだろう。しかしそれは、これからの生き方を上手に変えてくれる香辛料ともなろう。相手を立てる事はそんなに難しいことではない。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
私は拉致問題にも長く取り組んでいまして、拉致被害者を救出できる自衛隊にしたいと思っています。
一つ、こんなエピソードがあります。数年前まで現職の自衛官で、定年退官された飯塚泰樹さんという方からある本が送られてきたのです。飯塚さんは、第1空挺団に勤務していた時代に、横田めぐみさんの拉致のことを知って、「いつかこの少女の奪還任務が自分たちに降ってくるだろう」というふうに信じて、その日に向けて心身ともに錬磨をしておられたのです。しかし、結局退官までその任務が来なかったので、その本のタイトルというのが『平成の自衛官を終えて任務、未だ完了せず』というタイトルだったのです。
飯塚さんは、幹部ではなくていわゆる下士官、陸曹として定年まで勤められた方なのですけれども、大変優秀な方で2度の米国留学と4度の海外派遣を経験されているのです。それで米国留学時のある時、「自分の国と他国との間にある安全保障上の問題について発表せよ」という授業があったのだそうです。その時に、飯塚さんは拉致問題を取り上げて、世界各国から来ている同じような立場の留学生の前で、その話をしたそうです。そして、「それでその少女を助けたのか?」と言われて、「いや、助けてない」「助けには行ったのか?」と聞き直されて、
「いや、行っていない」「何で行かないのか?」「日本には法的な制約があって」と言いながら、だんだん立場が小さくなっていったそうなのです。
それで最終的に言われたのが、「助けを待ってる国民がいるのに、それを助けにも行かないなんて、お前たちの存在意義はどこにあるんだ?」とあきれ果てたような反応が返ってきて、「立つ瀬がなかった」と書かれていました。
「これが世界標準からしたら当たり前の姿なんだよな」というふうに、その飯塚さんのエピソードを通じてすごく実感させられました。
それで、改めて「日本が異常な国だな」と思ったのですけれども、先般亡くなられた安倍元首相は、拉致問題にすごく熱心に取り組んでおられたのですが、その安倍元首相でさえも現職の首相だった時に、「拉致被害者救出に自衛隊を使うということは、日本には憲法の制約があってできない。いざとなったら米軍に頼むしかない」というふうにおっしゃっていたのです。「これは、本当に何とかしたい」と思いましたし、飯塚さんのような心ある自衛官であれば「助けに行きたい」と思っているのに行けないというのは、本当におかしなことだと思うのです。
今、憲法改正が話題になっていますけれども、自民党が出している案というのは9条の2項、つまり「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。交戦権も持たない」と言っているのを残したまま、3項として「自衛隊を明記する」というものなので、こういった改憲では、全然拉致被害者を救出に行けるようにはならないのです。「そこが変わらない改憲をしても、意味があるのかしら」というのが私の見方です。まさに、自衛隊の在り方を変える憲法改正をして、きちんと自衛隊が手足を縛られずに必要な国民を救う、守るために動ける自衛隊にしていかなければと思っています。
防人と歩む会会長:葛城奈海
(かつらぎ なみ 日本の政治活動家 やおよろずの森代表 予備役ブルーリボンの会幹事長 参政党DIYスクール講師
憲法は中途半端な改正よりも、米国から押し付けられた現行憲法を捨て去り、まったく新しい憲法を創り上げるのがより良いと考える。(谷口利広)
安倍元首相の「国葬の儀」では、安倍政権当時に、官房長官を務めた菅前首相が友人代表として、弔辞を読んだ。以下は、全文である。私は実況中継のときももちろん感動を覚えたが、改めて読み直し、涙が止めどなくこぼれた。
9/28の朝刊などにも掲載されたが、より大きい活字で多くの方にお読み願えればと本欄にも掲載した。お読みいただければ幸いである。
友人代表弔辞
7月の、8日でした。信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。
あの、運命の日から、80日が経ってしまいました。あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。季節は、歩みを進めます。あなたという人がいないのに、時は過ぎる。無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。
天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。口惜しくてなりません。哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。
しかし、安倍総理・・・と、お呼びしますが、ご覧になれますか。ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。20代、30代の人たちが、少なくないようです。明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。
総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、每日、毎日、国民に語りかけておられた。そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。――これが、あなたの口癖でした。次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。報われた思いであります。
平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。私は、当選まだ2回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。
総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選 出馬を、ずいぶんと迷っておられました。最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。それが、使命だと思ったからです。3時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。私はこのことを、菅義偉 生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思い出すであろうと思います。
総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。一歩後退すると、勢いを失う。前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしよう。総理、あなたの判断はいつも正しかつた。
安倍総理。日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。国難を突破し、強い日本を創る。そして、真の平和国家 日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顏を絶やさなかった。いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。
総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。私は本当に幸せでした。私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国、日本にとっての、真のリーダーでした。
衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡 義武 著『山県有朋』です。ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。総理、本当に、ありがとうございました。どうか安らかに、お休みください。
令和4年9月27日
前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉
石燈篭は、日本庭園には欠かせぬ添景物の一つである。手入れされた樹木に寄り添う寂びの入った石燈篭は、鑑賞する者の心を打つ。春日大社の苔むした燈篭をイメージしていただくと……。
あまり多くはないが、経済的に余裕のある個人が相当のお金を投じて新しく日本庭園を造るケースがある。施主と造園業者(造園家)との息が合い、庭木と庭石、燈篭などの添景物にかける予算のバランスが取れるとよい庭となる。だが往々にして、そうでない場合が見られる。
樹木や庭石に予算を注ぎ込めば、かなりのレベルとなる。10年20年と経過して徐々に深みがまし、ますます見栄えのする美しい庭となる。しかし、新しい石燈篭を入れるとなかなかサビ(寂び)が入らず、石燈篭だけが浮いた状態が続くことになる。世の中には、そういった庭が溢れている。
施主の勉強不足も問題だが、的確なアドバイスができなかった造園業者(造園家)の責任はさらに重い。そういった知識を持たない三流以下の造園業者(造園家)を選んでしまうと最悪だ。実際、何も考えないで新品を入れる方が多いのだから。
確かに、鎌倉時代や江戸時代前期の作というような石燈篭を購入するとなると何百万、何千万ということになるが、美しい、それなりの日本庭園を志向するならば、石燈篭にせめて50万、100万円は……。豊かでない私にそのような余裕は無い。その代わり、時間と労力をかけて(水遣りのたびに、水をかけて)補い、早く寂びを出させることに努めてきた。春日と織部は45年(春日は、作られてから40年は経っているだろうと思われる物を安価で求めた)、雪見は16年だが、水をかけたせいあっていい味が出て来た。
写真は、その石燈篭たちである。男の孫が3人だが、誰か一人でも庭いじりを継いでくれたらと思うのである。
人間関係や仕事において、自分の健康や財産を犠牲にしてまで他人や組織に貢献をしようとすることは、「自己犠牲」の代表的な行動だろう。
自己犠牲はなかなかできないからこそ、実際に行う人に対しては大きな称賛が与えられるし、英雄を見るかのような熱い視線やエールが送られる。また損をするのにも拘わらず、他人や集団のために尽くすその心意気に感動を覚えて褒め称えられたり、美徳であるとして持ち上げられることが多い。
承認欲求を満たしたい、多くの人から注目を浴びたいという人からすれば、自己犠牲は簡単に自分の持つ願望を満たせる方法のようにも見える。自己犠牲が美徳として称賛されたり、英雄視されることを踏まえると、「自分は特別な人間である」という実感を得たい人からすればまさに自己犠牲はうってつけとも言える。自分が損をしようと、傷つこうと、それらをただ我慢するだけでいいという手軽さかつ単純さが何より魅力的である。コツコツと勉強をして成果を出すというような地味で面倒な方法も要らず、ただ我慢するだけという手軽な方法で「自分は特別な人間である」という実感を手軽に得られる。ただし、手軽に「自分は特別な人間である」という実感を得る方法は、コツコツ勉強してテストでいい点をとるという自己犠牲をしなくても済む生き方から遠のく危険性もある。特別であるという気持ちを求めることに通じるが、自分で自分は特別だと自己完結するのではなく、他人から特別な人間だと思われて尊敬されたい、注目を浴びたい、認められたいという承認欲求の強さが、自己犠牲を招いていると考えることもできる。
自己犠牲は我慢するだけという手軽さが魅力的であり、地道かつ正攻法な努力をせずに、簡単に自分の承認欲求を満たすことができる。ただし、その手軽さに安住すれば、自己犠牲以外の方法で承認欲求を満たすことが考えられなくなる。身体的にも経済的にも自分を破滅に追い込む恐れが生じる。ゆえに、承認欲求を満たす方法として優れているとは言えない。自己犠牲をすることが予防線を張るための行動である……と考えることもできる。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
本日14時から、安倍元首相の「国葬の儀」が東京で執り行われる。海外からも多くの要人が弔問に訪れる。私は、自宅で弔旗を掲げ喪に服する。
今日も「反対」のデモ行進を行う人が居るのだろう。それらは無視すればよいものを、うれしそうに報道するテレビ局が存在する。他国から「日本人は民度が高い」と思われている。考え方が違っても、たとえどのような人であっても、死者に対して「死を悼む」心を忘れてはならない。日本人の中に、その気持ちを持たない人が存在することをとても恥ずかしく思う。
デモ参加者の多くは、いい歳をした方々のようである。「恥を知れ」と若者に説教の一つもしなければならない年齢層だ。まさに『国賊』である。「恥を知れ」と言いたい。
人は表に出す顔と、内面に潜める顔に違いがある。それはごく普通の事だが、相手に思いやりを持って接する事が大切な事に疑う余地は無い。
相手を思いやると自然と相手の立場を考えるようになり、相手を立てようと思う。ところで、遠慮をすると立てるのは違う。遠慮をしても相手を立てている事にはならないし、面倒臭い事を押し付けるようにも見えてしまう。相手を立てるという行為は、たとえその人がその場にいない場合でもその人の長所について話をするなどがある。その人と相対したら話をよく聞き、間違っていたとしても真正面から否定はしてはならない。
真正面から否定をして一点突破をする人は、知恵を働かせていないように思う。知恵のある人ほど、回り込んで別の角度から物事を気付かせるように話す。それも自身に置き換えてみれば分かるはずだ。正面から否定されたら、相手はカチンとくるだろう。相手を立てることができる人は、自分がやられて嫌な事は他人にもしない。相手と自分を客観的に見る事ができる人であり、本当の意味で賢い人とも言える。 相手を立てるといった行為が自然とできている人は、他人から支持されたり好かれる傾向にあるのは事実である。そういった行動や言動、ふとした瞬間の態度を意外と人は見ているものだ。職場では猫を被りながら陰で悪態をついている人は、どこか違和感を感じる。本人は気付かれていないと思っていても、バレていているだろう。表面を取り繕うだけでは隠せないのである。
逆にどんなに悪ぶっていても仲間から信頼されていたり、信望も厚いという人もいる。そういった人は、相手を立てるという行為をごく自然に実行していることが多い。相手を立てることは、昔は当たり前だったと言われることがある。しかし、そう思ってしまうのは時代劇や時代小説などの影響があるのかも……。人間の精神や思考は、今とそれほど変わっていないだろう。
若者のモラルの低下と言われることもあるが、マナーを弁えない年配者も少なくない。若い世代を非難しながら、自らの低いモラルには気付かない大人も居るのである。
マナーやモラルを尊重していない人は、往々にして自らの信用を無くしている。なかなかそれに気付かない。だから、どんなに相手を立てていても態度や言動に違和感を与えてしまう。自らの品位と信頼を失っているのだ。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
人の上に立つという行為は、社会では上司や経営者と従業員の関係であるから成り立つ。上司や経営者であっても、取引先や顧客と相対すればいつも上の立場では居れない。それが家族や友人関係にまで及ぶことになると、和が乱れる要因になる。後悔するのは相手ではなく自分自身なのだ。
本来、人の身分に差異は無い。社会状況がそうさせているだけだ。年齢や性別、国籍や身分などは関係なく、誰もが同じ人間である。自らが他人から蔑まされたり、馬鹿にされたらどうするだろう。恐らくは険悪な関係になったり、酷い時には恨みを募らせる事になる。
社会生活が憂鬱になる原因の一つが人間関係であることは、明白な事実である。すべての人が自分以外の他人の事を思いやって生きていれば、争い事は無くなるだろうし、犯罪行為や事故なども少なくなるだろう。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
「覚悟を持て」「覚悟はあるか」など『覚悟』という言葉を使ったり聞いたりする。
辞書には、覚悟とは「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること」「迷いを脱し、真理を悟ること」「きたるべき辛い事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること」などとある。
「覚悟を決める」「覚悟を以て事に当たる」ということを、大切にしたい。なぜなら、自らの人生と真剣に向き合っていくためには覚悟を決めるということが必要不可欠だと考えるからだ。もし、覚悟が無ければどうなるか。覚悟を決められないということは、自らの行動や言動が招いた結果を受け入れない態度を取ってしまうということに他ならない。
つまり、自らの人生に対して無責任な態度を取るということであり、物事がうまくいかないときには、自分ではなく外部に(他者に)責任を求めるということにつながる。
事あるごとに責任逃れを考えていては、当たり障りのない行動ばかり取ってしまうようになる。全責任を負うのが怖くなり、縮こまって挑戦しなくなるだろう。果たして、こういった態度で自らの人生をより良くしていくことはできるだろうか。確かに覚悟を決めるということは難しい。人は一般に、大した挑戦をしてきたわけではないし、何かを成し遂げてきたわけでもない。 見栄を張ったとしても、本心では何とも言えぬ不安を抱えているだろう。そうなると、周囲に同調することばかりを考え、今抱えている不安や自らの未熟さを、見て見ぬ振りをしてごまかそうとするかもしれない。仮にこういった態度のまま何かに挑戦したところで、得られる成果はたかが知れている。
覚悟を決めた人間とそうでない人間とでは、明らかに行動に差が出る。 すべてを投げ出してでもやると決めた人間は、望む結果を得るために最大限の努力をする。努力することを惜しまないのだ。うまくいかない場合のことも覚悟しているから、そうはなりたくないとがむしゃら努める。時に不安を感じることがあったとしても、その不安を打ち消そうと自らを奮い立たせる。覚悟を決めることができれば、不安を、自らが成長するためのエネルギーに変えていくこともできるのである。しかし、覚悟を決められない人間は安全圏という殻を破ろうとせず、いざというときの責任逃れのための言い訳を探しながら行動してしまう。
挑戦を前にやるべきは、「覚悟を決めること」である。そして、その覚悟を大切にして、全身全霊で自分の人生や物事と向き合う。そうすれば、事を成すことができる。喜びを得られるだろう。覚悟を決めてこそ、人生をより良く生きられるのだと信じる。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
覚悟を以て人生を送っている人は、絶対にと言っていいほど言い訳をしない。例えばそれが、誰から見ても失敗だと思えるような選択だったとしても、本人は絶対に言い訳をしない。その経験が未来に繋がると信じているからだ。
人生を覚悟している人は自分の言動に責任を持っている。例えば、自分がサービス業に従事していたとして、一人のお客様を酷く怒らせてしまったとする。自分の言動が原因だと思えば、土下座もいとわない。逆に自分が正しいと思えば謝ることはせず、その後の処置は当然言い訳無しで受け入れる。
人生を覚悟している人は、自分の人生に希望を持っている。だから例え、ホームレスになったとしてもその時を楽しめるし、反対にお金持ちになってもまだ先があると知っているので行動を止めない。
人生を覚悟している人は、目の前の事を全力で楽しめる。これは明日、死ぬかもしれないという覚悟ができているからである。笑うのも泣くのも悲しむのも怒るのも、今日で終わるかもしれないと思っている。そう考えると目の前のことを全力で楽しむことができる。人生を覚悟している人は、どん底の経験ですら笑いに変えられる。その経験があるから今の自分がある、その経験は自分にとってかけがえのないものであった、と分かっているからだ。
人生を覚悟している人は、感情が豊かだ。よく笑う、よく泣く、時には本気で怒る。体は大人だけど、頭は赤ちゃんに戻っている感じだ。見て感じたものを純粋に受け取れるということである。
人生を覚悟している人は未来に過剰な期待をしていない。これは言い換えれば、未来は自分で切り拓いていくものだと思っているからだ。だから、未来に対して過剰な期待をせず、目の前のことに全力で取り組み全エネルギーを注ぐことができる。会社や政治がどうにかしてくれるなどとは微塵も考えていない。人生を覚悟している人は良い意味でドライである。他人に対して必要以上に干渉しないし、必要以上に同情もしない。自分がこれでいいと納得したらそこで終わりにする。その後の受け取り方は相手に委ねる。必要以上の干渉や同情は、相手に対して「ここまでやったのだから」という期待を抱くことになり、どちらにとっても良い結果に繋がらない。
人生を覚悟している人は、この事を理解している。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
近頃、葬儀を家族葬などにして簡略化・簡素化を図ることが多くなった。近所でも例外では無い。以前には少なからずあった自治会館を使用しての葬儀も、年に一回あるかどうかといったところだ。また、訃報の回覧板が、お亡くなりになって1~2ヶ月経過してからということも稀ではない。知らせない場合も少なくない。近所の方にも知らせないというのは……。
葬儀を華美にすることがよいとは思わない。家族葬も、本人の意思に基づいてのことであれば問題は無いだろう。他人がとやかく言える性質のものではない。ただ、近所の人たちが数カ月経って死亡を知るというのは、とても残念で寂しいことだ。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
じくじく悩まない生き方をしたいなら、本音で生きるようにしたい。本心から出た言葉を発したい。建前を取り除いた本当の考えを表現したい。もちろん時には建前も必要だが、最小限にする。
「本音で生きる」を言い換えるならば、「正直に生きる」ということである。本音で話して素の自分を見せれば、周りの人は正しく理解してくれるようになる。本音で生きることはときに勇気のいることだが、悩まない生き方のためには欠かせない。本音を表現することで、相手から驚かれることもあるだろう。自分にとって普通のことでも、相手には不思議や非常識に映ることもある。相手は「あなたはそういう人なの」「変わった考えだね」と驚かれるかもしれないが、それは最初だけである。そのうちに理解されるようになる。
素の自分を出しても、案外嫌われないものだ。ユニークな考え方であっても、それを表現し続けているうちに個性として認識されていく。いったん理解されたならば、後はスムーズである。相手にとって少しきついことを言っても、受け入れてもらえやすくなる。独特の考えを披瀝しても、「あなたらしいね」と思われるようになる。理解してくれる人が増えるだろう。
本音で生きることで、あなたから去る人もいるだろう。それはそれでいいのではないか。引き止める必要も追いかける必要もない。残った人たちと付き合えばいいことである。本音になれば、相性の合う合わないが早めに分かるので、大切な人に集中できる。
本音で生きると、正直な意見を言えるようになる。やりたいことをやれるようになるので、毎日が楽しくなる。近づく人去る人がはっきりするが、ありのままの自分を表現できるので心の葛藤に苦しむことがなくなる。
時にはつらいことや悩ましいこともあるだろうが、自分と向き合った結果なので納得した人生が歩める。素の自分を出して生きることは貴いことだ。どんどんと自分らしい道を歩んでいける。毎日が清々しいドラマになるだろう。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
頼みごとをされたときに、自分にとって利益になるかならないかを、またそのことがしんどいことなのか、簡単なことなのかを受諾の条件にしてしまいがちだ。
言い換えれば、困難な事であっても一肌脱ごうと前向きに考えるのか、逃げてしまうのかの違いである。世の中には、選択の基準を自らの利益不利益に置いてしまう人を多く見かける。そういった人の多くは、「巧言令色」の態度で生きているのではないだろうか。しんどいことであっても、筋の通ったことであれば前向きに受け止める生き方をしたい。
昨日はお墓参りの予定だったが、終日の雨で延期した。
「ラジオ体操」の後、本日快晴の中、妻とお参りした。いつもそうだが、お墓参りすると心が落ち着く。晴れ晴れとした気分に浸れる。我が家の墓は家から徒歩で5分の所にあり、妻の実家の墓も同じ霊苑内に。
午後からは、今年8回目の庭木への薬剤散布を行った。風もなかったし、明日からもよい天気が続くようだ。とてもよいタイミングで散布でき喜んでいる。
一昨日から、萩の花が咲き始めた。45年前に「東山」駅の近くで山採りした株だ。サルスベリの花も、まだ咲き続けている。百日紅と言われる所以だ。もうしばらくすると、キンモクセイも開花するだろう。
風はとてもさわやか、いよいよ秋本場といったところだ。
「論語」に、「剛毅朴訥、仁に近し」(ごうきぼくとつ じんにちかし)という有名な章句がある。これは、芯がしっかりして辛抱強く素朴で口数の少ない者は、最高の徳である仁に近い人物と思って良いということだ。
剛 物事に、恐れず立ち向かう強さ
毅 苦難に堪え忍ぶ強さ
木 質素で飾らないこと
訥 口数が少ないこと
剛毅朴訥は、「巧言令色」(こうげんれいしょく)< 口達者でやたら愛想のいい者に、至ってまごころはないものだ>とは対照的な言葉である。剛毅朴訥の人物は信頼でき、安心して付き合える。「仁者(人格者)は、その発言が慎重である」という意味でもある。より分かりやすく言うならば、『人格者は言葉に責任を持つ人なので、慎重になるものだ』ということであろう。
如何に時代が変わろうとも、どんなに科学技術が進歩したとしても、世の中には甘い言葉、儲かる話、聞こえの良い文章や文言など、さまざまな形での誘惑が溢れていることに変わりはない。
一般に誰れもがお金を欲しがり、楽に暮らしたいと思うものだ。しかし、人としての弱さを突いてくるようなサービスや人には、心がないと読み解くことが求められる。心ある行動を取るためには、相手に対して常に誠実であり対等であることが求められる。うまい話には裏があり、楽して儲けられないことは本来誰れしもが分かっていることだ。言葉巧みに誰かと話そうとすればするほど、他者から心を感じて貰えない、信用されないことを再認識することが求められる
長い期間で見るならば、不正や偽りで築いた地位や名声、富などが長く続くものではない。私はそのように思う。そのことは洋の東西を問わず歴史が物語っている。孫や玄孫の時代まで、偽りや不正で得たものに陽光が射し続ける筈がないのである。「積善の家に余慶あり」だ。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
突然ですが、あなたは「ゲップ税」をご存知でしょうか?
「ゲップ税」とは、文字通りゲップの排出量に応じて徴収される税金のことです。もしかすると、あなたは「そんな馬鹿げた税金がこの世に存在する訳がない」と思われたかも知れません…しかし、実際に世界にはこの馬鹿げた「ゲップ税」を導入しようとしている国が実在するのです…
その国とは…畜産業が盛んなニュージーランドです。BBCの報道によると、ニュージーランドでは農家が牛などの家畜のゲップ排出量に準じて税金を支払う計画案が検討されており、課税金額を算出するための計算式が現在考案されているとのことです…
この世界初の"嘘のような本当の税金"は、ニュージーランド内で真剣に議論され、2025年からの導入に向けて着々と準備が進んでいるのです…
しかし、あなたは不思議に思いませんか…? そもそも、なぜこのような
馬鹿げた税金制度が検討され始めたのでしょうか? 実は、この背景には…
昨年末にイギリスで行われた"とある国際会議"が関係していました。その会議とは…「気候変動枠組条約締約国会議(COP)」です。
アメリカやEUをはじめとした世界中の100ヵ国以上が参加したこの会議では、参加国間で、「2030年までに地球温暖化の原因となっているメタンガスの排出量を30%削減する」ということが決定されました。その結果、世界有数の畜産大国であるニュージーランドでは、そのメタンガスの主な排出源である家畜の「ゲップ」や「おなら」の排出量を減らすことがCOPで決まった目標達成に最も効果的だと考えられ、ゲップ税の導入が検討され始めたという訳です…つまり、牛や羊などの家畜たちが突然、"地球温暖化の犯人"に仕立て上げられたのです。
当然ですが、牛や羊は生きている限りメタンガスの排出を避けられません。そのため、「家畜から出るメタンガスの排出量を減らせ」ということはつまり、「家畜の数を減らせ」と言っているも同然です。このような状況に対し、農家らは「そんな馬鹿げた話があるか!」「牛や羊たちを殺せというのか!」といった猛反対の声で溢れ返っています。
しかし、あなたは不思議に思いませんか? 新型コロナウイルスの長期化やウクライナ侵攻によるサプライチェーンの破断で世界的に食糧危機が叫ばれているなかで、なぜ、ニュージーランドでは農業を衰退させ、わざわざ食糧不足に拍車をかけるようなことをするのでしょうか? このゲップ税の導入は、国民の生活をさらに追い込み、国を困窮させることに繋がるのではないでしょうか?
実は、そこには…畜産農業を撲滅させようとニュージーランドを裏で操る
"ある組織"の存在があったのです…そしてなんと、そこにはあの世界の大富豪ビル・ゲイツ氏もかかわっていたのです…
国際情報アナライズ事務局
ビルゲイツは世の中で善人のように思われているが、知る人ぞ知る私腹を肥やすためには手段を選ばぬ大悪人であると。コロナワクチンに係わっても、陰で糸を引いて莫大な利益を上げていると聞く。(谷口利広)
学ぶことにより自分の糧になるだけでも生きがいとなる。学び続ける途中で、共感を得られる人との出会いもある。そういった人たちとの交わりは楽しいものであり、さらに嬉しい気持ちになるだろう。有名になることが大事なのではなく、人目を気にすることなく夢中であり続けられること自体が、不安を少なくする。
学ぶことそのものを生きがいとすれば友達が増え、さらに学び続けることができるだろう。努力の結果が報われないような不安をもし感じたとしても、懸命に学んだことは失われない。
今の時代、「物知り」であることの価値は低下している。世界中のどこでもインターネットに接続出来るこの時代、大抵のことはインターネットで調べられる。その分余計に、私たちには「想像」や「創造」が必要となる。
知識を得たとしても、さらに深く考えることが求められる。しかしいくら考えようにも、最低限の基礎がなければそれはただの絵空事になってしまう。
知識を得る本来の目的は、その知識を活用することにある。学んだ知識を活用するためには、独自に再び読み解き、認識して、他人から得たそれらを自分のものにしなければならない。この過程が思考だ。
この思考過程が欠落するならば、学んだ知識は本当の意味で身に付かず、したがって活用することもできない。つまり、知ることとその知識を応用することは、二つの段階に分けられる。
一方、思考の目的は、事物の因果関係、物事の原理を解析することにある。しかし、思考するばかりでそこに必要な参考知識や情報がなければ、いくら考えても結論を出すことはできない。多くの情報を把握したうえで咀嚼できたとき、はじめて賢明な判断を下すことができる。
情報を収集するということは、知識を得て自分なりに咀嚼するということだ。
「論語精髄」谷口利広著(銀河書籍)から
日本の誇るべきエアコンメーカーである「ダイキン」は、来年から中国産部品の供給をやめることを決めた。まことに理にかなった決断である。
ダイキンのエアコンの中国部品は、現在、約2割を占めているようだが、早急に供給網を見直しゼロにすると言う。大いに拍手したい。
米国では、中国の部品を使用している製品の輸入を全面禁止する方向である。日本のメーカーもすべての製品について中国部品の使用を見直さないと、近々米国に輸出できなくなるだろう。パナソニックやトヨタ・ホンダ、日本電産やムラタなども追随すべきだと思う。
また、中国が進めてきた「一帯一路」政策も次々と破綻が生じている。騙されてこれまで中国の言いなりになってきたアジアやアフリカなどの途上国の多くが、目覚めて中国から離れようとしていると聞く。当然だろうご存知のとおり、すでに中国国内では不動産業のみならず、さまざまな面で経済破綻が生じている。北部の軍域では、つい先日内戦も起こった。これは飛び火しないで何とか治まったようだが、安心はできない状態だ。中国共産党は、いよいよ崩壊への道を間違いなく歩み始めているのだ。
覇権主義を標榜するような国に、明日は無いのである。
今日は「秋分の日」である。国旗を掲揚したい。だが、あいにくの雨。
その年の「秋分の日」は、国立天文台が毎年公表する「秋分日」によって決まり、「春分日」同様、この日の前後3日間をあわせて彼岸と言う。この期間には、お墓参りをして祖先を敬い、亡くなった人たちを偲ぶ。
“暑さ寒さも彼岸まで”と言うが、大分涼しくなった。早朝のラジオ体操、半袖では肌寒く感じる。2~3日前から長袖を着用している。
本日、宮中では「秋季皇霊祭」が行われる。
私は、昭和17年(1942年)、まさに戦時中に東京で生まれました。その頃はちょうど日本軍がアメリカに勝っていた時期だったので、「連戦連勝だ!」と、周りの人たちの喜ぶ声をよく聞いていました。しかし、次第に日本軍が負けはじめると、私を含めた一家は疎開を余儀なくされました。移住先は長崎県の香焼島(こうやきじま)というところです。この時まだ私は3歳でした。
自然が豊かな場所で、敵軍から隠れるのに非常に適していた土地でした。そこで私は家族としばらくの間、ひっそりと生活をしていたわけですが、、、
1945年8月9日。突如、私を取り巻く環境が激変しました。長崎に原爆が投下されたのです。私は、ちょうど家の玄関にいたのですが突如、原爆によるピカッとした物凄い光に包み込まれました。その時です。危険を察知した祖母が覆いかぶさり、私のことを守ってくれたんです。原爆が原因だったのか、身体が弱かったのか、祖母は3年後に死んでしまいました。でも「私のことを大切にしてくれていたんだなあ。愛してくれていたんだなあ」と、今でもよく祖母のことを思い出します。私がいまこうして生きていられるのは、祖母のおかげなのです。
私を守ってくれた時のあの温もりは忘れられません。こうして私は、生き延びることができたわけですが、外を見てみると、原爆により十数万近くの人が亡くなっていました。この原爆という体験が、幼い私に強烈な感覚として残ったんですね。そしてこの壮絶な体験が、実はその後の人生を決定づける指針となったのです。
↓田中英道(東北大学名誉教授)
原爆という悲惨で壮絶な体験が幼い心に強烈な感覚として残り、田中氏のその後の人生を決定づける指針となったと言われる。広島で、長崎で被爆されたみなさんは、同じ思いであろう。
投下した米国では、表面的には「被爆者は気の毒だった」の思いだろうが、77年経過した今、原爆の使用によって「戦争が早く終わった」との思いの方が恐らく強いのではないだろうか。私の思い過ごしであったならよいが。 今回の角川出版・会長だけでなくオリンピックの汚職で、関係者が次々摘発されていますが...まず、非常に衝撃的だったのは、元電通の高橋治之さんという人です。スポーツビジネス界で大変有名な人で、かつては国際的なスポーツ:オリンピックやワールドカップなどをNHKから取り上げて、そしてものすごい付加価値をつけて大儲けできるようなネタにしました。
仕事上ではすごくやり手の人です。そして同時にたくさん賄賂の類いを取っていた人です。しかし、個人のビジネスなら、公が関わらないので賄賂とも言えません。ビジネスキックバックを合法的にもらってた時代も多いのでしょう。しかし、オリンピックは公のもので、政府の税金が入っています。それは賄賂だよ、ということです。
彼からするとなんで今更こんな1000万円程度の金で俺が捕まんなきゃいけないんだと、今まで同じことをやってきたのに何で今回は捕まるんだと怒ってると思います。それだけ環境が変わったということです。それからテレビなんかによく出て歌舞伎界でも有名な香川照之さん。この人も女性スキャンダルが出てきて、番組を全部降板しましたし、コマーシャルからも降りました。これもかつては電通が守ってきたのです。色んなスター、芸能人...電通の言うことを聞いている人は、電通が守るということが常識だったわけです。しかしそれが電通の力ではもう通じなくなっているということです。そういうことが起きてきていると...
そして重要なのは、今回頑張っているのが東京地検の特捜部ということです。よく言われるのですが東京地検の特捜部は「アメリカの影響力」が強いです。アメリカの影響といってもアメリカの「主流派」の影響力です。「そこの態度が変わってきた」のです。今まで電通がテレビ界を支配してきた。汚職事件は見過ごされてきた。しかし、東京地検であり、その裏にいるアメリカの主流派はそれらを摘発することにしたのです。これは今まで通り民主党・バイデンが権力中枢なら変わっていないはずです。逆に変わったということは、アメリカの政治の深層部で何かが起きているのではないのかなと...そう予測できる訳です。
実際アメリカ国内でも、不正選挙の再調査によりFBI内部で「長官がおかしい」と言った指摘がされるなど、エージェントの反乱が起きています。CIAでも起きているかもしれません。私はこれを不正選挙で抑え込まれたアメリカ愛国者のクーデターであると信じたいのですが...少し希望的観測ではあるかもしれません。しかし、不正選挙を隠し切ってバイデンを大統領にしてしまった旧権力体制が崩れていること、そして日本のマスコミで電通の力が弱まっていること...それは同時進行なのです。
そんな中で今、トランプ派の人たちが共和党内の、予備選挙で随分勝ち進んでいます。11月の米中間選挙でもその共和党が勝ってくれると、また一挙に流れが変わることでしょう。
国際政治学者・藤井厳喜
随分前から「電通」という企業に胡散臭さを感じていた。同感だと思われる方も多いだろう。藤井氏の一文を読んで納得である。これまで、髙橋治之以外にもあくどい事をやってきたのだろう。到底許せない。
東京地検はこの際、徹底的にメスを入れてほしい。NHKなどにもである。御所市でも収賄事件が生起しているが、悪い事をしてぬくぬくと過ごしている企業も個人も許してはならないのである。(谷口利広)
平成20年3月26日、大阪府教育委員会から「4月1日から大阪府立西浦高等学校の校長として赴任せよ」との通知があった。
帰宅後、妻と西浦高校のホームページを見て唖然とした。その年度の教育計画は掲載されていたが他は古い内容で、年度初め以降、新しい内容が加えられた形跡は無かった。掲載されていた修学旅行の写真は、何年も前のものだった。当時から掲載が常識となっていた校長の挨拶も無かった。とにかく、冴えないホームページであった。
西浦高校の概況は知っていたが、前年夏に再編統合の対象校になったことが、そのことでさらに元気を失くしていることがホームページからも見てとれた。
同28日、西浦高校の校長室において当時の校長から引継ぎを受けた。明るい話題に乏しく、机の上やその周りには書類等が山積みになっており、そういった状況からも何となく課題の多さを窺い知ることができた。そのときに、「地域からの協力体制が無い」と言われたことが印象深く残っているが、南河内で18年間勤めた経験のある私には腑に落ちなかった。聞いておかなければと思ったことを予め整理していたが、細かなことを聞くのはやめた。前向きな気持ちで自らが切り拓いて行くべきと思ったからだ。校長が元気でなければ学校に活気がなくなる。持ち前の元気でがんばらなければと自らに言い聞かせた。
西浦高校は活気が無く低迷していることを、着任する何年も前から耳にしていた。生徒指導上の課題の多い学校での経験が長く、少々のことでは驚かないのだが、遅刻・服装・頭髪・授業態度、集会や式での態度、校内喫煙等々、予想をはるかに超える惨憺たる状況であった。
職員の多くが、1年でも早い転出を願っていたと思われる。そこへ再編統合で3年後に閉校という明日への展望が開けない状況が生起し、意欲の減退に拍車がかかったようだ。私の着任以前、生徒指導に係わって保護者からのクレームが多かったと聞く。学校改善の意欲が乏しく腰の引けた対応では、生徒や保護者からの信頼を得ることは難しく、結果として生徒からも保護者からも指導が素直に受け入れられない状況ができてしまったと思われる。
状況が思わしくなくなってからの校長も、「何とか現状打破を」の思いで尽力されたのだろうが頓挫したようだ。着任直後、「これまでに、もう少し何とかならなかったのか」と前任者に対して不満をもったが、今になって、当時の状況がよく理解できる。やろうとしても、次々と生起する課題に翻弄され、お気の毒にそれらの対応に忙殺される日々を送らざるを得なかったのであろう。後手、後手と回ってしまい、積極的な改善策が打てなかったのだろう。
着任してすぐの始業式では、残念ながら静寂な雰囲気をつくることができなかった(集合・指揮の係りは静かにさせようと奮闘するのだが、周りの協力体制が弱く静かにさせることができなかった)。それでも、午後から挙行した本校として最後の入学式は、想像したよりはましだった。前年度の入学式は、マナーが悪いといったレベルではなく、式辞や祝辞の最中にPTA会長や校長が話を中断して何度も怒鳴るという最悪の事態であったらしい。着任する直前の卒業式も入学式ほどではなかったが、それに近かったと聞いている。
悪循環の日々
本校では、式と呼ぶもの以外、全校集会が皆無であった。「課題の多い学校では、可能な限り数多く全校集会をもって、集団訓練を行うと共に温度差なく学校の方針を知らしめる」ということが当たり前であると信じて疑わなかった私には、考えられないことだった。体育の授業でも、集団行動に係る指導、訓練が実施できていなかった。であるから、「人の話は静かに聞く」というごく基本的な態度が養われることはなかった。身についていないから、時たまとなる式では教員の側は大変な労力を要する。ゆえに極力、大人数で集まることを避けてきた。すべてが悪循環に陥っていたのだ。
遅刻・服装・頭髪・履物・授業規律・禁煙などの指導もしていないわけではなかったが、その多くが中途半端に終わり、生徒が学校の指導に対してなめてかかっているという雰囲気が充満していた。「学校としての体を為していない」と言っても過言ではなかった。
あきらめない、粘り強い指導を
私が職員に指示したのはただ一つ「やさしさや温かみを基盤にしながら、ルール違反に対してはけっして見逃さず、全員がだめなことはだめと毅然と言い切って欲しい。その場ですぐに改善させることができなくてもよい、全員が問題行動に対してだめと指摘することが大事である。あきらめない、粘り強い指導を」ということだった。何人かの教員からは「やっています。できています。きちんと見てから言ってほしい」との声があがった。しかし、できていないことは歴然であった。「どうせ閉校に向かう学校だから、校長そんなに張り切らないで静かにしておいてください」というのが、多くの職員の正直な気持ちであっただろう。そのようなことが許されるはずがない。
校内のトイレなどでの喫煙がひどい状況であった。特に体育館のトイレは無法地帯に近く、昼休み終了後は吸殻が50本、100本残っているという状態であった。府教育委員会事務局幹部からは、「校内喫煙に関して府立高校中ワーストワン」の指摘を受けた。そのような中、私も率先して休み時間等、立ち番するなどに努めたが、いたちごっこでなかなか改善の光は見えなかった。トイレに注意書きなどを自ら作成し貼り付けたりしたが、火をつけられたこともあった。生徒指導部長に、全員での巡視・立ち番の強化を迫ったが、初めて部長になった彼は、これまでを踏襲するというのが精一杯であった。
こういった状況の打開に向け、この喫煙問題を敢えて「学校協議会」のテーマにあげた。有識者などの委員の多くには前もって話をし、「体育館トイレの封鎖」という強硬意見を出して貰った。併せて、これまで不十分だった「禁煙教育」の充実について強く触れていただいた。このように学校協議会を応援団にし向けたところ、これまで消極的であった要の一人となる生徒指導部長が対策の強化に意欲を示し始め、以後は積極的な姿勢で先頭に立ってくれた。大きく変わったのだ。
禁煙教育の充実を図る一環として、外部講師をお招きしての講話をしていただこうと提案したところ、「静かに聞かせる状態をつくる自信がない」という情けない意見が学年団から出た。ここが校長としての勝負どころと、自らがタバコの害に係るスライドを作成し、学年ごとに体育館で私から講話をした。生徒は静かに聞いた。「校長の本気」が、職員にも生徒にも伝わった。2年目からは外部講師による講話やワークショップ形式の禁煙教育を実践した。教員向けにも、外部講師による「禁煙教育の進め方」の講演会を開くなど研修を深めた。
温度差のない一致した指導を
集団行動を身につけさせる訓練の意味でも、「始業式と終業式のない月には、全校集会を入れよう」と提案した。核となるべき学年主任の腰が重たく時間がかかったが、着任2年目から始業式と終業式のない月に全校集会を入れることができた。画期的に改善に至ったとは言えないが、粘り強く繰り返し指導する中で、以前と比較し随分と話を聞く態度が育ってきた。平成21年度の卒業式は、中学校の校長から驚きの声があがるほど、静寂な雰囲気の下、挙行できた。本校に送った生徒をよく知る中学校長からの評価は、そのまま受け取ってよいのだろう。
校内で見つかるタバコの吸殻の数は激減した。校舎内では、ほぼ一掃したと言えよう。「校長の本気」を感じ、職員が危機感をもって対処してきた成果の表れである。また土足で校舎内に入る生徒が多く課題のひとつであったが、共通理解の下、毅然とした粘り強い指導を実践した結果、これも大きく改善できた。その他のことでもよい流れが確かなものになってきた。最終年度、懲戒を受けた生徒は合計で12名と激減、着任初年度、被懲戒生徒数は200名近くにのぼった(前年度も同様)ことを思うと大きな改善である。保護者同席の申し渡しには大変な労力を費やしたが、けっしておろそかにせず、当該生徒にも保護者にも懇々と話をしてきたことが信頼回復につながったとの自負がある。
生徒有志による早朝美化清掃ボランティア活動、PTA役員による清掃活動、緑化・園芸活動など、正常化・活性化に向けた地道な活動の影響も大きい。以前を知る人たちから、「校内外が見違えるように美しくなりましたね」と何度も言われた。職員も長く味わっていなかった達成感・充実感を、多少なりとも味わうことができたと思う。また、教頭が教育相談的対応に長け、校内研修なども数多く実施するなどして全員の力量アップを図るように務めてきた。外部機関との連携もスムーズに進んだ。課題の多い学校では必須の要件である。
保護者、後援会、同窓会、及び地域の支援
3年生しか在籍しない最終年度のスタートを花一杯で飾りたく、5千個のチューリップの球根をPTAが中心となって植えた。私が先頭に立ったことは言うまでも無い。生徒有志、卒業生、PTA旧役員、及び地域住民からの協力もあった。始業式にタイムリーに咲かせ、沈みがちな生徒たちの心を和ませ元気づけた。6月にはそれを掘り上げ、近くの中学校などにプレゼントした。来春、あちこちで咲いてくれるだろう。7月には、掘りあげた跡地にPTAが中心となってミニヒマワリの種を播いた。二学期のスタートを、5百個のミニヒマワリの花が飾ってくれた。さらにその跡地には、2千球にのぼる日本スイセンの球根を植えた。2月末の、本校最後の卒業式と閉校式を飾った。
これまで現状をオープンにしなかったことが、保護者や地域住民からの協力や支援につながらなかったと反省し、私は学校ホームページなどを充実させての積極的な情報発信など、学校を積極的に開くことにも全力を注いできた。さまざまな形で協力していただいた。今年度の同窓会総会には、これまでの15倍以上の卒業生が集まった。最後の卒業式並びに閉校式には、5百人を超える人たちの臨席があった。
ぶれない毅然とした姿勢が共感を
特別なことを実践してきたわけではない。ただ「やると言ったら必ずやり遂げる」のぶれない姿勢を堅持してきただけである。例えば、国旗・国歌に係わっても然りである。本校では、運動場と玄関脇の掲揚ポール、及び校長室内の三脚に国旗を常時掲揚してきた。始業式・終業式でも、式場である体育館壇上背景にきちんと掲揚した。
私にしたら当然のことを当たり前にやっていることだけだが、相手の取り方によっては不遜と取られ苦々しく思われたかも・・・・・・。事実、あくまでも筋を貫き通す私の態度は、ときに職員からの反発を招いた。誹謗・中傷による被害を蒙ったことも無くはなかったが、けっして怯まなかった。ただそういったことが生起したこと自体、不徳のいたすところと、反省しなければならないだろう。しかし学校を変えるためには、「保護者であれ、誰であれ、だめなことはだめと言い切る」毅然とした姿勢を貫くことが大事だ。そのことに、些かの揺るぎはなかった。徐々に共感が広がったことが証明していると胸を張れる。
最終年度、1学期末に学校教育自己診断を実施したが、ある保護者の自由記述の中で「校長はわかりやすい行動で、逃げずに生徒に向き合っている。小さなことをコツコツとやっている」とあった。また多くの方から、「もう少し早く着任してくれていたら・・・・・・」の身に余るお言葉を頂戴した。有り難いことである。
私の教育目標「挨拶の飛び交う 秩序ある元気な学校」に一歩でも近づきたいと全力を傾注したが、なかなか思うようにはいかなかった。だが、諦めることなく粘り強く指導に努めたことを、だめなことはだめと言い続けたことを、生徒諸君はきっと覚えていてくれるだろう。そう信じたい。
30年先、40年先、或いはもっと先で、人生に余裕ができ高校生活を振り返ったとき、愚直に「飽くこと無く 可能性を求めて」信念を貫いた校長がいたことを、一人でも思い出してくれたなら、教師冥利に尽きるというものだ。
西浦高校は、平成23年3月31日をもって閉校となったが、1万1千8百有余の卒業生をはじめ、西浦に係わったすべての人たちが、西浦のことを子々孫々まで語り継いでくれることだろう。もちろん、私もその一人になる。
平成23年3月31日をもって退職した。早いもので11年半が経過した。
教職を終えるにあたってその記念に、最後の3年間について記した一文である。記憶も薄らいでいる部分もあるのだが、読み直すと昨日のことのように思い出される。38年の教師生活だったが、教諭としても、管理職としても、思う存分全力で走った38年だった。出会った周りの人たちに恵まれ、助けられ、幸せな38年であった。
大阪府立西浦高等学校は、平成23年3月31日をもって閉校となったが、私が着任した直後にリニューアルした同校のホームページは現在も残っており、見ることが出来る。興味がおありなら、一度覗いていただきたい。最後の卒業式や閉校式の模様も動画で見る事が可能だったが、それは4~5年前から出来なくなった。それが少し残念だ。
着任挨拶(平成20年4月1日)
みなさん、こんにちは。本日、着任しました谷口です。よろしくお願いいたします。若い頃、藤井寺工業に長く務めた経験があります。この度、南河内に戻り、久しぶりに故郷に帰ってきたような懐かしい感じがしています。昨日まで勝山高校に務めておりました。本校も多様な生徒が通学する中、みなさんは協力して対応していただいていると岡田前校長から伺っております。
少し自己紹介させていただきます。教科は保健体育で、運動生理学や体力トレーニング論を専攻しました。競技の方の専門は陸上競技の長距離です。マラソンのトレーニングを通して健康や体力を培い、「努力することの大切さ」を学びました。「意志あるところに道は拓ける」「努力に勝る天才なし」といった言葉が、私は好きです。誰しもが夢や目標の実現に向けて、努力することが大事であると考えます。これまでも自分自身そのように心がけると共に、生徒たちにも求めてきました。本校の生徒たちにも、夢や目標をしっかり定め、その実現に向けて努力することを、講話などを通して繰り返し求めたいと思います。
本校の置かれた状況は決して明るいものではありません。しかしながら、こういうときだからこそ余計に、明るく元気を出すことが大切であると考えます。我々の仕事のひとつは生徒に夢を語り、夢を与えることだと、私は思っています。我々が意欲をなくしたり、前向きに取り組むことを止めるならば、それが生徒や保護者に反映しかねません。我々が努力する姿勢を保ち続けるとき、自信をもって夢やロマンを語ってやることができるでしょう。
どのような生徒にも必ずいいところがあります。我々はそれを掘り起こしほめ励ます中で、生徒の意欲を喚起する。そして、ほめ励ますだけに終わらず、誤った行動やルール違反については、毅然と注意し改善を求めることも大切なのではないでしょうか。規律指導の苦手な人も臆することなく、逃げることなく全員が一致して「ダメなことはダメ」と言い切ることが重要だと考えます。
着任したばかりで、本校のことはほとんどわかっていません。早く実情を把握し、今年度の重点目標等を示したいと思います。
微力ではありますが、本校のために尽力します。ご協力をお願いして、着任の挨拶といたします。
本日(平成23年3月30日)午後、職員会議を招集した。西浦高校33年の、最後の職員会議となった。昨日、今日と、何かと慌ただしく過ごした。そのような中、午前中に挨拶回りを終えた。この33年間、数え切れない多くの方からのご支援を賜った。この場をお借りして、御礼を申し上げたい。
私の話
いよいよ今日、明日の2日間となり、今回が本校最後の職員会議になりました。
さまざまな思いが巡ります。みなさんも、おそらく同様の思いでしょう。本校での勤務年数には長短がありますが、「西浦」のためにご尽力いただいたことには変わりありません。本当にご苦労様でした。
今年度の総括については、各分掌からあがってきたものをもとに「学校評価報告」という形でまとめ、すでにホームページにも掲載しています。本日この場では、細々したことを申し上げるつもりはありません。簡潔に私の思いをお話しします。
とにかく、しっかりと覚悟を決めて、生徒たちの思いへの理解に努めながらもけっして妥協することなく、保護者の支援も仰ぎながら一致して粘り強く取り組んだことについては、一定の成果が上がりました。一方、準備不足や取り組みに甘さが見られたことについては、それなりの結果しか出なかったと私は思っています。何が前者で、どのことが後者に当てはまるのかは、みなさん一人ひとりがよくおわかりだと思います。
退職される方を除き、4月1日から新しいところへ赴任されるわけですが、これまでの経験を、特にうまくいかなかったときのことを反省し、ぜひ次に生かしていただきたいと願います。
私は本校で3年間勤めたわけですが、これといって何もできなかったばかりか、我が儘を通すばかりで、みなさんには申し訳なかったとの気持ちで一杯です。3月31日で定年退職となりますが、教員生活38年の最後の3年間、西浦高校でみなさんと一緒に勤められたことをうれしく思います。
最後に、みなさんには健康にご留意願いますと共に、ますますのご発展とご活躍を祈念申し上げ、私からの最後の話しとさせていただきます。
エジプトの古代文明は、あの巨大なピラミッドをはじめ、さまざまなモニュメントをつくり出しました。
・ピラミッドがなぜつくられたのか?
・何の目的でつくられたのか?
ということは、昔から王家の墓であるという説を中心に諸説あるわけですが、私はこう考えるのです。ナイル川の周辺の砂漠地帯には山がありません。そうしたところに人工の山をつくろうとしたのです。人々は人工的につくられた高い山を仰ぎ見ることによって精神を高揚させようとしたのです。人々はピラミッドを仰ぎ見ることで、人間を超越したもの、天をイメージし、崇拝の気持ちをもち、精神を高めようとしたと考えられます。そうした宗教的な意味合いがあるのだと思われます。
人間には、「山をつくりたい。高い塔をつくりたい」という潜在的な欲求があります。これは、世界を見渡してみると、非常に多くの塔がつくられていることと関係しています。
「塔とは何か」ということですが、山がないところに塔がつくられることが多いのです。パリのエッフェル塔もそうです。砂漠地帯にも塔が多くつくられています。この砂漠地帯、イスラム文化圏につくられたモスクをはじめとするイスラム建築を思い浮かべてみてください。いずれも高い塔をもっています。山や塔は高いところにありますが、それは天に近いということでもあります。神に近いといいかえてもいいでしょう。そういう人間の精神性、宗教心が、文明をつくる原動力になっているのです。エジプトのピラミッドには、まさにそうした意味があるのです。
そうした目で見ていくと、古代文明によってつくられた、さまざまなモニュメントが、実は、人工的につくり出された自然であるということに気が付きます。たとえば、ギリシアのパルテノン神殿には柱廊があります。石でつくった柱があるのです。石でつくるならば、壁をつくればいいのですが、そこに何本もの柱をつくっているのです。それは、樹木をつくり出したいという欲求がそうさせているのです。 もともと人間の住居は樹木でつくるということが基本だったわけで、このパルテノンの柱廊もそうした人間の欲求の表れです。
このように、自然というものが、常に人間の基本になっているということを知っておかなければなりません。樹木そのものが豊富にある日本では、当然樹木そのもので柱をつくればいいわけです。特に、縄文文明は、樹木そのものを活用することで成り立っています。ピラミッドのような人工的な山をつくったエジプトと、どこにでも山がある日本は対照的です。しかし、ピラミッドと日本の山では、人工と自然の違いはあっても、それに信仰が宿されているということにおいて、両者は共通しているのです。エジプトの人は、ピラミッドを通して神の世界を見ているのです。一方、日本人は富士山のような山に、神性を感じているのです。
ピラミッドが世界の四大文明の一つの代表的なモニュメントだと考えると、それを日本の富士山との関連で見ることができるのです。富士山は、高い山だというだけではなくて、霊峰富士として崇められる信仰の対象でもあるわけです。拙著『日本の文化 本当は何がすごいのか』では、エッフェル塔が富士山の代替だった。ということを語ったわけですが、まさにそれがピラミッドにも通じるわけです。
高い塔や、大きなモニュメントのようなものは、基本的には、山がないところ、砂漠や川の流域などの平地でつくられるのです。カンボジアのアンコール・ワットやジャワ島(インドネシア)のボロブドゥール遺跡なども、そうした例だといえます。人間は、山=高いものをつくる、という一つの法則といってもいいでしょう。
世界各地に残されている文化的建造物が作られた動機として、そうした人間の欲求、宗教的感性が働いていたということを押さえておきたいと思います。
田中英道(東北大学名誉教授)
ピラミッドが造られたその謎については、「王が自らの権力を示すためにつくった」「労働者の食糧庫としてつくられた」「王の墓として建造された」など、諸説がある。田中氏は、これらの説は全て間違っていると言われる。
「美徳」は他者との関係性の中でしか磨かれないから、自分から積極的に働きかけるしかない。自分以外のために出来ることはいくらでもあるし、人の役に立てることはどこにでもある。自己中心で独り善がり、頑固で我を張り続けることは、無駄なことだ。自分のためだけに生きることはやめたい。他者の役に立てるなら力の出し惜しみをせず、多少の無理はしたいものだ。
平成18年12月、「教育の憲法」ともいわれる「教育基本法」が、59年ぶりに改正され、翌6月には、「学校教育行政法」「教育免許及び教育公務員特例法」も改正された。
これらの歴史的偉業をなしとげた安倍政権は、官僚とマスコミによるネガティブ・キャンペーンによって、志なかばにして倒れたが、じつはその後も、その新しい「教育基本法」をもととする教育関連の「法規」の改正はつづけられている。「教科書検定基準」、あるいは学校教育の「内容」を具体的に定める「学校指導要領」などが、それである。
平成20年3月には小学校・中学校の、平成21年3月には高等学校の、新しい「学習指導要領」が、それぞれ告示され、それらをもって新しい「教育基本法」にもとづく一連の法改正は、一応の完成をみたといってよい。小・中学校の新しい「学習指導要領」は、以前のものと比べると、格段によい内容になっている。たとえば、国歌の指導について、小学校の「音楽」ではこれまでは「いずれの学年においても指導すること」だったのが、「いずれの学年においても 歌えるように指導すること」に変わった。「歌えるよう」の一言が入ったことの意義は大きい。これからは、小学生たちが、国歌を「歌えるよう指導」しない教師や学校は、あきらかに「法規違反」となる。
平成21年3月に告示された「教科書検定基準」でも(残念ながら教科書検定の宿痾ともいうべき「近隣諸国条項」は残ったものの・・・)、全体としては新しい「教育基本法」の第2条をかかげるなど、改善がすすんでいる。さらに、ほとんど報道されなかったが、高等学校の新しい「学習指導要領」にも、新しい「教育基本法」をふまえた、よい文言が増えている。
ここでは、そこに新たに加えられた文言を、いくつか列記しておこう。
「伝統と文化を尊重し、 それらを育んで我が郷土を愛し、 個性豊かな文化の創造をはかる」(総則)
「伝統的な言語文化についての課題を設定し、様々な資料を読んで探求し、 我が国の伝統と文化について理解を深める」(国語)
「近現代史の指導にあたっては、・・・客観的かつ公正な史料に基づいて、 歴史の事実に関する理解を得させるようにする」(世界史A)
「祖先が地域社会の向上と文化の創造や 発展に寄与したことを具体的に理解させ、それらを尊重する態度を育てる」(日本史B)
「天皇の地位と役割、議会制民主主義と権力分立など、日本国憲法に定める政治の在り方について国民生活とのかかわりから認識を深めさせる」(現代社会)
「古来の日本人の考え方や 代表的な先哲の思想を手がかりにして、自己の課題として学習させる」(倫理)
「政治及び宗教に関する教育を行うものとする」(政治経済)
「家庭や地域社会及び社会の一員としての 自覚をもって、共に支え合って生活することの重要性について認識させる」(総合家庭)
皇學館大学教授 松浦光修
「教育基本法」の改正、関連諸法規法令の改正は、安倍元首相の偉大な功績である。ただ、それは功績のほんの一部であり、明治維新以来、歴代内閣で最も多くの偉業を治められた首相であったのだ。そのことを全国民は認識しなければならない。真実をきちんと伝えないマスメディアには、怒りを覚える。騙されている人々があまりにも多い。
安倍晋三内閣の功績
第一次
<教育基本法の改正と国旗国歌法の制定>
<北朝鮮に対し国連の対北制裁決議を促し、日本個別としても厳しい経済制裁措置を実施>
<防衛庁を防衛省へと昇格>
<韓国からの無茶振りに明確にNOを示す>
第二次
<アベノミクスの推進>
<オリンピック招致>
<日米外交の推進>
<インド太平洋構想の発案>
<国家安全保障会議(NSC)の設立>
<防衛装備移転三原則>
<共謀罪法案の制定>
<特定秘密保護法の制定>
<平和安全法制の制定>
(谷口利広)
人間の心には、いつも煩悩が先行しているのではないだろうか。目先の私欲に振り回されるドロドロとした心ではなく、自らの欲望を抑えたサラサラとした清々しい心になれるようにしたい。
歳を重ねるごとに精神的にも成長を遂げることは易くはないが、そのように努めたい。そして、一生を終える頃には、欲に心が支配されない悟りの境地に近づきたい。
あの世には、地位も・名誉も・財産も持って行けない。持って行けるのは自分の心だけである。いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題であるが、悟りをめざす心を持ちたい。悟りをめざす心をあの世へのおみやげとして持って行くことができたならば、あの世でも迷うことはないと信じる。
教師に求められることは、生徒のさまざまな思いや考えから学ぶことであり、それによって自らを変革していくことではないだろうか。日々の授業実践から学ぶことができてはじめて、教師自身自らを変革できる。授業をこなすだけでは、教職経験をいくら積んでも一年目の授業を繰り返しているのに過ぎないのである。
授業技術を磨くということは、一人ひとりの子どもの思いや考えを引き出し、それをもとに生徒が学ぶこと自体を学ぶ、そのことを可能にする授業を創る技術である。
専門職である教師として、教師は学び続けることが求められる。それは、自分自身が変ることによって生徒が変ることにほかならない。スタートは、自らの授業実践における問題・関心にある。それも印象ではなく、具体的な生徒の事実に基づいた問題の設定である。この問題を解決する過程において、自らが新しい指導方法を創りだしたり自らの教育観を問い直してみることが求められる。そこには他の教師との対話も欠くことはできない。それを支えているのが「自らの実践を書く」ということである。その報告には、授業者自身の工夫、つまり実践的知識や信念、価値観が含まれていなければならない。単なる実践報告とは異なるのである。さらに、創りだされた指導法や教育観を問い直すことで、創られた授業の実践をし評価する。そのためには、授業技術を磨くことに加えて、調査法やインタビューなどの研究方法も身につけなければならない。自らの実践をこのように研究していくことが、学び続ける教師であることにほかならない。
教育現場での実質的な課題解決方法は、教師と生徒がお互い授業を通じて妥協せずに、質の高い指導、密度の高い学習活動を展開することに尽きる。教師は、生徒の学習活動の不振を生徒の責任のみに転化しないで、自らの指導方法・技能や熱意の問題として反省し、あるいは、支援の仕方の不十分さを直視し、研修して改善策を練る手立てを講じたい。生徒に対しても、教師に質の高い教授内容や方法を求めるからには、学習活動に真剣に打ち込むという自らの責任を果たすよう指導したい。教師の対応が、正直であり真剣であれば、生徒は敏感に反応し、指導に素直に従い、積極的で意欲のある学習活動を展開すると信じる。教師が学習活動にかかわる情報を共有し、共通の課題として共に指導法を学習し研修しあう場を校内に設ける必要がある。しっかりとした指導体制の確立を図ることが求められる。
学校で育めるのは夢や理想であり、それを実現するためのエネルギーを蓄えさせることである。個々の生徒に具体的な生き方の方向性を把握させ、たとえ本人にとって次善の策であろうとも、その実現に向けて一歩でも近づける努力をさせることである。それには、教師が生徒の実態に応じた具体的で継続的な適応指導を徹底することである。
覚えさせて、それを吐き出させる教育ではなく、一を聞いて十を知り、自立して自分なりに尽きない知恵を湧き出させる頭の働きを仕込むようもっていくことが大事である。生徒には、志を高くもち、その裏づけとなる基礎固めをしっかりと行い、あらゆる可能性に挑戦できる強靭な精神力と実践力、よりよい社会を築こうとする献身的精神を養うことを求めたい。
教師は新卒以来、教室という個室の中で社会や他人の目に晒されることがない特別な職務環境を常態としている。それはいつの間にか、相手に変ることばかりを求めることに陥りやすい。自分自身を変えることに鈍くなるという教職の特殊性について、自覚を促す必要があるのではないか。学校として、一貫性のある生徒指導体制の確立は、教師が互いに学びあうこと、自らを変えていくことから始まるものだから。教師自らが混沌の時代を生き抜く先見性とバイタリティーを身につけ、生徒に希望と勇気を与える必要がある。
校長論として「責任をとる」姿勢に徹することも校長の在り方として成り立ち得るが、激しい社会変化の中にある今日、リーダーとしての校長に求められるのは、「責任を果たす」姿勢である。
校長のリーダーシップは、自らの抱く教育理念を闇雲に実現しようと教職員に押し付けることとは別のものである。また、教育委員会などのいうことを鵜呑みにして、ただこれを伝達・実施しようとしたり、同様に保護者・住民の要求を次々と実現しようとしたり、あるいは一部教職員の雄弁の前に安易に屈服したりすることとも別のものだ。自らの教育理念が妥当性をもち、通用するものであるかどうかについて点検するといった謙虚さが求められることは当然である。
教職員に対して、必要に応じて服務規律の厳正化を求めたり、管理に神経を砕くことも求められるが、一方で共に教育を語り、授業や生徒指導を論じ、喜びや悲しみも共にする同僚同士であることを忘れてはならない。批判的であったり、斜めに構えている人をしっかり観察して、その能力や優れている面を発見し活かすことも求められる。人間的魅力や教師としての力量を高めることによって職員が自ずから従ってくるようにする。
教職員を生かすには、何よりも一人ひとりに接する機会、話し合う機会を多く持ち、その人の職務上の問題を一緒に考えることが大切である。一人ひとりと話し合うときには、なるべく議論を避け聞き手にまわり、「聞き上手」に徹したい。
職員の創意・工夫や努力に対しては、心からほめ励ますことを心がける。さらに、ほめ叱る際の時・場所・方法を考え「自分を認めてほしい」という一人ひとりの欲求に応える姿勢が必要である。
食い違いや微妙な感情のずれなどが生じた場合は、自分から出向いて、その修復・改善に努めなければならない。ときにはそうしたくないという思いにとらわれ避けたくなることもあるかもしれないが、そこを耐えて内省する心のゆとりと広さを持たねばならない。そのようにできることがトータルプランナーとしての、校長の大切な資質・力量である。
「何か新しい前進を」という積極的な姿勢から、新たな夢やロマンも生まれてくる。 前向きの働きかけには、必ず多くの人が応えるし応援をしてくれる。新しさゆえの困難や苦労も生まれてくるが、それを乗り越える楽しさもまた大きな喜びと知るべきだ。
個々の教師をまとめ、望ましい指導体制を築く上で大切なのは、校長の内外に対する現状認識力、先見性、企画力、それに強力なリーダーシップである。伝統となっている教育方針や指導理念を踏襲しながらも、改善点が生じたら抜本的な改革のメスを入れなければならない。さらに、時代の変化、生徒の実態や教師の指導体制の変化にも臨機応変に柔軟な対応することが求められる。
高校の校長としては、中学校に向け、積極的に自校の経営方針や教育実践の内容を説明することの意義は大きい。その際、校長自らも説明することが重要である。校長の声で情熱をこめて中学生たちにメッセージを送ることの教育効果は計り知れない。高校生活に対する期待が大きく膨らむに違いない。
現役の頃の資料を整理していると、「私の教育論」というのが出てきた。15年位前に書いたものだ。
式場の写真は、校長として赴任していた高校の最後の卒業式・閉校式のものだ。整然とした式場設営は、当然の務めである。その高校に3年間勤めたが、私が着任する前の夏に「統廃合」の対象となり、次の年度から3年間で閉じることが決まっていた。いわゆる困難校であった。地域と保護者の支援、何より教職員の力の結集により立て直し、周りから「見事だった」という式で終えることが出来た。校長の覚悟と責任で「立て直した」の自負がある。
「教育論」など、三生連のホームページに似合わないが、会員の子弟にも教育に係わる方が居られるならば何かの参考になるだろうの思いである。
40歳を超えて登山を始めた。家族で富士山に登頂したのが始まりだった。
以後17年間、国内の高山を北海道から屋久島まで、ほとんど登り尽くした。近郊の低山もである。その合間には海外まで脚を伸ばし、キリマンジャロ(タンザニア)、マッターホルン(スイス)、モンブラン(仏)などにも登頂した。
ご存知だと思うが、高山から眺める空の色は蒼い。とにかく美しい。眺めた空の青さの一つひとつが眼に焼き付けられ、心に刻まれている。経験した中でどれが一番かと聞かれると、答えに窮する。いや、それは嘘だ。本当は「ベスト3」は、すぐに答えられる。
が、それは別の機会にする。登山ばかりでなく、マラソンやトライアスロンなど、さまざまな経験が出来た。丈夫に産み育ててくれた両親はもとより、これまで出会ったすべての人々に感謝している。
ところで、高山や飛行機から見た空が濃い青色に見えるのはなぜだろうか。これは高層になるにつれて大気中の水滴や塵などが少なくなるため、空気分子が太陽光を散乱させる青を水滴や塵に邪魔されずにより多く目で見る事ができるためだと言われる。
反対に夕焼けが赤くなって青が少ないのは、太陽が低い位置になるので、光は横から大気圏を突き抜けてやってくる。このときも青い光が多く散乱されるのだが、大気の中を通る距離が長いので昼間よりも散乱が多くなり、また距離が長いので青色の色は届きにくなって、散乱されにくい赤い光が目に入ってくるからとのことだ。
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11月に、防衛省(海上自衛隊)では「国際観艦式」を行う。今回は自衛隊創設70周年という意味合いがある。
防衛省は、2月に米国を始め諸外国に招待状を送った。その中に、中国と韓国が入っている。ロシアには、この時点でウクライナへの侵略が生起しており招待を見送った。
ご存知の通り、韓国とは自衛隊機に対する「レーザー照射」問題がある。謝罪が未だに無く、解決に至っていない。日章旗に対するクレームの問題もある。こちらも、もちろん難癖である。
中国は、8月にペロシ米国議会議長の訪台の直後、日本の排他的経済水域内に5発のミサイルを撃ち込んだ。この事についての謝罪は未だに無い。この際の、「親中」「媚中」と揶揄される岸田首相や林 外相の弱腰の対応には、呆れ果てた。
このような状況の中で「国際観艦式」に両国を招待するというのは、日本国民の感情を逆なでするものだ。2月とは状況が明らかに変わっている。到底容認できる事ではない。防衛省や外務省は、「このような時期だからこそ」との考えのようだが、両省は『抑止力』を考え違いしている。毅然とした対応こそが、一番の『抑止力』となるのである。
政府は中韓両国に期限を切って再度謝罪を求め、中韓が善処しない場合は、「招待」を取り消すべきである。当然の事だろう。弱腰外交は駄目だ。「東京裁判」に基づく自虐史観を捨て去らなければならない。そうでなければ、いつまで経っても真に世界から敬愛される国にはなれない。
私は、28年間ロシアに滞在していたのですが、日本は、清潔で、自然がきれいです。夏は暑すぎる感じもしますが、日本の秋は最高ですね。モスクワは11月頃になると、ほとんど晴れの日がありません。日に当たらないと、白人の顔色も土色になり、病気の人が激増します。その点、日本は、雨の日と晴れの日が適度にあって、すばらしい。
日本人は、概して穏やかで、誠実で、勤勉です。心優しい日本人に囲まれて、日本に住めるのは実に幸せです。日本に戻って3年。日本は元々いい国ですが、「さらに良くなっている」と思います。皆さんの中には、「いや、どんどん悪くなっている!」と思っている人もいるでしょう。何がよくなっているか、例を挙げてみましょう。
激増した公立小中学校のエアコン設置率
たとえば、公立小中学校のエアコン問題。2017年のエアコン設置率は、49.8%でした。2018年の夏は暑く、熱中症でたくさんの人が亡くなりました。そして、
「日本の小中学校には、エアコンが設置されていない!」という報道が、外国でもされたのです。私もこのことに驚き、外国人の知人友人も仰天していました。
「日本は、ハイテク先進国で猛暑の国。なぜ学校にエアコンがないのだ????」と。質問攻めにあった私は、「そうだよね~」と同意するしかありませんでした。ところが、2020年の設置率、【 92.7% 】まで上がりました。
4年前、エアコンがある公立小中学校は半分以下だった。それが今は、ほとんどすべての学校にエアコンがある。それに要した時間は、たった3年です。
働き方改革の成果
私が帰国した頃(2018年秋)、日本は「働き方改革」の話で盛り上がっていました。2019年4月に施行された「働き方改革関連法」の内容は、正直イマイチです。しかし、政府が「働き方改革!働き方改革!」と大騒ぎしたことで、明らかにムードが変わりました。
日本人は「勤勉」で有名ですが、外国から見ると「労働時間が不当に長すぎる」ことでも知られています。2019年4月から、TBSで「わたし、定時で帰ります」というドラマが放送されました。つまり「日本で『定時で帰ること』は特殊なことで、ドラマのテーマにすらなる」と。このドラマの後、「働き方改革」が進み、皆さんの働き方も楽になったでしょうか?
時々、モスクワ時代の友人と会うことがあります。待ち合わせをするときは「6時45分に駅で」といった感じ。以前は、こんな早い時間に会うことは難しかったですが、今は大丈夫になりました。働き方改革で、お父さん、お母さんが早く家に帰ってくる。これで、子供たちの幸せ度も増しますね。
テレワークの普及
新型コロナは、悪いことばかりです。しかし、一つ「よかったこと」もあります。「テレワーク」が普及したこと。業種にもよりますが、「自宅でパソコンで仕事できる」人はかなりいるはずです。そういう人たちが、往復2時間かけて出社するのは、非効率でしょう。週10時間、1か月40時間、年間480時間、通勤に費やしている。480時間は労働時間8時間で割ると、60になる。つまり、1年の通勤時間は、労働時間60日分に匹敵するのです。実にもったいないですね。だから、できる人はテレワークにした方がいいでしょう。
ですが、今までは、「惰性」で出社してきた。ところがコロナでテレワークが「推奨」されるようになった。その結果、テレワークが激増しました。総務省6月18日の発表には、こうあります。<企業におけるテレワークの導入が急速に進み、在宅勤務を中心に導入する企業の割合は、前年比で倍以上の47.5%に達した>
自由民主主義が進歩の原動力
これ↑、「リアリスト北野らしくない」と思われる方も多いでしょう。しかし、独裁国家と民主主義国家を比較すると、このことが真実だと理解できます。どういうことでしょうか? たとえばエアコン設置率の急増。これは、2018年に小学生が熱中症で亡くなったことが原因になっています。大騒ぎになり、問題がクローズアップされた。たとえば、働き方改革。これは、電通社員の過労死事件などが注目されたことで進展しました。もちろん「犠牲者が出る前にやるべきだった」
という思いはあります。しかし、最悪なのは、「犠牲者がでても何も変わらないこと」でしょう。
日本は、少なくとも「犠牲者がでれば変わる」のです。いえ、犠牲者がでて、野党とマスコミが大騒ぎすることで変わるのです。だから、野党やマスコミの役割は重要。そして、日本は、独裁国家に比べると、野党、マスコミがしっかり役割を果たしている。では、独裁国家では、どうなのでしょうか? 独裁国家には、そもそも野党がない。いても、事実上独裁者に逆らえない。マスコミは、独裁者に都合の悪い報道をしない。報道されないから、大騒ぎにならない。大騒ぎにならないから、「変えよう」という動きが起こってこないのです。あるいは起こってきても、弾圧され、つぶされます。
だから、私たちは、「自由と民主主義が進歩の原動力」であることを自覚して、この体制を守っていくべきなのです。ちなみに、自由も民主主義も、一瞬で消え去ることがありえます。当たり前に存在しているものではありません。香港を見てください。香港は2019年、100万人デモ、200万人デモをする自由がありました。しかし2020年には、「香港国家安全維持法」が成立し、デモをすることは禁止され、習近平や共産党の批判をすると逮捕されるようになりました。そう、香港の自由、民主主義は一年で消えたのです。
もし中国が台湾を併合すれば、台湾から自由と民主主義はなくなるでしょう。反日教育が開始され、世界一の親日国家台湾は、反日台湾省になるでしょう。そう、自由と民主主義は、「普通にあるもの」ではなく、「守らなければ消えてしまうもの」なのです。私たちは、日本を守りたいし、日本にある自由と民主主義も守りたいと思います。
北野幸伯(国際関係アナリスト)
「卒業生の半分は外交官、半分はKGBに」と言われたエリート大学:ロシア外務省付属モスクワ国際関係大学を日本人として初めて卒業。その後、カルムイキヤ共和国の大統領顧問に就任。大国を動かす支配者層の目線から世界の大局を読むことで、数々の予測を的中。自身のメルマガは、ロシアに進出するほとんどの日系大手企業、金融機関、政府機関のエリート層から支持されている。
日本にずっと住んでいる私たちは、「日本の良さ」になかなか気づかない。外国から日本を訪れた方は、「日本の良さ」に「日本人の民度の高さ」に一様に驚く。北野氏のように外国に長く滞在された方からも、同様の感想が述べられる。
一方、日本が諸外国に学ばなければならないことも少なくない。「井の中の蛙になる」ことなく、常に謙虚な姿勢で世界を注視する、そして学ぼうとすることが求められている。(谷口利広)
異論を唱える者は
いつの間にか、SDGs(エスディージーズ)という言葉が世の中に溢れている。近隣の町では町長の考えであろう、職員がSDGsに浸かり切っているのではと思われるような雰囲気がある。町の広報紙を始め、会議資料や各種掲示物、ありとあらゆる場面でSDGsという言葉やロゴが目に付く。
SDGsは、そんなに大事なことなのだろうか。私の眼には、異常としか映らない。恐らく、役所や付随する諸機関には、異論を唱える者を容認するような雰囲気は無いのだろう。異論を唱えるならば、白眼視されるのか。素直でない私などは、つい「他にも注力すべき事があるだろうに」と思ってしまうのだ。また世の中の新聞広告などでも同様である。企業は熟慮せずに「乗り遅れてはならぬ」の浅はかな考えに陥っていないか。このような国内の状況を、憂慮する者は少ないのだろうか。このSDGsについて考えてみたい。
問題点や矛盾点
先ず、SDGsの問題点や矛盾点について触れる。1つ目は、 SDGsが人々の免罪符になりつつあることだ。私は、地球温暖化については疑義を抱く立場だ。夏の最高気温は確かに、子どもの時と比べて4~5度高い。だが、年間の平均気温は、100年前と比べて0.4度しか上がっていないという統計もある。
一般に、温暖化対策として行っている取り組みは多岐にわたる。例えば、エコバッグやマイボトルの持ち運び、プラスチックのストローを使用しないなどだ。これらの取り組みは環境破壊や温暖化に配慮したものと言えるが、その行動の背後には大きな危険性がある。それは、これらの取り組みだけで環境を守る対策ができていると勘違いしてしまうことだ。本当に必要とされているもっと大きなアクションを起こすことが求められるが、これらの取り組みは阻害要因になりはしないか。
2つ目は、 SDGsだけでは気候変動は止まらないということである。そもそも経済成長と二酸化炭素の削減は、現在求められているペースでは両立し得ないことが明らかだ。無限の経済成長を追い求める資本主義というシステム自体にブレーキをかけない限り、環境破壊や気候変動を止めることは難しい。つまり、資本主義という根本原因をそのままにして解決することは難しいのである。私は資本主義を否定しているわけでは無い。
SDGsは怪しくないか
SDGsは怪しいと思ってしまうが、それはなぜか2つの視点から述べる。
1つ目は、目標に対して胡散臭いと感じてしまうことだ。SDGsの目標は、「すべて」や「ゼロ」といった極端な表現が多く見られる。定めている目標に現実味がない。SDGsは綺麗事であると捉えてしまう要因の1つとなっている。
2つ目は、「持続可能な社会」の定義が抽象的であることだ。「より良い社会を築くために持続可能な社会をつくる」などと言われているが、この表現はあまりにも抽象的過ぎる。そう思うのは、私だけではないだろう。
「よりよい未来をつくるために」と、政府やマスコミも手放しで礼賛する17の達成目標は、どれも立派だ。だが、その一つひとつを検証していくと、欺瞞と矛盾に満ちていることが分かる。人々の『よいことをしたい』という善意につけ込んで騙しているとも言える。「SDGs」という考え方が実は多くの矛盾を抱えていて、それを無理に実現したところで「理想的な未来」などやって来ないのだ。SDGsがかなり胡散臭いということは、実はこの言葉自体によく表れている。このあたりを、推進している側の人たちは、深く理解しているのだろうか。甚だ疑問である。
SDGsとはご存知のとおり、「Sustainable Development Goals」の略で、日本語では「持続可能な開発目標」と訳されていることが多い。ただ冷静に考えてみると、かなり「ちんぷんかんぷん」な変な言葉だ。「SustainableとDevelopment」というなんとなく知的なイメージがある単語2つを、Goalsにくっつけているので表面的に納得する人もいるのだろうが、これは言葉としては完全に破綻している。
キャッチフレーズの成り立ちに潜む「矛盾」
誰も反対できない17のお題目に潜む「矛盾」
「持続可能」であるということは、そこで「開発」は止まるのが普通だ。その逆に「開発」を続けている限りは、「持続可能」という状態にはならない。「持続可能」でありながら「開発」をずっと続けていくことはあり得ないと思うが……。
水と油のように相反する言葉を繋ぎ合わせ、あり得ない状態をさらりと言ってのける。そして、それを達成する目標まで掲げているというのがSDGsだ。矛盾しているどころか、支離滅裂な話だ。SDGsに好意的な人ならば、「Developmentの結果、Sustainable Goalsに到達して、そこでDevelopmentは終了する」という解釈になるのかもしれない。確かに、それならば理解できないこともないが、本当にそんなことが実現可能なのか疑問は拭えない。
意味としてまともなのは、「Sustainable Goal」、もしくは、「Unsustainable Development」のどちらかである。
グローバル・キャピタリズム(国境のない資本主義)と言える「現代資本主義」は基本的に後者で、これは長期的にみればいずれ破綻を免れない。だから意味が通じなくてもとにかくそれらしい言葉をくっつけて、SDGsという一見スマートなフレーズを造語したのではないか。いずれにしても、このSDGsという言葉は矛盾だらけの支離滅裂な言葉である。この怪しい響きというものが一握りの人間の懐を肥やすばかりで、ほとんどの人を不幸にするSDGsの「嘘」の本質を表していると言えば言い過ぎだろうか。「名は体を表す」のである。
誰も反対できない17のお題目
SDGsというものの、どのあたりに矛盾が潜んでいるのかを具体に指摘する。現在、世間に広まっているSDGsは、17の目標と169のターゲットを掲げている。17の目標は、次のとおりである。
1.貧困をなくそう
2.飢餓をゼロに
3.すべての人に健康と福祉を
4.質の高い教育をみんなに
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に
7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに
8.働きがいも経済成長も
9.産業と技術革新の基盤をつくろう
10.人や国の不平等をなくそう
11.住み続けられるまちづくりを
12.つくる責任 つかう責任
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさも守ろう
16.平和と公正をすべての人に
17.パートナーシップで目標を達成しよう
どの目標も美辞麗句ばかりだ。一つひとつに異論を挟む余地など無い。ただ、多くの人が反対できないという目標だから、それが「正しい」とは限らない。実際、ここに掲げられている目標の多くは、達成することがかなり難しい「絵に描いた餅」である。
先ず、「5.ジェンダー平等を実現しよう」「10.人や国の不平等をなくそう」「12.つくる責任 つかう責任」「16.平和と公正をすべての人に」「17.パートナーシップで目標を達成しよう」という5つの目標は、人や社会の「意識」の話だから、国際社会と国が啓発をして国民の意識を変えることでどうにかなるかもしれない。だが、世界中の人々の意識をそこまで劇的に変えられるとは、とても思えない。
次に「3.すべての人に健康と福祉を」「4.質の高い教育をみんなに」「8.働きがいも経済成長も」「9.産業と技術革新の基盤をつくろう」「11.住み続けられるまちづくりを」という5つの目標は、インフラ整備や経済振興の話なので、投資をするお金があればできないこともない。ただ、国によって経済力には大きな差があり、これを世界中で展開するというのは現実には無理である。
胡散臭い「7つの目標」
これらの10の目標よりも実現が難しく看板倒れになると思われるのが、残りの7つの目標である。「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」というエネルギー、食料、水、生物多様性に関する目標は、驚くほど矛盾だらけだ。
例えば、「エネルギーをみんなに」というのは、もちろんお題目としては結構だ。それを「クリーン」にするというのは、SDGsの文脈では化石燃料を燃やさないということになる。だから、エネルギーの価格はどんどん値上がりする。そうなると、開発途上国の人たちや貧しい人たちはエネルギーを買えない。「クリーンに」という目標は達成できても、「エネルギーをみんなに」は達成できないし、「貧困をなくそう」という目標とも大きく矛盾する。
「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」という目標はきわめて美しいが、実現するためにはどうすればいいのかという深い話はほとんど語られていない。また、「海の豊かさを守ろう」も現実的ではない。漁業は程々にという話にだろうが、現実には世界の漁獲高はすさまじい勢いで増大している。現状が続くとすると、あるときにまったく水産資源がとれないという事態が起きる恐れもある。が、今はそれを止めるルールもない。しかも、規制して漁獲量を減らすと「飢餓をゼロに」とか、「貧困をなくそう」という目標は達成できない。理想的な話であっても、それがまったく実現できないおとぎ話ならば、それは「嘘」と変わらない。SDGsは嘘だという理由はここにある。
「人口を減らそう」という目標の欠落
それに加えて、このSDGsに疑問を感じるのは、17もの目標を並べていながら、地球の持続可能性を考えるうえで欠かすことのできない目標が含まれていないことだ。それは人口問題である。その解決策にまったく言及していない。
世界の人口は20世紀初めには約16億5000万人だったが、現在は79億人まで膨れ上がっている。長期的には減少に転じると予測されるが、発展途上国も多いので、しばらくはこのまま増え続けるだろう。
人口増加を抑えないで、SDGsが掲げる「1.貧困をなくそう」「2.飢餓をゼロに」「6.安全な水とトイレを世界中に」「7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに」「13.気候変動に具体的な対策を」「14.海の豊かさを守ろう」「15.陸の豊かさも守ろう」という目標を徹底的に追求していくと、人類は間違いなく「破滅への道」を歩むことになるだろう。
まず、原生林や原野といった自然生態系が消滅する。野生動植物の生物多様性が激減し、それでも間に合わないと結局は個人間や国家間でのエネルギーや食料、水などの「資源争奪戦争」が勃発する。そうなると、もはやSDGsどころではない。これを回避する方策はただ一つしかない。「世界規模で出生率を下げる」ということだ。
「人口を減らす」という目標を謳っていないSDGsは、もうすでに破綻していると言えよう。CO2削減やプラ製品の削減などを実践していても、根本の持続可能な開発目標が達成されるというわけでもない。究極は、人口を徐々に減らしていくことだ。
SDGsが誰に恩恵をもたらすかと言えば、それは欧米諸国であろう。空虚な美辞麗句を並べて煙に巻くのは、彼らが現行資源の産出国を抑えて上位に位置するための戦略である。何の罪もないCO2に、不都合の原因をすべて押し付けてしまうための布石である。反論しにくい正論めいた目標を掲げて、みんなが良くなりそうな予感を抱かせるが、実際は上位と下位の差が開くだけである。そして極めて問題なのは、SDGsの推進のための拠出金は、日本が突出して高額であるということだ。
科学的な視点で今の地球と人類を俯瞰すると、エネルギーや食料、水などを人や野生生物を含めた全世界の生物たちに、どのように分配するかということが喫緊の課題になっている。それは明白だ。エネルギーや食料、水などの資源の「限界」は判っており、人を含めた地球上のすべての生物は、それをシェアして生きているにすぎないからだ。(9/15 谷口利広)
参考 池田清彦著「SDGsの大嘘」(宝島社新書)など
これはイタリアにいた頃のお話ですが、私はこの留学で、とてつもなく貴重な体験をしました。それは、世界美術史上で屈指の名作と言われるシスティーナ礼拝堂の天井画を間近で研究できたことです。最高峰の芸術家・ミケランジェロにより描かれた、世界の“宝”ともいえるこの作品。今から500年以上前。若きミケランジェロは、足場を組んで、立ったままこの天井画全てを描ききり、なんと、約300人の人物像一つ一つを丁寧に美しく表現しました。
しかし、描かれてからおよそ500年、この名作は危機に瀕していました。ひび割れによって天井画が損傷。さらに積年の埃、蝋燭のススで色も薄れ、原画の美しさを失いかけていました。
そこで、かつての輝きを取り戻すべく始まったのが、この500年に1度の大修復作業です。これは10年間にわたって行われるということで、そこで修復作業をしながら同時に研究をしてほしいとのことでした。当時は、日本テレビが撮影に来るくらいでしたから、いかに重大なプロジェクトであったかがわかります。実際に私も足場にのぼらせていただき、間近でミケランジェロの天井画を拝見したのですが、初めて見上げた時はあまりにも壮大で美しい絵画に、不思議と引っ張られるかのように吸い込まれていきました。
こうして毎年、研究費用をいただきながら、ミケランジェロの巨大な天井画を毎日間近で観察する日々が続いていたわけですが......そんなある日、私はこの天井画から「歴史的な大発見」をしたのです。私はその新事実を発見した瞬間、あまりの感動に全身がゾクゾクと震えるような不思議な感覚に包まれました。そして興奮冷めやらぬ状態のまま、そのことを論文に一気に書き上げ、世の中に送り出したのです。すると、この論文は、世界の聡明な学者から大絶賛され、非常に高い評価をいただきました。
『田中はミケランジェロ研究の世界的な権威だ』と言ってくださる方もいて、今でも大変嬉しく思っています。
田中英道(東北大学名誉教授)
足場に上り間近でミケランジェロの天井画を鑑賞するという幸運に恵まれた田中氏だが、そのような中で歴史的大発見をされ論文にまとめられた。そして世界から絶賛された。
功成り名を遂げられたわけだが、それに止まらず日本に戻り「日本の歴史」を探求されている。それも古文書のみに頼らず、自らの脚でこまめに遺跡・神社などを回っておられる。そして、次々と定説を覆されている。凄いの一語に尽きる。お会いしたことはないが私淑しており、まさに『感服』である。
私が日本文化の研究に邁進するキッカケになったのは、イタリアのフィレンツェに行った時に出会った一人の先生のある言葉でした。現地で仲良くなった私の友人が、「とても面白い先生がいる。紹介するので、ぜひ会ってみてほしい」と強く勧めるので、私は「まあ、そんなに言うなら...」と思い、研究を中断し、その方にお会いすることにしました。
その先生は、フォスコ・マライーニという方で、有名な人類学者のお一人です。もうお年でしたが、若いころに日本にいらしたこともあって、アジアに深い関心をお持ちでした。マライーニ先生は、ミケランジェロの丘の近くにあるご自宅に私を通してくださり、日本にいた頃の様々な体験話をしてくださいました。
その中でも特に感銘を受けたのがこの言葉でした。「日本には大変なショックを受けました。日本は私を目覚めさせたのです。西洋人のキリスト教や古典学に依拠しないで、立派な文明をもっている国が、そこにあったからです。どちらを向いても道徳的一貫性、正義感、精神的な成熟さを示す人々に出会うことができました。それは西洋のキリスト教が最高の宗教ではなく、相対的、歴史的な存在なのだと知らされました。
日本は、その世界地図に位置する小さな島国よりも、はるかに大きな存在なのです」このマライーニ先生の言葉で、私は日本の文化が西洋とは異なった成熟した文明であることを知らされ、反省しました。外国の学者から日本の良さを聞いて心を改めるということは恥ずかしいことです。ですが私はこのとき初めて、自分が日本人であることを本当の意味で自覚させられたのです。わかっているようで、わかっていない国、日本をもう一度見直してみよう。
イタリアから帰国後、すぐに私は日本の歴史・文化についての考察をはじめました。そして、西洋で培った眼と知識を駆使しながら、日本に残る遺跡や美術品を分析していくと、
・日本の縄文土器
・奈良時代の仏像
・江戸時代の浮世絵
などにみられる精巧な技術と装飾、まさに日本の文化が西洋に匹敵するほどの、非常に高度なものだったことが分かり、衝撃を受けました。同時に、日本文明とは何であるか、日本人の学者によって堂々と述べられていないもどかしさを痛感しました。それに気づいたのであれば、その知識を日本人に届けなくてはならない。もっと日本の歴史・文化の凄さを知ってほしい。そして、これは西洋の文化の全てを見てきた自分にしかできない活動である。
こうして、私は精力的に日本の研究を行い、様々な新説を発表してきました。そして今では、新しい日本の教科書を作る運動をするとともに、日本国史学会という学術団体を設立し、日本の正しい歴史・文化を伝えていくために“ある構想”を練っています。これは日本の考古学を前進させ、これから未来を背負っていく子や孫の世代に、正しい知識教育を広げていくための重大なプロジェクトなのです。
田中英道(東北大学名誉教授)
田中氏の言を俟つまでも無く、私を含め日本人は「日本のよさ」「日本がいかに素晴らしい国であるか」「高い道徳性をもった国民か」「世界に誇るべき高い文化をもった国である」などを知らなさ過ぎる。もういい加減に「東京裁判史観」「自虐史観」を葬り去り、一人ひとりが誇りと矜持をもって生きなければならない。(谷口利広)
スマホでもホームページをご覧いただけるので、会員の方には3日に1回くらいはホームページを訪ねていただければと思う。会員外の方の訪問も大歓迎だ。
操作方法については、これまで何回かホームページや会報でお知らせして来た。ただ、スマホも慣れないとなかなか操作できない。そのことは、よく理解できる。お願いだが、操作方法がお分かりの方は、周りの操作が分からない方に教えていただきたい。
昨日、知人・友人に本ホームページを訪ねてほしい旨のお願いをしたところ、多くの方に訪ねて貰った。管理者(谷口)の所で、アクセス数や訪問者数が逐一把握できる。昨日は、大幅に増えた。
三生連のホームページに掲載してほしい事柄があったなら、谷口まで(tani.m-t@nifty.com)ご連絡を。なお、手書きの原稿を、事務所まで届けて貰っても、もちろん結構である。
6月下旬に、梅雨が明けたと発表があった。観測史上、最速ということだった。しかし、一週間もすると雨の日が異常に多くなり、「本当に梅雨は開けたのか」と誰もが思っただろう。7月10日頃に一転、「戻り梅雨」だと言い始めた。気象庁や気象予報士などから「梅雨明け宣言が見込み違いで早過ぎた」との発言は、私が知る限りなかった。潔くない。現在は、さまざまなデータから予報を出すが、軒並み外れたという事だろう。
20日にはセミが鳴き始め、やっと梅雨が明けたのかと思いきや、翌日の午後からはまた雨が降った。気象異常はヨーロッパでも同様で、約1週間にわたり、猛烈な熱波に見舞われ、死者や森林火災が相次いだ。ポルトガルでは最高気温が47度に、スペインでも45度に達した。熱波による死者は、両国で千人を超えたと。
会員の皆様には、このような中でもお元気にお過ごしになられたことと思う。あれよあれよと言っている間にお盆も過ぎ8月も終わりに近づいた。日中は相変わらず残暑が厳しい。ただ、朝夕の風に初秋を感じるようになった。
安倍元首相 凶弾に倒れる
さて、参院選投票日の2日前、7月8日(金)に近鉄西大寺駅前において、参院選の応援演説中だった安倍元首相が暴漢の凶弾に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。容疑者手製の銃で撃たれ、ほぼ即死状態であった。国内のみならず、世界を揺るがす凶悪事件が発生したのである。それも容疑者が奈良県人であると聞き、唖然とした。同時に、失った事の重大さに打ちひしがれる思いが続いた。
安倍家の通夜、告別式には、過去に例のない数の弔問者が訪れ、道路に長く列を為した。偉大な功績と誰にも公平でユーモアに溢れた人柄が、そのような現象を生んだことに異論は無いだろう。その絶大な功績は、数えれば切りがない。世界の要人からの弔辞の数も尋常ではなく、称賛の声は尽きなかった。すぐに、「タイム」誌の表紙をも飾った。米国議会上院は追悼し、功績をたたえる決議を全会一致で採択した。安倍氏を「一流の政治家で世界の民主主義の擁護者」と表現し、「日本の政治、経済、社会、さらに世界の繁栄と安全に消えることのない足跡を残した」と指摘した。安倍元首相は、明治維新以来、最も偉大な政治家と言っても過言ではないと私は思っている。
ご承知のとおり、9月27日に日本武道館で「国葬」として弔われることが決まった。「国葬」は当然のことだと思う。野党の一部などから疑問を呈する声も聞こえるが、茂木自民党幹事長の「国民の声、民意を理解していない。ずれている」の談話が的を得ている。偏向報道の甚だしい国内のメディアの宣伝によって、安倍元首相に対してこれまで穿った見方をしていた方も、世界からの惜しむ声、称賛の様子を見て、自分たちがマスメディアに騙されていた事を悟っただろう。折に触れ申し上げているとおり、真実を伝えない、事実を伝えないグローバリズムに毒されたテレビや新聞を、私たちはけっして鵜吞みにしてはならない。
郡生連の社会見学
7月13日(水)に、郡生連の「社会見学」が実施された。バス2台で、三重県の専修寺(せんじゅじ)と六華苑(ろっかえん)を訪ねた。一昨年、昨年と取り止めになっていたが、3年ぶりに行われた。ただ、コロナ禍の中、密を避けるため大型バス1台に2町で20名程度という制約があり、やむなく三生連からは役員・顧問11名のみの参加となった。他町の連合会も同様である。
専修寺は566年前の創建で、とても大きな寺だった。親鸞聖人の教えを受け継ぐ浄土真宗高田派(全国に600余)の本山寺院である。国宝の如来堂・御影堂や法宝物、その他数多くの重要文化財を所有している。敷地はとても広く建物は荘厳で歴史を感じさせた。清掃管理も行き届き、心が洗われる思いだった。
六華苑は、山林王と呼ばれた三重県桑名の実業家 二代目諸戸清六(もろと せいろく)の邸宅として大正2年に竣工した。洋館部分は、「鹿鳴館」などを設計した「日本近代建築の父」と呼ばれたジョサイア・コンドルの手による。創建時の姿を、ほぼそのままにとどめている。邸宅は桑名市が受け継ぎ、平成5年に「六華苑」(ろっかえん)という名称で一般公開するようになった。建物は国の重要文化財に、池泉回遊式庭園は平成12年に国の名勝に指定された。数寄屋造りの和館はヒノキやスギをふんだんに使い、私好みであった。庭園は雑草がこまめに抜かれているなど、手入れが隅々まで行き届いていた。建物も庭も見事な佇まいだったが、背の高い赤松が植えられていないのは少し残念だった。専修寺も含め、いつの日か三生連の社会見学でも訪れたいものだ。
7月26日に郡生連役員会
郡生連役員会が開かれ、後期の行事などについて協議し次のとおり決定した。
グラウンドゴルフ大会は9月28日(水)に斑鳩町健民運動場で、ゲートボール大会は今後、コロナ禍の状況をみて決める。10月に予定していた指導者研修会は延期し、コロナ禍の状況が好転すれば1月か2月に実施する。カラオケ大会は11月30日(水)に「いかるがホール」で開く予定だ。申し込み締め切りは、10月15日とする。もし今後、「いかるがホール」の使用ができなくなった場合は中止とする。
以上のとおりである。
高齢者福祉功労で県知事表彰
本連合会顧問 辻 孝三氏(前会長)と私の2人が、高齢者福祉功労で県知事表彰されることが決まった。辻顧問の功績が絶大であることは、会員の皆様にはご承知のとおりである、受章は、ある意味当然と言えよう。私の方は、『功労』というものにはほど遠く、何かの間違いではないかと……。これを機に、任期いっぱいさらに汗をかかせていただかねばと思う次第だ。
本紙編集者の交代
今号から、本紙の編集者は大浦 幹文副会長となった。氏はパソコン操作が堪能である。優れた手腕を発揮されるだろう。「矍鑠」はさらなる発展を遂げることを確信する。会員諸氏におかれては、これまで以上に寄稿等を通してご支援を賜りたい。伏してお願い申し上げる。なお、ホームページの管理は、引き続き私が担う。
会報「矍鑠」第22号(8月25日発行)から抜粋
すべての組織・団体等は業務の遂行に当たって、前年(前例)踏襲に陥っていないかを厳しく点検しなければならない。特に、それらの長たる者には、自らの組織が「前年(前例)踏襲」に嵌っていないかを常にチェックすることが求められる。
常に前回以上のものにしていくという気概を持たなければならない。そのことにより、多くの事件は防ぐことが出来るだろう。
前年(前例)踏襲の打破が出来ない者は、長たる資格がない。潔く退任することである。
昨日(9/10)、ある会の懇親会があった。気の置けない友との、一献傾けながらの語らいはとにかく楽しい。
その会の設立理念は、「歴史と伝統に立脚し、日本の尊厳と国益を護ろうとする堅固な意思と、『己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す』『生を求めて、以て仁を害すること無く、身を殺して、以て仁を為すこと有り』」を旨とし、「学ぶ心」を大切にして剛毅朴訥で他者のために汗のかける仁者たらんとする者で以て構成する」である。
何か仰々しいが、要するに「自分さえよかったら」を捨て、楽しくやろうという会である。