三郷町生き生きクラブ連合会(三生連・さんせいれん)

会長から

「友愛のつどい」開会の挨拶

 80歳以上の会員を福祉保健センターにお招きし、毎年秋に3日間に分けて昼食会を開いている。1日目は75名が参加した。町長も来賓としてご臨席された。以下は、開会の挨拶である。

 みなさん、こんにちは。日ごろは、三生連の活動にご協力を賜りまして感謝申し上げます。本日は、森町長にご来賓としてご臨席を仰ぎ、第21回の「友愛のつどい」を開催しましたところ、このように大勢のみなさんにご出席いただきました。ありがとうございます。三日間で約220名の方にご参加いただきます。お世話いただく方を合わせると300名近くになります。
 森町長には、公務ご多用の中、本連合会のために貴重な時間をお割きいただき深謝申し上げます。町政の推進には様々な課題が山積していると思われますが、粉骨砕身のご活躍をいただき、県内はもとより、全国的にも稀有の大きな成果を収められていますこと、重ねて感謝致します。今後も微力ではありますが、三生連は町長をお支え申し上げたいと思います。
 さて、会員のみなさんには、それぞれに生き生きとした人生を送られて居られることと思います。今後も、森町長が先頭に立って推進されているフレイル健診に、また町や社協、そして三生連の実施しているさまざまな行事等に積極的にご参加いただきまして、健康寿命をさらに伸ばしていただきたいと願います。
 「友愛のつどい」の開催に当たりましては、実行委員長であります西村女性部長をはじめ女性部役員の皆様、三生連本部役員の皆様、そして社協職員の皆様など、多くの方のご尽力があります。御礼を申し上げます。
 最後に、本日の「友愛のつどい」が実り多いものになりますことを祈念し、簡単ではありますが開会の挨拶と致します。

不易と流行

 20年程前、教育界を中心に「不易と流行」という言葉がよく使われた。不易」はいつまでも変わらないことであり、「流行」は時代時代に応じて変化することだ。いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、変化を重ねているものをも取り入れていくことである。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが、不易の本質であるとも言われる。蕉風俳諧(しょうふうはいかい)の理念の一つであり、松尾芭蕉が元禄2 (1689) 年頃から説き始めたという。
 中教審(中央教育審議会)答申(平成8年) 「21世紀を展望した今後の教育の在り方」や臨教審(臨時教育審議会)答申の中で「不易と流行」が引用され、その後、教育関係者の間でしばしば使われるようになった。私が管理職試験を受けた頃、その真っ只中だった。私自身、小論文などでよく使ったものだ。教育現場も上から押しつけられた「流行」により振り回された時期があった。「総合的な学習の時間」が始まるときは、だれもが「総合、総合」と言い、学校は「総合的な学習の時間」一色だった。今はどうだろうか。学力低下論争が起きて、授業時間や授業内容の増加に伴い、「総合」はすっかり悪者扱いである。陰は薄くなり、今や消滅の危機に瀕している。現在は「英語」ブームである。「小学校英語」については十分議論されたとは思えないまま、スタートとなった。「総合」も「英語」も悪いことではない。ただ、基礎基本がないままに探求学習をしようとしたり、必要性や学校教育としての指導体系が不明確なまま外国語学習を闇雲に進めるのは如何なものか。必ずや歪みが出てくるだろう。
 さて、教育における「不易」とは何か。一つは日本の伝統的教育のよさに求めることができるのではないか。例えは、一斉学習の技術、素読、規範意識の育成などが挙げられよう。時代が変わっても、それらには変わらぬよさがあり、変えてはならない日本人の教育であるとも思われる。これらは一時、「弊害あって一利無し」とも言われたが、今見直され始めている。私の遠縁の娘が通う小学校のあるクラスでは、「道徳」の授業かホームルームの時間か定かではないが、全員で『論語』の素読を行っていた。その子は、帰宅後も自主的に素読をしていた。ただ、現在の教育環境に不易がすべてそのまま有効とは思っていない。子どもたちの現状や教師の力量に応じた、流行的側面を取り入れた「不易の教育」がこれからの教育の在り方となろう。
ある時期、「教育は強制であってはならない」という言葉が絶対視され、「強制」イコール「悪」という構図が、学校現場でもすべての前提であるかのように言われた。「許容の無い強制でよい」などとは思わないが、教育の根源は強制である。善悪がよく分からない幼少時期や、何を学ぶべきかが判断できない低学年の児童期、大人が強制的に行わせることも必要欠くべからざることである。「鉄は熱いうちに打て」の言葉どおり、基礎基本・よりよく生きていく上での規範を叩き込む必要がある。『論語』は、人が生きていくうえで必要なあらゆるものに言及している。「人間学の参考書」と言われる所以である。人がよりよく生きるためにはどうしたらよいのか、より心豊かに生きるにはどうしたらよいのか、それを『論語』を通して一人ひとりが考えるとよい。子どもたちに考えさせることが求められる。
(自著「論語に学ぶ」から)

日本人の高い道徳性

 多くの人が、「江戸時代、幕府は鎖国を行って海外との交流を断っていた」と思っている。30~40代以上の方は小学生の頃からそのように習ってきた。「長崎の出島で限られた国と細々と貿易を行ってはいたが、それ以外は完全に外交をシャットアウトし孤立していた。そうした閉鎖性ゆえに、幕末に列強が開国を求めてくると幕府は驚いて慌てふためき、国際情勢に対応できずに滅亡した」、そのように思っている人が多いのではないか。実は、17世紀半ばから19世紀半ばの時代、幕府は完全に海外との交流を断っていたわけではなかった。長崎以外にも、対馬・薩摩・松前の3つの外交窓口を開いていたのだ。この4カ所を「四つの口」という。
 そもそも、「鎖国」をしていたと言われる時代に「鎖国」という言葉自体がなかった。「鎖国」は、後の世の人が作った言葉だ。だから、「鎖国令」などというものは存在しない。当時の幕府には「鎖国」しているという感覚はなく、「キリスト教の布教禁止」といった方針のもとに日本人の渡航を禁じ、取引国を段階的に制限した。そして、徐々にすべての貿易を幕府の統制下に置いたというのが実のところだ。幕府は、外交を絶って孤立しようとしたのではなかった。いわば外側からバリアを張って、国内の支配体制(幕藩体制)の安定を図ったのである。したたかな外交戦略だと言える。さらに、外交を一手に握った幕府が得ようとしたのは物品だけではなかった。海外の情報収集にも重きを置いていたのである。このことを裏付けるようなエピソードがある。
 寛文13年(1673)、イギリス船が長崎の出島に来航して、貿易の再開を求めた。このとき幕府は、国王チャールズ2世がカトリック国の王女カタリナ(キャサリン)と結婚したことを理由に要求を拒否した。つまり、日本はキリスト教の布教を禁止しているため、「カトリックの王女を持つ国とは国交できない」としたのである。二人の結婚は、1662年のことである。貿易再開の要求があったわずか10年ほど前のことだ。この件だけではない。イギリスで起こった清教徒革命、フランスのフランス革命やナポレオン戦争などの世界情勢も、幕府は1~2年のうちに把握していたようだ。テレビもインターネットもなかったこの時代にである。海外の情勢や動向を幕府がいち早く知ったのは、「唐船風説書」や「オランダ風説書」によるものだ。特に、先のイギリス国王の結婚の情報元となった「オランダ風説書」は、長崎出島に商館を置いていたオランダ(正確には東インド会社)の新任の商館長(カピタン)が来日した際に将軍に提出したものだ。幕府の要人だけが閲覧を許される「最重要秘密事項」であった。こういった情報をうまく利用し、幕府はイギリスからの通商申し入れを拒否した。かなりの交渉上手であったと言える。
 「鎖国」していたと言われる状況下でも、日本は無知でも孤立していたのでもなかった。確かな情報収集によるしたたかな外交能力は幕末にも発揮され、列強の言いなりにはならなかった。近年、これらの史実をもって、歴史学では「開かれた鎖国」といった概念が提唱されている。
 以上のとおり、江戸時代中期以降、しばしば外国人が日本を訪れた。それらの人たちが、日本や日本人に対する印象を書き残している。スウェーデンの植物学者カール・ツュンベリは、安永4年(1775) 長崎・出島に来て江戸出府に加わり日本人を観察、記録した。「彼らは第一級民族。勤勉で賢明で礼儀正しく勇敢」と評価し、「支那朝鮮では女は奴隷なのにこの国では女が男と同席し、表も自由に歩く」ことや「清潔好きで週に一度どころか毎日風呂に入る」ことに驚きの目を見張った。                       
《折節の記 「正論」 平成25年7月号》

 ※フランシスコ・ザビエルや※ルイス・フロイスなどのヨーロッパの宣教師は、当時の日本社会の実情を記した手紙・報告書を故国に書き送っている。その中で「日本人はヨーロッパの最先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの、高い文化とモラルを持っている」と絶賛している。ザビエルは民度の高さに驚き、「とても気品があって、驚くほど理性的、慎み深く、また才能があり、知識が旺盛で、道理に従い、その他さまざまな優れた素質を持つ」と。また、「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます」とも。加えて、「大部分の人は読み書きができます」と本国のスペイン人、あるいはインド人や中国人よりもレベルが高いことに驚いている。さらに時代が下って、幕末の頃に日本を訪れた西洋の外交官や商人たち、オールコックやヒュースケン、※アーネスト・サトウや※シュリーマンなども、「日本は他のアジア諸国とはまったく異なる」と、その歴然たる民度の差違をはっきりと認めている。
 シュリーマンは帰国後、日本見聞録を著した。彼は日本の前に立ち寄った中国と比較して、次のようなエピソードを紹介している。「中国で最も不快に感じたのは、平気で嘘をつきお金をごまかす一般庶民の姿だった。乗り物に乗っても、最初に提示した料金とは全然違う高額の料金をあとでふっかけられたりして、閉口することがしばしばだった。日本で渡し舟に乗ったときのことである。あとで料金を支払う段になって、中国で味わった不快な先入観が頭をよぎった。どうせ法外な料金をふっかけられるに決まっているだろうから、それならば最初から高い金を渡しておこうと思い、規定の数倍の料金を渡した。すると船頭が不思議な顔をして、「これは既定の料金と違いますよ」と言って余分の金を返してきた」                   《福井雄三「司馬遼太郎と東京裁判」》
 シュリーマンが日本を訪れた当時、幕府は外国との貿易を推奨していたが、江戸の防衛は厳格に行われ、東京湾の海域に外国船は入ることができなかった。すでに幕府は軍艦を保有し、お台場など砲台を準備して外国への牽制も行っていた。そんなことから、シュリーマンの乗った船も横浜港に入った。そのとき、「二人の官吏がにこやかに近付いてきて、オハイヨ〔おはよう〕と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、30秒もその姿勢を続けた。次に、中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ1分(2.5フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」〔日本男児? 〕と言い、これを拒んだ」      (シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫)
「日本人は、裏金(ワイロ)は受け取らない」という強い意思表示であっただろう。

 我が国を訪れた外国人から敬慕されたのは、「日本人の高い道徳心」だった。「おとなしく、好奇心にあふれた様子で眺めてくるだけで、敵意を感じさせたりもしない。むしろ天真爛漫で、幸福そうにすら見えた」(アメリカ人通訳・ヒュースケン)日本の民衆が持つ純真さを愛した。自分たち西洋人がこうした純真さを壊してしまうのではないかと、気に病んでいたほどだった。「ハッピーな人々が暮らす、清潔で秩序溢れる国だなあ」と彼らはそんな好意的なまなざしで日本を見ていた。アーネスト・サトウは、幕末期に私の生まれ故郷 伊達 宇和島藩にも訪れているが、四国西南の僻陬の地 宇和島の人々にも好印象をもったようだ。拙著『攘夷などと無謀なことを』(平成25年・K.C.プリント)でも紹介させていただいた。
 明治初期、大森貝塚の発見で知られるアメリカ人の動物学者エドワード・モースが、瀬戸内地方を旅したある日、広島の旅館に財布と懐中時計を預け、そこからしばらくの間、遠出をしようとした。そのとき旅館の女中が「お預かりします」と言ってしたことは、時計と財布をお盆に載せてモースの泊まった部屋の畳の上に置いただけであった。部屋はふすまで仕切られているにすぎず、鍵や閂などが掛けられてはいない。モースはとんでもないことだと思って宿の主人を呼んだが、主人は平然と「ここに置いておけば安全です」と答えた。自分の旅行中にこの部屋を使う客は何人もいるわけだし、女中たちも終始出入りする。モースが不安を拭えるわけもなかった。しかしモースは、ここで思い切って「日本社会の実験」をしてみようと思ったようで、そのまま遠出したのである。一週間後、旅館に戻ったモースは部屋のふすまを開けて驚き感じ入った。そのときのことをモースは次のように記している。
 「帰ってみると、時計は言うにおよばず小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に載っていた」
 モースによれば、当時の欧米のホテルでは盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで留められているのが常だったそうだ。モースはこの日記の文章に続けて「日本人は生得正直である」と書きとめている。
(エドワード・モース「日本その日その日」平凡社より)
 またモースは、日本の清潔さについて次のようにも「衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり……これらは恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」と。

 最近、日本の家電メーカーは韓国や台湾の勢いに苦戦を強いられているが、品質と信頼のジャパンブランドはまだまだ健在だ。「『これは日本製か』『そうだ』というやりとりだけで、商談が成立する」と高い信頼性がある。なぜ日本製品への信頼が厚いのか。答えは、「日本人はウソをつかない。ウソをつかない日本人が作るものには間違いがない」だと聞く。英語では、インテグリティが高いというらしい。『誠実さ』である。      
 そういった高い道徳心や誠実さで溢れる佇まいは、どのようにして生まれ、どう引き継がれて来たのか。日本人の根底に流れるようになったのはいつからどのようにして……。現在、外国から観光で訪れる人の数はますます増える傾向にある。政府は年間4千万人を目標としている。令和2年(2020)の東京オリンピックには、その数は空前絶後となることが予想される。そういった中、世界の国々の人と比較して、日本人の民度の高さは誇るべきものがあることは疑いのない事実である。例えば、地震や水害などで被災したときの日本人の対処の仕方についてだが、いつも世界中のジャーナリストがこぞって賞賛する。改めて論じるまでもないだろう。これらのことは、少なくとも400年以上前から変わらないのである。(自著「論語に学ぶ」<銀河書籍 令和元年10月15日発刊>から抜粋)

酷暑もやっと

 例年以上に厳しかった残暑もようやく終りを告げ、随分と涼しくなった。残暑が連日35度を超えるということは、これまでなかったことだ。台風の襲来があるので油断はできないが、これから12月の初めまで爽やかな日々が続く。申し上げるまでもなく、秋は運動にも読書にも、もってこいの季節だ。昔に比べて、紅葉のピークが半月以上も後ろへとずれた。町文化センター前のドウダンツツジの紅葉は例年見事だが、猛暑にも拘わらず葉焼けも少なく、今年も楽しませてくれそうだ。今秋もあちらこちらの紅葉を楽しみたい。会員諸氏も積極的に外にお出になり、それぞれの秋を堪能していただきたい。
 さて、遅ればせながら「三生連」のホームへージを立ち上げ、6月28日夜から公開している。スマホなどでご覧いただいた方も多いだろう。「矍鑠12号」(7月1日発行)で公開の件をお知らせできればよかったが、印刷日や折り綴じ等の作業日の関係もあり、「公開日」の掲載は難しかった。業者に委託しての立ち上げで無く手作りだったので余計に……。とにかく、周知が遅れたことをお詫びする。『さんせいれん』と検索していただければご覧になれる。何らかの方法でご覧いただきたい。
 ご存知のとおり、県老連や「平群町長寿会連合会」などもリニューアルし、立派なホームページとなった。三生連もできるだけ頻繁に更新に努めて、他に置いていかれないようにしたい。各支部はもちろん、各クラブ、教室のコーナーも設けているので、掲載したい内容をお届けいただきたい。「ホームぺージが出来たので『矍鑠』はなくなってしまうのか」の声を耳にするが、そのようなことは考えていない。今までどおり発行するのでご安心いただきたい。
 話は変わるが、9月15日に東京オリンピックのマラソン代表選考会が、ほぼ五輪と同じコースを使って行なわれた。テレビ観戦された方も多かっただろう。結果だが、中村、服部が1位、2位となり、代表に内定した。私の高校の後輩である鈴木 健吾(富士通)も出場し、7位と健闘した。また、高校野球夏の甲子園にも後輩たちが県代表として出場し気を吐いた。初戦敗退とはなったが、後輩たちの活躍には大いに刺激を受ける。有難いことである。ちなみに女子のマラソン代表は、前田・鈴木が内定となった。
 ところで随分前の話になってしまったが、7月3~4日にかけて郡生連の「指導者宿泊研修」が開かれた。11名で参加したが、2~3頁の萬治理事からの報告のとおり、実り多いものとなった。「郡生連」の幹事担当町は今年度、来年度と斑鳩町が務めるが、廣津会長は前向きな方であり今回の研修会でも積極的な姿勢が際立った。「県老連」の理事会等でも積極的に発言していただけるだろう。微力ではあるが、私も評議員としてバックアップしたい。
 10月26・27日の両日、恒例の町の文化祭が開かれる。三生連のコーナーでは、今回も絵画・書・手芸などの会員諸氏の作品が数多く展示される。力作をぜひ鑑賞していただきたい。私も昨年に続き、盆栽を出展させていただく予定だ。
 前号で庭木のクロマツの芽切りをしているとお伝えしたが、その後、二番芽がしっかり育った。すこぶる順調である。あと半月もすれば、よい姿を見せてくれると思う。どんなにやるべきことが多くても、何とか工夫して時間をつくり庭の手入れを怠らないようにしている。
 東信貴ヶ丘を通られた節は、「ピンポン」を鳴らしていたただければと思う(午前中はセンターの事務所に居ることが多いが)。
(三生連会報「矍鑠」13号(10/1発行))

「老人の日・老人週間」「社会奉仕の日」の取り組みについて(協力依頼)

   「老人の日・老人週間」は、老人福祉について関心と理解を深めると共に、高齢者に対し自らの生活向上に努める意欲を促すために制定された。
 「老人」という呼称については、私は違和感を持つ。自ら「老人」と名乗ることは無いというのが持論であり、この4月から「生き生きクラブ連合会」と改称した理由でもある。あらゆる機会に「『高齢者』でいいじゃないですか」と申し上げている。だが、それに対する返答はいつも決まって、「法律の呼称が老人福祉法だから」と。それならば、厚労省に働きかけて、「法律名を変更すればよい」だけの話である。要するに、やる気の問題である。

 団体名も相変わらず、「全国老人クラブ連合会」「奈良県老人クラブ連合会」である。奈良県だけでも「奈良県高齢者クラブ連合会」に改称して欲しいが、執行部にそれだけの覚悟と気概が無いようだ。ちなみに、生駒郡は「生駒郡生き生きクラブ連合会」である。
 そのことについて今回はさて置き、9月15日の「老人の日」から21日までの「老人週間」の期間中、高齢者のクラブが展開する「健康」「友愛」「奉仕」の活動を通して、健康づくりと社会参加への意欲と姿勢を姿勢を示そうとする全国的なキャンペーンには「三生連」としても賛同し、毎年、全面的に協力して来た。今年度も、ご協力の程何とぞよろしくお願いしたい。
 なお、期間中9月20日を「社会奉仕の日」とし、全国一斉に緑化・美化・資源ごみのリサイクル等の奉仕活動を実施する。以て、地域社会に対する感謝と地域の担い手としての活力を示す。日時については20日に一斉がより望ましいが、各支部の実情に応じて都合のよい日時で主体的に展開していただければと思う。
 実施に際しては、水分補給等の体調管理に努めていただきたい。

HP立ち上げから2週間

 ホームページを立ち上げてから2週間が経過した。この間の訪問者数は347名、アクセス数は1,442回であった。この数が多いか少ないかの捉え方は人によって異なるだろうが、「まずまず」と言ってよいのではないか。
 感想も多くいただいた。別添掲載のとおりだが、「よくぞやった」との声が多くを占めたと言えよう。何十万と大金をかけて業者に頼むところが多い中、そうではないこと(手作り)を評価して貰ってのことだろう。
 今後も、会員外の方も含め、皆様のご意見を参考にしてさらにより良きものをめざしたいと思っている。ご意見を賜りたい。

ホームページの公開に当たって

 連合会のホームページの立ち上げが成り、ここに公開出来たことは、まことに喜ばしい限りだ。従前よりその必要性は強く感じていたが、「期は未だ熟さず」の思いもありここまで来てしまった。お隣の平群町長寿会連合会では随分前に立ちあげられ、少し前にリニューアルされた。奈良県老連もこの5月にリニューアルされたところだ。今となっては、遅きに失した感も否めない。
 本連合会ではこの3月に二つの支部が解散し、会員数で見ると95名の減となった。平成25年4月の会員数は1,432名だったが、この4月の会員数は1,045名である。6年で約400名近い減少となったのだ。会員減の兆候が顕われ始めてからの会長も、けっして手をこまねいていたわけではない。特に辻 孝三前会長は大きな働きをされた。会員減に歯止めをかけ反転攻勢をかけるためには、同好会や教室などを増やし活性化を図ることが大事と考えられ、新しく「自彊術教室」(現・健康体操教室)、「万葉集を楽しむ会」、「書道クラブ」、「論語に親しむ会」などを立ち上げられた。春秋には、ハイキングも始めた。またこれまで無かった『会報』を創刊された。そして連合名も『三郷町生き生きクラブ連合』と改称された。『会則』も改定された。驚くべき矢継ぎ早の改革であり、思いつくさまざまな手を打たれた。これらは着実に結実しつつある。しかしながら一方で、お亡くなりになる方や施設等に入所される方が後を絶たない状況もある。会員減に歯止めをかけることは容易ではなく、一部の支部を除いて会員の純増には至っていない。
 全国老連や県老連は、今後の目標は「現状維持」であると。会員減は都市部、地方に限らない、全国的な傾向なのである。

 このように何かと暗い話題が多い。だが一方で、同好会や教室などにおいて、日々の活動で楽しく、生き生きと過ごしておられる会員も少なくない。こういうときだからこそ余計に、引き続き元気を笑顔を前面に出していくことが求められる。また、新年度に入ってから新入会があったとの支部報告も複数ある。これからも、執行部としてはホームページや会報などを通して、明るいニュースや話題を発信していけたらと思うのである。
 ホームページは、スマートフォーンでもご覧になれる。少しずつだが、普通の携帯電話からスマートフォーンに切り替える方も増えていると聞く。ご自分ではパソコンもスマホも触らないという方でも、お子さんやお孫さんは活用していることだろう。三生連のホームページが、お子さんやお孫さんとの会話のきっかけにでもなればうれしい。ぜひご覧になっていただきたい。未加入のお友だちがスマホをお持ちであれば、また家でパソコンをさわられる方であれば、「三生連のホームページをのぞいてみて」とご紹介していただければ……。
 トップページの写真は恒川(つねかわ)理事が撮影されたものだ。恒川さんは、昨年度の三郷町の「芸術祭」全部門の中でグランプリを獲得された方だ。ご存知の方も多いだろう。これらの写真を鑑賞していただくだけでも、大いに癒されるだろう。とにかく、全会員のご支援ご協力により、このホームページをよりよきものに育てていきたい。

             令和元年6月28日
                三郷町生き生きクラブ連合会
                           会 長 谷 口 利 広

 

小規模スーパーの建設開始と温泉の湧出

 「勢野北口」駅前の「小規模スーパー」は、日常の生鮮食料品などの買い物で何かと便利だった。それが数年前に取り壊され残念に思っていた。新店舗を建設し再開するとの噂もあったが、なかなか工事は始まらなかった。やっと10日ほど前から整地作業らしきものが始まった。動き始めたのだ。前の業者が年内営業再開をめざすとのことである。近隣の方は工事の騒音などでしばらくは迷惑を蒙るだろうが、利用客にとっては朗報である。特に車を運転しない高齢者にとっては。
 また、「信貴山のどか村」の敷地内で試掘したところ、温泉が湧出したと聞く。国庫補助金などを利用しての事業には、来場者が入浴できる施設の建設も含まれているとのことだ。町民も気軽に温泉浴が楽しめるようなものになることを期待する。

体調管理にご留意を

   ひじょうに遅い「梅雨入り」だったが、このところ雨の日が多くなっている。本日(7/2)も雨だ。水害や土砂災害に細心の注意を払いたい。また雨の日だと油断せず、水分補給に努めたい。

 私のところでは、現在クロマツの芽切り(盆栽・庭木)をしている。昨年から育成状況がよく、とても元気だ。育成培養歴40年にして、やっとコツをつかんだ。おうちのクロマツの状態がよくないという方がおられたなら、そしてご希望ならばお庭にお伺いしてお教えしたい。もちろん、三生連会員の方には無料である。
   写真は、今回切った今年春から伸びた芽である。7~10日で2番芽が出て来て成長する。それを9月により分け、今年の葉とする。成長期における日照時間の関係で、葉が短く止まる。いわゆる短葉法である。

ホームページへの感想

○素晴らしいHPが完成しましたね! 新体制の活動力に感服しております。会長始め役員の皆様の今後ますますのご活躍をお祈り申し上げますと共に、これからも支部の活動に当たり大変お世話をお掛け致しますが、これまで以上にご支援、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。(6/29  K支部長)

○三生連HP公開見させていただきました。立派なものが出来上がりましたね。他のものと比較しても矍鑠として頼もしい限りです。(6/29  現役員)

○期待を遥かに超えるHPとなり、誇らしい気持ちです。今後、本連合会や三郷町のPRとなるような写真をどんどん増やしていただきたいと思います。(6/29  現役員)

○「三郷町生き生きクラブ連合会」祝ホームページ開通。拝見させて頂きました。内容も写真も充実しており、地域貢献を拝することが出来ます。全てに心と魂と体力を使っておられる姿に感服いたします。御身ご自愛の上、益々のご活躍を祈念致します。(6/30 大阪市 N氏)

○早速、見ました。ふだん他のHPをあまり見ないので細かい点は分かりませんが、このHPがよくできているということは一目瞭然です。ありがとうございます。(6/30 現役員)

○ホームページ見ました! 素晴らしい出来ですね。維持が結構大変ですが、頑張ってください。(7/1 大阪市 T氏)

○HP見させて頂きました。見事なHPです。会長としてご多用のことと拝察いたします。「論語を楽しむ会」も大したものです。貴会の益々のご発展を祈念いたします。大いにご活躍下さい。(河内長野市 Y氏)

○ホームページを拝見しました。素晴らしいですね。県老連もリニューアルして2ヶ月ですが、なかなか中身の変更プログラムが追いつかなくてうまく進まない状況です。早々にすっきりとさせますので、もうしばらく看過していただけたらと思います。
 リンクをさせていただきました! これからもどうぞよろしくお願いいたします。(奈良県老連事務局 I氏)

○なんか凄いです。完成度の高さに脱帽。見やすく、分かり易い、それに動きもスムーズです。(横浜市 T氏)

○ホームページ見ました。すごいです、それにわかりやすいホームページです。(奈良市 Y氏)

○驚きました。高齢者の市町村連合会のホームページとしては、他に例を見ないでしょう。それも業者に委託せず、自力で立ち上げられたと。驚きを通り越しています。それにさらにすごいのは毎日のように更新し、デザインもよりよいものにと試行錯誤を続けていることです。これから、毎日訪問させていただきます。(大阪市 M氏)

○早速拝見したよ。まさに生涯現役を地で行く活躍振りだね。連合会の命名も貴君らしくていいね。HPの立ち上げには結構時間を要したことだろう。(愛媛・松野町 S氏)

○季節感のある写真も含め、デザインが全体的に美しいです。活動の様子も分かり易いです。(京田辺市 M氏)

○ホームページを立ち上げても作りっ放しというのがほとんどの中、そうでないのがよい。大変だろうが、よろしくお願いしたい。(役員 F氏)

○デザインが良い。色合いが上品だ。(藤井寺市 I氏)

○拝見しました。何かとお忙しい中、すばらしいホームぺージを立ち上げましたね。
26の地域の高齢者の会を取り纏めるのは大変なご苦労がおありでしょう。このようなホームページは珍しいのではないでしょうか。流石ですね。ご努力に敬意を表しますと共に「三生連」の益々の発展を祈念致します。(橿原市 S氏)
南天の花
ガクアジサイとサツキ

酷暑の夏が

 「令和」の新しい時代に入り、早や二ヵ月が経過した。季節は着実に歩を進め、雨の合間には焼けつくような夏の日差しが……。子どもの頃にはどうという事もなかったものが、年齢と共に堪え難きものとなって来る。仕方のない事とは言え、つい「若さ」を羨ましく思ってしまうのだ。50歳まで競技としてマラソンをやっていた。フルマラソンはもちろんのこと、100㌔、140㌔、230㌔などといったウルトラマラソンにも出場した。幾度か美酒も味わった。走ら(れ)なくなった今、若者が軽やかに走り過ぎる姿を羨望の眼差しで見てしまう。一方で「君たちも膝や腰を労わらないと……」と余計な(?)心配をしてしまう。現在多くの人が苦しむ変形関節症は、20年後には軟骨の移植手術が一般化し、ある程度克服されているだろう。
 ところで、20代半ば過ぎから庭いじりを趣味としてきた。随分前に亡くなった劇作家が『園藝と農耕』という雑誌の中で、「農耕と園芸は雑草と害虫との闘いである」と語っていた。読んだのは30代初めのことだが、心に残っている。「言い得て妙」と思ったのだろう。まさにそのとおりである。庭いじりにはさまざまな作業があるが、草むしりほど辛いものは無い。そう思う。膝や腰に難があると余計である。私など這いずり回っての作業となるが、2時間が限度だ。無理をすると、3~4日膝や腰に後遺症が遺る。また庭いじりで一番いやな(避けたい)作業は、薬剤散布ではないか。だが、美しい緑を保つには、これも避けては通れない。怠ると、大きな被害を蒙ることになる。理想的には、予防のために散布することが求められる。被害を受けてからでは遅い。被害を蒙ると葉の色が悪くなるし、葉に傷みが遺る。であるから、我が家では3月から10月まで、計8~9回は散布する。結果、葉の緑は美しさを保っている。
我が家はサツキの刈り込み物主体の庭だが、今年も美しく咲いてくれた。「冬場の水遣り」と消毒が功を奏していると言えよう。手をかければ結果は自ずと……。
 サツキも他の花木と同様、花後の剪定は早い程よく例年6月の5日頃までには終えるようにしている。今年は昨年より花期が1週間遅く、私の所での剪定終了は6月16日となった。ツツジ類の剪定は梅雨明けでは遅い。何故ならば、7月の末から8月の上旬には来年の花芽が形成されるからだ。刈り込んだ美しい姿を眺めながらのお茶は一段とおいしい。○○やの羊羹や△△やの升最中があれば、言うこと無しだ。
 どのような作業も、適期を逃さないことが肝心、現在はクロマツの芽切りの最中だ。
 話は変わるが、4月の本連合会の総会終了後、「信貴山下」駅から王寺まで電車で一緒に出て、駅界隈で役員による懇親会をもった。一人も欠ける事無く13名全員が出席し、大いに食べ大いに飲み懇親を深めた。そういった事は何年もなかったのではないだろうか、少なくともこの4年は。今後、時々はこういった機会を持とうという事で一致した。時間の許す方は自慢の喉をさらに鍛えようと、「鍛錬の場」に向かった事は言うまでも無い。
 5月29日に、斑鳩町で生駒郡生き生きクラブ連合会の役員会が開かれた。本連合会からは辻顧問、安部会計、恒川・津田・西村の3理事、社協から駒田氏、そして私の7名が出席した。斑鳩町と安堵町も会長が変わられた。副会長として郡生連の会議に出席していたので、平群町を含めみなさんとは旧知の中である、阿吽の呼吸で協議できそうだ。なお、秋の郡生連カラオケ大会の日程は、11月27日に決まった。申込要領の詳細が発表になれば、カラオケ同好会「さけび」の片岡氏(本連合会顧問)が中心となって参加者を募集する。奮って応募いただきたい。また、7月3~4日にかけて郡生連の「指導者宿泊研修」が開かれる。前記の7名と藤原監事、萬治・武智の両理事と、田村(三室の元支部長)氏の11名で参加する。実り多いものにしたい。
 町の文化祭は、10月26日(土)と27日(日)の両日に開催されることが決まり、現在支部を通して出展募集をしている。すでに回覧等で周知のとおりだ。こちらにも、昨年にも増しての出展をお願いする。                   (会報「矍鑠」12号から)
自宅培養の雑木盆栽

今年度総会を開催

 会員の皆様には、本連合会の運営にご支援、ご協力を賜っておりますこと、また今年度総会に多数ご出席いただきましたこと、会長として厚く御礼を申し上げたい。
 唐突だが、※「剛毅朴訥」(ごうきぼくとつ)という言葉が好きだ。常にそうありたいと思っている。今年度が60歳代最後の年となる若輩だが、本連合の発展のために誠心誠意汗をかかせていただく。
 口下手で「立て板に水」とは行かないが、筋の通らぬ事に対しては上部団体であっても本連合を代表して忌憚なく発言していく。その覚悟はもっている。辻前会長は「沈着冷静」であったが、私は程遠い。どちらかと言うと「激情」タイプである。俗に「短気は損気」と言われ自らを戒めはするが、生来の性格はなかなか……。会員の皆様には、私が冷静さを欠いて暴走せぬようにご指導ご鞭撻を賜りたい。品位・品性を重んじる三生連において、「激情」「暴走」などと乱暴な言葉を遣っているが、自らを称しての事なのでご容赦願いたい。「若輩」に係わっては、役員・支部長の中で私が最年少だ。所属する支部においても同じである。ところで、今回、役員にかなりの入れ替わりがあった。退任された諸先輩方には、本連合会へのこれまでのご尽力に対し、心から御礼を申し上げたい。ご功績はいつまでも語り継がれるであろう。今回選任された理事7名の内、5名が新任である。役員全体の平均年齢はけっして若くはないが(78.2歳)、精神的にはフレッシュマン、フレッシュレディーであり、センター内の事務所には清新な空気が漂っている。ちなみに、今回の支部報告によれば、4月1日現在の本連合会会員全体の平均年齢は、79.7歳だ。
 さて、4月1日に新しい元号が「令和」と決まった。予想が当たったという方は居られるだろうか。我が国最古の歌集・万葉集からの引用と聞く。「平成」に慣れ親しんだのでしばらくは違和感をもつだろうが、すぐに馴染むのではないか。本連合会もこの4月から「三生連」と改称し、新しいスタートを切った。こちらには、一日も早く馴染んでいただきたい。
 「三生連」は、万年青年の集まりである。「老人」という言葉は似合わない。私も体はそれなりにあちらこちらダメージを受けてはいるが、気持ちだけは若くありたいと思っている。何事を成すにも気持ちが大事だ。困難に立ち向かう粘り強い気持ちを維持したい。「意志あるところに道はひらける」「精神一到何事か成らざらん」である。 
   私たちを取り巻く環境には厳しいものがある。みなさんご存知のとおりだ。そういった中、2つの支部が解散するなど(2頁参照)、本連合の会員数は昨年比、90名以上の大幅な減となった。時代の趨勢とは言え、残念な事である。このような状況になろうとは、20年前には予想できなかったのではないか。しかしながら、そのような厳しい状況の中だからこそ余計に、役員が一丸となって、会員のご支援ご協力を仰ぎながら支部長の皆様と共に本連合のために尽力することが求められる。微力ではあるが、精一杯努めたい。
 ところで、私たち執行部にとって「何が一番の糧か」と問われるならば、「会員の皆様の本連合主催の行事やサークル・教室への積極的なご参加である」と即答する。そして、会報「矍鑠」への寄稿であると付け加える。これは、役員すべての気持ちではないか。幸い、行事参加者は増えつつあるし、サークル・教室などの活動は活発である。また本紙への寄稿もじわりじわりと増えている、喜ばしい限りだ。今後も、引き続きよろしくお願いする。
 寄稿に係わっては、文章が上手いとか下手とかまったく関係ない。思いのたけを書いていただければと思う。いつも申し上げるが、自分の書いた文章が活字になることは、とてもうれしいものだ。一人でも多くの会員にその快感を味わっていただきたいと願うのである。
 今年は元号が新しくなる最初の年、三生連に名称変更した最初の年だ。何年か先にこの記念すべき年を振り返ったとき、会員の思い(願い)を汲みつつ「皆で全力を尽くして努めたな」と言える年にしたいと思う。「思う」に終わらず、しなければならないのである。
・・・・・・・・・・・・
※剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)、仁(じん)に近(ちか)し 
(論語・子路第十三)
 芯があり辛抱強く、素朴で口数の少ない者は、最高の徳である仁に近い人物と言って良い。徳とは、仁(思いやり)・義(正しい心)・礼(礼儀)・知(知性)信(信用、信頼)を指す。すべての徳は仁が土台となる。対義語は、巧言(こうげん)令色(れいしょく)(愛想のいいことを言ってこびへつらうこと)である。「巧言令色鮮(すくな)し仁」だ。
                   (会報「矍鑠」11号から)
谷口会長
サツキ「千代の光」 幹回り49㌢

平成31年度(令和元年度) 総会での就任挨拶

 みなさん、こんにちは。本日は、ご出席ありがとうございます。辻会長の後任に就任しました 谷口 です。よろしくお願い申し上げます。
 只今、辻会長が退任のご挨拶を述べられましたが、永きにわたりまして、本連合会のためにご尽力を賜りました。会を代表しまして、心から感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。今後は、三生連の顧問として、いろいろとご助言を賜る事になっております。引き続き、ご指導をよろしくお願い致します。
 本日は今年度の総会を開催致しましたところ、森町長様、山田町議会議長様、廣津生駒郡生き生きクラブ連合会会長様、お三方にご臨席を賜っております。ご多用のところまことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 さて、私、三生連の新会長としまして、微力ではありますが精一杯努めます。ご支援、ご協力の程、何とぞよろしくお願い申し上げます。三生連の運営につきましては、辻会長がきちんと軌道を敷かれておりますので、それをさらに堅固なものにして着実に歩みたいと思います。
 ご承知のとおり、高齢者の会を取り巻く環境にはひじょうに厳しいものがあります。そのような中ではありますが、会員の皆様方のご支援ご協力を糧にしまして、しっかりと運営に努めます。よろしくお願い致します。
 本日も総会終了後、いつものように余興がございます。最後までお楽しみください。
 はなはだ簡単ではありますが、これにて開会のご挨拶と致します。(平成31年4月15日)

辻 前会長 総会での退任挨拶

   皆様 こんにちは。第47回総会に多くの方のご出席を頂き誠にありがとうございます。
 私は、上田会長の後を受けまして、平成27年4月から2期4年間、三老連の会長を務めさせて頂きました。私なりに精一杯務めさせて頂いたつもりですが、至らないところも多く皆様方にご迷惑をお掛けしたことも多々あったと思います。皆様方から暖かいご支援を頂き、何とかここまで務めさせて頂きました。役員の方々、及び会員の皆さま方に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 私の在任中は全国老人クラブ連合会の100万人会員増強運動の期間でございました。それで少しでも会員増につながる活動をと支部長の皆様方にお願い致しました。一方三老連(現三生連)としましては、「少しでも魅力のある会にすること」及び「会を活性化する事」が重要と考え、ハイキングなどの行事を充実させること、新しいクラブを立ち上げる事を考え、習字、自彊術、論語、万葉集などの新しいクラブを立ち上げることができました。またいろいろの情報を会員の皆さま方にお伝えすることが重要と考え会報を創刊致しました。昨年には、会の名称を「三郷町老人クラブ連合会」から「三郷町生き生きクラブ連合会」に改称する作業を行い今年の4月から実施致しました。このようなことで三生連を少しでも魅力のある会にすることに努めて参りました。そしてこの4月1日に、谷口新会長にバトンタッチをさせて頂きました。
 谷口さんは、私の2期目から副会長としていろいろな面で私を支えて頂きました。谷口さんは会報の編集委員長、「論語に親しむ会」の講師、そして東信貴ケ丘福寿会の会長を務めておられ活発に活動しておられます。谷口さんは、何といってもその若さとバイタリティーにあふれた方ですので、三生連の厳しい状況も果敢に乗り切って頂けると期待しております。
 皆様方には谷口会長を支えて頂き新しくスタート切りました三生連に温かいご支援を賜りますよう切にお願い申し上げます。私自身も顧問としまして新しくスタートしました三生連のために少しでも働かせて頂きたいと思っています。
 最後になりましたが、役員の方々、そして会員の皆さま方には、この4年間いろいろとご協力ご支援を賜り誠にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

魅力ある会に       前会長 辻 孝三(顧問)

   新緑の候 会員の皆様には、ますますお元気でお過ごしのことと思います。日頃は、本会にご支援、ご協力を賜りまして、深謝申し上げます。
 さて、本会の会報は、本号から名称が「矍鑠」(かくしゃく)となりました。何となく、難しく思われる方もおられましょう。ですが、卒寿となられましても、矍鑠とした先輩方が多い本会にふさわしい名称であり、徐々に馴染んでくることを確信致します(6頁に由来・語源を掲載)。一年もすれば、一目一声で誰からも、本会会報とお分かりいただけるでしょう。会員の皆様のご協力により、県内外から注目されるような会報に育てたいものです。
 ところで、超高齢社会では、高齢者がその豊富な経験と知識、時間的余裕を生かして、社会に貢献し、生きがいをもって生活することが望まれます。その手助けをする老人クラブの役割はとても重要ですが、社会情勢の変化などもあって、残念ながら会員数は全国的に減少しています。
全国老人クラブ連合会では、平成26年から百万人会員増強運動を実施し、3年が経過しました。三老連の会員数の推移を見ますと、平成27年4月には1315名、28年4月には1297名、そして本年4月には、1197名となりました。昨年からは100名の大幅減です。それでも、昨年は28支部中6支部で会員増を達成し、3支部が県老連から会員増強躍進賞を受賞されました。また、本年4月の調査でも8支部が会員増を達成しておられます。非常に嬉しいことです。今後も会員増強推進にご協力をお願い申し上げます。
 三郷町では、60歳以上の方は、平成28年4月現在で8171人おられます。老人クラブへの加入率は約16%です。何とかもっと上げていく必要があります。粘り強く地道な活動を続けて行かねばなりません。本会をより魅力あるものにするため、昨年新しい取り組みをしました。平城宮跡の散策、馬見丘陵公園ハイキング、健康教室などの実施。また、新しい教室として、習字教室、自彊術健康教室、論語に親しむ会、万葉集を楽しむ会などを開講しました。待望の会報創刊も、その一つです。ですが、これらの活動は緒に就いたばかりです。今年も継続して、活性化を図ってまいります。皆様のご協力をお願い致します。
 全国老人クラブ連合会のスローガンは「のばそう! 健康寿命 担おう! 地域づくりを」です。家に閉じこもらず、積極的に外出しましょう。外には、生きがいと健康づくりの場が大きく拡がっています。三老連の行事やクラブ、教室などにも積極的にご参加ください。
 最近「友達の数で寿命は決まる」という本が出ていますが、できるだけ多くの人とつながりを持つようにしたいものです。「担おう! 地域づくりを」については、まずは地域の行事に積極的に参加し、経験を生かして地域を活性化させましょう。
 また、介護保険制度の改定により、「新地域支援活動」が重要になっています。三老連におきましては、現在も友愛活動やボランティア活動、奉仕活動を展開していますが、さらに充実させていくことが第一だと思います。特に見守り、居場所作り、簡単な手伝い、環境美化、世代間交流などの活動も拡げていきたいと思います。
 本年も三老連の活動をさらに充実させ、皆様に喜んでいただける魅力ある会になるよう努めます。会員の皆様方におかれましても、所属する会と三老連の活動内容とその良さ、楽しさを未加入の方にお話しいただき、入会を勧めていただくよう切にお願い申し上げます。
             (平成30年4月末・会報「矍鑠」第2号から)
辻 前会長

会報名称「矍鑠」の語源・由来

  「矍鑠」の語源・由来
意味・歳をとっても丈夫で元気のよいさま。 
出典・後漢書の馬援伝。
62歳という高齢の馬援が敵陣に立とうと光武帝に申し出たが、老齢を気遣い許さなかった。馬援は甲冑をつけて馬に乗り、威勢を誇示したところ、光武帝は「矍鑠たるかなこの翁は」と感嘆したという故事から。
矍は、眼をきょろきょろさせ、素早く反応するさま。鑠は、輝くさま、あるいは、生き生きして元気がよいさま。
※当時の平均寿命は、40歳代後半から50歳前半と推定される。ゆえに、当時の62歳は、現代で言えば90歳を優に超える年齢だろう。

連合名改称と会則の改定に向けて

   本連合は、平成31年4月1日付で、「三郷町老人クラブ連合会」から「三郷町生き生きクラブ連合会」に変わりました。 

 7月の西日本豪雨による被害は、水害としては平成になってから最も悲惨なものとなった。広島・岡山・愛媛をはじめとして、被災された皆様には心からお見舞いを申し上げる。会員ご自身も、会員の関係者の中にも、被災された方が居られたのではないだろうか。

 その後は一転、猛暑が続き、とうとう最高気温の記録まで更新した。酷暑が続き、体調維持には苦労されたことだろう。多くの会員から、「年々ますます暑さ寒さが堪える」との声が聞こえる。暑さ寒さも気にならずただ遊びに夢中だった幼き頃、その頃に戻りたい。そうは思わないだろうか。もっとも、遊び惚けて勉強しなかったのは私だけかも知れないが。とにかく、早く涼しくなってほしい。
 そのような中、ようやく朝夕の風に秋の訪れを感じるようになった。とは言え、まだまだ残暑は厳しい。会員の皆様には油断なさらず、水分補給にご留意されるなどくれぐれもご自愛願いたい。
 前置きが長くなったが、日ごろは、各支部での活動や三老連の催しなどへの参加を通してのご支援、ご協力を賜り、心から感謝を申し上げたい。会員減が続いている厳しい状況の中、何が求められているかと思うとき、大事なのは会員の結束であり協力であろう。その点、心強いものがあり有難く思っている。

 「矍鑠」は今号で8号
 さて、会報は今号で8号となった。名称が「矍鑠」となった2号(平成29年4月発行)から編集長を務めている。当初「矍鑠」の名称には賛否両論があった。否定的な意見には「そのうちに馴染んで来ますから」と申し上げて来た。1年半が経過した今、如何だろうか。定着して来たと思うのだが……。他町から「いい名称だね」と羨望の声を少なからず聞く。一方、内容的には編集の拙さから稚拙の誹りを免れない。ただ、編集(製作)方針の一つ「作成のすへてを自前で行い経費削減に」を守り、向上心を忘れていない事には胸を張れる。業者を頼らず浮かせた経費で、従来から希望の多かった新しいコピー機(プリンター)を購入出来た。
 今後も飽くこと無く内容の充実を志向する。期待に応えられるよう努める。だが、さらなる充実のためには、会員からのご寄稿が欠かせない。支部のニュースなども、もっともっとお寄せいただきたい。

 率先垂範の姿勢と八面六臂のご活躍に感服
 ところで、僭越ながら、そして失礼を省みず本連合の辻会長について触れたい。
 辻会長のいつも笑顔を絶やさぬ温厚な人柄と、率先垂範の姿勢には敬服する。ただただ頭の下がる思いだ。氏を知る方には、共通の思いであろう。常々私は、組織(会)の長たる者は「組織(会)のことを誰よりも思い、誰よりも組織(会)のために汗をかかなければならない」と考える。黙々と実践されているのが辻会長だ。真似たいと思っても、愚昧不肖の私などには到底無理である。孔子の弟子顔淵(がんえん)が、孔子のことを「之を仰げば彌々高く、之を鑚れば彌々堅し。之を瞻るに前に在り、忽焉として後に在り……」(これをあおげばいよいよたかく、これをきればいよいよかたし。これをみるにまえにあり、こつえんとしてしりえにあり……【論語】子罕第九)と。まさに、辻会長のことを言い表しているようだ。
 私は歴代の会長についてほとんど存じ上げない。立派な方ばかりであっただろう。辻会長も負けず劣らず、ひたすら三老連のために汗をかかれて居られる。この機会に、活動の一端をご紹介する。 
 会長に就任後、「自彊術体操教室」(現在、「健康体操教室」)「習字教室」「万葉集を楽しむ会」や「論語に親しむ会」など、新しい教室(学習会)を立ち上げられた。それらは既存の同好会などと同様に、熱心な会員に支えられ地道な活動が続く。春秋の「ハイキング」も始められた。毎回、盛況である。会報も創設された。「矍鑠」は、他町の会報にも多少なり刺激を与えている。生駒郡生き生きクラブ連合会(以下、郡生連)の中に「切磋琢磨」(せっさたくま)する雰囲気を醸成するのに一役買っていると言ってよい。また、役員会や支部長会議において議長・書記を置き、きちんとした会議の形を構築された。以前を知る多くの方から、「会議らしい会議になってきましたね」と……。「ムラの寄り合い」状態を脱皮させたのだ。誤解を招かないように申し上げるが、「ムラの寄り合い」を否定はしていない。それはそれで和気藹藹の和やかムードを醸し出すことに一役を……。ただ、会員千人以上の会には似合わない。
 横道に逸れたが、加えて辻会長は例のバイクに跨って、情報共有を遅滞させてはならないと支部長宅や役員の家に資料などをお届けになる。神出鬼没である。「言うは易し……」と形容されるとおり、なかなかできない事である。大した行動力だ。これらは、「信貴ヶ丘有隣会」の会長と「郡生連」の会長、並びに「県老連」の理事とを兼務されながらの、粉骨砕身の働きである。歴史の学習会である「史学 さんごう」でも中心的役割を担われている。氏の実績は枚挙に暇が無いし、東奔西走しての獅子奮迅、八面六臂のご活躍には驚きを禁じ得ないのである。
 全国的な傾向として会員増強において厳しい状況が続く中、辻会長は支部長間の情報交換の場を設けるなどの方策を講じておられる。卓越した指導力が無ければ、とうに本連合の会員数は千人を下回っていたかも知れない。
郡生連の他町の会長、副会長を存じ上げているが、みなさん識見の高い立派な方ばかりだ。それらの中でも、辻会長の人柄と実力は優るとも劣らない。燦然と輝いている。辻会長の下で、共に汗をかかせていただけることに幸せを感じる。辻会長を支えて、会発展のために惜しまず汗をかきたい。

 「会名称変更」と「会則の改定」
 三老連では、現在ほとんどの支部で「老人クラブ」の名称は使用していない。であるのに、旧態依然として連合本体が「老人クラブ」と名乗っている。県、全国の連合も同様だ。全老連は、この事について「老人福祉法」の名称が変わらなければどうにもならないと言う。政府に働きかけはしているのだろうか。法律の名称を変えるのがそんなに仰々しいことなのか、平群町や安堵町の連合会では、すでに外されている。生駒郡は、ご存知のとおり「生駒郡生き生きクラブ連合会」と称している。
 そのような中、8月17日の役員会で三役会から「会名称の変更」が提案され、長時間にわたる協議のうえ承認された。また、現在の「会則」は昭和48年の制定(過去2回一部改定)だが、実情にそぐわない点が生じている。慣行的に運用している点については明確にしなければならないと考え、改定しようとしている。9月26日の支部長会議で、会名称変更と共に「会則の一部改定」が最終決定する。 
   次号「矍鑠」9号で、支部長会議での審議結果を明らかにする。「新会則」全文も掲載する予定だ。「会員が『会則』を見たことも無い」などはあってはならない。本会は、常に「開かれた会」でありたい。  
 ついつい長々と記してしまった。会員の皆様には、引き続きのご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げる。
              (会報「矍鑠」第8号から)

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  みなさん、こんにちは。
 日ごろは、三生連の活動にご協力を賜りまして感謝申し上げます。本日は、森町長にご来賓としてご臨席を仰ぎ、第21回の「友愛のつどい」を開催しましたところ、このように大勢のみなさんにご出席いただきました。ありがとうございます。三日間で約220名の方にご参加いただきます。お世話いただく方を合わせると300名近くになります。
   森町長には、公務ご多用の中、本連合会のために貴重な時間をお割きいただき深謝申し上げます。町政の推進には様々な課題が山積していると思われますが、粉骨砕身のご活躍をいただき、県内はもとより、全国的にも稀有の大きな成果を収められていますこと、重ねて感謝致します。今後も微力ではありますが、三生連は町長をお支え申し上げたいと思います。
   さて、会員のみなさんには、それぞれに生き生きとした人生を送られて居られることと思います。今後も、森町長が先頭に立って推進されているフレイル健診に、また町や社協、そして三生連の実施しているさまざまな行事等に積極的にご参加いただきまして、健康寿命をさらに伸ばしていただきたいと願います。
  「友愛のつどい」の開催に当たりましては、実行委員長であります西村女性部長をはじめ女性部役員の皆様、三生連本部役員の皆様、そして社協職員の皆様など、多くの方のご尽力があります。御礼を申し上げます。
   最後に、本日の「友愛のつどい」が実り多いものになりますことを祈念し、簡単ではありますが開会の挨拶と致します。

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