三郷町生き生きクラブ連合会(三生連・さんせいれん)

会長から

論語に学ぶ 論語精髄 ➂

 命を知らざれば、以て君子たること無きなり。礼を知らざれば、以て立つこと無きなり。言を知らざれば、以て人を知ること無きなり。(堯曰第二十)

 めいをしらざれば、もってくんしたることなきなり。れいをしらざれば、もってたつことなきなり。げんをしらざれば、もってひとをしることなきなり。                                  

 

 天命を知らなければ、君子となることは出来ない。礼を知らなければ官位に就くことが出来ない。言葉(議論)の意味を知らなければ、人を評価することが出来ない。 

 

 天命を知らないでは君子たる資格がない。礼を知らないでは世に立つことができない。言葉を知らないでは人を知ることができない。

下村 湖人「現代訳論語」

 

 『天命』を理解した人物のみが君子になれるというある種の宿命論が説かれており、礼制・知性(言葉)を持つ有徳の士が己の天命を知ることによってのみ、『道』を実践できるということが示されている。

 孔子の教えとは、「君子の学」「リーダーシップの学」と言ってよいだろう。論語の冒頭 学而第一「子日わく‥‥人知らずして慍みず、亦君子ならずや」に始まり、煎じ詰めれば君子の要諦とはこうだと堯日第二十の最終章で結んで、論語全篇を締め括っている。
 論語はある意味雑纂だが、最初と最後については編者たちも気を遣ったと思われる。論語は起承転結が整っていないが、起と結をきちんと対応させて結んでいる。

 この章句は、指導者たるものは、自分の使命を自覚し、教養を育み、日頃の所作を含めて模範となるように心掛けなさい。また人の話をよく聞き、理解に努めることから始めなさいと言われていると理解したい。
 「あのような態度ではね」と言われたり、人の話を聞かない傲慢さを指摘されるような人を反面教師とすることが求められている。

 天命や運命があるかないかということは、難しい問題である。科学的に証明できるものではないから、そんなものはないという見方もできる。しかし、孔子は天命があるという立場で、自分は五十歳にして天命を知ったとはっきり言われた。つまり、孔子は古の聖人が説き実践した正しい道というものを研究し、それを現世に生かし後世に伝えることを生涯の仕事としたが、それは単に自分一人の意志や考えでやっているのではなく、それを超えたもっと大きな力、すなわち天命によって、いわばやらされているのだと考えたわけである。

 人間の心には、いつも煩悩が先行しているのではないだろうか。目先の私欲に振り回されるドロドロとした心ではなく、自らの欲望を抑えたサラサラとした清々しい心になれるようにしたい。
 孔子のように、歳を重ねるごとに精神的にも成長を遂げることは易くはないが、そのように努めたい。そして、一生を終える頃には、欲に心が支配されない悟りの境地に近づきたい。
 あの世には、地位も・名誉も・財産も持って行けない。持って行けるのは自分の心だけである。いつ自分の欲を吹っ切れるかが大きな課題であるが、悟りをめざす心を持ちたい。悟りをめざす心をあの世へのおみやげとして持って行くことができたならば、あの世でも迷うことはないと信じる。

 私たちが植物を見れば、皆同じように映る。植物は時期が来れば同じように芽を出し、花を咲かせ、実をつけてを繰り返し、最後は枯れて行く。地味の豊かな土地に育った植物は、他より太い茎を持ち、他より美しい花をつけるかもしれない。よく手をかけてくれる人のもとに生きた植物も同様である。けれども、その生長の機序は他と同じだし、終末に至るまでの行程も同じ、最後に枯れて無に帰する点も同じなのである。
 大局的に見れば、草木は皆同じ生を全うして枯れて行く。人間も草木と何ら変わりはない。金持ちか貧乏か、有名か無名か、見た目には大きな違いがあるように映るけれども、人間の死に至るまでの行程は皆同じなのである。生まれて親に養われ、教育を受けて自立し、職を得て結婚し、子を育てて死ぬ。この全行程こそが生きるということの実質であり、天が人間に与えた宿命なのだ。この宿命を、孔子は「天命」と呼んだのである。
 孔子は、「人は50歳くらいになれば、人間が皆同じような行程を歩み、同じ悲喜哀歓を感じ、同じように嘆きつつ死んで行くことを悟るだろう」と考えた。自分がそういう運命共同体の中に置かれて、万人と等しい生を送ることが天命なのであると。「人に課せられた、このような冷厳な現実を知った人間は、以後この枠から飛び出すようなことを考えない」とも。
 孔子は「天命を知った人間が何を欲しようと、その欲することが倫理の枠を逸出することはない」と言われている。孔子の「天命」がこのようなものだとするならば、彼は魯の国の人間ばかりでなく中国全体、世界全体の人間もまた「天命を知る」存在と考えていたのかも知れない。彼が現代に生きていたならば、人類全体を同胞と見る世界市民論者になっていたとも考えられる。だからこそ、彼はソクラテスや釈迦と並んで、「人類の教師」と目されるのである。

 今、働くことの意義を見失った人が増えているのではないか。一昔前なら、名の知れた企業に就職し、仕事に励んで失態さえしなければ、収入もポストもまず安泰だった。しかし今は厳しい競争の中、頑張ってもなかなか成果が得られず、見返りも少ないと嘆く人が多い。だが、「働く」とは地位や収入のためだけのものだろうか。よりよく生きるための手段ではないだろうか。
 孔子は「子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きか。晝夜を舎かず」(子罕第九「仮名論語」119頁6行目)と言われた。人生とは死へと向かっているものである。これが大前提だ。だからこそ、「どのように生きることを楽しむか」を大切にするべきなのだ。働く意義を考えるなら、まず人生を高い見地から見つめ、「自分はこういう人生を歩みたい」と本質に立ち返ってみることが求められる。
 学校を卒業すると「それが務めだから」という理由で企業に入り、漠然と毎日を過ごしている人が多くはないか。清新な気持ちで会社に行けるのはせいぜい3年だろう。漫然と通勤し、与えられた仕事をこなし、帰ってくるだけ。目の前にある課題に追われ、見直す余裕もない。だから40代半ばにもなると、自分が何のために生きてきたのかが分からなくなってしまう。世間でいうよい学校へ入り、よい企業に所属すれば幸福になれると教え込まれ信じてきた。だが、現実は違うと悩み目標を失って苦しむ例が少なくない。

 40歳を「不惑」と呼ぶことは誰もが知る。50歳は「知命」である。すなわち「天命を知る時期」なのだ。50歳を迎える前に、誰もが一度自らの歩みを振り返る時間を持ち、自分の天命とは何か考える必要があるだろう。仕事を通してどのように社会に貢献できるか見つめ直した結果、仕事に対しまったく別の意義を見出し、心新たに取り組めるようになるかも知れない。
 私が気になるのは、一般に地位を得ることや金銭的に豊かになることを人生のゴールと考えるケースが多いことだ。そう思い込んで走り続けてきたものの、地位を得た瞬間に虚しさに襲われる人がいる。人生のゴールは、天命を果たすことにあるとも言える。孔子は「命を知らざれば、以て君子たること無きなり」と。自分に与えられた天命がわからないようでは、人を率いることはできないと言われる。

 職業選択とは、本来は「天命」の延長として考えるべきものだろう。ここでいう「天命」とは、決して大きなことである必要はない。生きていくうえでは誰しも役割を持っている。子は子としての役割、親は親の役割、夫や妻の役割、社員としての役割があるはずだ。それをきちんと果たしていくことで、その上に人生の確立があると言える。世間的に活躍する必要はなく、きちんと生きることが大切なのである。自分を枠にはめずに学び続けることが重要だ。

 働くことの原点は、人から羨望の眼差しで見られる会社に勤めることでも、高い給料を得ることでもない。孔子が「憤を発しては食を忘れ、楽しんでは以て憂いを忘れ、老の将に至らんとするを知らざるのみと」(述而第七「仮名論語」87頁6行目)と言われているように、時には社会的な問題に憤って行動し、食べることさえ後回しになるとか、楽しみが多くて憂いを忘れ、さらには自分が老いていくことさえ忘れてしまうぐらい仕事に熱中できれば素晴らしい。つまり仕事を好きになることこそが大切なのだ。「敏にして学を好み、下聞を恥じず」(公冶長第五「仮名論語」56頁5行目)のように、知的好奇心や向上心が旺盛で、たとえ目下の人間にも質問することを恥じなかった孔子は、のちに歴史に残る人となった。このような情熱を、自分の仕事の原点として持つことが重要である。
 しかし、一般には日々の仕事に埋没し、そのような情熱が持てないという人も多いだろう。情熱をかき立てるためにはどうすればよいのか。同年輩の優れた人を参考にすることも一つの答えだろう。過去の偉人を、発奮材料にするのはなかなか難しい。しかし、同世代の人なら「よし、自分も頑張らなくては」と思えるはずである。

 孔子は、「憤せずんば啓せず」(述而第七「仮名論語」82頁4行目)とも言われる。発奮しなければ自分を広げることもできない。だから刺激を求めてどんどん外に目を向けたい。最も愚かなのは、自分で枠を作り、そのなかに閉じこもってしまうことだ。「冉求曰く、子の道を説ばざるに非ず。力足らざればなり。子曰く、力足らざる者は、中道にして廃す。今女なんじは畫れり」(雍也第六「仮名論語」71頁5行目)と。孔子の弟子の冉求は、「先生の教えは素晴らしいと思いますが、私の力で実行するのは不可能です」と言った。そのとき孔子は、「力が足りない人間なら道半ばであきらめるもので、今のお前は最初から自分を見限っているだけだ」と諭すのである。
] 「できない」という言葉を、安易に口に出してはならない。難問、難題は、実力向上のチャンスと捉えるべきである。日々に埋没し、向上心を失ったとき、人は目標もまた失う。惰性のままに流れていく毎日にやりがいをなくし、ただ老いるだけの人生にどんな幸せがあるだろう。常に学び続けるなら、自ずと人生は豊かなものになる。「学びて時に之を習う。亦説よろこばしからずや」(学而第一「鉋論語」1頁1行目)。孔子は学びのなかに悦び(説は同義)があると言われるが、「悦び」は「喜び」とは異なる。「喜び」は瞬間的なものを意味し、「悦び」は何度でも繰り返し湧いて来るものだ。何か自分のテーマを持って学び続けると、一つ分かっても次々に新しい疑問が湧くはずである。それを解いていくうちにさらに発見がある。そのような「知の悦楽」を知った人なら、実り多い人生を送ることができる。
 また、学びを通じて、徳を高めることもできるに違いない。孔子は、「徳は孤ならず、必ず隣有り」(里仁第四「仮名論語」46頁5行目)とも言われる。社会的地位を得て、金銭に恵まれても、信頼できる友人もおらず、孤独な人生を送る人は少なくない。ところが、天命を知り、学び続けることによって人徳を高めた人の周りには、必ず友人が集まって来る。どれほど苦しいことがあっても、よい仲間や家族がいれば、人は乗り越えていくことができるのだ。

 人生は心がけ次第である。今、与えられた役割に感謝したい。孔子は「君子は憂えず懼おそれず。(中略)内に省みて疚やましからざれば、夫れ何をか憂え何をか懼れんと」(顔淵第十二「仮名論語」164頁3行目)と言われる。君子は自分のなかに疚しいことがない。だから何ものも憂うことがなく、恐れる必要もない。自分で疚しいことをせず、堂々と生きればよいのだ。それがよりよい人生を送るためのポイントと言える。また、孔子は「君子は坦かに蕩蕩たり」(述而第七97頁1行目)とも。憂うことなく、恐れることもなく生きているので、君子はいつもおおらかでゆったりとしている。それがまた人を引き付け、人生を豊かにしていくのである。
 日々の仕事は高い目標を課せられ、苦しいことばかりという方が多いかもしれない。しかし広い視野から自分の仕事を見たとき、社会的意義の大きさを感じるとか、今苦しくても大きな成長のチャンスがあると思えるなら、そこには潤いが生まれる。今、このときに「このように仕事に打ち込むチャンスを与えられることがありがたい」と思えるかどうかである。高いところから人生を見直し、そこに隠れたチャンスを発見したい。
 

 孔子は50歳で「天命」を知ったが、私は若いときに「自らの『天命』は何か」などと考えたことはなかった。一般的には、恐らくみなさんも同じではなかろうか。私の場合、もう少し早く論語の学びを深めていれば、もしかしたら早い時期に自らの『天命』について考えが及んだかも知れない。そうであれば、少し違った人生を歩んだかも知れない。
 遅ればせながら、現在は自らの使命について少しは考えたりする。
私の使命は、高齢者の会の役員(会長)として会の運営をスムーズに運び会員から喜んでいただくこと、それと論語塾で「論語」を講じることを以て、「論語」の普及に貢献することの二つである。
 その一環として、毎朝続けている地域住民の健康増進に貢献することを願って始めた「ラジオ体操会」をこれからも継続する。地域での「ラジオ体操会」は、6年4か月続けている。一年365日というのは楽ではないが、参加者からの「ありがとう」を糧に、また協力者の支えで以って、日々心を新たにして努めている。私の使命は小さなことばかりだが、『天命』として自らの心に刻んでいる。

 人は誰でも、天命を授かって生まれてくると言われる。しかし、多くの人は天命に気づくことが出来ていないのかも知れない。なぜなら、何気なく生活しているだけでは天命は見つからないだろうから。天命というものは、すぐに見つかるものではないと思う。なので、常に自問自答することが求められる。そして天命が見つかったとしても、努力せず毎日を適当にこなしていたら天命を全うすることは出来ない。  
 天命とは何をやるかという内容のことを指すのではなくて、「どう向き合っていくか」という姿勢のこととも言える。自らの天命を見つけて目の前のことに全力で取り組み、身近にいる大切な人たちの役に立つ行動をして、天命を全うしていく。

 理想の人間つまり君子の究極の目的は、天命を理解することである。これはすこぶる神秘的である。理性的な孔子も、窮極では神秘的にささえられているといっていいであろう。

貝塚 茂樹「論語」 

 

 荻生徂徠は、この最後の章は、学而第一の最初の章と首尾相応ずるのであり、「是れ編輯者の意也」、とする。いかにも「学んで時に之れを習う」は、言を知る努力であり、「人知らずして慍らず」は、命を知る努力である。

吉川 幸次郎「論語」

 

 この章句は人の知るべき肝要なことを示したのである。この三つを知れば、君子の事は完備する。孔子の弟子がこれを記して論語の最後においたのは意味のないことではない。学者が幼少の時からこの論語を読んで、老年に至るまで一言も己の厄に立てることを知らないで名利に没頭して世を送るならば、聖言を侮る者に近くはなかろうか。このような者は孔子の罪人である。深く念わなければならぬのである。

宇野 哲人「論語新釈」

国は情報開示を 「恐怖」をむやみに煽るな

 武漢ウィルスの新規感染者数が増加傾向にあり、憂慮すべき事態である事に疑いの余地は無い。
 ただ、次の点を国は国民に明らかにすべきではないかと思う。

1 武漢ウィルス禍以前と以後の年別 
 全死亡者数と年別死亡率の比較

2 武漢ウィルス禍以前と以後の年別  
 インフルエンザ感染者数の比較

 細かくは他にも多くあるが、先ずはこの2点である。

 テレビや新聞の報道では、武漢ウィルスの怖さが強調され過ぎているように思えてしかたがない。国民の油断を助長するのはよくないが、恐怖感ばかりを植え付けてはならない。
 高齢者の中には、テレビに釘付けになる方も多いだろう。武漢ウィルス禍の現在は、その傾向がより強いと思われる。
 国は情報を広く開示して、油断はならないがむやみに恐れることはないということも強く言うべきだろう。
 私たちの側も、大手マスメディア(テレビ・新聞など)の報道を鵜吞みにしてはならない。偏向報道が甚だしい事を知る必要がある。





「四海波」

   拙庭の椿「四海波」が開いてきた。白または桃地に紅の大小縦絞り八重咲大輪で、時に紅花も咲く強健な品種だ。40年以上前に仕事帰りに苗木を購入した。枝は太くしっかりと出るが、一般に背はあまり高くならない。だが、我が家の木は3㍍50以上に育った。愛知県の尾張地方では、生垣用品種としても愛されていると聞く。

 謡曲「髙砂」の中に、「四海波静かにして…」というくだりがある。おめでたい席等で謡われ、波風がおさまって、天下国家が平和なことを祝うものだという。
 愛知県知多郡武豊町富貴に「四海波」という海岸がある。大変景色のよい所だそうで、ここの波の形が変わっているので、竜宮城への入り口ではないかという浦島伝説もあるという。

論語に学ぶ 論語精髄 ➁


 子曰わく、朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。   

                            (里仁第四)

 しのたまわく、あしたにみちをきけば、ゆうべにしすともかなり。

      

 孔子が言われた。「朝、真理を聞いて悟ることができたなら、夕方死ぬことになったとしても悔いはない」と。

 

 真に生きる道を知りさえすれば、肉体の死のごときは、もはやなにものでもありはしない。

       五十沢 二郎「中国聖賢のことば」

 

 ここで言う道とは、「真理」のことと思われる。五十沢二郎の「真に生きる道を知りさえすれば、肉体の死のごときは、もはやなにものでもありはしない」は、見事な解釈である。

 孔子は、現実のみならず眼に見えない世界の真理をも知りたいと思っていたのではないだろうか。しかし真理を極められなくて、「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」と漏らしたのではないか。おそらく孔子の発言の裏には、「理想社会の実現」というものが悲観的に含まれていたと思われる。「悲観的に」というのは、孔子自身の意見が多くの国で受け入れられず(理論的には理解されただろうが)、君子による徳治政治の実現する見通しが立たなかったからである。

 「道」という言葉を、各人がそれぞれの思いを当てはめて読むとよいだろう。『それを学ぶことができたら、死んでもいい』というくらいだから、人生をかけて探し続けるべきものだと解釈したい。それがどこにあるのか、どうすれば見つけられるのか、探し続けることが人生の目的の一つであるような気がする。「それぞれの道を求めて必死に生きる」、その前提として他者の幸福を一番に考える。何と素晴らしいことだろう。世の中のすべての人がこういった生き方をすることが出来たならば、皆が幸せになるだろう。 

 「覚悟を持て」「覚悟はあるか」など、『覚悟』という言葉を使ったり聞いたりする。辞書には、覚悟とは「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること」「迷いを脱し、真理を悟ること」「きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること」などとある。  
 「覚悟を決める」「覚悟を以て事に当たる」ということを、大切にしたい。なぜなら、自らの人生と真剣に向き合っていくためには覚悟を決めるということが必要不可欠だと考えるからだ。もし、覚悟が無ければどうなるか。覚悟を決められないということは、自らの行動や言動が招いた結果を受け入れない態度を取ってしまうということに他ならない。 つまり、自らの人生に対して無責任な態度を取るということであり、物事がうまくいかないときには、自分ではなく外部に(他者に)責任を求めるということにつながる。

 事あるごとに責任逃れを考えていては、当たり障りのない行動ばかり取ってしまうようになる。全責任を負うのが怖くなり、縮こまって挑戦しなくなるだろう。果たして、こういった態度で自らの人生をより良くしていくことはできるだろうか。確かに覚悟を決めるということは難しい。
 人は一般に、大した挑戦をしてきたわけではないし、何かを成し遂げてきたわけでもない。 見栄を張ったとしても、本心では何とも言えぬ不安を抱えているだろう。そうなると、周囲に同調することばかりを考え、今抱えている不安や自らの未熟さを、見て見ぬ振りをしてごまかそうとするかもしれない。仮にこういった態度のまま何かに挑戦したところで、得られる成果はたかが知れている。

 覚悟を決めた人間とそうでない人間とでは、明らかに行動に差が出る。 すべてを投げ出してでもやると決めた人間は、望む結果を得るために最大限の努力をする。努力することを惜しまないのだ。うまくいかない場合のことも覚悟しているから、そうはなりたくないとがむしゃらに努める。時に不安を感じることがあったとしても、その不安を打ち消そうと自らを奮い立たせる。覚悟を決めることができれば、不安を、自らが成長するためのエネルギーに変えていくこともできるのである。しかし、覚悟を決められない人間は安全圏という殻を破ろうとせず、いざというときの責任逃れのための言い訳を探しながら行動してしまう。挑戦を前にやるべきは、「覚悟を決めること」である。そして、その覚悟を大切にして、全身全霊で自分の人生や物事と向き合う。そうすれば、事を成すことができる。喜びを得られるだろう。覚悟を決めてこそ、人生をより良く生きられるのだと信じる。

 覚悟を以て人生を送っている人は、言い訳をしない。例えば、それが誰から見ても失敗だと思えるような選択だったとしても言い訳をしない。その経験が未来に繋がると信じているからだ。人生を覚悟している人は自分の言動に責任を持っている。人生を覚悟している人は、自分の人生に希望を持っている。目の前の事を全力で楽しめる。どん底の経験ですら笑いに変えられる。人生を覚悟している人は、感情が豊かだ。よく笑う、よく泣く、時には本気で怒る。未来に過剰な期待をしていない。未来は自分で切り拓いていくものだと思っているからだ。良い意味でドライである。他人に対して必要以上に干渉しないし、必要以上に同情もしない。自分がこれでいいと納得したらそこで終わりにする。その後の受け取り方は相手に委ねる。

 この短い孔子のことばには、いつもの温厚な調子とは似つかぬ激しい感情がこめられている。古注では、「道を聞く」の道は真実の道というような抽象的なものではなくて、現実に道徳的な社会が実現していることをさすとみる。そして道徳的な理想社会は、自分の一生のうちには実現することはなかろうという絶望に近い感情をあらわしたのだと解する。これにたいして、朱子の新注は、道を心理と解し、朝、真理が知り得たら、夕に死んでもよいという、真理を求める積極的な意思を示していると説いている。孔子がこのことばをどんな状況で、どの弟子にむかって話したのかよくわからないけれども、春秋末の乱世のことであるから、「朝に道を聞いて、夕に死する」ことは、朱子の新注などが説くように、たんに真理を求める気構えをあらわすだけではなく、生命が朝にして夕をはかれない緊迫した社会における、もっと切実な発言であった。

             貝塚 茂樹「論語」

 

 衛霊公第十五(「仮名論語」231頁7行目)に「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成すこと有り」とある(志士(志の高い人)や仁人(仁徳を体現した人)は、命が惜しいからと言って仁の道を曲げるようなことはしない。むしろ、我が身を犠牲にしてでも仁の道を成し遂げようとする)。

五十沢 二郎は、「中国聖賢のことば」の中で

 「真の生命愛に生きる人々は、肉体への執着のゆえに生命の愛を犠牲にしたりすることはない。むしろ、生命への愛のためには、おのれの肉体をも犠牲にして悔いないものである」と。

宇野 哲人は、「論語新釈」の中で

 「仁に志す人と仁を完成した人とは、道徳上死ぬのが当然な場合には生を求めて仁を害することなく、むしろ己の身を殺しても仁を成し遂げるのである」と通釈している。 

 高潔な目標を持っている『志士』と仁の徳性を身につけている『仁人』は、日常生活の中では自己の生命を尊重するが、仁徳を達成するためにどうしても自らの命が必要であると覚悟すれば、その身を潔く捨てることに何の躊躇もないということである。だが、軽々に「命は惜しくない」と言ってはならない。何のために命をかけるのかが問われる。親から頂いた命は、飽くまでも惜しまなければならない。
 志士仁人の心構えはある種の自己犠牲精神とも言えるが、政治権力による人民の道具化につながる(利用される)恐れもある。だから、志士・仁人は『(他からの強制のない)個人の自発的な覚悟・克己』によって世の中のために働くのだということを忘れてはならない。とにかく、男女を問わず、「責任」と「覚悟」をもった生き方が問われるのである。政治に携わる者が皆、このような生き方をすれば、「民の徳厚きに帰す」のであろう。

 「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成すこと有り」は、峻烈な章句である。現代の人は命を捨てても仁徳を貫こうとか考えないだろうが、幕末の勤王の志士たちはこのような言葉を聞いたらさぞ感激しただろう。普通、人は誰でも生を好み、死を悪むものである。しかしながら、仁徳と生が矛盾する場合、生を捨てて仁徳を貫くものだと言われる。到底、私たち生半可な者には実行出来ない。この章句から子路を連想してしまう。いかにも子路の好みそうな言葉だ。私はこの章句を読むと身震いを禁じ得ない。真摯な生き方(考え方)に対し、頭を垂れるしかない。私たちは、先ず自分の身を正すことから始めなければならない。自分の身を正すことが出来れば、この言葉の意味をより深く感ずることが出来るかも知れない。とにかく、強烈なインパクトのある章句である。

 志士であるだけでは人を惑わせることがあり、真の志士はやはり仁人でなければならない。一方で優しいだけで理想を持たなくては、何事をも為すことはできない。「理想(志)」を持つことは「人情を解した、真の思いやり(仁)」を持つことに比べれば、比較的容易だろう。日々生きることに悩みがあることは当然だし、まして変革を試みれば破壊があり、苦しみがあることは必然である。その苦しみを堪え忍ぶことができるか、また、周りの人々に堪え忍ばせることができるかが、志士と仁人の違いだと思う。決死行を強いるばかりで、その人に家族・生活があることに思いをいたさないようでは、誰も心から従うことはない。理想を持ち、「千万人といえども我ゆかん」という気概を持ちつつ、同士の生活を慮り、あえて独りで行こうとする。打算ではなく、その心性が人を動かし、志を達成させることがある。 

 仁徳の完成と、現実の生活とが矛盾する極限の場合をいったのだが、孔子にはこういった表現は珍しい。「朝に道をきけば、夕に死すとも可なり」(里仁第四)と、その表現の仕方が似ていて、それゆえに、共にわが国で愛唱されている。 

 

   己立たんと欲して人を立て 己達せんと欲して人を達す  (雍也第六)

 おのれたたんとほっしてひとをたて おのれたっせんとほっしてひとをたっす

 仁者は自分が立とうと思えば先に人を立て、自分が伸びようと思えば先に人を伸ばす。
 

 実に含蓄のある言葉だ。「自分さえよければ」というような考えが先に走ると、「他者のために汗をかく」などといった考えは毛頭浮かんでこない。  
 「人を達す」ということが念頭にあれば、争い事は起こらないだろう。私たちの日常を振り返るとき、何よりも自分の利益を求めることに追われ、人を押し退けて前に出ようとすることが多い。自分の主張を押し通した人が、結果的に得をしたりすることが少なからずある。だが、皆がそのような生き方を最優先するとき、社会は殺伐とした空気に覆われてしまう。だからこそ、自分の利益を後にして困っている人を助けたりする人が、「有徳の人」として認められることになるのだろう。 

 相手に思いやりを持って接する事が大切な事に疑う余地は無い。相手を思いやると自然と相手の立場を考えるようになり、相手を立てようと思う。ただ、遠慮をすると立てるのは違う。遠慮をしても相手を立てている事にはならないし、面倒臭い事を押し付けるようにも見えてしまう。

 相手を立てるという行為は、たとえその人がその場にいない場合でもその人の長所について話をするなどがある。その人と相対したら話をよく聞き、間違っていたとしても真正面から否定はしてはならない。それは、知恵を働かせていないように思える。知恵のある人ほど、回り込んで別の角度から物事を気付かせるように話す。それも自身に置き換えてみれば分かるはずだ。正面から否定されたら、相手はカチンとくるだろう。相手を立てることができる人は、自分がやられて嫌な事は他人にもしない。相手と自分を客観的に見る事ができる人であり、本当の意味で賢い人とも言える。

 相手を立てる事が自然とできる人は、恐らくは多くの友人を持ち、伴侶や子供などの家族に恵まれ、会社の同僚や先輩後輩とも末永くお付き合いをしているのではないだろうか。どれだけお金を稼げるかが、人の価値となるわけではない。ほんの少し折れただけで、ほんの少し相手の話に相槌を打つだけで、これからの人生が変わるかもしれない。討論で負けたとしても、命を取られる事はない。それどころか逆に信頼につながるかも知れない。今までの生き方を変える事は、ときにイライラする時もあるだろう。しかしそれは、これからの生き方を上手に変えてくれる香辛料ともなろう。相手を立てる事はそんなに難しいことではない。

 自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが仁の具体化なのだ。                                    
          下村 湖人「現代訳論語」

 過ぎたるは 猶及ばざるがごとし

                                                    (先進第十一)

  すぎたるはなおおよばざるがごとし

 子貢問う、師と商とは孰れか賢(まさ)れる。

 子日わく、師や過ぎたり、商や及ばず。

 日わく、然らば則ち師は愈れるか。

 子日わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。              


 しこうとう、しとしょうとはいずれかまされる。
 しのたまわく、しやすぎたり、しょうやおよばず。
 いわく、しからばすなわちしはまされるか。
 しのたまわく、すぎたるはなおおよばざるがごとし。


 子貢が尋ねた。「子張と子夏とはどちらがまさっているでしょうか」と。

 孔子が言われた。「子張はやり過ぎである。子夏はやり足らない」と。

 子貢はさらに尋ねた。「それでは子張は子夏よりもまさっているでしょうか」と。

 孔子が言われた。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と。 


 十分以上だということは、しかし十分以下だというのと同じように、それを完全とはいえないものである。

       五十沢 二郎「中国聖賢のことば」

 現在も日常的に使われる格言の出典である。
 孔子は『中庸の徳』の実践を重んじており、才智や能力が極端に行き過ぎている者も、才智が劣っている者と同様にバランスが崩れていて安定性がないと考えていた。常識的に考えれば、平均的な能力・知性よりも極端に優れた人物の評価は高いはずであるが、安定的な持続性と人格的な徳性を大切にした孔子は、敢えて『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』という警句を発したのである。

 「中庸」とは、「儒教」において徳の概念を表す言葉である。儒学を学ぶときの四書として定められた『中庸』という経書のタイトルにもなっている。四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』で構成され、『中庸』は最後に学ぶべきものとされている。
 『中庸』は孔子の孫である子思によって作成されたという説が有力である。孔子はその思想を体系的に語ることはしなかったが、子思は孔子の教えを理論的にまとめ、学問として体系化した。  

 「中庸」は孔子が最高の「徳」として説いた概念であり、偏ることのない「中」をもって道をなすという意味だ。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の章句も、孔子が中庸の徳を説いた言葉として知られている。孔子の言葉に、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」(「仮名論語」為政第六78頁6行目)がある。どちらにも偏らない中庸の道は、徳の最高指標であるということを述べている。

 「具体的にどのような道が中庸の道なのか」については、孔子の言葉を解釈し具体的な行動に落とし込んでいく必要がある。解釈の仕方には幅があるため、経典が難解だとされる原因でもあるが、逆にその幅があることが教えの普遍性を保っているとも言える。また、その意味を考えることが思考の訓練であり、学びそのものでもあるとも言える。 

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の章句の前文にある師とは子張、商とは子夏のことだが、子夏は「衛」の国の出身で孔子より44歳年下、子張は「陳」の国の出身で48歳年下の同世代である。ゆえに、子貢は子夏や子張よりは一回り以上先輩ということになる。子夏・子游・子張の三人はほぼ同世代で、孔子門下では学問上の良きライバルだったようだ。子張には少し生意気な所があったと言われる。先輩の子貢は、子張・子夏二人の後輩を孔子がどのように評価しているのかを知りたかったのだろう。子貢もやり過ぎる傾向があったから、孔子の言葉には心中穏やかではなかっただろう。

 真面目だという美徳が度を超してかえってマイナスとなり、「真面目すぎる」「正直すぎる」「かしこすぎる」などと言われている人が少なからず存在する。「真面目人間」とは、「他人の言うことをまともに受け止め、一生懸命やっていればそれでよい」と考えている人である。こういった人を教育し、実社会に適用させるのはなかなか難しい。そういった人は、上司と意見が合わなかったり、自分のミスで失敗したときなどにひどく悩み落ち込んでしまうことが多い。やや余裕を持った真面目さが、社会生活を送るのに必要だと言える。また、真面目なことは美徳であり大事なことだが、あまり真面目すぎるとはた迷惑になることが少なくない。

 さらに問題なのは、「賢すぎる」ということだ。誰もが賢くなりたいと願うが、賢さを真に生かすのはなかなか難しい。下手に賢さを振りまわすと、「小賢しい」ということになり人間関係を損なう。多くの賢い人たちは、たった一度の失敗をも恐れる、しかし、失敗するかもしれないという程度の危険を冒さなければ、やがてゆっくりと毒に蝕まれることになる。失敗は、いずれ学ぶであろう価値のある教訓を教えてくれ、続ける勇気を持つことは英知へと導いてくれる。

 完璧を追求することは必ずしも悪いことではない。むしろ、素晴らしい成果をもたらすことも多い。一方で、「ここまで達成していれば十分」という程度があることも事実だ。常に完璧でなければ気がすまない完璧主義者にとって、「十分な程度を満たしていればよい」という感覚はなかなか理解し難いかもしれない。だが、時間は無限にあるわけではない。完璧を追求しすぎるあまり効率性が悪くなったり、ものごとが永遠に「未完」となってしまう恐れもある。

 人の考え方や好みはさまざまである。たくさんの人が集まると、意見はまとまりにくい。国政の場などでも何かを決めるときにはいつも混乱する。これが生活習慣や言語が異なる国際社会なら、なおさらのことだ。国際社会のような複雑な関係は、私たちの身近なところでは滅多に見られない。しかし、異なる考え方が二つあることでぶつかり合うことはよくある。お互いが自分の利益ばかりを主張していたら、話は絶対にまとまらない。ものごとは前に進まない。「イエスかノーか」という極端な考え方をするのではなく、「イエスでもありノーでもある」という柔軟な考え方をしたほうが、間違いなく問題は解決しやすくなる。日本ではこういうとき、よく「足して2で割る」という解決の仕方がなされる。この解決法で導き出された答えは、双方に利益と不利益があるのでいかにも公平であるかのように見える。これが中庸であると考える人も多い。しかし、これは単なる妥協であって中庸とは違う。足して2で割ることでうまくいくことが多いのは事実だが、これでは双方に利益よりも不利益を多くもたらすこともある。
 実際、政治の世界ではこのような妥協の仕方が平然と行われることがある。確かにそれでその場はうまく収まるが、確かな解決策にはならない。そもそも異なる意見を持つ人たちは、それぞれが求めていることを実現したいと考えている。お互いの思いを貫くことは無用な摩擦につながるので、話し合いによって解決するというのは同じ社会に生きる者の態度としては正しい。しかし、そのときの最適な解は、ただお互いの主張を足して2で割るような単純なものではない。最終的にはお互いが妥協しなければならないにしても、それぞれの思いを尊重しつつそれでいて小異を捨てて大同につく姿勢になれたときに、お互いが納得できる最高の答えを導き出せるのではないか。このときのポイントは「理念の高さ」である。目的が崇高なものであると、小異を捨てることが意外に躊躇なくできる。それぞれの利益は予想より小さくても、社会全体として見たときの利益がより大きければ、主張の中の一部分を譲ることに価値を見い出すこともできる。
 そもそも人間一人の力には限界がある。特に大きな目標を実現させたいときには周りの協力が不可欠で、自分の利益だけ主張していてはなかなか実現できない。そのとき大切なのは、「理念を大事にしつつも、譲れるところでは妥協する」ことである。大局的な見方をして、そのあたりのバランスをうまくとりながら進めるのがまさしく中庸だろう。

 実際の人間の評価にあたって、才の回り過ぎた者、適度を得ていない点では才の足りない人間と同じだという判断をくだすことはたいへん難しい。孔子は一、二の例外はあっても、弟子たちを神のように曇りのない目で眺めて長所短所をよく見抜いていた。

 「中庸の徳」は面白味のない教えである。私も若いときには「中庸(の徳)」を軽蔑と憤りとで退けたことを記憶している。なぜなら当時(若い頃)賛美したのは、英雄的な極端であったからである。しかし、真理はいつもおもしろいわけではないが、有利な証拠もないのに、ただおもしろいというだけで信じられているのも多い。「中庸の徳」というのは良い例である。中庸の徳はおもしろくない教えだが、実に多くの場合、真実の教訓の一つになる。中庸を守ることの必要性は、例えば、一方で努力し、他方で諦める、という相反する態度の均衡を保つという点にある。                      (牧野 力(編)『ラッセル思想辞典』)



 其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。

 それじょかおのれのほっせざるところひとにほどこすことなかれ

 

 子貢問うて日わく、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所、人に施(すこと勿れ。                    (衛霊公第十五)

 しこうとうていわく、いちげんにしてもってみをおうるまでこれをおこなうべきものありや、しのたまわく、それじょか。おのれのほっせざるところ、ひとにほどこすことなかれ。

 子貢が尋ねた。「一言で生涯行っていくべき大切なことがありましょうか」と。孔子が言われた。「それは恕かなぁ。自分にされたくないことは、人におしつけないことだ」と。

  
 孔子の道徳律の中でもっとも有名な章句であり、「論語の黄金律」と言ってよいだろう。一生涯を通して実践できる教訓として孔子が子貢に教えたものである。
 中学校や高校の教科書で習ったという人が多いだろう。私もその一人だ。「自分が人からされていやなことは人にもしてはならない」とは当たり前の事だが、「生まれてから現在まで、そのようなことは一度もない」と言い切れる方が居られるだろうか。まず居ないのではないか。人として、心に止め置きたい章句である。

 里仁第四(「仮名論語」43頁2行目)に「吾が道は一以て之を貫く。……夫子の道は忠恕のみ」とある。孔子の人柄と生涯は、「忠恕」という「ただ一つの道(儒学の根本原理)」で貫かれている。『論語』において最高の徳である「仁」を、まごころである「忠」と他人の苦境に思いやりを持つ「恕」によって解き明かし、それらをまとめて他人に対する温かな思いやり「忠恕」で説明している。
 恕とは、「他人の立場心情を察すること。また、その気持ち。思いやり」である。思いやりがある人は、他人の立場に立つことできる人だ。他人の痛みや、苦しみ、喜びを自分のことのように感じることができる人である。他人の立場に立つことができる人は、自己肯定ができる人ではないか。「私ってすごい」「自分はいけてる」などと、いくら自分だけで思っても自己肯定にはならない。
 自己肯定とは、誰かの役に立っていると思えることである。自分は誰かに愛されていると思えること、自分を大事に思ってくれる人がいること、自分を必要としてくれるところがあることなど、自己肯定は他者からの肯定でもあるのだ。自己肯定ができなければ、人を受け入れることも認めることも許すこともできないし、人を思いやる余裕も持てない。人の役に立つこと、人の喜びのために懸命に働くことを続ければ、誰かに認められ必要とされる人となる。それが、自己肯定への早道となる。人生で一番大切な「思いやりの心」を育てたい。

 人は、周りの人に助けられたり助けたりしながら生活している。生きること自体が周りの犠牲によって成り立っているとも言える。周りの人に一切世話にならずに生きることはあり得ない。そういった人との係わりによって人間は磨かれ成長していく。私たちは他者にお世話になりながら生きていくということを、自覚しなければならない。自覚することで他者によって活かされていることに気付き、他者への感謝の念が生まれる。そう感じる事によって、他者に不愉快な思いをさせてはならないという気持ちが湧いてくる。その思いが「恕」であろう。
 他の人を気遣い、不愉快な気持にさせない、そういった心配りがとても大切であると孔子は説いている。そのような心配りが出来たならば、いじめの問題なども激減するだろう。人それぞれ、考え方、受け取り方が異なるので、自分では良い事だと思う行為でも誤解を招く事がある。大切なのは、自分が人からされて嫌な事は人にはしないということだ。人は知らない間に人の意見や評価を気にし、本当の自分を押し殺して人生を過ごしている時がある。周囲と仲良くなりたい、対立したくないと、守りの態勢に入ってしまうのは仕方がないことだ。しかし人間関係を違う方向から見直すと、肩の力が抜けていく。

 嫌われてもいい覚悟をするというのは、相手の存在を過剰に意識せずに付き合えるようになることである。好かれようと思うと、相性が合いそうな人を求めて付き合ってしまう。このような限定した人間関係は、一度上手くいかなくなるとストレスになってしまう。  
 嫌われてもいい覚悟をすると人の好き嫌いが減り、好きになる人がどんどん増えていく。今までに接した経験がない人たちや、苦手な人とも自然と交流ができるようになり、気がついたら素敵な人に囲まれている事が多い。嫌われることはネガティブなイメージがとても強く、ほとんどの人は無理して嫌われないように努力している。「好きになる」というポジティブな内容が、なくなってしまう原因なのだ。
 嫌われてもいい覚悟をすると、自分と意見が対立する人がいても不安にならない。人は全員顔が違うように、内面的な部分も違って当たり前である。自分の意見に賛成してもらえないと落ち込んでしまいがちだが、それは悪いことではない。たとえば将来これをやろうと、目的を決めたとしよう。必ず誰かが、ネガティブな意見を言ってくるはずだ。その時に相手の顔色を気にしたり、自分の敵を作らないように折れたりしてしまうと、自分の信念は揺らいでしまう。夢や目標を持ったとき、きっと進む先に邪魔になる出来事が起こるだろう。自分を嫌う人の存在もそのひとつである。強い思いを持っているのであれば、反対する人のために信念を捨ててしまわないようにしたい。

 嫌われ者は、周囲に必ず一人はいるだろう。自分勝手でわがまま、相手の気持ちを考えられない人は、集団生活の中で苦労することが多い。嫌われてもいい覚悟をしている人と、嫌われている人は別である。
 覚悟をして人生を過ごす人は、周囲の顔色を窺わずいつも自分らしく生活を送っている。嫌われる人は自覚をしていないため、相手の嫌がる行為を平気でやってしまうのである。嫌われてもいい覚悟は、無理に人に嫌われることではない。嫌われたらどうしようと、不安になる気持ちを捨てることなのだ。何ごとも覚悟をすると自分の核の部分がしっかりとするため、言動や動作も力強く相手に伝わる。嫌われる人は自分の都合だけを優先しているため、結果的にメリットが減ってしまうのである。

 人に好かれるために、本当に言いたいことを我慢して周囲の流れに乗ってしまった経験はないだろうか。その後にやってくる後悔の念は、いつまでも心の中に残ってしまう。嫌われてもいい覚悟をすると、本当の自分が見えてくる。八方美人で疲れる時よりも、正直になって周囲と距離を置いたほうが、自分らしく過ごせるだろう。ただ自分らしくしたいと思っても、簡単にいかない場面も多い。たとえば上司の顔色を窺い仕方なく残業したり、友人に本音が言えずストレスが溜まったりする。人が抱える不安やイライラは、ほとんど他人から感じるものである。自分らしく生きることで周囲の存在が気にならなくなる。

 集団生活のように無理に調和を大切にする生活は、必然的に自分を隠しているので本当の魅力に気づいてくれる人は少ないかも知れない。嫌われるのは、自分が孤独になるようなこととも言える。嫌われてもいいと覚悟を決めると、グループの一員でいるこだわりがなくなり、自由に自分の存在感がアピールできる。同時に人に頼ることがなくなるので、自立できるというメリットが生じる。嫌われたくないと思う気持ちは心の中を示しているので、一方的な思考パターンを変えていくことが大事だ。周りがやっているからこうすれば成功しやすいからという発想は、失敗した時の責任転嫁であり嫌われたくないという気持ちの表れでもある。しがらみを捨てた人生を送るならば、人に頼らない自立した自分が見えるはずである。

 嫌われてもいいと覚悟することは勇気がいるが、見えない壁を乗り越えた時には一番楽で素敵な自分が待っているはずである。自然体で人間関係を作るためには、相手がどう思うかを考える前に、自分がどうしたいのかを自らに問いかけるとよいだろう。本当の自分を理解してくれる人は、必ず応援してくれるはずだ。 

 「人にして貰いたいこと」は、どのようなことだろうか。「人にして貰って嬉しいこと」は、どのようなことか。 たとえば、困っているときに親切にしてもらったこと。助けてもらったこと。これは嬉しいである。他にも、辛いとき自分の話をじっと聞いてくれたこと、共感して貰ったこと。これも嬉しいことだ。また、不安な時、ずっと隣にいてくれたこと、無理に何かをしてくれなくても何も言わなくてもただそばにいてくれること、それが何よりの心の支えになるだろう。自分がして貰ってうれしいそのことを、人にもしてあげるというのは本当に大切なことだ。
 「人にして貰って嬉しいこと」というのは、他にも無数にあるだろう。これらのことには、共通点があるように思う。それは、自分という存在が人から大切にされたときだろう。私たちは心の深いところから喜びを感じる。相手が自分のことを大切にしてくれている、そう感じることができたとき、私たちは心から嬉しく思えるのだ。 次に、「人にして貰いたくないと思うことは、人にしてはならない」という教えについて想いを巡らしてみたい。「人にして貰いたい」こととは反対に、「人にして貰いたくない」ことは何だろう。
 「人にされて嫌なこと」とはどのようなことだろうか。 たとえば、自分の存在が軽んじられるというのは、すべての人によって嫌なことだろう。馬鹿にされたり、意地悪されたり、侮辱されたりして快く思うことはない。また、存在を無視されたり、相手にして貰えないというのも、とても辛いことだ。このように「人にされて嫌なことは決して人にしてはならない」ということも、本当に大切なことである。 「人にされて嫌なこと」を挙げると切りがないほどたくさんあるだろうし、特にどのようなことが嫌に思うかは人によって違いもある。だが、「人にされて嫌なこと」にも共通点があるように思う。それは、自分という存在が人から大切にされないということだ。自分という存在が大切にされず、蔑ろにされていると感じるとき、私たちは心に深い悲しみを感じる。 「人にして貰いたいと思うことを人にする」「人にしてもらいたくないと思うことは、人にしない」、どちらも私たちが生きていくうえで欠かせない非常に重要な姿勢である。そのどちらにも、「人を大切にする」ということが共通のテーマとなっていることが分かる。 

安冨 歩は「超訳 論語」の中で、

「『不欲』は、自分がされたらイヤなこととこれまで解釈されてきたけれど、『「自分がしたくない』」と素直に訳すほうが孔子の精神を忠実に表している」と述べている。安冨の解釈によると、孔子が教えたかったのは、「自分がされたらイヤだと思うことを相手にするな」ということではなくて、「自分がしたくないと思ったことは、自分を裏切って相手にしてあげてはならない」ということだと。孔子の思想の根幹にあるのは、「主君や目上の人に服従することではなくて、実は自分を裏切ることなく、迎合することなく、自分に対して正直であることの大切さだった」と。 

 恕とは一般的には「自分を思うのと同じように相手を思いやる・思いやり」と解されておりますが、孔子の恕はちょっと違うようで、「人の気持ちが分かるようになること、相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること」これが恕、つまり本当の思いやり。自分の身に置き換えて云々するのはまだ半人前ということかも知れません。自分の身に置き換えてみることすらできないのは、半人前以下ってことですね。

   恕は如(ごとし)+心(こころ)の会意文字ですが、仏教で「如心(にょしん)」といえば、人の心が手に取るように分かることを云います。釈迦も孔子も同じことを考えていたのかも知れません。恕の感性は、男性よりも女性の方が何倍も発達しているのではないでしょうか。       

高野 大造「論語に学ぶ会・論語解説」
 

 曽子は孔子から、「吾が道は一以て貫く」ということばを聞いて、自分の弟子にそれは「忠恕」だと語った(里仁第十五)。同じように「予一以て貫く」という教えを受けた(衛霊公第十五)子貢が、またこの「一貫」の原理は「恕」だと孔子から教えられている。仁を「恕」つまり思いやりと解する解釈は、子貢と曽子の両弟子が伝え聞いたことになり、二つの伝承が「論語」の中に保存されているのである。

貝塚 茂樹「論語」 

 孔子の生涯にわたる一切の教えにおいて貫かれた「一」とは、単なる数字上の一ではなく、一切の一であり全身全霊のすべてである。孔子が体得した真如の境地から発せられる忠恕の道なのである。
 「一を以て之を貫く」は、深い真心を以て、ひとつのことに打ち込むことを指す。たくさんの情報が湯水のように流れ出てくる現代社会、気を引き締めておかないと、右へ左へと心を惑わされてしまいがちだ。「一を以て之を貫く」には、柔らかな心を持ちながらひとつのことをやり遂げる力強い意思が表れている。孔子の生き方そのものを表したスケールの大きな言葉である。現代を生きる私たちが見習うべき人生の指針となる。
 「一を以て之を貫く」の類義語として、「初志貫徹」「首尾一貫」「徹頭徹尾」などがある。一度決めたことはどんなことがあってもやり遂げる。そんな清々しさを表した言葉とも言える。思いを込めて最初から最後までやり抜く、美しい生きざまを表している。さまざまな価値観が揺れ動く現代、ふらふらと心が離れてしまいそうになったら「一を以て之を貫く」を思い出し、初心に戻ることが求められる。




論語に学ぶ 『論語精髄』➀

  変化の激しい時代である。新しく学んだことが、半年先には陳腐なものになっていることも少なく無い。だが、時代が如何に変わろうとも微動だにしない本質があることも事実だ。流行を追うことばかりにエネルギーを費やさず、ときには逆らってみることも必要だ。一人ひとりが学びを深め、ものごとの本質を追求し、「不易」を押さえることが求められる。
 また現代は情報が氾濫し、それらの中には、世の中を惑わすことを意図して流される偽情報やデマもある。新聞やテレビの報道にも各社各局によって偏向があり(国際金融資本<例えば、ロスチャイルド家やロックフェラー家など>や中国共産党の影響を受けているとも言われる)、すべてを鵜呑みにしてはならない。
 『論語』に、「故きを溫ねて新しきを知る」(為政第二「仮名論語」16頁)「學びて思わざれば則ち罔く、思うて學ばざれば則ち殆し」(為政第二「仮名論語」17頁)とある。日ごろから本質は何かに思いを致し、先人に学び何が真実なのかを見極める力量を養いたい。

 令和元年12月からの武漢肺炎禍の拡大は、世界中を震撼させている。国境を越えての往来の頻繁なグローバルな社会では、感染症対策は避けて通れない大きな課題である。人類の英知を結集して立ち向かわなければならない。

 さて、我が国は、世界に例を見ない超高齢化社会に突入している。すでに、人生100年時代が到来しているのだ。私は7年程前から、地域の高齢者の会運営に携わっているが、山積する課題を備にする機会が多い。超高齢化社会への対応についても世界中の人が現実を直視し、困難な課題に立ち向かうことが求められている。 

 一方、現在の児童・生徒が成人して社会で活躍する時代には、さらに厳しい挑戦の時代を迎えているだろう。そのことは容易に想像できる。将来を担う子どもたちには、困難にめげず荒波を乗り越えてほしいと願って止まない。そのためにも、伝統や文化に立脚し、高い志や意欲を持つ自立した人間として、他者と協働しながら新たな価値の創造に挑み、未来を切り拓いていく力を身につけることが求められる。  
 一人ひとりが互いを認め合い、尊重し合いながら自己実現を図り、幸福な人生を送れるようにする。より良き社会を築いていくことができるよう、人と人とが健全につながり合うことがますます重要になるだろう。

 ところで、『論語』は今からおよそ二千五百年前に中国に生きた思想家 孔子とその主な弟子たちや、当時の為政者たちとの言行をまとめたものである。『論語』には、人と人とが健全につながり合い快適な生活を過ごすための知恵や人間としての在り方や生き方、現在やこれからの時代を生きる人々が身につけるべき大切なことが随所に鏤められている。
 私は現在、大阪と奈良の論語塾で『論語』を講じている。日々、学べば学ぶほど、学びを深めれば深めるほど、論語の奥深さに感服するのである。現在の中国の指導者層が、この『論語』をしっかりと学んで「人権意識」を高めて内政・外交に生かすならば、覇権争いを止めて「平和な世界」の実現に大きく貢献ができるようになるだろうと切に思うのである。

 『論語』は20篇、512の章句から成る。一篇は一つのテーマで括られはいない。『論語』は孔子自身が書き遺したものでは無く、また一人の弟子が編集したものでも無い。弟子たちが持ち寄って編纂されたと言われる(現在の形に編纂されたのは、孔子歿後四百年後と言われる)。雑纂でまとまりに欠けるのが『論語』の特徴とも言えよう。ただ、冒頭と締め括りは、ピシッと決まっている。

 孔子の生きた時代、自らの思想や考えを書き遺すという習慣はなかったようだ。孔子も例外では無い。雑纂ゆえに、第一篇から順を追って学ばなくても理解でき、どこから読みはじめてもよいという特徴がある。  
 前述のとおり『論語』は512の章句から成るが、最初から最後までを貫く幾つかの章句があることに気づく。一貫していると思われる章句は、論語を読まれる方一人ひとりによって違うかも知れない。それが論語の魅力でもあるだろう。
 私の選んだ8つの章句を、『論語精髄』として挙げたい。『論語』を学んでみようかと思う方の少しでも参考になれば、望外の喜びである。(令和4年正月)



 子曰わく、学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや。

 しのたまわく、まなびてこれをならう、またよろこばしからずや。ともえんぽうよりきたるあり、またたのしからずや。ひとしらずしてうらみず、またくんしならずや。
 

 孔子が言われた。「学んだことを繰り返し実践していると、自然によい習慣が身について来る。これは何とも嬉しいことではないか。志を同じくする友が遠方から訪ねて来て語り合う。これは何とも楽しいことではないか。世間に認められようが認められまいが、気にせず一層研鑽に励む。これは何とも立派なことではないか」と。


 「論語」の冒頭を飾る誰もが知る章句である。古今東西「論語」を研究する者の多くが、冒頭に相応しい章句であると語っている。

 この時代の「学び」は、主に師からの言葉による知識の伝達であった。弟子たちは師が「詩経」や「書経」を読むのを聴いて、その内容を忘れないように復習した。基本は貴族社会の礼儀作法や教養・素養を受け継ぐことにあった。
 君子とは、統治者階級に相応しい「人格・度量・教養・品位」を備えた貴族のことであり、孔子が現れて以降は、「徳」を兼ね備えた人物を指して呼ぶようになった。孔子は、為政者たる者は有徳の君子でなければならないと考えた。

 『詩経』は、中国最古の詩篇であり、儒教の基本経典・五経の一つである。元々は、舞踊楽曲を伴う歌謡であったと言われる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集したとされる。『書経』は中国古代の歴史書で、伝説の聖人であるから王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている。五経の一つでもある。

 夢と志を持ってその道の達人から学び、常にそれを自分のものにしようと努力することは、非常に心が満たされることである。そして、自分と同じような夢・志を持つ人と知り合い、共に夢を語り合い、切磋琢磨することはとても楽しいことだと言われる。

  • 夢を持つこと 
  • 夢に向かって常に学び続けること 
  • 同じ夢を持つ人と出会うことの大切さと楽しさを伝えてくれる 

 学ぶことにより、自分の糧になるだけでも生きがいとなる。学び続ける途中で、共感を得られる人との出会いもある。そういった人たちとの交わりは楽しいものであり、さらに嬉しい気持ちになるだろう。  
 有名になることが大事なのではなく、人目を気にすることなく夢中であり続けられること自体が、不安を少なくすると理解できる。学ぶことそのものを生きがいとすれば友達が増え、さらに学び続けることができるだろう。努力の結果が報われないような不安をもし感じたとしても、懸命に学んだことは失われないと読み解くこともできる。

 論語から学ぶとき、人それぞれの解釈や理解が生まれる。そして、ごく当たり前のことが再確認できることもある。大切なのは、学ぼうとする者の受け取り方によって、また読み解き方によって、過去の偉人の言葉を自らの生き方にプラスできるということではないか。

 「人の己を知らざるを患えず。人を知らざるを患うるなり」(学而第一「仮名論語」10頁3行目) 「人の己を知らざるを患えず、其の不能を患うるなり」(憲問第十四 「仮名論語」217頁 5行目) 「君子は能無き患う。人の己を知らざるを病えず」(衛霊公第十五 「仮名論語」235頁 7行目) 「位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知る莫きを患えず、知らるべきを爲すを求むるなり」(里仁第四「仮名論語」42頁6行目)

 これら四つの章句も含蓄があり、後半部分の「人知らずして慍みず」に相通ずる。「他者がどう思おうが気にせず努力を積み重ねなさい」と孔子は言われている。人の評価に右往左往せず、信念を貫き通すことが大事なのだと。

 孔子は、「学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し」(為政第二「仮名論語」17頁5行目・(学ぶ<(読書をする>だけで、時間をかけて自分で考えてみないと真に活きた学問とはならない。自分の頭で思い巡らすだけで博く学ぶ<読書する>ことをしなければ、独断に陥り不安定なものとなる)とも言われた。
 孔子が考える「学ぶこと」の中心は、周代の政治や礼制、倫理の学習であり、基本的に「古代の先王の道」を学ぶことである。「思うこと」の中心は、自分の頭で自発的に考えることだ。孔子は「師や書物からの経験的な学習=学ぶこと」と「自分自身の合理的な思索=思うこと」をバランスよく行い、それらを総合することで正しく有用な知識教養が得られると考えた。この考え方は今も色褪せていない。むしろ現代にこそ輝く言葉ではないだろうか。

 今の時代、「物知り」であることの価値は低下している。世界中のどこでもインターネットに接続出来るこの時代、大抵のことはインターネットで調べられる。その分余計に、私たちには「想像」や「創造」が必要となる。知識を得たとしても、さらに深く考えることが求められる。しかしいくら考えようにも、最低限の基礎がなければそれはただの絵空事になってしまう。知識を得る本来の目的は、その知識を活用することにある。
 学んだ知識を活用するためには、独自に再び読み解き、認識して、他人から得たそれらを自分のものにしなければならない。この過程が思考だ。この思考過程が欠落するならば、学んだ知識は本当の意味で身に付かず、活用することもできない。つまり、知ることとその知識を応用することは、二つの段階に分けられる。一方、思考の目的は、事物の因果関係、物事の原理を解析することにある。しかし、思考するばかりでそこに必要な参考知識や情報がなければ、いくら考えても結論を出すことはできない。多くの情報を把握したうえで咀嚼できたとき、はじめて賢明な判断を下すことができる。情報を収集するということは、知識を得て自分なりに咀嚼するということだ。

 もちろん情報収集という学びの段階でも、情報分析という思考の段階においても、それらは全てその人の既存知識や人生観、生命観、価値観、倫理観などに強く左右される。観念は、色眼鏡やパソコンのソフトのようなものだ。同じものを見ても眼鏡の色が違えば異なる色が見え、同じ情報を分析・処理しても、ソフトが違えば処理結果は異なる。そのため、正しい結論を導き出すには正しい人生観、生命観、価値観、倫理観の形成が重要であり、それらは自分の一生を左右することになる。実は事物の本質を洞察するには、後天的に形成された観念が少ないほど良い。観念が少なければ先天の智慧が自然に湧いてきて、事物の本質を認識することができる。

 孔子は、「故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし」(為政第二16頁5行目・古いこと<古典や歴史>を学んで、そこから現代に通用する新しい意義を見出すことができれば、立派な指導者になれるだろう)とも言われる。古い事柄を再び味わって基礎を固めた後で、新しい事柄を改めて知れば、より奥行きのある実践的な教養知識が得られる。
 孔子の言われることの本質は、「過去の知識を単純に詰め込むだけでは、人を指導する師にはなれない」ということだろう。2500年前の孔子の言葉を、現代の自分の身に置き換えて考えてみるからこそ、そこに新しい意義が発見できる。つまり、ためになって役立つ「活学」となる。知識を増やすだけであったなら、役に立たない「死学」である。

 子曰わく、巧言令色、鮮なし仁。

              (学而第一)

 しのたまわく、こうげんれいしょく、すくなしじん。 

 孔子が言われた。「口達者でやたら愛想のいい者に、至ってまごころはないものだ」と。 

 語呂のよさもあり、この章句もよく知られている。巧言も令色も、ともに媚び諂う、人に気に入られるようにご機嫌を取る言動に過ぎない。古来、「卑屈な態度」とされて来た。

 仁の徳を完成させるためには、目上の人に対して従順な「孝悌の徳」が欠かせない。だが、ただのご機嫌取りや学問の真理を曲げて権力者や時勢に迎合するような者ばかりを、君主の周りに集めたのでは社会の秩序や安全が揺らいでしまう。
 巧言令色をもって為政者(権力者)に擦り寄り、民衆を苦しませる悪政の原因となる「媚びへつらいの奸臣(かんしん・上役へのゴマすりで私利を図る政治家や役人)」を、孔子は警戒するよう警告している。
 言葉や表情が良い印象であっても、根源である本心が「己の評価」のためだけならば、そういう人をパートナーとして選ぶべきではない。心のこもったおもてなしが求められる時代だからこそ、根底となる「人間としてのあり方、思いやり」を身につける大切さを忘れないようにしたい。

 人としての根本は変わらないということを再認識することが求められるが、論語には現代に通用する章句が多く鏤められている。如何に時代が変わろうとも、どんなに科学技術が進歩したとしても、世の中には甘い言葉、儲かる話、聞こえの良い文章や文言など、さまざまな形での誘惑が溢れていることに変わりはない。一般に誰れもがお金を欲しがり、楽な暮らしを送りたいと思うものだ。しかし、人としての弱さを突いてくるようなサービスや人には心がないと読み解くことが求められる。
 相手に対して常に誠実であり対等であることが大事だ。上手い話には裏があり、楽して儲けられないことは本来誰れしもが分かっていることだ。言葉巧みに誰かと話そうとすればするほど、他者から心を感じて貰えない、信用されないことを再認識することが求められる。論語を読み解くことで、自分自身を見つめ直すことも、新しい考え方や可能性に気がつくこともできるだろう。

   世の中には、巧言令色を武器にして昇進したり、富を得たりする者が居る。残念だが、そのような例は枚挙に暇が無い。私は教育界に身を置き永年過ごしたが、45歳くらいまでは周りが見えていなかった。そういった事から最も遠い所に位置するのが教育界だと信じて疑わなかった。だが、実際はそうではなかった。皮肉にも、そのことが管理職をめざすきっかけになったとも言える。教育界の不条理に一石を投じようと思ったのである。そのあたりの詳細は、拙著「校長の覚悟で学校は変わる」(平成25年・銀河書籍)に記した。

 ところで、長い期間でものごとを見るならば、不正や偽りで築いた地位や名声、富などが長く続くものではない。それは洋の東西を問わず、歴史が物語っている。孫や玄孫の時代まで、偽りや不正で得たものに陽光が射し続ける筈がないのである。「積善の家に余慶あり」だ。 

 陽貨第十七 (「仮名論語」272頁 3行目)に、全く同じ章句がある。公冶長第五 (「仮名論語」62頁1行目 )の「巧言令色、足恭なるは、左丘明之を恥ず……」や衛霊公第十五 (「仮名論語」238頁7行目 )の「巧言は德を亂る……」なども同義である。里仁第四(「仮名論語」45頁7行目)に「古者言を之れ出さざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり」と、また同じく46頁3行目に「君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す」とある。
 孔子は「巧言」を嫌い、「不言実行」を好んだ。雄弁に巧妙な言葉を操る人よりも、しっかりした考えをもち機敏に実践する人のほうが、より君子的であると考えた。だが残念な事に、世の中には弁は立つが行動の伴わない人間があまりにも多いのである。

 子路第十三(「仮名論語」198頁7行目)に、「剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)、仁に近し」という有名な章句がある。これは、芯が「しっかりして辛抱強く素朴で口数の少ない者は、最高の徳である仁に近い人物と思って良い」ということだ。孔子が考える仁徳の構成要素について語っているのである。

 剛  物事に、恐れず立ち向かう強さ

 毅  苦難に堪え忍ぶ強さ

 木  質素で飾らないこと

 訥  口数が少ないこと

 剛毅朴訥は、「巧言令色」とは対照的な言葉である。剛毅朴訥の人物は信頼でき、安心して付き合える。「仁者(人格者)は、その発言が慎重である」という意味でもある。より分かりやすく言うならば、『人格者は言葉に責任を持つ人なので、慎重になるものだ』ということであろう。

 ものづくりの世界などで「その道60年、70年」という人が居る。匠の領域に達している人たちだ。それらの人の多くは、学歴などというものに無縁である。学校での勉強には縁遠かったとしても、一つの事に打ち込んで来たという何物にも代えがたい経験の重みがある。言葉は訥であっても、一言一言に言い知れぬ深みがあるのだ。「巧言令色」とは無縁なのである。ぜひとも見習いたい。

 あの人は「不言実行の人だ」だなどと評することがある。「不言実行」とは、辞書には「あれこれ言わずに、なすべきことを実行すること」とある。人を評価するときに肯定的に使われる。主に、実力のある人に対して用いられることが多い。
 「不言実行」と同じく、「有言実行」という言葉もよく耳にする。「私は有言実行を心がけている」という表現にも出会う。はたして「有言実行」という表現は正しいのか。「有言実行」という言葉が、現在正しい言葉として存在することは間違いない。ただし、30年くらい前までに発行された辞書には掲載されていない。「有言実行」という言葉が、比較的新しい言葉であることが分かる。「不言実行」が先にできた言葉であり、そこから派生したのが「有言実行」であろう。

 「有言実行」も、「不言実行」と同じくよいイメージで使われる。「彼は有言実行で、オリンピックチャンピオンになった」などと。有言実行をする人は、自分にプレッシャーをかけ目標をやり遂げようとする傾向がある。近年は、「不言実行」より「有言実行」の方が立派な態度だと見なされる事が比較的多い。夢や目標を口にし、それに向かって努力して成功する人のほうが、格好が良いと見なされるように時代が変化してきたのだろう。

 いくら口達者でも、行動しない人は成果をあげることはできない。本当に物事を知っている人は、口であれこれ言う前に素早く行動するものである。「能弁な評論家」を評価するのではなく、たとえ失敗したとしても、実際に行動を起こす「前向きな挑戦者」が評価されるべきである。

 ふだんはあまり使わないが、慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉がある。意味はご存知のとおり、「言葉や態度などが丁寧過ぎて、かえって無礼であるさま」「あまりに丁寧すぎると、かえって嫌味で誠意が感じられなくなるさま」。また、「表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているさま」である。人や物事に対して丁寧で礼儀正しく接することは良いこととされるが、「慇懃無礼」は、度を超えた丁寧さや礼儀を重んじ過ぎる様子である。そして度を超えた礼儀によって相手が不快になるような対応を「慇懃無礼」と表現する。基本的には、何か思うところがあり、相手に失礼な振る舞いをしようという気持ちを持ちながら、わざと丁寧過ぎる対応をすることを指す。  
 「慇懃」は、「慇懃な態度」など単体でも使われる言葉であり、「礼儀正しく丁寧」という意味がある。そのため「慇懃」だけであれば良い意味での言葉だ。「慇懃」に「無礼(=失礼)」という言葉が付けば、悪い意味の言葉となる。「慇懃無礼」は、巧言令色と相通ずるところがあるだろう。立場の違う人物と交渉しなければならないとき、慇懃無礼な態度は、大きなマイナスになる。丁寧な言葉の裏に相手を見下す態度はないか細心の注意を払いたい。

 子罕第九(「仮名論語」124頁6行目)に、「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知るなり」とある。冬が来て寒くなって来ると木々は元気がなくなるが、松や桧などはいつも変わらず存在感を示しているという意味である。冬になっても、『緑の葉』を保つ松や柏の樹木を、最後まで信念と仁徳を貫く『誠実な弟子』の姿に重ね合わせているとも言える。最後まで孔子のもとを去らなかった弟子たちの信義と誠実を、晩年の孔子は冬の寒さに耐える松柏の姿に重ね合わせたのだろうか。順境の時は、その人物の大きさは中々分からないものだが、逆境に遭遇した途端にその人本来のものが露わになる。どのようなときでも、松柏のようにいつも堂々としていたい。「得意澹然(とくいたんぜん・思い通りに事が運んでもおだやかでいる) 失意泰然(思い通りにいかなくとも落ち着き払っている)」とありたい。

 頼みごとをされたときに、自分にとって利益になるかならないかを、またそのことがしんどいことなのか、簡単なことなのかを受諾の条件にしてしまいがちだ。言い換えれば、困難な事であっても一肌脱ごうと前向きに考えるのか、逃げてしまうのかの違いである。世の中には、選択の基準を自らの利益不利益に置いてしまう人を多く見かける。そういった人の多くは、「巧言令色」の態度で生きているのではないだろうか。しんどいことであっても、筋の通ったことであれば前向きに受け止める生き方をしたい。

 少し唐突だが、私たちは建前で生きていないか。建前で塗り固められた人生になっていないだろうか。建前で生きると、悩むことが多くなるのではないか。もちろん人生においては、建前が必要になることもある。私たちは人との関係の中で生きており、場を乱さず秩序を守るため建前で接することもある。交渉や話し合いではまず建前から入り、相手の様子を窺いながらお互いの妥協点を探っていくことが多い。反対であっても、建前上、賛成せざるを得ないときもある。
 建前はある意味、生きていく上で欠かせない処世術だ。しかし、過度の乱用には要注意である。建前ばかりではいけない。建前が増えれば増えるほど、人から誤解されやすくなるだろう。本音と建前のギャップが広がるにつれて、違和感に苦しめられ悩むことも増えると思われる。建前は、本当の考えを表現しているわけではない。表向きの考えに過ぎない。場をスムーズにすることと引き換えに、優しい嘘をついている状態である。時には優しい嘘も必要だが、何度も繰り返されると思わぬ方向に話が進んでしまう。建前ばかりになると、周りの人はそれがあなただと誤解してしまう。「みんなは私のことを誤解している」「本当に言いたいことを言えていない」「私が本当に言いたいのはそうではない」となってくる。「本当のあなた」と「周りから思われているあなた」との間でギャップが生じる。建前ばかりでは表面的な浅い会話しかできず、人間関係を深めることも難しくなる。人間関係に悶々とすることが増え、悩むことになるのである。

 悩まない生き方をしたいなら、本音で生きるようにしたい。本心から出た言葉を発したい。建前を取り除いた本当の考えを表現したい。もちろん時には建前も必要だが、最小限にする。「本音で生きる」を言い換えるならば、「正直に生きる」ということである。本音で話して素の自分を見せれば、周りの人は正しく理解してくれるようになる。
 本音で生きることはときに勇気のいることだが、悩まない生き方のためには欠かせない。本音を表現することで、相手から驚かれることもあるだろう。自分にとって普通のことでも、相手には不思議や非常識に映ることもある。相手は「あなたはそういう人なの」「変わった考えだね」と驚かれるかもしれないが、それは最初だけである。そのうちに理解されるようになる。素の自分を出しても、案外嫌われないものだ。ユニークな考え方であっても、それを表現し続けているうちに個性として認識されていく。いったん理解されたならば、後はスムーズである。相手にとって少しきついことを言っても、受け入れてもらえやすくなる。独特の考えを披瀝しても、「あなたらしいね」と思われるようになる。理解してくれる人が増えるだろう。
 本音で生きることで、あなたから去る人もいるだろう。それはそれでいいのではないか。引き止める必要も追いかける必要もない。残った人たちと付き合えばいいことである。本音になれば、相性の合う合わないが早めに分かるので、大切な人に集中できる。本音で生きると、正直な意見を言えるようになる。やりたいことをやれるようになるので、毎日が楽しくなる。近づく人去る人がはっきりするが、ありのままの自分を表現できるので心の葛藤に苦しむことがなくなる。時にはつらいことや悩ましいこともあるだろうが、自分と向き合った結果なので納得した人生が歩める。素の自分を出して生きることは貴いことだ。どんどんと自分らしい道を歩んでいける。毎日が清々しいドラマになるだろう。



 曾子曰わく、終を慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。

 そうしいわく、おわりをつつしみとおきをおえば、たみのとくあつきにきす。

  曾子が言われた。「親の葬式を丁重にして真心から喪に服し、先祖の祭りを手厚くすれば、民の人情風俗は自ずから真っ当なものになる」と。 

  「終」とは、古代中国の春秋時代における身分の高い貴族の死去であり、「終を慎む」とは亡くなった人の葬式を形式(礼制)に則ってきちんと正しく行い、悲哀の感情を捧げて喪に服すことである。

 孔子の時代には、宗教国家として神権政治を行った殷以来の祭儀葬式の名残が遺っており、宗教的な祭儀を厳格にしめやかに執り行うことが社会秩序の安定につながると考えられていた。為政者が、すでにこの世に存在しない祖先の遺徳を丁重に取り扱うことで、現在生きている人民の徳や功績を大切にすることを天下に知らしめる効果があり、祖先を敬う社会秩序の基盤にもなった。

 孔子は孝悌の重要性を説いたが、『孝』とは父系社会の血族集団において目上の人を敬い仕える徳であり、一般には「親孝行」に代表される祖先崇拝思想の名残である。  
 『悌』とは共同体の年長者に従順に仕える徳であり、地域社会の秩序を維持するための規範である。「親孝行」は、すべての本となると言っても過言ではないと言っている(「仮名論語」学而第一2頁・君子は本を務む、本立ちて道生ず。孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か)。 

 「父在せば其の志を觀、父没すれば其の行を觀る。三年父の道を改むる無くんば、孝と謂う可し」                         

(学而第一「仮名論語」6頁6行目) 

 「三年父の道を改むる無きは、孝と謂う可し」                 

 (里仁第四「仮名論語」45頁2行目) 

 ここでも『孝』について述べられている。三年(丸二年)の喪に服すことは人として曲げてはならぬことだとある。

 儒教においては、親の葬儀を盛大に営む事が何より大切な事とされる。元々、儒教教団は、そういった葬儀に関する様々なしきたりを教授する人たちから生まれたものである。
 儒教の死生観では人は死ぬと魂(こん)と魄(はく)という二つのたましいに別れる。魂は精神を、魄は肉体をつかさどるたましいであるとされる。魂は天の陽気からのたましいであり、魄は地の陰気からのたましいである。魂は天に昇って神になり、魄は地に返る。残された者たちは魂を祀るために位牌を作ってに祀り、魄の戻る場所として地中に遺体を埋める。
 葬儀では、死者の魂を天国や地獄など7つの世界を巡らせる儀式を行う。この儀式で死者の魂が最後に到達する世界はこの世であり、再びこの世に生まれ変わってきて欲しいとの願いを込めている。また、死者との関係ごとに定められた作法で慟哭することが求められる(哭礼)。

 近年、我が国では葬儀を家族葬などにして簡素化を図ることが多くなった。私の住む地域も例外では無く、ざっと8割が家族葬のように思われる。以前は多かった地域の自治会館を使用しての葬儀も、年に一回あるかどうかといったところだ。
 葬儀の簡素化が進んでいる理由としては、宗教観が変化したこと、人間関係の希薄化が進んだこと、さらに高齢化の進行で故人の友人・知人がすでに他界していたり、友人・知人が概して高齢化し葬儀に来られない人々の数の増加などが挙げられる。
 通夜・告別式等々の宗教儀式を行わず火葬のみを行う葬儀形態を「直葬」と呼ぶが、近年増えており関東では4分の1に至っているという統計もある。

 宗教によってやり方は異なるであろうし、同じ仏教でも宗派が違えば法要の作法はそれぞれに異なる。しかし、先人を敬い感謝し、追善する気持ちは同じである。「終を慎み、遠きを追う」ことは無言の教育であり、絆を深めることに、この上なく意義深いのである。 

 当時の「孝」の概念には三段階あったようで、親が存命であれば親孝行を以て孝の心を表す。 親が亡くなったら、葬儀・服喪を以て孝の心を表す。服喪が明けたら、ご先祖と同様年忌 法要を以て孝の心を表す。というのが「孝」と考えられていたようである。

 位牌や墓、年忌法要の仕来たりは、仏教特有のものと考えておられる方が殆どではないかと思うが、実は、本来の釈迦仏教とは何の関係もない。釈迦は「肉体執着を断て、肉体煩悩を捨てよ」の一点張りだから、本来の仏教に、位牌や墓や年忌法要などは無い。(物や形に未練を持たないのだ)、 位牌や墓や年忌法要は日本仏教特有のものであ、元々儒教の仕来たりを拝借したものである。

(「論語精髄」谷口利広 銀河書籍 から抜粋)

我が国は国債破綻しない 

 

 主に財務省が主導している「国の借金で破綻する」という誘導戦略は、大噓である。平成9年以降の物価の持続的低下(デフレーション)の深刻化は、この嘘に端を発している。

 「嘘の財政破綻論」が蔓延し始めたのは、村山内閣の武村大蔵大臣が平成7年に事実上の財政危機宣言を行い、消費税の増税路線が事実上の広範な同意を得たときである。その結果、現在にまで続く「国の借金で破綻する」宣伝活動が始まったのである。大蔵省や報道機関が全面的に武村を支援し、「日本は財政危機」という認識が、社会に浸透していった。

 「財政破綻論」が社会に蔓延する中、平成9年に橋本政権により消費増税と公共投資の削減という緊縮財政が始まり、我が国の経済は物価の持続的低下に陥った。国民の所得の合計であるGDPが、全く伸びなくなってしまった。

 当時の橋本首相が、「財政破綻論」を無視したならば、我が国が物価の持続的低下に陥ることは無かった。日本のGDPは、今頃(少なくとも)一千兆円を超え、所得と税収が伸び続け、財政赤字の問題など顕在化していなかっただろう。「嘘の財政破綻論」という誘導戦略が、全てを壊した。

 

 財政破綻の定義は、一つしかない。政府の債務不履行だ。政府が借りた金を返済できなくなるか、もしくは利払いができなくなることこそが「財政破綻」なのである。

 財務省が「国の借金」と呼んでいる概念は、正しくは「政府の負債」である。「国」でも「国民」でもなく、日本政府の借金のことなのだ。

 日本銀行の資金循環統計でも、「政府の負債」となっている。日本銀行は「政府の負債」と正しい用語を用い、財務省は「国の借金」と呼んでいるのだ。財務省が「用語の誤用」により、印象操作を試みている。

 

 借金大国どころか、世界最大の金持ち国家である

 「国の借金」とは、定義的には日本の対外債務のことである。「日本国家」が外国から借りている金こそが、正しい意味の「国の借金」なのだ。

 日本の対外負債は、2020年末の数字で、約789兆円もある。ところが、外国に「貸し付けている金」もある。対外資産だ。日本の対外資産は、約1146兆円(16年末)。差し引いた対外純資産は、約357兆円である。金持ちの定義は、「金融資産が多いこと」ではない。「純資産が多いこと」なのだ。日本の対外純資産、約357兆円は世界最大だ。

 実は、借金大国どころか世界最大の金持ち国家なのである。ちなみに、世界で最も対外純「債務」が多い国は、米国である。

 世界一の金持ち国家日本の「中」で、「国」ではなく「政府」が借りているのが、財務省が言う「国の借金」の正体だ。正しくは、「政府の負債」と呼ばなければならない。

 

 「国民一人当たり800万円以上の借金」を広める財務省の記者クラブ

 財務省は自省の記者クラブ「財政研究会」を通じ新聞記者に資料を配り、政府の負債を「国の借金」と呼ばせ、国民を煽る。政府の負債を人口で割り、「国民一人当たり800万円以上の借金」と……。「日本の赤ちゃんは生まれた瞬間に800万円以上の借金を負っている」などと新聞一面に掲げられると、国民は「罪悪感」に苛まれることになる。結果、増税路線に抵抗できなくなる。「借金の先送りをするのですか」とやられると、「増税もやむ無し」になってしまうのである。

 政府の借金を「貸している債権者」こそが、日本国民なのだ。

 
 どのような形で国民は「政府に金を貸している」のか

 多くの人は「自分は国債など購入していないし、政府に金を貸していない」と思うだろうが、国債を保有していなくても間違いなく政府に金を貸している。

 「誰かの金融資産は、誰かの金融負債になる」のだ。言い換えると、「誰かが金を貸しているとき、別の誰かが同額の金を借りている」という話しだ。この基本を理解していただきたい。

 金融資産とは、「現金」「銀行預金」「債権」などだが、例えば100万円の銀行預金を持っていたら、それは「金融資産」だ。銀行側にとっては「金融負債」である。銀行側にとっては「借りた金」であって、「金融資産」ではなくて「金融負債」なのだ。銀行は預かっているのではなく、借りているのである。その証拠に、銀行側は微々たるとは言え金利を支払い、「返してほしい」と望んだとき、きちんと「返済」してくれる。

 

 銀行はなぜ、本業を顧みず国債を買うのか

 銀行にとって「銀行預金」が増えていくことは、「金融負債」が積みあがることを意味する。それだけでは金利の支払いが増えるのみで、逆ザヤで倒産してしまう。銀行の業務は、金を高い金利で貸し出し、金利差を得ることだ。

 現在、日本ではデフレが継続しており、一般企業は設備投資を増やそうとしない。デフレ下では儲からないからだ。設備投資をしなければ、銀行から金を借りる必要はない。「民間の資金需要が足りない」のである。企業の現預金は、現在史上最大に膨れ上がっている。設備投資しないから内部留保(要するに銀行預金)として貯蓄するばかりだ。銀行から借りる必要はないのである。

 企業に限らず、一般家庭でもこの状況下においては、住宅ローンを積極的に組もうとはしない。中小零細企業に対しては、銀行側が不良債権化を恐れて金を貸し渋る。銀行から民間への「貸付」という流れが細っている。これを「民間の資金需要がない」と表現する。銀行には「預金」が集まるばかりで、逆ザヤで倒産してしまうことになる。

 だから、日本の銀行は国債を購入し、政府にお金を貸し付けるという形で゛金利を稼いでいるのだ。デフレは深刻で民間の資金需要が少ないため、「日本円」の借り手は、事実上、日本政府以外にない。結果、史上屈指の低金利で国債を発行することができている。

 日本国債の保有者、すなわち「政府に金を貸している債権者」の過半数は、国内の金融機関である。銀行の「銀行預金」という債務の債権者は、日本国民である。債務者、債権者の関係で言えば、政府の債権者が日本国民の銀行だ。国内銀行の債権者が日本国民なのである。生命保険会社や損害保険会社なども同じだ。


 
 国民は債務者ではない、「債権者」である

 日本政府の負債(国の借金)の債権者(金の貸し手)は、直接的には銀行などの国内金融機関であり、「最終的な債権者」は国民だ。国民は「莫大な借金を負っているのではない。巨額のお金を日本政府に貸し付けている国民こそが「債権者」だ。新聞は、日本の赤ちゃんは生まれながらにして800万円以上の債権を持っていると書くべきなのだ。

 現在の国債金利は世界最低水準だ。とはいえ、日本国債の金利が低いのは、別に「日本政府が信任されている」「日本国債の信用が高い」といった理由からではない。単にデフレが継続し、民間の資金需要が乏しく、銀行預金にとってのお金の運用先がないためだ。

 もっとも、例えば日本国債の所有者の多くが外国人で、金利が世界最低ではなかったとしても、日本政府の債務不履行という「財政破綻」は起き得ない。理由は、日本は独自通貨国で、かつ国債の100%が自国通貨建て(日本円建て)であるためだ。なぜ、日本国債は100%日本円建てなのか。理由は簡単、皆さんが日本円を銀行に預金するためだ。

 
 日銀が国債を買い取れば、政府の借金は実質的に「棒引き」となる

 日本政府は、「日本銀行」という子会社を持っている。実は、日本銀行は株式を東京証券取引所に上場している。とはいえ、全株式を市場で取引しているなどということはあり得ない。日銀の株式の55%は、日本政府が保有している。すなわち、政府は日銀の親会社だ。

 民間企業でも同じだが、親会社と子会社とのお金の貸し借りは、連結決算のルールで「相殺」されてしまう。借金が存在しないということになる。政府が過去に借りたお金の借用証書である国債が、日本銀行に買い取られると、政府は実質的に「借金棒引き」になってしまう。

 政府は日銀が保有する国債について、放置し続けても構わない。利払いも不要だ。一応、政府は日銀が保有する国債について利払いを続けているが、日銀の決算が終わると「国庫納付金」として返還されている。

 日銀が国債を買い取るのは、邪道ではない

日本政府の「実質的な借金」は減少しているが、政府は「借金棒引き」が目的で日銀に国債を買い取らせているわけではない。日銀が通貨を発行する仕組み上、国債を買い取らなければならないためだ。日本銀行が日本円を発行する際には、銀行が保有する国債を日銀が買い取り、その代金を支払う形で「新たな日本円」が発行されるのだ。

 日本銀行の役割の一つは、日本円の通貨発行である。日本銀行はその存在理由から、日本国債を買い取り、「親会社の借金を棒引き」にするのだ。現在は単に、日本銀行が銀行などから買い取る国債の金額が増えている。という話に過ぎない。

 世の中には、「日本銀行が国債を買い取るなど邪道だ」などと、日銀の存在理由を否定する人が居る。そういう人は、日本円を使うことをやめるべきだと思う。私たちが日常的に使っている一万円札、五千円札、千円札も、日本銀行が国債を買い取ることで供給されている(硬貨は日本銀行ではなく、日本政府が発行している)。

 いずれにせよ、「世界で最も国債の金利が低い」「政府の負債の債権者が日本国民である」「国債が100%日本円建てで、政府は日本円を発行できる日本銀行を子会社としている」この3つの理由から、日本政府の財政破綻の可能性はゼロなのだ。自国通貨を発行できる政府が、自国通貨建て国債の債務不履行を起こすなど、あり得ない話だ。

天皇陛下の元日

 天皇陛下はどのようなお正月をお過ごしなのか、ご存知だろうか。
 私たち一般人は、こたつに入り、おせちを広げ、のんびりとしたお正月を過ごす人が多いと思う。私は3日間、駅伝のテレビ観戦三昧。合間に年賀状書き、そして読書と気楽に過ごす。しかし、天皇陛下は、超多忙なスケジュールをこなされている。

 天皇陛下の元日は、日の出前から始まる。着用するのにもかなり時間がかかりそうな古式装束を身にまとわれ、
朝の530分から「四方拝(しほうはい)」という儀式に臨まれる。5時40分からは「歳旦祭」という祭祀に臨まれる。(詳細な内容は不明)
 そして9時05分からは宮内庁の侍従職職員から、9時45分からは宮内庁長官や課長以上の者から、それぞれ祝賀の挨拶をお受けになられる。
 その後、10時00分からは、各皇族や政府関係者、各都道府県の知事や議会議長、各国の駐日大使などなど、分刻みのスケジュールで祝賀の挨拶をお受けになられる。
 この次から次の祝賀挨拶は、数時間に渡って続く。この間、天皇皇后両陛下は「立ちっぱなし」だそうだ。
 合間を見て、飲み物やサンドイッチなどの軽食を召し上がるそうだが、
ゆっくり昼食を取る時間もなく、休憩も無い。

 新年早々から天皇陛下はこんなに大変なスケジュールをこなされておられる。
 具体的なタイムスケジュールは、下記のとおりである。

==============================
5時30分 四方拝
5時40分 歳旦祭(御代拝)
9時05分 祝賀及びお祝酒(侍従長始め侍従職職員)
9時30分 晴の御膳
9時45分 祝賀(長官始め課長相当以上の者、参与及び御用掛)
10時00分 祝賀の儀(皇太子同妃お始め皇族各殿下)
10時10分 祝賀(元皇族、御親族)
10時15分 祝賀(未成年皇族)
11時00分 祝賀の儀(内閣総理大臣等)
      祝賀の儀(衆議院議長及び参議院議長等)
      祝賀の儀(最高裁判所長官等)
11時30分 祝賀(認証官等)
11時40分 祝賀(堂上会総代)
13時10分 祝賀(旧奉仕者会会員)
13時20分 祝賀(宮内庁職員及び皇宮警察本部職員)
13時30分 祝賀(元参与,松栄会会員,元側近奉仕者,元御用掛)
14時30分 祝賀の儀(各国の外交使節団の長及びその配偶者)
==============================
 ご多忙といった言葉では言い尽くせぬ行事をこなされている。
 なお、天皇陛下は日本国の安寧や国民の健康や幸福を願って(けっして、ご自分や皇族のために祈られているのではない)、毎日5時前からお祈りされている。これは、公務でご旅行されたときも同様である。

謹賀新年

 謹賀新年
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げる。
 ラジオ体操の後、例年同様に若草橋(大和川)から初日の出を拝んだ。あいにく東方に雲がかかり、いつもより20分近く遅れた。そのためか、人出も例年の10分の1程度だった。その後、氏神である「春日神社」(奈良市内の春日大社ではない)にお詣りした。例年通りのパターンだ。地域の世話人の方々が準備の最中だった。そのような中、世話人の一人で明治の支部長であるM氏から「お神酒をどうぞ」と声を掛けられ、遠慮なくいただいた。
 帰りに、「勢野霊苑」内の我が家の墓と妻の実家の墓に寄り、手を合わせた。前日、妻と娘がお参りし花を手向けていた。早い時間だったので、誰も居なかった。
 実はまことに恥ずかしい話だが、今朝、自宅に国旗を掲揚する事を失念してしまった。情けない。
 ご来光を拝みに行く途中で気づいたが後の祭り、「元日早々失態をの」気持ちを引きずった。結局、掲揚は8時10分になってしまった。いつもラジオ体操に出かける前に掲揚するのだが……。
 9時から家族3人で正月を祝った。

大晦日に当たり

 三生連のホームページをご覧いただいている皆様に、大晦日に当たり、ご挨拶を申し上げたい。日ごろは本ホームページにお訪ねを賜り、深謝申し上げる。会員外からも「ホームページ見ているよ」の声を数多く聞くようになった。本当にありがたく思う。できるだけ頻繁に更新しようとは思っているが、「武漢ウィルス」禍の中、行事の開催もままならず掲載材料に乏しいこともあり苦労している。
 そういう中ではあるが、皆様のお声を糧に無い知恵を絞り今後も努めてまいりたい。ご愛顧の程よろしくお願いしたい。

SDGsに思う

 

 最近、「SDGs」という言葉をよく目にする。三郷町もかなり注力している。最近の(随分前からかも知れないが)広報には、何ヶ所にもわたって出ている。町長を筆頭に、町職員の挨拶や各種文章には必ずと言ってよいほど……。不勉強な私は、一年ほど前まで何のことやら分からなかった。

 SDGsは「Sustainable Development Goals」の略称であると。日本語では「持続可能な開発目標」と表される。2015年9月の国連サミットで採択されたそうだ。SDGsは、2016年から2030年までの15年で達成すべき17のゴールと169のターゲットで構成されている。経済や環境、社会の課題が幅広く取り上げられ、持続可能な社会を築き上げるために、国連が主導してさまざまな取り組みが広がっているようだ。

 「貧困をなくす」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」「質の高い教育をみんなに」「ジェンダー(性差)平等」「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」――SDGsが掲げる目標はどれも普遍的であり、異論などあろうはずはない。しかし、「エネルギーをクリーンに」の部分には注意が必要だ。世界がめざす「脱炭素=カーボンニュートラル」の実現には、国民の莫大なコスト負担とチャイナリスク(中華人民共和国が抱える様々な矛盾や不均衡のことである。特に、外国企業<日本企業も含む>が中国国内で経済活動を行う際に生じるリスクを指すことが多い)が潜んでいるにもかかわらず、ほとんど報道されることはない。「再生エネルギー」促進などで値上がりする電気・ガス料金、メガソーラーによる自然破壊と災害リスク、「太陽光パネル」で目論む中国の世界支配、欧州メーカーなど(中国が係わっていることは明白だが)による自動車の「EV化」など、課題は山積している。
 脱炭素政策は実は非論理的で、温暖化防止には役立っていないばかりか、産業の自然なイノベーションを阻害し、私たちから富を奪い、さらには途上国の発展の足を引っ張っているとも言える。その一方で、ある一定の人たちには莫大な利益をもたらしているらしい。誰が儲けているのかを考えると、その背後にどのような意図が潜み、何が動いているのかが透けて見えてくる。さらに衝撃的なのは、SDGsの大きな波の中で、日本が間違いなく没落していく運命であること。日本にとっての「脱炭素政策」は自滅的だとも言える。であるのに、私たちはこの不吉な目標に向かって突進し始めている。そして、メディアが無責任にも喝采を送っている状況がある。私は自動車について、「ガソリンエンジン」は人類の想像した最高傑作だと思う。さまざまな点から「電気自動車」は不要だ。トヨタやホンダは、欧米メーカーに追随することなく、究極の「ガソリン車」(ハイブリッドを含む)をめざすべきだと思っている。さらに、SDGsには「安全保障」や「経済安全保障」、「食料の自給」などの視点が欠けている。これらは、我が国においては喫緊の課題であるはずだ。

 さて、SDGsに取り組まなくても罰せられるわけではないため、有志のみが取り組んでいるということがSDGsの問題点として挙げられる。SDGsを認知し、解決の必要性を感じている人しか取り組まなかったり、取り組む余力のある人しか取り組めない現状がある。貧困や情報格差がある開発途上国の人々は、十分に取り組めない。置かれている状況の改善が急がれるものの、本人が何もできない状況が生まれてしまっている。格差を縮めることが大きな課題であるにも拘わらず、格差を理由として結局はピラミッドの上層、つまり先進国が主導権を握ってしまっている。

 多くの企業や組織がSDGsに取り組んでいる中、「周りがやっているからうちもやろう」という流れでSDGsを取り入れるところも出てくる。SDGsが社会貢献と結びついていると考え、SDGsに取り組む組織は「良いこと」をしているという肩書き欲しさにSDGsを取り入れるところも少なからず存在する。 

 響きの良いSDGsという言葉を使って売名行為をしたり、SDGsを表面上で行なっていると公言しながら、実際はSDGsを実践していない状況のことを、「SDGsウォッシュ」と言うらしい。SDGsの一つの目標を達成しようと、他の目標の達成に悪影響を及ぼしている状態にも、同様の言葉が使われるようだ。例えば、ユニクロを運営する「ファーストリテイリング」において、中国の2つの下請け工場で従業員が長時間労働かつ低賃金での労働を強いられている状況のあることが、2014年の調査で明らかになった。作業場は異常なほど高温となり、かつ有害なガスや異臭の漂う状況であると。そういった劣悪な環境で働かせることは、労働者の権利侵害に当たる。人件費を安く抑えることで、高品質でありながらお手頃価格での製品販売を実現させている。正当に給料が支払われなかったり、健康に悪影響を及ぼすような環境で働かせていることが明らかになったことで「ファーストリテイリング」の闇が見えた。発覚した後も同社は、これらに関して明確には回答していない。日本人として、恥ずかしいかぎりである。米国は人権蹂躙阻止という立場から、法律によって人権無視の企業との取引を禁止しようとしている。すでに法案は可決され、実施されようとしている。日本政府は、なぜ黙っているのだ。「親中派」や「媚中派」の反対により「中共非難決議」が国会で決議されない状況が続いているが、残念至極である。

 SDGsウォッシュに陥ってしまう原因として、組織の事業と合わないのに無理やりSDGsを取り入れてしまうことが挙げられる。実態に沿わない分野まで取り組もうとしてしまい本来業務がおろそかになったり、本来業務からずれてしまう恐れがある。さらに、組織がSDGsに十分にコミット(結果に責任をもつ)できない理由の一つに、職員や従業員がSDGsを負担として捉えていることが考えられる。組織でSDGsに取り組むにあたって、上層部の人たちのみで方策が練られてしまうと、職員や従業員と認識の差が生まれてしまう。そうならないように、周りの意識向上(共通理解・課題の共有)も合わせて取り組むことが求められる。SDGsを組織で取り入れるにあたっては、組織内のコミュニケーションが大事となることは言うまでもない。

 世間でSDGsが広まりつつある中、流行に乗り遅れてはならないという感覚で取り組むのではなく、一人ひとりが問題意識を持って取り組むことが大事だ。一番問題となりやすいのが、前述のSDGsウォッシュである。SDGsウォッシュに気をつけるためには、どのように計画にSDGsを組み込むかなど取り組み方法を十分に考え、そして成果を公開することが求められる。取り組みをオープンにすることで、組織外からの(住民からの)信頼の確保につながると思われる。また、一人ひとりがSDGsを理解し、同じ思いで取り組めるように役割分担したり、組織内コミュニケーションも円滑にしていく必要がある。SDGsに掲げられた目標が、なぜ求められているのか、一人ひとりに考えさせることで、課題解決が進むだろう。

 SDGsに掲げられている目標は、短期間で解決できる問題ではない。そのため、未来への投資だという意識を持ち、長期目線で実践することが求められる。未来を想像し、自分はどのような世界に住みたいか、どのように社会に貢献したいか、今一度考えてみることが求められる。自分がめざす将来像を描くことにより、具体化された取り組みが思いつくはずだ。長い先の将来を考えるのは難しいかもしれない。しかし、将来ありたい姿を想像して、逆算しながらその都度やるべきことを考えていくことが、SDGsに取り組むにあたって最も重要だろう。

 SDGsの実践に当たりそもそも問題となるのが、SDGs自体の認知度の低さである。認知度が低いから、特定の人しか取り組まなかったりすることになる。組織を挙げての研修などが必要だ。SDGsは一人で解決できる問題ではないが、一人の行動がその周りの多くの人々に影響を与えることができる。多くの人の心に響くような実践を続けることで、一人ひとりの意識改革・行動改革へとつながるだろう。このように問題点が多々あるものの、SDGsはこれからの世界を形成していく上でとても大切な「道標」となる。

力不足を痛感 お詫びを

 「百祥 三生連のあゆみ」は、現在会員の手元に配布されているところだ。
 できるだけ費用をかけないでと努めた。できるだけミスの無いようにと、校正にも時間をかけたのだが、出来上がってみると、何ヶ所にも不具合がある。そのほとんどが編集のミスであり、制作責任者である会長の私の責任である。お骨折りいただいた編集委員の責任では、全く無い。
 上梓できたことは大きな喜びだが、一方で力不足を痛感している。「注意力・集中力の散漫」に尽きる。汗顔の至りである。
 これらを踏まえ、さらに精進を重ねる所存だ。署名原稿については、著者に深くお詫びしたい。本来ならば、ご迷惑をおかけした方々、お一人おひとりを訪ねて謝罪すべきところだが、この場をお借りしてお詫びを申し上げる。
 みなさまにはこれに懲りず、今後ともご指導の程よろしくお願い致したい。

『百祥 三生連のあゆみ』刊行に当たって

  三郷町生き生きクラブ連合会(以下、「三生連」)の『百祥 三生連のあゆみ』の刊行に当たり、ご挨拶を申し上げる。

 連合会の名称を三生連に変更後、早いもので3年近くが経過した。改称した年の5月に改元が成ったので数えやすい。辻 孝三前会長から私にバトンタッチされたのも、同じ年の4月である。この間、会員の皆様には、愚昧不肖の私に対し一貫して温かいご支援・ご協力を賜っておりますこと、心から御礼を申し上げたい。また、「武漢肺炎」禍という未曽有の危機の中、已む無く中止となる行事も少なくないが、何とか滞ることなく運営できている。これも偏に、奈良県や三郷町をはじめ、全国老人クラブ連合会(以下、「全老連」)・奈良県老人クラブ連合会(以下、「県老連」)・生駒郡生き生きクラブ連合会(以下、「郡生連」)・三郷町社会福祉協議会(以下、「社協」)など、関係諸団体のご支援があればこそと深謝申し上げる。とりわけ、社協の事務局長や事務局長補佐をはじめ職員の皆様には、永年一方ならぬお世話をお掛けしている。ご高配に対し、三生連を代表して御礼を申し上げる。

 私自身の三生連との関りは、年少のゆえまだ6年足らずだ。が、先輩諸賢のお話しなどから、歴代会長はじめ役員、顧問、支部長、社協事務局の皆様等、多くの方々のご尽力により、また会員のご協力により、ここまで辿りつけた事を強く感じる。先達の多大なご功績を心から称えたい。

 論語に、『慎終追遠』という章句がある。「愼終追遠 民徳歸厚矣 終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す」(学而第一)と読まれるが、元の解釈は「先帝の葬式を丁重にして真心から喪に服し、先祖の祭りを手厚くすれば、民の人情風俗は自ずから真っ当なものになる」である。浅学を顧みず私なりに意訳すれば、「先人の功績を称え優れたところを学ぼうとするならば、人としての道は自ずと開けるだろう。結果として人々の支持を得られるだろう」と言ったところか。先人のご功績を称えさらに誠心誠意努める中で、三生連の活性化を図っていくことが求められる。

 

 取り巻く環境は厳しい

 ところで、我が国の高齢者クラブを取り巻く環境は、年々、夙に厳しいものがある。三生連でも、会員の平均年齢が81歳を超える中(令和3年12月末現在)、お亡くなりになられる方や施設への入所などが理由で退会される方が後を絶たない。一方で、年金制度や社会情勢の変化などによる就業年齢の高まりや個人主義のますますの広がりもあり、新規に入会される数が極端に少なくなっている。会員の減少は本連合会のみならず全国的な傾向である。

 県老連では、平成15年にクラブ数が2千79、会員数は12万8千995名を数えたが、これをピークに減少に転じた。以来、減少は止まることを知らない。三生連でも、平成17年度当初の会員数が千8百45名で(16年度以前は不明)、以後減少の一途を辿り県老連とほぼ歩みを同じくしている。全老連全体でも同様だ。

 三生連では、春秋のハイキングの実施や同好会・教室の新設(論語・万葉集・習字・健康体操など)、会報の充実やホームページの開設・公開、会名の改称など、思いつく対策を矢継ぎ早に講じて来た。手をこまねいているわけではない。だが、十分に功を奏しているとは言えない。それどころか、令和2年4月には、会員数がとうとう千人を切ってしまった。会長として責任を痛感している。

 繰り返しになるが、現代人の特徴とも言える「群れなくてもやっていける。人づきあいはできれば避けたい」などの個人主義の拡大は、今後ますます目立ってくるのかも知れない。「友人は多いほどよい。多いことは人生に彩りが……」は自明の理だが、分かってはいても多くの人は行動につながらないのである。

 60歳代の会員がゼロの支部も増える傾向にあり、会員の平均年齢は上がる一方だ。ゆえに、単位支部におけるリーダーの後継者不足も深刻である。三生連23支部中、約半数の支部長が80歳を超えた。また町内では、ネットワークとの関係も課題のひとつだ。別頁資料のとおり、三生連ではこの10年で5つの支部が廃会となった。、その理由は前述のとおりである。

 

 現役員は全力で

 現役員・顧問は、『朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり』(朝に人としての真実の道を聞いて悟ることができれば、夕方に死んでも悔いはない)<論語・里仁第四>『生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を為すこと有り』(命を惜しがって仁徳をそこなうことはなく、時には命を捨てて、仁徳を成し遂げることもある)<論語・衛霊公第十五>などの気概と覚悟をもって努力を積み重ねている。だが、会員増強に係わっては今のところ報われていない。

 そういったある意味、時代の趨勢とも言わざるを得ない極度に困難な状況下ではある。だが、諦めてはならない。今後も弛まず、活性化を促し盛り上げて行くことが求められる。そのことを肝に銘じる。展望の開けない状況は続くが、会長として残されたあと1年余りの任期を全身全霊で全うする所存だ。

 

 46名から玉稿が

  末尾となったが、今回、『百祥 三生連のあゆみ』と銘打ったこの小誌を刊行するに当たって、三郷町長・町議会議長、県老連会長。郡生連会長・郡生連副会長のお二人、町住民福祉部部長・同次長、町社会福祉協議会事務局長・同事務局長補佐、三生連全役員・顧問、全支部長、全同好会代表者等、そして一般会員にも寄稿をお願いした。その結果、46名の皆様からのご協力をいただけた。望外の喜びである。

   ご多用の中、玉稿を賜った皆様には、心からの感謝を申し上げる。

  

 謹呈作業も年内に終えることが出来、晴れ晴れとした気持ちで新年を迎えた。

 本年も、会員にとって、三生連にとって、そして日本国にとって、『百祥』であることを心から祈念する。

 

 ひと区切り苦き香りのモカ珈琲

 新たな意欲我に沸き立つ

               蓮路

 

    奈良・三郷町の拙宅にて
            谷口 利広

気骨を見せる安倍晋三 元首相

 

 12月1日、安倍元首相は台湾のシンポジウムで演説を行った。その際の「台湾有事は日本有事だ」という発言は、日本のメディアでも広く報道された。この発言に中国が激怒し、「火遊びをするな、内政干渉をするな」と厳しく抗議した。当日夜に垂 秀夫在・中国大使を呼びつけて抗議するという事態に発展した。垂 大使は臆することなく、「日本の中にそのような意見があるということだ」と毅然とした態度を貫いた。大したものだ。拍手したい。当然と言えば当然なのだが、これまでの大使にはなかったことだ。

 安倍は、演説の中で尖閣問題に触れて、「習近平との会談のたびに必ず日本が尖閣諸島を守る意志を伝えてきた」と話した。中国ではこれまで「世界の指導者が習近平にペコペコして、習近平がうまく話を取りまとめて……」と宣伝してきただけに、今回の安倍の演説内容は、中国の宣伝とは真っ向から食い違うものだった。安倍がこのように主張してきたことが知られていなかったのだ。習近平の顔に泥を塗ったということで、中国側は安倍に対して激しい抗議を行ったのだろう。
 安倍の中国に対する強硬的な姿勢には、台湾から広く感謝の声が届いた。

 「大人の対応」はもう必要ない 
 これまで日本では中国との外交の際、「中国を刺激するな」という姿勢で臨んで来ただろう。それが「大人の対応」であるとされて来た。しかし、安倍は「台湾有事はすなわち、日本有事である。そして日本有事は、日米同盟の有事である。習近平はこのことを見誤るべきではない」と主張した。まさに、日本外交の通念を破ったわけだ。
 さらに安倍はこれに加えて、「それでも(習近平が)冒険するなら、それは経済的自殺だ」と強く警告した。また、「日本はF35戦闘機を147機購入している。新しい巡航ミサイルを購入・開発しており、与那国島と宮古島に陸上自衛隊も配備している」とも……。

 台湾から日本への感謝 
 安倍の中国への警告では、「日本には中国と戦う覚悟がある」ということ明らかにした。この演説に、台湾人は2つの理由で感謝している。

 1つ目は、安倍が、戦後初めてと言ってもよい気骨のある政治家であることが分かったこと。中国の横暴への強い意志は武士道精神そのものであり、これこそ台湾が日本を尊敬する一番の部分でもある。
 2つ目には、初めて安倍が台湾人の気持ちを代弁してくれたことにある。演説の中で、安倍は「台湾は、医療や衛生などの命に関わることでさえ 国際社会の中で発言権を持っていなかった。1971年に国連を追放されてから50年間、台湾はこの状況に耐えており、さらに25年間民主化の道を歩んできた」と述べた。
 台湾では、安倍の演説を受けて「情義相挺(チェンギショウティン)」という言葉が広がっていると聞く。これは「情もあり、義侠心もある」ということで、安倍元首相が 我々台湾を支えてくれているという意味だ。「日本にとって台湾が共通の価値観を持つ国であることを示してくれた」と。台湾が独立国として存在を示すことは日本や世界の利益になると強調した安倍に対し、多くの感謝の声が集まっている。
 ところで、安倍が発言したシンポジウムは、一民間団体主催のものであり、中国が大々的に日本を批判しなければここまで有名になることはなかった。この安倍の勇気ある発言は、世界にも勇気を与えるものだったことに疑いの余地はない。この演説に即座に反応し、世界のビッグニュースになるまで大騒ぎしてくれた中国には、大いに感謝をしなければならないと思うのである。

師走は間もなく半ば

 師走もすでに半ば近く、樹木の落葉もほとんど終わり、朝夕の冷え込みも強くなり、年の瀬を強く感じずにはおられない。
 武漢ウィルスの新規感染者数は激減しているが、新種の発生もありマスクの不使用に至るまでには、まだまだ遠いだろう。密を避けなければならないため行事も思うように開けない。
 三郷町においてはワクチン接種で文化センター大ホールを使用するので、総会の開催も当分無理である。
 そのような中、製作中の「三生連のあゆみ」が間もなく出来上がることは、暗中、一抹の光明である。会員の皆さんの手元には、今月25日以降にお届けできることになっている。楽しみにお待ちいただきたい。
 米国では、竜巻による大きな被害が生じている。お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りするとともに、米国民に心からのお見舞いを申し上げる。

収束に向かいつつあるが

 ここに来て、武漢ウィルスの新規感染者数が、大きく減って来た。全国的な傾向だ。東京も大阪も、北海道も沖縄も。

 荒井知事の言われるとおり、「他の地域が増えるときは奈良も増える。減るときは減る。宣言を出そうが出すまいが一緒だ」である。「財源は限られている。より有意義に支出する方がよい」そのとおりだ。

 誰も荒井知事を称賛しない。奈良市、生駒市、天理市をはじめとする各首長、県医師会長、奈良テレビをはじめとする各報道関係、「何とか言いなさいよ」と私は言いたい。

 もうひとつ言いたいのは、気の弱い方や高齢者などを恐怖に陥れるような話をされる有識者と呼ばれる方々だ。人々が過信するような話も困りものだが、必要以上に怖がらせるのはもってのほかだ。こういった方々は、現在の状況をどのように説明されるのか。「けっして油断してはならない」の一言だろう。

 油断はだめだ。油断すると、また増えるだろう。要は油断せず、必要以上に恐れず、うがい・手洗い・消毒・必要に応じてのマスクの着用に心がけ、3密を避けることだ。

 密とは無関係なのに野外でマスクをしたり、車に一人で乗車中でのマスク着用などは、無駄である。但し、「どうしても着用したい」という方に「やめなさい」などとは言わない。まさに、個人の自由である。(令和3年10月10日)

「50周年」ではなかった 

 来年は「創立50周年」という事で、昨年度末以来、準備を進めてきた。

 
ある時期(8から10年位前と思われるが詳細不明)に、平成16年度以前の支部報告等の資料一切が廃棄処分にされてしまった。私がそのことを知ったのは、副会長を務めていたときだ。本連合会設立以来、これまで周年行事がまったく展開されておらず、「10年区切りのまとめ」といったものも無いことも。平成20年度以前の会長はすでに鬼籍に入っておられるし、19年度以前のことが一部を除いて分からない状態である。

 平成26年に発行された県老連の50周年記念誌「50年の歩み」の記事(当時の三老連の会長が寄稿)に、「三老連は、昭和48年の発足と思われるが……」の記述がある。事務所に遺されている「歴代会長」の資料も昭和51年度からであった。ただ生駒郡の他の町の連合会設立年度は、斑鳩町が昭和38年度、平群町が39年度、安堵町も39年度だったので、なぜ三郷町だけ大きく遅れをとったのだろうと不自然に思っていた。しかし、確認する術(すべ)が無かった。

 昭和48年の設立ならば創立50周年に当たる。大きな節目の年に、何らかの記念事業を展開しなれば後顧に憂いを残すと思い、令和2年度末に「創立50周年事業検討委員会」を立ち上げた(後に実行委員会に移行)。
 事業のひとつとして記念誌を制作することにした。歴史を掘り起こして残さなければと思ったのだ。そして、一人でも多くの方に寄稿願おうと、早速、町長を始め皆様にお願いすることになった。一般会員にも会報を通して……。

 そのような中、前述の県老連50周年記念誌の表彰歴一覧の中で、昭和42年に馬場支部が県老連から「会長賞」を受賞したとあった。43年には、信貴ケ丘支部が「県知事賞」を受賞したとも……(馬場と信貴ケ丘の両支部に確認したが、賞状などの所在は不明)。昭和42年度に受賞したのであれば、「三郷町老人クラブ連合会」は遅くとも41年度には設立されていたと考えるのが自然だ。もっと以前の可能性もある。その方が郡生連の他町との比較でも妥当だ。41年には町制も施工されている。
 設立年度について県老連にも問い合わせしたが、残念ながら、『50周年記念誌「50年の歩み」』に掲載されている以外のことは不明であった。

 これらを受けて8月19日に役員会を開き、対応を協議した。その結果、記念誌については作業がすでにスタートしており、「回顧録」(仮称)として予定どおりに発行することにした。令和4年4月に総会と併催予定としていた「記念式典」は、取り止めることとした。原稿執筆をお願いしていた三生連関係者以外の皆様にはお詫びすると共に経緯を、明日ご説明申し上げる。
 まことに恥ずかしい話である。責任はすべて、会長である私にある。

(令和3年8月19日)

会報「矍鑠」第19号 『照隅』

 希望する高齢者へのワクチン接種が、先月末に終了した。今後若い世代へと進み、一日も早く収束に向かってほしい。現在中止を余儀なくされているさまざまな行事が、通常どおり実施できることを願う▼最近、支部長連絡網がきちんと機能し、『矍鑠』が会員に速やかに配布されている。支部長をはじめ、支部役員の日頃のご尽力に対し感謝する▼東京五輪の開会式への評価は分かれた。どちらかと言うと否定的な意見が多かった。会員諸氏のご意見は如何だろうか。ロサンゼルス大会から、過度と思われる演出が増えた。商業主義が蔓延る(はびこる)ようになった。私は、前回東京五輪の入場行進や聖火最終ランナーの聖火台への点火のような、余計な演出を避けた単純明快な進行に軍配を上げたい。青空の下での開会式が懐かしい。とにかく、所要時間が長かった。誰もが感じただろう。正味4時間、集合解散を含めて8時間は、選手に酷である。橋本組織委員長やバッハIOC会長の挨拶は、内容や態度については立派だったが、異常に長過ぎた。「挨拶は短く簡潔に」が鉄則だ▼昭和39年の前回大会はまだ中二だったので、テレビ観戦と市川 崑監督の記録映画の鑑賞のみに終わった。3年後にはパリで、その次はロサンゼルスで、さらに4年後にはブリスベン(豪)で開催されるが、海外までは……。生きている間に、もう一度日本で開催される望みは限りなくゼロに近い。「この機を逃せば、五輪を目の当たりせずに生涯を終えることになる」の思いで、一人札幌へ向かった。五輪への思いが人一倍強いのだ▼通常、男女マラソンの日程は離される。今回は競歩を含め4日連続での実施となり、5種目が観戦できた。そして首尾よくコース沿いに、それもスタート・ゴール近くにホテルが取れた。キプチョゲなど、世界の一流選手の力強く美しいフォームを何度も眼にし、ただただ感嘆するばかりだった。今でも余韻が。金が確実視された男子20キロ競歩では、残念ながら銀と銅の獲得に止まった。改めて金獲得の重みを痛感させられた。男女マラソンはメダルに届かなかったが、6選手は力の限り健闘した。それらを含め、語り尽くせぬ感動を味わった▼聖火ランナーを務めることができたうえに、日本選手のメダル獲得の場面をこの眼に焼き付けることができた。幸せ者である。欲を言えば、後輩の鈴木健吾くんがマラソンに出場して欲しかったが、それは欲張りだろう。パリ大会を待ちたい。今後、事務所で感動の一端をお話しできると思う。

札幌で五輪の応援

 8月6日(木)、札幌を訪ね、競歩3種目と男女マラソンに声援を送った。予想したとおり、全国から多くの応援客が訪れていた。
   マラソンではメダル獲得が難しいが、男子20キロ競歩では金メダル獲得が確実視されており、その場面に立ち会いたかった。札幌に着いた夕刻のレースとなったが、思ったより涼しかった。結果だが、残念ながら銀と銅に終わった。優勝すると思われた山西選手が最終盤で失速し、3位となった。期待の大きかった私の落胆は……。夕食はおいしい寿司でもと思っていたが、金を獲れなかった責任は私にもと、臥薪嘗胆、〇〇屋の牛丼とした。
 
 翌日は早朝から男子の50キロ競歩、夕刻には女子の20キロ競歩と続いたが、前日の結果が尾をひいたのかメダルには届かなかった。
 土・日のマラソンは男女ともメダル獲得には力不足で、よかって6~8位と予想していたが、そのとおりの結果となった。
 今回、男子3千㍍障害で三浦選手が、女子1500㍍では田中選手が、そして女子5千㍍で廣中選手が入賞と気を吐いた。
 次のパリ五輪では、ぜひマラソンでのメダル獲得をと期待して札幌を後にした。

サツキ見頃

 拙庭のサツキが見ごろになってきた。
 大したものではないが、40数年前から鉢で育てたさまざまな種類を地植えにしたので赤一色ではない。他の植栽も同様だが、水やりや剪定、施肥・施肥薬剤散布などを職人に頼んだことは一度も無くすべて自分でやっていることが自慢だ。
 よかったらご覧いただければと思う。鑑賞には早朝が最適だ。日差しが強くない方がよい。ラジオ体操から6時55分には戻るので、7時45分くらいまでの時間にお越しいただければと思う。雨の日は、余計に美しい。前述のとおり多種類なので、月末まで鑑賞に堪えられる。
 昨日は辻  孝三三生連前会長が、今朝は西村 恒子 三生連会長はじめ夕陽ケ丘支部の仲間7~8名の来訪があった。
(5月15日)
 


人一倍の汗をかき、「手柄は他者に」の姿勢

   他府県の話だが、「武漢ウィルス」のワクチン接種に係わって、対象年齢に達していない若い市長や町長などが先に注射して貰ったというニュースが、世間を賑わしている。
   長たる者は、「お先にどうぞ」の姿勢が大事である。特権を行使するなどは論外である。人一倍の汗をかき、「手柄は他者に」の姿勢を常に保たなければならない。心したい。
 生駒郡4町には、そのような首長は居ないと信じる。
(令和3年5月13日)

みなさんに支えられて「三生連」は盤石

 本連合会の役員・顧問は13名だ。
  会長の私が最年少で、私を除いてみなさん人柄がよく、かつ能力の高い方ばかりである。そして何より、率先して人のために汗のかける人ばかりである。私はみなさんに、大いに助けられている。
 そういった中でも、西村 恒子・恒川  敏・大浦 幹文の三副会長は俊逸であり、私はほとんど何もしていないと言った日常である。有り難いことである。理事のみなさんも、担っていただいている分野はもちろんのこと、他の業務も手助けしていただく。
 また、顧問や監事のみなさんも理事と同様の業務をこなしていただく。このような組織・団体は稀有ではなかろうか。これまた、本当に有難いことである。「三生連」は盤石だ。
(令和3年4月)

東京五輪の聖火を無事繋いで

 現在、東京オリンピック・パラリンピックの聖火が、福島を皮切りに全国をリレー巡回している。

 奈良県内でも、4月12、13の両日にわたって17か所で実施された。私は、12日の午後、法隆寺・法起寺間のコースで、法隆寺東大門から中宮寺夢殿入口前の区間を走らせて貰い、無事聖火を繋いだ。

 前回の東京五輪(昭和39年)のとき、私は中学2年だった。高校に入学後、陸上競技部の卒業された先輩(4歳上)が聖火ランナーとして走られたことを知った。そのときのユニフォーム、日の丸の入ったランニングシャツとランニングパンツを見せていただき、とても羨ましく思ったものだ。3年で主将を務めたが、もう少し早く生まれていたら自分も選ばれていたかもと残念な気持ちになった。57年の時を経て、聖火リレーランナーとしてまさか走ることになるとは……。

 私の走った所は、会員のみなさんならすぐお分かりのように、両側が土塀、下は石畳の道で、見上げれば五重塔なども見ることのできる見事なロケーションである。聖火トーチを掲げながら、夢のような、幸せな気分に浸った。

 当日は、応援のために多くの方々が駆けつけてくれた。有り難いことである。三郷町の森 町長や伊藤 町議会議長、教育部長もご多用の中、お出でいただいた。みなさんに、心からお礼を申し上げたい。なお、16日午後、西村・恒川両副会長と共に、森 町長を表敬訪問させていただいた。
(令和3年4月16日)

東京五輪・パラリンピック聖火リレー

 東京五輪・パラリンピック県内での聖火リレーは、4月11日と12日の両日実施されるが、昨日、組織委員会から連絡が入り、私の走る区間が判明した。
 法隆寺~法起寺の9区間のうち、第2区の法隆寺東大門から夢殿前の200㍍を走ることになった。走る時間は、12日の午後2時15分頃である。
 体調を整えて、きちんと役割を果たしたい。

「新友会」の新支部長に安部正明氏が

 「新友会」の現支部長が、今年度をもって退会される。後継が決まらず、憂慮すべき事態となっていたが、安部正明氏にお引き受けいただくことになった。
 安部氏は、本部の会計を7年、今年度は理事を歴任された。体調が万全では無い中、その男気に拍手したい。

学術会議騒動に思う

 

 昨年9月末、日本学術会議が首相(任免権者)に提出した新会員候補者の内、6人が拒否された。それに対して、同会議は、「学問の自由」が侵害されたと騒ぎ立てた。野党の一部も同調した。
 不満ならば、同会議の会長は辞任して抗議すればよい。会員においても、不満な者は辞任することだ。しかし、誰一人として抗議辞任はしていない。もっとも会員が辞任しても、政府も国民にも影響があるとは思わない。会長以下、多数の会員が今回の人事結果に不満ならば、政府とは縁を切り独立独歩で活動すればよいだろう。政府とは無関係となり、自分たちが費用を負担して自主独立での活動をすればよい。であるのに、なぜ政府から離れられないのか。現状の居心地が余程よいのだろう、何らかの旨い汁を吸うことができるのではと勘ぐられても仕方ないのではないか。そのように思ってしまう。

 38年間、公立高校の教員を務め、定年退職して10年になる。当然だが、在職中、人事に対して異議を申し立てたことなどなかった。自身、望まない転勤を強制されたり、納得のいかない管理職人事なども少なからずあったが、仕方が無いと思った。組織であるから、教育委員会事務局の最終決定が出た後は、人事に対して拒否できる権利などどこにも存在しない。この原則は、他の組織においても同様だろう。

 日本学術会議などという仰々しい名前で、中身は空虚な組織など、政府組織としては無用の長物だと思う。ここ何年も提言らしきものが提出されていないことが、それを示している。国民の幸福に資していないのである。それどころか同会議は軍事研究には反対だと主張をし、北海道大学における某研究を攻撃し研究を中止させたと聞く。同会議は、平成19年3月の「軍事的安全保障研究に関する声明」で「戦争を目的とする科学の研究は絶対に行なわない」ことを掲げた。戦前の軍国主義の幻影を引きずり、過剰に反応しているように感じる。世論調査にみれば、国民の多くは自衛隊を認めている。自衛隊を必要と認めるならば、中国共産党の脅威を感じる中、相応の自衛力も補償すべきだ。同会議の対応は、近視眼的行為ではないか。どのような研究であろうが「ものづくり」であっても、軍事に結びつかないものはないだろう。専守防衛の範囲内で安全保障研究に関与するかどうかは、研究者個人の良識に委ねるのが適切だ。安全保障研究への参画を組織的に阻害すべきではない。それこそが、「学問の自由」の侵害と言える。

 合点がいかないのは、同会議は軍事研究に反対という主張をしながら、同会員の少なからずは中国共産党の人民解放軍と深い繋がりを有していることだ。追及されると、「政府の学術研究に対する予算が貧弱だから」となる。実績を積み上げ、それこそ正面から要求すべきであろう。本末転倒、とんでもない話である。そのような中、海外から優秀な研究者を招致する悪名高い中国のプロジェクト「千人計画」に、少なくとも44人の日本人研究者が関与していたことが分かった。日本政府から多額の研究助成を受けながら、中国軍に近い大学で教えていたケースもあった。許しがたい大きな問題である。米国では、海外から一定額以上の資金を受けた研究者に情報の開示を義務付けているほか、国の予算を使う企業、大学などの関係者が外国の人材招致計画に参加することを禁止している。我が国は、対応が遅れている。

 学術会議の問題の本質は、全国約85万人とされる科学者を代表した組織になっていないことだ。大学研究者が大部分であり、民間や企業の研究者、政府系の研究者の意見が反映されにくく、分野にも偏りがある。一部の大学研究者の独りよがりの意見となりがちだ。偏りを是正し、学術界の縮図となるように会員210人を選ぶ方式にすべきだ。繰り返すが、日本の研究者のほとんどは、日本学術会議なる組織とは無縁であろう。にもかかわらず、同会議は日本中の研究者が参加し後援しているような虚言を弄(ろう)している。

 図らずも、新会員任命において政府(首相)から拒否された今回の騒動によって、日本学術会議なるものの実態が明らかになったのは、とてもいいことだ。 
 すなわち、同会議が、

 (1)政府(最高責任者は首相)の一部であること
 (2)日本の研究者の大半は、同会議と無関係であること

(3)そのメンバーの誰一人として抗議の辞任をしていないこと

(4)民間の団体となる覚悟がないこと

(5) 中共人民解放軍とつながりをもっていること

などが分かった。

 政治は国民のためにあり、科学もまた、国民のためにある。政治と科学には一定の距離感と緊張感が求められるが、対立する必要はない。現在の日本学術会議の姿勢では、他の多くの研究者や国民の支持は得られない。

 「学問の自由」を保証することは当然のことだが、菅内閣は学術会議の詭弁に妥協することなく、毅然とした対応を取り続けていただきたいと強く思うのである。

新年のご挨拶

謹 賀 新 年

 三生連は武漢ウィルス禍に負けず、令和3年も飽くこと無く可能性を追求する。
 本年も、ご協力をよろしくお願いしたい。特に支部長の皆様には何かとご支援・ご協力を賜っているが、引き続きよろしくお願い申し上げる。なお、福祉保健センターの事務所での業務開始は、1月5日からだ。

10/28支部長会 挨拶

 みなさん、こんにちは。

 ご多用の中、ご出席いただきありがとうございます。日ごろは、三生連の運営にご協力を賜りまして感謝申し上げます。

 さて、「武漢肺炎」禍のため、三生連では総会をはじめ様々な行事や日々の活動がままならない、困った状況が続いています。みなさんの支部におかれましても、同様の状況ではないでしょうか。本日の支部長会もセンターの使用規定で出席者人数が制限され、二回に分けての開催となりました。また役員も4名のみの出席としています。

 三郷町では、この2か月半余り新規の感染者が出ていませんが、全国的に見ると収束に向かっているとは言えない状況があります。また世界に目をやると、ヨーロッパ諸国や米国、インド・ブラジルなどでは、毎日万単位の新規感染者があります。まことに深刻な事態です。

 色々と暗い話題の多い昨今ですが、先般は三郷町と大阪柏原市とで申請していました「竜田古道」の日本遺産への登録が叶いました。また昨日は、西川きよしさんが文化功労者に選ばれるなどの明るいニュースもありました。

 こういう時期だからこそ余計に、前向きな気持ちを維持して日々過ごしていくことが求められるでしょう。

 これから徐々に寒くなってまいりますが、みなさんにはご自愛いただきまして、コロナ禍を乗り切っていただきたいと思います。

 はなはだ簡単ではありますが、開会の挨拶といたします。

収束の気配が少し

 会報「矍鑠」第16号の巻頭言で『収束の気配見えず』と記したが、「そんなことはないだろう」と思われている方も多いだろう。
 諸般の事情で、16号の印刷は8月14日に行った。と言うわけで、あの一文は8月13日以前に書いたものだ。その後しばらくして、新規の感染者数はかなり減って来た。東京・大阪はもちろんのこと、奈良県でもこのところ5人以内で推移している。三郷町ではしばらくの間、新規の感染者は出ていない。

 有識者の間では、第二波のピークは7月末だったと言われている。予断は許せないが、徐々に『収束に向かっている』とも言えなくはない状況だ。そうあってほしいと願うのだ。(9月3日)

収束の気配は

  梅雨明けが、例年になく遅かった。7月の雨量は、記録的な数字となった。

 少し前から朝夕の風に秋を感じるようになって来た。とは言っても残暑は厳しい。「秋には武漢肺炎も収束に向けて……」と少しは期待したが、そうはいかない様相だ。依然として新規の感染者が後を絶たない。ワクチンの開発も進んではいるが、一般に使われるようになるのは来春からのようだ(ロシアでは9月末からというニュースも)。まどろこしい気持ちもしないではないが、副作用などを考えると慎重にならざるを得ないのだろう。

 薬の使用は、欧米では始まったようだ。とにかく、早くマスク無しの生活に戻りたい。これから収束に向けて一歩一歩進むだろうが(そうあって貰わなければ困る)、まだまだかなりの時間を要するだろう。東京五輪・パラリンピックの開催は微妙だが、現時点での予定どおり、来夏開かれることを信じたい。 

 行事の中止相次ぐ

 本連合でも町でも、郡生連・県老連でも、行事が次から次と中止になり、無力感に襲われる。会員諸賢も同様の思いだろう。これも何十年先には、「あんな事があったなぁ……」と子や孫がしみじみと思い出すことになるのだろうか。しかし、親族などが犠牲になった場合は、まったく別の話となる。忘れられない親族の悲惨な思い出として、脳裏に刻み込まれることになる。町内から死者が出ていないのは何よりだ。  

 前号で、『「武漢肺炎禍」後の世界を再構築する中で、人とのつながりの喪失や情報の格差によって置き去りにされる人をなくすことが求められる』と記したが、私の支部でも、携帯電話を「スマホ」に替えたり、長い間中断していたパソコンの使用を再開したりする人が少なからず居る。前向きな姿勢に拍手をすることになる。「もう80歳だから……」と前向きな気持ちを失うのではなく、また弱気になるのではなく、新しいことに挑戦する気持ちを持ち続けることが大事である。要は、「まだ80歳」「まだ90歳」なのである。齢を重ねても、前向きでいたい。 

 可能性を求めて

 私は英語が苦手である(日本語も心許ないが)。英語を流暢に操る人に出会うと羨ましく思うときもある。「思うときも」と言うのは、「ネイティブのように話せなくとも、伝えようという気持ちがあればカタコト英語でも通じる」という経験があるからだ。外国人がカタコトの日本語を話すのを聞いて、「何だあの外人の日本語は」などと思われるだろうか。逆に微笑ましく思うのではないか。私は、もちろん後者だ。カタコト英語を聞いた英語を母国語とする人たちやその他の流暢に操れる人たちも、私たちのカタコト英語を馬鹿にしたりはしないと聞く。侮るのは、ネイティブに近い発音のできる一部の日本人だと言われる。カタコト英語を気にせず、身振り手振りを交えて、ときには筆談も駆使して堂々と話せばよいだろう。私は、マラソンや登山などでこれまで8ヵ国を旅しているが、言葉で困ったことはない。「サムライ・イングリッシュ」(カタコト英語)で結構通じるものだ。しかし、流暢に話すことができれば、それに越したことは無い。英語にはあまり縁の無い私だが、身近に置いている英文がある。

 That`s why it`s important to keep challenging your self , and creates new values.(大事なのは、あなた自身の可能性を追求することである。そうすれば、新しい価値を見つけることができるだろう)「飽くこと無く可能性を求めて」と、Where there is will , there is a way.(意志あるところに道は開ける)

である。折に触れ口ずさむ。
 

 美田を遺さない

 前述のパソコンを再開された会員は、パソコン本体も最新の機器に買い替えた。もちろんスマホも。そして、王寺駅前の教室に通って技能を磨かれた。それに加えて、テレビも4k放送が視聴可能なものに買い替えた。「残りの人生、お金は自分のために使うものだ」とのお考えだろう。私は大いに賛同する。だが、その方も後先考えず贅沢をしているのではない。節約するところは節約し、いろいろと考えて計画的に出費されている。

 西郷南洲(隆盛)を持ち出すまでも無く、子や孫に美田を遺しては彼らのためにならないと思う一人である。学校を卒業するまでは援助するのは親の義務だが、あとは本人に切り拓かせねばならない。通帳・印鑑・家の権利書、カード類は、けっして早い段階で子どもに渡して(預けては)はならない。高齢者の会に関わって6年、早く預け過ぎたがためにみじめな末路を歩んだ方を少なからず見てきた。もちろん、正常な判断を下せなくなった場合は別だ。

 そのためにも、テレビの娯楽番組などばかりに釘付けにならず、新聞を読みニュース番組も視聴する。ただ、新聞報道やテレビ・ラジオニュースにも偏りがあることを忘れてはならない。マスコミに※自虐史観(じぎゃくしかん)を植え付けられてはならない。何でもかんでも疑ってかかるのはどうかと思うが、お人よし過ぎるのはやめたい。要は、何でも鵜呑みにしてはならないのだ。若干飛躍するが、「オレオレ詐欺の餌食」にならないでいただきたい。

 「過度に節約して多くは遺さず、夫婦のために(自分たちのために)計画的に使う」が持論である。ただ様々な考えがあるだろう。押し付けるものではない。自分たちのためにと言ったが、「ケチはダメだ」を付け加える。「ケチ」は嫌われる。     

 ※自虐史観  自分の国を過度に悪とみなす歴史観のこと。 

 またもや水害が

 7月の豪雨では、熊本を中心に多くの犠牲者が出た。何万もの人が家屋浸水などの被害を被った。土砂崩れもあちらこちらで……。7月末には、山形・最上川も氾濫した。居たたまれない気持ちだ。犠牲者のご冥福をお祈りするとともに、被災された方には心からお見舞いを申し上げる。
(「矍鑠」第16号から)


安寿会連合会 前会長 辻 修氏ご逝去

 かねてより病気療養中であられた安寿会連合会(安堵町)の前会長の辻 修氏が、8月12日にご逝去された。
 謹んでご冥福を祈念申し上げる。
 辻氏は安堵町はもとより、生駒郡生き生きクラブ連合会の会長としても、生駒郡の高齢者の会の発展のためにも献身的に尽力された。その功績は大なるものがあり、早逝はまことに惜しまれる。葬儀には郡内の縁の人が数多く参列され、氏の遺徳を偲んだ。

会員数の減は残念ながら……

 会員数の減に歯止めがかからない状況が続く。残念である。
 奈良県内では、比較的元気であると言われる我々の生駒郡生き生きクラブ連合会(郡生連)の4町も例外ではない。昨年度、三郷町では98名の減となった。斑鳩町では168名の減、平群町では46名の減、安堵町では30名の減、4町では計342名の大幅な減少だ。
 減少の要因は、はっきりしている。ご高齢の方などがお亡くなりになり、一方で新規入会者がごく少ないという状況があるということだ。三郷町と斑鳩町では、末端の支部の一つが無くなったことが大きかった。
 会員数の減少は、都市部や地方に関わらず全国的な傾向である。10年後、高齢者の組織はどうなっているのだろうかと危惧される。一部では、「高齢者クラブ」は雲散霧消となるのでは見通される方も居る。「人生百年」と言われる中、高齢者人口は、これからますます増加することは間違いない。「高齢者クラブ」の必要性はますます増すのに、その存在自体が危ぶまれるという矛盾した事態が進む。
 「個人主義の横行」という大きな壁があるが、国(厚生労働省)は、抜本的な対策を講じなければならない。

新規感染者が奈良でも……

 新規感染者が、このところ奈良県内でもじわりじわりと増えつつある。
 皆様には、人混みや公共施設、電車・バスなどではマスクの着用を、またけっして油断なさらずに「3密」への対応や人との間隔を十分にとるなどにご留意いただきたい。多人数での会食なども、今しばらく避けて(我慢して)いただきたい。

油断は……

    武漢肺炎禍も少しは収まりかけていたが、東京などでは感染者の数がぶり返している。若い世代に感染が広がっている。近畿でも、少し増える傾向にある。奈良県でも同様だ。予断を許さない状況である。国内でも、米英をはじめ諸外国においても、ワクチンの開発は予想以上のスピードで進んではいるようだが、一般に使用されるようになるには、まだまだ先のことになりそうだ。

医療従事者に感謝

 武漢肺炎禍が続いている。会員諸氏には、連日の自粛生活で精神的にお疲れのことと推察申し上げる。運動不足の解消のために、創意工夫をして室内や庭などで体操などをしていただきたい。また気晴らしに読書や文化的な趣味に親しむことも……。緊急事態宣言もそのうちに解除されると思うので、それまで堪えていただきたい。なお、医療現場などでは、医療関係者が身を挺して武漢肺炎禍に立ち向かっておられる。本当に有難いことだ。三生連を代表して、心から感謝を申し上げたい。一刻も早く、特効薬やワクチンが開発されることを祈るばかりだ。

意識して体を動かそう

 行事や通常の活動が延期や中止に追い込まれている。どうしても運動不足になりがちだ。
 意識して人混みを避けての散歩や体操をすることを心がけたい。テレビなどでも、手軽にできるさまざまな体操を紹介している。庭や室内で、体を動かそう。

 お元気に過ごしていただくことを願う。

ハクモクレンが

 拙庭のハクモクレンが、満開に近い。
 三室に住んでいるときからの樹で、私が手をかけるようになってから約45年になる。
   一昨年の台風21号の暴風で、かなり枝が折れたが回復して来た。三郷町近辺での庭木としてのハクモクレンでは、大木のひとつであろう。
 道路際に植えてあるので、往来の人に楽しんで貰える。青空に白い花が似合う。明日(3/13)が一番の見頃になるのでは……。
   ハクモクレンが終わるとソメイヨシノの開花だ。今年は例年よりかなり早い開花となるだろう。
バルコニーから

支部の年会費

 三生連には、年会費を徴収していない支部がいくつかある。その中には、会員数が比較的多い支部が三つ含まれる。
 高齢者の会に限らず、どのような会でも会費をきちんと納める中で、会員としての自覚が生まれるだろう。
 年会費を徴収していない支部は、会設立時からそのような形をとっているようだ。理由は定かでないが、「会員をより多く募りたかった」というのが理由だろうと推測する。会費を徴収していない支部では、支部の行事への参加者が多くないという声を耳にする。徴収していない支部、内部からの声だ。一般的には、会員としての自覚が希薄になればなるほど、行事への参加者は多くを望めないだろう。
 現在会費を徴収していない支部が、これから徴収しようとすることがひじょうに困難なことは明白である。改革には、相当な覚悟とエネルギーが求められる。
 日ごろから悩ましい問題だと思っている矢先、追い打ちをかけるような事態が生じている。これまで1,000円の年会費を徴収していた会員数の多い支部が、来年度から徴収しないことを決議したと。この支部は、最盛期270名の会員数だったが、数年前に100名を切り現在は70名台だ。だが、当該支部長のお話では、この4月には会員数が40名増になると。この支部の財政は比較的豊かで、年会費の徴収をストップしても問題ないと聞く。
 私が危惧するのは、年会費を徴収しないと知って入会した人が(そういう人ばかりではないだろうが)、高い自覚を持たれて会員として歩んで行かれるかどうかだ。また、従来からの会員についても、意識の低下につながらないかの懸念を抱いてしまう。支部がよかれと決めたことに口出しする気は無いが、これまでの1,000円の会費はけっして高額ではないし、「引き続き徴収すればよかったのに」の思いである。そういった危惧や懸念が、「要らぬお世話(心配)」になれば嬉しい。答えが出るのは、早くとも3~4年先だろう。

「新友会」とは

 本連合会で一緒に活動するためには、先ずは各地域の支部に入会する必要がある。ただ、居住されている地区に支部の無い所がある。例えば、「イーストヒルズ」である。
 「イーストヒルズ」にお住まいの方から三生連の活動に参加したい旨の申し出があり、そのときに「新友会」(しんゆうかい)という名称のグループを立ち上げ、支部と同等資格を得た。そのときに、地元の支部に何らかの理由で入らないという方も「新友会」に入られた。平成23年度のことだ。当時の会長は片岡雅基氏である(明治・現三生連顧問)。現在、「新友会」の会員は11名だ。平成31年3月に支部が解散した「勢野第3」「信貴山西」の方でも、「新友会」に加入希望があれば個人の資格で加入できる。
 ところで、支部が三生連を退会した場合、会としては存続するとき、その会に所属したままで「新友会」に入ることは出来ない。三生連を退会したのだから当然の事だ。当然の事として、これまで会則には明記されていなかった。今回、会則を改定して、この事を明記される(3/9の支部長会で改定する予定だったが中止となったので、4/3に予定されている来年度1回目の支部長会で議決)。
 とにかく、支部が三生連から退会し会として続けて活動する場合は、その会を離れない限り「新友会」(新友会)には入れないのである。三生連の活動には、会員として活動できない。
 この事は、現役員・顧問、全員一致した考え方である。

HP大賞「佳作」の賞状が届いた

 先日、受賞通知を貰っていたHP大賞「佳作」の賞状が届いた。次回は、準グランプリ以上を目指す。
  写真が横向きなことに違和感を覚えられるだろうが、わざと横向きにしているのではない。元写真を90度左に回転させても直らないのだ。管理者の能力では、修正できないのである。どなたかアドバイスを……。
「佳作」の賞状

訃 報

 ご療養中であった美松ケ丘支部長の松本 信一氏がお亡くなりになられた。心からご冥福をお祈り申し上げる。なお、葬儀はすでに済まされたそうだ。本日(2月22日)午前、弔問させていただいた。

「本連合会から脱退される」との残念なニュースが

 正式には未だであるが(会長名による届)、ある支部(昨年4/1現在の会員数83名)がこの3月をもって脱退することを班長会議で決議したと聞く。自治会からの補助金なくなるなどの理由が取り沙汰されているが、とにかく大変残念なことである。
 摩訶不思議なのは、会としては存続するということだ(当該支部の副会長談)。であれば、本連合から脱退することは無いと思うのだが……。当該支部からは「万葉集」「カラオケ」「習字」「論語」などの教室や「春秋のハイキング」などへの常連参加者も少なく無い。そういった方は、4月以降どのようにされるのか。「新友会」支部に入られるのか。脱退したのに存続する会に在籍したままで、本連合会参加の「新友会」に入ることは出来ない。「新友会」は、在住する地区に支部が無い場合と、さまざまな事情で地区の支部には入らないという方の集まりである。本連合会からの「脱退」を何とか思い直していただきたいと願うばかりだ。

春はそこまで

 年明けから一か月余りが経過した。会員の皆様には「佳い年」をお迎えになられたことだろう。立春も過ぎ暦の上では春だが、朝晩は寒く「春は名のみ」だ。しかしながら、日の出が随分と早くなった。目を凝らせば、植物の芽が少しずつ大きくなっているのに気づく。桜やハクモクレンの花芽などは顕著である。「春はそこまで」を強く実感する。支部で「ラジオ体操会」を主宰していることもあり、毎朝4時半には起きる。また庭いじりを趣味とするので、人並に季節の移り変わりには敏感だ。早咲きの梅の花も咲き始め馥郁と芳香を放つ。学校では今、卒業式の準備で慌しいことだろう。現役の頃が懐かしく思い出される。
 会長を務めるようになって早や10ヶ月が経過した。周りからは頼りないと思われていることは重々承知している。だが、何事にも前向きな役員・顧問のみなさんや支部長の方々に支えられて、ここまで何とか運営できている。心から感謝を申し上げたい。そのような中、今年度の大きな行事は3月2日の「社会見学」を残すのみとなった。それらへの取り組みと並行して、これから来年度に向けての準備に取り掛かることになる。抜け落ちのないようにしっかりと努めたい。皆様には、今後ともご支援ご協力をお願いする。

 本連合会のホームページ
 さて、「三生連」のホームへージを立ち上げから7ヶ月が経った。現時点で、訪問者数は二千四百人を、アクセス数は五千八百回を超えた。あちらこちらから「楽しみに見ていますよ」と言っていただける。先日、間もなく90歳になる会員の方から「スマホに変えるかどうか迷っていたが、三生連のホームページを見たいので決断したよ。見るのが日課となり楽しみだ」と。楽しみにしている方のためにも、頻繁に更新に努めねばならない。そのような中、「とりあえずエピソード大賞」に応募したところ、全国数多ある中から「佳作」の賞を賜った。立ち上げから7ヶ月での快挙だ。
 先日ある支部長から「ホームページの内容があっさりしているね」と。きっと「新着情報」だけをご覧になっていたのだろう。「MENU」をクリックしていただき、その上で各項目をクリックして貰う。その操作で内容が広がる。項目に*印があるものについては、さらに*をクリックしていただく。そうすると項目がさらに広がるのだ。

 矍鑠たる
 10月の郡生連の「社会見学」では、97歳の上田 氏(立野北第二支部)が、矍鑠としたお姿をお見せいただいた。「もう歳だから」ではなく、「まだまだ……」という前向きな姿勢に敬服している。3月の社会見学にもお申込みいただいている。このように各支部には、会員の範となられる私が存じ上げない「矍鑠たる先輩方」が大勢居られるだろう。これらの方々は、間違いなく現役会員として100歳をお迎えになられる。今後は、100歳超会員が、珍しく無くなるだろう。
そのような中、11月の「友愛のつどい」は、大いに盛り上がった。3日間で合わせて約220名の参加だったが、一堂に会する会場があればもっと賑やかなものとなるだろう。また運営の手間もかなり軽便となる。対象は80歳以上だが、会場では「10歳程サバ読みされているのでは」と思ってしまうような方をたくさんお見受けした。みなさん、とにかくお若いのである。笑顔が素敵なのだ。
 (会報「矍鑠」第14号 2/5発行 から)

油断は大敵

 年明けから晴れの日が続いた。近年では珍しいことだ。東信貴ヶ丘支部では6日に新春互礼会を開いたが、雲ひとつ無い快晴であった。行事開催日に青空が広がると、出席者全員の心が晴れやかになる。56年前の東京五輪の開会式は、抜けるような青空となった。今回の五輪でもそうあってほしいと願う。 
 初詣は、今年もラジオ体操の後、近くの春日神社に詣でた。先ずは、今年こそ災害の無い年になってほしいと願った。会員諸氏の願いも同様ではなかったか。
 例年の冬に比べ、比較的気温が高い。雪不足のニュースもあちらこちらから聞こえて来る。雪国では例年屋根の雪下ろしに悩むが、今のところそれも少ないようだ。一方、スキー場などでは困っている。2月もこのままの状態が推移するのだろうか。
 阪神大震災から四半世紀の節目を迎えた。三郷町は大雨による被災のリスクは大きくないが、活断層がすぐ近くを通っており、油断すること無く地震への備えを忘れてはならない。
           (2/5発行「矍鑠」第14号 照隅から)

会員増をめざして飽く無き挑戦を

 高齢者の会の会員数減は、都市部・地方を問わず全国的な傾向である。主たる要因は、個人主義の横行である。若い層の入会が、とにかく少ない。一方で、自然減が進む。施設に入所される方も多い。どの会も、純増1名が至難の技となっている。「全国老人クラブ連合会」では、この5年間「百万人増強運動」を展開したが、結果は百万人減という惨憺たるものとなった。役員を務める者は会員増強の難しさを痛感するが、厳しい状況であってもけっして諦めてはならない。
 会員増強のためには、会を活性化する必要がある。ここ数年、実行した事(している事)を披瀝する。
 先ず一つ目は、会名称を変えた事だ。これまで、本連合会の名称は「三郷町老人クラブ連合会」であった。これを三郷町生き生きクラブ連合会(以下、三生連)とした。勧誘の際、「私は、老人ではない」と言われないようにしたのである。二つ目は、会報「矍鑠」(かくしゃく)を創刊したことだ。3~4ヶ月に一度発行している(私の支部では、支部会報「燦燦」を毎月発行)。今では、三生連に欠かせないものとなっている。90歳超の方にも寄稿いただける。
 次に、幾つかの支部では「茶話会」を始めた。自治会館に集まり、菓子とお茶でいろいろと話し合う。故郷の事、幼き頃の思い出、好物などを。続いて「散歩会」の実施である。毎週金曜日の朝、「ラジオ体操」の後、45分から1時間程度を歩く。6時30分からの「ラジオ体操」は、平成27年10月からの開始で、4年2カ月以上、1日も休み無く続き(雨天時は、自治会館内)、諸団体から受賞が相次ぐ。毎朝の「ラジオ体操」を生き画としている方が多い。
 五つ目は、年末の防犯見回り活動を始めたことだ。12/28からの3日間、「火の用心、戸締り用心、火の用心」と4~6人で回る。「高齢であっても、できることは積極的に担おう」が、本連合会のモットーだ。六つ目は、「行事参加ポイント制度」を取り入れたことだ。行事に参加した場合、予め定めたポイントが獲得できる。年度末に集計し、上位者を総会時に表彰している。
 今年度は、「三生連」のホームページを開設した。周りには、「ホームページが出来たのでスマホに変えた」と言う方も少なく無い。管理者である私も、これからもっともっと学習をして、よりよいものにして行く。これらはどれもささやかな取り組みだが、とにかく、知恵を出し合って活動を活性化し、会員増に繋げることが求められる。今後も「意志あるところに道は開ける」ことを信じ、飽くこと無く可能性を求めたい。先ずは、小さな一歩からだ。
(「とりあえずHPエピソード大賞」応募作品)

森 三郷町長を表敬訪問

   1月21日(火)、片岡雅基元会長(現顧問)と辻 孝三前会長(前会長)の三人で森 宏範三郷町長を表敬訪問し、全国老人クラブ連合会全国大会で「優良連合会賞」を受賞したことを報告した。
 町長からは、「大変名誉なことであり、町としても慶ばしい限りだ」のお言葉を賜った。今回の受賞を糧に、さらなる活性化に努めたい。(写真 向かって左から町長、谷口、辻顧問、片岡顧問)

聖火ランナーに選出される

 奈良県選出の、東京五輪の聖火リレーランナー39名の一人に選ばれた。名誉なことである。体調を整え、しっかりと聖火を繋ぎたい。
 前回の東京五輪の時とき(昭和39年)、私は中学2年であった。高校へ入学すると、少し前に卒業された陸上競技部の先輩(元主将)が聖火ランナーとして走られたことを知った。後日、そのときに着用された日の丸の入ったランシャツとランパンを見せていただいた。見るからに上等の生地で輝いて見えた。とても羨ましく思った。後年、私も主将を務めたが、五輪開催が4年遅ければもしかしたら私も走れたのかと残念に思った。その気持ちは、心の隅にずっと残っていた。
 まさか、56年後にチャンスが訪れるとは思っていなかった。今回は、39名の募集に2192名が応募したと聞く。三郷町内からも多くの方が応募されたことだろう。「大した経歴も無い私が選ばれてよかったのだろうか」の思いも少なく無い。4月13日に走るが、落選された方の思いも込めて、しっかりと聖火を繋がねばと思っている。ひとつ残念なのは、三郷町がコースから外れていることだ。これは組織委員会が決めた事なので如何ともし難いが。
 昨夜、前述の先輩(愛媛県松山市在住)に電話をした。「私の場合は偶々だったが、谷口は違う。56年間の夢が叶うことになり、私もうれしいよ。しっかり走りなさい」と。
 どの区間を走るかが決まればお知らせしたい。お時間が許すならば、皆さまにも声援をかけていただければこの上ない喜びとなる。

「友愛のつどい」開会の挨拶

 80歳以上の会員を福祉保健センターにお招きし、毎年秋に3日間に分けて昼食会を開いている。1日目は75名が参加した。町長も来賓としてご臨席された。以下は、開会の挨拶である。

 みなさん、こんにちは。日ごろは、三生連の活動にご協力を賜りまして感謝申し上げます。本日は、森町長にご来賓としてご臨席を仰ぎ、第21回の「友愛のつどい」を開催しましたところ、このように大勢のみなさんにご出席いただきました。ありがとうございます。三日間で約220名の方にご参加いただきます。お世話いただく方を合わせると300名近くになります。
 森町長には、公務ご多用の中、本連合会のために貴重な時間をお割きいただき深謝申し上げます。町政の推進には様々な課題が山積していると思われますが、粉骨砕身のご活躍をいただき、県内はもとより、全国的にも稀有の大きな成果を収められていますこと、重ねて感謝致します。今後も微力ではありますが、三生連は町長をお支え申し上げたいと思います。
 さて、会員のみなさんには、それぞれに生き生きとした人生を送られて居られることと思います。今後も、森町長が先頭に立って推進されているフレイル健診に、また町や社協、そして三生連の実施しているさまざまな行事等に積極的にご参加いただきまして、健康寿命をさらに伸ばしていただきたいと願います。
 「友愛のつどい」の開催に当たりましては、実行委員長であります西村女性部長をはじめ女性部役員の皆様、三生連本部役員の皆様、そして社協職員の皆様など、多くの方のご尽力があります。御礼を申し上げます。
 最後に、本日の「友愛のつどい」が実り多いものになりますことを祈念し、簡単ではありますが開会の挨拶と致します。

不易と流行

 20年程前、教育界を中心に「不易と流行」という言葉がよく使われた。不易」はいつまでも変わらないことであり、「流行」は時代時代に応じて変化することだ。いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、変化を重ねているものをも取り入れていくことである。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが、不易の本質であるとも言われる。蕉風俳諧(しょうふうはいかい)の理念の一つであり、松尾芭蕉が元禄2 (1689) 年頃から説き始めたという。
 中教審(中央教育審議会)答申(平成8年) 「21世紀を展望した今後の教育の在り方」や臨教審(臨時教育審議会)答申の中で「不易と流行」が引用され、その後、教育関係者の間でしばしば使われるようになった。私が管理職試験を受けた頃、その真っ只中だった。私自身、小論文などでよく使ったものだ。教育現場も上から押しつけられた「流行」により振り回された時期があった。「総合的な学習の時間」が始まるときは、だれもが「総合、総合」と言い、学校は「総合的な学習の時間」一色だった。今はどうだろうか。学力低下論争が起きて、授業時間や授業内容の増加に伴い、「総合」はすっかり悪者扱いである。陰は薄くなり、今や消滅の危機に瀕している。現在は「英語」ブームである。「小学校英語」については十分議論されたとは思えないまま、スタートとなった。「総合」も「英語」も悪いことではない。ただ、基礎基本がないままに探求学習をしようとしたり、必要性や学校教育としての指導体系が不明確なまま外国語学習を闇雲に進めるのは如何なものか。必ずや歪みが出てくるだろう。
 さて、教育における「不易」とは何か。一つは日本の伝統的教育のよさに求めることができるのではないか。例えは、一斉学習の技術、素読、規範意識の育成などが挙げられよう。時代が変わっても、それらには変わらぬよさがあり、変えてはならない日本人の教育であるとも思われる。これらは一時、「弊害あって一利無し」とも言われたが、今見直され始めている。私の遠縁の娘が通う小学校のあるクラスでは、「道徳」の授業かホームルームの時間か定かではないが、全員で『論語』の素読を行っていた。その子は、帰宅後も自主的に素読をしていた。ただ、現在の教育環境に不易がすべてそのまま有効とは思っていない。子どもたちの現状や教師の力量に応じた、流行的側面を取り入れた「不易の教育」がこれからの教育の在り方となろう。
ある時期、「教育は強制であってはならない」という言葉が絶対視され、「強制」イコール「悪」という構図が、学校現場でもすべての前提であるかのように言われた。「許容の無い強制でよい」などとは思わないが、教育の根源は強制である。善悪がよく分からない幼少時期や、何を学ぶべきかが判断できない低学年の児童期、大人が強制的に行わせることも必要欠くべからざることである。「鉄は熱いうちに打て」の言葉どおり、基礎基本・よりよく生きていく上での規範を叩き込む必要がある。『論語』は、人が生きていくうえで必要なあらゆるものに言及している。「人間学の参考書」と言われる所以である。人がよりよく生きるためにはどうしたらよいのか、より心豊かに生きるにはどうしたらよいのか、それを『論語』を通して一人ひとりが考えるとよい。子どもたちに考えさせることが求められる。
(自著「論語に学ぶ」から)

日本人の高い道徳性

 多くの人が、「江戸時代、幕府は鎖国を行って海外との交流を断っていた」と思っている。30~40代以上の方は小学生の頃からそのように習ってきた。「長崎の出島で限られた国と細々と貿易を行ってはいたが、それ以外は完全に外交をシャットアウトし孤立していた。そうした閉鎖性ゆえに、幕末に列強が開国を求めてくると幕府は驚いて慌てふためき、国際情勢に対応できずに滅亡した」、そのように思っている人が多いのではないか。実は、17世紀半ばから19世紀半ばの時代、幕府は完全に海外との交流を断っていたわけではなかった。長崎以外にも、対馬・薩摩・松前の3つの外交窓口を開いていたのだ。この4カ所を「四つの口」という。
 そもそも、「鎖国」をしていたと言われる時代に「鎖国」という言葉自体がなかった。「鎖国」は、後の世の人が作った言葉だ。だから、「鎖国令」などというものは存在しない。当時の幕府には「鎖国」しているという感覚はなく、「キリスト教の布教禁止」といった方針のもとに日本人の渡航を禁じ、取引国を段階的に制限した。そして、徐々にすべての貿易を幕府の統制下に置いたというのが実のところだ。幕府は、外交を絶って孤立しようとしたのではなかった。いわば外側からバリアを張って、国内の支配体制(幕藩体制)の安定を図ったのである。したたかな外交戦略だと言える。さらに、外交を一手に握った幕府が得ようとしたのは物品だけではなかった。海外の情報収集にも重きを置いていたのである。このことを裏付けるようなエピソードがある。
 寛文13年(1673)、イギリス船が長崎の出島に来航して、貿易の再開を求めた。このとき幕府は、国王チャールズ2世がカトリック国の王女カタリナ(キャサリン)と結婚したことを理由に要求を拒否した。つまり、日本はキリスト教の布教を禁止しているため、「カトリックの王女を持つ国とは国交できない」としたのである。二人の結婚は、1662年のことである。貿易再開の要求があったわずか10年ほど前のことだ。この件だけではない。イギリスで起こった清教徒革命、フランスのフランス革命やナポレオン戦争などの世界情勢も、幕府は1~2年のうちに把握していたようだ。テレビもインターネットもなかったこの時代にである。海外の情勢や動向を幕府がいち早く知ったのは、「唐船風説書」や「オランダ風説書」によるものだ。特に、先のイギリス国王の結婚の情報元となった「オランダ風説書」は、長崎出島に商館を置いていたオランダ(正確には東インド会社)の新任の商館長(カピタン)が来日した際に将軍に提出したものだ。幕府の要人だけが閲覧を許される「最重要秘密事項」であった。こういった情報をうまく利用し、幕府はイギリスからの通商申し入れを拒否した。かなりの交渉上手であったと言える。
 「鎖国」していたと言われる状況下でも、日本は無知でも孤立していたのでもなかった。確かな情報収集によるしたたかな外交能力は幕末にも発揮され、列強の言いなりにはならなかった。近年、これらの史実をもって、歴史学では「開かれた鎖国」といった概念が提唱されている。
 以上のとおり、江戸時代中期以降、しばしば外国人が日本を訪れた。それらの人たちが、日本や日本人に対する印象を書き残している。スウェーデンの植物学者カール・ツュンベリは、安永4年(1775) 長崎・出島に来て江戸出府に加わり日本人を観察、記録した。「彼らは第一級民族。勤勉で賢明で礼儀正しく勇敢」と評価し、「支那朝鮮では女は奴隷なのにこの国では女が男と同席し、表も自由に歩く」ことや「清潔好きで週に一度どころか毎日風呂に入る」ことに驚きの目を見張った。                       
《折節の記 「正論」 平成25年7月号》

 ※フランシスコ・ザビエルや※ルイス・フロイスなどのヨーロッパの宣教師は、当時の日本社会の実情を記した手紙・報告書を故国に書き送っている。その中で「日本人はヨーロッパの最先進国の人々ですら足元にも及ばぬほどの、高い文化とモラルを持っている」と絶賛している。ザビエルは民度の高さに驚き、「とても気品があって、驚くほど理性的、慎み深く、また才能があり、知識が旺盛で、道理に従い、その他さまざまな優れた素質を持つ」と。また、「この国の人びとは今までに発見された国民の中で最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます」とも。加えて、「大部分の人は読み書きができます」と本国のスペイン人、あるいはインド人や中国人よりもレベルが高いことに驚いている。さらに時代が下って、幕末の頃に日本を訪れた西洋の外交官や商人たち、オールコックやヒュースケン、※アーネスト・サトウや※シュリーマンなども、「日本は他のアジア諸国とはまったく異なる」と、その歴然たる民度の差違をはっきりと認めている。
 シュリーマンは帰国後、日本見聞録を著した。彼は日本の前に立ち寄った中国と比較して、次のようなエピソードを紹介している。「中国で最も不快に感じたのは、平気で嘘をつきお金をごまかす一般庶民の姿だった。乗り物に乗っても、最初に提示した料金とは全然違う高額の料金をあとでふっかけられたりして、閉口することがしばしばだった。日本で渡し舟に乗ったときのことである。あとで料金を支払う段になって、中国で味わった不快な先入観が頭をよぎった。どうせ法外な料金をふっかけられるに決まっているだろうから、それならば最初から高い金を渡しておこうと思い、規定の数倍の料金を渡した。すると船頭が不思議な顔をして、「これは既定の料金と違いますよ」と言って余分の金を返してきた」                   《福井雄三「司馬遼太郎と東京裁判」》
 シュリーマンが日本を訪れた当時、幕府は外国との貿易を推奨していたが、江戸の防衛は厳格に行われ、東京湾の海域に外国船は入ることができなかった。すでに幕府は軍艦を保有し、お台場など砲台を準備して外国への牽制も行っていた。そんなことから、シュリーマンの乗った船も横浜港に入った。そのとき、「二人の官吏がにこやかに近付いてきて、オハイヨ〔おはよう〕と言いながら、地面に届くほど頭を下げ、30秒もその姿勢を続けた。次に、中を吟味するから荷物を開けるようにと指示した。荷物を解くとなると大仕事だ。できれば免除してもらいたいものだと、官吏二人にそれぞれ1分(2.5フラン)ずつ出した。ところがなんと彼らは、自分の胸を叩いて「ニッポンムスコ」〔日本男児? 〕と言い、これを拒んだ」      (シュリーマン旅行記 清国・日本 (講談社学術文庫)
「日本人は、裏金(ワイロ)は受け取らない」という強い意思表示であっただろう。

 我が国を訪れた外国人から敬慕されたのは、「日本人の高い道徳心」だった。「おとなしく、好奇心にあふれた様子で眺めてくるだけで、敵意を感じさせたりもしない。むしろ天真爛漫で、幸福そうにすら見えた」(アメリカ人通訳・ヒュースケン)日本の民衆が持つ純真さを愛した。自分たち西洋人がこうした純真さを壊してしまうのではないかと、気に病んでいたほどだった。「ハッピーな人々が暮らす、清潔で秩序溢れる国だなあ」と彼らはそんな好意的なまなざしで日本を見ていた。アーネスト・サトウは、幕末期に私の生まれ故郷 伊達 宇和島藩にも訪れているが、四国西南の僻陬の地 宇和島の人々にも好印象をもったようだ。拙著『攘夷などと無謀なことを』(平成25年・K.C.プリント)でも紹介させていただいた。
 明治初期、大森貝塚の発見で知られるアメリカ人の動物学者エドワード・モースが、瀬戸内地方を旅したある日、広島の旅館に財布と懐中時計を預け、そこからしばらくの間、遠出をしようとした。そのとき旅館の女中が「お預かりします」と言ってしたことは、時計と財布をお盆に載せてモースの泊まった部屋の畳の上に置いただけであった。部屋はふすまで仕切られているにすぎず、鍵や閂などが掛けられてはいない。モースはとんでもないことだと思って宿の主人を呼んだが、主人は平然と「ここに置いておけば安全です」と答えた。自分の旅行中にこの部屋を使う客は何人もいるわけだし、女中たちも終始出入りする。モースが不安を拭えるわけもなかった。しかしモースは、ここで思い切って「日本社会の実験」をしてみようと思ったようで、そのまま遠出したのである。一週間後、旅館に戻ったモースは部屋のふすまを開けて驚き感じ入った。そのときのことをモースは次のように記している。
 「帰ってみると、時計は言うにおよばず小銭の1セントに至るまで、私がそれらを残していった時と全く同様に、ふたのない盆の上に載っていた」
 モースによれば、当時の欧米のホテルでは盗難防止のため、水飲み場のひしゃくには鎖が付き、寒暖計は壁にネジで留められているのが常だったそうだ。モースはこの日記の文章に続けて「日本人は生得正直である」と書きとめている。
(エドワード・モース「日本その日その日」平凡社より)
 またモースは、日本の清潔さについて次のようにも「衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり……これらは恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である」と。

 最近、日本の家電メーカーは韓国や台湾の勢いに苦戦を強いられているが、品質と信頼のジャパンブランドはまだまだ健在だ。「『これは日本製か』『そうだ』というやりとりだけで、商談が成立する」と高い信頼性がある。なぜ日本製品への信頼が厚いのか。答えは、「日本人はウソをつかない。ウソをつかない日本人が作るものには間違いがない」だと聞く。英語では、インテグリティが高いというらしい。『誠実さ』である。      
 そういった高い道徳心や誠実さで溢れる佇まいは、どのようにして生まれ、どう引き継がれて来たのか。日本人の根底に流れるようになったのはいつからどのようにして……。現在、外国から観光で訪れる人の数はますます増える傾向にある。政府は年間4千万人を目標としている。令和2年(2020)の東京オリンピックには、その数は空前絶後となることが予想される。そういった中、世界の国々の人と比較して、日本人の民度の高さは誇るべきものがあることは疑いのない事実である。例えば、地震や水害などで被災したときの日本人の対処の仕方についてだが、いつも世界中のジャーナリストがこぞって賞賛する。改めて論じるまでもないだろう。これらのことは、少なくとも400年以上前から変わらないのである。(自著「論語に学ぶ」<銀河書籍 令和元年10月15日発刊>から抜粋)

酷暑もやっと

 例年以上に厳しかった残暑もようやく終りを告げ、随分と涼しくなった。残暑が連日35度を超えるということは、これまでなかったことだ。台風の襲来があるので油断はできないが、これから12月の初めまで爽やかな日々が続く。申し上げるまでもなく、秋は運動にも読書にも、もってこいの季節だ。昔に比べて、紅葉のピークが半月以上も後ろへとずれた。町文化センター前のドウダンツツジの紅葉は例年見事だが、猛暑にも拘わらず葉焼けも少なく、今年も楽しませてくれそうだ。今秋もあちらこちらの紅葉を楽しみたい。会員諸氏も積極的に外にお出になり、それぞれの秋を堪能していただきたい。
 さて、遅ればせながら「三生連」のホームへージを立ち上げ、6月28日夜から公開している。スマホなどでご覧いただいた方も多いだろう。「矍鑠12号」(7月1日発行)で公開の件をお知らせできればよかったが、印刷日や折り綴じ等の作業日の関係もあり、「公開日」の掲載は難しかった。業者に委託しての立ち上げで無く手作りだったので余計に……。とにかく、周知が遅れたことをお詫びする。『さんせいれん』と検索していただければご覧になれる。何らかの方法でご覧いただきたい。
 ご存知のとおり、県老連や「平群町長寿会連合会」などもリニューアルし、立派なホームページとなった。三生連もできるだけ頻繁に更新に努めて、他に置いていかれないようにしたい。各支部はもちろん、各クラブ、教室のコーナーも設けているので、掲載したい内容をお届けいただきたい。「ホームぺージが出来たので『矍鑠』はなくなってしまうのか」の声を耳にするが、そのようなことは考えていない。今までどおり発行するのでご安心いただきたい。
 話は変わるが、9月15日に東京オリンピックのマラソン代表選考会が、ほぼ五輪と同じコースを使って行なわれた。テレビ観戦された方も多かっただろう。結果だが、中村、服部が1位、2位となり、代表に内定した。私の高校の後輩である鈴木 健吾(富士通)も出場し、7位と健闘した。また、高校野球夏の甲子園にも後輩たちが県代表として出場し気を吐いた。初戦敗退とはなったが、後輩たちの活躍には大いに刺激を受ける。有難いことである。ちなみに女子のマラソン代表は、前田・鈴木が内定となった。
 ところで随分前の話になってしまったが、7月3~4日にかけて郡生連の「指導者宿泊研修」が開かれた。11名で参加したが、2~3頁の萬治理事からの報告のとおり、実り多いものとなった。「郡生連」の幹事担当町は今年度、来年度と斑鳩町が務めるが、廣津会長は前向きな方であり今回の研修会でも積極的な姿勢が際立った。「県老連」の理事会等でも積極的に発言していただけるだろう。微力ではあるが、私も評議員としてバックアップしたい。
 10月26・27日の両日、恒例の町の文化祭が開かれる。三生連のコーナーでは、今回も絵画・書・手芸などの会員諸氏の作品が数多く展示される。力作をぜひ鑑賞していただきたい。私も昨年に続き、盆栽を出展させていただく予定だ。
 前号で庭木のクロマツの芽切りをしているとお伝えしたが、その後、二番芽がしっかり育った。すこぶる順調である。あと半月もすれば、よい姿を見せてくれると思う。どんなにやるべきことが多くても、何とか工夫して時間をつくり庭の手入れを怠らないようにしている。
 東信貴ヶ丘を通られた節は、「ピンポン」を鳴らしていたただければと思う(午前中はセンターの事務所に居ることが多いが)。
(三生連会報「矍鑠」13号(10/1発行))

「老人の日・老人週間」「社会奉仕の日」の取り組みについて(協力依頼)

   「老人の日・老人週間」は、老人福祉について関心と理解を深めると共に、高齢者に対し自らの生活向上に努める意欲を促すために制定された。
 「老人」という呼称については、私は違和感を持つ。自ら「老人」と名乗ることは無いというのが持論であり、この4月から「生き生きクラブ連合会」と改称した理由でもある。あらゆる機会に「『高齢者』でいいじゃないですか」と申し上げている。だが、それに対する返答はいつも決まって、「法律の呼称が老人福祉法だから」と。それならば、厚労省に働きかけて、「法律名を変更すればよい」だけの話である。要するに、やる気の問題である。

 団体名も相変わらず、「全国老人クラブ連合会」「奈良県老人クラブ連合会」である。奈良県だけでも「奈良県高齢者クラブ連合会」に改称して欲しいが、執行部にそれだけの覚悟と気概が無いようだ。ちなみに、生駒郡は「生駒郡生き生きクラブ連合会」である。
 そのことについて今回はさて置き、9月15日の「老人の日」から21日までの「老人週間」の期間中、高齢者のクラブが展開する「健康」「友愛」「奉仕」の活動を通して、健康づくりと社会参加への意欲と姿勢を姿勢を示そうとする全国的なキャンペーンには「三生連」としても賛同し、毎年、全面的に協力して来た。今年度も、ご協力の程何とぞよろしくお願いしたい。
 なお、期間中9月20日を「社会奉仕の日」とし、全国一斉に緑化・美化・資源ごみのリサイクル等の奉仕活動を実施する。以て、地域社会に対する感謝と地域の担い手としての活力を示す。日時については20日に一斉がより望ましいが、各支部の実情に応じて都合のよい日時で主体的に展開していただければと思う。
 実施に際しては、水分補給等の体調管理に努めていただきたい。

HP立ち上げから2週間

 ホームページを立ち上げてから2週間が経過した。この間の訪問者数は347名、アクセス数は1,442回であった。この数が多いか少ないかの捉え方は人によって異なるだろうが、「まずまず」と言ってよいのではないか。
 感想も多くいただいた。別添掲載のとおりだが、「よくぞやった」との声が多くを占めたと言えよう。何十万と大金をかけて業者に頼むところが多い中、そうではないこと(手作り)を評価して貰ってのことだろう。
 今後も、会員外の方も含め、皆様のご意見を参考にしてさらにより良きものをめざしたいと思っている。ご意見を賜りたい。

ホームページの公開に当たって

 連合会のホームページの立ち上げが成り、ここに公開出来たことは、まことに喜ばしい限りだ。従前よりその必要性は強く感じていたが、「期は未だ熟さず」の思いもありここまで来てしまった。お隣の平群町長寿会連合会では随分前に立ちあげられ、少し前にリニューアルされた。奈良県老連もこの5月にリニューアルされたところだ。今となっては、遅きに失した感も否めない。
 本連合会ではこの3月に二つの支部が解散し、会員数で見ると95名の減となった。平成25年4月の会員数は1,432名だったが、この4月の会員数は1,045名である。6年で約400名近い減少となったのだ。会員減の兆候が顕われ始めてからの会長も、けっして手をこまねいていたわけではない。特に辻 孝三前会長は大きな働きをされた。会員減に歯止めをかけ反転攻勢をかけるためには、同好会や教室などを増やし活性化を図ることが大事と考えられ、新しく「自彊術教室」(現・健康体操教室)、「万葉集を楽しむ会」、「書道クラブ」、「論語に親しむ会」などを立ち上げられた。春秋には、ハイキングも始めた。またこれまで無かった『会報』を創刊された。そして連合名も『三郷町生き生きクラブ連合』と改称された。『会則』も改定された。驚くべき矢継ぎ早の改革であり、思いつくさまざまな手を打たれた。これらは着実に結実しつつある。しかしながら一方で、お亡くなりになる方や施設等に入所される方が後を絶たない状況もある。会員減に歯止めをかけることは容易ではなく、一部の支部を除いて会員の純増には至っていない。
 全国老連や県老連は、今後の目標は「現状維持」であると。会員減は都市部、地方に限らない、全国的な傾向なのである。

 このように何かと暗い話題が多い。だが一方で、同好会や教室などにおいて、日々の活動で楽しく、生き生きと過ごしておられる会員も少なくない。こういうときだからこそ余計に、引き続き元気を笑顔を前面に出していくことが求められる。また、新年度に入ってから新入会があったとの支部報告も複数ある。これからも、執行部としてはホームページや会報などを通して、明るいニュースや話題を発信していけたらと思うのである。
 ホームページは、スマートフォーンでもご覧になれる。少しずつだが、普通の携帯電話からスマートフォーンに切り替える方も増えていると聞く。ご自分ではパソコンもスマホも触らないという方でも、お子さんやお孫さんは活用していることだろう。三生連のホームページが、お子さんやお孫さんとの会話のきっかけにでもなればうれしい。ぜひご覧になっていただきたい。未加入のお友だちがスマホをお持ちであれば、また家でパソコンをさわられる方であれば、「三生連のホームページをのぞいてみて」とご紹介していただければ……。
 トップページの写真は恒川(つねかわ)理事が撮影されたものだ。恒川さんは、昨年度の三郷町の「芸術祭」全部門の中でグランプリを獲得された方だ。ご存知の方も多いだろう。これらの写真を鑑賞していただくだけでも、大いに癒されるだろう。とにかく、全会員のご支援ご協力により、このホームページをよりよきものに育てていきたい。

             令和元年6月28日
                三郷町生き生きクラブ連合会
                           会 長 谷 口 利 広

 

小規模スーパーの建設開始と温泉の湧出

 「勢野北口」駅前の「小規模スーパー」は、日常の生鮮食料品などの買い物で何かと便利だった。それが数年前に取り壊され残念に思っていた。新店舗を建設し再開するとの噂もあったが、なかなか工事は始まらなかった。やっと10日ほど前から整地作業らしきものが始まった。動き始めたのだ。前の業者が年内営業再開をめざすとのことである。近隣の方は工事の騒音などでしばらくは迷惑を蒙るだろうが、利用客にとっては朗報である。特に車を運転しない高齢者にとっては。
 また、「信貴山のどか村」の敷地内で試掘したところ、温泉が湧出したと聞く。国庫補助金などを利用しての事業には、来場者が入浴できる施設の建設も含まれているとのことだ。町民も気軽に温泉浴が楽しめるようなものになることを期待する。

体調管理にご留意を

   ひじょうに遅い「梅雨入り」だったが、このところ雨の日が多くなっている。本日(7/2)も雨だ。水害や土砂災害に細心の注意を払いたい。また雨の日だと油断せず、水分補給に努めたい。

 私のところでは、現在クロマツの芽切り(盆栽・庭木)をしている。昨年から育成状況がよく、とても元気だ。育成培養歴40年にして、やっとコツをつかんだ。おうちのクロマツの状態がよくないという方がおられたなら、そしてご希望ならばお庭にお伺いしてお教えしたい。もちろん、三生連会員の方には無料である。
   写真は、今回切った今年春から伸びた芽である。7~10日で2番芽が出て来て成長する。それを9月により分け、今年の葉とする。成長期における日照時間の関係で、葉が短く止まる。いわゆる短葉法である。

ホームページへの感想

○素晴らしいHPが完成しましたね! 新体制の活動力に感服しております。会長始め役員の皆様の今後ますますのご活躍をお祈り申し上げますと共に、これからも支部の活動に当たり大変お世話をお掛け致しますが、これまで以上にご支援、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。(6/29  K支部長)

○三生連HP公開見させていただきました。立派なものが出来上がりましたね。他のものと比較しても矍鑠として頼もしい限りです。(6/29  現役員)

○期待を遥かに超えるHPとなり、誇らしい気持ちです。今後、本連合会や三郷町のPRとなるような写真をどんどん増やしていただきたいと思います。(6/29  現役員)

○「三郷町生き生きクラブ連合会」祝ホームページ開通。拝見させて頂きました。内容も写真も充実しており、地域貢献を拝することが出来ます。全てに心と魂と体力を使っておられる姿に感服いたします。御身ご自愛の上、益々のご活躍を祈念致します。(6/30 大阪市 N氏)

○早速、見ました。ふだん他のHPをあまり見ないので細かい点は分かりませんが、このHPがよくできているということは一目瞭然です。ありがとうございます。(6/30 現役員)

○ホームページ見ました! 素晴らしい出来ですね。維持が結構大変ですが、頑張ってください。(7/1 大阪市 T氏)

○HP見させて頂きました。見事なHPです。会長としてご多用のことと拝察いたします。「論語を楽しむ会」も大したものです。貴会の益々のご発展を祈念いたします。大いにご活躍下さい。(河内長野市 Y氏)

○ホームページを拝見しました。素晴らしいですね。県老連もリニューアルして2ヶ月ですが、なかなか中身の変更プログラムが追いつかなくてうまく進まない状況です。早々にすっきりとさせますので、もうしばらく看過していただけたらと思います。
 リンクをさせていただきました! これからもどうぞよろしくお願いいたします。(奈良県老連事務局 I氏)

○なんか凄いです。完成度の高さに脱帽。見やすく、分かり易い、それに動きもスムーズです。(横浜市 T氏)

○ホームページ見ました。すごいです、それにわかりやすいホームページです。(奈良市 Y氏)

○驚きました。高齢者の市町村連合会のホームページとしては、他に例を見ないでしょう。それも業者に委託せず、自力で立ち上げられたと。驚きを通り越しています。それにさらにすごいのは毎日のように更新し、デザインもよりよいものにと試行錯誤を続けていることです。これから、毎日訪問させていただきます。(大阪市 M氏)

○早速拝見したよ。まさに生涯現役を地で行く活躍振りだね。連合会の命名も貴君らしくていいね。HPの立ち上げには結構時間を要したことだろう。(愛媛・松野町 S氏)

○季節感のある写真も含め、デザインが全体的に美しいです。活動の様子も分かり易いです。(京田辺市 M氏)

○ホームページを立ち上げても作りっ放しというのがほとんどの中、そうでないのがよい。大変だろうが、よろしくお願いしたい。(役員 F氏)

○デザインが良い。色合いが上品だ。(藤井寺市 I氏)

○拝見しました。何かとお忙しい中、すばらしいホームぺージを立ち上げましたね。
26の地域の高齢者の会を取り纏めるのは大変なご苦労がおありでしょう。このようなホームページは珍しいのではないでしょうか。流石ですね。ご努力に敬意を表しますと共に「三生連」の益々の発展を祈念致します。(橿原市 S氏)
南天の花
ガクアジサイとサツキ

酷暑の夏が

 「令和」の新しい時代に入り、早や二ヵ月が経過した。季節は着実に歩を進め、雨の合間には焼けつくような夏の日差しが……。子どもの頃にはどうという事もなかったものが、年齢と共に堪え難きものとなって来る。仕方のない事とは言え、つい「若さ」を羨ましく思ってしまうのだ。50歳まで競技としてマラソンをやっていた。フルマラソンはもちろんのこと、100㌔、140㌔、230㌔などといったウルトラマラソンにも出場した。幾度か美酒も味わった。走ら(れ)なくなった今、若者が軽やかに走り過ぎる姿を羨望の眼差しで見てしまう。一方で「君たちも膝や腰を労わらないと……」と余計な(?)心配をしてしまう。現在多くの人が苦しむ変形関節症は、20年後には軟骨の移植手術が一般化し、ある程度克服されているだろう。
 ところで、20代半ば過ぎから庭いじりを趣味としてきた。随分前に亡くなった劇作家が『園藝と農耕』という雑誌の中で、「農耕と園芸は雑草と害虫との闘いである」と語っていた。読んだのは30代初めのことだが、心に残っている。「言い得て妙」と思ったのだろう。まさにそのとおりである。庭いじりにはさまざまな作業があるが、草むしりほど辛いものは無い。そう思う。膝や腰に難があると余計である。私など這いずり回っての作業となるが、2時間が限度だ。無理をすると、3~4日膝や腰に後遺症が遺る。また庭いじりで一番いやな(避けたい)作業は、薬剤散布ではないか。だが、美しい緑を保つには、これも避けては通れない。怠ると、大きな被害を蒙ることになる。理想的には、予防のために散布することが求められる。被害を受けてからでは遅い。被害を蒙ると葉の色が悪くなるし、葉に傷みが遺る。であるから、我が家では3月から10月まで、計8~9回は散布する。結果、葉の緑は美しさを保っている。
我が家はサツキの刈り込み物主体の庭だが、今年も美しく咲いてくれた。「冬場の水遣り」と消毒が功を奏していると言えよう。手をかければ結果は自ずと……。
 サツキも他の花木と同様、花後の剪定は早い程よく例年6月の5日頃までには終えるようにしている。今年は昨年より花期が1週間遅く、私の所での剪定終了は6月16日となった。ツツジ類の剪定は梅雨明けでは遅い。何故ならば、7月の末から8月の上旬には来年の花芽が形成されるからだ。刈り込んだ美しい姿を眺めながらのお茶は一段とおいしい。○○やの羊羹や△△やの升最中があれば、言うこと無しだ。
 どのような作業も、適期を逃さないことが肝心、現在はクロマツの芽切りの最中だ。
 話は変わるが、4月の本連合会の総会終了後、「信貴山下」駅から王寺まで電車で一緒に出て、駅界隈で役員による懇親会をもった。一人も欠ける事無く13名全員が出席し、大いに食べ大いに飲み懇親を深めた。そういった事は何年もなかったのではないだろうか、少なくともこの4年は。今後、時々はこういった機会を持とうという事で一致した。時間の許す方は自慢の喉をさらに鍛えようと、「鍛錬の場」に向かった事は言うまでも無い。
 5月29日に、斑鳩町で生駒郡生き生きクラブ連合会の役員会が開かれた。本連合会からは辻顧問、安部会計、恒川・津田・西村の3理事、社協から駒田氏、そして私の7名が出席した。斑鳩町と安堵町も会長が変わられた。副会長として郡生連の会議に出席していたので、平群町を含めみなさんとは旧知の中である、阿吽の呼吸で協議できそうだ。なお、秋の郡生連カラオケ大会の日程は、11月27日に決まった。申込要領の詳細が発表になれば、カラオケ同好会「さけび」の片岡氏(本連合会顧問)が中心となって参加者を募集する。奮って応募いただきたい。また、7月3~4日にかけて郡生連の「指導者宿泊研修」が開かれる。前記の7名と藤原監事、萬治・武智の両理事と、田村(三室の元支部長)氏の11名で参加する。実り多いものにしたい。
 町の文化祭は、10月26日(土)と27日(日)の両日に開催されることが決まり、現在支部を通して出展募集をしている。すでに回覧等で周知のとおりだ。こちらにも、昨年にも増しての出展をお願いする。                   (会報「矍鑠」12号から)
自宅培養の雑木盆栽

今年度総会を開催

 会員の皆様には、本連合会の運営にご支援、ご協力を賜っておりますこと、また今年度総会に多数ご出席いただきましたこと、会長として厚く御礼を申し上げたい。
 唐突だが、※「剛毅朴訥」(ごうきぼくとつ)という言葉が好きだ。常にそうありたいと思っている。今年度が60歳代最後の年となる若輩だが、本連合の発展のために誠心誠意汗をかかせていただく。
 口下手で「立て板に水」とは行かないが、筋の通らぬ事に対しては上部団体であっても本連合を代表して忌憚なく発言していく。その覚悟はもっている。辻前会長は「沈着冷静」であったが、私は程遠い。どちらかと言うと「激情」タイプである。俗に「短気は損気」と言われ自らを戒めはするが、生来の性格はなかなか……。会員の皆様には、私が冷静さを欠いて暴走せぬようにご指導ご鞭撻を賜りたい。品位・品性を重んじる三生連において、「激情」「暴走」などと乱暴な言葉を遣っているが、自らを称しての事なのでご容赦願いたい。「若輩」に係わっては、役員・支部長の中で私が最年少だ。所属する支部においても同じである。ところで、今回、役員にかなりの入れ替わりがあった。退任された諸先輩方には、本連合会へのこれまでのご尽力に対し、心から御礼を申し上げたい。ご功績はいつまでも語り継がれるであろう。今回選任された理事7名の内、5名が新任である。役員全体の平均年齢はけっして若くはないが(78.2歳)、精神的にはフレッシュマン、フレッシュレディーであり、センター内の事務所には清新な空気が漂っている。ちなみに、今回の支部報告によれば、4月1日現在の本連合会会員全体の平均年齢は、79.7歳だ。
 さて、4月1日に新しい元号が「令和」と決まった。予想が当たったという方は居られるだろうか。我が国最古の歌集・万葉集からの引用と聞く。「平成」に慣れ親しんだのでしばらくは違和感をもつだろうが、すぐに馴染むのではないか。本連合会もこの4月から「三生連」と改称し、新しいスタートを切った。こちらには、一日も早く馴染んでいただきたい。
 「三生連」は、万年青年の集まりである。「老人」という言葉は似合わない。私も体はそれなりにあちらこちらダメージを受けてはいるが、気持ちだけは若くありたいと思っている。何事を成すにも気持ちが大事だ。困難に立ち向かう粘り強い気持ちを維持したい。「意志あるところに道はひらける」「精神一到何事か成らざらん」である。 
   私たちを取り巻く環境には厳しいものがある。みなさんご存知のとおりだ。そういった中、2つの支部が解散するなど(2頁参照)、本連合の会員数は昨年比、90名以上の大幅な減となった。時代の趨勢とは言え、残念な事である。このような状況になろうとは、20年前には予想できなかったのではないか。しかしながら、そのような厳しい状況の中だからこそ余計に、役員が一丸となって、会員のご支援ご協力を仰ぎながら支部長の皆様と共に本連合のために尽力することが求められる。微力ではあるが、精一杯努めたい。
 ところで、私たち執行部にとって「何が一番の糧か」と問われるならば、「会員の皆様の本連合主催の行事やサークル・教室への積極的なご参加である」と即答する。そして、会報「矍鑠」への寄稿であると付け加える。これは、役員すべての気持ちではないか。幸い、行事参加者は増えつつあるし、サークル・教室などの活動は活発である。また本紙への寄稿もじわりじわりと増えている、喜ばしい限りだ。今後も、引き続きよろしくお願いする。
 寄稿に係わっては、文章が上手いとか下手とかまったく関係ない。思いのたけを書いていただければと思う。いつも申し上げるが、自分の書いた文章が活字になることは、とてもうれしいものだ。一人でも多くの会員にその快感を味わっていただきたいと願うのである。
 今年は元号が新しくなる最初の年、三生連に名称変更した最初の年だ。何年か先にこの記念すべき年を振り返ったとき、会員の思い(願い)を汲みつつ「皆で全力を尽くして努めたな」と言える年にしたいと思う。「思う」に終わらず、しなければならないのである。
・・・・・・・・・・・・
※剛毅(ごうき)朴訥(ぼくとつ)、仁(じん)に近(ちか)し 
(論語・子路第十三)
 芯があり辛抱強く、素朴で口数の少ない者は、最高の徳である仁に近い人物と言って良い。徳とは、仁(思いやり)・義(正しい心)・礼(礼儀)・知(知性)信(信用、信頼)を指す。すべての徳は仁が土台となる。対義語は、巧言(こうげん)令色(れいしょく)(愛想のいいことを言ってこびへつらうこと)である。「巧言令色鮮(すくな)し仁」だ。
                   (会報「矍鑠」11号から)
谷口会長
サツキ「千代の光」 幹回り49㌢

平成31年度(令和元年度) 総会での就任挨拶

 みなさん、こんにちは。本日は、ご出席ありがとうございます。辻会長の後任に就任しました 谷口 です。よろしくお願い申し上げます。
 只今、辻会長が退任のご挨拶を述べられましたが、永きにわたりまして、本連合会のためにご尽力を賜りました。会を代表しまして、心から感謝を申し上げたいと思います。ありがとうございました。今後は、三生連の顧問として、いろいろとご助言を賜る事になっております。引き続き、ご指導をよろしくお願い致します。
 本日は今年度の総会を開催致しましたところ、森町長様、山田町議会議長様、廣津生駒郡生き生きクラブ連合会会長様、お三方にご臨席を賜っております。ご多用のところまことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 さて、私、三生連の新会長としまして、微力ではありますが精一杯努めます。ご支援、ご協力の程、何とぞよろしくお願い申し上げます。三生連の運営につきましては、辻会長がきちんと軌道を敷かれておりますので、それをさらに堅固なものにして着実に歩みたいと思います。
 ご承知のとおり、高齢者の会を取り巻く環境にはひじょうに厳しいものがあります。そのような中ではありますが、会員の皆様方のご支援ご協力を糧にしまして、しっかりと運営に努めます。よろしくお願い致します。
 本日も総会終了後、いつものように余興がございます。最後までお楽しみください。
 はなはだ簡単ではありますが、これにて開会のご挨拶と致します。(平成31年4月15日)

辻 前会長 総会での退任挨拶

   皆様 こんにちは。第47回総会に多くの方のご出席を頂き誠にありがとうございます。
 私は、上田会長の後を受けまして、平成27年4月から2期4年間、三老連の会長を務めさせて頂きました。私なりに精一杯務めさせて頂いたつもりですが、至らないところも多く皆様方にご迷惑をお掛けしたことも多々あったと思います。皆様方から暖かいご支援を頂き、何とかここまで務めさせて頂きました。役員の方々、及び会員の皆さま方に厚く御礼申し上げます。本当にありがとうございました。
 私の在任中は全国老人クラブ連合会の100万人会員増強運動の期間でございました。それで少しでも会員増につながる活動をと支部長の皆様方にお願い致しました。一方三老連(現三生連)としましては、「少しでも魅力のある会にすること」及び「会を活性化する事」が重要と考え、ハイキングなどの行事を充実させること、新しいクラブを立ち上げる事を考え、習字、自彊術、論語、万葉集などの新しいクラブを立ち上げることができました。またいろいろの情報を会員の皆さま方にお伝えすることが重要と考え会報を創刊致しました。昨年には、会の名称を「三郷町老人クラブ連合会」から「三郷町生き生きクラブ連合会」に改称する作業を行い今年の4月から実施致しました。このようなことで三生連を少しでも魅力のある会にすることに努めて参りました。そしてこの4月1日に、谷口新会長にバトンタッチをさせて頂きました。
 谷口さんは、私の2期目から副会長としていろいろな面で私を支えて頂きました。谷口さんは会報の編集委員長、「論語に親しむ会」の講師、そして東信貴ケ丘福寿会の会長を務めておられ活発に活動しておられます。谷口さんは、何といってもその若さとバイタリティーにあふれた方ですので、三生連の厳しい状況も果敢に乗り切って頂けると期待しております。
 皆様方には谷口会長を支えて頂き新しくスタート切りました三生連に温かいご支援を賜りますよう切にお願い申し上げます。私自身も顧問としまして新しくスタートしました三生連のために少しでも働かせて頂きたいと思っています。
 最後になりましたが、役員の方々、そして会員の皆さま方には、この4年間いろいろとご協力ご支援を賜り誠にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

魅力ある会に       前会長 辻 孝三(顧問)

   新緑の候 会員の皆様には、ますますお元気でお過ごしのことと思います。日頃は、本会にご支援、ご協力を賜りまして、深謝申し上げます。
 さて、本会の会報は、本号から名称が「矍鑠」(かくしゃく)となりました。何となく、難しく思われる方もおられましょう。ですが、卒寿となられましても、矍鑠とした先輩方が多い本会にふさわしい名称であり、徐々に馴染んでくることを確信致します(6頁に由来・語源を掲載)。一年もすれば、一目一声で誰からも、本会会報とお分かりいただけるでしょう。会員の皆様のご協力により、県内外から注目されるような会報に育てたいものです。
 ところで、超高齢社会では、高齢者がその豊富な経験と知識、時間的余裕を生かして、社会に貢献し、生きがいをもって生活することが望まれます。その手助けをする老人クラブの役割はとても重要ですが、社会情勢の変化などもあって、残念ながら会員数は全国的に減少しています。
全国老人クラブ連合会では、平成26年から百万人会員増強運動を実施し、3年が経過しました。三老連の会員数の推移を見ますと、平成27年4月には1315名、28年4月には1297名、そして本年4月には、1197名となりました。昨年からは100名の大幅減です。それでも、昨年は28支部中6支部で会員増を達成し、3支部が県老連から会員増強躍進賞を受賞されました。また、本年4月の調査でも8支部が会員増を達成しておられます。非常に嬉しいことです。今後も会員増強推進にご協力をお願い申し上げます。
 三郷町では、60歳以上の方は、平成28年4月現在で8171人おられます。老人クラブへの加入率は約16%です。何とかもっと上げていく必要があります。粘り強く地道な活動を続けて行かねばなりません。本会をより魅力あるものにするため、昨年新しい取り組みをしました。平城宮跡の散策、馬見丘陵公園ハイキング、健康教室などの実施。また、新しい教室として、習字教室、自彊術健康教室、論語に親しむ会、万葉集を楽しむ会などを開講しました。待望の会報創刊も、その一つです。ですが、これらの活動は緒に就いたばかりです。今年も継続して、活性化を図ってまいります。皆様のご協力をお願い致します。
 全国老人クラブ連合会のスローガンは「のばそう! 健康寿命 担おう! 地域づくりを」です。家に閉じこもらず、積極的に外出しましょう。外には、生きがいと健康づくりの場が大きく拡がっています。三老連の行事やクラブ、教室などにも積極的にご参加ください。
 最近「友達の数で寿命は決まる」という本が出ていますが、できるだけ多くの人とつながりを持つようにしたいものです。「担おう! 地域づくりを」については、まずは地域の行事に積極的に参加し、経験を生かして地域を活性化させましょう。
 また、介護保険制度の改定により、「新地域支援活動」が重要になっています。三老連におきましては、現在も友愛活動やボランティア活動、奉仕活動を展開していますが、さらに充実させていくことが第一だと思います。特に見守り、居場所作り、簡単な手伝い、環境美化、世代間交流などの活動も拡げていきたいと思います。
 本年も三老連の活動をさらに充実させ、皆様に喜んでいただける魅力ある会になるよう努めます。会員の皆様方におかれましても、所属する会と三老連の活動内容とその良さ、楽しさを未加入の方にお話しいただき、入会を勧めていただくよう切にお願い申し上げます。
             (平成30年4月末・会報「矍鑠」第2号から)
辻 前会長

会報名称「矍鑠」の語源・由来

  「矍鑠」の語源・由来
意味・歳をとっても丈夫で元気のよいさま。 
出典・後漢書の馬援伝。
62歳という高齢の馬援が敵陣に立とうと光武帝に申し出たが、老齢を気遣い許さなかった。馬援は甲冑をつけて馬に乗り、威勢を誇示したところ、光武帝は「矍鑠たるかなこの翁は」と感嘆したという故事から。
矍は、眼をきょろきょろさせ、素早く反応するさま。鑠は、輝くさま、あるいは、生き生きして元気がよいさま。
※当時の平均寿命は、40歳代後半から50歳前半と推定される。ゆえに、当時の62歳は、現代で言えば90歳を優に超える年齢だろう。

連合名改称と会則の改定に向けて

   本連合は、平成31年4月1日付で、「三郷町老人クラブ連合会」から「三郷町生き生きクラブ連合会」に変わりました。 

 7月の西日本豪雨による被害は、水害としては平成になってから最も悲惨なものとなった。広島・岡山・愛媛をはじめとして、被災された皆様には心からお見舞いを申し上げる。会員ご自身も、会員の関係者の中にも、被災された方が居られたのではないだろうか。

 その後は一転、猛暑が続き、とうとう最高気温の記録まで更新した。酷暑が続き、体調維持には苦労されたことだろう。多くの会員から、「年々ますます暑さ寒さが堪える」との声が聞こえる。暑さ寒さも気にならずただ遊びに夢中だった幼き頃、その頃に戻りたい。そうは思わないだろうか。もっとも、遊び惚けて勉強しなかったのは私だけかも知れないが。とにかく、早く涼しくなってほしい。
 そのような中、ようやく朝夕の風に秋の訪れを感じるようになった。とは言え、まだまだ残暑は厳しい。会員の皆様には油断なさらず、水分補給にご留意されるなどくれぐれもご自愛願いたい。
 前置きが長くなったが、日ごろは、各支部での活動や三老連の催しなどへの参加を通してのご支援、ご協力を賜り、心から感謝を申し上げたい。会員減が続いている厳しい状況の中、何が求められているかと思うとき、大事なのは会員の結束であり協力であろう。その点、心強いものがあり有難く思っている。

 「矍鑠」は今号で8号
 さて、会報は今号で8号となった。名称が「矍鑠」となった2号(平成29年4月発行)から編集長を務めている。当初「矍鑠」の名称には賛否両論があった。否定的な意見には「そのうちに馴染んで来ますから」と申し上げて来た。1年半が経過した今、如何だろうか。定着して来たと思うのだが……。他町から「いい名称だね」と羨望の声を少なからず聞く。一方、内容的には編集の拙さから稚拙の誹りを免れない。ただ、編集(製作)方針の一つ「作成のすへてを自前で行い経費削減に」を守り、向上心を忘れていない事には胸を張れる。業者を頼らず浮かせた経費で、従来から希望の多かった新しいコピー機(プリンター)を購入出来た。
 今後も飽くこと無く内容の充実を志向する。期待に応えられるよう努める。だが、さらなる充実のためには、会員からのご寄稿が欠かせない。支部のニュースなども、もっともっとお寄せいただきたい。

 率先垂範の姿勢と八面六臂のご活躍に感服
 ところで、僭越ながら、そして失礼を省みず本連合の辻会長について触れたい。
 辻会長のいつも笑顔を絶やさぬ温厚な人柄と、率先垂範の姿勢には敬服する。ただただ頭の下がる思いだ。氏を知る方には、共通の思いであろう。常々私は、組織(会)の長たる者は「組織(会)のことを誰よりも思い、誰よりも組織(会)のために汗をかかなければならない」と考える。黙々と実践されているのが辻会長だ。真似たいと思っても、愚昧不肖の私などには到底無理である。孔子の弟子顔淵(がんえん)が、孔子のことを「之を仰げば彌々高く、之を鑚れば彌々堅し。之を瞻るに前に在り、忽焉として後に在り……」(これをあおげばいよいよたかく、これをきればいよいよかたし。これをみるにまえにあり、こつえんとしてしりえにあり……【論語】子罕第九)と。まさに、辻会長のことを言い表しているようだ。
 私は歴代の会長についてほとんど存じ上げない。立派な方ばかりであっただろう。辻会長も負けず劣らず、ひたすら三老連のために汗をかかれて居られる。この機会に、活動の一端をご紹介する。 
 会長に就任後、「自彊術体操教室」(現在、「健康体操教室」)「習字教室」「万葉集を楽しむ会」や「論語に親しむ会」など、新しい教室(学習会)を立ち上げられた。それらは既存の同好会などと同様に、熱心な会員に支えられ地道な活動が続く。春秋の「ハイキング」も始められた。毎回、盛況である。会報も創設された。「矍鑠」は、他町の会報にも多少なり刺激を与えている。生駒郡生き生きクラブ連合会(以下、郡生連)の中に「切磋琢磨」(せっさたくま)する雰囲気を醸成するのに一役買っていると言ってよい。また、役員会や支部長会議において議長・書記を置き、きちんとした会議の形を構築された。以前を知る多くの方から、「会議らしい会議になってきましたね」と……。「ムラの寄り合い」状態を脱皮させたのだ。誤解を招かないように申し上げるが、「ムラの寄り合い」を否定はしていない。それはそれで和気藹藹の和やかムードを醸し出すことに一役を……。ただ、会員千人以上の会には似合わない。
 横道に逸れたが、加えて辻会長は例のバイクに跨って、情報共有を遅滞させてはならないと支部長宅や役員の家に資料などをお届けになる。神出鬼没である。「言うは易し……」と形容されるとおり、なかなかできない事である。大した行動力だ。これらは、「信貴ヶ丘有隣会」の会長と「郡生連」の会長、並びに「県老連」の理事とを兼務されながらの、粉骨砕身の働きである。歴史の学習会である「史学 さんごう」でも中心的役割を担われている。氏の実績は枚挙に暇が無いし、東奔西走しての獅子奮迅、八面六臂のご活躍には驚きを禁じ得ないのである。
 全国的な傾向として会員増強において厳しい状況が続く中、辻会長は支部長間の情報交換の場を設けるなどの方策を講じておられる。卓越した指導力が無ければ、とうに本連合の会員数は千人を下回っていたかも知れない。
郡生連の他町の会長、副会長を存じ上げているが、みなさん識見の高い立派な方ばかりだ。それらの中でも、辻会長の人柄と実力は優るとも劣らない。燦然と輝いている。辻会長の下で、共に汗をかかせていただけることに幸せを感じる。辻会長を支えて、会発展のために惜しまず汗をかきたい。

 「会名称変更」と「会則の改定」
 三老連では、現在ほとんどの支部で「老人クラブ」の名称は使用していない。であるのに、旧態依然として連合本体が「老人クラブ」と名乗っている。県、全国の連合も同様だ。全老連は、この事について「老人福祉法」の名称が変わらなければどうにもならないと言う。政府に働きかけはしているのだろうか。法律の名称を変えるのがそんなに仰々しいことなのか、平群町や安堵町の連合会では、すでに外されている。生駒郡は、ご存知のとおり「生駒郡生き生きクラブ連合会」と称している。
 そのような中、8月17日の役員会で三役会から「会名称の変更」が提案され、長時間にわたる協議のうえ承認された。また、現在の「会則」は昭和48年の制定(過去2回一部改定)だが、実情にそぐわない点が生じている。慣行的に運用している点については明確にしなければならないと考え、改定しようとしている。9月26日の支部長会議で、会名称変更と共に「会則の一部改定」が最終決定する。 
   次号「矍鑠」9号で、支部長会議での審議結果を明らかにする。「新会則」全文も掲載する予定だ。「会員が『会則』を見たことも無い」などはあってはならない。本会は、常に「開かれた会」でありたい。  
 ついつい長々と記してしまった。会員の皆様には、引き続きのご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げる。
              (会報「矍鑠」第8号から)

友愛のつどい 挨拶

  みなさん、こんにちは。
 日ごろは、三生連の活動にご協力を賜りまして感謝申し上げます。本日は、森町長にご来賓としてご臨席を仰ぎ、第21回の「友愛のつどい」を開催しましたところ、このように大勢のみなさんにご出席いただきました。ありがとうございます。三日間で約220名の方にご参加いただきます。お世話いただく方を合わせると300名近くになります。
   森町長には、公務ご多用の中、本連合会のために貴重な時間をお割きいただき深謝申し上げます。町政の推進には様々な課題が山積していると思われますが、粉骨砕身のご活躍をいただき、県内はもとより、全国的にも稀有の大きな成果を収められていますこと、重ねて感謝致します。今後も微力ではありますが、三生連は町長をお支え申し上げたいと思います。
   さて、会員のみなさんには、それぞれに生き生きとした人生を送られて居られることと思います。今後も、森町長が先頭に立って推進されているフレイル健診に、また町や社協、そして三生連の実施しているさまざまな行事等に積極的にご参加いただきまして、健康寿命をさらに伸ばしていただきたいと願います。
  「友愛のつどい」の開催に当たりましては、実行委員長であります西村女性部長をはじめ女性部役員の皆様、三生連本部役員の皆様、そして社協職員の皆様など、多くの方のご尽力があります。御礼を申し上げます。
   最後に、本日の「友愛のつどい」が実り多いものになりますことを祈念し、簡単ではありますが開会の挨拶と致します。

謹賀新年(令和2年元旦)

 大晦日は就寝が11時半になってしまったが、元旦はいつもどおり4時半の起床。
 ラジオ体操終了後、大和川に架かる若草橋から初日の出を拝んだ。雲が多かったが、よいタイミングとなった。その後、勢野の春日神社に初詣し、ご来光のときと同じく、災害の無い一年と世界平和を祈願した。
 大和側の堤を少し歩き、家に戻って家族と正月を祝った。夕方も散歩したので、本日は1万5千歩を記録した。午後には、甥家族が訪ねて来て談笑した。夜は30分程度論語を素読し、賀状を書いた。
 穏やかな元日を過ごした。

運動不足の解消を

 行事や通常の活動のほとんどが延期や中止となり、どうしても運動不足になりがちである。こういう時期こそ、意識して体を動かす必要がある。人混みを避けての散歩や庭や室内での体操をこまめに実施するように心がけたい。テレビなどでも、いろいろと手軽な体操を紹介している。
 お元気にお過ごしいただくことを願う。

運動不足の解消を

 行事や通常の活動のほとんどが延期や中止となり、どうしても運動不足になりがちである。こういう時期こそ、意識して体を動かす必要がある。人混みを避けての散歩や庭や室内での体操をこまめに実施するように心がけたい。テレビなどでも、いろいろと手軽な体操を紹介している。
 お元気にお過ごしいただくことを願う。

意識して体を動かそう

 行事や通常の活動が延期や中止に追い込まれている。どうしても運動不足になりがちだ。意識して人混みを避けての散歩や体操をすることを心がけたい。テレビなどでも、手軽にできるさまざまな体操を紹介している。庭や室内で、体を動かそう。
 お元気に過ごしていただくことを願う。

「」

論語に学ぶ 論語精読 ➁


 子曰わく、朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。   

                            (里仁第四)

しのたまわく、あしたにみちをきけば、ゆうべにしすともかなり。

      

孔子が言われた。「朝、真理を聞いて悟ることができたなら、夕方死ぬことになったとしても悔いはない」と。

 

真に生きる道を知りさえすれば、肉体の死のごときは、もはやなにものでもありはしない。

五十沢 二郎「中国聖賢のことば」

 

 ここで言う道とは、「真理」のことと思われる。五十沢二郎の「真に生きる道を知りさえすれば、肉体の死のごときは、もはやなにものでもありはしない」は、見事な解釈である。

 孔子は、現実のみならず眼に見えない世界の真理をも知りたいと思っていたのではないだろうか。しかし真理を極められなくて、「朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり」と漏らしたのではないか。おそらく孔子の発言の裏には、「理想社会の実現」というものが悲観的に含まれていたと思われる。「悲観的に」というのは、孔子自身の意見が多くの国で受け入れられず(理論的には理解されただろうが)、君子による徳治政治の実現する見通しが立たなかったからである。

 「道」という言葉を、各人がそれぞれの思いを当てはめて読むとよいだろう。『それを学ぶことができたら、死んでもいい』というくらいだから、人生をかけて探し続けるべきものだと解釈したい。それがどこにあるのか、どうすれば見つけられるのか、探し続けることが人生の目的の一つであるような気がする。「それぞれの道を求めて必死に生きる」、その前提として他者の幸福を一番に考える。何と素晴らしいことだろう。世の中のすべての人がこういった生き方をすることが出来たならば、皆が幸せになるだろう。 

 「覚悟を持て」「覚悟はあるか」など、『覚悟』という言葉を使ったり聞いたりする。辞書には、覚悟とは「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること」「迷いを脱し、真理を悟ること」「きたるべきつらい事態を避けられないものとして、あきらめること。観念すること」などとある。  
 「覚悟を決める」「覚悟を以て事に当たる」ということを、大切にしたい。なぜなら、自らの人生と真剣に向き合っていくためには覚悟を決めるということが必要不可欠だと考えるからだ。もし、覚悟が無ければどうなるか。覚悟を決められないということは、自らの行動や言動が招いた結果を受け入れない態度を取ってしまうということに他ならない。 つまり、自らの人生に対して無責任な態度を取るということであり、物事がうまくいかないときには、自分ではなく外部に(他者に)責任を求めるということにつながる。

 事あるごとに責任逃れを考えていては、当たり障りのない行動ばかり取ってしまうようになる。全責任を負うのが怖くなり、縮こまって挑戦しなくなるだろう。果たして、こういった態度で自らの人生をより良くしていくことはできるだろうか。確かに覚悟を決めるということは難しい。
 人は一般に、大した挑戦をしてきたわけではないし、何かを成し遂げてきたわけでもない。 見栄を張ったとしても、本心では何とも言えぬ不安を抱えているだろう。そうなると、周囲に同調することばかりを考え、今抱えている不安や自らの未熟さを、見て見ぬ振りをしてごまかそうとするかもしれない。仮にこういった態度のまま何かに挑戦したところで、得られる成果はたかが知れている。

 覚悟を決めた人間とそうでない人間とでは、明らかに行動に差が出る。 すべてを投げ出してでもやると決めた人間は、望む結果を得るために最大限の努力をする。努力することを惜しまないのだ。うまくいかない場合のことも覚悟しているから、そうはなりたくないとがむしゃらに努める。時に不安を感じることがあったとしても、その不安を打ち消そうと自らを奮い立たせる。覚悟を決めることができれば、不安を、自らが成長するためのエネルギーに変えていくこともできるのである。しかし、覚悟を決められない人間は安全圏という殻を破ろうとせず、いざというときの責任逃れのための言い訳を探しながら行動してしまう。挑戦を前にやるべきは、「覚悟を決めること」である。そして、その覚悟を大切にして、全身全霊で自分の人生や物事と向き合う。そうすれば、事を成すことができる。喜びを得られるだろう。覚悟を決めてこそ、人生をより良く生きられるのだと信じる。

 覚悟を以て人生を送っている人は、言い訳をしない。例えば、それが誰から見ても失敗だと思えるような選択だったとしても言い訳をしない。その経験が未来に繋がると信じているからだ。人生を覚悟している人は自分の言動に責任を持っている。人生を覚悟している人は、自分の人生に希望を持っている。目の前の事を全力で楽しめる。どん底の経験ですら笑いに変えられる。人生を覚悟している人は、感情が豊かだ。よく笑う、よく泣く、時には本気で怒る。未来に過剰な期待をしていない。未来は自分で切り拓いていくものだと思っているからだ。良い意味でドライである。他人に対して必要以上に干渉しないし、必要以上に同情もしない。自分がこれでいいと納得したらそこで終わりにする。その後の受け取り方は相手に委ねる。

 この短い孔子のことばには、いつもの温厚な調子とは似つかぬ激しい感情がこめられている。古注では、「道を聞く」の道は真実の道というような抽象的なものではなくて、現実に道徳的な社会が実現していることをさすとみる。そして道徳的な理想社会は、自分の一生のうちには実現することはなかろうという絶望に近い感情をあらわしたのだと解する。これにたいして、朱子の新注は、道を心理と解し、朝、真理が知り得たら、夕に死んでもよいという、真理を求める積極的な意思を示していると説いている。孔子がこのことばをどんな状況で、どの弟子にむかって話したのかよくわからないけれども、春秋末の乱世のことであるから、「朝に道を聞いて、夕に死する」ことは、朱子の新注などが説くように、たんに真理を求める気構えをあらわすだけではなく、生命が朝にして夕をはかれない緊迫した社会における、もっと切実な発言であった。

                   貝塚 茂樹「論語」

 

 衛霊公第十五(「仮名論語」231頁7行目)に「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成すこと有り」とある(志士(志の高い人)や仁人(仁徳を体現した人)は、命が惜しいからと言って仁の道を曲げるようなことはしない。むしろ、我が身を犠牲にしてでも仁の道を成し遂げようとする)。

五十沢(いざわ) 二郎(じろう)は、「中国聖賢のことば」の中で

 「真の生命愛に生きる人々は、肉体への執着のゆえに生命の愛を犠牲にしたりすることはない。むしろ、生命への愛のためには、おのれの肉体をも犠牲にして悔いないものである」と。

宇野 哲人は、「論語新釈」の中で

 「仁に志す人と仁を完成した人とは、道徳上死ぬのが当然な場合には生を求めて仁を害することなく、むしろ己の身を殺しても仁を成し遂げるのである」と通釈している。 

 高潔な目標を持っている『志士』と仁の徳性を身につけている『仁人』は、日常生活の中では自己の生命を尊重するが、仁徳を達成するためにどうしても自らの命が必要であると覚悟すれば、その身を潔く捨てることに何の躊躇もないということである。だが、軽々に「命は惜しくない」と言ってはならない。何のために命をかけるのかが問われる。親から頂いた命は、飽くまでも惜しまなければならない。
 志士仁人の心構えはある種の自己犠牲精神とも言えるが、政治権力による人民の道具化につながる(利用される)恐れもある。だから、志士・仁人は『(他からの強制のない)個人の自発的な覚悟・克己』によって世の中のために働くのだということを忘れてはならない。とにかく、男女を問わず、「責任」と「覚悟」をもった生き方が問われるのである。政治に携わる者が皆、このような生き方をすれば、「民の徳厚きに帰す」のであろう。

 「志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成すこと有り」は、峻烈な章句である。現代の人は命を捨てても仁徳を貫こうとか考えないだろうが、幕末の勤王の志士たちはこのような言葉を聞いたらさぞ感激しただろう。普通、人は誰でも生を好み、死を悪むものである。しかしながら、仁徳と生が矛盾する場合、生を捨てて仁徳を貫くものだと言われる。到底、私たち生半可な者には実行出来ない。この章句から子路を連想してしまう。いかにも子路の好みそうな言葉だ。私はこの章句を読むと身震いを禁じ得ない。真摯な生き方(考え方)に対し、頭を垂れるしかない。私たちは、先ず自分の身を正すことから始めなければならない。自分の身を正すことが出来れば、この言葉の意味をより深く感ずることが出来るかも知れない。とにかく、強烈なインパクトのある章句である。

 志士であるだけでは人を惑わせることがあり、真の志士はやはり仁人でなければならない。一方で優しいだけで理想を持たなくては、何事をも為すことはできない。「理想(志)」を持つことは「人情を解した、真の思いやり(仁)」を持つことに比べれば、比較的容易だろう。日々生きることに悩みがあることは当然だし、まして変革を試みれば破壊があり、苦しみがあることは必然である。その苦しみを堪え忍ぶことができるか、また、周りの人々に堪え忍ばせることができるかが、志士と仁人の違いだと思う。決死行を強いるばかりで、その人に家族・生活があることに思いをいたさないようでは、誰も心から従うことはない。理想を持ち、「千万人といえども我ゆかん」という気概を持ちつつ、同士の生活を慮り、あえて独りで行こうとする。打算ではなく、その心性が人を動かし、志を達成させることがある。 

 仁徳の完成と、現実の生活とが矛盾する極限の場合をいったのだが、孔子にはこういった表現は珍しい。「朝に道をきけば、夕に死すとも可なり」(里仁第四)と、その表現の仕方が似ていて、それゆえに、共にわが国で愛唱されている。 

 

   己立たんと欲して人を立て 己達せんと欲して人を達す  (雍也第六)

 おのれたたんとほっしてひとをたて おのれたっせんとほっしてひとをたっす

 仁者は自分が立とうと思えば先に人を立て、自分が伸びようと思えば先に人を伸ばす。
 

 実に含蓄のある言葉だ。「自分さえよければ」というような考えが先に走ると、「他者のために汗をかく」などといった考えは毛頭浮かんでこない。  
 「人を達す」ということが念頭にあれば、争い事は起こらないだろう。私たちの日常を振り返るとき、何よりも自分の利益を求めることに追われ、人を押し退けて前に出ようとすることが多い。自分の主張を押し通した人が、結果的に得をしたりすることが少なからずある。だが、皆がそのような生き方を最優先するとき、社会は殺伐とした空気に覆われてしまう。だからこそ、自分の利益を後にして困っている人を助けたりする人が、「有徳の人」として認められることになるのだろう。 

 相手に思いやりを持って接する事が大切な事に疑う余地は無い。相手を思いやると自然と相手の立場を考えるようになり、相手を立てようと思う。ただ、遠慮をすると立てるのは違う。遠慮をしても相手を立てている事にはならないし、面倒臭い事を押し付けるようにも見えてしまう。

 相手を立てるという行為は、たとえその人がその場にいない場合でもその人の長所について話をするなどがある。その人と相対したら話をよく聞き、間違っていたとしても真正面から否定はしてはならない。それは、知恵を働かせていないように思える。知恵のある人ほど、回り込んで別の角度から物事を気付かせるように話す。それも自身に置き換えてみれば分かるはずだ。正面から否定されたら、相手はカチンとくるだろう。相手を立てることができる人は、自分がやられて嫌な事は他人にもしない。相手と自分を客観的に見る事ができる人であり、本当の意味で賢い人とも言える。

 相手を立てる事が自然とできる人は、恐らくは多くの友人を持ち、伴侶や子供などの家族に恵まれ、会社の同僚や先輩後輩とも末永くお付き合いをしているのではないだろうか。どれだけお金を稼げるかが、人の価値となるわけではない。ほんの少し折れただけで、ほんの少し相手の話に相槌を打つだけで、これからの人生が変わるかもしれない。討論で負けたとしても、命を取られる事はない。それどころか逆に信頼につながるかも知れない。今までの生き方を変える事は、ときにイライラする時もあるだろう。しかしそれは、これからの生き方を上手に変えてくれる香辛料ともなろう。相手を立てる事はそんなに難しいことではない。

 自分の身を立てたいと思えば人の身も立ててやる、自分が伸びたいと思えば人も伸ばしてやる、つまり、自分の心を推して他人のことを考えてやる、ただそれだけのことだ。それだけのことを日常生活の実践にうつしていくのが仁の具体化なのだ。                                    
                      下村 湖人「現代訳論語」

 過ぎたるは 猶及ばざるがごとし

                                                    (先進第十一)

 すぎたるはなおおよばざるがごとし

 子貢問う、師と商とは孰れか賢(まさ)れる。

 子日わく、師や過ぎたり、商や及ばず。

 日わく、然らば則ち師は愈れるか。

 子日わく、過ぎたるは猶及ばざるがごとし。              


 しこうとう、しとしょうとはいずれかまされる。
 しのたまわく、しやすぎたり、しょうやおよばず。
 いわく、しからばすなわちしはまされるか。
 しのたまわく、すぎたるはなおおよばざるがごとし。


 子貢が尋ねた。「子張と子夏とはどちらがまさっているでしょうか」と。

 孔子が言われた。「子張はやり過ぎである。子夏はやり足らない」と。

 子貢はさらに尋ねた。「それでは子張は子夏よりもまさっているでしょうか」と。

 孔子が言われた。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」と。 


 十分以上だということは、しかし十分以下だというのと同じように、それを完全とはいえないものである。

               五十沢 二郎「中国聖賢のことば」

 現在も日常的に使われる格言の出典である。

 孔子は『中庸の徳』の実践を重んじており、才智や能力が極端に行き過ぎている者も、才智が劣っている者と同様にバランスが崩れていて安定性がないと考えていた。常識的に考えれば、平均的な能力・知性よりも極端に優れた人物の評価は高いはずであるが、安定的な持続性と人格的な徳性を大切にした孔子は、敢えて『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』という警句を発したのである。

 「中庸」とは、「儒教」において徳の概念を表す言葉である。儒学を学ぶときの四書として定められた『中庸』という経書のタイトルにもなっている。四書は『論語』『大学』『中庸』『孟子』で構成され、『中庸』は最後に学ぶべきものとされている。
 『中庸』は孔子の孫である子思によって作成されたという説が有力である。孔子はその思想を体系的に語ることはしなかったが、子思は孔子の教えを理論的にまとめ、学問として体系化した。  

 「中庸」は孔子が最高の「徳」として説いた概念であり、偏ることのない「中」をもって道をなすという意味だ。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の章句も、孔子が中庸の徳を説いた言葉として知られている。孔子の言葉に、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」(「仮名論語」為政第六78頁6行目)がある。どちらにも偏らない中庸の道は、徳の最高指標であるということを述べている。

 「具体的にどのような道が中庸の道なのか」については、孔子の言葉を解釈し具体的な行動に落とし込んでいく必要がある。解釈の仕方には幅があるため、経典が難解だとされる原因でもあるが、逆にその幅があることが教えの普遍性を保っているとも言える。また、その意味を考えることが思考の訓練であり、学びそのものでもあるとも言える。 

 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の章句の前文にある師とは子張、商とは子夏のことだが、子夏は「衛」の国の出身で孔子より44歳年下、子張は「陳」の国の出身で48歳年下の同世代である。ゆえに、子貢は子夏や子張よりは一回り以上先輩ということになる。子夏・子游・子張の三人はほぼ同世代で、孔子門下では学問上の良きライバルだったようだ。子張には少し生意気な所があったと言われる。先輩の子貢は、子張・子夏二人の後輩を孔子がどのように評価しているのかを知りたかったのだろう。子貢もやり過ぎる傾向があったから、孔子の言葉には心中穏やかではなかっただろう。

 真面目だという美徳が度を超してかえってマイナスとなり、「真面目すぎる」「正直すぎる」「かしこすぎる」などと言われている人が少なからず存在する。「真面目人間」とは、「他人の言うことをまともに受け止め、一生懸命やっていればそれでよい」と考えている人である。こういった人を教育し、実社会に適用させるのはなかなか難しい。そういった人は、上司と意見が合わなかったり、自分のミスで失敗したときなどにひどく悩み落ち込んでしまうことが多い。やや余裕を持った真面目さが、社会

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